2007年05月04日

人事を尽くして天命を待つ、とか? (NewsCorp躍進の理由みたいなの)

 踊る新聞屋さんのエントリを見ながら、なんとも覇気のないエントリだなぁ、とか思ったり


踊る新聞屋−。: [blog][新聞]epic2015の前に新聞はもう終わる


 おーざっぱな趣旨としてはこの前ウチのサイトでまとめたのと同じ感じの事情が背景にあって危機感があるのに「30代(現場)の意見が通らない」って嘆いておられるわけだけど・・


 最近、ほかの業種の方々と話していまさら気がついたのは、新聞社の意志決定は50代以上の人たちが行い、ほかの業種では当たり前である30代40 代の意志というのがほとんどすくい上げられない、という当たり前のこと。地方紙レベルの組織でも、内部はもうほとんど硬直化していて、新聞産業は成熟しすぎたというか、過去の成功体験が強すぎて、もう自己変革できないのではないかと思い至った次第です。それが冒頭の「もうダメ」ということなんですけど。

 職種が専門化しているので、記者の自分がこんなことを言うと「夜回りの一つでもしてこい」と言われるのがオチですし、アハハ。
 自分もそろそろ中堅という位置になっているのですが、新聞の一番の危機は、自分みたいな立場の層のこういう投げやりなところが、まだ希望を持っている若い人にいい影響を与えない、多分マイナスのサイクルしか起こさない、ということじゃないかと思ったり。



 いや、大変なのはわかりますよ。ってわからないか、現場いないからな、オレは。

 でも、なんか、もったいないなぁというか、なんともぜーたくな話だなぁ、というか。


 なんだかんだ言っても日本の新聞は現状それなりのアクセス数というか購読数を持っててアテンション獲得してるわけだからそこから展開できるはずなのになぁ・・。その部分を開発しようとしない、若手の提案に聞く耳をもとうとしないお年寄り連中ににやきもきしておられるのかもしれないけど、なんかなぁ、って感じです。



 そういった日本の現状と対照的に海を隔てた向こうっかわではマードックのじじぃがまたしてもなんか仕掛けた模様。


NIKKEI NET:米ニューズ、ダウ・ジョーンズに買収提案・総額6000億円:国際 ニュース


asahi.com:「メディア王」、ダウ社に買収提案 ダウ側は拒否の構え - ビジネス


 ダウ側としては「敵対的買収」ってことで抗戦する構えらしく、「General Electric, Washington Post Co., Gannett and even Googleに売ったほうがマシだー」、って感じみたい。


Bloomberg.com: Technology:Dow Jones Holders Say Murdoch Bid May Trigger Auction


 最後に「Google」って出てくんのがポイントっすね



 で、この買収自体はどうなるかよくわかんないんだけど、どうも目的としてはちょっと前にもちょこっと言った海外展開の際のコンテンツ拡充ではないかと思います。

 だいぶ前から根回ししていた中国の中間層向け新聞市場も本格的に解禁みたいだし、なによりインドがおいしそう。インドの場合は規制が中国ほど厳しくなさそうだし(セクシャリティ問題さえ注意すれば)。音楽とかエンタメ好きな国民性があるので、コングロマリットなNewsCorpとしてはおいしい市場っすよね。

 で、最終的な狙いはそこになるんだろうけど、その前段階として新聞でも固めておきたい(ポータルとして利用してもらえるだろうし)

 そういうわけで「文化」面に左右されない情報コンテンツとして「金」が重要になるわけです。3Sのひとつだからこれ自体強力な誘引があるし。
(3S…「Stock」「Sports」「Sex」系コンテンツ)

 

 そんな感じではないかなぁ、と



 あとは最近Newsの新しい武器となったMySpaceに結び付けていけばけっこういけるかもしれない。武器っていうか「基地」っていったほうがいいか。もはや動画なんかのポータルとしての趣があるみたいだし。実際、ニュースなんかもここに統合して本格的なポータルにしようとしている。


メディア・パブ: MySpace,ニュースアグリゲーターを近く立ち上げ


 いわゆる新聞サイトのSocial Media化ってやつです。っつーか、Yahooの殖民の例を見ても、もはや方向性として「新聞 ⇒ それ以外のコンテンツとの連動」というだけではなく、「それ以外のコンテンツ ⇒ 新聞」って感じでもあるので「新聞サイトのSocial Media化」って言い方もおかしいか。(コンテンツ全体がweb2.0を意識して柔軟に連携してきてる)


 そんな感じでMySpaceに力を入れているNewsCorpなんですが、実際「MySpaceで躍進」って言ったってよくわかんない部分があった。そのあたりについて解説してくれてるのが以下の記事です。


MySpace's hunt for revenue in the ecosystem - Financial Times - MSNBC.com


 要約するとMySpaceの広告費の急激な伸びについて解説してあります。クリック型広告からBranded Clips といわれる広告への変化、具体的にはviral(口コミ)な感じで、各パーソナルサイトに広告を載せていった(という感じなのかな?)

Adidas and Electronic Arts are among the companies to have launched branded viral marketing campaigns on MySpace. Branded clips, online wallpaper and other features can be pasted on to personal pages and passed around within the MySpace community.


 「壁紙とかその他の特典つけてviralしていった」っていうけど、ふつーのユーザーだったらウザく思うと思うんだけどなぁ・・日本とは違うんだろうか・・。

 で、結果として従来のクリック型広告とBranded広告の収入比が逆転したらしい


The success of such campaigns has changed MySpace's revenue mix. A year ago, 70 per cent of the site's advertising income came from "performance" or click-through advertising, with the rest coming from branded advertising. In the past few months that ratio has reversed, with branded advertising now accounting for 70 per cent.


 
 どっちかを減らして構成比を逆転したというわけではないので単純に収益が伸びたわけです。そんで、どのくらい伸びたかというと、


The group has doubled its advertising sales force to more than 200 people since the start of the year to manage this growth. "We took a very small sales organisation and built it into a first-class sales organisation and in doing so have really strengthened our relationships with advertisers.



・・2倍か


 具体的な数字よくわかんないけどでかいんでしょうね。なにしろアメリカ全体ですもんね。そういや、アメリカは「全国紙がない」のでそういった事情もあってonline siteがポータルメディアになれるのかもしれない。(あとテレビとか)。識字率の問題もあるだろうけど。


 そういった事情もあるので新聞社に「mixiを買え」って言っても変な感じになるか。日本の場合、アクセスは(リアルも含めて)新聞のほうが多いわけだし、集中排除原則の影響で新聞社は動画コンテンツと(タテマエ的には)連携してないですもんね。


 mixiはmixiでふん詰まり的現状がある


muse-A-muse 2nd: ミクシと2ちゃんとblogと少しおカネの話


 外部性活かせてないですね。(そんで、twitterとかに分散していってる?)


 mixiにオリジナルコンテンツを作り出す力はなくて、いちお動画とかミクドラマとかやってるけどパッとしない。新規採用的にはその辺の反省も踏まえて、新しい体験を生み出せるようにP2Pとかの技術開発能力ももった社員を採用してたみたいだけど、その辺の展開もまだ見えてこない・・。

 ついでに日本版MySpaceについて言うと、これは前のエントリにもまとめたとおり「4月から本格始動」っていうことなのでまだよく分かんないんだけど「音楽聴けるようになった」とか「自動翻訳機能をつけた」って話も聞かないのでそれほどの展開もないのかなって感じです。



 んじゃ、「新聞社以外のところがmixi買ってsocial化すればいいじゃん?」、ってなるんだけどその場合まともなコンテンツ持ってるのって言ったら・・NHKはダメでしょ?・・ジブリとか?もしくは日本のメディアコングロマリット、SONYさんにがんばっていただきたいけど最近ものすごく下降線ですね。(クタラギさんもCellプロジェクト活かせないまま引責辞任っぽいし)



 そんな感じで、日本のSocial Media化の未来が見えないわけなんだけど・・・もういっそのこと丸ごとNews Corpに買い取ってもらうとか?(笑)


 それ言っちゃうと旧来の「じゃーなりずむ」頭な人たちは怒るのかな?じゃあ、厄除け貼っとこう


muse-A-muse 2nd: 市民社会と制度について(ジャーナリズム論承前)


muse-A-muse 2nd: ジャーナリズムとはなにか?(1):世論と世論を形成するもの


muse-A-muse 2nd: ジャーナリズムとはなにか?(2):批評としてのジャーナリズム


muse-A-muse 2nd: ジャーナリズムとはなにか?(2.1): Sound and Fury




 まぁ、そんな感じで黒船到来まで待つしかないかって感じなんだけど、その段階でコンテンツ制作側とディストリビューターが細かく分かれる可能性があるので、腐らず自分の腕(ウリ)を磨いといたほうがいいと思います。


 「雌伏して待て」、と



 そういや、「踊る〜」さんは地方紙なのか。じゃあ、「集中排除」とか言ってもそんなに関係ないか(地方民放との株式相互所有ぐらいあるだろうけど)。

 あと、地方紙といえば地方紙合同ポータルみたいなのあったと思うんだけどどうなったんだろう? RSSもはいてなくて「やたら使いにくい」と評判だったけど



--
関連:
muse-A-muse 2nd: YouTubeの跡地争いにNews Corpも参入!

※News Corpの動画ネットワーク、広告ネットワークの展開について。



天漢日乗: 新聞社志望学生の抱く新聞社のイメージジョーク集


※上だけじゃなくて下の世代にもシニシズムがあるみたいなんだけど、シニシズムって言うかリアリズムかもしれないのでそれなりに期待(・・・できるかどうかわかりません)




はてなブックマーク - morutan@はて部 / NewsCorp

※おまけとして。NewsCorp特集





posted by m_um_u at 19:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年04月29日

当世新聞業界事情 (国内・海外概略)

 なんか、新聞関係のエントリでチラホラと情報がたまったのでまとめて吐き出しておこうと思う。

 その前に。本サイトの新聞関連エントリとしてはこちら


muse-A-muse 2nd: 新聞業界来し方行く末



 ここでも結論が出ているように、従来型の新聞メディアのビジネスモデルというのはもはや時代遅れになってしまっている。でも、日本の新聞業界というのはそういった事態をのほほんとした姿勢で見送ろうとしている、と。

 具体的に、新聞業界の危機的状況というのは、「昨今の購読数の減少+若者層の新聞離れ」、というやつ。この「離れ」というところに驕りがあるわけだが、まぁ、置く。


 そういった現状に対して、「若者層に親和性が高いweb系あるいはモバイル系コンテンツを出していかなきゃね ♪」、ってことでちょっとだけweb部門を増やしてwebに力を入れたりしようとしている姿勢のようなものが少しは見られるのだけれど、やっぱり「少し」って感じだ。

 具体的に言えば、朝日とiza(産経)がrss吐いてるぐらいでほかのとこはアレな感じだったように思うし(※っつーか、ある時点からチェックしてません)、web2.0化も全然って感じだ。izaがかろうじてblog開いてるけど、「だからなに?」って程度の出来だし、ってか、web用のオリジナルコンテンツが乏しくてインパクトに欠ける。


 新聞メディアのwebサイトを使う意味がほとんど感じられないのだ。



 新聞メディアのwebサイトを使う意義というのは具体的に言えばトラックバックセンターのような役割を担うことによってweb上のギロンの集約点として機能することが期待されるが、CGMの悪い部分(混沌かした情報によるサイバーカスケード(いわゆる「炎上」))を防ぐようなweb巧者は新聞社にはいない。

 最近の例だと産経のこんなのとかが歴史的記憶として残っていくのかもしれない(「文芸部」という限定はあるが)。


 ある編集者の気になるノート : 部下のかわりに上司が出てきてますます炎上する、「あじさい日記ブログ」の問題点。



 
 で、



 そういった日本のアレ的な現状というのはひとえに押し紙とか再販制度とか宅配制度とかそういったコンテンツとか経営努力以外の部分への依存によるものだと思うのだけれど、その辺の事情に関連してカトラーさんのところにこんなエントリが出てた。


カトラー:katolerのマーケティング言論: 毎日新聞がソフトバンクに買われる日


 全体の趣旨としては、現在の日本の新聞業界における朝日・読売の二極構造に対して、毎日・産経・中日による合従連衡構想があったらしい、と。

 これはこれとして新聞経営に対して危機感をもってなんらかのアクションを興したということでは評価できると思うんだけど、その計画は破綻したらしい(原因はよくわからんが)。

 んで、新聞業界の危機的状況とかそれに対する対策としては


新聞社のビジネスモデルにとって深刻な危機として、現在の宅配体制を維持することが早晩難しくなるという問題がある。それゆえ新聞をデジタルデータの形で読者の手元に届ける電子新聞の構想は、かなり以前から存在していた。実用化の一歩手前まできているE−ペーパーのようなソリューションが誕生すれば、新聞の発行形態は一気に変わる。地上波テレビも、2011年にデジタル化され、PCとテレビの垣根がなくなり、コンテンツは、メディアのボトルネックを超えて、シームレスに様々な媒体を渡り歩くような時代が到来するだろう。新聞だけが、そうしたメディア状況の蚊帳の外にいられるはずがない。


 ってことで全くその通りだと思う。JMRにもこんな記事出てた。


2011: Terrestrial Digital Broadcasting


 で、

 カトラーさんは最後に「毎日新聞はソフトバンクに買われるべきなのだ」と結論づけておられるが、そういうことなら孫さんと仲良しのマードック(News Corp)に買われたほうが良いように思う。ついでにTBSも(あるいはTBS-テレ朝がくっついた後まとめて)。



 あと、新聞業界がメディアモードの変化を利用できる機会としては電子ペーパーの利用というのが考えられるけど、これもここを主軸とするほどのインパクトは感じられない。iPodほどの衝撃(利便性、ブランド力、マーケティング力)を持っていたら別だけど、いまのところそういう動きは見当たらない。いちおあることはあるけど、日本の新聞業界が絡んでいる姿を見たことがない。(で、カトラーさんが指摘されてるようにone of them的な感じになってマルチメディア・マルチモードの波に飲まれていくのだろう)


 
 で、そういった日本の現状に対して、世界の新聞(っていうかぼくが主にチェックしているのはアメリカのメディア業界だけど)の動きはどうか?



 前半部でもちょこっと言ったけど、アメリカの新聞というのは若年層の紙離れというのを早くから深刻に受け止めて対策を練っている。具体的にはweb2.0化を急いでいる。そして、それと並行する形で新聞メディアのマルチメディア化も。具体的には記事内での動画再生ってやつ。これはWPなんかが主に力を入れてやっていたように思うけど、最近はみんなweb2.0に力を入れてる感じか。

 っつーか、MySpaceの力、それを利用したNewsCorpの躍進が思ったよりすごくてみなさん「自前SNSやらなきゃー」とか「自前YouTube持たなきゃー」って感じだ。で、自前SNSなりYouTubeなり持つわけだけど、機能が同じでもネットワーク外部性(ユーザー数)がないのであまり意味がなかったり・・。


 仕方ないので地味に新聞サイトのeditorialなところとかをblogにして外部からのレスポンス受け付けたりしてる。(参照



 あとはYahooとネットワーク外部性を分け合ってPV増やそうとしたり。んで、その派生効果として署名記者に責任感が出てきてるらしい。なんか、『viewing themselves as producers of new information products for a variety of media』、って感じで。(参照


 Yahoo側としたら単純に植民地なつもりで外部リンク機能を導入したんだと思うんだけど(参照)、おもわぬ派生効果でちょっと面白い。


Yahooの殖民についてはほかにもclaiglistにも手を出したってのがあったけど・・記事消えたな(参照



 あと、Yahooって言ったら対Googleって感じでいちおGoogleの例の広告ネットワークに対抗しようとしてるんだけど、


Viacom、グーグルのライバルとガッチリ握手 at ブログヘラルド


ヤフー、新聞社との提携を拡大--大手のMcClatchyも参加 - CNET Japan


 この辺はどうもGoogleのほうが一枚上手っぽい。




 まぁ、それはいいとして話を戻すと、上記してきた感じでアメリカの新聞メディアってのは国内でも企業努力をしてるわけだけど、国内のそれはどっちかっていうと「守り」みたいな感じでcirculationに直接繋がらないみたいなので、「やっぱ狙うは海外だろう」ってことで登場するのがフラット4ことBRICs。ってか、人口が多くて中間層市場の発展めざましい中国・インドあたりが狙い目、と。


Bloomberg.com: Technolog:India, China Newspaper Shares Surge as U.S. Media Nosedives y


 っつーか、「この際紙メディアの部数減らして中国・インドにはonline勝負でいいじゃん?」、って見方もあるみたい。


 その辺についてはちょうど小林恭子さんのところにも出てたな



小林恭子の英国メディア・ウオッチ  : 「新聞は瀕死状態か?」 英、仏、米の試み


 ロンドンの外国プレス協会で、参加者としては

パネリストとして参加したのは英テレグラフ紙のウイリアム・ルイス編集長、米インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(本部パリ)の記者エリック・ファナー氏、インドのタイムズ紙のロンドン支局長ラシミー・ロシャンラル氏、フランスの経済日刊紙ラ・トリビューンのアンドレア・モラウスキー氏


 っつーか、テレグラフのルイス編集長がモテモテだったらしいが。



 全体の内容としては上記してきたようなことと被るけど、それ以外のところで気になった点としては、


(1)ほかの新聞社が収入を減らしているのに対して、テレグラフだけが増やしている (購読料か広告か、理由はよく分からない)


(2)



((2)(3)と書こうと思ったが見つからなかった・・)




 っつーか、テレビ業界のボトルネックと同じくさっさとモジュール切ってフレキシブルに連動するようにすればいいのに。新聞市場全体が減ってきてるんだから他社も自社もないだろうに。(まぁ、どっかつぶれなきゃ分からんわなぁ)


 記者の皆さんはいつでも避難できるようにそれなりの覚悟をしといたほうがいいかも。




 あ、そうだ、最後に。インド市場はちょっと前にヤングマードックが目をつけて根回ししてるみたいだった。



Young Murdoch goes hunting for the big one - Business - Business - smh.com.au



 なのでいまから乗り込んでもムダっぽい。(っつーか動画共有と音楽狙いっぽいから新聞は余地あり、か?)。あとこの辺はViacomも狙ってた。




--
関連:
メディア・パブ: 米新聞社,今年は一段と厳しくなりそう

※「オンライン売り上げ30%アップ」のベースを切ってしまうのでレイオフに向かわざるを得ないかも、と。やはり順調なのはWSJぐらいらしい(経済紙は強いな)



天漢日乗: 新聞社志望学生の抱く新聞社のイメージジョーク集

※志望学生の視点。皆さんけっこうシニカルに見切ってるみたい。(産経がオチ担当)



posted by m_um_u at 18:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年04月25日

ジャーナリズムとはなにか?(2.1): Sound and Fury

 武田さんとこ経由で知ったんだけどハルバースタムが亡くなったそうだ。


asahi.com:米のジャーナリスト、ハルバースタムさんが事故死 - 国際



 自動車事故とのこと。73歳。

 まだ現役で、カリフォルニア・バークリーの講演の後、アメフト選手の取材に行くところだったとのこと。



 ハルバースタムというとちょっと前に書いた職人的ジャーナリズム(いわゆるニュージャーナリズム)における代表的人物の一人。


muse-A-muse 2nd: ジャーナリズムとはなにか?(2):批評としてのジャーナリズム


 「ベトナム戦争はアメリカにとって正義なのか?」という視点とか(「ベスト&ブライテスト」(光と影))、そもそも自分が属しているメディア業界そのものが正しいのかどうか(「メディアと権力」)という視点をとった人。


ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて
デイヴィッド ハルバースタム David Halberstam 浅野 輔
朝日新聞社 (1999/06)
売り上げランキング: 260



メディアの権力〈1〉
メディアの権力〈1〉
posted with amazlet on 07.04.25
デイヴィッド ハルバースタム David Halberstam 筑紫 哲也 東郷 茂彦
朝日新聞社 (1999/09)
売り上げランキング: 1084




 ぼくが言うより、武田さんのこの追悼日記を見たほうが早い


武田徹オンライン日記:ハルバースタム追悼

(以下、一部抜粋)



デビッド・ハルバースタムの名は、今の学生さんの世代にはあまり通じていないかもしれません。若き日にはベトナム戦争報道を皮切りに多くの傑作を残し、20世紀を記録した非常に優秀な、間違いなく20世紀を代表するジャーナリストの一人です。日本の自動車産業を取材した『覇者の奢り』という作品もあります。




覇者の驕り―自動車・男たちの産業史〈上〉
ディビット ハルバースタム 高橋 伯夫
新潮社 (1990/09)
売り上げランキング: 624502




ハルバースタムがニューヨークタイムズのサイゴン特派員としてベトナムの地を始めて踏んだのは1962年、まさにこうした戦争が激しくなりはじめていた時期でした。
 特派員として赴任した当初のハルバースタムの考え方は、実に単純でのんきなものでした。アメリカは共産主義者の攻撃を受けている南ベトナムを守っている。それは自由主義を守る正義の戦争をしているのだ彼は信じていました。
 ところがベトナムで取材をしているとアメリカは正義の側にいないことに気付きます。ベトナムの人たちはアメリカを、かつてその地を植民地にしていたフランスと大差のないものだと見ています。アメリカは頭ごなしに自分たちを支配する国だと思われているのです。
 そう気付いてからハルバースタムはアメリカのベトナム戦争への荷担を再検討すべきだという、反戦的な記事を書くようになります。これはアメリカ、南ベトナム政府それぞれににらまれ、ケネディ大統領はハルバースタムに特派員を辞めさせ、帰国させろとニューヨークタイムズの社主に圧力をかけてきます。南ベトナムの大統領の弟の妻で、南ベトナム政権を牛耳っていたニュー夫人が「ハルバースタムをバーベキューにしてやりたい」と述べました。



 そんなハルバースタムだけど従軍取材中にちょっとした風評にイラ立ったことがあったり。「ハルバースタムは敵方の兵士の死体を見て涙していたぞ」、という噂。

 涙を流すということさえマッチョイズムな当時のアメリカではアレな感じなのに、「その上、敵方の兵士に涙していただと!?」、と。

 そんでハルバースタムは怒ってその発言を流した軍人を見つけ出し、撤回を求めてすごんだらしいんだけど・・


 後日、こんな記事がNYT(ニューヨークタイムズ)に載った


しかし彼は後になって考えを改めることになります。それは彼の後にサイゴン特派員となったジャック・ラングスという記者がこのハルバースタムの逸話について『ニューヨークタイムズ』に書いた記事がきっかけになっています。
 ラングスはこう書いたそうです。「例の話は事実ではない。だが、本来は事実あるべきではなかろうか。どちら側の兵士であれ、その死骸を目のあたりにして、涙を流すのが自然ではないか。来るべき世代のアメリカ人は、戦争の惨禍のなかに横たわる死体に涙する人をさげすむどころか、むしろその涙ゆえに尊敬するだろう」と。




 それが後に彼のジャーナリズム観を変えるきっかけになったんだそうな



 「善 / 悪」二元論ではなく「両方が悪、両方が善であるということ(人間だから)」。

 そして、敵味方を越えた共感の心


この一件がハルバースタムの報道を変えることになります。以後の彼は、生きながらえてよかったはずの命が突然断ち切られる不条理を悲しむ感覚、死体に涙する感覚を一方で踏まえながら、一方で敵味方といった狭い分類を越えた世界史の大きな枠組みのなかで現実社会を調べ、描き出すようになってゆきます。




 この「共感」(感情移入)を武田さんはもうひとつの話に繋げる。核兵器、あるいは核エネルギーを持つ、ということ。


 おっしゃるように、「核エネルギーそのもの」にはアレルギーを持つべきではないし、むしろその是非についてギロンされないほうが危険だろう。

 でも、そのギロンに参加するには資格がいるのだ。


議論にタブーがあるべきではない。核武装についてもきちんとした議論が出来るべきだと言われます。その通りでしょう。しかし一方で議論に参加するには資格も必要だと思います。そうした資格の問題をなかったことにして、タブーはないのだから核武装について議論すべきだというのは詭弁だと思います。




 その資格とは、当事者たちの気持ちを慮ること、取材対象にコミットしつつ魂をもった報道(言論)をするということ。


 「対象への深入りは客観性を害する」というギロンもあるが、熱い感情を持ちつつ冷めた頭を持つというのがジャーナリストの理想だ。そこでは「対象」は「対象」として切り離された「客観物(objekt)」ではなく、「彼ら」の問題は「我々自身」の問題でもあるのだ。

 そういった当事者意識を持つことにより想像力が働き、より多くの現実(喜びや不安、怒り、悲しみ、矛盾、葛藤、怠惰・・・)に目が行くようになる。「感情 - 想像力」の回路を保つことによって情報量は増す。





muse-A-muse 2nd: 「クリエイティブ」とはなにか?(「センス」、「想像力」、「創造力」について)


 最後に、この文章がありがたかった



そこで気付くべきなのです。核兵器とは「そんな死に方」を他人に強いるものでもあります。核武装について議論するのはかまわない。しかし被爆がひとにどのような死に方を強いるのかについて知っていること。そうして死んでゆく人の無念さ、その悲劇に涙を流せる感性の持ち主であること。それが核武装について議論する人間の最低限の資格ではないかと思います。
 死体に涙を流す人間であることを、ハルバースタムは自分のジャーナリズムの核に据えました。それはジャーナリストにとって必要なことだけではないでしょう。生きながらえるべき命が、不条理にも断たれる悲しみに涙を流せること。その涙を踏まえて全ての物事を考え始められること。それは誰にとっても必要なことなのではないでしょうか。








Sound and Fury



静かに怒りの炎を灯し続けること





そういえば「感情移入(共感)」は人とアンドロイドを分けるキーポイントでもあったな。
(「ロボットは感情移入できない」≠想像力が働かない≠「プログラムされたこと以上のことができない」)




アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
フィリップ・K・ディック 浅倉 久志
早川書房 (1977/03)
売り上げランキング: 1939






--
関連:
David Halberstam, 73, Reporter and Author, Dies(@TailTank)



asahi.com:「核」論 [著]武田徹 - ニュースな本 - BOOK



muse-A-muse 2nd: <ヒロシマ>ということ





 

posted by m_um_u at 08:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年04月20日

ジャーナリズムとはなにか?(2):批評としてのジャーナリズム

 一個前のエントリで出てきた論点だけど、なんか長くなってこれ自体の説明が希薄になった気がするので新しくエントリ作っとこう。ちなみに一個前のエントリはこちら


muse-A-muse 2nd: ジャーナリズムとはなにか?(1):世論と世論を形成するもの


 っつーか、今回ネタ元にする栗原さんのエントリをそもそも見たきっかけはこちら


切込隊長BLOG(ブログ): WEB2.0の知(笑)って、集合してるんだろうか?


 んで、こう来た


おまえにハートブレイク☆オーバードライブ:ウェブ2.0的集合知(愚)が“批評の死”をヴァージョン・アップする



 と、その前に。今回のエントリの目的としては「批評はしろーとにも可能か?」を通じて「批評活動の社会的意義とは?」「そもそも批評とは?」ということを考えたい。なので、批評活動に関するビジネス的、システム的な面への記述は薄くなる(あるいは全く触れない)と思う。とりあえず、そんな感じで

 前置きはそんな感じで、栗原さんのエントリに戻ると

 要約すれば、「シロートの書き殴りの集積が集合知的批評として幅をきかせると、活字の批評が駆逐されたりしませんか?」という質問に対して、イーグルトンの批評史観を引きながら批評の死の危険性を説明。

 栗原さんの論旨は「コーヒーハウス的な出版の文芸公共圏がCGMに毒される」ということだけどこれはちょっとびみょーに思う。

 イーグルトンの論旨は、「知が道具化され、商品化されて一部の機構に囲い込まれたことによって本来の力を失った(因果)」(あるいは「大衆化によって知がコモデティティ化した時期と同じくして大衆産業が発展した(相関)」)ということであって、その場合出版も大量生産によって生み出されたものであったはずだから。ということは出版の公共圏というのはコーヒーハウス的な牧歌的なものではなかったように思う。
(この辺の論旨は鶴見俊輔さんの限界芸術論に通じる)


限界芸術論
限界芸術論
posted with amazlet on 07.04.20
鶴見 俊輔
筑摩書房 (1991/06)
売り上げランキング: 463723



限界芸術論
限界芸術論
posted with amazlet on 07.04.20
鶴見 俊輔
筑摩書房 (1999/11)
売り上げランキング: 54182



 限界芸術論とは、こちらを参照してもらえば分かりやすいが


『限界芸術』について


 簡単に言えば、専門知的な「お芸術(Pure Art)」でも商業文化的な「商業芸術(Popular Art)」でもなく、生活の場から生まれてくる遊びであり、創作物を指す。芸術と生活の境界線上(Marginal=境界、限界)にあるということで「限界芸術」と鶴見が命名したもの。

 具体例としては昔ながらの子守唄とかかくれんぼみたいな子供の遊びとか労働の歌とか民話とか、そういう生活の場から生まれた創作物が挙げられるように思う。 小難しい言葉を使えば商業的(あるいは文化的)に構築されたものではない創作物。文化的規制から脱構築した創作物と言えるように思う。(つまりブリコラージュ)

 初めてこれを読んだときにはその意義があまりよく分からなかったがいまなら少しは分かる。人々が自分の頭で考え、自分自身の言葉を使ってなんらかの創作をしたり、創作に対する創作をするというのは言語動物としての人間にとって当然の活動だから。それを封じたり、抑制したりするのはなんらかの管理の機構と同じように思う。そして、そういった言説を支持するのも。



 でも、栗原さんの言いたいことは分かる。「雑誌文化はサブカルって感じ」ってやつだろう。「サブカル的な雑誌文化には牧歌的な創作性があった」、と。そんで、その雑誌文化が2chとかmixiのコミュに代表されるようなCGMに代替されつつある。


cf.muse-A-muse 2nd: ミクシと2ちゃんとblogと少しおカネの話



 そこでは「批評」(質)ではなく「情報」(量)が中心的価値となる。


 ミクシの中でも一部のコミュでは批評が盛り上がってるところもあるみたいなんだけど、それほど質の高いものにはお目にかかったことがない。もしくはアマのレビューとかが思い浮かぶけど、これも概要というぐらいでなら参考になるけど、「読み解き」という面では読みが足りない感じがする。(bk1とかのほうがいいのか?)


 似たような指摘は雨宮さんのところにも出てたな



雨宮まみの「弟よ!」

神山健治 たまに2ちゃんの書き込みとかを見てたんですけど、面白いことを思いつく人っていますよね。ただ、そういう人間がプロになってこない。現場を見ていても、いまクリエイト行為よりは、消費行為のほうがエレガントになってしまっているのかもしれないと思っちゃうんですよ。極端な言い方をすると、いまほど消費者に対してプロのほうが頭悪く見えていることはないんじゃないかと。数人で創ったものを数万人が見るわけだから、数人がどんなに強度を高めても相対的には負けてしまう。



 引用という形をとっているけれど、けっこう雨宮さんのホンネだろう(ちなみにこちらは上記引用部分についての雨宮さんのコメント)


「エレガント」という言葉の正しい使い方を、久しぶりに見たような気がしました。汗水垂らして作った挙げ句ボロクソに言われるようなクリエイト行為よりは、そりゃあ買って観てどこからどう読んでも正しいクールな意見をブログとかに書いている消費者の方がエレガントなわけで。



 ユーザーも汗水たらして稼いだ金をかけてるんだから当然だと思うが、そういうことではなく、「一部の不労暇人ヲタがアタシの好きな攻殻にゴチャゴチャレベルの低いこと言ってんじゃねぇ!(あるいはエレガントでクールな正論)」、ってことなのかもしれない。

 そんなこといったってやっぱ金払ってるわけだしなぁ・・。「金払えば何してもいい」ってことではないんだけど、プロだったらその辺は意識して然るべきだと思う。例えば、もし不労ヲタだとしても、その人がどういう思いでそのお金を稼いだり貯めたりしたのかなんか誰にも分からないわけだし。って、けっこう苦労した金で買ったものに対しては思い入れがあるはずだから安っぽいコメントはしないものだが。



 まぁ、それはいいとして


ってか、下の説明様式って「公共性の構造転換」(J.ハーバーマス)じゃん?


『批評の機能』でイーグルトンは、18世紀にイギリスのコーヒーハウスで誕生した近代批評が、資本主義、大衆社会の成立により機能不全に陥り社会性を失い、大学(アカデミズム)に自閉していった様を論じている。コーヒーハウスに集う人々が交わす文化談義から批評は生まれたのだが、そこで要請されたのは、階級という現実社会における差別を棚に上げて、いかなる人の言説も平等であるとする仮構だった(イーグルトンはこれを「ブルジョア公共圏」と呼ぶ)。公共圏の教養を前提とする代弁者として職能分化したのが批評家の元祖だ。批評能力はあらゆる人に備わっているとするこの仮構はしかし、誰もが文字を読む大衆社会の到来により破綻を来し、公共圏および批評家はイニシアチブを市場に譲り渡す。以後の批評の歴史は、大衆との葛藤の歴史であり、批評は一度としてこの闘争に勝つことなく、大学という同じ言語を話す仲間だけの共同体に自閉していくのである。




Socius_リフレクション19:第五章 コミュニケーション論の視圏――〈反省する社会〉の構造原理三 市民的公共圏の理念


もともと「市民的公共圏」(die bu`rgerliche O`ffentlichkeit)という概念は、近代初期の西欧社会に成立した歴史的現象をさす歴史概念である。つまり「あるべきこと」ではなく「すでにあったこと」をさすことばである。ハバーマスによると、公共圏の考え方は古代ギリシャにあったものだが、それが初期資本主義による商品と情報の流通の発達のなかで、公権力に対抗するために、公衆として集合した民間人(市民)によって形成された社会的空間である。▼17 具体的には一七世紀後半から一八世紀にかけてサロン・コーヒーハウス・会食会などに集った市民たちの議論がそれである。そこには共通の基準があった。第一に「そもそも社会的地位を度外視するような社交様式」「対等性の作法」。第二に「それまで問題なく通用していた領域を問題化すること」。教会や国家による上からの解釈から自由に討論する。第三に「万人がその討論に参加しうること」つまり原理的な公開性。▼18 これらの基準に則って文芸・演劇・音楽作品が自由に批評され(文芸的公共圏)、その焦点はやがて政治的問題に移っていった(政治的公共圏)。新聞などのジャーナリズム活動はこの市民的公共圏から派生したものである。政治的公共圏はやがて国家機関として制度化される。公共圏が国家機関の手続き上の組織原理になったのである。しかし一九世紀になると、市民的公共圏が前提していた私的領域と公権力領域の分離の構図がくずれて、近代の基本原理だった市民的公共圏は操作的公共圏へ構造転換することになる。「批判的公開性は操作的公開性によって駆逐される。」▼19今日わたしたちが経験するのは市民的公共圏の変質したものである。




 これを見ても分かるように「批評」や「社会に対する批評としてのジャーナリズム」というのは同時期に「しろーと」から作り上げられていったもの。「しろーと」って言ってもいわゆる「文化人」って感じの人たちのサークル活動だったのだろうけど、そういう意味では一部サークルってことで代表的具現の公共圏的意味合いもあったのかもしれない。いまだったら一部論壇とかネット的には「ニュースサイト」とか「アルファブロガー」とか(?)



 栗原さんや雨宮さんの言い方だと批評というのは「こういう人たちだけでやるべきもの」ということになるのかなぁ?



 そこまで言うつもりはなくて、単にレベルの低い悪口をやめさせたいだけなのかもしれないけど、やっぱCGMとかしろーとの批評全般を否定するような言い方はどうかと思う。(そういうつもりではなかったのかもしれないけど)



 まぁ、とりあえず、そんな感じで「質的に正しいジャーナリズム」のようなものがあるとしたら「すぐれた批評」というところと重なるのだと思う。梅田さんじゃないけど、「正しく褒める(あるいは批判する)技術」みたいなの。そうしないと為政者(あるいは創作者)もヤル気でないし。

 ってか、この辺メディアリテラシーと重なるわけだけど、そうするとメディアリテラシーの目指すものは批評的ジャーナリズムということになるな


 んで、そういう論評系ジャーナリズムって職人技なんだと思う。ちょっと前に映画であってそろそろDVDも始まった(?)カポーティ(「冷血」)なんかもそういう職人系ジャーナリストの一人。

 いまの時代、そういうものの復活はあるのかなぁ・・。武田さんとこの授業方針はわりとこういうのを目指してる感じがしたけど(教科としては「あらゆる分野に対する基礎的知識を持つ必要性」みたいなのを前提に編成されてたように思う)・・。



 ってか、ちょっと思うのは、批評的ジャーナリズムが職人気質なジャーナリズムで質的に見るに耐えるようなものであるとすると、そんな感じで日本の代表的ジャーナリズムを作ってきた人って文学部出身だったりしないのかな・・?


 っつーか、新聞なんか政治・経済部を頂点にするもので、文芸・社会は軽んじられてるけど・・。でも、優れたジャーナリズム作品を残した人は少なからず文芸マインドがあったんじゃないか、ってちょっと思う。



 ・・こんど調べてみようかなぁ




--
関連:
muse-A-muse 2nd: 「<批評>そのものへ」?



muse-A-muse 2nd: ジョナサン・カラー (著), 荒木 映子 (翻訳), 富山 太佳夫 (翻訳) 、2003、「文学理論」  (前編)





--
おまけ:
雨宮さんとこにガンダム話でてたのでガンダム関連で。

以下、「ガンダム」の原作者富野由悠季さんへのインタビュー(@「ビッグイシュー」vol.63)から。ポイントとしては富野監督も商業的なものに対してそれほどの過信はなかったってこと(「あれは仕事」って感じでこなしていた、と)。そして「お仕事」としつつもその責任を引き受けていたということ。責任を引き受けたことによって成長があった、と。

要約すると「元々、ファーストガンダムはスポンサーであるオモチャ屋の宣伝番組として嫌々受けたものだったんだけど、予想外にヒットした」、と。そして、「そのヒットの要因はなにかと問われれば自分の能力(個性)を過信しなかったことにあるのでは?あと、最低限ウソをつかなかった」、という内容。以下、気になった箇所抜粋。



(4)「ファーストガンダムは、あくまでもスポンサーであるオモチャ屋の宣伝番組。最初からリアルな戦争や人間ドラマを描こうなんて、100%考えていません」


(4)「僕の理想からすれば、デザインは最低でも『スターウォーズ』か『2001年宇宙の旅』。なのに、ガンダムでは船の形をしたホワイトベースが宇宙空間に浮かぶ。そんなの、僕にとっては許しがたい暴挙なんです。ムサイなんか、もう本当に腹立たしい。冗談じゃないよ、こんなもん世に出せるか!って。科学的にそんなデザインがありえるわけないのに、当時のアニメ関係者や視聴者も含めて、誰も何一つ不思議に思っていないことがものすごく嫌だった。でも、現実にスポンサーはオモチャ屋なわけだから、そこは落とし前をつけなければいけない。あー大衆とかオモチャ屋に迎合するっていうのはこういうことか、大衆娯楽なんていうのはこんなレベルなのか、ほんとに嫌だよね、と思ったのが僕にとってのファーストガンダムだったんです」


(5)「すでに結婚して子供もいたし、せめて子供が高校を卒業するまでは何としてでも生き延びなければいけない。でもこんなオモチャ屋の宣伝番組を担いで生き延びられるのか、そんなのできるわけないよって。ほんと、もう瀬戸際。だから、『キミは、生き延びることができるか』っていうあのキャッチフレーズは、僕にとってはレトリックでもなんでもなく、まさに自分の“本気”そのものだった」


(5)「今でいえば、頑張ったフリーターみたいなもんです。いつか絶対に自分のラーメン屋をもってやるみたいな感じで、劣等感を振り払うには、とにかくなりふりかまわず仕事するしかなかった」


(5-6)「こちらが紙芝居のような陳腐な物語と思っていても、どうしても騙されて観てしまう子供たちはたくさんいるんです。それなら、騙されてみる子供たちに、せめておもしろいとか、タメになるお話をつくって見せたい。でも、自分には作家的な才能はない。そう悩んでいた時に見つけたのが、本当にいい児童文学は作家が大人向けに全力投球して書いた物語であって、初めから子供向けに書かれた児童文学はくだらないものにしかならない、という言葉でした」


(6)「つまり、僕が公人として意識したのは、自分の話を聞いてくれる子供が目の前にいる時は、とにかく一所懸命話さないといけない、ということ。一所懸命話せば、たとえばそのお話が理解できなくても、この人は自分にとって大事なことを喋っているらしいという印象は絶対に残る。そして、子供は、いつかその話を思い出してくれる。作家的な才能があるかどうかの問題ではなく、劣等生の僕が曲がりなりにも放送という足がかりを手に入れて、自分が演出する立場になった時、社会人として、三十いくつの大人として次の世代に嘘だけはつかないようにしようと思った。それが、公共に対しての最低限の責任だと思ったんです」


(6)「60歳を過ぎて思うのは、あの時、自分の好きなものだけをつくらなくてよかったなということ。さまざまなものを外界から取り入れて、凡人の文殊の智慧でできた作品が、結果的に自分の能力以上のものになった。だから、僕は個性を全否定するんです。いきがって好きだけで作品をつくるなと。世の中には一つの個性だけでつくって許される才能というものがあるんだ。それは天才だけなんだって。どだい自分の世界観なんてたかがしれている。自分一人の個性だけでつくったような映画はその時代だけで終わる。ファーストガンダムから、僕はそういうことを教えられました」





こういうのを見ると創作者にも「お仕事用」と「ほんとに作りたいもの(本気の自分語り)」モードの使い分けがあるわけで、ユーザーのほうもその辺を理解して評価できるようにならないとダメなんだろうなぁ、って思う。もしくは「お仕事」の中にちりばめられている「本気(魂)」の部分に対する評価。



あと、お金的バックアップとかか



っつーか、世の中の玉と石の割合なんか2:8ぐらいなんだろうから、そんなもんかって感じで構えとけばいいんだと思う


もしくは「お仕事」じゃなくなんか書く場合は「自分の理解のために書く」とか、そんなもんだろ






posted by m_um_u at 22:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年04月18日

ジャーナリズムとはなにか?(1):世論と世論を形成するもの

 bewaadさんのところのジャーナリズム批評が見事だったのでここをトリガーにジャーナリズムについて記しておきたくなった。当該エントリとしてはこちら


bewaad institute@kasumigaseki » 魚住昭「官僚とメディア」



 魚住さんの「官僚とメディア」について、現役官僚の視点から批評されていて非常に面白い。


官僚とメディア
官僚とメディア
posted with amazlet on 07.04.18
魚住 昭
角川書店 (2007/04)
売り上げランキング: 242



 流れとして、

 魚住さんの本の主張としては、「戦時中の軍部の意思決定というのは軍部の独力で行っていたのではなく、一部新聞社がハッパをかけていたところもあったのではないか?」、というもの。顕著なのはこの箇所(孫引き、p126)


その作戦課の元参謀たちに「勝ち目がないと分かっていながら、なぜ対米戦争を始めたのか」と聞いて回ったら、ある元参謀がこう答えた。

「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞の責任はどうなんだ。あのとき新聞の論調は我々が弱腰になることを許さなかった。我々だって新聞にたたかれたくないから強気に出る。すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」



 これはこれとして、本来中立な監査機構(watch dog)として機能されることが期待されるジャーナリズム機関がほかの機関と癒着していたことを問題とするという点でジャーナリズム論(あるいはジャーナリズム史)的には意義があるもののように思う。同様の著作として「日本テレビとCIA」なんかが想起される。



日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」
有馬 哲夫
新潮社 (2006/10/17)
売り上げランキング: 46162




 しかし、bewaadさんはここで「ちょっと待った」をかける。「いや、そういう陰謀論的視点もアリだと思うけど、それって単純なんじゃねぇの?」、と。


結局はわかっていないんですねぇ。自らがなしたことを含め検察報道について筆者が客観的に分析可能なのも、既に筆者が検察報道に対して批判的な立場(本書に何度となく出てきます)にあるからに過ぎなかったのだとwebmasterは思わざるを得ません。軍部や検察が陰謀を企んだからといって世論を好きなように動かせるわけではないと認識しながら、ではなぜ「政府や最高裁とメディアが一体」となればそれが可能と考えるのか、単なるご都合主義を超えるものではないでしょう。

「一昔前だったら反発を受けたに違いない国策」が「すんなりと受け入れられる現象が相次いでいる」のは、そのような陰謀論の帰結ではなく、世論が変わってきているからに他なりません。



 意訳すれば、「魚住は“理想的ジャーナリズム”の視点に立って当時のジャーナリズムを批判しているけれど、その“理想”って変化するものなんじゃないの? 受け手の需要(世論)によって」、ってことだろう。


 失礼ながらこれは非常に鋭いなぁって思った。


 もっと簡単に、最近の例で言えば「あるある」を望んだのは視聴者だし、番組の供給源であるスポンサーをそのままにしているのも視聴者。供給側は需要者の望むものを与えただけなのだ。もうちょっと言うと、マスコミの情報を画一化させているのは需要者側の眼に見えない形での要求ということ。需要者は「それほど頭や時間を使わなくて良いような気休め的情報」を求めているのであってcriticalなものが欲しいわけではない。マスメディアの想像の共同体的機能を考えればそれはそれとして意義のあることでもあるのだけれど、「ジャーナリズムの理想」という面からは離れるだろうな。


 あと、「需要者が望むから」というのも少し単純かもしれない。限定された範囲での要求に応える形で広告会社やマスメディア企業は欲望を創造する。「これがあなたが潜在的に求めているものでしょう?」、と。そういった形で創造された欲望がさらなる欲望を喚起し、ほんとに必要なものという感覚が失われていく(cf.シニフィアンの戯れ)。 その辺はまた別の話、bewaadさんの話に戻ろう



 bewaadさん的報道観によると、


webmasterは、「そもそも報道とは・・・情報という商品を不特定多数の消費者に売る仕事にすぎない」との指摘こそ卓見だと思う



 とのこと。



 これ自体も一理あるし、実際、現代の(職業倫理じゃないほうの)ジャーナリズムの大半は基本的にこの型に沿って大量生産されている。

 ジャーナリズム史的に言えば、カフェの社会・文芸批評から始まったジャーナリズムというのは一部の批評能力を持った人にしかできなかった。それでしばらくの間は社会批評家的な能力を持った人の職人芸的なものがジャーナリズムとして見られていた。

 んでも、それだと大量生産して儲けられないのでそれほどの能力が高くない記者でもできるようなフォーマットを作った。これが有名な「5W1H 」(when(いつ) who(誰が) where(どこで) what(何を) how(どうした) )。

 客観報道というか、bewaadさんがイメージされているようなジャーナリズムの成果というのはこの辺なのではないかと思う。あるいは通信社的な平板な情報を期待されているのかもしれない。つまりinsightの付いてない純粋なinformation。通信社サービスの個人(もしくはblogger)へのバラ売りみたいな感じか?


 <ジャーナリズム(論評)はもともと批評的なところから生まれた>ということについてはこの2つの記述を見比べてみると分かりやすいと思う。

 Socius_リフレクション 第五章 コミュニケーション論の視圏――〈反省する社会〉の構造原理三 市民的公共圏の理念

 もともと「市民的公共圏」(die bu`rgerliche O`ffentlichkeit)という概念は、近代初期の西欧社会に成立した歴史的現象をさす歴史概念である。つまり「あるべきこと」ではなく「すでにあったこと」をさすことばである。ハバーマスによると、公共圏の考え方は古代ギリシャにあったものだが、それが初期資本主義による商品と情報の流通の発達のなかで、公権力に対抗するために、公衆として集合した民間人(市民)によって形成された社会的空間である。▼17 具体的には一七世紀後半から一八世紀にかけてサロン・コーヒーハウス・会食会などに集った市民たちの議論がそれである。そこには共通の基準があった。第一に「そもそも社会的地位を度外視するような社交様式」「対等性の作法」。第二に「それまで問題なく通用していた領域を問題化すること」。教会や国家による上からの解釈から自由に討論する。第三に「万人がその討論に参加しうること」つまり原理的な公開性。▼18 これらの基準に則って文芸・演劇・音楽作品が自由に批評され(文芸的公共圏)、その焦点はやがて政治的問題に移っていった(政治的公共圏)。新聞などのジャーナリズム活動はこの市民的公共圏から派生したものである。政治的公共圏はやがて国家機関として制度化される。公共圏が国家機関の手続き上の組織原理になったのである。しかし一九世紀になると、市民的公共圏が前提していた私的領域と公権力領域の分離の構図がくずれて、近代の基本原理だった市民的公共圏は操作的公共圏へ構造転換することになる。「批判的公開性は操作的公開性によって駆逐される。」▼19今日わたしたちが経験するのは市民的公共圏の変質したものである。



おまえにハートブレイク☆オーバードライブ:ウェブ2.0的集合知(愚)が“批評の死”をヴァージョン・アップする

『批評の機能』でイーグルトンは、18世紀にイギリスのコーヒーハウスで誕生した近代批評が、資本主義、大衆社会の成立により機能不全に陥り社会性を失い、大学(アカデミズム)に自閉していった様を論じている。コーヒーハウスに集う人々が交わす文化談義から批評は生まれたのだが、そこで要請されたのは、階級という現実社会における差別を棚に上げて、いかなる人の言説も平等であるとする仮構だった(イーグルトンはこれを「ブルジョア公共圏」と呼ぶ)。公共圏の教養を前提とする代弁者として職能分化したのが批評家の元祖だ。批評能力はあらゆる人に備わっているとするこの仮構はしかし、誰もが文字を読む大衆社会の到来により破綻を来し、公共圏および批評家はイニシアチブを市場に譲り渡す。以後の批評の歴史は、大衆との葛藤の歴史であり、批評は一度としてこの闘争に勝つことなく、大学という同じ言語を話す仲間だけの共同体に自閉していくのである


 イーグルトンの論旨は、「知が道具化され、商品化されて一部の機構に囲い込まれたことによって本来の力を失った(因果)」(あるいは「大衆化によって知がコモデティティ化した時期と同じくして大衆産業が発展した(相関)」)ということであって、その場合出版も大量生産によって生み出されたものであったはずなので、後者リンク先におけるその後の論旨の展開は少しびみょーだが、話が逸れるので置く。


 関連で、メディアリテラシーというのも元々はジャーナリズムという創作活動に対する批評活動であって、きちんとしたメディアリテラシーの場合は文学理論的な批評の視点が必要になる。

muse-A-muse 2nd: 「<批評>そのものへ」?




 少し話が逸れたが、bewaadさんの話に戻すと。

 んで、それとは別に以上の話についてジャーナリズム論的には2つのポイントがあるように思う。


 一つは「世論とはなにか?」ということ。もう一つは「世論はどのように形成されるか?」ということ。


 一つ目は世論形成に関する古典「世論」(W.リップマン)を基軸にして考えられるように思う。


世論〈上〉
世論〈上〉
posted with amazlet on 07.04.18
掛川 トミ子 W.リップマン
岩波書店 (1987/07)
売り上げランキング: 47985




世論 (下)
世論 (下)
posted with amazlet on 07.04.18
W.リップマン 掛川 トミ子
岩波書店 (1987/12)
売り上げランキング: 48716



 これはいまでは有名な「ステレオタイプ」という概念を提唱した著作で、野村センセのところの解説に詳しい(のでちょっと拝借)

Socius_社会学感覚20スティグマ論


従来「紋切り型」と訳されたり「ステロタイプ」と表記されてきたが、現在はもっぱら「ステレオタイプ」(stereotype)と表記される。すなわち、特定の集団や社会の構成員のあいだで広く受け入れられている固定的・画一的な観念やイメージのこと。これは、固定観念と訳してもいいような、要するに型にはまったとらえ方のことである。偏見と概念的に重なるが、ステレオタイプの方がより広い現象をさしていると思ってほしい。この概念を最初に提唱したのはウォルター・リップマンである。かれは一九二二年の『世論』において、ステレオタイプの機能について考察した



 んで、なぜ人々がステレオタイプ(紋切り型)イメージにはまってしまうかというと、


それでは、なぜステレオタイプが生まれるのか? リップマンはふたつの理由をあげている。第一点は労力の節約すなわち経済性である。「あらゆる物事を類型や一般性としてでなく、新鮮な目で細部まで見ようとすればひじょうに骨が折れる。まして諸事に忙殺されていれば実際問題として論外である▼11。」つまり、ステレオタイプによって人びとは思考を節約するのだ。そのつど一から考えなくてすむというわけである▼12。

 第二の理由は、ステレオタイプがわたしたちの社会的な防御手段となっているからである。ステレオタイプは、ちょうど履き慣れた靴のように、一度そのなかにしっかりとはまってしまえば、秩序正しい矛盾なき世界像として機能する。だから、ステレオタイプにちょっとでも混乱が生じると、わたしたちは過剰に防御反応してしまう。


 
 つまり「リソースの節約のため」ということ。新しい情報が入ってきていろいろ混乱するのめんどくさいからステレオタイプの壁を作っておいて、入ってくる情報を限定させる。personalized serviceの脳みそ版みたいなものだ。


 で、bewaadさんの話と接続させると、『一昔前だったら反発を受けたに違いない国策」が「すんなりと受け入れられる」のも世論が変わってきているから』、ということでステレオタイプというか情報受容の型の部分が変化してきているのだろう。

 それは「欲望の操作」という観点から見れば自由度が増した観があってよい印象を受ける(某毎○新聞勢力あたりからは「ネットウヨ?」とか見られそうだけど)。というか、世論とマスメディアが提示する<世論(言論?)>とのズレが顕在化してきているのだろう。

 端的に言えばこの辺

finalventの日記 - 都知事選傍観者がなんとなく思うのだが


極東ブログ: 2007年都知事選雑感




 もう一つは欲望との関連で、ブーアスティンの「幻影の時代」とか、あるいはもうちょっと引っ張って利用と満足研究あたりが思い浮かぶ。


 
幻影の時代―マスコミが製造する事実
D.J.ブーアスティン 星野 郁美 後藤 和彦
東京創元社 (1974/10)
売り上げランキング: 225541



 読んじゃいねぇが(笑)


 ブーアスティンがイメージしていたドイツのプロパガンダを情報操作の力で、そこから派生して、「平和な時代になっても「幻影」の創造によってぢみーに世論操作がすすんでるのかもよー」ってイメージだったのだろう。そういう意味では当時の課題がまだ解消されてないわけだ。


 っていうか、本来ならこういった「欲望(需要)の変化を受けた世論(需要と供給)の変化」という課題はジャーナリズムとカルスタの応用領域として考えられるべきで、現代の日本のジャーナリズムが機能不全をおこしていることの間接的説明ともなるような重要な部分だと思う。

 「ジャーナリズム」を説く人はジャーナリズムそのものの価値にとらわれすぎて他の文化領域との関係については意識できていないし、カルスタに夢中な若者はポピュラー文化を自分色でカルスタることだけに終始する。(だったらマスコミ学会でやる必要ねぇじゃん、って感じか)

 こういう人たちはジャーナリズムと現代消費文化の関係(シンボルの相関性)については全然意識できてないんだろう。(シンボルの闘争という次元の話を)




 関連で、先日見たNスペ「中国激動の時代2」で描かれていた中国のジャーナリズムの現状が頭に浮かんだ。


梶ピエールの備忘録。:この間のNスペより



 梶ピエールさんが指摘されていたように、報道というものはその時代の「機関からの圧力」と「報道者の伝えたいもの」の緊張関係の中から生まれるものなのだろう。

 その視点から見ると、現代日本というのは一見「自由な報道体制」が整っているように見えるが、実は報道従事者自身が自らの可能性を規定し、狭めているということに気づいていない(cf.記者クラブ、規定された「型」でしか報道ができない)。



 そのことに対して、彼らはおそろしく鈍感だ

(そのまんま東さんが指摘されるように意味のない定例会見による時間つぶし(仕事した感)とかね)




 では、「理想とされるジャーナリズムとはなにか?」ということになるが・・・ここがけっこうムズイんだよなぁ



 いままでの文脈からすると「伝えたいもの」ということなんだけど。くさい言葉で言うと「魂」と言ってもいい。

 「生活者にとって本当に必要なもの」、「生活者が感じている声にならない声」あるいは「生活者の中にある想像性や創造性の萌芽(cf.ブリコラージュ)」・・そういったものをいかにくみ上げて機関、あるいは「政」や「財」といった「界」にも共有されるプロトコルとするか。そういったインターフェースのハブ(翻訳機関)的な役割がジャーナリズム機関には期待される。



 「魂」と「<魂>の座」に関するこの辺りのギロンは文学や言語学におけるそれにも通じるな


muse-A-muse 2nd: ジョナサン・カラー (著), 荒木 映子 (翻訳), 富山 太佳夫 (翻訳) 、2003、「文学理論」  (前編)




 あるいは「シニフィエ / シニフィアン」、「欲望」を越えた言葉以前のもの(cf.保坂和志)





--
関連:
muse-A-muse 2nd: 新聞業界来し方行く末


muse-A-muse 2nd: NHK問題(もしくは公共放送論)





--
別記:
日本のマスコミがアレげな理由について。lifeのこの回に詳しい


「ラジオ」 - 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki - livedoor Wiki(ウィキ)


ポイントは番組後半、外伝部分。「三木鶏郎」で検索してもらうと早いかも


その辺りの論点としては、「TVとかのマスメディアよりラジオのようなミニコミというかalternative mediaのほうがジャーナリスティックだったのでは?」、という感じ。

んで、「なぜ日本のマスコミはジャーナリスティックではないのか?」、の説明として小新聞の歴史を挙げている。


まとめではその辺のキーワードが削られていてちょっと残念なんだけど、自由民権運動のときにいわゆるメジャーな新聞のほかに小新聞と呼ばれるタブロイドみたいなミニコミ新聞がいっぱい発行された。


で、


言論統制で大きな新聞は統廃合されたり、関東大震災のときにつぶれちゃったんだけど、小新聞の流れを汲む大阪の新聞社が生き残っていった。毎日、朝日はこの流れで生まれてる。


明治前期 大阪の新聞



んで、それが出版になると岩波とかNHKのトップなんかにも朝日筋が入っていくんだけど、そういうの全部、元を辿ればタブロイドだった、って話。

なので、ほんとの意味でのジャーナリズムなんか分かってない、と。
(実際、朝日は戦時下に国家に加担したし)



この辺りの話は津金沢先生のこの本にまとめられてる



現代日本メディア史の研究
津金沢 聡広
ミネルヴァ書房 (1998/06)
売り上げランキング: 854060





そういうと「やっぱアカ新聞はアレだよね」言説になりそうでキケンだけど・・まぁ、保留ということで。(ちなみにウチは朝日です。日曜の書評読めるので)




ってか、上記のような研究とか「三木鶏郎」を見ると改めて歴史研究の必要性を感じたり・・・・というわけでこの場を借りて、武田徹さんにごめんなさいです m(_ _)m




posted by m_um_u at 21:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月31日

国内メディアの構造転換の必要性について(もしくは関テレにやってほしいこと)

 関テレが4月3日に「あるある」に関する70分の検証番組を放送後、社長が責任をとって辞任するという。


asahi.com:関テレ社長、「あるある」検証放映日に辞任へ 4月3日 - 文化芸能


 J-castによるとそれもないみたい

J-CAST ニュース : 「除名」でも社長辞任ない 関西テレビの不思議


 そんで、民放連除名、と


民放連、関西テレビを除名の方針(朝日新聞) - goo ニュース



 これって世間的にどう受け取られてるんだろう?

 もう「どっちらけー」って感じだろうか?(次の話題、「みの失言引責」のほうが面白い?)


 それで本質的なことは何一つ見直されずにまた日々が過ぎていく、と・・。


 今回の事件で浮かび上がった構造というのは単なる一番組、あるいは一つの局レベルでの捏造問題ではなく、テレビ業界全体の構造的問題ということだったはずだが?


 その問題とは「信頼性」ということに加えて、


下請け・孫請けに制作依頼して、その間々で中間マージンとってる(なので孫請けにたどり着くときには制作費がものすごく少なくなってる)この辺の記述はハコフグマンさんに詳しい

ハコフグマン: 納豆ねつ造事件に見る情報番組の腐敗構造

 あと、偽装請負とか

関西テレビの歯切れが悪いもうひとつの理由


テレビ局というのは基本的に<制作>に関わるところではなく、電波という土地を貸している不動産屋みたいなもの(コンテンツの検証能力さえない)


・でも、そんな感じで制作を外部に委託しないとやっていけない


 というテレビ局のビジネスモデルに関わる構造的な問題だったはず。こういうのはNHKムスタンのやらせ疑惑のときから問題視されてるはずだが、まだ解決されてない。いや、解決しようという気がないのだろう。その証拠にてきとーにとかげの尻尾きりというか、「この機会にゆーとーせーのあのコを蹴落としちゃえ♪」、みたいなことをしている。(関テレは民放の中での優等生的存在)


 関テレは関テレでどうせ蹴落とされちゃうんだから精一杯反省の姿勢を示せばいいのに、番組の検証のみで済まそうとしている。「番組の検証」って言ったって「ここをこういう風に捏造して放送してました」みたいな感じでほとんど知ってるというか、知ったところでどうということもない問題が多数なので表層的な弁明に過ぎない印象がある。ガキの使いみたい

(※勘違いして継続的に「あるある」健康法を試している人にとっては良いのかもしれない。でも、捏造の回のタイトルだけ表示すればよくね?70分もやる必要ねぇべ)
 

 こういう問題を解決するための試案として、「第三者による番組チェック機構の必要性」が大分前から言われていたはずだけど、全然進んでない。話がでたことはあったんだけど、「大きなチェック機構作ると言論統制にも繋がるかもしれませんから、各局ごとの自助努力(独自のチェック機構)ということで」、みたいなところで手打ちになってる。んで、BROだかBPC程度か


 メディア産業論的に根本的解決を目指すならば、「ハード / ソフト部門を分離して混ざりがちな収支を透明化。放送局は伝送路あるいはディストリビュータ(土地貸し)の仕事を全う。ソフト部門は外注、オークションなどで正当に評価する。番組監査用に第三者機構を設立する」、辺りが妥当なはずだけど・・また例の「放送局は言論機関なんです!」とか言うわけのわからない理屈が・・。

 じゃあ、君達の現状はなんなの?

 散々同じこと繰り返して、その度に誰かを戦犯に仕立てててきとーにもみ消して、根本的な解決なんか始めからするつもりなく責任のなすりあい。ジャーナリズムの「ジャ」の字も知らないような小新聞崩れな人たちがなぜご大層に「言論機関」を名乗ってるの?なにが「放送の公共性」だか分かってるの?


 ・・わけわからん



 前からの持論だけど、この人たちは外圧かからない限り危機感をもてないんだ。もういっそ1局(1ネットワーク)ぐらい潰しちゃっていいと思う。そんで空いたところに黒船でも呼べばいい。(ちょうど2社ほど狙ってるっぽいよ)
 

 

 ・・ちょっと激しくなってしまいましたね(失礼)



 
 そんな感じで監査機構かなぁって思ってたら池田センセ的にはちょっと違うっぽい。


池田信夫 blog メディアの合理的バイアス


「マスメディアは本質的にバイアスを持っているものだから、多様なバイアスをぶつけることによって相対化してしまえばいい」、と。市場ルールっぽくて仰るとおりだと思うけど、でも、いまの構造だと画一報道しかしませんよね?

 草食動物が群体を作ってリスクヘッジするように、みょーな「右向け右」意識で縄張り争いをしない。それで「ほかの局を批判の対象にしない」みたいなみょーなカルテルがある。その結果がこれですよ


天漢日乗: 能登沖地震 (その4) 家が半壊した被災者からの報告 マスコミ、傍若無人の取材 NHKはひどい取材で自衛隊とモメる どこかの記者は被災者に配給された食糧にもたかったうえに腕章を外し社名隠匿→追記あり


天漢日乗: 能登沖地震 (その15) 被害の大きい門前地区で、家の崩壊を待つマスコミのカメラに怒り心頭→追記あり


天漢日乗: 能登沖地震(その16) 狭い県道に中継車を置いて「報道の義務」 県警に注意されて移動


 「悪名高き」2ちゃん経由の情報だし、どこの局だかも分からないけど新潟中越地震のときにも同様のことは言われていました。


 彼らは、「自分達は批判の対象にされない」「批判されても一時的なものですぐに忘れる」「名前なんかでるはずない」、そういう意識があるからこういうことをするんです。どっかの誰かさんが大好きな「匿名性」ってやつです(実名の名の下でのね)
 

 それでも、池田センセが仰るように「ある一定の視点(2ちゃん)からの報告というバイアスをぶつける」ことによって彼らの姿が少しは相対化されて見える。これが現在の国内メディアでできますか?


(って、池田センセは後段でブログ / 2ちゃんのそういう効果を認めておられるけど)



 もし関テレがほんとに反省して市民社会に報いる気があるのなら、マスメディア自身の姿を報道して欲しい。まず、番組制作過程のボトルネックについてきちんと説明する責任があるように思うんです。「それはしろーとには分からないよ」って言うかもしれないけど、それだったら科学的データなんか持ち出されてもしろーとには分からないので同じことです。だったら、なぜこういうことが起こったのかということについて詳細に描き出すほうがよっぽど建設的じゃないですか?自分たちの得意分野なんだから分かりやすく描けるだろうし。説明責任とはそういうものだと思いますが。

 もしくは、それがダメなら今回の地震におけるマスコミの悪行について取材して欲しい。それが市民社会に対しての反省の表意であり、せめてもの罪滅ぼしのように思います。



 ・・って長くなったな。ほんとは「ヤバい経済学」から「インチキのインセンティブ」の説明借りて監査機構が機能しないかもしれない状況について考えてみるつもりだったのに・・。

 とりあえず、そういうのに興味がある人は「ヤバい経済学」の1章に載ってますのでご覧ください。














posted by m_um_u at 18:29 | Comment(5) | TrackBack(1) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月26日

スマート化する社会(可能性と課題について)

 宮台さんのpodcastが終わってしまった。けっこう楽しみにしてたのに・・。

 最終回は「インターネット時代のメディア、これからどうなる?」と題してCGM(Web2.0)の可能性と弊害みたいなのとか、あとはもっと進んだ形としてのコンピュータによってスマート化(自動最適化)された生活の利便性と弊害みたいなのについて語っていた。

 宮台さんも攻殻とかブレードランナー(あるいはP.K.ディック?)好きみたいなので安易なフランケンシュタインコンプレックス(テクノフォビア)に落とし込んではいなかったのだけど、結論というか問題提起部分に違和感を感じたのでその辺についてつらつらと書きながら確認してみる。

 CGMの可能性と弊害みたいなのは池田センセのところで引き続きうにゃうにゃやってる「悪意の編集」みたいな話がメインっぽかったかな。つまり、「CGMで勝手にレビューとか辞書とかできるからって悪意を持って誤報撒く人もいるじゃん?」的問題。

 んでも、その部分についてはサラッと答えだしてた。人力の評判システム(評判のアーキテクチャ)によって誤報は駆逐されていくし、あとは技術的アーキテクチャの発達によって悪意の書き込み人はある程度統制できる。この辺りについては本blogでも既に検討したことなのでサラッと流そう(参照)。ちょっとだけ付け加えて言うならビジネス的に解決しちゃえばいいと思う。

 問題はその後、スマート化された社会における利便性と弊害について。


 スマート化というのはいまだったら攻殻機動隊とかイメージしてもらったらいいと思うんだけど、デバイスとネットワークとの連携で街を歩いていているときに当人に必要(合っている)と思われる情報が自動的に表出される、ってやつ。「マイノリティレポート」なんかでも出てたらしい。あと、広告系以外でも例えばRSSリーダー(feed reader)とかHDRによる好みの番組の自動録画、AmazonやiTunesによる「おすすめ」なんかもこれに当たるだろう。あと、もうちょっと進むとこの辺か。



EPIC 2014
http://www.mediologic.com/weblog/archives/000559.html

EPIC 2015
http://www.albinoblacksheep.com/flash/epic



 要するにpersonalised informationを取り込んだ情報最適化のこと。(+ユビキタス環境)


 で、


 こういうのによる弊害としてよく言われるのは「関心のタコツボ化」の問題。つまり「公共的な話題に関心なくなっちゃって、コミットメント意識が薄れ、政治・社会が・・・・(うんぬん)」ってやつ。これは誰が最初に言ったんだっけな?(「サイバーカスケード」で有名になった著者の人かな?) ってことはisedでも既出の話題っぽいけど、めんどうだから参照しないどこう。(「あとで見る」かも)

 んで、まぁ、上記のギロンの場合は「ジャーナリズムの社会的意義」という文脈と結びついて、「社会的関心を持たせるためにジャーナリズムの意義があるのです(社会の木鐸)」的な話になるんだけどそれはちょっと置く。今回はそういう話じゃなかったし。


 今回指摘されていた「最適化によって生ずるかもしれない弊害」は一言で言えば「多様性の消失」ってこと。宮台さんは「不確実性の消失」って言ってたけど同じことかな。つまり、「新しいものを取り入れないシステムは腐ってくよ」って話。こういうのは誰もが経験あることだろうから特に例は挙げないけど、逆に「新しいものって言ったっていいことばかりとは限らないぜ?」って意見もあるかもしれない。その場合も同じことで、一見するとシステムにとって有利に働かない要素の取り込みによってシステムが崩れるとしても、それはそのシステムの寿命というか遅かれ早かれ崩れる運命だったのを早めただけみたいな話。アポトーシスによるシステムの分化(生まれ変わり)として捉えたほうがいいかも。

 そういやアポトーシスって言ったら戸田誠二さんの短編があるな。今回のエントリとは直接関係しないけど、含蓄のある話なので見とくといいかも。


戸田さんのHP
http://nematoda.hp.infoseek.co.jp/

短編いろいろ
http://www2.odn.ne.jp/~cbh42840/comic.html

アポトーシス書評
http://www.h2.dion.ne.jp/~hkm_yawa/kansou/apoptosis.html


しあわせ
しあわせ
posted with amazlet on 07.03.26
戸田 誠二
宙出版 (2004/06)
売り上げランキング: 41513




 ちょっと話逸れたけど続けると、最適化の弊害として考えられるのは「システムに流入するはずだった多様性が消失する(あるいは偶然性の機会を逸する)危険性がある」、という話だった。んで、まぁ、仰るとおりで、旅のアナロジーなんか使ってよく言われることでもあるんだけど(例えばこの辺とか↓)


Webマガジンen:管理と自由の微妙で奇妙な関係(阿部潔)



 表題どおり「びみょー」で「きみょー」なんだよなぁ・・。


 「利便性と偶発性はトレードオフなの?」ってこと。そういうのについては、例えばAmazonみたいな便利書店(兼データベース)みたいなもの対して「昔ながらの書店とか古書店には思わぬ本を見る(本に出会う)って楽しみがあるんだよ」っていう言説なんかが思い浮かぶ。そういうのはリアル書店の「一覧性」によってもたらされる体験だと思うんだけど、これも将来的には技術的に解決可能だしなぁ・・。そういう風に考えると利便性と偶発性のイタチごっこみたいなのが考えられるわけだ。(利便性が高まると偶発性が減るので技術的に補完。そうするとまた「偶発性が減った」といわれるので新しいUIを用意して偶発性を補完・・・・以下続く)

 そんな感じで「偶発性って補完可能なんじゃないか?」とか思うんだけどそういうのは本質的じゃなくて・・ まぁ、ばっさり言っちゃうと、「利便性が高まると偶発性が減るっていうけど、そもそもその偶発性ってあったものなの?」とか思う。


 「旅の偶発性」って言うけど、現代社会でそこまで偶発的な旅を楽しんでる人ってどれだけいるんだろう?大部分は旅行パッケージだろうし、旅行パッケージじゃないとしても「イベント」とか「名所旧跡」とかそういうのに終始してるわけだから、「それって偶発性?」とか思う。

 んで、「そういうのに対して一人旅があるんだよ」ってことなんだけど、一人旅にしてもそこで出会うであろう(あるいは出会った)偶発性を意味のあるものとして感じるにはそれなりの知識データベースが必要になる。要するに知識量(あるいは経験知)がそれほどない人は旅に行っても「見てもいないし、聞いてもいない」ということがあるのではないか?

 それがまず1点。



 そういうのに対しては、「んじゃ、知識データベース(cf.教養)が内部化してる人はコンピューティングによる最適化必要ないじゃん?(だから電脳要らない。有害っぽいし)」、って反論が考えられる。

 それはそれで一理あるんだけど、「有害っぽいし」はどうかなぁ、と。


 スマート化(personalize)しても失われないものというか、最適化することによって情報の範囲が広がるということもあるのではないか?例えばRSSリーダー使ってる人ってそれによって「情報管理が最適化 ⇒ personalな情報だけ取るようになって情報量が減った」っていうより、却って情報量が増えたって人のほうが多いのではないか?多いとはいえないかもしれないけど、けっこういるように思う。

 RSSリーダーの使い方としては「全ての情報(チャネル)に目を通すわけではないけど、少しは興味がある情報へのアクセスを確保しておいて、その選択可能性を楽しむ」、っていうのがあると思う。そういう環境にいる人は、リアルワールドで新聞・TV・雑誌・対人関係だけの人よりは遥かに情報への回路が広いことが推測されるし、実際ぼく自身がそうだ。


 「人間の情報摂取量には限界がある」というけど、その部分は技術的に補完できる。(あと、脳資源の有効な活用もできてないし)


 そういうのを考えると「最適化の組み合わせの中で偶発性が失われる」とは一概に言えないのではないか、と思う。


 っつっても、RSSリーダーなんかに登録してる情報が思いっきり「自分の世界の趣味だけ」って人なんかには当てはまらないのだろうけど・・。



 それと並行する形で若年層の関心領域の閉鎖性が最近ちょっと気になっている。セカイ系(は少し洒落だが)に代表されるような狭い関心というか、狭い交友関係・職場・家庭環境の中での価値意識に終始するというかそんなの。先日の教養の話とも関わる

 彼ら(彼女)らはいろんな情報を広く浅く摂取するけど、深くは知ろうとしない。

 では大半の(余暇)時間をなにに当てているのかというとおそらく狭いセカイでの交友関係。そこでは同じ言葉、同じ考え、同じ志向が繰り返され確認されていく。そこには新規性はない。あるのは毛づくろい的なコミュニケーション。(もしくは参照


 こういう書き方をするといかにもそういう行動(毛づくろい)が低級なコミュニケーションって感じで優越目線みたいになる危険性があるんだけど、これはこれ自体環境への適応行動なのかもしれないので、まだ是非を判断できない。こういうコミュニケーションの意義もあるかもしれないし。



 ただ、彼らのような人たちがコンピュータによって最適化された情報環境を体験するようになるとそこから出なくなるというか、その中でも狭いところにとどまっていく可能性というのはあるのかもな、とか思う。いまだとポータルサイトしか利用しない層と毛づくろいコミュニケーションの層は被るだろう。(Yahooとか彼らにとってはmixiなんかも準ポータルかもしれない)



 そういうのは少し頭の片隅に置いといたほうがいいかも、とか思う。




 あと蛇足ながら。ロングテールとかベキ乗則って西垣さん(@情報学環)の縄張りになってるのか?・・・・・・びみょー(いや、西垣さん好きだけど)

 


 スマートっていったらこんなのあったな



スマートモブズ―“群がる”モバイル族の挑戦
ハワード・ラインゴールド 公文 俊平 会津 泉
NTT出版 (2003/08)
売り上げランキング: 276098



 けっきょくケータイ族の擁護になってたのかどうかよく分かんなかったけど(もっかい読んでみようかな)






--
追記(2007.3.27):
書き忘れたけど、宮台さんによると「AIの発達によって、2020年には“考えるコンピュータ”ができあがる」らしい。「考えるコンピュータ」ってのは「最初にプログラムされた行動を超えて、自分で課題を立てて、任意の問題に最適な解を導き出す」コンピュータ。そうなると「それって機械なの?」ってことになる。

で、

それと並行して、最適化に依存した一部の人たちの脳力の弱体化が進み、「それって人間なの?」問題が出てくる、と。


そういうので現段階で進んでる例として「mixi的コメント生成人工無脳プログラム」が思い当たる。

「mixiなどの毛づくろいコミュニケーションは機械のそれと変わらないから自動化したほうが楽じゃん?」な発想から作られたプログラム。口コミマーケティングにも役立つし。一部実装かな?こんなことしてくれるらしい↓


・マイミク登録の人へ紹介文を書く
・マイミクの日記にコメントつける
・日記を書く
・日記へのコメントに返事する



宮台さん、これ知ったら喜ぶだろうなw







posted by m_um_u at 19:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月23日

YouTubeの跡地争いにNews Corpも参入!

 なんかメディアパブの人に任しといたほうがいいのかもしれないけど、食いついてこないので。(・・けっこうでかいネタなのになぁ)。ここからの続き物ということで

muse-A-muse 2nd: 海外コンテンツホルダーのビジネスモデル (IBMの4象限モデルから)


 んで、今回の動きとしてはこんな感じ


movie market.JPG

 
 前回エントリで、「ViacomがMTVのほかにSlingMediaとJoostとかも使って動画市場を本気で獲得しようとしてるみたい」、って言ったんだけど、そこにNewsCorpも参入とのこと。


Bloomberg:News Corp., NBC Begin YouTube Rival to Reclaim Shows (Update4)
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601204&sid=a5q_hQgs6FMk

NBC and News Corp. will create a new Web site that will feature full-length films and television shows, the companies said today. Yahoo! Inc., Microsoft Corp.'s MSN and Time Warner Inc.'s AOL, Google's biggest rivals, will distribute the shows on their sites.


ってことでかなり本気げ。書いてある通りなんだけどいちお書き直しとくと、NBCとNews Corp主導で全編視聴可能な動画共有サイトを作った、と。んで、そこにYahoo, Microsoft, Time Warner, AOLが参入って感じらしい。


 もう、「うわ、なんだこりゃ」、って感じだ。


 Yahoo - NewsCorpっていうと特に記憶にないんだけど、日本だとNewsCorp - Softbank - Yahoo なわけで繋がり濃いのかなぁ、と。んでMicrosoftはだいぶ前からTVはとりたかったみたいなんだけど、ちょっと前からモバイルのほうを主軸にするように方針転換した動きが見えていた。でも、この分野の蓄積があるから一口乗っかったのかなぁ・・。Time Warnerは近頃やっとAOLと切れて、いろいろやり始めよかなっていう時で、ちょっと一口乗っとこう、と。

 ってか、それぞれのコンテンツとかネットワーク外部性、NewsCorpが用意するディストリビューションの破壊力(デファクト取れるか)みたいなのが重要なんだろうけど、そういうの見なくてもこの面子だけでなんか圧倒される。


 WarnerがNewsCorpのチャネルにコンテンツ流すかぁ・・。


 この分野におけるNewsCorp戦略基盤というとMySpaceだけな感じだったのでなんか意表をつかれた感じがする。


 ってか、逆に言うと、それだけ今回の訴訟でViacomが勝つ見込みが高いということなのだろう。Safe Harborとか言ってもアメリカってビジネスで決めるとこ多そうだから、よりリスクが低く(安定して)大きな市場を作れるようなところに法は味方するのかもしれない。


 んで、まぁ、ついでに主軸となるとこの基礎データというか、持ち物チェック(以下、CJR「Who Owns What」より)


Who Owns What: Viacom


Who Owns What: News Corporation



Who Owns What: Time Warner



 具体的なタイトル出てないから分かりにくいけどいちお。NewsCorpっていったらFOXだし、Viacomって言ったらParamaout、Warnerって言ったらWarner Brosだわなぁ(すごく表層的だがw)


 あと、NBCというとHeroesとかかな(これもモバイルへの導線引いてたな。モバイルでHeroes見れる、と)


 
 そんな感じでオープン / プロな領域(Content Hyper Syndication)はいまからかなり熱い戦いが展開されそう。それとは別にオープン / CGMな領域(New Platform Aggregation)が空いてる。

 ここは元々YouTubeなんかが「アマチュアな投稿ビデオ共有空間ですよ」って感じで出てきてデファクトとっていった領域。そういう意味ではベンチャー系に向いてるのだろうけど、現在の流れとしてYouTube系の動画共有って各会社が個別に持ってる状況にある。んで、特に個性もなく「わが社の共有です」って感じで提示してて個別の島宇宙ができてる感じ(って、利用者数調べてないのでほんとに利用されてるのかどうかも分からん)。そういうわけでYouTubeと同じサービスで出てきてもインパクトないんだけど、ベンチャーってどういう風に参入してくるのかな?

 個人的にはMiddle Tale系の配送網として発展してくれると面白そうなんだけど、その場合の新規性って言ったら・・・やっぱモバイルかな?(P2Pとかダメかな?)

 あと、草の根ジャーナリズム系にがんばってほしい。

 「参加型にすると縮小傾向にあるジャーナリズムマーケットをユーザーコミュニティという形で活性化できるかもね」って見方もあるし

RED HERRING | CBS, Fox Seek Citizen Reporters


 

 だいたいそんな感じ



 なんか全然分析とか考察とかしてないけど、とりあえず伝聞ってことで。





--
追記(2007.3.24):
GoogleもNewsCorp ディストリビューションに参入するかも、とのこと。


NBC, News Corp. Plan Online Video Venture - WSJ.com

NBC/News Corp. Video Site to Be 'Mostly Free' - News and Analysis by PC Magazine

YouTube owner Google is considering signing on as a distribution partner of News Corp. and NBC Universal's new online video venture, according to News Corp. exec Peter Chernin. Google declines to comment. Also: The yet-to-be-named site, launching this summer, will be "mostly free."



tailtankに集まってる関連ニュース:
News Corp., NBC Uni team for net video


ほぼ無料ってことは「New Platform Aggregation」からスタートということ?(未だよく見てない)。今夏開始予定とのこと。


あと、NewsCorpって言ったら、この広告platformが気になる


WSJ:Press 'Play' for Satire

range from TV Guide to Fox and FX to MySpaceなplatformで世界最大規模のものになるかも、とのこと。



ってか、CNETで既出(3/23/09:45)でしたか・・(こっぱずかしい)


NBCとNews Corp.、YouTube対抗映像ネットワークを設立へ - CNET Japan













タグ:動画市場
posted by m_um_u at 20:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月17日

海外コンテンツホルダーのビジネスモデル (IBMの4象限モデルから)

 最近やたら海外メディアニュースの量が多くなってきてて、ちょっとまとめるのに難儀してたところにちょうどよい視角(パースペクティブ)が入ってきたので、ちょっと遊んでみることにしました。発端はこちら↓


The Coming Media Divide II
http://alwayson.goingon.com/permalink/post/9807

The coming media divide(@social media)
http://www.socialmedia.biz/2007/02/the_coming_medi.html


 IBMがコンテンツ事業者、ディストリビューターについて新しい視角を発表した、と。なんか4象限に分かれてて見やすい。織田さんところにも解説あったのでパクらせていただこう。


マスメディアとデジタル配信が入り乱れる中、IBMがメディアビジネスモデルについてのレポートを公開し、4つのビジネスモデルが2010年まで共存するだろうという見通しを示した。4つのビジネスモデルとは、プロの作るコンテンツを限られたデバイスで送る「Traditional Media」モデル、ニッチ・CGCを限られたデバイスで送る「Walled Communities」モデル、プロの作るコンテンツをオープンな形で配信する「Content Hyper-Syndication」モデル、そして、CGCをオープンな形で送る「New Platform Aggregation」モデルである。

Ad Innovator: 4つのメディアビジネスモデルは2010年まで共存より引用】




 そんな感じでコンテンツオーナー・配信事業者の将来(ビジネスモデル)が、「オープン(共有) / クローズド(非営利)」「CGM / Professional」の4象限から占える、と。

 元図としては以下




media divide big.jpg 

 これを元にiEditでお絵描きしてみた。(図がちょっとゆがんでるのはご愛嬌ということで。あとでっかいのでサムネイル。クリックで拡大 ※まちがってたので「追記」で修正してます)


contens holder.JPG


 感覚的に配置したのでそれぞれの位置取りはびみょーなんだけど、いちお理由を羅列しておく。

 まず、Media Conglomerate5社(すなわちAOL Time Warner, NewsCorp, Viacom, Disney, Sony)の配列基準について。

 Time Warnerは特に動きもなかったので「クローズド / プロ」な位置。

 Viacomはコンテンツ的にはparamaountとMTVを抱えてて、MTVのほうは最近けっこうsocial化な動きが見えたのでWarnerよりはSocial(CGM)な位置に配した。MTVのSocial化の内実としては、自前youtubeとか投稿専門テレビ局ニコニコ動画系サービスSecond Life進出など。SL進出はプロモーションなので単体では意味ないだろうけどいちお。

 Disneyは配信網としてABCもってるけどあまり動きがない。元々、コングロマリットの中ではあまり動かないほうなので(ネズミーランドあるし)。いちおvisitorが編集できるwikiもったらしいけどプロモーションって感じ。
 
 コングロマリットの中で一番動きがあるのがNewsCorp。Fox on Demandでpay per viewって感じだし、モバイルへの進出にも意欲的(Fox News Mobile)。あとやっぱMySpaceを中心にした動きが活発。MySpace内でTVショーを提供したり、ニュースアグリゲーターを立ち上げたりもするらしい。メディアパブによると、

・有力サイトのニュースやブログをリアルタイムにアグリゲート(収集)する。
・特定のテーマに絞ったニュースページを作成する。
・ユーザーは各記事に対して,評価やコメントを加えたり,ブログで意見を述べたりができる。


 って感じ、と。あとはアメリカ国外の動きとして、オーストラリアに新たにメディア企業を創ったり、インドのボリウッドにオンライン音楽コミュニティ、動画ダウンロードサービスを創るかも、とのこと(参照)。
 
  んで、最後にSony。いちお元コロンビアなSony Pictureはあるけどコンテンツ的には魅力がない。音楽部門とゲーム部門ということだろうけど、大分前にゲーム部門に集中したわりには最近の動きはちょっとアレな感じ。「PS3はWiiに惨敗」ってことだけど、「Cellによる一発逆転を狙ってる」って話もある。CellがOSみたいな感じで各デバイスのインターフェースとして機能するようになり、なおかつグリッドコンピューティングが可能になるらしい(参照)。もしそれでデファクトとれれば一発逆転だけど、なんか光ファイバーみたいになりそうな気がする・・。スピード勝負なんだろうけど。

 次に注目したいのはSecond Lifeに代表されるMMO系プラットフォーム。これは単なるゲームというより次世代SNS(つまりポストポータル)として期待されている面もあるようなのでその辺の起爆力も考慮して。ただコングロマリット系やTraditional Mediaに比べたら体力ないので大きな一手は打てないだろうけど、ネットワーク外部性(つまりユーザー数)が集まればエンジェルみたいなのが現れるのかなぁ・・(YouTubeみたいに)。って、よくみりゃSCEもここに入ってるな。なんかこの前、SL系で参入したらしいので。あるいはSony - SLというラインでCELLプロジェクトに連動すると面白いことになるかもしれない。

 で、

 これらとは関係のないところにちらほらと。

  USA Todayはコメントなどのweb2.0機能に対応したらしいのでここに割り振った。USA Todayのほかにもアメリカの新聞社のSocial化は進んできてるみたいだけど、今回は割愛。

 ポイントはやはりGoogle + YouTube。

 YouTubeについては直近で、Viacomによって訴訟を起こされたらしいけど、それ以前の流れ(CBS,FOX,NBA,NBC,NHL,PBS,Playboy,Sony BMG,Sony Pictures ,Universal Music , Warner Music Groupとのパートナー化)を考えるとまだ大丈夫かなぁ、って思ってたんだけど、「なんかダメかもぉ〜」(けっこうヤバイかも〜)って見方もある。ほかにもこの辺とか。んで、ワーナーも「Viacomに協力するぜ」、と。

 この辺の話ってNBCとかに10億ドル渡して3年待ってもらうことでカタついた、って聞いてたんだけど、どうなったんだろう・・。(あさえださんが湯川さんのpodcastで言ってた)


 まぁ、そんなこんなでViacomがMTVの動画共有サービスでこの辺狙ってくるのかって感じなんだけど、ベンチャーで元気のいいSling MediaとJoostの動きが気になる。

  Sling Mediaは「ロケフリ+SBM+Youtube」って感じで、「どんな場所でも、どんなデバイスからでもコンテンツを見れて、気に入ったコンテンツをSBMみたいな感じでぶくまして、アップ(共有)できる」、ってサービス。一回にクリップできるコンテンツは5分ほどらしい(参照)。マッシュアップって感じだけどシナジー効果が期待されてなんかすごいことになるかもしれない。ここにCBSがコンテンツ配給してる。で、CBSはViacomと提携してたのでこの辺りでなんか連携してくるかもしれない。そうするとSling Mediaってのは単なるベンチャーじゃないわけで、ちょっと侮れない。

  最後にJoost。これはSkypeなスタッフによるP2Pな動画共有サービス。元々、Veniece Projectって呼ばれてたやつかな。この辺は海部さんの説明借りよう。

Joostについては、まだまだステルス・モードから完全に抜けておらず、評価も分かれているようだが、まぁとにかく、話題を集めていることは間違いない。KaZaAやSkypeを創業した二人組がやっているプロジェクトで、昨年末頃まではVenice Projectと呼ばれる秘密計画だったが、1月にJoostというブランド名で登場した。ウェブ上で、テレビ番組やショートフィルムなどのメディア・コンテンツを、DVD並みの高画質で配信するシステムだという。今のところ、ベータ・ユーザーとしてのトークンを持っていないと利用できないが、例によってテック系ポッドキャストでトークンを持っている人の話を聞くと、驚くべき高画質ということで、これまたMiddleTailコンテンツの配信ルートとして期待を集めており、冒頭のイギリスのジャーナリスト、Will Harris氏も、そういう文脈で話をしていた。ただし、今のところ、この二人はテレビ番組を調達すべく、大手メディア企業ともっぱら交渉しているということで、「そりゃあお門違いだ、もっとMiddleTailに力を入れろ」という反論も聞こえる。KaZaAでもSkypeでも、音楽レーベルや電話会社などの大手既存勢力を大幅に敵にまわした二人でもあるため、この既存勢力相手の交渉がうまくいくのかどうかはなんとも言えない。

Tech Mom from Silicon Valley - Middle Tailコンテンツが少しは商売になる兆し?より引用】



 そんな感じで資金面がちょっと不安なJoost。サービスとしては期待できそうなのに。




 以上がすごくおーざっぱなアメリカのコンテンツ業界のマッピング。主に自分のニュース整理用にまとめたのでおーざっぱな感じなんだけど、こうやって図にしてみて改めて思ったのはNewsCorpの動きが際立つな、ということ。Social化というかCGM化に積極的。MySpace持ってるからなぁ・・。そこから動画共有も仕掛けようとしてるみたいだし。

 んで、ポイントはやっぱYouTubeをはじめとする動画共有サービス(配信網)。この位置をとったりとられたりっていうのがしばらくの間の動きになるっぽい。「そうすると共有・コピーでコンテンツが減る(儲からなくなるかもね)」ってのが向こうのアナリストの心配どころとしてあげられていた(参照)。「エロの敵」でも指摘されてたけど、向こうのエロ業界でも共有サービスの影響でDVDの売れ行きが気になってるみたい(参照)。

  そういうのに対してこの記事で、「逆にチャンスかも」、みたいなこと言ってたみたいなんだけど、よく読み取れなかった。興味があったら見てみてください。



(じゃ、そんなこんなで)




--
追記(2007.3.17):

見直してみると第4象限(content hyper syndycation)がすっぽり抜けててなんか変ですね。んで、改めて定義を確認してみると、


「Content Hyper-Syndication」モデル:プロの作るコンテンツを限られたデバイスで送る

「New Platform Aggregation」モデル:CGCをオープンな形で送る


とのことで、んじゃ、第4象限に大体の動画共有行くじゃん・・。

そういうわけで修正です



contents holder mapping.JPG



あと、「共有(オープン)=非営利」「クローズド=営利」ってわけでもないのでそこは修正して「オープン」と「クローズド」だけにしてみました。こっちのほうがマッピングしやすくなった。で、配置理由↓

YouTubeはちょっとはCGM(≠アマチュアな動画)があるのでヨコ線に近いぐらいに配置。

MTV(Viacom)、Sling Media, Joostは元々営利なものを共有するサービスなので右下(content-hyper-syndycation)に配置しました。でもBitTorrentと契約してるらしいのでこれも右上に近い感じ。ポイントはJoostとViacomが提携関係にあるということで、FPNのエントリが言うとおり、Joostにとっては「頼りになるのかぁ?」って感じなんだけど、全体図を見れば分かるようにViacomが二股かけてるんですね(CBSにも)。んで、自分とこでMTVでしょ?なのでほぼ万全の体制で動画市場を狙いにきていることが分かる(ヤル気満々ですね)。

っつーわけで、上記エントリ中リンク先のアナリストが言ってたみたいに「YouTubeちょっとヤバイかもぉ〜」です。



あと、右上(New Platform Aggregation)が寂しいんだけど・・いまのところないしなぁ(強力なやつが)。ニコニコ動画系の被せ映像の「被せた」部分(文字修飾など)を独自の編集と呼ぶかどうかだろうけど、びみょーっすね。



こういう動画市場にどうやってマジックミドル(ミドルテール)系が食い込んでいくかってとこですが、その辺りはこの辺で↓


マジックミドル(Middle Tail)の可能性とアルファなものの影響力について
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35079440.html


っていっても、未だ分析終わってませんがw


あと、SLについてはこの辺で触れてます


新しいメディア体験の可能性とSecond Lifeについて (スクエニ乙部氏インタビューから)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/34944058.html







posted by m_um_u at 00:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月14日

市民社会と制度について(ジャーナリズム論承前)

 小倉センセからお答えいただいたので明示化しておく。(どうもあちらのコメント欄は不可視になってるようなので。ただ、仰るようなことは分かるつもりなので・・・お察しいたします)

 匿名の悪意については現在体感中です(些事ながら)。



 本サイトの承前はこちら


「匿名 / 実名」の二元論トラップ
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35837424.html


 釣り狙いというかちょっと煽りが過ぎた感もあるけど・・すみません、癖で(改めたほうがいいよなぁ)


 で、小倉センセからのお答えはこちら


発言者の属性の真正性の検証可能性
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2007/03/post_472e.html


 これの要約も含めて、コメント欄にぼくが書いたものをそのままコピペさせていただく↓

はじめまして。突然の不躾なTBにお答えいただきありがとうございます。

なるほど、つまり、「実名の場合、発言者のプロパティがはっきりしているので追跡可能性を担保できる(ばっくれることがない)」、ということですね?そしてそれにより「責任感(あるいは内的規律)」のようなものが発生し、自然とネットでの行動や発言に責任を持つようになる、と。

まずはこの部分について、納得いたしました。

その上でやはり質問なのですが、私見ではやはり小倉センセや池田センセの匿名性に関する話題は「匿名ではダメ」というところが際立っているように思います。匿名ということの可能性についてはどうお考えですか?ここでの論点としては「追跡可能性」がポイントのようですが、固定ハンドル名や、対価によって発言の責任を担保するようなシステムの可能性についてはどうお考えでしょうか?(「実現してないものについて言われても」と感じでしょうが)

また、たとえば、固定ハンドルで何年か個人サイトを運営している人はそれ自体が財産となり、すぐになにか問題が生じたとしてもすぐに脚きりできない(言説に対して責任を負う)という心情があるように思います。これについてはどうお考えでしょうか?(「そんなものは個人の裁量によるものだから当てにならない」ということかもしれませんが)


また、私見ですが、実名となんらかの社会的権威(地位)などを表明しているがために俯瞰で見れば正しくない発言に対しても信頼が集まる(つまり言説そのものよりも社会的地位や権威のほうが優先される)というようなことがあるように思います。その時点では専門家の発言としてある程度の有効性を保っているように見えても、後から見ると正しくなかったり・・(ありていに言えばニセ科学的問題ですが)。これについてはどうお考えでしょうか?もちろん、たとえばTVなどでニセ科学的な番組を作る場合、編集によって言説がゆがめられウという問題もあるのでしょうが、その場合「実名」というのは言説の質を上げることに貢献しているといえるのでしょうか?

「実名により追跡可能性が担保されるため最終的には責任追及できる」ということで堂々めぐりかもしれませんが)


すこし長くなってきたのでもうちょっと手短にしたいのですが(すみませんもうちょっと続きます)


また、これが「実名 / 匿名」問題で最も肝要なことかと思いますが、「匿名でなければ話せない」というようなことがあるように思います。自分がある組織を代表していることが分かると内部告発したときに首を切られるかもしれないという問題。これについてはどうお考えですか?「内部告発をしても守ってやれるような制度を作ればいい」ということなのかもしれませんが、実際問題として制度ができるまで時間がかかるように思います。あるいは制度ができていても機能していないという場面がいくつかあるのではないかと思います。そういうのは(レイヤーが違うのかも知れませんが)パワハラ・セクハラ系の問題とも重なります。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35578446.html


このあたりについてはどうお考えでしょうか?

長文になってしまって申し訳ないのですが、最後に、あちらの元エントリでも少し触れましたが、ぼく自身、「匿名の暴力」という問題があることは理解しているつもりです(音羽さん関連のことも見ていました。それへの是非は別にしますが)。そして、それに対してなんらかの対策をしなくてはならないということも分かります。しかし、その際、あまりにも「匿名 / 実名」というフレームが強調されているように見えるのです。その結果として匿名の可能性を否定しているように。このような問題を論じる場合、「匿名 / 実名」ではなく「ネットセキュリティの問題」と銘打っていただいたほうが良いように思うのですが。
(って、小倉センセはそのように提言されてきたのかもしれませんが、こちらのサイトは通時的に見ておりませんので誤解があるようでしたらあらかじめ謝罪しておきます)



 それで、今朝また小倉センセからお返事いただいた。


固定ハンドルの抑止力
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2007/03/post_23b2.html



 まだ見てないけど、ちょっと時間がないのでまた後で拝見いたします。(拝)


 その前にちょっと書き足りなかったので。この分野はたぶん公共哲学(あるいは法哲学)に関わるところで、「個人の裁量に任せる(≠市民社会論) / 制度的に対策する」、というところで分かれるのだと思う。


 ぼくはメディア者として市民社会とジャーナリズムの意義を信じている立場をとるので、小倉センセとは少し見解が違うのかもしれない。「違う」といっても小倉センセも言論の自由とか自主性は重んじるのだろうけど、それに対してリアリスティックに対処するか、理想を重んじるか、という感じ。


 両方の妥協点を探るのが公共性というものなのだろうけど・・。


 それとは別にジャーナリズムという活動それ自体の意義(理想とする地点)のギロンもあるけど、それはまた別の話ということで。




(では、また)



posted by m_um_u at 09:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月07日

NHK問題(もしくは公共放送論)

 巡回先のいろんなとこで見て「おすすめだよ!」とか書いてあるし、近頃要チェックな武田徹さんだし、なんか曽根さんも読んだみたいなのでこの機会に積読を崩してみた。





 いわゆる「公共放送論」の分野に入るものだけど。メディア者として、これを読む以前のフレームとしては、「NHKの経営問題と公共性の問題を絡めて論じているか?」「その例としてシマゲジをどのように評価しているか?」「衛星放送の決断について触れているか?」「アーカイブの公開については触れているか?」などなどがあったわけだけど・・・・びみょーだった・・。

 でも、一般的には分かりやすかったのかもしれない(・・のかなぁ)。って、やっぱNHK引退者の本からの要約が多かったように感じたけど。NHKの歴史読んでても眠いしなぁ・・。でも、楽しい人は楽しいのかもしれないからあまり言わないどこう。

 
 ぶつぶつ言ってないで内容に触れると、最初はけっこう飛ばしていて期待が持てた。以下、<「公共性」だの「ジャーナリズム」だの軽々しく言う連中は胡散臭い>という文脈から

(p8)メディアの歴史を調べることを仕事のひとつにしている筆者の立場からいうと、「かくあるべし論者」が述べるようにが述べるように、ジャーナリズムが中立公正で、客観的かつ科学的で、しかも市民の味方であったためしなど過去に一度もなかった。ジャーナリズムは常に偏り、常に主観的で、非合理的であった。市民の味方になったように見えた時期があったとしても、それは市民社会とジャーナリズム組織の利害がたまたま一致した偶然の結果にすぎない。「お行儀よくできるのにできなかった」のではなく、はじめから「お行儀よくなどできない」ものとして生まれ育ったのがジャーナリズムだということを、その歴史は如実に物語っている。

(9) そんなわけで「公共性」を口癖のように軽々しく言葉にする人と、「ジャーナリズムかくあるべし」と説教をたれる人は、どうにも信用ならないと思っていたのだが、世の中にはよりにもよってその信用できない二つを揃えて口にしたり、身をもって示そうとしたりする組織がある。それが本書の議論の対象となるNHKだ。


 こんな感じでNHK的公共性の示威行動に対する欺瞞とか警戒を示しつつも、NHKの存在意義は以下のように認めている。

(9-10) NHKこそ日本を代表する、最もエスタブリッシュされたジャーナリズム組織であることに異論はない。約1万2000人(2005年)もの多くの職員が日本全国津々浦々に、そして世界中にと配置され、取材活動を日々くり広げている。NHKほど充実した体制で報道の仕事にあたっているメディア組織は日本で他にない。普段は民放の娯楽番組ばかり見ている人も、災害や有事のときにはNHKにチャンネルを合わせるケースが多いのではないか。それは、「ジャーナリズムだったらNHK」という信頼あってのことだろう。
 その磐石の取材体制は、筆者のように雑誌メディアを主な仕事場としてきた立場からいえばまさに羨望、垂涎の的である。雑誌メディアでジャーナリズム活動をしようとしたらテーマを決めて掘り下げる調査報道型のものを独力でコツコツとやるしかない。取材記者を各地に配置し、事件の発生に備えて常時待機させているわけではない雑誌編集部にとって、事件や事故の現場に発生直後に駆けつけて第一報を送り出すストレートニュース報道はあまりにも荷が重いのだ。
 対してNHKはストレートニュースもできるし、一方で調査報道もできる。それもコツコツどころか、潤沢な予算を使って大規模な取材活動が展開できる。世論調査も企画、実践できる。その取材スケールは雑誌メディアと二回りも、三回りも違う。


 <問題はその機能が十全に発揮されないこと>ということなのだろう。それを妨げる要因として武田さんは、<NHK的経営が公共放送を私有化している>、と論を進める。「公共放送が儲け主義に走るのってどうなの?」ってことだ。で、川崎泰資さんを引きつつシマゲジを槍玉に挙げるんだけど・・・これってどうなんだろう?

 確かにシマゲジに対する歴史的評価というのは、「NHKを私物化して公共放送から儲け主義に走った人物」、ということでほぼ確定しているように思う。NHKエンタープライズのような存在は良い例だ。実際、島は関連著作の中で、「エンタープライズはNHKの未来を乗せた方舟」みたいなことを言っていたように思う。


シマゲジ風雲録―放送と権力・40年
島 桂次
文藝春秋 (1995/02)
売り上げランキング: 688851


 でも、そういうのは多チャンネル化によって電波の有限希少性がなくなり、受信料収入が維持できなくなることへの不安からきたものであって、その決断そのものはあまり責められるものではないのではないかとぼくは思うけど。受信料収入減ったら番組の質が低下するかもしれないわけだし。それに対しては、「経費の不正使用してる部分とかムダな事業計画(ハイビジョンなど)を見直せばいいじゃん?(そもそも儲けすぎ)」、って話もあるけど、やっぱ受信料収入が減っていくというのは公共放送の質に関わるように思う。あと、シマゲジが儲け主義だったとしても、歴代のNHK会長の中ではもっとも経営ということを考えて動いた人物、ということでは評価できるのではないか?それ以外の人は総務やら族議員のロボみたいだし。
(って言いつつも、シマゲジは個人的には付き合いたくないタイプだけど。)


 ちょっと飛ばしたので順を追って説明すると「電波の有限希少性がなくなる」とは、デジタル化によって狭い周波帯域で多くの情報を送信できるようになり(多チャンネル化)、特権的に周波帯域を割り当てられていた放送事業者の価値が薄くなってしまうということ。昔は混信を恐れて詰め込めなかったけど、いまは圧縮技術の進歩でけっこう詰め込めるようになった。

 ここでNHK側としては、「多チャンネル化すると視聴者がNHKに受信料払ってる意味ってあるのかって思いだすんじゃ?」、って思った。てか、近い将来そういう状況が訪れることを見越して、2つの方法で収入を捻出することを思いついた。一つがエンタープライズ、もう一つがハイビジョン。衛星(-国際放送(MICO))もここに入るのかな?・・まぁ、置く。

 エンタープライズのほうはNHKの子会社という形なので、NHKとは分離していて、本来公共放送できないような「モノを売る」ということができる(DVDとかキャラの関連グッズとか)。ハイビジョンのほうは受像機(専用テレビ)を買ってもらうことができる。っつっても、後者は家電(松下?)の領域なのでNHKにどのぐらい入るのか良くわかんないけど。あと、衛星。これは地上波の受信料とは別に受信料を徴収できる。1000円ぐらいのアップでも税金みたいな感じでほぼすべての国民から徴収できるわけだから大きい。実際、衛星放送はそんな感じで収益に寄与した。

 これに対しては民営が「民業圧迫!」「空から衛星のナパーム弾!」とか下品なこと言って非難したけど、けっきょくデフォルト化した。

 ってか、衛星の本当の意義って山間部とかの難視聴地域でもTVが見られるようにすることだったんだけど。そういう状況がちょっとでも改善されただけでも衛星放送の意義ってあったように思う。
(んで、池田センセは「高い金払ってデジタル化するよりも衛星放送で難視聴地域カバーするほうがよっぽいどいいじゃん」って仰ってて全く同感なんだけどこれもちょっと置く)


 全国に遍く電波(サービス)が届けることを「ユニバーサルサービス」って言って、そういうマイノリティなところへカバーのようなことこそ公共放送の使命だと思う。アーカイブの開放というのもこの文脈に絡んでくるように思う。

 アーカイブを求める需要というのは「昔、見た懐かし映像をもう一度見たい」ってことで、そういう「懐かし映像」の好みなんかは個人個人の生きてきた環境に依存すると思う。つまり各好みはニッチなものになるということ。アーカイブを求める市場全体としてはけっこうメジャーかもしれないけど、各番組へのニーズはマイノリティなものになっているので、一気にマス放送するのではなくてオンデマンド形式でやったほうがいいように思うんだけど、そういうのはなかなかやってくれない。「民業圧迫」っていうか、エンタープライズを機能させときたいからだろうけど。(cf.「プロジェクトX売れるわぁ」)


 で、衛星もアーカイブも「マイノリティ向けの儲からないサービス」ということで民営じゃなかなかやってくれないサービスなんだから、公共放送がやるべきということになる。マイナーなサービスを提供し続けるためには潤沢な資金が要る。受信料収入にはいつまで依存できるか分からない。政治的圧力の問題もある。だからこそ、この分野においては経営という視点が必要になる。


 そういう「マイノリティへの貢献」みたいなのとは関係のない部分で「公共放送には使命があるんです!」とか言ってると、具体的じゃない「使命」ということを逆手に取られて「命令放送」だのなんだのギロンが出てくる。ってか、命令放送してもいいかもしれないけど脇道逸れるのでやめとこう。


 「ジャーナリズムへの貢献」というのはこういう側面から見るとひじょーにびみょー。情報の内容は客観的に判断できるものではないので、政府筋が「これはマイノリティの為に必要な情報ですよね?」、って言ったらそうなるかもしれないし(cf.「不偏不党」「客観報道」ってなんなの?)。そういう意味では前掲、武田本の中の以下の記述はびみょーなわけだけど

(185)BBCは国際的な放送事業者として、現在行われている戦争において英国ならびに世界中の視聴者に特別な責任を負っている。そうした多くの人々が正確なニュースと情報を求めて我々を頼りにしているからだ。我々が真実を伝えているという信頼感を視聴者に持ってもらう必要がある。また視聴者は、BBCが不偏不党の分析を提供し、英国やその他の地域で戦争に反対する人々の声を含むさまざまな見解や意見を我々の番組で提供することによって、これらの出来事の理解を助けてくれるとBBCに期待している。

(訳文は、岡本卓 「戦争報道ガイドラインに関する一考察」『放送研究と調査』 2003年10月号による)


 「戦時中に国家に逆らって少数派意見を採用する」というのはマイナーかつ重要だろうなぁ・・。でもなにをもってマイナーとか正義の報道とするかとかなぁ(・・以下循環)


 で、「何をもって公共的に重要なものとするか」ということで「公共性」問題が絡んでくる。

 公共性というのは平たく言えば、「みんなが通る場所においてある皆が使うものだから大事に使いましょ」、ってことだと思うんだけど、そこで「大事に使う」ためのルール作りが重要になってくる。

 「将来的に考えてもこのルールが正しいのだからこのルールに従って行きましょう」とする賢人の教えに従うか、「みんなで使うものだからその都度みんなで話し合うといいよ」という生活者ルールみたいなのに従うか・・。

 マスメディアと公共性関連のギロンでは花田達朗さんの影響が大きかったせいかしばしばハーバーマスが引かれ、そこに依拠したギロンが展開されるように思うけど、これってどうなんだろう・・?


公共圏という名の社会空間―公共圏、メディア、市民社会
花田 達朗
木鐸社 (1996/04)
売り上げランキング: 297298


 確かにそこで言われていることは「正しい」。でも、しっくり来ない。ガチガチの石頭っていうか、なんか古臭い。「正しいけどそれ守るのめんどくせーなぁ」みたいな感じ。端的に言えば教条的に思える。

 武田さんも少し触れていたように、日本(あるいは世界)のジャーナリズム研究は引退記者の根性論(あるいはイデオロギー)みたいな感じで精神的な支柱というかバックボーンのようなものがなかったわけだから世界的に<公共圏(public sphere)>というのが受け入れられ、重宝されていったというのは分かる。でも、なんか・・ね。ハーバーマスの呪いってやつか。

(※ちなみにblogosphereという言葉はこのpublic sphereという言葉に由来するものと思われる。なのでこの言葉には最初から、「仲良くジャーナリズムしましょう」、みたいな意味が含まれているのだろう。sphere=「圏」、「場」。public sphereはドイツ語のエッフェントリッヒカイトの英訳)

 つっても、武田さんはロールズとかローティとか別の文脈も引いてきていて「公共哲学」って感じでこの辺を理論立てようとしているみたいなんだけど、やっぱハーバーマス臭が強いように思う。冒頭で、『ジャーナリズムの公共性にとらわれるのは云々』、と言いつつも自分が一番それにとらわれたギロンの展開をしているように見えた。あと、「経営(ビジネス)=悪」とするような傾向があるように思う。

 全体的に川崎泰資さんのシマゲジ批判に沿って「シマゲジはNHKを私物化していたカネの亡者」論を展開されているように見えたがこれってどうなんだろう?

 憶測だが、たぶん武田さんは、池田センセと林紘一郎センセが繰り広げているような放送・通信事業における「上下分離」の必要性の意義を理解されてはいないのではないだろうか。いわゆる「ソフトとハードの分離の必要性」というやつだが。

 公共性を論じるのも結構だが、それ以前に経営的な部分をしっかりしないと理想は絵に描いた餅になる。理念の重要性は認めるし、ぼくもその位置に立つものだが、それを選択する体力がなければメディア事業者には空理空論として聞き流されてしまう。その意味ではメディア事業者が唱える「公共性」とか言うのは対外向けの煙幕(タテマエ)に過ぎないのだからそこの部分に憤っても仕方がない。端的に言って、彼らが興味があるのはカネであり、カネと理念が揃っていれば「それなんてフィランソロフィー?」って感じでちょうどいいのだ。もちろん話半分という形で聞いてくるだろうけど。ならばそこに乗っかってカネと理念を用意するのが外側から要求する者の態度というものではないか?

 「カネ」って言っても現物のカネではなく「コスト削減」という形でのカネの提示だけど。もうひとつ言えば稼げるプランも必要なのかな(って彼らはネット音痴だから乗ってこないだろうけど)。まぁ、いまのうちにTVのリーチに酔ってればいい。


 そんな日本の放送業界にも変化の兆しがあるみたい。ようやくというかやっとというか・・。

 でも、なくなってしまうとなると少し寂しい感じもする。


 メディア者は業界の様子が変わっていく様にかつて文化人類学者たちが感じたような侘しさを感じる・・のかもしれない。





悲しき熱帯〈1〉
悲しき熱帯〈1〉
posted with amazlet on 07.03.07
レヴィ=ストロース Claude L´evi‐Strauss 川田 順造
中央公論新社 (2001/04)
売り上げランキング: 1573










♪スガシカオ /  やつらの足音のバラード

--
関連:
NHK倒産 ほんとうか(@Jcast)
http://www.j-cast.com/2006/06/18001731.html

※受信料不払いによる不安について

NHK受信料の義務化、国会に法案提出へ(@スラッシュドット)
http://slashdot.jp/article.pl?sid=07/01/10/2032217&from=rss


NHKのFM放送削減がもたらすもの(@JanJan)
http://www.janjan.jp/media/0606/0606120899/1.php

※公共放送としてのNHKがマイノリティの需要を減らそうとしていることについて


NHKがポッドキャストに本格参入(ただし外国語限定)(@スラッシュドット)
http://slashdot.jp/articles/06/03/20/004248.shtml

※<「民業圧迫反対〜!」って言われるのでネットとかできないんだ>とかいう言い訳があるけど、いい加減ラジオ深夜便ぐらいpodcastにしてください

NHK番組のインターネット配信は2007年度にも全面解禁(@スラッシュドット)
http://slashdot.jp/articles/06/05/05/0212215.shtml

YouTube、イギリスBBCの番組クリップなどの提供をスタート(@B3 Annex:)
http://toshio.typepad.com/b3_annex/2007/03/youtubebbc.html

フランス国立視聴覚研究所(INA)がネット公開した番組10万本の衝撃(@B3 Annex:)
http://toshio.typepad.com/b3_annex/2006/05/ina10.html

見逃した番組を楽しめるNHKオンデマンド、2008年内にも開始の見込み(@インターネットウォッチ)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2006/11/15/13955.html

「NHKオンデマンド」の幻想(@池田信夫blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d10c9444df72f81e28b6241a19b1fb66

※思った以上にてこずりそう。。「権利処理のためムリなのではないか?」

その原因は、番組のネット配信について著作権の処理ができていないからだ。番組の著作権はNHKにあるが、脚本家、出演者、さらにBGMのレコード会社などにも著作隣接権があり、これらの関係者がすべてOKしないと再送信できない。特にNHKの場合には、ドキュメンタリーで取材した人々の肖像権をクリアしなければ配信しないという独自の基準を設けているため、処理コストは禁止的に高い。たとえば水俣病を扱った有名なドキュメンタリー「奇病のかげに」を再放送するため、この番組をつくったスタッフの取材メモを見て登場人物(ほとんど死亡)ひとりひとりの家族に了解をとったという。これではマイナーなオンデマンド配信では、とても採算はとれないだろう。

池田信夫 blog 「NHKオンデマンド」の幻想より引用】





NHKオンライン「ラボブログ」
http://www.nhk.or.jp/lab-blog/

※「デジタル放送開始」と連動した企画かな?でも、不祥事以降、ネットとの親和性を高めようとする姿勢が見えて好感が持てる。「NHK時計」「ただいま放送中」などのブログツールがある。




半国営放送(@赤尾晃一の知的排泄物処理場)
http://www.akaokoichi.jp/index.php?ID=661

※NHKの命令放送について。『国際短波放送を存続させるならば,公共放送たるNHKとは切り離された組織で運営すればよいのではないか』、との指摘。

社会主義末期のNHK(@池田信夫blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5111fdc13d7dcaff4501ea23f0c8d5be

※「短波ラジオで命令放送を行わせる」関連。てか、後段の「NHKは現場の士気が過去最低になってる」というところが興味深い

経営陣は知らないだろうが、NHKの現場の士気は、私の元同僚(部長クラス)によれば「入局以来最低」である。「メディアとして新しいことをやろうという空気は、海老沢さんのときより少なくなって、マルチメディア局は解体されてしまった。『構造改革事務局』でやっているのは経理のチェックだけ」というソ連末期のような状況だ。橋本会長は「つなぎのチェルネンコみたいなもんだが、ゴルバチョフさえいないところが絶望的だ」と彼は嘆いていた。

池田信夫 blog 社会主義末期のNHKより引用】




日本の地上波局は、ケーブルテレビを妨害して多チャンネル化を防いだため、視聴率はまだ高いが、それは見かけ上の数字だ。視聴率は世帯ごとに出すので、居間にあるメインのテレビに測定装置が設置されるが(*)、テレビは世帯あたり平均2.5台ある。各部屋にあるサブテレビは、確実にPCや携帯に代替されているのだ。それがNHK受信料を20代の62%が拒否するという数字にあらわれている。

こういう状況で、見ても見なくても受信料を支払うよう義務化するのは、死んでゆくメディアに国費を投入して守るのと同じだ。かつて銀行に投入された数十兆円の公的資金が、古い金融仲介構造を温存し、日本経済の再生をさまたげているように、受信料の支払い義務化はメディアの新陳代謝を止め、YouTubeのような新しいメディアの登場を妨害する。

池田信夫 blog テレビが終わってるのに気づかない人々より引用】




新聞業界来し方行く末
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/34756845.html




※以下2つ、上下分離に関して


NHK国営化の第一歩(@池田信夫blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/e2500b8a269b22fc337693667da0f6a9

NHKが伝送部門の会計分離へ,通信・放送改革の立案者が描く壮大な計画(@ITpro)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061201/255596/




シマゲジについて。金の亡者みたいに見られるが、MICO(国際メディア・コーポレーション)は金目当てじゃなかったっぽい。たしか世界情報秩序的な考えから「日本の声が外国に届かないのは外交的にまずいのではないか?」みたいな危機感からだったように思う。そういう理念はネット創世記にも垣間見えた。

Joi Itoさんに手伝ってもらって立ち上げた東京万華鏡(Shima Media Network)の理念はそういうものだったように記憶している。

批判すべきはせっかく獲得した資金を有効に使わなかった連中だと思うけど



--
追記:
池田センセのとこにもシマゲジに関するエントリがあった


島桂次(@池田信夫blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/s/%A5%B7%A5%DE%A5%B2%A5%B8


ほぼ同意見っぽいのでTB




posted by m_um_u at 00:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月04日

blogとニュースサイトの有用情報に関して

 ちょっと嬉しいニュースが入ってきたので関連事項をまとめて。ついでに先日来、blog関連で気になっていることをまとめておこうと思う。まず最初にこれ↓

Some Creative Efforts to Take Back Foreign News(@CJR Daily)
http://www.cjrdaily.org/behind_the_news/some_creative_efforts_to_take.php

 CJR(Columbia Journalism Review)によるとProjetct SyndycateというNews Paper連携企画が生まれたらしい。海外のニュースメディアを連携させて国際ニュースのポータルっぽいものを目指す感じ。

We recently noticed another story dealing with the lack of international coverage, in Editor & Publisher. E&P flagged the story of something called Project Syndicate, a non-profit that offers op-eds written by "current and former heads of state, economists, activists, novelists, and other 'thought leaders'" to newspapers around the world, and which is trying to make headway in the U.S. Thus far, the Syndicate's pieces are published in 287 newspapers in 116 countries, but it hasn't caught on here.

 英語強くないのでてきとーに要約すると、非営利のニュース連携企画でop-eds的には現役(もしくは引退した)経営者、エコノミスト、活動家、小説家その他諸々の人が当たるらしい。Project Syndicate的にはこの人たちのことを「thought leaders」って呼んでる。チラッとみたけどJ.ナイとかスティグリッツなんかも入ってた(たぶんほかの人も有名)。んで、将来的には116の国(287紙)に参加してもらうつもり、と。現段階の構成としては、ウガンダ(1)、ウクライナ(3)、アラブ(2)、UK(5)、US(5)、ウルグアイ(1)、ウズベキスタン(1)、って感じだった(UKからはGuardian入ってたな)。

 引用先記事にも書いてあったけどこういうのが必要な背景は新聞経営の危機的状況の中、コストのわりに人気のない海外ニュース部門は削られているという現状がある。そうすると9.11の悪夢がよみがえるわけだけど。そういう危機感からProject Syndicateという新聞連携企画が生まれたみたい。
(※新聞経営の危機的状況についてはこの前まとめたエントリを参照ください ⇒ 「新聞業界来し方行く末」

 あと、ほかのところでも発表があったけどロイターがアフリカニュース部門を強化したことにも触れている。アフリカニュースのUIが向上して使いやすくなったのとGVO(Berkman Institute's international blog aggregator)というブログアグリゲーターからの情報も表示するようになった、とのこと。国際ニュースに敏感な人にはぜひ利用していただきたいところ(カワセミさんとか)。

ロイターアフリカはこちら
http://africa.reuters.com/

GVOはこちらから利用できる
http://www.globalvoicesonline.org/



 もう一つのニュースはこちら

Independent Media Goes Web 2.0(@COAnews)
http://www.coanews.org/tiki-read_article.php?articleId=1701

 新しいweb2.0系サービスについての紹介。digg型、MySpace型がけっこうできていることとか、お見合いに特化したSNS(Alternet Personals)、NewsTrustについて紹介している。NewsTrustはCGMで良質なニュースを評価・紹介していくコミュニティ。フィードもあって便利なのでちょっと前から使っている。12月頃に見たときにはメンバー数は1600人ぐらいだったかな。関連でBoingBoingにこんなエントリがあったり


A tale of two social newsfilter sites: Digg and Newstrust(@BoingBoing)
http://www.boingboing.net/2006/12/29/a_tale_of_two_social.html


 NewsTrustとDiggという2つのニュースアグリゲーターについて。前者のほうがはるかに重要なはずなのにヒットしなかったという現実があった、と。プロモーションの重要性ということもあるのだろうけど、やっぱ例のテーマ、<CGMって衆愚なの?>、が絡んでくる。この問題については池田センセのところでちょこちょこ出ていたな


ソーシャル・ブックマーク
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/4689d3115efcec4f5d38126480e48d78

はてなとdigg
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/91ff8d756eb81c50eb7d2b28696c1a9d


 池田センセはdiggを評価されていたようだけど上記BoingBoingエントリのような問題はアメリカ人(ってか英語圏ユーザー)も抱えてるみたいなのでちょっとびみょーな感じがする。あと、センセははてなの「お気に入り」機能使ってませんね?はて部はhot entryよりもお気に入り機能のほうが重要だと思います。それから「コメント欄の尺」についてご不満ならBlueDotという手もあるのではないでしょうか?(ユーザー数はdiggに劣りますが)


 それで、関連テーマとして「なにをもって有用なCGM(あるいはblog)とするか」という問題があると思うのだけど、これについては絵文録ことのはのこのエントリが参考になる。


稚拙な印象操作を駆使する記事には、「一次情報」に当たることが重要
http://www.kotono8.com/2007/02/20originality.html


 あと、OJR(@south calfornia anneberg)からもこんなエントリが出てた


Are blogs a 'parasitic' medium?(@OJR)
http://www.ojr.org/ojr/stories/070301niles/

 
 両者とも、「単なるコピペは論外だけど要約に関してはその価値を認めても良いのでは?」、って感じ。まとめサイトについてはアフィ厨問題が絡むけど、まとめはまとめでけっこう労力いるので・・。ぼくがいまやってるのもまとめっぽいけど、enbedリンク貼ったり、タブで同時に何個もサイトを開いて引用箇所を選んで分かりやすく並べかえたり、全体の要旨を要約したり・・こういうのはけっこう疲れる。なんだったらリンクとかなしでザラッとテキストをテキトーに書きなぐったほうがどんなに楽か・・。なので単なるコピペではなく「編集」ということなんだけど、その辺については松永さんも言及してた。

独自の視点でピックアップして紹介したり、独自のテーマに沿ってサイトを集めてみたり、という時点で、実は編集が加わる

 OJRの記事でも同じようなことを言っていたように思う(「自動機械みたいにinsightもinformationもパクってるのはダメだけど要約ということには意味があるんじゃないか?」)。

 そもそもWeblogって「Web」巡回における「log(記録)」なわけだからリンクないと意味ないし。もしくはページ内リンクがない場合でもトラックバックなどの形で繋がってないと単なる日記じゃん。(日記は日記で価値があると思うけど置く)


 そういうのはとうの昔に忘れられてしまったんだろうなぁ・・。

(※weblogは元々、アメリカのweb designer達の間で拡がった共有logみたいなもの。初期は長いエントリよりもおもしろいサイトへのリンクなんかが中心だった・・・はず)


 それとは別にblogの一次情報的な価値もあるわけだけど、以下OJRエントリより引用。(※MSMっていうのはMain Stream Mediaのこと、つまりtraditional media)

Cory Doctorow, co-editor of BoingBoing, agreed.

"If MSM didn't exist, we'd just invent 'em (as metrobloggers have done) -- we'd go out and take pictures and write about stuff as it happened.

"That's already happening with governmental material -- I can summarize C-SPAN just as well as NBC's hacks."

Stone cited examples of independent websites that provide original reporting.

"If anyone is looking for sites where bloggers use blogs to break news, I recommend Global Voices Online, Sunlight Foundation and BlogHer."


 あと、「一次情報じゃないにせよ。traditional mediaがblogを寄生虫呼ばわりするのはどうだろ?アクセス増えるんだからいいじゃん」というRich Gordon(@Northwestern's Medill School)の意見はもっともだと思う。(cf.アフィリエイト殖民)。Yahooがブログパーツ提供したり、外部リンク機能を本格導入したというのもこの流れだろう。「囲い込み」を意識して最初から縮こまってちゃネットワーク外部性なんかとれるわけない。



 

--
関連:

「有用な情報がまとまってるところがあればいいのに」関連でR30さんとこのエントリを思い出した

ネット上の論争を整理するツールが登場
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2004/12/discussion_tool.html

【ヲチ中】ブログ整理ツール
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2004/12/tools_2.html

これっていまどうなってるんだろ?(SBMが代替?)



openDemocracy
http://www.opendemocracy.net/

UKのNPO系クオリティペーパー。いつの間にかCCライセンス採ったり、国内だとベリタと提携してたりする。




--
追記:
何が言いたかったのかということをいちお要約しておきます。


(1)CGM衆愚論ってけっこう言い尽くされてるんじゃ?

(2)日本だけのことではないのでは?(sbmも含めて)

(3)「衆愚」といっていても仕方がないので、「はてぶお気に入り」など現在あるものを有効に活用したほうがいいのでは?(もしくは技術的にS/N比を調節する)

(3)NewsTrusutなど人力でS/N比を調節する試みもされている。まとめサイトもその一環といえる。この例を鑑みると安易にCGM=衆愚とはいえないのではないか?

(4)有用な情報というと一次情報が頭に浮かぶけど、一次情報ってそんなに有用なのか?もしくは一次情報が重要だとしてblogなどのCGM的試みにもそういったものが見られるのではないか?



こんな感じです。
あと、ニュースサイト紹介したかっただけです。


それから「はて部を使い倒す」関連では以下のような方法があります

http://sweetlovexx.seesaa.net/article/26267543.html

http://qwerty777.s57.xrea.com/sblog/eid306.html

http://d.hatena.ne.jp/hatayasan/20060623/p1

http://r.zeromemory.info/

http://gimite.net/rotd/




タグ:blog CGM
posted by m_um_u at 15:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月02日

マジックミドル(Middle Tail)の可能性とアルファなものの影響力について

 んじゃ、先日の予告通りMiddle Tail(あるいはマジックミドル)とblog、ニュースサイトなどの関係についてのエントリ。その前にMiddle Tail(マジックミドル)についていまさらながら簡単な説明を、


ロングテール理論のマジックミドル−インフォバーン小林弘人氏(@湯川鶴章のIT潮流)
http://it.blog-jiji.com/0001/2006/10/post_750a.html


 要約すれば、「ロングテール − マジックミドル − ショートヘッド」、って感じ。ショートヘッドの部分は従来のマス広告を中心としたマーケティングによるファーストランで大半をリクープしようとするもの。ロングテールはよく言われるように「従来の広告だと売れてなくてデッドストック的になってた部分(ニッチとか)がネットに置いといたらじわじわ売れるようになった」みたいなやつ。Amazonなんか思い浮かべると分かりやすい。Amazonだけの力じゃなくてアフィリエイト殖民による影響力が大きいのだろう(最近だとこの分析が分かりやすかった)。んで、「これからはblogみたいなCGM介した口コミマーケティングでWEB2.0じゃん?」、みたいな感じでロングテールが流行ったのだけれど、「実際の売れ筋を見るとニッチと売れ線の中間ぐらいじゃないか?」、ってところで出てきた名前がマジックミドル。Middle Tailの大体の意味合いもこれに当てはまるように思う。


 んで、このサイトでのエントリとしては以下が絡む


ドキュメンタリーブームと昨今の動画(映画)市場について
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/34267644.html 

Middle Tailについての覚え書き(+「海猿」妄想)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/34337745.html


 要約すると、「blogもvideo blog(vlog)的な流れが活況を呈してきているように見える昨今、ドキュメンタリー的なコンテンツだったら制作費も安そうだし個人blogでも勝負できるんじゃないか?」、っていうのがぼくの論旨。でも、「それを商業にもってくとなるとアテンション集まらないとどうにもならないよね?(マーケティング必要なんじゃ?)」、ってところでちょっと詰まってた。口コミマーケティング(※「viral marketing」という言葉はvirus的意味を含むのであえて使いません)って感じなんだけどそれだけだと不安というか不確定要素が大きい。この辺についてTB送ったところ海部さんから応答いただいて、「最近だとサンダンスとかサンフランシスコの映画祭なんかでショートフィルム系が注目され始めてる」ってことで期待できそうな感じだった。

 んでも、正直言うとまだちょっと不安なんだけど・・。

 たぶんこの分野のマーケって口コミでbuzz marketingって感じで進んでいこうとしてるんだろうけど、さっきも言ったように不確定要素が大きい。blogを活用する場合はアルファブロガー(=インフルエンサー=オピニオンリーダー)を活用するって感じで、国内だとAMN、もっと規模の大きい国外のものとしてはFMなんかがあるのだろうけど、AMNについてはちょっとびみょーな感じがする。「日本とアメリカのブロガーの性格の違い(その影響としてのblogメディアに対する信頼度の違い)」みたいなのもあるけど、日本のインターネット独自の情報経路として2chとニュースサイトの影響力についての考察が抜けているから。

 これは先日来ちょっと流行ってる「あるふぁぶろがーになるにはどうやったらいいの?」的考察にもいえるのだけれど、あそこら辺も2chとかニュースサイトについては黙殺してるし・・。


経済学・反経済学論壇系アルファブロガーになる方法(試行版(@Economics Lovers Live)
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070223#p1

一週間でアルファブロガーに成り上がる極意(@ nozomu.net - 吉田望事務所)
http://www.nozomu.net/journal/000231.php

アルファブロガーという和製英語(@池田信夫ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/aed41f6867adc5a974fd63a228aced9e

ヤバい経済学ブログ研究 (@Economics Lovers Live)
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070301#p1


 池田センセが儀礼的無関心的な感じであるふぁぶろがー話に参戦してるところが少し笑えるけどそれは置いといて、まぁ、どなたもネタということで本気ではないのだろうけどびみょーだなぁ、と。

 「ニュースサイト+影響力のあるブログ」の影響力については絵文禄ことのはで詳細に追っていた。


情報源明記:個人ニュースサイトから伝わる美しいウェブ作法
http://www.kotono8.com/2005/02/06blog-line.html

ウェブサイトアクセスにはいくつもの経路がある(+被ブックマーク数ランキング)
http://www.kotono8.com/2006/12/28access.html


 前者のエントリは主に経路について、後者のエントリはsbmの影響力も加えて、「受ける記事」の性格について検証している。

(個人ニュースサイト論まとめ見つけたのでついでに貼っとく)
http://ugnews.net/special/newssite-idea.html

 
 要するに「ハブ」の影響力についての話なわけだけど、誰もこの言葉を使わないのはあまり浸透していないのだろうか・・。ってか、池田センセなんかはベキ乗則とかロングテールとかには懐疑的(参照)だからあまりこういう言葉は使いたくないのかもしれない。確かにベキ乗則によるカスケードの説明というのは後づけというか経験則的な感じが強く、実証性についてはびみょーなので・・って言ってるとひできさんとかネットワーク分析者の方々に怒られますね(やめとけ)。・・いや、勉強不足です。

 それはさておき、やっぱ閾値を越える誘因とか、ベータハブ(仮)がアルファハブ(仮)になる要因みたいなのは分からない。この部分が分からないとネットワーク分析を元にしたロングテールの話を元にマーケティングを進めるのは不安。

 翻ってblogとニュースサイトの関係に戻ると、各エントリのアクセス数とリファラっていうか各サイトからどのぐらいのアクセスがあるかとういうことを元にグラフ作らないとアレだし、計算式としても乗則的なひねり(複数のサイト間の関係性を考慮)みたいなのがいるのだろう(っつっても計算疎いのでよくわかんないけど)。んで、2chとかsbmも絡むし・・。(余談だけどsbmのクリップってロングテール的ですね)

 というわけでロングテールとか口コミとか言ってもなんとも不安なわけだけど、「やってみないことにはどうにもならんでしょ!」って言われればそうだしなぁ・・。んじゃ、とりあえずその線で話を進める。で、マジックミドルだけど、これはショートでもロングでもない部分なのでベキ乗則とか関係ないのかなぁ・・。ってか、TVとかで話題になったときにちょこちょこっと売れる感じなんだよなぁ・・。あとは友人の薦めというのが一番強いのだろうけど、それだと同時並行的ではないしなぁ・・。「有名性+口コミ」ということでMySpaceみたいに有名人に親和性を持ってもらうプロモーション(cf.有名性の文化装置)やってるのが強そうだけど、あの辺りのデータも出てないのでよく分からない。


 でも、ロングテールのときの浮かれ気味の論調よりは期待できる感じがする。こう、「いいものがジワジワっと売れていくよ」、って感じが。ロングテールはベキ乗則を出しちゃったのでファーストランのリクープの開始点がベキ乗則の閾値的なところと重なった感じになって「ロングテールやってけば売れるっすよ(爆発的に)」みたいな論調になったように思うんだけど、もうちょっと従来の「ニッチなものが地味に売れてくよ」的な話に戻れば現実的実感があるのではないか?販売店側としたらベースの底上げって感じで。


 あと、最初の話に戻ると

ロングテール理論のマジックミドル−インフォバーン小林弘人氏(@湯川鶴章のIT潮流)
http://it.blog-jiji.com/0001/2006/10/post_750a.html

 小林氏的にはマジックミドルのイメージは雑誌的なものらしい。新聞とかTVよりは小さいメディア、でも地味に売ってくよ(作りたいもの作ってくよ)って感じの。アルファブロガーみたいなネット上のインフルエンサーはその部分を担っていくのではないか、と言っていた。

 雑誌の未来としてはこの辺の話が絡むか
 
ミクシと2ちゃんとblogと少しおカネの話
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/34005998.html

 ミクシコミュニティの雑誌的利用について。でも編集がないので見にくいという面はあるけど、先日も言ったように「無料で使いたい」ニーズはあるのだろうからその辺りに受けるのかも。ってか、ミクシコミュニティの場合は普通の雑誌よりも情報の新規性が高いというところに魅力があるのかもしれない。だとすると、一概に「金持ってないやつが使うメディア」とは言えないだろうな。

 んじゃ、その部分をうまく編集してpublishしたらお金になるかも〜♪って感じで、「それplaggerでできるよ」ってことだろう(ってかxFruitsでできると思う)。フィードメディアの可能性については湯川さんのところにも出てたな(小林浩氏へのインタビュー)。って言っても、まだまだ一般向けには使いにくいものだけど(っつーかオレ使えてねーよ・・orz)




--
関連:
新書ブームの終焉とAudio bookの可能性について
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/34656540.html

雑誌化した新書ブームの終焉に関して。今回のエントリに絡めれば、podcastとかvodcast、blog networkなんかになっていくのかもしれない。あとケータイ小説とかケータイのネットワークも考えたほうがいいか。

cf.
mixiで連載小説 登場人物とマイミクに(@ITmedia News)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0702/26/news065.html


ひぐらしの売れない頃に、売れたワケ(@あゆ級)
http://ayu9.blog94.fc2.com/blog-entry-1.html

「ひぐらしのなく頃に」という同人ゲームがけっこう売れた経緯について。ニュースサイトなどを利用した口コミの例として参考になる。涼宮ハルヒとYouTubeについても。


簡単マッシュアップ、「Yahoo! Pipes」を試してみた(@IT)
http://www.atmarkit.co.jp/news/200702/15/pipes.html


Plaggerとは?(@Yusukebe::Tech)
http://yusukebe.com/tech/archives/20061109/193704.html

「それplaggerでできるよ」(@はてなダイアリー)

※ソニプラとは関係ないです



--
追記:
なんでもfeed使ってmixiのRSS作ろうと思ったけど、うまくいかない。Webwag使って切り取りには成功したけどWebwag上でしか見れない・・むずいなぁ。plagger使うか・・(さらにむずそう)。



posted by m_um_u at 22:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年02月28日

新しいメディア体験の可能性とSecond Lifeについて (スクエニ乙部氏インタビューから)

 引き続き湯川さんのpodcastから、スクエニ乙部氏へのインタビューが興味深かったので忘れないうちにメモ。


3Dが便利とは限らない−スクエニ乙部一郎氏
http://it.blog-jiji.com/0001/2007/02/3d_d0bb.html


 内容として、スクエニの話っていうか大半がSecond Lifeの話だった。スクエニもFFのMMORPG(「ファイナルファンタジー XI」)を運営しているのでかなり意識しているのだろう。Second Lifeにおけるヴァーチャル経済圏の話(「国家規模になってくるとほんとに国が関与しなきゃいけなくなるね」)っていうのは重要だけどありきたりだから置くとして、「3D技術にこだわるのってどうなんだろう?」って話が興味深かった。

 Second Life内ではいろんなサービスが拡がってきてるけど(ex.新聞、オークション)、「これって2Dでやったほうが見やすいよね?」、って話。e-bayみたいなオークションなんか2D処理したほうがやりやすいし、と。

 それでもなぜSecond Lifeにすべてを統合しようとしているのか、という話題にまでは踏み込まなかった。これについては微力ながらあとで考察してみよう。


 んで、3Dのデメリットについて。


 「空間認識的なデータとると男女間に差が出るので3Dにすると商業的に不利なのでは?」、とのこと。つまり「3Dにするだけで顧客の半分失ってるのでは?」、と。「男は地図を読めるけど、女は読めない(※個人差あり)」と関連して、女性というのは3D空間の認知が弱いらしい。地図反転されちゃうと読めなくなったりとか。この辺のデータ的根拠については特に触れてなかったけど、認知科学的知見だろうか?あと、「地図って2Dじゃん?」、とか思うけど、3D空間を意識しながら2D情報を見ているわけだから3Dな話になるということなのかなぁ・・。

 まぁ、それは置いといて

 「女性は3Dに親和性がない」ということに関して、スクエアは独自なデータを持っているのだろうか?たとえば「FFXI」の男女構成比とか。でも、あれって戦闘が得意な人 / 得意じゃない人とかでも分かれるし、ゲームテクニックにおける男女差も要因として考えられる。


 そう考えるとびみょーな話ではあるな・・。


 でも、「2Dのほうがシステム運営的には楽なのに、なんで3Dに統合するの?」、というテーマは面白かったのでちょっと妄想。
(※マーケ的な話は置く)

 これはメディアアート的な「あたらしい感覚を体験したい」という感覚に近いのではないか?

 メディアアート展なんか見に行くと、別になんてことのないテーマで作品が作られてるんだけど、スイッチとか画面に触れたりすると妙に面白くて、その不思議な感覚を味わいたくて何度も画面なりスイッチなりに触れてしまうことがあると思う。そういう感覚に近いのではないだろうか?まったく別の文脈ではあるけれど、ニコニコ動画の楽しさがコミュニケーションの内容(あるいは機能)にあるのではなく、その行為そのものを楽しむことにあるという話がある。確かに、同じ瞬間に「こなぁ〜ゆきぃぃいぃ〜」と叫ぶ楽しさというのはあるだろう。「行為そのものを消費させる」ということ。感覚としてはトリビアの泉のへぇ〜ボタンを押したいという欲求と近いように思う。

 それと同じように、3Dに統合することには機能的な意味はないけれど、3Dの空間の中で楽しむということ自体に意味があるのではないか?水中でコンピュータゲームをやるみたいな感覚というか・・。アバターなので遠隔操作というところに焦点が置かれそうだけど(自己投影のブレを楽しむとかいう話かな)


 Gizimodoにすごくリアル(?)なCGが紹介されてたけど、こういうのが導入されるようになると感情移入度が高まるのかもしれない。・・って中途半端なので冷める可能性もあるな。


 ぼくがこの領域で究極に望むものは電極を直で繋げて電脳ジャックインって感じだから、これぐらいでは満足しないわけだけど。これはこれで趣のようなものがあるのではないか?VF1と現行バージョンの違いみたいな(カクカクしてレトロで楽しいね、って感じ)。


 あと気になった点として、MITのSecond Life研究者みたいな話が出てきたけど、この人のことかな?

Henry Jenkins
http://www.henryjenkins.org/

 っつっても、初耳なのでチェックしてないけど。Second Lifeの研究者系って言うとPeter Ludlow(Second Lifw Herald)ぐらいしか思い浮かばなかった。


 この辺、山口浩さんのほうが詳しそうだからいちおTB打っとこう。


「Second Life」のパネルディスカッション
http://www.h-yamaguchi.net/2006/10/post_b0f1.html


 ってこのエントリも面白そうだな。「あとで読む」


 ついでに最近のSecond Lifeエントリも見繕っとこう。


Second Life frees source code under GPL(@Boing Boing)
http://www.boingboing.net/2007/01/08/second_life_frees_so.html

日本語版は「1?2カ月以内」 Second Lifeのいま(@ITmedia News)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0701/18/news068.html

Second Lifeの登録ユーザーは米国人が50%を占め、次いでヨーロッパ人(28%)、アジア人(11%)、ラテンアメリカ人(6%)という順だ。平均年齢は32歳、女性率は43%


仮想空間 仏では右派・左派抗争も (@CNET Japan)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20341369,00.htm

先週から両党の支持者が操るアバター同士が相手の事務所の打ち壊しや格闘などを繰り広げるようになったという


Second Life不動産王とDMCA違反申し立ての舞台裏 (@CNET Japan)
http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20341332,00.htm

バーチャル空間のアバターに本気で人権を求める人々の話


Sweden to be first country with official embassy in Second Life(@Boing Boing)
http://www.boingboing.net/2007/01/27/sweden_to_be_first_c.html

スウェーデン政府、Second Lifeに大使館を開設へ--海外メディアが報道 (@ CNET Japan)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20342079,00.htm


IT's Big Bang! 「Second Lifeのビジネスモデル----CPUの作り出す「もう一つの地球」はハッピーか。」(@CNET Japan)
http://rblog-biz.japan.cnet.com/it_bigbang/2007/01/second_lifecpu_e63d.html

不動産買って税金(固定資産税)払ってくっていうsecond lifeの徴収モデルが広告モデルより新規性があるというところからの空想。バーチャル経済圏って感じ


セカンドライフの土地買占めロボット (@セカンドライフウォッチ)
http://rules.gonna.jp/2007/01/post.html

セカンドライフ 7つのビジネスリスク (@セカンドライフウォッチ)
http://rules.gonna.jp/2007/02/7.html

1.インフラリスク

利用できなくなる時間がある

2.セキュリティリスク
CopyBotによる複製、LandBotによる土地の占有や買占め、プリム複製による攻撃、スキャニングによる盗聴など。

3.プログラムリスク(※勘違いかも)
移動についてはアンドゥが聞くけど、デリートしちゃうとアンドゥでもどすというのが出来ない

4.リンデンリスク
リンデン側に利用規約は一存しているだけに、規約変更などリンデン側の策によってダメージがあるかもしれない

5.経済リスク
たとえば大口のリンデンダラー保有者が処分に走った場合に交換レートが暴落する恐れがある

6.コミュニティリスク

政治、宗教、性差をめぐっての衝突、暴動リスク


7.キャッチアップリスク
もっと面白くてすごい3Dウェッブが登場して、セカンドライフの人気?が廃れてしまう


セカンドライフ人気の7つの理由(@KandaNewsNetwork)
http://knn.typepad.com/knn/2007/02/post_10.html

1.インターネットの黎明期化 Massively Multiplayer Online(MMO)
セカンドライフの現在は、モザイクブラウザで見ているインターネットの黎明期であり、ここから新しいインターネットの世界が広がりそうな期待を集めている

2.仮想通貨の現実化 リアルマネートレード(RMT)


3.不動産自由売買化

(※神田さんは不動産拡張⇒売買だけ注目してるようだけど、不動産の上で商売やって成功したらセンターからそれに応じたpayがあるはず)

4.3D世界のオープンソース化

(※BoingBoing記事にあるようなオープンソース化についてっぽい。あと、いろんな人(有名人)と垣根なく会える、みたいなこと)

5.ハイスペックワールド化

(※割愛)

6.なんでも有料の世界化
土地や物品の売買などには必ず通貨が適用されるという、リアルな現実よりも、金銭的には空気抵抗の多い設計がなされている。この何でも有料の世界観があるからこそ、人はビジネス性を見出したり、新たな新規事業の萌芽を感じることができる

7.アダルトワールド化
セカンドライフで人気の場所を検索してみると上位に並ぶのはズラリとアダルトの世界だ



IGDA新氏、満を持してRMTの最新事情を報告(@impless GAME Watch)
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20070223/aogc_sin.htm

RMTの生産工場であるゴールドファーマーが正規のビジネスとして正当化され、アダルトコンテンツの生成、所得に対する課税の問題、ギャンブル行為、果ては「ゲームデザインそのものが壮大なネズミ講ではないか」という見解まである。すなわち、「Second Life」はRMTを容認した結果、RMTに付随する形で、より多くの課題が生み出されているわけだ



個人的には、ITMediaがやたらSecond Lifeをヨイショしているように思います。(@増田)
http://anond.hatelabo.jp/20070206235710

プレイしてみると、「ただそこに3Dワールドが存在している」って感じしか受けないし、ユーザーと出会えたとしても既存の3Dチャットとあまり変わらない気がします。


Synchronized Punditry About Second Life(@Terra Nova)
http://terranova.blogs.com/terra_nova/2007/01/syncrhonized_pu.html

Clay Shirky, Beth Coleman, and Henry Jenkins have decided to coordinate simultaneous blog posts discussing Second Life.



 ところで、すごく私的でどーでもいい話なんですが、MMO関連で。DSでやれる、育成型ほったらかしMMOみたいなの探してるんだけど、なんかないですかね?いちお三国志大戦見つけたんだけど、もうちょっとゆるいっていうか、「デッキ組んで、てきとーに指示与えて放ったらかしにしといて、しばらくしたら成果回収しに行って、それを元に育成(デッキチェンジとか)する」みたいなゲーム。んでMMO。・・オンラインだとけっこう見るんだけどなぁ・・。




--
関連:
NHKで伝えきれなかったRMT問題の根深さ (@IT-PLUS)
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000022022007

中華ボットの問題。参入が遅れた中国ではボット開発やRMTビジネスがベンチャーとして浮上したらしい






posted by m_um_u at 22:25 | Comment(0) | TrackBack(1) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

iLike widget登場!

 メールボックスにiLike系のacceptメールが入ってて、久々にiLikeの自分のページに行ったらページの右上のほうにiLikeのstaff blog見つけて覗いてみた。そこのトップでこんなエントリ発見↓


Improved widget to share your music tastes (on MySpace, etc)
http://ilike.typepad.com/ilike_team_blog/2007/02/improved_widget.html


 「MySpace用ウィジェットができたよ」ってことなんだけど「MySpace, etc」って書いてあるので期待を込めて読み進めてみたらビンゴ!SeeSaaでもできた。

 そういうわけでページ右下のほうのblog partsを換えてみた。
(ちなみに前つけてたのはGuardianの「News in Photos」(ニュースな写真)。PoynterのE-Media-Tidbits経由。ウィジェットはここからとれます)


 iLikeは音ログと似た感じの音楽データ系SNS。インストして起動したらiTunesの画面の右端のほうに表示される。iTunesのプラグインみたいな感じで使えて便利。洋楽系音楽snsなので邦楽データには疎い感じだけど、たまに洋楽聴いてるとPandoraみたいな感じで似た感じの無料MP3を表示してくれる。これなんかは動画作る人には便利だろうなと思うんだけど、ぼくとしてはいまのところそういう予定もないな・・。とりあえず、iLikeについてはGoingMyWayのこのエントリに詳しい↓


気になった曲がすぐに聞ける、音楽でつながる、iLike
http://kengo.preston-net.com/archives/002878.shtml


 んで、ウィジェットのほうに話を戻すと、以下のページの下部にある「Blogger」をクリックしたら開くコードをコピペしてhtmlに貼り付けたらできるようになると思う。
(SeeSaaの場合は「デザイン⇒コンテンツ⇒自由形式のとこに貼り付けて」、「ページ設定反映⇒ページの再構築」)


Add your music to MySpace (or your blog) with iLike
http://ilike.com/account/myspace


 最初に紹介したエントリに戻ると、「If you've been tracking this blog, you'll be excited to know we have a special feature unveiling coming next week. 」(一週間後にすごいサービス出すぜ!)、ってことなのでこちらも期待。「ワオエフェクト」((C)湯川さん)って感じだろうか?


 湯川さん+音楽関連だとMySpace香山さんインタビューで面白い話を聞いた。
http://it.blog-jiji.com/0001/2007/02/post_849e.html

http://it.blog-jiji.com/0001/2007/02/sns_83b7.html


 MySpaceデータによると、「MySpaceのページ上でアーティストが一部の音楽を無料で配信していて、音楽業界からは“CDが売れなくなるのでは?”という懸念があったけど、実際のところは売り上げが増えています。MySpaceの各アーティストページや、友人のページに貼り付けられている音楽が良いプロモーション効果を与えているようです」(意訳)、とのこと。日本の音楽会社やアーティストはなかなか門戸を開けてくれないらしいけどがんばってケーモー活動を続けていくそうです。

 MySpace関連で思うのは、「翻訳機能があるとコミュニケーション楽しくなるだろうなぁ」、ってことなんだけどその辺はどうなんだろう。言うまでもないことだけど、MySpaceのユーザーの大半は英語圏の人で、コミュニティにとってユーザーは財産だと思うんだけど、その部分のつなぎがうまくいってないのはもったいないな、と思う。っていっても、ページの翻訳作業だけで大変なんだろうけど。でも、翻訳とまではいかなくても、「英語圏 - 非英語圏」交流が円滑化するようなアイデアが浮かんだらMySpaceにとっての大きな武器になると思うんだけど(バイリンガルユーザーを支援して協力してもらうとかね)。語学交流系SNSとしてはこんなのがある↓


Friendsabroad.com
https://www.friendsabroad.com/register.htm


 学習したい言語のネイティブ同士で交流できるサービスみたい。(例えば日本語が母国語で英語を向上したい人は、英語が母国語で日本語を向上したい人を見つけられる)。「free voice calls は後で実装予定」とのことだったけど、もう実装したのかな?



--
追記:
そういや、宇多田ヒカルのところもクロスメディア・マーケティング中だったな(〜3/8)。

縁起ものだし貼っとこう。







参照
本格化するクロスメディア・プロモーション:宇多田ヒカル"Flavor Of Life"(@kakihara.org)
http://www.kakihara.org/blog/archives/000643.html




 
タグ:blog 音楽 SNS
posted by m_um_u at 16:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年02月27日

「その話はチラシの裏にでも書いてろ・・」っていうかそのチラシが重要なんです ><

 一個前のエントリで「日本の新聞の価値は中身ではなく外身」って話をしたんだけど、それ関連で、そういやチラシが重要(あとラテ欄)。

 「ラテ欄(ラジオ・テレビ番組欄)」は新聞のキラーコンテンツなので、番組表全部がネットに出ることはない(出るとしても一部)」っていうのは結構有名な話だと思うんだけど、生活者のニーズとしてはチラシも地味に重要でそういう情報を扱ったポータル作ってくれないかなって前から思って書いたりもしてるんだけどなかなかできない・・。

 大西宏さんのところにも同じような問題提起があったのでTBってみるけど、ここで紹介されているサイトは正直いって不満。もっとこう・・craiglistみたいなポータルサイトが欲しいんですよね。ってか、自分の住んでるとこの直近のスーパーなんかの安売り情報が欲しい。

 んで、そういうのできないかと思って網はってるんだけどなかなか・・。


 Webサービス提供者主導ではなくて、チラシを出す側の業界全体がヤル気になってくれないとそういうのってできにくいのかなぁ・・。あとそれ系サイト乱立して利便性減ってるのでうんざりな感じ(PDFとか論外)。このままだとこの市場しぼんでくばっかだと思うんだけど。


 ところで、craiglistのできた経緯ってどんなんだったんだろ?

 
すべては顧客のために--Craiglist創設者の熱い闘い(@CNET JAPAN)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20155467,00.htm

新聞広告の売上をさらう無料コミュニティサイトのCraigslist(@CNET JAPAN)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20079882,00.htm


 経緯よくわかんないけどとりあえずCraigが「いい奴」ってことで信頼を勝ち得ていったのは分かった。あと、こういうポータルができると新聞の広告収入が減っちゃうってことも。

 どっかで見た記事だと特に新聞社とかからの協力もなくベンチャーとして立ち上げたって感じだったっけ?(うろ覚え)



 余談だけど、地方紙のキラーコンテンツってけっこうチラシだったりするんじゃないかと思ってる。主婦はとてもありがたがるし。

 そういう意味ではこの問題におけるほんとの敵は地方紙なのか・・σ(^^;


 って、地方紙がそういう情報のポータルになってくれればいいんだけど。


--
関連:
電子チラシ、拡大 新聞読まぬ層に狙い (@asahi.com on Toshiro Shimura Blue Dot)
http://bluedot.us/users/toshiro/dot/67483232104
タグ:広告
posted by m_um_u at 19:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年02月26日

新聞業界来し方行く末

 ひできさん経由ではてなの馬車馬さんとこ(たぶん)を見かけてなんか懐かしくなって久々に馬車馬さんのblog覗いたら以下のエントリが出てて気になった(ってか、けっこう前に気になっててクリップしてたのだけれど)。


 今週のThe Economist:誰がしんぶん殺したの?(@マーケットの馬車馬)
http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/the_economist_b814.html


 Economistによる新聞業界の衰退に関する記事の要約。分かりやすくて大変ためになる。

 「マスメディアの未来」というテーマを追っていくと「マスメディアの存在意義」っていうのが出てくるわけだけど、そこで過去の文献を漁っていても「文化事業だから守らにゃならんのよ〜」みたいな言い訳ばかり先行してこういうことをきちんと語っているものは少なかったりする。そういう意味ではこんな感じで外部からざっくり分析してくれたほうが変なお仲間意識とか生まれないでよいのかもしれない(ギョーカイ人は卒業したギョーカイの悪口書かないし)。

 それとは別に「ジャーナリズムの社会的意義」という問題はあると思うけど今回はそちらには話を持っていかない。・・長いし。いずれ、たぶん、機が熟したらやる(・・かな)。

 んで、Economistの記事に戻るけど、

 「ジャーナリズムの社会的意義」関連では同誌は楽観的だったらしい。「クオリティペーパー残るだろうから大丈夫じゃん?」、とのこと。んで、「新聞の未来」について語る前段階として「新聞というメディアの性格」について経営的視点から説明している。曰く、『(新聞は)言葉を読者に、読者を広告主に売るビジネスだ』、と。

 ビジネスとしての新聞は収入ということを前提に考えなくちゃいけないので、購読収入か広告収入が重要になるわけだけど、現在、購読料に頼れる新聞は少なくなってきている。一部のクオリティペーパーぐらいか?残りの大衆紙系はフリーペーパーにしてしまったほうが広告収入に頼れていい感じになってるみたい。この辺はおそらくニーズの違いということなのだろう。一個前のエントリにも絡むけど、「金を払ってでも時間を節約したい、あるいは利便性や確実性を求める」というニーズと「暇つぶしみたいな感じでメディアを消費する」というニーズがあるように思う。後者は無料のほうが好ましい。広告も情報の一部だし。ってか、いまやパブリシティとメインコンテンツの境目なんかびみょーなのかもしれない(別メディアだけど参照)。

 そんな感じで大勢としては広告紙化してきている新聞業界なんだけど、日本の状況はどんな感じになっているのだろうか?


新聞購読料と新聞広告費
http://shouwashi.com/transition-newspaper.html

 
 このサイトでも言われているように、「広告収入:購読収入=50:50」ってのがタテマエみたいなんだけどほんとのところは広告収入に頼る部分が多くなってきてるね、と。ってか、さっきも言ったように記事自体の広告化とか「どこまでがPRでどこまでが記事か分からねぇ」みたいな状況がある。それが、「世界でも屈指の高級紙(2000万部だYO!)」(yomiuri@WAN)、とのたまう国内新聞メディアの現状。

 馬車馬さんところの※欄でも書かれていたけど、2000万部売ってるって言っても宅配制に依るところが大きいのであって、購読理由としては惰性とか見栄が主な理由なんだから内容とは関係ないもんなぁ・・。あと価格に関しては「文化」を担保にした再販制度が絡むし。そんな感じで日本の新聞の価値は中身ではなく外身で構成されてるんだけど、お偉方はなかなか認めようとしないんだろうな・・。「お偉方」っていうか記者一筋の人もそうなんだろうけど。関連でちょっと前にR30さんのところで出てたエントリが思い出される。


「選び、捨てる」のできないオールドメディア(@R30)
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2007/01/post_dec6.html

 以下、長いけどそのものズバリだなと思ったので引用

 前々から思っていたことなんだが、最近改めてつくづく感じるのは、オールドメディア業界の人ってほとんどが「真面目な職人さん」なんだよね。ネット界隈の巷では「マスゴミ」なんぞと呼ばれ蔑まれているが、報道業務に「世間を自分の意のままに動かしてやろう」なんていう悪意を持って携わってる人間なんて、それこそナベツネぐらいのレベルのところにしかいなくて、ほとんどの記者は「これが社会のためになっている」と思いこんで日々体を壊す寸前まで働きづめになりながら、目の前に降ってくる事件を追い、ニュースをさばき、取材をこなしているのが実態なんだよね。だから、あまり知られてないけど、マスコミって40代半ばぐらいでからだボロボロになって突然死しちゃう人とか、20〜30代でうつ病になって失踪したり自殺したり引き篭もっちゃったりする人とか、普通の企業に比べてめちゃくちゃ多いわけで。

 で、幸いにもそういう過酷な環境でドロップアウトしなかった人が生き残って上に上り詰めて「経営者」になるわけなんだけど、上り詰める人もはっきり言ってただの「真面目な職人さん」の一種に過ぎないのだね。たまたま多少「真面目」度がちょびっと低かったりとか、ローテーションの運に恵まれたりとかいう事情があって、過労死しなくて済んだだけのことで、本質的には一兵卒の「真面目な職人」と何ら違う人種じゃない。


 そんな感じなんだろう。そして滅び行く恐竜は自らの未来を認めようとしない。状況全然違うけど、似たような経験があるのでちょっとグッと来てしまった。新聞記者の激務関連として、こんなのもある


「新聞記者を辞めたい」(@天漢日乗)
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/01/post_2a89.html



 だいぶ話が逸れたけど馬車馬さんのエントリに戻ろう。

 
 以上で見てきたように、広告収入に頼る方向(ex.フリーペーパー)と購読料収入に頼る方向の二極化が進んでいるのが現在の新聞業界の実情っぽい。で、広告に頼るってことは「スポンサーの意向によって書きたい記事が書けない」みたいな営業と編集権の問題みたいなのが頭に浮かぶけど、問題はそう単純なことでもないみたい。購読料に頼ってるからって「社会の木鐸」的なジャーナリズムを維持できるかどうかなんてびみょーだし、特に日本の場合、どこからどこまでが広告なのか分かんないみたいな問題もある。たとえば広告をやめて購読料一本に頼ったとしても、官公庁(主に警察)を情報源としてそこからの情報のコピペみたいなことをしている日本の新聞社に本当に質の高い記事を提供することができるのだろうか?昨今の社説盗用事件にしてもそういうことの証左と言えるのではないだろうか?

 っつっても、新聞なんか大航海時代の貿易通信みたいなものから発生したもので、情報の伝達(同一情報の回覧)みたいなのが重視されるのだから官庁情報コピペって言ってもそんなにメクジラ立てるほどのことでもないかなぁ、とかも思うわけだけど。国家レベルだと軍国殖産と関わるし(プロトコルの統一のために必要)。


 って、こう書くと記者さんの「足で稼ぐ」的な営為をバカにしているみたいで心苦しいのだけれど、やっぱそう思ってしまう。一次情報源というか、マスメディアの情報ネットワークは重要だとは思うし、こういう話題をするとよく言われるように、「文句ばっかいうけどマスコミなくなったらどうなるか分かってるの?」、ってのもあると思うけど、やっぱそれとこれとは次元が違う話だろう。

 

 んで、それとは別に海外メディアは続々とデジタル化(ってかWeb2.0化?)をしてきているみたい。NYTをはじめとしてアメリカのメジャーな新聞はそういう流れにいるし、ほかの国の海外メディアもそんな感じ。真剣に新聞業界の危機を感じて生き残るために進化しようとしているんだと思う。以下、ざらっと例示。



ワシントンポストのサイト,市民ブロガーによるローカルニュースのカバーを計画中(@メディア・パブ)
http://zen.seesaa.net/article/31287533.html


Reuters Africa Includes Blogs(@E-Media Tidbits)
http://www.poynter.org/column.asp?id=31&aid=118901


米新聞業界にデジタルの大波(@イザ!)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/it/internet/37685


The Future of the Newspaper Industry(@Chip Griffin: Pardon the Disruption)
http://www.pardonthedisruption.com/2007/02/the_future_of_t.html


既存メディアのソーシャル化,早道はソーシャルメディアの買収(@メディア・パブ)
http://zen.seesaa.net/article/32653260.html



・・ってか、多すぎて疲れるので気になる人はぼくの「海外メディア」ぶくまみてください



 こういう流れが新たな付加価値生むのかなぁ。ついでに音声データもつけて「音声+テキスト+紙メディア」みたいな分野もできるといいのに。




--
関連:
日刊紙の発行部数と普及度(@新聞広告データアーカイブ)
http://www.pressnet.or.jp/adarc/data/1br/01.html

発行部数・販売部数(同上)
http://www.pressnet.or.jp/adarc/data/3link/01.html

戸別配達率(同上)
http://www.pressnet.or.jp/adarc/data/4etc/01.html


「新聞が隠してる大きな秘密とは?」(新春スペシャルその2)(@ポチは見た。)
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/8404/sono21.htm

※押し紙問題について



フリーペーパーは儲かるか〜例えばHotPepperの広告料はいくら?(@世界の半分)
http://blog.goo.ne.jp/plauda/e/faee59b169b4b09a9f28011f85d78b45


小林恭子の英国メディアウォッチ
http://ukmedia.exblog.jp/i15

※欧州のフリーペーパー化について


あのデジタル雑誌配信システム、本格スタート(@mediologic.com)
http://www.mediologic.com/weblog/archives/001231.html

※電子ブックプラットフォームの日本での開始ということらしい。ニューズウィークとかも入ってる、と。PCで見ると疲れるので紙型電子リーダーが欲しい。



EPIC 2014
http://www.mediologic.com/weblog/archives/000559.html

EPIC 2015
http://www.albinoblacksheep.com/flash/epic

※Googlezonに統合される未来。海外メディアがデジタル化(CGM化)に積極的なのは少なからずこの動画の影響もあるのだろう。



--
追記:
クオリティペーパーについては前に、「学術的な知見が綜合されるようなものができたらいいなぁ」、みたいなこと書いたけどそういう流れってないのかなぁ。。

あと、広告とメディア企業の関係としては武富士問題とかあるけど、フリーランスのネットワークでpayするメディア作れないのかなぁ・・。


Walls in Front of Freelance Journalists(@JMR)
http://www.japanmediareview.com/japan/stories/060928mcnicol/


・・記者クラブ問題とかもあるな








タグ:新聞
posted by m_um_u at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(1) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年02月25日

新書ブームの終焉とAudio bookの可能性について

 はてぶにこんなのがあがってて気になった。


新書バブル崩壊寸前?(@みんなの25時)
http://d.hatena.ne.jp/hanemimi/20070223/1172252026


 書店員の方の実感として、「新書バブルもそろそろ終わりかな」、と。

 「バカの壁」とか「国家の品格」みたいな本の乱造によって「新書の雑誌」ってことで間口を広げたはずだけど、却ってそれが信頼を失わせる結果になったみたい。

 新書の中にも良書はあるのだけれど、本を読むのに慣れてない人はそういうのに辿りつけないのだろう。そういうライトユーザーを誘導する工夫としてポップによる説明して需要(欲望)を創出するってのがあるように思うけど。


勝手に本屋ミシュラン #55くすみ書房(@本屋のほんね)
http://d.hatena.ne.jp/chakichaki/20070107#p1

関連:「本屋のオヤジのおせっかい」http://www.k2.dion.ne.jp/~sa-shibu/home.html


 もしくはレビューサイトのランキングを参考にするとか

レビューライン
http://reviewline.jp/

※Amazonの新着レビューをとってきてまとめてあるサイト。「新書」「小説」「ラノベ」「マンガ」などに対応。各ジャンルごとにRSSあり。また、個別商品についてもRSS貼り付けて新着レビューがあったらチェックできる。本屋でこれのチェックできるといいのに。



 そういう話でもなく「本を買う人」が減ってきてるのかな。


 まぁ、確かに、本読むのめんどくさいもんな。最近だとpodcast(ってか「life」)が重宝してるけど

 「life」はwikiで内容をテキスト化してアーカイブしてくれてるので便利。おかげで「ながら視聴」みたいなことしてて、内容は覚えてないけどなんとなくキーワードだけ気になってるってときに後から文脈を確認できる。
http://wiki.livedoor.jp/life_wiki/d/FrontPage

 そういう意味ではスタッフの皆さん(ってかプロデューサーの方?)の営為には感謝してる。

 あと、こういう形にしてると後で出版なんかを意識したりできないのだろうか?Dan GilmorとかLawrence Lessigのオープンテキスト(オープンソース・ブック)みたいな感じで
http://sw.cocolog-nifty.com/swmemo/2004/03/post_10.html
 
 日本だとJMMがあるか


 あれも最初は「ネタをばらしてて売れるわけないじゃん」って感じだったけど結果的に売れたみたいだし。ポイントはネタがばれてるかどうかではなく、閲覧性(一覧性)というか「便利」とか「時間が省ける」ってところだろう。みんな忙しいので便利さのためにお金を払うことにそれほどの躊躇はないみたい。「Winny使ってるのは貧乏人」って感じで、問題は価格ではなく時間なのだろう(もちろん限度はあるが)。「クリック一発で注文できるかどうかで勝負が分かれる」っていうのもそういうことだと思う。


 で、オープンソースブックに話を戻すけど


 ネットで公開されてる文章は無料だけど、ある話題について継続的に書かれている長文の文章を追うのは疲れるし、時間がかかる。「PCの前にずっといないといけない」、っていうのもいただけない。目が疲れるし、PCの画面を見るリテラシーに長けていない人にはきつい。なので新聞・雑誌・本というメディアはなくならない、っていうのはよく言われる話。

 それと同じ感じで、いちいち文字を目で追うの疲れるのでpodcastでがーって聞いた後に文章で確認したい、という需要はあるように思う。


 イトイさんなんかが「これからは講演だよね」みたいなこと言って、講演企画してそれを出版してるのもこういう文脈に交わるように思う。たとえばこれ


智慧の実を食べよう。
http://www.1101.com/event2003/index.html


 って、糸井さんはpodcast意識してなくて、「しゃべり言葉のほうがなんか分かりやすいよね」、って感じで企画を立てたんだろうけど。出版化するついでにMP3とかの音声データもつけてくれてるとありがたかった。


 中沢新一さんの「三位一体モデル」読みたいんだけど、データついてないもんなぁ。。
http://www.1101.com/aoyama_campus/index.html


 テキスト化して音声出力ってのもめんどくさそうだし・・。


--
関連:
思想家・中沢新一に聞く『三位一体モデル』(前編)(@NB online)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20061122/114227/


最近の新書ブームってのは、「風俗店の急増」にたとえられるかもしれない。(@ある編集者の気になるノート)
http://aruhenshu.exblog.jp/5581473/


新書版「アタリショック」の足音が聞こえる(@踊る新聞屋)
http://t2.txt-nifty.com/news/2007/02/book_1099.html





--
追記:
それ以前の問題としてアテンションとマーケティングってのがあるだろう。Middle Tailの話と同じ。でも、だとすると同じように可能性はある、ということなのだろう。

広告の話とも絡むけど、マスという感じではなくターゲット定めて広告打てばその分コスト抑えられるのだろうし。

口コミを中心としたコミュニティマーケティング(+α)って感じになるのだろうか。


タグ:出版
posted by m_um_u at 19:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年02月22日

ネット広告費躍進から期待される広告変化とその影響についてのちょっとした懸念

 広告関連でいろいろリンクしたのでエントリしてみる。最初はここから


 ネット広告費、まもなく雑誌抜く規模に--4マス減少のなか大躍進(@CNET Japan)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20343603,00.htm


 パッと見、「んでもTVの1/5程度か」、って思ってしまったんだけどこれはこれで躍進か(30%成長)。大躍進の理由としては以下のようなものが考えられるらしい

インターネット広告の成長要因としては、ブロードバンド化やYouTube、GyaOといった動画サービスの登場により、動画サービス向けの広告出稿が増加傾向にあることが挙げられる。また、「続きはネットで」という形でテレビCMからネットへ誘導する手法が定着しつつあることから、サーチエンジンマーケティング(SEM)にも注目が集まっている。また、モバイル広告も、携帯電話の契約数増加にともないナショナルクライアントが続々と参入し、35.4%増の390億円規模に成長を遂げた。


・・なんかびみょー感が漂うけど、まぁ、置いといて。神田さんのところにも詳しく載ってた


 ネット広告費、29.3%増の3630億円(@KandaNewsNetwork)
http://knn.typepad.com/knn/2007/02/2933630.html

 広告費全体の構成比が出てて分かりやすい。

広告費に占める構成比は、
テレビ 33.6%
新聞 16.7%
雑誌 6.5%
ラジオ 2.9%
マスコミ4媒体(新・雑・ラ・テ)で59.7%
SP 33.4%
衛星メディア関連544億円 0.9%
インターネット3630億円 6%

インターネットの構成比が6%に達しているところに注目したい。
2005年は4.7%
2004年は3.1%であった。


 今年中に雑誌を抜いて、来年・再来年あたりで新聞と勝負って感じだろうか。って、ネットに広告出す層と新聞に広告出す層は被らないのだろうけど。ガ島さんとこも反応してた


 新聞の広告費ついに1兆円の大台を割り込む(@ガ島通信)
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20070221/1172014628

 
 経由でmediologic.comエントリを見る。


 マス広告がもっと売れなくなるかも知れないことについて、本当の真実は、(@mediologic.com weblog)
http://www.mediologic.com/weblog/archives/001134.html

以前は、多くの企業が作り出すモノは「マス」に向けた商材であり、画一化されたものが多かった。それゆえ、その“マーケット・サイズ”をターゲットにしたときに、これまたサイズのあうマーケティングツールが「マス広告」だったのだ。

で、最近は企業のモノづくりがより細分化されたマーケットや、マスであってもカスタマイズ可能なものが増えてきたのは確かな事実である。それゆえに、「マス」というサイズで行うマーケティングも減ってきたのではないか。

 同様の見解が曽根さんのところにも上がっていた。


 よろしくネット(@うたかたの日々@はてな)
http://d.hatena.ne.jp/soneakira/20070221

映画→テレビ→ネット(?)の変遷に、消費者の進化に

旧態然としたマスメディア並びにスペースブローカー的広告代理店が

ついていけなかった。あるいは既得権益にしがみついたままついていこうとしなかった。

やっぱり広告は消費者が成熟したことによって狭告じゃないと届かない、響かない。

そういう時代になったんだろうねえ。

 
(中略)

大物タレントを呼んできてキャンペーン一発ドーンと打ち上げる、

それよか知恵とかセンスとかわかる人にだけわかってもらえればいいってこと。

ターゲットは性別や年齢でセグメントされるわけじゃなくて。



 同意。(ってか、「テレビCM崩壊」未読です m(_ _)m)


 総合すれば、「マスメディア企業、広告会社の努力不足」、みたいな感じだろうか。努力っていうか勉強不足っていうか・・。


 流れで織田さんのとこにもなんか見解出てないか見てみたけど、関連エントリとして見つけたのは今のところこれぐらい。


 米オンライン広告シェアは2007年に20%に(@Ad Inovator)
http://adinnovator.typepad.com/ad_innovator/2007/01/200720.html


 短いのでそのまま引用させてもらう

調査会社Outsellが発表した調査によると、対象企業1010社が2007年にオンライン広告費を18%増やし、全広告費シェアの20%に達すると予想した。また、Pay-Per-Click(クリック保障型)広告はクリック詐欺の恐れから49%が減らすと答えているという。


 20%か・・。一部の企業だし、環境も違うので一概に言えないけどこういう方向に進んでいくのだろうか。そのときパイの食い合い(「代わりに新聞広告が減った」とか)あったのだろうか。気になるのでTB打ってみよう(期待を込めて)。



 日本の広告環境が変わるとするとその要因としてはどのようなものが考えられるだろうか。やはり大型広告主の意向だろうか。トヨタアメリカの話なんかが思い浮かぶ。


トヨタが米テレビ界に一撃 「印象に残らない番組はダメ」(@NB online)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20060801/107256/

 
 「番組関心度調査」なる新手法(ながら視聴対策っぽい)に対して効果が見られない場合はペナルティ、ってやつ。NBCとの一社契約だし、広告業界全体に対する影響力とか、これを受けてのその後の広告の変化とかよく分かんないんだけどけっこうインパクトがあった事例ではないか。これがネット広告の構成比拡大に利するかといえばびみょーだけど、広告というものをきちんと考えるきっかけにはなったのかも(作るほうも依頼するほうも)。

 
 以上は大体の流れのまとめみたいな感じだけど、ほかに気になったこととしてちょっとセンチメンタリズムみたいなの入るかもしれないけどいちお。


 曽根さんのところの「ターゲットは性別や年齢ではなく知恵やセンスでセグメントしていくべき」、的話を受けてlifeでやってた「学級コミュニティが“マインド”によって構成されている」話をなんとなく思い出した。


 「文化としての受験」についての話の流れで、「ケーオーとかトーダイとか行くのは勉強もそうだけど人脈のためって感じだよね。その人脈がそのまま就職とかに影響していく。だからコミュニティの中の情報っていうのがかなり重要で、そこからハブられることは情報の遮断を意味する」、ってやつ。

 で、「そういうイイ会社とかイイ大学とか行く人々は勉強ができるかどうか以前に同一のマインドみたいなのを前提条件としていて、それがあるからこそ勉強とか就職とかできるのではないか?」、と。そういうマインドというのは最近だと「コミュニケーション力」とかやたら「〜力」という形で形式化され身に着けなきゃいけないものとされてしまいがちだけど、そんなの意識しても見に付けられるものでもないよねぇ(却って焦る)。

 って話だったと思う。要約すれば本田由紀さんの「ハイパーメリトクラシー」ってやつだ(未読)。リンク先では酷評されてるけど(あとで読もう)、「がんばってるのに評価されないで“もっと○○力つけろ!”みたいに言われるのってどうなの?」的指摘には首肯できるものがある。そういう感覚が社会的にもある程度共通しているからこそソフトバンクの例のCMがdisられたのではないか?

 たぶん作った人たちとかこのCMを採用した人たちはそういうグループの中で育ってきた人たちなのだろうから、根本的なところでなぜdisられたのかってことには気づいていないのだろう。そして曽根さんの指摘するようにこれからはセンスや知恵でセグメントしたCM(ある程度マインドを共通する層をターゲットとしたCM)が作られていくのかもしれない。

 マーケティング的な話と文化的影響みたいな話とはレイヤが違うのでどうこう言うわけじゃないけど、やっぱちょっとびみょーな感じはする。


 でも、多チャンネル化状況で詳細にセグメント分けしてCM流せばほかの層にはステルスになって問題なくなるのかも。各チャンネルがコミュニティにアンテナショップみたいになる状況。そういう状況ではまた新たな問題が生じそうな気がするけど、そのときはそのときということで(cf. 暗黙の階層性 / セグメントの明示化)。



--
追記:
全く別の文脈だけど、「新しいメディアの効果による教養の格差という可能性」、についての話でリンクしたのでメモ。


「仁丹」或いは世代の条件(@Living,Loving,Thinking)
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070222/1172164952


ここでは「マスメディアによる想像の共同体 ⇒ メディアによって教養が仕込まれる」を前提に論がすすめられていてベタに正しいと思うんだけど、ぼくが今回のエントリで問題にしたような感じで「教養を中心にメディアが配置される」ようになるとどうなるんだろうか?

「ますます格差が進む ⇒ 各文脈の切断(ディスコミュニケーション) ⇒ 分断統治」的路線も考えられるけど、もうちょっとゆるくなんかないかなぁ・・。


あと、『見知らぬ他者と同時的に経験することの重要性の減少ということ』というコミュニケーションにおけるアウラの消失みたいな話は宮台言うところの「コミュニケーション流動性(代替可能性)」の問題とも通じる。友人とか恋人とか言っても容易にスイッチ可能なので、切られるのを恐れて深くコミットしない。


「他者の歴史を読まない」という問題は「コンテンツの文脈を読めない(あるいは各作品の関連性を重要視しない)」という問題にも通じるのだろうか。







タグ:広告
posted by m_um_u at 21:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007年02月21日

Middle Tailについての覚え書き(+「海猿」妄想)

 TB送ったら面白いTBをお返しいただいたのでお返しというか、つらつらと思ったことを書き留めておこうと思う。


 Middle Tailコンテンツが少しは商売になる兆し?(@Tech Mom from Silicon Valley)
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20070221/1172032267


 ポイントとして、

(1)MiddleTail系コンテンツの普及の場として映画祭が機能してきている


 iPodなどのモバイルガジェット用の動画は尺が短いものが好まれる傾向があるみたいで、ショートフィルムになりがち、と。
んで、サンフランシスコ映画祭、サンダンス映画祭などのショートフィルム部門がプロモーションの場として機能してきているみたい。

 日本におけるショートフィルムというとベッシーこと別所哲也さんが日本代表を務めているショートフィルムフェスティバルのことが思い浮かぶ。で、ちょっと見てみたけど、まだpodcastとかそういうことは意識してないみたい。DVD or Tシャツ販売がメインっぽい(参照)。流れでstaff blogも見つけた。映画話があって面白そうなのでしばらくわっちしてみようかと思う。


(2)Veniece改めJoostも要チェック


 Skype系の動画プロジェクトがVeniceからJoostに名称変更してたのを忘れていた・・(うっかり)。驚くほど高画質らしい。Skype系ということで簡単に動画コミュニケーション(交換)ができるようになるような気がする。ところで、高画質というとDivx 6.0なんか思い出すけどあれはどうなってるんだろうか(渡辺さんは激しく推してたけど)。

 動画もしくは音楽などのコンテンツを簡易に交換するということではiPod対抗なZuneが思い浮かぶけど、あれの売り上げってどうなってるんだろうか(まだまだこれから)?iPodコンテンツの交換関連では以下のtipsが便利げなんだけどMac用でちょっとがっかりした。


DVDの映画をビデオiPodで持ち歩く
http://blog.smatch.jp/yamasaki/archive/286


(3)SlingMediaとまねきTV訴訟

 日本だとソニーのロケフリなんかがメジャーな例のアレのことをSlingMediaというらしい(知らんかった)。ソフトタダ乗り論ということではまねきTV訴訟なんかを想起した。


ニュース NHK・民放5社、ネットのTV番組転送停止求め提訴へ(@NIKKEI.NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20070217AT1D0909J16022007.html

 一回まねきTV側が勝ってるのにしつこく民放側が訴訟を仕掛けてきているらしい(『最高裁への仮処分の申請が認められなかったため、本訴に移行する』とのこと)。持久戦でつぶしにかかるつもりか。 小倉センセも呆れておられたが、これが日本の現状ということだろう。現状というか五社協定のときから続く伝統と言ったほうがいいのかもしれない。YouTubeやRimoも他人事ではないわけだけど、それ関連のオフトークとしてはこんなことを言っておられた。

YouTubeやまねきTVや録画ネットがなくなれば、それを利用することによって、従来知ることができなかった情報を知ることができるようになった人たちがそれを知ることができない状態に逆戻りするだけの話です


benli: youTubeにリンクできないもどかしさ から2007年2月21日19時37分に引用

 そういうことなのだろうけど、恐竜達は気づかない(恐竜なので鈍感?)。長い尻尾をもった恐竜は草が主食なのでおいしい肉が転がってても気づかないのかもしれない。


 恐竜といえばMiddle Tailという言葉からはtailというよりも背びれを連想する。頭やしっぽよりも背びれのほうが日当たりが良いというか。社会学系だと中範囲理論みたいなスタンスだろうか。

 そういう意味ではtailというのは物語(tale)ということなのだろう。大きな物語(あるいは小さすぎる物語)から適度な物語への移行(あるいは並存)。


 あと、「海猿 Limit of Love」関連でちょっと妄想。

 あの映画の楽しみ方として原作マンガとの違いとか、「キノコトラウマを抱えたヒーロー」と「盗撮トラウマをかかえたヒロイン」の信頼快復の物語として読む文脈があるように思う。てか、加藤あいの場合ドコモダケということでキノコの国の王子様とお姫様の物語ということなのかもしれない。あるいはスーパーマリオ。

 そういうわけで映画の見せ場のシーン(火花が散ってるところからのヒロインへの告白みたいなの?)では溶岩ブリッジでのクッパとの戦いの場面を想起するのだけれど、映画を見ていないことはナイショだw


タグ:動画市場
posted by m_um_u at 19:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。