2013年12月08日

ゼロ年代批評とJ-POP  ロックはどこへ逝った?


この辺絡みで


ゼロ年代の「永遠」と終わりなき旅: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381638941.html

天使たちの輪舞(cont. おとなになること): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381807240.html




ゼロ年代の想像力、つか、ああいうヲタとニューアカ批評がくっついたあの辺以外、思想うんたら以外でも日本の公共性とか思考の軸みたいなのが枯れてしまったのだろうなあ(代表的とされる知識人の風景とか)って感じでぼんやりしつつ、「公共性」「fraternity」「徳」関連で「教養」とか知識空間掘ってる。



教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)
竹内 洋
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いずれまた別項でまとめるかもだけどここから伺えるのは「昔の日本は明治の似非ドイツ観念論な教養の伝統を軸にマルクス主義とかポストマルクス主義と化していってたんだなあ」ってこと


つまり人格の発展を人類全体の発展的な史観となぞらえていた。そこでは悪とか善みたいな目標がはっきりしてた。あるいは、はっきりしないながらも人格とか徳とかそういう型や雰囲気の全体を先人から看盗っていた。そこで目指される「教養」や「人格」もはっきりとした内容のない空体的なものだったのに、なんとなくそれを目指すように人格的・品格的な文学が読み継がれその中で「主体性を持つように」と目標とされてきた。なにがどう主体的なのかもおぼろげなままそこから「逃げちゃダメだ」と走り続けてきた。


それらの価値や内容はおぼろげでもその受け皿としての就職口が安定していたのでそういったおぼろげな教養がユーティリティコードとして機能していたのだろう。



反面、ゼロ年代的なものとしては日常系とか空気系があげられてそこでは倒すべき目標とかそういう単線的な思考がない。それらを諦めた上での日常への停滞とループ的なものとか、そういった定形をいくつか重ねつつ「善も悪もない」的に敵味方入り乱れてバトルロイヤルする。



そういうのは時代精神というか、パラダイムのようなもの全体として日本を覆ってきてたのかなあって感じがする。日本は思想とかの言葉になると格好よく偽装してボカして分かったふりするのでわけわかんないとこあるんだけど、アニメとか小説とかの文学的なモノのほうがはっきりとそういう精神史が表れるような。


オタクの系譜としてはヤマトとかガンダムなんかが一期にあって現代は四期ぐらいにあたるのだろうけど、一期の富野が進撃の巨人をダメダメって言ってた
http://www.j-cast.com/2013/12/04190834.html

対称として進撃の巨人の作者のインタビューなんかを見つつ
http://white-screen.jp/?p=32621


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「ARMSとかに影響受けて」「一番は「マヴラブ」の影響」ってとこでなんか富野が「( ゚Д゚)<あんなエログロダメですよ!」って言っていた違和感になんか納得したり。


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エロゲな想像力ということで虚淵のそれにも通じるのだろう。そして「人間って何をするかわからない自然現象のようなものだと思うんです」って感覚。


このへんの感覚はポストモダン的な「なにも信じられない」なアレをデフォとしつつ旧来の品格とか徳とかなあれをデフォルトしたものなのだろう。


その上でサツバツの中から性や死についてあらためて考えていく感覚。


エロゲのエロは単なる釣りでありおまけ菓子のおまけ的なもので、その性描写は記号的に消化されたりスルーされるのがふつーになってるようで、

逆にそういうのに担保されてシナリオの部分で死や実存を巡る問いや暫定的な答えが深化していったのだろう。特にコミュニケーション面でのそれが。


あのあたりの文化系現代っ子の特性としてコミュ症と自嘲・自虐されるような自意識の持て余しとコミュニケーションの下手さやナイーヴさがあるわけだけど、その辺りの問題に焦点していったのがエヴァンゲリオンなんかだった。



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エヴァはロボ合戦的なストーリー的には大したことなくて、もともとはそのアニメーション的な動きやキャラデザインを魅せるためにストーリーはそれまでのアニメ・特撮のお約束と箔付けの心理学・グノーシス用語からコラージュされたものだったのだろうけど、その中で主人公たちの実存的悩み、コミュニケーションを巡るそれだけはホンモノだった。それは庵野の投影だったから。庵野の投影であり同時代の文化系の子たちに共通の悩みだった。言ってみれば現代版「若きウェルテルの悩み」。ただし、中間(社会)はなくコミュニケーション的問題だけに焦点される。コミュニケーション中心のビルドゥングス・ロマン。


TV版の最後のほう、ロボット大戦的なところは捨象してシンジくんがほかの登場人物たちと心のなかで語り合っている部分が真実で、エヴァはシンジくんのコミュニケーションに対する葛藤を巡った心象風景の具現ということになる。まどか☆マギカなんかもそういった意味合いでエヴァの系譜にあげられる。



あのあたりのゼロ年代アニメというのはだいたいにおいてこういった普段のコミュニケーション的な悩みを基本にしつつ、それを心象風景における戦闘状態の隠喩にすることでかわしたり(ブラック★ロックシューター)、敢えて触れない(日常系)ようにしてるわけだけど、「進撃の巨人」が変なのはエロゲの系譜からそういう背景もインストしつつもその部分にあまりナイーヴになってないことなのだろう。かといってガンダムタイプの古い形のビルドゥング・ロマンでもない。主要人物たちの葛藤や精神的な変化を見てるとビルドゥング・ロマンなことには変わりないんだけど、「人間は何をするかわからない自然現象」的な諦念とリアリズム、社会性動物としての人間の権力志向のえぐさみたいなのも見えてる感じ。あと、若い世代からは「男女ををふつーに同列にあつかってるから」ってのがある。まあそのへんはエロゲな性の記号性によるのか、あるいは作者世代のユニセックスな感覚によるのかわからないけど。絵はヘタウマだしコミュニケーション的な場面でなんか変な間がある。



そういった意味で「進撃の巨人」はゼロ年代的なあのあたりからすると「変」だけど、わりとふつーのビルドゥングス・ロマンの系譜に属するのだろう。



その辺りから「ゼロ年代の終焉」みたいなことを想う。

未だ読んでないけど「ニッポンの思想」で言ってるようにゼロ年代的なあの辺の特殊はこの期間に特殊なものになっている印象。竹内洋さんからすればヲタクってことだろうけど


ニッポンの思想 (講談社現代新書)
佐々木敦
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ここ10年ぐらいで終わるのかもしれない

タイトルの「ニッポン」というカタカナ表記がまず目につく。具体的には、「ニューアカデミズム」発生以降、「ゼロ年代」というコピーがはびこる現在までが扱われているのだが、この前後において「日本の思想」の歴史には「切断」が存在していると考えられており、その「切断」で切り取られる期間が「ニッポン」と呼ばれている。
 言い換えると、ニューアカ以降ゼロ年代までの「思想」は、ある種、異例な状態にあったが、その状態はそろそろ終わる(「切断」される)という主張が、「ニッポン」というカタカナにはこめられているのである。  表面的にはそれなりの「変遷」がありつつも、「ニッポン」で表象される「思想」を貫通していることとして、著者の佐々木敦は4つのキーワードを導入する。  「パフォーマンス」「シーソー」「プレイヤー」「思想市場」の4つだ。
 「ニッポンの思想」は、「思想」の「内容(何を語るか)」よりも「パフォーマンス(いかに語るか)」によって成り立ってきたものであり、「シーソー」のようにギッコンバッタン極端から極端に振れているだけである。そこで重要なのは、その「パフォーマンス」を演じている「プレイヤー」であり、優劣を決めるのは「市場」すなわち売れたかどうかである。
 要約すればそのような「変遷」がキーワードのもとに語られていく。俗に「論壇プロレス」といわれる見方にちかいが、佐々木は「舞台」「ゲームボード」と呼んでいる。  「ニッポンの思想」を「80年代」「90年代」「ゼロ年代」の三つに分けて、それぞれのディケイドでメインの「パフォーマンス」を張った「プレイヤー」数名を拾い上げていくというのが具体的な構成で、取り上げられるのは8人。

 80年代=浅田彰・中沢新一・蓮実重彦・柄谷行人
 90年代=福田和也・大塚英志・宮台真司
 ゼロ年代=東浩紀

 「ゼロ年代」の「プレイヤー」が東浩紀ひとりであることに注意されたい。つまり「ニッポンの思想」とは、浅田彰に始まり東浩紀に終わるギッコンバッタンだったということである。
 それさえおさえてしまえば、「プレイヤー」個々の「思想」の「内容」にはそれほどこだわらなくてもよい。

http://bit.ly/1bruvVL


ニューアカというのは言ってみればJ-POPのようなもので、80-90ぐらいにでてきたそれまでの歌謡曲的古典の捨象と洋楽的憧れとテンプレによるものなのだろう。なので洋楽的普遍性がない。

まず、マルクス主義の話から始まり、それが日本の現状とズレてるのに、ゴリゴリやって空回りという前提話をやって、そこに消費文化の成熟で「なんとなくクリスタル」な時代となると、理性批判なフランス現代思想がやって来て、ジャーナリズムや広告などの影響下に「日本版現代思想」となりニューアカになると。んで、それが90年代には終焉に向かい、思想の「スター化」ガ「カンタン系デフレ・スパイラル」し「水戸黄門化」したとのこと。

http://bit.ly/1brukd5


ドイツ観念論・ロマン主義を軸とした教養は本来、キリスト教規範的な精神の修練の方向を目指していたが、明治に移入されたそれは宗教的情操と倫理という軸を理解せずに教養の上辺の部分だけを吸収してしまった。そしてそれは田舎の郷士や農家出身の「成り上がり」たちが格好をつけるためのツールとなっていった。そこに彼らのハビトゥスとしての品格やら作法のようなものが加わっていった。


それはそういったシステムがうまく機能していた時代には良かったのだろうけど、大戦や就職難などといったシステム崩壊によってそれらの範は単なる抑圧の装置となっていった。


「太陽の季節」に代表される戦後のアンチ教養主義の動きは音楽におけるロックな心性と同期するのだろう。どちらもアメリカ文化を範とするということで。


ドイツ観念論的教養に対向する形で経験と実践・運動の志向としてマルクス主義が取り入れられたのだけれど、それもいつの間にかエスタブリッシュとして若者たちを圧する教養となっていった。マルクスの思考に日本の教養的なエートスを加えて独自のものになっていたので。

丸山真男-大塚久雄-小林秀雄-福田恆存-吉田健一あたりの思考空間ではそれらを踏まえ、「より中立で学術的な知を」ということでポストマルクス的な思考としてヴェーバーが参考にされたり、ヴェーバーがモデルにしていたイギリス保守思想がなんとなくニックスされていたのだろうけど、そういった先進性を解しない学生たちは依然として当時の教養だったマルクス主義的なもの、あるいはドイツ観念論哲学や文学などの教養を積み、その上辺の窮屈を打破すべく運動へと突入していった。


音楽のアナロジーで言えばヴェーバーを基調としたそれは「UKロック発見」て感じだったのだろう。太陽族を始めとした大衆の感覚もアメリカン・ロックへと傾いていた。

しかし知識層に属する学生たちはフォークを選んだ。

フォークの歴史は未だ詳しくないけど、アメリカの運動系の学生たちが好んだ、ということからの真似っこだったぽい
http://bit.ly/1brxIEZ

いちお「民謡から『民衆のための』音楽が彼らの中で作られていった」ということになってるけど、その「民衆」というのは運動をする彼ら学生の範囲に限定されたものだったのだろう、fraternityのごとく。すくなくとも日本では。


ロックもフォークも若者がカウンターカルチャーするフェスとしては同じように集められていったけど、日本の学生運動の風景はフォークだったように印象する。それは機材の問題もあるだろうけど。


丸山からのUKロックな流れは丸山→小室→宮台で一応継がれていった。


鶴見俊輔ら思想の科学系がどの辺りに入るのかなあとぼけーっと思うに、あれはJ-POPにおけるはっぴいえんどからハナレグミぐらいに伝わってるオルタナなあのへん、、なのかなあ。そうすると丸山からのそれは歌謡曲かあ。日本的なロックな歌謡曲(アルフィーとかB'zとかそういう)。


マルクス主義が演歌→フォークで、観念論的教養が浪曲・民謡あたり。


小熊さんとかはそういうので感覚的に鶴見-はっぴいえんどな立ち位置かと思うんだけど(まあ小熊さんの音楽聞いたことないからしらんけど)、ライトサヨな人たちは鶴見ラインて感じでもなく・・ミスチルとか坂本龍一ぽい。ロックというかニューミュージックというか、、ポップミュージックな感じ。

なので坂本龍一+ミスチル - ライトサヨなところが浅田さんとかの歴史遮断ニューアカな80-90年台J-POPて感じなのだろう。渋谷系はその派生だし。まあロキノン界隈というか…

東さんはそういうのをまたポストモ断したゼロ年代的なアニメ歌って感じ。内田じゅはマルクス主義の現代版なだけで昭和歌謡リバイバルぽい


あのへんのダサさとかわけわかんないとこはだいたいこんな感じでマッピングされると思う。


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問題は丸山-大塚-小林-吉本-鶴見辺りであったあのあたりの思想空間とのつながりがどのように消えていったか、ということ。


仲正さんの本は未読だけどレビューからだとあのあたりを射程としつつその内実については自らが業界からハネられたことの怨嗟に基づく類推になってる印象がある。


たぶん、そういうのよりはもっと産業的な問題が絡むのだろう。J-POPにおけるそれと同じように。学生運動の失敗でマルクス主義ともどもロックな思考も総スカンされてしまった影響。



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著者によるとこれは音楽業界が作った言葉。「J」なんていう文字がここに使われた背景には、日本人が深層心理で抱いている国際志向ファンタジーが、ついに具現されたヽ(*'∀`)ノというニュアンスが含まれているのだそうです。ここでまず深く納得。しかし著者の検証はそれだけでは終わらなかった。次はハード面からのアプローチです。CDという記録メディアが誕生してそれまで記録媒体ごと(レコードorテープ)に分断されていた音楽分野・リスナーが統合された。この、あらたに統合された音楽に、なんと呼び名をつけよう? ここで用意されたブランド名が、ほかでもないJポップという言葉だった、というのです。このたたみかけるような論拠……。この結論づけ方はあざやかというほかないと思います(44ページあたり)。 Jポップにハード面の進化が与えた影響、テレビとのタイアップで発展した90年代、カラオケと自己表現、音楽産業として見た場合の日本の特殊性などなど、いろんなところにあらゆるソースから数字を引いてきつつ説明してあるので、容易にJポップの変遷をおうことができる本。

http://amzn.to/IxLR8Z





自分的には福沢諭吉が先見していたイギリス的な保守のあり方がどのように潰えていったか、あるいは、どのように継がれているのか興味ある。


ヴェーバーのイギリスへの志向に基いて丸山真男の関心はそのあたりであったようだし、ヴェーバーを軸に大塚久雄も絡んだ。

小林秀雄も白洲次郎つながりでその辺りだろうし、吉田健一も絡む。


「ポストマルクス主義」ということで吉本隆明なんかも絡んだのだろうし、鶴見俊輔も同様だったのだろう。



それらのなんとなくの年代史は「民主と愛国」から見られるけど、



〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性
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自分の興味に近づくためには各論から掘っていったほうがいいのだろうな。いちお再読してみよう


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2013年12月07日

共同体における宗教的情操と倫理やら徳やらの原型について


「銃・病原菌・鉄」の下巻をいちおまだ読んでいるんだけど、

文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
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やはり上巻に比べてインパクトはない感じ。まあ本書全体の内容は上巻でほぼ言い尽くされていて、その仮説を裏付けるためのよもやま話的なものが後半なので知的興奮は特になくダラダラと話が進んでいる。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381807240.html


そんで全体としては「西欧の発展は偶然、地理的・環境的偶然(あるいは生物の植生的な)」の繰り返しになってる。まあ主に生物学+歴史な視点。


なので「人」の特殊性に関わる部分の記述は薄いように感じた。つまり文化人類学なんかでいわれる「機能主義的説明では説明しきれない部分」なあれ。人は機能的合理性で「この国の文化はこの国のものに対して○○になった」だけでは説明できない形で文化を選択していっている。たとえば「地べたに座ること」なんかがあるけど、機能的に考えれば地べたに座ることはどうということもないはずなんだけど世界的に見て地べたに直接座ることはなぜか嫌がられてる。胡座とか正座なんかも特殊だし。そういうのは文化的志向(嗜好)ということになる。機能的に考えれば「わけわからん」部分。


おそらく交換の形が贈与経済的なものから市場経済的なものに切り替わっていった際にもこれが関わっている。マーケットの話、あるいは銭をめぐる呪術性については赤坂憲雄さんあたりの民俗学的な話でもうんたらされてて「銭を使った交換は特殊なものなので都市の外で行う。司祭が間に入ることで」みたいな話があったと思うんだけどああいうの。「金銭というメディアがまだなんの信頼も持たなかったときにその信頼を共同体のビッグマン的な人が代替した」ともいえるんだけどそのときに選ばれるビッグマンは宗教的属性を帯びていた。

というか、それ以前、文化的なものが作られる以前に人は宗教的なものをもっていたみたい
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/03/gbekli-tepe-c82.html


「最初に歌があった」というのは「不思議な少年」だったけど






歌にせよ音にせよそういった機能的ではな価値は宗教も含めて「文化」なカテゴリに入るのだろう。システムや文明に対する文化。




贈与経済ヽ(´ー`)ノマンセーな人たちは「原始共同体の最初には贈与があった」みたいな話になりがちだけど、人以外の動物、たとえばサルなんかは人に近い組織をつくるけど単純な交換や互助は見受けられない。
http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20131204/1386181351


「互助≠友愛≠fraternity≠贈与交換的な志向の名残」として贈与経済からfraternityや弱者救済の習慣への可能性はあるかもだけど、それは動物に汎用・起源なものではなく、人が動物として特殊・異常なものになってからできあがっていった文化ぽい。


「なぜ人は特殊なのか?」といえば「人は死を知る」から。


人は自我かなんかの関係で自分が永遠でないこと、あるいは世界の中の自分というものを自覚するようになり、そうやって自分の死や限界を悟るようになる。


宗教というのはまずもってその部分への恐れを払しょくするために生まれたのだろう。個体としては死を乗り越えるため、共同体全体としては共同体に振りかかる死(災厄)を祓うため。


道徳というのはそういった宗教的情操、というか死を「みんな」で分かつ文化の中で出来上がっていった特殊な価値なのではないか?


物々交換、というか「誰かに与える」「(タイムラグがあって)そのお返しがある」という交換の約束もまず「与える」というのがあるのであって、そのとき「そのお返しがある」というのは期待されていたのかな?とおもう。


たとえば動物でも母子であれば子供には食物を与える。この部分は利己的な遺伝子のプログラムだろう。しかし通常その範囲は母子以上には広がらない。動物の場合、父子であればそういった関係はないのが当たり前だし、利己的なプログラムによって遺伝子強者によるハーレム的な状態がふつーな動物界においては自分の子以外は殺すのが当たり前なので。
http://gitanez.seesaa.net/article/21068553.html


セックスはなぜ楽しいか (サイエンス・マスターズ)
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文庫 人間の性はなぜ奇妙に進化したのか (草思社文庫)
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(この本はまだ読んでないけど)「排卵を隠すのは乱交上等にすることで誰の子かわからなくし、子供に害を与えないようにするためだった」というのは民俗学方面の「日本でも乱交上等→誰の子かわからないけど共同体全体で育てる文化があった」あたりが思い浮かぶ。

利己的な遺伝子のプログラムに従ってるだけの動物だとハーレム状態が当たり前で、つまり交換財としてのセックスが1頭に独占された状態が当たり前かつ合理的になる。

では財としてのセックスの機会がほかの雄にも振り分けられるようになったのはなぜか?

遺伝子の優生学的プログラムに基づけば「どの雄も同じスペックを持つようになったから」ということかと思うんだけど、そういった生物学的視点だけではなくこの部分に文化が関わるのだろう。


ここでもダイアモンドが叙述していたように「猿人の女たちは、排卵を隠すことによって多くの男たちに性的恩恵を分け与えることができるようになった」ということ。「女たち」がそれを選んだ。


ダイアモンドはその説明を生物学的な合理性にもとめるのだろうけど、ふつーの動物ではそういった子殺しを嫌がったとしても止められないし、たとえば我が子を殺されたとしても人のような情緒的な痛みを長期的にひきづるとは想像しにくい。

ここでふつーの動物よりもシンボル-思考において進化した人間が動物よりもより長期的な展望を臨める思考エンジンを発達させ、それと同時に死を知り、情緒のようなものを発生させた可能性がある。



「人は死を知った。しかし、その恐怖と不安を払しょくすることを情緒的に我が子に仮託する」


その拡がりがfraternityぽい。



それが宗教的な価値の原型、あるいはそういった価値や志向がなんとなくあったものにかんがみて宗教的な規範に容れられていった。


キリスト教の原型、ユダヤのそれでは弱者救済的志向や規範があったのかびみょーなんだけど、11cヨーロッパでキリスト教に告解などの要素が表れ、宗教的価値体型や規範もさらに分岐し以前よりも大宗教化していった頃、行政のアウトソースとしての弱者救済の役割を引き受けるようになった跡がある。

ローマカトリックが普及していった時期、貧者の救済などの動機として。法人的免除特権の代わりに貧者救済。ローマは社会保障と司法権の一部を教会に分担させた。
http://bit.ly/bRfiOJ




なのでこの部分の宗教的規範、弱者救済に関わる宗教的価値や規範というのはもともと「死を共同体で分化させるため」のものだったと思われる。つまり死をフォーカスしたもの。

そういうところで実存哲学とか文学における存在と死に対する関心、あるいは実存哲学が帯びる「教養を積んで人格を形成する」という暗黙が関わってくる。

教養-Bildung とはもともとキリスト教的なお勉強知識を指し、それを研鑽することだった。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381900726.html


教養小説(ビルドゥング・ロマン)のもっとも代表的なものとして「若きウェルテルの悩み」なんかが挙げられるけど、ゲーテの位置であるロマン主義的なものというのは死と生に関わる耽美として形成されていった。あるはトマス・マンなんかにしても。


それはもともとのキリスト教的な教養体系から生と死の思考をより自らの生活に即して考えるために分岐したものだった。



なので、日本における徳の役割というのもおそらくその辺りなのだろう
http://bit.ly/1dWqxbo


日本の徳が儒教的道徳との関わりで広まっていった、それがそれぞれの共同体の富者の教養として身に付けるべきものとされ、また共同体に対して効果があった背景はそういったものと思われる。


日本のその辺りの感覚、あるいは近江商人的なそれがしばしばプロテスタンティズムの倫理と比較されその相似を謳われるのはこういった背景だろう。


なので正確に言えば「プロテスタンティズム的なまじめさが資本主義を駆動した」というよりは「(死への不安を背景とした)宗教的な互助の価値(教養)への志向がまずあり、互助の精神に基づいた規範を共同体のビッグマンたちが体現していたことが再帰的に共同体の統治・取引における信用の担保として役立った」ということ。


当時のボロボロなドイツの情況からヴェーバーが憧れ理想としていたイングランド産業機構と統治の内実というのはこの辺りになるのだろう。


プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)
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ドイツ教養市民層の歴史 (講談社学術文庫)
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国家を官僚という機械が操るようになったように、産業を商人たちが統べるようになった。

その巨大な2つのエンジンによって19-20cの資本主義的な政治経済体制は駆動していた。


官僚というエンジンの手綱を握るためにチャーチルのようなマキアヴェッリ的、あるいはカエサル的なカリスマ政治家が要請され、さらに権力がそれらに集中しないようにカントリージェントルマンたちが政治的公共性を担っていった。




それらを日本的に移入しようとしたのが福沢諭吉であったし、丸山真男だったぽい。(吉田健一とかも



タグ: 公共性 贈与
posted by m_um_u at 18:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2013年12月05日

うそつきサヨクの杞憂曲



世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。


                               福沢諭吉



















今日もTL的な風景から連想した印象的な日記





猪瀬っていうかその背後の石原なとこまで利権のつながりの一端がアリアリとわかってしまったようで
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2013/12/post-35c5.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37655?page=2

まあそれ自体は以前からなんとなく予感されてたことなので予定調和的ではあるんだけど、それ系で初めて徳洲会と会長の姿を見て「(´・ω`・)あ、Z氏だ」って思ってた
http://twitter.com/m_um_u/status/408423949874114563






それ以来あのあたりのドタバタは黒田硫黄画で脳内変換されてるわけだけど、昨今の放射脳つながりの秘密保護法案デモも似た感じのドタバタだなあって


彼らは石原-猪瀬も「保守」として嫌ってるので、このへんの話とかも好物なんだろうなあとおもいつつ、「都庁にZ氏するのは猪瀬なのか石原なのか( ^ω^)・・・はたまたサヨク向けに別の偶像がいるのかなあ」ってとこでハリボテ綾瀬はるかのことをおもったり。そんでその偶像に向けての巡礼が今回のデモなのかなあ、ってボケーッと。



大日本天狗党絵詞ではかつての栄光を追われ野良と化した天狗(鴉)たちが自分たちの威信を復活させるために天狗力でクーデターを起こして日本を乗っ取る話なんだけど、乗っ取ったところで「天狗は群れて政党なんかつくるものなのか?」ってアイデンティティの崩壊を起こす。物語的にはそこで「天狗とは?」の問い直しのためのギミックが用意されるわけだけど、そうやって運動のための運動とかした運動の中で自分を失ってく姿がなんかサヨクっぽいなあ、とか。


サヨクの黄昏というか優しいサヨクの嬉遊曲というか。



今回のドタバタもイデオロギーの関係ないコモンセンスのところではこのへんが挙げられて
http://twitter.com/m_um_u/status/408430999115014145
http://twitter.com/m_um_u/status/408431324676898816
http://d.hatena.ne.jp/aliliput/20131205


その辺を検討すれば「( ^ω^)・・・手続き的には強引だしちょっと疑義あるけど、まあ仕方ないかねえ。6:4か7:3ぐらいかなあ」ってのがリスク/ベネフィットな計算だと思うんだけど、視野狭窄な子供的潔癖なサヨクな人たちはそういう話をしても「やだ!やだ!いまお菓子がほしい ><」って駄々をこねる子供のようなので。まあそれはそれで仕方ないのかなあってとこなんだけど(大勢に影響なさそうだし)



国会で実務当たってる人とか、沖縄-普天間な問題と中国の防空識別圏の問題の線引で安保調整なうんたらしてるひとからすると「( ^ω^)・・・なんですかこのお気楽感は」ッて思うのは当たり前というか。。まあ「( ^ω^)・・・なにもわかってねえなこの厨どもは」ッて思うのは当たり前のようにおもう
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-18a0.html


けっきょくあのへんのサヨクのひとたちはなんとなくのイメージで「わたしたちに隠れていろいろ進められる」「わたしたちがいつの間にか監視される」って陰謀論と不安の塊だから。。そして、考える脳を駆動させない分、自分たちの周りの「世間」の知に頼るのだろう。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380874839.html

つまり彼らの言ってるのは一見論理のように見えて単に「周りがこう言ってるから」にすぎない。なので彼らの周り以外の言葉は通じない。たとえその話題に関するコモンセンスを差し出しても。



「それが大衆の群像」ということかと思うんだけど、彼ら自身は自分たちを教養市民層かなんかと勘違いしてる。。


それはおそらく戦後岩波アカデミズムを中心に築きあげた反動的なサヨク主義であり、その一番の原理は「反戦」だから。民主主義とかヒューマニズムとかの言葉を彼らも用いるけどそれ以前に漠然とした不安がこの「反戦」教義に結びついている。それを表面的な科学/理性信仰がコーティングして彼らのサヨク教が完成してる。それはマスメディアを中心に大学・小中高と「当然」とされている。


「彼らがヒューマニズムをタテマエなものとしている」という理由は、彼らがそういった目先の、特に実害のなさそうな、秘密保護法以前から実質的に秘密にされ、記者クラブが当局と癒着ベタベタの広報機関と成り果て特定機密の掘り出しなど滅多に起こることもなさそうな、そういった秘密保護法案に「知る権利」なる言葉を代表するかのように切り込むとき、それが前景化すればするほど現時点で生じている沖縄の問題を後景化していることについてなんとも思っていないようだから。

防空識別圏絡み、あるいはそれ以前の中国の台湾・沖縄侵略が現実味を帯びてきた現在、沖縄の基地負担はますます確定的になるだろうし、彼らが実際に生活する中で受けている騒音や不安は秘密保護法で懸念されるいくつものifの重なりの何倍もリアルな現実なのだが、その部分について彼らは無視をする。その欺瞞と偽善、エゴについては反省など皆無で。単なる潔癖だけではなく論理的にきちんと考えれば対中脅威の現状がある中で外交プロトコルとしての秘密保護法施行は必要あることだとわかるだろうし、その部分にNOというのだったら代替案はなに?という話になる。その場合、日本が独力で防衛しろということだろうか?そうなると彼らが嫌うだろう軍備拡張にさらにつながることになるのだが…。

もしくは単純に「自分たちの周りにはそういった不安や瑕疵は寄せ付けたくない」というだけか?それは言ってみれば「本土にはアメリカ協調はいらない(沖縄が全部背負えばいい」ということなのだが…。その無情な想像力の無さには彼らは鈍感なのだろう。

彼らの言う「民主制に対する冒涜だ!」ひとつとってもこういった自分たちが「採決の日に議員を国会に容れなければいい」とか議会制民主主義を舐めてるので説得力皆無だし
http://morutan.tumblr.com/post/69000387318
http://togetter.com/li/598723


原発-放射能汚染への過度の不安のときでもそうだったけど、かれらは単に自分たちが不安なだけで、そのエゴで不安を表明していた。そうであるならば単に「わたしはこわいです」って言っておけばいいのだ。みょーに一般論を振るって移動する自由も持たないひとたちに格差を感じさせるよりは。



なのであのあたりはサヨク教という宗教としてマッタリ見ていこうと思ってる。あるいはこの方がいみじくも言っているように「サブカル」と同じ。サークル活動なのだろう
http://synodos.jp/international/6364

彼らはサヨクという保守なのだ。なんだかきみょーな転倒があるけど。どっかの右翼の有名な人が言っていたように「現在は右翼だと思ってたところがサヨクになってたり、サヨクだと思ってたところが右翼みたいになってたりです」っていうあれ。あるいは「民主と愛国」で少し照射されたような「戦後は民主という言葉が右翼的に使われていたのにしばらくしたら転倒しまった」的なもの。あのあたりは結局は言表的な変数に過ぎないのだろう。パロール的なものというか、、表面的な記号的なもので、なので表面としてはころころ変わる。その内面としては戦時中の群衆と同じような、あるいはフランス革命の暴徒と本質的には変わらないのだろう。彼らがサヨクという看板を背負っていてもウヨクという看板を背負っていても、本質は同じなのだ。


〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性
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そういったサヨクが保守として築かれていった歴史についてぼんやりと想う。


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同時に、日本で「教養」としてイメージされていたものの変化も。戦時中は教育勅語的に戦争と天皇を信奉してきた連中が戦後には反戦/民主主義に表面的にそれをすり替えた様を






ドイツロマン主義的実務と内面の断絶を
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381011164.html


(以下、まだウィキペディア程度の知識だけど)


近代日本の教養は本来のBildungの伝統を捨象して「エリートの嗜み」として移入されてきた。その背景には伊藤博文らプロイセン派と福沢諭吉ら英米派との対立があった。

伊藤らは自らの官憲的掌握と自らの出自のごまかしのために教養-教育を彼らニューエリートの箔付けとして利用していこうとした。福沢は蘭英米の経験主義にもとづき実学としての学問とその周辺の精神性を日本に当てようとした。


結果的に伊藤を主軸として東京帝大はプロイセン型の学問の府として建てられていった。


福澤が目指したのはエドモンド・バーク → トクヴィルに通じるような経験知に基づいた啓蒙主義とカントリージェントルマン的な矜持や倫理、コモンセンスのあり方だったのだろう。


しかし結果的に日本は伊藤ら官憲派のエゴのための教養が栄えていった。



そういった教養の出自が日本の知識空間をみょーなエリート主義に歪めていったのかなあ。。


エゴイスティックでナイーヴで、その癖、その過剰なナイーヴさで結果的に他人に迷惑をかけていくようなそういった正義()のあり方。戦後サヨクや現在のサヨクにも通じるような、エゴイズムと偏見に基づいた薄っぺらいヒューマニズム。それらはいつも自分たちは直接的に手を汚さない形で潜在的他者を殺してきた。


そこからすればたとえあからさまなどぶ板で、エゴイスティックな袖の下に見えようとも「自分たちのため」に離島の医療を普及させていった徳洲会のあり方というのは評価できるように思う
http://togetter.com/li/598973



あるいは福澤的な質実剛健なマッチョイズム。彼らからすると決断主義(m9(^Д^)プギャー)ってされるのかもだけど
http://riekonaito.blogspot.jp/2012/08/201111.html





まあ彼らのアレはそういう宗教なのだろうしサークル活動なのだろうからあまり直接に言って気分を害するのもよくないのだろうし、言ったところでもどうなるものでもないのだろうからボケーッと見ていこう。


「きったねーな」って内心で思いつつ
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381807240.html







(あと、サヨクデモ巡礼の連中にコンドームとか巡礼まんじゅうとか売れないかなあ、とか (/ω・\) モン・サン・ミシェル詣での巡礼客にデュ・ゲクラン人形売ったように。あるいは迷惑料として天狗代みかじめたらいいんじゃないかな)
http://ch.nicovideo.jp/yamasitataihei/blomaga/ar404613








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2013年12月04日

教養と常識と良識



朝にこのあたりのヤンキー論を見て
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37682

「嗚呼…またイヤなもの見たなあ」とおもっていちお詳しく批判しつつ
http://bit.ly/1bet8Jc

結局はあのあたりは公共性のねじれとかそのあたりなのかなあとぼんやり思ってたらアレントの映画の感想が流れてきて
http://air.ap.teacup.com/lafcadio/1439.html

「それってモティーフとしては『愛を読む人』に継がれてて人間ドラマとしてはそっちのほうが重いよ」と思ってたらその感想も書かれてた。
http://air.ap.teacup.com/lafcadio/1098.html

主人公の名前もハンナつながりで


ナチスでユダヤ人収容所の刑務官にあたった女性の話なんだけど冒頭はそういうの関係なく年上女性と10代の青年の性愛の話として進んでいく。「彼女はなぜか情事の前後に本を読んで欲しがった」という奇妙な話として


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ネタバレしてしまうとこの女性は字が読めなくてそのことをずっと恥じていた。ただ、それを言い出せなくていろいろな年下の主人公との別れもそれがきっかけになったり、裁判のときにも不利な証言をすることとなる。証拠として挙げられた文書に意味もわからず署名していたので。


表題の「愛を読む人」というのは彼女が寝物語に本を読むことを主人公にねだっていたことと、刑に服した彼女のために主人公が本を朗読しテープに録音し届けていったことをかけている。

自分が理由なく捨てられたことに青春の傷を抱えていた彼は裁判の過程で初めて彼女が文盲だったことを知る。そしてそれを恥じていたことを。そのことに気付き、それを法廷で証言すれば彼女が不利な立場から救われることを知りつつ主人公は葛藤する。

「刑に服するより公衆の前で文盲だと明かされることを彼女は恥じるのではないか?」「しかし、それを黙っていることは自分が過去に無碍に捨てられたことの復讐なのではないのか?」


けっきょく彼は黙し、彼女は刑に服することになる。



主人公はそこに呵責を残し、それがあらたに「愛を読む」ことにつながっていく。



最後の場面、彼女と出所後の話になったとき「いい身元引き受け人を紹介する」と主人公は言う。彼女はその親切に表面的には感謝しつつ、翌日自殺してしまう。


「愛を読む」ことを通じて彼の愛が自分に還って来ていることを期待していたから。あるいは「身元引受人を紹介する」ということで現実社会における自分の位置、前科者という惨めを一気に背負うことになり、彼との間の距離に自らの自尊心が堪えられなくなった、から…。


その答えは明らかにはされなかったのだけれど、彼女が文盲がゆえにコンプレックスとプライドを、誇り高く生きていたことが印象的だった。そして彼との遠出で立ち寄った教会の賛美歌に涙する姿も。



自分の過去の恋愛に重なるところがあるからなのか、あるいは永山則夫的なモチーフ(文化資本が足りないがゆえの構造的な悪を生まれながらに背負うこと)になにか感じるところがあるからなのか、なんとなく印象に残った映画だった。




別件で「差別やいじめはダメです!具体的にはこういうの」って教条的に教えていく教育の無意味さみたいなのを見つつ
http://kabux.hatenablog.com/entry/2013/12/03/090345


知性主義、といってもけっきょくはこういった型の踏襲で自分の頭で考えないと意味は無いだろうなあ、と。

自分が知らなくても(あたまがよくなくても)踏みとどまれるか。自分で考えた末の選択ができるのか?というようなことをおもう


そこには自分で築き上げていった倫理のようなものが関わり、それをつくりあげていくのがけじめのようなものなのかなあ、って。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381807240.html


ふつーに、ただしい形での常識というかコモンセンスみたいなの。良識とか品格っていうかそういうの。それらが教養としてパッケージされていた時代もあったのだろうけど、現在はそういう言葉はなんだか浮いてしまった。



教養というのはビルドゥング(Bildung)に当てられた造語かなんかで、教養理念とは「各個人が真善美の多方面に渡って個性を発揮し調和することで自己完成を目指す」ものであった。bilden などの元々の語源は神秘主義であり、神の人間に対する働きかけを表すために使われる言葉みたい。


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ざっくりいってしまうと教養とは宗教改革後の新しい経典のようなものだった。あるいは聖書の物語をより身近な人生訓にしつつ、その主題を考えていくためのもの。なので、Bildungの目指す先というのはそういったものと自分の生死や存在との関わりを考えることを通じての成長ということになる。

宗教改革+大学がつぎつぎと出来ていっていた状況の中でそういった知の拠り所のようなものが必要となっていったのだろう。単なる知識ではない人生の対話のアテのようなものとして。



教養とはそもそもそういった背景にあったものだった。けど、明治期の移入段階でそのあたりの背景が理解されず単に「エリートの嗜み」程度で理解されることになったみたい。そして旧帝大の文学部は農家出身のものが多く、彼らはこういった教養を身につけることで西洋近代に追いつこうとしていった。簡単に言うと田舎者が簡単に箔をつけ成り上がるための道具として教養は使われていった。


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日本ではそういった形で教養が理解されていったためその価値も見出されず、単なるブランド的な虚飾として捨てられていったのだろう。



リベラルアーツを基本とする人文知というのはそういったものを基礎とするけど、そのあたりの背景も知られてないようだし。


なので「明治政府は教養のあるひとを大量に作り上げたけど働かせる場所を考えてなかったようです」って背景もそういうのが関係する
http://ch.nicovideo.jp/yamasitataihei/blomaga/ar404613


あるいは福沢爺や柳田爺が日本の土俗の宗教にミョーに差別的であったのも
http://ch.nicovideo.jp/yamasitataihei/blomaga/ar395718



西欧の近代化の過程で啓蒙主義という一連の教養主義的な気運が生じたけどそれは英仏独それぞれに内容の異なるものだったしロックやヒューム、ルソーやヴォルテールなど各人ともその内容が異なったりする。


一番大事なのは科学的合理性に基づいてアンシャン・レジーム的な旧弊、その価値原理であるローマ・カトリック的な腐敗な因襲を打倒することだったんだけど、その一番の内実は数学的合理性と実践性にあった。そしてそれを用いた経験主義的な合理性。つまり仮説→実験→修正→証明。それを数学、あるいは数学的論理性にもとづいてやっていくようになったことが啓蒙主義の一番の内実。蒙を啓いた内実はそういったものだった。


フランス革命におけるヴォルテールを中心とした啓蒙主義者はそのことを忘れスローガンとしての理性と啓蒙が暴走していった。それが理神的な暴走であり、そういった経験的な内実を忘れた教養と啓蒙はドイツにも受け継がれていった。つまり神や存在、人生に対する敬虔さを忘れた表面的な理性の暴走。それは実務面とロマン主義的な感性の二つに分かれそれぞれに独立した理を築いていった。


啓蒙の弁証法的な理性の暴走、ナチズムの暴走というのはそういうことなのだろうけど。



そういった経験の影響をいくらか受けたためか日本の戦後でも教養の価値は衰えていった。


それでもまだ昭和の周辺にはそういった教養やそれに連なる品格、人格を携えたひとたちがいたのだろうけど、それも現在はなかなか遠くなってしまった。



いわゆるヤンキー化やゼロ年代的な停滞というのもそのあたりへのアクセスがなくなってしまったことによるアノミー的な面もあるのだろう。


彼らは最初からそういったものを知らなかった世代だから喪失ってしまった衝撃と混乱のようなものではないのかもだけど、最初から失われた子どもたち的な混乱のようなもの。それが教養の割れ子のひとつ、実務-経済的な約束が失われて一気に吹き出した。


それまで「よくわからないけどがんばれば終身雇用が約束されてる」「よくわからないけど学校のお勉強(教養)を暗記していけばいい暮らしができる」が不安定になってしまったので。


そして、経済ボリュームの変化で実質的に使えるお金の量も減り、所得格差によって居住区域も異なり、郊外や地方にはそういった文化商品しかないという現状のなかで「ヤンキー > オタク > サブカル」の順で選択されている。





竹内好さんのこの本はまだ読んでないけど、「教養ってなんですか?」と聞かれたとき「けっきょくは教師や友人なんかを見ながら培われるものだよ」って答えたのはそういった辺りの話だろうし、竹内さんの良心のように思った。
http://bit.ly/1ayKzAB



(あと、ことりこ復帰おめでたう)











--
関連:
Did you know that?−コモンセンスと常識の違いは?
http://bit.ly/1ayHrEP



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2013年12月03日

天使たちの輪舞  (cont. おとなになること)



文学的実感は、この後者の狭い日常的感覚の世界においてか、さもなければ絶対的な自我が時空を超えて、瞬間的にきらめく真実の光を<自由>な直観で掴むときにだけ満足される。その中間を介在する<社会>という世界は本来あいまいで、どうにでも解釈がつき、しかも所詮はうつろい行く現象にすぎない

                           丸山真男












▼「銃・病原菌・鉄」



文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
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「文明の違い、歴史の違いは環境の差異によるものであって人々の生物学的な差異に依るものではない」

大航海時代 → 文化人類学の初期にもあった機能主義に基づいた差別観。つまり


「西欧は歴史の必然として進歩の頂点にある」
「西欧とアフリカやアジアとの違いは人種的に西欧人が優れているからだ」


「歴史の必然としての頂点にある」という考え方は当時の人間中心主義にもとづいたお調子だろうし、「西欧がアフリカやアジアより優れているのは必然」とするのも一昔前までは中央アジアに比べれば文明レベルが劣っていた西欧人が作り上げた世界観(「ヨーロッパの外には竜や巨人などの怪物が」的なマッパ・ムンディ)に依るものだろう。


フィールド調査先のニューギニア人ヤリもそういう疑問、「なぜ現在西欧人たちはわれわれよりも良い暮らしをしているのか?(個人個人ではスペックそんなに変わらない、というかわれわれのほうが生活力あるのに。たべられるきのことか動物とか調理の仕方とかも知ってて)」、をもっていた。

表題の「銃・病原菌・鉄」というのはヤリの質問に応えたときに浮かんだキーワードたち。なのでこれ自体はたいしたことなく掴み的なタイトルでこれよりももっと構造的な要因として「環境が違ったから」というのがある。本書は「環境の違い」について主に生物学+歴史学の視点から|冫、)ジーと語っているもの。


なので、「西欧人は銃などの武器に優れ、その武器を造るための文明をつくったしその前段階として鉄を中心とした文明があった。てか、南米征服ではそういう武器よりも病原菌の衝撃が一番大きかったんだけどね(9割がたそれで死んだ)」、って説明がぼんやりとまずあった。

そのさらに「そもそも」要因を簡単に説明しちゃうと

鉄器を使い出したのも、そういった技術を発明していけたのも農耕→貯蓄→定住で時間にゆとりができたからだ。そして分業と階層(役割)分化。農耕で家畜飼うことで病原菌への抵抗力も生まれた。動物はウイルスのキャリアだから。ある程度人口密集で定住するとウイルスが伝染しやすい。ヨーロッパの近代都市は特にそういった人口密集定住のわりには清潔ではない環境だったので伝染病が広がりやすかった。14世紀初頭にペストが大流行したのもそのせい。しかし、その分、ヨーロッパ人はそういった伝染病に抗体をつくりあげた。そのウイルスが大航海時代の新地開拓の折に結果的に武器として役立った。

ってこと
http://bit.ly/1bFvC5X


農耕 → 定住ができた要因としては気候が絡む。気候によって植生も異なるので人が農耕で計画的に育てられる植物が生えてるかどうか?の地域も異なってくるので。そして土壌なんかも関係する。植物は温度変化の影響受けるから南北に長い大陸より東西に長い大陸、つまり四季の変化があって横に長い土地がけっこうある地域のほうが育ちやすかった。つまりユーラシア大陸の中央アジア、肥沃三角地帯と呼ばれる地域。イスラエルのあたり。


本書上巻ではその農耕の始まり(その大陸ごとの条件の違い) → 病原菌の発生(家畜と伝染病)あたりまで詳細に語っていた。銃や鉄に関わる文明の発生の話なんかは下巻に続くみたい。



ちなみにダイアモンドは語学、歴史、創作を背景に生理学で博士号とったとのこと。もともとは言語学者になろうとしていたそうな





「西欧の勃興はわりと偶然」
「ユーラシアとかに比べて西欧はむしろ劣っていた」

を軸に「ではなぜ西欧は現在のような文明を築けたのか?」を考察していくってのはマクニールにもあってたぶんこっちのほうが王道なんじゃないかと思うんだけど

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マクニールの見方では農耕と戦争の技術史に注力してるように思った。具体的には

「農耕における技術変化、たとえば重量鋤の導入や三圃制、レンズ豆などの作物の発見と開発のほうが戦争における技術発達よりもよほど人類史のエポックとなった」
「西欧の戦争技術の中心は騎兵におけるランスチャージであり、それができるようになったのは鐙が開発されたからだ」

あたり。

こういう地味だけど重要な話というのは学校の教科書だと教えてくれなかったので新鮮だったしわかりやすかった。三圃制はいちお教えられたけどその重要性、意義について世界史の先生も理解してなかったようでアクセント弱く、記号的に受験用語として覚えただけだったし。


んでも「病原菌のインパクトについてはマクニールも論じてなかったなあ」とアマゾン見るに

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マクニールも病原菌の影響は論じていたようで、やっぱりむしろこっちのほうがダイアモンドに影響与えたんじゃないかと思うけど、レビューみるとどうもけっこうおーざっぱなエッセイみたいな感じ。とうにんも「| ゜Θ゜)<おーざっぱだよ」みたいなこといってるようだし


ウイルスや病原菌・寄生虫などを原因とした疫病を「ミクロ寄生」とするならば、
人間の支配→被支配の社会構造を「マクロ寄生」と位置づけ、両者は構造的には
同じものであるとして世界史を論じた着眼点は、30年前のものとは思えません。
成程、面白い捉え方であると思う箇所もいくつかあります。

「アフリカ大陸における近代農業技術導入の難しさは、人類の発生箇所であるが故、
つまり人類と接している時間が長かったために、アフリカの生態系自体に人類に対する
抵抗力がある(免疫のように)からではないか」など。
とはいえ著者自身も本文で認めているように、やや強引な推測による論理展開も多いです。

例えば、古代北インドのインダス文明の南方進出の折には、南方の文化・民族は完全には
同化されず、カーストという緩やかなヒンズー教体制に組み込まれていったわけだが、
その理由として「高温多湿の疫病多発地帯であったがために、消化吸収されるような
同化作用に対して一種障壁のようなものができ、また感染を予防する意味で不可触賎民という
概念が、カースト制度に繋がっていったのではないか」といった論など。
もしそうならば、黄河流域の殷周帝国に対する長江流域民に関しても同じ方程式が
当てはまるはずだが、そうはなっていないし、違いを著者も説明できていません。

しかし内容的には大変興味深い。疫病(要するにウイルスなどの寄生体)という観点から
世界を一つのシステムとして捉え、歴史を論じた良書です。


まあでもそのうちマクニールと対照してより大きく構造的に人類史みたいなの把握しとこうかなあ(トッドも加えて)とか思うわけだけど、「銃・病原菌・鉄」上巻で特に気になったのは家畜と病原菌について論じたところだった。





▼結婚を介した市民の家畜(国民)化と文明というウイルス



「幸福な家庭はどれも同じようなものだが、不幸な家庭はそれぞれに違う」(「アンナ・カレーニナ」)


これは夫婦として家庭を営む際にいくつかの価値の一致がなければ幸せにはならない(あるいはなりにくい)ことを表している、とダイアモンドは言う。

「互いに異性として惹かれ合っていること」「金銭感覚」「子供のしつけ」「宗教観」「親類への対応」などなどから「家畜も同じように複数の条件が整ってなければ飼われなかったのだ」

「ペットと家畜の違い」は後者が飼育を通じて形質変化したものを条件とする、みたい。イノシシと豚の関係とかかな。なのでネコはペットではあるけど家畜化しなかった(犬は家畜として飼われてたりもした(珍味的に食べられたり(あと組織の序列関係がしっかりしてるほうが家畜化しやすいそうな。


逆に言うと、結婚てのはたぶん人の家畜化なのだろう。あるいは定住という異常を納得させるための装置であり契約。

なので「結婚の秘蹟はその辺りの論理性にたいするフィクションとしてつくられたものではないか?告解と同じ頃に」と思うんだけど、聖人伝承が元々の習俗を擬制するようにつくられていったように、もともと慣習としての婚姻的なしばりを好む感覚があったのかもしれない。性愛を巡る嫉妬や相続絡みで。性と金(あるいは金の前の物材)。


それとは、別に制度として「結婚した方がいいよ」て補助とかあるみたいだからそれ使うぐらいのようにおもう。弱者同士の連帯としての結婚制度の利用、みたいなの。あとは「婚姻関係にある」という制度の安心と、「結婚 → いっしょに暮らして当然」から詰まった距離(近接性)の既成事実を親密性(なかよし)に錯覚していくような。そういう感情とか実感に訴える装置。




ここで再び「人が家畜化されるとはどういうことか?」について考える。

それは単に「結婚は人生の墓場さ'`,、('∀`) '`,、」と男が軽口にいうようなものではなく、定住-家畜化という異常によってウイルスのようなものを醸したのではないか?人の場合はそれが文明に当たる。


「人は地球にとって寄生虫なんだ!」=「ウイルスなんだ」というのはそういうことなのかな。

ウイルスが伝播する際、たとえば梅毒なんかが人の体をあのように変質させるのは「自分たちがより伝播しやすいように」という工夫のようだけど、人の場合も同じように文明によって人口を増やそうとした。そしてウイルスと同じようにそのやり過ぎで自ら住処を追われようとしている。


ハイデガーの言っていた「技術」の問題がそこで関わってくるのだろうけどまあそこは置いておくとして。



人の性は本来野放図なものだったはずだし結果としての生殖 → 人口も管理されてなかったはず。そういうのはたとえば原始共同体的なところでは乱交で生まれた子供を村全体で育てていたのとか想像される。

「結婚の秘蹟」はその性と生をそして人口を管理するための仕組みだったのだろうか?日本の戸籍のような?


未だ調べてないのでよくわからないけど、そうだとするとこの頃から教会を中心にそういった台帳のようなものがつくられていたのだろうか?そして、それが税収と直接結びつくような?

税は国家観のようやくはっきりしてきた革命期まではまだ民衆それぞれからはっきりとした額でとられていたのではなく、領域支配していた領主への共同体単位でのみかじめ料的な感覚だったのではないかと思うんだけど。だとすると税収において各人の出産や人口をそんなに細かく把握していたのか?という疑問ももたげる。


まあ、そういうのはフーコーの得意分野なんだろうなということでそのうち読むけど。


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http://polylogos.org/soc27.html


そこで「税収のために優等な人口を管理していった」「つくりあげていった」ということだと植物の栽培化や動物の家畜化と似た過程になるのだろう。


しかし革命を通じて税も国民という概念ももう少しはっきりとしたものになって人々を縛っていくことになった。

そういった give に対して民衆はどういった take をのぞんだのだろう? 具体的に、村が国民になっていく過程でなにが約束されたのか?



<革命において民衆はfraternityでつながっていた>

<fraternityは村民 → 都市民がなによりも優先するもの>

<婚姻は社団の機能を持っていた>

<人口は優生学的に医療-社会保障されていった>

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090916/1253060287

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/05/post-25f4.html


市場経済に変わる以前、贈与経済ではこの辺りの性と財が同心円の中で回っていたのだろう。個人という感覚もまだなく、そこで重要なのはその円のなかでの関係だったので。その関係、円の中でのバランスがすなわち財であり生きがいになっていた。kuraとかポトラッチにおける名誉のように。

その関係というのは広い意味でいう社会資本のようなもので、現代風に言えば人脈ってことだろうけど、fraternityというのはおそらくこの部分だったのではないか。共同体におけるつながりと互助。そして、共同体、仲間の関係を個人の性愛や財の貯蓄よりも優先する感覚。

そうやって共同体の関係をまず重視し、個別の性や財をその関係→承認を得るための貨幣として交換していった。そういうホモソーシャルなあり方があったのではないか。村(コミュニタス)を再生産していくためのホモソーシャルな連帯と儀礼。


なので「自由、平等、博愛」という言葉でシンボライズされている「博愛(fraternity)」の部分はそういった村の贈与交換的なつながりを表していたのではないかとおもう。だとするとそれは金(財)とか性が個人にプライベートされる以前の、それよりも大事にされる関係資本のようなものであり名誉ってことだから、それが同時に人を縛ることにもなる。あるいはそのコミュニティが一つの個(群体)のように機能していて、その内部においてプライベートされる財。なので内部では友愛だけど外部には厳しい。

それが都市民や革命に通じて行ったとしたら、それは都市の郊外(ブール)に住んでいた村落共同体由来の無産市民や手工業者の風習だったのではないかと思うけど、いわゆる友愛団的なもの、結社(アソシエーション)がそういった階級以外にもあったようなので「階級別」ってわけでもないみたい。

とりあえず職と階層の区分けに通じる社団的なものと似てはいるんだけど、社団のレイヤーを縦に連なってるとしたら友愛のそれは横に繋がっていたような感じだろうか。

なので社団的な構造が窮屈になってきたときにそれに対向するものとして繋がれたのかもしれない。文芸公共圏が間に入ることで各友愛団をとりもって。


そうはいっても理想的にすべての友愛団がつながり、民衆と教養市民層ブルジョワ(フィロゾーフ)がつながったわけでもなかったようだけど。以前のエントリで見たように、雪崩的ドタバタでおきていったなかでブルジョワがうまく舵取りをしたってだけだったので。

フランス革命の背景とか要因について(暫定)   公共圏論を中心に: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381322488.html

そして最終的にフィロゾーフよりも旧来の保守層がそれらの恩恵を受けることになった。フィロゾーフの百科全書の一番のお得意様もフィロゾーフが敵視していた坊主を含んだ保守、高階層たちだった。革命は保守(大人たち)に対する約束された反抗として吸収されていった。


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なので革命において民衆のゲマインシャフト的原理ともいえるfraternityが人権宣言的なものに転換・吸収されていった回路がわからない。あるいはその理路も。

啓蒙思想とはヴォルテールに代表されるように全体としては新教の代わりに理神教を奉じたものであり、その理神の恩恵は一部の啓蒙思想家(フィロゾーフ)のみを対象としていた。

それが人権宣言の折にはなぜか民衆も包含するものとなっていた。

憲法的なタテマエ、ということではあっても政権をとった後であればその辺りは自分たちの都合の良いようにいくらでもウソをつけたはずだし、憲法のような難しい物は一般民衆には理解されなかったはずなのに。



人権というフィクションが「福祉」や「保障」とイコールすることで村の互助に代わるものを約束したのだろうか?(そして国家は「国民」≠「皆兵」であり「管理できる税収」を手に入れていった…。



まあそのへんはここで考えていても仕方ないのでルソー周辺でも掘って見ていくとして。



ルソーや「儀式を通じてのコミュニティの再生産(持続)」辺りからまた前回のエントリの風景をぼんやりと想ったりする。

もしくは「永遠」や「おとなになること」について。








▼おとなになること−含羞―保守



前回のエントリの途中で吉田健一の言葉を思い出して、それを何度か見ているうちにゼロ年代とかいっているあの辺り全体、もしくはそれ以前にアニメとかサブカルとかヤンキーとか、それ以前に、世代全体を通じて感じていた違和感のようなものについてわかったように思った。

ゼロ年代の「永遠」と終わりなき旅: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381638941.html


けっきょくは幼いのだなあ、あのへんは。

そして幼いながらも自分たちなりに大人になるということで迷いを持っている。あるいは迷いをもっているがゆえに敢えて強い言葉で踏み込むというか。


「前の世代の大人のあり方や教養を一旦遮断し、それをあらためて自分たちで考えて構築していこう」という雰囲気を全体から感じる。それ自体は良いのだろうけど「一旦遮断」のとこで完全に前の世代のそれをダメなもの・古いものとして軽んじたり捨て去ってしまっているような。

ニューアカの遺産というのは正負の両面があったのかな。あるいはニューアカ以前の60年代から続いてきた日本のあのへんの「文化」のあり方。

彼らは未だ舶来のそれを有難がりその内容をあまり吟味しないままにただ「有名だから」みたいな感じで移入してきた。そして自分たち内部の「文化」「有名」の中を外部からの「有名」で箔をつけ彼らなりにAuthenticなものを創りあげてきた。それはけっきょくは内容のない形式のシミュラークルであり儀式のようなものだった。

ボジョレーヌーボーをありがたがる風習にそれが受け継がれているけど、そういったものの繰り返し。

それが負の遺産だとすれば正の遺産は彼らがわからないなりに創りあげてきた、あるいは、わからないということで敢えて踏み込まなかった部分だろうし、「わからない」ということではなくても「敢えて裸を晒さない」というようなケジメのようなものだったのだろう。あるいは流儀であり含羞。



ゼロ年代、あるいはそれを囲む文化圏の精神というのは「そういったニューアカの時代まで続いていた虚飾、市場と連携したオトナから差し出される虚飾な文化ではなく、実際に自分たちの悩みやそれを体現する表象の積み重ねから築いていこう」という独立宣言的な気概を持っているようにおもう。それには不況で過去の経済的な遺産も失ってしまったことにもリンクしているのだろう。

「『文化』なブランドに騙されずに自分たちで作り上げていく」「自分たちの生活や思いをひとつひとつ汲み上げて」

それ自体は良いことなのだろう。

しかし、それに固執するあまり、あるいは、それを言い訳にして前世代の全てをオトナとして軽んじその遺産を遮断しているように思われる。そして自分たちの内部へ凝集し、語りきれないところまで語り尽くしてしまう。外界に繋げば単純な解法が見つけられるようなものでも情緒的にナイーヴにナルシスティックに解をひねくり出し、シンボライズし、スローガンにしてイデオロギーを強化していく。


理知の面ではもっと外側につなげていったほうがいいだろうし、情緒や精神の面でも前世代に学ぶところがあるようにおもう。

それは「オトナな形式を継げ」「父権的な強圧を継げ」ということではないのだけれど、すこしこういう話をすると「マチスモ(´・д・`)ヤダー」みたいな過剰反応をする。。


そういうことではなく、かつての大人たちが語り尽くせないながらも背中で語っていたような外枠も見習っていく必要があるのでは?ということなのだけど。「わたしたちの文化」に加える形で。

大人のなり方というのは言葉ではなく人の生きざまから継がれていくものだから。


情緒的な感覚的な印象だとゲマインシャフトの踊りと酒と祭りのあり方、ディオニュソス的に生の快楽をストレートに発散していくやり方とその欲望というのは子供のそれに似ている。
http://bit.ly/1jg9OPX

それがゲゼルシャフト、都市の手工業者(職人)の界に移るとき村のfraternityが都市のfraternityに変換していく過程があったのだろう。

贈与交換的価値観は貨幣市場経済の価値観に、つまり「決められた時間にきっちり働く」それへと変わっていった。家族や親方と共同が当たり前だった居住空間もよりそれぞれの個へと分けられていった。それを通じて交換される財の内容が「全体からの承認」から「プライベートな便益」へと変化していった。


そして革命を通じて都市のfraternity(友愛団など)が「人権」へと変換されていった。

fraternityが「人権」へと範囲を広げて接続される過程でパブリックに対する意識、あるいはその反照としての個に対する意識の変化があったのだろう。あるいは制度的にそれが当然化されていった。論理的説明を省いて制度的に、あるいは「革命」という祭り(儀礼)を通じて身体に染みつけられていった。


薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史
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西欧におけるパブリックの感覚やその厳しさに違和感が出ることはしばしばあるけれど、それはこういった背景が絡むからかもしれない。


父性の特徴で真っ先に挙げられるのは「切る」ことであり、それに対応する母性の特徴は「包み込む」ことである。そして、「日本には本当の父性が存在しない(存在しにくい)」というのも河合隼雄がよく言っていたことだ。
「昔は良かった」という話の流れでよく引き合いに出される「強い父親」も、母性原理に基づいた共同体の土台の上にかろうじて成立させてもらっていたようなものだ、というのがその主旨であった。

それに対し、欧米のほとんどの国々で土台となっているのは父性原理に基づいた社会である、と。
そしてそこには案の定、キリスト教(ひいては唯一無二の神を信仰する宗教)が深く関係している。
キリスト教の神は背いたものを許さない「切る」神である。
こう書けばいろいろと異論はあるだろう(特に「許さない」という点においては納得しない人がいるだろう)が、私が「なるほど」と納得するのは、例えばカトリックにおいて「聖母マリア」への信仰が重要視されているといったようないくつかの事実のためである。おそらく、「聖母マリア」への信仰には父性の切る作用に対する補完的な意味合い(包み込む)が強い。

父性と母性 : 蜜蜂を弄ぶ
http://liyehuku.exblog.jp/16867432/


かつての日本にあった「昔の親の厳しさ」みたいなのもそういうのに通じるのかもしれない


子供のころの傷つき方というのは、今思えば、まったくあどけなかったのかもしれなくて、”思い出”という言葉で風化してしまっていることも多い  でも、本当にそうなんだろうか、と思う。子供時代は、ただのどかで、懐かしいだけのものでは決してなかったように、私には思えてならないのだ。 大人は、いつまでも傷ついていることが嫌いだし、そんな暇もないって、たぶん思っている。  けれど、でもでも、やっぱり擦り傷は擦り傷なのだ。擦りむいたのだ。かさぶたっちゃったのだ。痛かったのだ。せめて、それだけは覚えていたいと私は思う。

 それは、もしかすると、なーんの役にもたたなくて、思い返せば、うっとおしいだけのもんかもしれない。

 でも、そういうをポイちゃうのはキッタネーぞと、私はつっかりたい。


 情けない話だが、私もそうして生きてきたし、それ以外に生きることができない。自分の心の傷をごまかして、美しい画餅を描き、「いのちを守りたいのです」とかいうやつには、キッタネーぞとつっかかる。いのちに国籍なんかない。いのちを守りたいというなら、国境無き医師団のように国を越えていくしかない。なのに国のなかで「いのちを守りたいのです」と言えば、国の鉄壁の外に別のいのちを放り出すくらいしにかならない。キッタネーぞ。大金持ちならビル・ゲーツ夫妻みたいに国際的な慈善団体を運営すればよいのだ。おっと話がそれまくり。

 人は偽善からは逃れられない。逃がしてくれないのは、子供のときの深刻な痛みだし、痛みを捨てて幸せなシュラムッフェンなることを押し止めてくれるのは、幼い痛みを引き受けてくれた何者かだろう。人はおそらくその「はてしない物語」(参照)を生きなくてはならない、子供であることを捨てずに。

[書評]タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本(岡本螢): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/02/post-243d.html


そして、そういったパブリックを前提としているのでFacebookを始めとした実名・顔出し文化のあり方と日本のそれは異なってくるのかも。


そこには子供が大人ルールに直面するときのような断絶がある。そしてその断絶は理知ではなく既成事実として、あるいはなんとなく大人の背中を見習いながら納得されていく。


「なんでなんで?」に対して「ならぬことはならぬのです」と納得させていく過程


そこでは子供の納得出来ない思いや傷ついた心は残っていくのだろうけど、自分も大人になる過程でゆっくりとそれを納得していく。赦すのでもなく「そういうもの」として。



「そして父になること」をまた振り返る。


是枝裕和、2013、「そして父になる」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/376322940.html



いま改めて聞くとグールドのゴルドベルク受難曲の演奏はやはり超絶技巧を魅せているのだな。とくに5分辺り。父親に甘える子供みたいに



おそらく言葉で語れない部分は音楽やその他の部分で語ったほうが納得できるところもあるのだろう。言葉でははっきり表せすぎて気になってしまうところも音楽ならその思いを託していてもほかの部分といっしょにぼんやり吸収していけるし。批評界隈も言葉以前にアニメや音楽といったサブカルなところでのパラダイムの共有が前提になっているところもあるだろうし。


「わたしたちはあたらしい地図を広げていく」というメッセージも音楽ならばぼんやりと良いことに思えるから。


「現在のポップ音楽はクラシック、19世紀ロマン派がつくりあげたものを踏襲しているだけだ」と岡田さんは言う。

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)
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「ド・ミ・ソ」の和音と「ドレミ」の音階、そこから生み出されるいくつかの形式化された旋律の踏襲、ブリコラージュ的なアレンジ。われわれの耳にはド・ミ・ソが心地よくふつーになっているのだろうけど、6世紀には「ドソ」の和音が正しく「ド・ミ・ソ」は不協和音とされていたことなんかを想うとけっきょく「われわれ」が同時代的パラダイムと想像力でできることって限られているのだろう。



「だが求められているのは神の顕現するような霊性、神々しさではないか?人が感動を音楽に託すとき、どこかに聖なるものへの期待があるのではないか?」


クラシックも現代のサブカルポピュラー音楽のように商品化し、ケレン味やキャッチーさを装った時代があった。ロマン派はかつてポピュラーでサブカルな音楽だった。


そういった時代をくぐり抜け、クラシックのテーマには「芸術」「演出」「民衆」という3つの軸が残っていった。

神学的霊性と数学的な神の証明を求める芸術としての音楽、教会音楽から派生し主にドイツ圏域で継がれていった。そこでは音楽は神に通じる学問であり儀式だった。

ルネサンス時代、地中海貿易を通じて中東からの新しい風を入れたイタリアではこの世の春と人間賛美を歌う華美な音楽が栄えた。音楽は厳しい学問ではなくなりハーモニーは「数」から「美」へと変わっていった。

それと並行するように、名もない人たちの音楽は酒場や遍歴の中で息づいていた。マイスタージンガーをはじめとしたそれには芸術家としての音楽人の署名はなく民衆の音楽として受け継がれていった。


バッハはそういった伝統に沿ってルターなどから受け継がれた教会音楽的な真面目さを生真面目に再現していく職人だった。イタリア発の宮廷音楽の華やかさに逆らうような不器用な職人気質をテューリンゲンというドイツ中央東部の片田舎で貫いていった。



それは芸術でもなければ演出でもなく民衆でもない、あるいはその全てを含んだ職人芸だったのかもしれない。


そういった黙して語らない不器用な親父の背中をどのように継いでいくか。「大きな物語」以降のゼロ年代の「永遠」、終わりな日常も聖なる何かを希求しているのか。あるいは村落共同体の循環時間の精神性に退行しているだけなのか。

時代はふたたびかつて村落共同体が歩んだのと同じような「永遠」の転化を求めるのだろうか。




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円環する存在と時間の精神史はキリスト教を経て終末をゴールとした縦軸の時間と存在のフィクションを容れた。それと同時に彼らは「復活」という約束を軸に別の「永遠」を手に入れた。

そのような永遠の転化と同じような心理過程をあらためて日本も経ようとしているのか、永遠の少年少女がおとなになるために必要な通過儀礼とはどのようなものなのか


ぼんやり想う









日用の糧: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379141309.html




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関連:
【第35回】『寄生獣』(岩明均)|新しい「古典」を読む
https://cakes.mu/posts/2598



近代的理性の立ち上がりと国家幻想、そこから疎外されていったものたち、のはなし: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381011164.html




「コミュニタス」と「公共圏」(メモ) - Living, Loving, Thinking
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101217/1292524553




「小林秀雄の流儀」 - 現象学的還元?: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/122453130.html
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/123045927.html

こっ恥ずかしい内容だけど(´・ω・`)まあこういうのも若気のいったりきたり的な味わいとして(まあでも自立的志向の跡は見えるので是しとしたり


極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山本七平)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/01/post_53d8.html

小林秀雄の読み方 - finalventの日記
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[書評]小林秀雄の恵み(橋本治): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/02/post_7042.html

[書評]中原中也との愛 ゆきてかへらぬ(長谷川泰子・村上護): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/05/post_6f78.html





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2013年12月01日

ゼロ年代の「永遠」と終わりなき旅


「ウェブ社会のゆくえ」をまたぼんやりと見なおしている。イメージ的に心残りになりつつ論点拡散するのでエントリで触れなかった場面があったので


鈴木謙介、2013、「ウェブ社会のゆくえ」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381455793.html


分断化される共同性-公共性、「わたしたち」の意識や記憶、社会性に対する危機感から「共同体の持続可能性はどのようにして可能なのか?」という命題が設定された後半、それを考えていく端緒としてアンリ・ルフェーヴルから引用した村落共同体の再生産の話。

「持続可能性は共同体の再生産のはたらきと関わっている」
「共同体においては、子を産み育てるという人の再生産、農耕を通じて行われる食の再生産など」
「狩猟においてもとらえた獲物の処理、骨を神に返すといった儀式を通じてそれらの再生産を願った」


「農耕や狩猟による糧」という社会経済的な部分を文化的・宗教的な儀礼がつなぎ、「性 → 産み育てる →人口」が具体として投入される。

それらを通じて再び村落共同体に実りと命が還ってくる。円環の時間(理)は繰り返す。

この部分周辺の注にもあったように、社会経済的な側面、つまり「震災や被爆の記憶を継ぐにはまず金の問題が重要だ」というギロンはあるにせよ、その金が国家や地方行政を通じて出される場合それを出動させる大義・理由付けの納得が必要となる。その部分の納得への回路として文化的・宗教的な儀礼がかつては必要となっていた。宗教的というと現代だと非合理とされるかもだけど墓参りなんかは儀礼としつつも毎年してるし卒業式や成人式みたいなイニシエーションも毎年ある。それは論理的につきつめれば意味や機能性のないものかもしれないけれど、そういった儀礼的な「区切り」を通じて人はなんとなくそういった記憶の定着を納得するところがある。

結婚や葬式もそういったものなのだろう。


いささか論点先取になるけれど、今回のエントリは論点が膨らみすぎたので2つにわける。そのうちの後半では結婚についてや、あるいはその前段階としてのfraternityについて触れようと思う。fraternityはたぶん社会資本のひとつ、アソシエーションや弱い紐帯な辺りに属するのだろうけど、そういった互助のありかた、村落共同体や都市の郊外(ブール)に住んでいた無産階級たちの互助がどのように市民の論理に接合していったか?あるいは最終的にnation-stateとして回収されていったか?について考えていく。

さて、ルフェーブルの話にもう一度戻ろう。以下、同書でルフェーブルが共同体の再生産、「循環」の感覚について語っていたという箇所の孫引用


 このような<秩序>ー農民の秩序、というのは各階級、各社会組織は、それぞれの秩序および秩序の観念を持っているのだからである―を保つために、人間は自然と協力する。人間は現実的な労働と魔獣tの効力(虚構の)の双方によってエネルギーを維持し、規制する。ところで一つの大きな危険が、まさに繁栄のさ中にある共同体を脅かす。共同体を世代から世代へと伝え、その仕事と秘密を相わかち、共通の遺産を受け継ぐべき子孫が必要である。出生の過不足は調和を損ない、扶養人口の過多や土地を耕す人での不足が起きると、共同体は飢餓に瀕することになる。民俗学者が多くの場所で見出す迷信では、<魂>の数は農民たちの考えている<秩序>の中にあるものである。その深い、――つまり実践的な――根拠は、今日われわれの認識に従えば、極めて単純な、どこでも同じようなもののように思われる。出生と死は宇宙法則の一部であり、妨げられない限りは規則的であるはずのものである。人間の数は自然によって定められているように、かれらには思われる。したがって出生とはすべての死者の魂が再び他の肉体に宿ることであり、集団が自由にし得る貯蔵の中から或る魂が再び現世にもどってくるのである



これを見たときに福島聡が描いていた共同体の話がイメージされた。

役場の人がどこかの辺鄙な村に税金と人口調査しに行ったら車が事故にあってしまって泊まり込み、そこでは死体が処理されずに新たに産みなおされるのを待ってることに気づき、同時に自分も死んでしまって産みなおされることになるって話。

少年少女 (1巻) (Beam comix)
福島 聡
エンターブレイン



(産み直しについては蟲師にもあったなとぼんやり眺めつつ)

蟲師 (5)  (アフタヌーンKC)
漆原 友紀
講談社




福島聡のマンガを検索しつつ「みかんスープもそういえばそういう話を元にしていたのか」と気づけた。地底人の世界に潜っていくんだけど、そこで死と生と時間が狂って、死んでまた同じことを繰り返す、ってはなし。

鵺の砦 (BEAM COMIX)
鵺の砦 (BEAM COMIX)
posted with amazlet at 13.12.01
福島 聡
エンターブレイン




同書では恋人に撮られた親密な写真がインターネットに流出した事件をもとにした作品も所収されていた。
http://bit.ly/bpUoqy


「恋人同士の写真がネットに流出してしまって永劫回帰する」あるいは「昔の同級生の写真を偶然にネットで見かけてしまってふだんのポルノのそれに触れるのとは違ったタブー感を感じてしまう」ということはわりと身近な事になってしまった。「身近」といってもそれにヒットする偶然性はまだあるわけでだれでもそういった事態に遭遇するわけではないだろうけど、「そういったことがあってもおかしくない」という状況に。

そこで倫理観のようなものが問われたり、その変化に自分で気づいたり、「ネットネイティブはその辺の感覚が違うねーやっぱ」ってことがあったりなかったりしつつ「リベンジポルノへの呼びかけと対策」みたいなものが叫ばれている昨今、「そもそもネットネイティブっていうか全体的なあのへんの倫理観というか公共性とか共同性とか親近性、あるいは精神のあり方(大人の認識)みたいなのがズレてるんじゃないの?」みたいなことをおもったり。ネットの影響以前に親密性やそれに紐付いた倫理観みたいなのが変わってきているのかなあ。


特に自分的によくわかんない「あの辺」は「ゼロ年代」でくくられてる「あの辺」。自分的な偏見からするとラノベとか深夜枠のアニメの想像力のように思うんだけど、その出力と再帰の場としてネットが設定されているように思う。それを見て、その少し下の世代もそのコードをなぞっていったり。すべてを吸収するわけではないけどその中でも何度も繰り返されるライトモチーフな部分があれば「世間的な常識」と無意識に吸収するところがあるのではないだろうか。

特にこないだの「自分が自殺したら1000PVぐらいつくかなあ?」ってニュー速でアピールして実行しちゃった子とか。


あの子だけではないし自殺ってところまで行かなくてもごくふつーにそういったコードを常識としている子たちがいるのではないかと思う。


では、「そういったコード」とはどういったものか?


なんとなくマインドマップでお絵かきしてみたんだけど、


zerokoukyou.jpgzerokoukyou.jpgzerokoukyou.jpg


「ネット世代」「リアルでPCやネットを使えない世代や層」「ケータイ族」、ネットを中心に見た場合は大きくこのような区分けになっていると思う。

「リアルでPCやネットを使えない・使わない層」は50代以上の管理職クラスでこの辺りの感覚と旧世代的な倫理観やノリ、理知の幅がセットになる。「ケータイ族」はヤンキー的なところと親和性高いかもだけどヘタレヤンキーとかヤンキーになってなくても社会からドロップアウト的に「うちらの世界」にこもってる層とか。いわゆる文化資本が低い層。

ネットはそういった「メジャー」が追いついてなかった頃にはマイナーな価値観やつらみ、ちょっとした話をはなせる空間だったのだろうけど最近はtwitterでもキャズムを超えてしまったのでその辺りのことが気軽にできなくなったり。すこしのことでみょーにつっかかってくるひとやいわゆる空気的な前提が読めてない人、この程度の知識量もないのかと唖然となる人やコミュニケーションでの引き際を心得てない人、ネット的儀礼的な無関心や作法みたいなの、あるいは、昔に比べて「釣り」の質も変わったりして「シャレが通じなくなった。なんでも調べなきゃいけなくなってきた」「空気がきつくなった」とか。

そういうのは「アーリーアダプターが飽きてメジャーが流入してきて、そのコミュは前衛性を失い、あたらしもの好きのアーリーアダプターは次の遊びに移る」ということの繰り返しのようにも思えるけど。それよりももっとネット全体のユーザーの母数が増えて、ネットもリアルの延長的なところが強くなってきたのかもしれない。それでも選挙の結果なんか見るとその温度差を感じたりもするけど。


リベンジポルノをやる層、流出ポルノをしてしまう層というのはリテラシーやリスクに対する意識のあり方から冷蔵庫にはいって目立とうとするアルバイトとそんなに変わらないように自分からは思えるのだけれど、冷蔵庫バイトが意図的に「うちらの世界」で目立ととするのに対してリベンジポルノ層は「うちらの世界」の倫理意識をもとに外の世界に他人のプライバシーを晒して制裁しようとしているという点で違うといえば違うのか…。どちらにしてもどちらにしても「狭い(うちら)世間」もしくは「広い世間」に報告することでなにかを得られた気になるというところは変わらない。自分より上位の審級に言いつけたり承認してもらうっていう構造なので、その内容の是非を自分では問うことはないのだろうし。


対して、「ゼロ年代」でくくられているあのあたりの精神性というのは深夜枠のアニメやゲーム、ラノベなんかから作られ、再帰し再生産していて、それらは具体的にはセカイ系とか日常系とか呼ばれる辺りなのだろう。


政治経済社会といったハードな構造についての認識-説明といった「中間を省き」現実との接点を省いていって自分たち、うちらの世界観の中で「永遠」をブリコラージュする。

セカイ系は「社会領域(中景)を消去し、主人公の周辺の狭い関係(近景)と世界規模の大問題(遠景)を直結させる想像力」をさすが、評論家の前島賢は、セカイ系の興隆の影響下で誕生した新しいオタク文化での想像力(ポスト・セカイ系)のひとつとして、空気系を挙げている[56]。『けいおん!』はセカイ系の図式において中景だけでなく遠景までをも消去し、近景しか存在しないという構造をつくっている作品として言及されることがあるが[57]、いずれにせよ中景にあたる社会領域は消去されており、空気系のヒットは若者の社会に対する関心の衰退と関連づけられることがある[58]。空気系と呼ばれる作品の中には、意欲的に社会領域との繋がりを描こうと試みた例もあるものの、このような作品で広い人間関係を描こうとするとかえって現実感が損なわれ、受け手が疎外感を感じていくことを指摘する意見もある

http://bit.ly/hhuAsI

2000年頃から「セカイ系」と呼ばれるサブカルチャー作品が多く生まれた。具体的作品名としては高橋しん『最終兵器彼女』、秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』、新海誠制作の映画『ほしのこえ』が挙げられる。家庭や学校でのなにげない日常を生きる主人公が、国と国との争いや世界の危機に関わる。小状況と大状況が直結し、中間にあるはずの社会が描かれない作品群を指している。  このような作品が流行した背景にはなにがあったのか。90年代にバブルが崩壊、1995年には阪神・淡路大震災、そしてオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。つぶれるはずがないと信じられていた大手銀行がつぶれ、大学を卒業していても就職難にあえぎ、非正規雇用で日々の糧をつなぐフリーターが急増した。良い学校に入り良い会社に入れば一生安定した生活を送れるという「福祉社会」の神話が失われた時代だった。  21世紀初頭はまだ、このような変化が浸透していなかった。団塊世代の親たちは就職難にあえぐ子供世代を理解できなかった。ロスジェネ問題、リーマン・ショックと世界同時不況、覆いようのない格差の広がり。戦後日本社会が最大の危機に陥っているという認識がようやく浸透しつつある。

http://longfish.cute.coocan.jp/swimming/index.php/page/2

物語性の排除

舞台の大半が現代日本の日常的な生活空間(しばしば学校や登場人物の家の周辺[6])に限定され[7]、困難との対峙や葛藤・極端に不幸な出来事・深刻な家族関係の描写・本格的な恋愛といったドラマツルギーを極力排除することで物語性が希薄化されている[8][9][10]。これは、原作が4コマ漫画であるという形式上の理由による面もある[8]。 ドラマツルギーを排除した結果、作品内で描かれるのは実質的には無内容なとりとめのない会話の繰り返し(社会学者の北田暁大がつながりの社会性と名づけたような、自己目的化した形式主義的なコミュニケーション)となり[11][12]、例えば空気系アニメの火付け役とされるアニメ『らき☆すた』の第一話では登場キャラクターの女子高生らがチョココロネなどのお菓子の自己流の食べ方について雑談するさまが延々と描写される[13]。視聴者はドラマチックな展開ではなく、作中で描かれる楽園的な世界の永続を願いながら視聴を続けることになる[14]。一方でこうした、自己目的化されたコミュニケーションを愛して狭義の物語性を決定的に排除するという態度は、一見すると物語性がないようでありつつもイデオロギッシュな物語であるとも言える[15]。

http://bit.ly/InpmTZ

  世界は滅亡しないまま新世紀を迎え、すでに最初の十年さえ過ぎた。古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』によれば、現代の若者たちはコンサマトリー(自己充足的)化しているという。  内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、二十代の約七割が生活に満足していると回答している一方で、同時に半数以上が不安を訴えている。幸せなのに不安という矛盾した回答の背景について、古市は大澤真幸の説を紹介している。  高度経済成長期やバブル期であれば、今日よりも明日がよくなると信じることができた。しかしバブル崩壊から続く長期経済低迷は、そのような希望を奪った。これ以上の幸せが来るとは思えない将来への不安が「今の生活こそ幸せだ」という回答をもたらしたのだという。  

  乱暴なまとめ方をすれば、九〇年代の不安とは高度経済成長期の「良い大学に入って良い会社に入れば生涯安泰」という、どこまでも人生のレールが敷かれ抜けだすことのできないイメージの残り火だった。安定した、しかし閉塞感漂う日常が終わりを迎えること。突然レールが途切れ虚空へ放り投げられることへの畏れと期待がないまぜになっていた。
 しかし現在、もはやそのような極端な途絶のイメージはどこにもない。仲間たちとのんびり満ち足りた生活を楽しみつつも、同時にそれが永遠ではないと感じている。等身大の日常に満足しつつも、同時にそれが虚しく苦痛であるかのような日々。華々しく世界の終末が降臨するのではなく、ごく現実的な、みじめで卑近で当然すぎる不幸な結末へと向かう、長い長い衰亡期にあるのではないかという不安。  いわば九〇年代が「終わりが来る」もしくはその裏返しである「永遠に終わりが来ない」ことへの不安だったとしたら、ゼロ年代に幕を開けたのは「終わってしまっている」ことへの不安だった。

http://bit.ly/InprXW



虚構への現実の混入

しばしば現代日本を舞台とすることもあっていわゆる聖地巡礼(アニメファンによる作品舞台の探訪)を誘発することがあるが、評論家の黒瀬陽平はそれと関連して「現実風景をトレースしてアニメの背景として利用する」という製作手法の存在(つまりアニメという虚構作品の中に現実の風景が侵食している)を指摘している[注 2]。ほかにもアニメ『けいおん!』の作中に登場する楽器などのアイテムが実在のものをモデルにしていたためそれらの商品の売り上げが一時的に上がるという動きがあったり[注 3]、『らき☆すた』においてオタク文化に精通している者でなければわからないようなパロディネタが作品に多数仕込まれるなど[注 4]、空気系作品ではその虚構世界の中に現実の要素が混入されており、それが消費されている面もある。

http://bit.ly/InpOSl



「コンサマトリー」とは

アメリカの社会学者タルコット・パーソンズの造語であり、道具やシステムが本来の目的から解放され、地道な努力をせずに自己目的的、自己完結的(ときに刹 那的)にその自由を享受する姿勢もしくはそれを積極的に促す状況のこと。対義語はインスツルメンタル(化)。非経済的な享楽的消費の概念を「消尽 (consumation)」と呼び、非生産的な消費を生の直接的な充溢と歓喜をもたらすもの(蕩尽)として称揚したフランスの思想家・作家ジョルジュ・ バタイユの考え方とも相通ずる現象解釈といえる。

http://bit.ly/InpGlC



セカイ系それ自体は昔は小説がやっていた役割でありロマン主義的想像力の日本版コモディティといえるのだろうけど、だからこそその部分の経験知や実践知への接続のなさ、あるいはある程度その部分を認識しつつもどうしても情緒的なところに傾いてしまうところに不安を持ってしまう。


そういうのは自分との感覚の違いであり価値観や見え方の違いによる偏見とも言えて、なにも大声で太字的に「( ゚Д゚)<あいつらゼロ年代ヲタどもは政経とか実務とか音痴だからぜーんぜんダメだぁ!」って決めつけも現状を外していることろがあるのかなと思うけど、ドイツ国民の心性、ロマン主義のダメダメ感なんかも振り返ってそんなことは想ってしまう。あと、同族嫌悪的に
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380636011.html


オタクというのはいわばアイロニカルな知性主義とも言えて、知性のバロック的になにか普遍的でまっとうな理知のあり方から生まれた奇形のようなもので、バロックはバロックで江戸の出目金のようなかわいさや魅力はあるのだろうけど、やはりそれはリアルな世界認識の場面ではズレるところがあるのではないか?

日本の現状は会社公共圏を中心としたタテマエ的なものがスタンダードになっていて、それが「世間」的な矛盾や嫌な部分、タテマエ的な嘘くささをもっているにもかかわらず「ふつー」として公共してるものだから。そういった世間にプロテストするでもなく、サボタージュとしてココデハナイどこかへ接続し、せつなみなどをブリコラージュしてアニメ空間を永遠していくのだろうけど、やはりソレハソレとしてわける回路が必要なように思う。

訓練、戦略段階では兵站などを整え最悪の場面を想定してもいいけれど、戦術・実行段階においては楽天的に、特に考えないでスタンダードを重ねて処理していく必要がある。あるいはスタンダードなカードを幾つかか抱えておいて、レイヤーを切り替えるなどして効率の悪くなったスタンダードは切り捨て、つぎのスタンダードを選んでいく、というような。


そのスタンダードは100%完璧ではないかもしれないけれど、60%の完成度でも対象に対して有効であればそれでいいわけで、何も最初から100%を目指す必要はない。


自分の目からはああいったサヨク的な辺りはそういった瑣末な「完全」を追求しているように見える。あるいは100%正義というか…。「ニュー速で1000PV行くかなあ?」って自殺した子にしてもセカイ系やゼロ年代のロマン主義にしても、現状認識の部分で厳しい日本の政治経済な現実な現実やつまらない世間の同調圧力があるにせよ、悲観しすぎてほかの世界やスタンダードを知ろうとせずに一気に自分たちのロマン主義な想像力に閉じてしまい、内部でみょーに強度を高め、結果としてそこで作り上げた自分の檻に閉じ込められていくのはあまりよろしくないように思える。

それはナイーヴさを持て余したナルシシズムであり、そういったナイーヴの行き過ぎは毒になる。吉田健一が言っていたように「人というのはもとから悲惨なもので、それを殊更に覗くのは人の裸を覗くようなもの。人が裸になった時のようなものは見るに堪えないのであるよりも見るべきでない」ということ。「そこに深淵が覗いてる」などと殊更に追求すべきではないものがある。


少しそれたので再びオタクの話に戻ると、オタクというのはそういう形でもともとは知性主義のアイロニカルな反転であり、それ自体は知性主義だったわけで彼らの内部で理知のピラミッドを紡いでいくところがあった。しかしそのデータベースが飽和になったのと時代精神の変化が合わさって「データベースを継ぐ(ことが正しいオタクのあり方)」ではなくなったのだろう。それはサブカルも同様で、そういう形でそれらがコモディティなポップに吸収されていった。


なので「オタクの変化」や「サブカルの変化」はそういった一連の現象として現れたものででしかなく、問うべきなのは「時代精神の変化」とその要因なのだろう。ヤンキーの変化なんかにしても同様だけど。


ヤンキーへの注目は自分たち知性主義-文明圏-インターネット圏の住人との感覚の違いへの関心からなのかなあと思う。少し前に「うちらの世界」な文化資本が低い層の生態への関心があつまったように。もしくは「ここにほんとの大衆の群像があった」的な関心。

「ハマータウンの野郎ども」なんかに代表される「少しやんちゃしててもいずれは労働と社会に包摂されていく層。やんちゃはそのための通過儀礼のようなもの」辺りで、そういった物言わぬ大衆、革命時の荒ぶる民衆の準備段階のようなそれが90年代、00年代を通じて消えていったのはその元となる反発する対象としての会社公共圏の規範、および、それを継いだ家庭での倫理意識、規範のあり方が変化したからではないかと思う。

それらはさきほどいった「時代精神の変化」と同じもので、その要因としては労働や居住の形態、経済環境の変化などが基盤となるのだろう。


金の変化が居住や親密性のあり方に影響し、親密性の変化が性のあり方やコミュニケーションのあり方に影響する。それらの変化の中で、取りこぼされた親密性の欲、あるいはコミュニケーションへの欲にもとづいたプロテストや、寂しみやつらみ、せつなみのoutputが「あの辺り」なのかなあと思うんだけど、それらも市場を通じて出されている限りはいずれコモディティとして形式化され古び古典となってあらたな世代にとっては窮屈になっていく。

もっとも窮屈になる前に捨てて自分たちにマッチするものに切り替えられるのがあのあたりの楽なところだろうけど。そうやって特に自分を変えずに、自分の意味の複製のようなものをスイッチしてシミュラークルし、永遠をブリコラージュしつつ自らの価値観をマイナーチェンジするんだかしないんだかぐらいの消費積み重ねてても、どこかで人生のドストレートな問題に向き合わないといけない時が来るのだろう


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あるいは「いつかは向き合わないといけない」といった主題でさえコモディティにされ反復され「○○系」として消費されている、か。




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そこまで悲観的に見なくても、たんに彼らの一時の休息の場として見ていけばよいのかなあ、とも思うけど。。


あるいは村の祭りと同じようにネットの祭りを村落共同体の祭りの規模の小さなものとして捉える。

ネットの祭りの共同性、直列に繋がれたエネルギーやそれをめぐる循環(永遠)する時間。その時間と人口やエネルギーのようなものがもうすこし外に向く契機として儀式やシンボルのようなものを設定できるのかもしれない。


ガルパン聖地、大洗が成功した理由 - Togetter
http://togetter.com/li/593303

聖地巡礼とは (セイチジュンレイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://bit.ly/InnWZL



北欧やケルトの神や慣習、信仰が「聖人」として回収され巡礼というイベントとしてシンボライズされ儀式化され、村や都市の外の世界との接点をもたらしていったように、現代の「聖地巡礼」にもそういった効果が期待できる。

それは地域還元的な経済性もさることながら、むしろそれよりもバラバラだった世界をつないでいく文化装置としての可能性があるのかも。自分と「違う」おばちゃんおっさん層とのゆるいつながり。

そうやってつながった「うちらの世界」同士がすこしずつ円環の理を脱するためのきっかけになっていくのかもしれない。


社会がつまらないのなら単に逃げるのでもなく自分たちで少しずつ変えていけばいい。変えるにしても自分たちの論理を正義正義と過信せずに。自分と相容れない層の合理性も吸収するようにして。スタンダードなものも吸収しつつ。誰かを蔑んだり糾弾するためのつながりではなく自分たちを守るためのつながりとして。











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関連:
エンタメ、オタクコンテンツにおける自由の可能性と「ぼくらの。」世界、の話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380740959.html


フィリップ・ヴァルテール、2007、「中世の祝祭」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379285806.html




視点・論点 「"さとり世代"の本音」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/173883.html

コンサマトリーなわたしたち消費な日常系で、経済のボリュームが小さくなったのに対して情報量が高くなったために情報の非対称性がhackされ、それまでの幻影に基づいた消費への判断保留 → 「世間的ステータスよりも自分たちのコンサマトリーなマンゾクのほうが大事」となったからだと思うんだけど、なぜかこのひとは「横の空気を読むのは得意だが縦は不得意」とか「情報を消費しただけでやったつもりになる」とか決めつけるみたい。「縦」の空気読むのは不得意っていうかサボタージュしてるだけかもだし、「やったつもりになる」のも幻影消費的な部分を自覚してるからだろう(cf.食品偽装という幻影
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2013年11月25日

笑いの名前


stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus
 
 過ぎにし薔薇はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり












笑いについてまじめに語ることぐらい笑えない、という意味で笑える話もないもんで、その辺語るってのは野暮だし、吉本隆明も「タモリが真面目語ったら終わりだ」っていっていたように

情況としての画像―高度資本主義下の「テレビ」
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芸人が自分の芸の内実について語るってのはマジシャンがマジックの種明かしをするぐらい野暮なものだと思うわけだけど、「ソースソース!」「コンプラコンプラ!」とスパムだかクレームだかな一億総お客様中流うるさい昨今、マジシャンはただ黙って舞台袖から消えるってわけにもいかないようで


「ふーむ」やめたついでにいろいろ言っちゃおうかなコーナー - jt_noSke's diary
http://jtnoske.hateblo.jp/entry/2013/11/23/230829



この件についてはもう解決しちゃってるんでいいっちゃいいんだけど、なんか昨今ジョークとは思えないものを「これはジョークで高等な笑いなんだ―」っていったり「モンティ・パイソンとか談志のわらいなんだーユーモアがわかんないのかー」とか言ったりしてヲイヲイこっちに飛び火させんな的なアレを感じさせる案件とかあったりしてグズグズついったーでつぶやいてたりしたんだけど、あのへんが笑えねーのはまあ仕方ないし、集団でボコってるのもなんか「…参加したくねえなあ」って感じの野暮さというかカッコ悪さみたいなのあるのでそことは距離を取るとして



そもそも笑いってのはどういうことなのかな?っていう根本的な問いを立てていろいろ調べて自分なりにまとめたほうが俺得だなってことで今日もそういう自慰的な日記


ユーモアの定義はエスプリと比べると漠然としていて、確固とした定義は出来ない。[3]古来、文豪や作家達が、ユーモアに対して様々な定義を付けている。またウィットとの境界線も明確ではなく、両者が混同されることもある。[4] 18世紀後半、ロマン主義が盛んになる中で、哲学者や文学者達は、ユーモアの定義づけと考察に奮励した。その中心人物であったジャン・パウルは、ユーモアについて、世界との関連や、パロディや冗談との差異など、様々な観点から分析、考察を行い、大きな業績を残した。また、ゾルガー、ゲーテ、ヘーゲルらも、ユーモアに対する独自の解釈、研究を発表した。

http://bit.ly/Id4aQr

元々ユーモアとは体液を意味する「フモール」という言葉であった。ヒポクラテスが、人間の健康は四つの体液から構成され、どれか一つの量が基準値を逸脱すると不調になるという『四体液説』を指摘するようになると、次第にユーモアの示すものは体液から人の体調へと変わり、さらに、調子の変わった人物を指す意味へと変化した。医学、生理学用語であった「フモール」を、美学的な用語である「ユーモア」として使い始めたのは、ルネッサンス時代の文芸批評家達であった。[5]そして、17世紀になってイギリスで気質喜劇という形式の演劇が勃興すると、おもしろさ、おかしさ、滑稽さ、特異性などを意味するように、語意は変遷した。エリザベス朝時代のイギリスでは、奇矯であることが魅力的であるという風潮が一部にあり、奇矯な振舞いが横行し、「ユーモア」という言葉も、濫用と言われるほどに流行した。[6]ベン・ジョンソンやウィリアム・シェイクスピアは、こうした風潮に辟易していた。

http://bit.ly/Id4aQr

特定の相手がいる場合が多いが、自己満足的である場合もある。具体的な行動としてのいたずらも含まれる。人間同士のコミュニケーションにおいて、会話を弾ませるための潤滑剤として用いられる事もある。 ユーモアを理解し、創造するには、言葉の教養が必要とされる。[8]また越境性に乏しく、異なる言語のユーモアは理解しにくく、「翻訳が困難である」と考える学者もいる。[9] 相手の立場を思いやり、自分と相手を対等の階梯に置いて接する人にしか、ユーモアのセンスは持てないと言われる。相手を見下したり、逆に卑屈になったりする人には、ユーモアの資質が欠けるとみなされる。

http://bit.ly/Id4aQr

ユーモアに関係する概念としては、具体的な小話であるジョーク、単純な言葉遊びである駄洒落、より複雑で知的な言葉遊び、冗談、法螺(ほら)などがある。風刺の場合は世間の事象に対する鋭い観察や社会的な批判の視点が強い。ギャグの場合はたわいのないおかしさを狙うものである。 人の行為、かかわりについての深い洞察や世知の豊かさが、上品でセンスのあるユーモアを生み出すことが多い。知的な要素が強い場合は、機知(ウィット)と呼んだほうがよい場合もある。

http://bit.ly/Id4aQr

特定のユーモアは、人によって不愉快、気が利いてない、つまらないと感じられる場合がある。例えば、知的なセンスの誇示の手段としてユーモアが用いられた場合、自己顕示が強くなりすぎるとペダントリー(衒学趣味、知ったかぶり)に堕すこともある。性的なニュアンスを含んだユーモア表現として下ネタもよく使われる。これは行き過ぎるとセクシャル・ハラスメントとなる。 単にほのめかすだけでなく、異様にグロテスクな話題を出す時、宗教・生命・差別などに関する常識的な倫理や禁忌(タブー)にあえて逆らい、世相と人柄を皮肉ったユーモアは「ブラックユーモア」と呼ばれる。穏やかなユーモアと比べて不愉快に感じる人間が多い一方で、その刺激を楽しむ人もいる。または差別の対象となる人間が、あえてブラックユーモアを口にする事もある。

http://bit.ly/Id4aQr


Wikipediaの「ユーモア」のところほとんど引用しちゃったのでタブ2つ開いてそっちみたほうが早いっちゃ早いんだけどまあいちお。


ここからするとユーモアってのはまずもって人間愛的なものが必要ってのがわかる。相手の立場を思いやる、ということ。そのうえでその場を和ませるためにやるもの。会話の潤滑油。なので、それによって場の空気が悪くなったり、嘲笑うような感じになるものは笑い自体は生じるかもしれないけど芸としても二流ってこと。このへんは内海佳江師匠なんかもよくいってることみたいだし芸人話だとふつーにいうことだとおもうけど、「笑わせても笑われるな」、ってのはそういうのも含めた話だと思う。ただ、「芸として一方的に笑わせてやったんやー(`・∀・´)エッヘン」、てのもなんか得意げになっててユーモアのセンスないなあとか思うけど。


上岡龍太郎「芸人論」裏付け - お気楽、お気軽、心置きなく。
http://d.hatena.ne.jp/masakun1182/20110801/1312161748



上岡龍太郎も言っていたように「かつては芸人はプロの芸をみせるものだったがテレビの時代になって芸人がしろーとぶりをみせるところが芸になってしまった」って話。具体的にはパペポテレビで組んでた笑福亭鶴瓶なんかが擬音と体の動作で視覚的に状況を表そうとしていたことに対して「君のはプロの芸やない。しろーとのプロや」みたいなこと言ってたような気がする(要出典)。そういう話は永六輔なんかも清水ミチコの人に言っていたように思うけど(「あなたはアマチュアのプロだね」)、まあそれはいいとして、、


そんな感じでしろーとでありチンピラが前面に出てきたのが紳助隆介だったし、それをもっと高速にしたのがダウンタウンだった。横山やすしをして「おまえらのは芸やない。チンピラのダベリじゃ!」みたいなこと言わしめてたと思うんだけど、けっきょくはテレビ全盛時代の高速の笑いに乗っかるようにダウンタウンの笑いは世間を席巻していった。ただ、それは古い形の「噺し家」とか「漫才師」ってものではなく、「テレビのお笑い」という形を90年台的に構築したものだったけど。とにかくテンポが求められたので

速さっていうことだと80年台お笑いブーム時、ツービートの他にB&Bも高速の笑いを得意としていた。そこで求められるのは口承文化圏の語りと抑揚(cf.バナナのたたき売り)ではなく会話のテーマをどんどん切り替えていく速度と機転に変わった。たけしと洋七の両者とも機転の速度、滑舌とも引けをとらないものだったように思うけど、時代はたけしを選んでいった。


ビートたけしの時代、たけしが作り上げていったテレビ芸をして北田暁大は「純粋テレビ」と名づけた。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/80796779.html

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録画した映像をタレントがスタジオで観覧するところを愉しむ、という状況。それは少し前ならば考えられないような「芸人が芸を見せるのではなく、ただ芸人が笑っている状況を見せる」という状況で、芸ではなく単なるタレントの普段の姿、楽屋や居酒屋での談笑の様子ってことだった。

芸人、タレント以外のひとをテレビの舞台に引っ張り込むことで芸を持ってなくても「自分はシロートではなく芸人(タレント)」ということをいつの間にか既成事実にしてしまった。そのとき「テレビですから」からという暴力が通じるようになり、そのテレビの暴力によってたけしは殺され、テレビ芸人が残って芸人は去っていった。

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アメトークだか水道橋博士だかも言っていたように思うけど、そうやって芸人の消えた空間に残ったのはサラリーマン化したタレントだけで、彼らは「テレビ」が求めるサイズの笑いを提供するための部品として要求されるようになった。その最たるものが「ガヤも芸」「ひな壇芸人」と半ば自虐的にかどうだか言うようになったことで、それ自体はもはやその辺のコンパのノリと変わらないものになってる(あるいはコンパやホストなんかがテレビの様子を真似てって再帰性もあるだろうけど)。そしてプロデューサーの求める笑いを演じさせられ、キャラや台本も作られ、その部品としてプロデュースされ消費されていく若者たちが増えた。


芸人がいた空間、あるいは芸はテレビからは消えた。もしくは「テレビ芸」と彼らが自らをブランディングするための呼称とパフォーマンスのみが残った。

そしてビートたけしの最後に事故がダメ押しし、北野武が残った

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では芸や笑いはどこにいったか?といえばスタジオにも未だあるのだろうし、そのテレビ番組を見て楽しみ笑う人達もいるのだろう。ただ、かつての噺家や芸人たちの芸や笑いは消えた。


もしくはライブや劇場ではまだそれはあるのかもしれない。



そういった笑いは単なる一方通行の「笑わせ」っていうのとも違った、その場全体の空気を弛緩させ、場の空気を良くするものなのかも。


「笑わせてやったぜー」的な形式にとらわれたそれはいつしか独善に捕らわれておもしろくなくなるものなのだろう。笑いというのは相互作用であり、一人では創りあげられないものだから。

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そしてこれは哲学は体で覚えるものだということなんです.ところが一方で,小三治師匠はこう言っています.「セリフは教わったまんまでもいい.特に,噺の口調もできておらず,人物のメリハリも満足につかない初心の段階では,まんまでなくてはいけないくらいだ」(『落語家論』17頁).これはあくまで修行の段階でして,そういう時期も経なければいけないということのようです.  問いを畳長に繰り返します.〈藝〉が個性的であるというのはどういうことでしょうか.「演者が消えて登場人物が現れる」という言い方がされます.これは個性的ということとなにかしら関係がありそうです.演者の自分を消すことが〈藝〉なのでしょうが,話の中の登場人物をリアルに押し立てる〈藝〉とはいったい何なのでしょうか.  音楽の場合を考えますと,演奏とは楽譜に書かれていることの再現ではありませんし,またどこかの名人の演奏を反復・模倣することでもありません.演奏とは常に解釈なんですね.英語で演奏のことを interpretation と言いますが,そういう事情をふまえてのことです.同じことは落語にも当てはまりそうですね.見巧者・聴き巧者の多いこの世界のこと,私などが大きな口は叩けませんが(冷汗タラリ),さきほど来,引用し拠り所とさせてもらっている柳家小三治師匠はそう言っています.  落語が〈藝〉だというのは,落語が題材の interpretation(解釈)だということです.解釈なのですから,演じるたびごとに違う解釈になってもおかしくありません.解釈,これは頭で解釈することを意味するだけではなくて,身振りや声の出し方まで含めた総合的な実践だと思いますが,解釈の結果現れてくる演技は,解釈の一つの表現ということになります.この解釈が〈藝〉なのではないでしょうか.〈藝〉が個性である以上,他人から教わることもできないということになります.自分で探すしかありません.この辺は,「自分とは何か」という実存的問いにおける「自分」も同じでしょうし,「幸福」や「自分に適した職業」といった言葉で意味されるところもそうでしょう.

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「われわれが、他者がある振る舞いにおいて何をしているのか −何を意図しているかではなく、端的に何をしているか− を直観的に判断できるのは、自分自身の振る舞いとそれによって追求される有効性の関係を規定する、なんらかの法則性を身体的に理解しているためだろう。振る舞いには表れない本来の意図を推測したり、振る舞いの背後の感情に配慮したり、振る舞いの意味を解釈したりすることは、このような直観的な判断に対する事後的な補正としてのみ可能であると思われる。…有効性を追求するさいの振る舞いにおいて等しい身体 −これを「相互身体」と呼ぶことにする− が共有されているという前提に立っている点で、このような直観的な判断を、「相互身体的判断(intercorporal judgment)と呼ぶことにし、また、この判断によって他者の行為に有効性を認め、技法を発見しようとする視点を、「相互身体的視点」と呼ぶことにしたい。」(pp.127-28)

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そういったものを理解していないとテレビ芸人がお笑い番組で内部いぢり的にバスケットボールをぶつけたり、あるいは鬼ごっこ番組で途中で棄権したりしてもみょーなdisりをついったーやネット上で展開することになるのだろう。そういう場面での笑いはまずその場での「お約束」的なものを理解できてないと冗談としても通用しないってやつ。「お約束」というのはメッセージの発信者と受信者との間に、メッセージ発信以前に前提とされているルールのようなものでありKYなんだけど、ここでのわらいというのはそれを前提としつつそこを外したり速度をはやめたりして起こすものだから。

全体的にはまずなんとなく共有される常識-コードのようなものがあって、それを外したり裏返したりするところで笑いは生まれる。

あるいは緊張と弛緩。


桂枝雀はそれを「緊張と緩和」と呼んだようだけど、シンとボケと言ってもいい。あるいは常識とボケ。


ある程度情報を与えて全体の期待(シン-緊張)を高めていって、その予定されたシンから外したり早めたりする所から笑いを生じさせる。あるいは全体を普段の常識からずらしボケを高めていってそれを常識に戻す。ボケが長くなると冗長性が発生する。

桂枝雀は笑いは緊張の緩和によって起こるという理論を立て、それと平行して落語の落ちを4種類に分類した。観客がどこで笑いを感じるかに視点を定め科学的な分類を実現した。[1]

ドンデン 物事の展開がいったん落ち着きや一致を見せることによって観客の心理が一度安定に傾き、その後に意外な展開になって不安定な方向に振れることで、落差により笑いが起きる。逆のパターンが「謎解き」である。

謎解き 物事の展開が観客にとっての謎を生むことで心理が不安定に傾き、その後に謎が解決して安定することで笑いが起きる。逆のパターンが「ドンデン」である。

へん 安定状態を経由せず、通常の状態からいきなり物事が不安定な方向に逸脱してしまう作用によって笑いが起きる。逆のパターンが「合わせ」である。

合わせ 不安定な状態を経由せず、2つの異なる物事が合致してしまう安定化の作用によって笑いが起きる。逆のパターンが「へん」である。

http://bit.ly/1c4wwYc






枝雀のこの説明では話芸の中でシンをつくりあげていき、その落とし方を説明しているけど、そういった話芸的なものがない場合、求められない場合は共有する常識の内容部分だけがシンとなる。その部分をどう裏返していくか。


原理的にはそれは赤ん坊にいないいないばあをしたときの安堵とほほ笑みと同じなのだろう。

ただ、人は言葉と概念を覚えていくに連れ内面が複雑化するので、その内面に合うように話芸を通じて観客のシンを走査(スキャン)し、「掴んだ」と思えたときにそれぞれのパターンで落とす。あるいは冗長性を作り上げてそれを落とす。

ゴムひもを想像するといいと思うんだけど、あれをたわませていくのがボケで張っていくのがシン(緊張)。弛めたゴムを一気にピンと張る=隠れていた常識(ツッコミ)が「バァッ」と姿を現す。あるいはピンと張り詰めたゴムの力がズッコケを誘うボケで一気に放出される。そのときのエネルギー=運動、現象が笑いということ。

あるいは味覚で説明すれば、ベースとなる味が常識や社会規範で、エスプリが香辛料、ウィットは砂糖などか。基本の味の整えは基本的なツッコミという塩で人によっては塩加減が強すぎたり調度良く感じたりする。日本の叩きを中心としたツッコミ(塩味)は一般的には外国人には強いみたい。エスプリは大人の味だから子供にはわかりにくいし効きすぎてても料理の味が悪くなる。「胡椒かけすぎ」みたいに。砂糖ほかもおなじ。


それらをふまえてふたたび冒頭の「ふーむ」やら「これがモンティ・パイソンの笑いだ!」みたいな話に戻ろう。

「ふーむ」を囲む人たちってのはさっき言ったようにjt_noSkeさんがふだんどれだけつまらなくて糞真面目で家族にも「もうダジャレやめて><」いわれてる人間かっていうのを知らずにうんたらいってるのだろうなあってことで、あのエントリ書かせた時点で野暮だなあって思うんだけどぶくまとかで「jt_noSkeさんのはスパムだから見ないようにしてる」とかいわれてそれにショック受けつつ対処してるのすけさんものすけさんだなーとおもって今日もスパム明日もスパム、スパムスパムスパムだらけだ―ッて感じなんだけど、「これがモンティ・パイソンとか談志、たけしのわらいだー」とかゆってたひとも談志とかたけしのわらいわかってんのかなー?ってとこでいちお解説しとくと、あれは下町のファックコミュニケーションみたいなもので、もともと下町の「言わせるな馬鹿野郎///」的な毒蝮三太夫的な愛情とそこからのクソババァ呼ばわりな前提がないと通らない話なのだよね。つまりそういった空気の共有

なので、ああいう笑いをする場合はまずもって毒舌吐く対象との相互信頼みたいなのが確立してないといけないし、ユーモアの引用でも取り上げたように、相手に対する敬意みたいなのがないといけない。あるいは、相手を下げないように自分が最初から下が(自虐)ってる状態じゃないとみょーに凸ってしまう。で、ネット的な■━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノ■━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノが生まれるのだろうけど、この■━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノも観測してる範囲だとみょーに殺気立っててよろしくない。。

ついったで誰かも言ってたけど「寄付金の流れ透明化へ」というネタなら「wikileaksと業務提携! 幹部はすでに透明化している内容であり痛痒だにないと語る」くらいかませばよかったのにってぐらいで終わる話なんだと思う(パクツイ)。

もしくはそういうのでもなくウイットだかエスプリだかブラックジョークだかいうんだったらそれ相応の教養と常識をもち、世論的に尖った対象、凸ったところを笑いというハンマーで■━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノするようなものでないとおもしろくない。というかユーモアとして成立しない。

笑いというのはいろいろあるしあれでも笑える人はいるのだろうから相対的なものでどれが「より高度なわらいだー」とかいっても不毛なのだろうけど料理と味覚の話みたいなものだし、少なくともユーモアってのはそういうものだしモンティ・パイソンとかはそういう流れに属するものなので。

加えてダメ押せば、昔風のユーモアの型が要請されるイギリス風ブラックジョークの場面で現代のテレビのわらい的な薄い表面的なボケを展開してしまったので送信者と受信者の間でコードの読み違えのようなものが生じたのだろう。送信者側のそれは現代テレビ風の速度と機転を中心とし、いぢる対象への理解とかはそれほどなくただ「材料」として使っていくタイプの「わらい」ということだろうけど、ああいった型のブラックジョークのコードを出した場合、まずもって「昔ながらの世相批判的な風刺かな?(ジョーク新聞ってことだし)」って期待がかかるのは当たり前だし、モンティパイソン的とかいうのを自負しているのだったらその辺りについての理解がないとおかしいことになる。すくなくとも自虐はないと落ち(サゲ)ない。

そういう意味であのエントリには愛もなければオチもなかったし、jt_noSkeさんのそれにもシャレがない


葛飾北斎が娘の絵に対して「てめえは描いたら描きっぱなし。始末をしねえから悪い」っていってたけどあんな感じ

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なので不肖カッパさんが(`・∀・´)エッヘンと落ちを付けてやると、そもそもあの「ふーむ」っていうのはユーモアの語源「humor」に由来するもので、@jt_noSkeアイコンの不毛(る)っぷりと「ダジャレ不毛」「ダジャレは留保するけど留保のないハゲっぷり」「ハゲててもいい。たくましく生きて欲しい」を掛けた高度な人間愛を示すものだったんだけど、一部のはてな村民にはそれが通じなかったようで不毛でしたねってことでjt_noSkeはダジャレ思いつかないぶこめについてはすみやかに「ふーむ」でコメントするように戻すか別のコメントを考えるように。見てて「はてなの闇」感じて不気味なので。

あと@kotorikoもしょーもないスパムショック引きずってないでさっさと復帰するといい(ハゲつながり)




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「第一部」では悲劇を取り扱い、それが憐憫と恐怖とを掻き立てることによって、どのようにして感情の浄化を行うかについて述べた。先に約束したとおり、今度は喜劇を(むろん風刺劇や無言劇をも含めて)取り扱い、それが諧謔の喜びを掻き立てることによって、どのようにして情念の浄化を達成するかについて述べてみよう。情念が考察に値することは、すでに霊魂論において言及したが、それは・・・すべての生き物のなかにあって唯一・・・人間だけが笑いの能力を備えているからだ。それゆえ以下においては、喜劇がいかなる型の行為を模倣するかについて定義し、ついで喜劇が笑いを掻き立てる手段について検討することにしょう。この手段こそは所作であり話法なのだ。したがって、以下において、所作の諧謔がどのようにして生ずるかを、すなわち、最善を最悪へ同化させたりその逆を行うことによって、欺きながら人を驚かすことによって、不可能なことや自然の法則を蹂躙することによって、無関係や無定見によって、登場人物を貶めることによって、剽軽で低俗な無言劇を用いることによって、不調和によって、無価値なものを選び出すことによって、それぞれに生ずることについて示してみよう。ついでまた、話法のが諧謔、異なった事物に対する似通った言葉と似通った事物に対する異なった言葉の取り扱いから、饒舌や反復から、言葉の遊びから、縮小辞から、発音の間違いや誤用などから、どのようにして生ずるのかについて示してみよう・・・

 「・・・喜劇は〈コマイ〉すなわち農村で、食事や宴会の後に述べられる戯れの祝辞として、発生した。それは知名の人士や取り立てて有能な人物について語ろうとするのではなく、歪小で滑稽な、だだし邪悪でない人物ついて語るのであり、主人公の死をもって物語は終わらない。それは平凡な人間の欠点や悪癖を示すことによって、滑稽さがもつ効果に達する。ここで、アリストテーレスは笑いを誘う傾向を認識の価値さえ高める一つの善良な力と見なそうとしているのだ。なぜなら、辛辣な謎や、予期せぬ隠喩を介して、あたかも嘘をつくかのように、現実にあるものとは異なった事象を物語ることによって、実際には、それらの事象を現実よりも正確にわたしたちに見つめさせ、そうか、本当はそうだったのか、それは知らなかった、とわたしたちに言わしめるからだ。この世界や人間たちを、現実の姿や、わたしたちがそうだと思い込んでいる姿よりも、悪しざまに描き出すことによって、要するに、英雄叙事詩や悲劇や聖者伝などがわたしたちに示してきた方法とはことなり、悪しざまに描き出すことによって、明るみに出された真実。そうであろう?」

バラの名前の謎(2)
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宮田光雄著「キリスト教と笑い」を読みました: 冬に書く
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以前の笑いは名に留まり、私たちは裸の名を手にする



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2013年11月24日

近代的理性の立ち上がりと国家幻想、そこから疎外されていったものたち、のはなし


よむよむメモ的なアウトラインとして



佐藤賢一のフランス革命の小説を読んでるのはこの時期の理性教ともいうべきな「啓蒙」「教養」「理性」の表面的なところと、それとは別にエモーショナルなところを原動力とした革命の流れの微細な部分を追ってみたいからなんだけど、ドイツの歴史を見ていても浮かんできたように、そういった「理性」というのは実践的には役立つもので、ドイツロマン主義-観念論ではそれが欠けていた。

というか、「タテマエとホンネ」的に分離していて、実践的な合理性、プラグマティックなそれはエリート層(あるいは官僚的な技術的エリート)が受け持ち、ドイツ人の思考・人格というのはロマン主義的な幻想と俗な暴力性が直接に接続されたものだった。

俗なところには「世間」的なものも絡む。というか、伝統宗教-ゲマインシャフト的な「ホンネ」とか価値観や観念のあり方。それがhackされないままなんとなくの「ホンネ」として残った。そういったものが日本にそのまま移入され、明治 → 近代日本の教養と知識空間を作り上げていったのだろう。それがそのまま戦後にも受け継がれていった。表面的にはアメリカ的なプラグマティズムや民主主義を取り入れただけに、かえってタチ悪くそういったものを後景化させつつ。

http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380636011.html
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379707101.html


なのでこの本の言ってる内容はたぶん表面的なものだろうなあとおもう

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未読だけどレビューから伺うに、 「明治後期の教養主義形成 → 興隆 → 衰退をブルデューの階級論を中心とする社会学の視角で分析した著作」てある。でもたぶんそれドイツエリートとフランスエリートとで違いがあるし、日本はドイツ知識空間のそれを引き受けつつ、さらに「世間」の部分の感覚が「告解-個人」な伝統をもったキリスト教圏と違ってくるのだろうから
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380874839.html
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379707101.html


んでもまあ日本の「思想」「教養」界隈の流れをざっと見るのには便利なのだろうからそのうち読むかも(小熊英二さん的な「年号と歴史的にザラッと眺めるには」的な便利さぽい)


フランス革命にしても清教徒革命、あるいはドイツ教養市民層の台頭にしても、その前段階としてのブルジョワの知識変化と産業・社会構造の変化、農業革命、人口変化などを総合的に扱かった視点が見たいんだけど、そういうテーマに絞って英仏独あたりで比較史したものってのはなかなかなさそうなので個別に見ていこうかなってところ。とりあえずはこの辺

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ドイツの「教養市民層」についてイギリスの場合と比較しながら論じたもの。 マックス・ウエーバーのイギリス・コンプレックスなど面白い指摘がいくつもある。著者も「はじめに」でいう通り、明治以来の日本のエリート層は深く「ドイツ教養市民層」の影響を受けている。
 野田は、「ドイツ教養市民層」が内心もっていた宗教への軽蔑心が、明治以来の日本のエリートたちの宗教への態度に影響をあたえているのではないかといっている。
 「教養人」は現世的・世俗的・合理的で、来世的な超越への関心をもたない。

野田宣雄「ドイツ教養市民層の歴史」 - 日々平安録
http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20020113/1142037509

 ドイツロマン主義哲学といえば、ヘーゲル、フィヒテなどを連想する。カントにも結構その気味があるという気がするのだが、どうだろうか。ウインストン・チャーチルがあるとき少しドイツ語で挨拶をしたとき、その前に「動物の吠えるような言葉を使わねばならぬのか」というようなことを言ったという。作曲家メンデルスゾーンはヘーゲルについて、「変な人」と言ったそうだ。
 ドイツ哲学がロマン主義というのは、それが思弁、思弁、思弁の哲学だということだ。火星は、原子の内部は、クジラの脳は、どうなっているか。これらは何らかの方法で観察するより仕方が亜ないが、ドイツ哲学は書斎にあるいは象牙の塔の研究室にのなかでただ頭で考えるだけで、それらのことを知ろうし、実際「こうなっていなくてはならない」と結論をだす。それゆえ壮大な自己陶酔が可能となる哲学だ。そのため、「哲学の実証科学への同化を不可能ならしめている(p116)。」

 難しい本で、細部はわからないことが多かったが、基本線は次のようなものであろうと思いました。

 宗教改革まではイギリスもフランスもドイツも大きな差異はなかったが、それ以後大きな違いが生じるようになった。宗教戦争でドイツは大きな被害を受け、英仏のような中産階級が生まれるのには少なくとも18世紀末を待たねばならなかった。ドイツはもともと古代地中海文明の光がほとん射さなかったところだが、英仏と違い、「ドイツ帝国はそのどこを探しても、近代国家の成立と強化に決定的だったこの数世紀の法理念と国家理念との関わりを見出せないのである(p63)。」せっかくプロテスタンティズムが生まれたのに、それがイギリスなどのように個人のレベルで宗教心が篤く自覚的なったのと違い、各領邦でのプロテスタント主義だから、「自由教会的な信仰伝統を欠いたドイツに特有な、カトリックと国家(領邦)強制のプロテスタント教会(p64)」という。つまり、親方日の丸ならぬ「親方領主」という変形したプロテスタントとなった。

 英(米)仏ではヒューマニズムと結びついた啓蒙主義が出て大きな影響をあたえたが、ドイツではこれがなく、「諸宗派の対立していた十七世紀や十八世紀の初めに力をふるった教会神学の拘束力は純粋に世俗的な啓蒙主義に屈したのではなく、俗世の中での信仰、つまり教会を離れたプロテスタンティズムに道をゆずったのだった(p64)。」といっても、「その表現形態は、哲学や科学における、なんらかのかたちで特有の流儀をもった、あるいはその人固有の流儀をもった世界観の探求である(p64)。」これがドイツロマン主義である。

 このドイツロマン主義の担い手はだれか。それはドイツ教養市民層といわれる人々です。これについては野田宣雄さんの「ドイツ教養市民層の歴史」(講談社学術文庫)の最初に詳しい説明があります(詭弁家ヴァイツゼッカーの「家族はこの層に所属します)が、大学教授、高等学校教師、裁判官、高級行政官僚、プロテスタント聖職者、医師、弁護士、著作家、芸術家、ジャーナリストなどです。学歴や出身階層が高く集団内志向で、社会的威信を重視、この文化がドイツ社会の文化や秩序をつくります(p14〜15)。
(この社会エリート層の心情とか考えかたやナチなどの保守主義にどういう態度をとったかは、プレスナーの本より、野田さんの本がより具体的で、かつイギリスやフランスのエリートなどと比較してどのような違いがあるか、わかりやすいと思いました。もう一つついでの余談ですが、ドイツも中国も被支配者に対してエリートが威張っていたというようなことを、野田さんがこの本のどこかで書いておられます。中国の支配者は歴史的に横暴横柄です。被支配者の涙などなんとも思ってはいません。)
 
 なるほどこの教養市民層はユダヤ人を直接ガス室に送ってはいないし、ロシア人などを直接虐殺してはいないでしょう。しかし彼らは文民官僚機構や国防軍の大きな部分を占めています。ハンナ・アーレントも指摘しているように、彼らは特にナチに反抗したわけではなく、彼らの積極的な協力や国防軍の「軍事的活躍」なくして、ゼノサイドはもちろんナチドイツの管理運営経営は不可能でした。彼らの多くはナチの「世界に冠たるドイツ」と反共と反ユダヤ主義に悪い気はしていません。
 「大思想というものは・・・大衆へのプロパガンダの必要に強いられた荒っぽいかたちにおいてもなお、・・・出自との関わりを保持している。・・・いまだ知られざる力を喚起する役割を定められているのである(p320〜321)。」

 「二十世紀のナチズムの台頭は、教養市民層というすぐれてドイツ的なエリートの存在と密接にかかわっていた。・・・教養市民層・カトリシズム・社会民主主義・ナチズムといったドイツ近現代史の諸問題はひとつの大きな宗教社会史的連関のなかで把握される必要があり(野田宣雄同書、p290)。」この教養市民層に対して、カソリック教会と労働運動が対応して、これらがそれぞれの閉鎖的で非妥協的な世界を形成します。野田さんの本に詳しいです。
 したがってワイマール憲法という当時もっとも進んだ民主的憲法は宝の持ち腐れ。民主主義が成立する可能性はゼロに等しくなります。ワイマール共和国の時代、多くの政党ら林立しますが、共産党をのぞく全政党の唯一一致する点は反共でした。また、ナチと共産党は最両翼でしたが、ワイマール共和国打倒では一致していまし。
 (野田さんと親しかった高坂正堯さんがあるパネルディスカッションで、「フランス革命には賛否両論あり、それは当然だが、ドイツの革命はあきらかに失敗だった」と言われました。ワイマール共和国から結局ナチが出てドイツの「全国制覇」をしたことをいわれたと思います。野田さんは何かの本で、ロシアの共産主義・ソ連がなかったなら、ドイツにナチも成立しなかっただろうと書いておられました。)

 このドイツロマン主義にはまだつけ加わるものがあります。1871年ドイツ帝国(第二帝国、宰相ビスマルク)が成立したとき、これは「古典的国家の理念とはなんの関わりもない、全国民にとってたしかな拠り所となるようなキリスト教の宗派のいずれともなんの関わりのない国家であり、内面的には科学や哲学の根本的変革にそのままさらされることになった(p65)。」この時期はいうならば次の「啓蒙主義」の時代、つまりヒューマニズムとは関係しない、ダーウイン主義などの思想が跋扈する、つまり普遍的なヒューマニズム(人文主義)のない帝国主義の時代でした。ドイツロマン主義はこの影響も受けます。
 したがって、ドイツは、キリスト教あるいは啓蒙主義いずれのヒューマニズムとも切り離されたところに近代国家が成立し、1933年ヒトラーの第三帝国成立以前、すでに1871年成立のこの第二帝国において倫理性の欠けた権力国家となっていました。

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あと啓蒙主義-百科全書派 → フランス革命ってことでルソーとか。


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ここで「ヴィクトリア朝的偽善」「ヨーロッパで最も低劣で愚劣な時代」として吉田健一に嫌われつつも「だがそれこそがヨーロッパ文明の真髄なのだ」とされている18世紀英仏のプラグマティック(実利的)な合理性はドイツの実務家たちが持っていたそれと同じものだろう。そしておそらくは16世紀文化革命において駆動された庶民の生活・海洋・軍事のための実践的な学としての数学 - 科学あたり。つまり「手の学問」のこと


山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/229813934.html


そういったものがなぜ英仏で駆動してドイツで駆動しなかったのか?ドイツでは観念論 > プラグマティズムに偏ったのか?といえばやはり30年戦争の荒廃が頭に浮かぶ。あの戦争の建て直しがうまくいかなかったことが海洋進出および国内の科学 → 工場的殖産への道を阻んだのではないか?

なので国民性とかいうよりも経路依存的な歴史的偶然といえそう。そこに「ドイツでは中央集権が遅れた」とかも絡みそうだけど、これも単にフランスでは「カペー朝の男たちが代々長命で、死ぬ前に次の後継者を任命できた → 長期政権 → 王権による諸侯併合が進んだ」というだけだったみたいだし、イギリスはノルマンディー候ギョームによる併合が基板になったようだし。


啓蒙主義というのはけっきょくのところプロテスタント的な理性をよりプラグマティックに、宗教的価値固定を薄めていったものだったのだろう。なので価値や言葉に関してできるだけ中立なものを作り出し、神によるバインドをはずし、百科全書的にデータベースしようとした。しかしその根幹の部分にはヒューマニズム-人権という価値があり、その部分の説明が機械的に為されない信念のようなものからもわかるようにプロテスタントが使用する語彙を変えた宗教のようなものだったのだろう。


なので、その中心的な価値-ヒューマニズム・人権を中心としたカーネル・憲法は宗教的な質感を帯びる。それを中心として駆動する国家も宗教的な幻想を帯びていく。


福田恆存がいっていた『「個人のための愛の宗教」が「集団にとっては憎しみの宗教」となるというようなこと』というのはまさにこの部分の国家幻想の逆説、合成の誤謬的なところが絡むのだろう。個人の期待・善を機械的に集計してもそれは結果的に善になるとは限らない。


【第37回】『邪宗門』(高橋和巳)前編|新しい「古典」を読む|finalventの記事、コラムを読むならcakes(ケイクス)
https://cakes.mu/posts/2706

【第39回】『邪宗門』(高橋和巳) 後編|新しい「古典」を読む|finalventの記事、コラムを読むならcakes(ケイクス)
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「みんなほんとに心で思ってることと言葉に出したものは違ってしまって『なんでなん(´・ω・`)?』て思うの」って心の色が見えるらしい某人が言ってたけど、日本語は日本語的な権力の流れを内包してるのだろうし、その流れに乗って共同幻想していけばそれがたとえ個々のレベルでは「善」でもなにか全体的な意志のようなものになって個人の前に立ちはだかってくるのだろう。

日本の社会や国家の本質は何か。こうした問いかけは史観によって答えられることが多い。史観とは「なぜこのような日本の社会や国家ができあがったのか」という説明である。史観が制度史に限定されるなら史実と照合しやすい。だが、この問いかけの対象には精神史が潜む。精神の歴史である。人々の内面に存在する精神は各種事件の表層からは見えない。しかも精神史は複数の事実の整合的なまとめよりも、信仰や教理など簡素なモデルとして提出する必要がある。天国や浄土の確信、あるいは奇跡や聖者への帰依などだ。こうしたモデルはその簡素さゆえに虚構に近い。ここで精神史は文学に接近する。文学によって前近代から近代の日本の精神史を描き出す試みはいくどとなく試みられてきた。そうした試みの一つとして読むとしても、高橋和巳『邪宗門』は壮大なスケールをもっている。

国家が敵対し排除する邪宗門には国家の精神性が対照的に映し出される。あるいは邪宗門こそが天皇制という国家幻想を炙り出す鏡像である。この像から精神史の史観のモデルを描き出すことで、日本国家の精神的な呪縛、「共同幻想」というものの正体を暴露することが可能になる。高橋和巳の『邪宗門』はこの課題(国家共同幻想の暴露)に、小説としての豊穣さを含めながら真正面に挑んだ作品でもあり、近代日本の精神的な呪縛の仕組みを逆説的に描きだしてもいる。しかもこの逆説には、さらにもう一段の逆説が加わり、国家に反逆する反国家精神や批判もまた、結果的に倒錯した共同幻想の問題を含むことを明らかにした。この課題(国家批判の倒錯性)は戦後、いわゆる左翼勢力が倒錯していく傾向をなぞってさえいる。

ここで不用意に使った「共同幻想」という用語に簡単に触れておく。「共同幻想」とはしばしば字義的に「共同の幻想」と解される。だが、戦後史においてこの用語を独自に定義した思想家・吉本隆明は、「個々人が抱く幻想の疎外」としてとらえた。疎外とは、自己の本質を自己ならざるものとして表出し、対象的に認識することである。鏡に映し出された自分の像を例にしよう。鏡像は自分の姿だと自分は認識している。しかしその像は他者の視線によって了解され、自分が了解する像と異なる。自分は自分の顔を「鼻が高く目もぱっちり」と了解しても、他者は「いびつな鼻とぎょろ目」だと了解する。自分の顔を他者による了解(自己ならざるもの)で受け入れなくては、社会のなかで生きていけない。表出された自分が自分にとって違和感のあるものになる。共同幻想も同じだ。心の仕組みとしては個々人が生み出した幻想なのに、社会に表出されることで、個人にとって違和感のある他者のように振る舞う。そして、事実上実体的に共同幻想が存在するように了解される。
 共同幻想はゆえに、個々人が意識では思ってもいなかった精神的な対立物となって現れた精神であり、個々人を拘束する呪縛となる。人間という種に課せられた精神が生み出した精神的な拘束である。共同的に個々人の精神を支配する精神実体として見れば、宗教でもあり「神」でもある。吉本はこの共同幻想という宗教性が制度面以外での国家の正体であるとした。「邪宗門」はそこでは共同幻想としての国家宗教に対立する宗教である。しかも双方(国家の共同幻想と新興宗教の共同幻想)が民衆の個々の意識を疎外して生まれたものでもあるから、いずれも他者の精神を拘束する正義や理想社会の彩りをもっている。

 
作者・高橋和巳はこうしたモチーフを簡素に「あとがき」で述べている。


 発想の端緒は、日本の現代精神史を踏まえつつ、すべての宗教がその登場のはじめには色濃く持っている、〈世直し〉の思想を、教団の膨張にともなう様々の妥協を排して極限化すればどうなるかを、思考実験をしてみたいということであった。表題を「邪宗門」と銘うったのも、むしろ世人から邪宗と目される限りにおいて、宗教は熾烈にしてかつ本質的な問いかけの迫力を持ち、かつ人間精神にとって宗教はいかなる位置をしめ、いかなる意味をもつのかの問題性をも豊富にはらむと常々考えていたからである。

 思考実験の結果は、この作品の結末で示されるように、理想実現という点からすれば、壮絶に破綻した。この結末にはしかし、作者・高橋が明瞭に示したはずのモチーフとの間で微妙な差違が存在している。この作品を現在に読み取るとき、この差違が重要点となる。ごく簡単に言うなら、この思考実験で破綻の様相を描いたのは、現実の国家、つまり諸暴力を収納し一元的に発動可能にする暴力装置としての国家に対して、新興宗教という共同幻想が立ち向かえなかった、ということではない。そうではなく、理想に見えた共同幻想である「邪宗門」の本質に、国家という宗教に対峙するには足りない欠落が存在したことである。この転倒された微妙な差違を解き明かすには作品の背景も知っておくとよいだろう。



個々の意識、幻想、欲望が共同幻想となったとき、自らを疎外する社会規範と立ちはだかってくる。それは厳しい父の姿ともいえる。


だからこそ動物的-ゲマインシャフトの感覚が残っているひとたちはそのパッションを動力に革命に奔るのかもしれない。国家という父を殺し母(女)を犯す(奪う)ために。

 「人間を動かす盲目的なパッション」ということであれば、ロレンスの出番である。わたくしは福田恆存氏の著作から思想世界に入門し、ロレンス的なものに若いときにいかれたのだが、今では、若気の過ちだったと思っている。ロレンスは歴史意識とはまったく違う位置にいたひとと思うが、ロレンスからみてブルームズベリー・グループの人間が「自分自身の堅い殻に閉じこもって、そこから喋っているのです。一瞬の感情の発露もなければ、一片一粒の敬虔な気持ちもありません」というように見えたというのはよくわかる。彼らは「合理主義者ではあるがシニックな人間」であって、このシニックな部分がひとをいらだたせるのである。ルソーがヴォルテールを攻撃したのもそういうそういうことが大きいであろう。
 しかし「人間を動かす盲目的なパッション」は《「新ヘーゲル主義」の曖昧で荘重で厳粛で深刻な言葉の氾濫》のほうに容易にいってしまう。これはちょうど啓蒙思想の正反対のものである。そういう荘重な言葉は決して「自分の言葉」にはならない。ヘーゲルの体系はしばしば宗教に近づく。それはしばしば「座して他の人びとの生き方を判断するもの」となった。 やはり問題はフランス革命である。
 吉田氏の「ヨオロツパの人間」(新潮社 1973年)に「フランス革命」の章がある。その前の「ヴォルテエル」の章の明快から一転して晦渋でよくわかないところが多い。「吉田君は理性と自由といふ二つの軸を使つて、「快楽の追求」を「精神の正常な働き」と見て、「優雅」な十八世紀の文明を説いてゐる。ヨオロッパ人がヨオロッパの地に、観念ではなくて、意識的に生活を徹底させたところに文明ができあがつたといふ説である。「優雅」は文明の必然的な性格なのだらう。しかるに、一七七六年のアメリカ独立につづいて、一七八九年、フランス革命に依つて成文の憲法が作られてから以後は、カアライルのいふ「憲法屋」の仕立てた観念の流行服が至るところに民主主義とともに普及するにおよんで、「ヨオロッパがヨオロッパでなくなる」はうに崩れだしたことになる。すなわち「ヨオロツパの歴史で恐らくは最も低劣な時代」である十九世紀がここにはじまる。(中略)「十九世紀の性格」を「野暮、野蛮、滑稽」また「愚劣、偽善、粗雑」と見て、そこに「複雑なものを感じさせる」原因は「観念に奉仕するといふことに尽きる」といふ巨視的な大観には、とくにこまかい分析を対立させる必要もない」(石川淳 前掲書)のはずなのだが、吉田氏は、「フランス革命は寧ろ十八世紀のヨオロツパそのものの到達せざるを得なかつた結論だつたと言へる」という。ただ、「十八世紀といふのは人間が人間の限界を熟知していた時代だつた」のに対して、ロベスピエェルでは「人間の限界が見失はれている」という。「人間あつての観念で」あるのに、「観念の価値」のために「人間が犠牲にされた」という。そしてフランス革命から後、人間に対して観念を優位におくことが始まったのだともいう。ヨーロッパには「論理をその決着まで追つて行かなければ止まない性格がある」というのである。十九世紀は科学の時代であるが、自由や平等という観念も科学における物質概念とおなじようなものとしてあつかわれたのだと。
 わたくしがなぜ啓蒙主義に親近感を覚えるのかというと、カトリック的な何かが嫌いだからなのだと思う。カトリック的な何かというのは変な言い方だが、人間は一人でいると不幸なのであり、自分を超える何かと合一する感覚をもてるときその不幸を脱することができるというような論法である。余計なお世話ではないか、ひとりで不幸にさせておいてくれと思ってしまう。こういう論法は福田恆存氏の著作「芸術とは何か」とか「人間・この劇的なるもの」で最初に触れた。そのころ世に跋扈していた進歩的文化人の能天気にくらべて何と深いのであろうかと、入れ込んだものである。

R・ポーター「啓蒙主義」 - 日々平安録

おそらく「ひのもと救霊会」として語られている対象は、新興宗教というより、土着の社会主義・共産主義の革命の理念であり、憶測の部類にはなるが、この物語が書かれたころの、日本の社会主義者・共産主義者を少なからずを熱狂させた中国の文化大革命への憧憬からではないだろうか。
 土着の社会主義・共産主義の革命の理念は、戦後、といっても1951年だが、日本共産党による第4回全国協議会(四全協)の反米武装闘争方針となったものだった。この方針によって、日本共産党は武装集団として山村工作隊を形成した。これは中国共産党の抗日戦術を模倣し、山村地区の農民を中心に武装化を図って、農村地帯に「解放区」を形成しようとしたものだった。戦後の共産党の革命理念でもあった。
 山村工作隊的な武装理念の本質がどのようなものか。この小説は「世なおし」の暗喩を隠れ蓑に残酷なまでに暴露して見せている。
 戦争は、彼我の拠っている地域の境界が敵味方の岐れ目である。巨大な破壊力を、より大きく投入したものの方が勝つ。だが世なおしは、同じ国内、同じ地域、同じ職場、同じ家庭に、敵味方が入り乱れるもの。大量殺戮の武器もそこでは役立たない。それ故に、いかに多くの人々を抗争の中に捲き込むかによって、事の成敗は決まる。罪なき人を捲き込むこと、それが、世なおしの必須条件なのだ。

 世なおしの理念が実現するためには、無辜の人を大量に犠牲に巻き込むことが必要条件であるとされる。これこそが、山村工作隊が消滅しても、新左翼として戦後社会主義運動に隠された奥義であった。しかも活用できる武力が不足しているなら、天変地異や大規模事故を活用してもよい。無辜の人々の犠牲を多数巻き込むことが世なおし、イコール革命の前提条件として肯定されてきたのだった。

『邪宗門』は千葉潔を巡る女の愛の悲劇なのである。母はその身を食らわすほどに子の潔を愛した。少年の彼を拾った老婆・堀江駒は、まさに老婆の心で潔を慈しんだ。教主の妻・行徳八重は潔を息子のように精神的に支え、愛した。教団から姉妹の承認を得た有坂卑美子は姉のエロスから弟のように潔を愛した(彼女が「卑美子」であるのは姉弟を国家幻想の起点とした「卑弥呼」が作者に意識されているからだろう)。行徳阿礼は対等に向き合い挑みかける女のエロスを純化して潔を愛し、肉体結合後に自刃して見せた。堀江民江は従順な妹のように潔の最後を看取るまで同伴して自決した。潔の死を知った際、おそらく死んでしまいたかった行徳阿貴は、女の聖母的な慈しみで潔の精神を包むため、死さえ許されず絶望のなかに沈んだ。
 女たちは潔への愛ゆえにみな滅亡していった。潔への愛を抑えることができなかった。まさは言う、「この穢れた世の中の女」と。しかしそれ以外に女の生命の輝きがないなら、死が最終的な出口になるのはやむを得ないことである。それが行徳まさの宗教の最終的な姿だった。
 だからこの物語は、女たちの死と絶望を美しく描いているのである。『邪宗門』という物語は、異端の新興宗教が国家幻想に必然的に衝突するといった思想の表現でもあるが、そのことよりも、女がこの穢れた世を越えようとして真の愛に滅ぶ姿を美として描き出すことに本質がある。
 しかし女の愛が必然的に至る死の姿というのは、絶望の言い換えなのではないのか。それなのに女の絶望が正確に直覚されたとき、国家が共同幻想に依拠にしているかぎり、欲望の理想郷を獲得しようとして男は凄惨な革命の欲望に突き動かされ、いくどでも国家の共同幻想に挑む。ここに日本近代の精神史というもの原動力があり、現代もなお強く生き続ける理由でもある。

開祖・行徳まさは、ごく簡単に言えば、困苦の末、狂信に至った無知な老女に過ぎない。だがその直覚的な啓示には、日本の土着宗教の根幹が簡素に現れていた。それはたった一つの表明に結集している。「この穢れた世の中の女には、種とりの夫はいても、身霊の夫などはありはせぬ」である。
 世の中は穢れているし、そこに置かれた女という存在は、社会や国家の存続のために産む機械の役割をなさなければならない。ゆえに女が愛の対象として男を求めても無駄であり、女の究極の欲望は現世では満たされることがない、というのだ。
 まさはこうも言う。「世の女の愛せるのは形のない神だけじゃ。夫を愛そうなどと夢おもうな」と。女の愛が実現するのは、現世の社会制度・国家制度の下にある婚姻ではなく、婚姻として社会や国家の制度に適合するものは、女の愛ではない、と読んでもよい。女が真なる愛を求めるかぎり、社会制度と国家制度は必然的な綻びを見せると解してもよい。女の愛への希求こそが「ひのもと救霊会」に仮託された宗教心・信仰の原点であり、『邪宗門』という物語に秘められた存在論的な仕掛けだった。

【第39回】『邪宗門』(高橋和巳) 後編|新しい「古典」を読む|finalventの記事


内部でどんなに「理性的」でもその方向性を決めるジャンクションの方向転換機のようなところで既にして動物的性にドライブされている。社会主義の理想を掲げた革命群にあった情動と性の関係はそういったものだったのかもしれない。



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「邪宗門」の解説を見るに、村上龍はこの辺りのモティーフをテーマとしつつも、けっきょく女の側からはそれを描けなかったのだろう。

男のそれはロマン主義的な観念と情動の暴走で、プラグマティックで現実的な生活の知恵・感覚とは乖離したものだった。

その意味では「コインロッカー・ベイビーズ」→「愛と幻想のファシズム」で描かれていた女は男と男のホモソーシャルな関係と幻想をつなぐためのセックスとしてのツールとしてしか機能していなかったのだろう。そこでは女の内面は描かれていなかった。

エディプス・コンプレックスと国家幻想への対抗、国家幻想の暴走というところだとエヴァンゲリオンも絡んでくる。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380291057.html

あるいはその元となったガンダムをはじめとした富野由悠季の日本や戦争を巡る認識、宮ア駿のそれも。



そういったものを庵野-安野は超えていけるのかなあとぼんやりと思いつつ、プラグマティズムというところでルソーの一般意志を巡る綱引きのようなことを想ったり。

簡単に言えば、一般意志は国家の共同体幻想として、むしろ国民に対しては実体的に先行して存在する。私たちはまず日本国民として生まれ、そこで社会契約の恩恵を先行して強制的に授かる。市民は、それが疎外した幻想体である国家幻想と同時に誕生する。
 この疎外された共同幻想の問題がルソーの政治哲学に胚胎していることは、本書の仲正氏もにも直感されている。

 ルソーの思考のユニークさは、内面とは異なる「外観」にすぎないはずのものが、我々の習俗の中にしっかりと定着し、人々の振るまいを―少なくとも表面的には―画一化させ、「社会」を構成している、という発想にある。

 国家の共同幻想の疎外性と先行性からルソー思想の持つ本質的な危険性も明確になる。それはルソーが一般意志の成立に対して、人間の基本性の全的な譲渡を言い出す点にある。一般意志が徹底した討議を経るとしても、最終的にそれは何によって保証されるのか。

 そこでルソーは、「各構成員をその全ての権利とともに、共同体の全体に対して、全面的に譲渡する」ことにしたらどうか、と提案する。各人が自己保存のために、(自然状態で持っている)権利を共同体に譲渡するというだけの議論であれば、ホッブスの社会契約論と大差はない。しかし、それはルソーの議論ではない。彼は、構成員となる人は、権利だけではなく、自分自身をも譲渡すべきだと主張する。


(前略)ルソーは、特定の誰かにではなく、共同体全体に対して譲渡すべきだと主張する。しかも、全員がそうべきだとと主張する。

 仲正氏はアーレントによるルソー論を熟知していながら、あるいはそれゆえにか、この問題については、一般的な全体主義への危険性の文脈としてしか議論していない。
 リバタリアンである私にとっては、ここが思想の急所である。私はこの問題は、死刑根拠の偽装であると考えている。死刑を所有している国家はそれ自体が、市民が自身を全的にすでに譲渡した結果ではないかと考えるからだ。
 共同幻想の成立がルソー的な自然論からは倒錯した手順になるように、死刑においても手順は逆にならざるをえない。死刑の是認として市民の全的な譲渡が先行しているのである。
 ただし日本国憲法について言えば、形式的にはルソー的な譲渡はなく、ホッブス的な信託となっており、一般意志を体現したものも国家そのもではなく、政府として切り分けられている。日本国民は実質的な革命権を保有しており、敗戦とはその行使であったというフィクションから日本国憲法が成立しているからだ。
 その意味では(一般意志への全的な譲渡が日本国憲法では形式的に存在しないため)、日本国はルソー的な民主主義そのものではない。だが死刑を内在している限り、そこにこっそりと市民の全的な譲渡を求める一般意志も内在してもいる。

では、一般意志(volonte generale)とは何か。ルソーはどのように考えているか。
 ルソー自身がそれを明確にするための対比として持ち出したのが全体意志(volonte de tous)である。
 全体意志は、個人や、政党などの党派による各種の利害達成を目論む特殊意志(volonte particuliere)の総和のことである。
 これに対して一般意志は、社会契約説に基づき、「常に公正で、公共の利益を目指す」ものである。
 実際のところ総和である全体意志は、その内部に利害の矛盾を含むので一つの意志としては機能しづらいし、整合性のある政策も導出できなければ、行政の主体ともなりづらい。しいて統一性を求めるなら党派で権力闘争するか、多数決で押し切るしかない。
 これに対して一般意志はどのように成立するのか。

 一般意志は、私的利害間の機械的な算術から生まれてくるのではなく、「熟慮=討議deliberation」を経て見出された「共通の利害」を基点として構成されるのである。逆にいうと、十分な熟慮を経ていないがゆえに、共通の利害がはっきりした形で見出されていなかったら、完全な一般意志は創出されれず、人民の決議は誤ることになる。

 いうまでもなく、この「熟慮=討議deliberation」は情報技術といったものによって効率化されたり改善されるものではない(情報技術そのものに一般意志化する傾向があるとしても)。

ホッブスやルソーのような社会契約的な理路の性格の弱い共同幻想としての日本国家、あるいは天皇による市民宗教という擬制が、現実的には日本がルソー的な思想の帰結としての全体主義に陥ることを防いできた。日本の戦争は全体主義の結果ではなく、一般意志を失った党派のカタストロフであり、ゆえに市民宗教としての天皇が最終的に機能することで敗戦が可能になった。
 さらに戦後の日本は、その擬制的な矛盾が、内在において強固な伝統宗教的な社会と実質的にはそれに準じる規範を持ちつつ、憲法上はルソー的な民主主義(死刑を内在した国家)とホッブス・ロック的な民主主義(政府は信託でしかない)を掲げている矛盾と調和してきた。つまり、日本人は誰も共同幻想の意味合いでは、憲法を空文としてしか理解していない。
 むしろこのように矛盾した伝統宗教的な社会である日本に対して、それを全体主義として敵視する人々が信奉してきた社会主義・共産主義、あるいは共和制度のほうが、独裁と全体主義を導いてきた。
 では、日本国はこの矛盾のままでよいのか。あるいは、ホッブやロック的な英米的な民主主義に純化させるか。それとも、ルソー思想的であるがゆえに危険な民主主義をより安全な民主主義として救出するか。
 ルソー思想的な民主主義を選ぶのであれば、多少の現実的な矛盾を抱えつつも、徹底的な討議の可能性を持つ煩瑣な意志決定の仕組みと、それが公的な分野に限定されるべきだとして市民が私的領域を確固として守る健全なリバタリニズムが必要になるだろう。
 そしてそれには、靖国や天皇を問うといった問題化が公を偽装して私的な領域に踏み込むような形で政治性を持たせようとする思考も廃棄すべきだということも含まれる。

[書評]いまこそルソーを読み直す(仲正昌樹): 極東ブログ




まあこのへんも他人様のまとめでわかんないながらもてけとーに想像するのでもなく、とりあえずルソーに至る教養市民層の形成→百科全書派と呼ばれる人たちが形成されていく様子や、ルソーがどのように「一般意志」や「人権」という概念をひねりだしたのかを自分なりに消化しつつ考えていこう。


そのうえでおそらくヴェーバーが射程していた人の宗教的な領域と存在了解が知識空間全体にどのように影響し、国家幻想へと還っていったか、というのを追っていく(エリアス、デュルケームとかも)


神学(普遍論争など)から哲学へ移行するヨーロッパの精神史についてもたどりつつ



著者は、まず中世・ルネッサンス・近世・現代というありがちな時代区分を廃す。著者によれば、時代の切れ目は14世紀、18世紀末/19世紀初頭、そして1960年以降にある。これら時代の特徴をなす思考は何か。時代の切れ目をもたらすものは何か。このことを、著者は膨大な学知を背景として語っていく。基本的には哲学思想を論じるが、文学(ホイットマン、ボードレール、T.E.ヒューム)なども論じられている。

基調となっているのは、中世の普遍論争である。普遍論争は「個体」を巡るもの。個体を確定せず、汲み尽くせないものと考えるスコトゥス派と、個体は確定したアトムであるとするオッカム派。著者はパースを引きつつ、オッカム派の勝利は偶然の情勢であったと述べる。しかし、オッカム派の個体論はその後の時代を支配している。民主主義や資本主義、また近代的な自然科学像は基本的にこのオッカムの遺産の上にあるのだ。

しかしスコトゥス的な個体論は消失したのではない。それは底流として、その後の時代にも流れていた。そもそもこの個体論が捉える個体は、アヴィケンナ的な共通本性を備え、世界を映し出す(つまりライプニッツ的な!)。この個体論は、神秘主義的思想などのなかに流れてきた。オッカム的な個体論の陰に隠れたとはいえ、現代でもオッカム的な個体論へのアンチテーゼとして現れるものだ。例えば、社会を孤立した個人からなると見るリベラリズムと、文化や伝統を担うものとして考えるコミュニタリアニズムの対立など。

さらに印象的なのは、悟性・知性intellectus、理性ratio、感性sensusの序列について。元々、intellectus - ratio - sensusという序列だったこれらの概念は、カントにおいて明示的にratio - intellectus - sensusという序列となる。この知性の凋落は、オッカム的個体論の下でアリストテレス的な能動知性の位置が引き下げられたことによる。そして、この能動知性が退いた空白を埋めたのが、カントの構想力imaginatioだったのだ。この知性と理性の逆転こそ、ヨーロッパ精神史上の破滅的な事態だったのだ、と著者は見ている。

Amazon.co.jp: カスタマーレビュー: ヨーロッパ精神史入門――カロリング・ルネサンスの残光 (岩波人文書セレクション)


個の誕生と啓蒙主義人文家が創りだしたヒューマニズム-<人権>概念の関係まであるとありがたいんだけど…



宗教、というかかつての教会が行っていた活動は福祉やカウンセリング、あるいは行政のような仕事に分化していった、しかし人の生きがいや実存が係る部分は未だ救われていない。

それらの浮いた部分、実存-存在-生きがい-生きてる意味-世界とのつながりの了解、のようなものは現在の表面的な科学的合理性とそこからの「生産性」なる上っ面の論理だけでは回収されないのだろう。だから人は革命に奔る。

日本の場合、共同幻想とそこからの国家幻想-社会規範の間に三重ぐらいのねじれがあり、それが地味に偽装して人の「ほんとうの欲」のようなものを縛り、革命という直接的な暴力性への衝動も脱構築というか、なんかシラケさせてしまっている。


日本におけるポストモダンというのはけっきょくはそういう形で理性が無駄に個々の実存の了解-自分探しなどを「おっくれってるーm9(^Д^)プギャー」認定するための理路として構築されたものになってしまったのだろうけど、個人の生の了解というのはほそぼそとした文学部分だとまだ生きているのかなあ、とかちょっとおもう。

福祉は生きる意味や赦しを与えてはくれない - シロクマの屑籠
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2013年11月20日

エンタメ、オタクコンテンツにおける自由の可能性と「ぼくらの。」世界、の話


最近ちょこちょこ触れていた公共圏の話、あるいは、読んでるフランス革命小説でコーヒーハウスのころの公共圏の様子、そこで交わされていた世間話から花咲く政治談義のようなものをおもったり。


17世紀後半から18世紀前半のコーヒーハウス、それはたぶんヴィクトリア朝のサロンのようなものが庶民的になったものだったのだろう。

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まあ時代的にはヴィクトリア朝のほうが後なんだけど、「エマ」で描かれていたような紳士クラブ的な、ウイスキーと葉巻を楽しみながら商売の縁とか政治的な人脈をつないでいく、みたいな


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コーヒーハウスについては残念ながらまだちゃんと読んでないのだけれど、商人を中心とした市民階級の台頭がコーヒーハウスを中心とした公共圏の活性化の背景にあったのではないかとおもう。大航海時代を背景とした商人階級の台頭。コーヒーハウスでかわされる会話は雑談とは言ってもそういった商人層にとっては重要な情報源で、それがゆえに世間話に交えて世界や世の中の情勢についての情報が交わされていたのだろう。そしてそこでの世間話が通信社 → 新聞、保険会社の原型になっていった。


コーヒーハウスはしばらくしてなくなりその場をティーハウス、パブに譲っていったのだろうけど、「マスメディアの公共性」なんて言っても元々はそんな感じの世間話だったのだろう。



翻って、現代の日本でそういった公共性-世間話の場ってどこなのだろう?



twitterやfacebookほかもろもろのネットコミュニティ?

あるいは、昔ながらのカフェや居酒屋での歓談?



できれば「階層とか関係なく自由におしゃべりできる場」「それぞれの層の情報が自由に交換される場」とかがいいけど、そこまでは望み過ぎだろうか。

収入や職種に応じて話の内容や考える事、住んでるところも違うし、、だったら住み分け的にしといたほうが会話も楽だし。


新聞の原型がコーヒーハウスだったように、そういう場はメディア性とでもいうようなものをもっているのだろう。


それぞれの階層やそれぞれの「世間」をつなぐメディアとしての機能。


マスメディアがふつーになっている現代からするとそういった場を「メディア」と呼ぶのは少しおかしな感じだけど、もともとはこういうものほうが先にマスメディア的な機能をもっていて、それを擬似的に集合し、不特定多数を対象にしたのがマスメディアだったのだろう。マスメディア以前の時代、新聞などはなんのために必要なのかわからなかったわけだし、昔から情報をもった人が限定的なマスメディア的な機能をしていた。それを話す人/聞く人が集い生み出される場がマス・コミュニケーション的空間だったのだろう。

熊野比丘尼や暦師、吟遊詩人なんかもそういったメディアだった。


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あるいは中世ヨーロッパの教会なんかも。



そうすると映画やサブカル、オタクコンテンツなんかもマスメディアとなっていく。


ジャーナリズム論を主軸としたマスメディア論だと異端だったけど、利用と満足研究とかカルチュラル・スタディーズが対象にしていた領域。


「新聞やニュースなどといったジャーナリズム的なものではないコンテンツからも公論的空間は生じている」


ってやつ



そういうことを思いつつこの辺を改めて見てみる。




ミリアム・ハンセン「初期映画/後期映画」紹介 | borujiaya
http://www.p-renaissa.jp/borujiaya/?p=865


この辺りで見たきたようにOffentlichkeit(公共圏)はドイツにおける「世間」のように思える。

http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380332335.html
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380291057.html
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380636011.html


阿部さんが体感したようにドイツのOffentlichkeitと日本の世間とでは性質が少し異なるのだろうけど、もともとの国民性は似ているので、ここでのOffentlichkeitはフランスやイギリスのpublic sphereよりもより日本の「世間」に近いのではないか?とおもう

ただ、そうはいっても両者に違いはあるのだろう。ヨーロッパ的なこざっぱりとしたところというか、「誰と誰が仲良し」みたいなのやKYみたいなのを気にするあまり人と人との関係が抑圧的になったりとかそういう感じでもないような。陰湿じゃない感じの。関係性検知よりも人間性検知のほうがつよい(山岸俊男)というような。

それは告解をはじめとしたキリスト教文化圏の性格かと思う。

ただ、そのような違いがあるとしてもハーバーマスが理想として描き出していた公共圏とドイツ庶民の実際のOffentlichkeitは実態としては少し異なるのではないか?

もしハーバーマスの言っていた公共圏が理想先行の理性主義だとすると、その理性≠正しいこととするそのモデルが規範として硬直化し、却って現実を圧迫する圧力になることもあるかもしれない。

じっさいハーバーマスなんかを参照した日本の公共圏論にはそういったものを感じるし。


ハーバーマスの公共圏論の本来の目的は「理性としての公共圏の再生」、ということでもなく、「人が活き活きとしてる時を取り戻すこと」であり、そのための暫定的な設定が「理性としての公共圏の再生」であったのだろうから、そこを履き違えるとまずいことになるのだろう。

ハーバマスの方法というか歴史からの語りはイギリスやフランスの市民革命のちょっと前ぐらいのカフェの公共圏での自由な語らいにおける奇跡的な瞬間を切り取りそれを理想としたものだったのだろうけど、リンク先の公共圏論にあるように初期映画との関係を日本にも転用して考えたとき、現在だと映画というよりはロックとかサブカルなんかも交えたほうがわかりやすくなるかもしれない。

サブカルのところはオタクでもいいけど。両方ともメジャー / ポップになってきてカウンターとかサブカルチャーでもなくなり、その領域が接合してきてるから。


サブカル、ヲタ、あるいはLGBTがどうとかな空間でもいいけど、ああいうところで「自由」を叫びなんらかのプロテストを表明すると「あなたがたが求めるものはなんなんですか?」ってなりそれに対する「正しい○○(サブカル、ヲタ、LGBTなんでもいい)」のリストを提示すると却ってそれがそのクラスタの規範となって硬直化し新規参入者を阻害して行ったり。イデオロギー先行になってごく一般の価値観や生活感から遊離していって「繊細チンピラ」みたいなフックをかけて一般人を怯えさせたり、過度に反感を買ってしまうことになったり。


なので、ああいう領域での公共性というか、空間における規範と自由のバランスを保つためには、求めるものを規範-制度として固めることが大事、なのではなく、なんとなくの漠然とした自由な感覚を覚えておくことが大事なようにおもう。


そうしないとエスタブリッシュへのカウンターカルチャーとして立ち上げたものがいつの間にかエスタブリッシュとして壁になって立ちはだかることになる。自分たちの味方になりそうなひとに対しても、自分たち自身の生き方にも。


初期映画におけるモンタージュの手法というのはその辺に対する問題意識を喚び起こすために、規範を押し付けるのではなく観客側からhackさせることで「規範-物語を自由に編成すること」を訓練するものだったんじゃないか?


生活世界の再定義化、生活世界から侵食されるのではなく、自身を生活世界の中に意味づけていく



オタクやコミケ、腐女子やサブカル、ロックやカウンタカルチャーも最初はそういったものだったのだろう。

名付けられる以前の「なんだかわからないけど硬直した現実からあぶれたものたち」、あるいは、「硬直した現実を自分たちで再編集してポロポロと同人していったものたち」


それがいつの間にか規範となり、教科書的にインストールしなければいけないものになり、そのデータベースとアーカイブにうんざりした層、ライフステージや産業構造の変化、地方/都会などの物理的制約によって生活環境が変わった層はそのタスク量をこなせなくなってオタクやサブカルを降りていく。
http://shikisha.hatenablog.com/entry/2013/11/16/091750


「降りる世代」は「うちらの世界」と似てくる。

規範や「やらなきゃいけないこと」から降りて「うちらの世界」に閉じていく。snsでの付き合いなんかも



でも、規範なくても「祭り」的発散はしたかったりするのでたまに集団で跳ねたりする。理性以前のCarnivalの欲動。


その跳ね方がお行基悪かったらネットやリアルで軋轢を生んで晒しあげられたりするのだろう。「世間」が「より非常識な世間」を晒しあげ嘲笑い叩く。理性的・良識的に叩いてる、と思ってもそれ自体が理性以前の欲動に支えられた「祭り」となっていく。


そういった「祭り」はなんだか陰湿な世間的な性格も持っていて、見ていても「これがネットの集合痴?w」って気分になる。

ガッチャマンクラウズでベルク・カッツェが2ちゃんのニュース板の悪意を戯画して「wwwwwwww」ってわらったように、クラウドの力、集合のちからってのはしょせんそのような陰湿な嘲笑的なものに過ぎないのだろうか?


正しさを超えていく - 狐の王国
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20131101/1383311147


ガッチャマンクラウズ最終話: 一ノ瀬はじめはなぜベルク・カッツェを殺さなかったのか? - 文化的生活。
http://dokaisan.hatenablog.com/entry/2013/09/28/135539


イントロダクション|ガッチャマン クラウズ|日本テレビ
http://www.ntv.co.jp/GATCHAMAN_Crowds/intro/index.html




carnivalはもともとゲマインシャフトの聖性、異界に通じ、それは聖俗の両義性をもっていた。「俗」ははじめから誰かを嘲笑いというようなネガティブな属性を帯びてなかった。

はじめが偏見なくベルク・カッツェに接していったようにネットのクラウドでも無属性な集合の起爆的な瞬間がある。たとえばtwitterのラピュタ祭りの時のような。あとはそれをうまく良い方に誘導できれば良いのだろう。

クラウズではそれをゲーム的インセンティブで誘導していった。



世界を生きていく際、あるいは、人生をより楽しく生きていくためには自分をとりあえず世界に投げ込んで、そこで日々の暮らしの中から絶えず新しいものを見つけていく、という方法があるようにおもう。

絶えず、というほどではなくてもすこしずつ固まっていく自分を越えて行くような。

新しいことにチャレンジするために自分の日々をゲームとして捉え、日々の生活、イベントに自分でポイントを振っていく。そこで得られたアイテムに特別な意味付けをしたりして。



そうやって少しずつ自分の生活・実存を窮屈な世間査定 / ランキング / カースト / 市場からずらしていく。



大切なのは「こうしなきゃいけない」ではなく「こうやったらたのしい / より自由になれる」ということなのだろう


そうやって「たのしい」や「自由」の直列で、「うちらの」並列を超えて「ぼくら」で世界をつくっていければいい





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関連:

ママ・カーストのリアル【前編】子供が人質!? セレブママたちの格付けバトル |格付けしあう女たち――女子カーストのリアルって? 覆面実録座談会|白河桃子の記事、コラムを読むならcakes(ケイクス)
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https://cakes.mu/posts/4072


サブカル世間
http://togech.jp/2013/08/13/3013


「地方で一人、ヲタクやるのも案外楽しいよ」 - 小娘のつれづれ
http://drifter-2181.hateblo.jp/entry/2013/11/16/020524






タグ:公共性 世間
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2013年11月15日

公共性、あるいは、世間の構造転換(世間のトポス)


このエントリをしつつ気になっていたのは「世間≠公共性的な話だとして、じゃあけっきょく日本の現在の世間とか公共性の構造、トポスってのはどうなってるの?」ってことだった

阿部謹也、2006、「近代化と世間」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380240593.html


公共性のトポス、構造では基本としてハーバーマスのモデルを参照してる。つまり



政治・経済圏(システム)


政治的公共圏(議会)

文芸的公共圏(マスメディアほかのメディア)


親密圏(家族、対幻想、個人幻想)



というアレ

ハーバーマス的には18cぐらいのカフェにあった自由な気風と政治参加への理性とモチベみたいなものを理想的なモデルとし、ローマ時代の広場の開かれた議論の様子も参照することでこういった「市民的公共性」のようなものが連綿と続く歴史であるかのような歴史哲学(フィクション)をつくりだしていた。

中世のことをしばらくみて来た現在からするとそれはちょっと都合が良すぎるようにおもう。

阿部さんもいっていたように、ヨーロッパの中世にも村落共同体を中心として世間的なものはあったし、近代にはいってもそれはあった(cf.ミル)。ミルが言っていたのはキチキチうるさいヴィクトリア朝のsocietyに対するlibertyの不安だったようだけど。言ってみれば近代都市の「世間」に対する違和感のようにも見える。


そのような「世間」の利害関係の中からフランス革命なんかも生まれたわけだし、純粋な理性の勝利ではなかったみたい。ほかの市民革命はどうかは未だ検証中だけど、すくなくともフランス革命は。世間≠権力+理性教のオーバードライブだった。



そういった世間の暴走を留めるのも世間的な知のあり方だったはずだけど、理性はそういったものを弾き、前近代的なものとしてしまった、がゆえに却ってそれを認めて抱きしめることが出来なかったのかもしれない。

ただ、ヨーロッパ的な世間においては「個人」の自立やロゴスに対する信頼というものがあったようだけど。


まあとりあえず公共性の構造の話に戻ろう

以上からすると、日本のマスメディア論で言われてきたような公共性の規範というのは眉唾な感じになる。


「マスメディアは公共性に適う必要がある」「社会の公共性に配慮した、適切なジャーナリズム・コンテンツを排出すべき」といっても、すでにしてそれは為されているのだから。

さきほども少しいったように「公共性」という言葉が指す領域と「世間」という言葉が指す領域は重なりあう。

「公共性」のほうが「公共に適う」などの語用からもわかるように「最大多数の最大幸福」的公益性を指すのに対して、「世間」は複数のクラスタの中からもっとも最大公約数的なコード、や、蓋然的なクラスタ同士のつながりの場のようなものを指す。そして、そこにおける人の関係も。


なのでマスメディアが対象にするような日本における公共性とは、複数のクラスタが重複する場における最大多数に共通するコードや関心に配慮したものとなる。つまり世間。

平たく言えば、テレビも新聞もそういった世間のコードを理解してるし再生産してるので。とはいってもエリート産業的になってしまったマスメディアの人々の感覚は庶民的な世間とは解離してしまったけど。


なのでマスメディアの規範論としては「公共性の復元」というようなあいまいな標語が必要なのではなく、より多くの界・世間の現状を解説し情報交換するセンター(ハブ)として機能すべき、ということになるだろう。

そのうえで再びこのモデルに戻れば、


政治・経済圏(システム)


政治的公共圏(議会)

文芸的公共圏(マスメディアほかのメディア)


親密圏(家族、対幻想、個人幻想)


というのは違和感がある。

親密圏の内部でも世間がある、、というか、もそっと個人と家族との間に壁がある感じ。



家族-親密圏(対幻想、個人幻想)

あるいは

家族-対幻想(親密圏(個人幻想)

ぐらいの


家族や恋人や友人というのが衒示的あるいはある程度のタテマエを基本としたコミュになってるひとたちがいるのが日本の現状だから。家族は単に親密圏というわけではない。なので「親密圏」や「家族」が「システム」に対して単純に「生活世界として守られるべきもの」として二元論的に対照されるものでもないようにおもう。


まあ、そういうのも個人の成長や親子の関係、恋人、友人との関係(成長)の中で変わっていくものだろうから固定化はできないし、人それぞれだとは思うけど。

あと「日本は」ていうかわりと世界的にそうなのかなとか想ったりもする。都市化→分業化が進んだところは特に。

んでもそれも個人に対する考え方(人格の認め方や尊重の仕方/責任)の認識が異なる西欧圏では異なるからかもだけど。



ハーバーマスでは「システムに侵食されつつあるまもるべき空間」として提示されていた「生活世界」。その中の「家族」という領域が他所他所しくなってしまったのは特に日本に関して言えば「公共性/世間」の部分が「タテマエ/ホンネ」的に機能してしまっているところも関係するのだろう。

「世間」と「個人」と「告解」あたりの話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379707101.html

そして論理ではなく場の凝集性や権力、KYなどが優先されていく。


「日本では公共性は会社を中心としてつむがれているのではないか?」「会社を中心としたそれは理性(タテマエ)を中心とした社会主義であり、会社公共圏ではないか?」

会社公共圏においてタテマエな他所他所しさが横行し、それが家族における他所他所しさにもつながり、それらの歪さが学校のいじめとして反照される。


タテマエ的にはカタカナ的な正しい規範が説かれてもホンネのところではゆるやかな差別と幼稚な距離感を当然としてる大人たちと育てば子供がいびつになるのは当たり前だろうから。

いじめは学校という閉鎖+タテマエ空間におけるストレスの結果ともいえるけど、そのストレス発散の際の権力の表し方がそのままオトナの世間におけるそれと同じになってるのだろう。あるいはそれらのオトナ的距離感を取っ払ってナマの暴力性を見せてるだけ。

このエントリとその周辺をみつつぼんやりと「ああ、世間教の神学みたいだあ」とおもった


「お世話になっております」の世界 - Ohnoblog 2
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20131114/p1

はてなブックマーク - 「お世話になっております」の世界 - Ohnoblog 2
http://bit.ly/17y8jK8


ぶこめにもあるように「お世話になっております」なんて言葉そのものにはそれほど意味がなく、厳密に語義を追求していけばおかしくなるだけだし、単なる「世間」的なプロトコルなので。

歴史的にその根拠を探そうとすれば先日こちらのエントリでも表したような「豚やユダヤ人は差別して当然」みたいな俗流神学的解釈が出てくるだけだし…。


阿部謹也、2006、「近代化と世間」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380240593.html


そういう意味で「世間教の神学みたいだあ」っておもった。




別件で世間の話をあさりつつこの辺が改めて気になった

『「うちら」の世界』についての一私見 Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2991


大人の社会の方もその差異そのものに無自覚であるし、しかも、ほんの小さな、しかし決定的な変更だけで成り立っているから、非常に困難なのだと思います。大人の社会と子供たちのその社会との差異というのは、別に市民社会がとか責任ある自立した個人がとかではなく、「うちら」集団に対する外部の目の存在を意識して成り立っているかいないかという違いでしかない。子供の社会が後見的権力に対する無自覚さによる平等な関係の享受で成り立っているとすると、大人の社会は相互に外部の目を意識しあうことでの複合的関係性によって虚構の後見的権力を生み出している、といえるのではないだろうか。一般的にいうところの「世間体」「世間の目」ですね。



まあ「うちらの世界=子供のあれげってバカにしてても大人もけっこうウチラってるんじゃないの?(そしてその構造の違いってのは? → 世間体)」って話なのだろう。


「うちらの世界」というのは最初にリンク先のコンビニ店長のひとが話題にしてた「深夜のコンビニ前でたむろってる若者」の話。彼らはコンビニ前でたむろしてほかの客を無視した横暴な振る舞いをしていて、それは彼らの「うちらの世界」に閉じこもってるからだろう、って話だったようにおもう。


そういうのに対してこの時期に話題になってた冷蔵庫に入ってはしゃぐバイトの話も引きつつ

うちらの世界の系譜 Soul for Sale
http://blog.szk.cc/2013/08/08/studies-of-youth-and-our-world/

(1) 内集団の結束を強めるために逸脱行動に出るという一般的な心理
(2) 社会的な包摂の力が弱まり、社会全体への想像力が欠如した層の増加
(3) 若者のコミュニケーションの内輪化と差異化圧力がもたらす「内輪受け」行動


の分類で考察。


エントリ主的には(3)を推していた。自分的には、(2)社会的包摂性が弱まり、の視点のほうが気になったけど。

ギロンの発端のコンビニの前でたむろする「うちら」については(3)だろうけど、その後に出てきたいわゆる「低学歴の世界」とかいうところの関連エントリなんかも含めると、彼らの間にあるのは「低所得・文化資本社会資本との断絶 → あきらめ」ということだと思ったから。


んでもいまから「世間」の文脈も加味して考えると(3)の性格が強いのかもしれない。

(2)も背景としてはあるだろうけど、彼らの世界(世間)内への閉じこもりと、そこで目立とうっていう欲からのイキった行動。


そういうのは後見的権力、っていうか世間と権力を自分たちで模してつくっていってるのだろう。そしてそこで権力を集めるために内部で承認を得られる範囲での奇抜な行動をとる。


そういう承認欲求と同調圧力、そのなかで承認をえられる範囲での奇抜な言動というのはそのままついったーやSNSほかのネット空間にも溢れてきているようにおもう。

「リアルが侵食してきたから」ってより母数が多くなった+彼ら内部で世間が出来て規範や振る舞いが固定化してしまったから

毛づくろいのように規範(プロトコル)を交換し、そのために叩きやすい対象を叩く。インナーサークル内ではもうすでにわかっているような規範や論理を外部に出すのではなく、内部に向かって殊更に繰り返す様は「叩く必要のある話題が出てきたから」というよりは「叩きたいから」「叩いて自分たちの規範を確認(毛づくろい)したいから」のように見える。


KYという言葉が登場したとき、大人たちも当初はただの流行語だと考えた。まさかKYという語に社会構造のひずみが投影されているとは、考えてもみなかった。

世間が消え始めてから20年が経ち、世間を知らず、空気のみを知る世代が、どのような社会を作るか、心配がある。かつての世間を復活させればいい、と簡単に述べる人たち(ネット右翼がその代表)もいるが、世間が大手を振っていた社会は、米国ならば人種差別・女性差別で白人男性だけがいい思いをしていた社会、日本ならば婚姻を家柄で決められた社会である。

世間 - Wikipedia http://bit.ly/176jEyW

ウィキペディアにしてはけっこう恣意性のつよいまとめでブログエントリかと思ったけど、「世間を知らずに空気、KYのみが残った世代」という問題はあるのだとおもう。世間がなくなったり「知らない」っていうより、昔、「世間」として対象にしていた大文字の「世間」みたいなものがイケナイモノみたいにされて後景化し、結果的に隠れてしまったということ。やってることは変わらないのだから彼らが新たな世間と権力の流れを作ってるだけなのだろうけど、それを認めないので対象化できない


SNSを含めたそういった世間と公共性の現状に対して、どのような未来が描けるか?



「世間」への旅 西洋中世から日本社会へ
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「世間」は広い意味で日本の公共性の役割を果たしてきたが、西欧のように市民を主体とする公共性ではなく、人格ではなく、それぞれの場をもっている個人の集合体として全体を維持するためのものである。

公共性という言葉は公として日本では大きな家という意味であり、最終的には天皇に帰着する性格を持っている。そこに西欧都\との大きな違いがある。現在でも公共性という場合、官を意味する場合が多い。「世間」は市民の公共性とはなっていないのである。



日本では母親に限らないが自分の子供を自分のものと考えている。そうでない場合でも子供は未成熟な存在で、大人と対等ではないと考えている人は多い。

「世間」を構成しているのは大人なのである。子供が「世間」に受け入れられるまで子供は大人とはみなされない。






市民、ということをもう一度考え直す必要があるのかもしれない。

市民というと市民社会論的に手垢がついた言葉だけれど、そういうのではなく、これまでのエントリで述べてきたような「自立した個人」とそれを基本とした大人同士のある程度距離をもった関係。相手を尊重し「個人」としての距離をもった関係。その上で肩書きや仲良しズムだけではなく論理を基本として話せるような関係。その結果として生まれてくるゆるやかな連帯のようなもの。

もしくは連帯とかしなくていいので、そういった「個人」たちが理性的にそれぞれの場でふるまっていけるということ。

その結果は非論理、非合理なそれよりは良いものになっていけるかもしれない。

論理や理性っていうか、理知だけではなく人を尊重していけるような。そういう関係性。



不況のなか、かつての城塞は崩れていきスプロール(ブール)に住む人達が増えてくる。それはデフレとか下流とかなネガティブな面もあるだろうけど、そういったブールの中からかつてのブルジョワの理想が新たに立ち上がっていくのかも



そのためにはまず家族や友人や恋人から、なのだろうな


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関連:
林香里、2011、「<オンナ・コドモ>のジャーナリズム」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/195893083.html


親密圏は、林-ハーバーマスが期待してるようにそんなに純粋無垢なものでもなく、親密圏自体がシステムによって汚れている。というか、システムも親密圏も「世間」的な価値観に覆われているのだろう。



「世間」という言葉の由来についてもろもろ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380291057.html?1384486198



中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/129773060.html


中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話  (応用編): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/129946855.html



是枝裕和、2013、「そして父になる」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/376322940.html
タグ:公共性 世間
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「世間」という言葉の由来についてもろもろ


阿部の「近代化と世間」は前のエントリでも言ったように

阿部謹也、2006、「近代化と世間」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380240593.html

そんなにメモることもなかったんだけどこのエントリ見てしまって改めて「世間」の語彙についての共有知的に「そのまんまメモ」な引用を残しておくのもいいかなあ、ってことで再度エントリ


「世間」ってそもそも最初はどういう意味だったの? | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2352

井上忠司著『「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)』(P31)

もとはといえば、「世間」は、梵語loka(こわされ否定されてゆくものの意)の訳語であって、「生きもの(有情世間)とその生きものを住まわせる山河大地(器世間)、あるいはこれら二つを構成する要素としての五蘊(五蘊世間)の総称」であった。


「世間」という言葉は「世」と「間」に分解できる。

「世間」の「世」は「時間」のことで、中国では、「遷流」つまり移り変わることという意味だった。たえずこわされ、否定されてゆき、刻々と他のものに転化していく様のことである。


井上忠司著『「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)』(P32)

たえずこわされ、否定されてゆき、刻々と他のものに転化していくがゆえに、「世」とよばれるのである。だが、破壊されるのみであって、なんら本質的なものでないなら、それがひとつの「世」であることはできない。不断の転変に対立し、打ち克ってこそ、ひとつの「世」でありうるのである。さりとて、完全に打ち克って、遷流なき境があらわれたなら、それはもはや真理であって、すでに「世」ではないであろう。


反対に「世間」の「間」は「空間」のことで、原語のlokaは本来「場所」(世界、領域、界などとも訳される)の意味が強かった。この「場所」は物質的なるものにかぎらず、非物質的なるものの世界や場所のことでもある。非物質的な世界とは、例えば仏教でいうところの欲界など人間の現象として存立する状態そのもののことだ。

このように「世間」は空間的な意味を持ちつつ、主として時間的性格でとらえられており、「無常性」を内包していた。


特に世間が人間関係そのものを意味するようになったのは江戸時代からといわれる。憂き世が浮世になり、浮世=世間となったあたり。



「社会」と「世間」の違い | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2399

「社会」という語は明治の初頭に英語のsocietyの訳語として作られた語で、societyの原義はつまり法と関連して、共存して生きていくための組織その他の集団のこと。

これに対して「世間」というのは以前紹介しましたが、「世」と「間」とに分かれ、「世」は「時間」を、「間」は「空間」を意味します。

つまり、「社会そのもの」を指すとともに、その上に「社会を形成している人々」をも指している語が「世間」であると言えます。


だから、societyの訳語として「世間」があてられなかったのは、世間の方がsocietyより広い意味を持っているからですね。


最後の引用は多分違うんじゃないかな。まあ後述


世間 - Wikipedia http://bit.ly/176jEyW

世間(ローカ)からラウキカ (laukika)、すなわち「世俗」の語がつくられた。ローカ自身には別に悪い意味はないが、迷いの世界として世間を意味する場合が多い。 この場合、世間の「世」とは「遷流」(せんる)の意味で移り変わること、「破壊」の意味で壊れること、「覆真」(ふしん)の意味で真実を覆っていることなどと解釈される。また「間」は「間隔」の意味で、ものが個々別々に差別化されてみられることと解釈される。

このように世間とは、本来一味平等であるものに区別を作って、それにこだわって生活しているから、真実がおおわれ、無常であり、破滅すべきものと説かれる。このように一般に世間といわれている使い方とは違って、仏教では、深い人間的反省が込められている。


世間とは、自分と利害関係がある相手、もしくは将来的に利害関係が発生する可能性がある相手を指す。

@贈与・互酬の関係

A長幼の序

B共通の時間意識

C差別的で排他的

D神秘性

@〜Dの条件を全て満たしている場合、それを世間と称し、人に価値と規範を強制する安定した空間となる。1つでも条件を外していれば、それを空気と呼び、人に価値と規範を強制するのには、不安定である。




近代化と世間―私が見たヨーロッパと日本 (朝日新書)
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(92)近代化は全面的に行われたが、それが出来なかった分野があった。人間関係である。親子関係や主従関係などの人間関係には明治政府は手をつけることが出来なかった。その結果近代的な官庁や会社などの人間関係に古い人間関係が残ることになった。
 明治10年(1877)に英語のソサイエティが社会という言葉に翻訳され、明治17年にインディヴィジュアルが個人という言葉に訳された。
 しかし訳語が出来ても社会の内容も個人の内容も現在にいたるまで全く実質をもたなかった。西欧では個人という言葉が生まれてから9世紀もの闘争を経てようやく個人は実質的な権利を手に入れたのである。日本で個人と社会の訳語が出来てもその内容は全く異なったものだった。なぜなら日本では古代からこの世を「世間」と見なす考え方が支配してきたからである。それは仏教の言葉であり、サンスクリットのローカの訳語であった。その意味は「壊されゆくもの」というもので、この世は不完全なものであるということであった。この「世間」という言葉は現世だけでなく、あの世をも含む広い概念であった。日本ではこの言葉はかなり俗化され、無常な世という意味で用いられることが多かった。



(93) この言葉の歴史を辿ってみると江戸時代に西鶴の『世間胸算用』などが出て、現在の世間という意味に近くなっているが、明治以降には大きな変化を迎えている。明治41年(1908)に厳谷小波の『世間学』という書物が出されている。小波は独逸学協会学校の出であったからドイツ語が出来、ドイツ語の世界市民 Weltbuergertum の訳語として世間という言葉を用いている。彼は「はしがき」で次のように述べている。
 「『世間学』とは、大学の講座の中にも見ない名だ。それは其の筈、これは此度此書を出すに付いて、新たに案出した名であるもの。其意は読んで字の如く、世間を知るの学である。蓋し世間とは、人間の集合したものを指す。此故に、世間を知らんと欲せば、まず人間を知らざる可らず。人間を知らんと欲せば、まず自己を知らざるを可らず。本書は其辺の消息について、折りに触れ、事に感じて吐いた気炎を、試みに一冊に纏めたに過ぎない。今のこの時節にこの議論、著者が自己を知らざるの不明を、寧ろ表白したものと見られれば、それまで」
 その内容について少しだけ引用すると「日本の社界は人前でおくびや屁をしても平気でいる社界だ。雪隠へ杓子を納れてかき回す社界だ。客の前へおまるを持ち出す社界だ。縁側から子供に小便をさせる社界だ。溝さらいの泥を路傍に置く社界で、大掃除の埃を大道に飛ばす社界だ。―ー而も所謂潔癖の国民が、此らに対しては一向に嘔吐を催さない社界だ。―ー日本の社界は醜業婦を公然貴賓に応対せしめる社界だ」
 このように日本には秩序がないことをあげつらい、欧米の社会の秩序を真似なければならないと主張している。
 世間という言葉は小波によって新しい意味を与えられたことになる。しかし小波の意見には当時は随伴者はなく、明治期の一部洋学者の見解にとどまっていた。世間という言葉は藤村の『破戒』の中では被差別部落の住民を排除したところで成立している社会という意味で用いられており、小波のような理想の社会と理解されていたわけではない。



これにつづけて明治期当時、「世間」という単語が意味していたところが解説される。明治23年の教育勅語では「父母、友人を大切に、兄弟仲良く夫婦仲良く忠孝に励むべし」とはされているが小波の重視したような個人の重視という思想は見られない。

いちお確認しとくと、上記引用してきたように「世間」という言葉は小波なんかによっては西欧のsocietyと同じように使われようとしていた。それにたいして「社会」と同じ音素を持つ「社界」は現在で言うと「世間」と同じ程度の意味を与えられていた、ということ(すくなくとも小波の語用では)。「世間」というか「公共性」の表すところに近いようにおもう。少し前の中国のマナーと似ているから。

しかしその後、明治政府だかなんだかによって「世間≠society」の意味は消えていく。それは「世間」という言葉の定義が曖昧だったせいもある。

「世間」という言葉は、この言葉単独にはそれほど意味がない。いちお語源をたどれば、仏教思想全体の中での「世間=無常」「壊されゆくもの」「越え行くもの」ということ。仏教では物象界のそれは移ろいとして認識し、その執着をまず捨てることが目指されるから。またそこで表される「世間」も「器世間(≠自然)」「有情世間(≠人間関係)」に分かれる。

そういった意味での「世間=無常」だったのだけど、おそらく民衆に「執着を捨てる」という意義、主旨が伝わらなかったので「世間」の語彙の指し示すイメージとして「人間関係」「付き合い」という有情世間のイメージだけが残った。

そして、それ自体は比較の対称のない時代はネガティブでもポジティブでもなく、たまに書物にされるときに出てくるぐらいの言葉だったようだけど、明治期に「西欧に学べ」の風潮の中で society という言葉とそれに関わるゲゼルシャフト的な考え方に触れた知識人たちが日本になかった都市的な人間関係や考え方の集合(ゲゼルシャフト)をテンプレ的に移入したくなったのだろう。

それでシニフィアン的には「世間」とそんなに変わらない領域を指す society というシニフィエにあらたに「社会」という造語を当てポジティブイメージを託したのではないか?

「society が指す領域が日本の『世間』の指すものとそんなに変わらない。単にそれが都市か村落かというだけ」「西欧にも『世間』的なものはあった」という際の論拠としてはスチュアート・ミルの話がある。ミルなんかも当時 society という言葉にそんなに良いイメージがなかったことが伺えるから(「翻訳成立事情」の「社会」の項参照)。その意味は日本における「世間」のそれと近い感じ(liberty の対立語としての society)。

ただ、繰り返しになるけどそれがゲゼルシャフト的な全体性をもつか、あるいはゲマインシャフト的な全体性を持つか、というだけの違い。そして前者の場合はヨーロッパにおける indivisual の立ち上がりが絡む。それは告解における反省を通じた「個人」の内面と人格の形成とその当然化、でもあり、告解の反省とキリスト教的なエートスを基本とした死生観-人生観に基づく都市の住人の常識に基づいた「人間関係」のイメージとなるのだろう。



繰り返し的に要点を言えば、

「『世間』と『社会(のもととなった society)』の指すもの(シニフィアン)は意味的にはそんなに変わらなかったが、明治期に西欧の都市文化をまるごと移入する際に『社会』を造語(シニフィエ)し、「社会」のシニフィアンとしては西欧のゲゼルシャフト(西欧都市における「世間」)をあてることで西欧のゲゼルシャフトをそのまま移入する際に生じる軋轢をそらすためのクッションにしたのではないか?」、ということ。

為政者たちは西欧のゲゼルシャフト的な価値観や思考・行動・コミュニケーション様式、あるいは「付き合い」に関わる態度の全体を文化的先進としてまるごとコピーしたかったのだろうけどそれでは昔ながらの村落共同体的な人情が余ってしまう。

人情的な不満が生じたとき、日本の昔ながらの村落共同体的な「世間」をホンネ的なものとして残しておけば、そういった不満をてきとーに散らすことができるので。たとえば宴会などで。

「社会」と「世間」を分けたことは、タテマエ的には社会(society)的なコードを実践することを薦めつつホンネとしては旧来の世間的なコードに依ってもいいよ?という譲歩でありバッファだったのだろう。しかし、「社会」という言葉をポジティブイメージとして前景化させたことは却って「世間」という言葉とそこに含まれる全体を吟味することなく後景化させることになった。


そして、それが個人と市民、市民と国家の関係にも関わってくる。

(112)島崎藤村の『破戒』の中で主人公の被差別部落出身者は「世間に入れて貰いたい」と述懐している。当時「世間」には被差別部落出身者は入れなかったのであり、「世間」は差別されていない人の集合体とされていたのである。しかし「世間」はまた差別の温床でもある。「世間」はどのような組織にもあり、それは自ずから差別的で排他的な組織となっている。
 しかし明治の初期にはまだ「世間」はそのような性格を明確にもっていなかった。明治政府の成立以後、農村部にすでにあった郷党社会の延長として国家が意識されていた。郷土主義の立場からは都市の無習俗性が批判され、ここで「世間」の問題が初めて意識されたのである。厳谷小波の『世間学』もそれに対する答えのひとつであったが、政府はそれを採らず、郷土との接点としての「世間」を強調したのである。近代都市として生まれながら、日本の都市は天皇との心情的結合を強調されて生まれたために、郷土と変わらぬ伝統的習俗の場として作られたのである。
 こうして「世間」は今もなお義理人情の場として機能し、差別の温床となっている。



西欧における国家幻想は神の代替であり、それは北欧-ケルトあたりのヨーロッパ基層のゲマインシャフトにおけるアニミズム的な神(自然)のイメージとキリスト教的な唯一神のイメージの折衷として人造された近代的な神だったのではないかと思えるけど、日本の場合はキリスト教と文明化を通じた都市民の慣習の変化、ゲゼルシャフトの成長の過程を省いてしまったためいきなりゲマインシャフトと近代的な人造神である「国家」が接続することになってしまった。

そこでなんとなく国家神道なんかを立てて国教としてのキリスト教が果たしてきた役割の代わりをさせようとしたのかもだけど、最近もちょこちょこみてきたように、キリスト教の地力というのは国教としてのローマ・カトリック(教皇庁)が明示的に表していた部分ではなく、むしろ北欧-ケルトあたりのヨーロッパ基層のゲマインシャフトを聖母・聖人信仰などで包み込みつつ善き人々が紡いできた倫理の実践にあるように思えるので。表面的な教皇庁のそれを模しても教皇庁が果たしてた教条的で強権的なアレゲな部分だけがグロテスクに導入されてしまっただけだったのだろう。

そして、そういった背景から日本の近代化において天皇も国家という人造神の根拠とされるべく意味を創造(修正)された。

そういうのはなんとなくナウシカの巨神兵を想わせる。

本来なら骨格だけじゃなくて筋肉の部分も必要だったのに、筋肉の部分を十分につける時間や理を知らなかったため不十分なうちに起動されて溶けていった、のが明治 → 太平洋戦争までの日本だったのだろう。


もちろん、不十分でも十分な威力を持つのが巨神兵だったのだろうけど


あるいは、エヴァという巨神兵-人造神(デミウルゴス)に乗り込むことを要請された運命の子どもたちが天皇だった。そして日本というエヴァンゲリオンは暴走し戦争へと突入していった。





世間という言葉の語源にもあるように、あの辺りはもともとは死生観とつながってくる。

人と人との関係や関係を持つ場、そこでの時間のあり方がそのまま存在に対する認識として生/死の感覚につながっていた。

そして、それにもとづいて倫理というか、その元となるエートスが紡がれていった。


北欧+ケルトにおけるゲマインシャフトな死生観は教会が間に入ることでキリスト教の死生観に変わっていった。

それにより時間感覚も冬至(ユル)を中心とした円環/循環的なものから神の最後の審判をゴールとした直線的なものへ変わっていった。

そのことがどのように人の生き方や存在の了解、理知のあり方に影響していったのか、、それを調べていくのが今のところの課題のひとつ



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関連:
「社」という語の由来から垣間見る日本人のコミュニティ信仰 | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2276

「社会」の「社」について。「翻訳成立事情」でいちおこの辺確認したけど、「江戸後期 → 明治初期には『社』が流行った」ぐらいな記述だったので特に記さなくていいや(亀山社中とか新聞社とか




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追記:
「society という言葉と 『世間』の指す範囲は違う(ので『社会』という言葉が造られた)」とする見方は「日本は遅れてて西欧に見習え」的なアレが含まれるように思ったのでネチネチと語ってきたんだけど、同じ文脈で、「西欧の個人主義っての出自としてはそんなに素晴らしいものではないし『個人』つてもそこには内面化された規律が絡んでるんだよ」、なメモとして以下を追記しとく。

物語 ドイツの歴史―ドイツ的とはなにか (中公新書)
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(48)この問題の重要性をM・フーコーは次のように説明している。
「個人としての人間は長いこと他の人間達に基準を求め、また他者との絆を顕示することで(家族、忠誠、庇護などの関係がそれだが)自己の存在を確認してきた。ところが、彼が自分自体について語りうるかあるいは語ることを余儀なくされている真実の言説によって、他人が彼を認証することになった。真実の告白は、権力による個人の形成という社会的手続きの核心に登場したのである。」
(『知への意志』渡邊守章訳)



近代的な「自/他」の認識が出てくる以前、人は他人との関係の中で、全体から割り振られた仕事や出来事、役職などによって「自」を説明することはあってもそこから離れた「自」はなかった。

なので、告解を通じて自分の内面に向き合い、社会的役割から離れた自らを意識し、それぞれの人格を磨き、それにもとづいて他者の中にも同様の人格があることを想像するようになったのは近代以降といえる。

大文字の「世間」的なところから抜け出せない日本人や会話のきっかけが少ない人は人と話すときにまず「どちらにお勤めですか?」「何をされてる方ですか?」とか聞くけど、それも村落共同体的な「全体との関係を個人の人格に優先する世間的なコード」ということだから「古臭いなあ」と嫌われても仕方ないところもあるし自分としてもそういうのは得意じゃないんだけど、フーコーが説明するように西欧の個人主義もそういった関係性や規範を内面化しただけなのだろうから完全に権力からは自由ってわけでもないのだとおもう。


なので西欧の個人主義と公共性について考えるときにはその辺には注意したほうが良いのだろうけどなあ、とこの辺見つつおもった

安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している - アンカテ
http://d.hatena.ne.jp/essa/20080808/p2







タグ:世間 公共性
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2013年11月13日

阿部謹也、2005,「『世間』への旅」

この辺よみつつ最近ちょこちょこ思ったことをメモ的に

「世間」への旅 西洋中世から日本社会へ
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めんどくさい話だしまだ結論出てないところもあるので長くならないように簡潔にメモ的な形で残したい。



以下はメモった部分をそのまま、文章的な整形をあまりせずに貼っておく


society の本来の意味は societas に由来し、人と人との結びつきを意味していた。
ラテン語のこの言葉の原義に宴会などにまつわる儀礼や宗教的な意味があったとしても、
少なくとも17,18世紀にはイギリス・フランスにおいてこの言葉は抽象的な概念となり今日に至る。

この辺りはこのへんでいちおもっかい確かめたり。ラテン語うんたらについては載ってなかった。

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<日本では society の訳語として「社会」が当てられた、が、日本における「社会」意識、あるいは、その必要条件としての indivisual などの未発達(ex.個人の論理や意見、よりも肩書を重視する)から「社会」という語が当てられているところには「世間」を当てるのが妥当なのではないか?>、というのはちょこちょこ聞く話。

自分的な感覚としては「世間」も複数の世間があって、それぞれがそれぞれの世間-クラスタに属しているように思う。その中でメジャーとなり社会規範的なものに近くなるようなもの、自分の属している世間に圧力をかけてくるようなものを「世間」という言葉で嫌うのではないか?

本当は日本における「社会」というのはそういった複数の「世間」クラスタの重奏した連なりなのではないか?

そういった漠然とした印象がある。



再び阿部さんの本からのメモ書きに戻る



世間は本来、「世間無常」「世間虚仮」、など
万葉から、江戸、近代に至るまで連綿とネガティブイメージ

仏教用語、
器世間ー自然界の事象
有情世間ー人間と人間の関係

世間は本来、自然界を含む人の世


この辺の感覚はトーテミズムを思わせる。



西欧で世間にあたるのは「world」 ? 「welt」 ?
そこには日本で言う「世間」のようなネガティブイメージはなかった
17世紀中葉には世人 Mankind と同様な意味で使われていた。


その頃の world にはグローバルな広がりとしての世界の意味はなく身近の人々が織りなす世界のことであった。


17世紀以後、欧米では world は public となり公衆、公共性として位置づけられていったが、日本の「世間」は公共性としての機能を果たしながらも、そこに超俗的性格と異界との接点としての無常観を残していた点で、西欧の公衆概念とは異なっている。


その結果わが国の「世間」は、人が作り上げてゆくもの、というよりは運命的に存在しているもの、所与として受け止められていったのである。




「神」を「絶対的なもの」とし、それとの対峙の場面として「告解」があり、それを通じて「個人」がつくられていったということ

この辺の経緯は一つ前のエントリでも少し話した。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379707101.html


この感覚というのは、不完全とはいえ個人とか自我、自/他の区別が前近代的な人たちよりははっきりしている現代人からするとわかりにくいもののようにおもうし、自分としてもなんかぼんやりなのでなんとなく印象としてイメージするとアリとか動物の感覚に近いのかもしれない。


「私」以前の全体として「世間」との関係のなかで私があり、逆に言うと、共同体全体の関係のなかでしか「自分」を意識する必要がなかった、ということ。

たとえばなにか共同体にとっての事件が起きればそれを中心として記録に留められ語られるけれど、そこでの個人の名前は識別子的な意味しかなく、個人としての人格や内面はまったくとりだたさされない、ということ。

昔の生活だと特にそれぞれの人の生活の違いとかはそんなになく、皆が皆同じように食って寝て生殖してッて感じだったのだろうから、そこで悩むこともなかっただろうし…。


アリの組織構造-自意識、みたいな感じというか。。それよりはまだそれぞれの内省や人格があったようには思うけど、現代人ほどそれを留めて、内省して、「個人」ッて感じでもなかったのだと思う。

このへんの感覚は口頭伝承、声の文化に住んでいる人の感覚と文字の文化に住んでいる人の感覚の違いのようなものも想わせる。

声の文化の人のすべてがすべてそうとは言えないだろうし、声の文化と「個人以前の全体性を中心とした内面」とどのようなつながりがあるのかわからないけど、なんとなくフォルダとして近そう。



そして、共同体よりも近い親密圏なところで「家族」がある。


「家族」の中の自分
家族の範囲
家族と親族の絆、先祖
「家」


E.トッドなんか想わせるけど。



世間 世論 ポトラッチ-kura的な名誉を重んじる  → 大義 ←(武力だけではなく霊力  
贈与・互酬交換 (←動物のシステム的な意義としてはどのようなものか? 弱者救済 妬みを避けるための「ふるまい」

そういった中では公共性の感覚も違っていた

(⇔ 教会が間に入ることで贈与のセンターになっていった → 教会の変化、知識、信頼性(権力)のネットワークの変化)



ヨーロッパももともとポトラッチ的な贈与交換を基本としていた。なので、そこでは金銭の所有の多寡のようなものはステータスではなく贈与交換でどれだけ他者に振る舞えたかによって共同体内部での地位が決まっていた。そして、共同体内部でより一方的にふるまえるように「弱者へのふるまい」が習慣化していった。強者だとふるまったものが返ってきてしまうので。一方通行でふるまえる弱者が選ばれていった。

「ヨーロッパのボランタリー文化は教会の影響」というようなことが言われ、「では、そもそもその互助精神はどういった機構から生まれたのか?」という命題に対して「人間本来の弱者助けあい」みたいな話が出てくるけれど、そういった価値とは別の、こういった集団的行動の結果だったのではないか?

もちろんこの可能性をもって「人間本来の弱者助けあい精神」の可能性も捨てられないだろうけど。



こういった贈与交換のシステム・風習は貨幣経済への移行に伴い崩れていった。

11cは貨幣経済への移行段階でまだ贈与交換、あるいはポトラッチ的なものが一般的だったみたい。

それが変化していった背景としては教会が中間になったことがある。

それまでは「死後も財産は持てる」という通念から冥銭の慣習があった。すなわち死者とともにお金ももたせていった。そうやってかなりの財が死者に持って行かれていたが教会が間に入り「教会に寄進することで死後の生に祝福をもたらす」という方便を使ったことで教会は莫大な富を得られるようになっていった。
http://bit.ly/ggAWMK


また、市場における貨幣の魔力を仲裁するのも教会であったし、それまで境界的なものとされてきた様々な異人たちを「適切に」フォルダ分けしていったのも教会だった。


その流れの中で、かつてはトーテム的につながっていた「異界のもの」≠「自然のもの」も「文明により開拓する対象」とされ、場合によっては敵や悪として対象化されていったぽい。

つまり、それまでは聖/俗として両義性をもっていた境界のものから聖性だけを教会が奪い取り、俗は穢れ/悪として措定されていった。

この時期、それまでは差別対象でもなかった肉のなめし職人、風車の粉ひき、森の魔女などが差別の対象とされていったみたい。

というより、このときから「悪」や「差別」といった概念が生み出されていったぽい。


このへんの話は「世間への旅」というよりは「近代化と世間」のほうに踏み込んでるか


近代化と世間―私が見たヨーロッパと日本 (朝日新書)
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加えて言うと11c辺りに価値観が変化していった流れの規定要因としては人口変動が考えられる。

中世ヨーロッパの風景 「中世の都市人口」
http://www.ku-rpg.org/column/population.html

ではなぜ、この時期にヨーロッパの人口は増えていったのでしょうか?

 その要因として、農業の進展があげられます。
 技術的には、三圃農法をはじめ、水車による製紛場・撥土板つき重輪鋤・改良された馬の牽引法(繋駕法)・蹄鉄の使用・唐竿(打穀棒)などが主なものです。
 これらの技術は中世初期以前からありましたが、一般にヨーロッパ全土へと広まっていったのは中世盛期のことだと考えられています。


コレに加えてレンズ豆なんかの影響もあって、この時期にヨーロッパの人口が増えた(W.マクニール)。それによって全体の経済規模が高まり、それに対応するために貨幣経済への移行が相関していったのではないか?

そしてその中心の文明の知識ハブになったのが教会だった。

以前のエントリでも言ったように、この頃にキリスト教内部も組織や教えの改革をしていったぽい。



ふたたび「世間との旅」からのメモ書きに戻る


家族(親密圏)
対幻想


個人幻想的な想像空間
→ 中世の想像空間
トーテミズム


論理性ではなく
裁判、円座


口頭伝承
声の文化
繰り返し


タテ社会



教会がセンターとなる以前、「文明」的な論理性以前のヨーロッパ世界では公共性や倫理の感覚も異なっていた。その前段階として、人と世界との関係や観念も。人は社会以前に自然や宇宙とつながっているものだった。それをふつーとして、自分を自然の中に自然に溶け込ませる物語として、現代で言えば妖精的なお伽話とされるようなものが本気で信じられていた。自然、アニミズム的なものを基本としたトーテミズム的な、自然と自分とのつながり。自然の中に先祖が、先祖の中に自分が連綿とつながっているという感覚。

そういった全体とのつながりの感覚を教会が「神」とのそれのみに限定するようになった。

もっといえば神は大義として利用され、実質的には人間中心的な物語(倫理)がこの時点から編まれるようになった。人を中心として「自然は開拓するもの(外)」という感覚。

その中で倫理のよすがやそれに基づいた法的なもの、裁定のやり方も変わっていったのだろう。

「告解」のような形はその結果としてか、あるいは「告解」が形式的に先に出来たから裁定の仕方も変わっていったのかびみょーなところではあるだろうけど。もともとはヨーロッパでもあったかもしれない円座的に討議や裁定の仕方。なん日もかけてそれぞれの思うところを述べていく、繰り返しになっても論理的でなくても、それぞれが納得するまで述べていく、という形はなくなっていったのだろう。

声の文化的な、論理ではなく繰り返し的な、身体的なそれ。


日本的なタテ社会の構造、(表面的には近代的合理性を名乗りつつ)論理よりも場の仲良しイズムや空気を重んじるそれ、はそういった円座的なものと西欧的な論理的なものがみょーに混交して残ったピジン的なものなのかもしれない。


世間ではなく自立として生きてる例

哲学を中心としてすべての学問を修めなければならない
ある哲学者はすべてを学習した後に陶工の仕事に転じた、ある学者は靴直しの技芸に習熟していた。

cf.ヴェイユ


これは「日本では世間を生きているために肩書を重視する」に相当



阿部は「世間というのはフッサールの言っていた『生活世界』に相当するのではないか?」ともいっていた。


それはハーバーマス的には「システム vs. 生活世界」の図式で対峙されたものだった。

しかしこれまでの流れを思うとそういった単純な図式でもないっぽい。


「システム」は政経的な全体合理性(公益性)とし「生活世界」は親密圏の合理性としたとしても、親密圏のほうでも家族や世間の論理があり、それが個人のプレッシャーになっていたりもする。


では個人の位相はどこか?といえば個人は政経的な層にも、あるいは家族や世間的な層にも脚をかけているのだろう。それらの多層の輻輳の中から近代的な個人が生まれている。

そして、それらの多層性のなかから、蓋然的な共同体の暗黙ルールとして「公共性」が作られているのだろうけど、これも社会環境の変化に応じて変化していくのだろう。


そういった公共性の変化、あるいはそれぞれの人が属する世間の位相や変化とマスメディア的なもの(サブカルやヲタコンテンツや映画やインターネットなど)の関係についてもこの辺からうんたらしようかと思ってたけど、


ミリアム・ハンセン「初期映画/後期映画」紹介 | borujiaya
http://www.p-renaissa.jp/borujiaya/?p=865


今日はもう疲れたのでとりあえずここまでで



--
関連:
阿部謹也、「世間への旅」からの読書メモ断片 - Togetter
http://togetter.com/li/589127



タグ:世間 公共性
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2013年11月08日

「世間」と「個人」と「告解」あたりの話



【第36回】『タテ社会の人間関係』(中根千枝)|新しい「古典」を読む
https://cakes.mu/posts/2647

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書 105)
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「縦社会の人間関係」は読んだんだけどこうやって他人様のレビュー見ると印象違うものだなあ、とか。

要約すれば、<日本的「縦社会」の特徴とは、命令系統の合理性がはっきりとしない=組織の関係線を表せばピラミッド型の木構造になるのだが、こういった木構造で当然とされるトップの責任と決定権の合意が無視されガバナンスが曖昧に。現場においてはいちおう最上位のオーダーに従う形にはなっているが、実際は1ホップの上司への忠誠が第一となり、その上司を介した間接的にオーダーに従う形となる>、みたいなの。

つまり、ホンネとタテマエ、でありホンネの部分が「場の空気への協調」「論理以前の仲良し主義」ということになる。(「私は無実だが、世間を騒がせたことは申し訳ないと思っている」≠「わたしは首相だが吉田所長とは直接の交友があった(指揮系統の最高責任者であったが東電にわたしの指揮が届くとは信じていなかった)」)



こういった話は別件の「日本人は言ってることとやってることが違う」「言葉を介した合理的なコミュニケーションの了解が成り立たない」「そのウラにある非明示的な了解が暗黙に重んじられる」ってことで山本七平の空気話とか連想させるわけだけど、これと同時に「世間」とか「信頼」とかをおもった。


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山岸俊男さんのこの新書はちょこちょこネットで言及されるのを見る。直近でもTLで見かけたし放射脳問題に対して同書を介した視点はどうなるかな?って試してなかったので。あるいは食品偽装と安全神話うんたらについていちおこの辺もっかい見てもいいかなってことで。

「日本酒に防腐剤」うんたらでも思ったんだけどああいうのも「もやしもん」における「化学調味料を目の敵にする人がいるけどすこしの化調を利用するのは人類の英知なんだ」みたいな樹教授の言葉を思い出せば偽装食品の話題て阿呆らしいのだが。。 >カニカマ>精進料理>形と調味料で騙すことが料理技術ということだし。

そういうのと別に「高い金を払ってるのに『騙された』」がまずあり、ぢつは「高い金を払ってるのに」って部分は後付な理由で「騙された」の感情部分の先行があり、その部分も合理的・論理的に問い詰めれば後付的な理由に過ぎず、まずもって『騙された』があるだろう。

放射脳のあれと同じで過剰な安全神話があり、「わたしたちの周りは完全な安全と信頼で包まれている」ってのが「騙された」なのだろうけど、それを突き詰めていくことは却って自分たちの周りを無駄に不安にすることでしかないと思うんだけど。

社会学の文脈でよく言われる、「近代の都市に住むようになった人たちは『誰々がつくった○○だ』がはっきりとわかる顔の見える空間=ゲマインシャフトから出てしまい、お金をメディアにしたゲゼルシャフトに暮らすようになった。そこでは顔が見えないことの不安、サービスはどへの信頼の担保をお金が代替している信頼性に委託するんだけど、仮の信頼をヴァーチャルするようになったため一度その信頼が崩れると一気に不安になる」、を思い出す。

そこで「安全」と「信頼」の話がつながり、「安全(不安)を気にする以前に信頼を築くような」うんたらって話になると思うんだけど、、まあとりあえず本書を図書館で予約。


安全神話な話に日本的な「特殊」をポイントするならそこに「世間」が絡むのだろうしなにをもって「信頼」のよすがとするか、というところも他の国や社会とはすこし違ってくるのだろう。そして「世間」をドライブしてるのがマスメディアであり、マスメディアは、「世論を代弁してるだけだ」、という。

阿部謹也さんの世間話は「学問と世間」うんたらで読んだけどけっきょくそれほど印象に残ってないな。「ああ、日本の世間嫌いなんだなあ」って感じで。

でも今回頭に浮かんだのは少し前に山本太郎議員が園遊会で天皇に手紙をちょくで渡した件についてTLでやたら騒いでるのをみて「…世間」って思ったからか。今回だけのことでもなく放射脳うんたらについても、あるいは文月メイさんのママ歌がどうこうにしてもマスメディアやTL上のオピニオンリーダー、あるいはTL全体が涵養するアジェンダが思ったより人の関心になるんだなあ、とか。

論理的に突き詰めれば自分の生活とはそんなに関わりなかったり、関わりあったりしても論理的に会話すればすぐに終わるような事柄だけど、それを井戸端会議的にグダグダと噂のような話を続ける。。だから「世間話」って感じなのだろうけど。話自体に合理性や論理性はそれほど求められてなくて、その話を共通話題としてそのアジェンダ内部での規範とそれに属する言表をとることによって世間様に紛れるための識別子を獲得する感じの。まあ当人たちはそんなこと思ってなくて真剣に「社会問題だ」ッて感じみたいだけど。毛づくろいコミュニケーションの延長的な。。


「『リアル-マスメディアな世間』から『リアル-マスメディア-SNSな世間に』」あたりでこの本も読んでみようかと思ったけどさすがにけっこう人気だったので今回は見送った。いちお予約したけど




input/output だけの単純な構造としてみた場合、同調圧力(外部からのinputの圧)を嫌がる人がちが同時に承認欲求(外部からの賞賛というinput?)を求めるのはなんか変な感じ。まあ両方ともまずoutputがあって、それに対して当人が「要らない」とおもうフィードバックが来た時には「同調圧力だ!」って叫んで、当人に望ましいフィードバックが来た時には承認欲求が満たされるのか。でも両方とも「世間」とその規範の中での話のように思うけど、フィードバックがより合理的(あるいは先進的)と思える規範に近いときは「是」として受け容れやすいので「世間」(あるいは同調圧力)て感じにくいのかも。両方とも世間で、古いか新しいかの違いだけのようにも思えるけど



閑話休題



そんな感じで「論理以前の場のコード(あるいは識別子)獲得」に対する疑義とその生態について改めて見直したくなった + ヨーロッパの中世うんたらの周辺知識からのその辺りの話を見たくなったので「「世間」への旅」をとりあえず借りてきた。もう一冊は予約。



「論理以前に仲良し主義先行する空間の生態と是非」、あるいは、仲良し主義≠感情先行としてそのことの合理性や論理性に対する是非、みたいなの。



とはいっても日本人特殊論はあれげになりやすいので、少し立ち止まって「外国人も論理以前に感情先行するよ?」と想像するに、彼らの場合、最終的にベタッとしてないってとこがポイントなのかなあ…一度論理的な話し合いで合意したものはあとをひかない、というか…。まあ、感情的でDQNな外国人もいるだろけど。



「世間」の話をしつつも的を射ない、単に自分の日頃のうっぷんを晴らすために日本人特殊論からの日本人批判の言説を借りてきてそこに乗っかってるだけの人の話は大体にしてそれが「世間」だけに終始してその対称としての「個人」の話にまで及ばない。

世間の話が出てくる場合は西欧的個人主義への着目、「西欧の個人主義とはなにか?」「どういった背景から立ち上がっていったか?」という話の流れが筋のように思うけど、そういうのはない。「世間イヤ → だったら個人でちゃんと考えれば?」のはずなんだけど…。

阿部さんの話だとその辺ははっきりしていて「西欧の個人主義の立ち上がり、原点は12世紀」ということから始まる。「12世紀、ラテラン公会議でカトリックに告解が義務づけられてから」


ラテラン公会議 - Wikipedia http://bit.ly/1abGKV1


>ラテラノ公会議ではなぜユダヤ人に差別服を着用させることに決まったのですか?

差別感情があったのでしょう。

>もし、ユダヤ人とキリスト教徒を区別するのであれば、 ユダヤ人に無理やり強制するのではなく、 キリスト教徒の方が差別服を着用すればよいのではないでしょうか?

当時はそんな風に考えられなかった。多数派の少数派迫害。

>ラテラノ公会議は何が目的で開かれたのでしょうか?

目的は 正統信仰の保護、十字軍国家の支援、俗人による聖職者叙任権への介入の排除、異端の排斥、新たなる十字軍の編成であった。公会議自体はその壮大な規模とは裏腹に、討議というより、教皇の提出した教令に印鑑を押すだけ、承認するだけの役割しか果さなかった。

http://bit.ly/1abH8mp

背景はまだ調べてないけど、フリードリヒ2世が関わった第4回ラテラノ公会議の様子を伺うと「教皇庁とその周辺の腐敗×叙任権闘争」の結果ぽい。これ以降、告解や聖体がうんたらな話で教皇庁(ローマ=カトリック)を中心としたドグマ化が強化されたのだろう。

この時期は12世紀ルネサンス → 大学の立ち上がりということでもあるけど、第三身分の中でもお金を持っていた商人層が台頭してきた時期でもある。その関係で(教会からスピンアウトするように)大学も建設されていったのだろうし、メディチのような第三勢力的なものも立ち上がっていったのだろう。そしてボルジアも



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あるいはそれ以前にヴェニスの繁栄が商人勢力の台頭の背景にあったのかもだけど

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そこは今回は触れないとして、、



おそらく、そういった勢力均衡とパワーバランスの変化のなかから「システムの中で自由に思考できるコマ」の割り当てが増えていった。それが封建諸侯、選帝侯、商人勢力などの新たな台頭であったのだろうし、結果としてのキリスト教教義の教条化だったのだろう。おそらくこの辺りであらたに歴史も修正→構築されたのだろうし。

異端審問が同時期から発生していること、あるいは異端をめぐる粛清がされはじめたことなどもこの辺に関わるのだろう。

中世における異端審問の数が増え始めた契機として、1022年にフランスのオルレアンで起きた、異端者の処刑事件がある。この事件が起きた際、オルレアンの会議に召集されたブルージュ大司教のゴーズランは、スペインのビック司教オリバに対し、異端の発覚を憂う手紙を書いている。その後、11世紀中盤までに異端発覚の報告が17件を達し、急増している。その後、11世紀後半には異端発覚の数が沈静化したものの、12世紀に入ると再び急増を始めた[2]。

12世紀に「中世の異端審問」と呼ばれる最初の異端審問が始まったのは、南フランスにおいてカタリ派がその影響力を拡大したことが直接の契機であった。先に述べたようにしばしば異端問題は政治問題であり、地域の領主たちが治安を乱すとして個別に地域内のカタリ派の捕縛や裁判を行っていたが、そういった従来の方法をまとめた形でだされた1184年の教皇勅書『アド・アボレンダム(甚だしきもののために)』(ルキウス3世)によって教会による公式な異端審問の方法が示された。そこで定められた異端審問は各地域の司教の管轄において行われていた。司教たちは定期的に自らの教区を回って異端者がいないかを確かめるというものだった[3]。

異端審問 - Wikipedia http://bit.ly/1abJp0M


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佐藤賢一: オクシタニア(あらすじ・感想等):時代小説県歴史小説村
http://bit.ly/1abIA8g

ただ、異端審問=魔女狩り、というわけではないようだけど


以前のエントリでも述べたように、魔女狩りは教会の異端審問以前に民衆自身によって行われていたし、

石川雅之、2013、「純潔のマリア(3)」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/378787952.html

かつて「魔女狩り」といえば「中世ヨーロッパにおいて12世紀のカタリ派の弾圧やテンプル騎士団への迫害以降にローマ教皇庁の主導によって異端審問が活発化し、それに伴って教会の主導による魔女狩りが盛んに行われるようになり、数百万人が犠牲になった」のように語られることが多かった。しかし1970年代以降、さまざまな研究によってこのようなステレオタイプな見方は覆されることになった。特に有名なノーマン・コーン(Norman Cohn)とリチャード・キークヘファー(Richard Kieckhefer)の研究によれば、魔女狩りはスイスとクロアチアの民衆の間で始まり、やがて民衆法廷という形で魔女を断罪する仕組みがつくられたという。異端の追求は行っていても、魔女裁判には長く関与していなかったカトリック教会が異端審問を通して魔女狩りとかかわりを持つようになるのは15世紀に入ってからのことである。これは1384年と1390年にミラノの異端審問所に、魔術を用いた容疑で訴えられた二人の女性に対して、異端審問所ではこの種の訴えを裁くことはできないという判断が出されていることからもわかる。

http://bit.ly/1abJfqh


阿部さんの本の記述から伺うにキリスト教の中での神判のそれに近い印象がある

(56-57) 六世紀から十二世紀にかけて告解のマニュアルが各地で作られていきますが、それによりますと個人は司祭の前で自分が犯した罪を告白し、自分の性行為のあり方だけでなく、迷信や呪術との関わりについても詳しく告白しなければならないのです。妻とともに風呂に入り、妻の裸体を見ただけでパンと水だけで過ごす一週間の食材を果たさなければならいのです。夫婦であっても性交の体位から回数、性交が許される時期などについて厳しい規定があったのです。そのほか家を建てるときや結婚式を行うときに吉日を選ぶ習慣も異教的なものとして否定され、それらが個人の罪として個人が贖罪すべきものとされているのです。このマニュアルは『贖罪規定書』といいますが、そこではこのようないわゆるアニミズム的なものがすべて否定され、モノの中に宿る霊の存在も否定されています。いいかえればこの時点でヨーロッパにおいては我が国の天皇制を可能にした状況が駆逐されたといってよいでしょう。
 問題はそれだけではないのです。かつては性関係のような証人のいない問題に関して争いがあった場合、わが国の盟神探湯(くかたち)のようにまっ赤に焼いた鉄を握らせたり、熱湯の中に手をつけさせたり、手足を縛って水の中に沈め、火傷をせず、水に沈んだ場合は無罪とする裁判の形がありました。それは何日もかかる大げさな儀式で、不貞をはたらいたと訴えられた女はこのような形で自分の無実を晴らさなければなりませんでした。ヨーロッパではこの形の裁判を神判あるいは神明裁判とよんでいます。人間には証明不可能な問題に神が直接介入して真実を明らかにすると考えられていたからです。


なので、ラテラノ公会議によって告解が義務付けられて公式化し、神判という「非文明」的で「非合理」的な野蛮が後景化していったことは結果的に良かったのかもしれない。あるいは、「野蛮」という形で後景されたものたちがストレスで噴出したのが12世紀以降の魔女狩りの加熱の背景であり、神判の内容と異端審問における魔女狩りのそれが似ていることの理由となるのかもしれない。

そして、このような告解の形式の中から内省が為されることが習慣づけられ、結果的にヨーロッパにおいて個人と人格の形成がされていった。

(57-58) ところが1215年のラテラノ公会議で神判は禁止され、その後ヨーロッパでは急速に衰えてゆきます。しかるに神判は日本では十七世紀まで行われており、起請という形ではその後も長く存続しています。ヨーロッパと日本のこの違いをどのように説明したらよいのでしょうか。同時に同じ会議で成人男女は少なくとも一年に一回は告解をしなければならないということが義務づけられたのです。告解は性に関わる罪を含めて自分が犯した罪を司祭の前で自ら語るという形で自己批判をする形式です。神判が否定された後の裁判の主流は拷問による自白におかれ、近代裁判の証人調べへの道がつけられることになるのですが、それも皆こうした出来事と深く関わっていたのです。国家と教会が手を携えてこのような告解の形式を個人に課し、個人の内面を縛ろうとしたのです。しかしそのことによって皮肉なことに個人が自分の行為を反省したり、何よりも重要なことは個人が自分の行為を自ら語る機会が公的に形成され、それによって個人が自らを自覚する機会が公的に作られることになったのです。いわばこの頃にヨーロッパにおける個人と人格の形成の端緒があったといえるのです。


阿部さんの「西欧個人の形成における告解の役割」話のウェブソース ↓

西洋において個人主義がいつ始まったのか、学生時代には、このようなことは考えたこともなかった。 阿部謹也は、11世紀以前のヨーロッパは基本的に日本と異なった社会をつくっていたわけではないと考えている。 残念ながら、11世紀以前のヨーロッパ社会を厳密に考察していないので、阿部謹也もこの点では自信を持って断言しているわけではないが、こと、個人主義という点では、11世紀以前にはそれは存在していなかったのだ。 ヨーロッパにも、11世紀以前には個人は存在していなかった。 日本的な世間のしがらみに左右された社会生活を送っていたのだ。 では、個人はいつ、何故、出現したのか。 1215年にラテラノ公会議で、すべての成人男女は年に一回は告解をしなければならないと定められたことが、その端緒であった。 この辺りは、キリスト者でない人たちには理解し難い。 罪を一人の人間として告白すること(私もキリスト教徒ではないので想像でしか言えないのだが)、それも当時は大衆の面前で告白することは、自ずと個人の意識を醸成させたであろう。 逆に日本的な社会では、罪を個人を前提としていない連帯責任としてしまうことになる。 このような社会では個人は集団の中に埋没している。 ところで、ラテラノ公会議以前から、個人を生む土壌が作られていた。 8、9世紀頃、フランク王国のカール大帝はキリスト教の教義と合致したかたちでフランクの社会を変革していこうとした、と阿部謹也は言う。 国家が大衆に対して罪の意識を芽生えさせようとしたのである。

http://blogs.yahoo.co.jp/gnosis_xx/44686861.html

さて、作田は中世という語で表される時期をとくに限定する必要はないといっているが、今野国雄『ヨーロッパ中世の心』では、個の覚醒というものを12世紀においている。「ヨーロッパ的個性は近代になってから、自由、平等、人権などが声高に叫ばれた時期にでき上がったものではなく、いわば中世のさなかである12世紀にその形成の出発点がある、と考えるのが適当であると思われる。」と述べている。  そしてその動機としてあげるのは、まず説教活動である。当時のヨーロッパ社会は商工業が発達し、物や人の交流も盛んになり、聖地巡礼者も増え、活性化流動化が進んだが、これらを背景として、異端の拡大があった。異端者には巧みな巡礼説教師が多く、教会も説教の重要性をはっきり認識した。そのための修道会もつくられ、『例話集』と呼ばれる手引き書も12世紀以後たくさんつくられた。これらの説話的説教集には、注目すべき点は、抽象的で漠然とした教義や信仰の話は避けられていて面白い具体的な事実や個人を登場させていることである。氏の引用からグレーヴィチの言葉を孫引きさせてもらえば、そこにあるのは、「中世初期のような受動的なミサへの参加ではなく、神へのより直接的な対応、神と信者との私的な関係である。聖人、キリスト、聖処女、天使が出現するのは例外なく個人に対してであり、個人との間に1対1の関係を取り結ぶのである。」これは、さきの作田の指摘にあるプロテスタンティズムの内面的倫理性とはやや異なるものの、神と個人との関係という図式が興味を惹く。さらに、説教のなかには、外部にとらわれぬ個人の意識を喚起しようとする説話もあり、今野氏はその代表的な例もあげている。  しかもそれにとどまらない。説教はそのあとの告解と深く関わるが、この頃から告解は個人単位で行われるようになったという。それまでの告解は特定の日に集団でおこなわれ、司祭の読み上げる告解文を信者たちが一緒に唱えて悔悛する形がとられていたが、各個人が自分の心と直接向き合う形になったのである。13世紀のはじめ第4回ラテラノ公会議で年一回の個人の告解が義務づけられると以後教会でひろく行われるようになり、氏の表現を借りれば、「信者はここでも個としての自己を発見せざるをえないようになった」のである。  氏はさらに、11世紀末から12世紀にヨーロッパで新しい愛の観念が発見されたことに言及する。単なる男女の結合ではなく、いわゆる「至純の愛」(フィナモール)がおもに吟遊詩人たちによって歌われたのである。フランスの宮廷風恋愛の諸作品はよく知られているが、南ドイツでは庶民の愛の歌がたくさん集められた『カルミナ・ブラーナ』を氏は紹介している。愛というものが、もっとも個人的な男女の営為であるとすれば、このような愛を通じて個人に目覚めるというのは当然のことである。12世紀前半の歴史的に有名なアベラールとエロイーズの悲恋にも触れたのちに、氏はこう結んでいる。「こうして見ると、12世紀にヨーロッパは個に目覚め、愛に目覚めたということが実感として理解されるのではないかと思う。」

http://bit.ly/1dREML1



告解の意義、「それが『主体』や『個人』を形成するのに具体的にどのような機能をしたのか?」についての心理機構面からの影響について知りたくなったのだけど、その部分についてはぐぐってもでてこないみたい。「告解の意義」とか「やり方」みたいなのはなんとなくあるけど。それは武術で套路とか型の意義ややり方は説明するけど「それが運動生理学かなんか的にどのように作用するか?」についての説明は難しいのと似たようなものかもしれない。

でも、自分的にはなんとなく「正直に話すこと(話せること)」というのがポイントなのかなあとか思う。

「正直に話す担保として『赦し』があらかじめ設定されてること」「それによって正直に話すことで『世間』的価値とは違うものについて反省する機会が得られる、ということ」

そうだとするとこのへんの機構は日記とかと似てるけど。そういうの以外にもなんかあるんかもしれない。


そして「正直に話す」ということが冒頭で言った「機構全体への(タテマエではない)信頼」だろうし西欧におけるロゴスへの信頼(信奉)あたりの感覚なのかなあ、とか。


ゆるしの秘跡は、罪をゆるす恵みの手段としてイエス・キリストが定めた通常の方法で、使徒とその後継者に罪をゆるす権能を授けられたとき、教会の中にゆるしの秘跡を制定した、とされている。その本質的要素は、聖霊のはたらきのもとに回心する人間の行為(痛悔・告白・償い)と、キリストの名によって罪のゆるしを与え、償いを定める司祭のゆるしである。ゆるしの秘跡を受けるためには、悔い改めと回心が不可欠で、そのうえで罪の告白と償いが必要になる。また、大罪を犯した場合には、赦される為にはこの秘跡が不可欠となる。

http://bit.ly/1dRFMPl


(司祭は、信者の上に両手を延べて、唱えます)

全能の神、憐れみ深い父は、御子キリストの死と復活によって、世を御自分に立ち帰らせ、罪のゆるしの為に聖霊を注がれました。神が、教会の奉仕の務めを通して、あなたに、ゆるしと平和を与えてくださいますように。私は、父と子と聖霊の御名によって[十字架の印]あなたの罪をゆるします。

(信者) ア-メン

http://bit.ly/1dRFHv1



「一年に一回の告解」、告解の火曜日(マルディ・グラ → 太った火曜日)はもともとはケルトの2月のイニシエーション(インボルク)だった

石川雅之、2013、「純潔のマリア(3)」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/378787952.html

その文脈からすれば「告解の秘蹟」とされているものの当然感にはやや違和感がもたげるのだけれど、以前にも言ったように、それとは別の部分、キリスト教の良き信者たちが紡いできた倫理の体系と、その実践の最たるものの一つとして告解が象徴されるのだろう。

告解そのものに神秘的な力はないのかもしれないけれど、それを実践していくことで心理的に救われることは実際にあったのだろうし、そこでの祈りや回心の積み重ね、善き心が積み重ねられたということ自体がキセキのように思える。

そして「赦す」「人に対して開く」ということの有り難さも


聖霊やら三位一体やらは依然としてよくわからないけど、そのあたりのことなのかもしれない。

フィリップ・ヴァルテール、2007、「中世の祝祭」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379285806.html


土俗のものをただ潰すのではなく宥和していくこと、新しく出来た教条的なものの罪も赦すこと。

赦すのでもなく忘れるということ

あるいは

「赦す」のでもなく「忘れる」のでもなく「そういうもの」として流れていく、ということ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/221532065.html


そういう機構は、論理だけでは人の心の中には落ちてこなくて、そういった意味では理性だけの問題ではないのだろう。そこで「宗教」という言葉でパッケージされている心理カウンセリングや倫理の古法のようなものが活きてくるのかも

フィリップ・ヴァルテール、2007、「中世の祝祭」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379285806.html



西欧の近代のキセキは理性―論理―科学を人の情動と分離し駆動させることに成功したことだったのだろうけど、


山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/229813934.html

キリスト教と理性: モナド日記
http://bit.ly/17cvQel



それは同時に一部の人に科学や理性万能といった傲慢と誤解を招くことになった。

「理性教」と呼ばれるもの


4.フランス革命(理性教)の副産物──社会主義教(T)
http://bit.ly/17cvKTQ

マリアンヌとコロンビア、国家の擬人化、理性教というカルト: 極東ブログ
http://bit.ly/17cvTqm




「フランス革命やその源泉となったブルジョワを中心とした百科全書的な啓蒙主義、理性主義、平等思想は現在でなぞらえたら社会主義的な教条主義の暴走であり、オウムのカルトのようなものだ。ルソーや理性を信奉するカルト」

その辺りの感触というのは日本だと忠臣蔵の再解釈辺りのそれに近いのかもしれない。

忠臣蔵の場合は人情讃歌に対する批判なのに対してフランス革命の場合は一見理性的と思われたものが理性教だったっていう転倒はあるけど、




「フランス革命=単なる暴力革命」についてはこのへんで見ていこう


革命のライオン (小説フランス革命 1)
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関連
その気持ちを救うのは....: muse-A-muse 2nd
http://bit.ly/fj7Wqv

日用の糧: muse-A-muse 2nd
http://bit.ly/17cwbNX

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2013年11月06日

「進撃の巨人」のモデルになった都市?の周辺話    中世ヨーロッパにおける巨人、city、village


ついったのTL見てたら「11月9日の世界ふしぎ発見はネルトリンゲンだよ!進撃の巨人の舞台のモデルっていわれてる」みたいなの流れてきたので録画設定ついでにぐぐったらこんなかんじだった


次回「世界ふしぎ発見!」は進撃の巨人ファン必見 “城壁の街”ネルトリンゲン特集、進撃の声優陣も出演 - ねとらぼ
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1311/05/news145.html

「進撃の巨人」の舞台のモデル? ドイツ「ネルトリンゲン」が興味深い - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2137083784778513701


そんでまた自分的にうにょーんとしたのが湧いてきたり。。


番組的には「円形の城塞都市」のおもしろさに焦点を当て「その理由は隕石の落ちた跡地だったから」というところから広げていくのだろうけど、そもそもこの都市はどういういわれのものだったのか?というところが気になってウィキペディアなど見るに



オフネットヘーレンの発掘は、現在のネルトリンゲンの市域には旧石器時代後期から定住者があったことを示している。ネルトリンゲンの市域には、その後のほぼあらゆる前史時代の発掘地が見られる。特に興味深いのはバルディンゲン区の東端近くで、ここには、線帯文土器文化時代、新石器時代、骨壺埋葬文化、ハルシュタット時代、ラ=テーヌ時代の入植者が定住していた。ここには火葬墓地を有するローマ時代の村 (Villa) もあった。

西暦85年頃に市の南に入植地 (vicus) を有するローマ帝国の城が築かれたが、259年から260年に現在の南ドイツがアレマン人によって征服されたことで零落していった。この入植地の名前は、おそらく Septemiacum であったと推測される。このラテン名は、Tabula Peutingeriana によって確かな形で伝えられているのだが、このローマ人入植地が現在のネルトリンゲンを指すものであるかどうかは完全に確定できない。ローマ時代の荘園 (Villa rustica) がホルハイム区で発掘され、見学できる。ローマ時代のネルトリンゲンは全般的に研究がなされている。

ネルトリンゲン - Wikipedia http://bit.ly/176fHab


ここでいうvillaはローマの金持ちの郊外別荘みたいなものだったということらしい

ヴィラまたはヴィッラ(villa)は、本来は上流階級のカントリー・ハウスを意味し、古代ローマが起源だが、ヴィラの概念と機能は時代と共に発展してきた。共和政ローマが終焉を迎えるとヴィラは小さな要塞化された農場の複合家屋となっていったが、中世を通して徐々に再発展し、贅沢な上流階級のカントリー・ハウスとなっていった。現代では、特定の種類の一戸建て郊外住宅を指す。

ヴィッラは本来、古代ローマの上流階級の人々が田舎に建てた家屋を意味した。大プリニウスによれば、ヴィッラにはいくつか種類があった。villa urbana はローマなどの都市近郊の別宅、villa rustica は遠方の領地にある邸宅で、常に使用人を置いて管理させ、季節によって所有者がそこに住むという利用形態をとる。古代ローマの住宅には他に、都市で中流階級以上が住むドムスと下層階級が住むアパートのような集合住宅インスラがあった。ペトロニウスの『サテュリコン』にはローマの様々な住宅が描かれている。皇帝のヴィッラはナポリ湾付近に集中しており、特にカプリ島、Monte Circeo の海岸、アンティウム(現在のアンツィオ)に多い。裕福なローマ人は夏になると避暑のためにローマ周辺の丘で過ごした。

ヴィラ - Wikipedia http://bit.ly/176i5xE



「villaだった」ってことでなんとなくスルーされてるけど、ローマの地方都市の基本はキビタス(civitas)だったはず?
中世の都市はもともとローマの衛星都市「キヴィタス」の名残り起こってきたもの。キヴィタスを中心にその市外に市場を、内部に教会を抱えこれらを中心に都市が編成されていった

(ライン川やドナウ川などの流通を中心に発展していった)都市の構成要素は「壁、門、塔」であった。外敵から都市を守るための壁と門。塔は市庁舎と教会 (cf.ノートルダムなど

代表的都市はキヴィタスを中心に発展していったが、貴族の城砦や修道院の近くで余剰作物や主工芸品を取引する市場集落が発展していった。こういった市場集落はカストルムもしくはブール(ブルグス)と呼ばれキヴィタスの周囲に衛星のように発展していった

キヴィタスやブルグスをはじめとする都市的定住地の住民は「キヴェス」や「ブルゲンセス」といった統一的呼称をもって史料に現れてくる。ブルゲンセス(burgenses)という呼称はブルジョワ(bourgeois)やビュルガー(Burger)の元になっている

中世ヨーロッパの都市世界 - Togetter http://togetter.com/li/170441


中世ヨーロッパの都市世界 (世界史リブレット)
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山川出版社
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「ブール-ブルガスがブルジョワの語源になってる」ということについての対照(ウラ)はこのへんで↓

burgus とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/burgus



番組的には「隕石衝突の跡地から出来たなめし職人な伝統の不思議都市」という展開にするのかもだけど、本来はこんなかんじで司教座のキヴィタスを中心にその周囲に衛星的にスプロール(ブール)が広がり、そこにブルジョワたちがなんとなく住んでいた、って感じのところ。加えて言うとキヴィタス(中心)以外の生活環境はそんなに良いものでもなかった。


中世の都市はそれほど自由で自治に富んだものではなかった。たとえば11c後半から北フランスからライン地方に生じたコミューン運動は「自由」や「自治」の不可欠のモデルとされることもあるが都市領主からの完全な自由というわけではなく一定の契約に基づいた自由だった

それは都市の領域的平和を目指し「平和の制度」と同義であった。また「身分を超えた水平的連帯」ではなく、その特権は都市内に家屋または土地を持つものに限られていた。少数の有力者層による寡頭政治的性格をもつものであった

既製のコミューンは王権の内部では鎮圧されていたが、軍役の義務との交換にコミューン特許状を王から付与されることで王権により公認され公的制度へと変容していった。コミューン制度は王の保護のもとに封建的階層秩序へと組み込まれていった

中世人、中世の教会人の理念としては都市はイェルサレムがごとくの理想的なものであるべきであった。しかし実際の中世の都市は埃とゴミにまみれ、キヴィタスや市場を中心に建て増されていった無計画なものであったので人口密度も多い生活環境の悪いものであった

中世ヨーロッパの都市世界 - Togetter http://togetter.com/li/170441


まあそんなこというとケチつけてるみたいだけど、番組のノリとして「観光でいってみたい海外の素敵な場所」みたいなので展開するのだろうから、こういう部分の知識はあってもそこには焦点しない、ってだけなのかも。なので今回の知識も「いちお知っておいてもいいけど」ぐらい。


その上でさらにもけもけ紡いでいくと、、
6世紀から7世紀のアラマン人入植地が証明されている。この時代の墓地が3カ所ネルトリンゲン市内で発掘されている。 "Nerdilinga" は898年にカロリング朝の王領として初めて文献に記録されている。レーゲンスブルク司教の統治下でネルトリンゲンは市場町に成長していった。 1215年にネルトリンゲンは皇帝フリードリヒ2世から都市権を与えられ、帝国自由都市となった。この年に最初の市壁が築かれた。その縄張りは現在も街の地図に見て取れる。1219年、ネルトリンゲンの聖霊降臨祭についての最も古い文献上の記録が遺されている。重要な交易路が交差するこの都市は穀物、家畜、織物、毛皮、金属製品の主要な集散地に発展していった。ネルトリンゲンはフランクフルトと並ぶドイツで最も重要な遠距離交易都市の一つとなったのである。

http://bit.ly/176fHab

最初、ローマの衛星的な都市-荘園として形成されたネルトリンゲンはしばらくするとアラマン人に引き渡され、さらに司教座の管轄になったみたい。その経緯で都市としての独立性を保っていたのもあって後に自由都市となっていったのかとおもうけど、ここで詳しく触れられてない「ローマ植民放逐後」とはどのようなものだったか?


西ローマ帝国が崩壊する4世紀から5世紀にかけて、ヴィッラは孤立を強め、周囲に壁を建設して防護するようになった。イングランドでは5世紀に入るとアングロ・サクソン人が侵入してきたため、ヴィッラが放棄されたり、略奪されたり、燃やされたりした。他の地域では貴族や大地主が大規模なヴィッラを修道士に寄贈し、それが有名な僧院の母体になった例がしばしば見られる。そのようにして、古代末期のヴィッラのシステムが中世初期にも保持された。


ローマ帝国以後、ヴィラと言えばイタリアおよびガロ・ローマ文化圏の自給自足型の要塞化した農場を指すようになった。それは村 (village) のように自給自足型の経済で、その住人は法的にはかつての農奴制 (villein) における農奴だった可能性もある。メロヴィング朝のフランク人はその概念を継承し、カロリング朝のフランスもそれを引き継いだが、その後のフランス語では、basti または bastide と呼ばれるようになった。


Villa/Vila は Vila Real や Villadiego といったようにスペインやポルトガルの地名によく使われている。villa/vila は ciudad/cidade ("city") よりも重要度の低い憲章(fuero または foral)のある町を意味する。個人名と関連付けられる場合、villa は「憲章のある町」という意味ではなく本来の「田舎の財産」の意味で使われたと思われる。その後の発展で、スペイン語での villas と ciudades の違いは純粋に敬称的なものになった。マドリードは Villa y Corte と呼ばれ、このヴィラはかつて活動していたコルテスとは無関係と考えられるが、もっと小さい都市であるシウダ・レアル (Ciudad Real) はスペイン王家が ciudad(都市)と宣言したためにこう呼ばれている。


14世紀と15世紀のイタリアで、"villa" は再びカントリー・ハウスを意味するようになり、Villa Caprarola(ファルネーゼ宮殿)のように一族の権力の座を意味することもあったが、一般には季節を楽しむ別荘として都市からあまり遠くない場所に建てられるようになった。

ヴィラ - Wikipedia http://bit.ly/176i5xE

蛇足で言うとこれが vill-age の語源となるみたい。

village は villa と age の合成語で、villa には農奴の意味がありません。むしろ別荘とか田舎の大邸宅の集合が語源です。villein も地主に対してだけの農奴ですが(今は死語)、それ以外には自由人です。

http://bit.ly/1aqCoG5

villa には農奴の意味は無いけれど、villaに住んでいた人たちはもともと農奴だった可能性もある。あるいは自由民であったり、新たに他所から入植してきた可能性も。

でも、そのような含意は消えていったみたい。いまでは villa は郊外のカントリーハウスを指す言葉として使われる、とかなんとか。たぶん日本のよくわかんないアパート名に「villa」ってついてるのもそれを上辺だけ文字ったものなのだろう。



ネルトリンゲンという都市の性格はだいたいそういったものになる。

「元々はローマ貴族の荘園で、ローマ崩壊後は現地人の入植もあったけど司教座に継がれて、それもあって自由都市として独立していった」


では、ネルトリンゲンと「進撃の巨人」との関連というのはどのようなものか?単に、なんとなくいい感じの外観だったのでモデルにしただけなのか?





少し妄想すると「この都市にとっての巨人(外部からの脅威)というのは神聖ローマ皇帝だったのでは?」とか思うわけだけど、そのへんはどうも違うみたい。ネルトリンゲンに都市権を与えたのがフリードリヒ2世ということ。

フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) - Wikipedia
http://bit.ly/1791a2Y

フリードリヒ2世は最初に選帝候を設定した皇帝としても有名だし、そもそも賢人王として評価される。「王座上の最初の近代人」「中世で最も進歩的な君主」。

皇帝がこの時代に選帝候を設定したのは教皇との勢力争いのために諸侯の後ろ盾が必要だったためだった。その結果として後々、選帝侯の権勢は皇帝の脅威ともなっていったのだけれど、、まあそれは別の話。

ネルトリンゲンが都市としての半独立を勝ち取ったのもこういった経緯のように思われる。

司教座があることで最初から教会側の勢力ではあったネルトリンゲンを都市権を条件に皇帝側に引き寄せたのではないか?そして、ネルトリンゲンはローマに通じる街道にあった。そういった要所として皇帝としてはネルトリンゲンを抑えておきたかったのだろう。

この街道は現在ではロマンティック街道として観光名所とされてるみたい。


ロマンティック街道 - Wikipedia
http://bit.ly/1792brK


バイエルンからローマに通じる街道。実際いい感じの「ヨーロッパ城塞都市」な雰囲気が残ってるみたいで機会があったら見てみたいところ(番組的にも映えるところなので何回か取り上げられてるのだろう。日本のディズニーランドの城のモデルとかもあるし



以上を考慮すると都市権を授かった当時のネルトリンゲンにとって皇帝はそれほど脅威ではなかったように思われる。



そういうのとは別に都市と巨人のお話としてはこんなのもあったり

文庫クセジュの『パリの歴史』Histoire de Paris(Yvan Combeau著、小林茂訳)によると、紀元前3世紀中ごろ、セーヌ河の中のシテ島ile de la Citeに定住をはじめたケルトの部族パリシイ人Parisiiに端を発する。彼らを征服してローマ人が築いた町ルテテイアLuteceがやがてパリシイ人の町Civitas Parisiorumと呼ばれるようになり、それが後にParisに取って変わられた、というのが定説である。ところが、地口、ダジャレの大家フランソワ・ラブレーFrancois Rabelais(1494?-1553)がとんでもない珍説を思いついた。


彼の名を不朽のものにしたのは、民間伝承をもとに生み出された巨人王父子、ガルガンチュアGargantuaとパンタグリュエルPantagruelの年代記である。


ラブレーは若い時に修道院で古典語を学び、後に医学を修めて、自由で開明的な世界観・人間観に立っていたから、神学者たちの旧弊を守る硬直した思想や堕落した修道士たちの偽善的道徳を座視できず、彼らをあからさまに愚弄する内容を著書に盛り込んだ。それが相手を刺激しないはずがない。はたせるかな、『第二の書パンタグリュエル物語』(ややこしいが『第一の書ガルガンチュア物語』よりも先に刊行された)が、発表の翌年、パリ・ソルボンヌ神学部から告発されてしまった。その後の彼は追放処分に耐えつつ、検閲の目をくぐって物語の執筆・出版をつづけたのである。


さて、パリという地名の由来だが、ガルガンチュアが父に命じられ、家来を連れてパリに修行に出た時のことだ。(第17章)巨人に見とれて、野次馬が大勢集まってきた。彼らにつきまとわれて、ガルガンチュアはノートルダム教会の塔の上で休息せざるをえなくなり、眼下の群衆に向かって叫んだ。以下に引くのはSeuil叢書の現代訳である。

 ≪ Je crois que ces maroufles veulent que je leur paye ici-meme ma bienvenue et mon etrenne. C'est juste. Je leur vais payer a boire, mais ce ne sera que par ris. ≫

 「ろくでなしの諸君、ぼくが、諸君に入会金を支払い、ご祝儀[本来は、新来の司教に与えられた祝儀]をはずんでくれるものと、期待してるんですよね。それもごもっともです。よろしい、ではいっぱいふるまってしんぜましょう-----パリだから、おふざけでね。」
 こういうと、彼はブラゲットbraguette(男性のズボンの前につけた袋状の装飾)を外し、空中に向かって勢いよく放尿した。そのため26万418人が溺死した。(宮下注によると、聖書に頻出する人数の数え方のもじり、だという)宮下訳は下線部(以下も同様)に「パルリ」とルビを振っているが、ここが地口であることは明瞭。

  Quelques-uns d’entre eux echapperent a ce pissefort en prenant leurs jambes a leur cou et quand ils furent au plus haut du quartier de l’Universite, suant, toussant, crachant et hors d'haleine, ils commencerent a blasphemer et a jurer, les uns de colere, les autres par ris : ≪ Carymary, caramara ! Par sainte Mamie, nous voila arroses par ris ≫ Depuis, la villes en fut appelee Paris...

 何人かの連中は、早足のおかげで、このおしっこ洪水をまぬがれた。そして、汗だくで、咳もこんこん、唾をはきはき、はあはあいいながら、大学の丘(サント=ジュヌヴィエーヴの丘)の上までやってくると、ある者はかんかんに怒って、またある者は、げたげた笑いながら、あれこれ悪態をつき始めた。
 「くわばら、くわばら。聖母マミヤさま、おふざけから、ぴちゃぴちゃになっちまいましたぜ」と。これがきっかけで、それ以後、この町はパリと呼ばれることとなった...

月刊朝比奈ふらんす語 朝比奈 誼のフランス語にまつわる素敵なお話
http://jp.mon-paris.info/contents/branche/asa0906.html


以前のエントリでも少し出てきたけど巨人(ガルガンチュア)と野人、異界とのつながりというモチーフがフランス(西ヨーロッパ)にはあるみたい。

フィリップ・ヴァルテール、2007、「中世の祝祭」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379285806.html


西ヨーロッパというかインド=ヨーロッパ語族のなかでもケルト系の人たちの中に。そこからするとパリの語源であり、パリにもともと住んでいたパリシィ人たちもケルト人なためガルガンとノートルダム(聖母)の話には縁のようなものがあるのだろう。

いちおパリの歴史を振り返ると、もともとはシテ島の中洲に漁村ができてたけど、そこが河川の航行や交易上の拠点として戦略的な位置を占めるガリアの要所となり、ローマ-カエサルに侵略され、しばらくするとアッティラ征服された。この頃にシテ島にノートルダム寺院、その左岸にカルチェラタン、右岸に経済地域の体勢が整った。この体勢を基本に、ナポレオン三世の区画整理が行われるまではぐちゃっとしたスプロールが「パリ」だった(下水の整備も進んでない臭い街がパリ(@フランス革命時でも)。『この時期までに、パリは木造の建物が密集して並び、ローマ帝国時代の遺構も残る典型的な中世初期の都市となっていた』。「フランス」の原型として落ち着いたのは次のカペー朝の頃。同じフランク親戚であったけど聖マルティンの聖なるケープを大義とした。
http://bit.ly/16WDuib


加えて言うと「シテ」とはもともとキヴィタス(civitas)を意味する。転じて、シテ(city)に住む人々をシトワイヤン → 市民(citizen)。


そこからすると「シテ(キヴィタス)に巨人が来ておしっこをかける」というモチーフはパリの中心に陣取ったローマ以来の司教座を中心とした権力者たちに対するブール(周縁)の人々の代弁といったところだったのだろうか。「(下水の完備されてないおしっこ)臭い街ですかした顔してるんじゃねえ!」 → 「巨人のおしっこでみんな洪水の中、偉そうにしてる奴もおふざけ(par ris)のパリっ子(Parrhesiensパレーシア=嘘付つかない)だッ!」て感じの。



ネルトリンゲンの話に戻れば、民衆の力、あるいは、旧態依然とした既得権力により合理性を説く新勢力が起こってくる、という構図は30年戦争の頃に顕著になる。このときネルトリンゲンは「初めて皇帝側にはっきりとした敗北を喫した地」として歴史に名を刻んでいる。

三十年戦争で歴史の転換点となったのがネルトリンゲン包囲戦とそれに続く1634年に起きたネルトリンゲンの戦いである。この戦いでスウェーデン=プロテスタント軍は初めて皇帝=ハプスブルク軍にはっきりとした敗北を喫したのであった。ネルトリンゲンは勝者に城門を開かねばならなかったが、高額の賠償金を支払うことで略奪行為を免れた。しかし、この都市は包囲戦からその後にかけて飢餓や病気で住民の半分以上を失うという被害を受けていた。さらにその後のスペイン継承戦争でも、近くで起こったヘーヒシュタットの戦いによりこの都市は打撃を被っている。

戦争の後、交易は港湾都市で行われるようになり、ネルトリンゲンは交易中心都市としての機能を喪失した。この時代の沈滞が、中世の風景が現代まで遺された理由である。

1802年にバイエルン選帝侯はこの都市を併合し、これにより帝国都市の地位も失われた。

ネルトリンゲン - Wikipedia http://bit.ly/176fHab

このとき「巨人」として象徴されるものがあるとしたら、それは皇帝や皇帝が象徴する神聖ローマ帝国というアンシャン・レジームだったのだろうけど、皇帝-教皇-教会-選帝侯を始めとした諸侯-有力商人という権力者たちはいずれも一般の民衆にとっては「巨人」に見えたのかも。あるいは、そういった民衆全体の幻想の中にこそ権力という巨人が生み出されていくのかもだけど。




「進撃の巨人」における巨人が何を象徴しているのか?について。

「そんなに考えもなく巨人ブームのゲームの影響を受けてのものだろ」ってついったでつぶやいてたら「| ゜Θ゜)<そうでもないよ。公式ブックではいろいろ背景言ってる」とか言われた。んでもまだチェックしてないんだけど、、

自分的にはあの設定は「クレイモア」のそれにダブる。




「実験的にミュータントを作り限定環境でそれを観察する」というもの。そして「暗闇を覗くものは暗闇に見られている」がごとくギミックとしての巨人や妖魔よりもそれを操る主人公たちの精神内部の怪物性こそが真の怪物だ(なのでそれを統御しなければならない)、って感じの。

「クレイモア」もしばらく読んでないのでその後どうなってるのかわかんないけど、少なくとも上記のようなプロットだと共通してるようにおもった。

なので、「巨人とはなにか?」のほかに「進撃の巨人における世界というのはどういうものとして設定されているのか?」が関心になるわけだけど、「進撃の巨人」も以前に読んでいてそのままになっていたところをTVアニメ版が追い越してしまった。。



まあ、とりあえず今度チェックしとくか
posted by m_um_u at 12:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2013年11月01日

日用の糧


雑駁だけどなんとなく最近見たもので心に残ったものを日記しときたかったのでそういうものとして。そうはいいつつもそれぞれの関連性や、それをつなぐ物語のようなものを無理から考えてたりもするけど。



私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

私たちの負い目をお赦しください。

私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』

〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。


マタイ6章11−15節





コレに対する解釈はいろいろ分かれるのだろうけど
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20130217/p1

自分的にはそれは「肩肘張らない普段の食事」であり「コツコツと普段からやっていくこと」のように思えた。それはこの言葉を知った「放浪の家政婦さん」所収の話にも通じる



なんとなくこのへんの「イズム」みたいなのも思い出したり




料理の話や食事の話がなんとなく好きなのはたぶんそういったことに通じるからかもしれない。それは大げさに言えばウェーバーの言っていたベルーフ(天職)ということ。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)
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とはいってもプロテスタントの考え方はどうも真面目すぎたようで、いま言ってきた文脈とはいささかちがうようだけど


宗教改革者マルチン・ルターは、「日用の糧」の意味を問われ、次のように答えました。

「私たちのからだを養い、必要を満たしてくれるすべてのもの。例えば、食べ物、飲み物、着る物、靴、家、庭、土地、家畜、金銭、所有物、献身的な配偶者、献身的な子供たち、献身的な雇い人、献身的で信仰深い施政者、よい政府、よい天気、平和、健康、学問、名誉、よい友人、信仰深い隣人、そしてこれに類する他の全てのもの。」

私たちは、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と祈る時に、キリスト信仰の最も重要で基本的な態度である「謙遜」ということを学ぶのです。「謙遜」とは、自らを卑下することではなく、自分の存在が神様に100%、全く依存していることを神様に告白しながら生きていくことです。ルターが言った全てのことを含め、自分に必要なものの全てが、神様から与えられるものだということを告白し、神様にこれを求めながら生きることです。

http://bit.ly/19i41Fb


キリスト教の人には不敬かもだけど、自分的にはそれは「神様に感謝」「神様に求めながら」ってのともちょっと違うんじゃないかなあとおもった。

「神に頼る」ってだけだと現世利益をお願いする感じだし、「地獄に落ちたくないからまじめにやる」ってのともちょっと違うだろうし…

単に「日々、コツコツとやっていくとなんだかリズムが良くなるからやる」ってだけのように思ったり。労働とか建築とか作ること、その達成感みたいなのが日々のリズムを作ってくのかなあ、って。そういうのもあって今回コツコツとエントリしたくなってるのかも。



「コツコツとやっていく」「なにかをつくる」「生み出していく」 そうすると 「謙虚になる」って回路はよくわからないけどあるようで、それがそのまま「ヴィンランド・サガ」や「バガボンド」に表れてるのを面白く思ったり。



バガボンド(36) (モーニングKC)
井上 雄彦
講談社 (2013-10-23)


両方とも「戦いで最強になったとしてもそれは本当に最強なのか?」「たとえば自然に対して人は無力ではないか?」「では、本当のつよさ、とはどういうことか?」という問いの末に農業に辿り着いた。


バガボンド36巻のテーマ全体はおそらく「勇気」だった。

武蔵自身はすでに本来の自分を取り戻して、身体的には自分の聲も聴けるようになったように思えるけれど、最後の最後、それでもまだ残ってる我執というかエゴのような部分があった。

それがゆえにか、その強さ自体が周りの人間の弱さを、コンプレックスをかきたてたり、無駄な争いを招いたり


強くなろうとあがくものが一人でもいると
何もしない自分がみじめだもんな

みんな同じなら見えないのに
異質なものがいると浮かび上がってしまう

自分のみじめさが

だから追いだそうとして


それが出来ないと分かると嘲笑い下に見て線引きをして隔てる


それでまた  じぶんを見ずにすむ



そんな武蔵も自然の前には無力でなんども叩きのめされるけど逃げない。その弱さの中の強さを見て村人たちは徐々に武蔵に希望を託すようになる。救世主や英雄にそれを期待するように。

しかし、そんな情に応える予定調和はなしに自然は人の希望を叩き潰していく。


そこでようやくをもって武蔵は重い腰を上げる。自分の剣、誰かや「認められたい」欲のためではなく自分自身のために振るうと決めた刀の道、命やほかのなにもかもを失ったとしてもそれだけは譲れないと最後に決めていた「自分の生き方」を曲げても村の人々のことを助けるために、「助けてくれ」、と言いに行く。

それは「死をも怖れぬ」と誇り高く生きる道には背くものかもだけれど、逆にその場面で土下座のような形で救いを求めること。自分だけのためではなく誰かのために頭を垂れること。自分が悪くないことでも救いを求め謝ること。それこそが最後の勇気であり我執を越えた場面だったのかなあ。


「謙虚」というのはそんな風に昨日の自分を殺して今日の自分をさらに強くしていくことなのではないかとぼーっとおもったりする。


そのための日々の糧、コツコツと自身を反省するための材料がひとにはいるのかなあ。。

世間の承認とか雑音関係なくただ黙々と日々の日課として素振りをしたり、正拳突きをしたり、四股を踏んだり、套路をこなしたり。

武術家やアーティストなら日々の稽古を範や鏡として、そこから反省することがそれに当たるのだろうし、武術とかアートとかでなくてもレッスンはあるだろうし、料理とか仕事とかもそういうものなのかもしれない。





「ただ戦いを極めるよりも農耕などのほうが意義があった」という視点は歴史学や人類史のほうでもあって、W.H.マクニールの歴史観やダイアモンドなんかはそれに当たるみたい。


銃・病原菌・鉄 上巻
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銃・病原菌・鉄 下巻
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(自分的に)古代から近世終わりまでの見所復習: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/264513531.html

『銃・病原菌・鉄  1万3000年にわたる人類史の謎』(ジャレド・ダイアモンド著・倉骨彰訳)|新しい「古典」を読む
https://cakes.mu/posts/225


マクニールの本は地味だから、教科書的ではあるけど教科書的であるがゆえの物足りなさがあるし、視点としては「西欧の勃興は西欧自身のちからではない」+「戦争を中心とした歴史より農耕や家畜のほうが重要」って感じでダイアモンドに共通する。未読だけど「疫病と世界史」としてスピンアウトしてるものはモロにダイアモンドの本と対照(あるいは元ネタ?)されてるだろうし、農耕と家畜の部分だけのスピンアウトもほしいんだけど「戦争と技術」についてはあったり。

そういう視点は民俗史的ということだと網野史学とか、文化人類学的ということでE.トッドとか、ユーラシア大陸の世界史における重要性ということで岡田史観なんかにも通じるのだろう。

そして、世界史における宗教の意味、ということ。


民俗学的史観における宗教的意味論の重要性。


そういうのは最近だとこの本を地味に再読してる。

中世の祝祭―伝説・神話・起源
フィリップ ヴァルテール
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前回エントリでも少し触れたように

石川雅之、2013、「純潔のマリア(3)」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/378787952.html


昨日から今日ぐらいがだいたいサウィンの時期で、これからしばらくはヨーロッパ圏だと「おとなしく過ごす(荒猟が来るから)」という期間になる。

ただ、前回エントリで書き損じていたことが本書を読み進める内にでてきたのでついでに。


前回も少し触れたかもだけど、キリスト教における聖人は本来、土俗的な神や妖精、キセキのお話に属するものをキリスト教が習合したものらしい。

それもあって頭の硬いプロテスタントだと聖人伝を省くようなんだけど、、

本書によるとマリアもどうもそういった聖人の類ぽい。

May - Maria というつづりの中に含まれる共通音素の関係もそうなんだけど、聖母マリア巡礼をする一般的な時期である5月というのはもともとは5月の女王の時期に当たる。

5月の女王は生命力あふれる春の象徴であり妖精ともされる。それは性と生殖、繁栄にも関わりこの時期、北欧-中欧では昔から5月の柱を立て、街でもっとも美しい若い娘たちがそこに立ち、その周りを若い男の子たちが踊り回る習慣がある。


http://bit.ly/HiXIH0

イエスが復活し再び昇天する。春が来て太陽が再生また死を迎えるように(夏至)。そして、その年の豊穣を祈念するように5月の女王マリアは人々の心のなかに生まれあらたなる希望を生む。

5月の柱と女王を祀り踊る熱狂は魔女狩りのそれと対照にして同位ともいえる。ワルプルギスの夜からつづくサバトもこの時期のイメージだし。魔女狩りの熱狂ももしかしたらこういった習俗が別の形で表れただけだったのかもしれない。都市化などに伴う人の生活の変化を受けて。



熱狂や語気のある言葉は勇気やモチベにつながるのでたまには必要だけれど「日々の糧」とはまた別のものなのだろう。熱狂が聖のうちはよいのだろうけど、それも行き過ぎると魔女狩りのようになるのだろうし。コツコツとした日々を送っていくためにはもっと別の、普段でゆるゆるとしたそれがいるのかなあ。俗というか普段の。


ほほえみの糧となってくれるような日用の糧


ベルーフに関する以前のエントリや、このエントリをしている隣でトドのように寝てるネコを見つつそんなことをおもった。


「ただ、そこに在る」という本質  ポイエーシス-エロース / イデア: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/204824809.html

ほほえみの糧: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/72864397.html





♪ Bonnie Pink / ほほえみの糧
posted by m_um_u at 20:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2013年10月23日

<在る>ことの実感と了解、の話


何でこの体

何でこのかたち



そうか



俺は今はこのかたちをもらってる

この体と刀をもらって生まれてきた



体を使え、と


もらったこの体を使って知れ、と




何を?





その前のもともとの俺を




体が

そういうものだとしたら



体だけじゃなくて

この世のもんすべてがそれを知るためにあって



いや

ものだけじゃなくて


人も  出会う人も

父も母も


すべてそのために出会うのなら





ほんとは誰も恨まなくていい





――そういうことなのか……?
















人がこの世に生まれてきた意味、あるいは自分の在処、居場所や位置のようなものを求めて彷徨うとき、その最初の地点は生まれた場所やルーツということになるのかもしれない。


森のバロック
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熊楠においてはそれは自らの名にトーテミズム的に刻み込まれたものだった。南方(南紀)のある地方の神社から分けられる神木の霊力と連なった名前。「楠の木」と「熊」。

中沢新一によると、そのことに気づいたとき熊楠の中で湧き上がるものがあったらしい。

あるいはその感動は中沢自身の期待と幻想、意味論的な想像空間を熊楠に託した物語であったのかもしれないけれど、本書を通して描かれる「科学的に正しくはないけれど」な意味の空間、自然や世界と自分の実存を結びつける物語のあり方は「生きる意味」という論理的には解けない難問に対するとき、それぞれのひとの跳躍を助けてくれる道具立てのひとつになってくれるのではないか。

文学がそういったものであるように、文学的なリアリティをそのまま自らを囲む自然や世界にテンプレートしたとき、人の生きている空間は無限に拡がっていく。

そこでは年齢や美醜、貧富といった社会的に設定されたマトリックスから脱することができ、永遠を得ることができるのかもしれない。



永劫回帰あるいは輪廻転生という幻想も科学的には正しくないものだけれど人類の共同幻想として伝わってきたもののひとつとしてある。

それを事実(fact)や科学的認識のレイヤーとは別のところにスイッチして考えた時、太古から続く人の営みもその糸の中に織り込まれる。


生老病死愛別離苦、そういった多様な色も、それぞれの人の人生の「意味」として了解されていく。


私たちは影響の受けかたや、ほかに影響を受けることのできる他者や、新しい環境を、自分の力や他人の助力でもって切り開いていく。あるいは切り開けずに倒れる。けれどもそのなかには何かがある、その人の人生にしかない美しいものが、誰にも知られなかったとしても、絶対にあるんだ。


彼らに見えない物語 - 傘をひらいて、空を
http://d.hatena.ne.jp/kasawo/20131022



そのとき「わたしはなぜこんなつらい目にあっているのだろうか?」「(神というものがもしいるのなら)目の前のこの苦しみはなぜあるのだろうか?」という問いに対して少しだけ向き合える回路が開くのかもしれない。

あるいは、そういった辛い体験が輪廻転生のような物語を作り上げたのか。



「自分の現在のあり方は遥かな昔から連なる流れがひとときに現象したものに過ぎなくて、自分は、この名前と体を与えられた身-心は、もっと大きなもののひとつであり、それら(心と体)の現象(事)が私なのだ」、という直観

そこでは生も死も、あるいは「生物が生きている」というそれも、より本質的な現象の二次的な射影に過ぎないのではないだろうか。

癌細胞やアポトーシスへの向かい合い方と同じように



癩病患者の生を見つめるとき、著者にもそんな感慨があったのかもしれない


【第47回】『生きがいについて』(神谷美恵子)後編 |新しい「古典」を読む
https://cakes.mu/posts/4005


傍から見ると痛みのみの生の中で「まだ痛みを感じられる」ということが「生きている」という実感につながっていくような、そういう生のあり方に対して



精神と肉体としての私たちひとりひとりの存在を支える生命の可能性と意味を、その本人の人生のなかで感受することのなかにしか、「生きがい」はない。そしてそれは、「生かされていることへの責務感」として現れる。あるいは人生は、ただ肉体を与えられ受動的に生きるところから、絶望を経て精神に目覚め、その責務の自覚に至るようにできているのかもしれない。そこに達しそうに見えるときに求められるのは、すでに達した人の声援である。

https://cakes.mu/posts/4005


それらはそれぞれの個人的な実感であり、それぞれの人ごとに形を変えて了解されるものであるから言葉では語りにくいものなのかもしれない。




森のバロック
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 そのときである。彼の中になにかの決定的な変化がおこるのだ。観察の行為が、彼の中で意味を変化させていく。彼は森を内側から生き、呼吸するようになる。彼は周囲にひろがる生命の世界を、自分から分離してしまうことができないことを、知るようになる。ほの暗い森の奥にどんな世界が秘められているのか、彼には知ることもできないが、その闇の中に隠されてあるものもまた森であり、彼自身もまた森の一部なのだから、それはもはや分離された外部などではなく、森の奥に隠されたものと彼の生命は、いまやひとつながりになっていることが、深く自覚されるようになる。このとき、森は自分の本質を、観察者の立場を放棄した彼の前に、おもむろに開くのだ。


 秘密儀の宗教は、表象を立てない。なにか本質的なものが、自分の前に開かれてくることを、全身で体験するとき、人々は「何事のおはしますかを知らねども有り難さにぞ涙こぼるる」ような、不思議な感覚につつまれるのだ。それは、言語による表現や解説によるのではなく、神社と神林のトポスがつくりだす、ナチュラルな神秘感だ。



永遠回帰は、選択的欲望の、すなわち力への意志の、対象とはなりえない。それは意志も欲望もなしに、ただ肯定され、ただ是認されるべきものなのだ。意志や欲望の対象となってしまえば、それは再びどこまでもルサンチマン的なものとなるだろう。『これが』

https://twitter.com/N1951_bot/status/392767640575279104



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幸村誠、2013、「ヴィンランド・サガ 13」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/377651584.html


「運命は決まっているがゆえに自由だ」な話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/121774176.html


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タグ:実存
posted by m_um_u at 16:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2012年04月23日

<啓蒙主義 → 社会契約説にもとづいた国家の民主(議会)化がただちに国家の近代化を意味するということではない>

ぼんやりとここ最近の「西欧の近代周りの特殊性」「近代資本主義」「啓蒙主義」「国民国家」周りを黙想する。

なんかの本でも読めば正しい事実踏まえた理路は記してあって、それをインストールしたほうが早いのかもだけど。間違っててもいいので自分で考えたからそういうのに当たったほうが染み込みやすいように思うので。なので以下も後から修正の対象になるかもしれない



近代ヨーロッパの特殊性、あるいは近代の特殊性というのは一言でいって「機械化」というようなことに集約されるのではないかと思う。

数式的、あるいは論理性をもった形式的合理主義に沿うように…有効なところに無駄を省いて、画一的に、規則正しく、反復的に攻撃を行うような。軍事の場合は攻撃、経済の場合はプランテーションや鉱山労働のような画一・規律・反復的生産活動とそれへの資本の投下。

産業革命以前に商業革命というか、金融革命みたいなのが起こって経済全体の機械化、極端な合理化が進み、お金を稼ぐのに効率的なところに機械的投資がなされる様になった。

ゲマインシャフト的ないい加減さをなくした規則的活動、とそれら全体を覆うエートス

それは人間の機械化といえる。


産業革命というか蒸気機関に代表される産業機械はその理路を具現化しただけ、と思える。


<メディア(蒸気機関、工場)はメッセージである>というような



そこでお金と商人、というか第三身分の一部ブルジョワの存在感が増したのは分かるんだけど、それを背景としつつ社会契約説 → 主権在民的な考えが出てきた経緯がよくわからん。。



当時、というかその少し前の時代の政体を包み込む幻想の全体的な流れとしては「神聖ローマ帝国=キリスト教的な神に依存した主権の正統性、という旧世代の体質を啓蒙しつつ、王権・公権あたりで主権の正統性を止まらせる」はずだった。

王権の正統性を主張する政体のあり方は後の世からすると「絶対王政」ともいわれるが、実質的には諸侯に対する王の権威を確立するために、社会的プレゼンスを増してきていた第三身分のブルジョワを後ろ盾とした社団国家体制だった。

したがって絶対王政の根拠とされる王権神授は、タテマエ的には奉じられていたかもしれないが、実質的には意味をもたないものだったはず。


いわば「金融革命の流れの中で力を付けたブルジョワが実質的には首根っこを掴んでいた」社会体制の中で、なぜ後の世には国民国家と言う名の全体主義として利用されていくことになったと思われる「国民主権」という考えがブルジョワ側から賛同を集めていったのか?

(※ここでは当時の「国民国家」とは、「国民」という幻想を創りだすことで領域内の異なった人種・民族を統一的帰属意識をもたせ、「国民(nation)=国家(state)」とすることで従来なら銃後であった領民を皆兵員とし、あるいはその代わりに税を納め易くした方便(擬制)として捉えている。戦争もしくは財政(主に税収)への領民による全体主義的協力を自主的にさせるためのイデオロギー)


ここでブルジョワ側が「主権在民」ていう必要なかったように思うんだけど、、マグナカルタ辺りの記憶と目の前の王の目に余る暴政とかあったのだろうか… 特に財政




社会契約説が「国民主権」つーか「国家財政の自分勝手な運用から商人的な合理性を備えた官僚的運用への移行」を唱えたものだったとしたなら、当時の趨勢的になんとなくわかる感じだけど・・・まぁこのへんは「社会契約説」を読み進めていく際のポイントにしとくべきか


社会契約説
http://note.masm.jp/%BC%D2%B2%F1%B7%C0%CC%F3%C0%E2/


社会契約 - Wikipedia
http://bit.ly/JzEtWK



啓蒙主義からの社会契約説の流れはそのまま民主主義につながってるように思われがちだけど、啓蒙君主なんかが「啓蒙主義」を表層的に利用しつつ「国民=主権」を「では主権をもった国民が国を守れ」という風に利用して行った様な…

啓蒙専制君主 - Wikipedia
http://bit.ly/JzENEN

たとえばプロイセンのフリードリヒ2世(大王)


このとき、人文主義-ギリシャ哲学的な人間の「自由」をイメージしていた啓蒙主義の「啓蒙」は、「(国家のため、軍事、工場労働に就くための)最低限のリテラシー教育が国民には必要」という風にスポイルされていた。



それと本来の社会契約説が含意していたもの、との違いかのぅ。。

それも社会契約説が目指していたものが「国民皆民主主義」つか「一部のブルジョワ、官僚に依るもの」だったかで思想的帰結が異なってきそうだけど(ルソーとロックの違いもあるの




そんで、そんな感じで展開されていた政体を包む幻想(ジオカルチャー)と、下部構造的な経済の構造変化との関連


<「土地」「土地所有者」を中心とした経済構造とそれを奪い合うための手段としての「戦争」> という社会構造が <生産・貿易・流通・金融を通じてお金(先行生産)をふくらませることを中心とする経済構造とそれをサポートする手段としてあるいは「戦争」が用いられる>という社会構造へ変化していったこと


それがどのように社会契約説のような思潮に反映されているか


予想では、<(当時の経済合理性を中心とした社会環境への変化の風潮から)国家財政への恣意性をなくし、官僚制と財政の透明性、それに対する国民審査を徹底させるように社会契約説みたいな考えがでてきた>、ということだけど、おそらくはそれが前時代的な「国家とは君主を中心とし、君主とは臣民を守り戦争によって奪うことを基本とする」というような思潮と折衷だか化学反応する中で<国民国家>という幻想ができあがっていったはず。


具体的には18〜20cのイギリスとプロイセン、ロシア辺りの国民国家、主権在民、国家財政のあり方比較になるのかな…? フランス革命も反動ぼいけど


フランス革命 → ナポレオン革命は派手だから、一見するとそれが近代型国家や民主主義の基本になったように思われるけれど、分析的に眺めていくと、まだこの段階では近代型国家として立ち上がるための腱をもっていない暴力革命だったのでは?革命後の国家運営・財政に対する具体的な考えや組織体制がなかったため、平民を後ろ盾にブルジョワが政権を奪取しても持続性がなく王政復古(ウィーン体制)の流れになっていった。ナポレオンの遠征なんか見てるともろに「国家とは君主を中心とし、君主とは臣民を守り戦争によって奪うことを基本とする」って感じだし。


というか、同じように啓蒙思想・社会契約説・市民革命を経験してもイギリスとフランスで差が出たのは、社会契約・民主主義などの思潮とは関係のないところでイギリスがヘゲモニーをとり、その過程で国家運営に財政的思考が固まってきていたから。そこから考えると当時の社会契約説→議会制民主主義というのは国家運営的には必ずしもプラスではなかったといえる。

民主主義を標榜しつつも時代に即した国家財政のあり方が根本的にはイメージできていなかったフランスは革命後、前時代的な国家運営→帝国主義を模索していったが持続性がなく、結果的に衰退していったわけだし。


では社会契約説とは国家にとっては具体的利益のない話を国家にとって有益だとすり替えたものなのだろうか?「国家主権が或る首長にあることの根拠」であり「大義」の話ということにはなるだろうけど。「王権神授」ではなく「国民主権神授」「なので国家の首長は国民の信託を受ける必要があり議会が必要」みたいな論説になるのかのぅ。。



ロックの社会契約説までの流れを見ると名誉革命が関わってるみたい


ピューリタン革命と名誉革命
http://members.jcom.home.ne.jp/spu/032.htm


ここで「コモンロー(慣習法?)やそれにもとづく議会が王に対して優位する」((王は)君臨すれども統治せず)と確認されたのはあたらしい王がオランダ由来だったからだろうけど、それがそのまま社会契約説としてフランスなどの他の国にも普遍化していったのはどうしてか?


ブルジョワが強くなってきていてブルジョワの意見がより通りやすい政体への改革が志向される、という当時の趨勢があったからか

フランス革命も大元をたどれば、オランダを中心としたヘゲモニー、それをめぐったイギリスとの競争によってできあがった負債が不況の根源となっていたのだけれど、表面的にはルイ14世からの王室の散財・よくわからない政策の失敗が<この失敗の全ては絶対王政の責任>という形で認識され議会制民主主義が求められたから


だとすると、この時代の君主の自分勝手さは国家運営にとっては問題であっただろうから一般的で明示的な法と議会の力でそれをしばろうとする流れはよかっただろうけど、縛ろうとする議会のほうに当時の国家運営の失敗の原因、国際経済→国家運営の変化に対しての具体的なイメージがなかったことがフランスの失敗だったか



そう考えると社会契約説のもとに議会制民主主義が認められていったことは国家運営の透明化―健全化ということでは意味のあることで、それを直ちに、<社会契約から主権在民が派生し、そこから国民国家 → 半全体主義が派生していった>、とするのは拙速な流れといえる。


「国民主権」から「国民国家」の擬制が生まれた可能性があるのだとしたら、そこはまた別の回路から検証の必要があるのだろう



ここではとりあえず<啓蒙主義 → 社会契約説にもとづいた国家の民主(議会)化がただちに国家の近代化を意味するということではない>、というに留めておこう


社会契約説とかがアジテーション的なものだとすると、実態としては国家と元首を縛る法の体系、それに基づいた国家機構であり、政体における「近代化」という場合はそれらがどのように細密化していっていたかを見たほうがいいような気がする。比較しないとその辺わかんないだろうから前代までと比較かのぅ


そしてそれらを背景に金融化の時代状況を鑑みた国家による財政意識への本格的な目覚め(cf.重商主義)や機構の構築もできていくか





--
なんとなくぐぐってたらこの辺も似たような話になってるのな


民主主義の過剰 - 『一般意志2.0』(池田信夫) - BLOGOS(ブロゴス)
http://blogos.com/article/25576/


「民主主義が悪い」っていうか「国家運営のあり方を認識してる人の意見が国政に反映されなければ意味が無い」であり、その意味ではブルジョワによる寡頭政の是非みたいなことにもなるのだろうけど。あと、<正しい意見が反映されやすい装置のあり方とは?>みたいなの(すくなくとも機械的多数決だけだとオピニオンリーダーであるブルジョワの意見をなぞるだけになりそう


あと、社会契約説というのは「囚人のジレンマ状態における暫定的合意をどのようにとりつけるか?(→<国>という機構ができていった)」みたいな話のようで

社会契約 - Wikipedia
http://bit.ly/JzEtWK

全体的には神授されたとされていた皇帝権や教皇権、王権を一度相対化し、原始状態を仮定する中であらたに王権と契約を結ぶか?それとも王権以前に「国」としての契約があって王がすえられたもの、として王権を否定しつつもCEOとして頼るか?辺りを議論するための考えみたい


結果的に<囚人のジレンマを超えるための暫定的協調の装置として「国」≠「法」ができていった>というところでは一致するような


「法」→国家の機械化というところでは官僚制と関わってくるか(官僚制のためには法を設計図にした透明な運営が必要?)



リバタリアニズム - Wikipedia
http://bit.ly/I4L2SK


考えてみれば17cのオランダはリバタリアンの理想郷ぽい。当時のオランダ的政体からすると社会契約という考え自体が言わずもがなな感じ。経済原理主義的な国家規模の共同体運営だから。でも保護貿易と国家財政政策固めていったイギリスに後塵を拝した

イギリスのは福祉国家的でもなかったのでリベラリズムとも言いがたいのだろうけど。


一般意志2.0あたりの話というのは不況の中での財政リストラをリバタリアニズム的な観点から進めようという人々をリベラリズム的な公正・福祉を基本に批判しつつ、具体的な財政についてはノータッチという話のような印象がある




Amazon.co.jp: 中世君主制から近代国家理性ヘ (愛媛大学法学会叢書 12): 南 充彦: 本
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4792304253?tag=museamuse-22


「キリストを中心とする王権」→「法を中心とする王権」→「政体を中心とする王権」 王の身体が人格化するにつれて強制力をともなわない国民化が。立憲以前の王と国の理性的統治
http://bit.ly/Jryx3H

書評 (PDF)
http://bit.ly/JryiWv




--

(続)「西欧資本主義が特殊化し近代型国家ができていった背景とは?」: オランダにおける流通・金融システムの洗練とイギリスにおける近代型財政の構築: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/266137238.html


現代において革命が生じる条件とは?(仮): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/265583904.html

posted by m_um_u at 22:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2012年04月19日

現代において革命が生じる条件とは?(仮)

なんかもぞもぞ溜まってるのがとれないのでメモ。本来ならエントリ前のメモ丁度なのでいつもにも増して粗い


革命発生の3つの条件〜フランス革命の背景まとめ | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2598


既存体制の衰退

暴動(民衆蜂起)

新しい政治集団になりうるものが存在すること




ここであげられてる3つの要因がそれぞれの項のタイトルとしてあげられていることに対してなぜ腑に落ちないのか?と自問したところ、「これはフランス革命という事例における現象面をみたものであって、革命一般の構造的要因を見た見解ではないから」と結論。
より具体的には<啓蒙主義(上部構造)の意識浸透の結果>というところが暗に示されているように感じられた、のに対して自分的に経済的理由(下部構造)を推す。

以下、「革命一般の構造的要因」について、現在の手持ち札から自分なりに考える



構造面では?:

不況(cf.世界経済との関係)

新しい政治集団になりうるものが不況の原因を旧体制に求める

新しい政治集団が暴動に参加、もしくは支持。新しい政治集団が生まれる経済的土壌の変化

経済的土壌変化が生じる経済ルールの変化(cf.「土地(レント - 第二身分まで)から産業資本へ(貨幣・金融 - ブルジョワ)」)

イデオロギー(ジオカルチュア)面での変化




※主に世界経済との関係からの不況説明

「フランス革命の背景と第三身分(平民)の興隆」あたりについてのよもやま噺 - Togetter
http://togetter.com/li/288664







フランス革命:
<啓蒙主義(イデオロギーの変化)が牽引したのか、経済的不満が牽引したのか?> → 両方だけどどっちがより強い要因か


<(プチ)ブルが牽引したのか?農民など基本的に資本をもたない平民が牽引したのか?> → 両方だけどどっちがより強い要因か

※農民など資本をもたない平民、プチブル文化資本とつながる啓蒙主義のようなものと関係なければ現代でも革命の兆しがあるかも、だが







(世界システム内での位置変化:次代のヘゲモニーの基点となる資源争い(←金融資本の取り込み ※1)に敗れる)



不況 → <既存の政体とイデオロギーでは豊かさを維持できない>と判断される

※判断された背景としては、既存のイデオロギーに対してあたらしいイデオロギーの台頭していたから。(ジオカルチャー(世界経済を支えるイデオロギー)、エートス?の変化 )

ex.啓蒙主義 ←ルネサンス・ヘレニズム・東方からの影響、俗語革命の影響で啓蒙主義がでてきた流れもあるか? →調 16世紀文化革命あたり?)






既存の政体とそのサブシステム内での階級固定 ← 不満(具体的なターゲットとしては「第二身分までの税制免除」が挙げられる)  → 階級変化の兆し




※政体的な階級差と違う面、経済的な面で階級変化の兆しがでてきていた。経済的な階級変化が意思決定面での変化につながっていく
(←経済体制の変化を受けた経済構造の変化、近代型資本主義の台頭)







経済ルール(構造)の変化    

はじめに暴力革命があるにせよないにせよ、革命が持続するにはその時代の新興成金を取り込んだ階級変化が必要
(cf.チュニジア「革命」は持続しない)

→ 経済的身分差の変化が政治的発言力の変化に反映



平民による政治革命が生じなくても、中核あるいは準中核国における新興ブルジョワ・プチブルを基点とした経済革命が生じ、そこからの国際的流れとしてヘゲモニーが変わる可能性はあるか





※1

日本の場合はバブル期に金融資本の取り込みはできていたはずだけどなぜかヘゲモニーをとれなかった。有効投資先をみつけられなかったからか、それともインフレを御せれなかったからかよくわからないけど、そのあたりの説明がここら辺で成されてるかどうか cf.山下範久

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もしくは、ヘゲモニーシフトの際の金融資本の移転はインフレの御し方となにか関係があるのか?歴史的にどうか? cf.飯田靖俊

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スペイン銀鉱発掘→価格革命については載ってる。あと第一次世界大戦後のハイパーインフレ(cf.アメリカとの関係)







--
途中で革命の要因考えてるのかヘゲモニーシフトの要因考えてるのか混ざってきてるけど、


ヘゲモニーシフトの要因¥戦争

             ¥革命

             ¥インフレなど


がある感じか


posted by m_um_u at 18:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2011年10月15日

意味と社会のあいだ  〜 理解社会学ら辺

ここしばらくの興味関心がなんか統合された感じなのでメモ的に



直近だとこの辺でうなうな言ってて


ゲゼルシャフトと母性  (あるいは日本的市民社会と母性の話) - Togetter
http://togetter.com/li/195808


「実存は本質に先立つ」 されど、秘蹟の価値は…? - Togetter
http://togetter.com/li/199311


独我論と言語と自意識と存在への予感(ネコ) - Togetter
http://togetter.com/li/199794



基本命題としては、「自他の境界がないとき、他も自もないのだから自己犠牲的利他行動をとってしまうのではないか?(そこからすると自己保全的利他意識というのは偽善であり欺瞞では?)」、ということだったんだけどすっ飛ばし過ぎなのでちょっと噛み砕いとこう。


まず最初に「ポストモダン的な野放図なエゴの氾濫というのは子供のワガママではないか?彼らは近代はすでに終わったというけど未だ近代は完成していない」ということからゲゼルシャフト的な価値と知識体系、およびそれのテクネーとしての反映を受けて生活が向上することを期待するということが基本線となる。科学+技術の発展と生活の関係、あるいは法制度やその収斂として?の国家の発展と生活の関係。

それに対して「システムと生活世界」的な視点から「政治経済システムの合理性によって生活世界の価値観および個人の実存-価値観が侵食されて行ってしまう」的な問題意識が生じるのだけれど、ではそういった「社会」と個々人の価値観との摺り合わせというか落とし所のようなものはなにか?

たとえば、家族や恋愛といった生活(親密圏)の問題も「社会」的規範がモデルとして援用されていくことがしばしばあるわけだけど、結果として個々人の自由が窮屈になって妨げられてるとあまり意味がないような。。だったら野放図にそれぞれのエゴを追求すればいいか?というとそれではどうも生活の満足が高まらない感じ。なので囚人のジレンマ的摺り合わせがいるのか?というところなんだけど…


そういう自動化された最大公約数的な流れに対して、人は個々人の価値に基づいた行動選択を主体的にしていくのではないか?その相互作用(コミュニケーション)を介してそれぞれの社会(「社会」の素)が作られていくのではないか?



<人の行動選択は既製の社会のコピーやゲーム的な自動化された機構ではない。主体としての意志が関わる>


という問題意識がこの辺



M.ウェーバー、1919、「職業としての政治」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/211827975.html


屈せざるものたち: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/212059486.html



大国 対 小国のような国家間のリアリスティックな物量差や、「神は死んだ」という圧倒的なアパシーを前にしても人は自らの意志で立ち運命を変えていく。


「システム」やそのサブディレクトリとしての規範や明示化された法は制度として屹立して当然化し、まるでハードなモノのように人に規範を強いる(物象化)こともあるのだろうけど、物象化しルーチンとして固まる以前のおぼろげな意味の交換が主体としての人のあり方であり、その資源としての意志と根っことなるような価値(エートス)があるということ。個々人間の意味の交換の集積が(制度以前の)社会を作っていく。




独我論的に言えば私を中心としたセカイと世界の関係(妥協?)は「同じ世界にいる」という幻想のもとに成り立っているように思う。論理的に突き詰めていけばどこまでいっても人は「この世が夢ではない」ということから確信を得られないし「目の前にあるモノや他人とされているものが、痛みや喜怒哀楽といった感触や感情でさえなんらかの刺激によって誘発された夢のようなもの」という認識から出られない。「夢と何となく違う」というのは蓋然的な感覚の違いだろうけど、「現実」として認識されている物自体が高次の自分からすると夢のようなものなのかもしれない。

だから<他者>というのもどこまでいってもフィクションなのだろう。存在と時間の関係と同じく。人はその瞬間瞬間に生成されまた消えていく。それでもなお変わらないもの(アイデンティティ)があり、それを中心にたましい(実存)が構成されていく。金剛界の「現実存在」として自らがアイデンティファイした「己」としての肉体と精神の構成。その認識を基本とし、外部からの刺激によってたましい(実存)が構成-了解されていく。「存在」としての「己」はもっと奥のほう、自他の境界のないところで人の基底になってる(のかな。


そして、おそらくそれが存在論的には正しい  (>そこからすると自己保全的利他意識というのは偽善であり欺瞞では?)しかし、「人」としては正しくないのだろう。あるいはエートスとしてはそこに甘んじない。


なぜこんな複雑な「自/他」の形式をとってるのかよくわからないんだけどそれは置くとして、とりあえずの認識としては「基本的に突き詰めれば独我なのだろうけど、それらがまた同じような円として交わるためにコミュニケーションがある」って感じ。言葉は不自由なものだからいろいろノイズがくっついたり、精確に自分の思いを表せなくて話がそれたり、相手の理解度もあって伝言ゲーム的に意味がズレて行ってしまうものだけど。とりあえず、そういう不自由なツールを介してとはいえ、意味の領域で理解が近づいていけば、独我の円はやがて重なっていく。


んでも、システムが複雑化し、システムとして安定すると言葉や制度が物象化され人の理解に慣性を作る。制度が再帰的に参照され「目の前の個人を理解する」ということが軽んじられていく。繰り返しになるけど人の生活というのはそういった制度と個々人の実存の間に作られていくものだと思う。近代的「市民」というのはそういうものなのだろう。たとえ科学(エピステーメー)的に正しくなくても、個々人の生きられた経験から了解されている価値観と哲学がある。それが文学作品なんかで反映されているところなのだろうけど




 米国的には方向性としては、パーソンズみたいな変なのもあるけど(しいて言えばだけどね)、数値で実証的にみたいな方向が好まれるし、ネットなんかでも、数値で統計というのが社会学と思われている。

 まあ、ネットレベルの議論だと物事熟考しない人が多いので、白黒わかりやすいくらいでないとしかたないんだろうと思う。

 が、実は、社会学というのを作ったのは、マックス・ヴェーバーなんですよ、というあたり、まあ、それもドグマでしょみたく言われるけど、なのでもうちょっと限定的にいうと、理解社会学ということね。

 極論すると、理解社会学とはなにかがわかるということが社会学ということなのな。


 いやもちろん、理解社会学なんか無視しても数値だけで社会学はできますよ。しかし、これはちょっとめんどくさい議論になるけど、出てきた数値とやらは、ようするに常識に合致、あるいは驚きの数字であっても常識判断に合致するということが前提になって、ようするにその常識なる社会理解に循環的に包含されてしまう。

 つまり、それは、社会学的な常識が前提になるんだけど、それ自体が近代の特異な現象であることはガチ。じゃあ、そういう近代の特異な合理的常識、つまり社会的定見みたいなものが歴史のなかでどうして出現したのかと問わないと、実は、その合理的常識のなかに潜む社会的な問題に気がつくことができない。

 これに、ヴェーバーが気がついちゃったというのが、彼の天才でもあるし、病理でもあったということで。で、それは何かというと、呪術からの解放ということ。die Entzauberung der Weltというやつね。

 なぜかしらないけど、近代西洋が脱呪術化を行った(かのように見える)ということを内省的に了解していくということが、つまり、世界の文明の総体的な理解になるんだよということ。そしてそこに人類意識に課せられた課題があるんだよということが、ヴェーバー先生わかってしまったということ。


http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20100623/1277252206



Togetter - 「M.ウェーバー、1919、「職業としての学問」」
http://togetter.com/li/131779


実践(プラクシス)について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/199514356.html


山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/229813934.html?1318389838




 もちろん、そんなの比較文化論でもわかるし、オリエンタリズムみたいな視点とかカルチャラルアホーズみたいな視点からでもわからないでもない、みたいなフラットなことも言えるけど、その手のポストモダンな阿呆どもは、その内在に潜む倫理性の魔みたいなものを前提に無視したから、むしろ世界の側の力に圧倒されるか、「知性」というかいうお商売に隔離されてしまい、学が学たらんとする世界に起立する意志を失ってしまったのな。

 で、ヴェーバーは、ほいじゃ、このEntzauberungに前段として、理解社会学とはどういうものかというのを示すためにプロ倫を書いたわけですよ。

 で、理解社会学が恐ろしいのは、これをよく主観とか阿呆な理解されがちなんだけど、数値客観とかすると実はそのインタプリテーションは主観的云々というループになる。で、ヴェーバーのいう理解というのは、英語でも、understandingとかinterpretationとかに誤解されるけど、そうじゃなくて、エートスというのが一種の社会意識という特殊な実在性の問題だということ。というか、およそ、存在の意味性の根拠性は、この社会性の意識のなかにある。このあたりは、言葉というものの命名の不思議を考えると、愕然としてくるものがある。

 ということで、基本的に現象学的な構図を持っているんだけど、べたにその方向で進めたシュッツとかは、まあ、ダメ。また、反対にパーソンズとかも一種の神学にしてしまった。

 どっちもそうなるのはわからないでもないというあたりに、ヴェーバー学の深淵みたいなものがある。ようするに、では理解というのは何かというのは、理念型の議論になる。エートスを構造化するということ。そのあたり、実は、構造主義というのとヴェーバー学は近いところにあるはずなんだけど、日本とかおフランスな構造主義はそのあたりわかってないのでうまくかみ合っていない。



http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20100623/1277252206



(この辺の話ぶつけてくりゃよかったんじゃねーの?と思うにまぁあの時点で先験的理解に基づく感情 → メタなところでの知識系の選択のズレみたいなのがあったのだろうから仕方ないと思うに)





Socius_社会学感覚03行為の意味を理解する
http://www.socius.jp/lec/03.html


「社会的存在の客観性を人間の主観性との関係において把える」こと。制度と意味の弁証法としての人の実存を各々の「意味」から捉え直す、ということ。

「めんどくさい」というのは近代の都会人の最大の障壁だし、怠惰とか欲望への流れからの不合理な行動選択なんてのも人類のボトルネックのように思うんだけど、それを突破するためにそれぞれのエピステーメーに沿ったエートスがある、ということなのかな。

だから、エートスというのは一見、現行システムへのフィードバックを促す合目的行動の基本ルールとして捉えられがちだけど、それ以前の個々人の実存を介した内部規律のようなものではないか?それを通じて人は内省し、己の行動に恥や誇りを思い律する。そしてエートスはエピステーメーとの相関かなんかで夫々の時代環境で異なっていく。



 すでにふれてきたように、さまざまな社会的事実を人間の行為にまで還元してその主観的意味[動機]を探るべきだと提唱した代表的な社会学者がマックス・ウェーバーだった。「理解社会学」(verstehende Soziologie)と呼ばれるウェーバーの社会学構想については省略するとして、ここではかれの壮大な具体的事例研究を紹介してそれにかえよう。第二章で紹介した『宗教社会学論集』(全三巻)におさめられている「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」――通称「プロ倫」という――がそれである▼1。

 (1)問題提起――ウェーバーが「プロ倫」を書きはじめた一九〇四年あたりの初発的な問題関心は、近代資本主義の根源の探究にあった。これはのちの一九一九年に『宗教社会学論集』のために改訂されるが、そのときウェーバーの問題関心は、近代資本主義だけでなくそれをふくむ西欧の壮大な合理化過程に拡大され、その人間的な起動力の解明を構想するものとなっていた。いずれにしても「プロ倫」であつかうテーマは明確である。すなわち「インド・中国・イスラムなど高い文明をもっていた文化圏がいくつもあったのに、なぜ西欧世界にのみ近代資本主義が成立したか?」である。

 (2)資本主義と近代資本主義――ウェーバーによると資本主義は中国にもインドにもバビロンにも古典古代にも中世にも存在した。高利貸し・軍需品調達業者・徴税請負業者・大商人・大金融業者たちの「資本主義」である。しかし、これらと西ヨーロッパおよびアメリカの「近代資本主義」――より正確には「近代の合理的・経営的資本主義」――とは決定的に異なっていた。後者は簿記を土台として営まれる合理的な産業経営の上になりたつ利潤追求の営みであり、これは大量現象としては西欧近代にのみ発生したものだったのである。



世俗内禁欲にもとづく積極的かつ合理的な職業活動は、皮肉にも小商品生産者を結果的にもうけさせることになった。なぜなら、かれらは利益の少ない一定の低価格で良い商品を規則正しく販売し正直な取引をしたからだ。これがおなじみの顧客をつかむことになったのだ。こうしてえられた富は天職の結果なのだから神の恩恵として認められた。しかし、かれらは貴族的消費を嫌悪していたから、この富は必然的に投資に向けられることになる。こうして期せずして資本が形成され、合理的産業経営の機構組織がつくりあげられた。このあたりのメンタリティが「資本主義の精神」にほかならない。資本主義の離陸もここからはじまる。




宝くじのように儲けられた富は「ふつう」なら怠惰に過ごされて浪費されても良いものだけれど、それを投資へと誘因したのがその時代の「エートス」となる。当時のシステム的な合目的性では現れていなかったはずの誘因→行動。それが人々の意味の系から現れた、ということか?生物の利他行動における協働関係が1/20で現れたように。(囚人のジレンマ的状況で)各個体が自分と関わりを持つ相手を自由に選ぶことができ[=移動]、彼らの成功を模倣するだけの賢明さを持つ場合、協調行動が発現し、全体に広まっていく。


利己主義と裏切りが支配する世界に「協力」が生まれる条件は:シミュレーション実験 ≪ WIRED.jp Archives
http://bit.ly/ouvcVB


利他的行動 - Wikipedia
http://bit.ly/pfFnil


「利他的行動は戦闘で進化」:コンピューターモデルで分析 ≪ WIRED.jp Archives
http://bit.ly/qPKJ0t



そこからするとここでの「利他」という価値は制度的規範以前の集団的な価値と個人の意味との間のおぼろげな収斂といえるのか。完全に個人の価値的なものでもなく、かと言って社会的なものの単純なインプリンティングでもなく。(もちろんゲーム理論的「適応」というだけでは理解しがたい主体性もある)





Socius_社会学感覚03行為の意味を理解する
http://www.socius.jp/lec/03.html

社会形成のプロセスにとって「意図せざる結果」はつきものだ。なぜなら、そこにはかならず「軸の転回」(Achsendrehung)と呼ばれる現象が生じるからである。「軸の転回」とは、もともとの目的や意図などの内容をふくんだ生の全体から、しだいに形式が分離し、やがて自律性をもつようになることだ。これ自体は社会形成の必然的なプロセスである▼2。

 たとえば、「生きるため」という実践的目的の知識から自己目的的な学問=科学が生じるように、生活全体に融合していた美的要素や遊びから芸術やゲームといった活動が自立するように、また諸個人の活動を相互に規制しあう調整から法が自立するように、そして経済の純粋な手段としての貨幣が今度は絶対目的としての貨幣に転換するように、もともと目的を達成するために生じた媒介手段が、自己目的をもった自律的世界へと転回してしまうことである。

 問題なのは、この「軸の転回」が「文化の悲劇」と呼ばれる事態と表裏一体だということだ。



 ウェーバーがジンメルの「文化の悲劇」概念をうけつぐなかでつけくわえた強調点のひとつに「意味喪失問題」がある。ウェーバーはいう。「『文化』なるものはすべて、自然的生活の有機的循環から人間が抜け出ていくことであって、そしてまさしくそうであるがゆえに、一歩一歩とますます破滅的な意味喪失へと導かれていく▼7」と。

 その典型的事例がほかならぬ近代科学である。科学は「われわれはなにをなすべきか、いかにわれわれは生きるべきか」というトルストイ的問いに対してなにも答えない。これらは問題外とされる。これについてウェーバーは近代医学を例にあげている。医学は著しい発達をとげた。しかし、その前提には生命の保持という単純な前提があるのみで、生きる意味も死ぬ意味も問題外である。



ここは「物象化」として問題になる部分


ジンメルによると、社会とは本質的には「諸個人間の心的相互作用」だという。これが反復的になされ、さらに緊密化して恒久的な枠組や組織――これを「社会形象」という――へと結晶化するのである。肉体にたとえると、社会形象は心臓・肺・肝臓.胃などにあたる。資本や国家や宗教のような制度とか社会的事実のことである。ところが、ひとたび結晶化した社会形象においても、この心的相互作用は脈拍のようにたえず運動しつづけており、それによってそれぞれの社会形象に統一性と弾力性をあたえている。それは臓器だけでは生命にならず血がかよっていなければ生きられないのと同じである。

 したがって、社会にはふたつの相があるといえる。第一に社会形象に結晶化する相。第二に社会形象をいきづかせている働きの相。ジンメルは後者の側面を「生起としての社会」と呼んで重要視した最初の社会学者である。



ここはメディア論(¥社会情報学)における「コミュニケーションメディア(ハード)の基礎(cf.社会的認識の変化のような受け皿)」に近い(cf.キットラー)


山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/229813934.html?1318389838



とりあえずそういう形で「システムと生活世界の知の循環、パラダイムの循環作用」という長年のモデルと、「イノベーションや社会運動、あるいは意思決定への誘因とはなにか?」あたりの話が一気にまとめられてるようなのでこの辺中心に見ていこうかと思う。





橋本努講義レジュメ ウェーバー「理解社会学のカテゴリー」
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http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/faqg6.html


あとはシステム論的に理解社会学を組み直して、コンピュータシステム論の理解とか意味論との相対化→統合みたいなのだなー


プログラム意味論 ≪ Cruel to be kind
http://www.funclang.net/cruel/?p=218

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あと、python本とか

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2011年09月29日

共依存とブラック企業   〜 適切な関係と「異常」な関係、適切な介入について


「自分の一番好きな人が」「自分の事を一番好きになってくれる」 たったそれっぽっちの条件なのに どうしてなの 永遠に揃わない気がする このままずっと ずっと (山田あゆみ/chapter.11)


どうしてこの世は「持つ者」と 「持たざる者」に分かれるのか どうして「愛される者」と 「愛されない者」が在るのか 誰が それを分けたのか どこが分かれ道だったのか (根岸達夫/chapter.55)


なぁ山田 何でオレなんかスキになっちまったんだよ オレは お前が可愛いんだ だからいつかお前に好きって言われたら ちゃんと断らなきゃって思ってた でも断ったらお前は どっか行っちまうんだって思って―――― だからずっと お前から逃げ回ってさ… (真山巧/chapter.13)


恋がこんなに つらいなら 二度としたくないと 本気で思った ―――なのに どうしたらいいの ぜんぜん もう わからないよ   この人が帰って来てくれて とても嬉しい ――そして とても苦しい (山田あゆみ/chapter.53)





ボクはこの人が苦手だ ボクはいつもコトバを選んで 選んでは 口をつぐんでしまうのに この人はこんなに たどたどしくても カッコ悪くても 一生けんめいコトバを尽くして キモチを伝えて あっという間に 母をさらって行ってしまった (竹本祐太/chapter.10)


オレは かしを作りたいんでも恩を売りたいんでもない 縁あって一緒になったんだ――だから ちゃんとあんたらの人生にかかわらせて欲しいだけなんだ そしてそゆことを 迷惑とは言わねんだぞ? (カズさん/chapter.32)



俺は はぐのこと精一杯大事にしようって そう決めてきた ――でも本当はどこかで不安だった こんな東京にひっぱり出してきて… 本当に良かったんだろうかって 本当にはぐの為になるのかって ただのオレのエゴなんじゃないかって… (花本修司/chapter.14)


何も返したりしなくていいんじゃないかな ………それは 先生が自分で見つけるべきものであって ――はぐちゃんがあげるものではないんじゃないかな そして先生は それを ちゃんと見つけられる人だと オレは思う (竹本祐太/chapter.64)





山田さん どうしようもなくなったら オレを呼びな (野宮匠/chapter.50)


バレちゃってる片想いって不毛だけどラクだもんね 罪悪感で相手は優しいし もうこれ以上ヒドイ事は起きないし 新しくキズつくこともない (野宮匠/chapter.35)


何が「ムリしちゃダメですよ」だ するっつの あっかるい声出しやがって ………信じらんねえっ 9時間かかんだぞ!? (野宮匠/chapter.48)


君の願いが どうか 粉々に 砕けますように きれいな思い出になんてすると 空にのぼって いつまでも 星みたいに輝くから (野宮匠/chapter.50)




他人から見たらどんなに情けなくても みっともなくても 真山を想う この気持ち たったひとつが 冷たくて明るい 私の宝物だった (山田あゆみ/chapter.53)


修ちゃんの人生を私にください ごめんね返せるかもわかんないのに こんな事言って でも でも… 私 描きたいのずっと だから 一緒にいて 最後の最後まで(花本はぐみ/chapter.61)


ただ あの時オレは 胸いっぱいに 幸せだと思ったんだ ありがとうって思った ――――でも あげられるものなんて 心くらいしかないから 君にわたそうと思った  (竹本祐太/chapter.47)





―――そうして 私は話しかけたのだ その光に 「もしも私が描く事を手放す日が来たら」「その場で この命をお返しします。」―――と……… あの時 私は「約束」をかわしたのだ ――たしかに 目には見えない 私の神さまと (花本はぐみ/chapter.60)


治らなくても 何も残せなかったとしても いいの わかったの 描きたいの これ以外の人生は 私には ないの ゆうべ言ってくれた事 ほんとに嬉しかった 忘れないね 私もずっと あなたの事見てる (花本はぐみ/chapter.61)


「努力する」か「諦める」か どっちかしかないよ 人間に選べる道なんて いつだってたいていこの 2つしかないんだよ (花本修司/chapter.30)








しっかり食べて ちゃんと寝て キチンと起きて せいいっぱい仕事して あなたが ほかの人をどれだけ大事にしていても それを見せつけられても ポキリと折れずに 生きて行けるように (山田あゆみ/chapter.47)





















▽「愛と依存ってどう違うんですか?」




恋愛というのは幻想で、病気みたいなもので、社会的に「これ!」って正しい形とか「ふつー」の形のものはなくて、人によってその目指すところや満足は違うわけだけど一般的に見て明らかに不具合が生じてることもある。


不具合というのはその関係の不健全さみたいなのから双方が一般的に健康な最低限の生活や満足を送れなくなってしまうような状態。



共依存……カウンセリングを受けたい - メンタルヘルス - 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3172894.html

「恋愛も共依存みたいなもので、それが過度で将来性にとって不健全な場合は問題。実際に生じている不具合をお互いに認識させ、それをお互いの話し合いの中で自立的に解決させていくことが肝要」、と



おそらく、恋愛という感情に基づいたバンドリングな関係が経済合理性なんかを中心としたエゴイスティックなシステムを考えた場合ちょっと異常なものなのだろう。

たとえば性や金や子供を財としたとき、そのリソースに対してそれぞれがエゴイスティックにセルフュッシュに利益を追求していき、それを神の手が調停することによって需要と供給のバランスが自然にできていくのが恋愛や家庭を単純なシステムとしてみた場合の理想的な形だろうけど。でも、人は「愛情」という非合理な情緒を持つ。愛情に基づき、人はときに自身や種の保存といった観点における単純な利益からするとマイナスになるような行動選択をしてしまう。ロマン主義者ならば「その燃えるような愛の不条理さこそが人間だ!」というところだろうけど



そんな感じで恋愛は経済合理性だけでは割り切れない不条理を含む。だから依存も恋愛も果実と言えるだろうけど、それが過度になって明らかに不具合が出てくると困る。恋愛にaddict/abuseしてるウチはそういう不具合も気にならないのかもだし、それは個々人の自由な意思決定の領域ということで他人がどうこう言うのは大きなお世話(内政不干渉)ともいえるだろうけど




共依存が生じてしまうのは片方の「愛してほしい」って意識が「ふつー」より強い場合みたい。

「自己愛・自尊心が低いため、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、共依存関係を形成し続けることが多いと言われる」
http://bit.ly/niYXxi

「愛してほしい」という渇望と「自分は愛されない存在なんだ」という不安が「ふつー」より強いために「愛されてる?」という不安を絶えず持ち続け、より安定的で本質的な「愛」を求める


共依存という言葉は、学術的用語でなく、明確な定義はない。当初の定義としては、アルコール依存症患者を世話・介護する家族が、患者自身に依存し、また患者も介護する家族に依存しているような状態が見受けられることから見出された。これはアルコール依存症だけではなく、ドメスティックバイオレンス(DV)や虐待などにも見られる現象であると言われている。

この状況では、アルコール依存症患者が家族に依存し、また介護する家族も患者に依存するために、その環境が持続すると言われている。典型例としては、アルコール依存の夫は妻に多くの迷惑をかけるが、同時に妻は夫の介護などに自分の価値を見出しているような状態である。この共依存は、患者の自立する機会を阻害し、家族もまたアルコール依存症患者を回復させるような活動を拒んだりする。

現在では、単にアルコール依存症患者との関係だけでなく、「ある人間関係に囚われ、逃れられない状態にある者」としての定義が受け入れられている。例えば、暴力を振るう夫とそれに耐える妻の関係、支配的な親と愛情を受けたい子供の関係、相手から愛されることが目的となっている恋愛関係などがある。この観点からDVや虐待、自立できない子供や人格障害、それに恋愛における自己愛的な障害にまで共依存の概念が検討され、使用されるようになっている。


共依存の二人は、自己愛の未熟な人間が多いと言われたり、パーソナリティ障害であるケースが多いと言われているが、これはアルコール依存症やアダルトチルドレン、それにパーソナリティ障害の精神病理から導かれたところが多い。それは何故かと言えば、共依存者も被共依存者も、他者の価値に依存する傾向が多いからと言われている。

例えばアルコール依存症の家族では患者のアルコール依存を認めるような家族の傾向が認められる。それが患者のアルコール飲酒をさらに深める。またアダルトチルドレンにおいては、両親が自分の評価のために子供を利用したりする。そのため子供は大人になっても両親からの自立に困難が生じるようになる。自分自身の力のみで自立が出来ないのである。またパーソナリティ障害においては、そもそもの親が子供に依存的なケースであることが多い。アダルトチルドレンと同様、大人になると子供は他者に依存して、その他者に自分の要望を過度に期待するケースが見られる。

共依存の問題点は、被共依存者が回復する機会を失うことだけでなく、共依存に巻き込まれた者が、ストレスを抱え込み、精神的な異常を訴えたり、さらには関係性に悩み自殺する場合がある。よって、共依存を引き起こさないためには、医療関係者、専門家、援助者が、共依存を引き起こす者と接する場合には、一定の距離を取り、個人的な関係にならないことが必要である。



ぼへーっと自分とメンヘラのひととの付き合いを思い出す。


彼女もどこまでいっても根源的不安を抱えてるようで、いくら言葉を尽くしても、あるいは言葉を尽くそうと持ちかけても彼女自身が自分の根源的不安の理由をうまく捉え切れないようで、けっきょく二人の問題として解決できなかった。それを埋めるために体のつながりによる言外の説得力に頼ろうと思ったけど、それも自身の肉欲的エゴと半々な理由だったのかもしれない。


そして彼女はいまも無限の愛(甘え)を乞うているのだろうか……



そういった不健全な甘えに巻き込まれると付き合ってる人はバランスを崩してしまうのかもしれない。見えない不安が根底にあるからそれを解決するまで目の前の愛に納得することはないんだけど、往々にして愛を乞うひとは自身がなにを不安に思ってるのか?(どういった形でそれが根本的に解決されるのか?)ということに向きあうことができない。だから目の前の愛では足りなくて、常に不安をもたれてしまったパートナーや家族はバランスを崩してしまうのかも。その時点で依存者が求めている甘い愛はアルコールのようなもので建設的ではないのだろうし。


だから本当にきちんと付き合う場合は、問題解決のために一緒に不安に挑む決意のようなものが必要なのだろう。

そういった傷に向きあうのは依存者からすると勇気がいることだろうから、パートナーや家族が寄り添って支え勇気の手助けをしていく。



あるいは、第三者として援助する場合には過度に密接になり相手のペースに巻き込まれないように注意しつつ依存者当人の自立を促す。


共依存の原因となる被共依存者への対応としては、一定の距離を置きながら援助される。被共依存者は、援助が少ないことに見捨てられた気持ちを抱く可能性もあるが、「自分の人生は自分で切り開いていくしかない」と気づかせることが、結果として被共依存者の回復に繋がる。被共依存者は、支援を受けることに感謝し、関係者を操作することなく、自分自身の置かれている境遇を受け入れることが、回復の第一歩である。




共依存のめんどくさい問題としては、「共依存」と診断されることで依存者が「共依存だからいけないんだ」と過度の自責を感じること、あるいは関係者を操作することで自分に居心地のいい依存関係を構築してしまうことらしい。

後者は依存者当人も半ば無意識のウチにやっていることもあるのだろうからやはりパートナーや家族、もしくは距離的に余裕のある第三者的支援者が一定の律をもって「甘え」を抑制し自立を促すように接しなければダメなのだろう。

ただ、そうはいっても過剰な依存が生じてしまうのは、その背景として常軌を逸した過去を背負っているからであって、その重みについてきちんと理解することが肝要で、拙速に自立を促すような対応は誤りに思われる。ともに当人の問題の重みを見つめ、その克服に要するエネルギーを負担しあっていくような、、、単なる頭ごなしのラベリングではなく、当人の実存的な問題として共に考えていく(共有する)姿勢。それが依存者との信頼関係の醸成につながる。



「自立」の目安のひとつとして、『「愛してほしい」から「愛して満足」に自然に移行できれば』、があるみたい

http://www.counselingservice.jp/lecture/lec402.html

「他にも問題を起こす人と問題を代わりに解決しようとしてあげる関係性も、共依存と言えます。」

「対等に慈しみ合っていける関係になるにはお互いに自立することとお互いが与えそして受け取ることができる状態になったときに手に入るのです。」



ただ、これも「愛して満足」という感覚が当人の想像力や感受性に起因した個性的なものかもしれないので、いちがいに「愛して満足になれば自立」とも言えないと思う。なので「これがふつー」って押し付けるようなものでもない



「共依存関係は、機能不全家族などで育った人々が陥りやすい」らしい



機能不全家族 - Wikipedia
http://bit.ly/kLVBOs

機能不全家族とは、「子育て」、「団欒」、「地域との関わり」といった本来家庭に存在すべき機能が、健全に機能していない家庭の問題を指す。そしてこの機能不全家族で指摘される問題は、家庭内の不健全な事実が存在する問題よりも、むしろその機能不全家族の中で育った子供への悪影響が指摘されることが多い。つまり、機能不全家族内で育った子供は、機能不全な環境や考え方が一般的であると認識し成長しやすく、また幼少期の重要な人格形成において愛情を得る機会が非常に乏しくなり、自己愛・自尊心、他者への共感、他者の苦しみに対する理解等に欠けた人間にもなりやすい。この結果、機能不全家族により、社会と健全な関係を築くことができない大人が輩出される。

機能不全家族となる要因としては、代表的なものとして、家族構成員のアルコール依存、虐待、共依存などが挙げられる。また、このような機能不全的な家庭となっている場合は、その家庭を構成する親、または祖父母などが、機能不全家族で育った経歴がある可能性も高い。


そして、ともすればそういった負の業が連鎖していく

このような家庭問題(家族崩壊)の中で育った子供が、育った環境の不健全さに気づいた場合、過去に学んだ不健全な生活習慣からの脱却に向けて、莫大なエネルギーを費やして、回復の努力をしなければならないことが多い。しかしながら、機能不全家族の一番の問題点としては、機能不全家族の中で育った子供が、育った環境の不健全さに気づかない場合に、自己の配偶者としても同様の歪んだ価値観をもったパートナーを選ぶ場合が多く、成人してからも同様に不遇な人生を選んでしまう場合が多々あることである。また、機能不全的なパートナーを選ばずとも、自らの機能不全家族の経験や、健全家族の経験の欠如から、世代間連鎖によって、新たな機能不全家族を生み出す場合も多く、自己の人生においても、不遇な、または破滅的な人生となる場合が多い。無差別大量殺人を始めとする凶悪事件などで犯人の精神鑑定を行ったり、生い立ちを探っている際に犯人の家庭や親の思考、家庭教育が非常に歪んだものであることが発覚するケースが多いが、個人情報やプライバシーの保護の観点からこうした側面はほとんど報道されないことが多い。


知らず知らずのうちにパートナーにもそういった素養の人を選び、あるいは子供にその業を背負わせていく


機能不全家族で育った子供には以下の特徴がある、とのこと

* 自己愛が発達していない。子供の頃に健全な発達ができなかったため、他者と擬似的親子関係を形成する。

* 他者を信じることができない。他者の苦しみに対する理解ができない。

* 自尊心が低く、ポジティブな自己イメージを持てない。

* 人間関係に常に問題が発生する。

* 怒り、不安、絶望の感情になりやすい。

* 他者と孤立しやすい。

* 無慈悲。

* 常に真面目で、子供らしさを持ち合わせない。年齢以上に早熟する。

* 機能不全な関係を他者と築く。

* 機能不全家族の行動を自分の子供に実行し、機能不全家族の世代間連鎖を引き起こす。



幼年期に子供らしさを享受できずに一定の役割を演じさせられ、健全な親の愛を受けられなかったため、ということのようだけど。



これらも過剰に「逃れられない業」「わたしの人生お先真っ暗」のように意識するのもどうかなぁ、と思う。


人は誰しも異常であり千の貌をもつものであって、こういった凸凹も特徴といえば特徴なのだろう。


自分の中にも双極性障害(躁鬱)的傾向はある。ただ、それはなんとなく5段階とか10段階ぐらいにメモリが分かれてて普段はレベル1とか2ぐらいなのだろう。トップギアで欝の方になったときはけっこう大変だったし何回か死にそうになったけど、いまはそれも「そういう傾向がある身体(スペック)に生まれたのだから注意しなくちゃなぁ」程度にとらえてる。躁に入った時のエネルギーを利用すればいいだけだし、欝は最近はないように思う。まぁ、ずっとローギアだから他人からすると欝の状態が平常なのかもだけど。けっきょくあの部分で「自分は異常なのかも。。(ふつーにならなきゃ(しあわせになれない)」みたいに自己抑圧するのってどこかにまだナルシシズム、「わたし(´・ω・)カワイソス」な自己憐憫な物語を紡いでるところがあるのであって、「そんなこといってもこのスペックで配牌されててレース始まってるんだから仕方ないじゃん」って決めたら「そういう性能のもの」として許容できる。

身体的な特徴の違いなんかは単に操作する車の車体性能的な問題であって、それもうまく生かせばレースに勝てるのだろうし



「他人と比べて」ってレースでもなく、自分の中の目標に達するレースみたいなのに



最終的には意志の問題なのだろう



自分(´・ω・)カワイソスしてるのではなく、(´・ω・)カワイソスでもなんでもそのレースに勝つ(あるいはその車体の性能をいかんなく発揮する)という意志の問題。







▽<恋愛と仕事は似てる>  → ドツボにハマった恋愛はブラック企業みたい


「依存も恋愛も果実」、(外野から見てある程度、異常に思われても)「個々人の自由な意思決定の領域ということで他人がどうこう言うのは大きなお世話(内政不干渉であるべき)」というところからブラック企業や「やりがいの搾取」をめぐる話を思い出したり


「恋愛、もしくは生計を共にして継続的なパートナーシップを築いていくことはビジネスのようだ」とこちらでもいったけど


愛とはどういうものかしら? 〜 恋はおわるが愛情は続く: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/227459492.html?1317282159


共依存とかDVとかで不健全状態になってる恋愛関係というのはブラック企業に喩えられるかもしれない。


「やりがいの搾取」とは「社会の一定水準から算定すると、そこで与えられている対価や保証は明らかに平均より低いのに、『( ゚Д゚)<自分が楽しいと思って選んだ道だろ?いまは辛いかもしれないけど楽しいことできてるなら本望だろうし、将来的には食えるようになるかもだからいまは耐えろ!』」とするような話。「やりがいのある仕事」を「自分で選んだ」のだから「耐えろ」っていう自己責任論。


自己責任論は通常、抑圧されている個人に対して外部の既得権益から発せられるものだけれど、恋愛あるいは継続的パートナーシップにおいて同様の心理構造にある人は自己責任を内面化しているところもあるだろうか。

共依存をやりがい搾取なブラック企業とした場合、そこでの「やりがい」は何になるのだろう?

関係当初に持った「好き」という気持ちとかそれに付随する幻想とか?


「現在を耐えれば将来的にはなにか良いことがあるかも」って期待とか?


過去の「好き」や未来の「希望的満足」を支えに現在を犠牲にする。建設的な「投資」ではなく、対価の回収の望めない「犠牲」。


あるいは、現在に至るまでに結び付けられた「情」的なつながりや、そこまでにかけられた掛金(サンクコスト)と将来的期待値を思って現在の損を切れない状態


そうやって生まれた損益による「悲惨な自分」に向きあうのを回避するために「でも、彼(社長)ったらいいところもあるのよ」って物語(イデオロギー)を紡ぐ。そこで直下の心理的ストレスを誤魔化す。


その損益はしばしば生活的なぢわぢわとした小粒なもので、当人からしてみると「耐えられないものでもない」なので一つ一つの損については鈍感になっていくのだろう。そしてそれがいつの間にか積み重なっていき、あるとき積み上がったストレスに耐え切れなくなって心のダムが決壊する。




それらの改善点として、損をしている当人の意識改革のようなものが必要ということがまずあるだろうが、損をしている当人が『それでいい』と言っている場合は道義的に外部からの干渉が必要になる。しかし「外部からの干渉はどこまで正当性をもつのか?」ということになる。


子供のように意思決定や客観的認識が乏しく主体形成ができていない存在であれば外部からの介入は妥当とされるかもだけど、大人の場合はそれはしばしば難しいことになるか。



それでも、一定の客観的水準に照らして当人が損を被り続けている、ということが外部にも当人にも納得させられたら介入の妥当性はあるだろうけど




そこでもやはり介入する第三者は過剰な熱意に燃えて過干渉するのではなく、一定の律と距離感をもって臨むべきなのだろう。









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騎士と愛: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/226697368.html





タグ:恋愛 家族
posted by m_um_u at 20:15 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク