〈オンナ・コドモ〉のジャーナリズム――ケアの倫理とともに
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林 香里
岩波書店
売り上げランキング: 119985
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【レビュー・書評】<オンナ・コドモ>のジャーナリズム [著]林香里 - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)
http://bit.ly/fTPJU1
インターネットによって当事者の情報発信やつながりの場作りが容易になるにつれ、マスメディアへの信頼感は下がり続けている。筆者は元通信社記者の社会情報学者。「客観性」や「公平性」という倫理に縛られた結果、マスメディアは現状の社会のあり方の追認、再生産に加担してきたと指摘する。歴史や世界を見れば、「不偏不党」的立ち位置はジャーナリズムのモデルの一つに過ぎないと論証。弱者に寄り添い時に一体化する「ケアの倫理」にのっとったジャーナリズムを、マスメディア内外に見いだし再評価し、硬直化した従来型ジャーナリズムとの再接合を試みる。
基本は博論を元にした以前のこの書籍にもとづいたもの。それをもう少し分かりやすく噛み砕き、「シビックジャーナリズム」的視点を中心にオンナ・コドモにもわかるような、役に立つような、そして彼らや彼女たちの生活に寄り添うようなジャーナリズムの再生のための試案を説く。
「シビックジャーナリズム」というのは、簡単にいえば「テレビや新聞で追っているニュースが文脈的に高次になりすぎて新しい読者はなかなか話題に入っていけない」「入っていけたとしても自分の生活に根ざした関心から遠ざけられていってしまう」というような問題があるとき、新規参入の読み手・生活者の視点からニュース・ジャーナリズムの言論空間へ接続できるように促すようなジャーナリズムの形。
5W1Hに始まる基本的なジャーナリズムの訓練・経験を積んだ現場の記者たちが「あらたな読者」を自分たちで育てていくようなものも含まれる (NYT辺りで講習会やってたかな?)
ただ、講習会までやるとコスパ的に悪いので、産業・企業としてのマスメディアの組織上層には受けが悪くなる。
時間かかるわりには売上そんなに上がらないので。
しかし、ジャーナリズムが本来担っていた社会的機能
「社会で起こっていることを分かりやすく人々に解説する」という社会批評的な機能に基づけば、それはジャーナリズムを担うマスメディアの出自に基づく責任であり義務であると言える。
(※「社会批評としてのジャーナリズムの出自」については脱線するので今回は割愛。イメージはカフェの批評的ジャーナリズム、文芸的公共圏におけるそれ → カポーティに代表される職人的ジャーナリズム(ニュージャーナリズム)。それは個人の裁量に依るところが大きいので、営利型マスメディア企業が大きくなっていくに連れて大量生産が可能な記事の「型」が作られていった。「5W1H」は記者のinput/outputの型のひとつだし、「ニュースになる、売れるような話題」というのもその型のひとつとなる)
▽生活圏と言論空間のゲゼルシャフト/ゲマインシャフト的な断絶 (商業的回収)の問題
そういった生活圏、あるいは親密圏とのジャーナリズム(言論)空間の乖離の原因を、林はゲゼルシャフト/ゲマインシャフト的視点から論ずる。
先程も言ったような「営利企業としてのマスメディアが生活圏から離れてしまった」という原因を、「営利」-「経済合理性の氾濫」という視点から読み解く。
都市社会における経済合理性へのドライブ、がその内部に含まれるマスメディア企業に反映されている、という問題意識。
これ自体は「アリ」だとは思うけど、個人的には林の親密圏への見立ては旧来のものように感じられた。
林からすると、旧来のテクストに基づいて、日本の親密圏・生活圏のトポスはズレず、公共圏を間にして政治・経済(あるいはいまなら文化)的空間に繋がっている・あるいは対するというハーバーマス型のモデル認識なのだと思う。
しかし、ネット空間に接続していてリアルに感じるのは、一部の親密圏がより公共圏から後退してしまっているのではないか?ということ
曖昧な言葉だが「セカイ」系と一部で呼ばれているもの、あるいは「ひきこもり」的な感覚と近い
Togetter - 「セカイ系というのはどういうことか?についての不親切な説明」
http://togetter.com/li/117069
「どこから」「どこへ」ひきこもっているかというと、政治・経済(・文化)的なリアリティ、現状認識から逃げてマスメディアが創り上げた仮想の現状認識→想像空間へ依り、そこから現実把握している。
さきほどもいったように現代日本のマスメディアの創り上げる言論、それに基づいた想像空間というのは「売れるため」という志向に基づき一定の型に沿ってつくられたものであることが往々にしてある。
具体的に言えば、科学の専門知につながってなかったり、経済の専門知につながってなかったり…ほかにも様々な専門知の領域があるがそれらにきちんとつながってない。専門家にインタビューしたとしても記者の「こういう発言が欲しい」というステレオタイプイメージに沿って発言の内容を矮小化してしまうことが往々にしてある。
(対照に各学問の「界」も同様に「自分たちの『タメ』の議論を行っている」という問題はあるが、これは別の話題として置く)
とりあえずこのように言論空間と生活者(受け手)の双方が涵養した空気(フーコー的には権力)によって現状の認識が歪んでしまっている、という問題があるように思われる。
現状ではそれを修正するのは各生活者の「仕事」を通じた社会との直な交わりを通してしかないところがある。
▽言論空間の修正のために マスコミ(マスメディア企業の内部主体および組織)の組織改革の可能性
上記のような問題は「きちんとジャーナリズムしろやー」的な根性論では回収されないところがある。
なので必要なのは組織改革となる。組織を改革してきちんとした言論、生活に反映されるような虚飾・幻影ではない言論が保たれるような場を作る必要がある。
そのための視点も本書では少なからず挙げられていた。
生活者とマスメディア企業を前提としたプロフェッショナルジャーナリズムとの境界例として、オルタナティブではありつつ限りなくプロに近い射程としてフリーランス問題が挙げられその可能性・問題点が再考される。
フリーランスの問題というのは、
「大手のマスコミに勤めてる人たちはいい給料もらってのほほーんと既存の記事の型踏襲してりゃいいだろうけど、けっきょく地べた這いずって取材してくるのはオレたちじゃねーか。特に戦場とか、汚れた・危険な現場とか……そういうところは既存のニュースにはないセンセーショナルさを持ったりクリティカルな話題となるから期待されるんだけど、でも二束三文の薄給と引換だし…どっかの大企業のお偉い記者様と違って企業年金やら保証やらもないしなぁ。。いつ死ぬかもしれんのに (・ω・)」、
みたいな問題
あと、日本の場合は記者クラブ締め出しみたいな差別もある。
あれも結果的に自分たちの空気を観葉してることになってるのだが……「記者クラブ・番記者的なラポール(親交)結んでないと聞けない話題もある」というのもわからんことはない。
で、
こういったフリーランスの問題というのはけっきょくのところジャーナリズム、およびそれを担うマスメディア企業のジャーナリズムにおける労働環境改革論へと接続されていく
濱口桂一郎、2009、「新しい労働社会」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/160935453.html
「日本の非正規労働問題や雇用における非合理的な固定性はなぜ生じるのか?」ということを論じた観点のひとつ
本書(オンナ・コドモ)では具体的な提案として自営型労働(専門能によるフレックスをあげていた。
「全体がフレックスになればフリーランスへの差別もなくなるのではないか?」という視点
しかし、やはりそれでは根本的な解決にはならないように思う。
これは労働組織論の議論にそのまま接続すべき問題
その一例として上記(濱口)の視点では「メンバーシップ型の雇用をなんとかしなければならない」とされていた。結論から言えば
「日本の会社における現状の評価(給与)体系は年功序列制度として実質的に時差式のベーシックインカム(生活給)みたいな性格を持つ。そこに成果給がちょっと付加される感じ」
「それが現代の日本においては若年層や非正規社員には機能してない」
という問題があるので。
語弊はあるだろうがベタに言えば、「一部のメンバーシップ社員のために(生産性に基づかない)保障を機能させるのはアリかもしれないが、それで結果的に(生産性をあげている)非正規社員たちが『搾取』されている現状があるのではないか?」、という視点が基層になるとおもう。
こういった企業体質をどのように変えていくか?というのはマスメディア企業だけの問題ではなく日本の企業・労働環境全体が抱える宿痾のようなものとなっている。
おそらく、大企業としてのマスメディア企業(首都圏の主要キー、および大手)は自ら改革することはなく、ほかの企業が改革していった流れに従うことになるだろう。
あるいは、
言論人としての良心がまだ残っているのなら、一縷の望みはあるのかもしれないが。
▽幸福な接続例としての上越タイムス。ボラとコスト削減
最後に、現状の一縷の望み、希望の原石のようなものとして、林は以下の例をあげる
上越タイムス - “上越地域のことが一番詳しく載っている”地域日刊紙
http://www.j-times.jp/
新潟県中越地震を受けて運営がままならなくなっていた上越タイムスと市民ボランティア(NPO?)との幸福な恊働
NPOとの協働については現状でも続いているようでこちらに少し載っている
上越タイムス - 会社概要
http://www.j-times.jp/outline.php
こういった協働がシビックジャーナリズムの芽となって、震災後の土地に芽吹いていくといい。
「震災後の想像力」というものがもしあるとしたら、そういうものであって欲しいと強く願う
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