2014年02月21日

E.トッド、1998、「経済幻想」




全体的に難しげな考え+書き方なのでよくわかんない感じだったけどまあ感想として



経済幻想
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焦点としてはEUと通貨統合、あるいは自由主義的資本主義 → グローバリゼーション、ネオリベ的なあれ。そういった考えが進歩的な当然-単一の未来とするのは幻想である、という考え。家族系から統合型資本主義(日独)も考えられる。

平等主義核家族(パリ)に似合った経済系もあるのかなあとかおもったけどその辺には触れず。とりあえず「単一通貨、EU、グローバリゼーション、ネオリベのゴリ押しは家族系の規定性から考えてビミョー」てのがメインの主張でそれをゴニョゴニョ論証する感じだった(論証詳細よくわからんけど

あと、ロシア・中国(外婚制共同体家族)、北アフリカ(内婚制共同体家族)に似合った経済系とかも特に触れず。まあ経済系は生産様式に準拠だからもともとは集団農業とかが適してたのかもだけど

自分的にはマクロ経済的出動も国に依る貿易・内需保護もタイミングの問題だと思ってるので、そういったいくつかの型と元からの家族系のニックス、ぐらいの話になるかなあ。。


これにコミュニタリアニズム(あるいは旧来の美徳重視)や自由主義、あるいは功利主義なんかが絡んでイデオロギーとして固まっていくのだろう。


たとえば、日本の場合は家族系的基底だと直系核家族なので旧来の価値観を重視する父権的権威主義がもともとな性格としてあるけれど近代の合理性というのは自由主義を要請する。なので保護主義的なことをやっているほうが性格的にはあってるのだけれど、デファクト的な自由主義的資本主義に合わせる、というところで相克というか止揚的なものが求められている。

国民性としてももともとそういったパターナリズムと曖昧な旧来の伝統価値≠美徳を重んじるところがあるのだろうからちょっとしたところでそういった価値観が全体合理性に対するメタ認知みたいなものにもなるのだろう。





まあ経済書としても人類学的知見としてもびみょー感あったので「国によって合う経済政策は異なる」という主張は本書でよく言及されていたこれでも見ていこう



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関連:
マイケル・サンデル、2010、「これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/389358750.html



(補遺) E.トッド、「新ヨーロッパ大全(T)」、「世界像革命」読んで: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/385418548.html


1355夜『経済幻想』エマニュエル・トッド|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/1355.html


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2014年01月26日

資本主義と後期近代




以下読んだところから生まれた雑感をもけもけーっと



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「読んだ」つてもけっこう流し読みで特にヨーロッパ大全と移民の運命は500頁な鈍器本だったのでそんな感じだったけどまあとりあえず。いちお読んで着想が生まれる/生まれたのが大切なので。


イギリス近代史講義を読もうと思った動機は「ヨーロッパ大全がわかりにくい」+「バークの省察だけではコモンロー+心性史からのイギリス近代資本主義のテイクオフがわかりづらい」からもそっと具体的なイングランド近代史を見てみたかったからだったけど、心性史の部分は載ってなかったので(´・ω・`)ガッカリて感じだった


んでも読み進めてみるとさすが川北せんせで得るものはあって4章「世界で最初の工業化はなぜイギリスだったか?」が白眉だった。けっきょくは<需要が資本主義を加速させた>というゾンバルト的な見方が結論でそれはこの本全体のテーマになってたようだけど。「女性と子供労働者が増えてそれまで買われなかったものが買われはじめて需要が増え、市場→経済のボリュームが飛躍的に上がった」

たしかに統計とか現象を見てみるとこれが近代資本主義加速の際のメルクマールにはなったのだろうけど論理的にはわかりにくい。「需要加速したって肝心の買われるモノが用意されてなきゃ意味無いじゃん(´・ω・`)」

なのでこの考え方は世界システム論的に買われるモノが用意されてるのを前提とした話になる。あるいはゾンバルトのそれも封建制・ゲマインシャフトな時代よりも分業・物流・移動が高度化してより多くのモノが用意されだしたことを前提としていたのだろう。

ただ、「イギリスの工業化、近代化が加速したのはイギリス一国の力に依るのではなく先行する中国のコピーをしたからだ」「もともと中国のほうが進んでいて、ヨーロッパの商・経済はそれを真似する形で進んできた。たとえばウェッジウッドとか」「中国から輸入してただけだと高いので自分達で作るようになった」「より多くの欲望のサンプルを中国に真似た」、というのはわかりやすかったけど。こういう形でより多くの需要の当てが用意されるようになったのだろう。

そんでここで涵養された需要というのはたぶんエンジンにおける巻き込み力みたいな感じになるのだと思う。エンジンつか水車をイメージしてもいいかもだけど。


一国の経済-市場というエンジン・水車があってそこから生み出されるエネルギーが実質的な富-豊かさ-何かを消費することで生まれる効用(益)だとすると、金は水であり、需要-商品というのは水車の凹みの部分な感じ。凹みの数と大きさを上げていけばより多くの水を書き入れられそれによって動力が生まれる。


資本主義の対義語は社会主義と言われがちだけどふつーに考えれば資本主義以前のものだから前資本主義。つまり土地と人的リソースを基本にした農本制度であり、土地・人的リソースをレントとしたスタンドアローン的なものだったのだろうけど、それがプロフィット系の経済に変わっていく過程でより多くの分業機会をつなぎ増やすことで高度にネットワーク化していったのだろう。

資本主義て名づけがそもそも悪くて、、資本(金あるいは設備提供で直接作業しない)うんたらつのは昔からあったんだけど、それを分業ほかで間接するようになり、世界システム的に極度に規模が広がったのが近代資本主義。なのでイメージとしては封建(土地と人的リソースに依る労働集約)がスタンドアローンだとしたら近代資本主義はネットワークであり、それをイメージした方がいいと思う。


資本主義の資本というのは金や設備を指し「直接に作業をしない」ということ。資本家は金や設備を投資するだけで自分では労働しない人たちを指すので。なので「金や設備を出す代わりに労働力をもらう」「わたしは資本を出す。あなたは労働力を出して」という資本的分業を意味する。

前資本主義的な労働集約、つまり「直接に自分が生んだ富しか信じない」系の人たちはそういった分業を胡散臭く感じたのだろう。まあ「先祖の土地で資本家してる」「その既得権益がなかなかに移動しない」っていうレントも発生してるし。


なので資本主義と呼ばれるものの原型はプロフィット型経済であり、それは商業、金融辺りで18c以前にも行われていたものになる。

では近代資本主義がなぜドライブしたのか?近代資本主義はそれ以前のものとは異なったもの、つまりこれこそが資本主義的なものとしてイメージされるのか?


抽象的思考を進めれば近代資本主義がそれまでのものと画期するのはおそらく扱えるマネーの量が莫大に増えたから。水車のアナロジーに戻ると、需要・商品種が増えたことによってかきいれられる水の量は増えたわけだけど、そもそもそのときの水はどこから引いてくるのか?という問題。

水はマネーとしてアナロジーされたけど貨幣はとりあえずそのマネー、富を国家を通じて信用代替したものに過ぎないので富の本源のところが必要になる。では近代資本主義がそれまでの資本主義と画期する富の本源とは何か?

それが工業であり世界システム的なつながりということになる。


従来の考えだと工業-産業革命をして近代資本主義のドライブ要因と見ることがふつーだったように思うけどそれはたぶん富の源のひとつに過ぎない。産業革命自体はこの時代以外にもあったわけだし、ほかの国の産業革命、近代的な産業-経済画期と比較するとイギリス型の産業革命の型だけが近代化の必要要因とはみなせないようなので。たとえばドイツや日本などはイギリス型に遅れた産業・経済革命を起こしていったけどその時の産業の中心は綿工業でもなかった


ポイントは分業と専門化で、それらがネットワーク化され高速化されていったこと。そしてそのメディウムとなる専門職やメディアが増えていったこと。たとえば金融業や貨幣。


工業というのは水車的なアルゴリズムの巨大なもので、分業的な体制の集約といえる。そこではリソースを人的なものから化石燃料に代替していくことでより多く効率的に生産できるようになった。あるいは工場の前段階としてのプランテーション、エンクロージャー。これらは畑の工場といえる。初期では経営者-小作的に分業していたそれも世界がつながることで、他国から人的リソースを取り寄せ、最適な土地にそれを移動することでさらに効率的にモノを生み出せるように成っていった。



つまり近代資本主義の本源と言うのはこの辺で、「生産様式において分業が高度連結化したこと、加えてその動力を他国の人的リソースあるいは化石燃料などに頼るようになったことで一国の人的リソースに頼っていた頃に比べてはるかに莫大のモノを生み出せるようになったこと」、といえる。


生産様式における分業、専門化、効率化、連結化…そしてそのリソースを世界システム的に海外に頼れるようになったこと。加えて言えばそれらに関わる量の管理を数学的に統御できるようになったこと、が近代的な発展とそれ以前を分ける画期なのだろう。




複雑になったので抽象化して単純化しつつ復習すると、「ヨーロッパのほうが遅れていた」「海外進出」「中国にならって需要が増えた」、までは良いのだけど「需要が増えて貨幣刷って先行入力的に消費と市場拡大していくのは良いとしても、それは信用代替の上に膨らんだバブルであり実体的富とは別物なのでは?」という話だった。んでもイギリスの産業革命-資本主義では工場の高度化、エネルギー革命・世界システム化によるリソース補給で最初に借りていた富を見事に補填していったのだろうけど。


では逆に需要と貨幣先行状態で信用を代替しているものへの信用が失墜したらどうなるか?

オイルショックのインフレというのはそういうものだったし、それは基本となるエネルギーに対する不安ってことだった。なので生産様式における基本リソース、基幹エネルギーの問題というのはその国の経済に直結する。

アジア三国志なんか見てるとそのへんがよくわかって中国が次の経済段階にシフトするためにはより多くのエネルギーが要るということでアフリカほかへの投資が重要になっている。そしてアフリカからのシーレーンの問題。マラッカ海峡を封じられるとヤバイのでポートフォリオを用意したり。


「経済が次の段階にシフトする」というのは一番わかり易いのは農本主義的なものから工業的なものへシフトということだけど、工業的なものから脱工業的なものにシフトするのが後期近代的な流れ。


後期近代というのは未だちゃんとギデンズ読んでないからアレなんだけど、いわゆる脱工業化によるライフスタイル-価値観の変化ということになる。

脱工業化という言葉はびみょーで、それだけだと工業ほか一次・二次産業を捨てて三次産業が主体になるみたいな夢物語になりがちだけど、単に就労における三次産業割合が一定のしきい値を超えるということだろう。そんで、そのしきい値を超えるとサラリーマン的社会になる。直接ものを作る現場にかかわらずにそれを管理したりする人が一定割合を超えた社会。プロレタリアート的社会からサラリーマン社会へ。



「1960-1990にかけてフランスの価値観が変わっていった。結果的に平等主義を基本とするフランス中心部のエリート層に差異主義が移入されるようになっていった」というのは「移民の運命」の主題だったわけだけど、その変化の基底にあったのはこういった後期近代-「プロレタリアートがいなくなっていった」ということだった。


宗教革命以来、反動化して残っていたキリスト教の価値観のうち民主主義的平等主義に属するもの、カトリック的なものは社会主義と相関していた。しかし60年代からの経済-ライフスタイルの変化を受けて「もはやプロレタリアートはいないじゃないか」「いたとしてもマルクスの時代のような悲惨さがあるわけではない」という事態に直面した。ここで社会主義的価値観が崩壊していく。


トッドによると宗教イデオロギーの次に来ていたイデオロギー、価値観は大きく「階級」と「民族」をめぐったものだった。このうちの階級的なものが経済-ライフスタイルの変化で実質的に意味をなくしていった。


フランスの場合、差異主義が入ってきたのはパリ盆地以外の地方の価値観が経済的不安を背景に高まっていったからか?と思ったけどそういった背景は述べられていなかった。単に「エリート層がアメリカほかから影響を受けて(1968-1980)」とのこと。


まあとりあえずこんな感じで経済-ライフスタイルが変わるとそれまでの価値観の変化が生じるぽい。



後期近代的なシステムに変化しようとしている中国においてもこれからそういった事態が予想される。

中国は共同体家族に属する地域。共同体家族の特徴は「親子関係においては権威主義的で、兄弟関係では平等主義」というもの。なので親や長老を重んじ、それに連なる大家族的な血族・コミュニティになっていく。それは共産主義と相性が良かったわけだけど…それは漢民族を中心とした場合のなのかな?後期近代への変化においてはその辺りの価値観の衝突が起こったりするのだろうか?


アジア三国志的にはマッキンゼーかなんかはこのあたりのシステムの安定性が不安で「それが落ち着くには民主主義が定着すること」として民主主義定着の指標としてミドルクラスの増加を置いてるみたい。ただしこの「ミドルクラス」の定義がぼんやりみたいだけど





まあとりあえず読んだ本全体をつなげるとそんなことが思えたわけだけど、差異主義とヘイトスピーチ、表現の自由と露悪的表現の是非に関して昨今のイルカ食、「明日、ママがいない」うんたらでも思ったので稿を改めたり改めなかったりしよう。



あと、後期近代言いまくりだからいい加減ギデンズ読んどくか。。



近代とはいかなる時代か?―モダニティの帰結
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2014年01月20日

マット・リドレー、2010、「繁栄」


読み終わったのでいちお。


繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史(下)
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全体の感触としてはここで示したとおり


リドレーは経済学系の人かと思ってたら動物学プロパーでエコノミスト勤務経験な人だった。感触としてはジャレド・ダイアモンド的なペーパーバック感。まあそれは「繁栄」のほうが動物・生物学よりも経済学的な語りになってたせいもあるのだろうけど。

たったひとつの冴えたやりかた: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/384420579.html



<「交換」-「取引」-「経済」ということが「繁栄」の鍵となる>というのが全体のテーゼ。んでも交換ということについてきちんと突き詰めてないので説得力に書けるところはあるけど。
https://twitter.com/m_um_u/status/417944773052620800

経済学と生物学の一般知識を知るためのエッセイとしてはちょうどよかった。


読み終わって思ったのはドーキンスとハイエクの影響を受けた話だったのだなあということ。なのできちんと詳しく詰めていくならどっちか読んだほうが良いのだろう。あるいは生物学なら赤の女王関連から芋づるするとか。


最後の方になってハイエクのカタラクシーの話が出てきて、しらなかったのでぐぐったんだけどネットでの情報は雑だった。
http://morutan.tumblr.com/post/73809784512
http://morutan.tumblr.com/post/73809736841
http://morutan.tumblr.com/post/73809643150

まあちょっとぐぐっただけだし「まつおかまったけだから」てのはあるだろうけど。




あとは全体的に資本主義と資本主義ではないものの違いみたいなのを意識できた。


「資本主義とはなにか?」とかんがえる場合、「それ以前のものと違うから新たな名付けが必要になった」ということだろうし「それ以前とは何か?」といったら封建制度ということになる。あるいは戦争経済。

戦争経済は戦争を仕掛けて土地を略取することを旨とする。土地依存の経済。

んでも土地を奪ったからといってどう経済が回るかというと、けっきょくはそのときの経済系というのは農業を基本とした労働集約型経済ということになる。


労働集約と資本集約という概念も本書で意識させられたんだけど、資本主義以前は労働集約、つまり人的リソースに経済が頼りすぎる。「機械や家畜を飼うより人を使役したほうが安い」という経済系。人口学にも関連するんだけど、経済の系が資本主義系にテイクオフ!してなくて人口が増えすぎるとこんな感じで全体が貧しくなる(マルサスの罠)。

それに対して機械なんか作ってそれで人が作り出すなん倍ものエネルギーを効率的に生み出せるようになれば人的リソース=人口だけに依らなくなっていく。

ここで人が単純に労働した場合の時間が短縮されるし、土地がそれほどない国でも本来の土地から生み出せる見込み以上のエネルギーや富を生み出せるようになっていく。

それをさらに「きみはこれ専門でやったほうが効率いいからこれ専門でやって、ぼくのこれとわけよう」「いまは現物ないけどとりあえずお金で信用担保して」って形で分業と交換(シフト)が進んでいくと生み出せる富の量がぐんぐん伸びていく。

この辺りは数学における代数的な考えにも似てるのだろう。
http://urasunday.com/u-2_09/


資本主義というのはそんな感じで代数的なものであり、砲術に数学が応用されて距離とエネルギー量がどんどん多くなっていったのと相関したものだったのだろう。

以前も言ったようにそれは格ゲーで先行入力のコンボを何個も重ねていってるのと似てる。




まあ、ともかくこのあたりの「資本主義とは何か?」「封建制(土地と人口依存経済)以後の経済系としての資本主義」「労働集約から資本集約へ」辺りに興味あるのでもそっと見ていこうと思う。


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レントシーキングというのは簡単に言うと「既得権益」と「ボトルネック」という言葉で呼ばれてる辺り。自由競争以外の論理で権益が守られ、そこから非競争的な利益が生み出されそれが経済系全体に回らないので公共的には悪しきものになる。

アフリカの金鉱、中東のオイルダラーみたいな資源依存経済と言うのはそんな感じ




世界の学界が問題にしているのは、アフリカの資源産業への依存度があまりに高いことである。学界の定説は「資源産業がもたらす経済成長はかえって開発を後退させる」というもので「資源の呪い」とも呼ばれている。
国民経済が「プロフィット」 (企業の資本投下による付加価値)ではなく「レント」 (資源産出から得る税収やロイヤリティ)を主要な収入源として運営されるようになると、そこには資本主義経済とは違った原理が働くようになり、資本主義国家とは異なる国家が現われる。そこではレント収入の確保と分配が国家運営の基軸となり、生産指向の希薄な国家主義的で保守的な政治がおこなわれるようになる。開発よりも権力維持のためにレント収入を使うようになるので、消費性向が高い、現状維持的で開発志向に欠けた政府が出来上がるのである。

http://morutan.tumblr.com/post/73770933604


まあでもこの辺もアフリカの優良国の中では変化が見られるようだし、レント→プロフィットのお勉強にもなりそうだから見ていこうかと思う


経済大陸アフリカ (中公新書)
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あと「ポスト資本主義」だけど、<交換の代数的な増大が経済システムの方向性>としたとき<交換がもっと増えていけば経済よくなるよ。そういうふうに人類史はできてきたんだから>というのがリドレーの結論だった。

楽観論ではあるけど「資本主義とはなにか?」さえ論じてないわけのわからんアンチ資本主義よりはマシかな


posted by m_um_u at 21:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

2009年12月12日

「資本主義は巨大なくじら」というお話

この流れでいろいろつぶやいちゃったのでメモ的に





この話自体は要約すると「アメリカの経済って軍事的技術開発競争で回ってたよね」って話だと思うんだけど、そういう面もあるかなとは思いつつそれだけだと経済は回らないはず、と思ったので以下のようにウニウニつぶやいた。





要約すれば、「技術力(技術開発)だけでは経済は回らない」、って話 。


ちゃんと裏とってないけど、アメリカの経済を支えてきたのは(宇宙開発などに代表されるような)「商品開発→自律的な生産性」ってだけではない、というかむしろその外縁的なモノだったように思うので。

そのひとつが国債であり、もう一個が「貨幣が利益を生む」って資本関係へのを信頼を担保とした期待のようなものだったように思うし。国債への信頼のほうはアメリカの市場の規模の大きさ+安定度によって決まるはず。もしくはそれを保障する軍事的力、とか。


なので、この異論のアクセントは「自律的生産性っていうか国債とかだし」ってとこにある。


まぁとりあえず自分的には「この手の議論は(とっとと)トッドを読んどけ」でFAな感じ


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5 すべてが斬新!でも共感。
4 辛辣なアメリカ論
5 人口学から見たアメリカの弱さ
1 よみづらい





で、


上記のついっと連弾から妄想が進んで以下の話





通常、利益≠生産性というのは労働力やなんらかの生産財によって得られるものであるといえると思うけど、そのほか利益を生む方法としては略奪がある。ってのは柄谷行人が言ってた話。


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1 理想論
5 柄谷思想の入門書、読めば読むほど味が出る
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前世紀まではこの「(他の領土などの)略奪→分配」って過程がそのまま国の利益に直結してた。なので、そこではGNP的なものは「生産性」だけでは測れなかったはずだし。

そんで、2つの大戦を挟んでそういった「略奪→分配モデル」もできなくなったのでその名残りだかなんだかで領土争いな流れは宇宙開発に向かったり。そこでの領土のゲインは宇宙開発における技術力と直結していたわけだけど、それまでの領土争いと違ったのは、宇宙開発が成功し宇宙でより遠くまで進めるようになったからといって獲得した(と思われる仮想)領土を分配できるようにならなかった、ということ。

でも競争によって国家の威信は保たれるし、あるいは「国家は領土獲得競争をするもの」って慣習が残ってたせいか開発競争は進んだ。


(ここからはちょっと妄想だけど最初にあげたヒトサマのとぅぎゃったーまとめ程度の話)


現行の世界の富というのはこのときに虎皮算用されていた「獲得されるべき富(領土)」から分配されたものではないか?「それがすべて」とはいわないけれど、少なからずその部分を引きずっているように思う。

実体的には略奪によって利益(領土)を得ていないないのだけれどそれが虎皮算用され、その含み利益の上にさらなる開発→含み利益が先行入力されていったもの。その意味では「貨幣の操作によって生まれる利益=資本」の形とも似ている。


資本主義 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9


そして、現行の世界はその利益を分け合うように回っている。かつて海の民が巨大なくじらを分けあったように。



ただし、この利益とは含み利益的なものであり、生産なり奪取なりから生まれた実質的な利益ではない。なので、その部分の空隙は依然としてあるはず。そしてその空隙はポッカリと穴をあけて待ち構えている。誰がはまるかわからないババ抜きとか椅子取りゲームみたいに。

どこまでも積み上がった先行入力型連続コンボ、あるいは多層型の含み利益の梯子


現行の貨幣経済型資本主義な相互依存型世界経済システムを崩す、ということは「このタメ(はしご)をはずす」ということを意味するように思う。この梯子をはずすと一気に反動がくる。 その覚悟があるのか?


この巨大なタメは基軸通貨を司るような規模をもった市場を有し、それを担保する軍事力をもった国に受け継がれていくものと思われる。中国、あるいはBRICSとか。


ブラックスワンという話はそういう話関連かなと思ったんだけど、どないなんやろ?


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5 現代ポートフォリオ理論の対極として読んでおくべき本
4 ブラックスワンの飼いならし方は、下巻に書いてあるのです。
4 本書はデリバティブを駆使した「金融工学」なるものの終焉の宣言のように思えて仕方がない。



ブラックスワンを読むための私家版参考図書リスト - HPO:機密日誌
http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20090629/1246267061



つか、複雑系経済学的観点からみたときの経済の動態のリスクのことを「ブラックスワン」て呼んでるみたいだけど


まぁ、こういった実体経済(って言い方も変なんだけどとりあず)で生まれた巨大な利益 / リスクの関係に対して、一部で「ポスト資本主義」とかいわれつつあるネット経済ってのはそんなに強力なのか?って思う。


先程からいっていた仮説が正しければ、現行の経済システムのpostというのはタメの移譲先を考えること、とそれにともなうちょっとしたルール改訂程度なはず。 いきなり「ネット経済は現行資本主義を超える」とかは無理だしナンセンス。前にも言ったが現行システムにマウントする程度だと思う





ちょっと前にいったけど資本主義の特徴って貨幣を介した抽象価値の取引であり抽象度を高めることによって物理的制約から逃れた価値が倍増していくことにあるので。それ自体は問題ないんだけど、そこをトラカワ算用するからまずいんだよ


貨幣の部分をほかのメデイアに変えてスピード制御したところでやってることは同じだし。ゲゼルシャフト的に価値と場所や時間、人情などといった物理的な制限をアンバンドルして「まとまってること(≠ゲマインシャフト)によって生まれるいざこざ」を減らしていくって方向だし。ハイパーゲゼルシャフトだけど


その方向とは逆に原子共産主義的な人情とか何とかにもどれみたいなこと言ったりする人もいるけどそんなの今更無理なはず。イスラエルの「キブツ」のように小さなコミュニテイで実験的にやるなら別だろうけど。 それを全体に適用すればふつーに生活がまずしくなるだけ



そんなことウニウニいってたらTLにソレ系の話題で「これ嫁」本が出てたのでいちおメモ


金融恐慌からコモンズへ 資本主義の現在的批判のために (Vol extra)
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たぶん立ち読み程度な気もするけど





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おまけ:



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2008年03月11日

資本主義ってのは「自己責任」なんかじゃ済まされないシステムなんだけどね

 蜂っこからの質問(?)のようなものに応えてなかったなぁということでいちお。つっても、前のエントリでもいったようにワタシこの辺ど素人ですから、単なる自分的な思い込み+論証に過ぎませんよ?それでもよろしければ以下をご覧くらはい

(※追記:長くて読みにくいのでいちお言外の前提とか本文の主旨とか要約しとくと、「(自己責任論を唱える人は自分の行動の責任を自分がとれるということを前提に他者にもそれを要求しているように思うが)現代の日本の社会システムにおいては知らない間に国家に依存したり市場に依存したりして誰もがもちつもたれつ的になってるので自己責任なんてのはできないんだよ」、って話です)


sivad 資本主義ってのは責任分散のシステムなんだけどね。

sivad つかまあ責任という概念自体がシステム上のモノか。

sivad そもそも株式ってのは起業家から株主への責任分散システム。「自己責任」どころじゃない。

_8 株に関しては責任分散になっているがそれは株の特殊事情であって資本主義一般にまで一般化できるかというと疑問である。

_8 役割分担をした時点で共産主義だろうと責任は生まれる。

sivad @_8 そうですね。というか共同体がなければ責任という概念自体存在しませんし

sivad ただ「資本主義」主義な方々が「自己責任」を強弁するのってすげえ矛盾だよな、と

sivad まあ「責任」を皆にバラまいてるので本人にとっては資本主義的か。

_8 資本主義だと責任という抽象的な物を乗っける具体的媒体として貨幣を使いうるということですか。

sivad とりあえず「自己責任」って言葉はBUZZワードなんで、使わないがチキ。いや吉。


m_um_u いまオフだし調べずにてけとー言うと、資本主義というのは商品交換の特殊形態のはず。ふつーの商品交換が即時的に交換財同士の効用を確かめる必要があるのに対して資本主義の場合「資本」っていうメディアが入る。表象としては貨幣、その実態は信用

m_um_u 信用を担保に即時的な等価交換は行われずタイムラグが生じる。自己責任のギロンは即時性を前提にしてるけど資本主義の大部分にはタイムラグがある。ローンとかもデフォだしね

m_um_u なので結局は目に見えない「信用」が崩れたときどうなるかって話なんだけど、いま市場で語られる信用の中心はいままでに累積した皮算用的な儲け(=マネー)なので一人一人の労働者には目がいかないだろうね




 「資本主義だと責任という抽象的な物を乗っける具体的媒体として貨幣を使いうるということですか」なる質問(?)が残ってたのでいちお

 上記の説明通り、ふつう、責任というのは交換という双務関係において財の交換がなされた時点で全うされているものなんだけどここに貨幣というメディアが入ると具体的効用をもった財との交換までにタイムラグが生じる。んでもフィクションとしては貨幣となんらかの直接的効用をもった財を交換した時点で双務関係は終了したことになる。そのフィクションを成り立たせているのが(それまでにもタイムラグがある取引でも大丈夫だったという)信頼。ってか、その信頼は国家やら市場やらといった貨幣を取り囲むシステムがしっかりしていることによって成り立っているわけだけどちょっと割愛。

 なので貨幣を通じて交換されるのはなんらかの効用をもったもの(X)。その時点では得体が知れないけどなんらかの効用をもったもの(X)が後に価値をもつものと交換できるということを信じるためには信頼がいる。それを保障するのが国家や市場といった外部システム。貨幣を通じた商品交換における責任の回収にはタイムラグが生じるので信頼を担保にした段階でその交換における責任は信頼を担保するもの(国家や市場)に委譲される。市場っていうかこの場合は国家か。国家が「その紙切れは価値があるものですよ」ってしてくれてないと金なんて単なる紙切れとか金属だもんな。


 そんなこんなで資本主義における責任にはタイムラグが生じ「自己責任」的なギロンがよくいう即時決済的なものは当てはまらないことになる。んでこれをこの辺の長期負債、即時決済って概念に絡めると


2007-01-28 消費としての労働 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

人が生きるということは、長期負債とともに生きるということで、そのような長期負債を許さず、即時決済でつねに人は借金を完済していなければならない、という理屈が「自己責任論」の本質だと私は思う。1980年代後半以後に失われたのはたぶん、人間には「心(心理)」のほかに「魂」や「精神」というものがある、という考え方で、それは内田樹がいうような「宗教」的感覚とはちがうと私は思う。魂の生き残りの種火を絶やさないことが、たぶん、これからの時代を生きていくうえで、いちばん大事なことなんじゃないか。



 先の論述的には資本主義の貨幣を通じた商品交換において人は長期的な貸し出しを許していることになる。それを通じて架空の財(価値)を保持しているという幻想が共有されているわけだけど、その幻想に基づいて財の価値のみが雪だるま式に大きくなっていくのが証券取引ってやつだろう。そこでは財(価値)がモノやサービスとのバインドを解かれるため急激な速度で膨らんでいく。そうやって膨らんでいった累積的な価値、皮算用的な価値が「マネー」ってやつだけど。ローンとかそういうのがデフォになってるのもこんな感じで皮算用的な価値がデフォになってるから(なのかな?)


 それとは別個の部分で、マネーが価値をもつためには市場の信頼性が必要でそれを保障するのが国家的なバリアってことになるんだけど、国家的なバリアっていうのは具体的には物理的暴力を根拠とした他国との境界、あるいは国内の安定性を保つために必要な暴力(具体的には警察力)ってことになる。

 逆に言うとこの部分を壊してしまえば当国の貨幣への信頼も崩れ、暴力による略取が財を取得するのリソースとなるのだろうけど、まぁふつー無理だわなぁ。
 てか、実体経済としての市場は労働者がなんらかの生産性をあげること(価値を持った財を生み出すこと)によって成り立っているはずなんだけど、あまり労働者をいじめると労働者が仕事から逃げ出すことによって生産性がなくなってしまう、ということは起こらないのだろうか? いちお毎年行なわれる春闘なんかはタテマエとしてはそういうサボタージュを前提としているのだろうけど。


 まぁ、この辺は実体経済だけの問題でもないのだろうしびみょーなのかもしれない



 ただ、仲俣さんも言ってるように、そういう金銭的な交換以前に人が生きるってことは借りの連続なわけで…例えば生んでくれた借りなんてのは金銭では変えようがないものだしな(命の価値ってやつだけど) そういうの考えると自己責任って言葉は安易に使えないと思うんだけど。。成人しだ段階でもなんらかの生産性をあげれる環境にいられるのは国家という前提があるわけだしそれは自分だけの功績ってわけでもないからなぁ


 まぁ、そういうの認識できないマッチョマンは一度国籍捨てて日本離れてみればよいのではないのでしょうか? 東京力(笑)を発揮したらどうとでもなるのかもしれないけど

posted by m_um_u at 22:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

2008年02月29日

日本の組織が家族とか犠牲にしてるのに生産性上がらないのってなんでなんだろね?

一個前の日記絡みで

『家族を犠牲にして平気でいる日本人がおかしいのかも。それでも、生産性があがらないのはなぜ? 』

ってひできさんがゆうてはって、「なんでだろー?」とか考えつつ「昔は辛くても会社は家族的な幻想があったからですかねぇ」とかいったわけだけどちょっとびみょーかな、と。

んでも、いちお会社 - 家族的幻想のほうをもそっと細かく言っておくと、そういうのは確かにあったと思うし、昔の人はそういうのに包まれていたのでやってこれたのかなぁとか思う。例としてはプロジェクトX的な「金はないけどオレ達はチームの信頼の中でやってきたんだ(褒賞なんかあるかどうか分からなかったんだ)」みたいなの。昔の人はそういうのがあるので「いまの若いやつらは少しぐらいの苦労ですぐへこたれる。ワシらの頃は先行きどうなるか分からんかったけどそれでもガムシャラに働いたもんだ」とか言うのかもしれないのけど、でもそういうのって会社全体が家族みたいな共同体として機能していたから可能だったんじゃないか、とか。

んで、そういうのってnation - stateの幻想(日本だと天皇制ら辺)と似てるなとか思ったわけだけどいまだったら「やりがいの搾取」とか言われるのかな?それとは少し違うか。「やりがい」の場合は「自分がやりたい仕事」っていうのがまずあってそれを担保にキツイ労働環境でも耐えるように要請されるわけだし。でも居酒屋チェーンとか某古書店とかの体育系クラブみたいなノリはそういうの思わせるな。擬似共同体みたいなのを作り上げほかの人との連帯感を担保に辛さの共有を要請するみたいなの。その際、「辛さに耐える」ことは強制的に要請されるものではなく言外の雰囲気によって作り上げられていくのかなぁ、とか。「ほかの人もがんばってるんだから空気嫁」的な。

そうするとやっぱ空気関連の話になるのかなぁ。。空気と合理性


出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日本的課題 - MIYADAI.com Blog

acquo's B - 教養・いかにして知識人たり得るか

むーたん - 教養関連


空気の研究については前にまとめた

muse-A-muse 2nd: 空気を読むこと / 読まないこと

ポイントは「目の前にある空気的決断の実態から眼をそむけたり、無理やりに排除しようとするのではなくそのメカニズムを観察・分析(あるいは全体として把握)しうまく付き合っていく」ことが必要というとこ。そのためには(仲間内の雰囲気や自分の独善的視点に囚われるのではなく)外部のフィードバックを参照し相対的な判断をすることに努める必要がある、と。


関連でこの辺が気になったり


2008-02-27 敗残兵から一言 - reponの日記

狂った会社の社畜になったって、いいことなんかねえよ。 - NC-15

ロスジェネとか雇用とか(一当事者として)+実際あった出来事 - syncのれんあい☆にっき ver1.1


「生産性が上がらない」ということと「合理的判断ではなく社内の空気嫁的ないじめの雰囲気」。この辺は繋がりそう。そういえば以前にいじめ関連の話題で個人主義といじめについてもそもそと考えたことがある。


http://morutan.tumblr.com/post/12144698


オランダ人から聞いた程度だったけど「オランダにはいじめはないよ」って話が印象的だった。職場でもそういうのはないのではないか?だとするとやはり合理性やその元となる(?)個人主義、その反対に生産性を低くするようなダラダラした会議とか同調性みたいなのは日本的なものと言えるのかな?「生産性があがらないのはいじめがあるから」とか「空気嫁的環境があるから日本は遅れてる」とか一概に言えないのかもしれないけど。

あと、職場関連だと「いじめ」っていうより知識共有と合理性の問題かもしれない。その元となるエートスをsivadさんは「自治へのマインド」みたいな感じでまとめてたけどこちらでもつぶやいたように

http://morutan.tumblr.com/post/27416907


それの元となるのはピューリタニズム的な経路依存(あるいは慣習)なのかなぁ、とか。日本だと儒教が対応するのかね(んじゃ、空気嫁とか(無能でも)上司敬えとかいうのは儒教的因習?)あるいはゲゼルシャフト / ゲマインシャフト的なアレにも対応するのかもしれない。


つか、元となるとこ見ててもいまいちわかんないのでやはり組織を再編成することによってその辺ズバっと解決できるのかも。Googleの組織体制なんか頭に浮かぶ。そのためには上の許可が必要とかそんなんだろうけど

てか、最近の世代だとそういう会社的しがらみみたいなの無視してたりするのかな。飲みゅにけーしょん断ったりとかそんなん (でも会議は断れないしな

合理的に考えればそういうの断っちゃったほうがいいのかもしれないけどここら辺びみょーな感じ。実は「飲み」という場自体が本当の情報交換の場だったりとか親密性を高める場として機能してたとかそういうのもあるし、そういうの断るにしても断れるだけの環境が整ってないと断れないだろうなぁ、とか。この辺個人の能力とか転職先が潤沢にあるかどうかとかいろいろな感じ。しがらみと選択、自己責任関連ではこういう話もあったな



harumachidori 広がりすぎた選択肢を前に呆然と立ちすくんでいたり、よくわかんなくて怖いから目を背けている人もいる。そういう人にまず一歩動けと言いたくなるのは、負のスパイラルに落ち込んでいるのがひしひしとわかるからであって、動かないことを受け入れている人には言いたくならない

harumachidori 負のスパイラルに落ち込んでいる人の話し相手によくなるが、この調子でバッサバッサと余分を切り捨ててしまうので、整理してくれてありがとうと言われるか泣いてなじられるかの二択

harumachidori 泣いてなじってきた人たちも懲りずにまた私に話を聞いてくれと言ってくるからきっとマゾ。子供の頃に叱られたりなかったから補給しているのかとも思う

harumachidori 何度も同じことを繰り返す人には非人間的な言葉責めで戦慄を味わわせたりもする。甘えたいだけなら耳障りのよい言葉をかけてくれる優しい人のところへ行けばよいのだ



tsuda 親類縁者や社会的環境のせいで今の環境を抜けたくても抜けられないって人は、そのまま不遇な人生が続いて取り返しの付かない年齢になったら、それこそそういう自分を縛り付けてきたものを憎むようになってしまうだろうなあ。憎むのが会社ならまだいいけど、それが親だったりすると不幸だなと思う。

tsuda でも、縛り付けられている状態って自分が選択(選択するというのは、何かを切り捨てるということでもある)しないことを積極的もしくは消極的に肯定する理由になるから、結果的に動けない状態が長く続くという悪いスパイラルに陥りがちなのかも。

tsuda 今は選択しない(できない)人がネットでガス抜きできるようになったし、いざ選択しようと思ったときに選択できる可能性は昔より(狭くなった部分はあっても多分トータルでは)広がっているんだろうけど、逆にガス抜きと選択肢の増加が選択そのものをしにくくさせている面はあるんじゃないかな。



「選択しないのは自己責任」みたいな言い方する人がいるけどそれができない社会的環境というものがあるわけだし…それでも「そんなの個人の能力があれば乗り越えられるんですよ!」とかひげもじゃマッチョは言うのかもしれないけどそゆのも一般化できることではないしな。「そこに甘えるな」ってのも分かるけど甘えてなくてもできないことはあるわけだよ。…まぁ、びみょーだわな






とりあえずこの問題をとらえるときの自分的な課題や注意点としては


・官僚や閣僚的なところとふつーの(あるいはちょっとブラック気味な)企業とはレイヤーが違う話かもしれない


・官僚制の有効性について。日本で官僚制が導入された経緯、その有効性に関して。あるいは官僚制というシステム全体に対する有効性。これ絡みでマックス・ウェーバーでも見る (ついでに「職業としての○○」シリーズで政治家、学者の意義・責任・あるべき方向性について、「プロ倫」辺りでアメリカ的な勤勉について再確認)


・中央集権的な組織の有効性。システムにおいて中央集権(集中)と分権が有効な時機の違い。その際のポイントはノードの能力とそれを可能にするリソース


・ゲゼルシャフト / ゲマインシャフト的な区分けでみたとき「ゲゼル > ゲマイン」みたいな与件がありがちなことに注意。ゲマインシャフトの有効性に関して (cf.貨幣交換と贈与交換)



だいたいこのぐらいインストールしてないとよくわかんない気がする。なのでとりあえずメモってことで置いとくけどまた忘れるかもしれんな。。



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関連:
acquo's B - 知識人/エリート主義/ファシズム


acquo's B - 官僚の独り言まわり

bewaadさんがなんか言ってないかなと思ってたら反応してはったか (あとで見よう

日曜日の晩に書かれた官僚の独り言を見て思うこと。 - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com

続・日曜日の晩に書かれた官僚の独り言を見て思うこと。 - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com



あと、言い方っていうかnoblesse obligeみたいなので


幸せの表明方法 - はてブついでに覚書。

自分が今あることは自分の実力だけでなくて運とか環境に左右されるところが大きいんだろうからその辺は意識しといといたほうがいいよねぇ。つか、やっかみ受けないようにするための貴族的な作法だったのだろうけど。そゆの全体を指して「品格」っていうのかな


Nothing is more admirable than the fortitude with which millionaires tolerate the disadvantages of their wealth.
-- Rex Stout

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2007年07月08日

おしえて!福耳せんせぇ〜(2):衣料品はなぜにあんなに高いんですか?

 バーゲンの季節ですね。そういうわけでおっさんもちょっと浮かれ気分に浸ってみたくて「Sale!」札立ち並ぶ店頭を散策してきました。っつっても、いつも通り買うものがなかったわけですが...。

 今回は和洋服っぽいものが欲しくて和柄のTシャツ(もしくはタンクトップ)を求めて各店をさまよったのですが見つからず、「あぁ、おっさんは世間から必要とされていないのかな。もう、”You、若者の嗜好にあわせちゃいなよ!”的軍門にくだるしかないのかな」、といった気の迷いも一瞬生じたのですが、どうやってもああいったなんかよく分からないプリント柄の入った服を着る気にはなれない...。かといって、いつも通り無地な服を買ってきても仕方ないのでけっきょく何も買わずに帰ってきました。....やはり目的物はネットで購入するしかないのか? できれば実店舗でぶらぶら閲覧しながら買いたかったのに。

 ってか、あることはあったんですが、プリント柄やデザインも想定したものとは違っている上に予想外に高いんですよね。なんであれが7せんえんとかするの?アロハシャツとか2まん4せんえんとか言ってるし...。っつーか、服高ぇよ。なんでこんなに高いの?




.........ここはアレですかね? ......せぇーの



おしえて! 福耳せんせぇ〜〜〜〜〜っ!!!!




 っつっても、福耳せんせぇは現在、「オレの歌を聴け、ボエーッ」と鳴く珍しい生き物(もしくはこれ)にたかられてるようですのでお返事はしばらくしてからでもいいです。それにしてもなぜ今時分こんな生き物が湧いてくるのかな? 梅雨だから?

 もしかしたら三本足で幸運を運んできてくれるかもしれないけど。



 さておき「服なんで高いの?(高すぎじゃないの?)」って話に戻りましょう。

 個人的な金銭感覚からすると衣料品ってやたら高いように感じるんですね。スーツとかなら分からんでもないけど、なにぜTシャツ一着が5000〜1万円もするのか? その他カジュアル系も一着あたり1万近くしますよね? この感覚がよくわかんないのです。

 世の人は「それはふつー」って感じで受け入れているの? だって平均初任給(手取り)が16万円ぐらいと想定してその16分の1とかですよ? 可処分所得で考えるともっと切実なことになるかもしれない...。であるのに、なぜに衣料品はこんなに高いのか?


 もうのっけから暴論言っちゃうと、中間搾取というか間に人が入りすぎのように思います。こんな感じで


図録▽製造業企業における利益の源泉



 「繊維製品」≠「衣料品」とした場合、製造が「22.2%」なのに対して販売は「66.7%」もある..。これっておかしくないっすかね? ぼくは地味にマルクス的影響があるので、「実際に作った人」とか「実際に働いた人」とかに利益が還元されないのってどうなの?、って思ったりします。 その辺のギロンはちょっとサヨク的左掛かり傾向があることは分かっているつもりなのですが、やっぱこの辺の疑念が薄れないんですね。

 <現代社会において「広告」「流通」「販売」といった中間的なものがなくては商品経済は成り立たない>ってのはなんとなく分かってるつもりなんですがね。どうしても、「中間ボリ杉なんじゃねぇの?」、って思ってしまうわけです。んで、「中間ボリ杉で商品価格上がってんじゃねぇの?」、と。


 「サービス業の収益成長に対して製造業はそれほど成長していない」ということについては(市場が違うだろうけど)この辺からも伺えるように思います。


図録▽傘と床屋の価格推移




 まぁ、そんな感じで一消費者的視点から「ボリ杉?」とか思ってしまうわけですが、その辺のところどうなんですかね?


 いちおこちらでいただいたコメントを踏まえると、「生産ほかの技術(あるいは仕組み)が発達すれば価格は低下するはず」、ってことだと思うんですが、どうなんでしょう?

 (相手が福耳さんということを意識しつつもちょっと迂闊に例出してみるけど)たとえば某○クロさんとか某○APさんとかは安く商品を提供できてますよね? んで、その理由ってのは、「中国みたいな人件費の安いところに発注して、コスト浮かせたから」、ってのがいえると思うんだけど、だったらなぜに業界全体がその方向で改善していかないのか?

 「商売の狙いが違う」ということでしょうか? ○クロさんとかが「低コスト低出力低リターンな割りに高いヒット率を誇る回転系商財」で成長したのに対して、ほかの服飾企業は「ヒット率低いけど高コスト高出力高リターンな大砲系商財」を狙っている、と?

(※っつっても、○クロさんも中国の人件費高騰を受けてか戦略変えてきてるみたいだけど、ちょっと置きます)


 で、あるとしても、もうちょっと回転率高い系というか「お値段お勉強しまっせ」的な企業が増えてもいいように思うんですよね。もちろん質は保ちつつ。

 なぜこういう企業がそれほど現れないか(あるいはぼくの目に触れる範囲に現れていないか)。邪推するに、「コストやすくして価格据置カルテルのほうが儲かるじゃん ♪」というのがあるのか、と。あうりはまだマシな理由としては、「めんどくさくていままでのシステム変えるのイヤ」的なものがあるのか、と。あるいは、中国の人件費高騰みたいにコストが高くなるのを見込んで値下げしないでいるのか? そんなことを思います。


 あと、ものすごーく陰謀論しちゃうと、某○通系広告会社のお仕事がなくなるからムダをムダと気づかせないように根回ししてる、とかね ♪ (← 批判理論1st的な文化産業論批判な視点)



 以上がメインな質問というか「修正加えてください」な内容です。



 あと、それに加えて疑問というか不満というか...。冒頭でも少し述べましたが、なぜに地方というのはこれほどまでにアイテム(消費財の種類)が少ないのでしょうね?

「そりゃ実店舗展開するコストまでかけて勝負するほどのものじゃないからだよ(人口の多い東京で消費してもらえば十分なわけだし)」ってことなのだろうけど、だったら実店舗コストのかからないネット販売がそれほど展開されていないように見えるのはなぜか?


 この辺もよくわかんないです。


 関連のエントリは以前見かけましたが


pruto.jp - アパレル業界がwebに手を出さない理由


 けっきょく、「汎用webツールがないからめんどくさい」、って話だったのかな?


 あ、違うか。以下、「考えられる理由」として挙げられていたものをそのままグワっと引用させていただく


単純にwebにかけられるお金がない

パートナーがアパレル業界の人なのでよく話しを聞くんですが、かなり厳しい状況らしいです。ある程度大手の所ならば別ですが、東京コレクションに出てるところは小規模でやっているところが多いのでなおさら。

本当はwebにお金かけたいんだけど…と思いながら結局そこまでお金が回らないのでしょうか。


ブランドコンセプトであえてwebに力を注いでいない

アパレルっていうのは歴史も古く、結構頑固なところも多いんじゃないかなというのがある。だからあえてwebとかに手を出さず、店に来てもらって現物を見てって思ってるのでしょうか。

確かに実際にみてもらうことは大事だけれど、同じく実際に乗ってみないとわからない車の業界はwebでかなり成果をあげているのでwebを有効利用すれば売り上げに繋がるとおもうんですが。


大衆的なイメージをもたれたくない

上のブランドコンセプトに入るかもしれないですが、ユニクロやGAPなどと違いブランド独自に路線もあったりで、大衆的なイメージを持たれたくないのではないかなと思う。「是非うちの洋服を着てください」なんじゃなくて「着れるもんなら着てみなさいよ」くらいなイメージ。言いすぎかな。

それでもしかし、着れる人のためのwebを展開してほしいものです。地方に住んでる方やコレクションを実際に見られない人にたいしてwebを使って何かすることはちょっと考えればすぐにできるとおもうんだけどな。





 そういうの尻目に一部のメーカーは「ケータイ → ギャル層の購買期待」で勝負かけてるみたいなんですよね。


kakihara.org - blog : 高速消費経済から「文化」は生まれるか - 東京カワイイ★ウォーズ


ITmedia News:「もはや対等」 ファッションで競い合う日本と中国


 この辺は「持つもの」と「持たざるもの」というか、やっぱほかのメーカーの怠慢ってやつなのかなぁ..?



 んで、以前出てきたsocial shoppingな話ってこの辺の問題解決につながる一路のように思うんですよ


湯川鶴章のIT潮流 powered by ココログ: ソーシャルショッピング

ソーシャルショッピングはファッション商品向き-両国さくらのネットで☆ファッション☆

muse-A-muse 2nd: ある喫茶店の経営からSocial Shoppingについてダラダラと考えてみた 



 まぁ、まだ試行以前な試考な段階だと思うけど。でも、この辺の問題って地方在住者にとってはけっこう切実なんですよね。


 これからTB送るエントリ


福耳コラム - 欲望充足のエンジニアリング

 の話に従えば、われわれ地方な人々は欲望を喚起される機会(刺激)を失われているわけです。(じっさいぼくがあまり消費欲がないのはそのせいかもしれないし)

 「広告」って手もあるかもしれないけど、やっぱ手にとって確かめてみたいですよね。




 まぁ、そんな感じで、ぐだぐだ〜っとTBです


(※とかいいつつ既出な話な気もするので、その場合は関連エントリを教えていただければ幸甚)
  
 
posted by m_um_u at 17:23 | Comment(9) | TrackBack(1) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年07月05日

「お金じゃない」けど「お金がない」のもねぇ...

Money can't buy happiness, but neither can poverty.

-- Leo Rosten








 主に伝言的TBです。↓エントリをみつつ


福耳コラム - 続小沢健二批判・自己目的化する批判?


 「あぁ、福耳さんの逆説的な愛が伝わってくるな」って感じだったんですが、今回もやはりあのことを気にされてたようで


なんでくどくどこういう問題に僕がこだわるかと言いますと、僕が大学で教えていて、時折学生の一部から「そもそもビジネスはお金儲けを追求する悪ではないのか」という疑問をぶつけられるからです。それへの反論をここで書くとまた膨大になるから今日は書きませんが、少なくとも我々の社会はビジネスの存在によっていまあって、それを続けるにしろ、そこから脱するにしろ、実効性があるのは「現実の問題を考えること」であって、それにつながる道程として「まず概念から整備すること」を考えよう、そう学生にも説明をしようと僕は思っていますが、小沢氏が展開されているような架空の理想論を以て現実の複雑なシステムを部分的に論難することは、それとは違うと思います。でもこのはなしも、「灰色の手下」のたわごとかも知れません。価値観まるごと、フレーム全体を問題にされるならば、後はもう、お互いが宗教だと考えるべきかも知れませんが。




 いやぁ、いるんですね、いまどきそんな天然記念物的な人が。貴重なサンプルなので「どうしてそんな風に思うようになったの?」ってところを詳しく聞きつつ、なんかいろんな悪の道に......いや失礼。この文脈で「悪」っていうと福耳さんが心外な思いをされるかもしれませんね。


 それで、この件に関してなんとなく思うことをぼけ〜っと。

 ぼくもサヨク的傾向があるのでちょっと分かるように思うのですが、彼・彼女達の言いたいのは「必要最低限の儲け(あるいは消費)でいいじゃん」ってことではないでしょうか? なので、「君たちの生活は市場経済システムが支えてるんだよ」と説明してもそれほど意味がないというか、もうちょっとピンとこないかなぁ、と。
 
 そういうシステムの中で全体がムダなく効率的に回るためには大量生産が必要ってことを説く必要があるけど、そうすると「大量生産してるからムダなものが廃棄されたり、採れすぎたキャベツが捨てられたりするんじゃないですか? あと、商品画一的になるし」とか言われるでしょうね。


.......困ったにゃあ.......(なんかめんどくなってきた)


 そういうわけでそれへの対抗的説明は福耳さんに丸投げするとして、以下、お伝えしたいエントリです。


善悪もまたあざなえる縄のごとし。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄 - 楽天ブログ(Blog)


 このエントリの主旨としては、少し前の牛ミンチ肉偽装事件に対して上がったヒステリックな声への疑義を唱えるものです。

 「ヒステリックな声を上げる人々はまるで”正義は我にあり”とでも言っているようだが、そういった構造ができあがるのに加担していたのは君達だからね」、と。

 そして、そういった「加担」というのは日々の小さな選択の中に含まれている。(その意識改革が「小さな革命」ってやつですね)

muse-A-muse 2nd: life「運動」から(2):持続的運動に必要なものと「自由」のための設計図 (国家・市場・情報)(仮)




 以下、ピクピクっときたところを引用させていただきます。


先の爆発エステの社長や、
偽装建築士や、
今回の偽島田洋七に対する
ヒステリックな難詰の声の主たちは、
正義は我にありとでも思っているのだろうか。
しかし、世界は善と悪、平和と戦争、勝者と敗者によって成り立っているような
単純で分かりやすいものではないだろう。
単純で分かりやすい思考の中にだけ、単純で分かりやすい世界があるだけである。
本当は世界は単純でもなければ、必要以上に複雑にもならない。
アダム・スミスが言ったように、
人間は自分がそうしようと思うこととは違うことを実現してしまうということである。
だから善悪はあざなえる縄のごとく映ずる。
そのことの意味が分からなければ、
善は悪に、平和は戦争に、勝者は敗者に容易に入れ替わる。

 

 そういうことっすよね。「灰色」ってのは別のところにいるもやもやしたものではなく「黒」と「白」の中間点としての自分たちなわけです。 この辺りはアニメ版「鉄コン筋クリート」にもちょっとがっかりしたけど....まぁ、あれは原作があるからいいです。(松本大洋もびみょーなところはあるけど)




 まぁ、そんなこんなところを理解してもらったらよいのではないでしょうか?




--
関連:

「株式会社という病」を読む (内田樹の研究室)

※「零細企業の工場労働者のエートス」、それを受け入れ「あちら」と「こちら」は違うとする労働者への親和性と「あちら」側にいることの心の疼き。そして、仕事を通じて親和性が消えていく侘しさについて記述した良エントリ。これ系の話だったら「彼女達」も分かってくれるんじゃないでしょうか?




muse-A-muse 2nd: まぐろぽりてぃくすのぎゃくしゅう


※件の人に対するぼくなりの対抗言説(物語)として。以下、続きです(「世界は蝶のはばたきのように繊細なものによって繋がっている」)

 
muse-A-muse 2nd: マグロウォーズ (補遺)
 
 
posted by m_um_u at 19:37 | Comment(5) | TrackBack(0) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年06月28日

縮小国家用メモ:内需は守るべき

muse-A-muse 2nd: 島国社会日本の不思議性とマグロ帝国の陰謀 (経済篇)

のエントリで出てきた縮小国家的課題 


 <日本という国は最低限の貿易は維持しつつも、できるだけ自給システムを発達させることは可能か>

 あるいは

<限られた資源をもっと有効に使うために。生産・流通・消費システムのリストラ + 貿易・外交関係の見直しを計る>

 みたいなの



について


 山形さんではなく宮台さんのところに関連エントリがあったのでクリップしとこう。
(※ぶくましようと思ったけど、なんか宮台さんとこのサイト調子悪いみたいなので)



 現在のグローバリゼーションの流れがアメリカ一国からによるものではなく、偏在的な方向性をはらんでいる(フラット化してきている)ことについて説明しつつ、「そこに無防備に乗るには日本のリソースは少ない」、と注意を喚起しておられる。


 以下はフラット化の説明

 フランスの移民暴動に象徴される「外国人が非正規雇用者の仕事を奪う」という議論は時代遅れで、国内で外国人に安い労賃で作らせるのでなく、中国やインドにアウトソーシングするのがグローバライゼーションです。先進各国が国際競争を生き残って外貨を稼ぐには、中国やインドの労働者とバッティングする仕事をする国内労働者は非正規雇用化されるしかない。『スタジオボイス』を読む若い人も将来は大半が非正規雇用になり、低賃金化します。小手先の国内政策で回避できません。先進各国はどこもそうです。だから反グローバリゼイションはありえません。



 でも、そこに安易に乗ってくと内需系の企業がつぶれていきそれに依存する地域社会が壊滅するだろう、と


かといってグローバライゼーションに無防備に乗れば、国内の労働分配率が下がり、内需で回る産業が壊滅し、地域社会が滅びます。結局、(1)外需で回して外貨を稼ぐトヨタやソニーなどの企業、(2)M&Aを含めた合理化によって外需で回せるよう努力すべき企業、(3)地域社会を保全すべく内需で回せるように行政的に保護されるべき企業。この3つを分けて最適バランス化するしかありません。
 小泉的なものとは、アメリカ的グローバライゼーションに対する無防備さです。この無防備さは欧州どころかアジアを含めてありえません。小泉一人の個性の問題じゃなく日本人全体の馬鹿さです。グローバライゼーションに抗うには、ネオリベを否定するコーポラティズム(談合主義)が必要です。でもムラ社会に支えられた不透明な権威主義的談合主義じゃアメリカから不公正だと攻撃される。チェックに開かれた市民主義的談合主義にシフトする必要があります。でも、それをしないでアメリカに攻撃され、米国系外資の要求通りのルールに置き換えられるのが、昨今です。僕ら自身のセルフ・イメージの欠如に由来する問題でしょうね。




 アメリカの場合は基軸通貨握ってるからなんでもできるんだよなぁ...。(軍事力による後ろ盾もあるし、戦争という公共事業を使ったサイクルも発動できる)

 なので、アメリカ的な論理でグローバリゼーションとかリストラとかネオリベとか進められても日本にはムリだわなぁ。。


 バブルのときの金も使い道がないなら使わないで投資しとけばよかったのに...。


 ってか、<軍需以外にも有効な公共事業はある>(...のか?)


宮台 萱野稔人ふうに言えばハコモノ公共事業は「旧枢軸国は軍需を公共事業にしちゃダメ」という国連体制の産物ですが、軍需やハコモノより有効な公共事業があるし、ハコモノでも地域を活性化させる金の回し方があると。



 詳しく書いてないけど




 ほかにもいろいろ書いてあるけど、今回はこれだけでいいや。(メモってことで)






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2007年06月25日

島国社会日本の不思議性とマグロ帝国の陰謀 (経済篇)

 渡辺千賀さんのこのエントリがやけに注目を集めてます。


On Off and Beyond: 日本は世界のブラックホールか桃源郷か


 エントリの論旨としては、<日本って海外からみたら特殊な市場なのよね。んで、"変な国”って感じなんだけど、だったらもういっそのこと"変な国”としてできるだけ自立して生きていくのも手では?>、って感じのもの。


 なんかミニマリズムって感じ


muse-A-muse 2nd: 小さきもの、カワユスかな


muse-A-muse 2nd: 萌え将軍とミニマリズム



 んで、まぁ、「世界経済システムしらねぇのかよ、この○○っxがぁぅつっ」、って感じで怖いおじさんやさしいイナゴさんたちがちょっと発生してるわけだけど....。

 いや、全体のテンションからして、めちゃくちゃ本気ってわけでもないしなぁ...。(「うふふ」っていってはるじゃないですか)


 まぁ、chikaたんは人気だから、イナゴタンたちが集まるのは分かるんだけど、その際にはめんどうだからてきとーに脳内変換してみてみるといいかもしれませんね (イナゴタン擬人化)。



 あと、ちょっと思ったこと



 マクロ経済学関連ということで例のマグロ経済学やらマグロポリティクス(通称マグロ帝国)やら絡むかと思ったんだけど、その辺のウィットは誰ももちおわせておられないようで..。

(って、Danさんとこにもマグロ経済学あったな)


404 Blog Not Found:マグロ経済学



 「...シャレが通じない人たちだなぁ」とかなんとか見てたわけだけど、千賀さんのおっしゃるように「半分シャレ・半分本気」って感じで本気なほうの言説も見たかったり..。


 んで、山形さんあたりの解説みたいなぁ、と思ったんだけどないんすよね。


 <日本という国は最低限の貿易は維持しつつも、できるだけ自給システムを発達させることは可能か>

 あるいは

<限られた資源をもっと有効に使うために。生産・流通・消費システムのリストラ + 貿易・外交関係の見直しを計る>

 みたいなの



 で、まぁ、しかたなく似たようなのを見て満足してみたり。


CUT 2005/4 Book Review:発展途上国が抱える問題の絶好の見取り図みたいな本。:


 『アホウドリの糞でできた国:ナウル共和国物語』ってタイトルの本についての解説。具体的にはオセアニアにあるぷくぷく島ナウル共和国について。

 <グローバリゼーションって"先進国による低開発国の搾取”みたいに言われるけどそれってどうなの?>って疑問から始まって、<発展しないのはその国の意志のだよね>ってとこに落ち着いてます。

 ナウルはアホウドリの糞が積もってできた燐鉱石という鉱石が高く売れて富を築いたみたいなんですが、そこで得た富を有効に膨らますことができなかった、と。

 その理由として、

それを単に右から左へ使うだけだったことだ。お金がなまじあるので、だれもまともに働かなくなった。多少は国の将来のことを考えた人もいたし、またそれに使えるお金も一時は結構たくさんあった。でも、それをお気楽でバブリーなリゾート投資やら不動産投資やらにつぎこんで、全部すってしまった。



 なんだかどこぞの不思議な国の80年代後半を彷彿とさせますね。


 
 で、その富はファスト風土化されてしまったらしいんですね。

ある編集者の気になるノート : 「世界でいちばん太っている国」は、ナウル共和国。

土にリン酸塩が多く含まれており農作物が育たないため、ニュージーランドやオーストラリアから高カロリー食品を輸入している


 以上のような理由で仕方ないところもあるのかもしれませんが、もともと魚とってた国のはずなのにねぇ..。


糖尿病王国「ナウル」の人々

実はナウルは30年程前にリン鉱石が発掘され、少し前までは世界でも有数の豊かな国だったのです。それがたたってか、多くの人々は昔からの漁業や農業をすることを止め、一日中遊んで暮らす毎日を送るようになっていきました。同時に欧米の食文化が持ち込まれ、ファーストフード店が林立するようになったと言います。
このような生活習慣の変化が糖尿病王国を産み出したと考えられます。



 なんか、ちょっと沖縄を想起したり。(ちょっと前に半田屋できたらしいけど)


大衆食堂の「半田屋」が沖縄初出店−60種類をセルフで提供 - 那覇経済新聞 - 広域那覇圏のビジネス&カルチャーニュース



 んで、サカナとぷくぷくの関係として以下、陰謀論的妄想です。


 
 やっぱ、ぐろーばるまぐろえこのみくすとしては、ツナの味に目覚めたヤンキーどもがツナその他のサカナをアジアの小国に渡さないようにすべく、水面下でびみょーな外交やら経済やらの交渉を行っているのかなぁ、と。(もちろんユダヤ人やらフランクフルターやらが黒幕!)

 
 てか、

 「不思議の国」がバブルで得たお金を吸い取るべくファスト風土的な策略が組まれているわけですね。具体的にはこれ。拙速な思考関連です。
 

小田中直樹[本業以外]ネタ帳※欄ちゅーねん談義:「近代・戦争・国家」 カニ・動員・日本酒


 こちらのコメント欄でも展開されている通り、節足動物の殻をきちんととりはずして食べるような余裕がない人々(拙速な食事を要求する人々)というのはいろんな面で持久力がなくなっていくわけですね。

 あるいは、「カニ」そのものに昔ほどの高級感がなくなり拙速に手に入れられる食材となったためにカニによる動員が働かなくなった面があるのではないか....つまり、「カニをインセンティブとした多方面へのモチベーションが効かなくなったのでは」、と。

 
 まさに拙速な食事(消費)による弊害という感じですね。

 そして、このお話を別角度から裏付けるエントリがこちらです。


カロリーゼロの人口甘味料はなぜいけないのか(@ish)


 こちらはダイエットにおける人工甘味料の弊害についての話ということでファーストフードには直接絡まないのですが、「刺激物」な食事ということで関連性があるように思います。

 んで、刺激系な食物を摂ることがなぜいけないかというと....

「カロリーゼロでも甘味舌(甘味体質)が出来上がって、それによって継続的に甘味(もしくは不必要な刺激物)を求めるようになり、空腹でもないのに食物を摂取するようになるからダメ」


 そして刺激物によって微細な味が分からなくなってくる、と。


 で、マグロ帝国としてはそんな感じでマグロの味を分からなくして日本のツナ消費量を逓減させること、あるいは「世界のすべての寿司をドラゴンロールに変えてやるゼ!」ってあたりがほんとの動機なのかもしれませんがこの辺はどっちでもいいです。


 んで、ツナやらカニやらの魚介を摂らなくさせることによって「♪ さかなさかなさかな〜」なDHA供給を阻止、日本人の脳力を低下させたところで「不思議の国」として孤立化、政治・経済的な下僕として支配する、と....。



 いやぁ、おそろしい計画ですね。


 ってか.なんだか「マクドナルド化に代表されるアンチグローバリゼーション」って感じの言説になってしまいましたが....まぁ、いいや(てきとー)


 
 そういうわけで最初の千賀さんの疑問、<日本は縮小社会でやっていけるのか?>、っていうのはびみょーっていうか、フランクフルターやらユダヤ人やらマグロポリティクスやらを打倒しないとダメかなぁ、と。





 ちなみにガイジンさんはけっこうカニかまを喜ぶらしいです。「すごい発明だ!」とかなんとか。あとラーメンも好きみたい。

 日本のB級食ってけっこう喜ばれそうですよね。(豆腐とか)
 
 



--
蛇足:
「カニ」ということでロシアマフィアとの繋がりも考えようかと思ったんですが、横道にそれすぎるのでやめました。

そういや、ロシアからの活カニ輸入が減っちゃったそうで..ちょっと心配です。(高くなるのかなぁ)


あとマグロももうすぐ高くなるかもしれませんね。



--
追記:
ってか、国際競争力がない、って話みたいですね。
 
 
Tech Mom from Silicon Valley - お久しぶりの「パラダイス鎖国」と「情報発信」を閉ざすことについて(※欄)

んじゃ、やっぱ三角合併とかなったらやばいじゃん(それでM&Aって感じか) 



cf.
muse-A-muse 2nd: FOXによるテレ朝再買収の問題点について (あと、相互所有問題とか)
 


あと、ドメスティック(擦り合わせ?)だからモジュール化してフラット化できない、って感じかなぁ。


池田信夫 blog 清く貧しく美しく?



ってか、池田センセ投入、ということである方面にフラグ立ったりしないのかな wktk

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2007年06月06日

「ネット時代だから地方から世界へ」は可能か? (広島の地域活性化について2)

 なんかこちらの記事が気になってまして、以下もぞもぞと


地方格差をなくすためにみんなでwebでがんばろうじゃ駄目な理由を考える - 一人シリコンバレー男 [ITmedia オルタナティブ・ブログ]


 エントリ主旨としては、「いまの時代、webによって地方格差なくせるんじゃね?」、ってことで理由(条件)としては以下が挙げられてます。


理由は三点
1、場所による利益の機械損失が少ない
(渋谷で開発しようが、鎌倉で開発しようができたものを発信する場所は一緒)

2、大規模な施設を必要としない
(製造業と違い工場のような初期投資の大きい大規模施設を必要としない)


3、ナレッジを学びやすい環境が整っている
(リファレンスはオンラインに大量にあり、わからなければ「はてな」「教えてgoo」へどうぞ)



 「まぁ、そうかなぁ」って感じで、「そういやモジュール化からフラット化の流れとかも流通コストがかからない情報系企業には適してるんだよなぁ(ゲーム産業とか)」、とかなんとか思ってたわけです。

 んで、こういうギロンって昔は「グローカル」なんて言ってたなぁ、とか



 globalisation + local = glocal



ってやつですね。つまり、「<地方から東京へ>ではなく<地方から世界へ>への転換を!」、ってやつ。


 で、けっきょくあまり芽が出ず廃れていったわけですが...。


 この話って「インターネットで宇宙船地球号! (呉越同舟だよ!)」みたいな話にも通じるんですよね。例の、「ネットが通じれば原理的には世界と通じてるわけだから、ぼくの(わたしの)サイトはせかいのひとたちがみてるんだぁ!」、ってやつ。

 で、ネット生活を始めてちょっとするとそういうのって幻想だって身をもって体感するわけですが。


 「世界を感じる」っつっても自分自身世界を見てないんだからどうしようもないっすよね。(日本のふつーのだらっとしたbloggerの中でどれほどの人たちが海外の記事や情報を原文で読んでいるのだろうか?)


 で、「ネットで世界を感じる」っつったらたまにくる英語のスパムぐらいになっていくわけです。



 ここから分かるのは例の「スモールワールド」ってやつです。


 これは本来の意味では、「六次の隔たりでみんな友達(世界はこんなに小さいよ!)」、的な使われ方をされていたのですが、今では逆の意味でスモールワールド化しているように思います。

 つまり「セカイ系」ってことで。mixiなんかに代表されるようにネットライフっつっても基本的には狭い近親者との交流でしか使わないんですよね。

 もしくはblogでたまにそういった閉じられたセカイとは別のところと接触しようとしても、「知識」「職業」「お金」「趣味」...などといった文化資本(?)的なものによってある程度のクラスターが出来ていて、そこに外部から接触しようとしてもはじかれる。
(「いきなり話しかけてくんなよ、ヨソモノ」って感じでね)


 もしくは(blogなどを見ているほかの人の手前)ファーストコンタクトでは表面上はそれなりに仲良く応対しつつも、しばらくするとぞんざいに扱かったりね (「.....アイツ、正直うぜぇよ」)



 まぁ、そんなこんななスモールネットワーク(小さなセカイ)がネットの現状です。


 で、「世界」との関係で言うと、日本の場合は「日本語」という特殊事情が関わってくるわけですね。

 めんどうだから統計出しませんが、現在のネット社会での言語構成比率において、日本語は英語についでそれなりのプレゼンスを発揮しているわけです。でも、それってほかの国の人からみるとすごくきみょーに見えるみたいですね。

 
「極東のわけのわからない言語を使うやつのサイトが増えてる」

 
 って感じで。



 基本的に、英語圏からすると日本なんてのは極東のきみょーな国、みたいですからね((C)finalvent)。



(まぁ、その辺のところは元記事の人も書いてるわけだけど)

もっと、日本全体の「webリテラシー」が向上し、
「一億総シリコンバレー状態」になったら、
地方格差なんて関係のない世界になるかとも思いますが、
やっぱりキーになるのは「国際教育」と「英語教育」ですね。




 そんな感じで「日本語」ということで英語圏の世界へのアクセスが減っているわけです。でも、仕事となると話は別ですね。仕事っていうかお金。金稼げるとなると話は別です。

 それは、「やろうと思えばできるよ(必要ならするよ)」、ってことだけどやっぱ最初から「英語圏のサイトへのアクセスがない」ということがデフォルトということは響いてくるように思います。


 びみょーに遅れをとるんすよね。


 必要最低限の情報交換はできるけど、なんかびみょーな部分でプロトコルが通じなかったり、もしくはそれ以前に必要な情報がどこにあるかかぎつけられなかったりするわけです。


 こういうのはなんか名前が付いてるのかもしれませんが、よくあることですね。


 企業が「一般職には大卒が条件 (あるいは暗に一部のゆーめー学閥)」みたいなのを掲げるのもそういうことだし、それ以前に、なんかの仕事(取引)をするときにそれ方面に携わったことがある人がやってくれないと不安ってのはありますね。



 「普段はそういう知識は使わないんだけど、とっさの場面で応用が利くかどうか (経験知、形式知的な蓄えがあるかどうか)」、みたいな話です。


 で、ちょっとごちゃまぜで話してしまったんだけど、「大卒条件」ってのはまたちょっと違うかもしれませんね。あれは単に仲間内での余暇部分での会話プロトコルが共通化できるか(楽しい職場の雰囲気を醸造できるか)って話であって、仕事の面ではその部分はいらなかったりする。

 つまり「仕事」に対しての「余剰」(文化)の部分です。

 もしくはゆーめー大学を採用するのは人脈というリソース目当てだったり、(よくいわれるように)「なんか潜在的可能性があるやつをほかの会社にとられてその会社が利益伸ばしたりしたら困るのでウチでとって機会を潰しておこう」的な保険。



 そんな感じみたい。


 

 web利用してなんかくっつけるっつったって以上のような感じで「文化部分での差」というものがあるしなぁ、って話になります。

(いわゆる企業文化論ですな)


 まぁ、「文化」ってひとからげにしちゃって分かりにくいかもしれないけど、再度確認するとここでの「文化」定義は、「仕事として明示的に必要とされる条件(リソース)からははみ出る(余剰とされる)けれど必要とされるもの」、です。



 んで、まぁ、「経営」+「文化」というと福耳さんなわけですが


福耳コラム - コリアンダーはどこの草

 
 ちょうど似たような話(世界との取引みたいなの)を書かれていたので、TB送ってみます。そして以下、



「おしえてふくみみせんせぇぇええぇえぇぇ〜〜...」( ←NHK教育風)




 すごくおーざっぱに書いてきたように、「グローカル」っつってもいろいろな条件が整わなければムリなように思うんです。


 上記してきたように擦り合わせの受け皿的な条件だったり、企業と企業、モノとモノ、知識と知識をつなぐ「コーディネーター (あるいはmiddleman)」的な存在の必要性とか...。


 ガ島さんのところでもチョロっと触れてましたが


ガ島通信 - ウェブと地域格差とNet Marketing Forumワークショップのこと


 例の「イロドリ」がうまくいったのはあの担当者の方(横石さん)の営為によるものが大きかったように思うんですね。


Think the Earth || Think Daily -[ Report ] 地球リポート#16:小さな町の大きな挑戦 〜徳島県上勝町の町づくり〜


コーディネートセミナー 〜上勝町の"いろどり"商品化の歩みと第三セクターの役割〜



 そんな感じで経験と実行力をもった中間者の存在というのは不可欠のように思います。


 ネットワークで言えば人的ハブってやつになると思う。



 で、福耳さんにお尋ねしたいのは、こういう「外部と地元の知られざるリソースをつなぐ」みたいな話って中小企業論系でよくあると思うんですが、その際の成功要因ってなんなんでしょうね?


 また、以上のような感じで地方と世界を結びつけることって可能でしょうかね?


(いくつか限定要因はあるように思うけど)




 ちなみにぼくの立場をはっきりさせて置くと、できれば「地方と世界をつなぎたい」と思います。特に自分の住んでいる地域(広島)と世界との関係。

 広島はヒロシマってことで世界的な関心(アテンション)はある程度もっているのですが、「平和都市」とか「人類の悲惨の象徴」というところからもう一歩抜け出せていないように思います。


 もちろんそれ自体重要なことで、それが一義的にあって次の話があるように思うんですが、「せっかくのアテンションを活用できていない」、というのはあるように思う。



 で、以前からそういうことを思っているのですが、周りに言っても誰も聞いてくれないんですね (「ヒロシマを平和都市ってことで世界につなぐんですかぁ?(ヒロシマ商売ですかぁ〜?)」とかなんとか)

 
 んで、まぁ、もういいかぁ、って感じだったんですけど、ほかにも似たような問題意識を持ってる人がいたようなので積年の課題を再提出してみたわけです。



 あと、地方と世界関連ではこんな事例もあるみたいです。北海道とオーストラリア


J-CAST ニュース : オーストラリア人に乗っ取られた 北海道のリゾート町


 「オーストラリアっ子は雪が好き」ってことでオーストラリアの中でも雪になじみのない地域に住んでいる人々の間で「日本雪見ツアー」みたいなのがはやって北海道パックが人気になったんです。

 んで、観光的にはそれなりに儲かったんだけど、このとき、日本側はホテルとかきちんとたててなかったので儲け損なった。対して、オーストラリア側はその辺きちんと根回していてたんですね。

 で、「坊主丸儲け〜」、と


 まぁ、ほかに、オーストラリア人が日本でビル建てるのが流行ってるって事情もあるみたいですが (税金対策な財テクで)。



 

 以上は北海道ということで特殊事例だけど、広島の場合は魚が旨いらしいです
 

ああ、懐かしの広島はオイシ〜イ! - シドニーの達人



 以上は平野さんの味覚に依るもので主観的な要素もあるのかもしれないけど、「魚が旨い」、ってのはけっこう言われます。


 そして、築地は鮨ブームですね


1日500人 築地市場が外国人見学規制を検討-話題!のニュース:イザ!


 「あれは東京に行ったついでに寄るんだよ」ってのはあると思うけれど、だったら「ヒロシマに行ったついでに寄る」ってのもありだと思います。あと、「ガイジンはマグロ食べたいんだよ」って感じかもしれないけど、やっぱ魚(ってか鮨)は好きななんじゃないでしょうか?



 そういえば確かに、外国人に対応してるレストランって少ない(というか見ない)んですよね。(あの人たち何食べてるんだろ...?)


 「国際都市広島」とかご大層な名前付けるぐらいだったらその辺のことは考慮したほうがいいように思います。(お金落ちるし)






 もしくはそういうのに+αする形で「ドバイモデル」も考慮に入れてもいいかもしれない。


ドバイ 砂漠に咲いた夢 (「ナショナル ジオグラフィック日本版」編集長の「地球からの報告」):NBonline(日経ビジネス オンライン)


 知っての通り、ドバイというのは中東のオイルダラーな保養地で「せれぶ〜」なリゾートとして有名です。


 でも、ちょっと前から「油だけじゃ危ない」ってことで「観光から投資へ」(あるいは観光と並存して投資をやる)ようにモデルをシフトして実際に利益を出しているようです。


 まぁ、その裏で下層インド人をこき使ってるってカーストが発生してるんですけどね。この、「下層インド人をこき使う」、というところと「観光」や「投資」モデルがどのように結びついているかはまだ調べてません。


 ビッグイシューなんかの記事だと、「ドバイの繁栄は下層労働者の搾取による」、って感じの記事の書き方だったけど、記事中でもその因果関係についてははっきりと触れていませんでした。




 なにが言いたいかというと、「ドバイ型モデルは搾取なしに汎用化できるものであるのかどうか」、ということです。




 この辺については個人的課題なのでぼちぼち調べようとは思いますが...一縷の期待を込めてBaatarismさんにTBしてみようw



Baatarismの溜息通信 - これぞ日本の底力



 というのも、全然関係のない話ではなくて、上記エントリにもあるようにBaatarismさんのところでも「日本のローカル資源(あるいは中小の知られざる経営資源)と世界の結びつき」というテーマを扱っているからです。


 で、エントリ的には、「日本の中小企業のオヤジが(フランス人も不可能だった)ホンモノのエスカルゴの養殖に成功していた」、って話があがっていて驚きでした。




 まぁ、そんなこんなで


 いつもどおりごちゃごちゃとTBを飛ばしてみます (では、再見!)





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関連:
muse-A-muse 2nd: 広島の地域活性化について (都市と交通(3))


 
 
 
posted by m_um_u at 08:49 | Comment(4) | TrackBack(1) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年06月02日

広島の地域活性化について (都市と交通(3))

 最近チョコチョコお邪魔しているらっちさんのところ経由でこちらのblogを見てめっけもの。



ぶらぶら広島ウォッチング




 食べ物についてはシャオヘイさんとこの掲示板とかこの辺とか参考にすればよいのだけれど・・


広島グルメ!安くておいしい店

Cafe Blog

ラヴィッツ広島〜広島発!女性のためのポータルサイト

Get Hiroshima:Restaurants



 政治、というか街づくり系のblogってなかなか見つからないので。こちらとかあるんだけど


大好きです。ひろしま・ヒロシマ・広島


 ちょっと秋葉色が強いなぁ、と思っててもうちょっと物足りない感じがしてた。



 なので今回見つけたblogはありがたい・・・・のだけれど、休止されてるのね(残念)。まぁ、そんなに書きたくない時期もあるでしょうからゆっくりとされるのがよいのではないでしょうか。


 とりあえず、目にとまったエントリとしては以下


ぶらぶら広島ウォッチング 駅前Cブロック発表前に

 新球場建設に代表される駅前再開発によって交通のハブとしての性格をもつ駅が集客の中心となる可能性(札幌化)についてのエントリ。

 中心地は税金対策なシャッター街となるのか? (こんな感じの)


[R30]: 郊外出店規制じゃなくて、中心市街地商店廃業強化が必要じゃね?


(つづき↓)


[R30]: 拝啓FT様 サービス業の生産性について




 んで、当blogとしては「都市と交通」シリーズに続くわけだけど・・


muse-A-muse 2nd: 地方の交通問題に関して(+地域活性化について少し)

muse-A-muse 2nd: (地方と)「東京」から考える


 エントリ要約してると話がぶれるので興味をもたれた方は各自確認してみてください m(_ _)m


 それで件のエントリに戻るけど。

 「再開発で駅前に集客が集中すると中心地の人並みが減るのでは?」ということなんですが、それならそれでも良いのではないでしょうか? 別に全体のパイが減るわけではなく、移動するということのようだし。中心地の商店街としては問題だけど、それならそれで新しい対策(集客の目玉)を考えるとか。もしくはアクセスを容易にするとかの工夫をすべきですよね。

 たとえば高速バスの導線とか、駐車料金を安くするとかなんとかならないのだろうか。



 そういやmoenoさんとこのインタビューでもシャッター街の有効利用についての案って出てましたね(レンタルスペースとか)


吉田亜里子さんと電話をした。|萌えぼえ。


 こんな感じであいたスペースにはあいたスペースなりの有効利用法があって、そういう利用法をすることで次の消費に結びつく可能性が生まれる(・・かもしれない)。たとえば、レンタルスペースでダラっと会話してるときに軽い消費を楽しむとか。それは「軽い消費」ということで太い線には繋がらないかもしれないけど、やらないよりはやったほうがマシなんじゃないでしょうか?

 ってか、その店舗(あるいはその周辺)単体ではツルが細いかもしれないけど、集客(アクセス)を集めることによって次の可能性が生まれるわけです。そういうわけで商店街全体にとっては利益になるかもしれない。

 ってことは単体の利益で考えるのではなく、全体の利益で考えるべきなんだけど、レンタルスペースとかの役目を負わされる店舗は嫌がるかもしれないなぁ。。。んじゃ、共済・供託みたいな感じでなんとかならないんすかね?

(まぁ、その辺のところはこの辺にもチラっと書いたわけですが)

muse-A-muse 2nd: 珈琲は「もう一杯」?




 ってか、駅前再開発に伴う流れとしては2つが考えられる、と


 ひとつは本通ヒルズに代表されるような目玉なショッピングモール(ビル)を構築することによって、中高年層の太い消費のツルを中心地の商店街に引き戻すこと


ぶらぶら広島ウォッチング 広島の中心繁華街


 多山文具と渡部陶苑の2つの老舗(?)の決断って感じ。


 それとは別に駅前の流れとしては、南口再開発の余波で北口周辺も商業地化する可能性がある、と。具体的には、「二葉の里が開発されるかも」、ってことですね。


ぶらぶら広島ウォッチング 広島県の中心地?



 二葉の里の立地はJRの買い上げ地との隣接ってことで、以前に出てきた「鉄道会社と駅周辺モール収益」(A列車コンボ)が使えそうで面白そうですね。


僻地の交通云々


 ってことはJRがお金出してくれるのかなぁ。。んで、また広電とか絡んできてグダグダになるんだろうか・・。


 でも、「この辺のコンボはないっぽいよ」、ってbrother-Tさんが言ってたな。(そういや大阪センセのとこに伺ってないな。。交通系のテコ入れと同時に行くかも)


 
 で、「現在の中心街(本通)」と「ポスト中心地(駅前)」の繁栄の鍵を握るのが「交通」ってことなんですよね。本通の繁栄の鍵としては高速バスが使えるかもしれない。


ぶらぶら広島ウォッチング 広島高速
 

 いわゆる「中国地方の州都広島」計画の中心的課題でもあるわけだけど。高速交通網の整備によってアクセスが容易化すれば、その可能性もあるのかもしれませんね。あとは目的地そのものの魅力にもよるだろうけど。

 平和公園とかはまぁ、観光地として当たり前だけど、お好み村の前(ヤマダ電機の辺)にも修学旅行なバスが停まるのをよく見かけます。で、そこからお好み村に直行したり、中学生なんかは自由行動になったりするみたい。

 そういうの見てると「バス ⇒ 中心街」な導線も考えられるように思うのですが、安易なんですかね?

 ってか、現在の状況でも中心地にバスが停めれるところがない、ってのはちょっと問題のような気がします。言わずもがなだけどバスってのは団体なわけだし、ダイヤモンドシティもそれを考えて無料送迎バスを作ったわけですしね。

 この辺は・・・どこかの英断を待つしかないのか・・。(ってか、バスのスペースって言うとどのぐらい必要になるんだろう。。)


 関連で、アルパーク(郊外型ショッピングモール)には他県からの集客がけっこうある、って話を聞いたことがあります。草津の例のでっかい道路が他県にそのまま繋がっていて便利がいい、んだとか。あと、でっかい駐車場もあるし。車に乗る人にとっては県内で遠出するのも隣の県に行くのも似たようなものなのかも。


 で、隣接する県を一つのまとまりとしてとらえる「道・州」みたいな考え方が出てくるわけですが


ぶらぶら広島ウォッチング 縮小社会と中四国の展望


 ここで議題にあがっているように「四国と広島の中間の岡山が便利」で「岡山が州都になりそう」ってならそれでいいんじゃないでしょうか? ぼくが鈍いだけなのかもしれないけど、特に「州都」とかのこだわりはありません。

 考えられるのは、「常時来る人の数が減ることで消費が減る」、ってことなんでしょうけど、この「常時」ってところを「暫時」に変えれないかなぁ、とか思うわけです。「アクセスの容易化」によって。

 上述したようにアクセスを容易化するだけでは集客は望めなくて、なんらかの目玉が必要だろうけど、それと同じぐらい導線の整備という課題は重要だと思います。 血管みたいなものだし

 この辺は「リソースの最適配分」みたいな知見が必要になってくるのかなぁ。。だとすると交通経済学とかネットワーク経済学系? (←自分的課題ですが)。あと、消費行動に経路依存性が関連してくるみたいなので貿易経済学なんかかなぁ。

(※経路依存性…海外貿易なんかで、近隣で機能的に勝っている都市よりも従来使っていた都市を中継地点と使う傾向のこと。「惰性」ともいえるけど、「使い慣れた都市」っていう便益が働くので。同様のものとしてケータイの機種変更厭う心境(スイッチングコスト)がある。こっちの場合、「経路依存性」のことを「ロックイン」とか言ったりするけど似たようなもの)



 経路依存性絡みだと、福山の鞆の浦なんか思い浮かびます。あそこは大陸の貿易における中継点(ハブポイント)の一つとして栄えたわけだけど、いまは衰退してますよね。昔は貿易の中心地のひとつだったのにってことでやっぱり交通と商業ってのが絡んでくるのかなぁ、とか思ったり。「州都」的な計画によってハイウェイみたいなのができると活性化の可能性はある(・・のかなぁ)。



 あと、地場産業の開発に関してはこの辺かな、と


[R30]: 書評『超地域密着マーケティングのススメ』







 そういうのとは別に「縮小社会論」というのは資源のリストラということで、この辺とか


muse-A-muse 2nd: 資源最適化としての格差社会と社会保障に関して


 もしくは「最小国家論」(cf.ノージック)と結びついた政治的課題になりそうなんですが、これはまぁ、まだ課題っていうか試験的に書いてあるのはあるけど未熟だなぁ、ってことでこちらにエントリーするかどうかは分かりません。






 まぁ、そんなこんなで (再見!)




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関連:
ぶらぶら広島ウォッチング 広島都市圏の年表 No.2

※2018年ぐらいまでの公共政策の予定(ロードマップ)ということで便利げ

 
 
posted by m_um_u at 09:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年05月31日

中国のアフリカ搾取(資源外交)と中国的経営の現状

 オセロ松嶋(@「きらきらアフロ」)とか福耳さんとかが「ブラッドダイヤモンドえかった」って言ってるのを横目に「ちょっと見たいな」と思いつつ今週は「borat」見たいしな、あと「バベル」も、っつーか「殯の森」見てぇ、とか逡巡しつつけっきょくお家で「ナイロビの蜂」を見た。


 内容としてはリンク先の町山さんのレビューに詳しいんだけど、ざっと要約すると「製薬メジャーがアフリカ(ケニア)を食い物(搾取)にしていて、その陰謀に巻き込まれた主人公達が・・・(うんぬん)」って話。

 「ブラッド」からのアフリカ繋がりということで見てみた。


 感想としてはまぁ、そのまんまの映画なのでなんということもないんだけど、社会的影響力ってけっこうあったのかなぁ、とかなんとか思ったり。

 あと、この映画のことをラブロマンスだと思ってる人がけっこういて、その見方も間違ってないと思うんだけどそれはちょっとびみょーらしい。「ビッグイシュー」(何号か忘れた)で助演女優のレイチェル・ワイズが語ってたんだけど、「あれはほんとはもっとドキュメンタリータッチで描きたかったんだけど、スポンサーとの兼ね合いでああいう形で描かざるを得なかったの」とかなんとか言ってた(←うろ覚え)。

 「ビッグイシュー」はこの手のけっこう重要っぽいインタビューがよく出る。ガンダムの富野監督のときもそうだったし、最近だと河瀬直美監督が理系で「ストレス発散のためにドリルやってます!」とか面白かったな。


 あと、なんか女性人気が高いらしい

livedoor ニュース - 【独女通信】The Big Issueを読んでみたい!


 オレは♂だけど好みが♀っぽいのでけっこう合うのかなぁ。。



 んでまぁ「ナイロビの蜂」については、そういうものかなぁ、とか思いつつ「ブラッドダイアモンド」はその辺どうなだろう?、とかちょっと興味ある。

(どーでもいいけど、レイチェル・ワイズってノラ・ジョーンズに似てるように思う)


 あと、同様な感じでスーダン(Darfur)の映画にも関心持ってくれるといいのになぁとか思ったり。


Christmas in Darfur: A film by Jim Milak and Jason Mojica


 でも、この映画ってマイナーそうだから日本だと見られないだろうし、有名人がやってるわけでもなさそうだから影響力ってあまりないんだろうな。。

(宜しければぼくの集めたスーダン関連情報をこちらからご利用ください)


 
 「搾取とアフリカ」っていうか、Darfur問題だと中国と(アメリカと)アフリカって感じだけど、その辺のところについて最近だと梶ピエールさんのこのエントリが参考になった。


梶ピエールの備忘録。:なんかアフリカ(の一部の地域)がすごいことになっているらしい件について



 中国がその人口を支えるためなりふりかまわない資源外交に走っているのは知ってのとおりなんだけど、その過程でアフリカの政治にまで介入し、自らの利益のみ考えてひどいことしてるってのがある。で、一部でこんな感じの非難が集まってるわけだが

「中国はダルフール虐殺を支援」 米下院108人、五輪ボイコット警告|中国・台湾|国際|Sankei WEB


 この非難もちょっとびみょーなのではないか、って感じ。


 「アメリカ(お前)が言うな」ってのもあるし、中国が開発の際に援助をしているのは事実だから。


 資源のためとはいえ、半ば見捨てられた土地のようなアフリカの公共支援をしているのは中国なわけだから。


 そんで、「人権」とか「民主主義」とか、経済政策のレイヤでは厄介な問題をブルドーザーのように開拓していっている。(以下、梶さんのところからの孫引き)


アメリカが人権問題とか云々炬燵を並べている間に、中国がどんどんアフリカ諸国を取り込んでしまっているわけです。ナイジェリアにしても民族紛争が絶えなかったわけで、そうこう言っているアメリカにしても石油目当てに人権蹂躙政府に武器などを提供してきたのです。中国は衛星打ち上げ代行という"平和的な手段"でアフリカの資源を根こそぎ持っていこうとしているのかも知れません。




 んで、山形さん的には



しかし中国はいろんなところで援助しまくっているが、いつも見るだにうらやましい。これはインフラ屋みんなが思うことだと思う。土地収用も住民移転の問題もない。党が「どけ!」といえばみんなどくしかない。党がやるといえばとにかく金も糸目をつけない。外国援助でも、先進国が悩まされる環境配慮だのジェンダー配慮だの、住民参加だのといったくだらない手続き一切不要。他の援助機関の顔色うかがったりも絶対しない。あれができればなあ。




 繰り返すけど、「それって結局エゴじゃん?」ってのはあると思う。でも、実際に援助はしてるわけだ。


 簡単に言うと、「なにもしないよりはしたほうがマシ」、というか。

 少なくとも中国にとってはマシになってきている。



 んで、梶さんとこのコメント欄でもまとめられているように、この問題は複層的な論点をはらむ。



(1) 開発と内政不干渉(第三世界論)関連で、「そういう第三世界っぽいところからそういう言説って出てることあるけど、それって政治的利用なんじゃね?」、的な問題

(cf.「グローバリゼーション」という言説によって危機観をあおる第三世界首脳陣が実際はもっとエグイことやってたり、最終的には開発に向かわざるを得ない現状があったり)



(2) 中国的な支援は非難されているがかつて「先進国」と呼ばれた国はもっとえぐいことやってた問題(中国は自分の番が来たのでやってるだけ)








・・すごくびみょーだ






 んでも、中国の開発・産業振興って「蕩尽」って感じがする(つまり、「金」以外の資源はムダに使っていく、って感じ)



muse-A-muse 2nd: 生存をめぐる権利の衰退と労働市場の擬制の剥落



 この流れだと中国の新中流層は近い将来外国に逃げるかもしれない





 とか言いつつ、同じく梶さんのところのこのエントリに目を引かれたり・・


梶ピエールの備忘録。:島耕作もびっくり!なぜ中国企業が作るものはこんなに安いのか


 垂直統合の是正ということで「それって水平分離では?」って思ったけどそういうわけでもないみたい。

 いちお言っておくと垂直統合というのは「一つのメーカーで全部やる」系の生産戦略のこと。でも全部やりすぎて管理コストかかる(でっかい恐竜化)ってのが問題だったわけで、「その辺は分離連携しましょうや」(水平分離)、みたいな流れがあったんだけど「それって日本型の企業文化(擦り合わせ型)には合わないジャン?」、とかゴネられ批判が生じていて・・(うんぬん)


 でも、今回のこれはそういうのとは違って「水平分裂」っていうんだそうだ。「何をご大層な」って感じなんだけど、内容を見ると確かにすごい。たとえばテレビを作るときに違うメーカーのブラウン管でもO.Kなんだそうな。


 これって地味にすごいな(規格統一かよ)。モジュール化とは違うのかなぁ




 でも、そりゃ強えぇはなぁ・・。





 でも、家電って韓国ぐらいしか聞かない感じだけど、ぐいぐい来てるんだろうか?(そういやEspresso Diary@信州松本の斉藤さんも「中国来てるぜぇ」って言ってたな)







・・はにゃー




 お勉強しなきゃいけないことがまた増える。。(困笑)




--
関連:
切込隊長BLOG(ブログ): 中国輸出製品の健康被害で対策を発表→偽薬承認汚職で担当者死刑

※まんま「ナイロビの蜂」か?(アフリカ向けというわけではないのだろうけど)
 
 
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2007年05月23日

芸能経営学?

 福耳さんからTBいただいて思い出したのでこの機会に。ちょっとエントリーしようと思ってて忘れてたものを。

 んーと、ちょっと時機はずれなんですが、某ちびっ子が「未成年なのにー」ということで制裁措置として事務所クビになった事件に関連して。これ自体はちびっ子の転職事情に対して事務所の処置もキツイなっていうのもあるんですが、ちびっ子が再三にわたる事務所からの注意・勧告を無視して暴走していたのが原因だと思うので深くは突っ込みません(他所で書いたし)。加えて言うなら、ちびっ子の暴走も相方の裏切りが原因だったのかなと思わせるような周辺情報が入ってきてるのだけど(参照参照2)、これも深く突っ込んでも詮なきことなのでやめときます。



 で、今回とりあげたいのはそういうことではなく、「芸能界の経営システムってきちんと考えられてるのかな?」、ってこと。ちびっ子関連のことをまとめながら思ったんですけど、芸能界って水商売の構造に似てるんじゃないか、と。ちびっ子が属してるところなんか特にその傾向が強そうですね。上記リンク先を見ていただいたら分かるように、「モー × ジャニ」な様相というのはまさに「キャバ嬢 × ホスト」な関係。

 別にそこでの恋愛は本人の自由なのでどーこー言うつもりないのですが、この関係性というのがモロだな、と思って。


 んで、芸能界(あるいは芸能の歴史全体)ってところは昔からその筋の人との繋がりが強いわけですし、そういうことでも水商売と似てるんですよね。


 モータウンな人々はほんとにそのものなカッコさせられてるわけですし。ジャニの人たちもそうですね。それで心がささくれ立ってくるのかなぁとかいらぬ心配したりするけど、やっぱそうなのかなぁとか思ったり・・。(この辺とか)


 で、ということは経営とかドンブリ勘定なのかなぁ、って。



 会計自体は税理士の人に任せてるだろうけど、経営システムについて考えたことがあるのかどうか疑問ですね。きちんとなんらかの収支を計算して、それに基づいて企画を練ったり新しい商品を開発したりみたいなことしてるのかなぁ、と。でもそういうのって企画考える段階で事務所の人が資料にまとめて持ってきてるか・・。いや、でも、やっぱモー親分はそういうので企画決めてる感じがしない。だって新規性がないもの。


 モーニング娘(←いっちゃった)というシステム自体は中南米(メキシコ?)のアイドルグループの入れ替わりシステムを踏襲したものらしいのは知ってます。モー親分が大恩ある芸能界の重鎮な人に教わったシステムだとか。んで、その人物への義理もあるのでモーニング娘という企画がそれほど売れなくなってしまっても続けざるを得なかったとかなんとか・・。でも、その方はこないだ亡くなったらしいんですね。それで義理とかなくなったんじゃないかということで「今年あたりかな?」って思ったりもするのだけれど、モー親分が雑誌だか新聞だかで語ってる様子を見るとまだまだやる気みたいでよくわかんないです。


 んで、やるならやるでなんらかのステップアップが必要な時期で、「モーニング娘以外にもっとプレミアなユニットが必要なんだよ」、とか言われてたりするわけだけどもっと具体的に言えばジャニオタ永久機関を構築すべきなんですね。


エロ本編集者の憂鬱と希望:松本美香『ジャニヲタ 女のケモノ道』(双葉社)を読む

松本美香のように濃いファンは、ジュニアがCDデビューするまでを「おかん」のような視線で愛で(松本美香は「バーチャルおかん」と呼ぶ)、メジャーになると、違うジュニアを追いかけたりするのだが(この構図を「降りる」という)、普通に「ああ、スマップが出てるドラマとかならちょっと見てみようかな」と思うような薄い支持層は、めんどくさくて、降りてなんていられない。そして、この最初にスマップにハマった世代は、おそらく光GENJIのときと同じほど、幅広い。現在36歳の松本美香(当時20代前半)から、我々の世代(当時中学生)、もっと言えば、当時小学生くらいの人々(現在20歳前後)まで、かなりの女性層をつかまえている。この圧倒的な層を背景にしながら、スマップ以降の世代のアイドルも続々投入していく。それによって、松本美香とはレベルが違うが、嵐やNEWSやKAT-TUNに少しずつ降りていく人や、新たにジャニーズアイドルにファンになる人を開拓していく。つまり、大元にあったスマップのファンという巨大な層はそのままに温存しつつ、その層を次世代のアイドルのファンにもさせつつ、新たなファンも獲得していく。まるで永久機関のようなシステム



 モーを筆頭とするハロープロジェクトに当てはめると、モーがプレミア化してスマップにならなければならない。もしくはモーの上位に少年隊だとか近藤真彦を配置すべき、ってことになりますね。

 でも、そういうのって外部から引き抜いて形成してきたわけではなく、育成選手なわけだからやはりモーに踏ん張ってもらうべきなんだけど、モーな人たちが「卒業」した後の上位ユニットとかスピンアウトの先がはっきりしてない感じなんすね。スピンアウトっていうかクラスチェンジというか(なんでもいいけど)。なので「卒業」後の進路も不安だし、なにより「スマップ」な部分が固まらないことにはなんともならないのかな?

(ジャニーズってスマップ出てくるまでどうやって回してたんだろう?たのきんトリオとか?)


 んで、詳しいデータ知らないけど、モーニング娘のファン層って現在はどうなってるんですかね?ちょっと聞いた話だと全盛期にはゆりかごからはかばお子さんからある程度の高年齢層まで幅広いファン層があったのに、現在ではモーオタしかファンがいなくなってしまって、CD出しても一部にしか売れないから巡業で食いつないでるとかどうとうか・・。

 なので、ここからスマップって感じも難しいのかもしれないけど・・・どこで失敗したんですかね? やはりモー親分が一人でやりすぎたのかなぁ。。一番の問題はあの歌詞だと思うんですね。モーすごいことになってますもんね。全盛期はそれが味といえば味だったんだけど、それはネタとして受け入れられていただけであって、ベタとしてスターの王道を歩んでいくとなるとあの歌詞(その他演出)ではきつい。

 それでもモー親分は一人でやることに固執するのかなぁ。。。(お金?お金の問題なの?)分業してるにしても最後の決定はモー親分がやってるんでしょうしねぇ。

 
 それでモーな人たちはヤサぐれるわけですが(refrain)




 まぁ、そんな感じで。あきらかにふん詰まり状態でこれから続けていく気があるとしたらなんらかの経営努力をすべき時機だと思うんです。んで、がんばって女ジャニとか宝塚とか目指すべきなんだろうけど、モー親分の気持ちが見えない・・。



 まぁ、とりあえずやる気があるとしたら似たような業界の経営システムは学ぼうとしてるはず。先ほど言った水商売とか、もしくは「当たり外れもあるけど、不測のインブリードもあるよ」ということで馬主の経営学と似てるかもしれない。



競馬の経営学―夢とロマンを取り戻すためのシナリオ
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 っつっても、この本あまり役に立たなそうだけど。



 カルスタ関連だと稲増さんとかこれが思い浮かぶけど



有名性という文化装置
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 これには経営的視点はないしなぁ。。



 むしろこの辺かなぁ



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 不動産投資とか書いてあるみたいだけど・・。あとこれとか?


売れっ娘ホステスの育て方―「水商売」の成功マニュアル!
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 でもこれって、「会話上手な売れっ娘ホステスになる(する)方法をわかりやすく公開します」、ってことでアイドルとはまた違うのか(トークでは使えるだろうけど)。顧客管理とか気を使ってるみたいなのでこちちかな


キャバクラの教科書 上級編―お客さんをファンにする44の上級テクニック
木村 進太郎
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 ・・っつーかきちんとした経営・経済学者の書いた水商売本というか、芸能界本が見たい。


 レヴィットならやりそうだけど、



ヤバい経済学 [増補改訂版]
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 そういう章はなかったなぁ。。(ヤクの売人に対する経済学的考察はあって面白かったけど)


 んで、まぁ、福耳さんのことが思い浮かんだわけですよ。芸能界ってモロに「幻」って感じだし


福耳コラム - 唯幻価値論 まとめの結論


 「商品の価値は幻想によって決まるんじゃないか」とする福耳経営学の真骨頂かなぁと思って。





・・・・・どないでしょ?





 ちなみに前に山形さんに似たような考え(っつーか欲望の喚起)について聞いたら「ヴェブレンっぽいかな」って言われました





タグ:経営 芸能
posted by m_um_u at 23:21 | Comment(2) | TrackBack(0) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年04月09日

関係性と経済合理性の協調可能性について (あるいは中間共同体の可能性)

 しばらくぶりに小田センセのとこに遊びに行ってみたら近頃関心を寄せていた領域への言及が多くてちょっと興奮。んでもけっこう複雑なのでエントリに起こしてみることにした。そういうわけで以下は主に自分用の理解のためのマッピングになる。

 
 まずは小田センセのところでのギロンに対して、自分なりのマッピングとしては以下のエントリの後段で示したまとめのうち(3)が当たるように思う。


muse-A-muse 2nd: 雇用流動におけるアイデンティティー不安と協調の可能性に関して


 いちおおさらいとして、格差社会関連の解決策(あるいは軟着陸の方向性)としては


(1)格差を是正するように保障を充実させるべき(※でも保障受ける側は「ラベリング」の自己言及みたいなのに嵌っちゃう罠があるので注意)

(2)固有のイデオロギー(思想)をもって浮き草生活を貫徹すべき

(3)「正社員/非正規雇用」、「世代間格差」みたいに分かれて対立するのではなく、それぞれの悩みを理解して協調すべき


 の3つが考えられるように思う。


 このうち(3)のような「連帯」を促進するためには中間共同体のようなものが必要になってくるように思う。

 「中間共同体」ってのは、「会社」とか「教室」のような定まった場所とは違う層にある逃げ場というか生き抜き場のようなもの。いじめの逃げ場とか、じっちゃんばっちゃんの茶飲み場とかダラダラしゃべる部室とかそんなの。そういういわば「バッファ(緩衝地帯)」的なものが必要だねーってことなんだけど、これがなかなかうまくいかない。

 放っておいて勝手に発生してくれるならいいんだけど、特に最近ではこういう場が減ってきてるようだし・・。んで、なんとかならないかなぁって思ってたところで先日、大阪センセからいただいたコメントが面白かった


muse-A-muse 2nd: 地方の交通問題に関して(+地域活性化について少し) ※欄

小田さんや分裂勘違いさんがいわれている点は、福耳さんとのやりとりでは忘れていたのですが、個人的経験でも外部からはどろどろゲマインシャフトに見えるような地域の共同体の人間関係とか、そこで生活する人の合理的計算に驚いたことはあります。ただ、私のイメージでは、割と外の市場から切れた集団のイメージというのは、小田さんがいう「人々が同質で、すべてを共有しているというイメージ」というより逆に、そこでの知恵なり、合理性なりルールは、個別の状況にチューニングされているというイメージを持っています。これは完全に経済学に毒されたイメージかもしれなくて、企業の中の関係特殊的な能力のようなものとして、共同体における知恵というか合理性をイメージしています。



 個人的に、ここで言われているように地域共同体のルールが「個別の状況にチューニングされているイメージがある」というのは面白いように思う。

 そうすると、「しきたり」的にゆるがないものではなく、個別の共同体(あるいは個々人の合理性)によって変更可能になるかもしれないので。だとすると、外からの論理(金融やtech系の技術)によってその合理性を支援することができるかもしれない。

 
 金融的な工夫については疎いのだけれど、tech系としては例えばこの辺りが考えられる。


國領研究室公開論文

 
 もしくはもうちょっと絞って、「地域情報化と地方自治 / 共同体の回復」みたいなの


ITmedia Biz.ID:町役場で使うSkype――「チャットはメールより使いやすい」

47都道府県「情報化政策」一覧:ITpro


 この辺は「地域情報化の促進」ということで中間共同体からは逸れるけど、「組織をネットワークによって繋いで活性化させる」という視点では共通しているので参考になるように思う。ただ、行政主導でやるとけっこうおーざっぱになって地域の声のようなものが潰されることあるかもしれないのでその辺は注意が必要だろう。


 んで、こんな形で<「関係性」に関する問題は経済(経営)・技術的なテクニックによって解決(あるいは軟着陸)可能かもしれない>という期待が出てくる。

 
 でも、その際、当該コミュニティにおける「関係性」のプロトコルと経済合理性的なプロトコルに齟齬が生じないか、ということが心配の種になっている。その辺について小田センセのところから吸収してるわけだけど。やはりシンクロしてきているみたいだ。


小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」:「アダム・スミス問題」と真正性の水準


 
 経済合理性と道徳(あるいは関係性の前提条件としての社会的ルール(公共性))の齟齬の問題というのは個人的にもけっこう課題だったんだけど、その辺もなんとかできるということか。

 (以下、アダム・スミス「道徳感情論」からの部分的解釈による)例えば、愛する人を失った人に対して経済合理的な説得(「子供はまた生まれるから安心しなさい」)は何の意味ももたない。そういう時には他者との共感を通じて相手の境遇に身をおき、その上で適切な言葉(タイミング)を選んでいく必要がある。

 それを可能性にする条件として「境遇の交換可能性が必要」ということらしい。「境遇の交換可能性」とは<顔>のある関係によってもたらされる、と。つまりシステマティックじゃない付き合いからもたらされる他者への想像力ということなるみたい。


 この<顔>のある関係の場というのに中間共同体が当てられそうな気がする。あるいはムリに外部に新たな中間共同体を作らなくても、現在ある組織をもうちょっとゆるい関係にしてみるというのもいいかもしれない。(ゆるいかどうかはさておき、もうちょっと関係性を促進するような組織に)

 これ関連では仲俣さんのところでみたこのエントリが気になった


【海難記】 Wrecked on the Sea:ユリイカ」特集号での米澤穂信の名言


  市民の後に来るのがまた国民だとは、思っていませんでした。漠然と、会社員だと思ってましたから(笑)。

なるほどねー。いまネオリベ的なナショナリズムに対抗できる論理があるとしたら、それは「市民」の論理などではなく、むしろ正しい職業倫理としての「会社員」の論理かもしれない。



 なるほどねー。そんで、その際の「会社」のイメージは「結社」とか「アソシエーション」に近いものだ、と。

 
 その辺については言外に小田センセも触れておられたような気がする(参照)(勘違いかもしれんが)


 んで、「ワーキング・プア」とかフリーターといった労働現場の民族誌的研究や、会社員や大学生といった普通の若者たちの民族誌的研究とかということなんだけど、女性の労働関係だとこの辺が参考になるみたいです。


 Economics Lovers Live:玄田有史・斉藤珠里『仕事とセックスのあいだ』


ジェンダーとメディア・ブログ - [性]だれも書かなかった真実


 っつーか、「働きマン」のほうが面白いらしい


少女漫画的日常 - 『働きマン』男性誌で女の正体を暴く


 ・・実際おもしろかったし



 あと、エリートサラリーマンというか大企業への就業意識みたいなのとしては最近の梅田さん(+コミュニティの皆さん)のギロンが参考になるように思う。


 My Life Between Silicon Valley and Japan - 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。


My Life Between Silicon Valley and Japan - 「好きを貫く」のはそんなに簡単なことではない。意識的で戦略的でなければ「好きを貫く」人生なんて送れないよ。


My Life Between Silicon Valley and Japan - 「好きを貫く」ことと大企業への就職


My Life Between Silicon Valley and Japan - 自らの傾向や「向き不向き」に向き合うこと


My Life Between Silicon Valley and Japan - 勉強になる反応(トラックバック等の中から)のご紹介


My Life Between Silicon Valley and Japan - 「「個」として強く生きること」と「ウェブ・リテラシーを持つこと」の関係


My Life Between Silicon Valley and Japan - 「何かの専門性」と、「好き」を共有する友達のネットワークと、そこに働きかける「営業力」


My Life Between Silicon Valley and Japan - お金のリテラシー、「路頭に迷う」、「向き不向き」「好き」と競争力の関係



 ギロンの前提として、ちょっと前のエントリでも言ったように若年層の一部は「東大 - カンリョー(あるいは大企業)」なんてコースにはそれほどの希望を抱いてなくて、自分なりのスキルを身につけ企業におんぶに抱っこしない生き方を目指そうとしている現状がある。

 梅田さんの主張というのはそういうのを踏まえたうえで、「でも入れるんだったら大企業を経験しとくのもいいもんだぞ?」、って話なんだろう。そして、そこで得られるものとか、得たものを活用してサバイバルしていく術をなんとかして伝えようとしているように思えた。


 こちらのギロンの流れに戻すと、そういった大企業における就業意識というのは仲俣さんが言うような「アソシエーションとしての会社」(もうちょっと言えば「<構築されたゆるがない機構>ではないものとしての会社」)への意識があるものなのだろうか?

 具体的に言えば、働く個人としての自分と会社を分けて、会社のほうを単に「給料をくれる」「命令をする」機構としてとられていた場合、会社からの疎外意識とか、反対に過剰な依存意識が生まれるように思う。これとは逆に会社を(暫定的な)アソシエーションとして捉えていた場合、そこに自分が含まれると同時に自分が作っていくという意識があるので、依存というよりは積極的に参加している意識が芽生える。そこでもらえる報酬というのは給料以上のなにかなのだろう。(この辺は最近の近藤さんが短文でつぶやいてた内容とも被るのかな? 参照参照2


 仲俣さん的にはこの辺のエントリと被るのだろう

【海難記】 Wrecked on the Sea:出版社以外で本を出すには



 つまり、得たものを利用して独立を考えるという道筋。(あるいはもうちょっと踏み込んで既存のルート(交換様式)に頼らない姿勢とか)


 そういうのは就職面接時などに「キャリアパスについてはどうお考えですか?」って散々言われてきた若い層(あるいはその背中を見てきた層)が一番学んでることなのではないか? 自分の父親世代の境遇を見ていても、これから先日本の会社や経済に期待できるかどうかわからないのだし・・。

 これから大学に入るような年代のコには経済知識もなにもないのだろうけど、そういうのを肌で感じているように思う。



 ただ、ポイントなのはここでも仲俣さんが指摘されてるように、そういった独立的ルートを選ぶ場合でも「会社」の経験は邪魔にならないということ。あるいはアソシエーションの経験といってもいいかもしれない。単なる「きゅーりょーをもらうとこ」として会社に参加してる限りはそういったスキルなんか身に付かないだろうし。



 
 で、話を戻すけど、



 そんな感じで「会社」もアソシエーションの一つとして捉え、スキルを吸収していった場合、そこから新たな関係性というか、自分達なりのやり方のようなものが見出せるのではないだろうか? それは例えば仲俣さんが模索してるような感じの。


 こういうので参考になるよう思うのが以下のエントリ 


小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」:交換の四角形
 
 
 要約すると、「関係性のバリエーション」というか、その元となる交換関係には4つのバリエーションがあるらしい。

 分配、再分配、贈与交換、市場交換の4つ。


 通常、一般的な交換形態として考えられている貨幣をメディアとした「労働 - 対価」の関係性というのは交換のバリエーションの一つに過ぎない。そう考えると新たな交換形式が模索できるように思う。

 別にいきなり「贈与交換だけやれ」とか「今日からお金禁止ね」とかいうわけではなく、いろいろな組み合わせというか、場によって最適な方法を模索するって感じ。流通しているお金というメディアが足りない場合はほかの交換財があってもいいわけだし。(cf.パットナムが「関係資本(social capital)」と呼んでいたものとも絡むか?)


そんで、話を続けると上記した4つの交換様式のうち2つずつを座標軸として設定して、交換のマトリクス(4象限モデル)が描けるみたい(あとで図示する・・かな?)


 まだよくわかってないけどいちおメモ的に



分配:?よくわからん?




再分配:
ex.天下り(かな?)

Economics Lovers Live:遅れて支払われた報酬仮説=「天下り」の合理的説明

Economics Lovers Live:天下りの合理的説明その2(ラムザイヤー・ローゼンブルース仮説)


池田信夫 blog 天下りの経済学


(※従来、カンリョーになる人は労働の時点での報酬ではなく、退職後の報酬(インセンティブ)を見越してカンリョーになってたみたい。でも、その部分も変わりつつある↓の一番最後のほうでも示したとおり)

muse-A-muse 2nd: 戯画化する教育環境と教育に関する意思決定の分権化について



贈与交換:
マリノフスキーとかの例のアレ(クラとか)

「労働 / 対価」みたいな形ではなく、「贈与」が円周する形で自分に還って来る。お歳暮とかもこれに当たるのかなぁ


(※あとで図示するかも)



市場交換:
経済合理性を中心としたヤツ。メインメディアは貨幣






このときの「分配」と「市場交換」の違いがよくわかんないんだけど、これは後で読み直そう(それか調べる)




 そんな感じで、人類史的に見た場合は交換様式も多様なのでいろいろ考えられるなぁ、と。

 んで、その際、交換様式の合理性というのは通常考えられているような経済合理性(市場合理性)だけではなくて、もうちょっといろんなルールに則ってる。思い浮かぶのは「しがらみ」っていうか「絆」とか、「信頼」とか。個人的にはその辺のルール要素を腑分けして、あとは交換の流れについてきちんと図示してみようかなぁ、と(そうすると資源交換に関する一般モデルみたいな感じになりそうなので)

 
 一般モデルにしたところでそこからもれるものがあるのだろうけど、とりあえずの指標ってことで。(っつーかモデルなんかむしろそこから漏れるものをとらえるために作るものだしね)





 あと、補足的に



 関係性に関して、ぼくが「ウザイしがらみ」としてして捉えているのはこんな感じでした。


ぷるぷる (内田樹の研究室)


 「事実的言明」とは、「これは明らかに事実です」という事実に基づいて立てられる言明、忠告のようなもの。

「遂行的言明」とは、「事実」に沿ってではなく、その人にとって「そうでなければならないこと」「そうであるべきこと」を「事実」として前提条件とし、それを元にしたクダまき言明、忠告のようなもの

 この2つを混ぜる人がいるとウザイなぁ、と思うわけです。


posted by m_um_u at 23:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年04月04日

(地方と)「東京」から考える

 交通論っていうか地域格差とかについて。本blog的には以下のエントリからの続きです。

muse-A-muse 2nd: 地方の交通問題に関して(+地域活性化について少し)


 ちょっと前に東京に行ってきた。主に山手線周りの中心部(※以下「東京」と略記)。今回改めて感じたのは、「東京」というのは異常に電車が多いな、ということ。そして運賃が安い。

 例えば、山手線など秋葉原から新宿への移動で、正確な距離は分からないけど、「20分 / 200円」ぐらいだったか?山手線というのは広島だとアストラムラインというモノレールに相当するように思う。概観が似てるし時速もほぼ同じぐらい。

 アストラムラインも本来ならば市街地と現在終点になっている地点を結ぶ環状線のようなものにされる予定だったんだけど、(地元のバス会社の圧力によってかどうか知らんが)計画が頓挫したまま。まぁ、それは置くとして、アストラムラインの場合、同様の移動距離(本通-大町?)だと300円程度の運賃がかかるように思う。そういうのを考えると、公共交通機関は単体でのpayを狙ったものではなく、お客が運んでった先でお金を落としてくれるから成り立ってるのかなぁ、と思ったり。増田のこのエントリの影響かな


僻地の交通云々


 これ自体は「A列車で行こう!」みたいに鉄道運営会社がインサイダー取引みたいな感じで「鉄道を造った穴を駅ビル+ホテル収益をアップさせてくことで補填する」ってビジネスモデルみたい。なので、鉄道会社に直接還元されているかどうか分かんない東京の公共交通事情について当てはめるのはちょっと乱暴な感じがするけど、本サイトはおーざっぱが持ち味なのでそのままギロンを続けていく。

 ってか、そんな感じで「鉄道運賃以外」のところを当てにしなくても、東京の人口ならば運賃だけでpayできてるのかもしれない。あとは「公共交通機関」ってことで税金免除とかあるだろうし・・。


 そのほかに公共の福祉関連だとそれぞれの区の住民に対して生活インフラの整備が行き届いているように感じた。「行き届いている」っていうか、すこし過剰なぐらいに整備されてるなぁ、と。例えば品川の川沿いの整備された遊歩道とか、東京タワー近くの公園とか、あとは行ってないけど大型緑地帯なんて地方にはまずないもんね。んで、そういう整備がけっこうマイナーな区にも行き届いている、と。

 印象として、「東京」の中ではエース級というわけでもない区が、地方のエース(市街地)と同程度かそれ以上の規模と整備が行き届いているしように感じた。だからこそ、一度東京の暮らしに慣れてしまった一部の人は地方都市のことを小バカにしたような態度をとるのだろう。地方に行く(帰る)ことを「都落ち」と称したり・・。

 しかし、そういった態度というのはしょせんは虚飾に踊らされたものなのではないか?なんつーか、「過剰性に目を奪われて現実が見えてない」、って感じ。ハリボテとカキワリで作られたテレビ局のセットに代表されるような、なんか、魂とか生活のリアルな部分が入ってない感じの・・。

 そう書くと「東京」に対するルサンチマンって感じだけど、その辺のところを仲俣さんがちょうど良い言葉で表してくれていたので借りる


【海難記】 Wrecked on the Sea:「嘘つき」たちによる、「嘘つき」のためのTOKYO案内〜吉田修一論


 「東京というフィクション」ということなのだろう。

 「都会」っていってもほとんどの住民は田舎からの上京者で構成されていて、昔から住んでいる人でも「西東京と東東京は別」って感じで、西東京的な都会感とか一部東の豪華さやセレブ感を味わい尽くすためにはお金が必要で、けっきょくお金がなければ東京にいても「東京」を味わいつくせないっていうか、自分の住んでるところと職場や学校をつなぐだけの毎日。

 いや、地方でも普段は職場・学校と住んでるところを行き来するだけで、間はショートカットって感じなんだけど、「東京」は特にその傾向が強いように感じられた。道を尋ねた人の誰もが「東京」のことを知らないのだ(ex.品川で品川埠頭について尋ねても知らない。日本橋で秋葉原への道を尋ねても知らない)。・・あれはなんだったのだろう? 勝手な推測だと自動化が進みすぎていろんなことに対する意識や想像力が薄れているのではないだろうか?「自動化」というとちょっと前のこのエントリでも出てきた話題だけど、

muse-A-muse 2nd: スマート化する社会(可能性と課題について)


 なんか、真っ先に都民がこういう罠にはまるんだろうな、って。んで、自動化(最適化)に身をまかせすぎて自分がなにか(社会の中でどの位置にいるか)ということが分からなくなってるんだろう。そういうこと感じなくても生きていけるし、そういうこと感じてたら立ち止まってしまって流れに身を任せられないし・・。かと言って、流れに積極的に乗ってフィクションを愉しむということができている人は少数だったり(cf.欲望が欲望を生む)。そしてフィクションを愉しんだり、外からその光に魅せられている人の中でもそれ自体をフィクションとして自覚的にコントロールできてる人は少数だったり。


・・「東京」だけではなくて、それが「都市の生活」というものなのだろうけど・・なんかね。



 まぁ、それはともかく、そういったフィクションを支える東京の繁栄(あるいは充実)というのは公共交通機関とか生活インフラに対する過剰性によって成り立っているように思う。(あと、夜でもライトつけすぎとか)

 「そこまでする必要はないのに」という過剰なインフラ整備によってもたらされる贅沢感(地方に対するセレブ感)。「景観がうんぬん」とかいう程度で大規模な公共工事を計画したり・・。一地方民からすると、なんだかそういった過剰性というのは地方の富を収奪した上に成り立っているように感じられる。いや、「東京のインフラ整備は都民でpayしているのだから、地方は関係ないよ」、っていうのは分かっているつもり。でも、それを可能にする「人口」というのは東京の過剰性に吸い寄せられて集まったわけで、そうするとやっぱ収奪って感じがする。

 「それは東京の魅力であり、地方の自己責任だよ」ってことなのだろうか?その魅力を演出するために必要とした公共工事というのはほんとに東京という一地方の財源だけで賄われてきたのだろうか?

 そんなこと言ってると古くは江戸の開発を基本とした経路依存性の話になってくるわけど、「経路依存性」なら「経路依存性」で東京に人が集まるのは東京という街の機能によるものではない(機能的に説明がつくものではない)ということになるわけだからやっぱりその辺は改善可能なのではないか、と思う。

 「機能的合理性がなく、むしろ機能的には不合理だけど習慣による惰性で東京が商業的中心地になっている」ということであるのならば、都市デザインを考え直してきちんと分散化させればいいのだ。そのほうが資源最適化できるだろうし。そういうことはけっこう言われてるはずだけど・・。

 んで、まぁ、そう考えるとやはり「東京は人口があるから魅力ある街」とかいうのはちょっと表層的なギロンに過ぎないように思う。過剰な集中によるボトルネックもあるだろうし、なによりその「人口」自体、人工(計画)的に集められたものだし。「計画的に集められたもの」であるならば「計画的に分散できる」はずなのだ。東京の人は「東京」だけで考えるのでそういうのは思い当たらないのではないか?

 ふつーに考えて、情報通信技術が発達した現在の環境だったらそんなに集中して仕事をする必要があるのだろうか?「face to faceコミュニケーションのほうが情報量が多い(痒いところに手が届く)」というのは分かるけど、そんなに毎日顔を付き合わせるほどのことか?(週一回のスクーリング程度で充分なのではないか?)それ以外は電子会議で賄えるはずだし・・。それ以外にも細かい部分で失われるところがあるのかもしれないけど、分散したほうが得られるところが多いように思う。「情報通信では運べない(あるいはモジュール切れない)仕事があるんだよ」ってことかもしれないけど、だったらモジュール切れるところだけでも切って、リアルな拠点は分散化すればいいじゃんとか思う。そのほうが快適だろうし。(この辺りは労働論になってくるから別枠か)


 あとは「祝祭とその周辺への消費の集中」ということか。これもやっぱ集中の意義が分からない。仕事のために集まった人が余暇として消費するってことだから、余暇は仕事に従属するのだろう。だとすると仕事の拠点が移れば余暇も合わせて移ることになるよなぁ。それとは別に集中したモールみたいな形はあってもいいかもしれないけど、よく分からん。


 
 あるいは限界点からの進歩というものは一定の過剰性を前提にしないと成り立たないものなのかもしれない。たとえばティッピングポイントを越えるにはカスケードが要るように(あるいは両者は因果関係にはなく、単に閾値を越えるときにカスケードが重なっているだけかもしれないけど、それはちょっと置く)。「最適化された資源はエースに集中投下される」ということか。しかし、で、あるとしてもそれはやはり「過剰」であり、それが「過剰」であるということは他のところは「不足」が生じている可能性があるということ、「東京」の繁栄が地方の犠牲の上に成り立っているものかもしれないということをすこしは意識するべきなのではないだろうか?(※従属理論の応用でちょっと問題ありそうだけど置く)


 少なくとも「<東京>から考える」というときにはその辺のことも意識したほうが良いように思うが。(過剰すぎる言論もどうかと)



--
関連:
「東京」 - 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki - livedoor Wiki(ウィキ)


「東京」Part2 - 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki - livedoor Wiki(ウィキ)




東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム
東 浩紀 北田 暁大
日本放送出版協会 (2007/01)
売り上げランキング: 3331



読んでないし、読む気もないのだがとりあえず参照したレビュー


short hope - 東京から考える


本屋のほんね:東京から考える


っつーか、いままでのギロンを踏まえるとたかが「郊外の流入」にギャーギャー言う都民の感覚が分からん。なにそれ?景観?(アホか)

過疎地の年寄りがどういう暮らししてるのか分かってるのか?


もしくは、各地区がコロニー(ゲットー)化していくことによるモラルやビジネス面への影響を恐れてるのかもしれないけど、それならそれできちんとビジネス面なんかの影響も試算すればいいように思う。子育て日記か?(ってか、東京離れればいいじゃん)

っつーか、やっぱ単に「ジャスコ」が東京さまに入ってくるのが気に入らないのだろう。フラット化による資本の逆流入というやつ。そういう視点はなんかアメリカ一国主義的グローバリゼーション賛美と似てるね。


それとは別に「ファスト風土の来襲による老舗店舗の閉鎖」という構図はイヤなんだけど、これってほんとにファスト風土の影響なのか?(因果ではなく相関ではないか?地上げするわけでもなし)

って、オレの上記エントリの論旨からすると「大型資本の影響力はあるよ」ってことだけど。そうするとやっぱりファスト風土の資本力(吸引力)の危険性を恐れる人々が「東京」の影響力について無自覚に見えるのは不思議。レイヤは・・同じだよなぁ・・。


そういや秋葉原も変わるみたいですね(これはファスト風土の影響じゃないなぁ)


裏新宿(NEW): 5年後のアキバは行政がプレイヤーとして参加している以上、渋谷や中野よりも「新宿化」する可能性が高い



ともかく、秋葉原のおっちゃん達の店舗は貴重だからアレだけ確保できないのだろうか?「IT化」の地味な下支えになってるように思うし(若い技術者の成長のためには安い部品が必要だろう)。で、あるならば公共政策的に考えてもいいのではないか?





posted by m_um_u at 22:44 | Comment(0) | TrackBack(1) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月29日

地方の交通問題に関して(+地域活性化について少し)

 はてな界隈で地域格差についての話題が少し盛り上がっているみたいだ。この辺が発端


地下室のスパイダー:地方の交通問題


partygirlの日記 - 地方の人が車を買ったから、ローカル線が消えた?


The best is yet to be.:「地方って、もう終わっちゃったのかな」


 流れとしては、

(1)地方の公共交通機関を切り捨てたのは地方民じゃないか!

(2)(地方が車社会になって公共交通機関がなくなったのは認めるけど)「豊かさの象徴としての車を手に入れたかったから」というようなお気楽な理由で車を持つようになったのではないのでは?

(3)(1)への同意(+地方の現状について)


 って感じ


 んで、同じ地方民として、「どしたらいいだろうねー」って感じで見てたんだけど、別の文脈からこの辺もリンクしたり、


 Espresso Diary@信州松本:松本駅西口の再開発。


 地方(あるいは都市)のにぎやかスポットとしては、(1)工場近く、(2)大学近く、(3)駅前、なんかが考えられるわけだけど、そういった理由から「とりあえず駅前に金落としとくべー」って感じのばら撒き行政批判。


寂れていた松本駅の西口でも、再開発が進んでいます。駅の整備に使われている資金は68億円。しかしキレイになったのは駅だけで、駅前には駐車スペースが広がり、コンビニができる気配もありません。地元の地銀や信金の人たちに尋ねても、「なかなか融資の話もないですね〜」という声が聞こえます。ここで商店を営んでいた人も、「ただバスが停まるってだけのことせ。うちは、へぇ商売やめて引越したわ」と語ります。いま松本では再開発計画にあわせて借金をしてビルを建てた人たちが、固定資産税やテナント不足で苦労していますから、なかなか投資の波及が湧き上がらないのです。

Espresso Diary@信州松本:松本駅西口の再開発。より引用】



 んで、後段で「新興国で68億もあったらもっと有効に使えるのにね」って感じで続いてて全く同意なんだけど、その辺はけっこうむずそうなので置く。


 Espressoさんところはずっと地域振興+世界経済(金融)という視点からblogエントリを続けておられるのでいろいろ参考になる。地域振興というか、「地方でお金が落ちてるところって?」系エントリとして、最近ではこの辺が参考になった。


Espresso Diary@信州松本:Jキャバで緊張してしまったワタシ。


Espresso Diary@信州松本:若い夢と欲望はネット空間を彷徨い、古い街は衰退する。


 地方の飲食系産業は何らかの形でキャバクラの同伴やアフターとかかわってるらしい。あとハコもの(公共事業)に頼れなくなった地方経済の現状について

公共事業に頼れなくなった地方の経済は、低い金利が支えています。公務員や正社員には、住宅ローン。親が不動産を持っている若者には、開業のためのローン。これで地方の経済は回っている。しかし、後継者のいない農家が新たな不動産を供給し続けているから、住宅地の価格は上がらず、消費も郊外へと流れる一方です。農業の振興のために行われる整備は、まるでショッピング・センター建設のために行われているようです。最近は郊外のお店も、盛衰が激しい。ビデオ・レンタルや焼肉屋だった店舗がガランと空いたままになっている光景は、もう珍しくありません。新しい道路が整備されると、それまで交通量の多かった道路のほうが寂れてしまう。

Espresso Diary@信州松本:若い夢と欲望はネット空間を彷徨い、古い街は衰退する。より引用】




 低い金利と住宅ローン、開業ローンって・・。実体経済というか、地場産業は・・ないわなぁ・・。んで、こんな感じでどん詰まりなところに「少子高齢化の先端を行く地方」ということでそろそろ外部投資でリスクヘッジを考えてる人が増えてるかも、とのこと。

Espresso Diary@信州松本:「カネづまり」の日本で求められる「お金のソムリエ」。


 ぼくとしてはこの辺とフラット化の流れを連関させてうまいことできないかなと思うんだけど、その辺は未だ情報不足なのでちょっと置いとく(BRICS+αかな)。あと、ドバイみたいな感じで「観光+金融+流通」とか。



 で、交通の話に戻るけど、



 そんな感じで「地方の公共交通機関が減っていきている」問題があるわけだけど、この辺の解決策について。ぼくとしてはもう高速道路とかも含めた抜本的な交通政策改革が必要なのかなぁとか思ってたけど、そういうことでもないみたい。偶然、大阪センセのエントリ見つけた


痴呆(地方)でいいもん - 富山と自動車


 ここでもまず地方が自動車に頼らざるを得ない現状の経緯が確認されている。あと、それによって地方中心地の経済がしぼんでいく様子も

不便だから、自動車が必要→自動車が普及しているから、大きな店は郊外に移る→郊外に行くためには自動車が必要という悪循環が多分背景にあって、ここ数年でも、道路はこれでもか、これでもかというほど立派になっていく一方で、駅前とか昔からの繁華街とかがどんどんさびれていっている。多分、都会では逆方向の循環があって、自動車なしでも生活できる環境ができているのだろう。多分、中心部の高利便性ー公共機関の発達、中心部の低利便性ー自動車の普及の組合せが複数均衡になっている気がする。(富山と同じ規模で公共交通機関が発達しているところがあれば、複数均衡の例になるんですけど、誰か知りませんか)実際、学生のころ関西に住んでいたとき、自動車が欲しいなんて一度も思わなかった。

痴呆(地方)でいいもん - 富山と自動車より引用】



 「誰か知りませんか?」ということなのであとでTB送っときます。(上段のほうのエントリがサンプルになるかな)


 そんで、そういった悪循環の解決策の一つとして以下を提示、


逆説的だが、富山の状況では多分、駅前や繁華街に車でいきやすい環境を整備すれば長期的には公共交通機関で移動できる状況にちかづいていくように思う。郊外に店がでていくのは、郊外のほうが店舗を広くできるのもあるが、富山のようにある程度自動車の普及率が高い地域では駐車場代がかかるだけで敬遠される。私自身、同じような店がある場合、中心部で駐車場代がかかる店より、駐車場代がかからない郊外の店に行く。このため、中心部の店は少なくなり、公共交通機関を使う人は減って、路線の本数が少なくなる。これを食いとめるのはとりあえず、中心部に人をあつめることで、富山の場合自動車を使う人を中心部に呼びこむしかない。これには、多分、行政なり商工会議所なりもそう考えていて、旧繁華街の駐車料金は最近30分100円になっている。(その上、子連れにはコンビニで50円くらいのお菓子を子供ひとりづつにくれるから、二人つれてくと、タダで駐車できた気分になる。)

痴呆(地方)でいいもん - 富山と自動車より引用】




 にゃるほど、「中心部の駐車料金を安くしろ」、と。いろいろ大変かもしれないけど、駅前にてきとーにばら撒きするよりは期待が持てそうな気がする(「気がする」ってちょっと無責任だが、オレプロパーじゃないので、すみません)。

 でも、それに対するエントリで気になるのがこちら


シートン俗物記 - 自滅する地方都市


 こちらでは「団塊世代以降、どんどん車乗れなくなるね」って心配が出されてる。そう言われるともうどん詰まりな感じがするが、とりあえず現段階ではまだ車運転できるわけだから、大阪センセが提示されてる案で地方の内需拡大みたいなの目指しても良いのではないかと思う。(キャバクラもあるし・・ってそれはそれで他の問題が出てくるかw)


 んで、大阪センセのほうのエントリに戻ると、※欄で福耳さんとおもしろいギロンが展開されていた。R30さんの指摘、「中心部のシャッター街が税金対策のために完全閉店しないでいるのは不採算だね」を受けて。

(R30さんの当該エントリはこれだな:[R30]: 郊外出店規制じゃなくて、中心市街地商店廃業強化が必要じゃね?このギロンはこれに続くけど置く。[R30]: 拝啓FT様 サービス業の生産性について


 大阪センセとしては、「そうは言ってもお年寄りの行くとこなくなっちゃうしね」、ということでシャッター街閉めるのに憂慮。そういや、広島でもそういうとこ(基町ショッピングセンター)があって、お年寄りの憩いの場になってる。ほとんどの店のシャッターは閉められてるんだけど、わずかに1店だけ(かな?)開けていて、そこでお年寄り用に安い食事を提供している、と。「食事が安い」というのも引きなんだけど、そこがお年寄り同士の語らいの場として機能しているというところが大きいみたい。ちなみに基町ショッピングセンターがある高層マンション群は元々、原爆のバラックに住んでいた人たちを立ち退きさせるために立てられたところ。なので、高層マンション(アパート?)にすんでる人たちはお年寄りが多い。


 んで、大阪×福耳話に戻ると


 流れで、「田舎ではコンビニがそういう役割を担っていくかもしれない」って話が出てきている。この時点で福耳さんはam/pmを例としてあげてたけど、ほかにローソンもありますね。


Google ニュース検索: 高齢者 ローソン



 んで、話の流れとして、「ゲマインシャフト的なものをゲゼルシャフト的に解決するのは面白いね」、って話になってるんだけどこの辺はなんかびみょーっぽいです・・。ぼくもこの前そんな感じで、「田舎ってゲマインシャフトっスよね?」って言ったら小田センセに「違うよ」って言われた・・。


小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」:共同体のイメージ


 長いので要約すると、「田舎=ゲマインシャフトとして見られてウザイ連帯っぽく思われてるけど、それってオリエンタリズム的な二元論トラップだよ?(単なる田舎差別)」、とのこと。


 ってか、大阪センセのところの「ゲマインシャフト」イメージは「ウザイ連帯」ってよりは「古き良き意味での共同体的連帯」って感じなのだろうから文脈違うのだろうけど、でも、「田舎=利益(合理性)を考えないゆるい連帯」ってわけでもないのかもしれない。そういうのは前に分裂君のエントリを見て思った


分裂勘違い君劇場 - ワーキングプアのNHK特集で取材された秋田県仙北町出身の友人と今日、昼飯を食いました


 田舎には田舎の合理性があって、田舎ってことでなんかよくわかんない差別意識とか、逆に思い入れのようなもの(「田舎ノスタルジー」)みたいなのをもって入っていくと痛い目に合いそう。


 んで、思うのはそういうのってゲゼルシャフトっていうか、「合理性」ということで適応できるんじゃないか、って。



 そういうので思い浮かぶのが前にほぼ日でやってた「いろどり」特集


ほぼ日刊イトイ新聞 - いろどり


 「1000万稼いで孫にマンション買うてやったわ」ってやつ。「その地方では単なる葉っぱと思われていたものが、料亭なんかにもってくとお金に化けた」って話。これはこういうことに気づいて間をつないだ人が偉いなと思うんだけど、横石さんっていうのはどういう人だったのかなぁ・・。


イノベーティブワン〜横石知二 氏(株式会社いろどり 代表取締役副社長)


 詳しくは上の記事に譲るとして、んじゃこんな形で「山間部過疎地はみんないろどりすればいいじゃん?」っていけばいいんだけどそう簡単なものでもないだろうな。んでも、「なにかとなにかを繋げる」という発想の転換で思いもよらぬビジネスが生まれる可能性がある。同様の発想でフラット化な世界と地方を結ぶことも可能なのではないか?・・っていろいろ大変そうだけど(すぐにBRICSとかはムリだろうしなぁ)。

 でも、思うのは、そんな感じでなにかとなにかを繋げて余っているものを有効に活用するとき、ビジネスってのは単なる金儲けじゃなくて、リソースの有効な利用ということだと思うけど、その辺はまぁ、ぼくが言うべきことでもないのでこの辺で。


(あまり関係ないけどローソン情報とか知らせたいので福耳さんとこにもTB送っとこう)




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関連:
[R30]: 経営者は何によって記憶されるか――追悼・小倉昌男

ヤマト運輸、宅急便を作った人。障害者福祉の世界に「経営」という視点を持ち込んだ人。日本の交通行政にも深く関わってる。その功罪の是非は判断が分かれるところかもしれないけど、この人が存命なら、あるいはこの人のような人が地域活性化の現場にいたら、なにかが変わるのかもしれない




増田でおもろいエントリ発見

僻地の交通云々

「公共交通(鉄道)って元々、土地を安く買い叩いておいて鉄道の価値によって膨らますっていうビジネスモデルじゃん?だから人住んでないとこだと単なる不採算になるぜ。」、と。

こういうのって「A列車で行こう」とかであったかな?(あるいはいたストの株使ったインサイダー取引を髣髴とさせる)

で、

「僻地は集約してコロニー化するしかないんじゃ?」ってことでつまりリストラ(最適化)って感じなんだけど・・どうかなぁ・・。集約するとフラット化みたいな感じで準ハブ化するのも期待できるけど。とりあえずボトルネックは「人口」ってことか。(あとお金とか知識みたいなリソースとびみょーにモチベーションとかかな)

posted by m_um_u at 22:29 | Comment(4) | TrackBack(5) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月11日

りゅーどーせーとらっぷ

 巡回先で以下の記述を見てちょっと戸惑うっていうかどうしよっかな・・。

恐らく、宮台さんの過剰流動性に対する不安という見取りに対して、赤木さんが、いや、そうではなくて、流動性がないからこそ、苛立たしさを感じ、このまま、フリーズしちゃうんではないかという不安感が基底にあり、流動性を呼び込むものなら、「例え戦争でも…」という誤読されやすい発言を生んだのではないか、糞詰まりになった状況の閉塞感を示したのは重要な指摘だと思う。

葉っぱの「歩行と記憶」 - 南北問題の国内化より引用】



 いや、うん、えーと・・・。

 まぁ、順を追って。


 結論から言えば、「流動性」という言葉の意味の多義性に問題があるのだろうけど・・順を追って。

 赤木さんが指摘しているのは、「昔と違ってフリーターは一生フリーター(未来が見えない)っていうのが問題なんですよ」ってことで、この辺とか絡みつつ、A.センのcapabilityとか、それを可能にする社会保障(公共政策論)の問題に還ってくるのだと思う

親(あるいは、自分が子どものときの家)がものすごく貧乏だったという話もときどき聞く。親が貧乏だったつーことは、その親の立場でいえば、ものすごく貧乏でも結婚できて子どももいるということになる。もっといえば父親が飲んだくれて全然働かないとか、借金だらけでどうとかという話もときどき聞く(つまり働かない男性でも結婚できて子どももいる)。

それと一緒じゃないかって話をしたいわけじゃなく、その親の時代(20年ほど前?)と今では何が違って、貧乏(あるいはフリーター)だと結婚できないし子どももできないってことになってるんだろうなあ。と単純に疑問に思うのであった。

あるいは、ものすごく貧乏でも結婚して子どももいる人ってそのフリーターと同世代でもいると思うんだけども、両者の間では何が違って、結婚できたりできなかったりするのかなあ。

strangeより引用】



この問題を少しでもまじめに考えている人にはごく当たり前の話で、その人に一定の資源や能力が備わっていなければ、「機会」を自由に活用していくことなどできるわけがないのである。「結果の平等」も厳密に確定することは困難だが、少なくとも「機会の平等」に比べればはるかにわかりやすい。

狂童日報 - 「機会の平等」は正しいかより引用】




 そういうわけでA.センのcapability概念に還ってきて、栗山さんの指摘するように「国内での南北問題」ってことになるんだけど。(※capabilityについてはこの辺とかこの辺とか参照してください。もしくは自分で調べてください。問題点もあるので)



 で、


 赤木さんの指摘はもっともだって感じなんだけど、たぶんそれってギロンの前提なのでそれ言っても宮台さんとかほかの人は「ふーん」って感じになると思う。揚げ足取りみたいなものなので。


 宮台さんが指摘する雇用の流動性というのは「フリーター(もしくは非正規雇用)がいつでも首を切られる」という状況のことで、赤木さんが指摘する「雇用の非流動性」というのはその前提として「(いつでも首を切られるような)フリーターの位置に固定される」ということを指摘しているに過ぎない。もちろん宮台さんの言説では「雇用の流動性による不安の増大」というところだけクローズアップされる傾向にあるし、ご本人もその部分を強調されて話をされる傾向があるように思うので、そこが切り取られてしまっても仕方ないのだとは思うけど、たぶんそれ系の著書なんかでは前提条件としての「一生フリーター状態」については前置きしているのではないか?(読んじゃいないが)

 ぼくは宮台信者でもないし(むしろアンチ)、この辺りはギロンの本筋ではないのでここら辺で絡んでもらっても困るのだけれど(といちお断りつつギロンを進めていこう)、この問題のポイントというのは「流動性」という言葉に対する誤解というかその多義性(指し示すものが多すぎること)にあるように思う。

 それぞれの文脈で指示している事象ははっきりしているのに、「流動性」というところだけ目立ってなんか誤解されるというかこんがらがってしまうという問題。


 上記の文脈でも「流動性」という言葉だけにとらわれると「あったほうがいい」派と「ないほうがいい」派に分かれるけど、ほかにも「流動性」があったほうがいい状況とないほうがいい状況というのはある。例えば分裂勘違い君劇場のこの辺のエントリとか


「他人の生産性が向上すると自分の給料も増えるのか?」を中学生でもわかるように図解してみました
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070215/1171504603

 あなたの給料が努力や成果とあまり関係なく決る構造を図解
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070220/1171970724


 ここでは労働流動性があったほうが個人の能力が活かせる職場に行きやすいわけだから「流動性マンセー」的な感じでギロンが展開されている。でも、その能力というのを査定できる人がいるのかどうかというのが問題だけど(「それは別の問題だね」って分裂くんも別エントリで言ってたので置く)。

 んでまぁ、「個人の能力だけでは賃金決まらないし、そもそも個人の能力ってなによ?」ってことでゴッドランドに帰ってくるんだけど、この辺は別の文脈で長くなるので置く。

 んで、結論として、上記の文脈では「流動性があったほうがいい」、と。

 

 次に「流動性」と聞くとよく出てくるあの言葉


 流動性の罠(@weblio)
http://www.weblio.jp/content/%E6%B5%81%E5%8B%95%E6%80%A7%E3%81%AE%E7%BD%A0

 この文脈でも流動性があったほうがいいのになくなって損したみたいな感じになってる。

 もうちょっと詳しく言うと「流動性の罠」とは、ミクロ経済学的には、「需要と供給の交換をスムースにするために貨幣はあるのであって、なければないほうが理想」、ってことになるんだけど、本来、透明な媒体にすぎないはずの貨幣がそれ自体として価値をもつようになることによって、人がそれを溜め込んで手放さなくなる状態、だったっけな?(cf.箪笥預金?)

 この文脈でも「流動性はあったほうがいい」ってことになってる。

 

 んで、次に思い浮かぶの貿易関連からネットワークとかデファクトに関わるアレ。経路依存性とスイッチングコストの問題。

 機能的には上回るものでもユーザーが新たな機能を覚えたり、「いつもと違うところから買うのはめんどくさいな」って思うので機能とか価格的に最適ではないものを選択する傾向がある、って話。

 で、機能面(イノベーション)から見ればこれは明らかに損失なわけで「流動性があったほうがいい」という話になると思うんだけど、別の文脈からみると「インターフェースは無理にいじらないほうがいい」ってことで「流動性はないほうがいい」ってことになる(のかもしれない)。




 って感じで・・ってか「流動性がないほうがいいこともあるよ」って事例が少ないな・・。探せばもうちょっとあるのかもしれないけど、いいやめんどい。


 要は、文脈によって「流動性の意味合い(受け取られ方)は変わってくるよ」ってことが言いたかっただけなので。



 ちょっと飛ばして(流動性と似てる)ネットワーク外部性の開放うんぬんの話にしても、「外部性を開放したほうがいい」というフェーズと「外部性を閉じたほうがいい(囲い込み)」というフェーズがあるように思う。最初から外部性閉じてたら顧客誘引できないんだから開いといたほうがいいけど、開きすぎると共有とかコピーの問題、あるいはライバルに外部性をとられすぎるということがある。

 要は最適なタイミングで開き閉じるということなんだけど、その判断はあるなんらかの要因(いくつかの要因)を考慮して変わってくるのだろう。つまり、「要因」によって「外部性を開くかどうか」という判断は変わってくる、ということ。(※「開く」「閉じる」の判断は固定的ではない)

 個人的にはこのタイミングと相転移のタイミングが重なるように思うけど、これはメモ程度に。(あとハブのお引越しとかね)




 まぁ、そんなこんなで「流動性」って言葉の意味合いも場面、場面によって異なってくるので、その言葉だけをとって是非の判断はできないと思うよ、って話でした。




 ところで、こんな感じで「流動性」のみだと誤解が生じやすいように思うので、それぞれの場面にあったキータームみたいなのが作れないんだろうか?「“雇用流動性の不安”の流動性については○○と呼ぶよー「とか「“フリーターは一生フリーター問題”の流動性は○○だよー」とか・・。


 svnseedsさんとかbewaadさんとか得意そうだけど、「はぁ?」とか言われそうだな・・。



 ためしに分裂君にTB打ってみよう(これも「はぁ?」とか言われそうだけど) ⇒ TB受け付けてないな・・。






♪ ダウンタウン・ブギウギ・バンド / 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ




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関連:
資源最適化としての格差社会と社会保障に関して
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/34581304.html


雇用流動におけるアイデンティティー不安と協調の可能性に関して
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35314889.html



posted by m_um_u at 22:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年02月24日

資源最適化としての格差社会と社会保障に関して

 格差社会関連で、またいろいろなエントリが重なってごちゃごちゃしてきたのでまとめておこうと思う。偉そうに上から物申すって感じではなく主に自分の理解用。けっこう参照エントリが多いので長くならないように心がけよう。


 話がけっこう複雑なのでどっからとりかかったらいいか迷うけど、こういうときはやっぱ通時的に行ったほうがいいな。そういうわけで話の流れ的に前段階のエントリへのリンクをいちお


バブルについての覚書き(@muse-A-muse 2nd)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/34552036.html


 すごく大雑把に要約すると、バブル期以前は外国に車とか売りつけて儲けていられたんだけど、外国さまお得意のルール改正で外国から儲けることができなくなって、仕方がないんでそれまでの儲けを国内で循環させて景気を維持してたんだけど、餅を膨らませすぎてはじけ、それを取り繕うためにごにょごによ〜だのうじゃうじゃ〜だのやったけど決定的な回復はしてないね、ってのが現状。

 で、

 資源が少なくなったのでリストラして資源配分を最適化しようとしてるのがコーゾー改革ってやつなんだけど、その流れにケチつけるために野党側が持ち出した言説が「格差社会」ってことらしい。朝日新聞の特集「ロストジェネレーション」もそういう流れの中で出てきたもの、と。

 朝日新聞の特集に対して、一部の人(というか当事者意識を持っている人)が憤りを感じたのはその無神経さというか、記事のマッチポンプ的性質に対して怒りを禁じえなかったって感じみたい。

 以下、lifeまとめwiki「失われた10年〜Lost Generation?」より、メールに対する鈴木氏のコメントを引用

メール。この10年で失ったのは自信。就活の時、自分の長所だけ答えられずに就職浪人。今は再チャレンジの機会をうかがっています。再チャレンジ支援の政策からフリーターやニートが除外されるとの報道に怒りがこみ上げてきた。情報提供元がR25だっていうのが怒りを倍増させる。
R25はリクルートですからね。フリーターっていう言葉を作った張本人。
自信をなくさせておいて、っていうのでいうと、あえて言うと、朝日がやりたいのは、2000万人もいるんだから、政治的意味があるって主張したいんだろう、っていうのはさっきしました。で、その裏にあるのは何かっていうと、「権力と闘おう」ってことだと思うんですよ。『週刊金曜日』の特集、「私たちはどう生き、どう闘うか」っていうのに現れてるけど、要するに、君たち被害者なんだから、僕らと団結して、安倍政権と闘おうよ、って言ってるわけですよ。つうかさ、まずそれがおかしくて、何でお前らに動員させられて闘わなきゃいけないんだよ!って話なんですよ。それこそ戦前と一緒だろ!って僕は思うわけ。動員のために、お前らロストジェネレーションなんだ、被害者なんだ、自信なくしてるんだって、散々言っておいて。俺らが欲しいのは全然そんなもんじゃねえよ!そういう、否定の言葉を並べといて、一緒に闘おうとかってふざけんなよ!って、すごい思いますよ

 
 「フリーター」という言葉が作られた当初は、「あたらしい仕事の形だ(わーい)」みたいな感じで神輿担いでたリクルートが現在ではころっと手のひら返して、「いつまでもフリーターじゃ将来ないよ?」、みたいなこと言ってたり。んで、「ロストジェネレーション特集」とかいいながら「がんばって正社員ならなきゃダメだよ?」みたいな感じを全体に匂わせている朝日。「失った10年で恩恵を受けなかったのは単純に君たちの努力が足らなかったからだよ」、とでも言わんばかりに。もしもなにかを「失った」のだとしたら、その責任は上の世代にあるはずなのに。

 ちょっと前に、近畿大学の就職課のHPに「フリーター、ニートは欠陥品。人生台無し。 復帰できません。2度とチャンスはありません」って書かれてたことが問題になってたけど(参照)、ああいう雰囲気がけっこうデフォルトで世間に蔓延しているらしい。つまり「フリーター / ニートは働かなくて怖いねぇ」みたいなの。で、就職活動で長年フリーターをやってきた人に会って、「ふつうに話ができる人たちだったんだ」、とか言って驚くらしい。

 
 で、話を戻すと、そういった感じで「格差社会論」自体にマッチポンプ的性格があり、一部の人(っていうか経済学者系)はそれを警戒して話を進めてるみたい。以下典型的なものから


「格差是正法案」は格差を拡大する(@池田信夫blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/92e2c979658285d94ba707dd6be72130


 「非正規雇用者の最低賃金引き上げ要求は目先のギロンだ。企業の論理としてはそれによって非正規雇用者雇いにくくなるだけだし」、と。池田センセは典型的な構造改革派のようなのでこういう論調になっているのは分かるんだけど、やっぱちょっとびみょーな感じがする。

 この後、いちお「ワーキングプア的実態に対してはベーシックインカムとか必要だろうけど」、って言っておられるけど。んで、ネオリベな論調としては「(いま企業を優遇して)経済成長によってパイが大きくなれば、だれもが利益を得ることができるのである」、って感じに落ち着くのだろうけど、ぼく的にはこの経済成長のところの実感がない。


 どうやってやるの?(イノベーション?)


 んでも、日本の製造業なんか全体的にイノベーションのジレンマって感じだし、海外シェアでも韓国に押されつつある。あと、ITとかバイオ?でもいまのところかんばしい話聞かないしなぁ。じゃあやっぱサービス業に最適化するって感じなのだろうか?でもやっぱ実感がない。

 アメリカは雇用の60%をサービス業に転換して成功してるっていうけど、これって政治(軍事)的背景を傘に比較優位とってお金溜め込んだ結果じゃないのか?んで、その財を循環してるだけのような気がするが。サービス業を輸出するなりして外国から収益上げてたりするのだろうか?


 んで、次


問題は格差ではなく生産性だ(@池田信夫blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5e9dd31e52079ca896b1dcce4f56cc9f


 文脈的には山形さんとの「生産性 / 賃金」ギロンを受けての流れなので単純に格差社会是正を論じた論調ではないのだけれど、やっぱICT労働のパイが無限にあるとは思えないのでゴッドランド(パイの循環)に戻ってくる感じがする。

 雇用の流動性を上げてIT出稼ぎとかを目指すって感じだろうか?あと、勉強して能力つけろっつってもワーキングプア労働者にはそんな時間もカネもないんだけどなぁ・・。


 池田センセの話をもうちょっとマイルドな語り口にしたのが以下


格差解消も大事だが“成長”と“改革”の手を緩めるな - ビジネススタイル - nikkei BPnet
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/shusei/070222_17th/


 内容はタイトル通りなので特に要約しない。正論だと思うけどどの辺りで成長を確保するかについて書かれていない(内需拡大とか?)。



実は上から下まで大変革の途中であること(@HPO機密日誌)
http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20070224/p1


 資源最適化による本格的な格差社会の到来について。ってか、東京一極集中と雇用格差の状態化へのひできさん的実感という感じ。資源自体が少ないのだから「選択と集中」というオプションは仕方ないとは思うけど(cf.「皆貧乏になるか、成長しているところを優先するか」)。保障は考えないとなぁ(あとアノミーやら反動)



ホワイトカラー・エグゼンプションとイノベーションと格差問題と40年体制2.0、またはこの道はいつか来た道。(@svnseeds’ ghoti)
http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20070201#p1

 「生産性の低下に対して、生産性の高い資源(労働力)の労働時間を増やすことで生産性を担保する、というのはベターな選択。んでも、リストラ(構造改革)に時間かかりすぎるのが心配なので、リフレ政策とってカンフル入れたほうがいいんじゃないか」、って感じか。

 ホワイトカラー・エグゼンプション(以下:「WE」と略記)については「残業代カットで馬車馬労働」のほうがクローズアップされがちだけど、当初のコンセプト通り「稼げるところで稼ぐ」的なものが重視されるといいのかもしれない(関連
(※そのときには労働資源の限界値の問題が生じるだろうけど、割愛)


 てか、あまり馬車馬させたり格差無視して突っ走るとやる気なくなってラッダイト(あるいはサボタージュ)起こるかもね、って懸念がある


ニューズウィーク日本版「格差社会はいいことだ」、やりすぎ(ーー)(@Economics Lovers Live)
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070216#p2



 そういうところには社会保障によるケアが必要なんだけどどういうものが考えられるか。とりあえずたたき台としては以下


NHKスペシャル「ワーキングプアII 努力すれば抜け出せますか」の感想
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/workingpoor3.html

番組総括(ってか内橋さん意見?)として

(1)ベーシックインカムを決める
(2)そのために所得の再分配機能を高める
(3)再分配の原資は税制優遇されている大企業に担わせる

辺りが考えられるのではないか、と。




若い世代に求められる政策とは?(@フリーターが語る渡り奉公人事情)
http://blog.goo.ne.jp/egrettasacra/e/7851259d901e9ad46afbbaef6bbec6d9

 一部抜粋(※長くなるので一部割愛するけど、ほかにもいろいろあるので上記リンク先に行ってみてください)

○若い世代を正規雇用した企業を減税する
これは自民党の機関紙「自由民主」でもとりあげられている。(このあいだ国立国会図書館関西分館に行ったときに読んできた。)


 この辺りは上述(「大企業に担わせる」)に対応

○生活保護基準の切り上げ・拡充
イタリアの生活保護は、日本の幾種類かの生活保護をあわせたくらいもらえる。
また、生活保護を受けたら一日二日の日雇い労働もダメだとか、百万円程度の貯金も持ってはいけないといったことは廃止したほうがいい。


○ベイシック・インカムの導入。
いつもみなが座る席があるとはかぎらない。長年の使い捨てアルバイトのためにスキルが身につかなかったり人間不信が強まることもある。そんな場合にも憲法保障されている18条生存権を護るためには現金が必要だ。



 ベーシックインカム関連だといまのところ以下のエントリをクリップしてる。長くなるので今回は言及しない


バッククラッシュ論争の中の人はゼロサムゲームを戦っているのか?(@アンカテ)
http://d.hatena.ne.jp/essa/20060721/p1

次のビッグイシューはベーシックインカムだ!(@アンカテ)
http://d.hatena.ne.jp/essa/20050912/p1

「WEB進化論」的ネット経済とベーシックインカム(@アンカテ)
http://d.hatena.ne.jp/essa/20060413/p1

ベーシック・インカム(@インタラクティヴ読書ノート別館の別館)
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060806/p3



 んじゃ、イノベーションとまってる先達の対策としてはどのようなものがあるか


オランダ・モデルのワークシェアリング 
http://www1.odn.ne.jp/fpic/familio/familio030_a.html


 赤木さん辺りには「わっわわ・・わーくしぇありんぐktkr」とか言われるだろうけどいちお。「ワークシェアリング」っていうか理念型としてのWEについて。「家族の時間ができてよかったねー」って反面、「愛社精神の薄れ」、「熟練工やエキスパートが育たなくなり製品の質的劣化が起こっている」などの問題もある。あと、実際には掛け持ち労働しちゃうので却って家族の時間が少なくなったり。

 あと、社会保障が過ぎると国の体力が低下する問題がある。そのあたりについてオランダでは基本的に、格差社会常態化して3K労働は外部化(外国人労働者に委託)にしてるみたいだけど、そうすると治安の問題が出てくる。



 社会保障的に厚遇されているということで評判のスウェーデンについて


 効果を失った積極的労働市場政策(@スウェーデンの今 )
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_swe/e/5e5b6928ce3bd69a246f11fa406b1ad6

 スウェーデンモデルの限界。長いので今回はちょっと要約しない。産業成長期にはよかったけど、いまはいろいろ問題が出てきているらしい。関連で


 小宮隆太郎の60年代後半スウェーデン経済論(@Economic Lovers Live)
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070127#p2



 あと、イングランドモデルが良さげとかいう話をみたけどチェックしてない。とりあえず各国の労働問題・社会保障(政策)については以下


独立行政法人 労働政策研究・研修機構/海外労働情報
http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/labor_system_top.htm


国内ではやはりここら辺が資料が多そう


大原社研
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/

ちなみに大原社研の歴史について
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/column04.htm 

関連:石井のお父さん 
http://www.pal.pref.okayama.jp/info/tokubetu/ishii/ishii.htm



 後半、やや急ぎ足になってしまったが、以上が大体のアウトライン。関連でもう一つテーマが絡んできてるけど、冗長になるのでエントリ分けよう。






--
関連:

最近の格差社会論をめぐる諸々 - 「ロストジェネレーション」から(@muse-A-muse 2nd)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/34551889.html

格差の中で生きていく道の一つとして


イノベーションを阻害するもの(@IT Pro)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070206/260881/

一部だけど、あの中国から「共産主義」といわれてたりするらしい・・。

posted by m_um_u at 20:28 | Comment(0) | TrackBack(1) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

バブルについての覚書き

 lifeの「バブルとは」の回での柳瀬さんの説明が分かりやすかったのでメモ。

バブルとは、
<基本的に投機などの見えない儲けが実体経済を追い越している状態>

80〜80年代後半バブルの流れは

(1)車とか家電とかを外国に売ってウハウハ(円安を利用して儲かる)


(2)外国が怒って「日本も同じ土俵に立て」、と言う(プラザ合意)。この段階で決まった為替レート(1ドル=120円ぐらい)がいまも残ってる感じ。


(3)それまで円安を利用して外国からの収入で儲けていたのが儲からなくなる(工場なんかが設備投資とか控えてなんか貧乏げ)

(4)仕方がないので金利を下げてお金をいっぱい借りれるように誘導する。(⇒内需拡大目指す)


(5)お金を借りてお金持ちになったけど投資先がない(この段階の日本で大体の商品が揃ってしまっていたので設備投資先が見つからない)。仕方がないので「そのうち利益が出るであろう」土地とか株とかに投資する(⇒含み資産)。

(6)「そのうち利益が出るであろう」ところへの投資が積み重なって名目上とんでもない価値になってるように錯覚する(ex.「東京の地価でアメリカ全部が買える」)




そんな感じ


はじけたところの経緯は聞いてなかったけど、実体経済がないのだからはじけても仕方ないなぁ、と。


あと、面白かった点として

・バブルの恩恵を受けたのは土地や株式などの投機財を持っていた一部の人、もしくは一部の管理職ぐらいで、それ以外の人にはそれほどのバブルの影響がなかった(その意味では格差社会)。


・「バブル」のイメージとして「ジュリアナ」とか「お立ち台」「扇子」なんかが挙げられるが、実際にあれらの流行が訪れたのはバブルがはじけた後だった
(※「ジュリアナ」ブームは90年代、バブルはそれ以前にはじけている)


・初めてバブル(bubble economy)という言葉が使われたのは1700年代のイギリスの経済動向に対して。有名なバブルの例として「チューリップバブル」(オランダ)なんかがある。チューリップの価格が土地の価格よりも高くなったらしい。






んで、

流動性の罠(@Wikipedia.jp)


量的緩和政策
(@Economic Lovers Live)



翻って現在の状況を見ると、

(1)設備投資を促すように税制を優遇

(2)ビルを建てさせるために税制を優遇(※2011までだっけ?)

(3)ゼロ金利 ⇒ 日銀による金利引き上げ(お金が巷に流れなくなるの?)
cf.
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070222#p1



--
追記:
池田センセのところでバブルがはじけた経緯(とその後の流れ、1985〜2003)についての経済学的説明が出てたのでクリップ
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/357f4c9da91b0a900f22efcc27328f03


裏はよく分かんない



タグ:日本社会
posted by m_um_u at 12:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク

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