2015年07月17日

三潴末雄、2014、「アートにとって価値とは何か」




アートにとって価値とは何か -
アートにとって価値とは何か -

アートにとって価値とは何か -
アートにとって価値とは何か -




このへんでうなうな見てきた現代アート関連の案内本として。三潴さんも小山さんたちと同年代(あるいは少し上)ということで同時代の話の別角度からの説明としてわかりやすかった。



「現代アート経済学」から簡単にメモ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/420137119.html

小山登美夫、2008、「現代アートビジネス」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/420849770.html

「芸術起業論」「芸術闘争論」「日本列島現代アートを旅する」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/421381762.html



章立てとしては

「日本の現代アートの評価」
「ギャラリストへの道程」
「ミヅマギャラリー奮戦記」
「世界を変えている注目アーティスト」
「日本の現代アートはグローバル土人の楽園をひらく」

ということで最初の章で日本の現代アートの位置について概括的に説明、それを踏まえて続く二つの章で三潴さんの歩みに重ねる形で90−00年代の日本の現代アートの興隆が語られている。たぶんもともとは一章の概括と「簡単な90ー00年代の日本の現代アートギャラリー語り」「日本の現代アートの注目アーティスト紹介」「総括」という形だったのではないかと思うのだけど、それらによりボリュームというか立体的な実感を付け加えたのが三潴さんの歩んできた道の語りだったのかな。


三潴さんの経歴が「学生時代に学生運動に傾倒した」とか「マルクス読んでうんたらした」というところはその後のアートに対する価値観にも関わっていて、なので「米帝の文化帝国主義的価値観は打倒しないといかんのですよ!(ダンッ」てかんじになるのかなあとかおもったのだけど、同時にアメリカを中心とした抽象表現主義的な現代アート以外のアートの価値を探るときに日本のオリジンとそれを結びつけて考えるというやり方は日本のマルクス主義の季節が過ぎた後、天皇制や日本の起源について再検討みたいな流れがあったことともリンクしてたのかなあとか。サヨク的価値観と歴史観を基本としつつ、ステーション'70というPR系のカルチャーサロンのマネージメントをしていたというのはバブル全盛へと向かう当時の東京の文化人的なところの中心に触れていたことを伺わせる。三島由紀夫さんとは実際に会ったことがあるとのことだし。印象としては松岡正剛さん的なあれ(「遊」とか)だったのだろう。

こういう人とルカーチの物象化と美学からアートの価値についてうんたら話すとどうなるんだろ?とかちょっとおもいつつ、そういった背景があるのでこういうアート観になるのだなあとか想った。否定とかでもなく、面白く読んだし。会田誠さんや山口晃さんをプロデュースした姿勢はわかりやすく面白かったのだけど(んでもこういう価値観かあChim↑Pomを認めるのは、とは)。


タイトルにもある「アートにとって価値とはなにか?」というのは現代アートにとっての価値とはなにか?ということ。すなわちニューヨークを中心とした抽象表現主義全盛の現代アート業界にたいして、あらたな価値を提示する場合、その価値とはどういったものか?(どういったものならば見る者にとって「価値あるもの」として受け入れられるのか?)という問題意識。そこで打ち出される価値の代表的なものは日本の伝統的な視角としての遠近法以前のフラットな視点とリアリティだったり、あるいは、抽象表現主義に分類されないけれど「ナンカオモシロイ」作品だったりする。そういった価値に基づいた作品はアメリカの抽象表現主義に基づいた文化帝国主義からすれば土人のそれと思われるかもだけど、土人-野生の思考だからこそやれることもあるんだぜ?的な。

村上隆さんの場合は「けっきょく現代アート市場は一定のゲームのルールがあって、そのルールを知らなければ評価されない(勝てない)。なので作品自体の価値がどうとかより、そのルールを知り、そのゲームに勝つということがまずもって大事なんだ」てスタンスで、なかばシニカル・ニヒリスティックともいえる現実主義で作品を工房していくけど、三潴さんの場合はそれを踏まえつつ「それでもアートの価値を見出したい」ということで、前者がポストモダン的相対主義とシニシズムだとすると後者はモダニズムの復権的なアレなのかなあとかなんとか。なので位相としてもマルクス主義系のフランクフルト学派(ハーバーマス)とかを想わせわかりやすいといえばわかりやすかった。





ひとそれぞれ好みとか価値観-リアリティの違いがあるだろうからこういうのが好き-ガッチリハマるひともいるのだろうけど、自分的には秋元雅史さんあたりがフィットするかなあ。三潴さんの心意気とかやってきたこと自体は良いなあとおもうけど。

んでもこの本を読んで会田誠さんや山口晃さん、鴻池朋子さん、池田学さん、宮永愛子さんあたりは見てみたくおもった。てよりミヅマアートギャラリーに一回寄ってみたく。



一般的には、90年代から00年代、あるいはそれ以前の80年代あたりの日本の現代アート界隈の様子が綴られているのがおもしろいかなあとかおもう。あとは会田誠さんとか山口晃さんとかが売れない当時の様子とか。





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2015年06月27日

「芸術起業論」「芸術闘争論」「日本列島現代アートを旅する」


このへんからの続きて引き続き現代アートについてお勉強していたのでヲクサンずへのお知らせも兼ねて


小山登美夫、2008、「現代アートビジネス」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/420849770.html


いちお村上隆さんの本も読んでみた


芸術起業論 -
芸術起業論 -

芸術闘争論 -
芸術闘争論 -


結論としては「まあたしかに、、それが第一線の現代アートプレーヤーの感覚ってことなんだろうけど、、それってなんかビジネスとかプロスポーツとか、入試≠クイズみたいだよね?」てことで自分的にはあまり



「柑橘類と文明」、「芸術起業論」を読み終わって|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nf50ec2b5d394




このあと続編の芸術闘争論のほうも読んでみて、起業論よりはアクの薄い、講義的な文体(口語的な)と内容になっていていて一部タメになるところもあった。たとえば現代アート(特にニューヨークを中心とした海外のマーケット)の文脈に沿ったテーマ、画面構成・視線の誘導の計算についてとか、ギャラリーの種類や選び方とか。それらは「実際にプロの現代アーティストとしてデビューする場合なにが必要か?」という視点からまとめられたものでこの本もそういうのを目指す学生たち向けにまとめられた予備校テキスト的なものとしてはわかりやすくおもしかった。

ただ、やはり「これはアートなの?」てかんじというか、すくなくとも自分が求めるものではないなあとおもった。

それらはたしかにアメリカやヨーロッパで成功した富豪のリアリティや嗜好には沿うものなのだろうけど、すくなくとも自分はそういうものは要らないし好まないし、そして自分の嗜好に合った現代アートはいくらでもあるので。テクストとしては李禹煥のそれとか。

なので、それらはアメリカとか世界的な富豪マーケットにおける「現代アート」であって自分が求めるものとは違うのだろう。それらは厳然と別れるものでもなくゲルハルト・リヒターなんかはそういうのにも含まれるようだけど。

この本自体の印象、あるいは村上さんの印象としては「プロヲタクになりきれなかったヲタクがアートの分野で宮台節を繰り広げた」みたいな感じだった。実際、「影響受けた」みたいなことはこの本の中にも書かれてたし。



なので、アートにそれ以上のものを求めるものとしては特に見るところもないのだろう。作品としては。

ただ、プロモーションとか若手養成のための仕組みみたいなところでは参考になるのかなあとか。



あと、現代アート方面で昨今「日本の現代アートはMANGAとかANIMEだ」みたいな風潮があって、ジャパニメーションがどうとか攻殻機動隊がどうとかもそういうのに含まれてるのだろうけど、そのへんの言語化とかプレゼンスの先駆けが村上さんのこのへんだったのかなあとか。本書の中でしっかり「日本の現代アートはマンガ・アニメです」ていってるし。そんでMOTでちょこちょこやる宮ア駿展とか、上野の進撃の巨人展とか、あるいは新国立で最近やってるやつとか。

新国立でやってるらしい日本のマンガ・アニメ展、マンガ・アニメの系譜としては体系的に不十分らしくてけっきょくは「マンガも現代アートの一部(日本ではむしろ現代アートはマンガ・アニメなんだよ」というところに甘えて「現代アートとしてあつかってやる」て展示なのかなと思うんだけど、そういうのをやるのは集客の理由もあるんだろうけどさいきん日本の現代アート界隈だとそういうのがチラホラで、自分て気にはそういうの見てもマンゾクないだろうなと思う。現代アートとマンガ・アニメ的なものは越境している、みたいなのは自分が現代アート的なものを見だした以前から思っていたことだからイマサラてかんじだし、その土台としては「現代アートとは何か?→(現代)アートなんか自由でいいじゃん解体していいじゃん」て60から70年台に隆盛を迎えたニューヨークを中心とした抽象表現主義に依る脱構築な文脈があるのだろうけど、脱構築だけだったら現代思想やってる人間的には新しいものでもない。

そんで(現代)思想≠(現代)アート的には「脱構築以後の思想・アートとはなにか?」ということになるんだとおもうんだけど、そうすると現代アート的には惰性で構築されたものをある程度解体しつつもその内部、あるいはローカルな圏域で意味と文脈(あるいは強度)をもったものを出さないとわざわざアートとして表す意味がないように思える。

アートとして表す意味というのは「言語では表し難いものを表す」ということで、そこに現代思想における「言語(の恣意性)以前」というテーマが絡んでくるわけで、きちんとした現代アートの人たちはそのへんを体現してるからおもしろいのだけど、村上さんは多分そういうのがわかってなくて、先達の成功者たちのガラをなんとなくなぞってるうちに成功したぽい。なのでバーネット・ニューマンに対する解釈も浅薄なものに思えた。






そういったところからするとつづけて読んでるこの辺で紹介されてるものはそういうのを表してくれてぽくおもしろい。



日本列島「現代アート」を旅する (小学館新書) -
日本列島「現代アート」を旅する (小学館新書) -



著者は直島のアートプロジェクトや家プロジェクトに携わった人で、直島のチーフキュレーター、地中美術館館長、金沢21世紀美術館館長を歴任されて芸大美術館館長・教授も務めてる、とのこと。


なので直島周りとか金沢21世紀美術館周りの紹介が多くなってるというところもあるんだけど、でもそこでの説明をみると自分的には見とくべきなのだなあと思うし見たいな、と。


紹介・解説されてるのは

イサム・ノグチ『エナジー・ヴォイド』、マーク・ロスコ『シーグラム壁画』、アントニー・ゴームリー『ANOTHER TIME XX』、三島喜美代『Newspaper08』、ロン・ミュエク『スタンディング・ウーマン』、レアンドロ・エルリッヒ『スイミング・プール』、安田侃『アルテピアッツァ美唄』、ジェームズ・タレル『ブルー・プラネット・スカイ』、内藤礼『母型』、ウォルター・デ・マリア『タイム/タイムレス/ノー・タイム』

なんかでいずれもその場の環境と一体となってアートしてる作品な感じ。


秋元さんはほかにも直島美術館についての本とかデ・マリアについての本とか出されてるようなのでこれらもぼちぼち読んでいきたい。





現代アートに関するテクストを読んでると「けっきょくはこのへんてなんとなくの雰囲気で売ってきたところだからはっきりとした定義とか方向性とか型が決まってなくて、その部分はテキストにするとよくわかるのだな」とおもう。まあ日本における人文≠現代思想と同じだけど。


なので、その部分で海外で売れるという実績を残し、はっきりと「(雰囲気うんたらでイイネーイイネーしとってもガラパゴスで)売れるための現代アートはこうや!」ってまとめたのは村上さんの功績だったかなあとかおもうけど、さっき言った理由でそれは反面教師的なものだったのかなあとか。


まあこのへんは民俗学的な現地の人の証言収集という感じで「彼らはこのように現代アートを認識し語っている」てかんじでみていくとおもしろいだろうからそういう方向で続けていこうとおもう。



あと、ワタリウムで現代アートを振り返るなやつやってるようでこれも気になるので8月か9月ぐらいに落ち着いたらいこうかなあ。。(村上さんの本で気付かされたけどワタリウムのこういうのの歴史はけっこう長いらしく村上さんのデビューもワタリウム主宰の現代アート大学からだったそうな




現代アートをおさらいする好機! ワタリウムの展覧会。|NEWS(ニュース)|HOUYHNHNM(フイナム)
http://www.houyhnhnm.jp/news/012993.html



西洋絵画のひみつ -
西洋絵画のひみつ -


中野京子と読み解く 名画の謎 対決篇 -
中野京子と読み解く 名画の謎 対決篇 -

名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366) -
名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366) -

怖い絵  (角川文庫) -
怖い絵 (角川文庫) -


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2015年06月17日

小山登美夫、2008、「現代アートビジネス」





現代アートビジネス (アスキー新書 61) -
現代アートビジネス (アスキー新書 61) -




noteで済ませても良かったしなんだったら文章にせずにメモなとこだけぶくましようかぐらいな感じだったけど「なんでこれをエントリする気になったんだっけ?」とよみかえしてるうちにヲクサンずに日本の現代アートの配置についてお伝えしとこうとおもったのを思い出した。あるいはこの本自体の主眼としては「(日本の現代アートでトップをはしるとおもわれる)村上隆や奈良美智ってどうなの?なぜ評価されるの?」的なの。そういった意味だとむしろこないだnoteにアウトプットした日記でもう要点書いてるかもしれない。


「現代アート」って斜に構えるのではなく|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/ne13c13c1df6a


いちお巻末の2010年当時の日本の現代アートギャラリーリストのメモ写真も載ってるし。


てか、「現代アートを買おう!」「現代アート経済学」のシリーズは小山さんのこの本の内容を受けてそれをビジネスマン的な客観性から伝わりやすく表したものだったのかな。そういう意味だと内容的には重複してくる。


繰り返しな内容になるので楽してこないだnoteにした内容から抜粋引用


この本を読むまでは正直「村上隆とかー現代アートとかなんぼのもんじゃいー」て感じもあったようにおもう。「知や感性を競う」というか。門外漢が足元をすくってやろうというか。

でも、宮津さんの語りから垣間見える「現代アートというのはそんなスカしたものではなく、単にぼくらがあの時代に『なにか新しくて格好いいもの、おもしろいもの、感性をくすぐるもの』を求め、それに捧げていった結果、現在のような形になっただけで」というような話を見てるとそういうのも阿呆らしいというか、少し恥ずかしく思った。

MOTも未だ建ってなかった時代、現代アートも日本に根付いてなかった90年代初頭に少しずつ挑戦と努力を重ねて自分たちの好きなものの場を作っていった。そして、単体の作品の価値というよりも、それを囲む人と人とのつながり、文脈、歴史のようなもののほうがむしろ大事で、現代アート的な作品はそれらのその時点での記念碑的なものだということ。

そんなことが感じられた。

小山さんの本を読んだら村上隆さんの本を読むつもりだけど、たぶん宮津さんの本を読んでなかったら「なんぼのもんじゃい」的な姿勢の読み方に傾いて貧しい読書体験に終始してたんじゃないかとおもう。




MOTも未だ建ってなかった時代、80年代後半から90年代初頭にかけて「日本にも現代アートの殿堂を」という動きがあった。白石正美さんなんかが中心となった東高現代美術館はそのさきがけ


東高現代美術館:現代美術用語辞典|美術館・アート情報 artscape
http://artscape.jp/dictionary/modern/1198701_1637.html



小山さんもこの時期に白石さんのもとではたらくなかで村上隆さんとも縁をもつようになったみたい。

当時の村上さんはまだ芸大の日本画博士課程で、でもそのころから自らの作品をどう売っていくか?ということに積極的で小山さんにも「こんどプレスを紹介してくださいよ」て接触していったみたい。


その後、小山さんが独立して自らのギャラリーをもって、村上さんや奈良さんを海外のアートフェア周りの市場から売っていくことに契機を見出していったながれが描かれている。「あの頃がいちばんおもしろかったね」とたまに会った奈良さんとはよくいうとのことで、なんとなく椎名誠の本の雑誌血風録的な青春時代を想わせた。



あとはギャラリーとオークション・アートフェアが中心となって現代アート的な価値はつくられていくという過程について。このへんは宮津さんの本にももうちょっと詳しく解説してあったようにおもうけどこちらがさきにザラッと説明された感じだったのだろう。長谷川祐子さんのはなしでもあったけど、現代アートにおける市場とのつながりは作品の国際的な紹介・流通という意味ではかなり重要になる。そこにうまく入り込めていけないとこの部分で国際的な関係性から外れてしまい「現代」アートでもなくなってしまう。あるいはあたらしい作家の発掘とか。

市場とつながることはアートに投機的な価値・意味合いが生まれ、単なる投機的な対象として扱われることでアートの価値がかえって損なわれる(バブル的な投機対象になってしまって現代アートが単なる「現在」アートになってしまう)という危険性はあるし、実際に好景気に賑わう中国のアート市場・作品評価にはそういうところがあるみたいなんだけど、だからといって現代アートのすべての作品が「本来意味のないガラクタに箔をつけただけのもの」みたいなものでもない。

宮津さんのことばだったか小山さんの言葉だったか忘れたけど、現代アートが現代アート足りえるのはそれが現代の問題・リアリティを作品としてきちんと表わし関係性を持っているから、ということ。


「なので村上さんの作品も奈良さんの作品もそういった文脈からきちんと現在のリアリティにコミットし、それまでのアート的な技法・表現の仕方も踏襲しつつ計算したものであるがゆえに海外コレクターの間で受けている」とのこと。


自分もそうだったけど村上さんの作品はヲタ的なアイデアを劣化コピーでシミュラークルしてるアイデア窃盗なだけじゃんて見方があるけど、あそこで村上さんがあらわしてるのは造形や表現方法ではなく、ヲタフィギュア的なものに先鋭される現代(日本)の(男性の?)欲望なのだそうな。なのでみょーに乳袋の強調でミニスカートな女の子(例のカフェ制服ぽい)がニコニコわらい、マイ・ロンサム・カウボーイはありえない量の精液を性器から放出し、それが龍を象る。



そうはいわれても自分的にもまだ「村上さんの作品てそんなに良いのかなあ?(実物みるとちがうの?アウラとかが?)」て半信半疑なんだけど、そういう説明ならコンセプトとしては理解できる。何十年かしてこういう文化が廃れていたとして、でもアート作品は残ってて、そこでこういうものを見た人が「こういうのでこんな欲望もってたんだねえ。。(それでこんな表現に」ておもうのかなあ、ってかんじ。


あとは小山さん世代の以前からの現代アートの主要画廊なとことか(西村画廊、佐谷画廊、かんらん舎、ギャルリーところ)、白石さんのスカイ・ザ・バスハウスとか。

村上さん主宰のGEISAIとかトーキョーワンダイーサイト、アートアワードトーキョーなんかもいってみないとなあ、とか。


アートフリーペーパーの「フェイヴァリット」とか。






そんなかんじかなあ




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2015年06月04日

「現代アート経済学」から簡単にメモ



現代アート経済学 (光文社新書) -
現代アート経済学 (光文社新書) -
現代アート経済学 (光文社新書) -
現代アート経済学 (光文社新書) -





サラリーマンのコレクター:宮津大輔はハーバート・ヴォーゲルの日本人版? | BLOUIN ARTINFO
http://jp.blouinartinfo.com/news/story/882107/sararimannokorekutagong-jin-da-fu-hahabatovuogerunori-ben-ren


『現代アート経済学』 宮津大輔著 評・開沼博(社会学者・福島大特任研究員) : 本よみうり堂 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20140825-OYT8T50112.html



著者は「一般企業に勤めながら有名なコレクター」「昼食を削りつつコレクションした」てひとなので従来の批評然なアート紹介(ちょっと衒学スノビズム)とは違った視点からコレクション、キュレーション、ギャラリーの関係が説明されていてわかりやすくおもしろかった。ビエンナーレの経済効果とか予算とかも。「ギャラリスト・キュレーター・コレクターの三位一体でアートは価値付けされている」というこの部分は以前のエントリの長谷川祐子さんの問題意識とリンクしてわかりやすい。

https://twitter.com/m_um_u/status/606063756137754624/photo/1

美術手帖3月号から「現代アートの文脈」「現代アートは流通である」あたり: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/417862119.html




世界のギャラリー、プロデューサー、オークション、パワーコレクターなどの関係の基本としてソレ系の人には参考になるだろうから手元に置いといて重宝しそう。有名ドコロについての脚注がそれぞれあるし。


全体として面白いしわかりやすい本なので長文できちんと説明してもよいのだけど「ほかにも読むもの溜まってるし、まあ自分的なメモがメインでなんだったら人様と共有程度だしなあ。。」ということでメモ中心で。

















アーティスト別年間落札の図からも伺えるように国際的に中国のアーティストのプレゼンスが高まっている。わりには自分的にもあまりしらないのでメモ的に写メっといた。あとでpinterestあたりから検索してほぅほぅとか思おう。ちなみに、近場だと横浜美術館での展覧会が気になってる。





世界的に有名なアートフェアとしてのヴェネツィア・ビエンナーレの紹介。アートのオリンピックとして2年に一回開かれる。ヴェニスがたまにニュースに移って華やぐのはこういうの。自家用ジェットで富豪がかけつける。個人用コレクションにもなるし転がして資産にもなるので。ヴェネツィアで見てバーゼルで買う。

ヴェネツィア・ビエンナーレと双璧をなすのがドイツのドクメンタ。5年毎に開かれる。もともとはナチスドイツの芸術焚書への反省から。ひとりのアートディレクターに依るディレクションという方式をとりだしたのはドクメンタからとのこと。ドクメンタでは毎回ディレクターが強いメッセージを発し、それに沿ったディレクションが展開される。ナチスの芸術焚書から逃げるためにアメリカに芸術・研究的才能が集まってMoMA(ニューヨーク近代美術館)のプレゼンスが増した。パリからニューヨークへ。



日本だと横浜ビエンナーレ、あいちトリエンナーレ、越後妻有アートトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭など。

瀬戸内国際芸術祭は春(3月20から1ヶ月)、夏(7月20から9月1日)、秋(10月5から1ヶ月)の3期に分けて開かれる。


日本のアートフェアとしては以下がある。主に春先。


東京アートウィーク

G-tokyo
現代アートギャラリー15軒 春先

アートフェア東京
古美術から現代アート  春先


TOKYO FRONT LINE
千代田
3331

六本木アートナイト




オークション - アートフェアのプレゼンス的には中国、シンガポール(東南アジア)が大きくなってきている。経済成長→中流層の増加を背景に。アートとオークションをいちから根付かせるのは難しく特に中国なんかはそんな感じだったけど中国の方は中国人ディレクターがコツコツと、シンガポールの方はアートバーゼル出身の豪腕ディレクター(ロレンツォ・ルドルフ)がシンガポール政府と協力してつくりあげていった。


あと有名ドコロなディレクターとしてはハロルド・ゼーマンとか‥まあこのへん





カタールとか増してきてて中東の興隆とか想わせる。






日本の現代アート系有名ギャラリーとて


小山登美夫ギャラリー、ギャラリー小柳、タカ・イシイギャラリー、シュウゴアーツ、アラタニウラノ、山本現代、イムラアートギャラリー、TAKE NINAGAWA、ミサシンギャラリー




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2015年06月03日

長谷川郁夫、2014、「吉田健一」



600ページほどの本だったので2週間ほどかけて読み終わった。


吉田健一 -
吉田健一 -

感想としてはちょこちょこnoteに書いていたし


そこに彼らがいた|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/na38a84799925


(長谷川郁夫「吉田健一」から)日本の「近代」文学界隈とその時代|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n1f95a8aafc22


「吉田健一」を読み終えたお通夜として|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nae76a0baa2dc


記憶術、ユリイカ、blackbird|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n9dc2ee2b77dd




noteにも記したように本書は批評的な内容でもないのでまとめるのも難しく特にエントリせずに終わってもいいかなあと思ったんだけど、あとで振り返るときのためにメモ的に引用して残しておきたいところもあるのでいちお。



吉田健一についての批評的な箇所は中村光夫に依る吉田健一評のところぐらいで、それは以前に読んだ河出書房のムックの内容も想わせた。「吉田健一には嫉妬やルサンチマンのようなものが感じられない」「飄々とした魅力とそこはかとない色気がある」みたいなの。


吉田健一の流儀: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/415497312.html

「吉田健一」を読み終えたお通夜として|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nae76a0baa2dc


昭和32年「文藝」1月号での中村光夫による吉田健一論から




 一.「あなたの言葉には自分自身のすることに気づいてない人の魅力があります。酒の呑みかたからものの考へかたまで、あなたのやり方はまことに個性あざやかで、独特なものですが、この独自性にあなたがまったく気づいてゐないところに、あなたの随筆の面白みがあります。あへて可笑味といつてもいいでせう」、「あなたがそれに自分で気づいてゐないから、そこに生れる滑稽はさらに倍加されます」

 一.「この間の交際を通じて、僕が一番あなたに敬服したのは、あなたの自信です。自信といつてもありふれた己惚れや野心とはまつたく違ふ、なにか天与といひたいやうな精神の内部平衡です。あなたくらゐ或る意味で謙遜な、人を素直に尊敬することを知つてゐる人はない、自分で自分を虐めつけるといふ裏返しにされた青年の傲慢を、あなたほど徹底的にやつた人はない、(中略)しかしそれでゐて、あなたくらゐ自然に自分を信じられた人はないのです」

 一.「僕はあなたの強靭な精神の平衡を、真の意味の教養の賜と思つてゐます。美に対する感受性と熱情にめぐまれた者が、たまたまそれを源泉から汲む幸運にめぐりあひ、そこから生活にたへ、進んでそれを楽しむ糧を得てゐる人に独特の強みです」

 一.「あなたが批評家としてなぜもつと早く世にでなかつたかは、僕等がみな不思議に思つたことです。しかし今から思ふとあなたには、他の条件はすべて備はつてゐたが、ただ批評家にもつとも大切な資格が欠けてゐたのです。それは文学への観念的陶酔と表裏する或る餓渇、あるひはさもしさといつたもので、それにかりたてられて、彼は自己の文学映像を他人に納得させるために努力するのです」、「僕自身さういふ青年であつたから、それはよく知つてゐます」、「あなたには、さういふ餓ゑがまつたくなかつた。しがつて野心も。文学とはあなたには何かもつと血肉化した、人生を快適にするものであり、この自適のなかかから外にむかつて発現する衝動は生れなかつたのです」



それを変えたのが戦争と戦後の生活だった。

「吉田健一にとって文学は、野心とかさもしさとかといったものではなく、もっと血肉化した人生を快適にするものだった」という指摘は吉田の批評、あるいは文学の味わい方が詩を中心とし、全体の意味や内容というよりも謡としての詩を重視していたことにも通じるように思う。音楽であり時間。それは吉田晩年の時間論にも通じ、日本の、あるいは日本語の古典的な感覚、歌としての会話にも通じるのかもしれない。吉田の文章に句読点がなく読みづらいことに対して「古文は句読点はないでしょ?」と答えたというけど、そう思うと吉田の文章はそういったもので、ひとつひとつの意味というよりは全体のイメージや流れを味わうものなのかもしれない。





付箋を貼ったところを見なおしていると三島との喧嘩、三島が割腹自殺したことについての吉田のコメントもとどめておきたく思ったので軽く引用しておく。


三島との喧嘩の経緯についてはこちらに記した。

「吉田健一」を読み終えたお通夜として|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nae76a0baa2dc


「新潮」46年2月号「三島由紀夫追悼特集」より

「その死は事故による」、「例へば交通事故で死んだものがあつた時にそれで改めてその思想とか生前の行状とかを云々するのは無意味であり、さうした死んだといふことが先に立つての詮索は週刊誌風の好奇心の仕業にすぎない」、「人間は死ぬ時に死ぬのであり、誰でもその時が来るまでは生きてゐる」、「もしここに豊かな天分に恵まれてゐて別にさうした騒ぎが仕事の邪魔にならず、逆に騒ぎによつて世相を掴む術に長け、その騒ぎの快感を仕事の刺戟に用ゐることも出来る人間がゐたらばどうだらうか」、「或はその仕事の世界での自由は仕事と騒ぎと全く切り離すに至るかも知れなくて、その点に達するならば騒ぎは騒ぎで自分から自分の楽みに、或はこれも或る形での生き方と心得て焚き付ける方向に進むといふこともあり得る。もしそのまま文学の仕事が続けられるならばその人間が文士であることに変りはなくて、ただ一流の仕事をする文士で情事が道楽であるのが媚薬の量を間違へるといふことがあつても別に驚くではない。或は蝶気違いの文士が崖に蝶を追つて墜落死することもある。先に大で示した通り、以上は三島さんのことでもある」


三島の文士としての才能は買っていたけれどその性格から名士としてちやほやされるという快感を追い続けコントロールしきれなかった。それは蝶を追って崖から落ちたような事故であり、当人の仕事を貶めるものではない、と。












あとは当時の銀座や文壇界隈の様子が伝わってきてよかった。東京の昔でありトキワ荘的なもの。その頃の銀座や東京の様子をもうちょっと省りみたくなった。


そこに彼らがいた|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/na38a84799925

銀座に川があった頃 - 新・読前読後
http://t.co/EscWpCE9dv


あるいはこういった教科書からは伝わらない日本文学 / 文壇の様子について記したものとか。江藤淳「小林秀雄」もよかったけどああいうもの。とりあえずこの辺を読んでいこうかと思っている。



江藤淳と大江健三郎: 戦後日本の政治と文学 (単行本) -
江藤淳と大江健三郎: 戦後日本の政治と文学 (単行本) -
日本文学史早わかり (講談社文芸文庫) -
日本文学史早わかり (講談社文芸文庫) -









「時間」からいくつか



時間が経っていくことを知るのが現在なのである


言葉が働きかける時にそこに常に現在がある


近代の倦怠を意識の上で堰き止められた時間の流れの圧力と見ることも出来る


一冊の本もそれそのものが時間であり、或いはそのうちにも時間があってその本も刻々と経つことが解る


もし時間がなければ一篇の詩もない



時間の存在を認めなければ喜びも悲しみもない




時間が人間を老いさせるのではなくて、その老いる人間も老いた人間も時間なのである





時間の流れがあって空間が生き、それで我々の暮らしもそれが世界で取る形も、或いは、我々の暮らしに即して世界が取っていく形もそのあるべきもの、我々が現に知っているものになるのだということは繰り返して言っておくのに値する





その夜会もサロンも舞踏会の音楽もあって、その虚しさは人生の空しさであり、それは従って一転して充実であった


刻々にたって行く時間の現在にあってそれを悲しむというのは充実の極みとも考えられる














われとともに老いよ


最上のものは、これから先にある



それは生命の最後である




生命の最初はそのために作られたのだ









金沢・酒宴 (講談社文芸文庫) -
金沢・酒宴 (講談社文芸文庫) -
時間 (講談社文芸文庫) -
時間 (講談社文芸文庫) -
英語と英国と英国人 (講談社文芸文庫) -
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英国の近代文学 (岩波文庫) -
英国の近代文学 (岩波文庫) -
ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫) -
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訳詩集 葡萄酒の色 (岩波文庫) -
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英国の文学 (岩波文庫) -
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交遊録 (講談社文芸文庫) -
交遊録 (講談社文芸文庫) -
三文紳士 (講談社文芸文庫) -
三文紳士 (講談社文芸文庫) -
吉田健一 -
吉田健一 -
乞食王子 (講談社文芸文庫) -
乞食王子 (講談社文芸文庫) -





ドナルド・キーン、三島由紀夫、中村光夫、河上徹太郎あたりも読んでいこう







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東京の「おいしい」の昔から|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nb6fd1ccec764



うつくしい日々: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/409837761.html



三浦雅士「文学史とは何か」(丸谷才一全集 第7巻解説) - 日々平安録
http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20150516/1431788111

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2015年05月20日

最近読んだ本から  解釈と隠喩をめぐって





図書館の本の返却期限が迫ってて、もう読んだのでそのまま返しても良いのだけど記憶に印象付けるためにエントリするのもいいかなということでエントリしよかなと思いつつそれほどの内容でもないのでnoteにでもしとこうかなとおもったんだけどまあいいかあってことでまとめてエントリすることに。




ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」 -
ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」 -


いちお読んでみたけどそんなにとどめておくこともないもののように思った。

もともとが大野さんのブログエントリ「ラッセンとは何の恥部だったか」で提示された内容、「ラッセンが日本人に異常に受けたのは日本人のヤンキー心に訴えたからではないか?」に端を発したもので、それにいくらかのブラッシュアップ+肉付けをしたぐらいな内容に感じた。つまり問題提起としてはおもしろいかもだけど論文とか本としては読み応えがない感じの。

「ラッセンが受けたのはヤンキー心にヒットしたからではないか?」というところから発せられる問題提起をすこしすすめれば「そもそもラッセンを認めない『アート的なものの基準』とはなにか?」ということに落ち着き、内容ではなく文脈などから語られたり評価されたりするアートの評価基準の曖昧さがうんたらされるわけだけど、それ自体は(自分的には)既出な話でありそんなに鮮烈でもなかった。まあ一般受けはするかなあぐらいの。あとはそういう問題提起に当時流行だったヤンキー論という曖昧なものを接続して全体が構成されていた。

ヤンキー論について自分が不快に思うのは、あれが日本の現代的な大衆文化論にすぎないのにそこに接続せずにスノッブな立場から慇懃無礼にヤンキーを論じてるところにあるのだけれど、このラッセン本で散見された評論の体をしているものもそんな感じで不快だった。最初からヤンキーとかラッセンを小馬鹿にしてるのに、「敢えて( ー`дー´)学術的、評論的な客観性をもって論じるならば(それでもヤンキーはヤンキーでラッセンはラッセンで便所の壁紙みたいなものだけどねー」みたいなの。なぜこんな落書きみたいな意識の高さを覆い隠した欺瞞と慇懃な無駄話に付き合わないといけないのかと途中から読み飛ばしてたけど。

前述したけど、それがヤンキーに通じているという蓋然性を持つのなら、ヤンキー的なものを社会学あるいは人類学や民俗学的に措定すべきだしそれを提出しないと話にならない。また、アート的なものに惹かれつつそれらがぼんやりとした評価によってもてはやされていくさまを同様の方法や視角で見たほうが建設的なように思ったけれど、そういうことをしないのはこの人たちが論じている場自体がそういった曖昧な評価基準によって評価される場だからだろうか?同様な「スノビズムって言いつつおまへがスノビズムじゃん」はサードウェーブうんたらくさしにも感じたけど。

この本で唯一おもしろかったのは最後の生物学的な視角からこういった現象を見ている話で、それは自分の視角に近いように思った。




隠喩としての病い エイズとその隠喩 (始まりの本) -
隠喩としての病い エイズとその隠喩 (始まりの本) -



ヤンキー的なるものを語る視角が隠喩に満ちてるとしたらソンタグなんかも似たような批判をしたのかもしれない。つまり、「あなたがたの視点、論説は中立・客観的な方法を用いた分析以前に印象に基づいた答えがでていて、それに基づいた印象批評にすぎない」というもの。ソンタグはそのような「批評」を先験的な「解釈」として批判し嫌った(「反<解釈>」)。


この本-小論を書いた経緯はソンタグ自身が癌を患ったこともあったのだろうけどそういった先験的な解釈、印象がある力をもって人の流れを変えてしまうことにペンの力で抗したかったのかもしれない。


ただ、いつものソンタグな感じでそんなに方法論としてはきちんとしてなくて、印象批評ていってるソンタグの論じ方自体が確たる方法にもとづいてないというのはあるのだけれど、ソンタグのやってるのは論文ではなくて批評やエッセイだったのだろうし、そういった書き方で見えてくるものもあるようにおもう。

この本から自分的に得られたのは「癌や結核に対して、なんらかのロマンティシズムに基づいた隠喩が付され、物語化されることがある」「結核なんかはそれにもとづいて『高尚な病』とされた時代があった」「隠喩化された病は医学的に中立な理解、客観性を越えて人々に印象され、それによって病にかかった人々が不当な差別をされたりする」って感じだった。

特にこの本で強調したいのは最後の部分だったのだろうし、それ自体は重要な問題提起であるように思ったのだけれど、自分的には「だったらなぜ人々がそのような物語化を行わざるをえないのか?」「それは共同体の要請ではないか?」「そういった隠喩や物語化はデメリットもあればメリットもあるのではないか?」などを明らかにしてほしく物足りなさがあった。構造人類学的方法というか。まあ生物学でも何でも良いのだけど。

あと、これらの隠喩の大元になってるのはガレノス的な考えだったのかなあとか。


ガレノス - Wikipedia http://bit.ly/1LkTCK8


四体液説とか脾臓がどうとかの。こういうのは近代医学以前の医術的な時代に共通した宇宙 / 自然 / 人体なイメージだったようにおもう(道教とか易経とかもそんなのだし)。そういや朝にもコレ関連でうんたらつぶやいたな。
















胆汁がどうとかメランコリーがどうとかだと「土星の徴」をもつベンヤミンにも話が通じるのだろうから、そこでソンタグがどんなこと言ってるのかとかちょっと気になるけど(ベンヤミン的には土星の徴てシーニュを受け入れてロマンティックに論を進めていたわけだろうし)。



土星の徴しの下に -
土星の徴しの下に -



「宇宙 / 自然 / 人体」ということだと今回読んでたこの辺もつながってくる。


胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691)) -
胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691)) -


全体的に講演用のよもやま話てかんじの曖昧な本だったけど、終章の「生物、いのちには大きく2つの波がある」という話はおもしろかった。

鮭とかヤツメウナギもそうだけど、生物はおおきくその生を2つの季節に分ける。個体維持のための季節と種の維持のための季節。鮭は受精-産卵を迎えると飲まず食わずで産卵場まで還って来てそこで精を発っして命を使い切る。かまきりの雄も性行為が終わるとメスに食べられるし、鮟鱇の雄は体ごと雌の身体に取り込まれ融合する。ヤツメウナギは性の時期をむかるまでの食の時期は植物のように岩に縦にくっついて波に揺られつつプランクトンなんかを食べてるだけなのだけど、性の時期を迎えると水底を這いずって受精の場に赴く。泳ぐ機能はないのでがんばって水底をはいずり、てきとーな岩ごとに口の吸盤でくっついて休憩しながら。


食の時期のヤツメウナギは「植物の体に動物の皮をかぶせただけのもの」といえる。

「植物は、太陽を心臓にして、天空と大地を結ぶ循環路の、ちょうど毛細管に相当する」とかいう。

植物の体は動物の体から腸管を引っこ抜いて皮をひっくり返したようなものだとか。


ただ個体を維持するというだけだったらこういうので良いのかもしれない。



それがなぜ「動く」「腸(消化系)以外の身体を持つ」「手足を持つ」に至ったのか。その辺りについて考えだすと隠喩/物語が必要になるのかなとおもう。



三木さんの着想に共通、あるいは元となったゲーテの形態学的発想もそういったところに接続し、それらは中世の想像空間といえるのではないか。そして、そういった物語を解くためには先験的なひとつの解釈 / 視角だけではなく多様な意味、多角的な視点を対象となる共同体の生活の場からできるだけ客観的・中立的にもってくる必要がある。その物語、意味を分析者自身が理解して。



森のバロック (講談社学術文庫) -
森のバロック (講談社学術文庫) -


燕の季節ということで燕石考の章を読み直したくなってなんとなく読み直しつつ、「三木さん - ゲーテ的な発想の曼荼羅を外挿すれば熊楠がやりたかったことに通じるのかなあ」とかおもった。あるいは中沢さんがやりたかったこと。


熊楠は特に生物学とか人類学とかがわかれていなかった当時、自身の興味・関心を表す方法として生物学や人類学、民俗学に興味を持ち接触していったのだけれど、当時の人類学は「未開」に対する先験的解釈が横行していて、そういった人類学の現状に対して、民俗学、あるいは構造人類学的な中立かつ多角的な意味 - 隠喩の詳説を目的として著されたのが「燕石考」ということだったらしい。それは熊楠のやりたかったことの端緒的なもので、それが全て-完成ではなかったようだけど。



  納屋の中、垂木の上の、雛鳥がひしめいている燕の巣まで
  何回もよじ登っては、熱心に探したものだった。燕たちが
  雛の盲を治すため、海辺から運んでくる不思議な石を。
  燕の巣でこの石を見つけた者は、果報者とされているのだ。




ロングフェローのこの詩では、燕が雛の盲を治療する目的で海辺から不思議な石を運んでくること、その石を見つけた人間は果報者になれること、という二つのことが述べられている。質問者はこの二つのことが、どのようないきさつから語り伝えられるようになったか、その起源を訪ねたわけであるが、それについて熊楠自身が自分なりの回答を試みた、というのがこの小論の成り立ちなのである。

熊楠はまず、燕石についての伝承を世界中から拾い出してくる。ロングフェローの詩の内容と最も似ているものはブルターニュ地方の伝承であり、そこでは、燕は失明を回復する力のある石を浜辺で見つける知識を持つと信じられている。

これほど典型的ではないが、燕を連想させるような物質に、医療的効用ないしは吉兆を認める伝承はあちこちにある、と熊楠は続ける。そのうち燕石とよばれるものについて、癲癇に大きな薬効をもったり、頑固な頭痛を鎮めたり、四日熱を治したり、肝臓病を治したりする効用があるとしている例を紹介している。

日本の竹取物語の中でも、燕を連想させる逸話として「燕の持たる子安の貝」をめぐる話がある。この話の中で、子安貝は幸運をもたらすものとして描かれている。この物語の起源が「陀羅尼経」などの仏典にあることは疑いえないことのようであるが、子安貝と言うものは、その特殊な形態(女陰を連想させる)からして、大昔から様々な民族によって、珍重されてきた。たとえば、ギリシャ人はアフロディテへの捧げものとし、トルコ人やアラブ人たちは邪視に対するお守りとし、日本人や中国人は安産のお守りとし、ヨーロッパ人は子宮潰瘍の治療薬に用いた、といった具合である。

燕石と呼ばれるものをよく見ると、二枚貝の蔕のような形をしている。これは石のように非常に硬く、かつ、燕の巣のなかから出てくるので、燕石と呼ばれるようになった。これを瞼の下に挟んでおくと、目に入った小さなゴミを取り除く効用があることから、燕石には広く眼病を治す効果があると信ぜられ、ただ単に目の中に入れるのみばかりか、それを粉末にして服用するような習慣も生まれた。だが、それによる効用が実際にあるのかどうかについては疑問が多い。

燕石を逆さまにした石燕というものがある。これはある種の腕足類の化石が燕の形に似ているところから、そう名付けられたものらしい。中国人などは、この化石は燕が変身したものだと信じているが、それは形の共通性からアナロジーが働いたのだろう。ただ単に似ているというだけではなく、一方が別の方に変身したに違いないと信じるようになったのである。そういう考え方を俗信といってさげすんではならない。たしかに誤謬に基づく推理には違いないが、そこには人間の認識にかかわる深い事情が働いているのだ。日本人もかつては、かいつぶりという水鳥が変身して鳥貝になると信じていたし、またスコットランド人は藤壺が雁に変身すると信じていたのだ。

この石燕を酸性溶液につけると伸びたり縮んだりして、あたかも運動しているようにみえる。石燕には雌雄ふたつのタイプがあるが、これらを同時に酸性溶液につけると、互いにまとわりついて、あたかも性的結合をしているように見える。実際には酸性溶液に触れることで炭酸ガスが発生し、その圧力で石燕が動くのであるが、それが古代の人々の目には、生き物の動きのように映った。その動きがセックスの動きを思わせると言うので、この石燕には豊かな繁殖のイメージが結びついたのである。

燕石は、石のように固い物質をめぐる連想の例だが、この連想が植物と結びつくこともある。そういう場合には、燕草のような伝承が生まれる。

西洋の伝説では、燕草は燕が子燕の視力を回復させるのに用いたという。中国では草の王とよばれる植物に、視力を回復し、様々な眼病を治す効力を認めているが、この草と燕との結びつきはないことから、燕草の伝承は西洋で独自に発展したのだろうと熊楠は推測している。

燕石と言い燕草と言い、燕に薬効や吉兆が結びつくのはどういうわけからだろうか。そこのところが気になるのは自然なことだ。熊楠はそれを、古代の人々がとらえた燕の習性と結びつけた。燕は渡り鳥の一種で、春に北の地方から飛来して、秋には戻っていくのであるが、古代の人は、燕は冬眠するのだと考え、春冬眠から覚めた燕は秋になると眠りにつくのだと誤解していた。そのように考えた人々にとっては、燕の登場は眠りからの覚醒であり、したがって生命の息吹の現れであり非常にめでたい出来事として映った。そのめでたさの感情が、燕を生命の豊かさのシンボルと考えさせ、燕をめぐる上述のような伝承を生み出したのではないか。そう熊楠は考えたのである。
燕石考:南方熊楠の世界 http://bit.ly/1AePA5a




燕がその家に果報をもたらすということ、同時に冬のあいだ水の底にもぐって魚や貝になってる燕が凶兆を持ってくることもあること。

このあたりは蟲師の鳥貝の話や鳥風の話を想わせた。



蟲師 (6) (アフタヌーンKC) -
蟲師 (6) (アフタヌーンKC) -
蟲師(9) (アフタヌーンKC) -
蟲師(9) (アフタヌーンKC) -


そして、そういった凶兆や(妊娠時に赤子をあんぜんに、目のなかに入った汚れを安全に)「とりはずす」という燕の意味を緩和させるために鷲石(≠太陽)が用意されていたのかもしれない。





















picture_pc_46be370f13dec56b65cf350d2b184529.jpg

(Bertha Lum、Land of the Bluebird)






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山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/229813934.html

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2015年05月02日

「栄養が行き届いていれば花は必要ないのです」 → 性 / 生 / 死 とそれらを共同体的に包摂すること


















ドングリと文明 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/780214


この辺をうんたらしたのは読んでるものと響いたからで、その辺りについて軽くnoteしとこうかとおもったんだけどけっこう長くなりそうなのでこっちにすることにした。…んだけど環境のせいで書くまでにやたら時間かかってげんなりしてきた。。







うわ、、1時間ぐらいかかってるな。。ひどい。。

とりあえずFirefox起動したのでそちらでblogの編集はしつつ、いつもどおり本文のテキストデータはメモ帳に書いてる。Seesaaの編集画面からだとレスポンス悪いしあぶなっかしくてやってられないので。noteはわりとレスポンス良いのでそのままあっちに書いてるけど。そんなに長文にしないし。


さておき

響いたのはドングリと文明のtogetterにまとめたところからか










「人類はほかの生物の死をまとって暮らしている」ということについて。自分の幻想もあるかもだけどたぶん現代人より古代、中世の人たちのほうがそういう感覚には近かったのではないかとおもう。自分で殺すし、殺したものを纏ったり栄養として摂ったりするので。また死との距離も現代人ほど隔絶したものでもなく死がふだんに生活の近くにあってそれを通じた生活のサイクルがあったような。王の二つの身体なんかで表されてるのだろうけど、昔は神性をもった王の死骸はそれによって土地に豊穣をもたらすとされた。ちょうどもののけ姫とかギガントマキアで表されていたように。


現代の都市生活者は基本的に死やなにかを殺すというところから遠い。場所によっては霊柩車が目の前を通るのや墓が近くにあることも厭われる。料理する人は魚をさばくぐらいはするけど、それは生物の命を奪るということとはまた違うような気がする。昔の人が小動物はすべて「虫」とあらわしたのと同じように。虫は「命を奪う」ってかんじでもなかっただろうし、それは「四つ足」と鳥や魚なんかとの関係とも同じだった(日本ではうさぎは鳥あつかいだったので食べられた)。



体験の範囲、実感の及ぶところ : 蜜蜂を弄ぶ
http://liyehuku.exblog.jp/24002926/


河P直美、2014、「2つ目の窓」
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/417488578.html



ゲーテの形態学のつながりから三木成夫さんを読んでる。

生命とリズム (河出文庫) -
生命とリズム (河出文庫) -
生命とリズム 三木生命学 (河出文庫) -
生命とリズム 三木生命学 (河出文庫) -

まだはじめのほうだし、いまのところ講演集ぽいのでぼんやりした内容だけど、<解剖学とか医学とかやってると生と死がそんなに判然と分けられるものではないような気がしてきます>、というのがいまのところの全体的内容になってる。「生と死は近代になって分けられていった」みたいなの。このへんは別件で見たデーケンさんの放送大学でもいってたけど





いわゆる死生学というやつ。


こういうのは言語化すると「生と死は別れてない」「あの世があってつながってる」みたいなことになって「ハナハダ非科学的ダ」みたいな話になっていくんだろうけど、そういう言語化とか理性としてのうんたら以前に、なんとなくの感覚としてそんなに死と生って判然と分けられるのかな?みたいなのはある。ちょうど現代の日本の都市生活者がスーパーのパック肉や魚の切り身と実際に生きてる牛や魚を実感として繋げられないのと同じように。飯島愛のひとは「こんにゃくってああいう形で海に浮かんでるものだと想ってた」っていってたし「紙婚式」にもそういう話あった。生き物がさばけない嫁の話。


紙婚式 (角川文庫) -
紙婚式 (角川文庫) -
紙婚式 角川文庫 -
紙婚式 角川文庫 -
紙婚式 (Feelコミックス) -
紙婚式 (Feelコミックス) -



医学的にはアポトーシスがどうとかな話になってくのかなとおもう。そこで癌なんかも絡むのだろうし、地球にとっての癌としての人間とか、あるいはウイルスとしての人間とかも絡んで来るのかなとおもうけど。


隠喩としての病い エイズとその隠喩 (始まりの本) -
隠喩としての病い エイズとその隠喩 (始まりの本) -
ストーリー -
ストーリー -


「生きるために死が、あるいは細胞の劣化と新陳代謝がプログラムされている」というところに形態学的な興味もからんでくるのだろうか。すなわち「変わりつつも変わらないもの」「変わらないけど変わるもの」。


三木さん的には

人間の原形は、動物のそれ、さらには植物のそれと比較することによってのみ明らかにされるものと思われる。言い換えれば、これらの三者に共通した生過程の原形を求め、その原形の人間における変容(Metamorphose)を求めれば良い。これがゲーテ形態学の根底をなす方法論である。

とかだけど

形態学的な興味?といえるのか似たようなものは自分にもあって以前に手の形とか人の身体の形のことを想ったりした。


position 1  「立つこと」「動くこと」「生きること」「性」「動くこと」「思考すること」 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/147666



人の身体というのは基幹の部分と枝葉の部分にわかれていて、身体技法的なことを専門でやっていくと「基幹を中心として身体をひとつのものとして認識して使うようにしろ」みたいなことが共通して言われるようにおもう。ボイストレーニングでは「喉や口だけで歌うのではない。体全体をひとつの土管のようなものと思って全身で声を出せ」とかいうし武術だとよく「腕だけじゃなく肚でいけ」みたいなことをいう。ジョギングでもそうだし、水泳だと特にそんな感じ。長距離を走ったり泳いだりしてると腕や足が邪魔になってきて、なるべく無駄なく/抵抗をうけないように最小限で基幹の動きに合わせるようになる。水泳の時はなるべく魚のように、走ってる時は…とくによい譬えが思い浮かばないけど、自分的には帆のようなイメージだった。帆とオール。基幹が帆で足がオール。基本姿勢を保ってれば推進しやすすく帆のほうがメインとなるのだからなるべく帆の邪魔をしないように、足≠オールは「付いてくる」/「勝手に動く」感じで。

で、そういうことをしてると、腕とか足とかはそもそも邪魔なものだなあ、とか思ったりする。まあでも現在の文明というのは手の仕事によって作られていったのだし、その恩恵は受けてるのだけど(こうしてタッチタイプなんかしてるし)。んでもより高度な文明?があれば手とか足とかいらないのではないか?とかおもったりする。そして、そこでは生きることも死ぬことも、性も生も超越されてる。




性欲以前の性欲的なもの、と、人の「知的」好奇心 - リビドーについて - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/780707

意味―性―愛: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414101268.html


愛はさだめ、さだめは死?: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414133706.html




吉野弘さんの詩集を読んでると「栄養状態が十分だと茶は花を咲かさないのですよ」という話があった。茶というのは、あるいは植物は栄養状態が危機的になると花を咲かすらしい。

新選吉野弘詩集 (1982年) (新選現代詩文庫〈121〉) -
新選吉野弘詩集 (1982年) (新選現代詩文庫〈121〉) -

   茶の花おぼえがき

 井戸端園の若旦那が、或る日、私に話してくれました。「施肥が充分で栄養状態のいい茶の木には、花がほとんど咲きません。」

 花は言うまでもなく植物の繁殖器官、次の世代へ生命を受け継がせるための種子を作る器官です。その花を、植物が準備しなくなるのは、終わりのない生命を幻覚できるほどの、エネルギーの充足状態をが内部に生じるからでしょうか。

 死を超えることのできない生命が、超えようとするいとなみ―それが繁殖ですが、そのいとなみを忘れさせるほどの生の充溢を、肥料が植物の内部に注ぎこむことは驚きです。幸か不幸かは、別にして。

 施肥を打ち切って放置すると、茶の木は再び花を咲かせるそうです。多分、永遠を夢見させてはくれないほどの、天与の栄養状態に戻るのでしょう。

 茶はもともと種子でふえる植物ですが、現在、茶園で栽培されている茶の木のほとんどは挿し木もしくは取り木という方法でふやされています。

 井戸端園の若旦那から、こんな話を聞くことなったのは、私が茶所・狭山に引っ越した翌年の春、彼岸ごろ、たまたま、取り木という苗木づくりの作業を、家の近くで見たのがきっかけです。

 取り木は、挿し木と、ほぼ同じ原理の繁殖法ですが、挿し木が、枝を親木から切り離して土に挿しこむところを、取り木の場合は、皮一枚つなげた状態で枝を折り、折り口を土に挿しこむのです。親木とは皮一枚でつながっていて、栄養を補給される通路が残されているわけでです。

 茶の木は、根もとからたくさんの枝に分かれて成長しますから、かもぼこ型に仕上げられた茶の木の畝を縦に切ったと仮定すれば、その断面図は、枝がまるで扇でもひろげたようにひろがり、縁が、密生した葉で覆われています。取り木はその枝の主要なものを、横に引き出し、中ほどをポキリと折って、折り口を土に挿し込み、地面に這った部分は、根もとへ引き戻されないよう、逆U字型の割竹で上から押さえ、固定します。土の中の枝の基部に根が生えた頃、親木とつながっている部分は切断され、一本の独立した苗木になる訳ですが、取り木作業をぼんやり見ている限りでは、尺余の高さで枝先の揃っている広い茶畑が、みるみる、地面に這いつくばってゆくという光景です。

 もともと、種子でふえる茶の木を、このような方法でふやすようになった理由は、種子には変種が生じることが多く、また、交配によって作った新種は、種子による繁殖を繰り返している過程で、元の品種のいずれか一方の性質に戻る傾向があるからです。

 これでは茶の品質を一定に保つ上に不都合がある。そこで試みられたのが、取り木、挿し木という繁殖法でした。この方法でふやされた苗木は、遺伝的に、親木の特性をそのまま受け継ぐことが判り、昭和初期以後、急速に普及し現在に至っているそうです。

 話を本筋に戻しますと―充分な肥料を施された茶の木が花を咲かせなくなるということは、茶園を経営する上で、何等の不都合もないどころか、かえって好都合なのです。新品種を作り出す場合のほか、種子は不要なのです。

 また、花は、植物の栄養を大量に消費するものだそうで、花を咲かせるにまかせておくと、それだけ、葉にまわる栄養が減るわけです。ここでも、花は、咲かないに越したことはないのです。

「随分、人間本位な木に作り変えられているわけです」若旦那は笑いながらそう言い、「茶畑では、茶の木がみんな栄養生長という状態に置かれている」と付け加えてくれました。

 外からの間断ない栄養攻め、その苦渋が、内部でいつのまにか安息とうたた寝に変わっているような、けだるい生長―そんな状態を私は、栄養成長という言葉に感じました。

 で、私は聞きました。

「花を咲かせて種子をつくる、そういう、普通の生長は、何と言うのですか?」

「成熟生長と言っています」

 成熟が死ぬことであったとは!

栄養成長と成熟生長という二つの言葉の不意打ちにあった私は、二つの成長を瞬時に体験してしまった一株の茶の木でもありました。それを私は、こんな風に思い出すことができます。

 ―過度な栄養が残りなく私の体の外に抜け落ち、重苦しい脂肪のマントを脱いだように私は身軽になり、快い空腹をおぼえる。脱ぎ捨てたものと入れ替わりに、長く忘れていた鋭い死の予感が、土の中の私の足先から、膕(ひかがみ)から、皮膚のくまぐまから、清水のようにしみこみ、刻々、満ちてくる。満ちるより早く、それは私の胸へ咽喉へ駆けのぼり、私の睫に、眉に、頭髪に、振り上げた手の指先に、、白い無数の花となってはじける。まるで、私自身の終わりを眺める快活な明るい末期の瞳のように―

 その後、かなりの日を置いて、同じ若旦那から聞いたこういう話がありました。

 ―長い間、肥料を吸収し続けた茶の木が老化して、もはや吸収力を失ってしまったとき、一斉に花を咲き揃えます。

 花とは何かを、これ以上鮮烈に語ることができるでしょうか。

 追而、

 茶畑の茶の木は、肥料を与えられない茶の木、たとえば生け垣代わりのものや、境界代わりのものにくらべて花が少ないことは確かです。しかし、花はやはり咲きます。木の下枝の先に着くため、あまり目立たないというだけです。その花を見て私は思うのです。どんな潤沢な栄養に満たされても、茶の木が死から完全に解放されることなどあり得ない、彼らもまた、死と生の間で揺れ動いて花を咲かせている。生命から死を追い出すなんて、できる筈はないと。



註 井戸端園の若旦那から、あとで聞いたところによると、成熟生長は「生殖生長」とも謂う。

 栄養生長、生殖生長については、、田口亮平氏の著書「植物生理学大要」の中に詳しい説明がある。それによると、この二つの生長は、植物が一生の間に経過する二つの段階であって、種子発芽後、茎、葉、根が生長することを「栄養成長」と謂う。(茎、葉、根が、植物の栄養器官と呼ばれるところからこの名がある)

 栄養生長が進み、植物がある大きさに達すると、それまで葉を形成していた箇所(生長点)に、花芽、もしくは幼穂が形成されるようになり、それが次第に発達し、蕾、花、果実、種子等の生殖器官を形成する。この過程が「生殖生長」である。

 井戸端園の若旦那から当初聞かされた言葉が、かりに「成熟生長」でなくて、「生殖生長」であったら、この「茶の花おぼえがき」は、おそらくは書けなかったろう。成熟は生殖を抱合できるように思えるが、生殖は成熟という概念を包みきれないように思う。また、彼から「栄養生長」という言葉を聞いたときその内容を確かめもせず一人合点したことを「植物生理学大要」を読んで知ったが、理解の不十分だったことが、かえって鮮烈に「成熟」という言葉に出会う結果となったようだ。

 なお、栄養生長、生殖生長の二語は、植物のどの部分を収穫の対象にするかを考えるときに便利な概念である。茎、葉、根を収穫の対象にする場合は、栄養生長を助長すればいいし、花、果実、種子収穫対象とする場合は、生殖生長を助長すればいい。茶の場合は、言うまでもなく前者で、若主人が「茶畑の茶の木はみな栄養生長の状態にある」と言ってくれたのは、葉の収穫を最重点に管理している畑の状態を指していたわけである。

 種子繁殖に対し、葉、茎、根の一部を分離してふやす方法を栄養繁殖と言う。これは前述した通り葉、茎、根が植物の栄養体もしくは栄養器官と呼ばれるところから、その名がある。栄養繁殖は、球根植物やその他の植物の間では自然に行われていることで、サツマイモ、ユリ、タマネギ、クワイなどは、自然に栄養繁殖を行っている例である。茶の木の場合の取り木は、、いわば人為的栄養繁殖である。だがこの作品の中では「栄養生長」との混乱を避けるため、用いなかった。

 因みに、狭山「市の花」はツツジであって、茶の花ではない。「市の木」として「茶の木」が指定されている。茶の花は茶所を代表していないわけだ。

久しぶりの雨と吉野弘「茶の花おぼえがき」 - 現代田んぼ生活 辻井農園
http://d.hatena.ne.jp/tsujii_hiroaki/20090912


盆栽なんかだとそんなこといって「来年も花を咲かせようと思うなら葉っぱはきちんと剪定しとかなきゃダメだ」とかいうのだけど、うちの梅の鉢植えはそのままダラーッと育ててて新緑してる。めんどうくさいというのもあるけどなんだか忍びなくもあるので。葉っぱが成って行くのを見るのも好きだし。

花というのは生殖のために必要なものだから人間にとっての第二次性徴とかセックスとかにあたるのだろうけど、そうすると人間がセックスするのは、あるいはそのために第二次性徴とか、ファッションなんかで擬似的/儀礼的に性徴を装うのは生物として完全ではないからなのかな?とおもったりする。危機とまではいかないだろうけど。単純には死が設定されてるので性によって生をつなごうとしてるということになる。そういえば宮本輝の小説でそういうのあった。かつては栄華を極めた男が死の淵に追い詰められたギリギリでむしょうに自慰がしたくなって自慰にふける、みたいなの。「生物は死の淵に追い詰められると自らの種を遺そうとする」とかなんとか(シグルイでもあったな)。んでもセックスなんかも現代人からすると生物/生殖合理的なものではなく快楽の合理性を軸としたコンサマトリーなものになってるわけだけど。

人が、あるいは人の生が完全なものになってしまえば性もセックスもいらなくなるのかなあ、とか思う。究極的には脳みそだけでうんたらということだし、その前段階だと身体を義体に入れ替えてうんたらだろうけど。でも、そうするとアポトーシスが設定されてるのと同じような問題として「ゴーストがささやくのよ」ってことになるのだろう(なので草薙素子はわざわざローテクな女性型身体をまとい、擬似的なセックスをし、中国茶器で茶を喫したりする)。まあけっきょく冗長性の問題なのかなあとか思ったりするけど。






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「墓が捨てられる」時代: 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/10/post-b2c6.html



墓≠死といった不可解も共同体によってなんとなく意味づけられ回収される側面がある/あったのかもしれない。そしてそれらが変化してしまってきている。ネットも含めて。


川崎市中1男子生徒殺害事件について: 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2015/04/post-cfe6.html


彼ノ花|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n461594ceb71d


川村壮志、2014,「謝るなら、いつでもおいで」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/416879101.html



鈴木謙介、2013、「ウェブ社会のゆくえ」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381455793.html


無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考 -
無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考 -




「死」も含めて、あるいは誕生や乳幼児への態度も含めて、以前の公共性 - 市民社会的な「ふつー」の感覚であれば特に問題でもなかったもの、常識として儀礼的・大人的に片付けられていたものが通じなくなってきてる現状がある。そういうのにセックスも含まれる。セックスとそれをめぐる表象や実存は刺激的な商品として商品として回収されてるので。こういうのは吉田健一やそのあたりのふつーな大人だったら「馬鹿らしいのでそんなにわざわざ言わないことだ」みたいなこといいそう。

痴漢とか強姦とか、その他を含めてのステロタイプな男性性欲にうれぴっぷるなんかが違和感とか嫌悪をもつのはそのへんかなとおもうんだけど、あのへんもセックスとかにみょーに期待したり幻想や欲望が過剰に集中してるのがみょーな感じであって、たぶんそれは消費的、産業的に表象や実存、欲望が回収され影響された結果としての軽度なフェティシズム(ビール依存なアルコール依存ぐらいな意味でのそれ)だろうから、ほかに楽しみが見つかればそっちにそれるのかなあとか思ったりする。

逆にいうとそういうところに過剰にフェチしてしまう人たち、痴漢とか強姦/准強姦のような犯罪のように通常の人間的付き合いを越えて性欲がオーバードライブしてしまうひとたちは性欲があらわれると全身性器みたいになってほかの愉しみ/自我の規制がゼロになるほどに性欲≠ちんこまんこに支配された貧困というか、そういうのはもう軽く依存ということだろうから特にバカにするわけでもなくかわいそうなんだけど(そういうのも消費産業の影響の結果だろうし)。そして、たぶん世の中の大部分はそういう人たちの割合のほうが「ふつー」に多くて彼や彼女たちの自己認識的にもそれが「ふつー」ということになってる。ちょうどビール依存の日本人が軽度アルコール依存になってるにもかかわらず「アル中じゃないよ」とかいうように。


なので、ネットも含めた公共圏 / 市民社会的共同体をどのように設定し、生きること / 死ぬこと / あるいは性があること、それらに対してふだんの生活の中で、人としての当然のあり方 / 接し方をどのように設定していくかが地味に考えられるのだろうなあとか思う(そのへんに関心がある人たちとしては)。

まあでも性欲とかはとくにハビトゥスというかエートスというか、理性とかその場での教育ではすぐに方向修正できない染み込んだものだろうから、その辺を納得していくのには教条的な教育というか、彼らが志向する性欲 / 性行動 / 性快楽よりもまさるものを得られる環境を整える/整えられるようにサジェストする、もしくは彼や彼女たちがセックスに依存することで思ったよりの快や満足を得られない(却ってさびしくなる場面もある)ということを体験的に実感していくしかないのではないかとおもうけど。

花と同じで栄養が足りてれば無理に咲くこともないのだろうし、逆にいうと栄養が足りてなければ花を咲かさざるを得ないのだろうから。





花を届ける|m_um_u|note https://note.mu/m_um_u/n/n03476ff2dc8e

fleur|m_um_u|note https://note.mu/m_um_u/n/nf07dcfb9d660



Rebecca Horn    性と生の超越: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/133818125.html


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2015年04月29日

ゲーテ「色彩論」メモ



colors.jpg



色彩論 (ちくま学芸文庫) -
色彩論 (ちくま学芸文庫) -





noteに軽くメモってたんだけどあとで検索して参照するのにせるくまするならこっちにエントリしといたほうが楽だろうと思ったので移植。


ふせんのとこ読み返してみて、やはり当初の読み通り「カントやニュートンによって規定・定義されたことから漏れる観測的なものを色彩と光学に関しての経験則から表そうとした」ということだったようにおもった。ディレクトリとしては形態学的関心のひとつだろうけど、それがどのように色彩とつながってるのか?ということについてのはっきりとした言及はなかったので推測に留めるに、「変化」「うつろい」のひとつのわかりやすい事例として「色彩」があったのかな?ということ。染めや陶芸などではとくに色は変化していくのがよくわかるし。そのほかにも錯覚現象とか触れてたけど。


この本は錯覚的なものをゲーテが記述したところが事実確定的なポイントになってるのだろうけど、そこがこの本の醍醐味ではなくて、やはり以前にもいったようにこの本自体は研究ノート的なものにすぎなくてそのことはゲーテも言ってる(「これは経験則だ」みたいなの)。そういった部分、ニュートンやカントみたいに命題→仮説→確定みたいな論文形式ではなく、それ以外の印象なところをメモって言ったところがポイントだったかな、と。なのでそういった定説がある分野で定説をひっくり返すべく新説をあらたにつくっていこうとしてるひととかには参考になったり共感したりするところがあるかなとか。あるいは染めや器の職人。


色相環的な色の流れ、変化というのは器の場合は特になんとなく意識しつつもどういう現象なのか?ということについて職人独力では言語化→思考が追いつかないとこがあるようにおもう。化学的には説明されてるかもだけど、その哲学的意味みたいなの。そこを思考したものとして、ぢみに味わいがあるものだったのではないか?自分が器とか焼いてたら、あるいは薬用になった時にもういちど紐解いてみたいような…。酸化焼成とか還元焼成とかと当てはめて(ゲーテは酸化によって赤などの明るい色に向かう現象をして「高進」となづけていた)。


「全体としては形態学的なサブディレクトリな関心ではないか?」をもうすこしすすめると、形態学的な関心、変化についての関心というのは同時に「変化しつつも変わらないもの」が前提にあったのではないか。
「変わらないものがありつつも変わっていく」「しかし変化の中で同一のものを残している」

ゲーテの形態学的な興味がそういったものに根ざすとすると、ギリシア哲学におけるタレースにおける水への関心、ヘラクレイトスにおける火への関心にちかいのかなとか。


まあとりあえず形態学の方はそのうち読み進めるとして、この流れで「ゲーテとの対話」、三木成夫あたりを読み進めよう。(ついでにゲーテの植物学、鉱物学的なものも) → 「森のバロック」、「石が書く」(カイヨワ)












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花の色はうつりにけりないたづらに|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n0707fbbdfa0e



花惑い|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n666ecd226fa2




flowers for|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nc68f917a5f5b




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2015年04月18日

「茶箱広重」と「無限の住人」のこと


茶箱広重 (小学館文庫) -
茶箱広重 (小学館文庫) -
らんぷの下 (小学館文庫) -
らんぷの下 (小学館文庫) -
鼻紙写楽 (ビッグコミックススペシャル) -
鼻紙写楽 (ビッグコミックススペシャル) -



朝に茶箱広重を読了しておおぅ…てなりつつなんか言いたい欲が高まってたのでこの際関連をまとめ的にエントリする形で。

















茶箱広重についてなんか書こうとchromeのタブに関連サイトハヤニエしてたらTLで「小林清親展すばらしかった」てあったので関連しらべてたら「応為の例の絵も展示する(映画記念で」てことでトレーラー見たら思ったより良かった。杉浦日向子漫画も心の落ち着きどころというか癒やしというかになってるので。ぢみに。


百日紅 (上) (ちくま文庫) -
百日紅 (上) (ちくま文庫) -
百日紅 (下) (ちくま文庫) -
百日紅 (下) (ちくま文庫) -
合葬 (ちくま文庫) -
合葬 (ちくま文庫) -
二つ枕 (ちくま文庫) -
二つ枕 (ちくま文庫) -


「小林清親展は百日紅映画版見てから行こう」とか思いつつ。自分はどうも小林清親よりは川瀬巴水派なんだけど、ちょっと調べたら時代も違って川瀬巴水のほうがより昭和絵というか、東京の昔的な風情なあれで、清親は三代広重と同じ開国期の叙情/陰影て感じだったのだな。それでも川瀬巴水のほうがなんか良いと感じるのは清親も開国な機運な影響を受けたところがあったからだろうけど、三代広重とかに比べたらかなり叙情的におもう。なのでこれも会期中に見に行こう。


さて、茶箱広重だけど

ネタバレ的なところもあるけどウィキペディアみたらわかるので先に言ってしまうと「印象派に影響を与えた日本の浮世絵」な画家ということらしい。茶箱というのは横浜から輸出する茶の木箱のことで、茶箱絵というのはそれに貼られた宣伝用の絵。つまりラベル程度のものだった。

「これだけの見事な多色刷木版画がそまつな箱に貼られている!!」

はるかな国から海を渡ってきた茶箱を見て、西欧人は驚嘆した。そして、はがして収集する熱心な人々がいた。
これが西欧の浮世絵収集熱の発端であり、印象派の若い画家たちに多くの示唆を与えたはじまりであることはあまりにも有名な話である。


初代歌川広重の門人。姓は鈴木または森田、名は鎮平。立斎、立祥、喜斎と号す。初代歌川広重と同じく定火消同心の息子であった。弘化のころ初代広重に入門し、初め重宣と称した。美人画や花鳥画、武者絵を描き、やがて風景画も描くようになり、徐々に初代の作域に近付いてゆく。安政5年(1858年)に初代が没すると、翌安政6年(1859年)広重の養女お辰の婿になり、二代目歌川広重を襲名した。この時、お辰は16か17歳であった。二代目広重は師の画風を忠実に継承した風景画などを描いた。慶応元年(1865年)、お辰22歳の時に20歳という年齢差が災いしてか夫婦喧嘩により、お辰と離別することになる。以後は森田姓を称し、横浜に移り住んで喜斎立祥と号し、外国輸出用の茶箱のラベル絵を描いたので、人々から「茶箱広重」と呼ばれ、特に外国人からは重宝がられた。


一ノ関圭が茶箱広重を連載していた当時、研究としても二代広重については詳しく知られてなくて、「これだけの情報をマンガで…」というのが驚かれたらしい(あとがきの高橋克彦語りから)。高橋さんは当時発表しようとしていた小説で二代広重について茶箱絵師に至った人生の謎から迫ろうとしていたようだけど、一ノ関圭としてはそういった事実関連に焦点するのではなく茶箱広重と呼ばれた二代広重(立祥)が晩年に茶箱絵師に至るまでの人間ドラマを描いている。「らんぷの下」「すがの幸福」「裸のお百」などで見られた女の情感がここでも表され、特に歳をとってからの女のそれの空気感とか間合いのようなものの描写がうまい。そして画家の絵に賭ける情熱と苦悩、そこから脱した/諦めた時に至る境地のようなもの。「裸のお百」は日本画壇が西欧画に染まり始めた頃の黒田清輝たち白馬会-東京美術学校(つまり現在の東京芸大の前身)の様子が伺えて勉強になるし、そこになんとも言いがたい、滋味のある人間ドラマが添えられている。一ノ関圭独特の筆致で。



一ノ関 圭(いちのせき けい、1950年 - )は、日本の漫画家。秋田県大館市出身。女性。東京藝術大学油絵科卒。在学中に投稿した「らんぷの下」が第14回ビッグコミック賞を受賞(夢屋日の市名義)。

江戸・明治を舞台に、歴史の波に埋もれた人物の懸命な生き様を描く骨太な作風が特徴である。

また非常に絵の上手い漫画家としても知られ、吾妻ひでおは『DEATH NOTE』での小畑健の絵について「幻の漫画家・一ノ関圭のような自在さはない」[1]との感想を述べ、竹熊健太郎は「美術をテーマにした漫画で納得行く漫画内絵画を描けていたのは、俺の知る範囲では一ノ関圭が筆頭」[2]と語るなど、その画力の高さは現在でも伝説となっている。


絵柄的には小池一夫の劇画的で小池一夫塾出身かと思ってたけど確認してみると違うみたい。どういう経緯であの画風を身につけていったのかはネットからだとわからないのだけど、独自ということでももともとが東京芸大だからということで基礎的な力が違うのだろうか(まあ東京芸大だからっていうのも安易な言い方だけど)。


白土三平も想わせるこういう絵柄-人物画は自分的にはあまり得意じゃない(なんか、あの時代の歌謡曲ぽい)のだけど、独特の色気や説得力を持っているし、なにより小物ほかの絵のうまさが精確で見ていて気持ち良い。物語の内容も並行してあとから染みてくる絵だなとかおもふ。煮物や干物のように。




茶箱広重-一ノ関圭についてはそのぐらいであとはあれこれ言うよりは読んでもらったほうがよいようにおもう。あまり内容言うのも野暮だしせっかくだから絵の情感を味わってほしいなあとか思うんだけど、あまり女流が認められてない時代の女流の華ということで言うと葛飾応為の天才と通じるものを思う。てか、まあ自分的には沙村広明関連な脱線していきたい。

無限の住人は去年に終わって

無限の住人(30) <完> (アフタヌーンKC) -
無限の住人(30) <完> (アフタヌーンKC) -
無限の住人 コミック 全30巻完結セット (アフタヌーンKC) -
無限の住人 コミック 全30巻完結セット (アフタヌーンKC) -

そのときにもちょっといろいろ言いたかったんだけどタイミングとか「言い出すと長くなるからどういう切り口で言おうか、、」みたいなのがあって機を逸していたのだけれど


少年ジャンプ+ 岸本斉史×沙村広明対談
http://bit.ly/1DSqJmS



NARUTOも好きなのでいろいろおもしろい対談だった。ちょっとおもしろ対談なので引用多くなって不格好だけどまあウェブで紙幅無限だし、「引用大杉→コピペアフィリのため」というわけでもない+文章として読む側に絶対見といてほしいもの+リンク先に飛ばずに一枚で見れたほうが楽というのもあるので。


まずは絵柄とその影響、描くときのポイントとして意識してるところについて。

岸本 『無限の住人』が初めてアフタヌーンに載ったときのことはハッキリ覚えてます。当時僕は大学の美術学科1年生で、寮にいたんですけど、寮生がみんな騒いでるんですよ。「今回すげえのが載ってるぞ!」って。で、「岸本、お前はとりあえず見ろ。確かマンガ家志望だよな」って言われて。しかも、当時僕、侍マンガを描いてたんです。それで、その載ってるのが侍マンガだっていうんで参考に見てみるかと思って読んだら……「あ、これはもう次元が違います……」って感じで(笑)。

沙村 いやいやいやいや(笑)。

岸本 本当ですって! もうメッチャクチャ絵がうまいんですもん。ビックリしましたよ。それで「もう侍マンガじゃダメだ。敵わない」ってなってジャンルを変えることにしたんです。


岸本 でも、僕もやっぱり大学時代衝撃を受けましたから。『AKIRA』以来の衝撃ですよ。まず絵ですよ。圧倒的な力の差を感じました。特に手と足がすごい。いまだに覚えてますが、当時、アフタヌーンに作家のページとして1ページもらえるコーナーがあって、そこに沙村先生が椅子に座ってるキャラクターを描いてたんですが、それがもうすごくて。

沙村 ああ、覚えてます覚えてます。あれ、めちゃくちゃ時間かかった(笑)。

岸本 僕、沙村先生と4歳差なんですけど、このレベルに追いつくには、どれだけペンを握らなきゃいけないんだろうって思いましたから。

沙村 でも、俺、『NARUTO』を最初、途中から読んだんですけど、すごく基礎デッサン力の高い人だなと思いましたよ。

岸本 えー! そんな……うわぁ……(悶絶)

沙村 本当に本当に。それで、この人、デビュー当時はどうだったんだろうと思って、1巻とかにさかのぼって読んでみて。もちろん今とは線は違うんですが、デビュー当時から生半可な新人と比べものにならないくらいうまかった。

岸本 でも、沙村先生の影響、すごいでしょう? 僕は中学時代に『AKIRA』にハマって、大学時代に沙村さんにハマったんです。だから、影響をすごく受けていて。前に『こち亀』の秋本治先生にお会いしたときに、「君は『無限の住人』の影響をかなり受けてるね」って言われて。「カカシが(『無限の住人』のキャラクター)凶(まがつ)で、イルカが(『無限の住人』の主人公)万次でしょう? 僕もあのマンガ大好きだからわかるよ」って、衣装とか髪型とかから推測されてたんです。

沙村 そうなんですか。

岸本 もう図星ですよ。手の描き方も、僕は沙村先生の影響受けてるんです。『無限の住人』の読み切りが載ったときに、銃を持っている手に感動して。人差し指から親指にかけてのライン、あの部分の肉をすごくうまく描いてて、そこにもう震えちゃって。

沙村 でも、僕も手はほかの人の影響ですよ。マンガを読んでいて最初に「この人の描く手はなんてうまいんだ!」って思ったのが、安彦良和先生。『アリオン』なんかを見て「なんてキレイなんだ!」って。

岸本 やっぱり手を見ますよね。

沙村 自分の絵を見ても、手が気になりますよね。でも、岸本さんの手って、すごいうまいじゃないですか。

岸本 いや、完全に沙村さんの影響ですよ。『カラクリ』って読み切りでデビューしたとき、それを見て「岸本さんの手の描き方を見てすごいと思いました」って言ったアシスタントがいるんですけど、その子に「いや、これ実は沙村さんって人の手なんだよ」って言ったら「あ……知ってます……本当は気づいてました」って言われたくらい(笑)。もうバレてました。
沙村 でもね、俺はたとえば手を描くとき、手の甲の部分にカーッと線を入れて腱を描いていくんですよ。良くも悪くもそういうクセなんですけど、岸本さんってアウトラインしか描かないのに、ちゃんと手の甲の面を表現できている。あれがすごい。

岸本 でも、沙村先生の手の線を省略していっただけなんですよ。

沙村 いや、「どこを省略するか」ってうまいか下手かの分かれる部分じゃないですか。シンプルな線でそれをやるっていうのはすごいんですよ。

岸本 だけど、沙村先生の絵ってすごくオリジナリティがあるじゃないですか。絵って、だいたい誰かの影響を受けているものなんですけど、沙村先生はすごくオリジナルの絵だった。

沙村 俺が学生のときに描いたマンガなんかは本っ当に大友克洋にバリバリ影響受けてますよ。ちゃんと人間と同じ形にトーンを貼って影をつくるっていう“大友影”だったり(笑)。そういうのがあって「ちょっとこれはまずい」って思って、いかにこれを脱却するかっていうのを考えてたんです。それでちょっとラフにざざっと描くようになった。

岸本 あれが衝撃だったんですよ。



岸本 僕、『無限の住人』で構図とか構成も勉強したんです。僕はアフタヌーンを2冊ずつ買ってたんです。
沙村 え、なんでですか。
岸本 アフタヌーンを買ったら、まず『無限の住人』を壁一面に貼るんです。ただ、壁に貼ると片面しか見えなくなるじゃないですか。だから、ページの裏表両方見えるように2冊買って貼ってたんです。それで「ここでこういうコマにしてこうするんだ」とか「これくらいのページ数でこれを出すんだ」とか、構成のバランスをたたき込んだ。だから、いまだにネーム描くときとかも、あの大きさでバーッと見られるようにしないとできない。

沙村 そんな、俺のマンガなんか見なくても、ジャンプを見てればいくらでも教科書があるじゃないですか……(笑)。

岸本 いや、どんだけ僕がハマったか、この思いを伝えなきゃと思って(笑)。緩急のつけ方もかっこいいんですよ。引きでキャラ位置をちゃんと見せて、カメラカットがパパパッと速いところはアップで見せていくじゃないですか。大きいコマの下にババババッとそういうアップの小さいコマがあるっていう緩急のつけ方は、いまだに影響を受けてます。



画面構成、構図について。

沙村 自分の中で、まずマンガの絵で一番最初にしなきゃいけないことは“説明”だっていうのがあるんです。場面なりシーンの説明ができているというのが第一で、次にそのなかでかっこいい絵を模索していくという感じですね。最近思ったんですけど、映画の速いカット割のアクションシーンとか見てると、映画のカット割とマンガのカット割ってやっぱり違うというか……マンガの方がもうちょっと引きの絵を多く見せないといけないんですよね。映画って結局常にアップで、あまり全景を映してなくても後ろにカラーの背景が入ってるから、だいたい状況がわかるんです。それがマンガだと……

岸本 白黒だから。

沙村 そう。全部説明しないといけない。

岸本 難しいですよね。アクションシーンはちょっと間違えるとすぐ何をしているのかわからなくなっちゃう。

沙村 岸本さんの場合は、もう週刊少年誌の宿命みたいなところもあると思うんです。すごいじゃないですか、スケジュールが。前にジャンプ作家の1週間みたいな記事を見たんですけど、「このスケジュールの中で絵のことに心を割いている時間とか余裕とかよくあるな」って思いますよ(笑)。それくらい時間がないし、生産量を上げないといけない。そうすると、たとえばトーンを満足いく形で貼れなかったりするでしょう?

岸本 はい。コミックスの直し作業ならともかく、連載中はまずできません。

沙村 岸本さんの戦闘って線が多くて濃いんですよね。ただ、それがゆえに目で追わないといけない情報量が多くなって、ともすればノイズに見えてしまう場合もある。これ、たとえばキャラだけ残して、背景に1枚トーンを貼るとかそういうことができる時間があれば、もっとわかりやすくなると思うんです。でも、それをやる時間がないでしょう?

岸本 そうなんです。沙村さんって手前のキャラってトーン貼るじゃないですか。カメラのこっち側にあるキャラはトーンを貼って奥行きを出す。『NARUTO』でも序盤あたりまではそれをやってたんです。それがね、時間がなくて、なかなかできなくなっていった。

沙村 岸本さんは僕のマンガを読みやすいって言ってくれますけど、僕のマンガと何が違うって、もう単純にトーンを貼ってあるか貼ってないかだけなんです(笑)。

岸本 あと、カメラの引き具合ですよね。アップ過ぎるとキャラクターの位置関係なんかがわからない。『NARUTO』の場合、戦ってるのがもはや普通の人間じゃなかったりするんで。怪獣みたいなサイズになってる。だから、どこら辺までカメラを引けばいいのかわからなくなるんですよね。引きすぎるとキャラクターが見えなくなるし。アップ過ぎると敵が何だかわかんなくなっちゃうし。沙村先生はカメラも感心しちゃうんです。『無限の住人』の大江戸地下編なんかは難しかっただろうなと思うんです。地下ってどうしても全部パースがついて回りますし。そこで戦闘するなんて、頭がグチャグチャになりますよ。カメラを置く位置も限定されますし。

沙村 あんまり引く絵は描けないですしね。

岸本 それなのにちゃんと読者に状況がわかるようにバトルしてて。僕も『NARUTO』で自来也ってキャラクターが出てきたときに、通路でバトルっていうのを描いたことがあるんです。でも、もう「これはヤバいな」って。当時の担当さんに「これはカメラが難しすぎる」って話をしたくらいだった。でもそしたら、沙村先生が大江戸地下編でもっとたくさんのキャラで通路でのバトルっていうのをやってたから……。

沙村 だから、あの場面は結構いろいろウソついてますよ(笑)。

岸本 いや、そんなことないですよ。

沙村 岸本さんは、パースを取るときにちゃんと消失点を3つを打ったりしてます?

岸本 三点透視とかはある程度……そこまではきちんと取らないですが。紙をつなげて(遠くの消失点を打てるようにする)っていうのはアシスタントがやってくれるのでやりますけど、遠くになってくるとどうしても無理なんで。大友さんみたいに紐で(消失点の設定を)やるとかあそこまでは……

沙村 岸本さんの絵を見てると、パースを取ってるというよりは「この人、フリーである程度まで描けるな」って感じがするんです。ある種すげえなって。

岸本 でも、パースは僕も適当ですもん。なかなかアシスタントさんのズレた部分を徹底的に修正することもできないですし……。

沙村 いや、パースというよりね、空間表現がうまい人の背景の処理って、実は消失点を取ってみると意外とズレてたりするんです。でも、それがいい方にズレてるんで、実際に消失点でパースをきちんと取る人よりも良く見える。だから、『NARUTO』を見てると「すっげえウソのうまい人、いいウソをつく人だ」って思う。

岸本 でも、沙村先生は割ときっちりパース取ってるじゃないですか。あれだとやっぱり時間かかります?

沙村 あ、ええ。あの、ジャンプって専用の原稿用紙ありますか?

担当編集 あります……けど、使っている人はほとんどいません。鳥山明先生くらいだと思います。

沙村 ああ、アフタヌーンもそうです。専用原稿用紙があるんですが、使ってるの藤島康介先生くらいです。

岸本 そうなんですか(笑)

沙村 いや、それでね、アフタヌーンの原稿用紙、これは市販のやつも全部そうですけど、枠外に目盛りが振ってあるじゃないですか。あの目盛りで下を1センチ、上を1.4センチで取っていくと、すごくゆるやかなパースになるんです。で、その目盛りを見ながらいちいちパースをとっていくんですね。もうこれやってるだけですごい時間かかるので、絶対に週刊少年誌ではやってられないですよ(笑)。

岸本 大変ですよね(笑)。



漫画家・松田未来氏「消失点とパースばかりこだわっていてはいい絵は描けません」 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/86266

アニメ監督・川崎逸朗氏の画面外に消失点ある場合のパース線の導きガイド - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/507244

【イマジナリーライン】を超えたマンガは最悪なのか - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/641095


自分的に岸本の集団戦闘シーンはなにやってんだかわかりにくいなと思っていたんだけど「こういう事情があったのかあ」「いろいろ考えてやってて大変なんだろなあ。。」とか。


描画的なところだと「ふむふむ( ^ω^)・・・」て聞いてるぐらいしかないので基本的に引用botみたいになってしまうんだけど、ストーリーやテーマの話が最後に来てるのでそこでちょっとうんたらしてみよう。



岸本 『無限の住人』と『NARUTO』ってテーマ的に裏表の部分があると思うんです。『NARUTO』は「代々想いをつなげていく」っていうのをひとつのテーマにしているんですが、『無限の住人』だと「思いを次に伝えたらダメ」なんですよね。憎しみや恨みを伝えたらダメで、その世代で終わらせないと子どもや孫が苦労するというのを描いている。でも、同時に「そこには呪いだけじゃなくて、想いというのもあるでしょ」っていうのを描いているでしょう? もう「なんてすごいマンガを描くんだ!」って思いましたよ。

沙村 最後の方はもう何とかまとめたという感じですよ(笑)。前にこういう話があるから、必然的に最後の方はこういうものを描かなきゃいけない、という感じで途中から決まってきたというか。

岸本 いや、すごいキレイでしたよ。難しいじゃないですか、恨み辛みって。「やられたらやり返す」みたいなことって確かにあるんだけど、じゃあ、どこからそれを正当性があるといえるのか、とか。僕も復讐や恨みっていうのをテーマに描いたシリーズがあって、ずっと悩んでやっていたので、沙村さんも難しいだろうなって思ってたんです。けど、すごくキレイにまとめていて。あのラストってだいぶ前から決めていたんですか?

沙村 大きな流れは最終章に入るときに決めました。ただ、「凜が天津を……」というのだけは最初から決めていましたね。

岸本 凜ってどうしてもふらふらしちゃうじゃないですか。自分の仇である天津と一緒に旅しちゃったりもしたから。でも、「あんたを殺すのは私よ」っていうのはずっとあって……。

沙村 凜のふらふらさ加減は、そのまま作者のふらふらさだったりするんですけどね(笑)。

岸本 でもそこは逆にリアリティがあったと思うんです。自分が凜でも実際迷うだろうなって。

沙村 そういう意味では『NARUTO』のキャラ、特にナルトはブレないんですよね。いい少年マンガだと思います。

岸本 ナルトは基本的にブレさせないようにしましたね。ブレたら読者の少年たちがよくわからなくなっちゃうだろうというのもあって。だけど、ナルトも一度壁にぶつかるんです。長門とペインというのが出てきて、「やってやられて」っていうのはダメなんじゃないかって、答えがわかんなくなる。主人公がずっと悩まないというのも何か違うんじゃないか、ウソっぽくなるんじゃないかと思ったんです。



「無限の住人」は、最初は時代劇を編集側から割り当てられたのもあってノリでやってた(それもあってパンクとかと合わせて侍パンク、ネオ時代劇的なものを描いていた)というのはあったのだろうけど、「親を殺され道場を潰された凛の復讐」が基本ストーリーとして定着してから、それに沿って長期間描いているうちに「復讐とはどういうことか?」「復讐の帰結をどう描くか?」ということが熟成いっていったのだろう。沙村自身も語っていたけど「無限の住人」という作品が深みを増していったのは峠越えでの奉行と凛の問答辺りからだったようにおもう。キャラや設定としては乙橘槇絵なんかも既に出てきていたのだけれど、それはまだ人生的な深みを背負ったリアリティというほどでもなくあくまで「設定」て感じだった。なので軽かったり。

自分が「あのあたりで無限が変わった」「好きな場面」として想うのは同じく8巻の密花と天津が初めて出会う場面(「ひそかなる」)。

無限の住人(8) (アフタヌーンKC) -
無限の住人(8) (アフタヌーンKC) -

あのあたりでの武家言葉でのやりとりや場面全体から漂う涼感は時代劇マンガとしての心地良い洗練を感じさせた。それは凛の関所越え問答が終わった後のカタルシスというか、ひとつの境地みたいなものも関係してたのかもしれない。その後、日本画的情感も湛えた表現が名物の散華絵に替わるようになり作品全体の質感も変わっていった。

おそらくこのあたり、心形唐流とのやりとりのところでも作品としてもひとつのクライマックスをかかえていて、なんだったらこのまま終わっても良いポイントのひとつだったのだろう。構図としては最終巻の最終決戦とほぼ同じようなものなので凛の復讐もこのドサクサに紛れて達せられた。

それが「もうちょっと続くんじゃよ」しつつドラゴンボールでいえば神龍の謎そのものを追いかけるように万次の無限の体(血仙蟲の謎)という伏線テーマも回収されていった。

心形唐流とのやりとりを通じて逸刀流も復讐を追うようになり、単なる敵側という設定から深みを増していく。「元はといえば流儀の継承を巡って天津―逸刀流側が抱えていた恨みとその復讐という流れだったではないか」というのもあるだろうけどそれはあくまで「設定」であって、ここに至るまではそのことについて逸刀流側の登場人物が深く省みられる機会はなかった。入れたとしても不自然になるから。


そして逸刀流による幕府への復讐を通じて逸刀流も凛―万次も、あるいは幕府側の吐鉤群も、誰も彼もが完全な「敵」「味方」として判別されるもの、勧善懲悪的な「正義/味方」的な構図から離れ、「他人の罪を一方的に責められる人間などただのひとりもいない善悪の彼岸」において救われないバカどもの最後の血戦が幕を切る。



「復讐なんて馬鹿のすることさ。復讐は復讐を呼ぶ」

「誰かが、自分の目の前の生以外の物語を背負うことはないのさ。たとえば親子のそれを」


復讐についての作品としての答えは既に出ていたのでどこで終わっても良かったのだけれど、血と剣で語り合わなければ納得が得られないのは商業マンガとして仕方がないというのもあるのだろうけど、その辺りの説得力を凛のけじめのセリフがつける形となる。


でも、それはやはり「マンガ的な物語としてのいちおうの結末として必要な仕儀として」という体裁で、最終話が凛の復讐が達せられた時からしばらくの時を経た開国後の日本、江戸から東京に変わった日本に移ったのは一ノ関圭的な情感へのオマージュであり、無限の住人という話がほんとはこういうものだったのかなあと想わせるものだった。わかりやすい剣戟や事件もない、あるいはそれらがないからこそ真実味を帯びる日常のドラマが散りばめられたそういったリアルな時代劇。それは永遠に変わらない情感をたたえ、広重―清親―巴水のように継がれていく。





沙村 でも、それもいいと思うんです。若い読者の方は刺激的だったりインモラルだったり倒錯的だったりするものに憧れるところがあるじゃないですか。で、俺に将来的に子どもができて性格が丸くなって、牙を抜かれたようなマンガを描くようになったら、たぶん若い読者からは「ああ、沙村は結婚してすっかりダメになっちまったな」みたいなことを言われるんだけど、今度はお子さんを持っている読者が共感するものがあると思うんです。

岸本 そう。たぶん変わったら変わったで新しいファンがつく。変わっていくのも楽しいんですよね。

沙村 結婚して子どもをつくるという人間の当たり前の営みの中で変わっていくのも、人としてのリアルだと思うんですね。だから、岸本さんが結婚されて子どもを持って、後半『NARUTO』のなかに父親の視点が入っていったっていうのは非常にリアルで面白いと思います。

岸本 ただ、自分自身は変わってないなと思う部分もあるんですよね。ちゃんと大人になってるのかなって不安になるところが。

沙村 どこから大人になるかって少年マンガの永遠のテーマでもありますよね。俺は「少年」っていうのがなかなか描けなくて。少年を主役にっていうのがたぶん一番自分がやりづらいんです。少年って最初は弱くて、自分より強い男に守られている存在じゃないですか。でも、いずれは守られている状態を脱さないといけないわけで。マンガの王道としてはそういうテーマがあるんですけど、それをどこでどう切り替えればいいのかっていうのが難しくて……。

岸本 「童」をどこで「男」にするかって難しいですよね。

沙村 でも、ナルトもね、最終話でナルト自身がまったく違う人間になってしまったかというとナルトはナルトのままじゃないですか。自分が40代になって今思うのは、大人っていつでもどこでも大人らしいわけじゃないってことなんです。けど、その年齢になるまでに自分が培ったこととか発見したことを、ひとつかふたつ、子どもに言えれば大人としてそれでいいんじゃないかって思うんですね。だから、ナルトにしても、普段から常に大人っぽくなる必要はたぶんなくて、何か「自分がかつてこうだった」とか、「旅をしてこう思った」っていうものを、ひとつでも伝えられれば、もうそれで大人としての役割を果たせているんじゃないかって。

岸本 確かに。俺も何も変わってないかもしれないけど、息子によく言いますもん、『NARUTO』で描いてきたようなことを。それで、子どもからは大人に見えたりしてるのかもなぁ。










竹易てあし漫画全集 おひっこし (アフタヌーンKC) -
竹易てあし漫画全集 おひっこし (アフタヌーンKC) -




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「春風のスネグラチカ」|m_um_u|note https://note.mu/m_um_u/n/n766d1842c8b3


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2015年04月06日

川村壮志、2014,「謝るなら、いつでもおいで」




謝るなら、いつでもおいで -
謝るなら、いつでもおいで -




カワサキでの中1男子殺人事件に対するメディアやTwitterをはじめとしたネットでの扱い、あるいはISISに囚われた日本人捕虜の殺害に関するメディアの扱い方、自分たちの受け止め方について少し考えてみたくなり関連の本としたうちの一冊。

この本に期待/興味をもったのは事件報道の偏向、事件として型にはめる際にこぼれていくこととその取材→編集の実際をあらためて現場レベル(裏側)から見たい、というのもあったのだけれど、タイトルにもあるように被害者親族の赦し、そして赦しを通じた喪失という心的外傷からの回復がどのような心理過程を経て成されたのか読んでみたいと思ったから。


 ひとつの事件が終わると、僕たちはまた次の痛ましい事件へと心を奪われてしまう。活きの良い「ネタ」に目移りする割には、そのまなざしは判で押したようで、あらかじめ手垢にまみれている。
 成熟した大人も、未熟な子どもも、むごい事件という視点のみで切り出して、同じような出来合いの「被害者」像に押し込める。加害者像へのアプローチの仕方だって同じだ。ためらいもせずに「加害者」というグロテスクな鋳型にはめこみ、ジャンクな情報に紛れ込ませてしまう。
 そして、時が経てば、僕たちはそんなことすら、跡形もなく忘れてしまう。

 でも、残された側には、このまま事件をお仕舞いにできないわだかまりが残る。
 御手洗さんはその後、佐世保支局にたまに顔を出すことはあったが、復職することなく春になると福岡に転勤した。加害少女の父親は無言を貫いたまま。中学生だった怜美ちゃんのお兄ちゃんとも、結局まともな会話もできず、さよならさえ言わずに別れてしまった。






結論から言うとそれは赦しというわけでもなく、回復というのともすこし違った。被害者の父親である御手洗さんの言葉にもあったように「謝られたからといって簡単に許せるものでもない。むしろもっと別の感情が出てきてしまうかもしれない」というようなものだった。「謝って済む問題でもないし、ただそこにあるのは『怜美を返してくれ』という気持ちだけ。でもそれは取り返しがつかない。。やり直せないことなんてないとはいうけれどこの世には本当に取り返せないことがあるのだと知った」「だからといって加害者に、あるいは加害者親族にずっと謝り続けてくれというのとも違う。。その謝罪のナルシシズムのなかで罪を風化させるのではなく、それを抱えつつふつうに生きてほしい」。前者は御手洗さんのお父さんの言葉で、後者はお兄ちゃんの言葉。言葉にすれば簡単なものに感じられるけれど、この言葉が出てくるまでの、この心情に至るまでの経緯や時間は一過性のニュースとして消費されるそれからすると深く重く、こういった事件が関係者全員の人生を巻き込んでいくものなのだなと認識できた。


「謝るなら、いつでもおいで」はこういった経緯からのお兄ちゃんの言葉になる。



「少年事件は楽に数字を取れる」が招いたこと:日経ビジネスオンライン
http://nkbp.jp/19XILrT


池上:まずタイトルがいいなと思って、手にとりました。『謝るなら、いつでもおいで』。最初は被害者のお父さんの言葉だろうと思いました。事件当時、お父さんがテレビに出ていたけれど、取り乱している感じがあまりなくて、きちんと事件を受け止めていらっしゃる印象があったからです。「あのお父さんだったらこう言うかもしれない」と思って手に取ったんですが、読んでみたら「ああ、こっちか」という驚きがありました。

川名:最初にタネ明かししてしまうんですが、この言葉を発したのは、被害者の怜美(さとみ)ちゃんの3歳上のお兄ちゃんです。本の題字もお兄ちゃんに書いてもらいました。



池上:ある意味、川名さんも当事者ですよね。こういう本を出していいのか、という思いはありませんでしたか?

川名:事件後、僕は新聞記者として、被害者の遺族にも、加害者の家族にも、学校の先生にも何度も取材して、新聞記事はたくさん書いていました。だけど一方で、取材すればするほど、新聞記事の断片的な情報ではどうしても抜け落ちてしまうものがあることも痛感していました。

 ある程度まとまった形で伝えられたらとずっと思っていたけれど、池上さんが指摘するように、僕はあの事件を語るのに、マスコミという立場には徹しきれないんです。マスコミという立場を少し離れて語ろうと思ったときに、じゃあ僕が勝手に書いていいのだろうかという迷いはありました。迷いながら、取材は続けていたんです。

 お兄ちゃんに対しては、彼が20歳になったら取材をしようと決めていました。彼は怜美ちゃんと本当に仲が良かった。初めて取材した時にお兄ちゃんが語った言葉が「謝るなら、いつでもおいで」なんです。加害少女に向けたその言葉を聞いたとき、迷いが消えました。

川名:池上さんはよく「報道しないことは存在しないことだ」とおっしゃっていますが、報じなければ、この言葉は存在しなかったことになってしまう。残酷な事件ノンフィクションではなく、娘や妹を失った家族の物語として伝えなければいけないと強く思いました。

池上:この本には、14歳から20歳までの6年間のお兄ちゃんの苦悩や葛藤、心の軌跡も書かれています。本になって初めて、私にも読者にも伝わったわけですね。

川名:お兄ちゃんにインタビューをしながら録音をしていたんですが、後で文字に起こしたものを彼に渡しました。昨年、お兄ちゃんが事件後10年経って初めてマスコミの前に出たことがニュースになっていましたが、彼は「そのインタビューが救いになった」と話していたんです。自分の思いをマグマのようにずっと溜めていたけれど、僕の取材を受けたことで初めて吐き出せた。1歩前に踏み出すきっかけになった、と。



池上:「取材するとは一体どういうことだろうか」と、私もいまでも悩むことがあります。事件が起こると現場に殺到して、被害者の家族に「今のお気持ちは?」と聞いたり、人の心に土足で踏むこむバカな記者がいます。一方で、川名さんのように、相手の話をただじっくり聴くというのも取材なんですよね。取材することが、結果的に相手のつらさを減らすことにつながることもある。それはいい取材だと思うし、記者としてうれしいですよね。

 少年犯罪が起こると、メディアはすぐに「心の闇」とか書くでしょう?「心の闇」ってキャッチーなフレーズだから何か説明されたみたいな気になるけれど、よく考えたら何のことか分からない。何も言ってないんですよね。






事件当時は加害少女が11歳で少年法的にかなり守られた立場にいたため詳細な情報が記者たちにも回ってこなかった。そのため「加害少女はインターネットが得意で」といった断片情報から『専門家』にコメントが依頼され編集し都合よく飾られていった。

 すこし乱暴な言い方かもしれないが、一部のメディアにとって、犯罪報道は、たとえそれが憶測混じりの情報だとしても、「とった者勝ち」「書いた者勝ち」だ。真偽も中身も二の次なのである。
 それはたとえば、些細なエピソードを寄せ集めて、雑に固めただけの、まがまがしい異形の物語、あるいは、被害者の無念の断片をつぎはぎにして紡ぎだす、みじめな復讐譚。どっちにしても、谷底に突き落とされた両者に対する高みの見物。そんなものは雰囲気だけで空っぽの社会正義だ。

 加害者の肩を持つ気持ちはさらさらないのだけれど、僕としても、そうしたアプローチの仕方に釈然としない気持ちもあった。


「加害少女はクラブ活動のバスケットボールに熱中していたが、それを禁じられたフラストレーションが」→「親の過度の抑圧が」などもその一環としてあった。

じっさいは教育熱心な親による抑圧ではなく、学校までの通学に1時間に1本のバスに乗る必要があるような人里離れた山奥に住み、バスケットボールの帰りには暗い夜道を帰らなければならないことを親が心配したからだった。


「加害者の親は子供に目が行き届いていなかった」「子供に愛情をそそいでいなかった」ということについては上記の様な感じで、印象としては世間並みの、あるいはそれ以上の心配を子供にかけていた親だったように感じられた。「子供が理解できていなかった」という点では被害者親族のそれと同等なぐらいの。そして被害者親族も世間並み、あるいはそれ以上に子どもとコミュニケーションができていたように感じられた。もちろんこの年頃の女の子のプライバシーな部分にはなかなか踏み込み難かったけれど。


「なぜこのようなことが起きたか?」「なにに原因があったか?」ということについては本書を読んだ限りではけっきょくはっきりとしたことはわからなくて、印象としては「だれでも少なからず持っているもの、例えば友人との関係におけるフラストレーションと悪い感情、環境による孤独、そのはけ口や幻想の結びつきなどが偶然に重なり、ガス抜きの方法のないまま膨らんでいってしまった」ということ。

「たすけて、怜美ちゃんが死んじゃう」

という言葉は現実遊離的なもの、他人然とした異常さを想わせるのだけれど、背景としてはこのコも抗えない流れのようなものに流されて気づいたらそういうことになっていたのかもしれない。


「どこにでもある子どものけんか、常軌を逸したレベルではないんだよ。それにもかかわらず、あの子は自分の報復に屈しない相手への憎悪を膨らませて、精神的に自分を追い込んでいっちゃったんだ――」



実際のところはわからないしこの本を自分が読んだことからの印象にすぎないのだけれど。そして、過度に加害者弁護になるのは避けたいという気持ちもある。




大人たちはそういったボタンの掛け違え的なものも感じていて「だからこそ自分があのときもうちょっとなんとかできなかったか、、」「あのときの笑顔のうらにそういうことがあったのか(だったらあのときもっと言葉をかけ、そのときの心情を導き出せなかったのだろうか?)」と悔やむ。


でも、それもタラレバ論の取り返しの付かないことであることをわかりつつも




「さっちゃん。今どこにいるんだ。母さんには、もう会えたかい。どこで遊んでいるんだい。

 さっちゃん。さとみ。思い出さなきゃ、泣かなきゃ、とすると、喉仏が飛び出しそうになる。お腹のなかで熱いボールがゴロゴロ回る。気がついたら歯を噛みしめている。言葉がうまくしゃべれなくなる。何も考えられなくなる。


 もう嫌だ。母さんが死んだ後も、父さんはおかしくなったけれど。それ以上おかしくなるのか。

 あの日。さっちゃんを学校に送り出した時の言葉が最後だったね。洗濯物を洗濯機から取り出していた父さんの横を、風のように走っていった、さっちゃん。顔は見てないけど、確か、左手に給食当番が着る服を入れた白い袋を持っていたのは覚えている。

「体操服は要らないのか」「イラナーイ」
「忘れ物ないなー」「ナーイ」

 うちの、いつもの、朝のやりとりだったね。

 5人で、いろんな所に遊びに行ったね。東京ディズニーランドでのことは今でも忘れない。シンデレラ城に入ってすぐ、泣き出したから父さんと二人で先に外に出たよな。父さんは最後まで行きたかったのに。なんてね。
 でも、本当にさっちゃんは、すぐに友達ができたよな。これはもう、父さんにはできなこと。母さん譲りの才能だった。だから、だから、父さんは勝手に安心していた。いや、安心したかった。転校後のさっちゃんを見て。
 母さんがいなくなった寂しさで何かの拍子に落ち込む父さんは、弱音を吐いてばかりだった。

「ポジティブじゃなきゃ駄目よ、父さん」「くよくよしたって仕方ないじゃない」。何度言われたことか。
 それと家事をしないことに爆発した。ひどい父さんだな。許してくれ。
 家の中にはさっちゃん愛用のマグカップ。ご飯とおつゆの茶碗、箸、他にもたくさん、ある。でも、さっちゃんはいない。
 ふと我に返ると時間が過ぎている。俺は今、一体何をしているんだ、としばらく考え込む。いつもなら今日の晩飯何にしようか、と考えているはずなのに、何もしていない。ニコニコしながら「今日の晩御飯なあに」と聞いてくるさっちゃんは、いない。
 なぜ「いない」のか。それが「分からない」。新聞やテレビのニュースに父さんや、さっちゃんの名前が出ている。それが、なぜ出ているのか、飲み込めない。
 頭が回らないっていうことは、こういうことなのか。さっちゃんがいないことを受け止められないってことは、こういうことなのか。これを書いている時は冷静なつもりだけど、書き終えたら元に戻るんだろうな、と思う。
 
 さっちゃん、ごめんな。もう家の事はしなくていいから。遊んでいいよ、遊んで。

 お菓子もアイスも、いっぱい食べていいから」





 あの子がどういう風に生きていくのかということを、僕は被害者側から求めるべきではないとも思っているんです。本人が考えて、本人が生き方を選ぶしかない。僕にとって不満になることもあるかもしれない。でもそれは、そういうものなんだと思う。
 僕としては、相手がこちら側の苦しみをわかっているってことを、見せてほしいというか。そういう言い回ししかできないんだよね。何をしたら僕が納得するかというのは、僕自身もわからない。彼女がどんな生き方をしようと、納得しないんじゃないかとすら思う。そんなに人間できてないし。

 つまりね、今のこの社会の触法少年の処遇のあり方でいえば、あの子は自分の過去から逃げようと思えば逃げられるんです。それは、被害を受けた側からすれば、悔しいけれど、受け入れるしかない。そうあってほしくないな、と思うだけ。それが今の社会の合意であるし、安易な厳罰化に走っても、何も解決されないと思っている。
 あの子にも、生きていれば楽しいことや嬉しい事があると思う。それを否定する気はないんです。背負ってほしいけど、でも人生そのものは全うしてほしいというか。あの子への思いを聞かれると、それはいつも僕にとって、自己矛盾なんです。
 だから、僕が最後、死ぬ間際に、あの子も怜美の死を悼んでくれたんだな、と思えればいい。そういうことなんですよ。たぶんその直前までずっと、そういうふうに思い続けると思うんですよ。





被害者のお父さんは事件当初から心が虚ろになり、止まってしまうとコワレてしまうことを避けるように事件の話題を避け、事件からはなるべく身を引いて普段の生活をおくるようにしていた。それは被害者のお兄ちやんも同じで当初から事件を受け止めらなかったのは同じだったのだけれど、母親がいない家庭でお兄ちゃんが母親代わり的な位置をこなしていたのもあって感情を素直に発散する/悲しみや怒りとして発散することができないような状態にあった。事件後は事件から目を背けるように部活や受験勉強に没頭していたけれど、それが終わった高校生活からそのショックが襲ってきた。お兄ちゃんはPTSD的に鬱になっていき、とうとう学校に通えなくなり、進学校を退学し、しばらくしてドロップアウトした子たちが通う学校に通うようになり、そこでもまだトラウマを引きずっていたこともあってギリギリの単位でなんとか卒業した。加害者のおとうさんとおかあさんは狭い街のなかで職を終われ、けっきょく離婚し、それでもお父さんは加害者の女の子が帰ってくる場所、更生施設から出てきた時に施設に通っていたことがわかりにくいようにするために住所を変えずに留まった。ずっと被害者や被害者の家族に申し訳ないと手紙を送りつつ(あの子が謝りたくなった時に手紙が途絶えていたら謝るきっかけをうしなってしまうかもしれないから)。


 怜美が死んでからの親父さんは、今まで見たことのないような親父さんで、やっぱり堪えました。
 それを見たら「自分がこの先どうなるか」より、「親父さんがどうかなっちゃうんじゃないか」の方が心配でした。「怜美の後を追うんじゃないか」って思いましたから。
 最初のホテルで会ったときも、完全に目の焦点が合ってなくて、僕を見ているのか見ていないのかわかりませんでした。生気が抜けている。マスコミの前では遺族の会見なんてやってたけど、自分たちといるときは、そんな感じでした。正常な状態じゃない。
 だから、逆に僕は極端に冷静になっていた。「さて、どうしようか」と思う自分がいました。親父さんとホテルで会ったときから、僕は感情を殺しちゃった。


 親父さんは、二人でいるときはダメでしたね。ほとんど上の空。声をかけるまで、僕の存在にも気づいてもらえない。あのころ親父さんは、僕に全然気づいていなかったと思います。
 今思えば、僕は当時、14歳ですよね。やっぱりかなり子どもでした。まだまだガキ。それなのに、不必要に大人になってしまった。親父さんを見て、「余計な負担をかけてはいけない」と思いこんでしまったところがありました。変に落ち着いていて、取り乱すことができなかった。



 怒りは少なからずあっても、相手の両親に対して、何を思えばいいのかわからないという感じでした。だって、やったのは女の子。女の子に対しては怒りがあるのはわかるんです。怜美を殺しちゃってるから。でも、親に対しては、どういうふうに怒りをぶつけていいのかわからない。
 それでも、何かイライラするんです。何に対して怒っているのか、ぶつけるべき怒りが何なのか、自分でもわかっていなかったです。怒るのは間違いなく怒っている。でも、それをぶつけるところがわからなかった。
 
 親父さんについての思いは……。親父さんには、怒るに怒れない。相手の親と一緒で、何に対して怒ればいいのかわからない。


 もし彼女が謝罪に来るのなら、「会うのが怖い」という感情は僕にはない。きちんと会うべきだと思う。僕も相手も、対等な関係で。もう小学生と違って、責任が生じてくる年齢ですから。自分のしたことをまったく理解できいない当時に謝られても、どう思えばいいのかわからないけれど、自分がやったことがわかっているはずの今、きちんと謝ってほしい。その方が、スッキリする。
 逆に「会わせられる状態にない」というのなら、それは「国が再教育に失敗したんだ」ってぐらいには僕は思っています。
 あの子を憎んでも仕方がない。なんというか、こっちが疲れるだけですから。親父さんも軽々しく復讐とかは言わないですよね。
 相手にウジウジと悩まれるのも嫌なんですよ。お互いにひきずりたくないというか。こちらも、今までのことを断ち切って前に進みたいという思いがある。諦めじゃなくて、結果として僕が前に進めるから、一回謝ってほしい。謝るならいつでもおいで、って。それだけ。
 結局、僕、あの子に同じ社会で生きていてほしいと思っていますから。僕がいるところできちんと生きろ、と。

 彼女には、普通に生きてほしい。
 波瀾万丈なものは僕自身がいらないというのもあるし、一回の謝罪があれば、あとは、それなりの人生を歩んでほしいです。こっちはこっちで普通に生きていくつもりだから。相手もまだまだ何十年も生きなきゃいけないし、ずーっと謝られても、こっちが困る。特に危ないことをせずに、普段の生活を大切にして生きてほしいということです。


 彼女とは、ある程度、かかわりが切れた状態のまま、平行線で進んだ方がいいと思う。逆に近づけば近づくほど摩擦が起きて、自分のなかにも葛藤が起きる。離れれば、それもまたおかしな話です。お互いがお互いのことを考えてはいるけれど、それだけを見続けることはできない。それでも、相手にちゃんと眼は向けられている、という関係がいいと思います。
 相手が近づいて、一度きちんと謝る。謝ってもらった後は、お互い自分の生活に戻る。
 「あなたはあなたの人生を好きに歩みなさい。僕も好きに歩む」ってこと。忘れてはいけないけれど、頭のどこかに入れておく。(手を30センチぐらい広げて)こういう距離。平行線のまま。その結果が普通に生きる。僕にとって、いま一番の理想かな。
 それはやっぱり、忘れることとは違う。手を合わせる時間はつくってほしいなとは思います。一年に一回、命日のときだけでもいいから。










--
熊倉伸宏、2000、「死の欲動  臨床人間学ノート」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/415586919.html



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2015年04月04日

「石田尚志 渦巻く光」展へ行ってきたよ




新たなエレクトロニクスやコンピュータ・グラフィックスの驚くべき展開によって、映像としてもタブローとしても、画家の手を煩わすことなしに、かなりの抽象的な絵画を作ることが可能となって来た。まだまだ不十分ではあるが、エレクトロニクスやコンピュータやロボットの進歩は、それらによって、いまに思った通りの完璧な絵画が作れることを予知して余りある。 

(略)

さて、以上のような場合の画家および絵画は、果たして何を指しているのだろうか。いろいろなことを考えることもできるが、なかでも画家は、描くべき対象なり理念を明確に捉え、そのコンセプトをなんらかのカンパスなりマテリアルに、確実に転写実現する者だということ。そして絵画とは、画家によって確認されたコンセプトが、ストレートに明確な図柄で示された表面である、といった意味合いがなにより大きく浮かび上がってくる。ここでは、表現する前からすでに絵画が出来上がっていて、他の要素の作用する余地のないことが分かる。別な言葉で言えば、表現すべきコンセプトが先に完成されていなければ、絵画は成立しないというわけだろう。美術に限らず、近代の表現のあり方に見られるのは、まさしく自我の前提の許に行われる一方的な理念の遂行であることは、再言するまでもない。

李禹煥 「余白の芸術」





ボードレールにとって万華鏡は、近代そのものと暗合するものだった。「意識を備えた万華鏡」になることが、「普遍的(=万人の)生活を愛する者」の目標だった。彼のテクストのなかでは、万華鏡は、単一的な主観性を解体し、そしてまた―形象=像(イコニシティ)をあらゆる地点で断片化し、安定状態を撹乱することで―新しい、変移していく不安定な配列状態へと、欲望を散乱させるための機械であった。
けれでも、1840年代の時点でのマルクス・エンゲルスの著作においては、万華鏡は全く異なる機能を担っていた。ボードレールをかくも誘惑した万華鏡の複数性は、彼らにとってはニセモノであり、文字通り、鏡を使った詐術の謂であった。万華鏡は、新しいものを生み出すのではなく、ただ単にひとつのイメージを反復するにすぎないのだ。

ジョナサン・クレーリー 「観察者の系譜」













横浜美術館でやっている石田尚志展にいったら思ったよりよかったのでnoteにでも軽く感想して終わろうかなあと思ってたんだけど、「noteとblogと曖昧だねえ(´・ω・`)」+「noteのは日記を主にしてるのでテーマで分けるのではなく編年体で、こっちはテーマを絞った紀伝体だから主に本の内容とかになるよねえ。映画とか展示とか」+「私的/公的てのもあるか。noteのはより私的で、こっちはテーマ絞ると関連して公的というか、、まあ鍵もつけずに表出してる時点で私的とかないんだけど。。」、てことでこっちにエントリを。あと、blogも少ないとなんだなあというのもあるし。

てか、書こうと思っていちおぐぐってたら思ったより資料が多くなったのでやはりこっちでよかったみたい。noteのはいちおそんなに長くなくさらっとしたのって感じでやってるし。



結論から先に言うと良かった。






フーガの技法はバッハトリビュート/インスパイアということでバッハの「フーガの技法」を映像として表したもの。「渦」は自分的には輪廻/生命を仏画的に表したものに思えた。

てか、「渦」は1991年の作品、1972年生まれの石だが19歳の時の作品なのだけど、この時点でこれが描けてしまうところになんかもう完成してたのだなあって改めて思った。


一部動画で見られるので概要として

時を忘れて没入できる石田尚志展「渦巻く光」 - di nobi
http://nobi.dino.vc/wf/news/16805072

自分の印象なので後でこの作品についてのインタビュー読んだらちょっと違ったんだけど、印象としては食う/食われるしつつ続いてく生命の螺旋の道が須弥山的な山を登っていくような。。この食う/食われるの関係は特に残酷がどうとかいうことでもなくただそこにそういうものとして在るて感じで表現されてる。この作品が飾られていた部屋の抽象が植物の営みのそれを想わせたように。

そういうものを19歳の段階で描けた、そういう感性、リアリティをその時点でもっていてそれが芯になっていったのだろうからあとは表現技法とか洗練が後からくっつけばよいだけで、なんか約束されていたのだなあとかおもった。


展示の内容は石田の作品を大きく「渦」「音楽」「身体」というコンセプトで分けている。「渦」は石田の絵画→アニメーション作品に共通するモティーフである渦、植物の生命のからみ合いのようなそれを。「音楽」はバッハのフーガの技法を元にした映像作品である「フーガの技法」を中心に。「身体」はアクションペインティング的に、石田の制作風景も一緒に映像として表されている。



「フーガの技法」については自分が解説するより映像として上がってるのを見てもらったほうが早い / 自分としてもあとで見返すときに眼福ということですこしぐぐってみたけどネットには映像はあがってないみたい。DVDならあるかとおもったけどそれもなかった。「部屋/形態」を所収したDVDはあるみたい


監督:石田尚志/1999年/カラー/7分/2000年レティナフェスティバル準大賞、第31回タンペレ国際短編映画祭正式招待、2002年トロント国際映画祭正式招待、1999年イメージフォーラムフェスティバル特選

●窓からのこもれ日で浮かび上る白い部屋。作家はこの部屋の壁/床を巨大なキャンバスとして縦横無尽に絵を描き、それを一枚ずつ撮影することによってこのアニメーションを完成した。
イメージエフ | DVD | シンキング アンド ドローイング
http://www.imagef.jp/commodity/d_0013.html



なので自分の解釈も入った感想からいうと、生命と時間を表してるんだなと思った。細胞室、ミトコンドリア、原子、光子レベルまでの生命の形成過程に時間と存在、宇宙がなだれこんできて、、そこでは時間、存在が可逆的に何度も繰り返され、その繰り返しの中から形を成し現象していく。バッハのフーガの技法の繰り返しに使われる4つの主題が生命の鍵となる4つの箱-部屋(室)となり、それらが時間・空間・次元を越えて重なりあうことで生命を形成していく。箱 - 部屋と次元が重なり、相転移していくさまは万華鏡を想わせた。そして、そういったものを映像で表せるんだなあ/よくもコンピュータも使わず表したなとかおもった(1万枚描いたそうなこの19分の映像作品に)





まあこのへんも「自分の解釈・印象」ということであとでインタビューみたらちょっと違ったようなんだけど。まあそれは後述するとして、とりあえず来歴から。




東京都出身。慶應義塾高等学校中退後、沖縄県に渡り画家の真喜志勉に師事する。イメージフォーラム付属映像研究所でアニメーションを学び、在学中の1995年に初のアニメーション作品『絵巻』を発表する。1999年、東大駒場寮の一室を1年間借りきって描き上げた『部屋/形態』で注目を集める。

2003年、カナダのイメージーズ・フェスティバルでベスト・インターナショナル・フィルム・アワードを受賞。2007年に第18回五島記念文化賞美術新人賞を受賞し、トロントに留学する。

2006年多摩美術大学講師に着任し、2010年より准教授。
石田尚志 - Wikipedia http://bit.ly/1yKDnyD




線を一コマずつ描いては撮影する「ドローイングアニメーション」という手法を用いています。描き進めるうちに、空間のなかに増殖する線や移動する点といった運動性を介入させ、空間の質をさまざまに変容させるインスタレーションを発表しています。

膨大な画像の編集作業を経多後に、再び映像としての「時間」を獲得した作品は、線画の音楽のよう。ダイレクトに「絵が動く」という、映像メディアが生まれながらにもつ視覚的魅惑が凝縮されています
映像作家・石田尚志の大規模な初個展が行われるよ | roomie(ルーミー)
http://bit.ly/1bVFvPt





特にこのインタビューが情報量多くてわかりやすかった。

金子遊のこの人に聞きたい vol.8
躍動するイメージ。石田尚志とアブストラクト・アニメーションの源流
石田尚志(美術家・映像作家)インタビュー: 映画芸術
http://bit.ly/1bVFF9t

――石田さんは既に14歳のときに「バベルの塔」(’86)という油彩画を描いています。慶応高校を中退して、10代のうちに青山同潤会アパートで個展(1990年)をやっていますね。

 最初に描いたのは、バベルの塔を空から見下ろしている絵で、2枚目に描いたものは、塔の内部へ入ったイメージのものでした。塔の内部に入り、渦を巻きながら昇って行くイメージです。内部へ入るとか、昇っていくという行為は、カメラでいえば「引き」で見られるものではありません。そうすると、何かを潜り抜けていくしかなくて、どんどん遠近法が解体されていく。「そのような経験というのは、映像なのだろう」とその頃から予感していたのでしょう。
 作家として出発する中で、もっとも重要な時期は沖縄での日々でした。僕は東京の出身ですが、10代後半に2年間住んでいて、最初は那覇で、画家・真喜志勉さんの「ペントハウス画塾」へ通いました。真喜志さんという人は復帰後の沖縄美術を代表される方で、アメリカと日本との間で激しく闘争しているような作風の方です。その真喜志勉さんの個展を手伝った時、詩人の矢口哲男さんを紹介してもらい、そして今度は矢口さんがその画廊で企画した詩人吉増剛造さんの写真展も手伝うことになった。そうやって出会えた方々との交流は今も続いていて、特に東京に戻ってからも吉増さんには色々な形で引き立てて頂きました。
 その頃は、ファクシミリ用の50メートルの感熱ロール紙を絵巻物に見立ててドローイングをしたり、国際通りのフェスティバルビルの屋上で個展をしたりしていた。だから「絵を描いてる若いのがふらふらしている」と、面白がってくれたのでしょう。次へ繋がる出会いがあったことが大きいですね。
 その後、東京へ戻ってきてライヴ・ペインティングをしていたのが、20歳から21歳くらいのことですね。


――東京へ戻られてから、絵画作品を作成しながら、新宿のアルタ前でライヴ・ペインティングを試みていたのですね。その後は、イメージフォーラム映像研究所を卒業しています。この経験がコマ撮りによる抽象的なアニメーションの世界へ向かう契機となったのでしょうか。

 映像というよりは、最初は「音楽のスケッチ」をしていたんです。アルタ前ではCDラジカセで大音量のバッハの音楽をかけながら、ひたすらライヴ・ペインティングという形で音楽のスケッチをしていました。夢の島や空き地でもやりました。絵で音楽のスケッチをすると、縦や横への強制的なスクロールになるんです。音楽を聴きながら、音符を書いて行くような感じです。そうやって画布の上に描いていった線が、いつか音に戻れるときが来るかもしれない、そんな欲望を感じながらやっていました。
 ただ、ライヴ・ペインティングのパフォーマンスをすると、僕の場合、ダンスに近づいてしまう。描いているときの自己の身体運動の方に引き寄せられてしまう。そして、観ている人は描かれる線というよりも、僕の身体の方を見てしまう。観客と、伸びて行く線との間に僕の身体が入っている状態になる。そのことに不満を感じていました。何とか僕の身体が消えて、見ている人に線だけが伸びていく様を見せたい、そして自分自身もそれを見てみたいという欲望を覚えていたのです。  
 それが映像の方向へ入っていった理由でしょうね。友人がHi-8のヴィデオカメラを持っていて、それは技術的にはコマ撮りができないカメラでしたが、無理やりに再生ボタンを一瞬だけ押しながら、僕の絵のアニメーションを制作しました。そうしたら、本当に動いたので感動した。でも無理な使い方をしたので、ヘッドが傷んでカメラは壊れてしまった(笑)。それが東京へ戻ってから、最初に作った映像でした。


 余談ですが、アニメのルパン三世の劇場用映画に『ルパン三世 ルパンVS複製人間』というのがありますよね。自ら神と名乗るマモーが登場する話です。あの映画のオープニングの最初のカットが、ルパンが絞首刑にされるために13階段を上るショットなのですが、足音だけが聞こえて、階段の段差が黒と白のバーだけで表現されています。あれが幼少期の、最初のアブストラクト経験なんです。
 それから、子供のときに渋谷のパンテオンで『さよなら銀河鉄道999』を観たのですが、列車が惑星へ突っ込んでいくときの、相原信洋さんの曼陀羅のようなサイケな抽象・アニメーションも印象に残っています。映画でもなく、いわゆるアニメでもなく、まさに絵画が動いている、という印象でした。


――石田さんは、2008年3月の「アフンルパル通信」(書肆吉成)というリトルマガジンに「東京論」というエッセイを寄せています。20代前半の頃、6年ほど続けていた害虫駆除のアルバイトについて書いています。東京という都市の地下に巡らされた排水溝や、皇居の近くにあるバベルの塔を逆さにしたような国の施設で仕事をしていた。この逸話にも、天上界へと上昇していくようなロマン主義的な映像作品に向かうことへの契機がうかがえますね。

 当時は、美大へ行かずに、フリーターのままで作家活動をしていて、ゴキブリやネズミの害虫駆除のバイトをしていた。沖縄にいたときは、ひと夏でしたが、平安座島の石油精製所で働きました。青い海を目の前にして、原油を石油へ精製していく夥しい量のパイプを、「非破壊検査」といって、パイプのなかに入って配管の厚みを測っていくんです。そのとき、森や海も自然ですが、石油を製油するパイプも能動的なエネルギーを持った「自然」の一つだなと思いました。
 現場のプレハブへ行くと、石油管の設計図がバーンと部屋中に張り巡らされており、当時は巻物状の絵を描いていましたが、それが、僕が闘わなくてはならない相手だと思えました。設計図は途方もない毛細血管のようにびっしり描き込まれている。原油に熱を与えながら、石油へと分離していくシステムなのですが、人間が人工的に作りだした「川」のようにも見える。これだけの建物が他にあるだろうかと思いました。デザイン優先の建築物ではなく、配管されたパイプのすべてに意味がある。これと同じくらいの密度の絵画が今描かれているだろうか、と考えたんです。


一般論でいえば、絵画はフレームの向こう側にあるものです。絵画はそれで安定しているのですが、映画には時間というものが導入されるので、もしかしたら映画ではフレームの手前側の世界、あるいはその背後のようなところまで描けるのかもしれない、と思いました。
 それと同時に「絵画の問題」をもっと掘り下げたかった。単純にいうと、それが2次元なのか、3次元なのか、4次元なのかという問題です。平面の作品を額に入れて、壁にかければ「絵画」になるのか。そのような制度的な「絵画」から逃れてしまうもの、はみ出てしまうものは、どこまでが「絵画」であり得るのか、そういうことを考えていました。

 ちょうどその頃、学生が自治的に運営していた東大の駒場寮に人が住まなくなり、アーティストにアトリエとして開放するプロジェクトがあったんです。すごく広い部屋で、ひと月あたり1万円や2万円で貸し出してくれた。寮の廃墟のなかで、映画撮影をしていたり、画廊ができたり、写真のラボができたり、色々な作家が集まっていました。僕は引きこもって、ひたすら絵を描き、それを撮影していました。
 『部屋/形態』という映画は、床とか壁とか、そういういわゆる「絵画」ではない場所に絵が生成してしまう様を描出しています。あの部屋の窓は、ある種の「絵画」のメタファーですが、その窓の外は光っているだけで、絶対に何があるのか見えないようにしてある。また、窓には絶対に絵を描かない。つまり、窓=絵画の手前ですべてが生起するというコンセプトのもとに、線描を描いては16ミリフィルムでコマ撮りの撮影をくり返すという行為を続けました。それは壁に線が這っていくという、無意識的な欲望から発露されたものでもありました。


――『部屋/形態』においては、壁に絵を描いたり、それを塗りつぶしたり、模様が白と黒のイメージの交差によって示されます。それとともに、線描によって出現した抽象的な絵画が、窓から差し込む光や影を擬態したり、偽りのパースペクティブや偽りの矩形を描いたりして、遠近法に対するはぐらかしをします。

 遠近法へのアンチテーゼなのか、服従なのか、どちらかなのでしょう。カメラをどこかへ向ければ、そこに遠近法は生まれるわけです。僕たちがそこから逃れられる方法はほとんどない。『部屋/形態』の部屋でいえば、窓から入ってくる光だけが、壁や床を照らしてあの世界を成立させている源です。あの部屋をカメラの内部のイメージで考えました。そうすると、すべてが反転します。窓を開けて外を見れば、そこに「世界」はあるのですが、僕が試みたことは反対に部屋の内部へ深く入りこんでいき、まぶしい外の世界を不可視なものとしました。
 今回の「躍動するイメージ。」展でも示されているように、20世紀の初頭には絵画から映画へ移行した人たちの系譜があります。抽象絵画から抽象アニメーションへいったダダイストのハンス・リヒターやヴィキング・エッゲリングたちです。僕が多くを受け取ったのは、ドイツの抽象画家のオスカー・フィッシンガーで、彼は音楽と映像の融合を試みた人です。そもそもカンディンスキーであれ、パウル・クレーであれ、抽象絵画の画家たちは目に見えない音楽を描く、ということを自分に課した人たちだったんです。


『フーガの技法』

 このオリジナル映像作品のシリーズは十数回続いている“身体”をテーマとした映像作品の制作事業です。当時、世の中に出ていた僕の作品は『部屋/形態』だけでしたが、愛知芸術文化センターから「企画書を出しませんか」と声がかかり、映画の制作費をもらいました。実は『部屋/形態』の少し前から、絵を描きながらそれをコピー機にかけて、アニメーションの作画にしていくという試みをしていました。そして『部屋/形態』が終わった後に、『フーガの技法』へ取りかかったところだった。それで制作費が出たので、少しまとまった作品ができるかもしれない、と集中して作ることになったのです。
 映画にはお金がかかりますが、僕の場合、フィルム自体にはそれほどコストはかからない。その代わりに籠もって制作する莫大な時間と労力が必要です。エンド・クレジットで色々な方の名前が出ていますが、実質はひとりで作画し、撮影していきました。だから、他のことを一切せず膨大な作画作業に集中することが出来ました。

――最初からJ・S・バッハの「フーガの技法」のなかの「コントラプンクトゥスI」「コントラプンクトゥスXI」「未完のフーガ」の3つパートを映像化しようと決めていたのですか?

 最初は「コントラプンクトゥスXI」をやろうと思っていました。何度聴いても、まったくよく分からない曲ですよね。バッハというのは、一体何を考えていたのだろうと常に驚きを覚えます。それで、20代のうちに「フーガの技法」と格闘しておきたいと思ったんです。
――実際の映画制作の作業工程としては、紙の上にペンと修正液で少しずつ絵を描いていき、少し進んでは、それを一枚一枚コピー機で複写していくんですね。そうやってコピーとして作画したものを、3枚なら3枚、ガラスの上に乗せて重ねて、紙の背後からの透過光を使ってコマ撮りで一枚一枚撮影している、ということでいいでしょうか。

 そうですね。原画用の紙があって、ちょっと描いてはコピーをとる、そしてまた描き足してはコピーをとる、ということのくり返しです。そうすると、ひとつの絵が段々とでき上がっていくプロセスが、コピーされた紙の束となっていきます。この束が何パターンもできる。それらを「フーガの技法」のそれぞれの主題に照らし合わせ、主題の折り重なりに合わせるように原画も重ねていく。噛み砕いていうと、バッハの「フーガの技法」ではAという主題とBという主題が重なったりする。それを絵の方でもやっていきました。
 カメラ内でのオーバーラップは使っていません。カメラの方は単純にコマ撮りで、シャッターを切るだけです。主題が折り重なるのに合わせて、絵が折り重なるのは、3枚なら3枚を実際にガラスの上で折り重ねて撮影しているからです。

――アニメーション制作で見られる絵コンテを作らず、直接バッハの楽譜を読みこんで、作画作業を行っているんですね。これはバッハの音楽を、楽器を用いずに、映像によって演奏する行為だという評言もあります。3パート目の「未完のフーガ」では、十字架のイメージと共に4分割の画面になり、それぞれが別の動きをします。あれは、どのようにやっているのですか?

 あれは一旦作った素材を全部縮小コピーして、貼り直しているんです。全部、紙に落として、その上でやっている作業なんです。


――『フーガの技法』では、極微な線が集積することでイメージが形作られます。抽象的な「ムニュムニュ」と呼ばれる描線は何か生命的で、情念的なフォルムです。抽象アニメーションなのですが、人によってはそこに植物の蔓、ニューロン、欲望など、それぞれの思い描く具象イメージを当てはめるでしょう。これが一体何であるのかと問うことは、やはり馬鹿げていますか?
 
 これが何であるのかは、分からないんです。少し近いなと思うものの一つは、オーケストラの指揮者の手の動き、その手が描く軌跡ですね。


――石田さんが絵を描いたときの手の動きの軌跡が、つまりは身体運動の痕跡が映像に残されるという意味では、『フーガの技法』はドキュメンタリー映画でもあるわけですよね。

 そういうことですね。簡単にいうと、線を描いているときは、極めて簡単なプログラムで手が動いています。たとえば、線を上へと描いていけば、次には何となく下へさがりたくなる。そんな手の欲望が生まれる。線を描いていて或る角度をこえると、渦を巻きたくなってくる。そうやって渦を巻いたら、余白に対して、巻いた渦をもう一度元に戻して、外へ出て行きたいような欲望もわいてくる。線がどちらへ向かうのかは、ちょっとした線の角度の違いによります。時おり、少しだけ先が見えてくることがあります。それが見えたときは、喜んで線を増やしていく。
 『絵巻』に関しても、『フーガの技法』に関してもいえることは、僕の場合、前もって下書きをしないということです。もっというと、テスト撮影もしないということですね(笑)。





引用がながくなってはなはだ不格好なんだけど今読んでるもの/読み終わったものの影響もあっていろいろ考えさせる。

慶応高校を中退して沖縄に、ということで金持ちのボンボンなのでこういうの簡単に出来ていいよなぁ−y( ´Д`)。oO○的なことをおもってしまったけどその後も含めてずーっとフリーターで作品作りをしてきたこと。

遠近法への違和感/超えるという感覚はずーっとあったこと。

真喜志勉さん主催の画塾「ペントハウス」に通うなかで詩人吉増剛造さんほか知己を得て行ったこと。

「渦」は生命の輪廻というよりバベルの塔を描いていた、ということ。あるいは「渦」として展示されていた作品と「バベルの塔」はまた別か。

「フーガの技法」も生命とかのモティーフよりも「動きを映像化した」みたいなかんじ。


これらを読んでいて思ったのは「生命というモティーフというよりは、リアリティとして遠近法や静態的な視角に違和感があって、それを超えるための表現・モティーフとして時間・映像が選ばれていったのだな」ということ。自分的な解釈だけど、作品を作るときに展示されるのは成果物としての作品 - 結果ではあるのだけど制作者は作っている間、刻一刻と変わっていく眼の前の作品 - テクストとの対話そのものにアートを感じている。結果だけではなくそれまでの過程としてのそれ、ライブとしてのそれを表せないか?ということで映像作品を選んでいったのかな、とかはおもった。


また時間や次元を越えたとこへのなんとなくの兆しのようなもの。

燃える椅子/テーブルがある部屋を三つの装置で時間差で投影している作品のなかで、投影された椅子や石田の姿がさながら霊のように見えたけれど、ああいうのも多次元的な感覚なのかなあとか。抽象としての方法としてはジョセフ・コスズの「一つと三つのChair」の引用/オマージュなのかなともおもったけど。


とりあえず自分の印象として、生命-変化 -時間の描き方は束芋のそれを別の形で表したもの、「躍動する生命 - 動きとしての生命は定まった色・形をもたない」ところは高木正勝のそれを、絵巻の色の配置・構成は水墨画を想わせた。



アクションペイント的なものはおまけというか、ちょっとそれそのものだとわかりにくいなあという印象だった(なのでどうしても石田の動きのほうに眼が行ってしまうし)。


石田についてはそのぐらいだったんだけど、


石田が支持した真喜志勉って誰だろ?と平行して調べるに


父、真喜志勉は、アルバム「エメラルド」所収の「絹ずれ〜島言葉〜」で、「方言指導」とクレジットされている
Cocco- Wikipedia http://bit.ly/1yKDp9L




Cocco(本名:真喜志智子)
1977年1月19日生まれ O型
沖縄県那覇市出身
沖縄県立開邦高等学校芸術家芸術コース卒業(7期生)

略歴
1977年 出生
1996年 インディーズデビュー
1997年 メジャーデビュー
1998年
1999年 第一子出産
2000年
2001年 活動中止
2002年 絵本作家デビュー
2003年
2004年 SINGER SONGER結成
2005年 活動再開
2006年
2007年 息子の存在を公表
2008年 拒食症を公表
2009年
2010年
2011年
2012年


Coccoの家族
父(真喜志勉:「絹ずれ」を島言葉に訳す)
母(衣装などを制作)
姉(真喜志佐和子:「KOTOKO」にも出演)
息子(KOTO:PVや「KOTOKO」にも出演)
祖父(真喜志康忠:沖縄芝居役者/2011.12.16没)
祖母(真喜志八重子:那覇桜坂にておでん屋を経営していた)
曾祖母(ユタ)
伯母(Coccoママのお姉さん)

Biography - including you!
http://includingyou.jimdo.com/biography/



プロのバレリーナになることを目指してバレエオーディションを多数受けていた。姉が読んでいた雑誌にビクターの音楽新人オーディションの案内が載っており、「賞金によってバレエオーディション会場への旅費を稼げる」ことと、「東京での音楽オーディション二次審査になれば旅費が支給されるため、ついでにバレエオーディションを受けてこられる」ことから、応募をした。そのオーディションでは入賞はしなかったが、「印象が強かった」とのことでビクタースタッフにより後日スカウトされた。
<生い立ち>Wikiに載ってるCoccoの興味深いエピソードまとめ<絵の才能>|エンタメ情報まとめサイト『minp!』
http://bit.ly/1yKDt9r


インタビューはまず、07年にリリースした前作『きらきら』以降のCoccoの生活から話が始まる。Coccoは『きらきら』のあとイギリスで暮らし始め、大学に通い、写真の勉強をしていた。その間精神疾患の治療のために病院へも行ったが、結局治ることはなかったという。その後日本に帰国するが、その理由を「歌わないといけないことがいっぱいあった」と説明し、さらに以下のように語る。

「どうせ治らないんだったら、治らない病になってるよりは、まあ、歌ったほうがプラスかなあっていう、感じ、だったのかやあ」

日本で音楽活動を再開し、自らにとってライブが如何に大切か、そして新作『エメラルド』についても話がおよぶ。今作ではCocco自身がプロデュースも手がけるなど、制作上の大きな変化もあった。またRYUKYUDISKOにアレンジを頼んだ曲もあり、その時のエピソードも語っている。

「RYUKYUDISKOには、もう歌って踊って言った、『こういうの』みたいな。踊ってみせた、いっぱい」

さらに特集記事には撮りおろし写真も多数掲載。バレリーナのような衣装をまとい、リラックスした表情で踊る姿も見ることができる。
Cocco、創作とは何か、そして生きることとは何かを語る (2010/07/13)| 邦楽 ニュース | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイト
http://ro69.jp/news/detail/37228


 もう、波打ち際で歯車が違えてしまったかのように琴子が踊るオープニングからしてこれやばく、ものすごい絶叫と同時に黒背景に『KOTOKO』の文字。そのテンションを維持したままの内容はというと、手首はざくざく切るわ人間をざくざく刺すわまさかの人体破壊描写も多めだわで、マツコ・デラックス、町山智浩、土屋アンナ、KOTOKO(別の歌手の方)、小島秀夫、羽生生純、金原ひとみ、等々、様々な分野からパンフレットに寄稿した人間たちの、気まずさというか、歯切れの悪さというか、腫れ物に触る感じな文章からしても本作の力っていうかCoccoの良く言えば繊細さ、悪く言えばデンジャラスさを持て余しきっておる印象。専業女優、職業女優でもないCoccoのエモーショナル、激しみに負けている専業役者、職業役者の形而上学的な悔しさ、憔悴、負け惜しみを思うと、いやそんなものを思っていては自分までメンタルヘルスの人になってしまいそうなので、ソフィア・コッポラやジェニファー・リンチはCoccoのリスカ痕でも舐めて教えを請いなさい。という悪態をついてガス抜きとしたい。

 気疲れした母親と子供という画ヅラから、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と比較されそうであるというのは容易に推察できる。その主人公、ビョーク演じるセルマは主観的であり、主観にはミュージカル妄想が入り混じり、現実逃避として作用しておった。『KOTOKO』の琴子も主観的であり、というか主観でしか万事を補完することができず、現実逃避……むしろ、「現実拒否」とでも申し上げればよろしいのでしょうか、そしてミュージカルに逃げるようなことをせず、ファンシーな折り鶴や風車を思い(わーい)やカラフルなベッドルームを思い(わーい)や自分の首が落とされる妄想や子供の頭が撃たれて弾ける妄想(わーい!!)でトドメを刺されて虚構と現実の境が曖昧になり、琴子の主観はじわじわと現実を侵蝕し始めるのである。中盤、長回しで琴子が歌い、それを喜ばしく聴く塚本監督自ら演じる小説家・田中、というシーンなんかは、絶叫のようなこの映画が現実を切り裂いた瞬間を捉えたようにも思えるのだ。
『KOTOKO』 Coccoと琴子の狂気は現実を切り裂き侵蝕する - ライブドアニュース http://bit.ly/1y5WSak




まあユタの家系だからかなあやっぱ(´・ω・`)とかおもいつつ、おとーさんとかおじいさんの情報がネットだとよくわからんかったし、石田尚志とCoccoの関係もよくわからなかった。案外「おとーさんのとこにきてたなんか変なにーちゃんのひとり」ぐらいかなとも思うけど。


とりあえずCoccoちゃんのこのへんは見とこうとあらためておもった。




KOTOKO 【DVD】 -
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大丈夫であるように-Cocco 終らない旅- [DVD] -
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真喜志民子と真喜志勉 - 幻想第一 http://bit.ly/1yKDqe2

真喜志勉|作家紹介|美術館|沖縄県立博物館・美術館 http://bit.ly/1D38xXx

沖縄アートに存在感 真喜志勉さん死去悼む声 | 沖縄タイムス+プラス
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=104055

真喜志康忠氏が死去 88歳、沖縄芝居一時代築く - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-185307-storytopic-8.html


敬愛する真喜志康忠氏の孫【Coccoの快挙!】たまたまNHKの歌番組をみました! - 志情(しなさき)の海へ
http://bit.ly/1D38paq
posted by m_um_u at 20:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2015年03月28日

最近の料理本2つ:「強火をやめると、誰でも料理がうまくなる!」「築地市場のさかなかな?」



けっきょく今回借りた本で身についた/実感マンゾク・ほほぅな知識だったのは料理本のほうだったなあ、、こっちエントリしたほうがいいんじゃないか?まあ両方するかとか思ってたところでちょうどつぶやいちゃったので














強火をやめると、誰でも料理がうまくなる! (講談社+α文庫) -
強火をやめると、誰でも料理がうまくなる! (講談社+α文庫) -

この本自体は軽い文体ですぐ読める/読んじゃったのでもうさらっとエントリしてポイントを自分のなかに定着させて返しちゃっても良いのだけどそのポイントを利用した実践とか応用編のとこ、つまり具体的な料理のとこでもっかい参考したいしポイントのとこも忘れた時に見直すと良さそうなのでやっぱ購入しとこう。たぶん文庫版じゃないほうは安くなってるし。

ポイントはタイトル通り。その理由はついったでちょこっとつぶやいた。

基本として「素材は細胞膜に包まれていてそれによって水分を保っている→水分があることで食感ーハリがある」ということぽい。なのでヘタに細胞膜を破壊して水分出し過ぎるとへなへなになって食べごたえなくなる(非シャキシャキ・ジューシーじゃなくなる)し、食べてるとき、保存してるときに余分な水分が出てきてベチャベチャなっておいしくない。作りおきの野菜炒めなんかがおいしくなかった理由はこれかあ!とおもった。しかし、中華料理なんかだと中華鍋で青菜を一気にな加熱したほうがおいしいのでは?(´・ω・`)てかんじがまだあって眉唾感いなめないのだけど、まあこれもこんどこの方法で試してみて違いを実感してみよう。そのときうまくできてなかったら見返す → 修正する用にこの本は手元においておきたい。


肉類なんかは細胞膜のなかにアミノ酸が含まれていて、それが一定の温度になって旨味に化学変化することでわれわれは「おいしい」と感じるようになる。つまり、「素材の細胞を破壊して無駄に水分を出さない」+「できるだけぢっくりと時間をかけてアミノ酸を旨味成分に変化させる必要がある」ということ。なので40から65度調理が必要ということになる。

スロークッカーした食材がみょーにうまいのは実感していて、その理由をここで説明された感がある。なので、この方法で旨味が出る/食材がよりおいしく調理できるようになるのは納得、なんだけど「この方法できれいな焼き色がつくのか?」て疑問は依然としてある。まあこれも試してみればわかるだろけど。

切り方なんかもきちんと書いてあるので参考になる。個人的には通ってる抜刀術のとこに持ってて「切り方」「包丁の握り方」としてうなうなしたいところ。



 この本の調理コンセプトは、火・塩・切という三点で、火については強火を使わない、塩については0.8%濃度にする、包丁は研がず斜めに切る、といったところ。話に説得力はあるし、火と塩については、この原理からするとかなりのレシピに見直しが必要になる。その意味では革命的と言えないことでもない。
 実際にやってみるとどうか? 意外と難しい。私の印象だと混迷を深める。この本に書いてあるのだが、火加減で強火を使わないということは、フライパンが調理に適切なサイズであるということを含んでいる。だから、調理内容によって、フライパンを使い分けないといけない。それにおそらく料理で一番扱いが難しいのがフライパンだろうと思う。塩については、0.8%というように定量的に書いているが、素材によって塩の浸透が異なるので、素材毎の対応になる。切り方についてはやはり実地の訓練が必要になる。
 それでもこの本読んでから自分がそれまでやってきた調理をだいぶ変えた。一番変えたのは、カポナータというか夏野菜の炒め煮。いままでは火の通り具合を見て野菜を分けて入れていたのだが、最近は最初に全部入れて油を回し、弱火でじっくり加熱するようにしている。インド料理のサブジみたいだなとも思うが、じっくり加熱していくと野菜の甘みがよく出てくる。2分おきくらいに揺すって、あらかた火が入ったらハーブ(オレガノやバジルなど)と塩で調味して火を止め味が馴染むのを待って終わり。野菜の味がシンプルに出ておいしい。ポトフと同じで多めに作ったら、あとでカレールーを少し入れてカレーにしてもいいし、パスタに入れてもトーストに乗せてもいいし、落とし卵と合わせてもおいしい。夏の朝、冷えたカポナータに落とし卵の朝食とか、いいもんですよ。
 料理が好きな人だったら、この本は必読だと思うし、この著者の手法でもう少しビジュアルな本がもう一冊欲しいところ。
[書評]美味しさの常識を疑え! 強火をやめると、誰でも料理がうまくなる! (水島弘史): 極東ブログ http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/08/post-7bbb.html


本書を読めばわかるが、単に「弱火」料理の推奨者ではない。肉のタンパク質が何度で変化するのかを加味して、できるだけ加熱温度との差をなくすよう、科学的な根拠をもった料理法である。本書を読まれて最初に驚くのは、鍋やフライパンで野菜や肉に油を回してから火にかける方法かもしれないし、冷たい油から揚げ物をするとかだったりかもしれない。一般的な料理法は、彼の料理法に全て否定されてしまうから面白い。暫くの間は、本書を見ながら料理することになるかもしれない。が、とても勉強になる。そして、肉や野菜、魚がとても柔らかくて美味しく出来上がる。料理がマンネリ化している中年以上の人には新たな挑戦として楽しめ、これから料理を学ぼうとする人にはうってつけとなると思う。それでもまだ疑わしい方は、こちらの書評をチェックしてみては(参照)?本書を買った時、もう少し料理の実例があるといいと思っていたら、先月、「水島シェフのロジカルクッキング 1ヶ月でプロ級の腕になる31の成功法則(参照)」が出版された。 水島シェフのロジカルクッキング 水島弘史 料理例もさることながら、説明が詳しくなっている点で、ちょっとした疑問などが自分で解決できるようになった。こちらも合わせて読まれるといいと思う。何種類か試している内にコツが分かってくるので、どんどん応用が効くようになり、知らぬ間に、料理時間よりも美味しさ追求へと関心も移ってしまった。実は、長年書き続けてきたここのレシピも全部書き直したいくらいの衝動にかられたが、さすがに3000ページはご勘弁な話。
水島弘史流 里芋と鶏肉の煮物「強火をやめると、誰でも料理がうまくなる」: godmotherの料理レシピ日記 http://godmothers.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-d095.html

kindle版
強火をやめると、誰でも料理がうまくなる! (講談社+α文庫) -
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美味しさの常識を疑え! 強火をやめると、誰でも料理がうまくなる! (講談社の実用BOOK) -
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水島シェフのロジカルクッキング――1ヵ月でプロ級の腕になる31の成功法則 -
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水島シェフのロジカルクッキング2 [動画付き]プロ級レシピ徹底マスター -
水島シェフのロジカルクッキング2 [動画付き]プロ級レシピ徹底マスター -


たぶん、料理の基本的な知識として和洋中関係なく参考になると思う。


低温調理というと最近だとこのへんのグッズも気になってる。Amazonで6000円だそうだけどほんとこういうのはもっと高いんだそうな。


ヨーグルトメーカーで肉を煮る - デイリーポータルZ:@nifty
http://portal.nifty.com/kiji/150203192686_1.htm

TANICA 【温度調節機能で市販・カスピ海・ケフィアヨーグルト / 納豆・甘酒に対応】 ヨーグルティア スタートセット ブルー YM-1200-NB -
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もも肉のコンフィなんかだとスロークッカーでうまくいって、最近ハマりだしたロティサリーチキン屋にいく必要もなくなったなあとか思ってたんだけど、全部スロークッカーで、てわけにもいかんのやろか?まあ違いがわからんのでスロークッカーでしばらくこういうの試してみようと思うケド。ちなみにスロークッカーは去年の秋に古道具屋で2000円でゲットしたv( ̄Д ̄)v イエイ



あとは魚料理。


近所にあたらしくできたスーパーの魚屋が安くて種類も豊富で魚の質も良いので、「ああ、魚料理の種類増やしたいなあ。旬を味わえるし」、とか思ってたので。体も肉肉てよりも野菜とか魚て感じになってるし。蕎麦にも合うしね。


築地市場のさかなかな? (朝日文庫) -
築地市場のさかなかな? (朝日文庫) -



歳時記的に季節の魚が魚の絵と簡単な文章で紹介してある。

魚河岸に務める旦那の妻ということで魚愛が盛りだくさんで読んでるうちに食欲が喚起される。あとやっぱ歳時記・旬を感じられて良い。季節の魚とその簡単な調理法。

雰囲気としてはapartmentの魚の譜にも似てる(ていうか、魚の譜がこの本を元にしたのだろうか?)


長嶋 祐成:虫の譜・魚の譜 | アパートメント
http://apartment-home.net/author/uonofu37/


この本自体は安かったし手元に置いておくと歳時記的に使えるということで即ゲットした。なので季節ごとに見ていこうかなと思ってる。いまは春告魚であるメバル、さわら、鯛、きす、かつおなんかが楽しみ。


あと、この本読んでて脱水シートはやっぱ買っといたほうが良いのだなと思ったので買っておこうと思う。




 そもそも魚をおいしくないと感じる最大の要因に、生臭みがある。魚は空気に触れる時間が多くなるに比例して、劣化が始まる。ご存じの通りだ。これがうまさの差に出る。
 では脱水シートに包むと、いったいどんな効果があるのか。それはまずなんといっても「魚(や肉)の水っぽさと生臭みを吸収してうま味を凝縮」してくれることにある。この効果は、養殖魚があっという間に天然の味に早変わり。そう言い換えても過言ではない。しかも「凍結時の組織破壊を抑え冷凍焼けを防ぐ」。また「魚は煙少なくきれいに早く焼け、天ぷらは油ハネ少なくカラッと揚がる」。ウソのようだが本当だ。
 このシートの出現は画期的なことだった。良い商品は口コミであっという間に広がる。いまや、一流の味と評される店であればあるほど、この脱水シートは厨房での必需品となった。小売もしているが、もともとはプロ用であった。いくつかの有名レストランの厨房に入らせていただく機会もあった。和洋中華とも置いていない店はなかった。築地の場内外に店を構える道具屋さんで、業務用のこの脱水シートを置いていない店も、またない。



この本の魅力はこういった知識はもとより全体の魚愛的なエッセイの雰囲気にあるのだけど、、まあそれは引用してたらきりがないのでこちらに譲る。

[書評]「築地市場のさかなかな?」平野文: 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/06/post_21.html




旬の食材といえば寿司屋と居酒屋だの


妄想居酒屋〜さて、今宵も一杯〜 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/327234


そして日本酒(ぐふ♡
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2015年03月14日

熊倉伸宏、2000、「死の欲動  臨床人間学ノート」




あんたが

もういないってことが

ゆっくりと重なっていく


その重さが  ずっと願わせる


あんたのような人も

その周りの人達も

どうか


やさしい 自分で


いられるように













死の欲動―臨床人間学ノート -
死の欲動―臨床人間学ノート -



死の欲動についてちゃんと読んでみようと想ったのはどういうきっかけだったか。

ついったのTLほかで死にたいという人という人たちを気にして「だいじょうぶだよ」と慰めるためか、現代人一般に共通するテーマとして一度しっかりと理解してみたいと思ったからか、それとも、自分が抱えてきたそれをもう一度俯瞰し相対化するためか。


直近ではリビドーとの関連でタナトスを思い、そのあたりへの心理学的位置づけ、理解をもう少し眺めたく思ったからだった。


愛はさだめ、さだめは死?: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414133706.html

性的唯幻論序説メモ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414217494.html


結論から言えばそれは心理学的にきちんと位置づけされてない。

死の欲動というテーマはフロイドの設定であり「人にはもともと死の欲動があるのではないか?」という視角から始めれば説明がしがたいだけで、もっと別の切り口からなら死の欲動も現状で理解されている心理構造全般のひとつとして措定できるということなのかもだけど。



基本的に、フロイドがなぜ死の欲動というテーマ設定を行い、それに関心をもつようになったか。

それはあまたの臨床を通じて快感原則を基本にすると理解しづらい事例が出てきて、それらの多くは近代化による価値観の変化、多くは性行動の様式変化に起因するところがあったようなのでリビドーの問題として片付けられていったのだけれど、そのリビドーの問題でも解けない謎として自殺願望が残っていったから。

あるいは、フロイド自身の問題としてそれが切実に残っていった。

後期フロイドが死の欲動に関心をもったのは、娘の死という遠因もあるかもだが、喉頭がんという病を得たというところが大きかったみたい。1923年に喉頭がんであることが発覚してからモルヒネによる積極的安楽死を選んだ1939年までの闘病生活はフロイドが死の考察をはじめ終えるまでの期間と一致する。病を通じて、自身のリアルな問題として、あるいは人間観や人生観の変化を通じてそのようなテーマが見つめられていったのだろう。


岸田秀によるフロイド理解などでは死の欲動は攻撃衝動(cf.アドラー)と区別がつきにくく、サディステックな破壊衝動の原因は乳幼児期の全能感の喪失 → 不全感からの逃走にあるとする。つまり母との一体における全能感を失う痛みから逃れるために、その痛み・自信喪失を外部を攻撃することによって逸らした。


そのようにしてできあがっていったのがヘテロ男性の群れ的セクシャリティに基づいた男根的権威社会とされるのだけれど。


フロイド - 熊倉の理解では死の欲動は破壊衝動とは直接に結びついていない。

「それは人に元からあるものではないか?」「人には元に戻ろうとする性質があり、無機物としてのそれに戻ろうとしているのではないか?」「普段は我々は生の幻想にドライブされているが、ふとした瞬間こちらが思い出される」

「死は人とともにいつもある」「死を忘れるな」というとなにやら耽美的な甘い誘惑の香りがするのだけれど、そういった人文・雰囲気なはなしでもなく、「死」というはっきりとした概念以前のカオスとしてそういったものがあるのではないか?というのが現時点での、あるいは熊倉を通じた自分の認識としてある。

これは本書の全体の説明としては話が長くなって逸れるので後述しよう。


本書の構成は前半は臨床、中盤は理論・死ぬ権利についての医学的位置づけと処置などのまとめ、後半は臨床に際してのエッセイとなる。


理論的な位置づけが気になって読み始めたのだけれど結果的にエッセイ部分がいちばん読み応えがありエントリとして残しておきたくなった。復習(暗黙知→明示化)的なお勉強にもなるだろし。



そのいちばんの誘因としては「治療者として客観的な立ち位置、他人ごととして振る舞うのではなく自ら患者と同じ位置に立って考えていく(痛みをその都度引き受けて一緒に考えていく)」という姿勢に誠実と真摯を感じたから。よくいる単に理知を振りかざして対象を分析したつもりになってズタズタに切り裂くような安っぽい精神分析医を想うとこういうのには救われる。


精神科医は傷つかない、死に対する耐性が人より優れていると想われがちだがきちんと患者と向き合う場合、その死と生、出会いは個別の一回性をもつものでありその一回一回で精神を消耗していく。


私たちは人間の無限性をみすえ、それを有限な言葉でかたる技術を求められる。衝撃的体験を生きた言葉に結晶化することなしに、治療は進行しない。精神科医は衝撃にたいする感性と耐性、さらに、それを言葉に表現する技術をもたなくてはならない。この不可能に思える要求に、なぜ私以外の精神科医は耐えられるのだろうか。なぜ限られた存在である私たちが、単に精神科医であるという事実だけで、ある時、ある人に対して、その死を語り合えるのだろうか。治療者の何が、自殺念慮をもつ人と話し合うことを可能にするのか、すでに底なしの沼のような人間研究が、はじまっている。




良い臨床家はおおきな理論で上から患者を引き裂き、ピンで止めて観察・収集するために存在するのではなく、患者とともに寄り添い、同じ痛み・問題を共有してすこしでも患者の重みを減らしていくことを旨とする。



治療者は「死の願望」と「生きる意思」の過酷で危険な戦いの、共感的な目撃者となる。そして「生きる意志」の強さを患者が自覚したとき、はじめて退院が積極的な治療的意義をもつに至る。その時、「もし死にたい気持ちを抑えられなくなったら、必ず助けを求めるように」と念を押して退院させることが可能になる。上記の精神療法的なサポートで不十分と思えば、私はさらにケア・マネージャーの役割を負い、保健婦や福祉のワーカーによる援助など、サポート体制の確立に精を出せばよい。「死の願望」への恐怖を治療者一人で支えるのが不安ならば、多数で共有すればよい。






死の欲動 - 自己破壊衝動と攻撃衝動の違いを明確化することの意義について、熊倉は以下のように記している。



「死の欲動」論の業績は、自殺を単に「攻撃性の内向」と理解することに満足せず、人間心理の深部に、底知れぬ破壊性が潜むことを白日の下に暴いたことにあった。しかも、そのような死の欲動は人間一般に根強く存在するとされた。それこそが快楽原則の彼岸に、彼が見いだしたものであった。その結果、自殺を、一時的な死の欲動の反復強迫によって、なす術もなく圧倒された自我から理解することが可能になった。つまりFreudは精神療法において死を主題化し得たのであり、これだけでも貴重な業績であった。



自殺衝動に憑かれたとき、それは自殺の意志というよりも心のなかに反復してくる「死ネバイイノニ」という言葉の強迫で、それをもってだんだんと精神をすり減らせていくところがある。それを自身の本当に望むことと錯覚して。

しかし、この「死ネバイイノニ」という言葉が自分とは別個のナニカが自身の内部から発しているもの、と考えればどうだろうか?


自分 - 自我は理性の産物で人が現代的な日常生活を送るときに必要なものではありコンピュータで言えばOSのようなものだと想う。しかし、OSはひと- コンピュータ全体ではなくあくまで基本ソフトとして駆動されてるだけで、OSとは別の部分がコンピュータの内部にはある。同様に人の深部には自分でも制御できないナニカがある。それをフロイドは「Es(それ)」と名付け保留した。


熊倉はそれを「自然」と呼ぶ。人間理性の内部に残された、人工のなかに残された自然。あるいは混沌とされるもの。


そういうのは普段だとあまり意識されないのだけれど、たとえば夢を見て、普段の自分が思ってもないような行動 - 欲をもって行動しているとき、他人を破壊したり殺害したりすることに積極的な自分をして自分を疑うというようなことがある。あるいは吹っ切れたはずの恋愛、かつての恋人や友人が夢の中に現れることで夢から覚めたあとに「ほんとは自分は彼(女)と復縁したいのではないか?」と煩悶したり。



それらはおそらく理性 - 言葉のシステムと自然 - 身体のシステムの齟齬で生じるもので、夢で映るそれは鏡に映るそれのようにソレソノモノではないのだろう。鏡や光の屈折のようなもの。なので、理性がソレソノモノをそのまま受け取ってしまうとズレてしまう。もちろん理性が誤謬を抱えていることもあるだろうけど。


人は自らのうちなる自然 - 混沌、あるいは自らの外部の混沌に無力さを感じたとき確固たるなにかを求めるようになる。


近代以前はそれは神であったが、神無き時代、あるいは神を求めることが非理性的であると現代的常識から批判される時代、宗教を信仰することはナンセンスとされ迷える人々の安易な救済を妨げる。

熊倉はそこで「なぜ現代人はこのような無力さに平気でいられるのだろうか?」「無力さ、絶望を感じられないほど鈍感なのだろうか?」と説く。それ自体が反語を含んでいるのだろうけど、ひとつには彼らは強烈な祝祭空間の光の中で、自らの闇を見いだせなくなっているのだろう。

銀色シート|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n8cb362101020


「心の闇」という言葉で片付けるとなんだかわかったような気持ちになる簡単さがあるけれど、それは闇というより混沌で、だれでも抱えている自然であり邪悪なのだろう。


銀座ギャラリー巡り|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n00593a950050


生は悪を抱えている。

そこに悪意と悪の様式が紐付けば社会に対する悪となるだけで、人は最初から悪を抱えている。あるいは「悪」と名付けられる以前のナニカ気味の悪いもの(es)を。「邪悪」「悪」とわれわれの狭い倫理で解釈される以前の歪なものが「性」 - 「生」-「生きる」ということなのだ。


「寄生獣」では人間がガイアに対する寄生虫であるというところから出発していたけれど、岩明均の眼は人の深部にあるこの部分を見つめていた(その意味で寄生獣 - ミギーはesの表象だった)。




それを自覚したとき、自暴自棄になって悪の様式に走らないように、人としてうつくしく生きるために内部に夫々の格律、流儀が必要となる。





熊倉 - 土居はそれを信仰といった。光であり信仰と。


私は精神療法を、主に、「甘えの構造」の著書で知られた土居健郎先生から学んだ。彼は何年も前のこと、ある論文に「治療の場を照らしだす光があると信じる」と書いた。それは彼の治療を基底で支える信仰告白のようであった。治療者が「隠れた信仰」を持たなければ、患者の示す真実に立ち向かうことができない、と彼は書いた。若い頃、私はこの言葉に強く反撥した。臨床実践に「光」などという宗教的表現をもちこむことを、ひどく嫌ったのである。医学は、そのようなものから独立した方法と論理を保たなくてはならない、と素朴に思ったのである。それにもかかわらず、彼の問いかけは私の心から離れることはなかった。そして本書は、人と人との出会いを支える未知なもの、私自身すら自覚していない自己、人間を照らし出す「光」への私なりの探求の試みとなった。




そして、熊倉は自らがやっていることを臨床心理学ではなく臨床人間学と呼ぶ。



本書は主に二人の自殺願望を抱えた患者、フユコとヒカリとの対話を通じて編まれていった。一人は旅立ち、一人は遺った。

「先生は残酷です」という言葉に込められた患者の思い、自身の無理解への鈍感と無力さを熊倉は抱え続け、ヒカリとの対話を通じて再生していった。


ハイデガーを専攻した哲学徒であるヒカリとの対話は自身も生の哲学ほか現代思想への知見を持った熊倉のそれも刺激的なものであったはずだけれど、熊倉は自身の言葉を本書に残していない。しかし、ヒカリの「先生は尊敬できる人」という態度から、その内容の濃さと誠実さが想像できる。





見えないもの / 描かれていないものを敢えて想像させるために配置すること。それは熊倉が不確実なものの例として引いた鍋島焼きの皿の図柄そのものだったのかと想える。円形の白磁一杯に満開の桜を配しつつ中心に真空の円を遺すそれは人の生と死のエニグマ、コップの底に溶けずに残った角砂糖の断片のようなものかもしれない。




















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ヤサシイワタシ(1) (アフタヌーンKC) -
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ヤサシイワタシ(2)<完> (アフタヌーンKC) -
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説得ゲーム (Next comics) -
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不思議な少年(1) (モーニング KC) -
不思議な少年(1) (モーニング KC) -



「甘え」の構造 [増補普及版] -
「甘え」の構造 [増補普及版] -




夜を愛し、余すところなく死んで、三位を統べる: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/200174686.html

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2015年03月12日

吉田健一の流儀


吉田健一 ---生誕100年 最後の文士 (KAWADE道の手帖) -
吉田健一 ---生誕100年 最後の文士 (KAWADE道の手帖) -




予約してる長谷川郁夫さんの吉田健一本がなかなか手元に来ないので、「まあこれでも読むかあ」とたいして期待せずに読んだ河出書房の道の手帖シリーズの吉田健一特集が予想以上に面白かったし、ちょっとエントリしておきたくなったので留める。


なかでも特に金井美恵子×丹生谷貴志の対談がわかりやすくおもしろかった。あとは松浦寿輝。


そこでは吉田健一の良さ・評価する人はどういうところで評価するのか?その魅力は?というとこが端的に示されていて( ^ω^)うむうむしつつ、「でも、吉田健一ブームみたいなの来てるけどほとんどの人は読んでないでしょ?特に若い人は」(「だって、若い男の立ちにとって吉田健一の小説はエリック・ロメールの映画と同じくらい退屈なんですよ?(笑)」)。

自分もそんなに読んでないので『吉田健一』というブランド、幻想、吉田健一についての批評を元にした幻想や期待を膨らませてるだけなのかもしれないけど。



吉田健一は小説家というより批評家であり、主な作品としては吉田健一本人が言ってるように「英国の文学」と「英国の近代文学」で止めるのだろう。誰が言っていたかわすれたけど吉田健一というのは当人が何かを作る人/作ったものがおもしろいというタイプというよりはおもしろいものの紹介者として位置づけられる。それは英国や仏国の文学であったり、あるいは、それらに連なる美味いものだったり。そういったものが求められたのは終戦当時の文化・物資枯渇 - 飢餓状態の反動もあったのだろうけど、吉田健一が連なる上流階級の「ふつー」の教養 - 文化が嫌味なくにじみ出た結果のように思う。もっとも、それがゆえに当時の人の中でも吉田健一を嫌う人たちはたくさんいたようだけど(「なんだあの金持ちのぼんぼんめ」)。


屈託や葛藤を主軸とする小説・文学・作品を楽しむ人達にとってその辺りは「おぼっちゃん的な物足りなさ」なのかもしれないけれど、その屈託の無さ、あるいは、屈託や葛藤を敢えて語ろうとしないところが却って吉田健一の魅力となっていった。

葛藤や屈託というのはたとえば教養小説や実存主義的なそれ、プロレタリア文学なんかだと主軸になるし、あるいは純文学とされるあのあたりでも内面の葛藤を主軸に、それをより精緻・繊細に描き拾い上げていくことが目的とされる。

その葛藤は世間一般の型通りの見方や権力に対する個人の違和感の表明であり、小説・文学というのはまずもって世間に対しての個人の違和感を表出していくことだ、とされるわけだけど。


でも、この「葛藤を表していく」ということ自体が型どおりなことであったとしたらどうだろう?

その葛藤-感情自体が、あるいはそれにまつわる表現の様式・文体自体がおざなりな決まり文句(クリシェ)なものだとしたら?

たとえば性的な場面にこそ人の実存的なリアリティが宿る、とされていても、そのセクシャリティや発露の仕方それ自体がすでにして形式に侵されているとしたら?


吉田健一はそういったものに「退屈」として目を背け積極的に描こうとしない。


ドキドキするような性的な場面も、余人なら狂ってしまうようなギリギリの情況も、吉田は端的に、単純に書いて済ます。もっとも人間ドラマとして描く対象になるような自身の出生・家族に関わることも(cf.「江藤淳なら大喜びで書きに書いたでしょうけどね」)。性的場面についても小説的文体になっていないので小説的なエロスが醸されない。しかし、端的に描かれてるがゆえに却って妙に頭にのこっていく表現がある(ex.近代小説ならエロティックな妄想を葛藤をもとにドライブさせるような場面、自分のお母さんが海外でパーティに行くときに「その真紅のビロードの服に眼を奪われた。女といふのが美しいものであることをその時始めて知った」と端的に済ます)。


ではなにも描かない・そんなに語らないかというとみょーなところでダラダラと長い文章を続けたりする。


丹生谷はそれをして「ふつーの小説なら狂ってしまうような人間ドラマの場面、言葉の限界であり狂気の場面こそが吉田さんの場所であり、むしろそこにもっとも健康的な言葉がある」とする。近代文学における狂気の場所が吉田の虎口であり、平常の場所だと。それを虎口に、ふつーの人なら退屈に思えるようなことをダラダラとたのしそうに語りだす。


松浦寿輝的にはそれこそがエロティックであり男根的ではない多形倒錯的エロスだとしていた。丹生谷的には「猫同士がじゃれてるようなもの」。そして、そのような文体が踊り、その踊りそのものにエクリチュールの快楽が宿る。


金井美恵子的にはそこは「敢えて書かない」「エクリチュールの快楽を留めるようにしているのではないか?」と


吉田健一は書こうとしなかった / おおいに書いたは対立するものではなく、「出来合いのものは敢えて描かず、それ以外のところをおもしろがって大いに書いた」。あるいは、出来合いの型に任せて思考停止するのではなく、自分がおもしろいと感じた部分についておおいに思考した。

もっとも文士として食わねばならないので注文仕事的なものは注文仕事的なものとして売文的にこなし、その売文的な仕事のなかで遊んだ。吉田の小説はそういった環境から生まれた化学変化的なおもしろさをもったものだった。

金井によるとそれは「批評よりも小説のほうが原稿料が高かったので、従来の小説の型からすると『これは小説と呼べるのか?』と思われるようなものも小説として提出し、小説の原稿料を得て行った」ということのようだけど。

酒に喩えれば吉田健一という良いものの紹介者 - 酒屋が自らブレンドした酒ということだったのだろう。昔の酒屋が日本酒のブレンドを妙味としたように、そしてその違いがわかる通人たちはブレンドに隠された味わいに元ネタを探る。



吉田の小説はそういったものでありけっきょくは批評-随想的なものを「小説」という大枠で覆ったきみょーなものだったのではないかと思うのだけど、同時にそれはある程度年齢を重ねた表現者の日記的な本音を垣間見せる所もあったのではないかと想う。

ふつーなら売り物にならないような趣味的なもの、酒造りとしては素人の店主が「素人ながら」ということで出すことで、商売っけを起こさず純粋に遊べたところもあったのではないだろうか。


大岡昇平が吉田の小説を「これこそがようやくにしてうまれた本当の小説だ」と評価していたのはそういうところだったのではないかと思う。



そうはいってもそれらは売文で、吉田がほんとに抱えていたことは描かれてなかったのだろうけど。もしも吉田に抱えていたものがあったとしたら。それでも、その文の端々に通常の決まりきった小説 - 酒とは違う独特な風合いをもったそれを想わせるような味わいが滲んでいたのではないか、だからこそ通人が惹き寄せられる処があるのではないか。




吉田健一における「敢えて書かない」という流儀



それは「東京の昔」において示された「人が裸であるときに惨めなのは当り前なのだから、それをことさらに見るべきではない」という言葉に凝縮されている。



吉田健一、「東京の昔」 読書メモ - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/11193




ついでにいえば、この小説はなにかテーマを語るというものではなく東京の昔というモティーフを描こうとしたのだろう。なので、自分的にそこで印象に残ってるのはそれほど人通りのない深夜の東京の夜に豆腐屋のラッパの音がどこからともなく聞こえてくる場面だったりする。川瀬巴水や小林清親の影絵のような世界では青と白の陰影が静かに暮れて音無き音、声なき声を響かせていく。





すこし吉田の小説への期待 - 幻想をふくらませすぎたようにも思うけど、まあこれはこれとして作品の楽しみ方でもあるのでとりあえずこの特集についていた「春の野原」を読み終え、「金沢」、「瓦礫の中」などへ続けよう。小説としては。

その前に「英国の文学」「英国の近代文学」からだろけど。







--
ドストエフスキイの生活|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n4798997db1d8


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2015年02月21日

岡崎京子の時代


四月の霧たちこめた朝に
背嚢を背にして発った、すべての子供たちに
私は記念碑を作りたい

苦悩に満ちた眼差しを下げ
背嚢を背にして泣いた、すべての子供たちに
私は記念碑を作りたい






僕はくたばりたくない

まんまるに見せた月に
尖った面が隠されていないかを
知ることなしには

太陽が冷たいかも

四季が
本当に四つしかないのか







スルースウッドの山裾が
湖に浸るところ
そこに草の茂った小島があって
青鷺が羽ばたいては
眠たげなミズネズミたちを驚かす

そこには俺たち妖精が
イチゴや真っ赤なさくらんぼの
詰まった樽を隠してあるんだ

さあ人間の子どもよ
その水辺に行ってごらん
妖精と手を携えて
この世の中にはお前の知らない嘆きの種が
いっぱいあるんだ










僕らは現場担当者となった
格子を
解読しようとした

相転移して新たな
配置になるために

深い亀裂をパトロールするために

流れをマップするために

落ち葉を見るがいい
涸れた噴水を
めぐること

平坦な戦場で
僕らが生き延びること
















「多摩川下流の川のほとりで全裸の男性の死体が上がった」というニュースを見ながら直近のイベントスケジュールを確認する朝、「そういえば岡崎京子展の期限近づいてるのかな?」と確認するに3月31日まででまだ余裕あった。



岡崎京子というと最近こちらのエントリで気になっていて、すこし語りたくなってるのもある+自分的に読むべきものリストのまとめも兼ねてエントリにしといても良いかもしれない。




「pink」のワニ。「リバーズ・エッジ」の河原の死体。“異常なもの”を外部に設定することで平穏を保ち、それの喪失を契機に破綻する物語が90年代前半の岡崎の王道だとすれば、「ヘルタースケルター」は“異常なもの”を滅び行く自らの身体に持ってしまった悲劇だ。その悲劇の歯車は“正常なもの”の登場で回りだすという普段と逆の構造を持ち、しかも悲劇は最後に急展開し喜劇となる。欲望に翻弄されたヒロインのゆくえ。岡崎は自分の物語の定型を知りながら、いかにそれを乗り越えるかを慎重に考え、大胆に実行した。「ヘルタースケルター」は岡崎の90年代前半の集大成であり、かつ90年代後半のモードへと一歩踏み入れた作品で、だからこそ第3部が描かれなかったことが今でも悔やまれる。作品単体の完成度では「リバーズ・エッジ」に軍配を上げるが、その「リバーズ・エッジ」を読み終えた読者を、「ヘルタースケルター」は次のステージへ導かずにはいられない。

欲望ではなく、欲望するためのシステムにお金を払っている(払わされている)。そのことを最初に漫画にしたのが岡崎だった。誰よりも早く小西康陽がDJでかけていたレコードを探すために、誰よりも早く藤原ヒロシが雑誌で着ていたシャツを探すために、「ゲット」を合言葉に「ストリート」を疾走するカウボーイ達。レコードの枚数が、映画の本数が、シューズの足数が文化への感度に直結し、ポケベルやピッチ(PHS)を持っているか否かで交友関係が決まってしまう。消費の速度が人々の生き方を左右する。そんな風景に対して、一体誰が「みんな何でもどんどん忘れてゆき/ただ欲望だけが変わらずあり/そこを通りすぎる/名前だけが変わっていった」と言えただろう。仲間とカラオケで歌って、友達とプリクラを撮って、ぼくらはいったいどこへ行くのだろう(だろうだろうはもういいだろう!)。村上龍が「今日中に買わないと、明日には必ず、驚きや感動を忘れてしまう」と切迫する女子高生を「ラブ&ポップ」で描いたのは「ヘルタースケルター」の半年ほど後だった。「インターネット」と「ウィンドウズ」の違いさえうまく説明できなかった、あらゆるメディアをインターネットのフラットさが覆いつくす前の最後の時代。岡崎にとって90年代の東京は、たとえばそういう風に見えていたんだと思う。

90年代の岡崎京子を「平坦な戦場」という言葉とセットで語る場面に時折出くわす。もとは「リバーズ・エッジ」に引用された、ウィリアム・ギブソンの詩「THE BELOVED(Voices for three heads)」に出てくる「the flat field」のことだ。この詩において「平坦な戦場で僕らが生き延びること」は「落ち葉を見るがいい/涸れた噴水をめぐること」に呼応している(訳者は黒丸尚)。水のない噴水の中で、へりを超える力もなく、カサカサと行ったり来たりするだけの落ち葉。干上がった噴水の中で落ち葉がどう旋回するか。そんな平坦な戦場で落ち葉がどう生き延びるか(=サバイヴするか)。そういう文脈の言葉である。

この言葉はよく90年代の若者の無気力や諦念を表すものだとされる。でもそれは随分と曲解した読み方だ。鶴見済が『完全自殺マニュアル』や『無気力製造工場』でくり返し、宮台真司が“終わりなき日常”と呼んだムードと、語感だけで一緒にされているように感じる。「リバーズ・エッジ」を素直に読めば、日常とは平坦に見えても常に異常事態が身近に起こる状態(=戦場)であって、それは気付かないような小さなきっかけで惨事を引き起こす。しかしどんな惨事でもまた日常の平坦さで見えなくなっていく。だが惨事は実際に起きたのだ。この時、落ち葉はどう生きようとするのか。そういう物語である。

人生は無意味だからマジになるのをやめようとか、無理なくまったりと生きようとか、そんな諦念を岡崎は描こうとしなかった。それらはごまかすためのポーズでしかないことを知っていた。「リバーズ・エッジ」ではピースが欠けながらそれでも日常を続けていく選択をそのまま描写した。そして岡崎は「ヘルタースケルター」で、へりを飛び越えた落ち葉の旅立ちを描いたのだ。死や喪失の残酷な印象を応用してきた作者が、希望と絶望、悲劇と喜劇をペン先で貫いて発見したある逆転劇。これが感動でなくてなんだろう! 「君の激しさはいつか君を焼きつくすだろう」!「でも今はそのときでもその場所でもない」!「さよならタイガーリリィ」!「またどこかで逢おう」!

もし事故に遭わなければ、今頃どんな作品を描いていただろうかとよく夢想する。
一九九五年の岡崎京子、または岡崎京子の九〇年代 - www.jarchve.org
http://www.jarchive.org/text/ko1995.html




岡崎京子とはなんだったのか?と問うに、少女漫画的な幻想と社会が少女-女にかける幻想の間をポップに駆け抜けていこうとしたあの時代の女性たちの象徴だったのかなと思う。そういう意味では酒井順子 - ユーミン的な連想となるけど、はなしがズレそうなので「あのへん」と記すに留める(わかるひとにはこれで十分伝わるだろうし)。



岡崎京子の時代、80―90年代というのは後期近代-大量消費社会が完成し、特にソレが東京という都市で象徴的に現れたときだった。岡崎の表していた「消費のための消費」とはそういった文脈であるし、それらはハイパーリアルな現実-実存の稀薄を埋めるための駄菓子のような色彩だった。

岡崎京子はボードリヤールとかを特に理解していなかったのだろうけど、時代としてはニューアカの最盛期で、それまでアカデミックな世界に閉じ込められていた言葉が浅田彰や上野千鶴子を通じて雑誌-世間にも表れてきて、なおかつそれに「オシャレ」なスノッブさが性格されていったころで、そういった時代精神?というか東京精神に合わせて彼女なりの感性で解釈し、現実に即すように加工したものをアウトプットさせていった。


諸論はあるだろうけど、彼女の代表作は「pink」「リバーズエッジ」「ヘルタースケルター」のように思える。そしてそれらを集約したものが「うたかたの日々」。

pink -
pink -

リバーズ・エッジ (Wonderland comics) -
リバーズ・エッジ (Wonderland comics) -

ヘルタースケルター (Feelコミックス) -
ヘルタースケルター (Feelコミックス) -

うたかたの日々 -
うたかたの日々 -

でも「うたかたの日々」はボリス・ヴィアンの原作を漫画化したものなので、物語的には岡崎のオリジナルではないけれど。

「pink」では売春婦が主人公で、でも、そこではかつての売春、性に関するイメージはなく自ら主体的に売春を楽しむ女性の姿が表されていた。「楽しむ」というと語弊があるので言い直すと、売春ということに対してかつての「性」をめぐる通念のような忌避がない女性の様子。そしてそこでは消費のための消費、人生をポップに謳歌することが語られていた。

その時点で岡崎の作品の主人公達は旧来のヘテロ男性の性幻想と資本主義の市場原理が結びついた性の牢獄を脱する跳躍力を持っていたのだけれど、その跳躍に要した軽さはそれ自体が屈託の対象として残っていった。あるいは村上春樹の作品になぞらえれば、彼女たちは自らの影を忘れていった。

存在-人生-日々の意味の軽さに対して、彼女たちのどこかに芽生えた「コレデホントニイイノダロウカ?」的な翳りを岡崎は作品の締めにスパイスする。

「pink」がたんなるハッピーエンドで終わらないのはそれが単なるハッピーエンドでは美しくないし、凡庸で大味な綿菓子のようだから。そこでワニがペットにされるのは売春という方法で現実離れした簡単さ-軽さで手に入る現実感のなさに対する重石としてワニが必要だったから。といってもそこに罪悪感やマチガッテルといった感覚はなくて、「結婚が准売春なら売春そのものもおかしくないのでわ?(というかすべての仕事は売春と変わらないのでわ?売春はすこし我慢してカラダを売るだけだけど一日ニコニコとココロを売る感情労働のほうがよっぽどだわ)」というリアリティに基づいていて、そういったリアリティからすると世間のタテマエと欺瞞は鼻で笑ってしまうほどおかしい。実際に鼻で笑う-売春をして楽しく暮らすのは良いけど、やはりそれは地に足のついたそれ、生活のリアリティからするとみょーに軽くて、だからバランスをとるために生と死のむき出しであるワニが必要となった。。むずかしく理由付けするとそういうことカモだけど、実際は単にワニが好きだったからカモしれない。


平坦でのっぺりとした戦場、幸福な退屈の中で押しつぶされてしまわないように、ぼくらには少しの刺激が必要だけれどその刺激が大きくなりすぎて日常を飲み込んでしまってはいけない。カレーの食べ過ぎで味覚がおかしくなってしまったOLのように。ハードボイルドな日常に合わせるために情緒は隠して置かなければならないけれど、あまりにポップだと自分の影や本当の名前からも遠ざかってしまう。



消費的な「少しの刺激」は他人に仮託されテレビや雑誌を通じて食い散らかされていく程度のものだけど、それとは別に自らの個人的な翳のようなもの、生活の翳のようなものは澱のように溜まっていく。それは齢を重ねることで増えていくのか、それとも世間の消費的な刺激、悲惨や死のようなものがすこしずつ蓄積していくのかわからないけれど。

神の死によって資本主義時代の私生児となったわれわれが平坦な戦場を生きのびるために、手にしたお菓子の銃は心象世界のなかでホンモノの銃と弾丸となってハードボイルド・ワンダーランドを構築していった。あるいは、ソコにもともとあった心象の戦場に臨むべく、われわれは銃をとったのかもしれない。


岡崎京子のなかであるいはファッションとして描かれていたはずのモティーフは主題となって遺り、それらを解決する答え、道具が模索されていく。


「岡崎京子は優れたコラージュ作家だった」という見方があるようで、たしかに彼女が作品中で触れた作品群を見るとそういうところはあるみたい。

それは模倣と編集-プロデュースを得意とするタイプのひとに共通する特徴だろう。なのでそれをして「単なるマネッコでコラージュだけでホンモノのアートではない」というのもどうかな?ってことにはなるけど。


これらをみると岡崎が張っていたアンテナの方向性がわかる。そして、それが目指して行きつけなかった地点も。


ドイツロマン主義 + 象徴主義を軸とする世紀末芸術的な幻想耽美に最終的に行きつき、そこから自らに体現された時代精神の答えのようなものを求めていたのかもしれない。それは事故に遭う直前、依頼されたコミックキューの原稿として考えていたものを見てもわかる。



岡崎京子って漫画家がおりまして。
結構わたしすきなんですけれども。
このかた交通事故でいま闘病なさってて、お元気なころに書かれたマンガがもう10年ぐらい前のやつなんですね。
それでも、けっこういろんなところに影響与えた作品をおかきになったかたなんです。
そのかたが、事故の直前に描くかもしれなかった雑誌が「COMIC CUE」(1995、イースト・プレス)というのの3号なんですね。
この雑誌江口寿史さんが責任編集してて。
すごくまじめに編集長してて、それは巻末の編集日記でわかるんですけれど、
そこに岡崎京子さんが出てくるんです。「COMIC CUE vol.3」(1997、イースト・プレス)に。
原稿を江口編集長が依頼しに行くんですね。

  5月14日(火)
   (中略)3時、原宿で岡崎京子とうちあわせ。岡崎さんとは親しい訳じゃないが、この13年程の間に、いろんな機会に顔を合わせている。で、会うたびにこの人、なんつうか凄味を増してるんだ。
 最近の岡崎京子の作品は、もうあれは、漫画じゃないと思う。岡崎京子自身ももう、漫画家というよりも、文学や映画と同じ次元の表現者といった風情だ。会うたびにその印象を強くしている。CUEの読者アンケートでも次に描いて欲しい漫画家の筆頭に、その名が挙がる岡崎京子だ。で、今回のお誘いになった訳だが、「今、エロスには全然興味がない」ので自分の中からは今回の趣旨にあうような作品は出てこないだろうと言い、この本を原作とした形ならばやれるかもしれない、と数冊の詩集を出した。東大の先生でもある詩人の松浦寿輝という人の詩集だった。
 あくまでも松浦氏の承諾が得られれば、という条件つきだが、執筆をOKしてくれた。
   しかし、今日の岡崎京子、ちょっと疲れてたように見えたのは気のせいか?
http://po-m.com/inout/200606oikawa02.htm


松浦寿輝 - Wikipedia http://bit.ly/1zu19iv



松浦寿輝はようやく識ったのだけど、


小説家としては、日本の古井由吉、吉田健一、内田百間、フランスのマルセル・プルーストとロラン・バルトを敬愛する。また中井久夫、川村二郎を知識人として深く尊敬している。最後まで小説を書かなかったバルトへの思いは「名前」(『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』)に詳しい。



というところでもうだいたい方向性として分かったし、しばらく自分も付いて行って読んでみようかと思う。


岡崎京子と松浦寿輝が個人的にどのような関係にあったのか?というのはよくわからないけれど、岡崎が最後に表そうとしていた世界、頼ろうとしていた世界のようなものはこの辺りだったのだろう。



つまりヴァレリーやマラルメ、ランボーに代表される象徴主義文学とベンヤミンに代表されるドイツロマン主義的な頽廃と翳りと実存。


それらは完全な理解ではなかっただろうけど、漫画的感性を自在に操るようになっていた岡崎京子という装置からそれらがどのような形で表現されていたか想像される。


ヒントは「うたかたの日々」で、そういった頽廃と翳り、死とエロスに遺る美のようなものをハードボイルドかつポップに描きつつ、死に取り憑かれる甘美を卒業して最後にきちんと天使を入れられるようになっていたのではないか?




それはクレー → ベンヤミンの天使であり、小沢健二の天使でもある。












彼女の事故は傍から見ると彼女の作品の登場人物たちの足跡を彼女自身がたどったような予定調和が感じられる。

しかし、漫画と違って人生は続いていく。


あるいは、事故や傷さえも自らの個性として取り込んで、むしろそこから人生が始まっていく。



螺旋状の滑り台のように、下まで降りてもう一度上がっていく




「かつてエグいいじめをやっていた小山田圭吾の息子がエグくいじめられてるみたいでm9(^Д^)」

「かつてノンポリポップだった小沢健二や坂本龍一がサヨクに染まってm9(^Д^)」

「かつて残酷でポップなマンガを描いていた岡崎京子自身が事故にあってm9(^Д^)」





そういった世間の視線とネズミたちが最後に手に入れる果実の味はなんの関係もないのだろう。



多摩川の、あるいは渋谷川のネズミたちは草いきれ(wwww)を超えてイノチノヒミツに辿り着く。












川の光 -
川の光 -






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真鍋昌平、2004、「ショッピングモール」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/408620472.html


モード・アングレ(長弓戦術)としての「女子力」の運用、その出自と変遷   〜安野モヨコ上級士官の場合: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/225495332.html



「人はより恣意性や感情を排したシステムに近づいていけるのだろうか」とぼんやり: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/225799105.html



意味―性―愛: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414101268.html


愛はさだめ、さだめは死?: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414133706.html



性的唯幻論序説メモ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414217494.html



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2015年02月19日

抽象と感情移入、あるいは「美とはなにか?」について



小林秀雄「近代絵画」のピカソの項を読んでると「美とはなにか?」ということについて簡略かつ的確に表されてる文言があってしばらくしびれた。



それ自体はピカソの絵を理解するため、ピカソがなぜあのような抽象にはしったのか?そもそも絵画にとって抽象の美的価値とはどういったものなのか?ということを論じたり理解するための前振りというところではあるのだけれど。別件で形式と内容、シンボルとアレゴリーについてあまり理解できずにぼんやりしていたところでの美の位置などもあいまって軽くエウレカした感じだった。

ヴォリンゲルを引いて曰く、

美とは、一般に感性的所与の要求するところに応ずる私達の統覚活動の一様態なのだが、この活動が自然で自由で積極的な場合、対象は、この活動に貫かれる。対象は私達に所有される事によって対象となる。感情移入とは、私達の生命力の対象への移入なのである。美的享受とは、客観化された自己享受なのである。


抽象と感情移入―東洋芸術と西洋芸術 (岩波文庫 青 650-1) -
抽象と感情移入―東洋芸術と西洋芸術 (岩波文庫 青 650-1) -

つまり、美の享受、なにをもって美しいと思うか?というのは自分自身の美しい部分 - 美しいと感じる部分(理想とする美しさ)の投影ということになる。


そのため美しさというのは一般価値ではなく個人的、実存的なものであって「美とはなにか?」という命題にだれにでも当てはまる共通の美を想定するのはナンセンスになる。それでもなお、それを一般的な価値として定義しようとするなら、それは正義の問題に近いものになるだろうし、もっと具体的には味覚 - 「おいしさとはなにか?」「究極的に美味しいものとは?」と似たことになるだろう。価値としての真善美とはそういったもののように思える。善、あるいは正しさの問題というのはこの中でも社会的にある程度の最大公約数みたいなものが要請されるところはあるだろうけど。



以前に離人症のようになったことがあって、雪が積もる竹林の様子を美しいと思いつつもソレを実感として感じられないことに寂しくおもった。

「これは世間的には『うつくしい』とされるものであるはずだし以前の自分であればうつくしいと思えるはずなのにいまの自分にはそれを感じられない。。」

そこで自分のココロのようなものが死んでいく/死んでしまったことを悲しみ、世間のそういった感覚からの疎外のようなものを。


ヴォリンゲルのこの一文から、そのときの自分は感性は死んでなくて、それによる所与(センスデータ)もあり、それを言語的に処理する機構もあったのだけれど、感情移入が死んでいたのだなとおもった。感情が死んでいた、あるいは、生命力が薄くなっていたので竹や雪に対して自らの生命力を移入-投影できなかったのだろう。そして、それが復活し、以前よりも多くのことを美しく思えるようになった現在、自分の中の生命力-エロス-意味が広がったのだなと実感する。






ドイツの美術史家ヴィルヘルム・ヴォリンガーの代表的著作。「抽象と感情移入 様式心理学への一つの寄与」というタイトルで1907年に学位論文として申請され、08年に出版された(邦訳=『抽象と感情移入 東洋芸術と西洋芸術』)。この著作でヴォリンガーは、テオドール・リップスの心理学的美学において提唱されていた「感情移入」型の古典主義的歴史観に対し、「抽象」衝動を対置させた。同書は、歴史がこの二つの精神的態度を交換・変遷する過程を、古代エジプトから中世ゴシック、ギリシャ・ローマなどの広範な美術作品に見出し、従来のヨーロッパ中心主義的歴史観の相対化を目指したものである。「感情移入」衝動には主体と客体とのあいだに有機的な生命観が見出され、古典主義などが相当するとされる。逆に「抽象」衝動とは、世界との無限の混沌状態に直面した人間が平静を得るために求める「抽象」的な法則性や幾何学性のことを指す。ヴォリンガーは「抽象」衝動を「古代人」の様式に帰属させ、エジプトのピラミッドなどがそれに対応するとした。また、彼はミュンヘン分離派や青騎士などの表現主義の動向にも関心を持ち、同時代美術の「抽象」性の根源を解明しようとした。P・クレーやF・マルクは、彼らの作品の幾何学的な抽象性を歴史的・理論的に支えるものとしてヴォリンガーの言説に注目していたことで知られる。

『抽象と感情移入』ヴィルヘルム・ヴォリンガー | 現代美術用語辞典ver.2.0



私の理解した限りでこの本の内容をごく簡単に言うと、(ヴォリンゲルはこれを書いた後も思想が幾らか発展変化していったようですが)
彼は、芸術には、芸術意欲には、2つの方向性があると言います。すなわち、「抽象」と「感情移入」の方向です。

まず、彼は、その当時の人々の先入観だというものを語ります。それは、芸術とは、常に、(外的な)自然に向かい、自然を描くものだという観念です。例えば、古代ギリシャの、写実的で活き活きした彫刻のように。

しかし、これは一面的な見方だと言います。なぜなら、「未開民族」の芸術や、原始的な芸術というものは、常に、外的な自然からはかけはなれた、幾何学模様に代表されるような様式の芸術だからです。古代ギリシャの芸術も、その初期においては幾何学模様だったと言います。

そこに、芸術意欲の2つの方向性を見出だします。

1つは、自然的な、有機的な、動的な生命を描いて、それに感情移入するもので、古代ギリシャやローマ、ルネサンス時代の西欧の芸術に代表されるもの。これが「感情移入」の方向です。

もう1つは、抽象的な、無機的な、結晶化された、静止した世界を描くもので、「未開民族」や、イスラム世界の芸術に見られるような、幾何学模様に代表されるもの。
これが「抽象」の方向です。(そして、これが芸術の起源にして終点だと言います)

芸術はこの2つの極の間を揺れ動くものだと言います。
そして、何故このような芸術が生まれてきたのかを考察します。

まず「抽象」の極である幾何学模様について、人と自然との関係から考察します。

つまり、こうした芸術を生む人々は、人間に対して友好的でないような、転変きわまりない、信用ならない、厳しい自然環境の中で生きているので、抽象化され、結晶化され、静止した、合法則的な世界を描き出し、その中にせめてもの安定を見出だそうとする、と言います。

一方、「感情移入」の方では、こうした芸術を生む人々は、自然によってか、人為によってか、人間に対して友好的な自然、自然と人間との、幸福で(そして稀な)調和の中で生きているので、自然に対して感情移入することができる。それで、活き活きとした、自然主義的な、有機的な、動的な芸術を造り出して感情移入すると言います。

さらにこういった方向性を宗教や哲学に関連付けます。すなわち、「抽象」に生きている人々は、現世を超越した、幽玄で、絶対的な思想に傾き、一神教に傾く、
一方、「感情移入」に生きている人々は、現世肯定的で、人間的で、自然主義的な思想に傾き、汎神論、多神教に傾く、と言います。

前述の通り一面的に思える面もありますし、それ以外のことも語っているのですが、それは置くとして、
この理論から言えば私の身近な芸術、例えば日本の芸術はどうだろうかと思います。この理論の正確さはともかく、もし当てはめてみるなら…


多分ヴォリンゲルも含意しているかと思いますが、前述のような、人がその中で生きている自然環境というのは、いわゆる自然のみではなくて、人間的な環境も含むかと思います。

つまり、社会的に不安定で、戦争や紛争の絶えない世界に生きていると、あるいは、何らかの理由で個人的に不安定な状態で生きていると、人は抽象の方に傾くだろうと私は思います。

戦国時代には茶の湯や禅が流行ったとかいう話です。
いつ死ぬかわからない世界の中で、一服して一時の安らぎを得たいというのはよく分かります。茶道には始めから終わりまで動作に決まった形式があって、何か不自由そうな気がして、何のためにそういう形式があるのか、私は不思議に思っていましたが、その理由がわかったような気がしました。
ヴォリンゲルの「抽象と感情移入」を読んだ感想
http://ncode.syosetu.com/n3909bs/



「あとがき」によれば、美学上の感情移入説というのはヴォリンゲル以前からあったらしい。ヴォリンゲルはそれに対するアンチテーゼとして東方芸術(具体的にはエジプトの装飾芸術)を取りあげる。そしてそこに「様式化」の衝動をみとめて、これを「抽象」と名づけた。この着眼点がまず非凡なわけだが、よくよく考えてみれば、「感情移入」に対して「抽象」をもちだすのはちょっと論点がずれているような気がしないでもない。しかし、この「ずれ」が論を展開する上での大きな原動力になっているのも事実だ。波と波とが干渉しあって、より大きなうねりを生み出しているといえばいいだろうか。そして、そのうねりの絶頂にあるのがゴシックの寺院だ。

まったく、ゴシック寺院というのは世界の八番目にして最高の不思議(驚異的建造物)だと思う。もしかしたら、ヴォリンゲルはゴシック建築を眺めていて、そこから抽象と感情移入という対概念を発想し、それを過去に逆照射したのではなかろうか。彼がゴシックに並々ならぬ愛着と関心とを抱いていたことは、この論文を書いたすぐあとに「ゴシックの形式問題」という本を出していることからもうかがえる。ちなみに、これには中野勇の邦訳がある(昭和19年、座右宝刊行会)。
ヴォリンゲル「抽象と感情移入」 - 両世界日誌
http://d.hatena.ne.jp/sbiaco/20060126/p1



ヴォリンガーは芸術の歴史をギリシャ、ローマからルネサンスへと進む西欧の伝統、外界の科学的な観察によって統合される芸術的技能の歴史としてではなく、美的享受を客観化された自己享受であるとする、アロイス・リーグル(Alois Riegl、1858 - 1905)が指摘した芸術意欲の歴史としてとらえ直そうと試みた。これまで未開のものとして退けられてきたアフリカやアジアからの作品が多大な影響を及ぼすようになったその時代において、感情移入(Empathy)と言う主観的方法だけではもはや芸術を説明しきれないのは当然である。20世紀初頭のヨーロッパは不安と不確実性が支配する時代だったが、そうした環境にも影響されながら、当時の芸術家は人間の予期不能な状態から抽象的な対象を探求し、それを絶対的な超越した形態へと変化させるという試みを重ねていた。フランスではフォーヴィスムが、ドイツではブリュッケが生まれ、ヨーロッパの芸術はその拠り所をより野性的で抽象的な未開の芸術に求めるようになるが、ヴォリンガーはこのような同時代の芸術を読み取る契機として、各時代における形態への意欲が、不安や恐怖をかきたてる人間を取り巻く世界にどのように反映するのかを、リーグルの芸術意欲と共に基礎的な心理学にも頼りながら考察した。結果的にヴォリンガーは、芸術を絶えざる不安を克服するための方法であると規定しつつ、恒久的な美学的形態を創造し、矯正することで達成される衝動を、抽象衝動として描き出すことに成功した。そこでヴォリンガーは、感情移入の要求が常に有機的なものへと向かうのとは逆に、芸術は自然からは独立したものであり、それゆえ抽象衝動では無機的な形態へと向かうのだと定義する。

このような抽象衝動を起こさせる心理的な前提は、諸民族が有する世界感情の内部にあり、それは彼らの宇宙に対する心理的な態度によく反映されている。こうした諸民族とは原始民族に始まり、それから多少の進化を遂げた東方民族のことであり、文化的段階にあるとされる民族、つまりギリシャに始まる西洋民族においてはすでに抽象的衝動は克服され、感情移入衝動によって支配されている。感情移入衝動で説明される高次の文化的段階における人間とは、外界の現象と親和関係にあり、汎神論的で親和的な宗教観を持つ状態にある人々だ。一方、抽象衝動で説明される原初的な文化的段階では、人間は未だに外界の現象に脅かされており、それがもとで内的不安が惹起されているような状況にあり、宗教的には超越的な強い観念に支配されている。

抽象衝動が起きるような状態とは、ある種異常な精神的な空間的恐怖にさいなまれた状態なのだが、そこで生まれる不安の感情がその芸術的創造の源泉となる。人間は外界の現象相互間の関係を見つめるとき、そこにある不明瞭性や恣意性、あるいは現象の変化極まりない状態だけを感知する。そして、そのような不明瞭で理解不能なものを取り除き、そこに必然性と合法則性の価値を見つけ出そうとするのだが、それは自然のうちにそのような価値を求めようとする心理が働くからではなく、むしろそれとは反対に、外界の只中に放逐されることで途方に暮れ、精神的な無力に陥るからである。自己の精神的な認識力によって外界の現象と親しくなり、それと親和関係を結ぶような機会が少なければ少ないほど、最高の抽象美を求めようとする力は一層強くなる。

原始的な思考との因果関係によって引き起こされる抽象衝動が生み出す芸術を、最も純粋で合法則的な芸術だとヴォリンガーは規定するが、それは無機的な芸術となる。感情移入の要求は常に有機的な形態へと向かうが、反対に抽象衝動によるそれは無機的な形態へと進行する。純粋な抽象は自然の原型には依存しない。自然を原型とする芸術的再現を強要するのは、模倣への願望である。抽象衝動とは古代の文化民族の芸術意欲の基礎であり、そこでは外界に存在する個々の表象を他の様々な物との結合関係や依存関係から解き放ち、生成の過程から離脱させてそれを絶対化しようとする努力に他ならない。

これら二つの衝動は、享受や自我と言う観点から見ても互いに相反するものである。感情移入衝動を基礎とする美的経験、美的享受とは客観化された自己享受である。感情移入衝動を美的経験の出発点とすると、そこでは自己破棄の衝動が示されることになるので、自我はその美点や芸術作品が放つ幸福感を減殺するものとして、否定的にとらえられる。一方、抽象衝動を基礎とする美的経験においても自己の放棄が求められるが、それは個人的存在を否定するためにではなく、衝動にとっての必然性を満たすために放棄される。その理由は、抽象衝動では対象が確固とした不動なモノになるので、人間存在一般における偶然的なもの、なかでも有機的存在一般に現れる恣意を放棄しようという衝動が強く働くからであり、したがって生命そのものが美的享受の障害であるとする思考が働くからである。ただし、そこでは芸術作品は自己の生命を自我のみから得ることになるので、自我との緊密な結合が図られる。
http://kenichinakatsu.blog.fc2.com/blog-entry-148.html







「象徴は蟻酸」「意味はにおい」|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/ne395200a2441


意味がにおいであるとすれば美とは「おいしい」であるから食べた瞬間、味わった瞬間に生じるものでそれは個々人によって異なる。



シンボルとアレゴリーの問題は「シンボルはアレゴリーに先立つ」という価値の前提に対するカウンター的な探求だったようで、だとするとそれはアリストテレス以来の本質論-唯名論的なそれにとどまるのだろう。ヴォリンゲルの感情移入に対する抽象の考察も同様の文脈に属する。

波とアフォリズムとの関係と同じようなもので、千変万化する波の形がアレゴリーに当たって、それはたぶん動態であり生命ということなのだろう。混沌 → 生命 → プラスの方法 / 秩序 → 無機物 → マイナスの方法。

シンボルはそれを抽象化してデフォルメし静態化することで別次元につれていくことで別の生命を宿していくけれど、それは元の動態のそれとは異なる。

形式-演出はアレゴリーであり動態(動物)、内容はシンボルであり静態(植物あるいは鉱物のような生命)。

形相と質料、イデアがどうとかいう話、そこに連なるエロースな話もこの辺だろうけど。あまり言葉で詰めても一般化に向かって却ってズレるようなことだろうから、感覚的に「この辺かな?」としといて言葉に頼らず自分の中の感覚としててけとーしとくのが無難なのかもしれない。

あるいはそのマップとしてはゲーテやシュタイナーなどが参考になるのかもしれない。


















自分にとって世間一般に「ただしいもの」として語られる愛が、あるいは、「愛こそすべて」の消費音楽と恋愛事情のソレが薄っぺらく偽善的なものに感じられるのに対して、最近またぢんわりと変わりだしたこの辺りの感覚、うつくしい - 愛おしいという感覚が滋味と真実に満ちているのは、愛を司る感性が味覚のそれと似たようなものだからなのだろう。あるいは味覚もそういったものの一つといったほうが正しいのだろうけど。


「弱者を保護すべき」というのはたぶんそれぞれの人がバラバラに思っていて、それがたまたま共通した時に奇跡的にうれしいものであって、大上段にそれを「ただしい」「スべキ」とすべきものではない。

「なぜ人を殺してはいけないの?」「人を殺すべきではないの?」も同様でそこに明確で合理的な理由はない。

むしろ、合理的に考えるほどそこに理由はなくなり「社会的にそうだから」としか言えなくなる。


でも、


「弱者を見捨てる」「人を殺す」よりもその逆のほうがおそらく豊かだし、そこから意味が広がっていくから。少なくとも自分はそうなのでそうしているというだけになる。


ちょうど竹林に降る雪を見てうつくしく感じられなくなった / 再び感じられることをうれしく思えた、と同じように。

あるいは、それまで食べたことのないもの、苦手だと思っていたものを食べておいしく思えるようになったときの喜びのように。


たんじゅんにそういう広がりがあるからコロサナイほうがいいし、ミステナイほうがいい。逆にいうとそういう感覚を知らない人たちは味覚音痴とかセンスが鈍感とかその程度なことで貧しい人生というだけなのだろう。そこで味覚に対するソレ、音感に対するそれと同様できない人たちを笑うべきではない。(タダシイを気取ってジャクシャホゴハタダシイ / アパルトヘイトゼッタイハンタイタダシイとかするひとたちはグルメ批評の文言を連呼するグルメマニア気取りと似たような扱いで良いと思う)



そして、そういった機微を感じられることがおそらく愛とエロース(生きる悦び)の徴なのだろう。




それが感情移入的な機構だとすればそれとは別に人はシンボル - 抽象を操り、そこにも美が宿っていく。あるいは美以外のナニかが。


そのことについてはとりあえず保留。また考えていこう。

タグ:美学
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2015年02月17日

性的唯幻論序説メモ



ちゃんと文章にするのもめんどくさいので箇条書き的なメモ。


性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫) -
性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫) -


「読みつつ思った」みたいなのはtogetterにもまとめたんだけど。


性欲以前の性欲的なもの、と、人の「知的」好奇心 - リビドーについて - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/780707


こっちのほうはよりレジュメぽく(んじゃ以下はそういうメモ)












胎内回帰願望が生じたとき、女の性欲も男と同じように形成されるがペニスがないこと→逆転して膣にペニスを受け入れる形に変わらなければならないことからある日おとこの性欲を諦めて不承不承、女になることを承認させられる。これがいわゆる「去勢コンプレックス」といわれるものである。


動物は発情してないメスに発情しない。強姦があるのは人間だけである。また、人間は発情を人工的にうながすための性幻想によって始終発情していることになる。

強姦問題において勘違い男(性幻想の病に憑かれた痴漢など)が「あの女が誘った」「スキがあった」などというのはセカンドレイプ的な言いがかりということが往々だが、実際わざとスキを見せて誘う女も居る。なぜそんな周りくどいことをするかというと男性中心の性幻想において女の性が取引される社会、恋愛市場→結婚市場が女の身体という商品を巡った取引市場である社会において「すぐにセックスさせる女」=「安い女」と見られて値が下がるから。

以下は女が「スキ」を見せることのメリット



(1)女から積極的にセックスを求めれば、淫乱女・安っぽい女と見られ、女としての商品価値が下がる

(2)自分から求めたのではなく、男に強いられ「やられてしまった」のであれ、控えめで清らかなつつましい女というイメージを自分に対しても人に対しても維持できる。

(3)とくに女の性欲をいやらしいとする文化のなかで、自分の性欲を自覚しないで済む。

(4)セックスの責任・関係が始まった責任を全面的に男に押し付けることができる。したがって、男との関係を続けるとすれば、そのなかで気楽で無責任でいられる。関係が破綻したとしても、男のせいにしておけばいい。

(5)自分はやりたくなかったのに「やられてしまった」、すなわち、セックスが男の一方的な満足のために行われ、その男のセックスも男だけが満足して自分は嫌なのにがまんさせられているという被害者意識を根拠にして、男に罪悪感を抱かせるとか、男より優位に立てるとか、男に何らかの要求をするとかができる。

(6)「スキ」を見せて男が襲ってくるかどうかを試してみる。襲ってくれば、男に対する自分の性的魅力を確認することができ、自信がもてる。自分に対する男の今後の長続きする関心が期待できる。

(7)女から積極的にセックスを求めて拒否されれば恥をかくことになるが、「スキ」を見せるだけなら、男が引っかかってこなくても、大して恥をかかずに済む。

(8)男と別れたくなったときには、関係が無理や強いられて始まったことを根拠にして容易に別れることができる。男を利用するだけ利用して棄てるつもりのときは、特に好都合である。




このような状況のもとでは男も女も性関係に関してさもしく意地汚くならざるを得なかった。このような男女関係においては少しでもずるいほうが必ず得をし、少しでも誠実な方が必ず損をするのであった。



ちなみに男を釣るための外装を整えるための文脈で使われる「女子力」なる言葉はこのような女の身体を交換財とした市場-戦場を想定しマイルドに表現している。それとはべつに「女になること/あること」「女≠セックスの商品」(cf.准売春としての結婚)であることへの保留、モラトリアム的態度、そういった市場からの自由な態度を示すために「女子」なる言葉を使うこともあるが世間的には両方の意味合いがハイブリッドされてることもある。





自己表現としての売春(特に経済的に困ってなくても、あるいは困窮していてもほかに経済的手段があるとしても自らの愉しみ・満足・自己表現として売春する女がいる。(cf.村上春樹「雨やどり」、東電OL事件(上野千鶴子「発情装置」 →あとくされのないセックスへの欲)、酒井あゆみ「売春論」、「自分の内面を見ないでパーツ(性器)としてあつかってくれるほうが楽」(宮台真司「<性の自己決定>原論」))。自らの魅力の確認(cf.承認欲求)と一瞬にしてあくせく働くより楽な金が入ることに麻薬のような魅力を感じる。


回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) -
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) -

発情装置―エロスのシナリオ -
発情装置―エロスのシナリオ -

売春論 -
売春論 -







レズビアンフェミニストの主張「女にとって男との性交それ自体がすなわち強姦されることであり屈辱であるから断固として拒否すべきである」(ドウォーキン「インターコース」)


インターコース―性的行為の政治学 -
インターコース―性的行為の政治学 -




野坂昭如「エロ事師たち」はポルノの販売を生業にしている男たちの哀歓を描いて絶妙に面白い作品。


エロ事師たち (新潮文庫) -
エロ事師たち (新潮文庫) -

「よう薬屋でホルモンやら精力剤やら売ってるやろ。いうたらわいの商売はそれと同じや、かわった写真、おもろい本読んで、しなびてちんこうなってもたんを、もう一度ニョキッとさしたるんや、人だすけなんやで。いままで何人がわいに礼を言うたか、わいを待ちかねて涙流さんばかりに頼んだ人がおったか、後生のええ商売やで」


「男どもはな……せつない願いを胸に秘めて、もっとちがう女、これが女やという女を求めはんのや。実際にはそんな女、この世にいてえへん。いてえへんが、いてるような錯覚を与えたるのが、わいらの義務ちゅうもんや……エロを通じて世の中のためになる、この誇りを忘れたらあかん……目的は男の救済にあるねん、これがエロ事師の道、エロ道とでもいうかなあ」




ヘルス日記
http://goldkintama.hatenablog.com/






一部の男が愛と性を切り離し女との情緒-愛の絡まない性交を求めるのは乳幼児段階の母親との関係、情緒的に絡めとられ性的に刺激され愛され保護されていたそれ、から解放されあらたな性を獲得するためである(ディナースタイン「性幻想と不安」)。もうひとつの理由は、一人の女との関係を長く続けると情に流されてとっつかまってしまうのではないかと恐れるからである。




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2015年02月16日

愛はさだめ、さだめは死?

これも不完全な内容なのでnoteにしとこうかと思ったけどこっちの続きものだしこっちに出しとこう

意味―性―愛: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414101268.html

















タナトスについてまだちゃんと理解してないし、フロイドの時代のそれとはまた違うのだろうけど。まず最初に快感原則があって、それに反する自己破壊衝動というのはどういうことだ?ってことなんだとおもう。

で、

エロスとタナトスが表裏一体というのは、エロスっていうか性交的な欲、リビドーが他者に向かったもの(性欲に向かったもの)というのは他者破壊衝動ぽい。あるいは女性の場合は自己破壊衝動かもだけど。
「フランス語でそれは小さな死という」オルガスムの様子は死を連想させるし、生理的に考えて他者の体に自分の体を入れる、あるいは、他者の体を受け入れるというのはおかしい。性器以外のところで考えればその異常性がわかると思うんだけど、手を他人の身体に入れてるようなものなので。性器の場合は内蔵が外に出たようなものだろうけど。なので、皮を被った内蔵を内蔵に入れてる状態が性交ということになる。

それは理性的に考えれば異常なんだけど人がソレを異常と思わないのは幻想によったり、それ以前に好奇心的なものだったのではないか?後者のソレはビザール的な関心にも近いようにイメージしてるので、性交というのは基本的にビザールであり異常(cf.ベルメール的な関心)。

エロスという言葉は性欲としてイメージされがちだけど性欲-性交に向かう欲としてのエロス、と、意味-好奇心の狩猟としてのエロスがあって、より汎用性がたかいのは後者なのだとおもう。プラトンが想定してたみたいなの。まだ確かめてないけど。

リビドーが外に向かったものが性欲で、内側にこもったものが自己破壊衝動ぽいんだけど。そこでリビドーとして設定されているものは自我とプラトニックなエロスと他者(環境-身体)との関数なのだと思う。

すなわち、人は最初の不能感から自らを守るため、環境という他者に対する鎧として自我を構築しそれを言葉-幻想によってコーティングしていくのだろうけど、性交という事件を介してそのバランスが崩れがちになる。ソレに対するために性幻想を作り上げたけど、今度はその性幻想によって性欲が喚起され、それが正しく発散されてないとみょーなストレスになる。フロイドーライヒなんかによるとそのストレスが戦争を引き起こすということだけど。あるいは戦争の代替としての資本主義的な競争と闘争。

でも、

もともと性交なるものは他者の破壊と自己の破壊-死を予感させるものだから異常なものであって、、、なんか冗長になってきたので飛ばすか。


自己破壊衝動は自我の誤作動なのではないか?

不能-不全-外界-他者に対する鎧として構築されたはずの自我がなんらかの事件にあったとき、その自我とそれに基づいた生活自体が強固になっているためそれを守るために事件-他者を認めようとしない、世界-他者から自らを守ろうとして居るように思える。そこでその事件に自らを合わせるべく再び自我を変革して貼り直せばよいのだろうけど、それがなかなかできないところが強固になってしまった自我の融通の効かないところなのかな?あるいはサンクコスト的なもの。

そして、「死にたい」「壊せ」あるいは自らがそうなっている情況のイメージ、希死念慮的なイメージの反復がそこに暗示をかける。

「壊せ」というのは正常な?自我との関係で言えば外側に向かうものだろうけど、なんらかの理由でそれが外側-他者に向かわずに自らを苛む方向に向かうことで自閉的に「壊せ」が自己の内部で反復、増幅していくのではないか?もちろんそれがいきすぎれば他者を責めすぎる → 戦争ことになって遺憾ではあるけれど。

なので、鬱の人は基本的に真面目で優しい、みたいなことなのかなと思ふ。

あるいは、自我の変革に対する優柔不断もそこにあるのかもだけど。これは当人の環境によってなかなか変革できないものなのかもだからなんとも言い難い。


動物のような状態を想定すれば性交に関するエロスは特に余分な意味付け・幻想(いやらしさ)をもたずにフラットに機能してるだろうし、そこに「死にたい」「生きたい」な思いもないだろう。そう思う以前に単にその瞬間瞬間に「生きてる」。

プラトン的なエロース?を想定した場合でも、エロースは世界との調和・理解を旨とし、破壊・死ではないように思う。

リビドーを中心に語ると性交が中心になりがちだけど、リビドーを「性交という身体を介した他者-世界とのコミュニケーション(意味以前の)をめぐる欲動」と解すると重心は他者-世界との関係ということになる。

平たくいうと「死にたい」のひとは動物のようになればよいし、それができなければ自我を張り替えるか、自我に圧力を与えている情況-環境-他者を変えれば良いのではないか。





死の欲動―臨床人間学ノート -
死の欲動―臨床人間学ノート -


「甘え」の構造 [増補普及版] -
「甘え」の構造 [増補普及版] -


愛はさだめ、さだめは死 (ハヤカワ文庫SF) -
愛はさだめ、さだめは死 (ハヤカワ文庫SF) -

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2015年02月15日

意味―性―愛





昨日エントリしたけどなんかいい忘れた/最初に考えようとしたとことずれたような気がするって残ってたので見直すに

やはりジンメルかあ。。: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414033954.html













<ステロタイプな幻想が相対化され解かれてしまったら男女の性欲はなくなってしまうのだろうか?>


岸田秀によると「ネオテニーとして本能の壊れた動物である人間は性欲も壊れており、それを補填するために性幻想を作り上げそこにドライブされている」ということになる。最初から幻想をインストしてないと性欲が表せられないという立場。母親と一体の全能感への復帰、つまり体内復帰願望を基本としたものが性欲の最初ということになる。動物と同じような性欲の発動を仮定した場合、その段階で人間は幼児段階のため性器もきちんと発達していない。そのため最初の不全感-挫折を味わい、それから実を守るために自我を発達させ、同時にたまった性欲的なものの発散経路として性器を借り、性幻想をもってそれを起動させる。


性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫) -
性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫) -


(1)人類の性本能が壊れ、人間の男女は不能になった。

(2)人類の存続のために必要不可欠な膣内射精を遂行するためには、何はともあれ、ペニスが勃起しなければならないので、女のことはさておいて、男の性欲を回復することに重点がおかれた。

(3)そのため、女の性欲はなおざりにされ、もっぱら女は男の性欲を刺激し、男を性的に興奮させる魅力的な性的対象の役割を担うことになった。

(4)女がもっぱら性的対象になった補助的な原因として、極端に無知無能な未熟児に生まれ、長い間、母親の世話にならなければならないという人類特有の条件がある。そのため、母親の身体、つまり女の身体(女体)が安心と満足と快楽の源泉となった。

(5)同じく無知無能な未熟児に生まれるという人類特有の条件のため、人間の幼児はまず初め自閉的世界に住むことになり、この時期に性欲は、対象のない自閉的欲望として成立する。したがって、人間にとって性的対象は、初めは存在せず、そののち、自分の欲望を満足させる手段・道具として出現する。


「ネオテニーで性欲が壊れた動物である人間はその補助として自ら人工の性欲-幻想を作り上げそれによって性欲を性器に喚起するようにしているが、もともと乳幼児段階の全能感の軟着陸がうまくいかず自閉的世界に住んでいる人類にとってセックスは相手の体をつかった自慰の域を出ない」、ということ。

「ペニスを勃起させなければならないので、というところで男だけの話におもわれがちだけど体内復帰願望は男女ともに共通する」とエクスキューズする。ただし女体は異性としての男の性欲-性幻想にとっては有利に働く、が、女はそのあたりでこじらせがある、とする。

乳幼児段階で性欲が目覚めても男は不能であるため心の奥底に女への恐怖が刻印される。後にヘテロ男性の性幻想において女の支配が中心的なテーマとなっていくのはこのためである。性欲を禁忌とすることで男を馬車馬的に働かそうとするヘテロ男性の性幻想を基にした資本主義社会ではこのようなセクシャリティが有利になる。

対して女の場合、乳幼児段階でも同姓である母親は女の赤ん坊を男に対するほどに支配しようとしない。このため、乳幼児段階のトラウマとしての男性恐怖や不能 → 反動としての支配欲はおこらない。

いわゆる性倒錯がもっぱら男に多いこともこの構造に起因する。







自分的にはやはりこの辺りについて女性の性欲についての説明が弱い、というか、なんか矛盾があるように思う。女性ていうか、従来のステロタイプ的なヘテロ男性の性幻想以外の性欲について。

前回エントリでもいったように、岸田によるとそれは基本的にサディズム、加虐性、攻撃性という形をとった防衛機制とか反動形成のようなんだけど、そういうゴワゴワしたもの以外の性欲ってあると思う。性欲っていうか、性欲以前の兆し。それが結果的に性欲にもつながってるかなあ、てもの。

たとえば人と抱き合いたいとか、握手したいとかそういうの。そこでインターコースしなくても特に良いわけだし、添い寝だけで落ち着くってひともいるようだし。

ただ、インターコースを伴わない性的な願望こそが本質、とするのもなんか違う感じがするけど。食欲-食の嗜好同様そこはひとそれぞれだろうし、ステロタイプ的な性的幻想を化学調味料に喩えれば、味の素しっかりかかったジャンクなものとか好きな人もいるだろうし、そういう気分なときもある。





人の性欲とはなんなのだろうか?「性欲」として観念化される以前の性欲的なものの兆しはどのような欲に沿っているのだろうか?


ひとつは岸田がいうように胎内回帰願望なのかもしれない。胎内に還ること、もとに戻ることが主軸というか、、母と一体だった時の全能感を取り戻すこと。

なので「全能感の不全により自閉気味になっているため、けっきょくは性交しても自慰的な満足を出ない」というのであれば全能感の部分をhackすれば良いのだろう。平たく言えば自我-自信を確立すること、あるいは性交に伴って愛の幻想に包まれること。


では愛とはなにか?


自分的には意味を探すこと、世界(対象)に対して純粋な関心をもつことのように思う。対象と自分を同期(感情移入)させて理解すること


性欲以前の性欲的なもの、と、人の「知的」好奇心 - リビドーについて - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/780707


より具体的には相手の立場に立ったやさしさを伴って、慈愛のまなざしで相手(対象)を理解していくこと。

その上でなんだったら相手からも同様のものを受け取ること。


togetterにまとめた感想では「意味≠愛≠知的好奇心?」としたけれど、意味-シンボル(象徴)づけは知的好奇心(愛)の足あとのようなものだとおもう。記号-象徴をうまく用いるヘンタイ生物としての人間は象徴によって自らが関心をもったものを物象化し現世に表す。

そして、一定の象徴←価値をみょーにもちあげてワッショイワッショイと祭る。たとえばなにか事件が起きた時に社会的に流通してるステロタイプな価値観(ポリティカル・コレクトネス)をもって正義のようなものを叫ぶ。これは動物がフェロモンをたどり、ここに餌があるよー、と叫んでる様子に似てる。たぶん構造的には一緒なのだろう。餌が足りてる社会ではその祭りの様式だけ残って辿られてるところもあるようだけど。

彼らの正義の祭りは蟻などの社会性動物が餌をみつけて騒ぐ様子に似ている。あるいは侵入者に対して騒ぐ様子。特に領海を侵されてないのに騒ぐ、自らの正義という趣味のために騒ぐのであれば性欲や食欲などの本能的な兆しがその素となっているのかもしれない。


岸田によると近代以前は愛と性は分離してなくて、たとえば日本社会なんかだとなんとなく関心をもつ、なんとなく好く → なんだったら性交ということもあったぽい。性交がほかのコミュニケーションと同じようなフラットなものだったから。

それが崩れていったのは中世のキリスト教的文化圏の影響とそれへの反動ということになる。

もともと神を愛する文化圏である西欧において人への愛を説くものは商売敵となった。なのでキリスト教内でも神以前の愛を説く宗派は異端とされ迫害されていった。


カタリ派 はプラトニックラブ的なものを説き、性交を伴わない愛を至上のものとした。




オクシタニア -
オクシタニア -


プラトニックラブを宗教的情操に替えるそれは愛のむきだしの場面にも似てる。


そして、むきだしの羊は閑かに暮らす夢を見る: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/408674184.html



13世紀の人口爆発→文化的な繁栄以降、神が段々と死んでいき、それにともなって人々は文化的な刺激、趣味の発露を求めるようになった。

ロマンティック・ラブはこういった背景から生まれ受容されていった。

十字軍に向かった騎士たちの妻を寝とる趣向がその原型かなと思うに、そこで男の所有物としての妻たちには貞操帯が付けられ、その禁忌のハードルをもってさらに禁断の「愛」、ロマンティック・ラブが燃え上がっていった。



こうして「恋愛」なるものが前景化することで「性」が相対的に異質なものとされ、「性」と「愛」が分離され、一部では愛だけが交換・流通されるようになった。もちろんそれは庶民とは遠いところで庶民は「性-愛」一体だったかとおもうけど。

この過程は中世→近代における自/他の分離、および自我の形成過程と同期するように思う。

近代化の個人の実存における特徴の一つは「自我が芽生えた」「内省過程ができた」ということにあるけれど、「愛」あるいは「恋愛」の個人化-対幻想化もこの過程と関わるのだろう。



そして、そのようにして性から分離した愛が吟遊詩人の唄に載せて様式化していき、それらが近代化に伴う合理主義へのバックラッシュとしてのロマン主義的傾向で回顧され、恋愛市場の商品として形式化し流通されるようになった。この辺りはゾンバルトも絡むだろう。


そして、ここでも形式と内容が関係してくる。


スーザン・ソンタグ、1968、「反解釈」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/413601598.html



形式のドライブとはマルクス主義的な観点からすれば物象化→疎外的な課題といえる。

ただ、マルクス主義的観点だとどうしても「形式≠資本主義的商品」→「形式<内容」となりがちなので、そこはもっとフラットにジンメルしていくべきなのだろう。あるいはソンタグでもいいけど。


上野千鶴子、1989、「スカートの下の劇場」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/388711171.html


社会化の形式あるいは心的相互作用とは、人間が目的や意図をもって他者と関わる行為のあり方のことであり、具体的には、愛情による親密な関係、憎悪に基づく敵対関係、社会的地位によって結ばれる上下関係などが挙げられる。これに対して、政治、法律、経済、宗教、芸術などは「内容」から分類された学問分野だとして、「形式」の観点からそれらに横断線を引く学問として社会学を位置づけた。

ジンメルの後期の著作を読み解くと、生の哲学と形式社会学とが緊密なつながりを有していることがわかる。生の哲学者でもあったジンメルにとって、人間存在の唯一究極的な原理である「生」の本質は、一方で生が現前する自分自身を絶えず超えていくという「自己超越性」とともに、他方でその生が自分に対立する「形式」を通してでなければ己を表現することができないという「自己疎外性」に求められる。

そして、創造的な生は、社会制度や芸術作品、科学的認識といった形式を作り出し、一方で生それ自体はその形式を乗り越えていくものの、形式はその母たる生とは自律的な動きをもつ。そして、ここにジンメルの言うところの「文化の悲劇」が生まれる。すなわち、形式が客観的独立性をもち、それが生を囲い込み枠づける生活形式となる。この傾向が頂点に達するのが、貨幣経済の完全な浸透がみられる近代社会である(『貨幣の哲学』)。近代人はもはや客観的な生活形式を内的に消化することができなくなり、生の手段が生の目的となる。そこに、生と形式をめぐる完全な「軸の転回」が出現するとジンメルは診断する(『現代文化の葛藤』)。

当初ジンメルは、特殊科学としての社会学の確立を目的として形式社会学を提唱したが、晩年に著した『社会学の根本問題』(1917)において、一般社会学、特殊社会学(形式社会学)、哲学的社会学という3つ分野から成る、より大きな社会学の体系を構想するようになったのである。しかし、その中心となる分野はあくまで形式社会学であり、彼が残した研究実績は形式社会学の方法論に基づいたものである。





形式のドライブ
愛-意味のドライブ

愛-幻想-意味 は他者を介さなくてもドライブできる。それは自慰と変わらない。


そのため愛の幻想に憑かれていてもそれは相互の思い込みが交換されているだけであって、本質的には両者の愛-性のマンゾクは合致しない。そして両者のオルガスムは基本的に同期しない。ズレて訪れる。「一緒にイク」ことに意味を見出しマンゾクする人たちもいるけれど、基本的に男女の構造が違う/個人によって性幻想や物理的刺激によってオルガスムに達する過程/はやさは違うわけだからあまり意味がない自己満足的なものに思える。

岸田的にはそこで「−y( ´Д`)。oO○男女のソレは生理的な構造としてズレてるわけだからもうズレてるものとして互いが互いを満足させるように気遣えばよいのでわ?時間差で互いの満足があればいいだけだし。あるいは、性器が勃起するかしないかとか濡れるか濡れないかとかもあまり気にしないで良いと思う」というところでとりあえずのまとめとなる。

(少しバイアグラについて触れていて「バイアグラみたいなのがあると男性が女性蔑視な幻想をつかわなくても物理的に勃起するわけだから女性的にも男性的にも楽になるよね」みたいなこといってたけどバイアグラのなかのひとから「いや、薬摂取しても刺激がないと勃ちません」「(´・ω・`)」てなってた)



自分的には前述してきたように「他人への関心」が「愛」-「意味」となってあらたな性的な欲や様式につながっていくのかなとか思う。あるいは自分のなかにあるそういったものがとりあえずそれらの言葉-概念で保留できたかと。そこで単に他人への好奇心的な興味で終わらないところに肉体を介した人の性行動の冗長性が絡むのかもしれない。体内の海が人を喚ぶ

抱きあうだけ、握手するだけ、なんとなくコミュニケーションするだけ、みたいなのもそんな感じだろう。

それと別に猟奇的あるいは攻撃的関心とされる意味-関心の積極的な意味付けを進めていきたい。(結果的にそれがネガティブな構造だと解明したらそれでいいけど。そこで修正していくし)










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「痴漢の心理」から  人の性幻想とヘテロセクシャルの形成について: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/411213903.html


おんなになる-性の自立- | アパートメント
http://bit.ly/1BexqQl
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2015年02月14日

やはりジンメルかあ。。

他人様のエントリも含むし軽く済ませるつもりだったのでnote程度にしとこうかと思ったけど、あとで検索するときに楽だし、思ったより長くなったのでブログにエントリしとこう。


所用で渋谷経由して、おみやげ的にやまやにウイスキー見に行ったら棚にタラモア・デューがあって、そういえばと思い出したので

もし僕らのことばがウィスキーであったなら: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/413977664.html

そのパブで老人は黙ってウイスキーを注文して、チェイサーもなしに飲みつつなにごとかを考えていた。それは抽象的、哲学的ななにかというよりはもっとプラクティカルで現実的な問題を考えているように見えた。

老人が考えていたことはなんなのかはわからないしはっきりさせる気もないのだろうけど、その光景がパブとタラモア・デューの香り、味となって刻まれたのだろう。

村上春樹がここでとりあえずおすすめしていたのは

食前に向くのはきりっとしたジェイムソン、タラモア・デュー、ブッシュミルズ

食後に向くのはまったりとしたパディー、パワーズ、ブッシュミルズモルト


メモっておいてそのうちやまやで見てみよう。渋谷にはかつて山城屋?があってけっこうたのしかったのだけどあそこもなくなってしまって、でもやまやがおもったより使えるので。そこで慣れて物足りなくなったら八重洲の長谷川酒店にいけばいい。あるいははせがわ酒店を「ただしく」楽しむための練習というか。

タラモアデューの老人がウイスキーを舐めながらなにかを考えていたように、自分もフェイマスグラウスを舐めながらぼんやりと考える。

あるいは考えていたことの断片を合わせて言語化していく。



引き続き岸田秀の「性的唯幻論序説」を読みつつ


性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫) -
性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫) -


ここで出てきたマゾヒズムについての考察と「いやらしさは客体としての女性に宿る」な辺りで去年の課題としハヤニエしていたところを思い出す。

性欲以前の性欲的なもの、と、人の「知的」好奇心 - リビドーについて - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/780707

上野千鶴子、1989、「スカートの下の劇場」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/388711171.html

性的満足におけるココロとカラダについてのぼんやりとした話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/392098324.html

以前のエントリでは「セックスにおいて自分のなかにある不全感-マンゾクは女性のそれに劣るのだろうか(´・ω・`)女性一般でもなく客体としての<女性>であり女性のほうがそれをインストしやすいのだとしたらそういうのをインストした女性に」とすこしコンプレックスが残っていた。岸田を読んでそれが少しスッキリしたように思えたのはその元となってる構造と思われるものについてフロイドー岸田なりに説明してくれたからだろう。仮説であり一つの見方ということではあるが(岸田自身は自信満々だし強力な見方ではあるとおもうけど)。

すなわち、

「本能の壊れた動物である人間の性欲は幻想によってドライブされる」「近代、資本主義社会はそのような幻想を資源として成り立ってきた(フロイド、ヴェーバーの見ていたところはこの辺りとなる」

「ゲマインシャフトでは性的におおらかなところがだいたいだが、ゲゼルシャフトになって性欲が禁忌されるのは禁忌とすることによってたまった不満を労働、あるいは、戦争に対する資源とするためである。すなわち性衝動の抑圧からの反動」

「近代→現代消費産業によってそのような幻想は商品化されさらに拍車をかけられる」

「現代男性の偏った性欲、たとえば強姦への志向、あるいは、婚姻関係であってもパートナーが嫌がっていても性交を求めるようなそれ(嫌がってることや屈辱をあたえることをむしろよろこぶそれ)はこのような背景からの抑圧→サディズム(デストルドー)といえる」

「乳幼児段階の母親との一体の全能感から現世に堕ちることで味わった不全感、器官と性欲の発達の不一致からの不全感に対抗するために人は自我を構築していく。その際、不全を自己のものとして引き受けるか、自他のものとして引き受けるかで違いが出る。後者は破壊衝動-加虐性(デストルドー)と結びつく」

「デストルドーを志向した人々はサディスト的な性向、反対に不全を自らで抱えることを志向した人々はマゾヒスト的な性向を持つ」

「マゾヒズムとは屈辱的状態に囚われた時、屈辱を受動的に受け入れ耐え忍ぶ、のではなく、屈辱から離れた所に自我を置き、自我から屈辱を捉え返し操作する企てである。この屈辱により屈辱を克服することはできないけれど、屈辱から距離をおき、屈辱を免れたような気になることはできる」

「女性は嫌がっていても男性の性欲を受け入れるのが当然という資本主義的価値観において一般的な性幻想-様式を踏襲した場合、男性はサディスト的傾向、女性はマゾヒスト的傾向となる」

「性欲を促進させる刺激として恥ずかしさ・罪深さがある。すなわち禁忌を設定することでそれを乗り越えるインモラルをして自我を強化することに興奮する。キリスト教的価値観を元とする西欧は概して罪の文化圏、日本は恥の文化圏となる」

「罪の文化圏では神との関係において罪が設定されるため目の前の他者との関係よりも『神に対して罪かどうか?』ということが重視される。そのため人前でキスをしても平気ということになる。恥の文化圏では世間体が重視されるため『周りに対して恥ずかしく無いか?』ということが重視される。明治以前、縁側で行水をしたり男女混浴であってもわりと平気だったのはこの辺りの価値観に基づく」


だいたいこんなところが直近の課題に対応する「性的唯幻論」から抜き出した前提になる。

この前提からすると「女性のオーガズムに劣るのでは?(´・ω・`)」的なものは「そういったマンゾクを感じる場合、彼/彼女らがソフトとしている幻想に満足しているだけであって自分はそれらを相対化してしまっているからそれに熱狂できる彼らをして(´・ω・`)してしまうぐらいなのだろう」ということになるだろう。そしてマゾヒズム的なものへの考察も含めて(たぶん某女史の場合は罪と贖罪(罰であり赦し)という幻想にtuneしてたんだとおもう。

自分の場合はたぶんゲマインシャフト的な感覚、あるいは、動物的な感覚に近いのでそういうのはなんとも、、って感じになる。幻想にtuneしてるひとたちからすると恥とか感じてないようだからつまんなく思えるようだけど(cf.相手が興奮してる様子を見て興奮する)。いちおゆっとくとこのときの「動物」というのはキリスト教的性規範からの「ケモノのような」という偏見に属するものではなく、本能の壊れた動物としての人間以前の気高いケモノとしてのソレに当たる。なので一部のジェンダーフリー気取ってる人々が「セクシストめ」だの言ってるのみるとアホかと思える(あの人たちのほうがよほどキリスト教的価値観に染まった差別主義者でありオリエンタリストなので)。

加えていうと「気高いケモノ」にちょっと現代的な性幻想が加味されたぐらいか。料理にちょっと化学調味料を入れるとおいしいぐらいに。


このあたりの課題の出口はけっきょくは生の哲学でありジンメルあたりから見てみようと思っていたようで、別件でこのへんをみてぼんやりと思っていたことともなんとなくリンクした。


第三の新人が日本の実存主義だった: 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/09/post-ab27.html

曽野綾子さんのはなしがかしましいけど、もともと第三の新人が実存主義的なものだったらそんなに問題でもないのだろう。彼女の感じてる日常的な価値観をそのままいってるだけで、それに比べたら虚飾にまみれた世間的価値をオラショするほうがよほど下品だし暴力的なので。まあたしかに、一部問題はあるのでそこは修正してけばいいと思うけど。ふつーに会って対話でもしてれば「あ、そこはいいすぎましたね。でもね、、」て済むような揚げ足取り的な箇所だと思う。

まあ、そういう「世間、馬鹿だなー」というのは良いとして、、

実存主義⇔生の哲学であるから当然このへんはマッチするとして、「神なき時代の幻想の一つ、人工の神として人々は恋愛をもとめ恋愛至上主義的に称揚していった。そこでの恋愛をめぐる価値観・様式は消費産業的にデフォルメされ収奪されている」というあたりに性愛も絡んでくるのだろう。性と愛が分離され文字通りフェティッシュに増殖され、前景化されたそれによって人々の性-愛の生活的実感は疎外されていく。まさにジンメルの対象領域かなとかおもう(あるいはルカーチ)。

小説・文学・詩・歌詞・歌なんかでもそういうのはわかりやすく展開されていて、いわゆるベストセラー的な価値観はそういったものなのだろう。

自分的な課題としては遠藤周作や小島信夫をいちお読んでいこうかなあ、ぐらい。あとは曽根綾子が以前のエントリで触れた女の一生的なエッセイとか価値観に関わるならその辺も。

あとはやはりジンメルだな。









--
近代的理性の立ち上がりと国家幻想、そこから疎外されていったものたち、のはなし: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381011164.html




ファシズムの大衆心理 (上) -
ファシズムの大衆心理 (上) -


ファシズムの大衆心理 下 -
ファシズムの大衆心理 下 -

タグ:実存
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