2007年09月06日

私的はてぶ、twitter、tumblrの使い分けについて

 なにやらtwitterがメンテ中のようなのでたまにはこちらにそれ系の話題でも。ネタ元としてはこの辺から↓


忘却防止。 - はてなブックマークとはてなスターを使い分けるならば - 情報を集める立場から


 このエントリ自体ははてぶとはて☆の使い分け(てか、「はて☆けっこう使えるぜ?」)についてのエントリなわけだけど、それ以前に。はてぶ(social bookmark)、FastLadder(フィードリーダー)、Seesaa (blog)、mixi (social network), twitter (mini(micro) blog), tumblr (sbm + blog)、last.fm (music network)、とやっていていささか食傷気味だなぁ、と。いちおiddyにまとめてるけど、「繋がり過多」って感じはしますね。

 もっともはて☆なんかの場合はエントリ立てるわけでもなくたまに見る程度でいいのかなぁとも思うんだけど。つまりリンク先エントリにもあるように、「凝り固まってきた自分の思考を分散し、関心を拡げるための窓としてはて☆を活用する」、って感じで使おうかな、と。

 そういやはて☆っていったらこちらのエントリも気になりました。


草日記 - はてなスターヘビーユーザ

 「ぶくめを中心にいつもお星さまをつけてくれる人がいるけど、output系がプライベートになってるからどんな人かわからないわ (どのような方なのかしら?)」、と。

 なんか足長おじさんみたいですね。

 そういうぼくもはてなは現在のところぶくまぐらいでしか活用しておらず、はて☆をつけるのもぶくまコメントに限ってるところがあります。なんかぶくまコメントのほうが気軽にエントリつけれるので。twitterのpostにはて☆つけるのと同じですね。

 そんで、そういった☆つけ活動の中でちょっと気になる人が。abekameriさんってどんな人なんでしょうね?

 ジェンダー系の話題を中心にぶくまが交差する関心が交差するようで、興味をもったエントリですれ違い☆してたり、こちらのぶくまコメントをたどって☆をつけてくださっているようなんですが、見に行ったところご自身はぶくまされておらず、日記のほうもプライベートモード、と...。



・・・・謎だ



 はてなちゃんとしなもんにでも探偵依頼だそうかなって思うところだけど、そこまでのことでもないだろうからまぁいいです。

 ところで「はてぶとtwitter」な話題が出てきたのでこの辺についてもうちょっと。
 
 以前のエントリでもすこしいったような気がするんですが、ぼくははてぶは主にネット系を通じて得た知識や話題を、twitterではリアルを通じて得た知識や話題について触れるようにしています。てか、twitterの使い方の一つとして現実のぶっくまーくというか、歩いてて思いついたことなんかをぶくまするみたいなことをしてます。

 つってもどこぞで「長文twitter」として紹介されたようにtwitterにしては長文かいてたりするんですがね。(つか、そういうkanoseさんも長文なだけどw)

 twitterの長文はそのとき思ったことをガーっと吐き出してるだけなのでそれほど長文って気もしないですね。「忘れないうちに言っちゃえ」って感じのぶくま程度の気分で書いてます。なのでヒトサマの役に立つようなことは一切(あまり?)ありませんw 妄想系スパムが多いっすね。(はい、すみません)


 でも、そんなはてぶ / twitterな区分けも最近ぼんやりとしてきてたり・・。はてぶに「twitterにも流す?」機能がついたのでたまにはてぶの内容をtwitterにも流すし、twitterな内容をはてぶにぶくましたりするし、はてぶははてぶで「はてぶ上からIDコールができるようになりました」って機能がtwitterの@通信とかダイレクトメッセージに似てて、ほんと益々わけわかんなくなってきてます。

 いや、便利だからいいんだけどね。


 つか、「現実とネットの境なんてないしなぁ」ってのがネットワーカーの感覚としてあるので、その辺おぼろげなんでしょうね。(小説なんてのも「リアル」とは違うわけだし、もっと言えば文字化 - 意味化したものは全て「リアル」(即物)とは違うわけだしね)


 あと、「twitterをぶくま」な話題が出てきたのでこの辺もすこし。

 ぼくの基準として、おもろいtwitterポスト(twitt)に対するフローとしては「はて☆ → twitter fav → はてぶ」って感じになってます。

 はて☆はわりとせっそうなくつけてて、twitter favはもうちょっと記憶にとどめたいなぁって時に使用します。んで、さらに「もうちょっと記憶にとどめつつ、できればエントリに起こしてすこし考えてみたいなぁ」ってときにぶくまします。

 いまのところそこまでのtwittは出てきてないけど・・ってか、itkz氏のtwitter発言まとめたやつはぶくましてるな。これも広い意味では「twittのぶくま」ってことになるのかな?


 つか、アレですね。こんな感じでtwitterの発言を部分的にtumblrできる機能があるといいんですがね。twittする際に「たんぶる?」って確認があってそのボタン押したら範囲指定でたんぶれたりすると便利げ(長文twitter(笑)としては!)
 
 似たような機能でついったーの会話ログを残したい人っていると思うんだけどその辺はこの辺見ればいいのかな


なかよしだーランキング - ついったーランキング (Twitter Ranking)


 ついったランキングのなかよしログ。@会話のログが表示されます。

 通常だと@会話の多い人がランキング順で表示されてるだけだけど、例えば「http://twitty.jp/friendly/jyamil/sukerokutaro/」の「jyamil」と「sukerokutaro」っていうID部分を任意のついったーIDに変えればその仲良しログを見ることも可能なんじゃないでしょうか?


 つか、そういった機能も全部tumblrってポチっとできないのかなぁ・・。tumblrのdashboardにchatクリップ機能があったけど、あれつかったらうまいことクリップできるようになるのかしら?


...まぁ、よくわかんないけど。tumblrな話題が出てきたので以下たんぶらな話題でも。


 たんぶらーは最近はじめたのでまだ使い慣れていないところがあるんですが、徐々にわかってきたような感じです。(ちなみにワタクシのは以下↓)


むーたん


 アレっすね。「エントリ未満のエントリ」っていうか「sbmのヴィジュアライゼーション化」というか..。主にネットの画像クリップ場として使いつつそれへの説明をすこし書いたり、sbmとかtwitterではおさまらないけどblogするほどじゃないなってほどの関連リンクな話題なんかをクリップしてます。

 あと、たんぶらにはフィード登録という便利な機能があります。これは、「任意のフィードを登録したらそのサイトのアップデートを自動取得し自分のたんぶらに反映する」、って機能です。つまり自分の書いたエントリ、クリップしたエントリじゃなくても自動的にページに反映されるんですね。

 なんか某○○gleにうすとか自動生成型エロサイトみたいですが[これは便利]ってことで重宝して使ってます。


 で、そこで見た印象的な画像なんかをぶくまして記録したり。あと、たんぶらは時系列ごとのまとめに弱いみたいなのでぶくまで記録して後から参照しやすいようにまとめたり。いまのところそんな感じの使い方をしています。



 ぶくまとtwitter、tumblrの使い分けについては大体以上な感じですかね。あと、twitterとかtumblrに思いついたことを吐き出していくことの効用についての私見があるけど・・これはこれで長くなるのでまた今度(...かな? よくわかんないです)




--
追記:
あと、蛇足的に。たんぶらーの自動生成機能は不思議な感覚がありますね。自分と趣味が似た人がアップデートした話題や画像が自動で見れて、それがネット上の身体の一部ともいえるたんぶらに統合される。

この感覚はなんだか攻殻機動隊2で出てきた素子の種子分けに近いように思います。

攻殻機動隊1でネット(梵)と同体化した素子が多様性を保つために自らをいくつかに分けて情報収集にはしらせた、っていうあのモチーフ。


擬似的とはいえそれが可能になっているということ、「もしかしたらこうであったかもしれない自分」の見ているものや思考(志向・嗜好)を垣間見るというのはなんだか不思議な感じがします。
 
タグ:twitter SBM tumblr
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2007年08月25日

「かえるのこはかえる」 / 「おやこのかえるだよ」

家族のそれから
家族のそれから
posted with amazlet on 07.08.25
ひぐち アサ
講談社 (2001/06)



 このエントリを見ながら「ゆくところ」(@「家族のそれから」)に出てきた「おやこのかえるだよ」という台詞が分ったような気がしたのでメモ。


ある編集者の気になるノート : 他人に不幸をうつす前に、僕はもっと幸せになろう。(ヒトリゴト57)


 このエントリでは西原さんと鴨志田さんのエピソードを引きながら、家族関係から生じる負のスパイラルについて論じられていた。「かえるのこはかえる」っていうか、そういうの。

 その不安はぼく自身も気になっていたことで、そういう不安はいまも少しある。だからこそあの手紙に対してまだ返事ができていないのかもしれない。


muse-A-muse 2nd: 過去と現実


 これ自体は単なる事務的な手続きだからさっさと処理してしまえばよいのだろうけど、それができないのはなにかが清算できてないからだろうか。(単に自堕落なだけなのだろうけど)



 「あんたの寝方はお父さんそっくりになりだしたね」


 そういうことを言われるたびに少しの罪悪感と憤りのようなものを感じてきた。罪悪感はそのころの家族にとっては「悪」の代名詞のような存在だった父と同じような行動をとっていることに対する引け目のようなもの。憤りは「なぜ自分の父親を悪く思わなければならないのか?」という良心の呵責のような気持ち。そして、「オレが選んだわけじゃないのになぜオレの責任にされるの?」みたいなそういう気持ち。

 そういった感情の間でなにか妙な業のようなものを背負わされてきたような気がする。


 どっちにしても「父親のようにならない(なるのか?)」というのは潜在的な恐怖だったし、いまもそういう意識は少し残っているように思う。いちばんキツイときに頭の中に響く言葉。


 
 そういう父に対しても父親として敬いたい気持ちのようなものもどこかに残っていて........それはたぶん捨てたほうがいい感情なのだろうけど。



 「おやこのかえるだよ」という言葉にはそういう気持ちが含まれているのかな、と改めて思った。


 「家族のそれから」という本には表題作「家族のそれから」と「ゆくところ」という短編が含まれている。前者は若くして旅立った結婚相手の子供たちと若い父親(涙もろい)の関係を通じて「家族とはなにか?」ということについて考えていっている作品。読んでいて「血縁ではなく信頼なのだろうな」という言葉が頭に浮かぶ。

 後者は中学生ゲイ(+ ひきこもり気質 + 家族離散)な少年と半身が障害で動かない少年の交流を描いた物語。両者とも世間的にはマイノリティに属するのだろうけど、その辺については湿っぽく語られていない。ゲイ的な性向についてもネタとしてクローズアップするのではなく、ふつーに「そういうもの」として描かれていて好感が持てる。

 で、

 この中で出てきた「おやこのかえるだよ」という台詞。


 これは負の感情の連鎖でひきこもり状態になってしまっているゲイの少年の回想のなかで出てきた言葉。

 極度に説明を省いた文脈の中で出てきた言葉だったのでしばらくなんのことだかわかんなかったけど、今回なんとなく腑に落ちた。


 記憶の中で少年はバケツを片手に、「おやこのかえるだよ ― それぜんぶ ― おやこのかえるだよ」 、と言っている。上目遣いのすこし拗ねたような、それでいて「オレ悪くないもん」っていうなにかを説明させられるときの子供独特の表情で。

 これに対する説明としては以下だけ


 「うちがまだ普通だったころ バケツいっぱいカエルあつめて トラック来たとこまいたのよ 

ところがやつがそれ見てて……やつはも〜〜〜〜ぉおっよわくてさ!! どなってっか泣いてっかだろ あげくに酒に溺れてよ!

......オレらキョーダイにとって やつは

アル中!そいだけだ!」


 少年の奇異な行動を見た父親はストレートにその残虐行為をたしなめたんだろうけどこの行動には2つの解釈ができるように思う。ひとつはアル中の父親に対する示威的行動。もうひとつは少年期特有の思考回路からおこした親和的行動。

 ぼくは後者ではないかと思う。

 5〜6歳ぐらい(?)の少年にとって父親の暴力はイヤだけれどそれでも父親は愛情をもって接するべき存在で、そういった父親に対して示した愛情表現の一種だったのではないか、と。(おそらく少年にとってはたからもののひとつであるカエルを捨てることによって示した)


 でも、よく見てみると違うか。


 カエルは「父親が見ているのを知っていて撒かれた」のではなく「カエルを撒いたところを父親が偶然見た」ということだもんな。では示威的行動ではないな。

 だとすると早い時期にあらわした父親との決別に対する意思表示(自分なりの儀式)だったのかもしれない。そのほうが後の台詞とのつながりも出るしな....。



 でも、ぼくはすこしだけ後者の解釈もあるのではないかと思う。子供ならではの親への愛のようなもの。「親の愛は無償」って言うけどこの時期の子供の愛も無償なのではないだろうか?

 ときどきそれを感じられずに上辺の行動だけで子供を叱りつける親がいるけど......まぁ、鈍感なんだろうから仕方ないか。



 「かえるのこはかえる」.....でもオタマジャクシとカエルはぜんぜん違うんだろうな。

 
 
タグ:家族
posted by m_um_u at 19:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年08月15日

Perfect Star Perfect Style

 コンテンツ関連のネタがびみょーに溜まってる。阿久悠さん関連で「タイアップの歌謡史」を引きつつ「コンテンツフューチャー」と絡めてなんか書かないとー、って感じなんだけど肝心の「タイアップ・・」のまとめがなんか終わらない..。
 
 blogネタなので簡単にまとめちゃえばいいんだけどなんか勢いが・・(暑さのせいか?)


 まぁ、とりあえず、そんなこんなで今日も明日にするかなって思ってたところで「明日っていつさぁ!!」ですよ。


深町秋生の新人日記 - 完璧に計算されたアイドルPerfume


 いや、まったくもってクリリンって感じなんだろうけど、良い機会なので現代風タイアップの承前として。

 
 んで、リンク先の深町さんの論旨に対して別に言うことなくまったくその通りだと思うし、元ネタのinumashさんのエントリも素直にうなづくところがあったわけだけど・・

想像力はベッドルームと路上から - 「機械化の夢」の極北。BjorkとPerfume。(妄言注意)


 やっぱ自分的にはperfumeってなんか足りない感じがしてたんですよね。それは無機質に徹することによって意図的に削られた部分なのかなぁとか思ってたわけだけどそういうわけでもなかったみたいです。とりあえずこれを見ていただきたいな、と


ニコニコ動画(RC)‐アイドルマスター Perfume パーフェクトスター・パーフェクトスタイル PV風


ニコニコ部 - なつみかん@ニコ部 - アイマス×PerfumeコラボPV“PerfumeM@ster”


 これ見たときにゾクっときました。相性良すぎですな。まさにヴァーチャルアイドルって感じで。

 アイドルに非人間的なものを求めるならCGでヴァーチャルアイドル(以下VIと表記)創っちゃえばいいわけですよね。現にそういう企画というのはけっこう前から考えられていていづれも失敗してきた。

 それぞれのVIの名前忘れちゃいましたが、なんかみょーにリアリティ(?)を追求して8頭身キャラっぽくなってたように思います。っつーか、Second Lifeのアバターみたいだった。そのせいかあまり売れなかったんですよね。

 この辺の消費者心理についてよくわかんないんですが、「かわいさ」に対する日本的嗜好が絡んでいるように思います。


muse-A-muse 2nd: 小さきもの、カワユスかな


 っつーか、日本的アイドルに求められるものが「かわいさ」的なものでそれはフェティッシュな嗜好を含むのに対して、アメリカ的なアイドルに求められるのは「かっこ良さ」みたいな感じってことなのかな? 前者がお人形さん的な姿を求められるのに対して、後者は一人のタレントとしての技量を求められるというか・・。

 ってか、洋楽詳しくないのでよく分かんないけど。洋楽にもそれ系アイドルいるのかもしれない。あと、日本的アイドルも全部が全部お人形さんってわけではなく売り出しの方向性によってキャラが異なってくるってのもあるだろうし、最初はお人形キャラとか不思議キャラで売ってた人が途中でキャラ変えたりするってこともある(cf.浜崎あゆみ)。

 
 ちょっと脱線したのでperfumeに戻ります。

 で、件のPerfumeM@sterがなぜここまで合うのかってことなんだけど・・。私見ではやはりperfumeというのは完成されてなかったように思うんですね。途中でエレポップに路線変更して歌唱力のなさをエレかわいさで埋めてきたとは言えやはりそれだけというか、なんかもう一歩「色」が見えてこなかった。音声加工バリバリに入れて無機質な声色を作り上げてるとはいえ、なんかまだ人間っぽさが残ってたのかもしれない。それを埋めてきたのが件の動画のように思うんです。

 んで、この動画だけだと「またなんかよくわかんないヴァーチャルアイドルさんですか?」って感じになるんだけど、この元にリアルアイドルのperfumeさんがいることで二次元だけに終始しないイメージ展開がされているのかなぁとかなんとか思うわけです。

 そういう仕掛けが見えちゃうと冷めちゃうところもあるんだろうけど、この動画が職人達の営為によって創られたってところが良いのでしょうね。これによってアイドルを育てていく(足りないものを保管していく)って参加意識も生まれるのだろうし。っつーか、なんか盛り上がる。

 こういう「足りないものを埋めていく」って感じはおにゃン子クラブ的なそれにも通じるのかもしれません。あるいはいまだったらモー娘。

 ちょっと規模や文脈も違うのかもしれないけど、「足りないものを埋めていく参加意識」ということでは共通するのではないかと思うわけです。


 その意味で弾さんのこの指摘には頷けるところがあります

404 Blog Not Found:書評 - CONTENT'S FUTURE

ニコニコ動画のMAD見てしまったら、この台詞はありえない。



 あと、inumashさんの言葉を引くと、

Perfumeの3人は、生身の身体を持ちながら『Perfume』を構成し駆動する「機械」として存在しているのだ。そして、これは彼女達の声の扱いに顕著なのだが、彼女達は様々な形に「調整」され、その記名性を奪われた形で差し出される。


 って感じでperfumeの固体には記名性(色)はいらないってことなんだけど、アイマス動画のほうはそれぞれのキャラが立ってるんですよね。少なくとも件の動画ではキャラ立っても成立してる。その辺のシンメトリーが面白いなぁ、と。(鏡の関係っていうか)

 
 この辺はメディア論的に考察を深められそうですが、いまはちょっと頭働かないのでこの辺で。とりあえずperfumeもアイマスのキャラもお互いがお互いを補完することによってperfect starになったのかなぁ、とか思いました。



 つか、これ読みたくなってきたので注文中です。


あいどる (角川文庫)
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ウィリアム ギブスン William Gibson 浅倉 久志
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関連:
ニコニコ部 - 花見川@ニコニコ部 - ニコニコ動画におけるアイマスMADの歴史メモ


最近だとこの辺がツボでした




動画切れるだろうからニコ動リンクも↓

ニコニコ動画(RC)‐アイドルマスター それ行けカープ やよい・春香・真


つづき


ニコニコ動画(RC)‐アイドルマスター 燃える赤ヘル僕らのカープ+α やよい・雪歩・春香



あと、深町さんはこの辺見るともっと頭がバカにやわらかくなって良いように思います


ニコニコ動画(RC)‐マイリスト とかち未来派シリーズ


「とかち」とは

posted by m_um_u at 22:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年08月14日

月のモノと卵型生物

ハンプティ・ダンプティが 塀の上
ハンプティ・ダンプティが おっこちた
王様の馬みんなと 王様の家来みんなでも
ハンプティを元には 戻せない






 なんかこの辺見てて面白かったのと思い出したこと(+妄想)があるのでエントリ上げとこうかと。


wHite_caKe - 男と女の間には

(※元ネタエントリ↓)

CROOK - 男も生理について学ぶべきなんじゃね? (※コメント欄もおもろい。続き↓)

CROOK - 月経観

CROOK - 男は女心だけじゃなく女体もわかってない


 legnumさんとこの「この男は生理(月経)のこと知らな過ぎじゃね?(もっと知るべき)」話を受けてwhite_cakeさんが男の生理知識のなさについての重いで話を披露されている。以下、ちょっと抜粋。


そこでエイライくんが驚いたような顔をしました。

「三日間しかってどういうこと? 生理って一日で終わるもんじゃないの?」

「はいぃぃぃぃ? なんじゃいそらあ」

というわけでその後私が慌ててエイライくんを問いただしたところ、エイライくんは

* 生理とは一ヶ月が過ぎて受精できず不要になった卵が、女性の体内ではじけて起こる出血だと思っていた。
* 生理痛とは「卵がはじける痛み」だと思っていた。

ことが判明。



 すげぇなエイライくん。そうか、卵がはじけてたのか..。いや、まぁ、ぼくも似たようなものというか、直接♀からその辺のことについて説明されるまではびみょーな知識だったんですがね。はじめてヤツらの卵が入れ替わるのを知ったときにはそれなりの衝撃を受けましたね。・・「卵」って...。「卵」ですよ? ♂には想像できません。だって、哺乳類なのに「卵」って(←しつこい)。

 あぁ、そうだ。個人的イメージとしてはまず「卵子」のことを「卵」としてはとらえてなかったんだと思います。もうちょっと遺伝子に近い形の極小のものではないか、と。なので血液なんかと同じく入れ替えが起きないというか、入れ替わるとしても知らない間に終わっているような身体には負担の少ないものだと思ってたんですね。新陳代謝みたいな。つか、♂の場合、精子は血液と同じで負担ないのでそれと同じイメージだったんだと思います。

 んで、月経についてのイメージもそこからの延長線上にありました。出血があるのは知っていたけど、その理由というかメカニズムについてはきちんと教えられたり学んだことがなかったので「なぜ血液が出るか?」「排出される血液の中身は何か?」ということについては自分で類推せざるを得なかったんですね。うちは女系家族で生理用品も(隠しては歩けど)身近にあるんですが、その手の話はしたことがなかったので。

 で、どういうイメージだったかというと、「男性と女性の身体構造的な違いによって血液が滞り、それが排出されるのではないか?」、って感じだったと思います。その際、メカニズム的な理由ではなく「でっぱり」と「穴」という構造的な違いから血液が滞り、一定期間が過ぎると溜まった血液が排出されるのではないかと、そう思ってたわけです。なのでその際の血液の量というのは小さなコップ一杯程度かなぁ、とか思っていたわけです。

 しかし実際は、「内臓の壁がバリバリとはがれてそれが出て行く感じ」、と・・。この辺りの説明を某じょしっこ(通称:カニ)から聞いたときに少し驚きましたね。ってか、それでやっと「生理がキツイ」という理由が理解できたような・・。一緒に説明を聞いていた♂(犬男「ジョン」)も目を丸くして驚いてました。そのときついでに生理の重さとか痛みについて説明されたり・・(ハイヒールで下腹部をぐりぐりと踏みつけるようなとか何とか)。身長とか体温とかに関係あるのかな?(知らんけど)

 んで、あんまりキツイ場合はピル使ったらいいんじゃないの?、とか思うわけだけど

 ピルで生理を軽くする

 これはこれで副作用があるみたいですね。(個人差あるんだろうけど)

お肌の荒れはピルのせい (勤労者Xの憂鬱)



 で、以下ぜんぜん関係ない妄想なんですが。ハンプティ・ダンプティの話ってもしかして月経とも関係あるんですかね? ウィキペディアの説明だと


ハンプティ・ダンプティ - Wikipedia


 清教徒革命時の強力な大砲、イギリス国王リチャード3世、テステュードと呼ばれる古代ローマの攻城兵器なんかの暗喩のようですが、ぼくとしてはどうも女性の性(もしくは結婚)関連の比喩的表現のような気がするんですよね。

 それは女性が卵型人間ということから連想したんだろうけど、歌の内容、「ハンプティ・ダンプティが おっこちた」「ハンプティを元には 戻せない」、あたりがどうも結婚関連(あるいは妊娠関連)に絡んでくるように思うんです。(不謹慎ですが)

 該当箇所を月経との関連で読み解くと、「妊娠のために用意される卵とベッドがまた流れちゃったね(同じ卵とベッドはもう用意できないね)」、って感じになるのではないかと思います。

 あとは出戻りの女性を揶揄する歌なのかなぁ、とかいぢわるなことも思いますが、そもそもこの詩自体が「登っていたものが落ちて元には戻れない」という曖昧な事象しか表しておらずいくらでも解釈可能なのでまぁ、なんとでも言えますわなぁ...。


 で、

 それだけだとちょっと救いようがないなぁということで以下続きです。


というか割れる。


But HumptyDumpty was okay,thanks to the long bath he took today,he was a "Hard boiled egg."
でもハンプティは大丈夫、いつもよりゆっくりお風呂にはいっていたので、ゆで卵になっていたのです。




なんでも作るよの倉田さんの創作された粘土人形絵本だそうです。倉田さん的にはハンプティは男性キャラって感じで創られたのでしょうが、ぼくはどうも女性に見えて仕方ないです。 結婚行進曲なパーティから抜け出したハンプティが人生を楽しんでるみたいで微笑ましい。(っつーか、この絵本欲しい!)





 てか、同じ月に一度だったらなんかのパーティとかであって欲しいですね。






♪ 諫山実生 / 月のワルツ




 
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2007年08月10日

「いじめは気づけないよね?」、と鈍感な人は言った

 ようやくお盆で大人の夏休みってことでなんか明るくバカバカしいエントリでも書きたいところだったのだけれどその前にちょっと引っかかることがあったので消化しておくこととする。

 どういう話の流れだったか忘れたけど母と話をしている内にいじめの話題になっていて、

「でも、自分の子どもがいじめられていても気づけないよね?」

 って母が言ってきたので、

「お母さんはね」

 って返したらちょっと考え込まれてしまった....。

 
「....わたしが鈍感ってこと?」

 とか言われつつ、あぁめんどくさいなぁ、と。


 この人の質問調の発言というのはいつもそうで、質問に答えが含まれていてそれに沿わない答えが返ってくると憮然とするので。いくらこちらが論理立てて説明しても「屁理屈」とか「頭がいいのをひけらかして」みたいな反応が返ってくるので正直めんどくさい。

 はじめから答えが決まっているのなら質問調にして解答の自由を与えなく「いじめには気づけないよ」とか断定調で言えばよいしこちらも独り言として放っておけるのだけれど質問調でこられるのでこたえざるを得なくなる。「解答の自由を与えている」という余裕をみせることもポーズのひとつになっているのだろう。あるいは、「その答えはあなたが自分で引き出したもの」、というレトリックを使っているわけだけどその辺のところ無自覚なので性質が悪い。。

 つか、そこまで深い話でもなくこの人が乙女時代から身につけてきた甘さっていうか自衛の手段がそのまま出てるってだけなのだろうけど。つまり、いろんなものごとの責任をうまく回避する術みたいなの。

 上記のレトリックの場合、「解答の内容はあなたの自由」という形式がとられつつも内実は選択肢が限られている(つか一つしかない)。「いじめは気づけない」という命題に「よね?」という同意強制型の言い回しをくっ付ける事によって当人の中での蓋然的な事実を社会的な事実として当然視させるテクニック。

 内田センセ流に言えば「遂行的言明を事実的言明にすり替える」ってことになるだろう。(あるいはパフォーマティブとコンスタティブの違い(参照))

 んで、こんな感じで「その解答をしたのはあなたの自由意志によるもの」って感じで発言の責任を相手に投げちゃうわけだ。
 


(......って、なんかいじわるく見てるみたいで心苦しいのだが、母との仲は悪くないです。昨日も夏の忘年会(納涼祭り?)みたいな感じで飲みに行ったし。ただ、問題があるところは問題があるので、その辺をできるだけ客観的に記述しとこうかなぁ、と。できるだけ客観的に記述することによって彼女の行動の原則というものが分かるし、私的な課題でもなくなるので苛立ちもなくなるかなぁ、と思うわけです。 まぁ、そんなこんなで続きを....)


 んで、そんな感じで「責任を自分が負いたくない」ってのは彼女の行動選択の端々に見られる。たとえばなにか簡単なことを決定するのにも決定権をこちらに委譲してきたりするし...。でも、そこでの結論も彼女の意に沿わないものだと却下されたり..。(「じゃあ、最初っから自分で決めればいいじゃん」ってことが何度もある)

 こういうのは彼女だけに限らず(一部の)じょしっこにありがちな優柔不断的な心理ってやつなのだろう。要するに甘いのだ。社会に対しても、自分に対しても。そしてそんな自分に優しいのだ


muse-A-muse 2nd: ひぐちアサ、2001、「ヤサシイワタシ」



 世間的にもそういうじょしっこに甘かったりするもので、じょしっこの提示してきた「空気嫁」的な質問に対して、「うん、そうよね」、って感じのうなづき的なコミュニケーションで返すのが世間一般で言う妥当なコミュニケーション(社会的でオトナなコミュニケーション?)ってやつなのだろうけど、あいにくぼくはそんな感じで世間ずれしていないのでしばしば本音を言う。

 で、一部のじょしマインドをもってる人から嫌われたりするわけだが、その辺はまぁ他人とのコミュニケーションではそれなりに自重.....してるかな? 前になんかで意見求められたときに本音言ったらなんか怒られたな。(国語の選択問題の解答例と解答を選ぶ際の理由を述べよ、みたいな感じだったかな) あれも彼女の中にあらかじめ答えがあって、その答えを裏切る形で回答したのでカチンと来られたのだろう。ぼくとしてはなんの他意もなくきわめて論理的に答えただけだったのだけれど。。(ちなみにその彼女と周辺グループからはしばらくして連絡が来なくなった)



 
 で、コミュニケーションにおけるレトリックの問題についてはこの辺にしておいて、次に彼女が発した命題について考えてみる。「いじめって親は気づけないよね?」、ってことだけど....

 これに対してぼくが、「お母さんはね」、と答えたのは2つの理由がある。1つは彼女が娘(ぼくの姉)がいじめられていたことを後に知って少なからずショックを受けたことを知っていたから。母はいじめがあった当時に打ち明けてもらえなかったということにショックを受け、彼女なりに責任というか罪悪感みたいなのを感じていたのだろう。で、そういう意識を贖罪してくれる対象としてぼくを選んだのだろうけど、ぼくはそんなに甘くはないので。

 甘くなれないのは彼女がぼくに対していままでしてきたこと、その鈍感さからぼくを死ぬほど(ほんとに文字通り死ぬほど)いじめてきたことに彼女が気づいていないから。そういう相手に対して、その当時のことを謝りもせず自分の罪悪感の贖罪を求めてくる図々しさというのはすごいなと思う。 


 もう1つは彼女が「いじめ」という言葉に反応しているだけで、子どもの苦しみに対する良心の呵責というものはびみょーなんじゃないか、ということ。

 ちょっと曖昧な例になるがこの件に関しては小学校の夏休みの記憶がよみがえる。なんの用だったか忘れたが外から帰ってきたぼくは母にとても話したいこと(あるいは相談したいこと)があって話しかけたのだが、「いまちょっとTV見てるから!」、ってことで追い払われた。たしか「おしん」かなんか見てたんだと思う。

 彼女は「おしん」の主人公の悲しい場面に感情移入して、「その悲しみに比べれば目の前のガキがピーピー言ってることなどとるに足らないことだ」、というような反応をしたわけだけだ。もちろんそのTV番組を見終わった後、彼女からその時ぼくが話したかったことについて聞かれることはなかった。


 とてもとるに足らないことだと思う。とても小さなこと.....忘れてもいいようなことなんだと思う。

 でも、この記憶....そのときのさびしい感情はぼくの中に残っていった。(「この人はぼくよりもTV番組のほうが大事なんだな」って)


 そんな感じで子どもの些細な感情の起伏を読み取れない人なのだ。「いじめ」にしても社会的に「いじめはいけない」ということになっているのでキーワード的に反応していて、子どもの感情の変化というのが先にあるわけではない。

 「いじめ」が「悪い」ことなので反応しているのだろう。


 もちろんそういった行動をとる中で彼女なりに子どもの心配をしてきたのだろうけど、その行動選択というか、その行動を選択するに至る意思決定の選択肢は目の前の子どもに合わせて考えられたものではなく社会的に正しいとされるものを選び取っていったって感じなのだろう。

 
(....って、またちょっと苛烈になってるな....。ほんとはこういう文章は書きたくないのだが..)


 そうはいっても子育ての方法を全て自分で考えて行動できる人なんか稀で大部分の人がなんらかのマニュアルに頼ってるってのはあると思う。そしてそれは当然のことだな、とも思う。でも、なんつーか......彼女にとっては「おしん」のほうがぼくよりも大事だった、ということだ。


 いじめかいじめじゃないかなんてのはひどく曖昧で、どんなに「いじめ」定義が固まっていっても当事者によってゆらいで行くものだと思う。その意味では「いじめがあるかどうか」が問題ではなく、「子どもが暗い顔をしている」「前よりも話さなくなった」「笑顔がなくなった」「いつも見てるTV番組を見なくなった」「食事の量が減った」「喜怒哀楽の幅が減ってきた」、などといった些細なことを見分けられるかどうかがポイントだと思うんだけど、「いじめ」マニュアルが固まれば固まるほどそれに頼って自力の洞察が抜け落ちていくジレンマもある(のかな?)

 とりあえず鈍感な人にはムリなのかもしれないなぁ、とか思う。


 あと、もう一つ。

「わたしが鈍感ってこと?」っ質問(あるいは反意語)には「いいえ、あなたは鈍感ではありません。失言でした」って答えが期待されていたり、「それならあなたは敏感ってことなの?」って質問が含まれているわけだけど、この辺もウザイ。

 この辺のところは前に長女ともやりあったが、ぼくは相手に対して「鈍感」と言うことによって自分の優位性(「敏感」)を確認しようとしているのではないのだが..。ぼく自身は自分の感性はふつーレベルだと思っているのでその「ふつー」レベルに対して鈍感なのではないか?、といっているに過ぎない。

 それを彼女たちは敢えて、「ほぅほぅ、オマエ様は敏感とおっしゃるわけだね?」、って感じでつぶそうとしてくるわけだけど...そういうコミュニケーション様式そのものが権力的ということにこの人たちが気づくことはないのだろうな。

 



 っつっても、鈍感というのは彼女たちの特性のようなものなのだから仕方ないかなぁとか思っている。ウサギとかヤギとかそういうのと付き合うようなものだと思えば良いのかもしれない。なにせ彼女たちはふつーに、深い話をせずに付き合っていくぶんには気の良い人々なのだから。(パッパラパーと付き合っていくのが吉なのかもしれない)




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関連:
muse-A-muse 2nd: 信じるということ


藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - 私は、あなたを、ころしたい


※「鈍感」という暴力について。あるいは家族における権威性を利用した暴力について。そういえば仏教においては鈍感も煩悩に含まれるのでしたな。(六煩悩¥執着¥鈍感


 
 
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2007年08月09日

...そうだ! お米さんに聞いてみよう!!(4):お米ちゃんはもしかして中華系主食女史なのではないですか?

 ちょっとちょっかい出したくなったのでTBです。ぶくまを通じてお米ちゃんをストーキングしてたら気になることがあったもので。

 こちらのコメント欄にて「okome_chanちゃん」なる表記があったのですが....もしかしてお米ちゃんは中華系女史だったりするのじゃまいか?

 いや、いわゆるKABAちゃんさん問題かなぁ、とは思うんですよ。でも、けっこう核心を突いているのではないか、と。

 お米ちゃんがokome_chanなるハンドルを名乗っている理由がよく分からないので勝手に妄想するに、どうも穀類に高い関心を持っているのでないか、と思われるんですね。

 その関心というのは中国での幼少のみぎりになぜか日本の主食である「米」なる名前をつけられてしまったお米ちゃんこと張御米さんは自分の名前の由来である「米」に深い関心を持つようになった...。

 そんなこんなで日本に関心を持つようになったお米ちゃんは密航船に乗って日本に入国するもすぐにつかまえられブタ箱にぶちこまれちゃったわけですね。そんで、「中国に送り返されるのがイヤならわれわれの犬になれ」、的な契約をよく分からない組織と交わさせられることになった、と。

 おそらく件のhydeはそのときに埋め込まれたものだと思います。組織への奉公が足りなかったり、裏切りがあったりするとhydeがすくすく横に育っていくわけですね(...おそろしい)

 んで、この組織がどういうものなのか? その目的はどういったものなのかはっきり分からないのですが、その辺のところをお米ちゃんに聞くとお米ちゃん自身が危ないのかもしれないのでこの話はこの辺で。


 そんな悲しい過去をもつお米ちゃん。でも、もうすぐ大きな楽しみ(そして苦しみ?)と言えるコミックマーケットの季節のようですね。同人熱湯甲子園ともいえるこの大会に備えてお米ちゃんの体力づくりは進んでいるのでしょうか? (あるいはまたhydeの邪魔が入っているのか?)

 少し心配になるところです。


 あとちょっと気になることとして。

 件のリンク先では「お肉系女史 / 野菜系女史 / お菓子系女史」なる分類がありましたがお米ちゃんはさしづめお米系女史ってことになるのか?、と。(あるいか脱穀系?)

 あれっすかね? 「男の人は肉や野菜に浮気をしても最後には主食に帰ってくるものよ (うふふん)」ってやつですかね?

 
 っつーか、なんとなくですがお米(主食)系女史って「サライ」の男のこだわり特集とか読んでそうな印象があります。(じっさい過去にそういうじょしっこがいた)

 「サライ」って「米」って感じですしね。


 お米ちゃんとしては「Newton」つながりで動物談義に興じたいみたいですが、おっさんとしては「サライ」とか「山と渓谷」とかを介してぢみな話に興じているじょしっこの姿も見てみたいのです。




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追記:
「すいとんでできた中国肌はきれいでチャイナドレスはそういう人々のためにあるのだ!」とかなんとか聞いたことがあるのですがどうなんでしょうね? お米ちゃんの場合は幼少期まで中国にいたと推定されるので、すいとん肌かもしれないけどそうじゃないかもしれない。。
 
あと、ついでに。お米ちゃんはUMAには興味ないの?
 
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2007年08月07日

8・6祭りへ行ってきたよ

 昨日は8・6。ということで平和公園へ行ってきた。

 っつっても、この日に平和公園に行くのは初めて。灯篭流し程度だったら見たことはあるけど、この日に慰霊碑とかその周辺へ行ったことはなかった。けっこうな広島っ子がそんなもんなんじゃないかと思う。人多いし、暑いし、うるさいし・・。慰霊とか、友人への墓参りみたいなのは午前中に済ませちゃえばいいしね。

 そんな感じで例年この日はパスしてきていたのだけれど昨日は時間もあったし、なにより涼しかったので行ってみることにした。買い物もしたかったし。

 いつも通り、いつもの道を通って公園へ向かう。小さな頃から通い慣れた道。基町高層アパートと「夕凪の街・・」で有名になったポプラの前を通っていく道。夏休みには自転車に乗って図書館通いをした道。...姉弟そろって

 そんなことを思いながらたいしてスピードの出ない折りたたみ自転車に乗ってのんびりと平和公園を目指す。途中で犬の散歩とかジョギングをしている人々とすれ違う。「いつも通り」って感じだ。8・6だからといって特に変わりはない。でも、基町の高層アパート付近まで来ると様子が変わった。夕日を見ながらなにやら語らっている人々がいたり、たぶん平和公園を目指しているガイジンさんとすれ違ったり...。あと慰霊碑もあるし。

(※いちお補足説明しておくと、基町高層アパートというのは「夕凪・・」で出てきたバラックに出てきた人々を立ち退かせるために立てられたもの。映画にもチラッと出てたけど「不法占拠」ってことだったので。「景観悪い」し)

 映画で使われたポプラの前まで来たらクラシックの野外コンサートをやっていた。そういえば去年もやってたような気がする。恒例になりつつあるのかな? 見物人はチラホラと。そこに混じってほんのちょっとだけ鑑賞。...外だとなんかよくわからん。そんなこんなで再び平和公園を目指す。
 

 図書館に自転車をとめてそこから歩き。そごうと市民球場の裏を通って地下街へ降りる。少しジュピターを物色するも目当てのものは見つからず。・・アップルタイザーも売り切れてるよ(...飲みながら行こうと思ってたのに) 仕方ないのでいよいよ平和公園へ。エスカレーターに乗って地上へ出る。

 そしたらいきなり人が多くなってた。信号待ちの段階でうじゃうじゃ人がいるのが分かる。っつーか目の前が原爆ドームなので一番人が集まってるところだわな。ドームの前には既に灯篭が飾られてた。記念撮影している人がチラホラ。混ざってちょっと撮る


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 甚平を着た外国人の子どもが嬉しそうに灯篭の前でポーズをとっていた。お母さんも嬉しそうにその様子をパチリ。みんななんだか楽しそうだ。

 そんなことを思いながら川のほうを見ると灯篭流しが始まっていた。でも、まだ明るいので灯篭きれいじゃないな。先にちょっと買い物してくるか...?

 とか思いつつ階段を下りたら塔の前で合掌(黙祷)している人がチラホラ。ここには人はあまりいない。なんとなく混ざって黙祷する。

 んで、なんとなく慰霊碑のほうへ行ってみることとする。そういえばこの日にあっちに行ったことなかったので。

 灯篭流しを見るために橋に溜まっている人ごみを掻き分けるように真ん中の慰霊碑を目指す。近づくにつれなにやら線香の匂いが...。近くまで来るとけっこうな人が慰霊碑に手を合わせるために並んでた。それにあわせるように花飾りも線香の量もいつもに比べてゴージャス。線香の煙が護摩焚きの煙のようにモクモクと立ち上っている。...なんだか神社みたいだな、と思った。


 ふと思い立ってバラのあるほうへ向かう。いまはもう季節ではないのだけれど、なんだか人の少ないところへ行きたかったもので。しばらく進むと道端に誌を詠んでる人がいた。それを聞いている人もチラホラ。ヘッドフォンをはずしてなに言ってんだか聞いてみる。

「…いつもは白々しい祈りも今日はなんか違う感じがして…わたしたちはなにもいわず一緒に座っていた」、とかなんとか。ふむ、そういうものか。(そんなことを思ってその場は通り過ぎる)

 ってか、ヘッドフォンをはずして気づいたけど原爆ドームのほうから祭囃子みたいなのが聞こえる。祭囃子に読経、三味線がまざってすごく変な空間が形成されてる。。なんだろ、これは?(「ぜんたい この街の人不自然だ」)

 船着場では出店も出ていておそらく「祭り」ってことなんだろうけどやっぱり変だ。とても奇妙な空間。子どもたちもチラホラ見えたけどとても奇妙な祭り体験をしているんだと思う。
 

  「慰霊ではなく祭り」。「祈りではなく...」・・・なんだろ? よくわからない

 そういったものに少し違和感をもちつつもそれ自体がちょっとしたやっかみというか、平和活動に積極的にコミットしないことの言い訳のようなものなのかなぁとかちょっと思ったり。「どうせあんな活動ギゼンだ!」って言うことによって自分が行動しないことの言い訳にしてる?....ふむ....そういうのともちょっと違うような...。

 祭りと化したヒロシマを積極的に否定することもないけど肯定することもないって感じかなぁ..。こういう催しがヒロシマということを多くの人に伝える機会になることだったり、こういったイベントによって当事者の人たち(じっちゃんばっちゃん)の気持ちが満足されるならそれはそれで良いと思う。 でも、これってやっぱお祭りだよなぁ...。

  <ヒロシマ>を利用することについては<ディスクールとしてのヒロシマ>ってのがあるな。つまり、<ヒロシマ>を聖化(構築)し、「ヒロシマに関することは正しい言説」としてゴリ押しすることによって自己の善的欲求を満たそうとする反面、被爆者へのケアなど形として残る活動にはノータッチ、ってやつ。らっちさんも言ってたけど左翼だか右翼だかわかんない人々。たぶん、単に騒ぎたいだけなんだろう。

 
 <お祭りとしてのヒロシマ>ってのもそれに当たるのかなぁとかちょっと思ったけど....でも、フラワーフェスティバルよりはマシか。


 とりあえず一年に一度でもそういうことを考える機会になる....のかもしれない。


 そんなことを思いつつその場は早々に辞して買い物へ行ったのでした。



タグ:ヒロシマ
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2007年08月05日

教えて、エロ子さん!!:(1)女性はなにを思ってエロいものを見るんでしょうね?

 ひとつ前のエントリでアレげな感情を吐露してしまって少し反省していたところ、uuminさんと勤労者Xさんに暖かいコメントをいただきホッとしたり、なんかいい気分になったので調子に乗って.....。

 おっさんっぽくエロ話でもしとくとするよ ♪ (暑気払いならぬ陰気払いだ)

 
 まぁ、エロ話っつっても勤労者Xさん同様おぼこいワタクシといたしましてはそれほど突っ込んだお話もできないんですけどね。まぁ、おぼこはおぼこなりにというか、♂だからおぼこじゃねぇな。(どてこいってのも違うしな。「どすこい」とか?)


.....ともかく

 風呂に入ってるときに積年の疑問のようなものが頭に浮かんだので忘れないうちにちょっと書き留めておこうかと思いまして。疑問っつーか、課題というか...。まぁ、とりあえず

 
 そういえばぼくがエロ話に求めるものというのは寺山修司的なものだったなぁ、と。

 誰だか忘れたけど、「寺山修司の書いたAV論(あるいはポルノ論)が読みてぇなぁ」、っていってた人がいてぼくもその言葉に同意したのを思い出したわけです。どういうことかというと、大部分のエロ論というかエロ批評というのは基本的にギミック的なところに拘ってテクストに反映される自意識への考察が少ないなぁ、みたいな感じだったと思います。

 もうちょっと詳しく言うと、たとえばAVの作品批評では巨乳がどうとか性交における技巧がどうとかそういう話が大勢を占めるけれど...そういうのはいわば表層的で売り文句的なキーワードの羅列に過ぎないんすね。もうちょっと端的にいってしまうと「抜きどころ」的な場面を抽出しててきとーなキーワードを羅列しているに過ぎない。

 AV批評誌はAVを買わせるための雑誌なので仕方がないとしてもなんかしっくりこないんすね。なんか心が通ってないというか、キーワードの羅列って感じで。

 そういうのはもうちょっと言うとAV雑誌だけの責任じゃなくて(DVD全盛で「見どころ」への早送りが基本になっている)最近のAVがそういう「抜きどころ」的なものを前面に出して構成されているわけだから仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけど、なんかびみょーなんすよね。

 なんか量的って感じがする。(質ではなくて)


 あれっすね。ドラゴンボールなんかでスカウターの数値がピピピっと上がっていく感じですね。強さのインフレってヤツ。んで最終的にパワーゲームになっていってストーリーもなにもなくなり作品が破綻していくわけ。 (AVの場合は「強さのインフレ」ならぬ「エロさのインフレ」ってやつなのかな?)

 で、最終的になにがエロいのか分からなくなったり、あるいは形だけの「エロさ」を追い求めるために女優さんにムリさせて体壊したりするんですよね。

 そういうことへの心配は「エロの壁」でも出ていたように思います。



 そういういわば量的なエロさに対して、質的なエロさってのは個人の内面と密接に関わるように思うんですね。端的に言えばなにをエロいと思うかってのはその人のもっている常識の裏返し的なところがある。こういうのはお笑いのそれにも通じるように思います。(なにが笑いのツボかはその人の常識の裏返し)

 そういう意味では笑いとエロは通じるものがあるのかなぁ。。ベクトル違うだろうけど。


 んで、笑いとエロとの違いとして重要なものとして攻撃性との関わりがあるように思います。男性の場合は特にエロ的なものと攻撃(暴力)的なものが同時にある傾向がある。

 心理学に詳しくないのでこれが生得的なものなのか後天的(環境的)なものなのか分からないのですが、とりあえず男性的なポルノ市場のセックス描写においては暴力的な場面との関わりがよく出てくるように思います。

 それは、「財としての女(性の機会)を奪うためにもっとも分かりやすい方法が物理的な力だから」、ということなのかもしれないけど...。それとは別にナイーブなぼくとしては心理的に根源的なところで暴力性とエロ的なものとの関係があるのではないか、とか思ったりするわけです。つまりタナトスとエロスの関係みたいなの。具体的に言えば、「エロ的なものが現出しているときには暴力性が前景化しているのではないか」、とか思って自分に対してちょっと嫌な気分になるんですね。

 いや、ちょっと違うか。エロ的な変な気持ちになったときの特殊な心理状態(なんか血液がこもったようなモフっとした状態)の異常さに対して不安を感じ、そのために暴力性との関連を推測するようになるのか。



 まぁ、とりあえずそういったモフっとした状態になることに対してなんらかの引け目のようなものを感じてしまうわけです。


 それはそれまでの環境において「むやみにモフっとなるのは悪いことなんだぞ」みたいな性教育がなされていたことに起因するのかもしれなくて、生得的にエロスとタナトスが結びついているからではないからかもしれないんだけど、とりあえずそんな引け目はある、と。



 で、(ここから本題なんですが)


 そういったエロに対する引け目、みょーな自意識のようなものも含めて寺山なら論じてくれるんじゃないか、と期待するわけです。


 なんというか、自己の欲求を相対化しつつその欲求自体を楽しむというような視点...そういったものを提供してくれそうな気がします。

 より具体的に言えば、エロいものを見たくなったときの心理状態とか、それを必要とする環境・バイオリズムがどのようにして整ったかとか、その上で自分はどのような作品を選び、どのようなものに惹かれ、それを見ることによって自分の中でどのような変化が生じたかとか...

 そういうことを踏まえつつ作品を見るということをふつーに受け入れるというか、恥ずかしさのあまり過剰にエロさに没入した素振りを見せるでもなく、かといって潔癖症的にエロさを遠ざけるのでもない....そういった立ち位置からエロさを勝たれるのではないかなぁ、と思うわけです。



(.....っつっても、あんなおっさんだからてきとーなこと言うんじゃないかなぁとは思いますがw)


 っつーか、「てきとーなこと」関連で言えば寺山に一番論じて欲しいのはエロと美の関係についてですね。

 たとえばポルノ体験というのは女性の裸体に対する美的体験というのがまずあって、代理的にそれを汚してもらうことにカタルシスを覚えるという奇妙な構造のもとに成り立っているわけですね。

 合理的に考えればそういった心理はまさしく変態としかいえないほどに捻じ曲がったものだと思うのですが、大部分の人間のエロ的衝動というのはここに起因しているように思います。

 「大部分の人間」っていうか男性の性衝動の一部にはこういう傾向があるように思う。端的に言えば劣情ってやつですね。

 女性からすると「それは違うよ。性行動は愛だよ」ってことになるのかもしれないけど、それもありかもしれないけどこっちもありなんですよね。

 なにせ性行動ってのはどう考えても異常な行動なわけですしね。(およそ高度な知能がある生物が行う生殖行動とは思えないほど非合理的っすよね。変な格好だし)

 
 
 んで、劣情ってやつは「美を汚すことのカタルシス」ってことだと思うんだけど、このときの心理作用ってのはどうなってるんでしょうね? 心理学あたりだとサラっと説明してくれるのかもしれないけど、なんかしっくりこないような....。

.....やっぱタナトスとエロスの関係とかそんな感じになるのかなぁ。でも、それだと最初にした心配に逆戻りになるしなぁ..。



 っつーか、「一方的に美を汚す」ってことではなく「お互いが汚しあうことを受容する」というところに愛があるのかもしれないけど...。でも、AV的なものへの視点というのはそれとは違うんですよね

 あれはやっぱ劣情なのかなぁ..。

 そしてそれは男性にしかないものなのだろうか..?



.....というところで「はてな屈指の女性AVウォッチャー」こと藩金蓮さんのことが思い浮かびますね。(こんなに見てるよ


 んじゃ、せーの......教えて、エロ子さ〜〜〜〜ん!!!


 どうなんすかね? 女性でも劣情って感じなの?
(ってか、女性一般っていうか金蓮さんのお話になるかもしれないけどとりあえず)


 っつーか、金蓮さんは現在夏まっさかりで頭がパッパラパー状態のようなのでお答えいただけないかもしれませんが、いちおTB飛ばしてみよう..。

 なんだったらエッチマンと戦う悪の女ボスの人(美人乳)に答えてもらってもいいです。(エッチマンは♂なのでダメw)



 あと、びみょーにY談してみたいので勤労者XさんにもTB飛ばしとこう。




 それにしてもエロ話が多くなってるのは.......夏のせいかしらねぇ...。





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関連:
muse-A-muse 2nd: 「ここ10年でAV女優のレベルは上がった」のか? (+ エロコンテンツ周辺情報まとめ)

※エロ談義ということでいちお。今回の話にはあまり関係ないかも
 
 

画像:爆乳・巨乳・神乳特集 [まとめ]

※今回の話には関係ないけど前回の巨乳話関連で。しかし、ここまで来るとバーバママみたいだな..。(むしろネタだと思いたい)
 
 


タグ:エロ
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2007年08月04日

過去と現実

 uuminさんのエントリをぼけーっと眺めてるときちょうど卑近でもそれ系のことがあって、なんか気持ちがむしゃくしゃしたので出しておくことにする。


uumin3の日記:ワーキングプアII(セカイ系の発想?)

なぜ皆「自分(たち)だけ」で頑張ろうとするのか、そこに激しく疑問が湧きました。早くに離婚して男の子二人を抱えるお母さんは、どうして元夫から扶養費を取れていないのでしょう? 七十、八十にもなって缶拾いで生計を立てるご夫婦は、どうして子供たちに頼れないのでしょう? 彼らのうちの少なくない人たちが、ばらばらに分離された状況で、自分の(あるいは自分たち数名の)努力ではどうにもならない状況での努力を強いられているように思えました。

 彼らの努力だけでは立ち行かないという状況を番組は映していました。そして「この国は」という言葉も何度か繰り返されました。もちろん国の施策が今のままで十分とは私も思いません。迅速に手を打たねばならないことは理解してほしいです。でも、どうしてそこに「互助」のレベルでの負担軽減が考えられないのか私にはかなり疑問でした。



 「国家に頼る前に身近な関係性の見直しが必要なのではないか?」ということでこの論旨自体には同意なのだけれど、「そうは言っても身内だからこそって事情もあるんだろうなぁ」、とかぼけーっと思ってたら今日の手紙で他人事じゃなくなった。



生活保護法第4条:
 保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力、その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。

A 民法に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。


民法第877条:
 直系血族及び兄弟姉妹は、互に扶養をする義務がある。

A 家庭裁判所は、特別な事情があるときは、前項に規定する場合の外、三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができる。



 ひらたく言えば、「てめぇが金持ってないんだったら保護するけど、金もってんだったら保護しないよ? (実際のところどうなの?)」、って文面。

 それにしても引っかかるのは民法877条のほう。「義務」ってなんだろ?「義務」って...?


 義務も何も、オレはあいつからなにもしてもらったことはないし、被害しか受けたことはないんだけどなぜそこで「義務」とかそういう言葉が出てくるのかな?

 正直なぜオレのほうに通知が来るのか分らんし、「まだ生きてやがったか」、って思う程度なのだが?


 オレ達家族にとってヤツはそれぐらいの厄病神だったし、そういうこともあってオレが小学生のころには母や姉達と一緒にやつのところから逃げ出したわけだし、高校の時には姓を変えた。

 やつからの追跡を逃れるために電話帳にも電話番号を載せなかったし、当然ヤツとは二度と会うこともなかった。


 そういうヤツなんだけど、なぜ「義務」という言葉が出てくるかな?



 それが世間一般でいう「家族の絆」ってやつで、赤木さんなんかに言わせると「そういう絆を社会的に拡張したものが必要なんですよ!(わたしを養うのは義務です!)」ってことになるのかもしれないけど正直反吐が出るわな。

 彼はいままで当事者になったことがないからそういうことが言えるのだろう。要するに甘ちゃんなのだ。

 状況が状況なだけどに「恥を忍んでくれくれ君」ってのも分からんでもないけど、彼との対話と通じて思ったのはやはり単なる恥知らずなんだな、ってこと。そして、こういう輩が将来オレの親父みたいな人間になってくんだろうな、ってことだった。

 で、結果的に尻拭いっていうか、情けない思いをするのはこっちなんだよな。

 情けない思いっていうか非情な決断をせざるを得ないって言うか...。


 正直、ヤツと家族やる気なんか毛頭ないので。


 善良な人は、「まぁ、ひどい! 親を切るなんて人非人だわ!」、だのなんだのな反応をするのだろうけど、そういう甘っちょろい人間に関わっているとこっちだけじゃなく相手も損するってのはこういう事態を体験したことのある人間の経験則だわな。

 こういう人間は切れるときに切っとかないとダメだ。

 そして、われわれ家族は過去にそういう決断をしたわけだけど.......また過去が追っかけて来たってわけだ。




.....やれやれ、どうするかね....。




 まぁとりあえず今回のことから学べたのは、「行政に何らかの保護を訴える場合、家族側に扶養が可能かどうか照会される(無理やり家族に結びつけられる)」、ってことかな。つまり、「行政側としても家族による相互扶助を期待し、手続きの流れはそれを基準に決められているようだ」、ということ。



 本当に絆を絶とうと思ったら海外にでも行くしかないのかもな

 
 

♪ Bonnie Pink / 過去と現実
 
posted by m_um_u at 22:06 | Comment(2) | TrackBack(1) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年08月03日

乳と暮せば

 久々のエントリのタイトルがこんな安物AVっぽいのもどうかと思うんですがSMOだのなんだのあまり考えてないのでてきとーに。

 増田のこのエントリがプチ注目されてました。


吾輩はひんぬーである。


 ...って、リンク先消えてんな。。


 なんすかね? けっこう関心集めたから? (っつか、アルファがあるふぁるふぁーって言ったから?)


.....う゛ーん.....


 まぁ、いいや。要約すると以下な感じだったように思います。

 ひんぬーがちょっと悩みだったじょしっこが大学に入って初めてきょぬーというものに出会い、親睦を深め仲良くしていたある日のランチ時、ナンパ男数人が2人を海に誘ってきたときの出来事。ナンパな口上をダラーっと聞いていた彼女が突然立ち上がって男の股間を一蹴。蹲る男に対して一言、

 「チラチラと胸の大きさを見比べてんじゃねぇよ!」

 タンカ一閃、その場を去りつつその友人がつぶやいた一言が印象的だった、と。

「胸張ってもおっぱい中心でしか見られない人間とは違うんだから。ダッチワイフじゃなく、ちゃんと人間として見てもらえる。」大学生の男はガキだわ、と溜息を吐いていた彼女に、私は何と答えればよかったのだろう


 友人はバイトでラウンジに勤めていたらしく日頃からそういう視線を気にしていたのかもしれない。あと、友人であるひんぬーさんへの配慮、と。


 このエントリに対して「ネタかも」とかな指摘があったけど、その辺別にどーでもいいです。ってか、当該エントリが消されたことによってその辺が証明された、ということじゃないかな。(ネタじゃないし、心害に思う人への配慮ということでしょう)


 んで、まぁ、当サイトとしてはちょっと前のこのエントリに繋がってくるわけですが....


muse-A-muse 2nd: 品乳娘とセクシービーム (「セクシー」ってなんなんでしょうね?)

 っつーか、(しつこく)勤労者Xさんのこのエントリに繋がってきますね

おっぱい星人 (勤労者Xの憂鬱)

 あるいはこの辺

読書向きのカフェ探索中1 (勤労者Xの憂鬱)


 で、うちとこのエントリとしては、「乳はでかさやない! セクシーもやたらめったら出すもんやない!!」、みたいな結論になってました(コメント欄も含めて)。

 
 んで、まぁ、たしかにそんな感じで「でかさやない!」的な結論が一般的にも支持されると思うんですよ。っつーか、ぼくが♂ということもあってもうちょっとリアルにその辺のところが想像できないってのもあるのかもしれないのでやっぱ乳の部分を棒として考えたほうがこの問題をリアルに考えられるかもなぁ、とか思ってたらこちらに先を越されてしまいました。


吾輩は粗チンである。


 っつーか、リンク先はヤマジュンネタになってるのでもうちょっと深刻さにかけますね。租チン問題で悩んでる人の話でもあればいいんだけどなかなか....。EDとかはたまに見るんですがね。

 まぁ、そういうのに悩むのって青年期っていうかちゅーぼー力満載な時期に多そうなので肉欲さん辺りにそういう話がありそうな気がするんですが特に探したりしません。(いちおそれ系キーワードで検索した結果はこちら

 
 てか、この手の話は青年系マンガ雑誌の巻末辺りについてる広告なんかから拡がっていくものなのかもしれませんね。例の、なんかよくわかんないおねーさんがセーターから頭半分だけ出して危機感を煽っているタイプの広告です。でも、これって大きさ云々ではなくむけたかむけてないか的なことがメインなのでちょっと違うか。..そういや、その手の広告って包茎改善ってのが圧倒的に多いような気がする...。・・なんでだろ? 大きさとかは改良のしようがなくても包茎とかは手術でなんとかなるから?(たかすくりにっくとか?)

 そういや関連でこんなのあったな

OCHINCHIN

「OCHINCHIN」はこどものおちんちんをどう扱えばいいかを解説した、日本初のパンフレットです。その内容の一部をホームページで紹介してます。


....仔細はリンク先で見ていただくとして、対象とされている年齢があまりに低いように思うのは気のせいでしょうか? ってか、そのぐらい低年齢から対処してないと取り返しがつかなくなるってことなのかなぁ...?

......ふーむ....(遠い目)

 まぁ、この辺はちょっと突っ込んだ話をするとけっこうアレなのでパスするとして、とりあえずそんな感じで男性の場合大きさ云々ってよりは「包茎か包茎じゃないか」ってことのほうが重要になってる印象があります。
 
 で、現在はその手のことについて年少期から対処するようにしている、と。...そんな感じですかねぇ。。


 でも、ちょっと気になるのは性教育の現状ってどうなってるんでしょうね? ぼくが小学生から中学生のころってそういう教育はなくて、各自自主的に習得って感じになってたんですが、いまもそんな感じなんだろうか?

 反面、女子は小学5年生か6年生ぐらいでその手のお話がありますよね? この違いがなんなのかいまだによくわからない。。

 なんすかね? 女子のほうがリスクが高いから?(やり逃げとかされてひどい目にあうのは女性のほうですしね)

 でも、女性だけで生殖活動できるわけでもなく、男子のほうにもそういう意識をきちんと教えとかないと間違った性知識や偏見が広がるだけだと思うんですがね。 なんで女子だけなんだろ? 「むやみに性知識をつけさせようとすると悪ノリが進むから」とか? 「男子に比べて女子のほうが精神年齢が高いのでそういった知識を与えても消化不良になることもないだろう」、と?


......ふむ.....でもやっぱよくわからん。



 やっぱきちんとした知識がなくて自習的に取得ってだけだとハードランディングになるように思うんすよ。実際、ぼくなんかは男性器と女性器の違い(およびそれによる性交の過程)についてはじめて知ったときってけっこうなショックでしたからね。

 たとえばこちらのネタサイトで出てるDocking的なイメージでしたので..。まさかあんなにも構造的な違いがあるとは思わなかった..。

(※そして後日、さらに恐るべき違いを知りより深い衝撃を受けることになる)




 まぁ、そんなこんなであまりまとまりはないですが、乳コンプレックスだけではなく棒コンプレックスというのもあるんだろうなぁって話でした。(後半方向逸れたけど)





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関連:
少女マンガの付録エロすぎワロタwwwwwwwww : ニュース速報(VIP)の観察帳

※「なかよし」(小・中学生向けマンガ雑誌)かなんかの付録について。こんな感じだったらしい



Dick tricks - Genital fun!

※「ちんちんで遊ぼう!」なネタサイト。この中のいくつかを試したことがある人はいるのではないでしょうか? (「おっぱいで遊ぼう!」とかもありそうな気がする)
 


ある編集者の気になるノート : 芸能界で一番の「巨根」は、誰なのか?
 

※23cmとかって女性ものの靴とかペットボトルとかの大きさじゃん。。


陰茎 - Wikipedia

※日本人男性の平均サイズは13cmとかなんとか。ほかED、包茎などについて。。「シロナガスクジラの陰茎は最大で約3m」とのこと



アダルトビデオパロディ集

※洋ピンばっかかと思ったら後半で国産も出てきた。つか、氷高小夜率高し



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追記:
もしかして、女性の乳がでかい / 小さい問題の男性版というのは身長の高い / 低い問題だったりするのだろうか? その場合セクシャリティが絡まないので対照とはならないと思うのだけれど、なんか男性への視線としては身長の高低がそのまま性的魅力にも結びついてる面があるように思う。もちろんほかにも筋肉がどうとか、太ってるか痩せてるかとか、顔の好みとかそういう要素もあるのだけれど。すくなくとも「大 / 小」という指標に関して言えば「男 - 身長 / 女 - 乳」ということになる.....(のかなぁ?)

この辺、日本だけか? ガイジンの場合はデフォルトで背が高いので気にならないとか?

(その代わり、ガイジン(アメリカ)なんかはマッチョ=セクシーみたいな風潮があるように思う)


まぁ、とりあえずhydeの身長を話題にしすぎるとセクハラって言われるかもってこったな
 
 

--
追記2:
ishさんところに全文転載あったのでリンクしときます

女の侠気


あと、勤労者XさんとこにもTB送っとこう

 




posted by m_um_u at 22:03 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年07月30日

その気持ちを救うのは....

 今日はなんか涼しくて頭が働くのでいまのうちに。

 先週の金曜ぐらいに福岡に持ち帰られた平和の火についての番組を見た。ぼくは知らなかったけど、平和の火を持ち帰ったのは福岡県星野村の山本達雄さんという人らしい。山本さん宅に保管されていた火からいろんな土地に分家して行った、と。


星野村の「平和の火」全国に広がるが…〜原爆への悲憤の思いどう伝えるのか〜

一九四五年八月六日、召集で広島県内の駐屯地にいた山本さんは広島原爆を目撃。書店を営んでいた叔父の消息を求めて、広島市街地に入り、駆け回る。
 黒焦げの死体、うめき、助けを求める声。目の前に「いまだに心の整理がつかない」と語る惨状があった。
 九月、帰郷に際して山本さんは、一片の形見を求めて叔父宅跡に立つ。避難壕のあった辺りを掘るとぬくもりがあった。壕には本や豆炭が置かれていた。火種を見つけ、息を何度も吹きかけると火が起きた。その火を携帯していたカイロに移して、列車に乗った。「この火で殺されたと、ばあちゃんを納得させる」
 原爆の残り火は、六八年に村に引き継がれ、現在は村内の高台にあるモニュメントの「平和の塔」で静かに燃え続けている。 「恨みの火」は、被爆者の供養の火へ、さらには平和を祈る火へと、山本さんの心のなかで昇華した。

 

 1ヶ月近く市街地をさまよったけど叔父さんの遺体も遺品もなにも見つからず、ようやく辿り着いた叔父さんの家で見つけた火をカイロに入れて故郷へ持ち帰った、ということらしい。

 リンク先記事の引用部分では「恨みの火は平和を祈る火へと昇華した」と結ばれているけれど、番組を見た感じではそんなに簡単なことでもなかったみたいだった。

 白黒の映像の中で、囲炉裏の火をじっと見つめる山本さんの目、やせこけた頬にはなにか鬼気迫るものが感じられた。そして、実際その後のインタビューの中で山本さんが感じていたのはとても深い恨みの気持ちだったことが明らかにされていった。

「この火を残していたのはいつかアメリカに復讐してやろうと....その思いを忘れないために火を灯し続けていたのです」

 そのようなことを語っておられた。

 それを聞いた息子さんは少なからずショックを受けていたようだった。

「いまや“平和の火”として長崎や広島の平和活動の象徴的存在となった火にそんなに深い思いが込められていたとは....」

 そういう気持ちがあったみたい。

 亡くなる少し前には子ども達に向かって戦争体験を語りつつ「二度と戦争をしないと誓ってください」というようなことを言っていたお父さんの姿が念頭にあっただけに、ショックもひとしおだったんだと思う。


 でも、そんな恨みの気持ちをもっていた人が平和運動的なものに火を使われるのを承諾し、「戦争を二度としない」ということを第一義的に考え、子ども達にお願いをするまでになっていったということ。

 このことについてなんかぼんやりと考えたり....


 山本さんははっきりとは語っておられなかったけど私憤的な気持ちが義憤(あるいは公の怒り)的なものにすり替えられて行く過程に違和感を持っていたみたい。

「たしかに平和...戦争をおこさないということは尊いことだけど、オレが火を持ち帰ったのはそういうことのためじゃない。それはオレの気持ちじゃない」

 そういう気持ちが言葉の端々から伺えた。


 以下は勝手な推測で、ご本人や遺族の方の気持ちを害することがあるかもしれないけれどそれを覚悟で話を進めさせてもらう。(※該当箇所になにか問題があった場合は修正、もしくは削除いたします)


 山本さんが火を点し続けてきたこと、それによって復讐の気持ちを保ち続けてきたことのは山本さんが山本さんご自身を許せなかったからではないか?

 あのとき叔父を救えなかった。あるいは叔父の遺体や遺品を持ち帰ることができなかった自分の事を責めておられたからではないのか? その気持ちをアメリカへの恨みの気持ちに転嫁させていたのではないか?

 ヒロシマやナガサキを生き残った人には少なからず「生き残ってしまった」という罪悪感があるという。その気持ちが山本さんを苦しめ続け、それを忘れるために「“生き残ってしまった”自分にできることはアメリカに復讐することだ」と思っておられたのではないだろうか?



 そう思うと「恨みの火は平和の火に昇華した」というのはちょっと違うように思う。

 これだと「平和を願う気持ちのほうが恨みよりも尊い」(復讐の気持ちはなにも生まない)みたいなことを言っているだけのように思うけど、そんなに簡単というか......悟りの境地みたいなものに達っせられるものではないよ。

 やはり悔しいし憎い、悲しいし怖いよ。あのときのことを思うだけで怖いし、自分が許せないんだろう。

 そういう過程は悟りのような気持ち、「全てを赦せ」みたいな気持ちからは程遠いのかもしれないけど、でも、そういった過程を経たからこそ伝わるものもあるんじゃないのか?

 事実、山本さんは最終的に子ども達に平和な世の中のことをお願いし、(言外にだが)アメリカのことも赦すというような気持ちで旅立たれていった。


 けっきょく結論としては同じだけど。でも、やはり違うだろう。

 なにより山本さんご自身の気持ちが救われたかどうか、ということがある。


 誰か訳知り顔の人に「復讐の気持ちなんぞ意味がないのでやめなさい」なんて言われても、そして言葉としてはそれが分かっていたとしてもすぐに納得できるようなものではないだろう。

 けっきょく山本さんを赦せるのは山本さんご自身だったし、あるいは同じ経験をしてきた人々の言葉、もしくは時間の重みのようなものだったのかもしれない。


 そういった過程を経て生まれた思いや言葉というのは強い力を持つ。一人の人間の気持ちが公の「正しい」気持ちにすり替えられ生まれていった狂騒よりも、「恨み」という個人的で、世間的に見れば間違っているかもしれないけど、個人としては十分な理由がある気持ちのほうがよっぽど真実のように思う。

(そして、そういう人がお願いするからこそ「戦争をしないでください」という言葉には価値がある)


 

 そういえば別件で同じように若い世代にお願いをしていた人の姿を見た。


クローズアップ現代 7月26日(木)放送 80歳の日本一周 〜ある老人の残したメッセージ〜


 「それまではざっくばらんに自転車仲間同士として話をしていた原野さんが戦争の話の終わりごろになって急に居住まいを正してお願いしてきたのが驚きだった」

 そう言った若者(?)の姿が印象的だった。



 そして原野さんも、山本さんももういない。

 彼らの気持ちは彼らにしか救えない(あるいは同じような体験をした人の言葉によってしか救われない)のかもしれない。そして、彼らはもうこの世にはいない。でも、彼らの気持ちを汲むことによって、少しでもなにかが救われていくのかもしれない。

 それは彼らの霊とかそういうことだけではなくて、その気持ちに同調したわれわれの気持ちを救うことになるのだろう。







 蝉の声がする...今年も夕凪の季節が来た




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関連:
【平和の火】

※山本達雄さんの火への思いについて。




『夕凪の街 桜の国』麻生久美子 インタビュー | CINEMA COMIN'SOON シネマブログ



muse-A-muse 2nd: 久間とりっくす! (歴史認識におけるバックラッシュ?)

※<感情と実務的なオペレーションは並列する(レイヤーが違う)>ということについて。「感情的になるな」ではなく、感情は感情レイヤーにおいて燃やし続けるべきなんだと思う。



muse-A-muse 2nd: <ヒロシマ>ということ


muse-A-muse 2nd: 被爆のマリア

 
タグ:ヒロシマ
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2007年07月28日

品乳娘とセクシービーム (「セクシー」ってなんなんでしょうね?)

 mixiで書くとアレなのでやっぱこっちに。

 最近、某ヤギ娘から「セクシーってなにさぁ!(怒)」的話題をふられてちょっと困った事態に陥ったのでこの場を借りて自分なりにまとめてみようかなぁ、と。

 っつーか、ぼく自身、「セクシー」とはほど遠いような風体をしているのでヤギ娘が憤るのもムリないなぁ、とは思うのですが、まぁ、ネタとして。

 最初にいちおいっておくとヤギ娘はいわゆるカワイイ系に属する外見的特性を備えているように思われ、いままでのお付き合いの傾向もその属性に応じたものだったと思うのですが、当人に聞いたところ「いままで付き合ってきた人はわたしのセクシーさを分かっていたのさ。ふだんはセクシーさなんか隠してるんだもんね。だって、いっつもそういうの振りまいてると下品でしょ?」とかなんとか...。

 いや........どうかなぁ......。

 言いたいことは分かるんですよ。つまり、最近はてな某所でちょっと話題になってた「ビッチ」がどうとかいう話とも関連するように思います。


CROOK - 女から見たビッチってそういう定義なの?

CROOK - 根っからのビッチなど存在しない説


 ちょっと「ビッチ」っていう言葉が先鋭的というか、ある攻撃性を含んでるなぁって感じではあるのですが、まぁ、これは「殴らぬオタより殴るDQN」(このへん?)への対立項として半ばネタ的に出てきた話題なので仕方ないかなぁ、と。

 んで、内容についても特に触れず件のヤギ娘との会話に戻りますと、「(ヤギとしては)辺りかまわずセクシーさを振りまいてる女は下品だよね」って認識がある、と。んで、「そういう認識があるのでわたしはセクシービームを(敢えて)封印しているのだ」、と。こう言いたいようなんですね。

 で、「いや、オマエ、それはネタだろ」って感じですかさずツッコミを入れて言ったわけですが、ちょっとツッコミが過ぎたらしくついには「セクシーさなんて一緒に寝て起きたら誰でもあるじゃん!」みたいなことを言わせてしまいちょっと反省したわけです...。
(※補記しておくとヤギ娘とぼくの関係は兄と妹のようなものなので...妹からこういうことを言われるとけっこうキツイ)

 んで、「寝て起きたら誰でもあるじゃん」ってのもツッコミ入れれるところではあったんですが、車中の空気がピリピリしてきてたのでちょっとやめておきました。

 で、

 改めて思うに、やはりヤギはカワイイ系ということで満足しておけばいいんじゃないかと思うんですよね。世の中にはカワイイ系というか、セクシャリティを感じさせないタイプの女史がいますね。別文脈ですが分かりやすい表現があったので借りると、お肉系女子と野菜系女子ってやつです。もしくは肉食動物系女史と草食動物系女史と言ってもいい。で、ヤギ娘の場合はヤギなので当然、草食動物になるわけですね。「ヤギなので」っつーか、まぁ、外見的にそんな感じなので...。

 リンク先のお肉系女史の例としてはコーダクミが挙がってましたが、あんな感じの「エロ○○」ってのは出してない(出せない)タイプの女子に属するように思います。....なんつーか、木に登ってユーカリ食ってそうなほのぼのさがある。そして外見的にもほのぼのなんですね。

 「ほのぼの」っつっても全体的に広がりをもっているわけではなく腕の付け根の辺りに子持ちししゃもが育ってきている(?)ってぐらいなものなんですが、それも関連してか胸のほうにはししゃもがないんですね。いわゆるツルペタってやつですが。

 んで、「ロリ顔+ツルペタ+ちびっ子」という三大要素を持っているのでいままで付き合ってきた人はその辺に惹かれたのではないかと思うのですが、その辺のところを聞くとなぜか否定してくるんです。(「わたしはせくしぃよ!」、と)

 
.....いや、もう、ロリでいいじゃん(そういう需要もあることだし)


 で、この辺の話に別件で最近ちょっと仲良くしていただいている勤労者Xさんのこのエントリが絡んできたり..


おっぱい星人 (勤労者Xの憂鬱)


 「世の殿方はすべからくおっぱい星人なのか?」、と。

 女性側から直裁な疑問が放たれているのも珍しいので思わずノリノリでコメント入れてしまったわけですが、あちらのコメント欄でも少しお話したようにおっぱい星人じゃない人もいるように思います。いわゆるロリ系が好きな人はおっぱいに対してそんなにプライオリティを置かないように思うし、あるいは「微乳好き」ってジャンルもあるみたいですね。

 んで、そういう人たちのおっぱい評価というのは「おっぱいは大きさでは形だ!」ってことになるんだと思います。 で、まぁ、おわん型なんだかのおっぱい談義がはじまるわけですが、この辺の類型ってUFOの形状分類にも似てますね。

 っつーか、巨乳賛美を背景に巨大乳が横行する昨今、「貧乳はステータスだ 希少価値だ」、と高らかに叫びたいところなのでしょうね。「ぶらっくいずびゅーてぃふる」よろしく、「乳がないことが貧しいのではない。むしろ、不必要に巨大な乳をまとうことによってセクシャリティが過剰にあふれ出ることを抑制しているわれわれの節制の表れをそこに見よ!」、ということなのでしょうね。その意味では貧乳ならぬ品乳ともいえるのかもしれない。(cf.「国家の品格」、「女性の品格」)

 とりあえず、(一部)男性諸氏の品乳評価としては以下な感じのようです


カナ速 貧乳好きってほんとに実在するの?



 で、

 乳幻想についてはだいたい以上のような感じなんですが、セクシャリティ(セクシーさ)というのはそれとは別の部分にあるように思われますね。「別」というか、「セクシーというのは乳うんぬんも含んだ上で成り立つものではないか」、と。

 「乳の大小」というのが直接的な性的表現としての性格をもっているのに対して、セクシーさというのはもうちょっと抑制され、統制がとれたところに表れるものではないか、と思うわけです。

 んで、連想するのが以下


muse-A-muse 2nd: 九鬼周造、1930、「いき」の構造


 「粋」というのはまさしくそういった抑制の上に成り立つ性的表現であり、それを前提としたコミュニケーションをさすように思うのですが、この中で上述してきたような「かわいい系」というか「草食動物系」(あるいは野菜女史)というのはどういった位置づけになるのか..?


.....「かわいい」系についての記述はない感じなんですが、近いものだと「上品」と「媚態」の関係があるみたいですね。「上品過ぎて媚態を消してしまうと女性的な魅力が消えてしまうのではないか」、と。「媚態」というと「ビッチ」的なイメージがあるかもしれませんが、そういう「エロさ丸出し」みたいな感じではなく、抑制されたオトナの魅力みたいなものとして媚態的な表現(仕草や服装を含めた全体的なスタイル)があるように思います。

 んで、そういった「媚態」というのは「甘え」というか「隙」的なところにも関連しているようなんですね。「上品過ぎる女(男)は却ってもてない」っていう例のアレです。隙がないともてない(話かけづらい)。

 っつーか、「粋」を体現するために必要な前提条件として「意気地」その他のオトナな女(あるいは男)としての立ち位置の確立みたいなのが必要なようで。ヤギ娘がセクシーうんぬんについてなんとか言うのはその辺が確立してからではないかなぁ、と思うわけです。



 まぁ粋うんぬんは別にして、「セクシーさとはなにか?」みたいなこの辺のお話は是非、セクシー大魔王(?)っぽい金蓮さんに伺ってみたいところだけど.....てきとーなTB先が見つからないな。

 よくわかんないけど、「セクシー」で検索したら「セクシー系仏像」のエントリがあったのでこの辺にてきとーTBってみます。


藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - 『くるみのブログ』   カンパニー松尾監督作品



 あと、金蓮さんはこの週末ご実家に帰られるそうで。んじゃ、お返事いただけるとしてもちょっと時間かかるか...。(「んなもん、わたしゃ知らん」とか言われるかもしれないけどw)



 最後にあまり関係ないけど、乳よりも脚を好む層もいるようです。

livedoor ニュース - 【独女通信】バストはごまかせても、脚はごまかせない。美脚になりたい独女必見!

 で、「その部分を鍛えろ」、と。

 っつーか、「地下足袋みたいなのはいてジョギングすると驚くほど下半身の肉がとれる」、と誰かが言ってたのをジョグノートで見かけました。地下足袋はキツイ人はNIKE FREEなんかいいかも。あと、ジョギングじゃなくてウォーキングでもいいかもしれませんね。
 

 

--
関連:
muse-A-muse 2nd: 小さきもの、カワユスかな

※上記の話題は「なぜ日本ではセクシーではなくかわいいが尊重されるのか?(セクシーさというものが正当に評価されずロリっぽいものに偏った歴史があるように思うがそれはなぜか?)」というテーマに繋り、関連で「かわいい / クールの違い」なんかがあるように思うのですが今回のエントリでそこまでやるとちょっと逸れ過ぎな感じもするので保留で。(※「保留」といいつつ忘れる鴨です)
 
 
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2007年07月20日

♪ 武田裕之 / アイコに捧げるバラード

 けっこうどーでもいい内容なのでスルーしようかと思ったんですがサトーアイコのことが気になってメモっときたいいのでエントリ上げときます。まずはここから


切込隊長BLOG(ブログ): 佐藤藍子「私もジャーナリズムへの過大評価だと思ってました」


 なにやら武田さんの記事にガトーさんが噛み付いている、と。これっすね


「事実主義」こそ、ジャーナリズムの敵だ (タケダジャーナル):NBonline(日経ビジネス オンライン)

ガ島通信 - 武田徹こそ史上最強のジャーナリスト


 んで、まぁ、隊長も「どーでもいいんじゃね?」って感じなぐらいのローテンションで確かにどーでもいい内容な訳なんですがエントリに起こすのでいちおその理由を説明しておきましょう。


 まず最初の武田さんの記事ですが、論旨としては以前の記事からケイゾクして「メディアを疑え!」というか「既存マスメディアを疑え!」って視点ですね。それを一般記事用にわかりやすく(かつ少しセンセーショナルに)まとめている、と。

 っつーか、前回の記事からの続きとして「完璧じゃない報道があってもいいんじゃないか?」って話を展開されてますね。この辺はまぁ、どーでもいいかなぁ、と。「どーでもいい」っていうのはこのギロンはジャーナリズム論的には既出というか、「報道に完全客観はあり得るか?」という命題に接続できるんですね。んで、この手の話をする場合は前提としてその領域におけるそれまでのギロンを参照すべきだけど、その辺は特に言及されてないので。まぁ、「内容薄いな」、って感じですな。

 って、「一般用に分かりやすく」ってことなんだろうから仕方ないのだろうけど(文字数も限られるし)、でも、たいした内容じゃないことは武田さんも自覚されているはずです。

 んで、その「たいした内容じゃない」記事にガトーさんが噛み付いてるんですね。

 「たいした内容じゃない」とは言っても全体のテーマである「未完全な記事はジャーナリズムとして成立するか?」という部分についてギロンを挑んでいくのなら正統なギロンが成り立つのでしょうが、どーも、ガトーさんは枝葉に拘っているみたいで・・なんか、「話にならないな」って感じなんでしょうね。

 とは言っても、「表出された記事から何を読み取るかは解釈の自由」、といえるところもあるんだけど・・・それリテラシー論的にもびみょーですからね。(まぁ、ガトーさんのメディアリテラシー理解ってあんな感じだから仕方ないのだろうけど)

 枝葉というか自分が気になった部分について自説を展開するのも自由だとは思いますが、やはり「テクストのメッセージをなるべく誠実に読み取った上で」というのが前提条件になるのではないでしょうか? その意味でガトーさんの呼びかけは伝わらないだろうな、って思います。


 で、上記は主にコミュニケーション(あるいはギロン)における作法の問題ですが、それとは別に武田さん、ガトーさんが展開されている(あるいはしようとしている)ギロンの内容の部分の問題がありますね。

 「メディアを疑え!」というところではお二人とも共通しているのですが、お二人の中で「blog」と「フリージャーナリスト」の位置づけが違うのだろうな、って感じがします。

 武田さんの場合は、「フリージャーナリスト > 既存マスコミ(メディア企業)によるジャーナリズム > blogなどのアマチュアジャーナリズム」、って感じで捉えておられるように思うのですが、ガトーさんの場合は、「フリージャーナリスト ≧ blogなどのアマチュアジャーナリズム > 既存マスコミ」って感じなんでしょうね。で、「オマエ、blog舐めてんのぉ〜?」って感じの憤りを感じておられる、と。

 まぁ、双方ともびみょーに感じるのですが、その理由についてきちんと示しておきます。

 まず武田さんのほうですが、これでも読んでからギロンされてはいかがでしょうか?


マスメディアの周縁、ジャーナリズムの核心
林 香里
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 既に読んでいる場合は明確な反論理由を示していただきたいです。そうしないと話にならないな、と。(ジャーナリズム論的には)

 そういえば弟子筋(?)の赤木さんもblogのことを見下したようなコメントを入れられてましたね。


どうぞ、何の責任もないブログの海の底で、鈴木謙介のお友達になった夢でも見続けてください。



 まぁ、武田塾の認識はこの程度なんだろうな、と。そう思います。(赤木さんも少し前までいちbloggerにすぎなかったのにね。いまも似たようなもんだし)



 で、次にガトーさんですが。ガトーさんの場合は例の徳力さんラインかなんかのプロジェクト「blogに責任や継続性をもたせよう」計画に関わっているのでその辺で憤りのようなものを感じられたのかもしれません。でも、前にこちらのエントリにもあった通り


finalventの日記 - 私が言うと誤解されるんだろうけど(リライト版)


 びみょーっすよね。(以下、ちょっと長いけど重要なので引用)


日本の言論の構図では常にいくつかの派閥的なジャーナリズムや出版界に事実上従属していた。知識人は、ジャーナリズムの限界やそれを越える知識を持ちながら、ある種のコードを出ない。また、そのコードが事実上、金銭的な知識のマーケットを意味していた。

 これに対して、プリミティブなブログシーンは、しだいにそうした枠組みを自然に超えつつある。マスの動向やマス操作的な情報にも自然に警戒的だし、知性に対しても、それが知的であるとされる既存社会コードから、より身近な問題について真摯に対応しつつある。理由は、彼らが毎日ブログをしているからだ。ブロガーは、コメント欄やトラバ、SBMなどの明示的なコミュニケーション関係よりも、各種の小さな島のような各種のブロガーが発する話題・関心の流れのなかで、常に小さな自己が表出的に問われるように思考している。その結果としての表出は知的ではないかもしえれないが、アクチュアルであるし、この過程から見てもわかるように共同体志向的である(この共同体的性質はおそらくある種のセンスあるいはリテラシーとして結実しつつある)。

 そして、そのようなブログシーンに人が存在する条件は、単純に、毎日と限らなくても、ほぼ毎日ブログしていることである。そうではないマスや知識人は、日々のブログの流れが読めない。だが、ブログの流れが読めない人がブログをマスや知識人市場で語ることが多く、それはブログの内側の感覚からは異和感のようにしか受け取れない。

 ブログのなかで生きている……それはネットの中に生きているというのではない……という感覚が一定数産まれるなかで、それが非知的に見えても、具体的な生活に根ざした思想という点でもっとも本来的な思想活動になりうる。思想とは現実の「私」の生きがたさからしか発しないし、それを発して受け取る人の運動(「私」を具体的に越えていくこと)のなかでしか生き生きと現れえない。



 これの元エントリではしっかり個人名上がってて、「たとえばガトーさんなんかはそういうブログシーンから離れてしまっているのではないか?」、という疑義が呈されていたのですが残念ながら元記事消えちゃいましたね。(....チューチュー言うから)


 んで、「ガトーさんはブログシーンから離れているのではないか?」について、まず同意します。彼はいつの頃からか知らないけど人のTBやコメントに反応しなくなったみたいなので、どうやってもブログシーンとは乖離しているでしょうね。「ブログで起こるさまざまな事件をROM的に見てまとめる人」、って感じになってしまってます。それは有名税的な炎上を避けるためなのだろうけど、そういう彼がブログの可能性について語るのはなにか滑稽な感じがしますね。

 で、彼の想定している「ブログの可能性」ですが、具体的にはアメリカ的なblogを目指してるんでしょうね。でも、前にもちょっと言ったけどアメリカ的なblog利用というか、言論への感覚というのと日本的なそれとはちょっと違うように思います。

 あちらはblogエントリそのものをコンテンツとして昇華させる傾向があるように思うのですが、日本はどうやってもコミュニケーションツールの延長って感じがするので。それはどちらが良いとか悪いとかそういう問題ではなく、そういう傾向の違いがある、というだけのことです。blog登場初期には「日本のblogは日記文化的なものの延長になるだろう」といわれた例のアレですね。で、実際そんな感じになってる。(っつーか、日記以下かも)

 それに対してアメリカのblogっていうのは・・なんつーか、second workって感じなんですね。なので、別にマネタイズされなくてもbloggerの本分は貫くように思います。マネタイズが彼らの責任へのインセンティブになっているわけではないと思うんですよ。

 確かに、結果的にこんな感じでお金とblogは繋がってきてるみたいなんだけど、


あの有名ブロガーはいくら稼いでいるのか? | P O P * P O P


 それはあくまで「結果」であって副次的な効用に過ぎないように思います。(っつーか、徳力さんたちが進めようとしているマネタイズの額と桁が違いますね)


 んで、こういうと赤木くん辺りが「ほぅら見たことかぁ。やっぱり日本のブログは無責任なんだぁ」とか言ってくるかもしれないけど、それとぼくの責任意識とは別ですからね。blogの可能性、ジャーナリズムの矜持について考える側の人間が自分の書くものに責任もたないわけないでしょ。(赤木くんあたりは上記の論理をもって、「ぼくもネット世界ではネットの毒にやられて無責任にならざるを得ないんだぁ」、とか言いそうだけど)



 その他、武田 - ガトー問題についてこの辺で論じました。(主にガトーさんの脇の甘さについて)

muse-A-muse 2nd: ♪ たけだ がとー たかぎー (← 例のCM調で)



 で、


 ようやく本題なわけですが、例のしったか後だしジャンケン女王であるサトーアイコ嬢について


越えられない壁( ゚д゚):【佐藤藍子】 “知ったかキャラ”がネット上でも意外に受けている - livedoor Blog(ブログ)


 リンク先エントリでも指摘されているように、なんかやけにいろんなことを知ったかしてるみたいなんだけど、単に「知ったか」ってわけではなくてほんとに知ってるのかもしれない....。むしろそっちのほうがちょっとアレげな感じもするんだけど。

 なんつーか、女寺門ジモンみたいになってきてるんですかね? で、「アイコ、その路線で大丈夫なの?」とマネージャーみたいな心配をしてしまうわけだけど本人がそれでいいならいいです。

 そういえば以前「ごきげんよう」を見たときにサトーアイコさんがゲストで出てて、サブちゃん(北島三郎氏)から馬をせしめてました。例のしったかしらずか攻撃で「わたし、馬にも興味あるんですぅー。乗馬好きー」と馬主サブちゃんにすり寄り「じゃあ、オレの馬やるよ」と言わしめてました。

 「世渡り」って感じもするけど、なんかキャバ嬢みたいだな、と。そういう意味では現在OA中のドラマ「女王」辺りのオファーがあってもよかったのかもしれないけど、サトーアイコさんというというフェロモン度の面でびみょーなところがあるみたいですね。「じゃあ、壁女辺りどうだ?」って感じなんだけど、これもとられちゃってますしね。

 っつーか、ほんとにサトーアイコさんは現在どういう立ち位置にいるのだろう? 言ってはなんだけど演技的にも別にそんなに(....ごにょごにょ)。歌とかバラドルっていうのとも違うし....はなちゃんとか緒川たまきさんみたいな文科系女子路線とも違うっぽいし....。やっぱ「女寺門ジモン」への道を歩んでいるのかなぁ。。

 どうせなら女グッチ祐三みたいになって趣味と実益って感じになればよいのだろうけど、そこまでの趣味レベルではないのでしょうね。


 「趣味」といえばガトーさんの当該エントリのタグも[趣味のジャーナリズム]ということでサトーアイコ化というのはけっこういろんなところで拡がっているのかもしれません。




♪ 武田哲也 / 母に捧げるバラード 

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2007年07月17日

「赤木が来たりて笛を吹」・・いて帰った

 不毛なやりとりを続けてると心がささくれ立ちますね。っつーか、なんかが零れ落ちていくのか?

 で、それ補うかのようになんか「ほのぼの」したものをぼけーっとながめたり


なんかほのぼのしたものたち


 ぼくもこういう話を中心にできればいいのだけれど・・血なまぐさい性格なのかな?


 まぁ、よくわかんないけどけんか腰でこられるとそれ相応の態度で返しちゃうんですよね。


muse-A-muse 2nd: ♪ しゅふになりたぁい (?)

muse-A-muse 2nd: 蹴りたい赤木



 最初のエントリは、「主夫という言葉をお気楽に使って、ただでさえ就業上劣位な条件にある女性に“オレを養え”というのはどうなの? (鈍感じゃないの?)」、ってエントリだったわけですが、なんかぬけぬけと反論(?)してきたのであきれ返っちゃって次のエントリ立てたわけです。

 っつーか、「女性がキャリアアップの面で劣位なのは、女性が男性を養わないからです。」、という言葉にびっくりしたわけですけどね。


 この人の考えだと扶養家族がいる女性は就業上の条件がゆるくなったり、もしくは既に就職している人は容易に給料がアップするみたいなんだけど、だったら母子家庭の人とかは優遇されるんですかね?

(もうすぐ母子家庭用の社会保障が打ち切られようとしているのに....)


 そして、現状を打開するために資格をとってもその資格が認めてもらえないような職場にいる女性もいる...。(努力しても報われない職場)


その理由としてはその職場特有のさまざまな事情があるのかもしれないけど、その中に「女性であること」(「産休で休む」、「子どもとかなんやらなにかあったらすぐ休む」、「身体的無理がきかない」)などに対する偏見があるわけですよね。

 その偏見が積み重なって女性のキャリアアップが阻まれている現状が多いわけなのに、彼はそういったことを全て無視して、「扶養家族が増えれば給料上がるっすよ(情状汲んでくれるっすよ)」、とのたまうわけです。



・・・・・キレかけますよね (特に母子家庭な女性は)



 そんな職場があったら是非紹介していただきたい。

 男女同権的な外資系でもこの辺の悩みは依然として解消されてないところが多いというのに。。この鈍感さ、無神経さやあつかましさは無知のレベルを超えてますよね?


 そして、コメントの応酬でもやたら自分のプライドや「自分に対する評価が下がるかどうか」などということだけに固執している様子が伺えて、「ほんとにダメな人だな」、と思ったわけです。


 以前にもこういう苛立ちは表したのですが・・(@3月ぐらいのmixiの日記)。このときから全然成長していないようでさらにイライラしたんですね。・・ってか、この人ほんとに使いつぶされるだけなのかもしれないのに、その危機意識ってないのだろうか? (鈍感だから?)


 いまのうちは「客寄せパンダ」的なセンセーショナリズムとして少しは拾ってもらえるかもしれないけど、このままではすぐに飽きられるでしょうね。(ストックがないから)



 全然努力の片鱗が見えない。。




 で、「努力」という言葉を使うと彼は「自己責任っすか?弱者は死ねというのですかぁ?」と○○のひとつ覚えのように繰り返すのですが・・・・なんというかねぇ。。


 まず、最初に小中高(あるいは大学)と段階があって、この中で「努力すれば報われる機会」があったはずなのにその間遊んでたわけですよね?

 次に、大学かなんか出て就職という段階になって。ここで不運にも就職氷河期にぶつかった。で、それまでのふつーの人に比べて就業機会がすくなくなったため(彼が言うところの)「弱者男性」的地位に甘んじざるを得なくなった。「がんばっても報われなかった」、と。


 この辺りは同情します。「ふつーより不運だった」ということですもんね。 でも、現在はどうなのか、と

 さっきも言ったように、彼はいまがんばればなんとかできるかもしれない状況にいながら努力の片鱗が見えないんですよね。


 これは・・・どう解釈したらいいんでしょうね?


 彼の論理に従えば、「努力を要求するのは自己責任論なんだ!」(「全てオマエが努力しなかったせいだ」、ということで弱者を切り捨てる思想なんだ!)ってことなんですが・・・・ちょっと違いますよね?


 ぼくの視点は「努力うんぬんに関わらず弱者を切り捨てるのはどうかな」ってことでビッグイシューなんかも毎号買ってるわけだけど....それとは別にやはり努力が努力として評価されなければ努力してる人って報われないですよね? そして公正性というものが通らない社会になる。

 ワーキングプアが問題なのは「努力しても報われない」というところ(つまり「公正性にもとる」というところ)にあるのに、彼はその前提である「努力」の部分も捨て、「とりあえずオレさまを救済しろ」とのたまうわけです。


 で、「なぜ?」ってことになるわけですが....。



 彼の理屈では「それがお金持ちの義務」ってことなんだけど、ぼくはお金持ちではないし社会の大半の人はお金持ちではないですよね? そしてお金持ちにもそういう義務はない....。

 もしも弱者救済の義務というか責任があるとしたら行政機関や、そこが動くための理由付けとしての法の精神に関わるところだと思うんだけど・・(「全ての人は最低限の生活を送る権利がある」っていう基本的人権の尊重ってやつですね)


 なので、その責任やら義務というのは個人に帰するものではないと思うわけですね。それらの問題を引き受けるために法があり、それを元にして行政が動くはず。


 こんなの中学校レベルの知識だと思うんだけど、なぜ彼はこんなことを言い出したのだろう?


 いや、デモンストレーションというかパフォーマティブに「いきさせろー」と叫ぶのはありだと思うんですよ。でも、常識としてその要求対象が個人であることはありえないと思うんですね。「なぜ女性がナマケモノでさしたる魅力のないあなたを扶養せねばならないのですか?」、ということです。


 で、「ネタなのかな?」と思い彼の本気を引き出したくてしばらく挑発も交えながらコメントのやりとりをしていたわけですが、やはり本気だったみたいなんですね。


 ってか、最後まで「強者女性は弱者男性(オレ)を養うべきだー!(っていうか義務)」という姿勢を崩さなかったわけですが、さっきも言ったように彼女たちは男性よりも大変な努力をしてその地位を掴んだわけであり、出産ということを通じていつその地位を失うか(あるいは本人がやる気をなくすか)もわからないわけですからね。

 その他モロモロの論点はこちらで考察されてますけど


Ohno blog(2007-07-09):結婚と経済


 やっぱ依然として「男性が優位」か「一部女性は男性と並ぶほどになった(かも)」って程度で、女性全体で見れば就業機会・就業後の収入面の問題・職場における男尊女卑な問題などなどはあるわけですから、そういう女性に(さしたる努力もしてない人が)依存するのはどうかな、って思うわけです。


 で、「主夫というなら家事その他とか自信あるのー?」って聞いたわけですがその部分についてはお答えいただけなかったんですね。・・じゃあもうどの辺で適正判断しろというのだろう??


 やっぱ「オレさまがオレさまであるところの魅力で主夫にせよ」といっておられるのかな?

 「弱者救済」ということについても同様で、「オレ様がオレ様であるところの魅力に免じて救済せよ!」、と?

 
 ってか、両方とも「義務」ということなんだけどよくわかんないんすよね。坊さんとか仏様とかなのかなこの人は。「喜捨せよ」、と?(そういやどっかに仏好きの人いたなぁ。。)

 でも、坊主も仏も修行してるしなぁ。。(だから魅力あるんだよなぁ)



 で、まぁ、「よくわかんないな」って思うわけですが、最後までよくわかんなかったのがこの人の相手に罪をなすりつけようとする態度ですね。

 なにか、相手の良心のようなものをくすぐり、それを人質に要求を通そうとする戦略のようなんだけど・・・それって脅しですからね? そういう論法しか学んでこなかったのかなこの人は....。


 あと、コメント欄最後にも書きましたがみょーなプライドや人の目(自分への評価)を気にしすぎですね。その部分を気にしすぎて人を負かそうとしたり、陥れようとするレトリックが多くてほんとに辟易だったわけです。

 で、「誠実じゃないな」と思ってそれ相応の態度をとらせていただいたわけですが、ご本人からすればそれが「不誠実だ」、と。っつっても、あなたの不誠実さに応えただけなのであなたの写し鏡のようなものなんだけど..。それを見て「不誠実」と感じたのだとしたらそれはあなたが人からそう見られているだけなのではないでしょうか? (ってか、大部分の人は巧妙にだまされているのか?)


 というよりも、繰り返しますがコミュニケーション能力と知識に対する意欲やお勉強量そのものを向上させないとこの先まずいのではないでしょうか? (いや、正味な話)

 まぁ、一発屋で終わるつもりならそれでもいいですが、すこしでも真面目に自分の将来や、自分の唱える格差社会論というものについて考えるつもりがあるのならばもう少し研鑽を積む必要があるでしょうね。

 というよりまずはコミュニケーション能力ですかね。話はそこからかも
 
 


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2007年07月16日

蹴りたい赤木

By learning to discover and value our ordinariness, we nurture a friendliness toward ourselves and the world that is the essence of a healthy soul.
-- Thomas Moore



For visions come not to polluted eyes.
-- Mary Howitt











 もう、あまりにもバカバカしくて華麗にスルーしようかと思ってたんですが、あたらしくいただいたコメントが予想のはるか斜め上を突っ走るバカバカしさで今日の初笑いをさせていただいたのでお礼に新たにエントリ立てとこうかな、と思いまして。(以下、一個前のエントリのコメント欄から)


 いや、なにが驚いたって



 女性がキャリアアップの面で劣位なのは、女性が男性を養わないからです。




 もう、ビックリしちゃった。


 すごいな。こんなこと言える人いるんだ。えーと、いちおこの主張にいたる彼の言い分を見てみるとですね


 戦後日本において、給料とは決して「仕事の優秀さ」に応じて設定されてきたものではなく、
 「いかに社会責任を負担しているかor負担が求められるか」に応じて設定されてきたものです。
 だから「家族を養う男性」の給料が多いのは当たり前のことです。
 給料は男性個人のものではなく「世帯」のものであるからこそ、「夫婦間での年金を均等にする」などという芸当ができるわけです。

 ですから、私は女性の地位向上のためにも、強者女性が弱者男性を養う、すなわち社会責任を負担する姿勢を見せることが重要だと考えています。



 つまり彼の言うところによると、「現在、十分な給料をもらってない人たちでも誰かを扶養するようになれば十分なお給料をもらえるようになるよ」、ということのようですね。


 なんでしょうね。格差社会論みたいなのを唱える人がこんなこと言うとは思わなかった。すごいな。アメリカで先行する格差社会の情況もこの新たな理論を導入すれば一発解決だ!! (取材されてたおっちゃんはもっと子どもを増やせばいいんだね!)



 「生めば報奨金が出るよ」ってシステムは...なんだろな? 中国の一人っ子政策の逆みたいなのかな? 狩猟社会かなんかだったらもてはやされるのかもしれないけど、いやぁ、いまどきそんなことを真面目に言ってくる人がいるとは思わなかった。


 さすが「芸人」っすね。




 つか少し真面目に応えると、あなたがそれを一番に実践してみてはどうですか?(それでハーレムでもなんでも作ればいいんじゃないですか?)



 いや、もうビックリしちゃって......どうしよう.....ある程度まともに相手しようかと思って用意してた枠組みを全部吹っ飛ばすような起爆力ですね。

(いちおちょっと真面目に答えると、それは原因ではなくて結果ですよね?)


 あと、コメント欄でその後もごにょごにょと何か(ネタ?)つぶやいておられるようですが、人の質問にまともに答えない人には答える気が起きません。(ぼくは、「あなたには主夫としての魅力、たとえば家政学の知識や技術はあるのですか?」、と聞きましたよね?)



 あと「結婚とモテの混同はいいかげんにしてください」もなにも、ぼくのエントリは元々そういう筋立てだったのをあなたが勝手にミスリードしてあなたが主張したいことを主張されているだけなのでこちらとしては応えようがないですよね?


 っつーか、そういうところが「モテないんじゃないですか?」ってことなんですが?


 だって、あなた(赤木智弘さん)は自分のエゴを主張するだけで相手の主張を聞こうとしないもの。女性とのコミュニケーションもそうなのではないですか?(セックスとかも)

 前のエントリではそういうことを暗に含ませていたのですが、まぁ、わからなかったでしょうね。人の言うことなど聞こうともしないあなたですからね。


 あと、ものすごくアレげな発言をされているのでいちお拾っておくと、


 私は「結婚」の話をしているのだから、「モテ」だけに限る意味がないし、「モテ」の話をするなら、経済力を持ち出す意味はないのですよ。

>「結婚を前提としたお付き合いのためには経済力が必要」

 って、自分で書いているじゃないですか。



 の「自分で書いているじゃないですか」のところですが、これはぼくが(全体的に意味不明なあなたの主張の中から)あなたの言いたいであろうことを汲み取って、その上で譲歩してあなたの内なる声を拾い上げただけですよ? なので、ぼくの主張はその前段の部分にあります。

 これは基本的なコミュニケーション能力に関わる部分ですよね?


 あと、「さっぱり意味がわからない」部分はあなたがそれだけ鈍感で不思議ちゃんなだけですからそのまま意味がわからない状態でいればいいと思います。セキュリティゆるいな、って感じです。(あるいはぼくがやったように、こちらの言いたいことを汲み取って解釈してみてはどうですか?)




 あと、全体を通して思うんですが。あなたはなぜ最初からケンカ腰なんですか? podcastを通して聞くあなたはほんとに気弱で虚弱そうな青年という感じなのですが、その反動ですか?(「ネット上の人格」というやつ?)

 blog全体をみたらわかると思うのですが、ぼくは格差社会に対しては問題意識を持っている側の人間だし、そういうことで言えばあなたが目の敵にしている(参照1参照2)鈴木謙介氏にしてもそうだと思うのですが?


 あなたはぼくに対して「誹謗中傷」という言葉をたいした考えもなく使いましたが、そういうことで言えばあなたが上記リンク先エントリでやっていることこそ誹謗中傷なのではないですか?

 それともあれですか? あなた特有のジャイアン理論。「オレはよくても、のび太はダメー」ってやつですか? それで、わけのわからない歌をボエーっと唄う、と。

 「わけのわからない歌を唄う」ということに関して言えば、現在ぼくがしていることもそれに当たると思いますが、これはあなたが対話の相手としての資格を有しない、と判断したからです。「礼儀もわきまえない」、「人の主張を聞こうとしない」、「対話を通じて両者の共通点(妥協点)を探ろうとしない」、ただ「勝ち負け」のみに終始しているような人はもはやネタの対象でしかありません。


 そういえば前にそんな人いたなぁ。。あぁ、この人も「匿名」というところに固執してましたね。オグたんとノブたん


muse-A-muse 2nd: 「匿名 / 実名」の二元論トラップ

muse-A-muse 2nd: 市民社会と制度について(ジャーナリズム論承前)

muse-A-muse 2nd: まん延する「匿名ネットこわいね」論について


 赤木さんは「匿名」という言葉をさして考えもなく使っておられるようなので、こちらのエントリでも参照しておいたらよいのではないでしょうか?(っつーか、武田さんもそれに拘ってたように見えたけど武田塾ではみんなそうなの?)


で、オグたんといえば最近新たな発見があったようで


真性引き篭もり/entry:結果としての小倉秀夫。


「間違い」こそが結果としての小倉秀夫であり、「誤り」こそが結果としての小倉秀夫なのである。無邪気で陽気で垢抜けない一人の小洒落た弁護士が、ブログというインターネットの荒波に飲まれ揉まれして漂った結果、「間違っていること」を誤認すり替えあらゆる手段を懸命必死に駆使してまでも、主張しブログを書き続けている、という結果なのである。



 つまり、レトリックを駆使することがギロンだと思い込んでおられるようですね。本来ギロン(および弁証法的な思考過程)においては「結論」とはテーゼとそれに対するアンチテーゼを止揚した結果として表れるもののはずですが、この方のギロン(あるいは論理)というのは「結論」がまずある、と。「ギロンとはそれを守り隠すための小細工に過ぎない」、ということのようです。


 あなたもそうなのではないですか?(赤木さん)


 それに対して、あなたは○○のひとつ覚えのように「アナタモソウナノデハナイデスカ?」と繰り返してくるでしょうが、残念ながらあなたに対してだけです。より正確に言うならば、あなたのように対話に値しない相手に対してはこういう態度をとらざるを得ません。(あまりにもくだらないので)

 それはほかのエントリのコメント欄を見ればわかることと思います。


 もしくは、あなたが「勝ち負け」というところに拘らない態度を見せてくれるなら対話を続行してもいいですが、どーでもいいプライドに拘ってわけのわからない理屈を唱えるだけならこれ以上付き合う必要もないな、と。そう思うわけですね。

 それであなたが「わぁ、あいつ逃げやがったぁ(ぼくのかちだぁ)」と思いたければどうぞご勝手に。「幸せな人だなぁ」、と思うだけです。



 というよりも、ほんとにちょっと心配なんですけど、あなた、ちょっと大丈夫ですか? なにかコンプレックスがあるみたいんですが、それはやはり真性引きこもりさんが言うように「誰かが抱きしめてあげないとダメなんだよ!」ということなのでしょうか? だとしたら美少女ネゲットとか真剣に狙ったほうが良いのではないですか? 狙いどころとしてはこの辺とか?


なんでも評点:少女に銃を突き付けたパーティ乱入男に肝っ玉女性がワインを勧めると、男は急に素直になって「僕を抱き締めて」と皆にお願い



 あるいは、「丸山真男をひっぱたきたい!」とのたまうあなたですから、もうちょっとワイルドな相手を望んでおられるのもしれませんね。


 じゃあ、「張りたい真男」 + 「蹴りたい背中」 = 「蹴りたい赤木」、ということですかね


蹴りたい背中
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綿矢 りさ
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 綿矢りさみたいなワセジョっぽい人に後ろから蹴られるぐらいしないと、あなたみたいにウジウジした人は「相手を思う」ということができないのかもしれませんね。


 あぁ、「ウジウジした」関連で付け加えるならばやはりあなたの一番まずいところは「他者の共感(気持ち)を活かせない」というところにあるように思います。先ほども少し言いましたが、鈴木氏にしてもぼくにしても「格差社会」は問題だと思い、あなたがいまいる情況に対して心情的には共感してるんですよ? 少なくとも関心を持ってあなたの主張を聞こうとしている。 「人に関心を持たれる」ということのありがたみがあなたにわかりますか? あなたがこれから自分たちの窮状を訴えていくであろう相手はそもそも聞く耳ももってくれない人たちばかりなのではないですか?

 そういう人たちを相手にしようとしているのに少なくとも関心を持ってくれる人の気持ちも汲めなくてどうするんですか? あなたにとっては「すべてが敵」ですか? もしくは「オレの主張に合わないやつは全て敵」ということですか?

 で、自分たちの不都合ばかり主張し、相手との妥協点をはかろうとはしない.....。それは最低の交渉術といえるのではないですかね?


 あなたはなにかにつけて鬼の首を取ったように「自己責任論」「自己責任論」と相手を糾弾しますが、社会全体からすれば「だからなに?」って感じなんじゃないでしょうか? だって彼らは彼らなりに努力していまの地位を掴んだわけでしょうからね。 少なくとも彼らが努力した時期に努力したことが疑われるあなたに対して、それほどの興味を持たないでしょうね。

 それに対して、ぼくや鈴木さんは「自己責任論だけで弱者を見捨てていては社会が回らなくなるのではないか?」という立場をとっているわけですが....。 あなたの態度を見ているとそういった関心も薄れていきますね。

 あなたはなにかと「自己責任論反対」の文言を繰り返しますが、鈴木さんと違ってぼくは自己責任論の立場をとっているように思われても痛くも痒くもありませんからね。



 そういうわけであなたの挑発文言というのは子どもが「あいつの母ちゃんでべそー」といってるのと同じようなものです。別に痛くも痒くもありません。


 そして、ギロンの相手としてもふさわしくありませんね。あなたからはなんの情報も知見も引き出せそうにない。むしろ、あなたが欲しいであろう情報はぼくのほうが握っていると思うのですが、プライドの高いあなたのことですがからいまさら謝るということもしないでしょうね。


 せいぜいそうやって目先のプライドに固執していればいいです。そうやってあなたはまた貴重な時間を失っていく。それだけのことです。


 
 あと、あなたがこの先どういった形で禄を食むつもりなのか知りませんが、もし文筆で身を立てようと思っているのならばもう少し慎重に相手の主張や力量を見極める意識をもったほうが良いのではないでしょうか? ネットとはいえ公開の場なのですから、あなたの信用にも関わることになると思いますよ。
 
 


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関連:
livedoor ニュース - 【独女通信 アダルト編】カリスマAV監督・溜池ゴロー氏に訊く”女の磨き方”〜男を惹きつける女になるには?(後編)

※「ウジウジした人はモテない」関連で。この辺でも参考にされてはいかがでしょうか?


livedoor ニュース - 【独女通信 アダルト編】カリスマAV監督・溜池ゴロー氏に訊く”女の磨き方”〜男を惹きつける女になるには?(前編)


livedoor ニュース - 【独女通信】元AV女優に学ぶ自由恋愛のリスクと結婚

 
 

あと、いまさらながら、わからない人用に示しておくと、赤木さんというのはこういう人です↓

トラカレ! ― 知と情報を繋ぐ人文系ニュースサイト ― - 「丸山眞男」をひっぱたきたい


一部で話題の「赤木論文」です。

 


さらに続きです↓

muse-A-muse 2nd: 「赤木が来たりて笛を吹」・・いて帰った

結論から言えばがっかりしましたね(やはり不毛だった)。少しでも誠実に答えるんじゃなかったですね。その分、損した気持ちです。
 
posted by m_um_u at 17:45 | Comment(12) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年07月14日

♪ しゅふになりたぁい (?)

 びみょーな話題なのでmixiのほうで書こうかと思ったけど女性の年金問題の話もあるのでこちらに。んで、まずはこの辺から


livedoor ニュース - 【独女通信】独女の老後はどうなる?年金制度を緊急検証!


 「専業主婦と独女と年金面で差があるの?」な検証記事。結論として「ある」らしいです。

まずは専業主婦(厚生年金、共済基金に加盟している会社員、公務員の配偶者)の場合。夫が加入する厚生年金や共済年金の保険料でまかなわれているため保険料を負担せず、老後は夫の基礎年金と同額の年金を受給できる。満額で年約80万円。働いていた期間があれば、その分の厚生年金も加算して支給される。年 120万円程度と、決して多い額ではないが、専業主婦は夫の年金も生活費となる。


 その他もろもろな優遇制度とか

専業主婦を対象にした年金は他にもある。
「寡婦年金」・・・夫が死亡した後、夫がもらえるはずだった老齢基礎年金の4分の3。
「遺族基礎年金」・・・子供のいる妻に支給される基礎年金。
「中高齢寡婦加算」・・・夫が死亡し「遺族厚生年金」を支給されている。妻が40歳から65歳になるまで支給される。


 離婚時や不慮の別れの時なんかも大丈夫らしい。(年金分割の合意がとれていれば)

 
 対して独女の場合は?


条件にもよるが、独身女性が受け取る年金は、毎月11万円から13万円程度。これには厚生年金適用の職場でという条件が付く。国民年金だけでは月額で7万円にもならない。保険料未納時期があれば、支給される年金額はさらに下がる。





.......「女はさっさと結婚して家庭に入れ」ということ?

 いや、現在でも大部分の女性が専業主婦化している現状がある(のかな?統計知らんけど)のは分かるんですよ。んで、そこにおける女性の権利見直しとして「家事労働だって立派な仕事だよ」(家事の賃金換算)的な考えがあるのも分かる。でもね。「あまりにも独女ひどい扱いなんじゃ?」的な感じしますね。

 この前のエントリでも出てきたように

muse-A-muse 2nd: モテない系日本 (男女間の非対称性を巡る攻防について)

 女性が一人で生きていくには経済的に苦しい側面がある。具体的にいうと女性の場合、収入が期待できる職業(あるいはポスト)への就業率が低いってことですね。(この辺の話題は先日、NHKBSでなんかやってたので録画してあるんですが未だ見てません。こんど見よ、っと)


 前のエントリでも含ませた通り、なにも「ケッコンすんな」っていうわけではないんですが、選択肢が狭められてるのは事実だなぁ、と。こういった社会政策というのは「生めよ、増やせよ」的な人工統制的な理由でとられてるんでしょうか? ってか単に、「女性のライフスタイルの変化に社会政策が追いついてない」、というだけのことなのかなぁ..。何年か前までは専業主婦デフォルトだったから「その部分の権利を中心に考えとけばいいや」って感じだったのかもしれませんね。

 って、この辺社会党が女性党かなんかになって改革してったほうがいいんじゃないですかね? もはや社会主義という言葉が求心力を失っているんだからそこに固執するのもおかしな感じがしますし、有権者率的に男女比は半々なわけなんだからこの辺ではっきりとした姿勢を示したほうがいいんじゃ? (って、そうすると「女性のみ」って感じになって男性票が失われる、のか?)


 まぁ、その辺はいいとして。関連として目についたのがこの辺です。


葉っぱの「歩行と記憶」:戦争より主夫として子育てをやりたい。


 例の赤木さんの主張(「主夫になりぃたぁ〜い ♪」(by.スピッツ))を軸に、「ほんとは戦争なんか行きたくないんだよ」って感じで赤木さんを擁護するエントリってのは分かるんですよ。でもね。栗山さんはやっぱ鈍感なんじゃないでしょうか?(失礼ながら)

目覚めた女に人には、特に「なんでおんなになんか生まれてきたんだろう」 と言う問いを執拗に抱え込んでいる人がいらっしゃると改めて思いましたが、僕もかって、女子大学生のブログで、それまで、本の話だとか、色々やりとりやっていたのですが、

 「男と女」の話になって、「子を産めない男」の空虚さみたいなノリで、女の子はいいよなぁ、「子供を産めるんだもん」って言ってしまったのです。

 彼女は怒って、僕は出入り禁止になってしまった。理屈ではなく感情的な反応だと思いますが、それでも、僕はナットクの行かない狐につままれた情けない状態でした。その記憶が蘇りましたね。

 恐らく、僕の中に、「なんで男なんかにうまれてきたんだろう」 というのがありましたね。「女って羨ましいなぁ…」って、 そんなにいやなら、いつでも変わってあげるよ、



 このメンタリティの延長線上に赤木さんの主張があるというのは分かるんですよ。んで、それ自体は「男女同権」ということでいいんですが、どうも、やはりこの人たちは基本的な男女の違いというものに対する想像力というものがないのではないかと思うんです。


 端的にいえば生理的な事柄を巡る違いですね。


 前にそれ系が重い人の話を聞いたことがあるんですが、「ハイヒールの先で腹部をぐりぐりと踏み続けられる感じ」、って言ってました。もしくはこの辺とか


法務だけど理系女子の綴るblog: 女の子が子供を産むために払っている犠牲の一例


 ぼくは痛みには強いほうなんですが、絶対体験したくないなぁ、と。あと、ちょうど弾さんも関連エントリあげてたけど「受容に対する意識の違い」ってのがありますね。

404 Blog Not Found:書評 - 中年童貞




 で、これと対照的なのが最近の赤木さんのこのエントリっすよ

深夜のシマネコBlog: 新風舎のこと

射精感を味わうだけなら、オナニーでもできるけど、肌と肌がぴったりくっつき合った時の、あの独特の幸福感なんてのは、相手がいてこその感触だからなぁ。
 あー。誰かとくっついて、相手の体温を感じたい。これからどんどん暑くなる季節だから、余計にそう思う。
 あと、キスね。
 最近歯医者に行って、虫歯を全滅させてきたので、今なら安全にキスできるんですが、誰かしませんか?



 いや、ネタエントリってことはわかりますよ。文脈切除的にこういう形で編集するのも反則っぽい気はします。もしかしたら件の取材関連の浮かれ気分エントリってだけだったのかもしれない。


赤木智弘さん、「強者女性」に「かわいい!」といわれる。|女子リベ 安原宏美--編集者のブログ


 でもね、やっぱスキだらけだなぁ、と。(つか、誘い受けかなんかですかね?)



 これ関連で言うと避妊に関する意識の違いなんかもあると思います。コンドームつったって100%の確率じゃなくてリスクは主に女性が抱えるんですよね。「それじゃピル?」ってことになるけどピルはピルで副作用が気になったり.....。「だったら男が飲めよ!」ってことになるんだけど.....


第6回 コンドーム至上主義宣言(後編)避妊に「協力」なんて生ぬるい!! - オンナの技術 | カフェグローブ

それにしても、不思議になりませんか? ピルは信頼性のある避妊法だけど、副作用は皆無ではない。私は自分の健康にあまり自信がないので、男性用のピルがあれば、相手に飲んでもらいたいよなーと思ったもんです。おまけに避妊に失敗したら、痛い目にあうのも女性の方です。どうしてこんなに不公平なんだろ?

 と思っていたら、これも友人が教えてくれました。男性用ピルというのも、過去に開発されているというのです! ところが臨床試験の段階で、副作用がみとめられ、承認されなかったらしい。その副作用とは「頭痛、吐き気、だるさ……」

なんじゃそりゃ(怒)。そんな程度のこと、女性たちは仕方ないやと思って飲んでるだろうが!




 暴論かつ勝手な推測ですが、赤木さんとかってこういう痛みとかダルさ、自らリスクやコストを負うことに耐えられるんですかね?

 っつか、それ以前に。こういったことに対する想像力があるのか?(想像したことがあるのか?)ということが疑問です。主婦とか「女性の特権」みたいなのは以上のような女性の生得的あるいは環境的限定に対する補填のようなものだと思います。「主夫になりたい」と主張するならばその辺の意識もあってしかるべきだと思うんだけど..。もし想像したことがないとすれば、



[そんなことだから非モテなんじゃないですか?](すっぱいぶどうのほうの)



 そんなことを思うわけですね。


 赤木さんの主張する「非モテ弱者男性問題」というのは端的にいうとこういうことのようですね(以下孫引用)

HPO:機密日誌 - 弱者男性って?

弱者男性とは、

A.「正社員として働くのがまっとうな姿」という世間/周囲/自分の期待に応えることのできない状況にいる人びと(具体的にはフリーターなど)、

B.自らの望まざる状況(たとえばAのような状態)にいることを、自分以外の誰かに帰責して溜飲を下げる、あるいは暴走する人びと(いわゆる「ヘタレ」?)、

C.女性を含めた他者に対するアクション−リアクションをスムーズに行うことができない(と周囲から思われていたり、自分で思いこんでいたりする)人びと(≒コミュニケーション弱者)

のいずれかあるいは複合的な状態にある人のことを指しているように思われます。




 んで、今回の場合は特に「C」が絡んでくるように思うのですが、鈴木さんも指摘されてるように「A」「B」「C」が複合的に絡まりあった問題なんでしょうね。そう考えると上記してきたようなことを赤木さんに聞いたとしても、「経済的に自立できればどうとでもなるんです!」と答えそうな気がする。。。



 まぁ、それならそれでいいですけどね。


 ところでリンク先コメント欄にも書いたように、赤木 vs. 鈴木問題というのはもうちょっとなんとかならないんでしょうかね?

 いや、片方にとっては一緒くたにされてははなはだ迷惑な問題なんだろうけど、第三者が入るなりしてもうちょっとギロンとしての体裁が整わないのかなぁ、と。


 んで、思うんですがやっぱ「年上女性による誘導」って感じでしょうかね? 赤木さんも鈴木さんもそれ系は弱いみたいですし。って、鈴木さんの場合はお仕事モードがあるのだろうけど、基本的には弱いですよね?(この前のlife番外編も楽しませていただきました)

 血気盛んな男二人が面と向かうと喧々諤々するところがあるのでしょうから、そこは経験豊富な女性の包容力で誘導するとかしないとか.....


 で、想定されるのは..........やっぱちーちゃん?(チーママ?)


 でも、ちーちゃんは赤木さんについて既に言及されたみたいで、いつもどおりざっくばらんな感想を述べられたようですね。


 ってか、やっぱ癒し系とか? でも、そんな人いたかなぁ。。。(ゆきちゃんとか?)


 もしくは「熟す」を通り越して腐った女史の方々に801変換してもらうのが順当なところかもしれない。当人達もヤル気なくなるでしょうしね。






♪ スピッツ / 猫になりたい




--
ピル関連:
ウーマンズヘルス|日常の予防|ピルを飲む人、飲めない人


※「どこで買えるか」、「どんな人に合っているか」などの基礎的な知識として。



ピルで生理を軽くする

※タイトルそのまま。生理が重い人はピルで軽くなるケースもあるみたい。


ピルを緊急避妊薬として使用する方法

ピル(避妊用ピル) : 避妊知恵袋

※いざというとき用の緊急対処策、モーニングアフターピルについて。




X51.ORG : 男性用ピル、開発に成功か 豪

※オーストラリアでは開発されたらしい。でも、副作用として倦怠感がある、のかな?

 

G★RDIAS - 私、産みたくありません。

※産むの怖いっすよね。(痛くないとしても怖そう...)

 
 


--
つづきです↓


muse-A-muse 2nd: 蹴りたい赤木


(もう、可笑しくて笑いながら書いちゃった)

posted by m_um_u at 20:00 | Comment(11) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年07月09日

デザイン変更とかもろもろ

 ぶくまを通じてちょこちょこと「ページがみにくい」「みにくい」「どのブラウザでみればいいのか?」などと言ったコメントを見ていたのですが、今日、具体的に、「横スクロールしないと見れない」というご意見を見たのでテンプレ変えてみました。

 ぼくのPC(ノート、でっかい液晶のほう)で見てる限り問題なかったので気づかなかったですが、「スクロールしないとみれない」のはキツイですね。そういうわけで変更。


 夏っぽくアクアブルーとかにしようかと思ったけど、ぢみなおっさんなのでまぁ、この辺かなぁ、と。

 あと、文字が小さくなったのがちょっと気になりますね。フォントいぢったほうがいいのかなぁ...。でも、Firefoxで見てる限り「ctrl + マウスの真ん中スクロール」でフォントいじれるので問題ないか。(個人的には)


 
 ってか、この手の話はぶくま通じてだと分かりにくいのでできれば直接コメント欄に書き込んでいただきたいです。


 
 
posted by m_um_u at 12:57 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

Ask not what the net can do for you. Ask what you can do for the net.

It is better to know some of the questions than all of the answers.

-- James Thurber




Ask not what you can do for your country. Ask what's for lunch.

-- Orson Welles




Ask not what the net can do for you. Ask what you can do for the net.

-- ARG








 ひとつ前のエントリで登場したUMAな若者についてぼけーっと。

 この子自体はどうということもなくて、「どこにでもいるちょっとがんばってみたい子」なのだろうなぁって感じなのだけど、この子が「ハーバーマス」とか「社会学」という単語を使っていたのが気になった。(参照

 ベタに言ってしまうと、「対話的理性を重んじるハーバーマスの名前を出しつつ議論の仕方やコミュニケーション的合理性への理解を深めていないように見えるのはどういうことなの?」、って思うわけだけど、この子にとって学問というのは「おべんきょー」レベルの丸暗記型キーワードのようなもので、テスト前とかレポート提出前にちょこちょこっと考える程度のものなのだろう。つまり、自分の頭では考えていないということになると思う。そして「社会学」という言葉....。

 この子はこの学問に対してどのような印象を持っているのだろうか? 勝手な推測だが、「オレ、オマエよりいろんなこと知ってるんだぜ(へへへ)」的な理由づけのための都合のよい屁理屈こねツールみたいなのを社会学と思っているのだろうか? つまり、自分がケンカで勝つために利用できる思考の枠組みであり、権威づけの道具みたいな感じで。

 一部の腐臭漂う人文マニアに見られる傾向って感じで、ぼくもネット上では一回ぐらい被害にあったことがある。彼らとのギロンというのはギロンではなく、単なる揚げ足とりのケンカ合戦みたいになるので話していてもなにも楽しくないし、得るものがない。彼らは話し合いの中からなにかを得ようともしないし、話し合いを通じてなにかを作り上げようともしない。単に目先の勝ち負けにはこだわるだけなので。(幼稚園児や小学生のケンカに似てる。その意味では竹田さんの例は秀逸だと思う)

 以前に見たそれ系の人というのはやたら「先生」への憧れをもっている感じの人だった。コメント欄に現職の学者が現れるだけで「降臨!」とかなんとかわけの分からないテンションの上げ方をしていて正直寒い感じがしたのだけれど、本人にとっては精一杯の儀礼的表現だったのかもしれない(その感覚はよく分からないが)。 で、そんな感じで権威にはやたらすり寄るのだけれど、「君の言ってることちょっとおかしいんじゃない?」とか「この辺もうちょっと分かりやすく説明して」とかいう一般(?)の人の声に対してはぞんざい...というかずいぶん非礼な態度をとっていた。どうも彼にとっては彼自身の学問世界のようなものがあるみたいで、その教典である書物や人物の言葉を絶対としている感じが見えて....いま思うと宗教に近いものだったのかもしれない。

 そう考えるとアレだな。無碍に否定するのもびみょーな感じになるか。彼らのやっているのは「宗教」であって「学問」ではないのだろう。あるいは、「学問」というたいそうな言葉を使うまでもなくて、「自分で考える」ということができていない(しようとしない)というだけなのかもしれない。 でも、彼らのセマイセカイではその経文を唱えていれば通用するし、その教典に(丸暗記みたいに)精通すればするほど仲間うちの格のようなものが上がるシステムだったのかも。そして、そういった系というのはそれ自体として自生する分には別になんの害もない、というか「信教の自由」って感じなんだろう。あるいは実存の問題。

 彼らにとってはそういった形である一定の言葉に依存し言葉遊びに興じることが実存的に必要なわけで、だったらそれを否定するのはどうか、って気もする。(ただ、否定はしないけど相手にはしないというだけだが)

 しかし、彼らが社会に共通する言葉、たとえば「社会学」などという言葉を使っているのを見るとびみょーな感じはする。「社会学」なんてのはもっとも関係を重視する学問領域のはずなのに、その言葉を出しつつ関係を軽んじているのってどうなんだろう?、と。(まぁ、序盤で考えたことに戻るわけだけど)権威性ってことか。彼らにとっては「社会学」はひとつの権威なのか........ふーむ..........知ってる人は知ってると思うけど社会学なんてのはキメラな学問領域なはずだけど。知の枠組みとしては哲学、政治学、経済学などから借りてきたところが多いし、対象領域も横断的過ぎてなにが専門かよくわからない。だいたい冠に「社会」なんてついてるのがそもそもおかしいのだ。「世の中に社会的じゃない領域なんてあると思うか?」((C)鈴木謙介).....そんな感じなはず。

 なので「社会学徒」なんて言ってる人はなんとはなしにその辺の恥ずかしさというか問題意識を持っているものなはずなんだけど.......件の彼らにとって「社会学」とはできあがった学問領域でしかないのだろうなぁ..。教科書みたいな感じなのかなぁ..。あるいは手軽なアンチョコ本というか。


 そんなもの覚えたって生活の場で使えなければ意味がないし、4・5年経って覚えているかっていえばびみょーなもので、そのくらい経って(あるいは死ぬ間際まで)覚えていられる知識こそホンモノなはずだけど..。大部分の本なんか3〜4割程度しか「役に立つ」というか響いてくるものがはいはずで、その部分をどのように自分の思考に結び付けていくのかということがポイントなはずだけど...。彼らはそういったことは考えたことがないのだろうか? 

 あるいはものすごく記憶力が良くて、「教科書に書いてあることは一言一句覚えてるよ ♪」、って感じの人たちなのかもしれない。......すごいなぁ。そうだとすると正直うらやましい。嫌味ではなくて、そういうタイプの人にあったことがあるけれど、あの人の知識量というか思考の深みというのは相当のものだったしな...。

(※話それるけどいちお言っておくと、Google時代とは言え暗記的な知識の必要性というのは変わらないように思う。思考というのはスピードに依るところが大きいので、暗記によって「調べる」という過程をショートカットできれば、それだけ遠くて深い思考が作り上げられる可能性がある。もっとも、なんでもかんでも暗記すればよいというものではないだろうけど)


 それにしても、なんで彼らはああも小さな勝ち負けに拘るのかな? 自分の属している小さなセカイで名声を得るため? そして「社会」からは閉じる、か..。

 あるいはゆとり教育の影響ってやつかな? 「ゆとり教育」なんていうと安易な世代論に終始する危険性があるか。当人たちは「どうせゆとりっ子ですよ」ってそっぽ向くかもしれないし..。だいいち「ゆとり教育」って彼らの責任ではないもんな。かといって、「ゆとりっ子だから仕方ないんだぁ」ってことにはならないと思うけど。その辺りは社会的に鍛えられていく....のだろうか? (ぼくが被害にあったアレ系の人はいちお社会人って言ってたけど......ここでも「社会」という言葉に疑念がわくよ)


 ってか、もっと好意的にとるならば彼らは単に背伸びをしたいだけなのかもしれない。人間、背伸びして成長するってことはあると思うし、それはそれで微笑ましいことなのかも。


 でも、「社会学」って言葉がなぁ......。


 あまり関係ないかもしれないけど日高六郎先生が著作の中で、「最近の若者はいろんなことを忘れていく。いろんな歴史が消えていく」と嘆いておられたのを思い出した。


戦後思想を考える
戦後思想を考える
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日高 六郎
岩波書店 (1980/01)
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私の平和論―戦前から戦後へ (岩波新書)
日高 六郎
岩波書店 (1995/10)
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 権威性を重んじる彼らからすればこんな本はなんの魅力も感じないものなのかもしれないけど、ぼくはこの本から「学問的魂」というか「学士的魂」のようなものを感じた。(※「士」は「さむらい」のほう。あるいは学者的魂といったほうが適切か)


 「社会学者的魂」ということで言えば見田宗介先生の近著なんかもあるか


社会学入門―人間と社会の未来
見田 宗介
岩波書店 (2006/04)
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(※以下、一部抜粋)


(7-8) 社会学は<越境する知> Einbrunchslehre とよばれてきたように、その学の初心において、社会現象のこういうさまざまな側面を、横断的に踏破し統合する学問として成立しました。マックス・ウェーバー、デュルケーム、マルクスのような「古典的」な社会学者をはじめ、フロム、リースマン、パーソンズ、アドルノ、バタイユ、サルトル、レヴィ=ストロース、フーコーといった、現在の社会学の若い研究者や学生たちが魅力を感じて読んでいる主要な著者たちは、すべて複数の ― 経済学、法学、政治学、哲学、文学、心理学、人類学、歴史学、等々の ― 領域を横断する知性たちです。
 けれども重要なことは、「領域横断的」であるということではないのです。「越境する知」ということは結果であって、目的とすることではありません。何の結果であるかというと、自分にとってほんとうに大切な問題に、どこまでも誠実である、という態度の結果なのです。あるいは現在の人類にとって、切実にアクチュアルであると思われる問題について、手放すことなく追求しつづける、という覚悟の結果なのです。近代の知のシステムは、専門分化主義ですから、あちこちに「立入禁止」の札が立っています。「それは○○学のテーマではないよ。そういうことをやりたいのなら、他に行きなさい。」「××学の専門家でもない人間が余計な口出しをするな。」等々。学問の立入禁止の立て札が至る所に立てられている。しかし、この立入禁止の立て札の前で止まってしまうと、現代社会の大切な問題たちは、解けないのです。そのために、ほんとうに大切な問題、自分にとって、あるいは現在の人類にとって、切実にアクチュアルな問題をどこまでも追及しようとする人間は、やむにやまれず境界を突破するのです。



(9-10) 自分自身のことを話すと、わたしにとっての「ほんとうに切実な問題」は、子どものころから、「人間はどう生きたらいいか」、ほんとうに楽しく充実した生涯をすごすにはどうしたらいいか、とういう単純な問題でした。この問題は二つに分かれて、第一に、人間は必ず死ぬ。人類の全体もまた、いつか死滅する。その人類がかつて存在したということを記憶する存在さえ残らない。すべては結局は「虚しい」のではないかという感覚でした。第二に、その生きている間、すべての個体はそれぞれの「自分」をもって、世界の中心のように感じて、他の「自分」と争ったりまた愛したりする。この「自分」と他の「自分」たちとの関係が、友情や恋愛や家族の問題から、経済や政治や国際関係の問題に至る、実にさまざまの現実的な問題の根底にあり核心にあると把握される、ということです。単純な言い方ですが、<死とニヒリズムの問題系>と、<愛とエゴイズムの問題系>と名づけていました。こういう問題を追及する人は、多くのばあい、「哲学」や「倫理学」、あるいは「宗教」という方面に進むのですが、わたしはこの二つの問題を、あくまでも論理実証という方法で、いわば「経験科学的」な方法で追求してゆきたかったのです。



 この後の余談がキュートなのだけれど省略。(ちょっとだけ言うと、「ジャズの聴こえてくる研究室は社会学のところだけだった」、らしいw)



 あとはウェブだとソキウス(野村一夫先生)なんかが参考になるかも。


Socius_ソキウス(トップページ)

Socius_ソシオリウム【総合案内】



 っつーか、こういったことを言っても「概論的なことなんか聞き飽きた」とかいうのかもしれないけど...。それは結局聞いただけで理解はしてないってことなんだろうな。そんな知識になんの意味があるのだろう、と思うけど....堂々巡りになるからやめとこう。



 あと、言わずもがなだけど、エゴだしてるだけでは他人は相手してくれないと思うよ。ネットも然り。


 


 とかなんとかいいつつボエーっと鳴いてみるテストw (TB
 





♪ クレイジーケンバンド / タイガー&ドラゴン







posted by m_um_u at 07:31 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年07月07日

Love Is Here To Stay

Never marry but for love; but see that thou lovest what is lovely.

 William Penn
  English religious leader and colonist (1644 - 1718)



One should always be in love. That is the reason one should never marry.

 Oscar Wilde
  Irish dramatist, novelist, & poet (1854 - 1900)



It is most unwise for people in love to marry

 George Bernard Shaw
  Irish dramatist & socialist (1856 - 1950)





Such is the common process of marriage. A youth and maiden exchange meeting by chance, or brought together by artifice, exchange glances, reciprocate civilities, go home, and dream of one another. Having little to divert attention, or diversify thought, they find themselves uneasy when they are apart, and therefore conclude that they shall be happy together. They marry, and discover what nothing but voluntary blindness had before concealed; they wear out life in altercations, and charge nature with cruelty.

 Samuel Johnson, Rasselas
  English author, critic, & lexicographer (1709 - 1784)




There's only one way to have a happy marriage and as soon as I learn what it is I'll get married again.

  Clint Eastwood
  US movie actor & director (1930 - )





All married couples should learn the art of battle as they should learn the art of making love. Good battle is objective and honest - never vicious or cruel. Good battle is healthy and constructive, and brings to a marriage the principle of equal partnership.

 Ann Landers
  US advice columnist (1918 - 2002)



If you would marry suitably, marry your equal.

 Ovid
  Roman poet (43 BC - 17 AD)





A great marriage is not when the 'perfect couple' comes together. It is when an imperfect couple learns to enjoy their differences.

 Dave Meurer, "Daze of Our Wives"



Marriage. It's like a cultural hand-rail. It links folks to the past and guides them to the future.

 Diane Frolov and Andrew Schneider, Northern Exposure, Our Wedding, 1992










 金蓮さんのところで「ケッコン大変だね」話が出てて、いまかかわってる案件とピンポイントとまでは行かないまでもひじょーに近しいものを感じたのでちょっと....


藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - 妻に欲情しない夫


 ケッコンにトキメキを期待して...というか、それほど深く考えずに結婚しちゃった人が「釣った魚に餌は与えない」状態にされちゃった不幸話って感じなんだけど、ぼくがいま受けてる案件はそれ以前の話。でも、彼女もケッコンにトキメキのみ期待してそうで傍から見ててちょっと心配だったりする。

(※以下びみょーながらできるだけ一般論っぽく....)

 ってか、彼女の場合は結婚後にそういった事態になるかもしれないことを恐れて慎重になってるみたいで、相手の人の恋愛観を探ろうとしてるみたいなんだけど、想定している恋愛観というのが「トキメキ」のみ期待してるみたいでちょっと心配...。ぼくも金蓮さんと同じでトキメキのみの結婚ってどうも信用できないので。

 「中・高生じゃないんだからもうちょっと愛というものについて考えてみようよ。お互いをいたわるとかさぁ」、とか言っても相変わらず「彼からの反応が遅い」とかを気にしているご様子。.....いや、それは愛じゃないからね。彼が忙しいのは分かってるでしょ? だったら仕方ないじゃん? 忙しい中でも時間割いてくれてるんだから精一杯がんばってると思うよ。しかもちょっと遠距離だし....。

 思うに彼女は「恋」がしたいのであって「愛」ではないのだなぁ..、と。それだったら冒頭にちりばめられたマジカルワードでも言ってたみたいに「結婚じゃなくていいじゃん?」って感じもするんだけど.......まぁ、女性的事情というものが.....(ごにょごにょ)。


 ってか、冒頭の「おことば占い」を振り返ると、「対等な関係を築けるか」ってのがあるし、「対等じゃなくてもいいからまともにケンカできるか?」ってのもある。ケンカしながら地面が固まってくってのもあるだろうし、だとしたら別に最初から「対等」っつーか、カップルとして「完璧」じゃなくてもいいんじゃないか?、と。


 ってか、「不完全な二人が支えあいながら未来へのレールを作っていくってのが結婚」、ってことのようなんだけど.....なかなか...。


 たぶん彼女にそういうことを言うと、「ワタシ、ケンカしたくないもん!」、って言うと思う...。


 いや、オレもケンカしたくないけど、たぶんケンカしてしまう状況ってのが必ず来て、そういうときに回復できるかどうかだと思うんだけどね。それで、そのたびに絆を深めていくものだと思うんだけど...。

 なんとなくだけど金蓮さんところの案件の人の場合、そういったケンカってのもできていなかったように思う。最初から関係が非対称なものだったんだろう。特に経済的な基盤を盾にした主導権うんぬんで。ってか、明らかに独占欲強すぎだもんな。「所有物」って感じだったのかもしれない。(cf.「嫁は市場で買ってきた」)


 「関係が非対称」っていうとぼくのほうの案件も非対称といえば非対称かも。でもこちらの場合は相手の人の誠実さというか優しさばかり伝わってくるわけだけど、それが包容力なのか無関心なのかってのを彼女は測りかねてるみたい。後者の場合、「彼女じゃなくてもいいけどとりあえず婚期だし、なんかいろいろしがらみのある縁だから結婚しとく?」みたいな打算があるかもしれなくて、その辺が気になる、と。

 んじゃ、もうその辺ストレートに...........聞いたらはぐらかすわなぁ..。ってか、その辺りを周りから攻めてくためにベタに恋愛映画でもみて「一般論的な恋愛観」って感じで探りをいれることを薦めているのに、なぜにおまへは「シュレック3見るんだぁ」などと嬉しそうに言うのだ!?



.......まぁ、いいっス。やろうと思えば「シュレック」からだって人生観とか恋愛観とか探れるかも.....しれないわけねぇよなぁ....。「緑色の怪人がヤイサホーと暴れまわる抱腹絶倒映画だよ!!」って、そんなもんからどうやっていろんなものが探れるというのだ!?


(※全国の「シュレック」ファンの皆様すみません。「シュレック」を揶揄しているものではなくて、今回の件について「シュレックを選択するのは不適切ではないか?」ということです。っつーか、個人的には「シュレック」のおもしろさって理解できないんだけど..)



そういや、逆にちょっと前の増田にこんなエントリあったな
 

結婚するならこんな奥さんがいいな。


結婚するならこんな奥さんがいいな。(増田Bの場合)


 「前者は空気嫁のロボ版所望」って感じ。対して後者は過剰な「愛」(?)が先行しててちょっと怖い...。この人の幻想と期待を裏切ったときに出刃包丁でめった刺しにされそうな気がする..。


 「はてな(ぶくま)で見た」繋がりだと、この辺はバランス取れてたように思った。


うどんこ天気 - スーパーで豚肉が安かった


 「なぜに女は”スーパーで豚肉が安かったの”などというくだらない話題をふってくるのか?」的な流れと逆を行くエントリでなんかいい。ついでに言っちゃうと男女におけるそういうコミュニケーション差というのは一般的に「男は問題解決型コミュニケーションを好み、女は毛づくろい型仲良しコミュニケーションを好む」、って言われてる。「なので女の電話は長話になる」、と。

 ただ、最近ではこの傾向も変化してきているらしくて、男でもなんの目的もないコミュニケーションというか、コミュニケーションそのものを楽しむコミュニケーションをする傾向が増えているみたい。 この手の傾向は日本だけではなく海外にも見られる、と。


スラッシュドット ジャパン | 「女性の方がおしゃべり」はウソ


 この辺、突き詰めると長そうなので印象論だけに留めておくとして、「これ系の話題で最近はて部で気になったもの」繋がりで次


S嬢 はてな - トラックバック受信とアレコレ


 「内容はないけど彼からの定期便の電話が私を支えてくれた」、と。良いエントリだな、と思う。(BEGINの「声のお守りください」が脳内に流れた)



 最後に別件でTBいただいた勤労者Xさんとこのエントリから


ひとを愛することができない (勤労者Xの憂鬱)


 中島義道せんせの「ひとを愛することができない:―マイナスのナルシスの告白―」から、愛の4類型が挙げられている。(※以下、孫引き)


1.自然(に見える)親子や夫婦間の愛であるストルゲイ
2.友愛であるフィリア
3.異性(あるいは同性)の性愛であるエロス
4.イエスが「自分自身を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」というときの無償の愛であるアガペー。




 この分類に従えば冒頭の金蓮さんところの事案は「ストルゲイ」的な状態といえるだろうか。っつーか、完全に冷め切ってるように見えるので「愛」もなにもないのかもしれないけど。

 それに対して「恋愛」的なものを求める場合は「エロス」って感じになるのかなぁ...。でも、これ「トキメキ」的なものとは違うような気がする。もうちょっと濃い部分での恋愛だな。


 一般論としては、「結婚してしばらくして川の字とかできちゃう状態になるとストルゲイ的な状態になっちゃって恋愛的な関係は冷めちゃう」、ってことなんだけど...。どうなんすかねぇ。この辺もカポーによって違うのかもしれないけど。ってか、ぼくのほうの案件の彼女の場合はさっさとそういう状態になっちゃったほうがなっちゃったほうがいいように思うけど。どうもセクシャリティというものを感じない人なので。(コアラみたいだ)

 「そういう状態が不幸(つまんない)」って言う人もいれば「理想」っていうか「安心」って言うに人もいるように思えて、人それぞれなんじゃないかと思う。その人の生育環境に依るのかな(愛情の欠損とかうんぬん)。


 っつか、ぼく自身は「アガペー」的な愛をもってるように思われることがときどきある。.......おっさんだからかなぁ。ってか、個人的にはサムライマインドに近いように思うんだけど、女の子の求めるのは王子様だったりするのかね。


Spherical-moss.net » 女はお姫様、男は騎士



 「武士の一分」の壇れい良かったなぁ....。





 あと、以下暴論・妄言だけど。

 恋愛とオルガスムって似てるのかもしれない。


livedoor ニュース - 【独女通信 アダルト編】カリスマAV監督・溜池ゴロー氏に訊く”女の磨き方”〜「イケない」のは、女としてダメなこと?


ってか恋愛に過度の期待をする人とオルガスムに強迫観念を持つ人ってのはちょっと似てるかも。結婚のような長距離レースの場合、両方とも「おまけでついてくるもの」って感じでよいのではないだろうか?



.....まぁ、妄言ということで







♪ Ella Fitzgerald & Lois Armstrong / Love Is Here To Stay



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関連:
livedoor ニュース - 【独女通信 アダルト編】カリスマAV監督・溜池ゴロー氏に訊く”女の磨き方”〜男を惹きつける女になるには?(前編)

livedoor ニュース - 【独女通信 アダルト編】カリスマAV監督・溜池ゴロー氏に訊く”女の磨き方”〜男を惹きつける女になるには?(後編)


※そして嫁さんの話↓


livedoor ニュース - 【独女通信】元AV女優に学ぶ自由恋愛のリスクと結婚
 
 
posted by m_um_u at 23:32 | Comment(4) | TrackBack(1) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年07月06日

広島の牡蠣養殖の歴史は400年

 らっちさんとこのエントリ見ておもしろそうだったので広島郷土資料館の展示を見に行ってきました。


広島の街と音楽と… - 「市民球場の50年」at広島市郷土資料館


 んで、らっちさん同様、企画展よりも常設展のほうが楽しく感じたりw

 覚えてる範囲での歴史をてきとーに言うと、広島ってのは江戸の藩分けぐらいまでは村って感じだったみたいですね。城なんかもはっきりないような田舎って感じ。それが毛利とか浅野とかの殿様が来るようになってある程度メジャーになっていった、と。

 ってか、この人たちもこんなとこ来るの嫌だったでしょうね。おもいっきり僻地って感じのところだったので。特に福島藩から異動させられた人(※名前失念)はモロに左遷っていうか都落ちっていうか...。

 まぁ、そんな感じの「田舎」で「何もない山だらけのところ」が広島だったわけですが、それでもそこに生きてる人たちはなんらかの形で生計を立てなければならないんすよね。で、下駄やらかつらやら筆やら作ってくわけだけど、中でも牡蠣養殖をかなり昔からやっていたことを知って驚きました。1600年代初頭には試験的に養殖技法が開発されてたみたいです。

 初期の養殖技法は竹を干潟にさして、そこにくっついた牡蠣をたたき落として集め、別のところで育てていく、というものだったようです (「ひび建養殖法」)。んで、現在の牡蠣筏が生まれたのは1940年代だったみたい。新しい方法が開発されるまで300年もかかったんですね。で、牡蠣筏に代表される沖合い養殖法が開発されたことによって一気に生産量が増えたみたいで、大阪とかにも商売に行けるようになったみたいです。「はるばる牡蠣船で大阪まで行ってた」っていうんだからすごいですね。網野善彦先生の本で、「日本は川や海の道使用のほうがむしろ盛んだった」、って記述があったと思うのですが、そんな感じだったのかなぁ。陸上交通機関は発達していなかったので、うまく潮を利用したら海上輸送のほうが早かったのかもしれませんね。


 それで「竹にくっつける方法」から「牡蠣筏ほか沖合いでやる方法」に変わってからなぜ牡蠣の生産量が多くなったか、ということですが..。この辺り、資料館では詳しく書いてなかったので以下、資料館の説明を踏まえつつ勝手な推測です。(※こちらの説明も参照↓)


広島かきの歴史(@小中学生を対象とした学習支援のページ)


 竹を干潟にさしてそこに牡蠣がくっつくのを待つ方法(ひび建養殖法)では牡蠣がくっついた後、たたき落として別の場所で育てなければならなかったんですね。それはなぜか、と推測するにおそらく牡蠣は牡蠣同士がくっつき、ほかの牡蠣をとりこんで大きくなっていく性質があるため、そのまま竹にくっつけていると何個も牡蠣をとることができなくなってしまう、という問題があったからではないでしょうか? (実際、牡蠣養殖の説明パネルの開始地点あたりには中型犬ほどに成長した牡蠣の殻が展示されてました)

 以上を裏付けるのが「ひび建養殖法」に変わって登場した「杭打式垂下養殖法」の特徴を表している以下の記述です。


これは,干潟に高さ1.3〜1.8mの棚を作り,2mぐらいの針金に貝殻と竹の管を交互に通した連をぶらさげ,かきを付着(採苗)させ,成育を待って収穫する方法がとられました。これが杭打式簡易垂下養殖法です。


  
 こうやって「貝殻と竹の管を交互に通」すことによって貝同士がくっつくのを防いだのだと思います。それで生育途中で牡蠣をたたき落とす手間がなくなり、「そういった手間がかからないのなら浅瀬でなくてもできるぞ」、ということになったのかな、と思います。 で、この方法がそのまま筏法にも応用されて沖合いで養殖できるようになり、漁場面積が拡大したことで生産量がアップ、他県に売りにいけるほどの商売になった、と。



.....いやぁ、文明ってすごいですね。


 そのほか、八木用水などやせた土地を開墾するために要した苦労を見たり、原爆投下後の復興の様子を見ているとなんか目頭にじわっとくるものがありました。「あたらしいものを一から作り上げるということにかけた情熱」みたいなのを感じたのかなぁ..。

 一個前のエントリで福耳さんとちょっとお話してますが、そう考えると大量生産というかそういう方法を作り上げていった人々にも同じような努力とか情熱の歴史があったのでしょうね(プロジェクトXっていうか..)。この辺のギロンというのはアートとデザインの関係にも似ているように思います(cf.ウィリアム・モリス、「Arts & Craft」)。なので、その辺も絡めてエントリアップするかもしれません。(ちょうど白田さんもその手のお話してるし)

 あと、メモ的に。「広告(≠付加価値)なしでも」ってところはkakiharaさんのエントリも絡むかな。



 って、話がそれたので戻ると。肝心の市民球場の展示はいまいち、というか個人的にそれほど感じるものはありませんでした。ただ、初優勝のときの写真に江夏がいたは感慨深かったです。あと、ブラウン監督の投げたベースが飾ってあったのはいい味だしてたなぁ...。(吉田戦車の「ぷりぷり県」みたいだった)

 
 

タグ:広島 歴史
posted by m_um_u at 17:45 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク