2007年03月22日

大学教育について(上下分離の必要性など)

ちょっと前からこちらのblogをちょくちょく見させてもらっている。


福耳コラム
http://d.hatena.ne.jp/fuku33


 経営学系の人らしい。んで、同年代、と。そういうこともあってかなんか読んでて楽というか分かりやすい(って、ぼくは経営学プロパーではないが)。特にこの記述で「おまえはオレか?」的既視感を感じた。

まだまだ書こうと思えば書けるのですが、書きながらあれ、と思ったけれど、ずいぶん生産管理論の用語で戦争って語れるもんだなあ、と思いました。これは思い出してみれば、アメリカでOR(オペレーションリサーチ)の研究が始まったのが戦争中の米軍の兵站の研究でだったからかな、と思います。と言ってもこれはわたくし噂で聞いただけで、経営学史をひもといたわけではないですが。でも、経営学で現在自分が使っている資源の最適配分とか、成果の極大化とか、そのまんま軍事に使える概念である気がしてきた。ていうかもとがそこから来たんだからこれは当たり前か。

福耳コラム - 軍事研究の経営学的意味より引用】


 
 そういうことなのだ(って偉そうだが)。昔から経営の専門家(社長)が孫子の兵法なんか呼んでたのは伊達ではなかったのだろう。

 んで、ぼくもちょっと前にクラウゼヴィッツの理論をモデル起こししてそれを基調に軍事戦略・戦術の変化を追い、経営学系の理論と合一させようと思ったのだけれど中途になっている。(伊丹センセの「新・経営戦略論」を基本にいまのところここまで↓)



経営学.JPG


経営学2.JPG


 そんで、こういうのを作りながら思ったんだけど、経営学って体系的理論がないのね。いや、御大級の人が最後の一仕事って感じでつくろうとはしてるんだけど、びみょーというか、クラウゼヴィッツ級の確定したやつがない。そんなことを思ったわけだけどやはりご同輩というか↓

ある文脈の中で戦略という語彙が使われて、つまりどういう意味かと読み込むと、単に「目的」という言葉の代わりに戦略と言っていたり(例:売上増戦略)、「手法・商法」という意味で戦略と言っていたり(例:現金掛け値なし戦略)、なんか巧妙な巧いやり方で敵を楽に倒す「計略・戦術」という意味で戦略と呼んだり、あるいは「戦略とは差別化のことである」という学者がいたり(マイケルポーターお前のことだ)、それはいろいろある戦略からあなたの選んだのがそれであるというだけで、戦略一般の定義とは違うでしょ、と言いたくなったり。

つまり経営学者やコンサルタントたちはみんな好き勝手に戦略と言っているだけで、クラウゼヴィッツの「戦略とは個々の戦闘を戦争の目的に結びつけることである。」という定義がいかに優れているかは、それより百年もあとに生れたはずのおじさんたちがそれに追いつけてさえいないことで明らかではないか。だって個々の活動を目的に結びつけることが戦略なら、経営学の都合で人事戦略だ販売戦略だ生産戦略だってばらばらに考えること自体が戦略的ではないのではないか。戦略論は突き詰めれば全体論になるのじゃないか。

福耳コラム - 「戦略論」の混乱より引用】



 分かるわぁ。平気で戦術と戦略をまぜこぜで使う人とかいるし、マーケの人でも自分の業界のカタカナ言葉をフル稼働で話すんだけど、それって経験則にすぎないんだよね。いや、経験則は経験則で重要かもしれないけど、でもそれ短期的な効果しかないし、なんつーか判例みたいなもんだから。「それじゃ先見えないよ」って感じなんだけど、MBAはMBAで資格取るのも大変らしいのであまり言うまいw


 んで、まぁ、「お仲間かなー」って感じでニコニコ見てた福耳さんのところでちょっと悩みが


福耳コラム - 素質論に逃げまい


 「学生が大根ばかりでもあきらめまい!(それがワシらの仕事や)」、と。若手講師にありがちな悩みというか、責任感強い人ほどこうなるんだろうな・・。非日常さんとこのスーパー講師の人に相談したいようなヤマだ。

大学教員の日常・非日常:昔の日記:ミスター非常勤

大学教員の日常・非日常:さよなら非常勤先生



 もしくは、こういう問題って塾講師とかのほうが割り切っててうまかったりする。ってか、ぼくはこの部分の教育ってもう塾に外注していいんじゃないかと思ってるけど、そうすると若手に仕事が回ってこないか?5号館さんとこにそんな話題出てたか。


5号館のつぶやき : ポスドク1万人計画の次は早期退職教員1万人計画


 5号館さんのところは「ヤル気のない教員辞めさせてポスドク1万人採用したほうが有益」ってスタンスだけど、そのポスドクが塾講経験もあると良いのではないか?ってか、ほとんどのドク(ポスドク)って塾講(ないしそれに準ずるもの)経験あるだろうけど。


 あと、関連で、「専門知識を分かりやすく解説する能力を持った人がいるだろうね」、ということでこのような提案をされている

5号館のつぶやき : 科学技術コミュニケーター利用のすすめ

 これなんかも「教育特化」(もしくは上下分離的に「教育」と「研究」、「経営」を分ける)と考えると分かりやすい。余談だが、桂(スラヴォイ)ジジェク師匠は研究ばっかやってればいいんだそうだ。「年に2、3回講演したらほかの人の半分のきゅーりょー貰えるよ。それでそんなのをいくつか掛け持ちしてる。だから一杯本書けるよ」、と。うらやましい限りだがご本人もありがたがってた。そんな感じで最適化を測って、能力がある人の能力をフルに活用したほうが良いだろう。誰とは言わんが、大学院とか大学の講義とかでもぶーたれてやってる大御所とかいるわけだし・・。ああいうのは学生に悪影響だと思う(その分野に対する好奇心とか魅力がなくなる)。


 んで、福耳さんの件に戻るけど、

 そういやちょっと前に意味不明なTB送って混乱させてしまったかもしれない(ちょっと反省)。

 muse-A-muse 2nd: 教育とか教養について

 
 言いたかったのは上記してきたようなこと。つまり、「基本的なところは塾講師的なフローで良いのではないか?」、ってこと。この部分の知識は本来の意味での大学的知識ではないけど、素養ができていないのだから仕方がない。現在は学級崩壊世代よりもちょっと下か。そういう世代がてきとーに「ゆとり教育」とかで育ってきてるわけだからもうアレだ。ちょっと前の世界史履修漏れ問題のときに、「現在の大学ではそういうことに対して大学教員が大学以前の基礎的知識についてフォローしている」、みたいな話を聞いたけどそんな感じで仕方ないのではないか?だってできないんだもん。できないってことは話が通じない(プロトコル≠インターフェースの統一してない)んだもん。読み書きソロバンができないんだもん。っつーか、それ以前にヤル気ないんだもん。

 そういう部分のリテラシーってのはアレだ。短期集中で詰め込みさせるしかない。その際の「インセンティブ」がポイントなんだけど、これはプロの塾講の人たちはどんな感じで設定してるのかな?

 伝え聞いた話だといわゆるスーパー塾講と呼ばれる人にはそれぞれ得意技というようなものがあるらしい。生徒はそれを見たさに講義に通ってる面もあるのだとか。えーと例えばこんなの↓




pya! この点はでねぇよ!

荻野RAVE




 愛されている



 って、ここまで来る必要はないかもしれないけど、個性は必要かな、と。学生を引き寄せる個性のようなもの。ぼくはそういうの苦手だし講師してないのでアレなんだけど、とりあえずこの辺とか参考になるかもしれない。


塾講師のつぶやき


理科塾講師のつぶやき



 あと、こんな感じで「基礎教育」部分を外部化する場合、平行して経営に特化した人員の採用が必要になると思う。大学長なんかそういうセンスない人ばっかなわけだし、学内政治なんかしてたら少子化に向けてほんとに生き残れないのではないか?経営系の人はそういうのに借り出されてるみたいだけど、それに加えてやっぱ社長とか企業トップの経験のある人がいてくれると心強い。「学校教育への経営的意識の導入の必要性」については(中学校ではあるが)この辺りに詳しい


バックナンバー - 今、学校で何が起きているのか - nikkei BPnet






 ってなんか書きたいことから大幅にずれてしまったな・・。


 ほんとは「教育」の参考として野中センセのSECIモデルをスキーマアレンジしたものをアップするつもりだったんだけど・・。まぁ、あれはあれで教育学系の人から見たら「なんじゃこりゃー」((C)松田優作)とか言われるかもしれないからいいや。んじゃ、とりあえずSECIモデルだけ↓


パターンエンジン

SECIモデル(JPEG 画像, 694x485 px)


知識創造の「SECIモデル」


 knowledgeの効率的な運用に関して。これをそのまま教える必要はないけど、少しは意識したほうがいいように思う。具体的に言えば、「input」 ⇒ 「書き出し(あるいは描画)確認 (ex.ノート)」 ⇒ 「外部知識との連結 (ほかのテクストとの連携)」 ⇒ 「消化吸収 (自分の内部のサブシステムみたいなものを構築。しばらく寝かせて次のサブシステムと繋げる ex.自分なりの言葉に直して認識をhackする)」、という過程になる。


 あと、軽く言うと、教育というと勘違いされているようだが、一方的なコミュニケーションではないので。マスコミュニケーションの効果研究でもこういう勘違いがまかり通ってきたみたいだけど、情報の伝達過程というのは声を出しているほうばかり目立つけど、受容するほうも受容の時点でコミュニケーションを行っている。声を出したりしない暗黙的なもの(Read Only)なので誤解されやすいが、教員なりメディアなどがなげかけてきたコード(スキーマでもいい)に対して、それを受容するコードを設定しないと何を言っているのか認識できないので、受容する側がそのコードを設定した時点で消極的だがコミュニケーションを行っている。この認識に立てばメッセージの受容過程とは単なる一方的なコミュニケーションではなく、受容者のコードをいかに刺激するかということが肝要となってくる。つまり、「いまはこういう話をしているんだよ。これは全体から見るとこの辺に当たる話で、こういう意義を持ってるんだよ。んで、今日はこの辺まで講義するつもりです」、というふうな感じで受容側にコード設定させてあげるのが良いように思う。




 あと、蛇足



 話とあまり関係ないけどこういう話ってなんかいいですよね(ほのぼの)


asahi.com:84歳の修士学位 さいたまの宇都宮さん「次は博士号」 - 暮らし



 ついでにトリビア

 学校教育法では、

小学校に在学するものを児童

中学校に在学するものを生徒

高等学校に在学するものを生徒

大学に在学にするものを学生

と区別する。

大学教員のトホホな日常? - 児童と生徒と学生より引用】




 知らんかった




--
追記:
それとは別にマーケティングのほうちょっときちんと体系化してみよう思ってる。とりあえずこの辺からかな


行動に対するマーケティング: mediologic.com/weblog



それとは別に教養のようなものの必要性(意義)があるわけだけど、これは長くなるのでやめとく。簡単に言うと、自らがもっとも重要とする価値の根幹に関わってくる知識、が教養だと思う(人生をコントロールするための指針のようなもの)。なので個々人によってなにを「教養」とするかは変わってくる。



--
追記(2007.3.23):
なんか誤解されるとアレなんでいちお言っときますが、ぼくは管理教育大嫌い派です。

「プロトコルとかリテラシーをがしがし詰め込めばいんだよ!」とか言ってるとスパルタ型管理教育推奨派のように見えるかもしれないけどそういうことではなくて、語学とかPCのタッチタイプでもそうですが「基本的な覚えもの」ってあると思うんです。その部分は本人にがんばってもらうしかない。この部分について、教員のほうはそのヤル気を高めたり、ちょっとでも覚えやすいように関連付けたり、とかそんな感じのことぐらいしかできないかも。

で、

それ以前の基本的な「知」というか「学」へのスタンスみたいなのがあるように思います。思うのは、「正しい問題設定ができるかどうか?」、ということです。「知識」以前にある関心領域に対して正しい問題設定(あるいはそこから派生する複数の疑問の立て方)を知っていれば、答えは自然に集まってくるように思います。「自然」というか情報検索とか図書館など情報機関の使い方などについても教える必要があるのでしょうが・・。

で、なにをもって「正しい問題設定」とするかですが・・・ムズイですね。自分の頭で考えて、突き詰めていけば出てくるはずだけど・・。


「この問題を解決するにはどのような方法が妥当か?」、「問題の障害になっているのはどのようなことか?」、「障害を取り除くにはどのような方法が考えられるか?」、「そのコストとリターンはどの程度のものか?」、「現在、この問題に取り組んでいる先行事例はあるか?」


などは論文書きにとってはふつーのことだけど・・いきなり論文ってのもムリだよなぁ・・。とりあえず「自分の頭で考えさせる」(問題設定をさせる)ということではないでしょうか?






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2007年03月21日

猫の事務所と格差社会

 最近podcastづいている。ふつうに読むとたるいものとか、めんどくさいものでもpodcastの場合はムリヤリというかフローで聞けるので良い。文字データよりも音声データのほうが時間当たりの情報圧縮率も高いし(つまり読み取り時間がかからない)。で、主に古典とか詩とか聞いてるわけだが(もうちょっとしたら英語もやろう)。
 
 宮沢賢治の「猫の事務所」を聞いた。


猫の事務所(@青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/464_19941.html


 んで、これって格差社会の話なんだなぁって思った。格差社会っていうか非正規雇用者へのいじめとか職場いじめの話。

 事務所には白猫、虎猫、三毛猫、黒猫、竃猫(かまねこ)の5匹の猫がいる。かま猫は寒がりで暖炉(かま)で寝るので「かま猫」。いつも煤だらけ。

 かま猫だけなんか汚いのでいじめられる。いじめられるっていうか「仕事を回してもらえない」などの地味で陰湿ないじめ。 書記長の黒猫は自分の毛の色が黒いのでかま猫の汚れを気にせず、彼を採用したらしいんだけど、なぜか後段では書記長も彼をいじめる(ってか、無視する)。

 んで、まぁ、最後に獅子に怒られるわけだけど。


 いまの時代、こういうのを思想教育で叩き込んでくれるとありがたい。



 青空文庫といえば「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」の期限が近い。4月末に集約とのこと。詳しくはうにさんのところで


青空文庫の請願署名に賛同します(@壊れる前に)
http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_d959.html



 縁起ものだから動画貼らせて貰おう


















タグ:格差社会
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2007年03月19日

本の管理とかデータのinput周りの話

 はてなのsuVeneさんとこで蔵書管理系の話題が出てたのを見て、なんかこれ系のことまとめたくなったのでこの機会にやっとこう。

 まず、該当エントリはこちら


読書管理・欲しい本管理の為のウェブサービスとか(@suVeneのあれ)
http://zeromemory.sblo.jp/article/3549128.html


 「自分がどの本読んだか。読んだ本の簡単なレビューとかまとめたい」とかいう例のアレについて。suVeneさんはこの分野慣れてないみたいなのでブクログ本棚orgでFAって感じだった。

 たしかにweb系だといまのところそれが一番いい(のかな?)。あと、オフラインで「私本管理 Plus」なんかがいいんじゃないだろうか?バーコードリーダーで登録できるし。

 バーコードリーダーはyomuparaの1万円ぐらいのヤツが人気があったと思う。


バーコードリーダ(¥8820)
http://www.yomupara.com/barcode_reader.php

バーコードリーダのある暮らし
http://www.yomupara.com/columns/bcr_life.php


 あと、上記「私本管理」の人のHPでもおすすめがいろいろ出てるのでここからみてみるのもいいかも
http://homepage1.nifty.com/EKAKIN/


 フリーソフトついでに、キーワード登録しておいたら新刊本を知らせてくれるソフトもある


ブックスケジューラー
http://homepage2.nifty.com/valhell/delphi/booksscheduler.html


 でも、けっこう重いのでweb上でうごくやつのほうがいいかな。Amazon限定だったらいろいろあるけど


あまウォッチ
http://netkids.jp/

※入荷状況通知、価格変動通知、自動注文ツール提供など、Amazon.co.jp(アマゾン)での購入支援サービス


アマゾン・アラート
http://www.aalert.jp/aalert/


アマゾンプライス
http://amapri.com/



 この辺は「安く買おう系ツール」なのでちょっとアレか。RSSも出してなさげだし。新刊って言うか、「新刊のレビュー」ということならこれがある


レビューライン
http://reviewline.jp/


 「新書」「小説」「マンガ」「ラノベ」の各ジャンルごとにRSS出してて便利。でも、人気本って感じなのでパーソナライズドサービスを求める人は満足できないかも。


 あとは図書館系。こちらのGreasemonkeyを利用すると「RSSリーダーで書評を発見→Amazonの書籍ページに飛ぶ→図書館の検索結果に飛ぶ」というフローができる。


 Amazonから図書館Webに自動リンクするGreasemonkeyスクリプトをちょこっとカスタマイズしてみた。
http://kazabana.tea-nifty.com/databackupmemo/2005/06/amazonwebgrease_89df.html


 ってか、ぼくはコード読んだり書けたりしないのでここで挙げられてるような公共図書館への直リンは利用できないんだけど、とりあえず「RSSリーダー ⇒ Amazon ⇒ Webcat」の流れは確保できる。同様のエントリはGoing My Wayにもあがってたな


Amazonの検索結果から小平市立図書館での蔵書を調べるGreasemonkey Userscript
http://kengo.preston-net.com/archives/002031.shtml#002031


 これも上記の理由でぼくは使いこなせないわけだが・・。まぁ、コードいじれる人はカスタマイズしてみるといいか、と。



 本を手に入れる方法としては他に共有系もある。


Social 図書舘2.0
http://give-n-take.net/gat/


 共有関連ということだと(本からは少し離れるが)こんなのもある


CDを物々交換できるコミュニティサイト「diglog」(@internet watch)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/01/16/14468.html

ポイントを介して書籍を物々交換できるサイト「あるかも〜ねBook」(@Internet Watch)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/07/31/12838.html

Web 2.0の挑戦者:ニッチ商品も見つかる?リアルメディアの交換サイトlendmonkey (@CNET Japan)
http://japan.cnet.com/column/ehub/story/0,2000065901,20148687,00.htm



 関連で、プチ私立図書館構想とか


貸し本棚。(@Myrmecoleon in Paradoxical Library. はてな分館)
http://d.hatena.ne.jp/myrmecoleon/20070120/1169281264

渋谷旭屋書店の閉店から「会費制私立図書館」を夢想する(@【海難記】 Wrecked on the Sea)
http://d.hatena.ne.jp/solar/20050913


会員制図書館/蔵書保管庫の試算(@妄想科學日報 )
http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20050914/1126668853



 システム面とか採算性でちょっとムリっぽいけど、面白そう。



 あと、共有系だとscribdとかヤバげ


テキスト版YouTube!? 「Scribd」が公開ベータへ(@IT)
http://www.atmarkit.co.jp/news/200703/08/scribd.html




 レンタルということだと全国的にマンガのレンタルサービスが始まるらしい


書籍レンタル、大手が参入・「TSUTAYA」が4月(@NIKKEI.NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20070125AT1D2408S24012007.html

 
 これも便利げで喜ばしいところ。
 



 で、


 そんな感じで本に関するinputの導線が確保できて、次の段階は管理。上記してきたようなタイトル管理もそうなんだけど、モノが増えてくると置き場所に困る。レンタルボックスとかアパート借りるって手もあるんだろうけど、なんかめんどそう。(コストも)


 そういうわけでスキャナ。

 自動めくり機能付きスキャナが欲しいところだけど、1600万円もするらしいので個人ではちょっとムリ。そういうわけで手動で。BoingBoingでこれが良さげって言ってた。


Scanner for books
http://www.boingboing.net/2007/02/09/scanner_for_books.html

Plustek's new OpticBook 3600


 んで、ぐぐった


OpticBook 3600 (プラステック社製ブックスキャナ)
http://enisuru.jp/6_2.html


 5万円ぐらいらしい。bookscanner記さんとこでも評判良かったような気がする。


 ってかスキャナを選ぶ際の目安について記されていた


自動ブックスキャナの導入は、スキャン作業の省力化が主な目的ではない
http://d.hatena.ne.jp/bookscanner/20060913/p1


 スキャン作業で肝要なのは「均質な画像を保つこと」らしい。自動スキャナの省力性は二義的なもの、と。そういうわけで「均質性」さえ保てたら手動で全然良い、って感じ。



 んで、まぁ、こんな感じで文字データ確保できたらpodcastその他のオーディオデバイスへの導線が引ける。テキストデータの音声化によって。


 まだ試してないけど、音声合成系としては以下のようなものがある

恥ずかしがり屋のためのポッドキャスト入門 ~音声合成機能のススメ〜(PODCAST News)
http://www.podcastnavi.com/p_edit/2006/02/post_5.html

http://www.podcastnavi.com/p_edit/2006/02/post_6.html



テキストを音声化するWEBサービス「聴学ポータルサイト」(@Podcast News)
http://www.podcastnavi.com/p_edit/2006/12/web.html


 


 既に音声化されているデータ(古典など)としては以下のようなものがある


著作権切れ作品を朗読してPodcastする音声版「青空文庫」(@taigablog)
http://taigablog.com/2005/11/podcast_1.html


音声化された青空文庫リンク集(@The Baker Stereet Bakery)
http://www.alz.jp/221b/sound.html


ビジネス書をポッドキャストで「通勤ながら聴き」?(@PodcastNews)
http://www.podcastnavi.com/p_edit/2006/04/post_27.html


耳で読む?「新刊JP」(@PodcastNews)
http://www.podcastnavi.com/p_edit/2006/05/post_35.html


電子かたりべ.COM
http://www.e-kataribe.com/portal/portal/media-type/html/user/anon/page/default

※同サイトのエディタツール



お話Pod
http://www.ohanashipod.jp/

※古典朗読系


PODCASTnavi ポッドキャストナビ カテゴリー|朗読
http://www.podcastnavi.com/category.php?category_id=20






 大体こんな感じ。





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関連:
新書ブームの終焉とAudio bookの可能性について
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/34656540.html

※「podcastが思ったより便利なので、出版社は本に音声データとテキストデータをつけて欲しいな」、って話





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追記:
データ管理してる本をクリックしたら一発で参考文献の体裁にしてくれるようなフリーソフトが欲しいけど、見つからないんだなぁ・・・。


参考文献の体裁の例:

著者名、出版年、「本のタイトル」、出版社名
(ex.日本橋ヨヲコ, 2003, 「G戦場ヘヴンズドア」、小学館)




あと、音声加工は常田 富士男の声があると嬉しいけどないだろうな・・。(常田 富士男 朗読「フラット化する世界」とか)




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追記:
あと、図書館とか無料で利用できるコンテンツの利便性に興味がある方は青空文庫のこの提案についてご一考いただけるとありがたいです(ってぼくは青空の回し者でもなんでもないんですがw)


「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」
http://www.aozora.gr.jp/shomei/

青空文庫では、夏目漱石や、芥川竜之介、太宰治などの作品を、誰でも自由に読むことができます。この「自由」は、作品を保護する期間を作者の死後50年までとし、そこから先は、利用を積極的に促そうと決めている、著作権制度のたまものです。すでにあるものをもとに、新しい作品を仕立てたり、翻訳したりする「自由」、演奏や上演などの「自由」も、著作権が切れた後は、広く認められます。

この保護期間を、死後70年に延長しようとする検討が、一部の権利者団体と、米政府の要求を受けて始まりました。私たちすべてにとっての「自由」を、古い側にもう20年分追いやり、せばめてしまう延長に、青空文庫は反対します。その意志をはっきりと示すために、「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」を進めます。

著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名より引用】





期日は4月末まで。詳しくはうにさんのところに載ってます


青空文庫の請願署名に賛同します(@壊れる前に)
http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_d959.html





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追記(2007.4.15):

続き(みたいなもの)

muse-A-muse 2nd: 大学図書館の利用法とか分野別書誌まとめ

posted by m_um_u at 19:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月18日

被爆のマリア

 人間には赦されない罪のようなものがあって、そういうものに対して救いを設定しているのがキリスト教(あるいは宗教全般)の意義のひとつとしてあるように思う。ぼくはクリスチャンではないし、聖書の教養もないので分からないのだけれど、原罪の設定と救済とはそういうものではないのか?

原罪(げんざい ラテン語:peccatum originale)とは、キリスト教の多くの宗派において共有される思想で、アダムとイブがエデンの園で犯した罪が人間の本性を損ね、あるいは変えてしまったため、以来人間は神の助けなしには克服し得ない罪への傾きを持つことになったという思想。キリスト教の中でも教派によって原罪の理解には大きな差があるだけでなく、中には原罪という概念を持たないグループもある。

原罪 とは げんざいより引用】



 無知を晒して恥ずかしいし、一部の人にとっては不快な解釈かもしれないけど話を続けさせてもらう。

 「人は生まれながらに罪を背負っている」とする原罪の設定に対して、処女懐胎の聖母は超然として原罪の穢れを越えていく。

無原罪の御宿り(むげんざいのおんやどり)はカトリックの教義。1854年決定。聖母受胎とも。 処女マリアは原罪の穢れなしにイエスを孕んだとする考えで、イエスを孕んだときに原罪が潔められた、という意味ではない。

無原罪の御宿り とは 「無原罪懐胎, 聖母の無原罪の御宿り」より引用】



 聖母とその御子は「聖」の象徴であり、信仰の対象として一切の穢れもあってはならない存在なのだろう。実際、そういった清らかさが人々を勇気づけ導いてきたのかもしれない。


 しかし、中にはこの清らかさがまぶしすぎる人々もいる。


 穢れを廃して超然と立つマリア像の姿。そこから発せられる「正しさ」になにか拒絶されているように感じる人が。

 今思うと、「被爆のマリア」とはそういう小説だったのだろう。


被爆のマリア
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 こちらの要約にもあるようにこの小説自体は失敗作だ。それは著者も認めている(参照)。「失敗作」というよりは「実験作品」と言ったほうが適切かもしれない。

 タイトルとなっている作品では、被爆とは全く関係のない情況の中で被爆のマリアに救いを求める女性の姿が描かれている。歴史や世間的に負わされてる意味とは関係なく、ただ自分の情況と直感のみによって被爆のマリア像に結びついた女性の話。

 虚栄、依存、無神経、裏切り・・・様々な葛藤が入り乱れる現代社会の中で疲れ果てた彼女はペットの亀と被爆のマリアにのみ安らぎを求める。信仰的な理由ではなく「ただ、なんとなく安らぐから」というような理由で。
 

 長崎の浦上天主堂に安置されている被爆のマリア像
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/5hibakuseibo.htm

 
 マリア像の身体は原爆の力で破壊され、汚れたままだ。そして、その顔には虚無のような空洞が穿たれている。「愚かな我々の代わりに人類の一切の穢れを負ってくださったのだ」、そういった解釈が一般的なように思う。

 先月、ハウステンボスに行ったついでに「被爆のマリア」を見てきた。

 実際に見るマリア像は思ったより小さく、遠くに祀られていた。それを見て、自分の中になにかが湧き上がってくることを期待しているのだろうなと思いながら現地に行ったのだけれど、もう一つの予想通りなにも感じなかった。


 「ただの石だ」


 その言葉が頭に浮かんだ。それを悲しく思うセンチメンタリズムとか、そこから出発してさまざまな歴史や人の思いを想像するということも考えたのだけれど、なんか嫌になってその回路は意識的に遮断した



 そのときはそう感じたんだけど、最近になってなんとなく彼女のことが気になる。彼女というよりもその目、深い虚無のような双眸が頭の中に残ってなにかを吸い取ってくれているような、そんな安心感を覚えることがある。

 それ自体がなにかを期待した物語の上乗せのような気もするのだけれど、なんとなくそんな感じがある。


 

 ぼくの中にある2つの罪。1つはおそらく一生消えないものとして諦めていたが何か少し楽になった気がする。それでもそのことを忘れたわけではないし、それに対する自分なりの責任は全うしていくつもりだ。それでもなお「楽になった」と思ったのは、自分の中になにかそういう気持ち、「赦しを求めるような気持ち」があったからなのかもしれない。だからこそ長崎に向かったのか。


 もう一つの罪はぼくの責任ではない。でも、たぶん一生残っていくし、その不安は拭えないだろう。ヒロシマの人間にとってそれは一生残っていくものなのだ。(生き残ってしまった罪


 そのことに対して、ぼくはもう何かを言う気力はないし、ただゆっくりと時間が流れていけばいいと思っている。じっちゃんやばっちゃんたちの悔しさや、その記憶は途絶えてしまうのかもしれないけど、それはそれで仕方がないのかな、とも。


 意外に感じる人も多いかもしれないが、ヒロシマは一度捨てられた土地だから、また裏切られてもその覚悟はできているのかもしれない。一部の人はがんばって声を上げているけど、ただ安らかに時間が過ぎていくのを望んでいる人も多いのではないか?

 声を上げても共産党などの運動に利用され、一時の加熱が過ぎればまた単調な生活が始まるだけで・・・あるいは加熱の反動で寂しさを感じることもあったのかもしれない。

 願うのは保障が何とかならないかということだけど、そういうのも進展ないだろう。国というのはそういうものだし、それはもう何度も経験してきたことじゃないか?だったら「運動」とか言ってる人たちが少しでもなにかをしてくれたらいい、形になる何かを残してくれたらいいと思うけど、それもたぶん無理だろう。

 
 そうやって様々な思惑に巻き込まれ、表面上は裏切りとはされない裏切りにあうくらいなら、もうなにも期待しないほうがいい。


 ただ、安らかに日々を送っていけばいい。



 
 差別やいじめの廃絶を唱える人が「絶対的な悪」と認定する人たちに対しては線引きをすること、そして断罪が見過ごされること。そのことに対して少し心が揺れるけど、下手に飛び込んで行っても邪魔なだけなのかもしれない。





 でもやっぱり気にかかる






タグ:ヒロシマ
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2007年03月17日

フーゾクという職業と差別意識について

 ひじょーにデリケートな問題だし途中から見た部外者なのでよく分かってないのだろうし、野次馬的になんか言うのは下品だなって感じの問題なのでびみょーなんだけど、自分なりにふつふつと思うところがあったのでエントリを起こしてみる。上からの主張とか意見とかそういうのではなく、なんとなく思うこと。(こういう前置き自体が「逃げ」の確保なのだろうが・・まぁ、逃げるw)

 発端はこの辺


わたしもたいがい育ちが悪いがそれに輪をかけておまえはほんとうに育ちが悪い反吐が出る(@顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える)
http://yuki19762.seesaa.net/article/35621477.html


 現在はこの辺


黒人や障害者、被差別部落と売春婦蔑視を一緒にするな、という発想。まさにそれこそが差別。差別とはそもそも「差異を理由に」生じるもの。
http://yuki19762.seesaa.net/article/36170622.html


 んで、対象とされてるのはこの辺


Pat Metheny Group (1995) / いませんよ。(@Je vous en prie(※元エントリがなくなってるコメント欄指摘により修正))
http://d.hatena.ne.jp/arisia/20070309


差別との戦い、差異を求める戦い
http://d.hatena.ne.jp/arisia/20070316/1174010990



 どうも、「元売春婦ということに対して見下し(差別)的意識があったかなかったか」、「売春という職業に対する差別はどうか?」、などが問題になってるみたいなんだけど、個人間のネット作法(コミュニケーション)の問題と、売春(?)の是非の問題、差別の問題の3つの層がごちゃごちゃにまぜて語られているので分かりにくい。それぞれのレイヤーは違うものだと思うのだけど・・。

 まず、前提として、

 ぼく自身はいわゆる風俗産業に関わる人を蔑視する意識はない。心の底にあるのかもしれないし、もしくは逆差別的な憧れのようなもの(cf.「歌舞伎町の女王」)はあるのかもしれないが、それはちょっと置く。少なくとも表面的コミュニケーションの部分では蔑視する気はない。

 理由として、風俗のサービスに従事する人はそのサービスにおける労働契約において責任を全うしていると思うから。

 一部の人は風俗産業というのを軽々しいものとしてみているのかもしれないが、風俗の仕事というのは日本でももっとも気を使わなければ成立しないサービス業だと思う。面倒な客の機嫌を損ねないように、かといって相手に変な劣等感とか与えないように満足させないといけない。相手と話を合わせねければいけない。そして、ヘルスとかの場合は健康面での自己管理も行き届いてなければ勤まらない。「フーゾクのサービスって大変なんだねー」についてはこの辺に詳しい↓



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 これに加えてセキュリティの問題がある。直接交渉系のサービスでは客に病気を移されないように気を使わなければいけないし、そういうのを気にして「ゴムつけてください」とか言うと怒る客もいるのでその辺配慮しながら客の機嫌を損ねないように誘導しないといけない。

 そんな感じで「客の機嫌を損ねないように満足させる」わけだけど、こういうのは高度なコミュニケーションスキルを要していないと成り立たない。
 
 風俗というと肉体接触が最初に思い浮かぶかもしれないが、コミュニケーションサービスをメインで来ている客も多いみたい(お話だけして帰る)。


 そんな感じで、「高度なコミュニケーションスキルに基づいたサービス」と「性病(あるいは客からのストーキングなどへの配慮)などへのセキュリティ不安」を基本条件として労働契約が組まれ、店主とサービス従事者、あるいはサービス従事者と客との間で契約関係が成立している。


 で、

 こんな感じで労働契約は成立しているので、それに対して外から「インバイ」だの「フーゾクってどうなの?」だの言われてる筋合いはないと思うのだが。(繰り返しになるが)フーゾクに関わる人がある程度の高給を貰うのはサービスとセキュリティ不安への代価であってそれは正当な労働契約として成立している。労働契約が結ばれ、サービスが実行され、代価が支払われた時点で法的な責任は果たされているわけだから、それに対して外野がガタガタ言うのはどうなんだろうと思う。


 んで、件のエントリの場合、これとは違って「売春」という言葉が使われているわけだけど、これはどうなんだろう?現行法的にはいちお「売春」(いわゆる本番行為)というのは規制されているわけだが(参照)、そうするといままで述べてきたような「正当な労働契約が果たされているだけなので法的責任は全うしている」という主張が通らなくなる。まぁ、だとしても少し歴史に詳しい人なら「売春」というものがそれほど「正しくない」行為ではなかったということぐらい知っているわけだが。

 「人類最初のサービス業は売春」なんてのはよく聞くし、日本でもちょっと前(明治以前ぐらいかな)は性風俗は多様だったわけだし、言ってみれば売春なんてのよりもエグイことも日常的にあった。女が一人で旅に出ると犯されるのが当たり前だし、そういう時には「むしろ命があっただけでもめっけもの」なんて思われてたらしい(cf.網野本かな)。そういうと「不当に女性の性を貶めている(男性優位社会を創りたいだけだろ?)」とかフェミの人から言われるのかもしれないけどそういうことではなくて、単にそういう事実があったといいたいだけ。そこでは「性」はいまほどに重要な問題ではなかった(というと語弊があるか、まぁいい)し、なんというか「コミュニケーションの一部」的な意識が強かったのだと思う。

 で、こういう例を出してくると「だから昔と同じように大らかになればいいんだよ」って言う感じになるんだけど、そういうことでもなくて、価値観なんてのは時代時代で多様なものだと言いたいだけ。

 でも、現代では「性」的なものはある程度重要視され「慎まなければならない」と近代教育されてるわけだから、それに従うのはふつーの社会生活を送る上では重要なことなのだろう。(ってか、ぼくもふつーモードではいちおそんな感じだ)


 でも、ちょっと気になるのは「売春禁止法があるから売春は社会的に悪」みたいな言説があること。これはちょっと違うくて、売春禁止法というのはむしろ風俗サービス従事者のセキュリティを守るために設定されたものなのではなかったかな?いわゆるウラ営業的なものをはびこらせておくとあぶないので管理基準を高めた、みたいな感じだったと思うけど。そう考えると「売春が悪」だから取り締まったではなくセキュリティ面とかビジネス面での統制を加えるために現行法が設定されたのであって、それも現時点での線引きのひとつに過ぎない。実際、フーゾクに関わる法律はけっこうゆるく設定されててあいまいな解釈によってその時点時点で統制バランスが変えられるように設定されている。

 まぁ、とりあえず「売春が悪だから法律ができた」のではなく「セキュリティとビジネス面で管理しやすいように法律ができた」ということ。以上が売春の是非の問題の前提。この背景を知っているとフーゾク(あるいは売春)という職業に対する差別意識も少しはやわらぐのではないか?

(※もちろんフーゾクと売春は違う。売春はフーゾクの中でもリスクが高いものだなので、そのぶん対価が大きなものになる)



 んで、次はなんだっけな?「元売春婦ということに対して見下し(差別)的意識があったかなかったか」、か。


 この辺りは継続的に見ていないのでよく分からないけど、yukiさんが言いたいのは「スカしてんじゃねぇよ」ってことなんだろう。「きれいな言葉で飾ってもお前らの裏にある偽善的な心性はお見通しだぜ」、と。そういわれるとぼくなんか真っ先にそういう対象になるのだろう。(それでも別に良いのだが)

 (こちらの推測から出発した設定ではあるが)ここで言う偽善とはなにか?yukiさんが問題としている点を見てみると、この辺か。

これを、ビジネスとして売春の経験が無い女が、自ら、まるで売春みたいって言うのと、不特定多数を相手にする元売春婦がいけしゃしゃーと言うのとでは違う。それを、元売春婦であるというポジションをわきまえずに、世の中の女性を自分と同じポジションに引き込むような発言には反発を覚えます

顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: わたしもたいがい育ちが悪いがそれに輪をかけておまえはほんとうに育ちが悪い反吐が出るより引用】



 この『元売春婦であるというポジションをわきまえずに』というのはちょっとアレだな、と思う。arisiaさんもyukiさんの煽り口調に釣られてって発言だったのだろうけど、yukiさんから見ると「本心出しやがったな」って感じだったのだろうか。

 ならばその時点で言いすぎを謝罪すればよいのだと思うのだけれど、その辺は見ていない。あるいはyukiさんがさらに突っ込んだかな?


 よくわからないのでなんとなくで判断すると、arisiaさんのブログを見ても別にそんなに変な人という感じもしない。ご近所さんでいてもふつーにご近所付き合いできそうなタイプだと思う。ご近所付き合い関連だとむしろyukiさんのほうが難しそう。エキセントリックな感じなので。でも仲が良くなったらすごく仲良くなるタイプなんだろうけど(ツンデレ?)

 って、この辺単に印象論なのでギロン全体には関係しないんだけど、2人ともなんでそんなにカッカッ来てるのかなぁと思って。yukiさんの煽り口調かな? アレは確かに直接喰らうとダメージが大きそうで、端から見てるぼくもちょっと引くけど、煽り口調が問題ならその部分だけを抗議すればよかったのであって、それを職業と絡める必要はなかったんじゃないかな?

 「主婦という職業を冒涜された」ということかな?それは「冒涜」として受け取ってしまう時点で職業に対する階層意識が存在していたわけで、その部分が問題だったのでは?

 表立っては「わたしは職業差別はしません」(どんな職業も平等に意義あるものと思います)というスタンダードをまといつつ、実はある職業(あるいは生業)に対しては特別な意識を持っている。そういうところにyukiさんは偽善の匂いを感じたのではないか?


(って全て推測だけど)


 ここまで言うとなんか一方的にarisiaさんを罵倒してるみたいだけどそういうことでもなくて、なんというか・・・むずかしいな。


 とりあえず主婦という職業の売春性というか、その辺りの葛藤、<世の中全ての主婦が「主婦という職業は売春なんかとは違う」と思っているわけではないのでは?>、ということについてはこの辺に詳しかったと思うので興味があれば読んでみてください。


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 文庫でもあります。


 

 で、最後に差別の問題。



 これはyukiさんのエントリに対して誰か言ってたけど、<個人の葛藤の問題に「民族・人種差別」といった公の問題を持ってくるのはどうか?>、という視点はあるのではないかと思う。最近の問題としては、「小倉さんや池田センセがアクセス集中でひどい目にあったからってなんでわれわれまでID登録しなくちゃいけないの?」、的な問題。なんというか、「個人間の葛藤を公共的な話題にすり替えるのはどうなの?」ということだろう。

 個人間の問題の連続が公共的な問題なわけだからそういう設定もどうだろうとは思うけど、その言わんとするところもなんとなく分かる。(ちょっと違うが、子供のケンカに親を出す、みたいな感じだろうか)

 あと、逆差別の問題。差別(攻撃)されている人に対する過剰な思い入れ(特定のロマンティシズムの上乗せ)みたいな感じ。「かわいそうって思いたいんでしょ?」的なやつ。そういうのはぼくが一番引っかかりやすそうなのでいちお注意してるんだけど、めんどうなのであまり気にしてなったりもする。そういうこといってるとなにもできなくなるので。(所詮、自意識だし)


 んで、「娼婦という職業に対する差別」ということについて。どうも差別の定義がはっきりしていないようだけど、ここでいう「差別」というのはある「過剰性」を前提としているのだと思う。(その意味で差別と区別は違う)

 「不当な蔑視」とかそんな感じ。娼婦(あるいはフーゾク産業のサービス従事者)ということに限って言えば、上記してきたように労働契約とサービスの実行、対価の受け取りによってその責任は果たしているわけだから、それに対して外野からなんかいうのは「過剰」ということに当たるのだと思う。




 あとはなんだろ? あぁ、「娼婦という職業に対する引け目」みたいな話か。


 これもなんか勘違いした言葉を見かけたんだけど、上段でも説明したように、「世間から差別されるのも含めて娼婦は高い金を貰っている」のではなく「(娼婦が高い金を貰っているとして)高給はサービスとセキュリティの正当な代価」、なので。サービスが果たされ代価が支払われた時点で労働契約は成立している。その契約の中に「娼婦は引け目を感じるべき」などという条項は含まれていないと思う。(特殊なサービスとかにならあるのかもしれんが・・マニア?)

 んで、それとは別に個々人の実存の問題がある。いわゆる着脱可能アイデンティティの問題


戦略的本質主義が「本質的アイデンティティ」を必要なものとしているのは、カテゴリーによって差別されたり周縁化されたりしている弱者が、差別している側である支配的マジョリティに押し付けられたカテゴリーの「本質」をいったん引き受けることで、そのカテゴリーに属する他の人々とともに異議申し立てをすることが可能になるからであり、また、そのマイナスの価値を刻印された「本質」を肯定的なものへと逆転させること(アフリカ系アメリカ人の運動での「ブラック・イズ・ビューティフル」という標語が好例です)によって、マイナスの刻印を押されていた自己を肯定できるようになるからです。

小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 戦略的本質主義を乗り越えるには(2)より引用】




 
 差別抵抗運動などで弱者は素のままだと異議申し立てするほどの力がないので、マジョリティから押し付けれた「本質」(アイデンティティラベル)を一度着ることによって異議申し立てのノリを獲得する。でも、一回受け入れた弱者カテゴリーは思っているほど着脱可能なものではない。

 それと同じように「娼婦のアイデンティティ」もその仕事をしなくなったからといってすぐに着脱できるかというと難しいという問題があるのかもしれない(ぼくはやったことないので分からないけど)。中にはそういうことを気にしない人もいるだろうけど、そういう人はやはり強い人というか、あらかじめ契約関係というのを意識して(プロ意識を持って)職に携わっていた人のように思う。

 
 で、


 そういうアイデンティティを脱げるかどうかなんていうのは個人の問題であって世間がとやかくいうことではないのではないか?脱げれば強い人というだけだし。






 ・・なんか長くなったな。てか、個人的にはこの話は前置きで、「偽善と善」「聖と俗」がバラバラなものではないということについて被爆のマリアの体験から語っていくのがメインなんだけど・・・。

 長くなったので分けよう(ってか書くかどうか分からん)




--
追記(2007.3.18):
着脱可能アイデンティティ(「娼婦であること/あったことに対する良心の呵責」のようなもの)について。そういうものを捨象するためになんらかのイデオロギー(本質主義など)を着ることの問題点として↓


それに対する批判は、たいてい次の2点になります。一つは、自分は(脱)構築主義に立つのに、周縁化されている他者に対して本質主義を認めるという態度には、「そのような段階も君たちには必要だよ、けれども、その段階を過ぎれば、その本質主義的言説を卒業するんだよ(自分たちはとっくに卒業したけど)」といった、シニカルないやらしさがあるというものです(フランツ・ファノンのサルトル批判はそのいやらしさを批判したものでした)。そして、批判のもう一つは、押し付けられたカテゴリーを(価値を逆転させて)引き受けるとき、そのカテゴリー内部の多様性や異質性を抑圧してしまうというものです。たとえば、同性愛者というカテゴリーを、「同性愛は生まれつきのもので変えられないものだ」という本質主義的言説によってゲイ解放運動をしたとき、異性愛者から同じくそのカテゴリーを押し付けられたバイセクシュアルな者や異性装者や、男女のような異性愛カップルを模倣したゲイ・カップルは、肯定的な価値へと逆転させた「本来的なゲイ」という「本質」に違和感をもったり、あるいは「本来的なゲイではない」として抑圧されたりするということです(ゲイ解放運動の場合、「同性愛は生まれつきのもので変えられない」という本質主義的言説が、ゲイを自然に反するものとか、治療=矯正の対象とする支配的イデオロギーに対する有効な戦略だったということも考慮しなければなりませんが)。

小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 戦略的本質主義を乗り越えるには(2)より引用】




ひとつは上から目線のシニシズムの問題。

もうひとつは具体的に言えば、なんらかの主義・運動を用いるということはそこで語られている別の文脈も引き受けなければならない(あるいは「引き受けているもの」と他者から見られる)という問題。

特に後者は運動(もしくは募金などの活動でもいい)の内実を見たことがある人にとっては思い当たるところが多いだろう。そんなに「聖なるもの」でもないし(cf.特定被差別民による過剰要求など)


運動に関わらなくてもなんらかの言説を着るということはそういう危険性を持つということを自覚しておいたほうがいいと思う。


タグ:偽善 差別
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2007年03月14日

まん延する「匿名ネットこわいね」論について

 さて、小倉センセさんからお返事いただいたのを読みました。


 で、感想ですが・・・・・・・・びみょーだな、と


 
 ちょっとの違いだったらそのまま放置しておいても良かったのですが、どうも根本的になんかアレな感じで、このまま同属扱い受けるのもイヤだな、と思うのでいちお書き記しておきます。(めんどうなので今回はTB送りません。これ以上のinformationもinsightも期待できそうにないし)


 あまりないとは思いますが、このエントリだけバラで出回ってもイヤなので、この前提となるエントリも貼っておきます。(今回のエントリは以下からの続きです)


市民社会と制度について(ジャーナリズム論承前)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35911907.html



 んじゃ、思考モードに入るので文体変えます(たぶん)


--
 まず前提として、ぼくがした質問を箇条しておく。それに対する小倉さんの返答はどうだったかという形で見ていこう。主要な論点としては、「ネット上の発言のトレーサビリティ(追跡可能性)を確保できるかどうか」、ということ。


(1)固定ハンドル(以下、コテハンと略記)で何年か個人サイトを運営している人はそれ自体が財産となり、手放し難いのでそこから追跡可能性を担保できるのではないか?

(2)実名という権威を借りて虚偽発言があるように思うがそれについてはどう思うか?

(3)匿名であればこそ内部告発ができるのではないか?


 んで、以下はそれぞれの質問に対する答えとかいろいろ


(1)固定ハンドル(以下、コテハンと略記)で何年か個人サイトを運営している人はそれ自体が財産となり、手放し難いのでそこから追跡可能性を担保できるのではないか?


オグ:<コテハンと言ってもハンドルなんかいくつも作れるから責任がバラける>

(「固定ハンドル」はいつでも、いくつでも作ることができるので多重人格を演じやすいし、その固定ハンドルを利用して社会生活を送っていない以上、その固定ハンドルが如何に悪名をとどろかせることになろうとも自分の社会生活に何らの悪影響も受けない)



・・これってどうでしょうね?


 そういうのはぼくが想定したコテハンとは少し違うんですが・・。たとえばfinalventさんなんかは動かないし・・。

 反論としては「誰でもそのコテハンを騙れる」、のほうが妥当だったのではないでしょうか?(それでも反論にはならないんだけど)


 ってか、ギロンの前提として、前のエントリでも言ったように、 「言説の通時的な妥当性によって信頼性を測る」ということなんですが・・?

 つまり、社会的ステータスがはっきりしなければしないほど言説そのものの説得力からその妥当性を測れると思うんです。背後の権威とかいうものとかは捨象して。んで、そういったコテハンの言説をずっと見ていれば、その人の文体(思考様式)というものが分かるようになるし、第一スキーマが違うので分かると思うんですね((C)finalvent)。その人と違う人がコテハンを騙ってもばれちゃう。って言っても、読み手のリテラシーに依るのでしょうけど。


 んで、まぁ、finalventさんとかの場合はココログの有料会員なのでクレジット情報からトレーサビリティは担保できるんですね。つまり、半匿名という状態なんです。これはケータイからSNSに登録させることで追跡可能性を担保するということとも通じると思います。

 そういうわけで技術とお金的に半匿名におけるトレーサビリティは担保できるようになってきてるんですね。


 この辺について具体例を挙げなかったのはルール違反っぽいですが、小倉さんなら知ってるかと思って・・。
(ご存知なかったのかな。こちらの書き方が悪かったのだろうか・・・リテラシーとかもあるかもしれないけど)



 あと、もうひとつ、『特定の人や集団を罵ることしかしていない固定ハンドルなんて』、と仰ってますが、これはやはり音羽さんのことが頭に浮かびますね。(参照

 例えばこの辺りに詳しいですが、


オーマイニュース編集部に行ってきました。(上)(@Parsleyの「添え物は添え物らしく」)
http://yaplog.jp/parsleymood/archive/481

オーマイニュース編集部に行ってきました。(下)(@Parsleyの「添え物は添え物らしく」)
http://yaplog.jp/parsleymood/archive/482


 彼は実名をオーマイニュースで公表してはいるが、gerlingというコテハンで人のことを罵ってますね?小倉さん流に言わせれば、「コテハン(≠匿名)の魔力がそうさせたのだよ」、ということかもしれませんが、では、「実名をさらしているからおーまいにうすではねこかぶってる丁寧な口調で話している」、ということなのでしょうか?「単に編集が入るので、相手をあしざまに言えない」、というだけではありませんか?つまり、音羽氏の内部規律によるものではない。

 ここで勘違いして欲しくないのですが、例の募金の問題とこれは別問題ですから。例の募金自体は別のレイヤーで検証してもらうとして(心情的には募金があったほうがよいように思います)、「匿名 / 実名」ということについて言えば、音羽氏はどこかに実名のトレーサビリティを預けているからといって内部規律が高まっているわけではない、と思うのです。

 反対に、たとえばおーまいにうすが半匿名の形(つまり、実名登録が必要だけど、記事の署名表記的にはハンドルが許される)とした場合でも彼はねこかぶった丁寧な文体の記事を書くように思います。編集で切られるのは嫌でしょうから。


 っていうか、「音羽」という名前がペンネームなのかもしれませんが、やはり同じことです。(その場合、半匿名でもトレーサビリティは担保できる、ということになります)


 ただ、小倉さんが想定しているのは「1対多」的な状況(サイバーカスケード)における匿名の暴力ということなのかもしれません。


 その場合でも同様で、システム的に半匿名状態は可能だと思うのですが・・?(現在は実装されていないにしても、簡単にできるはずです)


 IPからトレーサビリティを確保できると思うし、実際2chはそんな感じで警察に協力してますね?(それにし対しては、「ネットカフェからアクセスすることによってIPバラバラ」というのもありますね。それだったら実名を偽るということもあるしなぁ・・。)


 ってか、こういう問題って「技術+市場」的なものなので解決できる点が多いように思うんです。なので、焦って「実名」ってしなくてもいいと思うんだけど・・。



 で、次



(2)実名という権威を借りて虚偽発言があるように思うがそれについてはどう思うか?


 ここはスルーされました。具体例があがってながったのが問題なのかもしれませんが、例えば昨今のニセ科学的問題とか、直近だと「世界一受けたい授業」の問題があります。

 後者はすぐに効果が現れるものではないし、これ自体では「ウソ」とは言い切れない(反証可能性に乏しい)と思うんですが、やっぱ間違ってると思うんです。(「思う」っていうか間違ってますね)

 んで、怖いのは、すぐに効果を検証できるものではないので、視聴者の根っこの部分に染み込んでいく危険性がある、ということです。なんとなく「あ、格差ってないんだぁ〜(へぇぇ)」、って感じになってその後、特に検証もせず過ごして行く・・。特に子供への影響が心配ですね。将来のことを考えるとこういうのは社会的に重要な問題だと思います。その意味ではTV局の道義的責任は重大。

 また、なにか問題が生じて検証を始めるにしてもそのときには思想面での影響がしみこんでいる危険性がある。検証には時間がかかるので、視聴者はその結果まで興味を持続しない。で、「格差ってないよねぇ?(だって、らくしてごひゃくまんえんかせいでるもん!)」、とかいった脳みそ使ってないのか的よくわからない印象が残っていく。

 繰り返しになりますが、その責任は重大だと思います。


 んで、そういうのに「専門家の権威(=名前)」が都合よく編集されて使われていく。編集された時点で専門家の意見ではなく、その番組(記事)を作った編集者の意見なのですが視聴者はそのことに気づきません。そして、上記したように、印象のみが残っていく。




 「実名」ってほんとにいいですね(すはらしい)




(3)匿名であればこそ内部告発ができるのではないか?

 これについては「真摯な内部告発」というお答えが返ってきました。

 なにを持って「真摯」とするのかよくわからないのですが、文脈的には「経営上重要な」ということでしょうか?とりあえずそう解釈して話を進めますと、経営上重要なことに関わると思われるような事態に対する内部告発では『情報源が限られるので、匿名でなされても企業として情報源をある程度特定できる場合が少なくないので、その場合は秘密裡に報復をすることが可能になってしまいます』、と。

 これはいちお納得です。


 でも、ちょっと疑問なのは、たとえばジャーナリズムの現場では情報源の秘匿というのは通例ですし、ウォーターゲート事件のディープスロートを見ても分かるように匿名でも重要な情報は出せますよね?で、その後、ネタ元の安全は確保される・・。こういうのは例外なんでしょうか?


 そして、「どれが真摯な内部告発か分からないで調べるのが大変」、とのことなんですが、これにしてもジャーナリズムでは複数の証言からウラをとるというのは普通にやっていることだと思いますし、そういう意味では匿名であっても情報の真偽は確かめられるはずです。ただ、小倉さんが言いたいのは、「そういうことをやっている時間(人員)が足りない」、ということなのかもしれませんが、やはり堂々めぐりでジャーナリズムの現場ではそういう風にやっているわけですし、やってやれないということはないはず。人員が問題ということなら増やせばいいはずですし、ジャーナリズム機関のようにアウトプットする手間を省いて情報の検証のみに特化した機関を作れば、作業処理時間は短くて済むはずです。(金銭的問題は置きますが)


 そういうわけでやっぱりよくわかりません





 ってか、小倉さんは現行の制度での援用を話しているのであって、「できてない機構(実現可能な機構)」、については想定していないのかもしれない。

 でも、技術的に可能なところまできてるのになぁ・・。


 こういうのはやはり「理念と制度」っていうか「技術・お金(市場)と制度」ということで池田センセも絡むと思うんだけど、 いつも「制度によって規制するのではなく市場と技術を優先させるべき」といっておられる池田センセがこの問題に関しては制度による封じ込めを主張されているように思われるのはやはり不思議。


 そういえば小倉さんも知財関連だとリベラルな発言されてるのに(参照)。



 なんでかな?問題の緊急性が違うとかかな?



 リベラル固定とかそういう問題ではない、ということかな?





 てか、やっぱお2人とも2chとかでさらされた挙句、アクセス集中したりいろいろ書かれたりしてひどい目に合わされたことがトラウマになってるのかな・・?



 それはそれでご愁傷様というか大変だなぁという感じだけど、その怨念が「実名 / 匿名」問題に絡んでるのだとしたらやめてほしいと思います。






 あ、あと「制度と自由」関連で。毎日新聞でネット社会に対してみょうなキャンペーン張ってるみたいだけど(参照)、これってどうなんだろうと思う。


 というのも、言ってきたように、ジャーナリズムというのは権威ではなく言説の妥当性によって評価されるべきだと思うんだけど、そうであるべきジャーナリズム(?)からただ「匿名」というだけでネット社会を貶めるような言説が出てきているというのはどういうことなのかな、と思って。


 この人たちは言説の妥当性(あるいは情報の信頼性)についてどのような考えを持っているのだろうか?



 そして、そういった大手マスコミとかそれに連なる人々はなにか問題が起こると「言論の自由が弾圧されるー!」とか騒ぐんだけど、それってあなたがたの既得権益が弾圧されるだけであって、たとえばフリーランスのジャーナリストたちがひどい目にあってても無視してる現状ってよくあるよね?





 ・・なんかよくわからん




--
関連:
情報社会の倫理と設計についての学際的研究(@GLOCOM)
http://www.glocom.jp/ised/

※もう一回見てみようかなぁ・・。



情報ネットワーク法学会
http://in-law.jp/

※最近見てないなぁ・・。



ってか、ニフティサーブだかなんだかのコテハン論でも見たほうがよほど有益なのかもしれない




--
追記(2007/3/15):

isedの小倉さんの講演を読んでみました。


表現の匿名性を完全に保障することの問題点
http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/ised/12021210


やはり、匿名性のトレーサビリティ関連でIPの話題が出てて、「それプロキシかませばごまかせるよ?」、的なところからIP却下。「ユーザーにIDを割り当てればいい」というすごい飛躍が・・。


率直に言って、なぜ小倉さんがひどい目にあったからといって我々までID登録しないといけないのか・・?(それってOpen SNSじゃん。vox?)

まぁ、「匿名サイバーカスケードによる暴力」ということで公共的なギロンにしてるんだろうけど、どうしてもびみょー。

ってか、ふつーに考えてディフェンス面を強化すればいいのであって、それだったらシステム・スルー力のほうがいいかな、と。(参照参照2)。

ってか、これもOpen SNSっぽくてなんかイヤなんですが、アクセス持ってる人とか名前の売れてる人は仕方ないのか、とも思います。


でも、これってモロに「代表的具現の公共性」(ハーバーマス)なんですよねぇ・・・・。(ためいき)


ってか、小倉さんの場合はもうちょっとレスポンスゆるくしたほうがいいように思います。怒るからいじりたくなるんじゃないでしょうか?(短気なぼくが言うのもなんですが)あと、「権威をひっぺがして、同等になりたい(フラッグをとりたい)」、というのはあるでしょうね。だったらとらせてやるのも大人、かと・・。








posted by m_um_u at 23:18 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月13日

「匿名 / 実名」の二元論トラップ

 池田センセ小倉さんが「匿名 / 顕名」という古臭くてどーでもいいギロンをしてる間に、上祐さんがmixiを始めた。もちろん実名で。

 両センセの主張に従えば上祐さんを信じるべきなのだろう。信じるまでいかなくても匿名よりは胡散臭くない、と。


 池田センセと小倉さんにはそういう方向でがんばっていただくとして、われわれとしてはどう対処すべきか・・。


 <「匿名 / 顕名(実名)」ではなく、言説の信頼性に重きを置く>、というのがテキストを主体としたネットワークの作法としてあるように思う。で、あるならば、上祐さんも「言説」のみによって判断すべきか?しかし、上祐さんというと例の過去が思い出される。そして「私はうそつきだ」と言い切る自己言及トラップもある。

 「匿名 / 実名」、「ある / ない」のデジタルな二元論で判断する人たちはこの辺りでショートしてしまうのだろう(ネットワークに対してフランケンシュタインコンプレックスを持つ人々が一番デジタル的発想をしてしまっているというのは皮肉だが置く)。あるいは上祐さん側としたらショートさせた後にハックするというのが目的なのかもしれない。

 
 「その時、一回だけの発言ではなくて通時的な発言(発言の履歴)によって信頼性を測る」、というのは、「特定ネットーワーカーのネットワーク上での発言の履歴(歴史)からその人の信頼性を測る」、という考え方と同じように思う。「ネットはリアルワールドの写し絵」なわけだから当然といえば当然だが・・。


 それとは別に、「匿名による暴力」、という問題の蓋然性というのもけっこう高いように思う。ただ、これは「匿名だから」という単純な理由ではなく、リアルにおいて、「落書きが多いところ(放置してあるところ)は犯罪率があがる」、というのと同じことなんだろう。匿名というのもその一部なのかもしれない。こういうのはセキュリティの問題ということでこの辺でも読んどいたほうがよっぽど示唆に富みそう。


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 それにしても、なんで池田センセとか小倉さんみたいに頭動かすことができそうな人がこういうトラップに落ち込むのか・・。「情報量が増大して簡単に判断しないといけなくなったんだよ」とか頭に浮かぶが、小田センセ的にはオリエンタリズムの罠(二元論の罠)ということなのかもしれない。


「共同体」のイメージ(@小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」)
http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20070306#1173156967


 「なんで二元論というステレオタイプが流行ったか」「(有効性があるとすれば)その有効性とはなんだったか」とかについては書かれてないけど、この辺はサイードでも読めばいいのか。(ってか、オリエンタリズム批判で終わってるかもしれないけど)



 栗原さんとこにも似たような懸念が出てた。わりと冷静っぽい


ネットの匿名性を議論する際のフレームワークについて(@栗原潔のテクノロジー時評Ver2)
http://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/2007/03/post_be7d.html?ref=rss



--
追記:
ひろゆきが2ちゃんがサツバツとした空間になった理由について語ったみたい


2ちゃんねるを殺伐としたサイトにしたほんとの理由(@歌田明弘の『地球村の事件簿』)
http://blog.a-utada.com/chikyu/2007/03/post_921a.html


『殺伐としたサイトにしたのは簡潔なやりとりが交わされるようにするため、ということらしい』、ということだけどこれって軍隊(実戦)規律じゃん?(※「実戦では敬語のようなあいまいな表現を使ってると対処が遅くなるので使わない」、ってやつ)。単純化による効用ということでは今回の二元論の話とも絡むな。


「サバイバル化する社会(デジタル化する社会)」とか頭に浮かぶけど、短い言葉によるコミュニケーション問題ということでは以下が関連する


blogジレンマとゆるい繋がりの可能性
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35452876.html




--
追記(2007.3.15):
続き↓

市民社会と制度について(ジャーナリズム論承前)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35911907.html

まん延する「匿名ネットこわいね」論について
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35955798.html








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2007年03月12日

教育とか教養について

 先日のスキーマの話繋がりで、NHKの「ハゲタカ」を見ながら思ったこと。

 「ハゲタカ」=「日本経済の停滞による外資に乗っ取り」ってことで、村上ファンド(?)みたいな人とか松下幸之助みたいな人とか出てきてるわけだけど、そういえば昔、哲学のセンセが、「外資になっちゃえばいいんですよ。別にこだわることはない」、みたいなことを言っていたのを思い出した。

・・9年前か

 格差社会とかファンドとかそんな話もなかったころだな。でも山一證券とかはあったのか。いま思うとそれを含んでのことだったのかもしれないけど、なんとなくいまの状況まで予期していたのかな、とか思って・・。

 その人はハイデガーを専門とする人で、経済とかそういうのの知識はなさそうだったんだけど、なんか飄々として不思議な人だった。つかみどころがないというか底が知れないというか。とりあえず、なにを言ってもレスポンスが返ってくる。(専門じゃないところについては曖昧に答えるけど)

 ちょっと前にはてぶで文系教授の奥深さの話がでてた

たとえばドイツ哲学者の誰かを研究するとしても、

日本人にはない下敷き−キリスト教とかギリシャ悲劇とか−をさらわないと

まず問いの設定からして理解できなかったりするところから始まり、

原語で著書を全部読破するのは当たり前として、

(翻訳はその時点で翻訳者の”思想”が入り込んでいるので1次文献にはならない)

大体その哲学者自身があの世にもめんどくさいラテン語やギリシャ語の文献を

参考にしていた日にはそれらの原書にもあたり、

その哲学者に心酔したフランス人哲学者に興味を持てばその人の原著にもあたり、

もちろん各国の先行論文にも目を通し分析し・・

・・・って何ヶ国語修めりゃいいんじゃおりゃあ!(怒)

みたいなことになる。

(しかも”研究”はそこから始まる)

はてブついでに覚書。 - 文系教授の恐ろしさより引用】


 まぁ、そんな感じでアホみたいに知識詰め込んでるのは元より、スキーマのでかさが半端ないので、その人が知らない領域の話でも「だいたいこんな感じだな〜」ってすぐに検討つけてきちゃうんですよ。もしくはめんどくさかったら質問によってこちらの答えを誘導して、全体の概要を把握する。んで、これをやられてるほうとしてはなんか頭の中hackされてるみたいなんすね。こう、「なんか頭よくなった気がする」、みたいな。

で、

 そういうのは一時的なスキーマの拡張であって、自らの知識ではないわけだからそれに気づいてその感覚(スキーマをどこまでどういう組み立てで延ばせばいいかということ)を覚えていればよいのだけれど、若いうちは知識(明示的情報)のほうに目が行ってしまうって言う・・。そういうのはもったいないな、と。

 おそらく、これからしばらくの間続く文科省によるテコ入れも「ギョーセキ」だの「分かりやすいジュギョー」だのを評価基準にして進んでいくんだろう。そんなの本物の「学」からしたら表面的なものに過ぎないのに・・。



・・理解されないんだろうな(職人技みたいなものだからな)



 「教育とは何か?」みたいな話があるけど、「教育の効果」というか「学ぶほうが何を受け取るか」ということに限って言えば、結局はこういう部分が重要なはず。知識なんて後からいくらでも必要になって追いつかないんだから、それをうまいこと編集・整理・蓄積・参照するためのOSが必要。んで、そういうのは往々にして非明示的知識(暗黙知)なわけだけど、いわゆる「勘のいい子(感性のある子)」、というのは勝手に気づくように思う。


 思考の組み立て方とか思考の幅とかそういうことになんとなく気がついている子ならば、放っておいても後から追いつく。「追いつく」っていうか、ある時期が来たらすごい勢いで知識を吸収(食事)する。そのためには「好奇心」という才能も必要なのかもしれないけど、そういった「好奇心」や「感性(センス)」といったものをつぶさないようにするのが学校教育に求める最低限のことです。


(※ぼくはこの部分に関してはリアリストなので、学校教育・マスメディアの第一義的意義はプロトコルやディシプリンの統一ということだと思ってます。すなわち工場や軍隊で命令が行き届くためには統一されたプロトコルが必要なわけで、そのために用意されたのが教育機関でありマスメディアってことです(cf.想像の共同体)。つまり文化装置ということ)



 教育においては教養っていうかそういうスキーマのディレクトリを拡張することがまず必要なんだと思う。



>感性(センス)ない子はどうすんだよ



・・フィンランドメソッドかな(とりあえず)↓



--
関連:
国立大学交付金、競争型に 規模より研究重視(asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0227/005.html?2007


フィンランドメソッドについて
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=103100

※マインドマップってスキーマお絵かきっぽい



子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明(@分裂勘違い君劇場)
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070121/1169414343


教養について(@極東ブログ)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/01/post_42.html


中学受験社会の副読本(!)(@インタラクティヴ読書ノート別館の別館)
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070307/p1




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2007年03月09日

ハラスとタニシは嫁に食わすな

 巡回先のある人のところでびみょーな話題が出てて、びみょーな話題なのでコメント欄に書こうかと思ったんだけど、長くなりそうなのでやっぱこちらに書かせていただく。

 デリケートな話題だし、ご当人も「あとで消すかも」って言ってるので本来ならこういう感じで取り上げるべきではないと思うのだが・・上記した理由ということでご容赦

 
 当該エントリはこちら



 引用はしないけどいちお要約だけさせていただくと、

・職場でセクハラまがいのことをされて困っている同僚がいる

・セクハラまでいかないので立件しにくい(現時点では決定的ではない)

・具体的に言うと度を越した距離感

・巧妙にボディタッチ(立件というレベルではない=オレ的解釈:「日常的なスキンシップの範囲ですよ」と言い逃れされる恐れあり)

・パワハラではない(モラハラ程度)

・居直って、「誰がお前にセクハラするかよ」、とか言いそう



 ぼくはこの方面詳しくないんでアレなんだけど、今日ちょうど内藤朝雄さんが出演されてるパワハラネット聞いちゃったもんで、いちお伝聞しとこうかと思いまして。

 
パワハラネット
http://www.pawahara.net/index.html

パワハラネットラジオ
http://www.pawahara.net/net_radio/


 これの第一回放送分(第1回「恫喝上司と放置会社〜サービス残業まで」)

 結論から言うとそれってパワハラっぽいですよ?

 パワハラじゃなくても、ハラスメントで関係者がなんらかの圧迫を感じた結果、精神的負担から身体に異常をきたした場合は暴力行為として認定できるそうです。つまり法的処置が取れるということ。

 
 んで、内藤さんは、
「そういうハラスメントは“ハラスメントしたら処罰されるよ”っていう制度を作らないとなくならないですよ。反対に制度ができるとそういうタイプは驚くほどすぐにハラスメントをやめる。会社辞めさせられるの怖いですからね。なので法的整備を進めるべきです。あと、“ハラスメントはいけないよ(ハラスメントやらない/させない)”みたいなのが美徳となるような物語を社会的に共有するようになるといいです」、
って感じのことを提言されていた。つまり飴と鞭ということだろう。



 でも、アレですよね?


 実際問題として、法的に訴えるのってキツイですよね?



 手続きが面倒っていうのもあるんだけど、そういうタイプって逆恨みしそうじゃないですか?そういうのが一番面倒だし、人生の浪費になるし・・。

 なので、ぼくはそういうのはあまりおすすめしない。というか、そこに心理的負担がないなら別にいいんだけど、もうちょっと別の方法ないかなって思います(ヘタレなので)。


 で、思うのは

(1)職場全体で注意する

(2)職場全体で遮る(注意を逸らす)

(3)職場全体で無視する

 などではないか、と。


 (1)と(2)はほとんど同じで、一回その人以外の人で集まって、腹を割って話し合って被害状況を確認し、連帯感を高めて事に当たる、というもの。具体的には、誰かが標的にされてるようだったら、ハラスの人に用事を頼むとか何か質問して注意を逸らすとか。そういう感じでそれとなく助け合う。もしくはさりげに嫌味をいうというのもアリかな。でも、ハラスな人は気づくと逆恨み粘着して来そうだから気づかさないほうが良いのかもしれない。


 んで、(3)。これも基本的に皆で話合うところまでは同じで、あとは無視するっていうか逆にいじめるって感じです。それとなくいじめる(会話からはじく。情報を通さないなどですね)。ただし、これはやってると自分も黒く染まっちゃうので良心の呵責を感じるタイプにはお勧めできません。(たぶん女童貞なsmallpineさんにはできませんね?)

 なので、(1)+(2)って感じかな。

 ポイントは皆で話し合って連帯意識を高めるってことなんですが、ここで問題なのが職場における信頼度の問題だと思います。相手と自分(もしくは話合いの場の首座的位置にいる人)の職場全体における信頼度を比べて、相手のほうが勝っていた場合、連帯して作戦は通用しないでしょうし、下手をすれば逆に自分がひどい目に合わされます。なのでその辺の見極めが肝要か、と。

 あと、話し合いの席に敵の間者(ハラスな人と仲が良さげな人)がいないようにしないとやばいでしょうね。



 以上、僭越ながら。



(※あとは、冒頭で挙げたパワハラネットを覗いたり、相談してみるといいかも。できるだけいろんな状況のサンプルが欲しいとのことなので匿名でも相談に応じてくれるんじゃないかと思います)


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2007年03月07日

blogジレンマとゆるい繋がりの可能性

 ちょっと寝る時間が遅くなってきてるので簡単に済ませたいのだけど、また長くなるかもしれない・・。できるだけ短く。

 縮景園を散歩しつつ、「これってビオトープ?」、とか思った。ビオトープとは、

ビオトープ(Biotop、独語)は、バイオトープ(biotope、英語)とも表記し、生物の生息環境を意味する生物学の用語であり、また生物・環境教育の文脈では人工的に作られた生態系を指す言葉である。言葉はラテン語とギリシア語からの造語で、「bio(いのち)+topos(場所)」である。 また人工的に生物群の棲息場所となるよう環境を整備した場所のことを正しくはビオトープ・ガーデンと言うが、この呼称は日本ではあまり浸透していない。

ビオトープ とは 「英biotope 独Biotop」 (biotope) びおとーぷより引用】



 要するに「小さな生態系」とかいうやつだ。この言葉自体に「ロハス」的ななんかイイ感じ臭があるので少し注意しながら使う必要があるのだろうけど、めんどーだしチューボーなので論を進める。

 で、メディア者としては例の「メディアビオトープ」が思い出されるわけだが、


メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする
水越 伸
紀伊國屋書店 (2005/03)
売り上げランキング: 103215


 上記した通り、「なんだか胡散臭いなぁ」、って感じだったので読んでない。っつーか、いままでの水越さんの話をあたらし言葉でコーティングした感じだろうなぁと思ってたので。んで、読んだ人の感想ぐぐったらやっぱそんな感じだったみたい。(ミニコミメディア(alternative media)が云々)

 実際に本を読んでないので批判はしないけど、今回のネタとしては使わせてもらおうかなぁ、と(読まずに

 生態系(eco-system)といえばよいところをわざわざ「ビオトープ」というあたらし言葉を用いているのはなぜか?好意的に解釈するならば、そういう言葉でしか表現できないような新しい事態というか、見過ごされていた事象があるからではないか?どうもこの言葉で表したいのは、「大きな生態系によって小さな生態系が潰されている」、ということらしい。生態系は一繋ぎの仲良しさんではなく、小さなノードとか大きなノード(ハブ)がバラバラに点在しつつネットしている、と。

 ビオトープは人の生活空間の一部に、自然を組み込んでいく場だ。また、小さなビオトープ一ヶ所だけでは成立しない、複数のビオトープがネットワーク化されることが必要とされてもいる。同じように、人工的・歴史的に作られたマスメディアでガチガチに固められた社会の中に、作り手と受け手が分離するのではなく、相互にコミュニケーションしながら、コミュニティを形成していく、小さなメディアのビオトープのネットワークを作っていこう。一つ一つは小さなメディアであり、そのメディアに支えられた小さなコミュニティであっても、それがいくつか集まってネットワークを形成していけば、簡単に消えていくことはない。

読書日記: メディア・ビオトープより引用】


 んで、「バラバラのものの連帯を強めていけばいいんじゃん?」、みたいな感じなんだけど・・・・・・びみょーですよね?(と、ネットワーカーの皆さんに低姿勢に聞いてみる)

 まぁ、こういうことなわけだけど、

ブログ世界はフラットではない---「アルファブロガー」の孤独なセクトが生まれるわけ。(@BigBang)
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2007/02/post_9385.html

 フラットっていうと「フラット化する社会」を想起して、あれはグローバリゼーション(一部のハブの独占)からハブとハブの林立にモデルチェンジした様相を描いている本っぽいのでちょっと「フラット」って言葉を使うのはびみょーな感じだと思うんだけど、まぁ、文脈からして「ノード間が対等の関係にあることという前提」を指していると解釈すると、BigBangさんが指摘されているようにアルファな人とベータな人は住む世界というかスキーマが違うので話が合わないよなぁ・・。

 リアル世界だとそういうこと察して生活してるもんだけど、ネットは顔が見えないし、blogなんかSBMのホッテントリとかニュースサイトとか「2chで見て飛んできますた!」なので文脈なんか断絶されてて、それまでのblog主の主張とか人となりなんかお構いなしだもんなぁ・・(個別エントリは見てもトップページとか過去ログ見る人少ないよね?)

 
ちょうどishさんのところに関連エントリが出てた


なぜコメントの敷居を高くするのか
http://ish.chu.jp/blog/archives/2007/03/post_315.html

交流、直流、コミュニケーション
http://ish.chu.jp/blog/archives/2007/03/post_316.html


 簡略化された言葉が齟齬と誤解を生むということ。そして公開の場でミスリードやディスコミュニケーションの部分だけクローズアップされ伝わっていくということ。その危険性はよくわかる。そういうわけでアルファな人は話に乗ってこない。相手がアクセス数持ってて、相手の言説によって自分のプロパティ(ネットでの評判)が脅かされるなら別だろうけど。「日本のblogは低レベル」で「わたしはアクセス数(アルファかどうか)など気にしていない」とか言いつつもアクセス数は気になるわけだ。(まぁ、仕方がない)

 現在のテキスト主体のネットコミュニケーションというのは「顔が見えないコミュニケーション」ということで情報量が少なく誤解が生まれやすいんだけど、誤解を減らそうと思って言葉を尽くすと長文ということで嫌われる・・。


ネットから長文が消える理由?(@スラッシュドット)
http://slashdot.jp/it/article.pl?sid=07/02/06/1040227


 んで、「分かりやすくまとめる」わけだけど


「わかりやすくまとめる」ブロガーがブログ界隈をテレビ番組化していく(@シナトラ千代子)
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20070206/p1


 そうすると「情報量が少なく誤解が生まれる」ということで堂々巡り。


 スパムとかディスコミュニケーションとかで※欄を開放しないのは分かる。ishさんの場合、マイノリティ的事情もあるし。

 webによるスピード感の加速は場の圧縮をもたらして、タイムラグなどの緩衝材がなくなりコミュニケーションの齟齬が生じやすくなるということ。文脈違うけど「場の圧縮」関連でP.ヴィリリオを想起する。 もしくは「距離近すぎ」ということでこの辺か


コミュニケーション不全症候群
中島 梓
筑摩書房 (1995/12)
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 要は、「短文でも誤解を受けないようなプロモーション技術(コミュニケーション技術)を自然と身に着けているか」(あるいは空気嫁)、ということで、そういうのは百式の田口さんなんかうまそうだけど、あの人たちって広告とかマーケとかそういう人たちだもんなぁ・・。そりゃうまいわなぁ・・

 めんどくさいのでぼくは自分言葉でおーざっぱにまとめていくことにしてるけど。



 で、


 冒頭のビオトープの話に戻ると、そんな感じでネットってリアルワールドの写し絵なのでそんなに簡単に「みんな仲良し〜♪」とかできないんじゃないか?でも、ソーゴリカイというか、他人が何を思ってそういう行動をしたのか、想像する余裕ぐらいは持っておいたほうがよいと思うけど。それは「仲良し」的必要性だけじゃなくて、セキュリティにも関わるし(行動パターンを読む)。っつっても、そんなに簡単にパターン読めるわけでもないだろうけど。

 ビオトープ的な考えがそういう感じで島宇宙のゆるい繋がり(繋がったり繋がらなかったり)を許容するのならありかな、と思ったり。

 「ムリに仲良くならなくてもいい。でも理解はするべき」みたいな距離感としてはこの辺が妥当ではないかと思った






 現在のネットのeco-systemとしては下記リンクの辺りがモデルケースとして考えられているみたい。


The Emergence and rise of mass social media
http://www.socialmedia.biz/2007/01/social_media_go.html

 
 織田さんの解説をパクらせていただこう

1.コミュニケーションは対話であり、一方的な言葉ではない。

2.ソーシャルメディアの参加者は人であり、組織ではない。

3.正直さと情報公開が中心となる価値観である。

4.プッシュではなく、プル。

5.集中ではなく、配信。

Ad Innovator: 今日の解説:マスソーシャルメディアの台頭より引用】




 あとはIBMによる4象限モデルとか
http://www.socialmedia.biz/2007/02/the_coming_medi.html


 前に見たEmergent Media Eco-Systemの焼き直しっぽいし、あくまでモデルなのでそのまま行くかどうかは分からないんだけど、まぁ、いちお記憶にとどめておこう。


--
関連:
上川あやさんの本(@heuristic ways)
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20070307

※中村中さんの話の続き


「共同体」のイメージ(@小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」)
http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20070306#1173156967

※小田センセからお返事いただいた。「田舎のほうがキチキチした監視があるっていうのは偏見じゃないの?」、と。こういうのは農民蔑視の偏見解除にも役立つな。あと、後段の「共同体の脱構築/再構築」も面白そう



posted by m_um_u at 23:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年03月02日

明日はゆかいなひな祭り♪

 卒業式シーズンもたけなわ(?)、そういえば明日は雛祭りですな。

 そういうわけでちょっとセクハラw おっさんっぽく呪いをかけてみます。
http://www.miyakeclinic.com/k-eiyou/siki/hinamaturi.htm


 ちょっと前に、このことを知ってショックを受けた人の話をはて部経由で見たんだけど・・まぁ、ショックですわなぁ・・。って、農業国日本の大部分の祭りはそれ系(「豊穣-子種」ワッショイ)なわけだけど、それを知るとショックな人がけっこういるんだなぁ、と。

 ってか「農業国」とか言ってると網野史観的に怒られちゃいますね(くわばらくわばら)・・。とか言いつつ、「元々日本は性風俗に対しておおらか」、について話を進めると、美輪明宏なんかがよく言ってる「だからオカマも風俗の一部だったのに、そういう多様性を明治期近代化が押しつぶしたのよ!(コルビジェ大嫌い)」みたいな話になるんだけどそこには乗っからずに、農民と性風俗の関連で話を進めていくと、明治期までの性の多様性の元は農民的な価値観に由来するのかなぁ・・?

 もっと遡ると、農民的習俗って弥生系?縄文系?

 って、縄文系(国津神文化)は北と南に追いやられたはず(※オレ様歴史観)なので、本州の大部分は弥生系ということでそこに違いはないだろうな。ちなみに「弥生系=醤油顔」、「縄文系=ソース顔」ということで、その辺りでセクシャリティに関する意識の違いみたいなのを探ってみようかと思うけど・・ないよなぁ(「ソース顔のほうがセックス好き」とか偏見だろうし)。

 んで、農民の性意識について。

 これについてはけっこういろんなところで語られているだろうし、いまさら云々ということもないけど、いちお。いわゆる「農家は性意識が奔放≠夜這い、近親相姦・・云々」な話だけどこれって今でも続いているのだろうか?一部の村落だけ?(ってかそもそも偏見?)

 こういうのは柏木ハルコの「花園メリーゴーランド」的世界観なわけだけど、あの人の仕事ってこの辺りに続いていくのかなぁ・・(「農耕を起源とした日本のセクシャリティの多様性とそれへの抑圧」みたいなの)。学術系だと赤川センセ辺りなのだろうけどどうなんだろ?ってか、上野千鶴子女史の例の本に絡むのかなぁ・・(ってか、この時期の上野センセの写真って野性味あふれる感じですごいな)。「スカート〜」関連だと田口ランディのアレとか思い出すけど、アレはアレで面白かった(「女のこぼれ話」みたいな感じで)。それにしてもこのごろの田口さんは若い・・。


 農家の性が云々話に関連して最近はて部経由でこんなの見た
http://imihu.blog30.fc2.com/blog-entry-2486.html

 あえて要約しないけど、ひどくてすごい。息子がアレなのは大前提として、母の愛かなぁ、と思ったり。ってか、地方ごとの性に対する意識の違いが為せる業かなぁ、と。九州みたいだけどあの辺ってそんな感じだったっけ?


 コレ系の奇祭の分布図があったはずなんだけど・・見つからないな。かなまら祭り(神奈川県)、ほだれ祭り(新潟県)、田県神社(愛知県)、大県神社(愛知県)、ぐらいか
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%AB%A4%CA%A4%DE%A4%E9%BA%D7%A4%EA

(※関係ないけど上記ページのGoogle様リンクに「ひな祭り」ってある・・。すごいなGoogle様、エージェントスミスみたいだ)

 

 そういうわけで4月ぐらいに実地検分してみる予定です。ついでにネズミーランドにも行ってこよう。あと ネタ的な話なのでmixiに書こうかと思ってたけどTBしたくなったのでこちらに置いとこう。

















--
関連:
農家の恐ろしい実態 まとめサイト
http://blog.goo.ne.jp/noukano-jittai

※「農民的倫理観」については「第二次大戦で信じられないほどの蛮行を繰り返した大部分は農民出身」みたいな言説があって、散人さんなんかが嫌う農民像というのはそういうものに起因しているのかもしれないけど、だとすると性的なものと攻撃性みたいなものにはなにか相関があるものなのだろうか?リビドーとかタナトスとかその辺?(そして反動としての自壊衝動)・・心理学疎いので分かんないや



巨大なる根っこの祭り、かなまら祭り。(@ミズタマのチチ: ピヨピヨ)
http://kojiru.jugem.cc/?eid=704


今年の恵方は北北西(@藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」)
http://d.hatena.ne.jp/hankinren/20070126#p1



--
追記:
あ、「日本のすべての祭りとか文化習俗は農耕行事が基本となっている」、っていうのは電波です。ひな祭り自体は人形もてるようなお金持ちの遊びだったらしいし。

ひな祭り(@weblio)


言いたかったのは、「ひな祭りにも生命祈願みたいなのが含まれてるんだねー」、みたいなことです。んで、その性格が「人口増産+豊穣祈願」な農耕系の祭りと似たようなもんだなぁ、性的なものはそんなにタブー視されるものでもなかったんだろうなぁ、と。そんな感じです。

ってか、侍と農民だと性意識は違うか・・。とりあえず昔は医療が発達してなかったので子種とかそういうのが現在に比べてすごく大事だったんでしょうね。





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2007年03月01日

xFruitsを導入してみた

 今日はマジックミドル(middle tail)とblog、ニュースサイトの関係についてエントリするつもりだったけど、酒飲んで眠くなったので止め。ワイルドターキーの余ったのとスミルノフ飲んだ程度なんだけど、思いのほか酔ってしまった(ほろ酔い)。やっぱ空きっ腹に飲んだのが遺憾な。

 そういうわけで予定を変更してサイトの微調整について。

 J.D.Lasicaのとこ経由でxFruitsというweb serviceを知ってなんとなく使い始めてみた。日本語説明によると、「いわゆる plagger の シンプル版といったところ」、とのこと。RSSを自由にカスタマイズできるってやつ。「複数のRSSを編集して一つのRSS」にしたり「RSSをWEBページ化」したり「RSSを元にケータイページ」を作ったり「RSSをメール化」できる(ほかにも)。とりあえず本サイトのRSSをケータイページ化してみた。・・多分に自己満足な感じだけど。

 でも、これってうまく使いこなすとかなり便利そうだな。「すべての情報をRSS化してG-mailで読む」とかできそうだし。さらにそれをケータイG-mailで読む、と。

 そこまで情報に飢える必要もないのかもしれないけど、やっぱ便利。GoogleっていったらARTIFACTのまとめエントリ経由でGoogleモバイルの存在を知った。i-mode, au, softbankの各キャリアとも対応していて、京ぽんでも見れるので便利。路線変更とかローカル食べ物とか探すときに良さそうだ。

 Googleモバイルと言えば、アメリカでは渋滞情報にも対応したとのこと。やたら便利そうで日本への上陸も期待されるのだけれど、いつ頃なのかなぁ・・。できればゴールデンウィークまでに入ってくれるといいですね。

 

 って、あぁ、ダメだ。・・眠い



 おやすみなさい




--
関連:
RSS のいろいろ変換ツール、xFRUITS が β公開(@a++ My RSS 管理人ブログ)
http://blog.myrss.jp/archives/2006/06/rss_xfruits.html




タグ:tips
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2007年02月19日

blogツール検討

 いまから出かけるのでメモ程度に。blog用に取り入れようかと検討しているツール↓


 自分のページにお手製の Flash Movie (FLV) を貼り付ける方法(@デジモノに埋もれる日々)
http://c-kom.homeip.net/review/blog/archives/2007/01/_flash_movie_fl.html

 「らくらく動画投稿♪」って感じだけど、こんな感じでFlickrとかとの連携ってあったよな


 ガイジンblogのサイドバーによく見かけるFrickrのブログパーツは「Zeitgeist」というらしい。Frickrが提供してるのか。
 Frikrが提供してるブログパーツとしてはほかに「Buddies」というのがあるらしい。お仲間の好み(?)とかなんとか(what they look like)。いづれにしてもFrickrでアカウントとらないと使えないな。こちらにFrickr入門編みたいなのがまとめられてて便利げ。

 写真共有サービス「Flickr」(@WADA.blog)
http://wada.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/flickr_66e8.html


 あと、NETAFULLの特集でFlickr簡単検索wigdetが紹介されてた。

Dashboard Widget「FlickIt」
http://netafull.net/macosx/014286.html

 写真クリックで貼り付け用のhtmlソースを生成してくれるみたい。↓も面白そう

 Flickrのスライドショーをブログに埋め込む方法
http://netafull.net/lifehack/016495.html



 マイクロソフトのブログ投稿ツール「Windows Live Writer」(@GIGAZINE)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060814_live_writer/

山形さんが宣伝用に使ってるエディタかな?もうダウンロードしてあるけどインストしてない。軽ければ使うかも


 Share your files with this widget(@Social Media)
http://www.socialmedia.biz/2007/01/share_your_file.html

 「blog上でらくらく動画共有♪」なボックス。っつっても共有する相手もいないしな。動画以外のファイルも共有できるかも



 最強の呼び声高いブログ用対スパムプラグイン「Akismet」(@GIGAZINE)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070127_akismet/

 スパム対策はしとかないとなぁ





 あとは動画変換系とかNOTAも気になる。 帰ってから検討しよう





タグ:blog
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2007年02月18日

ジャストシステムのブログエディタとかシーサーすごいなとかケータイ時代のコミュニケーションとか

 XML文書編集の未来形!?――ジャストブログを試してみた (@IT)

 って記事に触発されてジャストシステムのブログエディタをインストールして使ってみたんですが・・なんか重くて動かなかった・・。

 ウチのマシンが弱っちいせいなのかなぁ。。

 まぁ、そんなこんなでジャストエディタはなし、と。まぁ、この感じだといまのシーサーは安定してるみたいだし、従来通りブラウザから投稿しても特に不便も感じないですしね。
 
 てか、シーサーのサイト編集は楽ですな。「ブログパーツ編集」
っていうのでドラッグ&ドロップでブログパーツの追加とかできるし・・。いやぁ、便利になったもんだ。

 あとは文字の大きさとか調節できるといいんだけど(もうちょっと大きいほうがいい)。


 これだけだと芸がないので今日聞いたpodcastの感想でも書いときます。

 今日は宮台真司週刊ミヤダイより「携帯電話1人1台時代でコミュニケーションはどう変わった?」ってのを聞きました。

 箇条で要約すると、

「ケータイ」⇒「コミュニケーションの希薄化(代替可能性)」⇒「ハブられないようにするために過剰にベタベタしたコミュニケーションをする(せざるを得ない)」

「ケータイ的視聴様式に合わせたTV番組、映画などの変化」⇒「ケータイをしながらの視聴(集中力が続かなくて伏線をまともに追えない)に合わせて、短いスパンで山場をもってくるような作りに」⇒「つまらない作品の増発」

「家族などかつての“場”にしばられたコミュニケーションの希薄化(ネットやケータイの知り合って間もない人に親身な相談をもちかける)」

「でも、ネットやケータイなどの新たなコミュニケーション様式にも可能性があるのでは?(ex.コテハンという新たな縛り(場)」
 

 だいたいこんな感じでした(一部解釈入ってるけど)。面白いなと思ったのは「仲間内でハブられないようにするために過剰にベタベタしたコミュニケーションをする」ってところ。これは一個前のエントリ(mixiにおけるベタベタコミュニケーション - mixi疲れ)なんかを想起させますね。「せざるを得ない」ってとこがポイントかなぁ、と。

 「ケータイ族に合わせた映画作り」というところではYoshi映画(参照)なんかを思い浮かべたり。見てないのでなんとも言えないけど。

 あとは最後の部分で、「かつての場の縛りが失われた現在、関係やそれに付随した実存が薄れていく中で我々はどのようにして新しい時代に向かい合うべきか」(意訳)みたいな課題に対して、「一見、無法にみえるネット社会にもコテハンみたいな縛りがあるし、その辺りに可能性を見てみても良いのでは?」的な締めはなんかもうちょいな感じでした。電縁の可能性ということだろうけど、やっぱ既存のルールの転用なのかなぁ、と。
 
 mixiの日記のほうには書いたけど、個人的には「ネットの海に溶けろ」的な課題を目の前にしているのでなんとも古臭い(オッサン臭い)結論のように感じました。

 まぁ、本気というわけでもないのだろうけど。

posted by m_um_u at 15:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

blog再開しました

 mixiでしばらくリハビリしてたんですが、そろそろあっちの日記がblogっぽくなってきたのでこっちで書くことにしました。

 ジャストシステムのブログエディタも試してみたいし。やっぱ検索とかタグタグクラウドとかあるのが便利げなので。あっちで日記がたまると自分の書いたものを参照するときにちょっと不便ですね(ツール使えばいいんだけど2ステップかかってめんどくさい)。トラックバックもしたいし。動画アップとか、写真アップとかこっちのほうが楽そうだし。

 あと、いろいろアクセサリ(ブログパーツ)もつけれるみたいなのでちょこちょこいじっていくこととします。

 まぁ、とりあえず、よろしくおねがいします


 あと、mixi内でmixiの嫌がるかもしれないエントリ書いたのでこっちにも複製しとこう。

 
posted by m_um_u at 08:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

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