2007年03月13日

「匿名 / 実名」の二元論トラップ

 池田センセ小倉さんが「匿名 / 顕名」という古臭くてどーでもいいギロンをしてる間に、上祐さんがmixiを始めた。もちろん実名で。

 両センセの主張に従えば上祐さんを信じるべきなのだろう。信じるまでいかなくても匿名よりは胡散臭くない、と。


 池田センセと小倉さんにはそういう方向でがんばっていただくとして、われわれとしてはどう対処すべきか・・。


 <「匿名 / 顕名(実名)」ではなく、言説の信頼性に重きを置く>、というのがテキストを主体としたネットワークの作法としてあるように思う。で、あるならば、上祐さんも「言説」のみによって判断すべきか?しかし、上祐さんというと例の過去が思い出される。そして「私はうそつきだ」と言い切る自己言及トラップもある。

 「匿名 / 実名」、「ある / ない」のデジタルな二元論で判断する人たちはこの辺りでショートしてしまうのだろう(ネットワークに対してフランケンシュタインコンプレックスを持つ人々が一番デジタル的発想をしてしまっているというのは皮肉だが置く)。あるいは上祐さん側としたらショートさせた後にハックするというのが目的なのかもしれない。

 
 「その時、一回だけの発言ではなくて通時的な発言(発言の履歴)によって信頼性を測る」、というのは、「特定ネットーワーカーのネットワーク上での発言の履歴(歴史)からその人の信頼性を測る」、という考え方と同じように思う。「ネットはリアルワールドの写し絵」なわけだから当然といえば当然だが・・。


 それとは別に、「匿名による暴力」、という問題の蓋然性というのもけっこう高いように思う。ただ、これは「匿名だから」という単純な理由ではなく、リアルにおいて、「落書きが多いところ(放置してあるところ)は犯罪率があがる」、というのと同じことなんだろう。匿名というのもその一部なのかもしれない。こういうのはセキュリティの問題ということでこの辺でも読んどいたほうがよっぽど示唆に富みそう。


犯罪不安社会 誰もが「不審者」?
浜井 浩一 芹沢 一也
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 それにしても、なんで池田センセとか小倉さんみたいに頭動かすことができそうな人がこういうトラップに落ち込むのか・・。「情報量が増大して簡単に判断しないといけなくなったんだよ」とか頭に浮かぶが、小田センセ的にはオリエンタリズムの罠(二元論の罠)ということなのかもしれない。


「共同体」のイメージ(@小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」)
http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20070306#1173156967


 「なんで二元論というステレオタイプが流行ったか」「(有効性があるとすれば)その有効性とはなんだったか」とかについては書かれてないけど、この辺はサイードでも読めばいいのか。(ってか、オリエンタリズム批判で終わってるかもしれないけど)



 栗原さんとこにも似たような懸念が出てた。わりと冷静っぽい


ネットの匿名性を議論する際のフレームワークについて(@栗原潔のテクノロジー時評Ver2)
http://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/2007/03/post_be7d.html?ref=rss



--
追記:
ひろゆきが2ちゃんがサツバツとした空間になった理由について語ったみたい


2ちゃんねるを殺伐としたサイトにしたほんとの理由(@歌田明弘の『地球村の事件簿』)
http://blog.a-utada.com/chikyu/2007/03/post_921a.html


『殺伐としたサイトにしたのは簡潔なやりとりが交わされるようにするため、ということらしい』、ということだけどこれって軍隊(実戦)規律じゃん?(※「実戦では敬語のようなあいまいな表現を使ってると対処が遅くなるので使わない」、ってやつ)。単純化による効用ということでは今回の二元論の話とも絡むな。


「サバイバル化する社会(デジタル化する社会)」とか頭に浮かぶけど、短い言葉によるコミュニケーション問題ということでは以下が関連する


blogジレンマとゆるい繋がりの可能性
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35452876.html




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追記(2007.3.15):
続き↓

市民社会と制度について(ジャーナリズム論承前)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35911907.html

まん延する「匿名ネットこわいね」論について
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35955798.html








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2007年03月12日

教育とか教養について

 先日のスキーマの話繋がりで、NHKの「ハゲタカ」を見ながら思ったこと。

 「ハゲタカ」=「日本経済の停滞による外資に乗っ取り」ってことで、村上ファンド(?)みたいな人とか松下幸之助みたいな人とか出てきてるわけだけど、そういえば昔、哲学のセンセが、「外資になっちゃえばいいんですよ。別にこだわることはない」、みたいなことを言っていたのを思い出した。

・・9年前か

 格差社会とかファンドとかそんな話もなかったころだな。でも山一證券とかはあったのか。いま思うとそれを含んでのことだったのかもしれないけど、なんとなくいまの状況まで予期していたのかな、とか思って・・。

 その人はハイデガーを専門とする人で、経済とかそういうのの知識はなさそうだったんだけど、なんか飄々として不思議な人だった。つかみどころがないというか底が知れないというか。とりあえず、なにを言ってもレスポンスが返ってくる。(専門じゃないところについては曖昧に答えるけど)

 ちょっと前にはてぶで文系教授の奥深さの話がでてた

たとえばドイツ哲学者の誰かを研究するとしても、

日本人にはない下敷き−キリスト教とかギリシャ悲劇とか−をさらわないと

まず問いの設定からして理解できなかったりするところから始まり、

原語で著書を全部読破するのは当たり前として、

(翻訳はその時点で翻訳者の”思想”が入り込んでいるので1次文献にはならない)

大体その哲学者自身があの世にもめんどくさいラテン語やギリシャ語の文献を

参考にしていた日にはそれらの原書にもあたり、

その哲学者に心酔したフランス人哲学者に興味を持てばその人の原著にもあたり、

もちろん各国の先行論文にも目を通し分析し・・

・・・って何ヶ国語修めりゃいいんじゃおりゃあ!(怒)

みたいなことになる。

(しかも”研究”はそこから始まる)

はてブついでに覚書。 - 文系教授の恐ろしさより引用】


 まぁ、そんな感じでアホみたいに知識詰め込んでるのは元より、スキーマのでかさが半端ないので、その人が知らない領域の話でも「だいたいこんな感じだな〜」ってすぐに検討つけてきちゃうんですよ。もしくはめんどくさかったら質問によってこちらの答えを誘導して、全体の概要を把握する。んで、これをやられてるほうとしてはなんか頭の中hackされてるみたいなんすね。こう、「なんか頭よくなった気がする」、みたいな。

で、

 そういうのは一時的なスキーマの拡張であって、自らの知識ではないわけだからそれに気づいてその感覚(スキーマをどこまでどういう組み立てで延ばせばいいかということ)を覚えていればよいのだけれど、若いうちは知識(明示的情報)のほうに目が行ってしまうって言う・・。そういうのはもったいないな、と。

 おそらく、これからしばらくの間続く文科省によるテコ入れも「ギョーセキ」だの「分かりやすいジュギョー」だのを評価基準にして進んでいくんだろう。そんなの本物の「学」からしたら表面的なものに過ぎないのに・・。



・・理解されないんだろうな(職人技みたいなものだからな)



 「教育とは何か?」みたいな話があるけど、「教育の効果」というか「学ぶほうが何を受け取るか」ということに限って言えば、結局はこういう部分が重要なはず。知識なんて後からいくらでも必要になって追いつかないんだから、それをうまいこと編集・整理・蓄積・参照するためのOSが必要。んで、そういうのは往々にして非明示的知識(暗黙知)なわけだけど、いわゆる「勘のいい子(感性のある子)」、というのは勝手に気づくように思う。


 思考の組み立て方とか思考の幅とかそういうことになんとなく気がついている子ならば、放っておいても後から追いつく。「追いつく」っていうか、ある時期が来たらすごい勢いで知識を吸収(食事)する。そのためには「好奇心」という才能も必要なのかもしれないけど、そういった「好奇心」や「感性(センス)」といったものをつぶさないようにするのが学校教育に求める最低限のことです。


(※ぼくはこの部分に関してはリアリストなので、学校教育・マスメディアの第一義的意義はプロトコルやディシプリンの統一ということだと思ってます。すなわち工場や軍隊で命令が行き届くためには統一されたプロトコルが必要なわけで、そのために用意されたのが教育機関でありマスメディアってことです(cf.想像の共同体)。つまり文化装置ということ)



 教育においては教養っていうかそういうスキーマのディレクトリを拡張することがまず必要なんだと思う。



>感性(センス)ない子はどうすんだよ



・・フィンランドメソッドかな(とりあえず)↓



--
関連:
国立大学交付金、競争型に 規模より研究重視(asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0227/005.html?2007


フィンランドメソッドについて
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=103100

※マインドマップってスキーマお絵かきっぽい



子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明(@分裂勘違い君劇場)
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070121/1169414343


教養について(@極東ブログ)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/01/post_42.html


中学受験社会の副読本(!)(@インタラクティヴ読書ノート別館の別館)
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070307/p1




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2007年03月09日

ハラスとタニシは嫁に食わすな

 巡回先のある人のところでびみょーな話題が出てて、びみょーな話題なのでコメント欄に書こうかと思ったんだけど、長くなりそうなのでやっぱこちらに書かせていただく。

 デリケートな話題だし、ご当人も「あとで消すかも」って言ってるので本来ならこういう感じで取り上げるべきではないと思うのだが・・上記した理由ということでご容赦

 
 当該エントリはこちら



 引用はしないけどいちお要約だけさせていただくと、

・職場でセクハラまがいのことをされて困っている同僚がいる

・セクハラまでいかないので立件しにくい(現時点では決定的ではない)

・具体的に言うと度を越した距離感

・巧妙にボディタッチ(立件というレベルではない=オレ的解釈:「日常的なスキンシップの範囲ですよ」と言い逃れされる恐れあり)

・パワハラではない(モラハラ程度)

・居直って、「誰がお前にセクハラするかよ」、とか言いそう



 ぼくはこの方面詳しくないんでアレなんだけど、今日ちょうど内藤朝雄さんが出演されてるパワハラネット聞いちゃったもんで、いちお伝聞しとこうかと思いまして。

 
パワハラネット
http://www.pawahara.net/index.html

パワハラネットラジオ
http://www.pawahara.net/net_radio/


 これの第一回放送分(第1回「恫喝上司と放置会社〜サービス残業まで」)

 結論から言うとそれってパワハラっぽいですよ?

 パワハラじゃなくても、ハラスメントで関係者がなんらかの圧迫を感じた結果、精神的負担から身体に異常をきたした場合は暴力行為として認定できるそうです。つまり法的処置が取れるということ。

 
 んで、内藤さんは、
「そういうハラスメントは“ハラスメントしたら処罰されるよ”っていう制度を作らないとなくならないですよ。反対に制度ができるとそういうタイプは驚くほどすぐにハラスメントをやめる。会社辞めさせられるの怖いですからね。なので法的整備を進めるべきです。あと、“ハラスメントはいけないよ(ハラスメントやらない/させない)”みたいなのが美徳となるような物語を社会的に共有するようになるといいです」、
って感じのことを提言されていた。つまり飴と鞭ということだろう。



 でも、アレですよね?


 実際問題として、法的に訴えるのってキツイですよね?



 手続きが面倒っていうのもあるんだけど、そういうタイプって逆恨みしそうじゃないですか?そういうのが一番面倒だし、人生の浪費になるし・・。

 なので、ぼくはそういうのはあまりおすすめしない。というか、そこに心理的負担がないなら別にいいんだけど、もうちょっと別の方法ないかなって思います(ヘタレなので)。


 で、思うのは

(1)職場全体で注意する

(2)職場全体で遮る(注意を逸らす)

(3)職場全体で無視する

 などではないか、と。


 (1)と(2)はほとんど同じで、一回その人以外の人で集まって、腹を割って話し合って被害状況を確認し、連帯感を高めて事に当たる、というもの。具体的には、誰かが標的にされてるようだったら、ハラスの人に用事を頼むとか何か質問して注意を逸らすとか。そういう感じでそれとなく助け合う。もしくはさりげに嫌味をいうというのもアリかな。でも、ハラスな人は気づくと逆恨み粘着して来そうだから気づかさないほうが良いのかもしれない。


 んで、(3)。これも基本的に皆で話合うところまでは同じで、あとは無視するっていうか逆にいじめるって感じです。それとなくいじめる(会話からはじく。情報を通さないなどですね)。ただし、これはやってると自分も黒く染まっちゃうので良心の呵責を感じるタイプにはお勧めできません。(たぶん女童貞なsmallpineさんにはできませんね?)

 なので、(1)+(2)って感じかな。

 ポイントは皆で話し合って連帯意識を高めるってことなんですが、ここで問題なのが職場における信頼度の問題だと思います。相手と自分(もしくは話合いの場の首座的位置にいる人)の職場全体における信頼度を比べて、相手のほうが勝っていた場合、連帯して作戦は通用しないでしょうし、下手をすれば逆に自分がひどい目に合わされます。なのでその辺の見極めが肝要か、と。

 あと、話し合いの席に敵の間者(ハラスな人と仲が良さげな人)がいないようにしないとやばいでしょうね。



 以上、僭越ながら。



(※あとは、冒頭で挙げたパワハラネットを覗いたり、相談してみるといいかも。できるだけいろんな状況のサンプルが欲しいとのことなので匿名でも相談に応じてくれるんじゃないかと思います)


posted by m_um_u at 21:50 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月07日

blogジレンマとゆるい繋がりの可能性

 ちょっと寝る時間が遅くなってきてるので簡単に済ませたいのだけど、また長くなるかもしれない・・。できるだけ短く。

 縮景園を散歩しつつ、「これってビオトープ?」、とか思った。ビオトープとは、

ビオトープ(Biotop、独語)は、バイオトープ(biotope、英語)とも表記し、生物の生息環境を意味する生物学の用語であり、また生物・環境教育の文脈では人工的に作られた生態系を指す言葉である。言葉はラテン語とギリシア語からの造語で、「bio(いのち)+topos(場所)」である。 また人工的に生物群の棲息場所となるよう環境を整備した場所のことを正しくはビオトープ・ガーデンと言うが、この呼称は日本ではあまり浸透していない。

ビオトープ とは 「英biotope 独Biotop」 (biotope) びおとーぷより引用】



 要するに「小さな生態系」とかいうやつだ。この言葉自体に「ロハス」的ななんかイイ感じ臭があるので少し注意しながら使う必要があるのだろうけど、めんどーだしチューボーなので論を進める。

 で、メディア者としては例の「メディアビオトープ」が思い出されるわけだが、


メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする
水越 伸
紀伊國屋書店 (2005/03)
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 上記した通り、「なんだか胡散臭いなぁ」、って感じだったので読んでない。っつーか、いままでの水越さんの話をあたらし言葉でコーティングした感じだろうなぁと思ってたので。んで、読んだ人の感想ぐぐったらやっぱそんな感じだったみたい。(ミニコミメディア(alternative media)が云々)

 実際に本を読んでないので批判はしないけど、今回のネタとしては使わせてもらおうかなぁ、と(読まずに

 生態系(eco-system)といえばよいところをわざわざ「ビオトープ」というあたらし言葉を用いているのはなぜか?好意的に解釈するならば、そういう言葉でしか表現できないような新しい事態というか、見過ごされていた事象があるからではないか?どうもこの言葉で表したいのは、「大きな生態系によって小さな生態系が潰されている」、ということらしい。生態系は一繋ぎの仲良しさんではなく、小さなノードとか大きなノード(ハブ)がバラバラに点在しつつネットしている、と。

 ビオトープは人の生活空間の一部に、自然を組み込んでいく場だ。また、小さなビオトープ一ヶ所だけでは成立しない、複数のビオトープがネットワーク化されることが必要とされてもいる。同じように、人工的・歴史的に作られたマスメディアでガチガチに固められた社会の中に、作り手と受け手が分離するのではなく、相互にコミュニケーションしながら、コミュニティを形成していく、小さなメディアのビオトープのネットワークを作っていこう。一つ一つは小さなメディアであり、そのメディアに支えられた小さなコミュニティであっても、それがいくつか集まってネットワークを形成していけば、簡単に消えていくことはない。

読書日記: メディア・ビオトープより引用】


 んで、「バラバラのものの連帯を強めていけばいいんじゃん?」、みたいな感じなんだけど・・・・・・びみょーですよね?(と、ネットワーカーの皆さんに低姿勢に聞いてみる)

 まぁ、こういうことなわけだけど、

ブログ世界はフラットではない---「アルファブロガー」の孤独なセクトが生まれるわけ。(@BigBang)
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2007/02/post_9385.html

 フラットっていうと「フラット化する社会」を想起して、あれはグローバリゼーション(一部のハブの独占)からハブとハブの林立にモデルチェンジした様相を描いている本っぽいのでちょっと「フラット」って言葉を使うのはびみょーな感じだと思うんだけど、まぁ、文脈からして「ノード間が対等の関係にあることという前提」を指していると解釈すると、BigBangさんが指摘されているようにアルファな人とベータな人は住む世界というかスキーマが違うので話が合わないよなぁ・・。

 リアル世界だとそういうこと察して生活してるもんだけど、ネットは顔が見えないし、blogなんかSBMのホッテントリとかニュースサイトとか「2chで見て飛んできますた!」なので文脈なんか断絶されてて、それまでのblog主の主張とか人となりなんかお構いなしだもんなぁ・・(個別エントリは見てもトップページとか過去ログ見る人少ないよね?)

 
ちょうどishさんのところに関連エントリが出てた


なぜコメントの敷居を高くするのか
http://ish.chu.jp/blog/archives/2007/03/post_315.html

交流、直流、コミュニケーション
http://ish.chu.jp/blog/archives/2007/03/post_316.html


 簡略化された言葉が齟齬と誤解を生むということ。そして公開の場でミスリードやディスコミュニケーションの部分だけクローズアップされ伝わっていくということ。その危険性はよくわかる。そういうわけでアルファな人は話に乗ってこない。相手がアクセス数持ってて、相手の言説によって自分のプロパティ(ネットでの評判)が脅かされるなら別だろうけど。「日本のblogは低レベル」で「わたしはアクセス数(アルファかどうか)など気にしていない」とか言いつつもアクセス数は気になるわけだ。(まぁ、仕方がない)

 現在のテキスト主体のネットコミュニケーションというのは「顔が見えないコミュニケーション」ということで情報量が少なく誤解が生まれやすいんだけど、誤解を減らそうと思って言葉を尽くすと長文ということで嫌われる・・。


ネットから長文が消える理由?(@スラッシュドット)
http://slashdot.jp/it/article.pl?sid=07/02/06/1040227


 んで、「分かりやすくまとめる」わけだけど


「わかりやすくまとめる」ブロガーがブログ界隈をテレビ番組化していく(@シナトラ千代子)
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20070206/p1


 そうすると「情報量が少なく誤解が生まれる」ということで堂々巡り。


 スパムとかディスコミュニケーションとかで※欄を開放しないのは分かる。ishさんの場合、マイノリティ的事情もあるし。

 webによるスピード感の加速は場の圧縮をもたらして、タイムラグなどの緩衝材がなくなりコミュニケーションの齟齬が生じやすくなるということ。文脈違うけど「場の圧縮」関連でP.ヴィリリオを想起する。 もしくは「距離近すぎ」ということでこの辺か


コミュニケーション不全症候群
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 要は、「短文でも誤解を受けないようなプロモーション技術(コミュニケーション技術)を自然と身に着けているか」(あるいは空気嫁)、ということで、そういうのは百式の田口さんなんかうまそうだけど、あの人たちって広告とかマーケとかそういう人たちだもんなぁ・・。そりゃうまいわなぁ・・

 めんどくさいのでぼくは自分言葉でおーざっぱにまとめていくことにしてるけど。



 で、


 冒頭のビオトープの話に戻ると、そんな感じでネットってリアルワールドの写し絵なのでそんなに簡単に「みんな仲良し〜♪」とかできないんじゃないか?でも、ソーゴリカイというか、他人が何を思ってそういう行動をしたのか、想像する余裕ぐらいは持っておいたほうがよいと思うけど。それは「仲良し」的必要性だけじゃなくて、セキュリティにも関わるし(行動パターンを読む)。っつっても、そんなに簡単にパターン読めるわけでもないだろうけど。

 ビオトープ的な考えがそういう感じで島宇宙のゆるい繋がり(繋がったり繋がらなかったり)を許容するのならありかな、と思ったり。

 「ムリに仲良くならなくてもいい。でも理解はするべき」みたいな距離感としてはこの辺が妥当ではないかと思った






 現在のネットのeco-systemとしては下記リンクの辺りがモデルケースとして考えられているみたい。


The Emergence and rise of mass social media
http://www.socialmedia.biz/2007/01/social_media_go.html

 
 織田さんの解説をパクらせていただこう

1.コミュニケーションは対話であり、一方的な言葉ではない。

2.ソーシャルメディアの参加者は人であり、組織ではない。

3.正直さと情報公開が中心となる価値観である。

4.プッシュではなく、プル。

5.集中ではなく、配信。

Ad Innovator: 今日の解説:マスソーシャルメディアの台頭より引用】




 あとはIBMによる4象限モデルとか
http://www.socialmedia.biz/2007/02/the_coming_medi.html


 前に見たEmergent Media Eco-Systemの焼き直しっぽいし、あくまでモデルなのでそのまま行くかどうかは分からないんだけど、まぁ、いちお記憶にとどめておこう。


--
関連:
上川あやさんの本(@heuristic ways)
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20070307

※中村中さんの話の続き


「共同体」のイメージ(@小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」)
http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20070306#1173156967

※小田センセからお返事いただいた。「田舎のほうがキチキチした監視があるっていうのは偏見じゃないの?」、と。こういうのは農民蔑視の偏見解除にも役立つな。あと、後段の「共同体の脱構築/再構築」も面白そう



posted by m_um_u at 23:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月02日

明日はゆかいなひな祭り♪

 卒業式シーズンもたけなわ(?)、そういえば明日は雛祭りですな。

 そういうわけでちょっとセクハラw おっさんっぽく呪いをかけてみます。
http://www.miyakeclinic.com/k-eiyou/siki/hinamaturi.htm


 ちょっと前に、このことを知ってショックを受けた人の話をはて部経由で見たんだけど・・まぁ、ショックですわなぁ・・。って、農業国日本の大部分の祭りはそれ系(「豊穣-子種」ワッショイ)なわけだけど、それを知るとショックな人がけっこういるんだなぁ、と。

 ってか「農業国」とか言ってると網野史観的に怒られちゃいますね(くわばらくわばら)・・。とか言いつつ、「元々日本は性風俗に対しておおらか」、について話を進めると、美輪明宏なんかがよく言ってる「だからオカマも風俗の一部だったのに、そういう多様性を明治期近代化が押しつぶしたのよ!(コルビジェ大嫌い)」みたいな話になるんだけどそこには乗っからずに、農民と性風俗の関連で話を進めていくと、明治期までの性の多様性の元は農民的な価値観に由来するのかなぁ・・?

 もっと遡ると、農民的習俗って弥生系?縄文系?

 って、縄文系(国津神文化)は北と南に追いやられたはず(※オレ様歴史観)なので、本州の大部分は弥生系ということでそこに違いはないだろうな。ちなみに「弥生系=醤油顔」、「縄文系=ソース顔」ということで、その辺りでセクシャリティに関する意識の違いみたいなのを探ってみようかと思うけど・・ないよなぁ(「ソース顔のほうがセックス好き」とか偏見だろうし)。

 んで、農民の性意識について。

 これについてはけっこういろんなところで語られているだろうし、いまさら云々ということもないけど、いちお。いわゆる「農家は性意識が奔放≠夜這い、近親相姦・・云々」な話だけどこれって今でも続いているのだろうか?一部の村落だけ?(ってかそもそも偏見?)

 こういうのは柏木ハルコの「花園メリーゴーランド」的世界観なわけだけど、あの人の仕事ってこの辺りに続いていくのかなぁ・・(「農耕を起源とした日本のセクシャリティの多様性とそれへの抑圧」みたいなの)。学術系だと赤川センセ辺りなのだろうけどどうなんだろ?ってか、上野千鶴子女史の例の本に絡むのかなぁ・・(ってか、この時期の上野センセの写真って野性味あふれる感じですごいな)。「スカート〜」関連だと田口ランディのアレとか思い出すけど、アレはアレで面白かった(「女のこぼれ話」みたいな感じで)。それにしてもこのごろの田口さんは若い・・。


 農家の性が云々話に関連して最近はて部経由でこんなの見た
http://imihu.blog30.fc2.com/blog-entry-2486.html

 あえて要約しないけど、ひどくてすごい。息子がアレなのは大前提として、母の愛かなぁ、と思ったり。ってか、地方ごとの性に対する意識の違いが為せる業かなぁ、と。九州みたいだけどあの辺ってそんな感じだったっけ?


 コレ系の奇祭の分布図があったはずなんだけど・・見つからないな。かなまら祭り(神奈川県)、ほだれ祭り(新潟県)、田県神社(愛知県)、大県神社(愛知県)、ぐらいか
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%AB%A4%CA%A4%DE%A4%E9%BA%D7%A4%EA

(※関係ないけど上記ページのGoogle様リンクに「ひな祭り」ってある・・。すごいなGoogle様、エージェントスミスみたいだ)

 

 そういうわけで4月ぐらいに実地検分してみる予定です。ついでにネズミーランドにも行ってこよう。あと ネタ的な話なのでmixiに書こうかと思ってたけどTBしたくなったのでこちらに置いとこう。

















--
関連:
農家の恐ろしい実態 まとめサイト
http://blog.goo.ne.jp/noukano-jittai

※「農民的倫理観」については「第二次大戦で信じられないほどの蛮行を繰り返した大部分は農民出身」みたいな言説があって、散人さんなんかが嫌う農民像というのはそういうものに起因しているのかもしれないけど、だとすると性的なものと攻撃性みたいなものにはなにか相関があるものなのだろうか?リビドーとかタナトスとかその辺?(そして反動としての自壊衝動)・・心理学疎いので分かんないや



巨大なる根っこの祭り、かなまら祭り。(@ミズタマのチチ: ピヨピヨ)
http://kojiru.jugem.cc/?eid=704


今年の恵方は北北西(@藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」)
http://d.hatena.ne.jp/hankinren/20070126#p1



--
追記:
あ、「日本のすべての祭りとか文化習俗は農耕行事が基本となっている」、っていうのは電波です。ひな祭り自体は人形もてるようなお金持ちの遊びだったらしいし。

ひな祭り(@weblio)


言いたかったのは、「ひな祭りにも生命祈願みたいなのが含まれてるんだねー」、みたいなことです。んで、その性格が「人口増産+豊穣祈願」な農耕系の祭りと似たようなもんだなぁ、性的なものはそんなにタブー視されるものでもなかったんだろうなぁ、と。そんな感じです。

ってか、侍と農民だと性意識は違うか・・。とりあえず昔は医療が発達してなかったので子種とかそういうのが現在に比べてすごく大事だったんでしょうね。





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2007年03月01日

xFruitsを導入してみた

 今日はマジックミドル(middle tail)とblog、ニュースサイトの関係についてエントリするつもりだったけど、酒飲んで眠くなったので止め。ワイルドターキーの余ったのとスミルノフ飲んだ程度なんだけど、思いのほか酔ってしまった(ほろ酔い)。やっぱ空きっ腹に飲んだのが遺憾な。

 そういうわけで予定を変更してサイトの微調整について。

 J.D.Lasicaのとこ経由でxFruitsというweb serviceを知ってなんとなく使い始めてみた。日本語説明によると、「いわゆる plagger の シンプル版といったところ」、とのこと。RSSを自由にカスタマイズできるってやつ。「複数のRSSを編集して一つのRSS」にしたり「RSSをWEBページ化」したり「RSSを元にケータイページ」を作ったり「RSSをメール化」できる(ほかにも)。とりあえず本サイトのRSSをケータイページ化してみた。・・多分に自己満足な感じだけど。

 でも、これってうまく使いこなすとかなり便利そうだな。「すべての情報をRSS化してG-mailで読む」とかできそうだし。さらにそれをケータイG-mailで読む、と。

 そこまで情報に飢える必要もないのかもしれないけど、やっぱ便利。GoogleっていったらARTIFACTのまとめエントリ経由でGoogleモバイルの存在を知った。i-mode, au, softbankの各キャリアとも対応していて、京ぽんでも見れるので便利。路線変更とかローカル食べ物とか探すときに良さそうだ。

 Googleモバイルと言えば、アメリカでは渋滞情報にも対応したとのこと。やたら便利そうで日本への上陸も期待されるのだけれど、いつ頃なのかなぁ・・。できればゴールデンウィークまでに入ってくれるといいですね。

 

 って、あぁ、ダメだ。・・眠い



 おやすみなさい




--
関連:
RSS のいろいろ変換ツール、xFRUITS が β公開(@a++ My RSS 管理人ブログ)
http://blog.myrss.jp/archives/2006/06/rss_xfruits.html




タグ:tips
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2007年02月19日

blogツール検討

 いまから出かけるのでメモ程度に。blog用に取り入れようかと検討しているツール↓


 自分のページにお手製の Flash Movie (FLV) を貼り付ける方法(@デジモノに埋もれる日々)
http://c-kom.homeip.net/review/blog/archives/2007/01/_flash_movie_fl.html

 「らくらく動画投稿♪」って感じだけど、こんな感じでFlickrとかとの連携ってあったよな


 ガイジンblogのサイドバーによく見かけるFrickrのブログパーツは「Zeitgeist」というらしい。Frickrが提供してるのか。
 Frikrが提供してるブログパーツとしてはほかに「Buddies」というのがあるらしい。お仲間の好み(?)とかなんとか(what they look like)。いづれにしてもFrickrでアカウントとらないと使えないな。こちらにFrickr入門編みたいなのがまとめられてて便利げ。

 写真共有サービス「Flickr」(@WADA.blog)
http://wada.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/flickr_66e8.html


 あと、NETAFULLの特集でFlickr簡単検索wigdetが紹介されてた。

Dashboard Widget「FlickIt」
http://netafull.net/macosx/014286.html

 写真クリックで貼り付け用のhtmlソースを生成してくれるみたい。↓も面白そう

 Flickrのスライドショーをブログに埋め込む方法
http://netafull.net/lifehack/016495.html



 マイクロソフトのブログ投稿ツール「Windows Live Writer」(@GIGAZINE)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060814_live_writer/

山形さんが宣伝用に使ってるエディタかな?もうダウンロードしてあるけどインストしてない。軽ければ使うかも


 Share your files with this widget(@Social Media)
http://www.socialmedia.biz/2007/01/share_your_file.html

 「blog上でらくらく動画共有♪」なボックス。っつっても共有する相手もいないしな。動画以外のファイルも共有できるかも



 最強の呼び声高いブログ用対スパムプラグイン「Akismet」(@GIGAZINE)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070127_akismet/

 スパム対策はしとかないとなぁ





 あとは動画変換系とかNOTAも気になる。 帰ってから検討しよう





タグ:blog
posted by m_um_u at 09:20 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年02月18日

ジャストシステムのブログエディタとかシーサーすごいなとかケータイ時代のコミュニケーションとか

 XML文書編集の未来形!?――ジャストブログを試してみた (@IT)

 って記事に触発されてジャストシステムのブログエディタをインストールして使ってみたんですが・・なんか重くて動かなかった・・。

 ウチのマシンが弱っちいせいなのかなぁ。。

 まぁ、そんなこんなでジャストエディタはなし、と。まぁ、この感じだといまのシーサーは安定してるみたいだし、従来通りブラウザから投稿しても特に不便も感じないですしね。
 
 てか、シーサーのサイト編集は楽ですな。「ブログパーツ編集」
っていうのでドラッグ&ドロップでブログパーツの追加とかできるし・・。いやぁ、便利になったもんだ。

 あとは文字の大きさとか調節できるといいんだけど(もうちょっと大きいほうがいい)。


 これだけだと芸がないので今日聞いたpodcastの感想でも書いときます。

 今日は宮台真司週刊ミヤダイより「携帯電話1人1台時代でコミュニケーションはどう変わった?」ってのを聞きました。

 箇条で要約すると、

「ケータイ」⇒「コミュニケーションの希薄化(代替可能性)」⇒「ハブられないようにするために過剰にベタベタしたコミュニケーションをする(せざるを得ない)」

「ケータイ的視聴様式に合わせたTV番組、映画などの変化」⇒「ケータイをしながらの視聴(集中力が続かなくて伏線をまともに追えない)に合わせて、短いスパンで山場をもってくるような作りに」⇒「つまらない作品の増発」

「家族などかつての“場”にしばられたコミュニケーションの希薄化(ネットやケータイの知り合って間もない人に親身な相談をもちかける)」

「でも、ネットやケータイなどの新たなコミュニケーション様式にも可能性があるのでは?(ex.コテハンという新たな縛り(場)」
 

 だいたいこんな感じでした(一部解釈入ってるけど)。面白いなと思ったのは「仲間内でハブられないようにするために過剰にベタベタしたコミュニケーションをする」ってところ。これは一個前のエントリ(mixiにおけるベタベタコミュニケーション - mixi疲れ)なんかを想起させますね。「せざるを得ない」ってとこがポイントかなぁ、と。

 「ケータイ族に合わせた映画作り」というところではYoshi映画(参照)なんかを思い浮かべたり。見てないのでなんとも言えないけど。

 あとは最後の部分で、「かつての場の縛りが失われた現在、関係やそれに付随した実存が薄れていく中で我々はどのようにして新しい時代に向かい合うべきか」(意訳)みたいな課題に対して、「一見、無法にみえるネット社会にもコテハンみたいな縛りがあるし、その辺りに可能性を見てみても良いのでは?」的な締めはなんかもうちょいな感じでした。電縁の可能性ということだろうけど、やっぱ既存のルールの転用なのかなぁ、と。
 
 mixiの日記のほうには書いたけど、個人的には「ネットの海に溶けろ」的な課題を目の前にしているのでなんとも古臭い(オッサン臭い)結論のように感じました。

 まぁ、本気というわけでもないのだろうけど。

posted by m_um_u at 15:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

blog再開しました

 mixiでしばらくリハビリしてたんですが、そろそろあっちの日記がblogっぽくなってきたのでこっちで書くことにしました。

 ジャストシステムのブログエディタも試してみたいし。やっぱ検索とかタグタグクラウドとかあるのが便利げなので。あっちで日記がたまると自分の書いたものを参照するときにちょっと不便ですね(ツール使えばいいんだけど2ステップかかってめんどくさい)。トラックバックもしたいし。動画アップとか、写真アップとかこっちのほうが楽そうだし。

 あと、いろいろアクセサリ(ブログパーツ)もつけれるみたいなのでちょこちょこいじっていくこととします。

 まぁ、とりあえず、よろしくおねがいします


 あと、mixi内でmixiの嫌がるかもしれないエントリ書いたのでこっちにも複製しとこう。

 
posted by m_um_u at 08:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク