2011年05月10日

夜を愛し、余すところなく死んで、三位を統べる



人は、

イドの子として受肉し、

赤い帳を経てまた闇に還る。




死の耽溺は母なる闇への回帰に似て、

甘い乳香を漂わせながら、

悼人をつかんで離さず




ノヴァーリスの「夜の賛歌」を自分なりに解釈しつつ翻訳していたら浮かんできた言葉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9


夜の讃歌―他3篇 (岩波文庫)
ノヴァーリス
岩波書店
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内容としては最愛の良人ゾーイーを亡くしたノヴァーリスに下った天啓のような言葉


彼の悔恨、自責、人生と神、存在全体への問いのようなものが聞こえてくるようなそういう圧力をもった言葉の群れ

http://morutan.tumblr.com/post/5225311673






良人の死によって世界のすべてが暗闇に閉ざされた永遠の夜



世界の理が崩れ、目の前の現実がぐにゃりと歪む


それに恐れおののきつつも受け入れ


母の胸に還るように耽溺していく




(現実が崩れた)窓の外に立つ大樹は


青白き肌に産褥の血の反照を受け


そこに、(二人の間の)失われた嬰児の姿が映しだされる。




(秋にもかかわらず)このように生ぬるい夜には


昼間の、風に揺れるコスモスが如くな虚妄は破れ


日々の暮らしの中で化石層のように歳を積み重ねている若者たちも


母親の乳房をまさぐっていた時期の純然たる生の悦び、淫猥の皮膚感覺をとり戻し


仄暗き洞窟に顔を埋め


暗渓たる欲情が心を流るるに任す





降誕祭のこの聖なる夜


天鵞絨の黒衣に彩られ、臭い油の香油(にほひあぶら)ににおい立ち上る聖なる夜


(我と我らの子たちも新たに生まれなおしました)





どうか……



その喜びと悲しみに涙するわたしの右頬を


御身の胸に預けることを赦したまへ




Terminal Arts of Sein und Zeit: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/199659522.html










「コスモス」と「降誕祭」だと季語-時期が違うように思われるが


おそらくはカルナヴァル的な捉え方



待降節とクリスマス(降誕祭)
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/christmas.htm

教会では、クリスマス(降誕祭)の4つ前の日曜日から、クリスマスを準備する期間に入ります。カトリックでは、この期間を「待降節」と呼んでいます。



精神は、あまり繊細でない感覚を媒介として、魂をガルヴァーニ化する。精神の自己活動とはガルヴァニズム―瞬時の自己接触―である。(注:ガルヴァーニ化=「刺激を与えて瞬時に生命活動を引き起こすことのメタファー」。訳者注より。) 『断章と研究』

http://twitter.com/Novalis_bot/status/66643399436021761


Togetter - 「フィリップ・ヴァルテール、「中世の祝祭」 からのちょっとおもろい話メモ」
http://togetter.com/li/117258



良人はコスモスの時期に亡くなって、降誕祭をカルナヴァル全体としてみれば、自分の天啓も含めて時期が重なった、ということだろう。


良人は、あるいは二人の間の失われた子は、嬰児として天啓のヴィジョンをとり、うしなわれた二人の未来、時間と共に生き続けていく。






それは「死」(タナトス)への耽美的な誘惑をたたえつつ

天啓として寄り添うことでノヴァーリスに力を与えていく


(そして嬰児を介した天との契約に基づいて、ノヴァーリスは神に至る規律を守っていく)

http://favolog.org/tweets.cgi?id=m_um_u&w=Novalis_bot&k=user




TASZエントリ後段に配したスターバト・マーテル(聖母哀傷)はノヴァーリスが哀傷と再生の通奏低音




「余すところなく死んで、その反動でさらに大きく生まれ直す」




その緊張と哀しみが全体を包む




過去の自分、その周辺の過去の人々への別れとあらたな始まりの予感


kiss me good-bye
http://bit.ly/emy4on






「余す所なく死ぬことで、あらたに受肉する」





過去の自分、現在の自分、未来の自分が三位一体として再誕する




三位一体 - Wikipedia
http://bit.ly/lYp1aE

翁のあらすじ
http://www.k2.dion.ne.jp/~t7d7/okinaarasuzi.html



父と聖霊と子



翁と平面と荒神


過去と現在と未来


超自我と自我とイド






--
全体のゴシック耽美な色合いはタニス・リーの雰囲気、空気感に近いように思った



闇の公子 (ハヤカワ文庫FT)
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あるいは、それを踏まえた「ベルセルク」(3rdまで)


Togetter - 「ベルセルク」
http://togetter.com/li/133003




カラスの女王も


Rebecca Horn    性と生の超越: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/133818125.html


タグ:TASZ
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2011年05月06日

実践(プラクシス)について



「思想が教条的で生活から離れたものではなく、生活に根付いたものであるためにはどうしたら良いのか?」

「その際、一旦『知』が生活に寄り添ったとしても、なんらかの慣性のようなものが生まれ『知識のための知識』のようなゲーム的現象が生じる。これに対するにはどうしたら良いのか?」




こういった問題は古代ギリシアからの連綿とした課題のようで




実践 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E8%B7%B5



おーざっぱに「実践(プラクシス)」と「観想(テオリア)」、「ポイエーシス」の問題とされる。

ここでのポイエーシスはアリストテレス的には「実用的な制作」とされるそうな。

いまだったらアーツ・アンド・クラフツや民芸的なそれに当たるだろうか(あるいは田中泯さんの舞踏とか)



『以上のテオリア、プラクシス、ポイエーシスの三区分は、後の西洋思想の大きな枠組みとなる』



西欧語では、"practice"(英語)、"Praxis"(ドイツ語)、"pratique"(フランス語)などとされる実践概念は、そもそもの出自はギリシア語で「活動」を意味するプラクシス(πρᾱξις)なる語にたどり着く。プラトンやアリストテレスなど、古代ギリシア哲学では、プラクシスをテオリア(観想)に対立させて理解した。すなわち、テオリアはロゴスによって永遠なる神やイデアを観想するものであり、プラクシスは流動的・一時的な感覚世界に属する人間の行為全般を捉えるものである。さらに、アリストテレスは、自然環境を対象とするポイエーシス(実用的な制作)との対比から、プラクシスを、人間社会を対象とする公共性を有した精神的な倫理的・政治的実践として捉えてもいる。

古代ギリシア哲学では、テオリアが重視され、実践はテオリアに奉仕するものであるとされたが、いずれにせよ、以上のテオリア、プラクシス、ポイエーシスの三区分は、後の西洋思想の大きな枠組みとなる。





実践と観想についてはそのままアーレントの議論ででてきた話になるだろう



仲正昌樹、2009、「今こそアーレントを読み直す」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/188110008.html



ここでのポイントは


「実践とはいいつつも、特に考えもなく運動のようなものに参加することが果たして理知的といえるだろうか?」

「では観想し然るべき時機を待つとして、『然るべき』の判断基準とはなにか?もしくは『観想』それ自体に積極的な意味はあるのか?」


みたいなことだった



こういった志向は中世にも持ち越されていったけど宗教改革をはさんで状況がかわった、と。


「実践」が「労働」と結び付けられることになり、そうすると合目的性がでてきたとかそういうこと。


「仕事」(ざっへ)ではなく「労働」ということ。そっちに流れていってしまう



中世キリスト教世界でも、基本的に、神に対する観想生活と世俗的な労働生活とを対比させる図式が続いたが、宗教改革の時代に入ると、倫理的な実践と労働とを結びつける考え方が広がり、さらには、フランシス・ベーコンの産業的実践論など、自然を対象とするポイエーティックな実践と理論的認識とのつながり(相関性)が自覚され、やがて、自然科学における理論と実践が、物質/精神のデカルト的二元論のもと、形而上学的思弁から切り離されていくことになる。




そして、この傾向…「( ゚Д゚)<近代は (神学などのすぐ役に立たない)形而上学を 超える」はプラグマティックな実践への希求として現れてくる。

この傾向は後年、ウェーバーが大学における知のプラグマティズムへの即物化傾向を憂いた話とも重なる。


Togetter - 「M.ウェーバー、1919、「職業としての学問」」
http://togetter.com/li/131779


近代に入ると、如上の自然科学の方法を人間社会に適用しようとする動きが出始める。これに対して、カントは、あくまで実践(プラクシス)の中心を道徳的な実践理性に従う倫理的実践に求めた。つまり、実践理性を、感性的・経験的動機に規定されるプラグマティックな理論理性による実践と区別し、科学や技術の進歩によっては支配されない主体の自由を強調したのである(実践理性の優位)[1]。そして、こうした自由な道徳的実践が人間性の完成として結実する「理性の王国」が、人間の歴史的実践の目的とされた。





そして、


こういった「形而上の知ではなく生活に役立つ知を」「実践の中での知を」「実践とはなにか?」といった文脈から、マルクスにおいては「労働」がそれに当たる、と仮定されていく

基本的にヘーゲルの精神の現象学における弁証法、理性と実践の往還を踏まえつつ。

(私見では、そこで積み上げられていく精神の位階(≠実存の位階)はマズローの承認の五段階欲求にもアナロジー的には対応するように思われる。ただ、両者ともその段階に入る以前に白紙状態(還元)によって世間への偏見を削っていってないと、精神は積み上げられていかないだろう)


こうしたカントの理論理性と実践理性の二分法に対して、マルクスは、歴史を「理性の自己運動と実践的な自己実現の弁証法」の過程として捉えるヘーゲル哲学[2]を徹底させた。そして、物質的世界に対する労働実践をあらゆる認識と運動の根拠として、「労働の解放」と「労働からの解放」を主張するに至った。マルクス主義における革命的実践においては、実践によって理論が生み出され、理論によって実践が調整され組織化されるという「理論と実践の統一」があらわれるとされ





「実践とはなにか?」は一旦このように「労働ではないか?」と仮定されたがどうも座りがわるかった。


そのためその後も「実践とはなにか?」「生活の中で知が歪まないためにはどうしたらよいのか?」「知がそれ自らに『知識のための知識』を希求し、生活的実践に役に立たなくなっていく流れがあるのではないか?」といったテーマに基づいた思考は続いていく。


いわゆるプラチック / プラクシスをめぐる論争?のようなものもそれに当たるのではないかと思われる。



1960年代以降、フランス構造主義の展開のなかで、ドイツ語のプラクシス=実践(Praxis)とフランス語のプラティック(プラチック)=慣習的行動(pratique)の差異が問われることになる。たとえば、レヴィ=ストロースは『野生の思考』のなかで次のように述べている。

概念の図式が慣習的行動(プラチック)を支配し規定している、と私が言うのは、時間的空間的に限定され、かつ生活様式や文明の形態について弁別的な非連続的事実という形で民族学者の研究対象にされている限り、慣習的行動は「実践」(プラクシス)とはいっしょにはできないからである。「実践」とは―― 少なくともこの点では私とサルトルの見解は一致するが――人間科学にとって根本的な全体なのである。[3]

問題なのは、近代主義的、マルクス主義的な認識においては、目的意識的に実践化されていないプラティックは、支配に抑圧された無目的なものとみなされ、単純に乗り越えられるべきものとされてしまう点にある。アルチュセールやフーコー、ブルデューはこうしたプラクシス概念を嫌い、しかも客観主義的構造主義を離れ、あくまでプラティックの有り様を探究し続けた哲学者、社会学者として位置づけられる




マルクス主義においてはプラグマティックな「労働」が「実践」に当たると仮定されたが、それはより上位の目的志向性(理念)におけるhackがなされていないため、その部分での恣意性の慣性を抜け得ない、という問題


データ中心主義と「そもそもそのデータはなんのためにとられ、どのような観点から実験と考察の有効性は判断されるのか?それはどのようにhack可能かとえるのか?」といった問題と似ている

Togetter - 「「論述 vs. 実証?」  論述系における「濃い記述」の話」
http://togetter.com/li/128650



そして、そのような実践、実践の目的性を上位で統制できない実践は、実践の中で「それ自身」が自家中毒的指向性を有するのようになるのではないか?たとえば、知識化、言語化される以前の身体技法的な慣習のようなものにも一定の形式性にもとづいた指向性が含まれていくのではないか?と仮題される



こうした文脈では、"practice"や"pratique"を実践と訳すことはできないが、多くの邦訳書籍では、この差異を無視して一律に「実践」と訳されていることが多い。たとえば、ブルデューは次のように述べている。

一言指摘しておきますが、私はプラクシスという概念を用いたことは一度もありません。この語は、少なくともフランス語では、――かなり逆説的なことですが――いささか理論的誇張法の気配を帯びており、青年マルクス、フランクフルト学派、ユーゴスラビア・マルクス主義などのように、マルクス主義を洒落たものにしている言葉なのです。私は常に、単にプラチックについてのみ語ってきたのです。




レヴィ=ストロースは日常生活における身体の運用の一定の形式=「身体技法」的なものを単純に「知識の慣性を抜け出すための希望」のようなものとして捉えていたように思われるのに対して、ブルデューは「身体技法的なものにも一定の慣性があるのではないか?」と疑念をもっていたように思われる

http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/43/talk_index.html



こういった流れはたとえばドイツ、フランクフルト学派にも受け継がれていった。


他方で、旧西ドイツでは、1970年代に入ると、リーデルらの「実践哲学の復権」の流れがみられるようになる。この背景には、実証主義的な近代認識論において、客観主義的な理論概念の台頭のもと、実践は主観的・相対的なものであり、せいぜい理論の応用という技術的な問題に切り詰められてしまったという危機意識があった[6]。

こうした流れを背景に、ユルゲン・ハーバーマスは、プラクシス/ポイエーシスの区分をコミュニケーション/労働の区分に置き換え、理論や道徳の基礎にコミュニケーション行為を位置づけ、実践概念を再構築する試みを行っている。




ハーバーマスがプラクシス(実践)をコミュニケーションに見出したのは「生活の中で役立つ知識」は生活者との実際的対話を通じてしか確認し得ないことを言わんとしていたのではないか?

ご高尚ですばらしき形而上な机上の空論ではなく、実際に、生活者の言葉と対峙してみて、煙にまかずに対話ができるかどうか?生活と人生全体における実践的な意義が哲学・思想に見いだせるかどうか?死を前にして哲学・思想的課題や思考が有効性を持ち得るかどうか?



それはまた、労働という実践(修行)を通じたそのひと本来のあり方、その人の居場所や願いの在り処の問題への気づきとも関わってくる。


Togetter - 「\ ドーピングコンソメ 二郎ラード夫妻の/\(^o^)/\ 完成である/」
http://togetter.com/li/127972

サヤカノキモチ  「善意」の内政不干渉について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/192656763.html


簡単にスポイルすれば「自分探し」がこういった問題の端緒になるが

その系から生じる実存(自分の望むべき姿、社会と自分との対話を通じた『なりたい自分』の姿、自分がほんとうに落ち着ける場所)への気づきがそのまま人のポイエーシス(本来あるべき姿)の発動となる



Togetter - 「「ヤサシイワタシ」」
http://togetter.com/li/129708





こういった真摯な対話を通じた理性と知性、生活者への愛情を基軸とした理知は最終的に人文知、というか自由七芸が希求してきたいわゆる真理の形「真善美」の階梯を登るに至るのではないだろうか

真理というよりも「そのものの本来の姿」(ポイエーシス)であり、それに還ることがそのままエロース(生の根源的悦び)である、ということ


Togetter - 「緑の座から「真水をくむ」ということ」
http://togetter.com/li/131170








--
※形式と内容(知が形式化して実践から遠ざかっていくことについての本blogでの試考の過程)


テレビ」化するネットの傾向と対策(仮)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/91095727.html


意味以前へ  Martin Creed展にいってきたよ (reprise)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/122569128.html


続「小林秀雄の流儀」  「実生活と思想との間でバランスを保つ」ということ
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/123045927.html


「仏もまた塵であり神は細部に宿る」な話
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/183208298.html


ようやく「ホンモノ」がなんだかわかったような気がする、というような話 ( ポイエーシス/アウラ/ピュシス(仮)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/195251618.html





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2011年04月11日

ようやく「ホンモノ」がなんだかわかったような気がする、というような話 ( ポイエーシス/アウラ/ピュシス(仮)

Togetter - 「「ゴドーを待ちながら」  誰も座れない椅子に座るのは誰?」
http://togetter.com/li/120932
 



先日、六本木に倉俣史朗ほかの展示見に行って、目当てはミスブランチだったのでそれをガン見して帰ってきた。

ほかの展示はそれほど満足せず。てか、最初からあまり眼中になかったからいいんだけど


それで、なんとなくつぶやいてたら反応とかあってたまったのでまとめたのが上記



最初の考えでは


「ミスブランチは永遠を表している」

「止まる、浮くというこの世の法則に抗するような表現がそれを示唆する」

「『永遠』とは自然界の法則を超克する神の法である」

「神の法、イデアの影は万物の内側に宿る」


という感じだったんだけど、


ついったー上で対話してるうちにどうも、そういうのとは違った感覚、実感のようなものがあるのではないか?と思いとどまった

こういうのは教条的に「えらいひとの言葉」に従うよりも、与件のない、感覚の鋭敏な現場の人の言葉のほうを信じるので。




対照として


彫刻などの立体芸術に対する感覚を、同じような立体表現としてのダンサーのひとに聞いてみた


ここでもやはり「ものの外辺に目が行く」という話


両者のニュアンス、理由は若干ちがったけど




2人とも「外に宿る」・・・・と?




そこで、元来言われていた「アウラ」(ヴァルター・ベンヤミン)というのは内部からのポイエーシス(事物本来の姿の現れ)ではなく、ものの外辺に漂うものなのかなぁ、って


「神は細部に宿る」とか「良いモノというのは自分で創っていくのではなく内部から現れてくるようなものだ(仏像の内部から)」とか「キャラクターが勝手に動いてくれる」とか



以前からなんか「ホンモノ」って言葉にこだわりつつ、関心空間なんかで「これはホンモノ?」みたいなこといってたけど、あの頃はまだわなび感があったように思う

他人様が「ホンモノ」って言葉つかうのカッケーって感じで

青山二郎かなんかの批評筋なんかから出てきた言葉(あるいはそれ以前から継がれてきた言葉)だろうけど


でも、

「ホンモノとはなにか?」というのはけっきょくわかってなかった


なんとなく「みんなに持続的に認められるような素養のあるもの」ぐらいな感じだった



そういうことではなく、おそらくはポイエーシスとの関係


表されたモノ、あるいは表すモノ(人)の内部からの「本来の姿」への発動のようなものが感じられるとき、それは「ホンモノ」になる

格というか、単に情報量が変わる感じ

詩とか詞なんかわかりやすいけど

自分の内部の問題を昇華したもの、自分の言葉で対照化・反省・消化・昇華していったものというのは本気の度合いが違う

どっかでいわれてるいわゆる「強度」というのはこのあたり(本気の度合い)。要するにコミットの度合い

てか、その本気度によって芯の部分ができるので、あとは知識とかデザインとかで装飾していけばいいだけ


より分かりやすく響くように(あるいは、内容は理解されなくてもなんとなくその外辺は共有されるように)


自分の内部の問題の発露 = そのときメディアとして使用されるモノの本質 = ポイエーシス = 神 となる



芯があることで作品や表現全体にくっついてくる情報量が変わる

それは文脈だったり、芯の部分が抱える問題の複雑さ・繊細さを補うための意匠だったりする

修辞というのも本来は後者のように思う(cf.レトリックはローマの討論術における聴衆への感情に訴える術だったようだけど)





それが「ホンモノ」であり「強度」ということ


考えられた時間、思考の系の複雑さ、それによってまとわれる総体的な情報の量、形式知化するために要する文脈・既存の言葉の多様性・多層性


「ホンモノ」の中で、一見極限まで省かれた作品というのはその内部にそれだけの文脈の多層性・多義性の予感をもっているから、だから「ホンモノ」の迫力がある

(てか、もはや「ホンモノ」って言葉もチープだが)



それとは違って、


単にホンモノを表すために用いていた修辞や意匠の外装のみをなぞり、それらを元来の文脈が持っていた「意味」から切除し、記号的にブリコラージュして混ぜっ返したものというのは「表面的には似ていても中身のないもの」ということで気持ち悪いし意味が分からない。。

内容がないので

そういったものの連続が「シミュラークル」(ポストモダン的リアリティ)

いわゆる「やおい」というやつ

シミュラークルとかポストモダン全体が「やまなし おちなし 意味なし」なのだ(揶揄でもなく)


これに対しては「意味があるかどうかなんか感じ方次第じゃないか」「解釈の多様性は認められるべきじゃないか」って相対主義が出てくるだろうけど……文脈ずれて説明めんどくさくなるので今回は省略。簡単にいえば「意味はあるのに省いてるのはそれが『わからない』ことの言い訳」ということ。すくなくとも「ホンモノ」に対しては




で、


そんな感じでモノの内部からホンモノは現われるものと思っていたんだけど、外部にも宿る、と


それは少しいったようにポイエーシスな感覚を一般化するために凝らす意匠・修辞の問題とも関係があるのかもしれない


ポイエーシスにつながる外辺ならなにがしかの気配がある、というような


それが「アウラ」ということなのか?(弁たんよ)


ヴァルター・ベンヤミンbot (w_benjamin_bot) は Twitter を利用しています
http://twitter.com/#!/w_benjamin_bot


あるいは、

「内部からの発露」、「外部における気配」その全体の「現れ」をさして「自然(ピュシス)」というのか?


後者はまだぜんぜんなんも読んでないので単なる勘だけど


cf.自然についてはなんとなくわかったような気がしたのでちょっとなんか言った(一番下辺り)


Togetter - 「竜と龍、肉食、稲作の普及の背景なんかについて」
http://togetter.com/li/120350





個人的には「いまだったらいままで解らなかったものが解るような気がする」という期待と予感がある。半ば自負のような

詞や詩、アーティスティックなもの、なんか難しげな本

創った人の背景が分かってれば、抽象配列を理解すればなんとなく解る




その感覚がなくなるのか、このまま持続していってくれるのか分からないけど

できるだけいまのうちに理解しておきたいと思う



--
関連:
「仏もまた塵であり神は細部に宿る」な話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/183208298.html



posted by m_um_u at 06:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク

2011年03月10日

ヴァルプルギスの夜のもともとの性格とヨーロッパの一年の感覚、あるいはハロウィーン、日本の盆・彼岸などとの関連についての妄想

まどかマギカ関連で、ついったで「ワルギルプスってなんやろ?ワルキューレ → ニーベルングの指輪かと思ってたけど」とかいってたら「それはヴァルプルギスでは?」みたいなこといわれてぐぐったらこんなの載ってて


ヴァルプルギスの夜 - Wikipedia
http://bit.ly/eny1gc

歴史的なヴァルプルギスの夜は、異教の春の風習にちなんでいる。ノース人の風習では、ヴァルプルギスの夜は『死者を囲い込むもの』とされていた。北欧神話の主神オーディンがルーン文字の知識を得るために死んだことを記念するもので、その夜は死者と生者との境が弱くなる時間だといわれる。かがり火は、生者の間を歩き回るといわれる死者と無秩序な魂を追い払うためにたかれ、光と太陽が戻るメーデー(5月1日)を祝うことにつながる。




まどかマギカ的な意味としてはたぶん「ファウスト」に出てきた「ヴァルプルギスの夜」であり単純にサバト的なものを想起させたり、あるいは「ファウスト」からのインスピってのを匂わせるための記号的な使い方だと思ったんだけど

「んじゃヴァルプルギスの夜ってなんなん?魔女なんかいるわけねーし」ってことで見てたらメイデーとの関連ということで謝肉祭周りなんかもキリスト教(ピューリタン)から蔑まれたなぁみたいなこと思い出したのでその辺かな、と







まあ、それ自体はわりとふつーのローマ(ラテン)によるケルト・ゲルマン文化の習合化(cf.聖人として取り込み)当たりかと思ったんだけど、自分的に「メイデーも太陽復活祝うって書いてあるけどなんなん?」って思ってそこからぐぢぐぢと…


冬至を太陽の復活とするところは汎世界的にあるとおもうんだけど、その逆の夏至周りってのがよくわからなくて


まぁその前に「冬至」の意味について



身体感覚的には冬至の時期あるいはそれ以降というのは一番寒い時期なんだけど、日時計的には冬至を境にして日照時間がだんだんと長くなっていく。

なのでイギリスのストーンヘンジにも日時計があって冬至を祝う祭りをする



ストーンヘンジ と 繁栄のエッセンス♪ - BlueOcean ペタルトーン・ダイアリー
http://blog.goo.ne.jp/blueocean0358/e/1d92d667614a386c591880b03e8d6af9

ストーンヘンジは、夏至の日の出と冬至の日の入りにあわせて建造されているそうで、紀元前3000年位から古い歴史に包まれているこの遺跡は、ドルイド教の神殿説や天文台説、ヒーリングスポット説など、今でも多くの謎に満ちています。



冬至を境にして生の世界へ、夏至を境にして死の世界へ還っていく

生の世界のウッド・ヘンジ(サークル)から死の世界のストーン・ヘンジ(サークル)へ


あるいは死と生、月と太陽が入れ替わる


英国ソールズベリー平原 「ストーンヘンジ・環状列石」
http://203.181.59.80:48676/shares/www/2009htm/iron5/0912igirisu00.htm



年間をとおしていうと夏至祭り(メイデー)もすんだ5月頭からハロウィーン前ぐらいの10月終わり(あるいは11月あたま)ぐらいまでは「生きてる時期」って感じだったのだろうけど、残りの11月から5月の半年ぐらいは「寝てる時期(死の時期)」って感じだったのではないか?

ローマ暦で段階的に調整されるまで1月と2月なんて暦もなくて「ないもの」扱いだったし。
http://bit.ly/f3MIvz



太陽の死の頂点(冬至)を迎えて生者の肉体(ソーマ)は眠り、その魂(プシュケー)は生の世界への旅に出る

太陽の生の頂点(夏至)を迎えて死者の肉体(プシュケー)は眠り、その魂(ソーマ)は死の世界(イデア)へと還っていく




ちなみに日本の北方にもストーンヘンジはある






ハロウィーンももともとそういう性格のもの


ハロウィン/Halloween( 意味と由来 )
http://www.soumei.org/contemporary-artist/superstition/halloween.html


此岸と彼岸が合わさって死者が蘇ってくるもの

こちらは冬至というか秋から冬至までのびみょーな中間期間であり、日本で言うと秋前の彼岸とも言えるだろうけど



ウィッカ - Wikipedia
http://bit.ly/gBtG6T

ケルトでは、春分、夏至、秋分、冬至の quarter day (=四季の分け目になる) の中間に クロスクォータデイ cross-quarter day (=季節の盛りになる) をおき、春分と夏至の中間を Beltane、それ以降同様に Lammas、Samhain、Imbolc と呼ぶ)





おそらくハロウィーンの夜、死者の魂があの世から蘇り「体をくれないと勝手にもっていっちゃうぞ?」と脅す。「じゃあ、仕方ないね」ってことで体の代わりにソウルケーキをあげる。キリストの血と肉、お葬式と葬式饅頭


これは季節の移り変わりの時期を境(さかい)とした「祭り」と言えると思う。


境では此岸と彼岸が、現世とあの世が交わる。(cf.「ぼんやりとした橋の向こう、トンネルの向こうからの呼びかけに応じてはいけない」)



日本のいわゆる「お彼岸」も春分と秋分、一年で昼と夜の長さが同じになる時期、つまり昼と夜の境界に設定される

http://www.ffortune.net/calen/higan/higan.htm





ハロウィーンは新暦の10月31日に行われるけどケルトのころの実際感覚としてはSamhain(ハロウィーン)が1年のはじまりだったらしい
http://www.fuzita.org/wldculture/scotland/beltane.html


で、

もともとの意味(季節感)としては冬至だったはずなんだけど昔の暦では11月とされていたのでそのまま踏襲していまの11月に行事を行ってるのだろう、って見方もある
http://www2t.biglobe.ne.jp/~shin/kyoro_room/erin/calendar.html



まぁ11月から12月の冬至までのマイルドな秋→冬移行期ということだとは思うんだけど



同様のズレは日本の御霊迎え期間にもある


「七夕は旧暦で7月7日なのであって新暦のそれではない」という例のあれ。
http://sao.seesaa.net/article/47151088.html

新暦にすると7月の25日から8月の25日までマイルドにズレたりする
http://homepage2.nifty.com/turupura/new/new0508_01.html


つまり新暦換算で7月7日から8月25日まで、最大で1ヶ月と18日ずれる。


簡単に言うとこの期間全体が「お盆」ということになる




こんな感じで旧暦の精度の問題と旧暦と新暦のズレの問題、あるいは暦は替わっても時季ではなく数字的暦にこだわって旧暦のまま行事を送ったりすることがチラホラある。


そこからすると「お盆」も夏至祭の一環といえるのではないか?


「お盆」の元といわれる「盂蘭盆会」自体はインドからの風習で日本で習合した理由としては「この時期には西方浄土(インド)にもっとも太陽が向きやすい」みたいなもっともらしい理由もちらっと見たけど、もとは正月(冬至?)の対角としての夏至祭の一環ではないだろうか?


8月15日から数えると苦しいけど、7月7日から1ヶ月ちょっと引くと…(まぁそれでも現行の夏至にはちょっと遠いけど)




てか、ケルトに従えば夏至から秋分の間、「Lammas」ということになるか



Lammas Day
http://mirahouse.jp/month/20050801/index.html


愛知ソニア 女神たちのパッチワーク:Lammas
http://sonia.thd-web.jp/e823.html


8つのサバト  8 SABBATS
http://homepage1.nifty.com/wicca-mirai/sabat.htm


小麦の収穫祭、と


対角としてImbolc(インボルク)が設定されこちらも重要な火祭りのひとつ


スコットランドの伝統行事・Imbolc
http://www.fuzita.org/wldculture/scotland/imbolc.html


4つの重要な祭りが種の「芽吹き→成長→収穫→種まき」のそれぞれの時季ごとに設定される

2月1日が Imbolc(インボルク)、5月1日が Beltane(ベルテインとかベルテン cf.メイデー)、8月1日が Lughnasad(ルーナサド,Lammas)、11月1日が Samhain (サーウェンとかサーウィン, ハロウィーン)



ここでまたびみょーなんだけど

2月は暦的には春節のそれであり旧正月を想わせる。11月のハロウィーンは季節や農耕の意味的には1年の終わり/始まりという正月的意味合いになる。






すこし混乱してしまうわけだけど、農耕を軸として機能主義的に考えると11月のハロウィーン(Samhain)が終わりの始まり(新年)なんだけど、太陽信仰という文化・宗教的側面から考えると冬至が新年の起点になるということだろうか。

太陽信仰は農暦的な機能主義的な面から取り入れたようにも思われるけど、それとは独立して文化的側面から持ち上げられていた可能性もあるというか…。






なんか獺祭な感じになったのでまとめると、



・ヴァルプルギスの夜はメイデー


・メイデーは春分と夏至の間の祭り、Beltane(種籾の成長期の火祭り)の変化したもの


・Beltaneを含めた4つの火祭りは小麦の成長における「芽吹き→成長→収穫→種まき」の4節に設定される


・冬至/夏至、その中間点としての春分/秋分は太陽(日照)を軸に設定される


・冬至や夏至、春分や秋分には太陽信仰的側面があり、「境」にまつわる此岸/彼岸、生と死の交換的意味合いが含まれるように思われる。


・冬至から夏至までは生者は眠り死者は蘇る。夏至から冬至までは死者は眠り生者が蘇る


・機能主義的農暦を中心に設定されたと思われるBeltaneほか4つの火祭りにはそのような宗教的側面は含まれないように思われるが、Samhain(ハロウィーン)には死と生の交換的意味合いが含まれているような


・日本の彼岸、盆などは日本独特に思われるが性格的には春分・秋分のそれであり、ハロウィーンのそれにも近い。季節の境界を巡る祭りっぽい



もちろん「ヨーロッパ基層、日本基層、インド基層辺りの話をおーざっぱにつなげすぎ」ってのはあるんだけど、機能的にみるとわりとこういった習俗は汎用性があるように思っているので



以上を総合するとやはりBeltane−メイデーーヴァルプルギスの夜にもあの世とこの世の「境界」を巡るシンボリックな側面があったのではないか?2ヶ月のブランクは暦のズレから説明できるのではないか?と思うんだけど…

まぁその辺はこの本でも読みつつボチボチ確かめていけたらと思ってる



中世の祝祭―伝説・神話・起源
フィリップ ヴァルテール
原書房
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とりあえずヴァルプルギスの昼の面(メイデー)としてはメイポールの周りをメイクイーンとメイキングがグルグルと周るのだな

それは機能主義的視点から見れば「男根の周りを処女と童貞が回って成長を促す」という農耕における豊穣・労働力としての出産の期待の象徴的行動とも言えるだろうけど、「大人と子供の間」の少年少女が自らのモラトリアムを謳歌しつつ素直に成長への期待を表した祝祭にも思える


大人たちはそんな子供たちをみつつ


「時よ止まれ!汝は美しい!」


と思うと同時に健やかな成長を期待する











「ママ、明日はぜったいちゃんと起こしてくれないとダメよ? 

 明日は一年で一番しあわせな日、一年で一番うれしい日なのよ

 だって、わたしはメイクイーンになるんだから

 わたしがメイクイーンに選ばれるに決まってるんだから」



You must wake and call me early, call me early, mother dear;
To-morrow ’ill be the happiest time of all the glad New-year;
Of all the glad New-year, mother, the maddest merriest day,
For I’m to be Queen o’ the May, mother, I’m to be Queen o’ the May.


http://bit.ly/erWEDC



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2011年02月19日

網野善彦・鶴見俊輔、1994、「歴史の話」

あまり期待せずに読み始めたんだけど結果的にけっこう収穫あったので箇条書きでメモ的に


歴史の話 (朝日選書)
歴史の話 (朝日選書)
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網野 善彦 鶴見 俊輔
朝日新聞社
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オラが読んだのは旧版の単行本、1994発行の3刷だったけどリンク先のは網野さんが亡くなって選書で再版したもので鶴見さんのあたらしいあとがきが付いている、と。


全体的に、アクセントがあったように思ったところ、印象に残ったところというと「『正義』とか『正しい歴史』とかなにかを決めてしまわないこと、決めてしまうことで漏れていくものに対する感覚を持ち続けることが大切」みたいな話。あとは創作ノート的な裏話とか、天皇制が意外と出てきた。

論文とか単行本になる以前の「こういうつもりで仕事していった(でもあのときは失敗した)」みたいな話がちょこちょこあっておもろかった。






▽日本の資本主義の源流は江戸時代どころか14世紀ごろまで遡れる(43)※数字は該当ページ


「江戸の後期までは米作を中心とした自給自足社会」というのが既存の教科書認識であるが、物々交換ではなく為替の形での取引は14世紀まで遡れる。いわゆる「百姓」も百の(よろず)業のひとつとして商いをしていた。米の税収的には貧農として記載されていた百姓も廻船を介した商いでは十分に潤っていた例もあった。また、領主に出す帳簿とは別に裏帳簿を付けていた。裏帳簿は正式な史料としては残されずふすまの下敷きなどになっていたり。

「こういった帳簿能力、計算能力の下地があったので明治の開国の際に諸外国についていけたのではないか?」と網野さんの見解。


これらの話の基本として「百姓は農民とイコールではない」「日本社会は農業中心だった、とする農本主義とは違った現実があったのではないか?」がある。



「割符(さいふ)」は14世紀から流通していた手形。この手形を買って京都の方に送ると京都や堺で銭と交換できた。「替米(かえまい)」といってコメも手形になった (133)





▽真宗を支えていたのは商人や職人であった(44)


「近江の堅田の本福寺の僧侶が書いた『本福寺跡書』を初めて資料として使ったのですが、それを見ると、真宗を支えているのは商人や職人なんですね」


こちらのエントリでもあったけど


『宗教で読む戦国時代』が猛烈に面白い! - ひじる日々 東京寺男日記 Ehipassiko!
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20100306/p1


一向一揆というのは宗教戦争(信教封じ)でも農民戦争でもなく、経済(商い)をめぐった政治的抗争っぽい。

ヨーロッパの教会よろしく日本の場合は天皇を通じて寺社周りに商い特権が与えられていたようなので。たとえば神人や勧進聖。前者は移動の自由、後者は株式会社みたいなもの。


あとは寺社が金の貸し借りのいざこざの仲裁機能ももっていたって話もある

2009年10月 ニッポン借金事情 井原今朝男 │これまでの放送│火曜 歴史は眠らない│NHK教育
http://www.nhk.or.jp/etv22/tue/past/2009/10.html



あと、本願寺の辺りは水運的に重要ポイントだったようなのでその辺絡みかな、と。

(cf.「びっくりしたのは、能登(石川県)の海辺の集落は金持ちで、大変、巨大な真宗の寺院が多いんですね。ところが、土地、石高は持っていないので、制度的には石高の少ない百姓、水呑百姓に位置づけられている人たちが多いのですが、じつは商人や廻船人の集住する港町がいたるところにあって、大変、豊かなのです。そうした港町にはだいたい真宗寺院があります。私は、戦国期の真宗は、本来、商工業者に支えられた宗教だと思うんです。」(44))


ヨーロッパの場合は教会が持っていた知識ハブ的機能の中のお金ハブ機能が銀行に特化、商いがしやすい都市や宗派が人気を集めて行ったと思うんだけど




その前段階13世紀には低利子率を確立し商いがしやすい土壌がつくられていた、と(ここにも教皇庁が絡む)






(なんかくまこが教科書的な話も出してたのでこっちから読んだほうがいいかも)





(ちなみにわたすはウェーバーのポイントは金、宗教、組織編成、簿記なんかも含めた知のパラダイムの変革への着目だと思ってます)




関連で「職人歌合」読みたい


職人歌合 (岩波セミナーブックス―古典講読シリーズ)
網野 善彦
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七十一番職人歌合;新撰狂歌集;古今夷曲集 (新 日本古典文学大系)
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歌合と姿絵から垣間見える天皇と職人、天皇と遊女なんかの関係


(「けがれ」の意味の反転とかも)




▽岡正雄がフレーザーの王権についての論文を訳そうと思ったら、「それを出すならぼくは妨害するよ」と柳田国男に言われた(48)


王権論は天皇制を相対化するための道具立てのひとつだろうけど、それを柳田が「妨害するよ」といったのは当時の柳田を中心とした民俗学の有り様を物語る感じ。






▽王は自分に独自の力があるから王なのではなくて、まわりが王と思うから王になれるのだ(48)


「天皇制はなぜ存続したのか?武家が天下をとったのなら天皇制も潰して王を名乗ればよかったのではないか?」関連で


「権力は社会の合意があって初めて維持し得るので、その合意が崩れるような事態が起こり、それを多数の人民が意志として表現したら、あっという間に消し飛ぶと思うんです」


辺りは権力というのが力によるゴリ押し的なものではなくヘゲモニー的な「人々が自らすすんで合意していく作用(集団の慣性)」のようなものとして捉えられそう。フーコー的な見方というか


「天皇には2つの顔がある。土地(田畑)の所有者として税収をとるというのが1つ、もうひとつは無縁の自由人たちの神聖なる王という顔」というのはダイダラボッチの2つの顔(「遠野物語」-「もののけ姫」)を彷彿とさせつつ、後者の「神聖性」というのはこの辺(ヘゲモニー)の話かな、と。


網野さんが別のところで言っていた「天皇制は思ったより根深い。たとえば農村なんかの暦。ああいったものを通じて人々は無意識に天皇制を当たり前のものとして支持している」みたいなのと関連するように思う。




関連でこれも読まなな


[書評]武士から王へ - お上の物語(本郷和人): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/06/--fe9d.html






▽「無縁は無所有を前提とした話」(59)


「無縁・公界・楽」をやったときに中沢新一さんから「網野さんのやってることは結局は資本主義になるね」といわれて「たしかにそう言われてみると市場というのはいったん無所有-無縁-誰のものでもない状態をつくりだしてからでないと成立しないな」と思ったって話。

この辺の感覚はストールマンが言っている「Free」の感覚の理解に近いように思う。「無料」ってのではなくて「誰のものでもない状態にデフォルトする」ってことだと。

その前提があって初めて一定のルールのもとでの平等で公正な取引が成立し、結果として所有が生まれていく。


一部で「無縁社会」とかいってるのは「無縁仏」なんかからのネガティブイメージなんだろうけど、もともと無縁は「責任を伴った自由(デフォルト)」なこと。良好な縁(ネットワーク)を作り出すために一端ほかの領域でのアドバンテージをデフォルトに戻すということ。


したがって無縁の対義語として「有縁社会」とか言われたりするけど、対義語もなにも市場や自由遍歴の場でのあたらしい縁をつくるためのデフォルト状態だから対するものでもない。

ただ、昔ながらのしがらみ、悪縁みたいな話はあってそれが「世間」なんかに通じるんだと思う。

「世間」なんかは江戸時代からあった言葉だけど、明治以後につくられた「社会」という言葉がとってかわっていった(言葉の重層性、歴史性が失われていった)。


「都市の外に市場ができ、そこがアジールとして機能していた」とか「教会・寺社はアジールだった」、「教会・寺社が商取引の仲裁機能をもっていた」なんかもこの辺絡みそう。






▽明治以降に開発された日本語には意味の重層性がない(106)


たとえば「dimensio(はかる)」の感覚は手を広げたり縮めたりで体感できる。手を尺取虫のように広げたり閉じたり。広げると長さが、閉じてこぶしをつくると立体的な大きさが分かる。この全体の動きで「dimension(次元)」の語感を体感でき意味の連続性から連想しやすいわけだけど、日本語の「次元」だとなにがなにやらわからない。。


西周は西洋の言葉をものすごい勢いで翻訳した。意味の重層性なんか捨てて「ひとつの言葉にひとつの意味だけ」とした。そうすると学習する際に楽。500の概念を一晩で丸暗記して、そのまま答案に書けばいい。ただ、そのような学問の方法でドイツ留学したひとが当時の教科書的知識だけ丸暗記して「もはやドイツには学ぶことはない」などということがありケーベルなどを辟易とさせた。



この辺のテーマは本書で何回も繰り返される「教科書的なただしさだけを支持する貧しさ(あるいは危険性)」みたいな話。「現代人の科学への信頼が宗教のようになっている」みたいな話にも通じて、プロセスではなく完パケし権威づけられたものに期待する、みたいな傾向。結果的に失敗でもプロセスの中にその時点での成功よりも可能性を持ったものもあるのに…(cf.錬金術と科学の歴史)

「正規の資料」として残されたものよりふすまの下敷きのほうが価値があることもある。






▽「善の研究」の善はエロスと同じ全肯定感ぽかった (140) → 「転向」「シロかクロか」ではなく



「道徳的に正しいとか、そういう話ではないんです。俗界における善悪の判断をこえた存在の脈動があって、それを感じて、これが善だ、これはいい、という感覚なんです。」



鶴見さんの読解だと「善の研究」の善はエロスと同じ全肯定感ぽかった。「でもそうするとすべて肯定ということで南京大虐殺で提灯行列だってことになるけど」「・・そこの区別を意識しつつな歴史認識ですよね」みたいな話。

西田幾多郎も結果的に「大東亜戦争万歳」というところに乗せられてしまったがそれによって西田の思考すべてが否定されるものだろうか?

びみょーなとこで、善の達観は「世界の全てに意味がある」なあの実感だろうけど、そこに達しつつも同様に意味のある中国ほかへの侵略を「侵略」と認識しつつ是とせざるを得なかった心境というのは転向のアレに近いかなと思うに、「従わなきゃ命とるぞ」っていわれたときに逆らえるかね?ってのはある



「シロかクロか」ではなく転向せざるを得なかった人々の中にあった葛藤やそれを通じた思想の変化の軌跡、あるいはそれほどの人たちを惹きつけたものの正体を冷静に追うほうが豊かではないか。自分たちが究極の選択をせまられたときの参考としては





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2010年10月04日

ナウシカ解読と正義の審級   ユートピアとベンヤミン



なんということだ……


世界が

神の御技がこんなにも美しいというのに

人間の心には愛がないのか




   私達がこのような生き物になってしまったのは  
   遠い祖先が神に背き罪を犯したせいだといわれています


   私達は楽園から追放されたのです






神はこうしている今も我々のことを見ていらっしゃるだろうな



友を失い親と子が殺し合う   
そんな様の全てを天空の高みから見下ろしておられるのだろう





許せぬ






私はこの地上に楽土を作るぞ

平和で豊かな生き苦しむ者たちのための理想郷を


私の代では成し得ぬかもしれぬ それでも最初の一歩を私が踏み出すのだ

神はきっと私を愛で御許へ召そうとするだろう  その時私は神にこう言うのだ


『もはや天の国も試練も要らぬ  我々の楽園は地上にある』 とな














▽ナウシカ解読と正義の審級



こないだからの制度と生活、イデオロギー(cf.正義、宗教、特定思想)と生活の間ぐらいの話のつづきで



観念と愛、システムと生活の弁証法の話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/164070442.html



ナウシカ解読も読み終わったので軽い感想も絡めて


ナウシカ解読―ユートピアの臨界
稲葉 振一郎
窓社
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おすすめ度の平均: 3.0
1 難解…
2 社会学っていったい
1 学者のうんちく垂れ流し本
5 ユートピア論
4 人間精神の中の「腐海」に



ナウシカ解読自体はマンガ「ナウシカ」というテクストを通して正義論(ロールズ)とかリバタリアニズム(ノージック)といった政治思想とか公共哲学(アレント)、王権論、エクリチュールなんかの概略が学べて自分的にはお得だった。


ただ、そこで展開されているおはなしはナウシカというテクストからの連想といったところで、正直後半のクシャナの戦場における放心と変化についての解釈なんかはちょっとズレてるんじゃないかと思ったけど。

なので巻末の宮崎駿とのインタビューでその解釈を試してるのは本来の意味でのテクスト解読と答え合わせという意味でわかりやすかった。


お話の中心はマンガ「ナウシカ」がアニメ「ナウシカ」と違ってユートピアを予定調和とした終わり方をしていない点にあるように思った。

アニメでは「青き衣の者」がそのまま腐海と人ととの調停者となり「青き清浄の地」へ人々を誘う救世主的な描かれ方をされ幕を閉じる。そこでは先の大戦とその結果としての現在は単純なディストピアであり、「科学 vs. 自然(エコ)」的な二項対立のもとに人の科学への志向は断罪され「王蟲(≠地球)が一番」 → 「自然へ還れ」みたいなメッセージが出される。救世主としての青き衣の者が人々をケガレのないユートピアに導く。

しかし、マンガ版ナウシカはそのような単純な構造を択らない。伝説のユートピア「青き清浄の地」に踏みとどまらず、より「根源」的な問いを発していく。そして迷った末に漠とした未来を選択していく。青き清浄の地のような「予定調和な計画経済的なもの」、「人を人としては生かせないがケガレのないもの」とは異なった不安定だが人として生きる可能性のある未来を。



(大意↓要約)

(194)「宮崎さんの中にはそういった計画的なもの、過去のプログラムによって未来が規定されてしまうことに対する徹底した嫌悪感のように感じたのですが…」

「生きるということはプログラムされてるから生きるとか、結末を知らなければ生きられるという類のものではないんじゃないか。生きるということと、理解するということは違うことなんじゃないか。ナウシカは、理解をしよう、問題をつきつめていこう、見届けようという意志を強く持っていたにしても、彼女を支えているのは、その意志だけではなくて、なにかを感じとる能力だろう。実にささやかなきざしのなかに、生きることの意味を直感する力というのか、その能力を彼女が失わなければ、気が狂わないだろうと思ったんです」




計画とか制度とか以前にまず「生きる」ということ。生きることの意味を直感し、その直感にしたがって生きていくこと。

ちゃんと生きられれば結果的にそれが生き方の規範になる、ということだろうか。


この辺りは良識の元(軸)の話にも通じるところだけど


常識」と「良識」の話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/161638661.html


いまはまだ曖昧。話を進めよう





予定調和的なユートピア、あるいは救世主幻想を嫌って物語はどこに着地するのか?

それはイデオロギー的なものから生活者的なものへの回帰なのか? 「『生活者』といえば自己正当化できるところにただ戻ってしまうような」全共闘世代の終着点としての日常(家族)回帰?



宮崎は言う

(201) ただ、僕は「正しいこと」はあるんだと思っているんですよ。でも、「正しい人」はいないと思っています。「正しいこと」をやっている瞬間、その人は「正しい人」だけれど、じゃあ、その人がずっと「正しい 」かというとなんの保証もない。愚かなことも、間違ったこともする。「正しいこと」をやった人が、そのあとくだらないことをやったからと言って、その「正しいこと」までくだらないというのをやめよう。「正しいこと」は一人の人間のなかに何度も現れたりするし、その人がくだらないことをやったりもするんだと。「正しい国」があったり、「正しい党派」があるとか、「正しい人」がいるというのは言うのはやめよう。




イデオロギー、倫理あるいは制度といったものを固定的に捉えるのではなくアドホックに運用、評価していくということ?


その際の審級が「きちんと生きる」ということなのだろうけど、もう少し具体的にいうと「現実主義的に生きる」ということみたい。

現実主義と言ってもたちまちドライに愛情を切り捨てるわけではなく、たとえばナウシカの愛のように、たくさんの愛を背負いつつも身体はひとつなので現実主義的に腑分けしていく、というような。

あるいは、政治や経済、愛といった異なったレイヤーの合理性に対して、観念や慣習に流されるのではなく、自分の頭できちんと合理的・現実主義的に考え理性的な判断を下していくということ。戦争なんかでもただ「悪いこと」で流すのではなくどの過程のどの部分が悪かったのか?ということを理性的に検証すること。

観念や立ち位置、なんらかの縁(あるいは業)によって最初から判断を決め打ちにするのではなく、上記のような態度で状況に応じて理性的に判断するということ。


そうすれば状況に応じた「正しさ」はでてくるし、その「正しさ」がイデオロギーとして固定し、後に反転して人を苦しめることもない。


宮崎駿の話を綜合するとそういうことを言っているように思えた。




それは近代的理性を兼ね備えた理想的な個人の姿であり、「歴史の終わり」とは対極的な意味での「最後の人間」だろう。


そこまで大げさなものでもないかもだけど、単に「国家や宗教、マスメディアから流される観念に依りすぎず自分の頭で考え判断できる人」というだけかも







▽日本人は法以前の良心とか倫理とかもつんやろか?


法や制度以前の自律的な判断基準としての良心や倫理といったものが日本には根付くのだろうか?、ということについてついったーでメモ+断片的につぶやいてたんだけど





関連? というかちょうど気になってたタイミングでこんな会話が流れてたので自分的メモとして






日本人論に持ち込むとすぐに自虐史観的に「日本人は島国だからダメぇ」「空気嫁だからダメぇ」とか言う人がいて、特に他国との比較による相同性も相違性も検証していないので胡散臭いしうっとうしいな、ってところ

そういのは「これでも嫁」ってことだしオラもそのうち読もうかと思うけど


日本文化論のインチキ - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/06/post-1227.html

小谷野敦「日本文化論のインチキ」(1) - 日々平安録
http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20100612/1276279034



それとは別に他国との違う日本の特殊性として、なんとなくの蓋然性をもった議論もある。

山本七平さんの空気話もその一つだけど、その際の「日本人は!」って感覚は彼が内村鑑三系のクリスチャンだったからかなぁとぼんやり。

クリスチャンの勤勉さ、一次資料への精通なんかがシャドーワーク的に機能することによって日本の近代の知が紡がれていった、ってところもあるようだし(未確認)


ところで、そういう「勤勉さ」とか「良心」というのは「教えを真面目に吸収していった」というのもあるのだろうけど、毎日のルーチンの励行によってぢみに染み付いていった感覚なのではないか?まあエートスということだけど。


なので、そういう感覚というのは「単に教え、観念を真面目に吸収」というよりは励行とエートスによって培われた現実主義的なセンスの幅なのかなぁ、と。


そういう意味では例えば企業の中での協働の場、コモンズにおいて相互に救けあうようにして培われてきた常識的なものはKY的な圧迫を持たないユーティリティなコードとして機能し得る。



「会社とか学校と家庭」「システムと生活世界」「壁と卵」「聖と俗」との間ぐらいの話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/161255211.html



ある人はそれを単純に「信頼」というもの。信頼の前提として企業社会の中での常識とプロトコルがある。



それらは現代日本の会社公共圏におけるエートスとなり常識的判断基準のよすが(リソース)になり得るのではないか?



でも、日本の場合は会社はなれちゃうと「世間」とかマスメディアなどから生じるKYに巻き込まれて個人的理性が発揮される場が少なくなるのだろうけど








▽救済 - ユートピアとベンヤミン


ユートピアと救済について考えてたらついったのTLに「救済」関連の話が流れてきたのでたまたま見に行ったらなんか関係あるっぽいことだったので


ベンヤミンについては「複製技術時代の芸術」ぐらいしか読んだことなくてなんか断片的な知識だったけどこちらの解説を見て彼がなにを目指していたのかがなんとなく分かった気がした



ベンヤミンのメッセージ ―― 希望の倫理へ − ちきゅう座
http://chikyuza.net/n/archives/1570



ベンヤミン解釈をオラがまた解釈してるということでびみょーだけど


端折ると、ベンヤミンの思想はユダヤ思想系救世主論を基本とした理想としての神の断片(根源)をさがすものである、ということらしい
http://morutan.tumblr.com/post/1239459414


(おーざっぱな解釈だが)「全能にして愛に満ちた神はなぜ我々を救ってくださらぬのか?」という問いに対して、「神はその実在的本質のすべてを被造物のなかに流し込んでいる。(それを発見できないのは人の怠慢)」(新プラトン主義)ということになる。

イデア(根源)論的な「モノや言葉があることが神の存在証明だ」っていうあの論理の流れっぽい。


ユダヤ思想ではさらに「選ばれたイスラエルの民にのみ神の本質が開示される」とする。



つまり「この世の不幸をなくすためには神によって隠されたメッセージを解読する必要がある(そのとき革命と救済は成就する)」とする志向。それがベンヤミンの思想にも通じていく。
http://tumblr.com/xaukhzzxm


具体的に目指すのは「階級なき社会」。目の当たりにしてきた軍人を頂点としたプロイセン帝国とは異なった、亡命先だったパリのパサージュ(アーケードの小径)のような自由な社会。そういったふつーの人々の歴史が忘却の彼方に消え去り、記憶-歴史の中から死滅されないようなそういう社会。(cf.「人は二度死ぬ。一度は生物的な死。二度目は忘れ去られた時だ」)
http://tumblr.com/xaukhzldq
http://tumblr.com/xaukhzg2p
http://tumblr.com/xaukhz2cr




ベンヤミンの生い立ち、あるいはドイツ農民運動への心情的傾倒を考慮するとこういった考えに至るのも当然と思われるが、ここでも救済(ユートピア)へのジャンプがある。

パサージュ論はそういった飛躍を埋めるための、身の回りの生活環境の中で自らが現実的に美しいと思えるもの、守りたいと思われるものを一つずつ集めていくための断片集だったのかも知れない。


不定形な名もなき人々のささやかな営み。大文字の歴史から見捨てられたものに新たに名前を付け、忘却の彼方という存在論的死から救済すること。やがて来る飛躍のときのための一歩一歩の地歩。



もしくは、「神的暴力」というときの暴力とは突然の神の不在そのものが有する暴力性も指していたのかも知れない。それまで依ってきた人々を置き去りにて突然消えるという行い自体の暴力性


通常「神話的暴力」とは、おーざっぱに言えば国家や法・制度といったシステムが物象化して人々を疎外、幸福の場から暴力的に排除する過程を表すように思われる。

対して「神的暴力」とはそういった制度(システム)が作られる以前の自然の猛威を指す
http://tumblr.com/xauki3ep6


しかし、これまで見てきたように完全なシステム、完全なるユートピアなるものは存在しない。

それを求めれば却って固定化し、状況に対して機転が効かなくなり、結果的にその状況に対してユートピア=正義は悪に反転する。
http://tumblr.com/xauki4vds


だからこそ、神話的な暴力=制度に対して神的暴力=自然によって革命を起こす必要がある、ということになるのか。そこでは人は動物(自然)に、最後の人間に戻る(至る)。
http://tumblr.com/xauki56wf






しかし、それはあくまでも一気の革命 → ユートピアを夢見た場合であろう。


ベンヤミンの言う「救済」が生のきらめきを一歩一歩確かめるものであるならば、その道行きはナウシカが択ったものと交わっていくのだろう。





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関連:

▽観念と日常の間の生き方について

羊でも狼でもなく「ふつーに生きる」ということ (reprise): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/43805201.html


続「小林秀雄の流儀」  「実生活と思想との間でバランスを保つ」ということ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/123045927.html









▽神の不在に関して

「ヴィンランド・サガ」の背景メモ (アングロサクソンの良心、キリスト教とゲルマンとか): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/161667855.html


グスコーブドリのように: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/163308380.html














「新しい天使」と題されているクレーの絵がある。それには一人の天使が描かれており、天使は、彼が凝視している何者かから今にも遠ざかろうとしているところのように見える。彼の目は大きく見開かれて、口は開き、翼は広げられている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。彼は顔を過去に向けている。僕らであれば、事件の連鎖を眺めるところに、彼はただカタストローフのみを見る。そのカタストローフは休みなく廃虚の上に廃虚を積み重ねて、それを彼の鼻先へ突き付けてくるのだ。多分彼はそこに滞留して、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて組み立てたいのだろうが、しかし楽園から吹いてくる強風が彼の翼にはらまれているばかりか、その風の勢いが激しいので、彼はもう翼を閉じることができない。強風は天使を彼が背中を向けている未来の方へ不可抗的に運んでいく。その一方で、彼の眼前の廃虚の山が天に届くばかりに高くなる。僕らが進歩と呼ぶものは、(この)強風なのだ





タグ: 実存
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2010年09月17日

「王の死と再生」の話

この辺の話みながらなんかいろいろ思ったり、いま読んでる本にリンクしたりしたので


王殺し、偽王(モック・キング)の戴冠と死 | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2529


聖以前の無縁状態の頃、王は人々のケガレを背負って死ぬ象徴的な存在であった、って話


それが変異したのはタタリを中心とした信仰が利益中心になった頃かな? ということでこれなんか思い浮かんだ(未読)



松岡正剛の千夜千冊『アマテラスの変貌』佐藤弘夫
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0668.html


「日本の神はもともとはタタリ神だったのに救い神的な性格も備え「賞」と「罰」を与える神に性格を変えていった。

「天照の性格の変化にそれが表れている」というのは新興宗教が教義を変えていく流れを想わせる。(新興宗教の多くは最初のころは哲学・思想的教義であっても信者が増えてくるに連れ「ご利益(りやく)」の期待に応えざるをえなくなり教義が変わってくる)



あとは「もののけ姫」、王権神授、「コモン・センス」、「中世の死」なんか連想しつつ





哲学者、翻訳家・中山元の書評ブログ : 『中世の死 : 生と死の境界から死後の世界まで』ノルベルト・オーラー(法政大学出版局)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/nakayama/archives/2007/07/post_40.html


全体の話としては死後の財産分与に関して、ゲルマン法とローマ法での違い、そこに教会が絡んできた経緯などを解説。
結果的に財産の1/2は教会が受け取ることになり教会の繁栄につながっていった。この辺は贈与経済的価値観の中で行われていた冥銭の慣習と教会の関係を想わせたり。

貨幣経済にまだ慣れてなかった頃のヨーロッパ(ドイツあたりの中央ヨーロッパ) の人々は貨幣を死者と共に葬っていた。冥銭としてあの世に持たせるために。教会はこれを「教会に寄進すれば死者は天国に行ける」という論理ですり替え、冥銭を寄付の方向に向かわせた。



てか、偽王との関連に戻ろう。王の死と「死後もその身体によって豊穣をもたらす」という通念の辺りの記述がそれに当たる

「眠りの兄弟」の章では、王の死にたいする民衆のさまざまな姿勢が興味をひく。王は「幸運を仲介し、人間、動物、耕地に豊穣をもたらす」(p.126)という観念は中世から近世にまでうけつがれた。1106年に教会に破門されたままでリュティヒでハインリヒ四世がなくなると、市民は王の棺に触れるだけで祝福されると信じ、「種をもってきて棺台に載せ、それを他の種に混ぜて、豊かな実りが得られると信じる者もいた」(Ibid)。そして遺体の引き渡しを求められると、市民は「町の危機、荒廃」を意味すると、拒絶したのだった。





そして「もののけ姫」のダイダラボッチの話なんか思ったり。

「もののけ姫」自体は網野史観な非ヤマトな話であり、無縁に近い排除された人々とタタラのつながりを描いたものだったけど、いま思えばダイダラボッチの死と再生は天皇の王権論まで射程に入っていることを示す牽制的役割をしていたように思う。ヤマト的天皇というか、中沢新一いうところの「森の王」としての異界の王。イケニエ的偽王が去ったあとの抽象的・制度的王がヤマトの王であるとき、偽王などの象徴的代替儀式によって再演される天皇の異質性・象徴性は宙に浮かんでしまった。ヤマト以降の律令制度によって制度としての王(天皇)が立ち上がっていったのに対して、個人としての天皇の身体と呪術性は失われていった。

タタラ場の王としてのダイダラ(タタラ)ボッチの死と再生は天皇正統の南北朝的分裂、「異形の王権」的なアウトサイダーの王としての天皇の再生のメタファーだったのだな。一つ目・一つ足のダイダラボッチは明らかに障害者のそれだし



で、赤坂憲雄的王権の話


ナウシカ解読―ユートピアの臨界
稲葉 振一郎
窓社
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おすすめ度の平均: 3.0
1 難解…
2 社会学っていったい
1 学者のうんちく垂れ流し本
5 ユートピア論
4 人間精神の中の「腐海」に



(p.22) 
 王の出自を社会の外部、異邦人に求める伝承は極めて広く見られるものである。また王の主たる役割が共同体全体のためのいけにえとなることであったという事例も数多く報告されている。王は共同体の外側からやってきて、ある意味で外側に居続け、そして外側に追放される……つまり共同体に対して外的、超越的な存在であることによって、共同体全体に力を及ぼすことができる、とされるのである。この、内にありながら外にある、という王の存在様態の無理は、それによって、具体的には様々な個人の集合である社会を一つの個体と見做す、という無理……制度的な王権と呼べるものを発達させた社会は大体において、対面的な生活集団を超え出た大規模な社会である……を安全に遂行するための工夫となっている。しかし社会の無理を償う王の無理、すなわち、「ある意味で外側に居続け」ること、つまり社会の内部にいると同時に外部にいることの無理は、安定的に存立するためにはさらなる工夫を必要とする。つまり、王の存在性格のこのような二重性が象徴化、儀礼化されることが。


(p.23)
 社会にとっての内部化された外部としての王権は、しばしば、それ自身のうちにいま一つの内部化された外部を儀礼的、象徴的に孕むという戦略をとる。この王権自体にとっての「内部化された外部」は具体的に様々な形をとるが、外からやって来て王の座を脅かす者、あるいは王の代わりに王国の犠牲となるものの儀礼的、象徴的な再演を行うメカニズムであることは共通している。人類学的・民俗学的研究において数多く報告されている「偽王」、西欧中世から初期近代にかけての宮廷道化、そしてやはりありふれたものである貴種流離譚、放浪の王子の物語などがこれにあたる。かくして王の外部性は隠蔽される。


(p.23)
 こうした二重化の一つの到達点が、エルンスト・カントローヴィチが『王の二つの身体』(小林公訳、平凡社、1992年)で西欧中世に見出したような、不滅かつ全能の主権そのものという、抽象的な「王権」それ自体としての王と、それを担う死すべき人間個体としての王との二重性のメカニズムである。ここでは王たる個人はすべて、ある意味で抽象的な「王権」の犠牲である。ここからさらに「王権」それ自体の抽象性が強まれば、特権的個人としての王を必要としない、王権ではない主権、つまり「共和国」となる。のみならず西欧近代が発達させた「会社」「法人」一般は、こうしたメカニズムの流用の上に成り立っている。




王と天皇 (ちくま学芸文庫)
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5 中世政治理論について名作





異人、「マレビト来りて…」ということだと「お客様は神様です」のことなんかを少し思ったり


もともとはアメリカのホテル(リッツ)の経営指針の「Customers are always right」が意訳されたものだったようだけど


英文法道場:Customers are always right.
http://blog.livedoor.jp/eg_daw_jaw/archives/50502754.html


「お客様は神様です」 英語の海を泳ぐ/ウェブリブログ
http://english-sea.at.webry.info/200712/article_2.html


customer が guest だと異人論ぽかったかなぁ



しかし三波春夫が言ってた意味に対する勘違いでもそうだけど、この辺から「日本人のお客様を神様とするようなサービスは美徳だ」みたいな論に持って行く人をみるとちょっと辟易する。

たしかに日本の低価格商品マーケットにおけるホスピタリティは世界的に見てすばらしい水準にあるようだけど、それを「もともとの日本人の性質」とか「美徳」とかいってるのみるともう…

それは単純にホテル・デパートからコモデティ化していったサービス業におけるホスピタリティが雇用・転職の流動性の低い日本の労働環境において「結果的に」反映されているだけのものであって、なにも従業員たちが最初から好んでそうしてるわけではないように思う。

もちろん中にはそういった経営者視点の「美徳」を内面化して好んでそういうサービスをしている人達もいてそれはそれで素晴らしいなと思うんだけど、それをもって「従業員が好んでやってる」≠「日本人の美徳」的視点もつひとというのはなんか…


構造的問題を個人の努力の問題に帰し、努力不足であることを示すために自らの構造的問題の乗り切りぶりを自慢げに語りだすという、いわゆる「奴隷の鎖自慢」を始める奴隷根性

http://morutan.tumblr.com/post/1117329826


ホテルとかはそれなりに高給もらえるからホスピタリティあってもあたりまえだろうけど、スーパーのレジで「神様」なお客様みるとアホなんじゃないかと思う。


三波春夫、浪曲師・南條文若は浪曲師のメンタリティとしてライブにおける客席との一体感の中に「神」を見ていた。それは彫刻家が木片の中に自らの内部の神(美のイデア)を投影していくのに似ている。


スーパーその他のサービス業に「神」的なものを求めるなら、客側もその再現のために参加するべきだろう。

単に偽王として店員をイケニエにするのではなく、客側も参加することで。


しかし、ともすればそのような甘やかし環境の中で「お客さま」の倫理性が殺されているのかもしれない。会社などといった社会の中で過剰に凹まされる代わりに過剰に凸ろうとする「お客様」。持ち上げられすぎて見越し入道になった「お客様」は自らの実体・良識も失っていくのだろう。







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関連:
中世の意味的コスモロジー   教会を通じたパラダイムシフトの話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/161449234.html


聖性と市場のあいだ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/161162630.html


「常識」と「良識」の話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/161638661.html


司馬遼太郎, ドナルド・キーン、1972、「日本人と日本文化」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/125351878.html


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2010年08月24日

「古代」と「中世」を分けるもの?  「武」・「聖」・「知」と法制度なんかについてぼけーっと

一個前のエントリの続きとして


岡田英弘、1992-1999、「世界史の誕生」 (+α): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/160377882.html?1282574912


最後のほうに積み残した話題、「武の時代から知(法と制度)の時代へ」について


「五胡十六国から隋・唐に至る時代の中で、豪族(地方の土地持ちヤクザ)の解体され、それに代わってニューカマーとしての知識エリートの台頭してきた」という話
http://tumblr.com/xaug2oiq8

それまでは武力を拠り所とした豪族たちの血統重視社会だったのだけど、そういった血統がなくても「知」を通じて高い地位が得られるようになっていった

慣習法から明文法へ、暗黙知から明示知へ、アナログからデジタル(モジュール)という感じ。文明化とはそういうものかなあと思うわけだけど


そういった流動性の高まりも知識階級の世襲化→貴族化によって固定されていったらしい。「族から縁を基盤とする社会へ」



この辺なんかは前出した岡田史観的な説明、「儒教とか科挙といった知はタテマエであって政治の本質は軍部(武)が握っていた。それが史料として残っていないのは知識階級である漢民族が夷狄に武力でかなわないことに対するコンプレックスの裏返しとして中華思想をもっていたからである。『資治通鑑』なんかはその良い例」、とどういった整合性をもつのか興味があるんだけど、自分としてはいまのところ他に比較する資料がないのでぼけーっと類推するぐらいしかないな。


なんとなくの類推としては岡田せんせの見方もゴリゴリし過ぎてて実際の中国内部のでの政治的力関係については配慮されてなかったのではないかとか思うんだけど。

「武が基本であり知はタテマエ」というのはあるとおもうんだけど、それを基本としつつも政治サロン的なところでは「知」が実質的なコミュニケーションツールとして機能していた、というのはあると思う。出世のために必要な「教養」的なもの。

その効果というのは例えば「正統」をめぐる言説、「武力だけでは人を統べることはできず『天からの命』という権威性をもって混乱を治めることができる」、みたいなのに通じるように思う。


なので国家としては武を中心リソースとして夷狄と内部の混乱を統治することを基本としていただろうけど、その内部の複雑性を縮減させるために「知」が機能していたのかなぁ、とか思う。「縮減」というか反乱の気運を緩和させたり別の方向にそらせたりするためのワンクッション、魔法のようなものとして「知」が機能していたかなあ、と。


「武だけでは治められず知が必要だった」あるいは「統治において武以外のリソースが複雑に絡み合っていたのではないか?」関連で言うと武と文(知)と聖の関係なんか思い出す。


ネット時代の「文化の力」とは?   情報力-国民主権-国民国家-民主主義: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/131099784.html

中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話  (応用編): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/129946855.html


武力だけではない統治のリソース「聖」を教会という知識ハブに委託していたのではないか?、って話。聖を担保としつつ実質は知のハブとして機能することで権威性を高めていっていた、みたいなの。


この辺まだきちんと固まってないけど、中国の場合は儒教・道教辺りがそれにあたるかな。しかしヨーロッパとか日本みたいな感じで「教会」「寺」が「知」を統制管理していたわけでもないようなのでこの辺は異質性があるのかなあ、とか。

中国人の信仰心なんかもこの辺関連のなのかなぁとかぼけーっと思う。「国家とか民族ではなく血縁頼る」とかも関連で




日本の話も出たのでこっちも
http://tumblr.com/xaug2op1u


日本ではなかなか「豪族による地方自治=擬似封建制、慣習法を中心とした社会」から「明文法で法制度に従う律令制度」への移行が進まず、とりあえずお隣りの中国から律令制度だけ借りてきて無理やり当てはめようとしてたけどやっぱほころびが出てパッチ当てて対処してた、と

んでも、中央集権的気風がなく封建な感じだったので求心力なくバラバラに荘園もたれたりとか

つっても最終的に水上交易へのアクセスもってる地方領主と中央政府みたいな寡占関係になっていったのだろうけど



ここに日本の場合は天皇の聖性=天命な正統が絡んできていたはずなんだけどそれが中国ほど機能しなかったのはやはり「もともと中国の属国だから天皇つってもなぁ。。いま中国と関係ないし」みたいな感じだったからだろうか?



まあ、とりあえずこの辺の「武・聖・知」辺りの統治のリソースと海上交易路・陸上交易路・荘園なんかが自分的ポイントになってくるのかなあとか思いつつ、こんなの見かけたのでついでに


封建制度と郡県制度 - heuristic ways
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20100706/p1

世界史の構造
世界史の構造
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柄谷 行人
岩波書店
売り上げランキング: 241
おすすめ度の平均: 4.0
2 無残なパッチワークとしての世界史論
5 著者の最高傑作、昨今の最高傑作
5 世界史におけるアンチノミーの概念=交換?
2 文藝評論家カラタニ、最後の大仕事
5 オリジナルな書




柄谷さんの「世界史の構造」はちょっと興味持ってるんだけど前の「世界共和国へ」がちょっと贈与経済マンセー決め打ちっぽいところがあったので警戒してたり。

岡田史観とか網野史観みてると「武→経済(金)→情報」みたいな単線的進化史観も眉唾

実際はお金が重要なリソースになりつつも武力も力もってたし、縄文と弥生なんて判然と分けられないほど同時並行だったし、「日本は農民国家」とかいっても百姓って「いろんなことするひと」ってことで商いもしてたし米以外もつくったり山の幸・海の幸とったりもしてたし…。

んでも上記エントリみるとどうも今回の本では「他の交換様式に対する排他的・進化論的な交換様式論」ではなく「同時に複数の様式があることを認める」系のようでなんかおもしろそうだなあ


ただ、やはり「贈与経済的にやがて移行する」という決め打ちが最初からあるように感じるのは否めない。


てか、ここで問題にしてる「貨幣制度」だけど


官僚制と貨幣経済 - heuristic ways
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20100713/p1


これは「貨幣」の問題だけではなく「人類が抽象(メタ)的な仕組みをどのように社会システムの中に取り入れていったか」ってことでありその中には法制度、数、信頼を介した交換の仕組みなど網羅されるのではないか?と思うんだけど


言語もそうだけど。おーざっぱにいえば「アナログ的なそれからデジタル的なそれへの移行」みたいなの。ゲマイン→ゲゼルというのもこの辺だし。氏族・血族から個別の才能あるものの登用への移行みたいなのもこの辺。モジュール分化で流動性が高まる


そんでめんどくさいのは「ゲゼルシャフト/ゲマインシャフトっておーざっぱすぎてそんなに判然と分けられないよねー」って話と同じようにこの辺のアナログ /デジタルのって移行期とかに混ざり合ってるので判然と分けられない、ってこと。そんでもなんとなくの移行期とかメルクマールみたいなのあるし


ウェーバーにおける官僚制やプロ倫的興味もこの関連かなあとか思ってるわけだけど


「合理の中に非合理が、近代の中に前近代が入ってるんだね」って話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/128448698.html


こういう「システムとそのリソースとしての抽象(メタ)思考」みたいな話が理解社会学とやらにつながるのかなあとか思いつつよくわかってない。。


プロ倫は実証的に見ればゴミですよ - finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20091203/1259801674



タグ:歴史
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2010年08月23日

岡田英弘、1992-1999、「世界史の誕生」 (+α)

ちょっと前に「世界史の誕生」読み終わって

世界史の誕生─モンゴルの発展と伝統 (ちく

ま文庫)
岡田 英弘
筑摩書房
売り上げラ

ンキング: 65513
おすすめ度の平均: 4.5
5 支配する側が文化も優れているのは当然である
5 「岡田史観」の入門書
5 単一

世界史づくりへの最初の試み
5 岡田と(妻であり同業の)宮脇淳子

が杉山正明を批判している
4 日本史の網野史学に匹敵する目から

ウロコの世界史




その感想みたいなのエントリにしとこうかなぁとか思ってたんだけどちょっと関連話が出てたのでついでにまとめて


最初に「世界史の誕生」についての簡単なまとめ(印象に残ったとこ)。あとがきにまとまってるの

で大体な感じで箇条書き



・「歴史」というのはそれぞれの国ごとの一定の見方、物語に沿った観念であるためそれぞれの国の

「歴史」を見ているだけでは周辺諸国との関係はおろかその国の歴史さえわからない


・その意味で「世界史」が始まるのは「それぞれの国ごとの歴史」が「ひとつの世界の歴史」として

統合した時点から、13世紀にモンゴル帝国が中国とヨーロッパを結ぶ草原の道を支配して以来ということになる

モンゴル帝国が中国を支配するまでの流れはけっこう長くなるので詳しくは後述。

簡単にいうと中国はユーラシア内陸部の遊牧民に常に脅かされついには支配された。ヨーロッパは世界の辺境程度の小さな地域だった。なので、ユーラシア内陸部の遊牧民(匈奴≠フン族)の移動に押し出されるように動いたゲルマン民族の移動の影響を受けてローマ帝国(帝政ローマ、西ローマ帝国)が崩壊した


・資本主義(貨幣経済ではなく信用取引としてのそれ)の萌芽は草原の道を通じてモンゴルからヨーロッパに伝わっていった。


・モンゴル帝国が陸の道―陸上貿易の利権を独占してしまったのでその外側に取り残された西ヨーロッパ人と日本人は海上貿易に進出。結果的に低コスト+短時間のロジスティクスを獲得した海洋国家が文明の追い上げを見せた(cf.大航海時代




そんで以下はモンゴルが中国を支配するまで、夷狄と中国との関係の流れ



・(「日本史の誕生」では「日本およびアジアの周辺諸国は中国から生まれた商業都市を原型とする」ということであったが)

岡田英弘、1994-2008、「日本史の誕生」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/157141489.html


中国も純粋な漢民族国家というわけではなく匈奴や鮮卑といったユーラシア内陸部の遊牧民の脅威にさらされ、ついには国の主権を奪われている。またそれ以前、夏王朝の源流は東南アジアだったり。



・五胡十六国の乱のおりに南匈奴軍が洛陽で晋帝が捕らえられる(AC316年)。翌317年からの1年間中国には皇帝というものがなかった。中国の「正統」が途絶える。


・「正統」とは「(暴力だけではなく)天命によって国を統べる命を授かった」とするもの。


・匈奴・鮮卑・羯・てい・羌を「五胡」とする。 鮮卑は北匈奴が名前を変え自称していったもの。隋・唐は鮮卑系
http://www3.kct.ne.jp/~atonoyota/tyusei/51-china11.html



・匈奴のもともとの源流も夏王朝っぽい

匈奴 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%88%E5%A5%B4


・中国は遊牧民に対して金払ったり皇帝が姫を捧げて義兄弟化することで友好関係結んでたんだけど、王莽のときに「儒教的にはおまえら中国皇帝の臣下で当然じゃん!」って言ったらフルボッコ。反乱続出で中国荒廃のきっかけになった。


・中国は秦のときにはじめて全国を封建(feudalismのほう)的にではなく統一的・律令的に帝国化することに成功したが匈奴の侵入恐れて万里の長城作ってたり



・五胡十六国の乱で晋朝が滅んで皇帝制度が消滅、漢族による王朝が滅びこの時から中国は遊牧民出身の王朝支配が続いていく。漢民族といえば被支配階級を意味することに。隋も唐も鮮卑の王朝、五代に入ってからも後唐・後晋・後漢はトルコ人の王朝だった。宋になってから600年ぶりに中国人(漢民族)の王朝が復活したがキタイにやぶれて遊牧民族優位な和約を結ばされる羽目に…。


・これによってプライドを傷つけられた中国人が、「われわれは武力では夷狄に劣るが文化では夷狄に勝るのだ」と主張したがるようになった。「資治通艦」なんかはその表れ。 これがいわゆる中華思想。これは事実に反し支配階級である「夷狄」のほうが文化的にも優っていた




だいたいこんな感じ。

印象的だったのは「日本とかアジアつくった中国ってすげー強いって印象だったけどモンゴルとか、それ以前にユーラシア内陸部の遊牧民の方が強かったんだねー」とか「世界史ってヨーロッパ中心で考えがちだけどあれって当時の世界の趨勢からみれば辺境の話だったのねー」辺り

ほかは「遊牧民がやっぱつおいのかなー」とか気になった。この辺りは後述


あと、全体を見返してみるとペルシア帝国の影響とか分かりにくかったように思うけど、この辺は再読してみよう。




そんで、こんなこと思ってたときについったーのTLで五胡十六国関連見かけたので気になった。

http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write-ex1/2010/07/20100728.html#090000


@koubouさんとこのIRCログだけど

簡単に内容まとめると「中国の統治体制が地方豪族(ヤクザ)の地方分権 + 封建的体制から中央集権的体制に質的に変化していった流れ」って感じだった。「地方豪族の士大夫」から「科挙に受かった文民エリート」を優遇する体制へ、って感じ。 

日本の場合は五大老に対する五奉行辺りかのう、とかぼんやり思いつつ


長いのでポイントをたんぶらーで各論に区切った。以下



五胡十六国(→南北朝)時代の分裂期、蛮族とされた異民族が中国の中心を担っていったがその際の

統治システムとして漢民族的教養が機能していった
http://tumblr.com/xaug2nkbl

五胡十六国は「五つ」とか「16個」とか決まった数字でもなく「たくさん」程度の意味。匈奴が最強だったみたいだけど漢民族との戦いで南北に割れてそれから遊牧民も割れていって五胡十六国になっていって乱世になっていった。そんで戦争したらすごい勢いで大量移民が行われたとか(>西晋の時代の人口が860万人ですが、150年間で記録で明示されてるだけで1500万人の移動がある




匈奴について
http://tumblr.com/xaug2nn17

匈奴は日本人がイメージするようないわゆる「民族」(=一定の文化的類似性を有する共同体)とは違ってとりあえずの寄せ集めだったっぽい


>実のところまったく血縁のない複数の民族が、やはり支配被支配の関係で繋がっただけのものというのが、最近の説だったはず

この辺は「人種的に相同な『民族』などというものは存在せず単に言語が同じ人達がグループになっただけ(cf.インドヨーロッパ語族」(岡本英弘)ってのを思い浮かべる。




税回避手段としての兵役と荘園
http://tumblr.com/xaug2ns17

匈奴の人口は50万で騎兵が30万。少なく見積もっても10万の騎兵がいたとか。

「騎兵というのは 弓と刀だけで 集落を破壊できて、すぐに撤退できるので非常に強い」(なので遊牧騎馬民族強い

税率がひじょーに高くて、兵役につくと安くなるということだったようだけどそれでも50%だったとか。


徴兵制が安定して機能してくるのは近代国家成立以降 とか
http://tumblr.com/xaug2nu8x



そんでポイントはこの辺


豪族(地方の土地持ちヤクザ)の解体とニューカマーとしての知識エリートの台頭
http://tumblr.com/xaug2oiq8

日本ではなかなか豪族地方自治→擬似封建制→律令な中央集権への移行が進まずパッチ当ててた

http://tumblr.com/xaug2op1u



この辺の「武の時代から知(法と制度)の時代へ」ってのはおもしろいんだけど、なんか長くなって疲れたのでまた次のエントリに稿を改めよう



--
関連:
東アジアの勢力図 移り変わりの歴史(flash)
http://www.ugoky.com/chizu/ugoky_chizu.swf

タグ:歴史
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2010年07月31日

bunkamura「ブリューゲル 版画の世界」展へ行ってきたよ

先日bunkamuraでやってるブリューゲル展行ってきて


http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/10_brueghel/index.html


感想やらちょっと気になって調べたくなったものがあったのでもろもろまとめて


面倒なので概要はそのまま引用させてもらう


16世紀ネーデルラントの巨匠ピーテル・ブリューゲル(1525/30-69)は日本人にとても親しまれている画家です。ブリューゲルは聖書の世界、諺、子供の遊び、民衆の祝祭、農民の労働の主題を描いています。特に寓意をこめた作品では人間の弱点や愚行を諷刺 と教訓、ユーモア精神によって表現しています。私たちはこうしたブリューゲルの芸術からヨーロッパの民衆文化の"ルーツ"や当時の道徳観を知ることができます。
 ブリューゲル版画は不特定多数の購買層のために制作されたので、当時の人々のさまざまな関心に応えています。例えば、アルプスの大自然の雄大さ、諺や 「徳目」シリーズでの日常生活のあり方、《誰でも》や《錬金術》での人間の貪欲な姿、縁日を祝う民衆の解放感、船舶シリーズでの高度な造船技術などを伝えています。ブリューゲルの非凡な表現力はヨーロッパ中の評判となり、まさに16世紀の版画芸術の頂点に達したのです。さらに時空を超え、現代人の心に語りかけてきます。



行くまでちょっと勘違いしててヒエロニムス・ボッス気分だったんだけど、ボッスとブリューゲルの関係みたいなのも軽くまとまっててわかりやすかった。「ブリューゲルの百鬼夜行みたいな絵はボッスからの影響が強く見られるんじゃないか?(当時その手の絵といえばボッスって感じだったし)」とのこと。



ヒエロニムス・ボス - Wikipedia
http://bit.ly/bhWMev


ブリューゲル←ボッスがああいった百鬼夜行、魑魅魍魎的なモティーフを描くようになった背景は詳しく書かれてなかったけどおそらくは当時の大口パトロン(あるいは顧客)だった教会の意向を汲んでのものだと思う。日本にもあるけど「地獄絵的なもので民衆の風紀を正す」みたいなの。日本の地獄絵とか幽霊画は「忌まわしいものを家中に置くことによって災いを遠ざける」って忌み名的な意味合いもあったように思うけど、江戸に流行った幽霊画なんかはバロックというかビザール的意味合いもあったと思う。


閑話休題



とりあえずそんな感じで宗教画-戒め画の一種としてボッス-ブリューゲルのあの手のモティーフは踏襲されていったように思うんだけど、そういった図柄のモデルというのは都市の外に住まう民衆・農民だったんじゃないかなぁ、って。特に謝肉祭や四旬節絡み


謝肉祭 - Wikipedia
http://bit.ly/9h9dU3

カーニバルの語源は、一つにラテン語のcarne vale(肉よ、さらば)に由来するといわれる。ファストナハトなどは「断食の(前)夜」の意で、四旬節の断食(大斎)の前に行われる祭りであることを意味する。

一説には、謝肉祭は古いゲルマン人の春の到来を喜ぶ祭りに由来し、キリスト教の中に入って、一週間教会の内外で羽目を外した祝祭を繰り返し、その最後に自分たちの狼藉ぶりの責任を大きな藁人形に転嫁して、それを火あぶりにして祭りは閉幕するというのがその原初的なかたちであったという[要出典]。カーニバルの語源は、この農耕祭で船を仮装した山車carrus navalis(車・船の意)を由来とする説もある。

現在はその起源である宗教的な姿を留めず単なる年中行事や観光行事になっている地域も多い。



もともとはゲルマンの食料調節的な祭りで、田植えなんかも終わったあとに余剰な食用動物を食べるっていうストレス解消+お疲れ様祭りだったわけだけどローマ-カソリック+都市の習俗には合わなくて「…下品」って見られていったみたい。んで都市部なんかでは貴族や坊さんといった「えらいひとたち」の圧力でなくなっていったんだけど、仮面舞踏会みたいな形で生き延びていった。

世界ふしぎ発見なんかでたまに映されるようなヨーロッパの田舎の大きくて異形な仮面(大きな団扇みたいなの)なんかはその名残だと思う。そういった仮面には謝肉祭のような民衆の荒ぶるエネルギー・奔放の名残りがあったように思うんだけど、都市民の財と権利意識の高まりの中で「仮面舞踏会の先頭を歩く権利」なんかも売り買いされるようになっていった。そういった流れで謝肉祭→仮面舞踏会は「農村のストレス発散祭り」から「都市部のおされビザール祭り」みたいな感じに変化していったみたい。この辺は「中世の窓から」辺りだったっけな

中世の窓から (1981年)
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阿部 謹也
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muse-A-muse 2nd: 「合理の中に非合理が、近代の中に前近代が入ってるんだね」って話
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/128448698.html


で、そういった都市部「以外の」あるいは都市部の中でもいわゆる「都市民」とは階層が異なった層の習俗(ex.謝肉祭や四旬節)をモデルにボッス-ブリューゲルは魑魅魍魎絵を描いたように思うんだけど、そのとき彼らの視線というのは冷徹に「他者であり劣ったもの」を眺めるようなそれだったのか。それともそういった都市民以外の民衆生活を半ば肯定的に認めるようなそういったものだったのか。

この辺りについては特に史料もないので各人の想像に任せるものだろうけど、その後のブリューゲルの民衆生活をモティーフとした絵柄を見ているとあながち非都市民にネガティブな感情を持っていなかったのではないか?と思う。むしろその視線は好意的だったのかな、とか。「ブリューゲルの描く怪物のようなもの、魑魅魍魎たちはなぜか憎めない。怖くない。 それは彼の描く異形のモノたちの輪郭線が丸っこいからかなぁ」なんて先日友人と話したりしたんだけど、そういった丸っこさにも彼の思いが表れてるのかなぁ、って。


「中世の窓から」の話が出たのでついでに。


この時代は「贈与経済(あるいは物々交換を基本とした経済)から貨幣経済への転換期」だったということで、それに伴い従来のモラル・価値観が変容していった。従来型の価値観を持っていた人たち、あるいは貨幣経済を中心とした経済のルールの変化によって経済的に疎外された人たちはそういった時代の変化に対して不安や不満を持っていた。ブリューゲル展にも展示されていた「大罪」「徳目」シリーズへの要請というのはこういった背景から生じたものだったのではないかと思う。変化の中で昔ながらの規範・モラルにすがりたいという気持ちが徳目シリーズにつながったり。あるいは新興成金層が身についてない教養を補うためにクラシカルでエスタブッシュな主題(七つの大罪と七つの徳目)を求めていった、などなど。



「七つの大罪」「七つの徳目」以外の徳目シリーズ、いろはかるた的に民衆の生活上のモラル・教訓を描いたシリーズは「中世の窓から」では道化師オイレンシュピーゲルの滑稽話なんかがあった。これは日本だとキッチョムさんとかあの手のノリのちょっとしたエスプリというか皮肉みたいなのが効いた教訓話みたいなの。落語みたいな。そういった教訓が一枚一枚カルタ的にイコンになっていってたのはどういうことなのか?ってちょっと思った。


おそらく嫁入り道具というか、家長になったものの教訓とかそういったものを分かりやすく表現・共有するためのイコンとしての役割があったのではないかなぁ。この時代は大学はもとより幼少期の集団教育システム(学校)もまだ一般化してなかっただろうから、そういった層が知識を伝播していくための道具として絵は重要な役割を持っていたように思う。七つの大罪・徳目シリーズ、魑魅魍魎絵なんかもそういった熊野比丘尼の曼荼羅布教的意味合いを持っていたのではないか?と思うんだけどこの辺も解説やらなんやらないのでわからんかった(まあ想像に留める)。



当時の「知識伝播・共有のためのシステム」の背景として。16世紀半ばの当時はちょうど宗教改革によって教会の権威が落とされていった時期にも重なる。


宗教改革 - Wikipedia
http://bit.ly/bwcHmA


これは同時にとそれまで教会に集中していた知識が民衆に分散していく背景にもなっていった。その道具立てとして活版印刷の影響がある。


活版印刷 - Wikipedia
http://bit.ly/bneKXU


活版印刷というと枕詞のようにグーテンベルクが連想されるけど、グーテンベルクはそれまでにある程度整っていた活版印刷のシステムを集大成して集めた、というだけで発明者ではない。実際グーテンベルク以前にルターなんかも活版印刷活用して「教会のボウズたちは原書といってることちがうじゃーん!」ってやってったわけだし

http://tumblr.com/xauem0tma

http://bit.ly/9c16cE


知識はこういったハード的な側面による汎用(コモデティティ)化のみならずリテラシー的側面による下地を背景として普及していった。たとえば、それまで口承文化のなかで暮らしてきた人たちがいきなり文字文化になるってのはハードルが高いわけだけど、「その際のクッションとして家庭における母親の読み聞かせがあった」ってキットラーは言う。
http://morutan.tumblr.com/post/20792167/m-um-u

「メディアの普及と浸透の下地はハード的変化のみならず、それ以前のリテラシーの下地があるからだ」ってこのあたりの話は吉見俊哉さんとか、水越伸さんなんかが「ソシオメディア論」として言ってるのと対応する。


マクルーハンの有名な託言「メディアはメッセージ」ってのはそういった解釈がされる。つまり、「メディアはメッセージ」というのはそれまでに積み重なってきたメディア使用の社会的素地が物理的集成としてその時代を代表するメディアガジェットに表れる、という象徴的なもの。テレビやラジオといったガジェットが現れるのはそういったリテラシーの時代精神のようなものの積み重ねでありメルクマールのようなものといえる、みたいなの。なので、メディア論におけるこういったギロンでは「iPadなどといった新しいガジェットによる影響」というよりも「それが現れるに至った社会的基層、リテラシーのコンテクストとはどういったものか?」というほうが注目される。だって、そうしないとCAPTAINとかセグウェイみたいに「騒がれた割にはつかえなかったねー」みたいなことになるし。
http://twilog.org/m_um_u/hashtags-bookasmedia



あ、また話それた。。戻そう




こんな感じで当時の背景としては経済システムの変動、価値観の変動、宗教改革→知識ハブの変動などがあったように思うんだけど、では当時のブリューゲルの取次ぎであったヒエロニムス・コックの店(四方の風)はどういった性格のものだったのか?顧客としてはどのような層が付いていて、どういった制作・広告・流通・販売システムを確保していたのか?

その辺についてあまり詳しい情報は見かけなかったんだけどとりあえず、「元々画家の家庭に育って風景画を得意としてたんだけどギャラリー的な代理店を経営するようになって」うんぬん
http://bit.ly/dB530e

「当時、版画は今日の出版とかマスメディアと同じく、いわば知識と情報の伝達の手段であり、ジャーナリズムの機能も果たしていた」、と
http://morutan.tumblr.com/post/883592428

そういえばブリューゲルのアルプス紀行なんかはまさにそんな感じがした。

てか、アルプス紀行シリーズでみる当時のヨーロッパはいまだったらほんとに砂漠って感じだなぁとか思ったわけだけど、当時のリアリティとしてはあんな感じだったんだろうな(なにもない砂漠に城と集落がポツンポツンみたいなの)



ブリューゲルーコックが活動の中心としたアントワープは大航海時代の要衝として隆盛を誇っていた。しかし80年戦争によってスペイン側に敗れ失墜していった。対してスペインから独立を勝ち取ったオランダ-アムステルダムはその宗教的寛容さから多くの豪商が集まるようになり繁栄を極めて行った
http://tumblr.com/xauem3exx


ブリューゲルの展示における「戦争」「大航海」の主題はこのあたりを背景にしているものと思われる。
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2010年07月22日

岡田英弘、1994-2008、「日本史の誕生」

ちょっと前のエントリでも軽く触れたけど「日本史の誕生」読んだので軽く


日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫)
岡田 英弘
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おすすめ度の平均: 3.5
5 あたりまえのことを、当然のように指摘すると、無視される怖さ
4 単行本もまだ流通している
2 歴史書ではなくスピーチ本
5 過激な内容の日本古代史論
4 主に中国の正史を元にした日本古代史論




主張としては「日本は中国から生まれた」というもの。箇条書きにすれば


・もともと日本は中国のコロニーの一つとして誕生した

・中国ももともとは国家って感じでもなく経済を中心とした共同体。中国は巨大な商社で中国皇帝はその社長。商業とそのためのネットワーク(物資の輸送路)が主目的となっていたため、その目的のために共同体や制度が組まれていった。

・水路がネットワークの基本だったんだけどそのハブポイント、川と川の交差点や待合いが必要な地点に都市ができていった(ex.洛陽(もともと洛陽を中心として中国は成り立っていた)


・中国もいくつかの人種・共同体の寄せ集め的な感じ(漢民族が中心とされるけど漢のあと国が乱れて統一するときに北のほうの人種が強くなったりしたし)

・日本だけでなくアジア圏の国はだいたい中国のコロニーが出自。朝鮮、東南アジアももともとそんな感じ。中国という企業の利益確保のために外部の圏域、コロニーが広がっていった。城塞都市として

・各コロニーにはもともと住んでいた現地人もいたが貿易の仲介役として華僑が多く移り住み、現地でハイステータスな存在になっていった




ここまでは主に「中国とそのコロニーとして生まれていった周辺諸国」との関連。最初の出自はそんな感じだけど、ではどういう経緯で独立していったのか?日本を例に取ると


・日本は中国の外圧から生まれた

・中国に取り込まれないように分離独立していた共同体が集合して「国」としての体裁をとるようになった

・その時期は天智天皇-天武天皇のころ。歴史的には天智天皇が百済の応援に駆けつけたのに百済と日本が新羅に負けてしまったとき。新羅のバックには中国がついていたので「このままでは中国にとりこまれる」危機感をもって近畿の倭国を中心として「日本」という国家としてまとまっていった。

・百済への応援、白村江の戦いのだいぶ以前には中国のコロニーとして、中国がバックにいることで便益を得ていた(ex.漢の奴の倭の国王、卑弥呼)。しかし黄巾党の乱などにより中国の人口が激減し各コロニー統制まで手が回らなくなった時期に夫々のコロニーの現地首長たちが独立していった。白村江の戦いはその支配権を守るための戦いだった


・天智天皇の後、天武天皇のころに国家としての中国からの独立性を主張するために日本書紀が編まれた。

・神話の歴史は日本書紀から生まれていった。日本書紀は「倭国を中心とした天皇家はずーっと以前から日本をすべていてそれは神々からもたらされた王権だから正統なもの」と主張するために書かれたものなので歴史的記述としては疑わしいものがある。

・たとえば日本書紀とその後に書かれた古事記を合わせるとところどころ矛盾する記述がある。中国の歴史書との比較でも同様。 てか、歴史書なんかその時代の支配者に都合の良いように書かれてるのでその共同体と直接の利害関係のない外部の歴史から比較していかないとわかんない。(なのでこの本では中国の歴史を参考にした




だいたいこんな感じ



「古事記と日本書紀の記述にズレがある」というのは天津神と国津神の記述における矛盾なんかが気になってたのでそうだったのかぁとか思ったり。

なにせ「天照の前にイザナギ・イザナミが国生みした」とか日本書紀なんかでは言ってるようなんだけど、一方で「天之御中主神を中心とした三柱神が天地創造をした」とか「大国主が大地を創造した」とかわけわかんないので。。誰が一番偉いねん。。大地なんこあるねん。。


こういう疑問も日本書紀であまりにも倭国寄りにつっぱしった記述になったのを当時に近畿の倭国と同じぐらいの強さをもっていた吉備方面の国に対して配慮して「あなたのところの神様(大王のご先祖さま)も国生みしてましたよね」的にしちゃったのかな?って思うと解決する。あとはもともとあった民間信仰とか地方ごとの信仰への配慮とかつじつま合わせとか。


そんでまあこんな感じで整合性ぐちゃぐちゃになるのでほかにもツッコミどころ満載になっていって「ホツマ」なんかも出てきたり。


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おすすめ度の平均: 5.0
5 やまとことばと言霊
5 ホツマ=THE WORLD SPIRIT




ここで書かれてた「薩摩隼人の辺りとかスサノオ-ヤマタノオロチ伝説辺りなんかは不倫だらけだもんねー」ってのはなんかよかった。史料検証的にどうなのかな?とか思うけど、当時の中国地方とか九州辺りの豪族なんかがそういうことあったのかなって感じ。




「日本史の誕生」のほうに戻ろう。


この本もヽ(´ー`)ノマンセーって感じで全部信じるのもどうかな?とか思うんだけど「各国の歴史なんか当時の支配者の都合の良いように書かれてる。なので、該当箇所の記述に関して利害関係のない外部の史料を参考にしないとダメだ」ってのはまさにその通りだと思うし説得力あるなぁ、と。


ほかに細かい記述のうんぬんというよりも歴史の見方の大筋みたいなのが吸収できて個人的には良かった。たとえば「中国という国は商業とそのためのネットワークが基本となっていたのでその目的のために共同体や制度が組まれていった。周辺諸国はもともとそのためのコロニーとして成り立っていった」というのは生産様式とそのためのネットワークって感じで分かりやすい。

自分的にはこれまで<農耕なんかで貯蓄(ストック)ができ、それを奪い合うために武力的集中が必要になり国家が生まれていった>って感じでみていた。人口動態的な俯瞰図でみれば農業を契機に世界の各所で点在的にハブが誕生し、それらが集まってより大きなハブになっていくようなイメージ。柄谷行人の「世界共和国へ」なんかは財を調達するための手段として「生産」「交換」のほかに「略取(武力による収奪)」があり国家なんかはそのために生まれた、みたいな説明がしてあって分かりやすかったように思うんだけど、基本的にはこのモデルに当てはまると思う。


ところがこの本では「商業を中心として中国という大きなハブが人工的に各所にハブを産み出していった」って書いてあって、「ああ、なるほろ。点在的に発生したと考えるよりもこっちのほうが分かりやすいなー」って思った。そうなると漠然と持っていた「武力の時代 > 経済力の時代 > (情報力の時代)」なんて区分けもびみょーになってくるな。経済のほうが前だし、てか経済ずっとあるから武力と同じカテゴリでもないだろし。まあ、あれはイニシアティブがより民衆側に移っていった(と思われる)際のゲームの変化みたいに見るべきなのだろうけど。



とりあえずそんな感じでなんかわかりやすかったので続けてこれ読む


世界史の誕生─モンゴルの発展と伝統 (ちくま文庫)
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5 「岡田史観」の入門書
5 単一世界史づくりへの最初の試み
5 岡田と(妻であり同業の)宮脇淳子が杉山正明を批判している
4 日本史の網野史学に匹敵する目からウロコの世界史
5 世界史とは…。




あと、自分の歴史エントリ的にはこれと対照にしてもおもろいかなー


muse-A-muse 2nd: 原田信男、1993、「歴史のなかの米と肉」
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/108950402.html



これも天武発祥だったな





あと、網野善彦『「日本」とは何か』とか「中世再考」なんかもゲットしちゃってるのでついでに
posted by m_um_u at 22:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク

2010年03月16日

タマラ・ド・レンピッカ展に行ってきたよ

「タマラ・ド・レンピッカの自画像は自己主張のある自主独立の女の実像である。両手には手袋をはめ、頭にはヘルメットをかぶり、近づきがたい。 冷たく薄気味の悪いほどの美貌[それを介して]恐るべき存在が心を貫く――この女は自由である!
(1974, 『オート=ジャーナル』)




タマラ展にいってきたのでできるだけ簡単に感想を仕上げたいなと思いつつまたちょっと長くなりそう。。手元に資料があるので。

これ読んでると長くなりそうなのでとりあえず現時点ではこれはあまり参考にせず展覧会で気になった箇所の謎解き程度につまみ食いしてみた。タマラの作品解説というよりは彼女の伝記的なもの。娘のキゼットやタマラの周りにいた人々への広範なインタビューに基づく。

それに基づいてこの感想も書くつもりだけど、あとでまたこの本を読み進めて追記箇所があったらミクシ日記にでも追記しよう。



で、まず展覧会そのものの感想やら、展覧会にいく気になった経緯やら。

少し前の日記関連で

muse-A-muse 2nd: マッキアイオーリ展にいってきたよ
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/140611092.html


なんとなく同時期(あるいはちょっとあとぐらいのアールデコな時期)に活躍した画家だったタマラに興味を持った。

ウィキペディアの記述とか見ながら


タマラ・ド・レンピッカ - Wikipedia
http://bit.ly/aEvOwq

15歳の時、オペラ観劇で見初めた男性に恋をする。1916年、叔父のコネを利用して、その男性と結婚する。タデウシュ・ウェンピスクというポーランド人弁護士で、女たらしとして有名で、結婚したのも持参金が目当てだった

彼女の個性的で大胆な作風は、(ロートのソフト・キュビスム、ドニの総合的キュビスムの影響を受け)さらに急速な進化を遂げ、アール・デコ運動の冷ややかな一面と官能的な一面を統合させる


彼女は、印象派の画家の多くが下手に絵を描き、「汚い」色を使用していると考えていた。それに対して彼女のテクニックは、新鮮で、クリアで、正確で、エレガントだった



冒頭の引用にもあるように自己主張のある鉄の女。ゴージャスでラグジュアリーでエレガントな「洗練された女性」とかいうやつを思い、自分とは違うものをもってるのかなと思って興味を持った。

たしかに「オート=ジャーナル」の形容がささげられた自画像「緑の女」が発表された1928をメルクマールとして、1930年代初期にかけて彼女の人生はもっとも華やいだ時期を迎えた。その時代のタマラとその作風はいまいったような女性像に当てはまるもののように思えた。

しかし1930年の不況+全体主義の足音に合わせて彼女の絵も売れなくなり、それに迎合するように彼女も作風を変え独自のスタイルを失っていた。

難民の絵を描いたのは当時の時代状況を描くことによって同時代性を得、不況によって少なくなってきていた絵の買い手をすこしでも繋ぎとめようとする努力だったとも言えるのだろうけど、その後のルネサンス(特にラファエロ?的な)期あるいはそれを手本としたマニエリスム的な画風、もしくは宗教が的なものへの先祖返りというのは彼女のこの時期の迷走を表しているように思えた。


さきほどもいったように彼女のオリジナルのスタイルは1920年代中期から1930年代初期に完成していただろうに。


キュビズムを介して人の体を描くことを通じて「人体の肉感性を綿密かつ端正な幾何学的分解に委ねた」ところ。これ自体はモーリス・ドニやアンドレ・ロートといった大家に師事することを通じて彼女が会得していったもので、「彼女独自のもの」というよりもキュビズム的手法の端緒的なものだったようだけど。それを基本としつつ、人体を幾何学的にに分解し表すことによって却ってエロティックな質感-肉感性を可能にしたのは彼女独特の表現形式だったと言えると思う。

パッと見、ブリキ人間のような質感。あるいはそのデザイン性が個人的には荒木飛呂彦の絵を想起させた。

ジョジョのスタンド能力というのはその人の持っている深層心理的本質を具現化したものともいえると思うんだけど、そういった人間の本質性の表現形式としてタマラは幾何学模様人間にたどり着いたのかなぁ、とかとか。ジャコメッティにおける棒人間、船越圭における木人間みたいに。


「タマラ=アールデコ的」といわれるけど、そう考えると「ブリキ=機械」の身体というところが未来派的な当時の風潮にあったのかなぁ。「進歩=スピード=機械=車」的なの。彼女の代表作であり自画像とされる「緑の女」なんかはまさにそんな感じだし。


タマラの一時期の恋人だった「スージー・ソリドールの肖像」の展示の横にはソリドール自身の写真も貼ってあってタマラが人のリアルを描くときにどの部分を重視するか、タマラをホムンクルス的リアリティとしての人はどんなものかということを想像させてしばし立ち止まってみていた。

(ホムンクルスについてはこの辺)
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/32/index-32.html


身体についてはほぼ予想通りというか張りのあるすべすべの肌に注視してるようだったけど、顔のほうはソリドールの精神性を投射してるように思えた。


それも「この時期の彼女のリアリティ(ものの捉え方と見え方)」であって、それをもって「完成」とはいえないのだろうけど。




彼女の表現形式が20〜30sにとどまったり、そこから昇華していかなかった理由みたいなものとして以下自分なりにぼけーっと。


彼女の人生がわりとエキセントリックで前衛的だったものなのに対して宗教画的なもの、あるいはコンサバ的なものに依っていこうとしたのは自分自身のあり方についてのコンプレックスがあったからなのかなぁ、とか思った。

表面的には「自由奔放な女性として性も生も愉しむ」って強さを体現していたように見えたんだけど、その裏にはおそらく陰口のようなものもつきまとっていて。そういった自分のあり方についての自問のようなもの、拠り所としての落ち着き処を絶えず求めていたような。

彼女にとって娘キゼットはそういったピュアなものの象徴的なものだったけど、彼女の人生の写し絵(あるいはあわせ鏡)のようにキゼットもいつまでも「彼女の理想のピュアな娘」ではなくなっていく。

そういった意味ではこの母娘は娘コンでありマザコンであった感じ。「甘えてベッタリ」というわけではないんだけど、タマラが自分のピュアな部分の理想像として娘を作り上げていこうとし依存してしまったのに合わせて、キゼットは母の束縛とプレッシャーから「タマラ・ド・レンピッカの娘」として生涯を送ることとなった。



「寄る辺ない不安」というのは彼女の生い立ちにも関係するように思う。

伝記本にすこしあったけどタマラはもともとポーランドの裕福な家庭で生まれ育ったんだけど、その階層の女性たちは「身内の男性など眼中にない」「亭主連中をほとんど絵の額縁みたいに考えていた」。
「子育ては他人がやってくれるし、不義は女性の気晴らしとしてもてはやされ」ていた。

結果的に両親は離婚してしまったようだけど、それはローマカトリックの国ポーランドにおいては不名誉なこととされることだったらしく幼いタマラの人生観にも少なからぬ影響を与えたっぽい。


彼女の最初の結婚について、ウィキペディアでは「結婚したのも持参金が目当てだった」と結んであったけど、(それも少しはあったかもしれないが)アクセントはむしろタデウシュ・レンピッカが当時彼女が知り得る限りもっとも「もてていた」男性だったことにあったようだった。タマラが最初に彼を見かけたオペラハウスでタデウシュは目のさめるような美女を二人同伴しており、それを見たタマラは「この男をぜったい落としてみせる」と心に決めた、のだとか。

そういった感情は祖母に溺愛されて育てられたタマラの自意識と「おでぶちゃん」としてのコンプレックスの裏返しだったのかもだけど、すくなとも最初の結婚はひとりの人間としてタデウシュを愛したのでもなければ、確立した一個の強固な生き物の「持参金目当て」なドライな戦略というわけでもない、承認欲求にもとづいた幼い憧れのようなものだったように思える。


そう考えると20〜30sに彼女が時代の寵児として持ち上げられ、そのスピードに流されて「自分」を見失っていったことにもこういった背景が重なってくる。


これだけいうとなんだかぜんぜんダメダメな感じだけど


展覧会の最後のほう、「テラコッタ様式」とタマラが名付けた陶製の植木鉢のような質感のモザイク画の中の一品をみてそれも少し違うのかなと思った。


モザイクの中に浮かび上がったモナリザ、個人的にそれは少し被爆のマリアを想わせて


muse-A-muse 2nd: 被爆のマリア
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/36290326.html


超然と神々しく、あるいはスマートでおしゃれなきらびやかに輝く人たちだけでなく現在の自分を見つめるということ。そういった心境の変化のようなものがなんとはなしに感じられた。



晩年にタマラが被爆のマリアを見ていたらどういった感想をもっただろうか






--
追記:
けっきょくなにがいいたかったのかなぁってエントリになったので簡単に

ウィキペディアの記述の中では彼女のドライな戦略性と「彼女は、印象派の画家の多くが下手に絵を描き、「汚い」色を使用していると考えていた」という記述が気になっていた。それで「内部に独立した系を持つ強固な生き物」としての彼女を期待していたところがあったんだけど。

展覧会を通してそれはだいぶ違うことが分かった。それは想定外的なもので少し意表をつかれたんだけど、代わりに得るものもあったように思えた。

「独立した一個の系」としての見られなくなった途端彼女の絵も時代の流行様式のモザイクのように見えるようになり、なんだかつまらなく感じられるようになった。

デザインとしてはきれいで洗練されていて「スマート」って感じなんだけどアウラがないというかイズムがないというか・・まぁ曖昧だけど。


彼女の評価が美術史家の間で分かれてるとかいうのもこの辺なのかなぁ、とボケーッと。



それとは別に20〜30sの画風は彼女独自のものを感じさせたし、それもびみょーなところがあるとはしてもそれ以降の作品も含めて、なによりも彼女自身の人生やそこにおける試行錯誤のようなものが感じられてそれが一番の収穫だったように思えた。


個人的に20〜30sの人間-機械的な身体描写はウイリアム・ギブスンの電脳三部作の「ニューロマンサー」「カウント・ゼロ」までの雰囲気を感じた。電脳空間で描き出された人の像のような機械的でありながらリアルな感じ。そして、テラコッタ様式の「モナリザ」で「モナ・リザ・オーヴァードライブ」につながる。


そう考えると彼女の作風は結果的に昇華されていたのではないか、とも思えてくる。


速度と圧倒的な情報量(絢爛さ)を主軸とした20〜30sから保守的に過去の作品を振り返って吸収し、それを通じて彼女自身のリアリティとしてのモナリザ(美しきもの)を描き出したということ。

その手法ははからずも(ウイキペディア的には)彼女が「下手」と蔑んだ印象派的なものに近くなっていて、これはこれでなんだか感じさせるものがあった。


しかし今度のそれは真似でも模写でもアレンジでもなくまごうことなき彼女の「現在」だったのだろうけど


タグ:art
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2010年02月08日

マッキアイオーリ展にいってきたよ

目黒の庭園美術館でやってるマッキアイオーリ展いってきたので軽く日記でもかいとこうかと思ったんだけど、


「いってきたよ」写真
http://movapic.com/pic/201002071220354b6e31831a122

東京都庭園美術館:展覧会情報
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/macchia/index.html

(ちなみに展覧会の会期は3・14まで)


関連ででてきた関心調べてたらけっこうながくなったので「軽く」でもないなぁ、と思いつつ…忘れないようについったでつぶやいた備忘録は「書きたいことメモ」としてまとめといた



特に予備知識もなく展覧会概要だけみていったんだけど、ざっと見ただけでも印象派などのフランス近代絵画の元か?的な印象があった。
あとルノワールとかドガとか、キリコとか。オランダの光と影の陰影(フェルメールとか)、メキシコ絵画をおもわせるところもあって、なんかいろいろ混ざってる感じだった。イギリス田園絵画とかハンマースホイとかも


最初の方はそれほどおもしろいものもなくて従軍絵画とか見つつそれほどおもしろい絵でもないなぁと思ってたんだけど、中盤辺りからマッキアイオーリ独特の表現というか、いろいろな表現技法の萌芽的なものが混ざった感じでおもしろくなっていった。

マッキアイオーリと言うのは‥めんどうだから展覧会概要から引用

イタリア語で「マッキア派の画家たち」を意味する“マッキアイオーリ”とは、1850年代から60年代にかけてフィレンツェを中心とするトスカーナ地方で活躍した、先鋭的な画家たちのグループの呼称です。フィレンツェのカフェ・ミケランジェロに集ったジョヴァンニ・ファットーリやテレマコ・シニョリーニ、シルヴェストロ・レーガといった若き芸術家たちは、伝統と因習にこだわるアカデミスムの絵画に対して反旗を翻し、「マッキア(斑点)」を使用した新たなスタイルを生み出しました。

 彼らが目指したのは、アカデミスムの教育で重視されていた形態描写ではなく、目の前に展開する瞬間の「真実」を、色彩や明暗でありのままに表現することでした。彼らよりやや遅れて登場したフランスの印象派たちがそうであったように、マッキア派の画家たちも当初はその技法上の特徴を揶揄して、「マッキア」=「染み・汚れ」「無法者」のような批判的なニュアンスで捉えられていましたが、彼らは敢えて何かに背きたいという願望をはっきりとにじませてこれらの挑戦に応じ、むしろ「マッキア」の名を誇りとしていたのです。


要するに「斑点(マッキア)が特徴な画風・画家たち」って感じ。

んでも自分的にはどの辺がドットなのかよくわからないなぁとか思いつつ、風景のあたりだったのかなぁとか思った。人物画のほうはけっこうシャープな線で描かれていて、それに対して木なんかは斑点だったように思ったので。

わざわざ斑点を使うのは「そのほうが光と影の陰影を出しやすいからだ」ってことだった。たすかに近くではなんかポワポワなボケーッした斑点も、ちょっと距離を置いてみると空気に屈折した光の様子というか、場のわずかな反射の具合によって変わってくる光の当たり方を表現しているように思えた。てか、空気感のようなものを感じたり。

それで「光と影を描く画家たち」ってことでオランダの画家(オランダの光)を意識しながらみていったんだけど


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4 巨匠を生んだオランダの光


映画「オランダの光」 (加藤周一さんの説明など)
http://www.icnet.ne.jp/~take/vermeerhollandslight.html

要約すれば「オランダの光」の第一テーゼでは「オランダは大きな水たまりを埋め立てた干拓地 → 干拓以前の17世紀には大きな水たまりの反射によって上と下から光に照らされ空気感が違った → それゆえオランダ画家たちは17世紀にはブレイクしたけどその後はしりすぼみになったのではないか?」というものだった。

その辺の真偽はこの映画を実際に見て確かめてもらうとして、そういえばイタリアもでっかい水たまり(海)が近くにあるので光の加減−空気感が違うのかなぁとかなんとか。そんなこともボンヤリ思ったりもしたけど、特に説明もないしほかにも見所あったのでぼけーっと流したり。


ポワポワ+人物画ってことだとルノワールを想起したりもした。
http://bit.ly/bfFBJl

絵のタイトル忘れたけどご婦人からぽワーッとしたアウラみたいなのが立ってる絵があったので。周りの使用人や乳母はふつーにシャープな線の写実なのにご婦人だけポワポワが立ち上ってた。解説に「これは格差を表したものです」とか書いてあったようで「そういやフランス絵画にもそういう格差みたいの主題にしたのあったなぁ」、とか。


そんで、オランダ・フランスと似たような絵画を彷彿とさせるものがいくつか並んでたのでその伝播的影響を思ったんだけどその辺の解説は特になかった。時代的にマッキアたちは1860-80年代中心に活躍していたようなので印象派とかの影響も十分可能性はあるわけだけど。

てか、ぐぐったら印象派のメルクマールって1874年ということでほぼ同期してたのか。んでもルノワールとかオランダの光と影の影響はあったのかもなぁ。。

そういや田園絵画っぽいモチーフもけっこうあって、なんかコンスタブルとかハンマースホイとか思わせた。


ジョン・コンスタブル-主要作品の解説と画像・壁紙-
http://www.salvastyle.com/menu_romantic/constable.html


muse-A-muse 2nd: ハンマースホイ展に行ってきたよ
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/110380300.html


ハンマースホイのほうはリンク先概要が消えてるのでウィキペディア参照するに「生年1864年5月15日〜1916年2月13日」ということでマッキアイオーリともほぼ同時期だったか
http://bit.ly/aAjUu6


コンスタブルの方はオランダ田園絵画の系譜ってのもちょっとあるみたいだけど。モノの本によると田園絵画が流行りだしたのは蒸気機関車などの輸送の発達-近代化の影響もあるみたい。あれで人々がより気軽にいつもとは違ったところに足を伸ばせるようになったので「田園絵画」っていうそれまでとは違ったモチーフも描かれるようになった、とか。

個人的にはああいった「一面のエメラルドグリーン」って感じの風景は世界遺産オルチア渓谷を思い起こさせる。


オルチア渓谷(イタリア)|THE世界遺産
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20090726.html


てか、これ自体トスカーナってことでピンポイントだったみたい。マッキアイオーリの田園画の解説忘れたけどトスカーナもあったのかもなぁ。


「産業化の影響と絵画の変化」な話がでてきたのでついでに続けると、「産業革命の絵画への影響は輸送の発達→移動の容易化」ということだけではなく複製技術の発達も促した。

カメラなんかの影響もあるけど、産業革命でお金をもつようになった中流階級の人々の家を飾るために、機械で造った安物の複製品が大量生産されていった。それを受けてそれまで絵画の主要なモチーフの一つだった「写実=リアリズム」に疑問符がもたれるようになったり。あるいは「既存のモチーフは複製がやってくれる」ということで既製のモチーフや構図を技法だけ凝らして辿るようなマニエリズムの必要性が減っていった。
結果として画家はより自由なテーマや構図を選べるようになり、印象派やキュビズムといった絵画・彫刻などによってしかできない形でモノの本質を追求して行った。

伝統的で堅物なアカデミックな主題(古代ローマ−カトリックな伝統的テーマ)や構図への反抗もそのひとつ。マッキアイオーリの説明にもそういうのがあったけどドラクロワの説明なんかにもそういうのがって「やっぱフランス絵画の影響あったんじゃまいか」とか思わせる。



あとちょっと思ったこととして、「マッキアイオーリはイタリア統一運動(リソルジメント)に呼応して立ち上がっていった」、ってあったんだけどこれって日本だと明治維新だなぁ、と


イタリア統一運動 - Wikipedia
http://bit.ly/cybF0r


日本の西洋画壇の場合は「西洋に追いつけ追い越せ」って感じだったのだろうけど。そんで「らんぷの下」なんか思い出したり。


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5 次世代に残したい名作。
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5 「普遍の才能」を絵に描くと、こうなる
5 なぜか涙がこぼれる
5 はまりました



ここには黒田清輝と久米桂一郎が立ち上げていた私塾「天真道場」についての話「裸のお百」が所収されてる。

当時はまだ西洋画的な裸婦なモチーフが珍しくて、ってか「公序良俗に反する」ってことで禁止されててまともにモデルを募ることも、描くこと・展示することも出きなかったんだけど、そういった時代に裸婦モデルをつとめた女性についての話。

ついでだから説明文そのまま引用

遠く桃山時代にキリスト教とともに移植された西洋絵画は、当時は宗教的な弾圧、近代にはいっては、生活様式や思想の違いから十分に開花できないまま、明治も中期を迎えていた。

明治二十年代になって、欧州に私費留学した人々が続々帰国し、ようやくあちこちに洋画塾が生まれたが、どうしても実行不可能な問題が一つあった。

それが、近代絵画の基礎である人体研究には欠かせない、裸体モデルの使用である。


当時の日本は着衣のモデルすらなかなか得がたい時代だったから、欧州では十分に裸体モデルを使ってきた指導者たちも、日本でのモデル捜しは初めからあきらめていた。そのため、多くの洋画塾では、風景や歴史画でお茶を濁し、日本画的洋画に終始していたのであった。



黒田清輝も裸婦作品「朝妝(げはい)」を内国勧業博覧会に展示したけど、新聞や政府、警察からこぞって絵を撤去するように勧告された、とのこと。んでも博覧会側が展示し続けたらしい。




同じように「国家統一 → あたらしい芸術」みたいな流れではあってもマッキアイオーリと日本の西洋画壇というのはこんなにも差があったのだなぁ、とかなんとか。

んでもそういった差も戦後20年ぐらいで急激に埋まっていったようだったけど。




あとは庭園美術館について。もともとは宮様なお屋敷だそうで美術館自体がアート的な、絵画もそこに置くことで全体の雰囲気を含んだインスタレーションとなるような趣きがあってよかった。まさこが「ここは何置いても映えるよねー」っていってたけどそんな感じ。次回の展示はアール・デコだそうで。



しかしこうやって歴史追ってくるとマッキアイオーリからアールデコにつなぐところもなんか心得てるっていうか狙ってる感じ。あのときは気づかなかったけど


マッキアイオーリたちが活躍した時期や狙っていたものというのは完全な産業化-近代化と中世的なものとの中間というか、スチームパンク的な「完成品ではない中間なものの趣」があったわけだけど、アールデコ→ユーゲントシュティールと進むに連れて国家総動員的に「近代の進歩と躍進」を目指すようになる。

アールデコはそういった時代以前ともいえるけど、そのモダンなデザインというのはやはり「近代」に対する無邪気な期待を思わせたり。

無邪気といえば蒸気機関の時代にも共通するわけだけど、なんかまだゴリゴリと総動員って感じでもないポンコツなガラクタを愛でるような趣があったような。


それは錬金術からサイエンスへ、科学や化学的なものが排他統合されていった流れとも似て…。




そういえばいま文化村ではタマラ・ド・レンピッカやってるみたいで


美しき挑発 レンピッカ展 本能に生きた伝説の画家 | Bunkamura ザ・ミュージアム
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/shosai_10_lempicka.html


ちょっと調べたらラグジュアリーなキュビズムって感じだったみたい。「印象派なんか下手っぴじゃない」って言ってのけるような


タマラ・ド・レンピッカ - Wikipedia
http://bit.ly/aEvOwq

絵はこんなの
http://bit.ly/aYTzIo


キュビズムもちょっとモダニズム・戦争的に利用されそうな流れもあったみたいだけど、タマラの人生みてるとそういうのを華麗にかわすというか、鼻で笑い飛ばしてる感もある。「男たちはほんとに純粋まっすぐちゃんねぇ」って感じで

そういった純粋まっすぐちゃんに対して、鼻ならぬ華であしらった人生がタマラだったのかなぁとか妄想する。







遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん

 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ







--
関連:
マッキアイオーリと大木屋 - お休み前の日記
http://d.hatena.ne.jp/masakooo123/20100208


産業革命 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E9%9D%A9%E5%91%BD




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2009年12月08日

サルガド展にいってきたよ  アフリカという神話と複製技術の行く末

恵比寿でやってるサルガド展に行ってきたのでメモ的に


東京都写真美術館 > セバスチャン・サルガド アフリカ 生きとし生けるものの未来へ
http://www.syabi.com/details/sarugado.html


フォトジャーナリズムはよくわかんないのでロバート・キャパ展ともう一個ぐらいしかいったことなくて今回もどうしようかなぁという感じだったんだけど「日曜美術館」でサルガドの特集やっててそれみたらいい感じだったので見に行くことにした。

「日曜美術館」で気になっていたのは「サルガドの写真は単なる事実を切り取るものではなくて、そこに慈愛を載せている」とかいっていたところ。

日本人ジャーナリストの人がある写真をみて「すごい…ただその一言です…」といっていた。ルワンダ内戦で虐殺されたツチ族の骸骨が並ぶ部屋を撮ったもの。それはふつーに撮ればただ凄惨で露悪的なものにすぎないのだろうけど、そこに窓から光が降り注ぐ。

それも演出の一部だし、ってのはあるのだろうけどそれを構成しようと思った物語性というか、それの土台になってる考え方がすごいのだろうな、と思って。あとは「もともと経済学者」ってことなので宮本常一さんのフィールドワークな写真の滋味のようなものが感じられるかと期待して見に行ってみた。



最初はフォトジャーナリズム的な展示でよくあるような写真がいくつかあった。しかしそれはフォトジャーナリズム的作品によくあるように「悲惨」ということをクローズアップして表現しようとしているのではなく、人間の生命力に対する畏敬のようなものをもっているように感じた。「ああ、こんなところにも人が・・・」的な驚きというか


次にオリエンタリズム的に女性の生命力を讃えるような作品群が展示されていた。いままでの写真とは趣きを変えた女性のしなやかな裸体をとらえたもの。この辺は少しゴーギャンを思ったけど性に対するベタッとした関心ではなく、そういったイロを廃した毅然とした神聖さがあるように思った。


「ゴーギャン的」ということでは「オリエンタリズム」的な逆差別的な過剰持ち上げも絡むのかなぁとぼんやり。

ジャーナリズム的なコミットも「リベラル」と称しつつともすると特定の対象を過剰に持ち上げてしまうきらいがあるので。あるいは過剰に「悲惨さ」をアピールする傾向。

サルガドの作品ではその部分のイロ、恣意性を白黒な表現によって廃しているように思った。差別も逆差別的な視線も廃した透明な白と黒。

「ベルリン・天使の詩」でみたような色彩を帯びた白黒。

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5 ベルリン その風景
5 家にあると安心
5 当時のベルリンを知らないけれど


そういった美しさは対象にコミットしつつも私的思い入れをしすぎないという律によって保たれる。その律の緊張感がなんとなく伝わってきて作品のすばらしさとなっているところもあるのかもしれない。


では、そういった自律がどのようにして保たれるのか?

「対象をリスペクトすること」という言葉がぼんやりとうかびつつ注ぎのブースへ


次の作品群は戦争とはうって変わって動物や砂漠の風紋など。

構図と瞬間の陰影、あるいは幾何学的な美しさで構成されてるんだけど、なんか別の惑星に降り立ってそこの美しい風景をみているような錯覚を持った。

この辺の捉え方、全体に漂う静かな詩性のようなものはハンマースホイを思わせたり。


muse-A-muse 2nd: ハンマースホイ展に行ってきたよ
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/110380300.html


無駄をそぐことで生まれた荘厳さと、それに触れることで感じ得る敬虔さのようなもの



そして最後のブースではふたたび戦争の周辺的な日常をとらえるところから。そして、さらに一歩踏み込んで武器を持たぬ民衆の長い旅路のようなものを描いていた。

このブースの最初の方では「これ中世の旅の光景とも似ているのでは?」と思っていたのだけれど、あとのほうでは神話のほうが近かったように思った。

というか、出エジプトで的なものであり、そう考えると前のブースの別の惑星のように感じた作品たちは創世記の地球を描いたものだったのかなぁ、って。


戦争による被災→貧困と砂漠が与えるその試練が砂漠の風として表され、毅然として風に立ち向かおうとするその姿がなにか運命に立ち向かおうとする人の意志を見ているかのような…


そして、そういったことをぼんやりと思っていたら全体に漂っていた畏敬の念が理解できたように思った。


サルガドは半ば聖書の神話的なものを重ね見ているからこそあそこまで敬虔な気持ちになれたのかもなぁ、とか。


もしくは、彼の対象への尊敬の念が観客たるぼくにそう思わせるほどに足るだけのものだったのだろうな、と。


それが名画の一場面のような光、ウイリアム・ブレイクのそれを思わせるような白と黒による色彩の再現を成功させていた理由ではないか




絵画の時代から写真、デジタルカメラの時代になって複製技術的なものによりアウラの消失があやぶまれたりしたけれど、複製技術を用いてもこのような形でアウラを表現できるということ


それはわれわれがこれから進む道に対しても一筋の光明のようなものを見せてくれたように思った




--
関連:
複製技術とは何か? | notes
http://blog.breathnoir.velvet.jp/?eid=221

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2009年10月25日

ネット時代の「文化の力」とは?   情報力-国民主権-国民国家-民主主義

この辺を見ながらぼけーっと、わりと前から思ってたことがおぼろげにまた見えたのでメモ程度なつもりで記しとこう。






・「武力 → 経済力 → 情報力」的なとらえ方の話


東さんの言ってることはシステムが成熟してくると内部の過程がルーチン化して固定し、経験・流れがデータベースとして蓄積されるって話。そんで、そのデータベースには誰でもアクセス可能なので流動性と互換性、新規参入が高まる、と。

モジュール化とオープンアーキテクチャをイメージすれば判りやすいと思う。


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4 基本的な考えは今でも通じる
3 オープンアーキテクチャ戦略?
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データベースとかオープンアーキテクチャがサブシステム的なものかどうかは留保が必要だろうけど。

そんでこの流れで思ったのは

『物理的力(武)の次に経済的な力(金)が来ていまは消費を介して経済と文が接合され、それが内部的には統治のシステムとして受け容れられてるように思うわけだけど、自分のオツム的にはこの辺のメカニズムの説明がしにくい。東さんだと出来るのかな?』

ってやつ。

ちょっと飛ばしたところもあるのでもそっと詳しく言うと、東さんはここで表象-媒介という情報の流通過程をすべてのシステムに共通するものとしてイメージしていて、政治的過程というのもその流れに沿うとしているみたいなんだけど、それって留保がいるんじゃないかと思った。


おそらくいまのシステムは大きく分けて3つある。

それぞれは力の源(リソースでありその集約がそのシステムにおける価値)に繋がる。それらはおーざっぱに政治・経済・文化に対応する。力の源はそれぞれは武・金・文(聖)となる。最後だけちょっと歯切れが悪いけど公文さんとか白田さん的には「情報」とされているけど…って感じ。


HPO:個人的な意見 ココログ版: [書評]情報社会学序説 At home in the last modern
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2005/08/_at_home_in_the_8f05.html

グリゴリの捕縛 あるいは 情報時代の憲法について
http://grigori.sakura.ne.jp/hideaki/kenporon.htm


「情報」というのは政治・経済の系にも共通する意思伝達のための最小単位でありそれらを流す媒体も指すので。まぁ表象と媒体ということだろうけど。

なので「政治」「経済」のほかに別の系があるという風にとらえたら分かりやすいかもという認識には同意するんだけどそれは「情報」というか「文化」かな、って感じがしている。この「文化」という言葉も曖昧で、せいぜい「政治」「経済」の合理的システム(ハーバーマスなんかが「システム」と呼ぶもの)からはずれた多様性ぐらいのイメージだった。

それでだいたい公文さんのイメージとも重なるんだけど、公文さんの物言いというのはぼくにとってはちょっと楽観的に思える。さっきもいったようにシステムというのはまず「政治」「経済」の系がありそれらの余剰として「文化」があるはずなので。実際、「主権」という言葉でイメージされるのは武力だし、そういった直接の攻撃性に対する婉曲的な国家間パワーが経済力ということになってるはず。

そして、ぼくが最近みてきた中世の歴史の流れをみるとどうも簡単に「次の時代は文化(智)のゲームの時代だ!」とはいえないように思えたので。

中世の歴史を通してみると確かに単純な武力と経済力以外の力というか、力を包摂する仕掛けとして文化が使われていたという印象はある。それはたとえば網野さんがいうような年中行事と天皇制度の関係だったり。

天皇制が昔から敬われてきたのは単なる武力やそれに基づく経済力(具体的には荘園力)、あるいは天皇を神の子孫として奉ずる聖性に基づくものではなく、天皇や貴族、寺社の荘園で行われる地味な年中行事の影響が大きかったのではないか?

昔は時計もカレンダーもなかったので年中行事の励行によって大まかな季節感を持っていたのだろうけど、これがそのまま文化的な権威性を帯びていたのではないか。そしてその権威がそのまま天皇への信頼性に繋がっていたのではないか、的な話。


この辺は中世ヨーロッパにおける識字とそれに連なる知識(あるいは知識の編纂・分類方法=思考方法)と教会の関係を考えれば分かると思う。教会というのは「神の教えを説くところ」という聖性がためだけに敬われていたのではなく知識のハブだったので権威性を持っていた。それに加えて荘園を持つことを認められていたので経済力もあったわけだけどまぁ置く。


このようなことを思うと「文化」というのはバカにならない力を持ってきたとは思うんだけど、それはさっきいったような「政治」「経済」的なシステムの力とはまたちょっと違うように思う。

これはちょっと前にいった文化と文明の違い的な話にも共通するんだけど


muse-A-muse 2nd: 中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/129773060.html


「文明」という言葉には「システム」に連なるものがある。あるいは「技術」。「文化」との対照でいえばより下部構造的な具体性をもったものが「システム」でありそれを駆動するするための具体的かつ明示的な「法理」や「道具」、「表象」(ex.文字、言葉)などが「技術」ということになると思う。


東さんのこの辺の話もGLOCOM時代に公文さんから影響受けたところもありそうなのでそんな感じ。



「ネットがあれば政治家いらない」 東浩紀「SNS直接民主制」提案 : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2009/10/24052476.html


東浩紀の渦状言論: 信頼社会は不安社会よりいいのか?
http://www.hirokiazuma.com/archives/000394.html







muse-A-muse 2nd: ネットの公共性をめぐっての古くて新しい話  現実に即したパワーゲームか原義的公共性か
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/121028286.html



そんでそういった力の源はそれぞれ次の力の源が出てきたからといって効力を失うわけではなくそれぞれがその範囲を増大し、あるいはお互いをけん制するように発達してきた。でもやはり「武力 ≧ 経済力 ≧ 文化」の関係は変わらないと思うけど。

たとえば現実的な実行可能性の面での機動性という意味では下位のリソースにいくほど速く動かせるとは思う。他国をけん制するときにいきなり攻撃するよりは経済的封じ込めを行ったり、あるいは文化的にけん制しあったほうがコスト少なくて済むし。

そういう意味では下位のリソースが上位のリソースにとって変わったかのような錯覚は起こるかもしれないがやはり武力で他国を侵略してしまえば経済力も文化も奪えるわけで、そういう意味ではこの力関係は変わっていないように思う。(実際には協調関係が重んじられる現代の国際政治経済体制の中でいきなり他国を攻撃とかはないわけだけど)

たとえれば武力がホームランバッターで経済力がオールラウンダータイプ、文化がもっと機動性のある安定ヒット型といったところだろうか。



とりあえずここまでのまとめとしては、「力の源の上位の系が政治・経済というのは依然として変わらないはず」、って感じ。




・「国民主権 → 国民国家」ってどういう経緯から出てきた考えなんでしょうね?


で、ここで疑問としてでてくるのが「武力・経済力をもとに勝者が決まるという厳然たるルールがあるはずなのになぜ国民主権-国民国家という形がとられたのか?」、ということ。さっきの話的には武力も経済力もなにもない大多数の国民に(擬制とはいえ)主権を託す必要性が分からないので。


ひとつは単純に「大衆があつまって暴動が起こるのが怖かったから」という話。

荘園の隷属民時代には(荘園従属の)大衆は規律訓練というかマインドハックされてたので暴動を起こすなどという気も起こらず黙々と作業していたのだろうけど、戦争が終わって平穏が訪れその間に智が研鑽され新たな技術が開発されることで農業などの生産技術が向上しそれに伴って人口が増大。農村の余剰人口は都市部に移住し、やがて都市民としての財と自由を手に入れた。これによって自由の権利に目覚めた大衆が革命を起こしていった。国民主権的考えはこの延長、とする説。

マルクス主義的なあれかなぁって感じ。カムイ伝とか。




それとは別に「市場によって大衆が経済力を持ったがゆえに無視できなくなった」って説も考えられる。ちょっと前のエントリでの推測


単純なリバイアサンとベヒーモスの相克ゲームに聖と文がクッションとして加わりつつ西欧の場合は聖が武を凌駕した時期もあった。そして聖はやがて文のみとなり大衆の登場と同時に市場に統合されていく。大衆の登場


muse-A-muse 2nd: 都市民の社会契約としての社会保障とそこから疎外される人たち (それを受けたメディアの形の変化→社会への影響について (仮)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/130515309.html


具体的な歴史としては荘園→封建時代に隷属民であった村落共同体の人々が都市の隷属民(あるいは下層階級)として編入されいわゆる「都市民の自由」は複数の人を養える親方的な商工人に限られていた、という話。なので自由の権利はもともと大衆全般に権利は開かれていたわけではなく少数の金持ちに限定されていていまでも基本的にその流れを受けている。

しかし、戦争がなくなり技術が発展し人口が増えそれを当てにした市場ができることによって個々人では木っ端だった人々が「大衆」というかたまりになることで「金」という発言権にリンクしていった。(※これ自体はまだ確認してないので推測だけど。


こうして「武」と「金」のパワーゲームに大衆も加われることになったわけだが大衆の消費の場として設定された市場に「文」の権威が加わることとなったと思われる。大衆の消費的傾向を誘発するための装置として「文」が必要だったので。

ゾンバルトなんかを考慮するとここは少し順序が違うかもしれないけど。(未読だが)「大衆のものではない貴族の女性たちによる贅沢と消費が現代の資本主義の元となった」、というのが彼の言説のはずだし。

ただ、大衆を目当てとした大量消費の場合は文化的意匠がよりドライブされた感じ。生活の上で特に必要でもないものを買う行動選択(消費)であり、それを誘発する文化的意匠が必要となる。これは貴族の消費のときに培われたものが活きていたのかもしれないけど。あるいは都市民的生活-市場でもそれ以前からあったか。



まぁともかく、そういった形で市場(という名の荘園)で消費する大衆が必要になったため彼らの権利をある程度保護するようになりそこから国民主権的考えが派生した、とする説。




あるいは王権神授との関連。

最初は武のゲームであり経済力よりは武が強かったはずなんだけどヨーロッパの場合、聖的なものに権威性が傾きすぎた時代があった(cf.カノッサの屈辱)。日本でも似た様な例は見られたんだけど信長が潰したりしたのかな。てか、日本の場合は聖 / 武が単純に分けられていたわけでもないか(cf.「異形の王権」)


さておき

民衆の大義(公)の拠り所として、あるいは文化的なものの中枢として教会は権威性を帯びていったのだと思うのだけど王権神授というのは聖と武の関係がいれかわった(聖≧武となってしまった)時代に象徴的な擬制だったように思う。

そこから国民主権-社会契約→国民国家への飛躍はどういう背景(理路)から生まれてきたのか?「王権と同じく人々の自由は「神に授けられた人々の本質的自由に根ざすもの」的な考えだったのだろうか。


Togetter(トゥギャッター) - まとめ「人民主権→社会権 的なものってどういう論理や背景から生まれたんだろ?」





とりあえず国民主権的考えに到る流れを追うためにロックとかホッブズ、ルソーみたいなベタなのも読んでみようかとは思ってるけどあまり期待してない。この時代のひとの話というのはキリスト教的な考え方に対するカウンター的言説の意味合いが強くてちょっと言いすぎなところがあったり、あるいはその考えの元となっている史料自体がキリスト教的に歪められてたりするだろうから。

できればぢみに当時の武力-経済力-技術力の移転状況、それを受けた人口の変化とかみていけたら良いような気がしている。その点でシュミットとかどうなんかなぁ。。






あるいは他国がしかけた煽動的な要素もあったか? おそらく「都市民の自由は本質的なもの」みたいな後付けロジックも他国からの陽動も同時に行われた(あるいは両方の可能性があった)


Togetter(トゥギャッター) - まとめ「「国民主権」て他国をかく乱しようと送り込まれた文化装置的な背景もあったんじゃまいか?的陰謀論」




・・・まぁ陰謀論的だけど。




んでもざっとみて以上4つぐらいの可能性があるかなぁ、と。そんでどれかひとつではなく複雑に絡まりあってるかなぁとか思う。






・ネット時代の「情報の力」とは?

それで最初に戻るんだけど


そんな感じで見てきたときに可能性の一つとして「市場のために大衆の権利を保障した」(あるいは大衆を庇護した)というのがあると思うんだけど、このとき保護された大衆は同時に市場に隷属される状態になったともいえる。消費依存ってやつ消費社会論的なあれ。

こういった文化依存的な心理過程というのはCultural Studiesなんかで解けるのだろうか?

マルクス主義的に単に「産業社会が悪い!(脳みそ汚染されてる ><)」というのとも違って、もそっとフーコー的な気づかない間にぢわーーーっと沁み込んでて「それはそれでいいじゃーん」って思えているような感覚。

そんでそういった仮に「権力」と呼べるような妙な慣性がわれわれを支配すると同時に守ってくれている、というようなの。



もちろんそれは人工的に作られた幻想であり虚構的なものであって、「武」や「金」といった上位の力の存在を忘れさせるだけの麻薬とも思えるわけだけど。


よくネット時代の「ネットワークの力」とか「情報の力」とかいわれるのは「武」や「金」に対する力というよりはこういうものへのオルタナティブなもののように思う。

マスメディアに代表されるような、われわれ自身が再帰的に作り上げてきた消費的な文化装置に対してわれわれのリアルな生活と実存を想い起こさせるような、そして見知らぬ誰かと共有し、知や感情のよすがを育んでいけるようなそういった力というか場のようなものとして。


そこから先になんらかの創発的なものがあるのかもしれないけど、はじめからそれを期待し過ぎても却ってその可能性を潰すことになってしまうのかもしれない。





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国民国家とメディア-文芸市場の話はもうちょっとこの辺読み込んで再考必要かも


muse-A-muse 2nd: 中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話  (応用編)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/129946855.html



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追記:
シュミットで見ようかと思ったけど彼は主に政治理論かなんかみたいでいちお歴史的考察もあるのだろうけどやはりリソースの移転を中心に考える場合は経済学系かなということで「ハイエクでは?」とかしいたけにいわれたんだけど





どうもハイエクもそういう記述はやってなくてまず「自由は最初からあった」みたいな感じなので、とりあえず中世−近代に到る歴史学系の本参考にしよう。


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2009年10月17日

都市民の社会契約としての社会保障とそこから疎外される人たち (それを受けたメディアの形の変化→社会への影響について (仮)

ついったでのお話を受けてちょっと思ったこと関連メモ。

前段階としてこないだのエントリ2点があるわけだけど


muse-A-muse 2nd: 中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/129773060.html

muse-A-muse 2nd: 中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話  (応用編)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/129946855.html


オラのほうの前提としてはこの2つのエントリ的な「都市民的な社会とそれ以前の村落共同体的な共同体とは価値観や思考様式が違い、近代は都市民的なものを中心としてきたため村落共同体的なものを切り捨ててしまった(それがための矛盾や誤謬が生じている)」というもの。

ハーバーマスのあれも「都市民的な自由」をデフォとしてるので(村落共同体的な)大衆、あるいは都市民の中でも貧困層的なものへのまなざしってゆるそうだな、って感じ。「新聞は社会の木鐸」論の最終的な帰結であるマスメディア論における公共性論の流れもその影響を受けることになると思う。


そんで下の話だけど

この話以前の自分的な感覚としては都市民は一律に社会権の恩恵を受けていて、半ば基本的人権として設定されているものと思っていた。それは国家の庇護に入ることと引き換えに大衆が手に入れたものかなぁ、と。

んでもどうやら基本的人権と社会権とではまた違ったもので、「社会権は財政的に身の丈に合う範囲に保障される」、と。つまり社会保障の多寡は税金払ってる率によって決められるって原則っぽい。

そうするとやっぱブルジョアな都市民と貧困層的なものも含んだ大衆との間では分断が出てくるよねーって感覚なんだけど…


まぁ、とりあえず以下こないだのログ







そんでこれを受けて自分的に読んどいたほうがいいなぁと思ったものを思い出したので以下メモ


本来大衆は荘園の隷属民であったため基本的人権とかなかったわけだけど都市がデフォ化して都市民の幅が拡がっていったのとリンクして大量購買層としての「大衆」ができあがりその権利も確立していった…(まだちょっと仮説的だけど)


その幻想を受けて出来上がっていったのが近代的な新聞でありその理論的支柱が市民的公共性ということになるのだろうけど、では、「市民」に含まれなかった大衆はどうなったか?大衆の声を拾い上げる動きはあったか?


明治期の大衆紙に属する人々がどのような層を対象としどういった理念のもとに具体的な行動を起こしていたか。大衆/市民の間に揺らぎはあったか?


こういう話は津金澤とかの小新聞研究かなぁと思ってみたけど小新聞そのものだけだと単行本化はされていないのね。それでこんな形、と


現代日本メディア史の研究
津金沢 聡広
ミネルヴァ書房
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あとこの辺とか


大衆紙の源流―明治期小新聞の研究
土屋 礼子
世界思想社
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土屋礼子『大衆紙の源流−明治期小新聞の研究』
http://ishibashi.hippy.jp/shohyo/kawamura2.htm


 著者の指摘する小新聞の魅力とは、ふりがなや俗語、ヴィジュアルな挿絵を用いて幅広い読者層を開拓し、筆禍事件に見舞われながらも、「諧謔と風刺をこめた裏側からの政府批判」をたくましく展開して、「民衆的な政治の楽しみかた」を追求したところにある。だが、それを現在の国民型大衆紙は失っていったというのが、はっきりと語られていないが、著者の批判であろう。また、小新聞は中新聞化へと進んでいくなかで、論説で「不偏不党の中立性」を掲げて、「非政治性」を強めていく。著者によると、「政治的に当たり障りのない娯楽読み物と報道を中心とする企業化」を小新聞は歩んでいく。その一方で、「小新聞の読者は、公衆にとって重要な要件である党派性を拒否した」と指摘している。「不偏不党の中立性」と「非政治性」は同じだろうか、それを主導したのは新聞側か、それとも読者側なのだろうか。記事分析を通じて、このような点を批判的に考察すべきだったが、本書ではほとんど抜け落ちている。


前半部はcivic journalism的な観点から、後半部は「報道における客観中立とはなにか?」的な観点からおもしろい。



上記の流れからは直接関係ないけど最近の関心的にはこの辺もおもろそう


近代日本のメディア・イベント
津金沢 聡広
同文舘出版
売り上げランキング: 139717



松岡正剛の千夜千冊『近代日本のメディア・イベント』津金澤聰廣
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1017.html

こういう特色に共通しているのはメディア・イベントが、かつての神話的儀礼や祭祀的儀礼や世俗的儀礼に近くなっているということだ


この辺の話はちょっと前に出てた年中行事の話にも絡みそう。

つまり、「かつての日本の中世では天皇・貴族・寺社が荘園を持つことを許されていたがその荘園ごとに年中行事があり、村落共同体的な大衆の公というのはこれの励行によってはぐくまれていったのではないか?」、という話。

この辺の話は「生活上での普段の励行の実践が思考以前の血肉となり指向性をもっていく」というエートス的な話とも似ている。


そこから考えると近代日本のメディア・イベントというのは日本における年中行事→エートスの涵養的なものだったのかなぁ、と。

今朝のつぶやきとも関連する






関連でこんな本も出てきたのでメモ。

大正文化 帝国のユートピア―世界史の転換期と大衆消費社会の形成
竹村 民郎
三元社
売り上げランキング: 55535
おすすめ度の平均: 4.0
5 大衆消費社会を形成した大正という時代
3 大正時代の再発見



「消費社会の完成によって意味空間がどう変わったのか?」ということについての分析とか考察とかはしていなくて、日本の大衆消費社会ができあがっていった流れについての記述って感じだけど


そういえば「消費する大衆の登場によって資本主義はできあがっていった」としていたのはゾンバルトだったっけな?


恋愛と贅沢と資本主義 (講談社学術文庫)
ヴェルナー ゾンバルト
講談社
売り上げランキング: 65601
おすすめ度の平均: 4.5
5 上流階級の性愛と贅沢が資本主義社会を生み出した。
5 資本主義を考える時の必読文献
4 『経済論戦は甦る』の祖の祖?
4 オートクチュールと不倫の要因は、フランスの宮廷にある・・・。



松岡正剛の千夜千冊『恋愛と贅沢と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0503.html


「ひとりひとりでは木っ端な人々が購買力を持つようになったので国家は無視できなくなった」(→
国民国家的に統合)ってとこまで言ってるのかどうかわかんないけど

まぁまだヴェーバーのプロ倫読んでるのでそのあとにはちょうどいいなー




--
追記:



モンテスキューやらロック、ルソーやらいちお読もうかなぁ。。しかしシュミットとかのほうが良さそう
posted by m_um_u at 17:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク

2009年10月10日

中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話  (応用編)

一個前のエントリに対する自己ツッコミとか今後の課題とかをすげーメモ的に


muse-A-muse 2nd: 中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/129773060.html



システムと生活世界  → 構造と反構造 → 文明と文化 → 文字と口頭 →  技術(道具)と非技術 → メディアと○○



・ハーバーマスにおける市民的公共性デフォってどうなの?(それって「文明による未開の開拓」的な話じゃないの?)的な話


「構造と反構造」の話が「システムと生活世界」に、それらが「文明と文化」に繋がったのは自分的には発見だった。

ハーバーマスの「システムによる生活世界の植民地化」って問題意識だと最初から「生活世界側に市民的公共性が芽生えていてそれがなくなるのは惜しいね。それはシステムの植民地化のせい」ってのがデフォになってるように思うんだけど、中世の話見てきてると市民社会ってそれほど良いものなのかな?とか思ったりもする。

市民社会的なものってかつてあった村落共同体的な価値観(ゲマインシャフト的なもの)は疎外してるというか眼中に入れてない感じ。しょせんは文明後というか、少し「文明による野蛮の開拓」的な意識が無前提にあるのかなぁとか思う。

なので「システムと市民社会的なもののバッファとしての公共圏がシステム色に染められていってそれにつれて市民社会もシステム色になってきてる」って問題ではなく、「市民社会的なものが自生的にシステム色になっていったのではないか」ってことだと思う。あるいは「システムがある程度成熟したらネタ的なものがベタになる」というか。


とはいいつつもそれはなにも「市民社会的なものって疎外的で偽善的でなんかうさんくせー」って話でもなく、そういった擬制的なものであるということを認識しつつ運用していく必要があるのかなぁ、と。ちょっと「市民社会=善」だけだとちょっと本質論はいってるように思った(しかもそれ本質じゃないし)



「無前提な本質論的な善性論的なものに感じる偽善」関連で言うとハーバーマスの公共性論のもとになってるんだかちょっと影響してんだかって感じのアレントの公共性論も気になる。未読だけど


「ポリスの発展は奴隷制にささえられた特殊制度だった」っていうのと「18世紀型市民(ブルジョア)社会から疎外された無縁なところの公」ってのがなんとなくリンクするのかなぁ、と。奴隷制ってほど直接的ではないのだろうけどブルジョア的公共性が権威になっていくと隠れていくものがありそう

つか、貨幣経済-資本主義的なルーチンが固まって頭使わなくていいようになったところがポイントなのかなぁ。そうすると頭使わないでも労働できるし、お金をうまいこと利用して時間作れる人たちも出てくるし、有閑なひとたちは余裕できてなんかいろいろ考えたりつくったりするし。奴隷制も似たようなもんだな

「頭使わないでも労働できる」っていうか労働時間がある程度平均的に短縮されたのかなぁ。中世のころは日照時間によって労働時間変わったりして忙しいときは18時間労働とかいってたし


あと、前近代の場合は文字の神聖性みたいな問題もあるしなぁ。時間いっぱいあって考える余裕あって文字使ってうまいこと考えれるやつらって「つおい」(権威がある)って印象だったろうな。それ以前に武力による威信があっただろうけど



そういえば、市民的公共性意識デフォって人と自由意志がデフォって人ってちょっと似てるのかもしれない。市民革命というか自由への意志とか権利意識的なものってデフォ(「人間の本質!」)に思ってる人がいるみたいなんだけど昔ってクッタクタになるまで働いてて目の前のミッション仕上げるので精一杯って近視眼になってたのでそゆこと考える暇なかったと思う。

ブラック企業の人がいったりするけど、「あとから考えるとおかしいんだけど仕事がいっぱいになって1ヶ月100時間残業を2ヶ月ぐらいつづけてると頭おかしくなって目の前のものを片付けることだけ考えるようになる。でも頭おかしくなってるからやる度におかしくなっていくの。それで『休む』とか『会社やめる』とかいう考えが浮かばなくなってくる」、ってやつ

権利意識っていうか、自分の位置を自省して長期的展望とか工夫とかできるようになるのって余裕ができたときだと思う。歴史的には戦争なくなってある程度余裕できたから技術開発して三圃法みたいな農業革命が起こって食糧増大→人口増大して都市部に人が集まってそこに貨幣経済-資本主義が適用されるようになってさらに時間的余裕ができるようになったと思うんだけど。




そんでいまいちお「公共性の構造転換」見直してるんだけど


公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究
ユルゲン ハーバーマス
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5 市民的公共性論の古典



改めてみるとムズイというか理解しにくいねぇこの本。。あとがきによる解説もないし、あとハーバーマスが市民的公共性をベタに考えてしまってるんだよねぇ。。

なんとなく、市民的公共性にもとづくアジール的な場としての市民的公共圏というのは近代に国家がベタ化したのに対応して出てきたネタ的なものだと思うんだけどハーバーマスって最初から市民性みたいなのデフォで正しいみたいな感じにとらえてるみたいでなんか違和感(いまちょっと読むと

そんで国家とか経済といったシステム側が固まっていくにつれてその成員の性格も変わりそれにつれて公共圏のバランスも変わったのだろうし、また政治・経済的なバランスが変化し公共圏自体もベタになるのにつれて公共性の性格も変わったのだと思うんだけど、

ハーバーマスは前時代的なものへの郷愁があるんでないかな。てか、公共圏や公共性が転換していった要因の説明をどのようにしているかというところが気になるんだけどみょーにムズく書いてあって読みとりにくい。。カントとかヘーゲルとか持ち出されてもなぁって感じ

最初に読んだときもわけわからかったもんなぁ。。いまだったら余計なこと書かずに政治経済的バランスの変化を詳述しろやって思うけど

ああ、へーゲル→マルクスら言及してる辺りで政治経済的変化叙述しとるんか。(←いま現在




とりあえずメディア論における公共性論ってのはこんな感じなんだけど


公共圏という名の社会空間―公共圏、メディア、市民社会
花田 達朗
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メディアと公共圏のポリティクス
花田 達朗
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公共圏とコミュニケーション―批判的研究の新たな地平 (MINERVA社会学叢書)
阿部 潔
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あと関連で稲葉さんの本みなおそかなと

「公共性」論
「公共性」論
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稲葉 振一郎
NTT出版
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あと、「技術=文明」と考えると技術決定論の話とも繋がってくる





・メディア論における技術決定論の話

技術決定論てのは技術先行で考えることによって技術によって人が支配されることへの警鐘的な話

それに対して水越伸さんなんかが社会メディア論とか展開してる。「技術(メディア)は技術そのものが優れているから受け容れられていきそれによって認識が一気に変わる、というのではのではなく、社会に新しい技術やを受け容れる基層(受け皿)ができているから受け容れられていく」ってやつ。

具体的にいえばキットラーなんかが示していた「学校的識字教育では文字に対してアレルギーがあったんだけど、(前近代的な)母親の読み聞かせという口語的な方法で識字教育の下地ができていった」って話


むーたん:キットラー概説メモ + 音読・黙読 ら辺
http://morutan.tumblr.com/post/20792167/m-um-u


そんで活版印刷とそれに付随する商業圏の誕生によって国語化されていった

2009-02-06 - 水村美苗『日本語が亡びるとき』を読む :小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20090206#1233957230


定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険2期)
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4 ナショナリズムの自覚的構築性
5 無名戦士の墓
4 出版業者がナショナリズムを生んだ



ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る (光文社新書)
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5 予習と復習にもってこい
5 良い意味で人生観が変わった
5 「想像の共同体」最良の入門・解説書
5 ベネディクト・アンダーソン、『想像の共同体』を越えて




ことばと国家 (岩波新書)
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5 面白いです。
5 純粋なことばへの批判
4 「言語」は国家により作られるのでありその逆ではない
5 私のことばに国家がどうかかわっているのかを考えさせられる
5 新しい視点




この辺未読なものもあるのでちゃんと読んどかななぁと思いつつ、技術先行と文字先行の問題の類似性とかも思ったり。文字によって思考がドライブされ人が形作られていく問題

エクリチュールがうんぬんとか言語ゲームら辺りはその辺かなと思いつつ、まぁあの辺も。。


あと、文字文化と口頭文化の問題




「口頭中心な伝統的社会への文字の布教」って図式が「文明→未開」的なあれだし、そういった場面での変化とか、変化の際にどのような過程があったのかということに関するキットラー的描写とか期待


声の文化と文字の文化
ウォルター・J. オング 林 正寛 糟谷 啓介 桜井 直文 Walter J. Ong
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4 形式が内容を規定する、あるいは既定する
5 声と文字の文化から、意識の進化を探る。
5 充実の内容。ぜひ時間をかけて攻略してほしい一冊
5 文字の使用=思考の深化
5 文字ってすげえな





近代が完成しそれに伴って市民社会が作られるまで(15〜17・18C)の政治経済的な歴史的流れとしてはH.イニスとの対応を見たいんだけどなんかこれ絶版になってるのね

メディアの文明史 ハロルド・アダムズ・イニス 復刊リクエスト投票
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=31528


マクルーハンよりこっちのほうがよほどためになると思うのに。。




・近代は「再帰姓」という特徴を持っているが「ネタ(図)がベタ(地)になりそれを元にしてネタ(図)が作られそれがさらにベタ(地)になっていく」というのは構造(システム)の特徴ではないか


ってこと関連だとこの辺見直したい

近代とはいかなる時代か?―モダニティの帰結
アンソニー ギデンズ
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4 ベックとラッシュの共著の方が良いか?
5 いまや説明不要のギデンズのグローバル化論
3 なるほど!




あとルーマンのメディア論でも地が図になってく問題出てたなぁ。。




あんま理解できなかったけど「ネタ的につくられた文明的なものがやがてベタ的になって人を支配するぐらいの力を持つ」って問題だったんかなぁ。。まぁもっかい見てみよ(これも絶版だけど


〈メディア〉の哲学 ルーマン社会システム論の射程と限界
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5 良かった!!










「近代社会の構造に包摂されなかった無縁的なものと漂白民の関係」とか「定住しない人々の経済圏」とか気になるけどなんか疲れたのでこの辺で





posted by m_um_u at 10:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク

2009年10月08日

中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話

網野×阿部対談読んだのでいちお。


中世の再発見―対談 (平凡社ライブラリー (66))
網野 善彦 阿部 謹也
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4 歴史家の対話



どっかで「網野はアジールな話をしたがっていたが阿部は贈与交換な話をしたがっていて食い違っていた」みたいなこと書かれてたように思うんだけど8章の「<公>とはなにか?」で二人の食い違いが統合されていくような話になっていたように思った。

wikipediaかと思ったけど


阿部謹也 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E8%AC%B9%E4%B9%9F#.E7.B6.B2.E9.87.8E.E5.96.84.E5.BD.A6.E3.81.A8.E3.81.AE.E5.87.BA.E4.BC.9A.E3.81.84.E3.81.A8.E5.88.A5.E3.82.8C

網野は、あくまで日本と西洋の共通点にのみ着目して、相違点などにはほとんど興味を示さなかった。一方阿部は、両者の相違点のほうに関心を深めて行き、網野との会話が次第に噛み合わなくなってゆく。また網野は、「世間」の枠にきっちり納まってしまうタイプの人物で、歴史の切り口こそ斬新なものを見せたものの、その考え方や発想はいわゆる「歴史学者」の域にとどまった。阿部はというと、金子光晴や高村光太郎の詩に耽溺し、石牟礼道子らの文学者や国文学者・西郷信綱のような他ジャンルの人々と普段から交流し、何より「世間」と距離を置いた個人的な世界を持つなど、ジャンルにとらわれない広い精神世界を持っていた。そうした感性の違いが、やがて二人を別々の道に進ませることになる。



ちょっと違うっぽい。


両者の違いについて、この本からだと阿部はむしろ歴史的検証よりも「贈与交換」という普遍的な枠からとらえたがって焦っているように感じられた。網野はそれについて「そうかなぁ…」的に自分の知ってる範囲の話を述べるにとどまる慎重さを見せていたけどやきもきした阿部が8章で自分の思い描いてるパースをぶちまけたって感じだった。


ここで展開されていた公の話としては網野のこの本も関わるんだけど

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))
網野 善彦
平凡社
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おすすめ度の平均: 5.0
5 東西の個人と社会そして「自由・平等・平和」の成り立ち
4 「日本の歴史をよみなおす」のほうが上かな?
5 網野史学の出発点
5 民俗の歴史学は本書で始まった
4 日本中世の自由とは何か




無縁的な世界だと公的なものが大義とか神聖的な属性ではなくエンガチョ的な差別の構造と関わってるって感じだったんだけど、その辺のニュアンスがどうもつかみきれてなかったりした。差別というか、村八分などといった差別のもととなる規範としての世間体というのもそういった構造の中から出てきたもののように思う。
ただ、「無縁〜」の世界観では世間からエンガチョされた人々も生きていけていたし、公性に近い中立地帯ということで「公」が大義名分とか神聖性だけもっているということであればそちらの世界にいってしまったほうが良いように思えてなんだかしっくりと理解できないところがあった。

といっても「村八分」は「二分(水路)」残すことによって村=社会への復帰の契機を残している、それがゆえに社会からの完全な断絶ではない、ということで完全な世間からの断絶(無縁)ではなかったわけだけど。


その辺のところは網野的にも不完全だったみたいなことはこの本(「中世の再発見」)でも書かれていた。構造と反構造の話(後述)。



それで8章の話になるわけだけど、以下阿部の仮説。(※「オレ部分」は本文には書かれていなかった部分の補足的注釈)



公共性概念自体がしっかりと固まったのは18〜19世紀のヨーロッパ都市。その根っことして市民レベルでの公観がでてくる根っこのようなものがあったのではないか。


<公>の根と思われるものが発生した時期は11〜16世紀の贈与→貨幣経済移行期と重なるっぽい。この時期にはまだ貨幣経済やそれに付随する合理的価値観にはアレルギー反応が示されることが多かったが、それまでの伝統社会的価値観を教会が引き受けることによってそれ以外の部分(貨幣経済的合理性など)が発達していった。

オレ:
伝統社会的価値観に基づいたものとしてはたとえば贈与交換型経済があった。贈与交換は貨幣経済のように1:1の対価的に換算されるものではないのでどちらが過大(あるいは過少)感を持ち交換が終了することがないわけだけど、この過大あるいは過少感をいったん教会が引き受けることによって貨幣経済へと移行していった。これにより近代の公的な仕掛けが生まれた。

贈与交換的な交換関係では「顔の見える」の等数交換であり「1回贈り物をされたら不特定のものに対してでもいいので1回贈り物を返す」のが当然とされていたが、貨幣経済的な贈り物をした後に財が帰ってくる時期にタイムラグが生じるようになった。前近代では支配者は戦争で奪ったものを配分することで支配者たりえていたが、近代ではもらいながらも現世的には返さなくていい首長が教会を介して誕生した。


(221-222)
互酬の関係のなかで、お返しは天国でする、つまり死後の救済というかたちでそれをいったん普遍化したうえで返すという回路をつくった (略)二人の人間の関係があって、お互いに物のやり取りをして暮らしてきたけれども、あるとき、あなたに対するお返しは今までの形じゃなくて、あなたの死後の救いのために、あるいは子孫のために天国に摘みます、ということを誰かが言ったとします。これは、従来の慣行のうえでは、ある意味ではたいへん困ったことです。しかし、そこで絶対的なものが出され、それを社会が承認していくのがキリスト教の受容だったわけで、社会全体がその方向に非常に傾斜した時期が11世紀ごろではないかと思うのです。




市民レベルでの理性的な法というか法以前の慣習的規範としての公が伝統社会的な非合理性を孕んだものから合理的なものに転換したのもこの関係ではないか。そして、ここで成立した公的なるものの観念がその後の17・18世紀に生まれた公共性観念の元となったのではないか、と (←阿部説




つまり、ヨーロッパ的な公共性観念のもととしての公なるものというのは、従来村落共同体にあったような伝統的価値観(cf.ゲマインシャフト)を教会という変換装置を通じて近代・都市民的な価値観(ゲゼルシャフト)に変換してしまったもの、といえる。

「変換」というか前のエントリでもでてきたように

muse-A-muse 2nd: 「合理の中に非合理が、近代の中に前近代が入ってるんだね」って話
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/128448698.html


「地」「図」的にいえば、本来は伝統的な価値観のほうが「地」であり貨幣交換に付随する合理的な行動やその規範(価値観)というのは「図」の部分だったわけだけど、いつの間にか両者が入れ替わってしまったって感じ。「地」である伝統的価値観の割合がいつの間にか減っていっていつしか「図」程度になり、だんだんと「図」ほどの割合もなくなっていった。一部が教会における懺悔の風習のように残されたぐらいに。


このとき「合理性の受け容れに対するアレルギー反応が教会によってバッファされた」というのが大きかったように思う。この辺「日本人が宗教信じない」というのとも関係するのかも。


日本人の宗教観というのは宗教を信じることによって現世利益的な「お返し」は期待するけど真の意味で信じたことがない。なのでその価値観のために死ぬとか宗教的価値観が人生をしばる価値観(エートス)になってない。そういう人がいてもごく一部だったり。

つまり宗教という非合理的であるはずの文化装置に合理的な機能が期待されている。

では、村落共同体における伝統的価値観、非合理的な価値観のようなものはなく徹頭徹尾合理的だったかというとそういうことではなく伝統的な価値は明示的にしないままそのまま持ち続けられたのかもしれない。

「地」「図」的には社会全体(地)が非合理的価値観に依っていて特に合理化することもなかったためにヨーロッパのように教会のような変換装置も使わずにいちお「近代」化を果たしたということになったのかなぁ、と。

宗教によってバッファする必要なく非合理なままって感じ。



ただ、宗教的な規範が人間の一生を左右するほどの根っこ的な規範になったというのが「一般的」だったり「進歩的」だったりするかというとそういうことでもなく、ヨーロッパが特殊なのであって日本が「遅れているから反省しろ」とかいう話ではないっぽい。

「命をかけるほどの規範(公)が日本にもあったのか?」ということでいうと「たとえば一揆では惣的結合で血判を押した」って話が出てくるんだけどそれは共同体内の構成員による自律的なとりきめであり上からの公的なものではなかったのでは?、と網野はいう。

人の生死を掌握するような公が構造(システム)的なものだとすると、成員の自律的な取り決めによるそれは反構造、コミュニタスなものになる。無縁もここに当てはまるのではないか?、と


ここでもやはり「システムと生活世界」の構図が浮かび上がってくる。というか文明と文化といったほうが自分的にはしっくりくるかも。


上述では「それまでの伝統社会的価値観を教会が引き受けることによってそれ以外の部分、貨幣経済的合理性などが発達していった教会はその信頼性をもとに村落共同体の価値観を預かって都市型の価値観にすりかえて行った変換機だった)」っていったんだけど、中世における教会というのはリテラシーと知の管理術、データベースを司る知のハブ的な存在だったわけでそういう意味では文明の中心だったように思う。

「文明 / 文化」という言葉は日本語的には最初から識字が前提になっているけど英語的にはちょっとニュアンスが違う。civilizationとcultureであり前者は都市民的生活を後者は技術による自然開墾を前提とする。

「文明」ということばの語用としては技術による自然的側面の開墾的性格があるように思うのでこの辺はちょっと違和感だった。

推測だけど、civlilizationという言葉にはもともと教会を介した文化(リテラシーの獲得)的意味があったのではないか?リテラシーを獲得するのに付随してスコラ学的な概念や知識管理の方法、伝統的社会的価値観とは違った考え方が学べる。それによって都市民(civil)化し自然や自己の内なる自然をhackしていくことがcivilizaitonということだったのかなぁ、と。

それは構造(システム)的なものに組み込まれていく過程ともいえる。


それに対してcultureというのは構造的なものから零れ落ちる多様性であり、構造維持のための効率性や合理性を旨とする価値観とは趣を異にする考え方やそれに付随する行動様式、モノの蓄積だったのかなぁって感じ。

なので感覚としては「culture」は村落共同体的(耕す)であり「civiliztion」は都市民化ということなのかなぁ、と。もそっと単純に「生活世界」と「システム」ともいえるわけだけど、「生活世界」というのは近代化によって都市民的な構造(近代)の中に包摂された前近代的価値観=村落共同体的価値観に基づいた生活圏なのかなぁと思う。



構造側からつくられた「公」、「歴史」から抜け落ちていったものが無縁、的な記述が本書にもあったけど、そういった構造によって作られたものが近代であり、そこから抜け落ちた(「近代」にとっては)非合理的なもの、管理できないものが「無縁」であり「文化」的なものだったのかなぁ、と。

そして無縁や生活世界の中にも「公」はある。



阿部×網野的には「公」は上からだけのものなはずなのになぜ下から作られた「公」もあるのか?ということが問題になりこんがらがっていたように思うけど、おそらく「公」というのは明示的な法以前の、共同体の中で作られる慣習法的なものでありその意味では上にも下にも「公」はあったのだろう。

上と下というか当時の支配者的なものがつくる「構造」に含まれる成員たちの共同体とそれ以外のもの。便宜的に示すと「構造-公」と「無縁-公」みたいなもの。


そんでこういった「構造-公」と「無縁」の関係、あるいは国家ではなく人的集団の中おのずから生まれ出てくる「公」的なものの日本における展開について。

先ほども少し出たけどたとえば惣村なんかがあった


惣村 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%A3%E6%9D%91


あるいは自治都市としての堺とか


muse-A-muse 2nd: 日本におけるベヒーモスの芽生え   堺の場合
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/121069392.html



ここで「ヨーロッパの城塞都市なんかはある程度の自治性を有したまま歴史を重ねていったように思えるがそれに比べて日本の自治的なものはなぜ潰えていったのだろうか?」という疑問が生まれる。江戸でも商人組合とかあったけどそういう時の政府によって直接的に管理下に置かれたものではなく、ヨーロッパの都市国家ぐらいの対等性をもった自治。


いままでの流れ的にいうと、ヨーロッパの場合は貨幣経済に基づく近代の特殊性に基づいて商人たちがある程度自由を獲得できたのでは?と考えることができる。

すなわち、「貨幣経済に移行することで財を増やすことが容易となった商人たちがそれをもとにして武力も蓄え発言権を増して行ったのでは?」、的な考え。

うろ覚えだけどこういった考えは柄谷あたりにもあったように思う

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)
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1 理想論
5 柄谷思想の入門書、読めば読むほど味が出る
5 「トランスクリティーク」からの新書版
5 表題がイマイチ
5 思考者の啓蒙書



ただ、それだけだと江戸の商人たちが財的には幕府を超え発言力を強めていったのに幕府の管理下から抜け出るほどの自治力を持たなかった(結果、たまに借金帳消し徳政令なんか出されていた)ことの説明がつかない。


なので、地政学的関係で自治都市が発達・維持しにくかったのかなぁとかも思ったりする。



あと、経済圏と文化装置との関係とか。


そんなに豊かではなくて経済的リソースが十分でない社会では誰もが自由に経済的に発展できるわけではなく、限られたものが発展していって大きなハブをつくるように思う。

日本の場合は天皇、貴族、神社が荘園を持ち、稲作を中心とした経済圏が作られていた。それらの圏内では夫々に年中行事が作られていたらしい。なので日本の年中行事は農暦に基づくものだけではない。

そんで、そういった年中行事がそのまま文化装置となって人々の生活の中に溶け込んでいったのではないか?ヨーロッパにおいて教会が文化のハブとなったように、統治に際して「文化」というクッションが一つ入ることによってケンが立たず、民衆の叛意を逸らせたのではないか?広報によるブランディングみたいに。

そういうことも考えられる。


そんでそういった文化装置に基づいた信頼性があったからこそ天皇信奉もあったのかなぁとか思ったりする。





まぁこの辺も推論だからよくわかんないんだけどもとりあえずこれから公共性な歴史を追っていく際のひとつの筋ではあるかなぁと思いつつ課題にしとこう



--
関連:
muse-A-muse 2nd: 司馬遼太郎, ドナルド・キーン、1972、「日本人と日本文化」
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/125351878.html


cf.日本では生死を掌握する規範がなかった(庶民自身が生死を自ら決めていた ― 日本人には宗教がない

→cf.司馬遼太郎=日本人には宗教がない = 武士道ももともと「主君のために死ぬ」とかではない

posted by m_um_u at 11:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク

2009年09月20日

「合理の中に非合理が、近代の中に前近代が入ってるんだね」って話

中世本とかそれにつづいてプロ倫読んでたらなんかモヤーンとしたものが浮かんだのでメモ的に


中世の窓から (1981年)
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5 解説が最高
5 宗教的意識内容(心理的動機)は、例えば資本主義の発展に対して巨大な影響を与えた。
5 最後の人間、同時代への驚愕から生まれた研究
5 資本主義はどこから来たのか?資本主義とは何ものか?資本主義はどこへ行くのか? 
3 社会学とは何ぞや



両方ともあとで感想書くかもだけど面倒だから書かないかもなのでいちお読んだ人の感想っぽいの貼って概略の手抜き。


阿部謹也の中世の窓から part 2
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/german/abe2.htm

叡智の禁書図書館<情報と書評>: 「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
http://library666.seesaa.net/article/14329622.html


中世ヨーロッパ、11〜16世紀の北ドイツの生活とか変化、雰囲気を伝える本。近代以前のああいうじめっとした雰囲気がけっこう好きなのでよんでみた。「薔薇の名前」みたいな厳格さ+地味な生活的なああいうの。

あとは欧米文化の基層部分の芯のようなものというか、重厚な歴史の厚みの元のようなものを知りたかったので。


プロ倫については有名だからまぁいいや。たぶんあとで感想書くだろうし


「中世の窓から」について。リンク先にもあるように職人の生活とか位置とかについての細々とした記述もおもろいんだけど、この本の全体的な主旨のようなものがあるとするとやはり「贈与経済から貨幣経済-資本主義へと移り変わる際の人の生活や規律、価値観の変化」といったところだったかなぁ、と思う。

ここでいう貨幣経済-資本主義というのはその後のヨーロッパを中心として生じてきた爆発的な急進力をもったそれ。それまでモノやヒト、仕事など形をもったものをリソースにした取引がデフォだったのに対して貨幣を介して抽象的な価値を取引のリソースにできるようになり、それを元にして場所や時間といった制約にしばられることがなくなった。投機なんかもその派生だし。ヨーロッパの資本主義、近代資本主義の基礎というのはこの辺にあると思う。

貨幣経済自体はこれ以前にもほかの地域であったし、投機なんかも見受けられるわけだけどそれらを合わせて現在に繋がる資本主義的な型(セット)、簿記を土台として営まれる合理的な産業経営を作り上げたのはヨーロッパのそれのように思う。ヴェーバー的には「萌芽はあったかもしれないけど大量現象としては見受けられなかった」ってやつ。

もちろん「それは生産様式の性格に依るだけではなく、軍事力その他の要素も含めて先行できた国の勝ちパターンがデフォ化しただけったたのでは?」ともいえるわけだけど。

とりあえず(資本主義そのものが他所から伝わってきたものかもしれなくても)資本主義の型の受け容れ皿(元型)みたいなものがこの時代にできたんだろうなぁ、と。


そんで、興味を持ったのはこの時代の価値観の変化の部分。または変化の内実はどういったものだったかということ。

「贈与経済→貨幣経済」、あるいは「ゲマインシャフト→ゲゼルシャフト」って感じで後者が前者が単純に塗り替えていって「その過程で以前あった価値観や慣習はすべて捨てられた」っていうのともちょっと違うんじゃないかなぁ、と。

贈与経済とか共有とかに着目するひとは「昔は贈与経済だったんだから昔に戻ればいいじゃんそっちのほうが自然なんだし」みたいな論調とることがあるんだけどそれもなんか違うように思う。

そんなこと思ってたところで「中世のお金的価値観への転換期の話」のつづき的な感じでプロ倫のあとがき(大塚さんの)読んでたら「一見合理的にみえる近代資本主義の中に天職(Beruf)概念という非合理的なものが含まれている」ってあってこの辺かなぁ、って思ったりした。

阿部さんの本でもあったんだけど、近代型の貨幣経済-資本主義に向かう過程で昔の伝統的習慣を捨てられない人々がいた。「そういった人々をだます仕掛けとして教会的な方便が使われた」という話。

たとえば昔は貨幣には呪術的な力があると思われてて死出の路銀としてもたせるために死者と一緒に埋められたりして問題になってた。これが積み重なると貨幣の量が減っちゃうので。その習慣をやめさせるために「埋めなくても教会に寄進すればそのお金は死者にたむけたことと同じことになりますよ」とした話とか。

これなんかはまんまプロテスタンティズムの倫理が要請された過程にも似ている。

「プロ倫」という論文の出発点は、<「非合理な宗教」的戒律であるプロテスタンティズムの倫理を「合理性を代表する商人たち」が召還した?>、っていう疑問にあるわけだけど、なぜ商人たちがプロテスタントの倫理を召還したかというその背景について。いちおいっておくと「カトリックよりゆるかったから」ということではなくプロテスタントの倫理のほうがカトリックよりも厳しかったらしい。なので「なんでわざわざ厳しい倫理を?」って話。

阿部さんの本の説明によると、(贈与だかなんだかわからないが)伝統的な経済から近代的な貨幣経済に移行する転換点において人々はそれまでもっていた倫理・価値観をゆさぶられたんだそうな。それできちんとお仕事しない輩がたくさんでてきた。都市の有力商人たちはそれを憂いプロテスタントの戒律(宗教改革)を招きよせた、とのこと。

当時の人々がなぜこの戒律で満足したのか?については謎なんだけど、教会的聖性とそれに基づいた信頼がバッファとなったのかなぁとか思う。それ自体、聖性というのは論理的には非合理なものなんだけど歴史的積み重ねはあったし。あと非合理っていうとBeruf(天職)って概念も非合理。

貨幣経済下の勤労に慣れなかった人用に「それは神の下で定められた神聖な仕事だからしっかりはたらけ」的な方便として生み出された概念んが「天職」だったんだけど、これなんかも合理性的観点からするとなんの問題解決にもなってない。んでも近代以前の価値観を持っていた人たちはそれで納得した。聖性が重要だったので。


これってnation-stateの幻想-詐術とも似てる。stateなんかもともと村落的な生活送ってた人々には関係のないものだったんだけどそれをnation(パトリ的な土着、あるいは親近の大事なもの)とイコールで結ぶことによって「国家はキミ達にとって故郷であり家族も同じ」とした論理。

経済的価値観を変容させるときに教会的聖性を人質にとった、あるいはトロイの木馬として遣わして人々の信頼を勝ち取ったのと同じように、nation-stateの幻想ではnationを人質にとった。

それはある視点からみれば詐欺行為であり「どうなの?」って感じではあるけど、歴史的事実という視点から見るだけなら「強力な仕掛けとして機能したんだなぁ」って受け止められる。


以上のことが前提になってついったでメモ的に以下のことをつぶやいたり。ちょっと言ってきたことと重複するけど
(※注を要するリンクは一部修正)




society ってのは geselleschaft に通じるわけで、 ゲゼルシャフトのシャフトは「集まる」、ゲゼルには「(おそらく「性質の違うものが」)仲間になる、一緒になる」的なニュアンスがある。

対してゲマインシャフトの場合は「もともと同じ性質のものが集まっている」みたいなイメージ。英語だとコミュニティに相当する。


ドイツ語でよく「○○シャフト」という単語が耳に付くのですがどういう意味合いなん... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1420416309?fr=shopping_search

ドイツ語の意味について - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210530802



もともと日本は「個人」て概念がなくてゲマインシャフト的なものがデフォだったように思う。顔の知れた人々によって作られる共同体。

しかし近代になって都市なんかで働くようになると分業がデフォになって顔の知らない人々と交わり、協働したり取引をしたりしないといけなくなる。「性質の違うものたちが一定のルールに従って集まった固まり」的なものが生まれてくる。

そこで従来のアナログ的なリソース(信頼や物財、などといった地域固有のリソース)では交換関係が成り立たなくなる。こういったリソースはそれまでに積み重ねられた歴史をもとにして信頼が作られているけどヨソ者はそんなこと知らないし、都市はヨソモノたちがつくっているところなので。

そんでそういったヨソモノ同士の疑心をバッファするのが貨幣。貨幣の信用は国家がバックアップする。

貨幣は土地に根ざした縛りがないので自由が利くし、ヨソモノを受け容れることができるので取引の幅が広がっていく。

「社会」に戻ると、この言葉はもともとsocietyの翻訳語としてあてられたものだけど、さっきもいったようにsocietyにはもともとゲゼルシャフト的な「(異なったものたちが)一定のルールにしたがって造った集まり」的ニュアンスがあったはずなんだけどその部分は捨象されたっぽい。(cf.「翻訳語成立事情)


翻訳時のニュアンスとしては「一緒に」とか「個人の集合体」程度。 これまでにも同じ目的をもった人々の集まりを指す言葉としては「社」があったんだけどそれを拡張させつつsocietyの意味合いをつかみかねていたっぽい。

そういうのも受けつつ当時の語用としては「社会の公僕」とかなんとか「仕事」と結びついた共同体概念って感じでなんとなく敷衍していったっぽい。反対に似たような領域を指し昔から日本で使われてきた「世間」という言葉は悪い意味で使われるようになったり。

世間という言葉はゲマインシャフト的ニュアンスを孕むからだろうけど、特にその辺も意識せずに「世間」というのはなんか「閉鎖的なコミュニティ」的なイメージになってたり。

しかし、日本で「社会」って言葉が使われる場面ではほとんど「世間」でも代替可能だったような。そして「世間」って言葉に付随する歴史をたどっていくとそれほど悪し様にいうようなものでもないかなぁとか思ったりする。個人主義と共同体的な生き方の関係だけど。

てか、「ゲゼルシャフトもゲマインシャフトも根っこは同じ(ゲゼル>ゲマインて話でもない)」ってところも含めてゴニョゴニョ思ったりする。


想像の共同体について :ウィーンの路傍 パリの道標 山下祐樹
http://yukiyamashita.arekao.jp/entry-c6eb4889a6b80bd5bfb12f5ed53aa3f3.html

『そのゲマインシャフトとゲゼルシャフトという区分自体が無意味であるという理解が存在しているのも確かで、マンフレート・リーデル『市民社会の概念史』がその視点を持つ重要な著作である。リーデルの言語史的な分析からすると、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトは元来同一の源泉から生じていたものであり、テンニースのようにゲマインシャフトからゲゼルシャフトへという流脈は存在しないという指摘を含んでいる』


それは「貨幣経済>贈与経済」ってわけではなく…って流れにも重なるんだけどここで反対に「貨幣経済<贈与経済」ってするのも変だなぁとか思ったり。



エントリにするときはこの辺のゴニョゴニョについてもそっとゴニョゴニョ考えれるといいんだけど… 言語化めんどい


阿部勤也さんの話をおってると贈与経済的なものをけっこうプッシュしてはるんだけど反面日本的な「世間」は嫌ってはってその辺で分離してるのかなぁとか思ったりする。



そんなことつぶやいてたらクマから、『 えーと。「世間」は実体のある何かっていうより、人の行動とかを抑制する何かなんじゃないかなぁ。と。だから、ゲマインシャフト/ゲゼルシャフトの延長じゃなくて、規範とか役割とかに付随するんじゃないかなぁ』、とかなんとか。

これは、「society」の翻訳語に「世間」という言葉が使われなかった理由、の説明としてはアリかなーとか思った。たすかに価値観と社会的実態をゴチャゴチャにして語ってたなぁ、と。


そんなこと思いつつごはん準備しつつタラーっとこの辺みてたらちょうどビビッドなこと言ってたり。


なんというか - finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090916/1253060287


全体的には鳩山さんの「友愛社会」の一面性を皮肉ったpostで1Q84にも通じるわけだけど(仲俣さん的に「ニイマルマルキュー」とかいってたな)

<市民社会の出自として、市民は村落共同体におけるfraternityの原理の側の派生、fraternityは同性愛的な原理性をもつ。そして国家はこういった市民社会の構成員の自由を守っていった>、と。


「結婚」を神的聖性と村落共同体的な友愛の契約関係としたとき、その契約のの証として「子」(子供の再生産)が成されていた、って話かな?

そんで本来ならそういった結婚が(当時の)社会(association)契約的役割をもっていたわけだけど、社会全体を絶対主義が覆い国家によって構成員の自由が守られるようになっていった過程でそういった社会契約的役割を国家が担うようになった。

そこでは子供(人口)は再生産の要素として国家に包含されていくのだろうけど、もともと市民社会の原理としてあった村落共同体的な「友愛」の原理 ― 同性愛的なそれが市民を単純な再生産の道具とすることを許さない。

みたいな話だろうか。


とりあえず「現代の近代(合理)的に思える市民社会の中にも非合理とか村落共同体的な要素が入っていて(なんかわからんが)そのスパイスがあることで市民社会は健全に保たれてる」みたいな感じ。


単純に「村落共同体的なものに戻ればいい」ってことでもないのだろうけど



(あと、「神」と「子」と「精霊」とかいうのは「教会の聖性」と「子供の再生産」と「村落共同体なassociation」に対応するのかなとかちょっと思ったりした)


「市民社会の概念史」もそのうち読もう


オンライン書店ビーケーワン:市民社会の概念史
http://www.bk1.jp/product/00676526



posted by m_um_u at 11:33 | Comment(0) | TrackBack(1) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク

2009年07月08日

続「小林秀雄の流儀」  「実生活と思想との間でバランスを保つ」ということ

ふたたび「小林秀雄の流儀」な話。いちお読み終わったので


小林秀雄の流儀 (新潮文庫)
山本 七平
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依然として山本の文章は読みにくくてなんか分かったような分からなかったような感じだった。新保さんて人のあとがきがまとまってて分かりやすかったのでちょこちょこ引用(というかてけとーにつまませてもらう)。


けっきょく「小林秀雄の流儀」の主題は「実生活と思想との間でバランスを保つ」ってことにあったみたい。実生活と思想の両極にひきづられないような緊張を保つということ。

前の感想で見たように


muse-A-muse 2nd: 「小林秀雄の流儀」 - 現象学的還元?
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/122453130.html


muse-A-muse 2nd: 意味以前へ  Martin Creed展にいってきたよ (reprise)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/122569128.html



その方法としては現象学的に既存の文脈をゼロに戻して最初の実感(リアリティ)に還るということにあるわけだけど、けっきょく本書ではその方法については具体的に語られてはいなかった。山本的には最後のほうで「『本居宣長』でやってたように内部実感(自分のリアリティ)に立ち戻ることだ」って言ってたけど(332)。

なので解説ではそれとは別の部分での本書の意義みたいなのが明らかにされていた。「東大教養主義的な日本的な教条主義(あるいはペダンティックなスノビズム)の空気からずれることを示してくれた」ってことだけど、

萬さんのこの感想もその文脈って感じかな


2009-02-12 - 萬の季節
http://d.hatena.ne.jp/nomurayamansuke/20090212#1234394669


「日本では言葉が生活者から遊離してる」ってことか。


てか、考えてみると阿部さんが東大教養主義的なものと「世間」の問題をあわせて論じていたのもその辺の関係だったか。「世間」=「空気」ってことで

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5 「世間」は空気のように見えない、感じない
5 我々が生きる日本社会の特質
5 世間の謎



そんで、finalvetさん辺りなんか書いてなかったかなと思いつつぐぐるに


極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山本七平)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/01/post_53d8.html


同時に山本七平が小林秀雄の文章の魔力に呪縛されたようになっており、読みづらい本である。


ってことで「あー、やっぱりねーw」って感じだった。てか


 しかし、考えてみれば、「小林秀雄の流儀」はある意味で小林秀雄が何を語らなかったという問題であり、そこには当然、山本七平がなにを語らなかったが重ねられている。


もちろん、語らないということは単なる沈黙ではなく、なぜ語らないかについて逡巡する饒舌であると言っていい側面がある。その饒舌は当然、文章としての構成に危機を与えるものであり、十分な作品なり著作なりにはまとまりえないものがあるだろう。だが、そのプロセスの苦労というか、まさにベルクソンの認識のコアにある努力のようなものが、人の精神の中年以降の成長を魅惑してくるものでもあろう。



ということで小林にも山本にもまだなんかあるみたいだけど。



とりあえず自分的な読みとしては、「思想的課題にとりつかれてそれが衒学的に日常生活から乖離してしまっては意味がない → しかし日常生活に囚われそれを言い訳とするのもいかがなものか → 両者の中間としての緊張を保ちつつ思考の明晰さを保つにはどうしたら良いのか?」、というものでその答えについてはけっきょく示されていなかったように思う。「野にあって思考を保つ」というか…。


この課題は以前からあって、こういう言葉として頭の中にあったり…


muse-A-muse 2nd: 羊でも狼でもなく「ふつーに生きる」ということ (reprise)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/43805201.html


内容はちょっと違うけど、「<善>にひっぱられすぎないように善を保つ」という形式は共通する。


そんで、けっきょくその辺の方法というのは明示的に一般化できるものではなく各人の「意志」のもちようなのかなぁとかなんとか。

それもよくわかんないので現象学についてもっかい見直すつもりだけど。あとついでに甲野 vs 井上本


現象学Memo: 現象学的還元とは?: So-net blog
http://phanomemo.blog.so-net.ne.jp/2006-01-21


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1 書いててヘンに思わないのだろうか?
5 「生きた現象学入門」の名著
4 現象学は、近代哲学の難問を解き、ひとつのまったく新しい問題の地平を開いた
4 疑問再出。
5 「事件」であった本書は、思考の原理です。




muse-A-muse 2nd: 「運命は決まっているがゆえに自由だ」な話
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/121774176.html




この辺の「言葉以前になんとなく分かる」って感覚はイデア論的なアレでありクおリアだのなんだのでいろいろいってた部分とも共通するのかな。


クオリア - Wikipedia


・・茂木を見る気は特にしないけど、「普遍的な課題」ということでは課題自体は間違ってなかったのかも。あと、脳つながりだと養老猛が甲野善紀に興味を持った理由もこの辺からなんか納得できる。



てか、「ベルグソン嫁」って話になるんかな。。まぁその前に西田にいったわたしでしたが…。


posted by m_um_u at 06:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク

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