2007年07月30日

その気持ちを救うのは....

 今日はなんか涼しくて頭が働くのでいまのうちに。

 先週の金曜ぐらいに福岡に持ち帰られた平和の火についての番組を見た。ぼくは知らなかったけど、平和の火を持ち帰ったのは福岡県星野村の山本達雄さんという人らしい。山本さん宅に保管されていた火からいろんな土地に分家して行った、と。


星野村の「平和の火」全国に広がるが…〜原爆への悲憤の思いどう伝えるのか〜

一九四五年八月六日、召集で広島県内の駐屯地にいた山本さんは広島原爆を目撃。書店を営んでいた叔父の消息を求めて、広島市街地に入り、駆け回る。
 黒焦げの死体、うめき、助けを求める声。目の前に「いまだに心の整理がつかない」と語る惨状があった。
 九月、帰郷に際して山本さんは、一片の形見を求めて叔父宅跡に立つ。避難壕のあった辺りを掘るとぬくもりがあった。壕には本や豆炭が置かれていた。火種を見つけ、息を何度も吹きかけると火が起きた。その火を携帯していたカイロに移して、列車に乗った。「この火で殺されたと、ばあちゃんを納得させる」
 原爆の残り火は、六八年に村に引き継がれ、現在は村内の高台にあるモニュメントの「平和の塔」で静かに燃え続けている。 「恨みの火」は、被爆者の供養の火へ、さらには平和を祈る火へと、山本さんの心のなかで昇華した。

 

 1ヶ月近く市街地をさまよったけど叔父さんの遺体も遺品もなにも見つからず、ようやく辿り着いた叔父さんの家で見つけた火をカイロに入れて故郷へ持ち帰った、ということらしい。

 リンク先記事の引用部分では「恨みの火は平和を祈る火へと昇華した」と結ばれているけれど、番組を見た感じではそんなに簡単なことでもなかったみたいだった。

 白黒の映像の中で、囲炉裏の火をじっと見つめる山本さんの目、やせこけた頬にはなにか鬼気迫るものが感じられた。そして、実際その後のインタビューの中で山本さんが感じていたのはとても深い恨みの気持ちだったことが明らかにされていった。

「この火を残していたのはいつかアメリカに復讐してやろうと....その思いを忘れないために火を灯し続けていたのです」

 そのようなことを語っておられた。

 それを聞いた息子さんは少なからずショックを受けていたようだった。

「いまや“平和の火”として長崎や広島の平和活動の象徴的存在となった火にそんなに深い思いが込められていたとは....」

 そういう気持ちがあったみたい。

 亡くなる少し前には子ども達に向かって戦争体験を語りつつ「二度と戦争をしないと誓ってください」というようなことを言っていたお父さんの姿が念頭にあっただけに、ショックもひとしおだったんだと思う。


 でも、そんな恨みの気持ちをもっていた人が平和運動的なものに火を使われるのを承諾し、「戦争を二度としない」ということを第一義的に考え、子ども達にお願いをするまでになっていったということ。

 このことについてなんかぼんやりと考えたり....


 山本さんははっきりとは語っておられなかったけど私憤的な気持ちが義憤(あるいは公の怒り)的なものにすり替えられて行く過程に違和感を持っていたみたい。

「たしかに平和...戦争をおこさないということは尊いことだけど、オレが火を持ち帰ったのはそういうことのためじゃない。それはオレの気持ちじゃない」

 そういう気持ちが言葉の端々から伺えた。


 以下は勝手な推測で、ご本人や遺族の方の気持ちを害することがあるかもしれないけれどそれを覚悟で話を進めさせてもらう。(※該当箇所になにか問題があった場合は修正、もしくは削除いたします)


 山本さんが火を点し続けてきたこと、それによって復讐の気持ちを保ち続けてきたことのは山本さんが山本さんご自身を許せなかったからではないか?

 あのとき叔父を救えなかった。あるいは叔父の遺体や遺品を持ち帰ることができなかった自分の事を責めておられたからではないのか? その気持ちをアメリカへの恨みの気持ちに転嫁させていたのではないか?

 ヒロシマやナガサキを生き残った人には少なからず「生き残ってしまった」という罪悪感があるという。その気持ちが山本さんを苦しめ続け、それを忘れるために「“生き残ってしまった”自分にできることはアメリカに復讐することだ」と思っておられたのではないだろうか?



 そう思うと「恨みの火は平和の火に昇華した」というのはちょっと違うように思う。

 これだと「平和を願う気持ちのほうが恨みよりも尊い」(復讐の気持ちはなにも生まない)みたいなことを言っているだけのように思うけど、そんなに簡単というか......悟りの境地みたいなものに達っせられるものではないよ。

 やはり悔しいし憎い、悲しいし怖いよ。あのときのことを思うだけで怖いし、自分が許せないんだろう。

 そういう過程は悟りのような気持ち、「全てを赦せ」みたいな気持ちからは程遠いのかもしれないけど、でも、そういった過程を経たからこそ伝わるものもあるんじゃないのか?

 事実、山本さんは最終的に子ども達に平和な世の中のことをお願いし、(言外にだが)アメリカのことも赦すというような気持ちで旅立たれていった。


 けっきょく結論としては同じだけど。でも、やはり違うだろう。

 なにより山本さんご自身の気持ちが救われたかどうか、ということがある。


 誰か訳知り顔の人に「復讐の気持ちなんぞ意味がないのでやめなさい」なんて言われても、そして言葉としてはそれが分かっていたとしてもすぐに納得できるようなものではないだろう。

 けっきょく山本さんを赦せるのは山本さんご自身だったし、あるいは同じ経験をしてきた人々の言葉、もしくは時間の重みのようなものだったのかもしれない。


 そういった過程を経て生まれた思いや言葉というのは強い力を持つ。一人の人間の気持ちが公の「正しい」気持ちにすり替えられ生まれていった狂騒よりも、「恨み」という個人的で、世間的に見れば間違っているかもしれないけど、個人としては十分な理由がある気持ちのほうがよっぽど真実のように思う。

(そして、そういう人がお願いするからこそ「戦争をしないでください」という言葉には価値がある)


 

 そういえば別件で同じように若い世代にお願いをしていた人の姿を見た。


クローズアップ現代 7月26日(木)放送 80歳の日本一周 〜ある老人の残したメッセージ〜


 「それまではざっくばらんに自転車仲間同士として話をしていた原野さんが戦争の話の終わりごろになって急に居住まいを正してお願いしてきたのが驚きだった」

 そう言った若者(?)の姿が印象的だった。



 そして原野さんも、山本さんももういない。

 彼らの気持ちは彼らにしか救えない(あるいは同じような体験をした人の言葉によってしか救われない)のかもしれない。そして、彼らはもうこの世にはいない。でも、彼らの気持ちを汲むことによって、少しでもなにかが救われていくのかもしれない。

 それは彼らの霊とかそういうことだけではなくて、その気持ちに同調したわれわれの気持ちを救うことになるのだろう。







 蝉の声がする...今年も夕凪の季節が来た




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関連:
【平和の火】

※山本達雄さんの火への思いについて。




『夕凪の街 桜の国』麻生久美子 インタビュー | CINEMA COMIN'SOON シネマブログ



muse-A-muse 2nd: 久間とりっくす! (歴史認識におけるバックラッシュ?)

※<感情と実務的なオペレーションは並列する(レイヤーが違う)>ということについて。「感情的になるな」ではなく、感情は感情レイヤーにおいて燃やし続けるべきなんだと思う。



muse-A-muse 2nd: <ヒロシマ>ということ


muse-A-muse 2nd: 被爆のマリア

 
タグ:ヒロシマ
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2007年07月28日

品乳娘とセクシービーム (「セクシー」ってなんなんでしょうね?)

 mixiで書くとアレなのでやっぱこっちに。

 最近、某ヤギ娘から「セクシーってなにさぁ!(怒)」的話題をふられてちょっと困った事態に陥ったのでこの場を借りて自分なりにまとめてみようかなぁ、と。

 っつーか、ぼく自身、「セクシー」とはほど遠いような風体をしているのでヤギ娘が憤るのもムリないなぁ、とは思うのですが、まぁ、ネタとして。

 最初にいちおいっておくとヤギ娘はいわゆるカワイイ系に属する外見的特性を備えているように思われ、いままでのお付き合いの傾向もその属性に応じたものだったと思うのですが、当人に聞いたところ「いままで付き合ってきた人はわたしのセクシーさを分かっていたのさ。ふだんはセクシーさなんか隠してるんだもんね。だって、いっつもそういうの振りまいてると下品でしょ?」とかなんとか...。

 いや........どうかなぁ......。

 言いたいことは分かるんですよ。つまり、最近はてな某所でちょっと話題になってた「ビッチ」がどうとかいう話とも関連するように思います。


CROOK - 女から見たビッチってそういう定義なの?

CROOK - 根っからのビッチなど存在しない説


 ちょっと「ビッチ」っていう言葉が先鋭的というか、ある攻撃性を含んでるなぁって感じではあるのですが、まぁ、これは「殴らぬオタより殴るDQN」(このへん?)への対立項として半ばネタ的に出てきた話題なので仕方ないかなぁ、と。

 んで、内容についても特に触れず件のヤギ娘との会話に戻りますと、「(ヤギとしては)辺りかまわずセクシーさを振りまいてる女は下品だよね」って認識がある、と。んで、「そういう認識があるのでわたしはセクシービームを(敢えて)封印しているのだ」、と。こう言いたいようなんですね。

 で、「いや、オマエ、それはネタだろ」って感じですかさずツッコミを入れて言ったわけですが、ちょっとツッコミが過ぎたらしくついには「セクシーさなんて一緒に寝て起きたら誰でもあるじゃん!」みたいなことを言わせてしまいちょっと反省したわけです...。
(※補記しておくとヤギ娘とぼくの関係は兄と妹のようなものなので...妹からこういうことを言われるとけっこうキツイ)

 んで、「寝て起きたら誰でもあるじゃん」ってのもツッコミ入れれるところではあったんですが、車中の空気がピリピリしてきてたのでちょっとやめておきました。

 で、

 改めて思うに、やはりヤギはカワイイ系ということで満足しておけばいいんじゃないかと思うんですよね。世の中にはカワイイ系というか、セクシャリティを感じさせないタイプの女史がいますね。別文脈ですが分かりやすい表現があったので借りると、お肉系女子と野菜系女子ってやつです。もしくは肉食動物系女史と草食動物系女史と言ってもいい。で、ヤギ娘の場合はヤギなので当然、草食動物になるわけですね。「ヤギなので」っつーか、まぁ、外見的にそんな感じなので...。

 リンク先のお肉系女史の例としてはコーダクミが挙がってましたが、あんな感じの「エロ○○」ってのは出してない(出せない)タイプの女子に属するように思います。....なんつーか、木に登ってユーカリ食ってそうなほのぼのさがある。そして外見的にもほのぼのなんですね。

 「ほのぼの」っつっても全体的に広がりをもっているわけではなく腕の付け根の辺りに子持ちししゃもが育ってきている(?)ってぐらいなものなんですが、それも関連してか胸のほうにはししゃもがないんですね。いわゆるツルペタってやつですが。

 んで、「ロリ顔+ツルペタ+ちびっ子」という三大要素を持っているのでいままで付き合ってきた人はその辺に惹かれたのではないかと思うのですが、その辺のところを聞くとなぜか否定してくるんです。(「わたしはせくしぃよ!」、と)

 
.....いや、もう、ロリでいいじゃん(そういう需要もあることだし)


 で、この辺の話に別件で最近ちょっと仲良くしていただいている勤労者Xさんのこのエントリが絡んできたり..


おっぱい星人 (勤労者Xの憂鬱)


 「世の殿方はすべからくおっぱい星人なのか?」、と。

 女性側から直裁な疑問が放たれているのも珍しいので思わずノリノリでコメント入れてしまったわけですが、あちらのコメント欄でも少しお話したようにおっぱい星人じゃない人もいるように思います。いわゆるロリ系が好きな人はおっぱいに対してそんなにプライオリティを置かないように思うし、あるいは「微乳好き」ってジャンルもあるみたいですね。

 んで、そういう人たちのおっぱい評価というのは「おっぱいは大きさでは形だ!」ってことになるんだと思います。 で、まぁ、おわん型なんだかのおっぱい談義がはじまるわけですが、この辺の類型ってUFOの形状分類にも似てますね。

 っつーか、巨乳賛美を背景に巨大乳が横行する昨今、「貧乳はステータスだ 希少価値だ」、と高らかに叫びたいところなのでしょうね。「ぶらっくいずびゅーてぃふる」よろしく、「乳がないことが貧しいのではない。むしろ、不必要に巨大な乳をまとうことによってセクシャリティが過剰にあふれ出ることを抑制しているわれわれの節制の表れをそこに見よ!」、ということなのでしょうね。その意味では貧乳ならぬ品乳ともいえるのかもしれない。(cf.「国家の品格」、「女性の品格」)

 とりあえず、(一部)男性諸氏の品乳評価としては以下な感じのようです


カナ速 貧乳好きってほんとに実在するの?



 で、

 乳幻想についてはだいたい以上のような感じなんですが、セクシャリティ(セクシーさ)というのはそれとは別の部分にあるように思われますね。「別」というか、「セクシーというのは乳うんぬんも含んだ上で成り立つものではないか」、と。

 「乳の大小」というのが直接的な性的表現としての性格をもっているのに対して、セクシーさというのはもうちょっと抑制され、統制がとれたところに表れるものではないか、と思うわけです。

 んで、連想するのが以下


muse-A-muse 2nd: 九鬼周造、1930、「いき」の構造


 「粋」というのはまさしくそういった抑制の上に成り立つ性的表現であり、それを前提としたコミュニケーションをさすように思うのですが、この中で上述してきたような「かわいい系」というか「草食動物系」(あるいは野菜女史)というのはどういった位置づけになるのか..?


.....「かわいい」系についての記述はない感じなんですが、近いものだと「上品」と「媚態」の関係があるみたいですね。「上品過ぎて媚態を消してしまうと女性的な魅力が消えてしまうのではないか」、と。「媚態」というと「ビッチ」的なイメージがあるかもしれませんが、そういう「エロさ丸出し」みたいな感じではなく、抑制されたオトナの魅力みたいなものとして媚態的な表現(仕草や服装を含めた全体的なスタイル)があるように思います。

 んで、そういった「媚態」というのは「甘え」というか「隙」的なところにも関連しているようなんですね。「上品過ぎる女(男)は却ってもてない」っていう例のアレです。隙がないともてない(話かけづらい)。

 っつーか、「粋」を体現するために必要な前提条件として「意気地」その他のオトナな女(あるいは男)としての立ち位置の確立みたいなのが必要なようで。ヤギ娘がセクシーうんぬんについてなんとか言うのはその辺が確立してからではないかなぁ、と思うわけです。



 まぁ粋うんぬんは別にして、「セクシーさとはなにか?」みたいなこの辺のお話は是非、セクシー大魔王(?)っぽい金蓮さんに伺ってみたいところだけど.....てきとーなTB先が見つからないな。

 よくわかんないけど、「セクシー」で検索したら「セクシー系仏像」のエントリがあったのでこの辺にてきとーTBってみます。


藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - 『くるみのブログ』   カンパニー松尾監督作品



 あと、金蓮さんはこの週末ご実家に帰られるそうで。んじゃ、お返事いただけるとしてもちょっと時間かかるか...。(「んなもん、わたしゃ知らん」とか言われるかもしれないけどw)



 最後にあまり関係ないけど、乳よりも脚を好む層もいるようです。

livedoor ニュース - 【独女通信】バストはごまかせても、脚はごまかせない。美脚になりたい独女必見!

 で、「その部分を鍛えろ」、と。

 っつーか、「地下足袋みたいなのはいてジョギングすると驚くほど下半身の肉がとれる」、と誰かが言ってたのをジョグノートで見かけました。地下足袋はキツイ人はNIKE FREEなんかいいかも。あと、ジョギングじゃなくてウォーキングでもいいかもしれませんね。
 

 

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関連:
muse-A-muse 2nd: 小さきもの、カワユスかな

※上記の話題は「なぜ日本ではセクシーではなくかわいいが尊重されるのか?(セクシーさというものが正当に評価されずロリっぽいものに偏った歴史があるように思うがそれはなぜか?)」というテーマに繋り、関連で「かわいい / クールの違い」なんかがあるように思うのですが今回のエントリでそこまでやるとちょっと逸れ過ぎな感じもするので保留で。(※「保留」といいつつ忘れる鴨です)
 
 
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2007年07月20日

♪ 武田裕之 / アイコに捧げるバラード

 けっこうどーでもいい内容なのでスルーしようかと思ったんですがサトーアイコのことが気になってメモっときたいいのでエントリ上げときます。まずはここから


切込隊長BLOG(ブログ): 佐藤藍子「私もジャーナリズムへの過大評価だと思ってました」


 なにやら武田さんの記事にガトーさんが噛み付いている、と。これっすね


「事実主義」こそ、ジャーナリズムの敵だ (タケダジャーナル):NBonline(日経ビジネス オンライン)

ガ島通信 - 武田徹こそ史上最強のジャーナリスト


 んで、まぁ、隊長も「どーでもいいんじゃね?」って感じなぐらいのローテンションで確かにどーでもいい内容な訳なんですがエントリに起こすのでいちおその理由を説明しておきましょう。


 まず最初の武田さんの記事ですが、論旨としては以前の記事からケイゾクして「メディアを疑え!」というか「既存マスメディアを疑え!」って視点ですね。それを一般記事用にわかりやすく(かつ少しセンセーショナルに)まとめている、と。

 っつーか、前回の記事からの続きとして「完璧じゃない報道があってもいいんじゃないか?」って話を展開されてますね。この辺はまぁ、どーでもいいかなぁ、と。「どーでもいい」っていうのはこのギロンはジャーナリズム論的には既出というか、「報道に完全客観はあり得るか?」という命題に接続できるんですね。んで、この手の話をする場合は前提としてその領域におけるそれまでのギロンを参照すべきだけど、その辺は特に言及されてないので。まぁ、「内容薄いな」、って感じですな。

 って、「一般用に分かりやすく」ってことなんだろうから仕方ないのだろうけど(文字数も限られるし)、でも、たいした内容じゃないことは武田さんも自覚されているはずです。

 んで、その「たいした内容じゃない」記事にガトーさんが噛み付いてるんですね。

 「たいした内容じゃない」とは言っても全体のテーマである「未完全な記事はジャーナリズムとして成立するか?」という部分についてギロンを挑んでいくのなら正統なギロンが成り立つのでしょうが、どーも、ガトーさんは枝葉に拘っているみたいで・・なんか、「話にならないな」って感じなんでしょうね。

 とは言っても、「表出された記事から何を読み取るかは解釈の自由」、といえるところもあるんだけど・・・それリテラシー論的にもびみょーですからね。(まぁ、ガトーさんのメディアリテラシー理解ってあんな感じだから仕方ないのだろうけど)

 枝葉というか自分が気になった部分について自説を展開するのも自由だとは思いますが、やはり「テクストのメッセージをなるべく誠実に読み取った上で」というのが前提条件になるのではないでしょうか? その意味でガトーさんの呼びかけは伝わらないだろうな、って思います。


 で、上記は主にコミュニケーション(あるいはギロン)における作法の問題ですが、それとは別に武田さん、ガトーさんが展開されている(あるいはしようとしている)ギロンの内容の部分の問題がありますね。

 「メディアを疑え!」というところではお二人とも共通しているのですが、お二人の中で「blog」と「フリージャーナリスト」の位置づけが違うのだろうな、って感じがします。

 武田さんの場合は、「フリージャーナリスト > 既存マスコミ(メディア企業)によるジャーナリズム > blogなどのアマチュアジャーナリズム」、って感じで捉えておられるように思うのですが、ガトーさんの場合は、「フリージャーナリスト ≧ blogなどのアマチュアジャーナリズム > 既存マスコミ」って感じなんでしょうね。で、「オマエ、blog舐めてんのぉ〜?」って感じの憤りを感じておられる、と。

 まぁ、双方ともびみょーに感じるのですが、その理由についてきちんと示しておきます。

 まず武田さんのほうですが、これでも読んでからギロンされてはいかがでしょうか?


マスメディアの周縁、ジャーナリズムの核心
林 香里
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 既に読んでいる場合は明確な反論理由を示していただきたいです。そうしないと話にならないな、と。(ジャーナリズム論的には)

 そういえば弟子筋(?)の赤木さんもblogのことを見下したようなコメントを入れられてましたね。


どうぞ、何の責任もないブログの海の底で、鈴木謙介のお友達になった夢でも見続けてください。



 まぁ、武田塾の認識はこの程度なんだろうな、と。そう思います。(赤木さんも少し前までいちbloggerにすぎなかったのにね。いまも似たようなもんだし)



 で、次にガトーさんですが。ガトーさんの場合は例の徳力さんラインかなんかのプロジェクト「blogに責任や継続性をもたせよう」計画に関わっているのでその辺で憤りのようなものを感じられたのかもしれません。でも、前にこちらのエントリにもあった通り


finalventの日記 - 私が言うと誤解されるんだろうけど(リライト版)


 びみょーっすよね。(以下、ちょっと長いけど重要なので引用)


日本の言論の構図では常にいくつかの派閥的なジャーナリズムや出版界に事実上従属していた。知識人は、ジャーナリズムの限界やそれを越える知識を持ちながら、ある種のコードを出ない。また、そのコードが事実上、金銭的な知識のマーケットを意味していた。

 これに対して、プリミティブなブログシーンは、しだいにそうした枠組みを自然に超えつつある。マスの動向やマス操作的な情報にも自然に警戒的だし、知性に対しても、それが知的であるとされる既存社会コードから、より身近な問題について真摯に対応しつつある。理由は、彼らが毎日ブログをしているからだ。ブロガーは、コメント欄やトラバ、SBMなどの明示的なコミュニケーション関係よりも、各種の小さな島のような各種のブロガーが発する話題・関心の流れのなかで、常に小さな自己が表出的に問われるように思考している。その結果としての表出は知的ではないかもしえれないが、アクチュアルであるし、この過程から見てもわかるように共同体志向的である(この共同体的性質はおそらくある種のセンスあるいはリテラシーとして結実しつつある)。

 そして、そのようなブログシーンに人が存在する条件は、単純に、毎日と限らなくても、ほぼ毎日ブログしていることである。そうではないマスや知識人は、日々のブログの流れが読めない。だが、ブログの流れが読めない人がブログをマスや知識人市場で語ることが多く、それはブログの内側の感覚からは異和感のようにしか受け取れない。

 ブログのなかで生きている……それはネットの中に生きているというのではない……という感覚が一定数産まれるなかで、それが非知的に見えても、具体的な生活に根ざした思想という点でもっとも本来的な思想活動になりうる。思想とは現実の「私」の生きがたさからしか発しないし、それを発して受け取る人の運動(「私」を具体的に越えていくこと)のなかでしか生き生きと現れえない。



 これの元エントリではしっかり個人名上がってて、「たとえばガトーさんなんかはそういうブログシーンから離れてしまっているのではないか?」、という疑義が呈されていたのですが残念ながら元記事消えちゃいましたね。(....チューチュー言うから)


 んで、「ガトーさんはブログシーンから離れているのではないか?」について、まず同意します。彼はいつの頃からか知らないけど人のTBやコメントに反応しなくなったみたいなので、どうやってもブログシーンとは乖離しているでしょうね。「ブログで起こるさまざまな事件をROM的に見てまとめる人」、って感じになってしまってます。それは有名税的な炎上を避けるためなのだろうけど、そういう彼がブログの可能性について語るのはなにか滑稽な感じがしますね。

 で、彼の想定している「ブログの可能性」ですが、具体的にはアメリカ的なblogを目指してるんでしょうね。でも、前にもちょっと言ったけどアメリカ的なblog利用というか、言論への感覚というのと日本的なそれとはちょっと違うように思います。

 あちらはblogエントリそのものをコンテンツとして昇華させる傾向があるように思うのですが、日本はどうやってもコミュニケーションツールの延長って感じがするので。それはどちらが良いとか悪いとかそういう問題ではなく、そういう傾向の違いがある、というだけのことです。blog登場初期には「日本のblogは日記文化的なものの延長になるだろう」といわれた例のアレですね。で、実際そんな感じになってる。(っつーか、日記以下かも)

 それに対してアメリカのblogっていうのは・・なんつーか、second workって感じなんですね。なので、別にマネタイズされなくてもbloggerの本分は貫くように思います。マネタイズが彼らの責任へのインセンティブになっているわけではないと思うんですよ。

 確かに、結果的にこんな感じでお金とblogは繋がってきてるみたいなんだけど、


あの有名ブロガーはいくら稼いでいるのか? | P O P * P O P


 それはあくまで「結果」であって副次的な効用に過ぎないように思います。(っつーか、徳力さんたちが進めようとしているマネタイズの額と桁が違いますね)


 んで、こういうと赤木くん辺りが「ほぅら見たことかぁ。やっぱり日本のブログは無責任なんだぁ」とか言ってくるかもしれないけど、それとぼくの責任意識とは別ですからね。blogの可能性、ジャーナリズムの矜持について考える側の人間が自分の書くものに責任もたないわけないでしょ。(赤木くんあたりは上記の論理をもって、「ぼくもネット世界ではネットの毒にやられて無責任にならざるを得ないんだぁ」、とか言いそうだけど)



 その他、武田 - ガトー問題についてこの辺で論じました。(主にガトーさんの脇の甘さについて)

muse-A-muse 2nd: ♪ たけだ がとー たかぎー (← 例のCM調で)



 で、


 ようやく本題なわけですが、例のしったか後だしジャンケン女王であるサトーアイコ嬢について


越えられない壁( ゚д゚):【佐藤藍子】 “知ったかキャラ”がネット上でも意外に受けている - livedoor Blog(ブログ)


 リンク先エントリでも指摘されているように、なんかやけにいろんなことを知ったかしてるみたいなんだけど、単に「知ったか」ってわけではなくてほんとに知ってるのかもしれない....。むしろそっちのほうがちょっとアレげな感じもするんだけど。

 なんつーか、女寺門ジモンみたいになってきてるんですかね? で、「アイコ、その路線で大丈夫なの?」とマネージャーみたいな心配をしてしまうわけだけど本人がそれでいいならいいです。

 そういえば以前「ごきげんよう」を見たときにサトーアイコさんがゲストで出てて、サブちゃん(北島三郎氏)から馬をせしめてました。例のしったかしらずか攻撃で「わたし、馬にも興味あるんですぅー。乗馬好きー」と馬主サブちゃんにすり寄り「じゃあ、オレの馬やるよ」と言わしめてました。

 「世渡り」って感じもするけど、なんかキャバ嬢みたいだな、と。そういう意味では現在OA中のドラマ「女王」辺りのオファーがあってもよかったのかもしれないけど、サトーアイコさんというというフェロモン度の面でびみょーなところがあるみたいですね。「じゃあ、壁女辺りどうだ?」って感じなんだけど、これもとられちゃってますしね。

 っつーか、ほんとにサトーアイコさんは現在どういう立ち位置にいるのだろう? 言ってはなんだけど演技的にも別にそんなに(....ごにょごにょ)。歌とかバラドルっていうのとも違うし....はなちゃんとか緒川たまきさんみたいな文科系女子路線とも違うっぽいし....。やっぱ「女寺門ジモン」への道を歩んでいるのかなぁ。。

 どうせなら女グッチ祐三みたいになって趣味と実益って感じになればよいのだろうけど、そこまでの趣味レベルではないのでしょうね。


 「趣味」といえばガトーさんの当該エントリのタグも[趣味のジャーナリズム]ということでサトーアイコ化というのはけっこういろんなところで拡がっているのかもしれません。




♪ 武田哲也 / 母に捧げるバラード 

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2007年07月17日

「赤木が来たりて笛を吹」・・いて帰った

 不毛なやりとりを続けてると心がささくれ立ちますね。っつーか、なんかが零れ落ちていくのか?

 で、それ補うかのようになんか「ほのぼの」したものをぼけーっとながめたり


なんかほのぼのしたものたち


 ぼくもこういう話を中心にできればいいのだけれど・・血なまぐさい性格なのかな?


 まぁ、よくわかんないけどけんか腰でこられるとそれ相応の態度で返しちゃうんですよね。


muse-A-muse 2nd: ♪ しゅふになりたぁい (?)

muse-A-muse 2nd: 蹴りたい赤木



 最初のエントリは、「主夫という言葉をお気楽に使って、ただでさえ就業上劣位な条件にある女性に“オレを養え”というのはどうなの? (鈍感じゃないの?)」、ってエントリだったわけですが、なんかぬけぬけと反論(?)してきたのであきれ返っちゃって次のエントリ立てたわけです。

 っつーか、「女性がキャリアアップの面で劣位なのは、女性が男性を養わないからです。」、という言葉にびっくりしたわけですけどね。


 この人の考えだと扶養家族がいる女性は就業上の条件がゆるくなったり、もしくは既に就職している人は容易に給料がアップするみたいなんだけど、だったら母子家庭の人とかは優遇されるんですかね?

(もうすぐ母子家庭用の社会保障が打ち切られようとしているのに....)


 そして、現状を打開するために資格をとってもその資格が認めてもらえないような職場にいる女性もいる...。(努力しても報われない職場)


その理由としてはその職場特有のさまざまな事情があるのかもしれないけど、その中に「女性であること」(「産休で休む」、「子どもとかなんやらなにかあったらすぐ休む」、「身体的無理がきかない」)などに対する偏見があるわけですよね。

 その偏見が積み重なって女性のキャリアアップが阻まれている現状が多いわけなのに、彼はそういったことを全て無視して、「扶養家族が増えれば給料上がるっすよ(情状汲んでくれるっすよ)」、とのたまうわけです。



・・・・・キレかけますよね (特に母子家庭な女性は)



 そんな職場があったら是非紹介していただきたい。

 男女同権的な外資系でもこの辺の悩みは依然として解消されてないところが多いというのに。。この鈍感さ、無神経さやあつかましさは無知のレベルを超えてますよね?


 そして、コメントの応酬でもやたら自分のプライドや「自分に対する評価が下がるかどうか」などということだけに固執している様子が伺えて、「ほんとにダメな人だな」、と思ったわけです。


 以前にもこういう苛立ちは表したのですが・・(@3月ぐらいのmixiの日記)。このときから全然成長していないようでさらにイライラしたんですね。・・ってか、この人ほんとに使いつぶされるだけなのかもしれないのに、その危機意識ってないのだろうか? (鈍感だから?)


 いまのうちは「客寄せパンダ」的なセンセーショナリズムとして少しは拾ってもらえるかもしれないけど、このままではすぐに飽きられるでしょうね。(ストックがないから)



 全然努力の片鱗が見えない。。




 で、「努力」という言葉を使うと彼は「自己責任っすか?弱者は死ねというのですかぁ?」と○○のひとつ覚えのように繰り返すのですが・・・・なんというかねぇ。。


 まず、最初に小中高(あるいは大学)と段階があって、この中で「努力すれば報われる機会」があったはずなのにその間遊んでたわけですよね?

 次に、大学かなんか出て就職という段階になって。ここで不運にも就職氷河期にぶつかった。で、それまでのふつーの人に比べて就業機会がすくなくなったため(彼が言うところの)「弱者男性」的地位に甘んじざるを得なくなった。「がんばっても報われなかった」、と。


 この辺りは同情します。「ふつーより不運だった」ということですもんね。 でも、現在はどうなのか、と

 さっきも言ったように、彼はいまがんばればなんとかできるかもしれない状況にいながら努力の片鱗が見えないんですよね。


 これは・・・どう解釈したらいいんでしょうね?


 彼の論理に従えば、「努力を要求するのは自己責任論なんだ!」(「全てオマエが努力しなかったせいだ」、ということで弱者を切り捨てる思想なんだ!)ってことなんですが・・・・ちょっと違いますよね?


 ぼくの視点は「努力うんぬんに関わらず弱者を切り捨てるのはどうかな」ってことでビッグイシューなんかも毎号買ってるわけだけど....それとは別にやはり努力が努力として評価されなければ努力してる人って報われないですよね? そして公正性というものが通らない社会になる。

 ワーキングプアが問題なのは「努力しても報われない」というところ(つまり「公正性にもとる」というところ)にあるのに、彼はその前提である「努力」の部分も捨て、「とりあえずオレさまを救済しろ」とのたまうわけです。


 で、「なぜ?」ってことになるわけですが....。



 彼の理屈では「それがお金持ちの義務」ってことなんだけど、ぼくはお金持ちではないし社会の大半の人はお金持ちではないですよね? そしてお金持ちにもそういう義務はない....。

 もしも弱者救済の義務というか責任があるとしたら行政機関や、そこが動くための理由付けとしての法の精神に関わるところだと思うんだけど・・(「全ての人は最低限の生活を送る権利がある」っていう基本的人権の尊重ってやつですね)


 なので、その責任やら義務というのは個人に帰するものではないと思うわけですね。それらの問題を引き受けるために法があり、それを元にして行政が動くはず。


 こんなの中学校レベルの知識だと思うんだけど、なぜ彼はこんなことを言い出したのだろう?


 いや、デモンストレーションというかパフォーマティブに「いきさせろー」と叫ぶのはありだと思うんですよ。でも、常識としてその要求対象が個人であることはありえないと思うんですね。「なぜ女性がナマケモノでさしたる魅力のないあなたを扶養せねばならないのですか?」、ということです。


 で、「ネタなのかな?」と思い彼の本気を引き出したくてしばらく挑発も交えながらコメントのやりとりをしていたわけですが、やはり本気だったみたいなんですね。


 ってか、最後まで「強者女性は弱者男性(オレ)を養うべきだー!(っていうか義務)」という姿勢を崩さなかったわけですが、さっきも言ったように彼女たちは男性よりも大変な努力をしてその地位を掴んだわけであり、出産ということを通じていつその地位を失うか(あるいは本人がやる気をなくすか)もわからないわけですからね。

 その他モロモロの論点はこちらで考察されてますけど


Ohno blog(2007-07-09):結婚と経済


 やっぱ依然として「男性が優位」か「一部女性は男性と並ぶほどになった(かも)」って程度で、女性全体で見れば就業機会・就業後の収入面の問題・職場における男尊女卑な問題などなどはあるわけですから、そういう女性に(さしたる努力もしてない人が)依存するのはどうかな、って思うわけです。


 で、「主夫というなら家事その他とか自信あるのー?」って聞いたわけですがその部分についてはお答えいただけなかったんですね。・・じゃあもうどの辺で適正判断しろというのだろう??


 やっぱ「オレさまがオレさまであるところの魅力で主夫にせよ」といっておられるのかな?

 「弱者救済」ということについても同様で、「オレ様がオレ様であるところの魅力に免じて救済せよ!」、と?

 
 ってか、両方とも「義務」ということなんだけどよくわかんないんすよね。坊さんとか仏様とかなのかなこの人は。「喜捨せよ」、と?(そういやどっかに仏好きの人いたなぁ。。)

 でも、坊主も仏も修行してるしなぁ。。(だから魅力あるんだよなぁ)



 で、まぁ、「よくわかんないな」って思うわけですが、最後までよくわかんなかったのがこの人の相手に罪をなすりつけようとする態度ですね。

 なにか、相手の良心のようなものをくすぐり、それを人質に要求を通そうとする戦略のようなんだけど・・・それって脅しですからね? そういう論法しか学んでこなかったのかなこの人は....。


 あと、コメント欄最後にも書きましたがみょーなプライドや人の目(自分への評価)を気にしすぎですね。その部分を気にしすぎて人を負かそうとしたり、陥れようとするレトリックが多くてほんとに辟易だったわけです。

 で、「誠実じゃないな」と思ってそれ相応の態度をとらせていただいたわけですが、ご本人からすればそれが「不誠実だ」、と。っつっても、あなたの不誠実さに応えただけなのであなたの写し鏡のようなものなんだけど..。それを見て「不誠実」と感じたのだとしたらそれはあなたが人からそう見られているだけなのではないでしょうか? (ってか、大部分の人は巧妙にだまされているのか?)


 というよりも、繰り返しますがコミュニケーション能力と知識に対する意欲やお勉強量そのものを向上させないとこの先まずいのではないでしょうか? (いや、正味な話)

 まぁ、一発屋で終わるつもりならそれでもいいですが、すこしでも真面目に自分の将来や、自分の唱える格差社会論というものについて考えるつもりがあるのならばもう少し研鑽を積む必要があるでしょうね。

 というよりまずはコミュニケーション能力ですかね。話はそこからかも
 
 


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2007年07月16日

蹴りたい赤木

By learning to discover and value our ordinariness, we nurture a friendliness toward ourselves and the world that is the essence of a healthy soul.
-- Thomas Moore



For visions come not to polluted eyes.
-- Mary Howitt











 もう、あまりにもバカバカしくて華麗にスルーしようかと思ってたんですが、あたらしくいただいたコメントが予想のはるか斜め上を突っ走るバカバカしさで今日の初笑いをさせていただいたのでお礼に新たにエントリ立てとこうかな、と思いまして。(以下、一個前のエントリのコメント欄から)


 いや、なにが驚いたって



 女性がキャリアアップの面で劣位なのは、女性が男性を養わないからです。




 もう、ビックリしちゃった。


 すごいな。こんなこと言える人いるんだ。えーと、いちおこの主張にいたる彼の言い分を見てみるとですね


 戦後日本において、給料とは決して「仕事の優秀さ」に応じて設定されてきたものではなく、
 「いかに社会責任を負担しているかor負担が求められるか」に応じて設定されてきたものです。
 だから「家族を養う男性」の給料が多いのは当たり前のことです。
 給料は男性個人のものではなく「世帯」のものであるからこそ、「夫婦間での年金を均等にする」などという芸当ができるわけです。

 ですから、私は女性の地位向上のためにも、強者女性が弱者男性を養う、すなわち社会責任を負担する姿勢を見せることが重要だと考えています。



 つまり彼の言うところによると、「現在、十分な給料をもらってない人たちでも誰かを扶養するようになれば十分なお給料をもらえるようになるよ」、ということのようですね。


 なんでしょうね。格差社会論みたいなのを唱える人がこんなこと言うとは思わなかった。すごいな。アメリカで先行する格差社会の情況もこの新たな理論を導入すれば一発解決だ!! (取材されてたおっちゃんはもっと子どもを増やせばいいんだね!)



 「生めば報奨金が出るよ」ってシステムは...なんだろな? 中国の一人っ子政策の逆みたいなのかな? 狩猟社会かなんかだったらもてはやされるのかもしれないけど、いやぁ、いまどきそんなことを真面目に言ってくる人がいるとは思わなかった。


 さすが「芸人」っすね。




 つか少し真面目に応えると、あなたがそれを一番に実践してみてはどうですか?(それでハーレムでもなんでも作ればいいんじゃないですか?)



 いや、もうビックリしちゃって......どうしよう.....ある程度まともに相手しようかと思って用意してた枠組みを全部吹っ飛ばすような起爆力ですね。

(いちおちょっと真面目に答えると、それは原因ではなくて結果ですよね?)


 あと、コメント欄でその後もごにょごにょと何か(ネタ?)つぶやいておられるようですが、人の質問にまともに答えない人には答える気が起きません。(ぼくは、「あなたには主夫としての魅力、たとえば家政学の知識や技術はあるのですか?」、と聞きましたよね?)



 あと「結婚とモテの混同はいいかげんにしてください」もなにも、ぼくのエントリは元々そういう筋立てだったのをあなたが勝手にミスリードしてあなたが主張したいことを主張されているだけなのでこちらとしては応えようがないですよね?


 っつーか、そういうところが「モテないんじゃないですか?」ってことなんですが?


 だって、あなた(赤木智弘さん)は自分のエゴを主張するだけで相手の主張を聞こうとしないもの。女性とのコミュニケーションもそうなのではないですか?(セックスとかも)

 前のエントリではそういうことを暗に含ませていたのですが、まぁ、わからなかったでしょうね。人の言うことなど聞こうともしないあなたですからね。


 あと、ものすごくアレげな発言をされているのでいちお拾っておくと、


 私は「結婚」の話をしているのだから、「モテ」だけに限る意味がないし、「モテ」の話をするなら、経済力を持ち出す意味はないのですよ。

>「結婚を前提としたお付き合いのためには経済力が必要」

 って、自分で書いているじゃないですか。



 の「自分で書いているじゃないですか」のところですが、これはぼくが(全体的に意味不明なあなたの主張の中から)あなたの言いたいであろうことを汲み取って、その上で譲歩してあなたの内なる声を拾い上げただけですよ? なので、ぼくの主張はその前段の部分にあります。

 これは基本的なコミュニケーション能力に関わる部分ですよね?


 あと、「さっぱり意味がわからない」部分はあなたがそれだけ鈍感で不思議ちゃんなだけですからそのまま意味がわからない状態でいればいいと思います。セキュリティゆるいな、って感じです。(あるいはぼくがやったように、こちらの言いたいことを汲み取って解釈してみてはどうですか?)




 あと、全体を通して思うんですが。あなたはなぜ最初からケンカ腰なんですか? podcastを通して聞くあなたはほんとに気弱で虚弱そうな青年という感じなのですが、その反動ですか?(「ネット上の人格」というやつ?)

 blog全体をみたらわかると思うのですが、ぼくは格差社会に対しては問題意識を持っている側の人間だし、そういうことで言えばあなたが目の敵にしている(参照1参照2)鈴木謙介氏にしてもそうだと思うのですが?


 あなたはぼくに対して「誹謗中傷」という言葉をたいした考えもなく使いましたが、そういうことで言えばあなたが上記リンク先エントリでやっていることこそ誹謗中傷なのではないですか?

 それともあれですか? あなた特有のジャイアン理論。「オレはよくても、のび太はダメー」ってやつですか? それで、わけのわからない歌をボエーっと唄う、と。

 「わけのわからない歌を唄う」ということに関して言えば、現在ぼくがしていることもそれに当たると思いますが、これはあなたが対話の相手としての資格を有しない、と判断したからです。「礼儀もわきまえない」、「人の主張を聞こうとしない」、「対話を通じて両者の共通点(妥協点)を探ろうとしない」、ただ「勝ち負け」のみに終始しているような人はもはやネタの対象でしかありません。


 そういえば前にそんな人いたなぁ。。あぁ、この人も「匿名」というところに固執してましたね。オグたんとノブたん


muse-A-muse 2nd: 「匿名 / 実名」の二元論トラップ

muse-A-muse 2nd: 市民社会と制度について(ジャーナリズム論承前)

muse-A-muse 2nd: まん延する「匿名ネットこわいね」論について


 赤木さんは「匿名」という言葉をさして考えもなく使っておられるようなので、こちらのエントリでも参照しておいたらよいのではないでしょうか?(っつーか、武田さんもそれに拘ってたように見えたけど武田塾ではみんなそうなの?)


で、オグたんといえば最近新たな発見があったようで


真性引き篭もり/entry:結果としての小倉秀夫。


「間違い」こそが結果としての小倉秀夫であり、「誤り」こそが結果としての小倉秀夫なのである。無邪気で陽気で垢抜けない一人の小洒落た弁護士が、ブログというインターネットの荒波に飲まれ揉まれして漂った結果、「間違っていること」を誤認すり替えあらゆる手段を懸命必死に駆使してまでも、主張しブログを書き続けている、という結果なのである。



 つまり、レトリックを駆使することがギロンだと思い込んでおられるようですね。本来ギロン(および弁証法的な思考過程)においては「結論」とはテーゼとそれに対するアンチテーゼを止揚した結果として表れるもののはずですが、この方のギロン(あるいは論理)というのは「結論」がまずある、と。「ギロンとはそれを守り隠すための小細工に過ぎない」、ということのようです。


 あなたもそうなのではないですか?(赤木さん)


 それに対して、あなたは○○のひとつ覚えのように「アナタモソウナノデハナイデスカ?」と繰り返してくるでしょうが、残念ながらあなたに対してだけです。より正確に言うならば、あなたのように対話に値しない相手に対してはこういう態度をとらざるを得ません。(あまりにもくだらないので)

 それはほかのエントリのコメント欄を見ればわかることと思います。


 もしくは、あなたが「勝ち負け」というところに拘らない態度を見せてくれるなら対話を続行してもいいですが、どーでもいいプライドに拘ってわけのわからない理屈を唱えるだけならこれ以上付き合う必要もないな、と。そう思うわけですね。

 それであなたが「わぁ、あいつ逃げやがったぁ(ぼくのかちだぁ)」と思いたければどうぞご勝手に。「幸せな人だなぁ」、と思うだけです。



 というよりも、ほんとにちょっと心配なんですけど、あなた、ちょっと大丈夫ですか? なにかコンプレックスがあるみたいんですが、それはやはり真性引きこもりさんが言うように「誰かが抱きしめてあげないとダメなんだよ!」ということなのでしょうか? だとしたら美少女ネゲットとか真剣に狙ったほうが良いのではないですか? 狙いどころとしてはこの辺とか?


なんでも評点:少女に銃を突き付けたパーティ乱入男に肝っ玉女性がワインを勧めると、男は急に素直になって「僕を抱き締めて」と皆にお願い



 あるいは、「丸山真男をひっぱたきたい!」とのたまうあなたですから、もうちょっとワイルドな相手を望んでおられるのもしれませんね。


 じゃあ、「張りたい真男」 + 「蹴りたい背中」 = 「蹴りたい赤木」、ということですかね


蹴りたい背中
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綿矢 りさ
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 綿矢りさみたいなワセジョっぽい人に後ろから蹴られるぐらいしないと、あなたみたいにウジウジした人は「相手を思う」ということができないのかもしれませんね。


 あぁ、「ウジウジした」関連で付け加えるならばやはりあなたの一番まずいところは「他者の共感(気持ち)を活かせない」というところにあるように思います。先ほども少し言いましたが、鈴木氏にしてもぼくにしても「格差社会」は問題だと思い、あなたがいまいる情況に対して心情的には共感してるんですよ? 少なくとも関心を持ってあなたの主張を聞こうとしている。 「人に関心を持たれる」ということのありがたみがあなたにわかりますか? あなたがこれから自分たちの窮状を訴えていくであろう相手はそもそも聞く耳ももってくれない人たちばかりなのではないですか?

 そういう人たちを相手にしようとしているのに少なくとも関心を持ってくれる人の気持ちも汲めなくてどうするんですか? あなたにとっては「すべてが敵」ですか? もしくは「オレの主張に合わないやつは全て敵」ということですか?

 で、自分たちの不都合ばかり主張し、相手との妥協点をはかろうとはしない.....。それは最低の交渉術といえるのではないですかね?


 あなたはなにかにつけて鬼の首を取ったように「自己責任論」「自己責任論」と相手を糾弾しますが、社会全体からすれば「だからなに?」って感じなんじゃないでしょうか? だって彼らは彼らなりに努力していまの地位を掴んだわけでしょうからね。 少なくとも彼らが努力した時期に努力したことが疑われるあなたに対して、それほどの興味を持たないでしょうね。

 それに対して、ぼくや鈴木さんは「自己責任論だけで弱者を見捨てていては社会が回らなくなるのではないか?」という立場をとっているわけですが....。 あなたの態度を見ているとそういった関心も薄れていきますね。

 あなたはなにかと「自己責任論反対」の文言を繰り返しますが、鈴木さんと違ってぼくは自己責任論の立場をとっているように思われても痛くも痒くもありませんからね。



 そういうわけであなたの挑発文言というのは子どもが「あいつの母ちゃんでべそー」といってるのと同じようなものです。別に痛くも痒くもありません。


 そして、ギロンの相手としてもふさわしくありませんね。あなたからはなんの情報も知見も引き出せそうにない。むしろ、あなたが欲しいであろう情報はぼくのほうが握っていると思うのですが、プライドの高いあなたのことですがからいまさら謝るということもしないでしょうね。


 せいぜいそうやって目先のプライドに固執していればいいです。そうやってあなたはまた貴重な時間を失っていく。それだけのことです。


 
 あと、あなたがこの先どういった形で禄を食むつもりなのか知りませんが、もし文筆で身を立てようと思っているのならばもう少し慎重に相手の主張や力量を見極める意識をもったほうが良いのではないでしょうか? ネットとはいえ公開の場なのですから、あなたの信用にも関わることになると思いますよ。
 
 


--
関連:
livedoor ニュース - 【独女通信 アダルト編】カリスマAV監督・溜池ゴロー氏に訊く”女の磨き方”〜男を惹きつける女になるには?(後編)

※「ウジウジした人はモテない」関連で。この辺でも参考にされてはいかがでしょうか?


livedoor ニュース - 【独女通信 アダルト編】カリスマAV監督・溜池ゴロー氏に訊く”女の磨き方”〜男を惹きつける女になるには?(前編)


livedoor ニュース - 【独女通信】元AV女優に学ぶ自由恋愛のリスクと結婚

 
 

あと、いまさらながら、わからない人用に示しておくと、赤木さんというのはこういう人です↓

トラカレ! ― 知と情報を繋ぐ人文系ニュースサイト ― - 「丸山眞男」をひっぱたきたい


一部で話題の「赤木論文」です。

 


さらに続きです↓

muse-A-muse 2nd: 「赤木が来たりて笛を吹」・・いて帰った

結論から言えばがっかりしましたね(やはり不毛だった)。少しでも誠実に答えるんじゃなかったですね。その分、損した気持ちです。
 
posted by m_um_u at 17:45 | Comment(12) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年07月14日

♪ しゅふになりたぁい (?)

 びみょーな話題なのでmixiのほうで書こうかと思ったけど女性の年金問題の話もあるのでこちらに。んで、まずはこの辺から


livedoor ニュース - 【独女通信】独女の老後はどうなる?年金制度を緊急検証!


 「専業主婦と独女と年金面で差があるの?」な検証記事。結論として「ある」らしいです。

まずは専業主婦(厚生年金、共済基金に加盟している会社員、公務員の配偶者)の場合。夫が加入する厚生年金や共済年金の保険料でまかなわれているため保険料を負担せず、老後は夫の基礎年金と同額の年金を受給できる。満額で年約80万円。働いていた期間があれば、その分の厚生年金も加算して支給される。年 120万円程度と、決して多い額ではないが、専業主婦は夫の年金も生活費となる。


 その他もろもろな優遇制度とか

専業主婦を対象にした年金は他にもある。
「寡婦年金」・・・夫が死亡した後、夫がもらえるはずだった老齢基礎年金の4分の3。
「遺族基礎年金」・・・子供のいる妻に支給される基礎年金。
「中高齢寡婦加算」・・・夫が死亡し「遺族厚生年金」を支給されている。妻が40歳から65歳になるまで支給される。


 離婚時や不慮の別れの時なんかも大丈夫らしい。(年金分割の合意がとれていれば)

 
 対して独女の場合は?


条件にもよるが、独身女性が受け取る年金は、毎月11万円から13万円程度。これには厚生年金適用の職場でという条件が付く。国民年金だけでは月額で7万円にもならない。保険料未納時期があれば、支給される年金額はさらに下がる。





.......「女はさっさと結婚して家庭に入れ」ということ?

 いや、現在でも大部分の女性が専業主婦化している現状がある(のかな?統計知らんけど)のは分かるんですよ。んで、そこにおける女性の権利見直しとして「家事労働だって立派な仕事だよ」(家事の賃金換算)的な考えがあるのも分かる。でもね。「あまりにも独女ひどい扱いなんじゃ?」的な感じしますね。

 この前のエントリでも出てきたように

muse-A-muse 2nd: モテない系日本 (男女間の非対称性を巡る攻防について)

 女性が一人で生きていくには経済的に苦しい側面がある。具体的にいうと女性の場合、収入が期待できる職業(あるいはポスト)への就業率が低いってことですね。(この辺の話題は先日、NHKBSでなんかやってたので録画してあるんですが未だ見てません。こんど見よ、っと)


 前のエントリでも含ませた通り、なにも「ケッコンすんな」っていうわけではないんですが、選択肢が狭められてるのは事実だなぁ、と。こういった社会政策というのは「生めよ、増やせよ」的な人工統制的な理由でとられてるんでしょうか? ってか単に、「女性のライフスタイルの変化に社会政策が追いついてない」、というだけのことなのかなぁ..。何年か前までは専業主婦デフォルトだったから「その部分の権利を中心に考えとけばいいや」って感じだったのかもしれませんね。

 って、この辺社会党が女性党かなんかになって改革してったほうがいいんじゃないですかね? もはや社会主義という言葉が求心力を失っているんだからそこに固執するのもおかしな感じがしますし、有権者率的に男女比は半々なわけなんだからこの辺ではっきりとした姿勢を示したほうがいいんじゃ? (って、そうすると「女性のみ」って感じになって男性票が失われる、のか?)


 まぁ、その辺はいいとして。関連として目についたのがこの辺です。


葉っぱの「歩行と記憶」:戦争より主夫として子育てをやりたい。


 例の赤木さんの主張(「主夫になりぃたぁ〜い ♪」(by.スピッツ))を軸に、「ほんとは戦争なんか行きたくないんだよ」って感じで赤木さんを擁護するエントリってのは分かるんですよ。でもね。栗山さんはやっぱ鈍感なんじゃないでしょうか?(失礼ながら)

目覚めた女に人には、特に「なんでおんなになんか生まれてきたんだろう」 と言う問いを執拗に抱え込んでいる人がいらっしゃると改めて思いましたが、僕もかって、女子大学生のブログで、それまで、本の話だとか、色々やりとりやっていたのですが、

 「男と女」の話になって、「子を産めない男」の空虚さみたいなノリで、女の子はいいよなぁ、「子供を産めるんだもん」って言ってしまったのです。

 彼女は怒って、僕は出入り禁止になってしまった。理屈ではなく感情的な反応だと思いますが、それでも、僕はナットクの行かない狐につままれた情けない状態でした。その記憶が蘇りましたね。

 恐らく、僕の中に、「なんで男なんかにうまれてきたんだろう」 というのがありましたね。「女って羨ましいなぁ…」って、 そんなにいやなら、いつでも変わってあげるよ、



 このメンタリティの延長線上に赤木さんの主張があるというのは分かるんですよ。んで、それ自体は「男女同権」ということでいいんですが、どうも、やはりこの人たちは基本的な男女の違いというものに対する想像力というものがないのではないかと思うんです。


 端的にいえば生理的な事柄を巡る違いですね。


 前にそれ系が重い人の話を聞いたことがあるんですが、「ハイヒールの先で腹部をぐりぐりと踏み続けられる感じ」、って言ってました。もしくはこの辺とか


法務だけど理系女子の綴るblog: 女の子が子供を産むために払っている犠牲の一例


 ぼくは痛みには強いほうなんですが、絶対体験したくないなぁ、と。あと、ちょうど弾さんも関連エントリあげてたけど「受容に対する意識の違い」ってのがありますね。

404 Blog Not Found:書評 - 中年童貞




 で、これと対照的なのが最近の赤木さんのこのエントリっすよ

深夜のシマネコBlog: 新風舎のこと

射精感を味わうだけなら、オナニーでもできるけど、肌と肌がぴったりくっつき合った時の、あの独特の幸福感なんてのは、相手がいてこその感触だからなぁ。
 あー。誰かとくっついて、相手の体温を感じたい。これからどんどん暑くなる季節だから、余計にそう思う。
 あと、キスね。
 最近歯医者に行って、虫歯を全滅させてきたので、今なら安全にキスできるんですが、誰かしませんか?



 いや、ネタエントリってことはわかりますよ。文脈切除的にこういう形で編集するのも反則っぽい気はします。もしかしたら件の取材関連の浮かれ気分エントリってだけだったのかもしれない。


赤木智弘さん、「強者女性」に「かわいい!」といわれる。|女子リベ 安原宏美--編集者のブログ


 でもね、やっぱスキだらけだなぁ、と。(つか、誘い受けかなんかですかね?)



 これ関連で言うと避妊に関する意識の違いなんかもあると思います。コンドームつったって100%の確率じゃなくてリスクは主に女性が抱えるんですよね。「それじゃピル?」ってことになるけどピルはピルで副作用が気になったり.....。「だったら男が飲めよ!」ってことになるんだけど.....


第6回 コンドーム至上主義宣言(後編)避妊に「協力」なんて生ぬるい!! - オンナの技術 | カフェグローブ

それにしても、不思議になりませんか? ピルは信頼性のある避妊法だけど、副作用は皆無ではない。私は自分の健康にあまり自信がないので、男性用のピルがあれば、相手に飲んでもらいたいよなーと思ったもんです。おまけに避妊に失敗したら、痛い目にあうのも女性の方です。どうしてこんなに不公平なんだろ?

 と思っていたら、これも友人が教えてくれました。男性用ピルというのも、過去に開発されているというのです! ところが臨床試験の段階で、副作用がみとめられ、承認されなかったらしい。その副作用とは「頭痛、吐き気、だるさ……」

なんじゃそりゃ(怒)。そんな程度のこと、女性たちは仕方ないやと思って飲んでるだろうが!




 暴論かつ勝手な推測ですが、赤木さんとかってこういう痛みとかダルさ、自らリスクやコストを負うことに耐えられるんですかね?

 っつか、それ以前に。こういったことに対する想像力があるのか?(想像したことがあるのか?)ということが疑問です。主婦とか「女性の特権」みたいなのは以上のような女性の生得的あるいは環境的限定に対する補填のようなものだと思います。「主夫になりたい」と主張するならばその辺の意識もあってしかるべきだと思うんだけど..。もし想像したことがないとすれば、



[そんなことだから非モテなんじゃないですか?](すっぱいぶどうのほうの)



 そんなことを思うわけですね。


 赤木さんの主張する「非モテ弱者男性問題」というのは端的にいうとこういうことのようですね(以下孫引用)

HPO:機密日誌 - 弱者男性って?

弱者男性とは、

A.「正社員として働くのがまっとうな姿」という世間/周囲/自分の期待に応えることのできない状況にいる人びと(具体的にはフリーターなど)、

B.自らの望まざる状況(たとえばAのような状態)にいることを、自分以外の誰かに帰責して溜飲を下げる、あるいは暴走する人びと(いわゆる「ヘタレ」?)、

C.女性を含めた他者に対するアクション−リアクションをスムーズに行うことができない(と周囲から思われていたり、自分で思いこんでいたりする)人びと(≒コミュニケーション弱者)

のいずれかあるいは複合的な状態にある人のことを指しているように思われます。




 んで、今回の場合は特に「C」が絡んでくるように思うのですが、鈴木さんも指摘されてるように「A」「B」「C」が複合的に絡まりあった問題なんでしょうね。そう考えると上記してきたようなことを赤木さんに聞いたとしても、「経済的に自立できればどうとでもなるんです!」と答えそうな気がする。。。



 まぁ、それならそれでいいですけどね。


 ところでリンク先コメント欄にも書いたように、赤木 vs. 鈴木問題というのはもうちょっとなんとかならないんでしょうかね?

 いや、片方にとっては一緒くたにされてははなはだ迷惑な問題なんだろうけど、第三者が入るなりしてもうちょっとギロンとしての体裁が整わないのかなぁ、と。


 んで、思うんですがやっぱ「年上女性による誘導」って感じでしょうかね? 赤木さんも鈴木さんもそれ系は弱いみたいですし。って、鈴木さんの場合はお仕事モードがあるのだろうけど、基本的には弱いですよね?(この前のlife番外編も楽しませていただきました)

 血気盛んな男二人が面と向かうと喧々諤々するところがあるのでしょうから、そこは経験豊富な女性の包容力で誘導するとかしないとか.....


 で、想定されるのは..........やっぱちーちゃん?(チーママ?)


 でも、ちーちゃんは赤木さんについて既に言及されたみたいで、いつもどおりざっくばらんな感想を述べられたようですね。


 ってか、やっぱ癒し系とか? でも、そんな人いたかなぁ。。。(ゆきちゃんとか?)


 もしくは「熟す」を通り越して腐った女史の方々に801変換してもらうのが順当なところかもしれない。当人達もヤル気なくなるでしょうしね。






♪ スピッツ / 猫になりたい




--
ピル関連:
ウーマンズヘルス|日常の予防|ピルを飲む人、飲めない人


※「どこで買えるか」、「どんな人に合っているか」などの基礎的な知識として。



ピルで生理を軽くする

※タイトルそのまま。生理が重い人はピルで軽くなるケースもあるみたい。


ピルを緊急避妊薬として使用する方法

ピル(避妊用ピル) : 避妊知恵袋

※いざというとき用の緊急対処策、モーニングアフターピルについて。




X51.ORG : 男性用ピル、開発に成功か 豪

※オーストラリアでは開発されたらしい。でも、副作用として倦怠感がある、のかな?

 

G★RDIAS - 私、産みたくありません。

※産むの怖いっすよね。(痛くないとしても怖そう...)

 
 


--
つづきです↓


muse-A-muse 2nd: 蹴りたい赤木


(もう、可笑しくて笑いながら書いちゃった)

posted by m_um_u at 20:00 | Comment(11) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年07月09日

デザイン変更とかもろもろ

 ぶくまを通じてちょこちょこと「ページがみにくい」「みにくい」「どのブラウザでみればいいのか?」などと言ったコメントを見ていたのですが、今日、具体的に、「横スクロールしないと見れない」というご意見を見たのでテンプレ変えてみました。

 ぼくのPC(ノート、でっかい液晶のほう)で見てる限り問題なかったので気づかなかったですが、「スクロールしないとみれない」のはキツイですね。そういうわけで変更。


 夏っぽくアクアブルーとかにしようかと思ったけど、ぢみなおっさんなのでまぁ、この辺かなぁ、と。

 あと、文字が小さくなったのがちょっと気になりますね。フォントいぢったほうがいいのかなぁ...。でも、Firefoxで見てる限り「ctrl + マウスの真ん中スクロール」でフォントいじれるので問題ないか。(個人的には)


 
 ってか、この手の話はぶくま通じてだと分かりにくいのでできれば直接コメント欄に書き込んでいただきたいです。


 
 
posted by m_um_u at 12:57 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

Ask not what the net can do for you. Ask what you can do for the net.

It is better to know some of the questions than all of the answers.

-- James Thurber




Ask not what you can do for your country. Ask what's for lunch.

-- Orson Welles




Ask not what the net can do for you. Ask what you can do for the net.

-- ARG








 ひとつ前のエントリで登場したUMAな若者についてぼけーっと。

 この子自体はどうということもなくて、「どこにでもいるちょっとがんばってみたい子」なのだろうなぁって感じなのだけど、この子が「ハーバーマス」とか「社会学」という単語を使っていたのが気になった。(参照

 ベタに言ってしまうと、「対話的理性を重んじるハーバーマスの名前を出しつつ議論の仕方やコミュニケーション的合理性への理解を深めていないように見えるのはどういうことなの?」、って思うわけだけど、この子にとって学問というのは「おべんきょー」レベルの丸暗記型キーワードのようなもので、テスト前とかレポート提出前にちょこちょこっと考える程度のものなのだろう。つまり、自分の頭では考えていないということになると思う。そして「社会学」という言葉....。

 この子はこの学問に対してどのような印象を持っているのだろうか? 勝手な推測だが、「オレ、オマエよりいろんなこと知ってるんだぜ(へへへ)」的な理由づけのための都合のよい屁理屈こねツールみたいなのを社会学と思っているのだろうか? つまり、自分がケンカで勝つために利用できる思考の枠組みであり、権威づけの道具みたいな感じで。

 一部の腐臭漂う人文マニアに見られる傾向って感じで、ぼくもネット上では一回ぐらい被害にあったことがある。彼らとのギロンというのはギロンではなく、単なる揚げ足とりのケンカ合戦みたいになるので話していてもなにも楽しくないし、得るものがない。彼らは話し合いの中からなにかを得ようともしないし、話し合いを通じてなにかを作り上げようともしない。単に目先の勝ち負けにはこだわるだけなので。(幼稚園児や小学生のケンカに似てる。その意味では竹田さんの例は秀逸だと思う)

 以前に見たそれ系の人というのはやたら「先生」への憧れをもっている感じの人だった。コメント欄に現職の学者が現れるだけで「降臨!」とかなんとかわけの分からないテンションの上げ方をしていて正直寒い感じがしたのだけれど、本人にとっては精一杯の儀礼的表現だったのかもしれない(その感覚はよく分からないが)。 で、そんな感じで権威にはやたらすり寄るのだけれど、「君の言ってることちょっとおかしいんじゃない?」とか「この辺もうちょっと分かりやすく説明して」とかいう一般(?)の人の声に対してはぞんざい...というかずいぶん非礼な態度をとっていた。どうも彼にとっては彼自身の学問世界のようなものがあるみたいで、その教典である書物や人物の言葉を絶対としている感じが見えて....いま思うと宗教に近いものだったのかもしれない。

 そう考えるとアレだな。無碍に否定するのもびみょーな感じになるか。彼らのやっているのは「宗教」であって「学問」ではないのだろう。あるいは、「学問」というたいそうな言葉を使うまでもなくて、「自分で考える」ということができていない(しようとしない)というだけなのかもしれない。 でも、彼らのセマイセカイではその経文を唱えていれば通用するし、その教典に(丸暗記みたいに)精通すればするほど仲間うちの格のようなものが上がるシステムだったのかも。そして、そういった系というのはそれ自体として自生する分には別になんの害もない、というか「信教の自由」って感じなんだろう。あるいは実存の問題。

 彼らにとってはそういった形である一定の言葉に依存し言葉遊びに興じることが実存的に必要なわけで、だったらそれを否定するのはどうか、って気もする。(ただ、否定はしないけど相手にはしないというだけだが)

 しかし、彼らが社会に共通する言葉、たとえば「社会学」などという言葉を使っているのを見るとびみょーな感じはする。「社会学」なんてのはもっとも関係を重視する学問領域のはずなのに、その言葉を出しつつ関係を軽んじているのってどうなんだろう?、と。(まぁ、序盤で考えたことに戻るわけだけど)権威性ってことか。彼らにとっては「社会学」はひとつの権威なのか........ふーむ..........知ってる人は知ってると思うけど社会学なんてのはキメラな学問領域なはずだけど。知の枠組みとしては哲学、政治学、経済学などから借りてきたところが多いし、対象領域も横断的過ぎてなにが専門かよくわからない。だいたい冠に「社会」なんてついてるのがそもそもおかしいのだ。「世の中に社会的じゃない領域なんてあると思うか?」((C)鈴木謙介).....そんな感じなはず。

 なので「社会学徒」なんて言ってる人はなんとはなしにその辺の恥ずかしさというか問題意識を持っているものなはずなんだけど.......件の彼らにとって「社会学」とはできあがった学問領域でしかないのだろうなぁ..。教科書みたいな感じなのかなぁ..。あるいは手軽なアンチョコ本というか。


 そんなもの覚えたって生活の場で使えなければ意味がないし、4・5年経って覚えているかっていえばびみょーなもので、そのくらい経って(あるいは死ぬ間際まで)覚えていられる知識こそホンモノなはずだけど..。大部分の本なんか3〜4割程度しか「役に立つ」というか響いてくるものがはいはずで、その部分をどのように自分の思考に結び付けていくのかということがポイントなはずだけど...。彼らはそういったことは考えたことがないのだろうか? 

 あるいはものすごく記憶力が良くて、「教科書に書いてあることは一言一句覚えてるよ ♪」、って感じの人たちなのかもしれない。......すごいなぁ。そうだとすると正直うらやましい。嫌味ではなくて、そういうタイプの人にあったことがあるけれど、あの人の知識量というか思考の深みというのは相当のものだったしな...。

(※話それるけどいちお言っておくと、Google時代とは言え暗記的な知識の必要性というのは変わらないように思う。思考というのはスピードに依るところが大きいので、暗記によって「調べる」という過程をショートカットできれば、それだけ遠くて深い思考が作り上げられる可能性がある。もっとも、なんでもかんでも暗記すればよいというものではないだろうけど)


 それにしても、なんで彼らはああも小さな勝ち負けに拘るのかな? 自分の属している小さなセカイで名声を得るため? そして「社会」からは閉じる、か..。

 あるいはゆとり教育の影響ってやつかな? 「ゆとり教育」なんていうと安易な世代論に終始する危険性があるか。当人たちは「どうせゆとりっ子ですよ」ってそっぽ向くかもしれないし..。だいいち「ゆとり教育」って彼らの責任ではないもんな。かといって、「ゆとりっ子だから仕方ないんだぁ」ってことにはならないと思うけど。その辺りは社会的に鍛えられていく....のだろうか? (ぼくが被害にあったアレ系の人はいちお社会人って言ってたけど......ここでも「社会」という言葉に疑念がわくよ)


 ってか、もっと好意的にとるならば彼らは単に背伸びをしたいだけなのかもしれない。人間、背伸びして成長するってことはあると思うし、それはそれで微笑ましいことなのかも。


 でも、「社会学」って言葉がなぁ......。


 あまり関係ないかもしれないけど日高六郎先生が著作の中で、「最近の若者はいろんなことを忘れていく。いろんな歴史が消えていく」と嘆いておられたのを思い出した。


戦後思想を考える
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日高 六郎
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私の平和論―戦前から戦後へ (岩波新書)
日高 六郎
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 権威性を重んじる彼らからすればこんな本はなんの魅力も感じないものなのかもしれないけど、ぼくはこの本から「学問的魂」というか「学士的魂」のようなものを感じた。(※「士」は「さむらい」のほう。あるいは学者的魂といったほうが適切か)


 「社会学者的魂」ということで言えば見田宗介先生の近著なんかもあるか


社会学入門―人間と社会の未来
見田 宗介
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(※以下、一部抜粋)


(7-8) 社会学は<越境する知> Einbrunchslehre とよばれてきたように、その学の初心において、社会現象のこういうさまざまな側面を、横断的に踏破し統合する学問として成立しました。マックス・ウェーバー、デュルケーム、マルクスのような「古典的」な社会学者をはじめ、フロム、リースマン、パーソンズ、アドルノ、バタイユ、サルトル、レヴィ=ストロース、フーコーといった、現在の社会学の若い研究者や学生たちが魅力を感じて読んでいる主要な著者たちは、すべて複数の ― 経済学、法学、政治学、哲学、文学、心理学、人類学、歴史学、等々の ― 領域を横断する知性たちです。
 けれども重要なことは、「領域横断的」であるということではないのです。「越境する知」ということは結果であって、目的とすることではありません。何の結果であるかというと、自分にとってほんとうに大切な問題に、どこまでも誠実である、という態度の結果なのです。あるいは現在の人類にとって、切実にアクチュアルであると思われる問題について、手放すことなく追求しつづける、という覚悟の結果なのです。近代の知のシステムは、専門分化主義ですから、あちこちに「立入禁止」の札が立っています。「それは○○学のテーマではないよ。そういうことをやりたいのなら、他に行きなさい。」「××学の専門家でもない人間が余計な口出しをするな。」等々。学問の立入禁止の立て札が至る所に立てられている。しかし、この立入禁止の立て札の前で止まってしまうと、現代社会の大切な問題たちは、解けないのです。そのために、ほんとうに大切な問題、自分にとって、あるいは現在の人類にとって、切実にアクチュアルな問題をどこまでも追及しようとする人間は、やむにやまれず境界を突破するのです。



(9-10) 自分自身のことを話すと、わたしにとっての「ほんとうに切実な問題」は、子どものころから、「人間はどう生きたらいいか」、ほんとうに楽しく充実した生涯をすごすにはどうしたらいいか、とういう単純な問題でした。この問題は二つに分かれて、第一に、人間は必ず死ぬ。人類の全体もまた、いつか死滅する。その人類がかつて存在したということを記憶する存在さえ残らない。すべては結局は「虚しい」のではないかという感覚でした。第二に、その生きている間、すべての個体はそれぞれの「自分」をもって、世界の中心のように感じて、他の「自分」と争ったりまた愛したりする。この「自分」と他の「自分」たちとの関係が、友情や恋愛や家族の問題から、経済や政治や国際関係の問題に至る、実にさまざまの現実的な問題の根底にあり核心にあると把握される、ということです。単純な言い方ですが、<死とニヒリズムの問題系>と、<愛とエゴイズムの問題系>と名づけていました。こういう問題を追及する人は、多くのばあい、「哲学」や「倫理学」、あるいは「宗教」という方面に進むのですが、わたしはこの二つの問題を、あくまでも論理実証という方法で、いわば「経験科学的」な方法で追求してゆきたかったのです。



 この後の余談がキュートなのだけれど省略。(ちょっとだけ言うと、「ジャズの聴こえてくる研究室は社会学のところだけだった」、らしいw)



 あとはウェブだとソキウス(野村一夫先生)なんかが参考になるかも。


Socius_ソキウス(トップページ)

Socius_ソシオリウム【総合案内】



 っつーか、こういったことを言っても「概論的なことなんか聞き飽きた」とかいうのかもしれないけど...。それは結局聞いただけで理解はしてないってことなんだろうな。そんな知識になんの意味があるのだろう、と思うけど....堂々巡りになるからやめとこう。



 あと、言わずもがなだけど、エゴだしてるだけでは他人は相手してくれないと思うよ。ネットも然り。


 


 とかなんとかいいつつボエーっと鳴いてみるテストw (TB
 





♪ クレイジーケンバンド / タイガー&ドラゴン







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2007年07月07日

Love Is Here To Stay

Never marry but for love; but see that thou lovest what is lovely.

 William Penn
  English religious leader and colonist (1644 - 1718)



One should always be in love. That is the reason one should never marry.

 Oscar Wilde
  Irish dramatist, novelist, & poet (1854 - 1900)



It is most unwise for people in love to marry

 George Bernard Shaw
  Irish dramatist & socialist (1856 - 1950)





Such is the common process of marriage. A youth and maiden exchange meeting by chance, or brought together by artifice, exchange glances, reciprocate civilities, go home, and dream of one another. Having little to divert attention, or diversify thought, they find themselves uneasy when they are apart, and therefore conclude that they shall be happy together. They marry, and discover what nothing but voluntary blindness had before concealed; they wear out life in altercations, and charge nature with cruelty.

 Samuel Johnson, Rasselas
  English author, critic, & lexicographer (1709 - 1784)




There's only one way to have a happy marriage and as soon as I learn what it is I'll get married again.

  Clint Eastwood
  US movie actor & director (1930 - )





All married couples should learn the art of battle as they should learn the art of making love. Good battle is objective and honest - never vicious or cruel. Good battle is healthy and constructive, and brings to a marriage the principle of equal partnership.

 Ann Landers
  US advice columnist (1918 - 2002)



If you would marry suitably, marry your equal.

 Ovid
  Roman poet (43 BC - 17 AD)





A great marriage is not when the 'perfect couple' comes together. It is when an imperfect couple learns to enjoy their differences.

 Dave Meurer, "Daze of Our Wives"



Marriage. It's like a cultural hand-rail. It links folks to the past and guides them to the future.

 Diane Frolov and Andrew Schneider, Northern Exposure, Our Wedding, 1992










 金蓮さんのところで「ケッコン大変だね」話が出てて、いまかかわってる案件とピンポイントとまでは行かないまでもひじょーに近しいものを感じたのでちょっと....


藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - 妻に欲情しない夫


 ケッコンにトキメキを期待して...というか、それほど深く考えずに結婚しちゃった人が「釣った魚に餌は与えない」状態にされちゃった不幸話って感じなんだけど、ぼくがいま受けてる案件はそれ以前の話。でも、彼女もケッコンにトキメキのみ期待してそうで傍から見ててちょっと心配だったりする。

(※以下びみょーながらできるだけ一般論っぽく....)

 ってか、彼女の場合は結婚後にそういった事態になるかもしれないことを恐れて慎重になってるみたいで、相手の人の恋愛観を探ろうとしてるみたいなんだけど、想定している恋愛観というのが「トキメキ」のみ期待してるみたいでちょっと心配...。ぼくも金蓮さんと同じでトキメキのみの結婚ってどうも信用できないので。

 「中・高生じゃないんだからもうちょっと愛というものについて考えてみようよ。お互いをいたわるとかさぁ」、とか言っても相変わらず「彼からの反応が遅い」とかを気にしているご様子。.....いや、それは愛じゃないからね。彼が忙しいのは分かってるでしょ? だったら仕方ないじゃん? 忙しい中でも時間割いてくれてるんだから精一杯がんばってると思うよ。しかもちょっと遠距離だし....。

 思うに彼女は「恋」がしたいのであって「愛」ではないのだなぁ..、と。それだったら冒頭にちりばめられたマジカルワードでも言ってたみたいに「結婚じゃなくていいじゃん?」って感じもするんだけど.......まぁ、女性的事情というものが.....(ごにょごにょ)。


 ってか、冒頭の「おことば占い」を振り返ると、「対等な関係を築けるか」ってのがあるし、「対等じゃなくてもいいからまともにケンカできるか?」ってのもある。ケンカしながら地面が固まってくってのもあるだろうし、だとしたら別に最初から「対等」っつーか、カップルとして「完璧」じゃなくてもいいんじゃないか?、と。


 ってか、「不完全な二人が支えあいながら未来へのレールを作っていくってのが結婚」、ってことのようなんだけど.....なかなか...。


 たぶん彼女にそういうことを言うと、「ワタシ、ケンカしたくないもん!」、って言うと思う...。


 いや、オレもケンカしたくないけど、たぶんケンカしてしまう状況ってのが必ず来て、そういうときに回復できるかどうかだと思うんだけどね。それで、そのたびに絆を深めていくものだと思うんだけど...。

 なんとなくだけど金蓮さんところの案件の人の場合、そういったケンカってのもできていなかったように思う。最初から関係が非対称なものだったんだろう。特に経済的な基盤を盾にした主導権うんぬんで。ってか、明らかに独占欲強すぎだもんな。「所有物」って感じだったのかもしれない。(cf.「嫁は市場で買ってきた」)


 「関係が非対称」っていうとぼくのほうの案件も非対称といえば非対称かも。でもこちらの場合は相手の人の誠実さというか優しさばかり伝わってくるわけだけど、それが包容力なのか無関心なのかってのを彼女は測りかねてるみたい。後者の場合、「彼女じゃなくてもいいけどとりあえず婚期だし、なんかいろいろしがらみのある縁だから結婚しとく?」みたいな打算があるかもしれなくて、その辺が気になる、と。

 んじゃ、もうその辺ストレートに...........聞いたらはぐらかすわなぁ..。ってか、その辺りを周りから攻めてくためにベタに恋愛映画でもみて「一般論的な恋愛観」って感じで探りをいれることを薦めているのに、なぜにおまへは「シュレック3見るんだぁ」などと嬉しそうに言うのだ!?



.......まぁ、いいっス。やろうと思えば「シュレック」からだって人生観とか恋愛観とか探れるかも.....しれないわけねぇよなぁ....。「緑色の怪人がヤイサホーと暴れまわる抱腹絶倒映画だよ!!」って、そんなもんからどうやっていろんなものが探れるというのだ!?


(※全国の「シュレック」ファンの皆様すみません。「シュレック」を揶揄しているものではなくて、今回の件について「シュレックを選択するのは不適切ではないか?」ということです。っつーか、個人的には「シュレック」のおもしろさって理解できないんだけど..)



そういや、逆にちょっと前の増田にこんなエントリあったな
 

結婚するならこんな奥さんがいいな。


結婚するならこんな奥さんがいいな。(増田Bの場合)


 「前者は空気嫁のロボ版所望」って感じ。対して後者は過剰な「愛」(?)が先行しててちょっと怖い...。この人の幻想と期待を裏切ったときに出刃包丁でめった刺しにされそうな気がする..。


 「はてな(ぶくま)で見た」繋がりだと、この辺はバランス取れてたように思った。


うどんこ天気 - スーパーで豚肉が安かった


 「なぜに女は”スーパーで豚肉が安かったの”などというくだらない話題をふってくるのか?」的な流れと逆を行くエントリでなんかいい。ついでに言っちゃうと男女におけるそういうコミュニケーション差というのは一般的に「男は問題解決型コミュニケーションを好み、女は毛づくろい型仲良しコミュニケーションを好む」、って言われてる。「なので女の電話は長話になる」、と。

 ただ、最近ではこの傾向も変化してきているらしくて、男でもなんの目的もないコミュニケーションというか、コミュニケーションそのものを楽しむコミュニケーションをする傾向が増えているみたい。 この手の傾向は日本だけではなく海外にも見られる、と。


スラッシュドット ジャパン | 「女性の方がおしゃべり」はウソ


 この辺、突き詰めると長そうなので印象論だけに留めておくとして、「これ系の話題で最近はて部で気になったもの」繋がりで次


S嬢 はてな - トラックバック受信とアレコレ


 「内容はないけど彼からの定期便の電話が私を支えてくれた」、と。良いエントリだな、と思う。(BEGINの「声のお守りください」が脳内に流れた)



 最後に別件でTBいただいた勤労者Xさんとこのエントリから


ひとを愛することができない (勤労者Xの憂鬱)


 中島義道せんせの「ひとを愛することができない:―マイナスのナルシスの告白―」から、愛の4類型が挙げられている。(※以下、孫引き)


1.自然(に見える)親子や夫婦間の愛であるストルゲイ
2.友愛であるフィリア
3.異性(あるいは同性)の性愛であるエロス
4.イエスが「自分自身を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」というときの無償の愛であるアガペー。




 この分類に従えば冒頭の金蓮さんところの事案は「ストルゲイ」的な状態といえるだろうか。っつーか、完全に冷め切ってるように見えるので「愛」もなにもないのかもしれないけど。

 それに対して「恋愛」的なものを求める場合は「エロス」って感じになるのかなぁ...。でも、これ「トキメキ」的なものとは違うような気がする。もうちょっと濃い部分での恋愛だな。


 一般論としては、「結婚してしばらくして川の字とかできちゃう状態になるとストルゲイ的な状態になっちゃって恋愛的な関係は冷めちゃう」、ってことなんだけど...。どうなんすかねぇ。この辺もカポーによって違うのかもしれないけど。ってか、ぼくのほうの案件の彼女の場合はさっさとそういう状態になっちゃったほうがなっちゃったほうがいいように思うけど。どうもセクシャリティというものを感じない人なので。(コアラみたいだ)

 「そういう状態が不幸(つまんない)」って言う人もいれば「理想」っていうか「安心」って言うに人もいるように思えて、人それぞれなんじゃないかと思う。その人の生育環境に依るのかな(愛情の欠損とかうんぬん)。


 っつか、ぼく自身は「アガペー」的な愛をもってるように思われることがときどきある。.......おっさんだからかなぁ。ってか、個人的にはサムライマインドに近いように思うんだけど、女の子の求めるのは王子様だったりするのかね。


Spherical-moss.net » 女はお姫様、男は騎士



 「武士の一分」の壇れい良かったなぁ....。





 あと、以下暴論・妄言だけど。

 恋愛とオルガスムって似てるのかもしれない。


livedoor ニュース - 【独女通信 アダルト編】カリスマAV監督・溜池ゴロー氏に訊く”女の磨き方”〜「イケない」のは、女としてダメなこと?


ってか恋愛に過度の期待をする人とオルガスムに強迫観念を持つ人ってのはちょっと似てるかも。結婚のような長距離レースの場合、両方とも「おまけでついてくるもの」って感じでよいのではないだろうか?



.....まぁ、妄言ということで







♪ Ella Fitzgerald & Lois Armstrong / Love Is Here To Stay



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関連:
livedoor ニュース - 【独女通信 アダルト編】カリスマAV監督・溜池ゴロー氏に訊く”女の磨き方”〜男を惹きつける女になるには?(前編)

livedoor ニュース - 【独女通信 アダルト編】カリスマAV監督・溜池ゴロー氏に訊く”女の磨き方”〜男を惹きつける女になるには?(後編)


※そして嫁さんの話↓


livedoor ニュース - 【独女通信】元AV女優に学ぶ自由恋愛のリスクと結婚
 
 
posted by m_um_u at 23:32 | Comment(4) | TrackBack(1) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年07月06日

広島の牡蠣養殖の歴史は400年

 らっちさんとこのエントリ見ておもしろそうだったので広島郷土資料館の展示を見に行ってきました。


広島の街と音楽と… - 「市民球場の50年」at広島市郷土資料館


 んで、らっちさん同様、企画展よりも常設展のほうが楽しく感じたりw

 覚えてる範囲での歴史をてきとーに言うと、広島ってのは江戸の藩分けぐらいまでは村って感じだったみたいですね。城なんかもはっきりないような田舎って感じ。それが毛利とか浅野とかの殿様が来るようになってある程度メジャーになっていった、と。

 ってか、この人たちもこんなとこ来るの嫌だったでしょうね。おもいっきり僻地って感じのところだったので。特に福島藩から異動させられた人(※名前失念)はモロに左遷っていうか都落ちっていうか...。

 まぁ、そんな感じの「田舎」で「何もない山だらけのところ」が広島だったわけですが、それでもそこに生きてる人たちはなんらかの形で生計を立てなければならないんすよね。で、下駄やらかつらやら筆やら作ってくわけだけど、中でも牡蠣養殖をかなり昔からやっていたことを知って驚きました。1600年代初頭には試験的に養殖技法が開発されてたみたいです。

 初期の養殖技法は竹を干潟にさして、そこにくっついた牡蠣をたたき落として集め、別のところで育てていく、というものだったようです (「ひび建養殖法」)。んで、現在の牡蠣筏が生まれたのは1940年代だったみたい。新しい方法が開発されるまで300年もかかったんですね。で、牡蠣筏に代表される沖合い養殖法が開発されたことによって一気に生産量が増えたみたいで、大阪とかにも商売に行けるようになったみたいです。「はるばる牡蠣船で大阪まで行ってた」っていうんだからすごいですね。網野善彦先生の本で、「日本は川や海の道使用のほうがむしろ盛んだった」、って記述があったと思うのですが、そんな感じだったのかなぁ。陸上交通機関は発達していなかったので、うまく潮を利用したら海上輸送のほうが早かったのかもしれませんね。


 それで「竹にくっつける方法」から「牡蠣筏ほか沖合いでやる方法」に変わってからなぜ牡蠣の生産量が多くなったか、ということですが..。この辺り、資料館では詳しく書いてなかったので以下、資料館の説明を踏まえつつ勝手な推測です。(※こちらの説明も参照↓)


広島かきの歴史(@小中学生を対象とした学習支援のページ)


 竹を干潟にさしてそこに牡蠣がくっつくのを待つ方法(ひび建養殖法)では牡蠣がくっついた後、たたき落として別の場所で育てなければならなかったんですね。それはなぜか、と推測するにおそらく牡蠣は牡蠣同士がくっつき、ほかの牡蠣をとりこんで大きくなっていく性質があるため、そのまま竹にくっつけていると何個も牡蠣をとることができなくなってしまう、という問題があったからではないでしょうか? (実際、牡蠣養殖の説明パネルの開始地点あたりには中型犬ほどに成長した牡蠣の殻が展示されてました)

 以上を裏付けるのが「ひび建養殖法」に変わって登場した「杭打式垂下養殖法」の特徴を表している以下の記述です。


これは,干潟に高さ1.3〜1.8mの棚を作り,2mぐらいの針金に貝殻と竹の管を交互に通した連をぶらさげ,かきを付着(採苗)させ,成育を待って収穫する方法がとられました。これが杭打式簡易垂下養殖法です。


  
 こうやって「貝殻と竹の管を交互に通」すことによって貝同士がくっつくのを防いだのだと思います。それで生育途中で牡蠣をたたき落とす手間がなくなり、「そういった手間がかからないのなら浅瀬でなくてもできるぞ」、ということになったのかな、と思います。 で、この方法がそのまま筏法にも応用されて沖合いで養殖できるようになり、漁場面積が拡大したことで生産量がアップ、他県に売りにいけるほどの商売になった、と。



.....いやぁ、文明ってすごいですね。


 そのほか、八木用水などやせた土地を開墾するために要した苦労を見たり、原爆投下後の復興の様子を見ているとなんか目頭にじわっとくるものがありました。「あたらしいものを一から作り上げるということにかけた情熱」みたいなのを感じたのかなぁ..。

 一個前のエントリで福耳さんとちょっとお話してますが、そう考えると大量生産というかそういう方法を作り上げていった人々にも同じような努力とか情熱の歴史があったのでしょうね(プロジェクトXっていうか..)。この辺のギロンというのはアートとデザインの関係にも似ているように思います(cf.ウィリアム・モリス、「Arts & Craft」)。なので、その辺も絡めてエントリアップするかもしれません。(ちょうど白田さんもその手のお話してるし)

 あと、メモ的に。「広告(≠付加価値)なしでも」ってところはkakiharaさんのエントリも絡むかな。



 って、話がそれたので戻ると。肝心の市民球場の展示はいまいち、というか個人的にそれほど感じるものはありませんでした。ただ、初優勝のときの写真に江夏がいたは感慨深かったです。あと、ブラウン監督の投げたベースが飾ってあったのはいい味だしてたなぁ...。(吉田戦車の「ぷりぷり県」みたいだった)

 
 

タグ:広島 歴史
posted by m_um_u at 17:45 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年07月03日

花咲く国、平和成るかな

 再び自分のエントリを見ながら、


muse-A-muse 2nd: モテない系日本 (男女間の非対称性を巡る攻防について)


 そういや「日本=女性」ってアナロジーはよく使われるけどしっくりくるなぁ、と。


 「昔から日本は女性社会」とか言いますよね。代表的な言説は忘れたけど、源氏物語とか枕草子とか引き合いに出してどうとかいう文脈だったっけな?

 んで、「女性社会(母権社会)は平和な国」言説が出てくるわけっすね。



 <男が権力の頂点に立つと潰し合いをするけど、女が長を務める社会は平和・平等になる>、ってやつ。


 この話をする場合、基本テクストしてバッハオーフェンの「母権社会論」が必要になるわけですがまだ読んでません(拝)

 仕方ないので松岡さんの書評でも参考にしようかと思ってたんですが、


松岡正剛の千夜千冊『母権制』ヨハン・ヤコプ・バハオーフェン


 そういやid:kagamiさんもなんか書いてたな、と


ロリコンファル - 夢と自由と行動分析学 −人間の限界−


 んじゃ、ま、id:kagamiさんのほうから。


 「狩猟社会は血生臭い」という通念に対して「いや、農耕によって貯蓄ができるようになって財が発生したから、その財巡って奪い合い(戦争)がおきるようになったんジャン?」という突っ込み。ごもっともだと思います。


 ここで非モテ論に接続するならば、「経済的な富のみがモテの指標か? (いわゆる恋愛資本主義においては貨幣経済的な財以外の、恋愛市場でのみ通用する交換財のことを想定すべきなのではないのか?)」、という課題というか疑問が出てきます。

 マーガレット・ミードが端的に言っているように



Women want mediocre men, and men are working hard to become as mediocre as possible.

-- Margaret Mead





 女性が男性に求めるものはスペシャリティやそれに付随する財というだけではありません。サメのように働けばそれなりの富や名声、満足は得られるかもしれないけど、大部分の女性にとってそれらは互いが共有できる時間や生活とは遠いものなんですよね。

Life is beautiful: 「泳ぎ続けなければ生きていけないサメ」と「波間にただようマンボウ」、あなたはどっち?


WAR IS OVER〜戦争は終わった〜:奥菜さんが一番欲しかったのはお金でもなく豪華なマンション暮らしでもなかったのです。



 なので、ぼくはサメ肌スーツよりもドクトルマンボウを選びます。とはいっても、ゆっくりと回遊するというのもけっこう疲れるものなのですよ。(ナマケモノのカロリー消費量よろしく)


 まぁ、この話を始めると横道的に長くなるので、今回はちょっとパスです。

 
 さて、「母権社会では貯蓄がない。貯蓄がなければ奪い合い(戦争)が生じない」、ということなのですが、この辺りの生産様式と社会システムとの関係・変化の経緯について、もうちょっと詳しく


松岡正剛の千夜千冊『母権制』ヨハン・ヤコプ・バハオーフェン

 さて、問題はこうした母権社会がどのようにして父権社会にとってかえられたのかということだ。事情はかなり複雑多岐にわたっていたと思われる。
 ひとつには家族社会の中に強弱が出てきて、その格差が定着し、さらに他の部族を併呑するようになっていたのだろう。これはやがて都市国家や国家の原形態になっていく。ひとつには、家畜や農産物などがふえて、女性が産み出す生産力とともにこうした別種の「力」に託す社会性が出てきたのであろう。そうなれば男性の管理力や労働力に「力」が移行する。またひとつには、男性間に構想や闘争や、さらには戦争に類する争いがおこり、そこに新たな勝者と敗者を分けるルールが発生したのであろう。しかもひとつには、生産物との関係で太陽信仰が強まったのだ。



 なんかよくわかんないのですが、ぼくなりに解釈すると。狩猟社会においては計画的な生産は望めなかったため、生産性はノードの数に依存していたということですかね?

 つまり、それぞれの人が獲物に遭遇する確率なんか限られてるわけだから「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」式に人の数を増やすということがそのまま生産性につながった、と。んで、「人の数=生産性」ということだからその大元のリソースとなる母体が大事に扱われた、ということかな。

 それに対して、貯蓄系社会では生産は計画的に管理され、人数よりも生産技術や知識、職能が優先される。「使えない人」が多くなっても邪魔になるだけですからね(ムダ飯くらい)。

 「職能関連なら狩猟民でもあるだろう?」って疑念もあるかもしれないけど、どんなに技術を磨いてもひとりのハンターが獲れる(遭遇する)獲物の数は限られています。対して、農耕は世話を怠らなければ確実な生産性が期待でき、なおかつ長期の保存がきく。この「世話を怠らなければ」の部分にそれまでの生産方式に比べれば高度な知識が必要になるわけです。なので、ただ人数が多いというだけだと足手まといになる。



.....こんな感じ...かな?


 生産様式と社会構造ということでマルクス辺りが絡んできそうだけど......今回はやめときます。ってか、某サイトから某サイトへの応援書評にそれ系の話が載ってたけど、この文脈で言うとどうなるんだろう?

 高度情報産業化によってノード(労働者)に主権が戻る(「モモは時間を奪い返したよ!」)ってことだけど....その場合、高度な技術と知識が前提になってるわけで、社会構造というか家庭生活を送る上でのマインドというのはサメ肌ってこと?

 あと、メモ的に。お二人に対して釈迦に説法というか馬の耳に念仏みたいな感じなのかもしれないけど、情報産業化っつっても一部の話ですよね? それを支えているのはじみ〜ぃぃぃ.....な製造業その他だったりするわけで...。情報産業化というのはその部分も含めた議論なのかな?



 閑話休題。



 再び話を生産様式と社会構造、あるいは闘争への意志というところに戻します。
 

 「闘争への意志」関連ではid:hihi01さんがなんか書いておられましたね。


HPO:機密日誌 - 男性学確立の必要性を訴える あるいは 「話を聞かない男、地図が読めない女」


 「日本の女性が強くなっている」というか「女性の権利意識(我)が強くなっている」というのはあると思うのですが、それはまたちょっとびみょーな感じがします。


 というのも上述してきたように女性性というのは本来、闘争とは逆のベクトルとしてとらえられているものですからね。「日本の」ということで言えば、「日本という国の女性性と生産様式の関係」について論じた書(あるいはその論評)を示せると良かったのですが、ちょっと失念してます...。


 ただここで疑問なのは、日本というと「お米の国」って感じで、上述してきた流れに従えば「貯蓄社会=闘争」ってことなので「闘争社会なの?」って感じなんですがその辺どうなんでしょうね?


 なにも参照せずにてきとーに考えると、それとは別に母権社会が乱婚を機軸としつつ平和な状態だったということから、「やっぱ性的なこと考えてるだけの社会ってのは平和なのかなぁ。セックスすると男のタテ思考がアホ状態になるのかな? 平安とかもそんな感じだったみたいだし...文化っつーのは戦争と戦争の中間に栄えるっていうし...そうすると性は文化?」、とか暴論思っちゃうわけですが、まぁ、当たらずとも遠からじかなぁ、と。

 ただ、「平和な状態というのと性とは因果はないのでは? (相関程度で)」って気はします。つまり2つは同時代にあった現象という程度で、両者に因果関係(この場合「セックスばっかしてるから凶暴化しなかった」)はなかったのでは、とは思います。


 でも、やっぱちょっとそういうこと思いますなぁ...。


 あと、id:hihi01さんはリンク先バハオーフェンの書評中の「ディオニュソス的社会」ってところにピクピクっとくるかも。流れとしては、「完全母権社会」→「半母権社会(デメテール、女王蜂型社会)」→ディオニュソス的社会 → アポロン的社会(男性中心社会)って感じです。

 

 あと、狩猟と母権って関係するのかなぁってことでケルトなんかが思い浮かんだんですが....あれってどうだったっけなぁ...。「平等」ぐらいはいってても「母権」って感じではなかったような..。(そこにドルイド的な聖俗ヒエラルキーも絡んでたし)

 まぁ、その辺は置くとして。




 あと、「女」ということについて。



 どうも一部の非モテ言説とかフェミニズム言説とかに出てくる「女」意識には違和感があるので、ぼくなりの「女」意識というか「女」性を感じるときについて記しておこうかな、と思いまして。


 やっぱ「受容」っすね。

 
 端的に言えば(いくら脳内麻薬が分泌されるとはいえ)異物を挿入されるのを許容するというのが分からない...。ってか、すごいなと思います。


 この辺、金蓮さんのそれと似てます。


藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - 『美しい痴女の接吻とセックス』   二村ヒトシ監督

愛としか表現のしようがない表情を浮かべながら男を求め、大いなる母性で男を自分の中に招きいれることによって許し受け入れる女性が、菩薩のように見えることがある



 同時に、女というのはカマキリのような残虐性を示すこともありますね(カマキリの雌は交尾後、雄を食べます)


藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - 恋塚寺



 その二面性が「女」ってやつなのかなぁ、と。
 
 

 あと、「男はミツバチ、女はハナ」ってのもありますね。


藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - 花を恋うる歌


花とみつばち (1)
花とみつばち (1)
posted with amazlet on 07.07.03
安野 モヨコ
講談社 (2000/04)




 
でも、食虫花に当たらないように気をつけないとね(笑)




--
関連:
松岡正剛の千夜千冊『恋愛と贅沢と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト

※「恋愛資本主義」関連で要チェックや!
 
 
posted by m_um_u at 09:49 | Comment(4) | TrackBack(1) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

阿呆相手に中元要らぬ、毒饅頭でも喰わせとけ!

 たいしたことないんですがちょっと気になったもので、忠言というか中元ほしいなというか、こんな中元欲しくないな、と



はてなブックマーク - ブロガーなんてものは道化師か芸人に過ぎない | 住 太○のブログ


 某SEOらーの方が後づけ釣り宣言ということで「みっともねぇ男だなぁ」って感じの恥をさらしつつ負のアテンション獲得って感じで、「...おめぇ、ほんとにSMO知ってんのか?」って疑念が生まれてるわけですが.....まぁ、その辺について忠言しても「ぼくは太陽、北風なんか怖くないよ!」とかなんとか明るく微笑み返されても気持ち悪いだけなのでスルーするとして...


 さて、この太陽さんにやさしく服ならぬ廻しを替えてもらうには如何したものか.....「饅頭怖い」よろしく「誹謗中傷(アクセス)怖い」などとのたまう好青年ですからまぁ、アクセスが欲しいのだろうな、と。

 んじゃ、まぁ、やさしい北風さんはアクセスなんかあげないゾ?、ってことですよね。


 端的に言えば、アクセス厨に内部リンクなんかかけてやる必要ないです。ぶくまも論外。


 わざわざ自分のサイトのアクセス(アテンション)を分けるのさえ汚らわしい。スルーもしくはリンクロンダリングっすね。

 メタブクマつかって直接リンクしないようにするか、当該サイトに言及している人にリンクすることによって直接的言及を避ける。リンク先タイトルも一部改変させてもらってSEO的効果が生ずるのを抑制する。

 要するに儀礼的無関心の応用ですね


儀礼的無関心とは - はてなダイアリー

ARTIFACT ―人工事実― : サイトの読者を減らす努力と「儀礼的無関心」


 「儀礼的無関心」では「アクセスの多いサイトの人がリンクすることによってひっそりとネット生活を送りたい人に過剰なアクセスが生まれてしまい迷惑をかける」ということが主な問題とされ、そういったことをさけるためのネット上の礼儀作法のひとつとして当時のネットワーカー達の心に刻まれたものでした。

 ただ、それはオモテの使い方であって、ウラの使い方として「儀礼的無関心によって相手を苛立たせる」というのもあるわけですね。「儀礼的無関心でリンクしません」と装いつつほのめかしメソッドを使用、相手が「くりりんのことかー!!」と反応してきたところで、「どちら様でしょうか?」と切り返す。

 こういう京都のぶぶ漬けのようなネット作法こそ渋ちんネットワーカーの醍醐味たるものだと思います。


 まぁ、大部分は上記のような嫌味の応酬になるわけですが、今回のような場合、きちんとこの手法を使わないと阿呆をつけ上がらせるだけだろうなぁと思うわけです。


 んで、元ネタの儀礼的無関心の場合は、名前、URLほか当人(該当サイト)を特定できるような情報は極力さけるようにするのが慣例ですが、今回のようなケースに対する処方(リンクロンダリング)の場合は当人や衆人にも分かるようにしてよいと思います。


 でも、リンク(アクセス)はあげない。SEO的に名前が出るようなこともしない。


 ただ「阿呆」の烙印だけを背負わせてあげるだけです。


 「おまへには毒饅頭でじうぶんだ」、と  


(※毒饅頭 = 独饅頭 = リンク(言及)のないスタンドアローン(孤独)な状態)



 んで、便宜的かつ個人的にこういうリンクの仕方を「半儀礼的無関心(半ギレ)」と呼ぶこととします。「阿呆相手なのでそれほど切れることではないし切れてもいないのだけれどなんかムカついたな」、というのとかけて。


 蛇足ですが、廻しからナニが半分出てもアウト(....でしたっけね?)


 
タグ:ネット作法
posted by m_um_u at 08:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年06月26日

マグロウォーズ (補遺)

 あと、補足的に。

 
 お話として出す場合の順序としては、


muse-A-muse 2nd: まぐろぽりてぃくすのぎゃくしゅう


muse-A-muse 2nd: 島国社会日本の不思議性とマグロ帝国の陰謀 (経済篇)



 って感じになるでしょうね。


 イメージとしては3人の虐げられた若者がいて、それぞれがそれぞれの思いを胸にマグロ帝国に旅立つ、って感じ。


 最初の若者は「やせた国」の住人。

「オレたちがこんなに働いても貧しいままなのはなぜなんだろう?」ってことでマグロ帝国へと旅立ちます。


 次の若者は「サカナの国」の住人。

「オレ達が伝統的な食べ物を捨てて、アホみたいになって、売り上げを吸い取られたり、”守ってやるから”、って無理やりお金をぶんどられたるのはなぜなんだろう?」、ということでマグロ帝国へと旅立ちます。


 最後の若者は「マグロ帝国」の住人。マグロ帝国の中でもnerd(やせっぽち)と呼ばれる種族に属する若者です。

「ぷくぷく族の人たちは"太れ!”というけど太ったらカニ腹コミュニティには入れないしなぁ...。でも、オレ、ジム通いなんかしたくないんだよなぁ...。」、みたいなことで悩むサブカルっ子です。


 んで、物語の流れとしては「バベル」風に、一見関係のないように見える別々のところに暮らす若者の悩みが次第に絡まりあっていく、って感じで展開されていきます。


 第一部としては、「マグロウォーズ」って感じで、「やせた国」の若者がマグロ帝国ぷくぷく部に赴き、そこでかつて父親だった男と見えることになります。(※でも、このときは二人は親子だということに気づいていない)

 んで、この時点で力不足なルーク青年はマグロ米だーに敗れてしまうわけですね。(あと、勢いでマグロ大量捕獲兵器にして消費脳拡大型洗脳兵器であるマグロスターみたいなのを破壊してしまいますがこのあたりはどーでもいいです)


  
 第二部は「マグロ帝国の逆襲」って感じでマグロ帝国ぷくぷく部が中心となって「やせた国」に攻撃をしかけているところから物語が始まっていきます。同時期に「サカナの国」にも攻撃がしかけられていて、ここでサカナの国の若者に焦点が当てられます。

 第一部で出てきたルーク青年もどっかの星でてきとーに修行したりしてますが、今回の主な主人公はサカナくんです。

 んで、この回では「マグロエコノミクスの生態」ということで「マグロエコノミクス」のレイヤーがいくつかに分かれていることが明らかにされていきます。

 象徴的なシーンとして、「やせた国」の住人であるルーク青年からすると「サカナの国」とその住人であるサカナくんも「搾取する側」であり、敵として対峙するわけですが、しばらくして二人は双方とも「マグロ帝国にひどい目にあわされている側」ということに気づき、共闘をはることになります。


 で、再びマグロ帝国に旅立つ二人。ここで第三部に続いてきます。



 第三部ではマグロ帝国に旅立った二人とnerdな彼(ガリガリくん)がぷくぷくコミュニティのセミナーで出会うところから物語が始まります。ご多分に漏れず、当初は二人ともガリガリくんのことを「敵」として勘違いしていますが、ぷくぷくの追っ手から一緒に逃げてるウチに「仲間なのか?」ってことになっててきとーに旅の仲間になっていきます。

(※この辺りのすったもんだ劇としては香港映画のそれを想起してもらうといいです)


 んで、なんだかんだで仲間も増えて、ぷくぷくコミュニティの中心部に攻撃をしかけていくことになるんですが、ぷくコミュとの最後の戦いの辺りでぷくコミュの総統もマグロ帝国のコマのひとつに過ぎなかったことを悟ります。

 ここで上位政体であるマグロポリティクスの存在が明らかにされ打倒が容易ではないこと、世界が持ちつ持たれつの関係にあること、このままマグロ帝国をテロると世界経済が立ち行かなくなることなどが知らされます。(あと、ルーク青年のかつての友が故郷で着服大魔神になってたり...、)



 で、まぁ、三人ともいろいろ悩んで..........



 そんな感じかなぁ、



 待て、続編! (たぶん続かない)

 





posted by m_um_u at 19:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

まぐろぽりてぃくすのぎゃくしゅう

 昨日の妄想エントリ(マグロエコノミクス)を見ながら、当たらずとも遠からじかなぁ、とか思ったり。

 「妄想にしてはけっこうよくできてるかも」とかなんとか自画自賛。


 ポイントは、「消費的なライフスタイルが染み込んじゃってるんだから変更不可能ジャン?」、ってとこだろう。それはマグロ帝国側からの一方的な毒電波ってわけではなく、マグロ帝国の住人も悩んでる問題だったり。

 なので「一方的な搾取」ってことではなく、「みんな見えないシステムに踊らされてる」ってとこがポイントなのだろう。(「ハムスターは資本主義という車輪を回し続ける」)


 物語的な肉付けをするとすれば、たとえば「搾取されている側」である「やせた国」の住人が「ぷくぷく帝国」に乗り込んだらそこの国の人々は太っているということにはなんの価値も見出していなくて、「すごいね。きみ、スマートだねぇ(カニ腹だねぇ)」、と言われて戸惑うシーンなんかが思い浮かぶ。あと、ジムでダイエットに励むぷくぷく帝国の住人を見て、「なぜこの人たちはムダに体を動かしているんだろう?」、と思い悩むやせた国の人の描写とか必要かも。


 それに対して、一部の急進的ぷくぷく党員なんかは自分たちのぷくぷくさを自己肯定するために「世界をぷくぷくに変えてやる」とかなんとか言いつつ「ぷくぷくいずびゅ〜てぃふる!」な指標として「GNP(Gross National PukuPuku)」なるものを打ち出したり。



「太っている人たちは食べることのみを考えていて食べている間は幸せなんだ! 第一、ぽっちゃり系は安心感があるだろ? 世界がそういう人たちでいっぱいになれば戦争なんか起こらない!!」


 とかなんとか都合のいい理屈を打ち出してぷくぷく電波を飛ばそうとするんだけど、「君も太ればいいじゃん?」とか言いつつ自分の食べ物は他人に与えようとしなかったり...。



 じゃあ、最後の敵はその辺か?、っていえばちょっと違って、そういう人たちも一部のカニ腹スマーティーが垂れ流すぷくぷく電波に汚染されているだけなので犠牲者とも言えて、スマーティーはスマーティーで無意味な運動にあくせくしたり、仲間内の体面のために消費を続けなければいけなかったり....。


 んで、「けっきょくほんとの敵は誰なんだよぉぉおぉ」、みたいなことを叫びつつ夕暮れて終わる...のかな?


 あと、夕暮れて故郷に帰ってみたら、親友がぷくぷく党員に加わって住民搾取+援助物資の着服をしていてショック → 問い詰めたら「いままでほかのヤツもやってた。オレは席替え要員に過ぎない」とか言われて愕然、みたいなシークエンスも欲しい。



 とりあえず「誰も悪くない」というか「みんな犠牲者」みたいなのを伝わればいいかな、とか思う。



 ちなみに、マグロエコノミクスの上位政体としてマグロポリティクスがある。


THE MAGRO-POLITICS - 関心空間



 「打倒」ってことならここも考えないといけないけど.....たいへんだなぁ。。。


 


 そんなことを思いつつ某痛快うきうき通りの人の童話(?)を見てみた


うさぎ




[これはひどい]






 痛快うきうき通りとしては自分の垂れ流してきた「ポップ(消費)の勝利!」みたいな毒電波の贖罪のつもりなのかもしれないけど、「プラダの靴が欲しいの」だのなんだの言って浮かれてやがったのは事実だからね!


 だったらそのまま「こんどは子猫ちゃんのために南洋の島がひとつほしいなぁ」とかなんとか言って葉巻の島の首長と仲良くなる歌でも作ればいいのに、そこまでは踏み込まないんだよね。



 まぁ、彼はオルタナティブな王子様だから、常に時代に逆行というか、人の気持ちを逆なでするようなものをpublishしていきたいのだろう。


 そういう意味ではArtistっていえるのかも。



 ただ、思うのは


 この手のぽっぷみゅーじしゃんな人たちが改心して作る歌とか活動ってなんでロハスとか反グローバリゼーション(主に米国)とかそんなんばっかなんだろう?

 そんで、てめぇらのやってることと言えば、売れたら自分を支えてくれた女を捨ててほかの女とケッコンしたり、公然不倫略奪婚を成立させたり、「ながい間事実上の仮面夫婦でした」とかなんとか言ってファンをがっくりさせたり....。


 ってか、「改心して地球に優しいことはじめました」とかではなく、「私生活の悪行から目を背けるためにギゼン的なことはじめました」って感じなのかもしれない。




 っつーか、あれっすかね?サヨクってやつは昔からそっち方面の観念がゆるゆるなんですかね?(フリーセックスっていうか)

 そういや誰かが、「全共闘のやつらは運動が目的っていうかおせっくすが目的で参加してたんだ」、とかみもふたもないこと言ってたな。


 あと、学生運動と音楽の繋がりについてはこんな感じか?


小野和俊のブログ:全共闘世代30人と Web 2.0 を語り合う

学生運動 → 音楽活動でプロを目指す → 挫折してソフトウェア会社または学習塾を創業 というのがこの世代の人々の職業選択の典型的なパターンの一つであるらしい



 現在、主要なサヨク活動をしているぽっぷみゅーじしゃんは全共闘世代ではないわけだけど、その周辺にいる人々がその世代ってことでなんらかの思想汚染を受けてるのかも。




 って、そういう意識を持つことは悪いことじゃないけど、ベタにとまりすぎなんだよね..。
 
 

--
関連:
小沢健二 20,000 字インタビュー


muse-A-muse 2nd: バカサヨク、バカウヨクについて




そういや福耳さんも痛快な文章にはぷりぷりしてたな


福耳コラム - 彼はポルポトになるのだろうか


「ぷりぷり」っていうか、彼の痛快な作品が好きだったみたいなのでアンビバレンツな思いがあるのだろうけど...とりあえず、抽象度低いし、世界認識もゆるくて童話にもなってない感じはしますね。(ポルポトっていうかゲバラになりたいのかも。そのほうが葉巻の国の人には気に入られるし)




ちなみに言うと、ブータンなんかは「Gross National Happiness」を打ち出して、「経済力だけでは割り切れない幸福があるんだよ」みたいな痛快ウキウキ思想の代表例にされそうだけど、しっかり経済的発展は遂げてたりする

内藤センセも言ってたけど、清貧だのなんだの言ったって最低ラインでの経済的幸福ってのは必要だと思う。ただ、このときの内藤センセはちょっとパフォーマティブだったので突っ込みがけっこうあって、ほかのところで「アレはポーズです(笑)」って言ってはったけど。痛快な人もパフォーマティブな演出だったりする...(のかなぁ)




(とかなんとかいいながら先日カラオケで「痛快ウキウキ通り」を歌ったのはヒミツだw)
 


posted by m_um_u at 09:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年06月23日

...そうだ! お米さんに聞いてみよう!!(3):腐化の時期と米食の謎

 ♪ こぉ〜めぇ〜を〜かぁけぇるぅしょうじょぉ〜 こぉ〜めぇ〜はぁ〜たぁ〜べぇ〜るぅ〜もぉ〜のよぉぉおぉ〜.........



 ライシャワー来日....ならぬライスシャワー乱れ飛ぶ梅雨枯れ時、いかがお過ごしでしょうか?

 お察しの通り、今回のテーマ曲は「時をかける少女」(時かけ)の例のアレからinspireされたものですが、「時かけ」アニメは未見なのでそろそろチェックしとかないとな、とか思ってる今日この頃です。(レンタル出てるのかな?)


 さて、


 前回エントリの米欄にて、危険を顧みず業界の内部事情を暴露してくれたokome_chanに世界の諜報機関の魔の手が忍び寄っているようです。


米の人:「なんだかこのエントリにコメントした日から…どこかからともなく視線を感じるというか、食欲が増えたような気がするのですが……」


 
 ぶくまを通じてお答えしましたが、やはりhydeの身長が埋め込まれているのではないでしょうか? ...okome_chanの中で育まれる生命の神秘....


 「オレの中で育て、命! (果たせなかったオマエの身長願望をオレがかなえてやるゼ!!)」


 的な漢気?(あるいは母性?)を見せてもらいたいものです。例の鳥の揚げ物でもパクつきながら!



 あるいは、その身長は生命体として独立するのではなくokome_chanの身長として取り込まれていくのかもしれない..。


 その暁には、すくすく育ったokome_chanと下僕のたらこ達によるライブパフォーマンスを見せてもらいたいものです。(※以下、再び歌)



♪ お米を舐めるなよ〜 お米は主食だぜ〜
  飴じゃないんだ 雨で育つぜ 
 梅雨はまだかいな〜

 たらこを舐めるなよ〜 たらこはおかずだぜ〜
 焼いて にぎって 詰め込んで
 立派な具材だぜ〜



セリフ:

「せんせぇ!お米はおやつに入りますか?」

>「違います。お米は主食ですね」

「じゃあ、ポン菓子は?」

>「ポン菓子は菓子です。名前に菓子ってついてるでしょ?」

「.....えぇ〜〜オトナはずるいなぁ〜」



 ド〜ンと打ち上げパっと散るぅ〜 それがお米(おとこ)のじんせぇいさぁぁぁぁ.........



(※以上、歌)



 イメージとしてはホタテマン風の握り飯着ぐるみ(もちろん炊きたて)に身を包んだokome_chanとたら子たちによるデパートの屋上ライブ、って感じです。

 でも、肝心の「ホタテマン」を知ってる人があまりいないかと思ってyoutubeを探してみたけど、アップされてませんでした(残念)。

 仕方ないので分からない人はこちらの説明を参照ください


ホタテマンとは - はてなダイアリー 


 ホタテマン画像




 以上はokome_chanにささげる歌...というか勝手に頭に浮かんだので吐き出したまでです。

 それで、


米 - ヤター!ネットイナゴたん16さいできたよー!!


 を見ながら。


「お米ちゃん、今日も健やかに腐ってるな」とか思いつつちょっと気になったことがありまして...。

 でも、これ以上お米の人に負荷をかけるのも忍びないのでスルーしていただいてかまわないのですが...と断りつつ、以下妄言です。

 

 ぶくまコメントにも書いたのですが、「稲子16歳」ということでいわゆる腐女子の腐化が始まる時期としてはちょうど良いように思います。それとは別に、そういえば腐化ってなんで高校時分なのかなぁ、というところが気になりまして。


 ごく一般的な腐化履歴というのはこんな感じみたいなのですが


ごく一般的なエリート腐女子の履歴書

 
 やはり、「中学のときの軽い目覚めが受験によって妨げられ、鬱屈した腐化願望が高校入学時に爆発する」、って感じなのでしょうか?

 そう考えると稲子が16で腐化したのもうなづける気がします。


 で、

 ちょっと自我ができた稲子は、「...ワタシもう子供じゃない!ひとりで飛べるもん!!」、とかなんとか言って家を飛び出し、仲間と巷を飛び回る飛蝗少女となるのでしょうけど、仲間とつるんで飛んでる時点で「ひとりで飛べるもん!」ではないわけですよね。

 
 稲子がそれに気づくのは第二就職というか、なんらかの責任を負い始めたときなのだろうけどそれはまだ先の話.....(ってことなのかな)



 んで、稲子と米ってことで.......これはアレ? okome_chan自らをささげようとしている?

 もしくは飛蝗少年少女を体当たりで受け止めようとする青春血みどろハイスクールって感じでしょうか?



......さすがokome_chan

 自虐精神というか、自己犠牲の良心というか...。


 なかなかできることではありませんね。



 そんなokome_chanの自己犠牲精神に圧倒されつつも、「イナゴなどどうせなら食してしまえ」、と思うのはおっさんが浅ましいせいでしょうか?


 その際には以下のサイトを参考にされると宜しいように思います。

(※心臓が弱い人は見ちゃダメだYO!)




昆虫料理を楽しむ






 さて、最後に素朴な疑問なんですが

 お米ちゃんは米以外のものも食すのですかね?それとも主食にこだわることによって余計な油分をとらないですむわくわく健康ライフなんかを送っているのでしょうか?

 でも、それって炭水化物ダイエットとは逆方向ですよね?


 っつか、そんなアンチお米派に対して、こんな論陣をはるのかな?


ごはん抜きの低炭水化物ダイエットに疑問 - [食と健康]All About




 そして、また陰謀論めいたところと絡んでしまうのかもしれませんが....


 米国と「米」ってなんか関係あるのでしょうか?

 でも、彼の国って「牛肉」とか「じゃがいも」って感じはするけど「米」って印象はないんですよね。


 あと、ライス長官とお米の関係とか...


 
......お米ミステリー...?

 
 
 その辺のところをお米探偵(おこめたん)がまたまた華麗に解説してくれることを期待しますが、エントリ冒頭でも言ったように負荷がかかりすぎてこれ以上腐化(→ なにかに孵化)されても困るので華麗に無視されてもかまいません。




 では、良い米週末を!
 
 
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2007年06月22日

捕鯨問題から対話可能性やらリアリティの断絶やらについて考えてみた

 以下のエントリにTBいただいて、先方のコメント欄にてちょっと対話。それでいろいろ考えたり


muse-A-muse 2nd: 捕鯨問題の知られざる歴史でガイジンにwhale面かかせてやればいいです


駒沢亭日乗: 捕鯨についてのまとめ



 捕鯨問題について。ぼく自身はそれほど関心がなくて、「漁業の問題がなぜ環境問題とか人道的問題みたいな感じになってるんだろう?」、ぐらいの違和感しかないです。

 そういうのに対して、一部の急進的なクジラ愛護団体は「クジラさまは歌うのよ! (卵を生むんじゃなくて哺乳類なの! だからサカナじゃないの!!)」っておっしゃるわけですが、その辺の感覚がよくわかんないのです。


 TBいただいた先のコメント欄でも書いたとおり、ぼく自身は漁業問題の一種としてしか捉えてないので。あと、希少動物保護の問題が絡むかなぁ、と。

 なので、話し合いにおいては希少性と商業的インセンティブの間のところを模索し、そこに妥協点を見出すべきだと思ってるのですが、その手のギロンを見たことないんですね。(不勉強なので)


 
 で、なんとなく思うのは、「やはり反捕鯨派の根っこにあるのはクジラ様は偉大だからとってはイカン!!」、感情なのかなぁ、と。


 論理的に通らない部分なので感情的な議論なのかなぁ、と思うわけです。


 かといって、別に感情論を否定するわけではなく、ぼくとしては「感情を起点としつつ問題により深くコミットしていくことは可能なはず(感情と論理は争わない)。感情は関心の起点であって、論理的整合性とは関係ない。むしろ関心のケイゾクのためには必要な資源では?」、と思っています。

 ですが、やはりよく分からない論理を展開する人というのは感情論に終始する人が多いように感じます。


 んで、まぁ、自分なりに、この問題に関心を払う人の分布図のようなものを想定したわけですが、



「バカ捕鯨反対派 / 論理的捕鯨反対派 / 論理的捕鯨賛成派 / バカ捕鯨賛成派」



 みたいな感じになっているのではないか、と。


 「バカサヨク / バカウヨク」と同じ図式なわけですが...やっぱこんな感じなのかなぁ。


 「バカ捕鯨反対派」というのは上述したように感情論で史料や各種データをゆがめる(恣意的に利用する)人々のことです。「バカ捕鯨賛成派」も同様。


 ただ、バカ捕鯨反対派の感情としては、「大きくて偉大でかわいらしいクジラさまは偉大 (←同語反復)」、的なインプリンティングがあるのでしょうけど、バカ捕鯨賛成派のほうはどうか?

 こちらは、「わしらが小さいときはクジラなんかふつーに食えたんじゃい」、的なご老人衆の戦中派みたいなゴリ押しがあるのではないか、と思います。


 で、両方ともわけわかんない気持ちのみで話すのでギロンが進まないのでしょうね。


 たとえば、バカ捕鯨賛成派の典型的なダメ議論と思われるものに「クジラで食料自給率を上げる」みたいな言説があるようですが、自給率とクジラの問題なんか関係あるわけないじゃないですか...。


 日本の食糧自給にとってむしろ重要なのはお米ちゃんの問題であり、その米でさえ「コストを考えるとムダ(食の安全保障を考えるなら日本の市場経済全体の安定性を保つことに注力すべき)」って考えられてるぐらいですよ?


 クジラで自給って......(ありえねー。養殖でもするのか?)



 そんな感じで両者とも「つかえねー議論(子供の言い訳?)」って感じがします。



 んで、この問題に対するぼくの立場としては「クジラ問題関心ない派」もしくは「論理的捕鯨賛成派」って感じになると思います。後者はあまりにもバカ捕鯨反対派の意見が目立つので。それへの苛立ちのようなものからそういう立場をとるのかなぁ、と思ってます (カウンターイデオロギー)。


 で、それに対してTBいただいた駒沢さんは「論理的捕鯨反対派」(もしくはそれほど興味がない)って感じなんですが、コメント欄最後の「この問題で日本が強硬な立場をとってIWCを脱退することになるのが心配」というところがちょっと気になりました。

 この問題について、あまり知らないので「そもそもIWCという組織がどのような経緯から作られたものなのか」、「組織として期待される機能とは何か」ということについて分からないのですが、てきとーにググってたら「IWCとは元来、持続的に捕鯨をするために鯨の生産量をコントロールする機関である」みたいな言説を見ました。


 その言説自体一定のバイアスを含む感じがするので全面的に信じてるわけではないのですが、「まぁ、そういうのもありかなぁ」、と。

 んで、IWCについてちょっと調べたのですが


国際捕鯨委員会 - Wikipedia

事務局はイギリスのケンブリッジにあり、クジラ資源の保存および利用に関しての規則を採択したり、クジラの研究・調査を行う。科学・技術・財政運営の3つの小委員会を持つ。



 って感じであながち間違いではないみたいですね。


 あと、こちらとか

IWCとは:鯨ポータルサイト


 IWCは1948年に,大規模な母船式捕鯨によって乱獲されたクジラ資源を国際的に管理するための条約“ICRW(国際捕鯨取締条約:1946年に締結)”を執行する機関として結成されました。その目的は“鯨類資源の保存と有効利用,そして商業捕鯨の秩序ある発展”となっています(日本がIWCに加盟したのは1951年です)。




 ポイントはこの機関の執行力や拘束力、影響力だと思うのですが、その辺については触れてませんでした。

 なので、ぼくとしてはこの団体を脱退したからといってどのような不利益が生じるのかよく分からないのですが....「鯨さんが獲れなくなる」ってことなのかなぁ..。でも、拘束力のない機関であるならば無視してとっちゃえばいいと思うけど....「そうすると漁業全体の外交問題みたいになる」?


 でも、上述してきたように鯨問題なんか食料問題全体からすればほんの一端なことだし、食の安全保障関連でも経済的な影響力(日本という市場の巨大さ・安定性)を保つことが第一に優先されると思うんですね。


 要は「鯨問題以外の部分で友好を保っていれば諸外国も認めるだろうなぁ」って感じです。



 なので「IWC脱退」と言ってもそれほど切迫感はありません。脱退して鯨食べられなくなってもそんなに困らないし。(ぼくが鯨問題に違和感を表明するのはバカ捕鯨反対派の意見があまりにもアレげだからです)


痛いニュース(ノ∀`):【捕鯨】豪州人「調査目的で日本人を2、3人殺していいか?」


 

 以上が鯨問題に対するぼくの個人的な考えです。



 で、


 それとは別にクジラさんやイルカさんは好きなんですね。

 大きくてツルツルしてかわいいし。知能高いのでびみょーにコミュニケーションできそうだし。イルカに乗った少年みたい感じでいっしょに泳ぎたいし、クジラさんにも間近で会ってみたい。

 そういう感情はあります。



 個人的にはそういう感情とネコを思う気持ちというのは自分の中で異なるものなのかなぁ、というところがちょっと疑問だったり。


muse-A-muse 2nd: ネコと生きる


 坂東ネコ問題のときにネコに特別な感情を持っていない人の論理にある種の冷たさや違和感を覚えたのですが、同様の感覚を捕鯨反対派の人たちはぼくに向けるのかなぁ、と。
 
 というより、

 「自分がクジラをネコと同じぐらい好きだった場合どうなのか?」、「ネコとクジラとの違いは何か?」って感じなんですが。

 

 ネコとクジラとの違い........やっぱ身近か身近じゃないか、ってことですかね。大げさに言えば「自由・平等・博愛の博愛があまねく愛ではなく、隣人愛をさしていた」(参照)のと同じように、やはり愛情というのは近くのものへのそれから始まるのではないか、と。

 
 それは「ネコと生きる」で引用した保坂さんの記述にも対応しますね。


人間の思考はもともと「世界」というような抽象ではなくて目の前にある事態に対処するように発達したからで、純粋な思考の力なんてたかが知れていてすぐに限界につきあたる。人間の思考力を推し進めるのは、自分が立ち合っている現実の全体から受け止めた感情の力なのだ。そこに自分が見ていない世界を持ってくるのは、突然の神の視点の導入のような根拠のないもので、それは知識でも知性でもなんでもない、ご都合主義のフィクションでしかない。



 ぼくにとっての「自分が立ち合っている現実」の中にクジラさんは含まれない、ということなのかなぁ...。


 同様のことを格差社会に関する意識の断絶の中にも思ったり...。


 ぼくはそういうのに興味があるけど、興味がない人からすればそういう現実というのは「あちら側」の問題なのでしょうね。(ぼくがクジラ問題に対して思ったのと同じぐらいに)


 でも、格差社会の問題というのは日本経済全体というか..労働意欲にもかかわってくることだと思うのでびみょーだと思うのですが..。(保守派の人たちは「だったら日本経済をまず立て直して、全体を引き上げればいいじゃん?」って言うだろうけど)


 
.....びみょーだ




 あと、「現実としてのクジラ」関連でアイヌとクマのことをちょっと思ったり。


 アイヌとクマの関係は、「カムイの使いとしての偉大なクマ」なのに「それを殺す」というアンビバレンツを含んでいるわけです。


 でも、アイヌの人々からするとそれは生活のために必要なことであり、神聖な儀式のひとつのような感覚もあったのかもしれません。(「神を殺すことで神と同化する - 神を生きる責任を負う」、みたいなの?)


 そう考えると、昔の日本人とクジラの関係にも似たようなものがあったのかもしれないな、とか思うわけだけど、現代ッコ達はそういう感覚は忘れているだろうからその辺引き合いに出しても説得の要素にはならないでしょうね。(第一、相手にその感覚が伝わりにくいだろうし)


 そういやクジラ獲り映画ってないな。「白鯨」とかはあるのだろうけど、日本人による鯨獲りロマンな映画って見たことない。

 ぼくが知らないだけなのかもしれないけど。
 
 





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2007年06月19日

「テイシュクナツマ」から「カワイイワタシ」へ (「女性」意識の構造転換?)

 んじゃ、予告どおり、以前書いてたものを再編集してお届けします。

 このエントリ自体の発端としてはこちらだったのだけれど、



小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 正月に化粧について考える(1)



 論旨としては、


「女性はなぜ化粧をしなければならないか」「女性だけがなぜ化粧をするか」


 から派生して


「<美しさのイデオロギー>によって男性が女性を支配しているから」っていう7〜80年代のフェミギロンに仮着陸。

「貞淑な妻」であるために女性としてのたしなみが、「キレイな妻であるためにキレイな身体が必要なのよ」って感じで化粧を始めたとした身体的抑圧に繋がった、と
(ex.「コルセットでお腹ぎゅうぎゅう」、「纏足で足がひどいことに」)


(※いちお言っとくけど、イデオロギーというのはなんらかの矛盾・葛藤が生じている現状を隠すために為政者・あるいは統制者側がもちいる共同幻想のことを指す。なのでこの用語が使われたときには、「イデオロギーを受け取る側になんらかの葛藤(苦しみ)があるけどそれが隠されている現状がある」、と仮定される。イデオロギーに対するイデオロギー(カウンター・イデオロギー)の場合は、「元となるイデオロギーによって迷惑している現状があった」、ということ)



んでも、


「そんな感じでこういう問いってほとんどデフォルトで答えられるけど、なんでこういうフェミの主張って受け入れられなかったんだろうね?」


と。



 んで、流れから「女性自身が化粧を主体的に受け入れていったんだろう(「化粧したいワタシ」)」


ってのが出てくる。


 このような女性側によるイデオロギーの受け入れ(書き換え)を仮に「キレイ・イデオロギー」とする


 フェミギロンとの関連で考えると、それは男性側によるイデオロギーの押し付けを自分的言い訳で受け入れただけ、ということになる。

 個人的には、テロで誘拐された人がテロリストに親和性を持ってしまうのと似てるのかな、とも思う。



 んでも、たぶんそういうことじゃなくて、もっとライトでポップな感じで女性人はじょしっこライフを楽しんでいる。


 そういうわけで次のエントリではその辺の理由が模索されたり、



 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 正月に化粧について考える(2)



 70年代のフェミのギロンでは、「あなた方は男性によるイデオロギーによってだまされてるだけ。自分たち自身の美しさに目覚めて自己実現しなさい!」、みたいなオルグがされたらしいんだけど、この「自己実現」ってとこが曲者だったみたい。


「“じこじつげん”? なにそれ?」って感じ



 だって、そんなことしなくても彼女たちは充分にじょしっこライフを楽しんでたわけだし、「いまさら化粧やめたり、フェミニンな服着るのやめるのもイヤだしなぁ・・」、と


 んでまぁ、けっきょく、「化粧するもしないもその人の勝手じゃん?(自己選択・自己責任)」、とかになってくわけだけど、それもなんかアレだねぇ・・、と


 もしも抑圧されている現実があるとしたらアレだなぁ、って感じだろうか?


 でも、大部分のじょしっこ達はお化粧ライフを楽しんでるわけだし・・ってか、大部分でないじょしっこ達がそういうので心理的抑圧を受ける、と?


 あとは、キレイ・イデオロギーでキレイ武装していくとお金けっこうかかるよねぇ、って話か?
(「化粧品高けぇよ!服も!!」)



 まぁ、よくわかんないけど




 で、最終的に、「そういう強烈なイデオロギー批判とかよりも日常生活を支障なく送ってんだからいいじゃん?」ってとこに落ち着く、と



 まぁ、そりゃそうだ




 っつーか、小田センセも最後でちょこっと書いてるけど、この部分のびみょーさというか微細さこそがポイントな訳だが


女性たちがラディカル・フェミニズムの批判を拒否しているのはイデオロギーの呼びかける「自己実現のために」という呪文に操られているからだということにはなるのだろうか。女性たちが「キレイ・イデオロギー」による呼びかけに絶えずさらされ、その影響下にあることはたしかだろう。そして、外出するときには化粧をし、化粧品をいろいろ試したりダイエットをしたり補正下着をつけたりするという日常的な行為は「キレイ・イデオロギー」にしたがっているようにみえる。しかし、そのような日常的行為は、その日常性ゆえに、「自己実現のために」という呪文からいやおうなく、ずれていく。たしかにそれは「自分のため」にするのだろうが、日常性ではその「自分」がゆるやかで状況や周囲の他人たちに溶け込んでしまい、「自己実現のために」なんていう「自己」ではなくなっているだろう。そのぐずぐずの状態を肯定してしまうこと、そのようないい加減な態度にこそ、「キレイ・イデオロギー」を崩していく(そこから逃れたり解放されたりするのではなく)可能性があるのではないか。そちらのほうが、日常的な意識の欺瞞性を暴いてそこから自己を解放するといった批判理論の目論見よりも現実的ではないのか。



 四の五の言ったって日常生活で「ぐずぐずっと」お化粧ライフしてるわけだからその部分をもうちょっと積極的に捉えるっていうか、むしろその部分を積極的にhackしていくほうがよっぽど現実的だ、と。


 おそらくこの部分ってフーコー的な微細な権力が絡んでくるように思う


 「権力」っていう言い方をするとビビられてしまうかもしれないが、なんかみょーな指向性のようなもの。そういうのが無意識のプログラム的に組み込まれている。(消費を含んだ生活の場における権力構造として。「性」に対する意識のステレオタイプ化にもそれが絡む)


 その部分をどうhackするかってのがポイントなんだろう。



 あと、>ヘルタースケルター的な欲望の指向性(あるいは再帰、自己充足性)も絡む。



 まぁ、めんどくさい領域なわけだけど、モロにカルスタの領域だな

 フェミ系カルスタ使いの人で誰かやってないのかな?(知らんけど)

 

 ネット見る限りだと大部分がマルクス止まりな感じなんだけど..。
(冒頭の「イデオロギーによる抑圧」「イデオロギーの後ろには男性中心社会が!」的思考形態はマルクスを下地にした批判理論的なもの)


 いや、マルクスも重要なんだと思うけど...。そこ抑えずいきなり生権力とか言っても通用しないと思うし。



 って、これ系ってモロに「プラダを着た悪魔」だな。 (まだ見てないや)





 あと、現代の「女性の化粧」関連は「妻」がどうとかよりも「化粧(身だしなみ)のちゃんとしてない女性はちょっと・・」みたいな女性の労働環境に特有の問題があるように思う。

 批判理論的にはそれも、「男性中心社会による抑圧」なわけだけど・・・お化粧とか女性っぽい服、制服好きな女子もいるしなぁ(いや、それとこれとは別か)



 個人的にはあまりにも化粧っぽい人は苦手です

(鼻がやられそうになるぐらいの香水つけてる人とか)



 っつーか、そんな感じで化粧をする際の意識(必要性)が「テイシュクナツマ」から「カワイイワタシ」のためのものへと変わったように、女性の社会進出(というかある程度の発言権をもったポストへの定着)が常態化するとまたなんか変わるのかもしれない。


 男性と女性の比率が逆転すると男性が化粧させられたりするのかなぁ・・
(局所的にはそういう会社もありそうだけど。ってか、「身だしなみはきちんと!」的な)


 っつーか、もう変わってきてるのか
(「萌え」とか「非モテ」とかそういった男性意識(志向)の変容というのはその影響ということか)


 そういや自然界ってか鳥なんかは♂のほうが着飾りますね


 あれはやっぱ経済関係(力の貯蓄としての金)なんかが関係してくるのだろうか・・


 


--
関連:
livedoor ニュース - 【ファンキー通信 カルチャー編】ブラをつけない女性が急増中のナゾ

※「カワイイワタシ」っていうか、「女子力とか気にしないワタシ」って感じだけど....たれないのかなぁ..。
 
 





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2007年06月18日

ビジン / ワセジョの事情

 smallpineさんとこの「女らしくしたくない女」話を見ながら


smallpineの日記 / 腐りかけの果実の自分語り - 勝ちたい、勝ち方に注文付けて勝ちたい....そんな傲慢さを見つめる試み


smallpineの日記 / 腐りかけの果実の自分語り - ロリータと「女らしくしたくない女」



 なんかいろいろ思った....というか伝言的なものがあるのでエントリあげとこう。



 おーざっぱに要約すると、「女ということを利用してうんぬん」問題に対して過剰に反応する女史の方々の話、って感じ。


 んで、まぁ、ぼくとしてもいろいろ思い当たるフシがあるわけだけど....そのほかにだんご的な事情も思ったり。


 まず、「女ということを利用して・・」なことを過剰に意識する人ってのはなんか...美人が多かったように思う。(個人的経験としては)



 小さいころから「かわいいねぇ」とか「きれいだねぇ」とか言われる反面、「わたしはかわいいからひいきされるんだ」みたいなのを過剰に気にする人々。

 真面目さの裏返しなわけだけど、そういうことでかわいさを封印.....とまではいかないけど、なんかきゅーくつそうな生き方をしてる人というのは見たことがある。


 彼女の場合は「美人」ということだけではなく家がお金持ちだったし、学歴もあったし.....まぁ、いろいろと先天的に他者よりも恵まれていて、そのことに対して引け目を感じていたのかなぁ、と (真面目すぎるコだったので)


 
 それに対して、男は男で「美人」的なものの扱いには困ることが結構あったり...。「美人だからひいきにしてるの?」みたいな例のアレだ。アレがうざったくて「美人だからってひいきしないぞ!」みたいな逆差別的心境が生まれたり。



....まぁ、青臭いというか若気の至りって感じなんだけど。





 smallpineさんのお話は美人限定というわけではないのだろうけど、そんなことをちょっと思った。


 あと、関連エントリとしてはこの辺が絡むかなぁ、と。



*minx* [macska dot org in exile] - セクシュアルハラスメントの動機は性的興味ではない、という話


 要約すると、「(いわゆる)女らしい女史よりも女らしくしていない女史のほうがセクハラ被害にあいやすい」、らしい。

 理由としては仮説的なものがいくつかに分かれるみたいなんだけど、


(1) 女らしくしてない人のほうがセクハラに過敏なので「セクハラ被害が多い」と感じる


(2) セクハラ被害が多い職場は男性比率が多いところが多く、そういうところでは伝統的な考え方があるのでセクハラ被害が強まる


 というもの。


 (ぼくの読み取り不足かもしれないけど)(2)の理由付けだけだと「なぜ女らしくない女史のほうがセクハラ被害が多くなるか」ということがいまいち分からなかったのだけれど、続きの説明でなんとなく分かった。


 この研究が発表されたblogについたコメントによると、「セクハラには対価型と環境型の二種類があるのでは?」、とのこと。


対価型とは昇進や昇給などをエサに(あるいは従わないとクビにするなど脅して)性的関係を迫ることが典型的であり、環境型とは性的関係を迫らないまでも性的な発言などによって職場にいることを辛くすることを指す。



 ぼく流に解釈すると、

対価型: 女っぽい女性に交換条件を出して性的関係を迫るもの

環境型: 女っぽくない女性に嫌がらせ的にセクハラするもの

 って感じ。


 (2)のセクハラはこの嫌がらせ型セクハラに相当するのだと思う。つまり、「お前はオレたちの女観に合わないからもうちょっとちゃんとしやがれ!」、的な。





 以上を綜合すると、女らしくない人はやっとれんな、って感じがする。


 個人的な思い込みかもしれないが、そういう人はいわゆる女大学(「学歴の高い女性」)的コンプレックスも併せ持っていて、そういうのを克服するためにいろんなものをそぎ落としていっているように思うので。

(この辺はまぁ人によるのだろうけど)


 んで、まぁ、この辺につながる、か。


On Off and Beyond: 素敵なお姉さん風高学歴日本女性は婚期が遅れがち


 「高学歴、美人、社交的、お仕事もできるよ ♪」な素敵お姉さんの不良債権化問題。


 男がびびって近寄らない、ってことなのだろうけど。


 んで、それに対して


負け犬女の次世代機は「街金女」 - 好むと好まざるとにかかわらず - 楽天ブログ(Blog)


 美人だと美人維持費がかかるし、美人も増えてきてありがたみがなくなってきてる(コモデティティ化)、そんでそのまま不良債権化する危険性もはらむ。

 だったら最初から高女子力をつけるのではなく、てきとーな隙を出していったほうが良いのではないか? (cf.消費者金融のお姉さんたちに見られるぐらいに毒味がないさわやかさ)



 そんな感じなんだけど、その辺がリアル街金女になる危険性もあったり...。


livedoor ニュース - 【独女通信】独女の借金事情 


 てか、この辺は「周りとの付き合い」とか「見栄」なんかでお金がいる人がなりやすそうなので、猫蛙さんところの街金女とはまた違うか。どっちかっていうと「美人」狙いの人が陥りそうなワナな感じがする。




 ってか、ちょっと違うか





 smallpineさんのところで挙げられているのは女子力高出力型のビジン兵器ではなく、もうちょっとゆるいところでの女子力身につけない人って感じなのかもしれない。



 女子力図的には、


ビジン > ポストビジン > 街金女 > smallpineさんところで出てた「低出力じょしっこ」


 って感じか。


ってか


 「低出力じょしっこ」ってのも呼びにくいので、ワセジョでよいでしょうか?


早辞苑


早稲女【ワセジョ】 早稲田の女子学生のこと。 バンカラな女子大生ということで、あんまりいいイメージを持たれない。こんな諺がある。「世の中には、男と女と、早稲女がいる」
【例文】早稲女も捨てたもんじゃない!



 具体的には男が側にいても自分の荷物は自分で持ったり、会計は割り勘デフォルトだったり....そんな感じで女子力に頼らない系のじょしっこっぽい。

(ちなみに津田大介さんの好みらしい)


 リアルイメージではワタヤリサ、と。

 


 まぁ、そんな感じで分類できるのかなぁとか思うのだけれど、あと、このの記事がちょっと気になった。


【コラム・断 辛酸なめ子】女子校出身者の憂鬱|文化|カルチャー|Sankei WEB


 全体の話は渡辺千賀さんところの話(高出力女史の不良債権化)と似ているのだけれど、「女子高出身者に多いのでは?」という視点でちょっといろいろ思ったり。(そういえば件のビジンさんも女子高出身だった)



 「テイシュクナツマからカワイイワタシ」関連かな、とも思ったのだけれど、カワイイワタシの場合は自分のために女子力をあげていく(smallpineさんのエントリ的にはロリータ)って感じなのでちょっと違うな。


 やはり、「テイシュクナツマ」マインドを持っている人のことなのだろうけど、時代の要請(需要)に対してそれがちょっとずれてきているのかもしれない。



 んで、ちょっと思ったのは......


(以下放言)



 もしかしてこういった感じの女子高出身者が裏返るとサブカル女になっていくのかなぁ、とか...



 いや、たぶんサブカル女はそういう文脈からは出ないな..(反動としてはもっと別方向に行くように思う)




 

 
 

 では、再見!

 
 



--
追記:
「ビジン」って言っても「天然ビジン」と「人工ビジン」がいるな。

「天然」はいわずと知れたもって生まれた美人さん(特にいじらなくてもどうしようもなく美人さん)。対して「人工」は美人画報的な努力で獲得されていく美人さん。

んで、世間的ありがたみとしては当然


天然美人 > 人工美人(※以下、ビジンと略記)


って感じになる。
(女子力や女史間の共感度はまたちがうだろうけど)


猫蛙さんのところで出た「コモデティティ化」という言葉に絡めると、後者のビジンさんはその時代のビジンフォーマットにしたがってビジンを作り上げていくんだけど....それはフォーマットとして世間的に拡がっているものだからそんな感じでビジンが増殖するとビジンのありがたみはなくなっていく。(コモデティティ化するビジン)


あと、関連で「美人投票」なんて言葉もあるな

美人投票とは - はてなダイアリー


「美人とは多数が美人と思うもののことである」っていう例のアレ。んでまぁ、アルファブロガーとか人気エントリーとかできてくわけなんだろうけど...。

 
先日も言ったように、その手の先有傾向的なものも定まった範囲内での効用を得るという意味では合理性を発揮するので、まぁ、それはそれで人の好みかなぁ、と。

企画女優がどうのこうの言う人はこういうビジンにはまりやすいような気がする。(「そういうおまへは汁男優」、と)

 
 






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夜を越えて

Whatever you do will be insignificant, but it is very important that you do it.
-- Mahatma Gandhi



Almost everything is all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.
-- Steve Jobs








 切込隊長のとこ経由で白田センセの檄文をみて心が震えた。



切込隊長BLOG(ブログ): キチガイが政治の中心に来て、その方面を良く知るキチガイに仕事を丸投げしないと駄目だろうな


平成十九年六月十五日白田秀彰演説記録


(※以下、「著作権制度が産業保護奨励政策としての独占にすぎないこと」、関連で)

 
...「制度改正ができるものならやってみろ」ということでしたが...


そんなこと10年前からやってきたんですよ!



私一人でできることは、ずっとやってきたんだ!

それでも、誰もついてきてくれないから...

いまだに、こんな議論を続けなければならないんじゃないですか。




会場から「白田の主張は偏ってるんじゃないか」というご指摘がありましたが...

そんなことは百も承知でやってんですよ!





......熱い!....熱すぎるよ、白田さん!!


 サンボマスターの山口氏を髣髴とさせるような熱さ。ここまで熱い人だったとは...。



 個人的にはこの部分にグッときた


私はその研究に5年かけたんだ。貴重な若い時間を費やしたんだ。



 
 この言葉の重みというか....ただの時間というだけではないということの重みを分かってくれる人がどれだけいるだろうか、と思う。


 貧しさと焦りと、自分の才能に対する自責と苛立ち、懐疑...。鳴り止まない頭痛....。


 そういう情況の中で、ふとした瞬間に、「....オレ、なんのためにこんなことやってんだろ..?」、って思う。


 金の問題じゃないけど、オレのやってることってコストかけ過ぎだよなぁ、って。


 「そのコストって世の中のためなのかなぁ。だったらその世の中ってなんなんだろ 」、とか。





 別件で三浦健太郎の様子を見て同様のことを思ったり。


ベルセルク作者 続・妄想的日常


(※以下、一部抜粋)


ひと月半ぶりに休みがとれて外出したら熱射病にやられた!!(1995年・17号)

都心に出てもやることないので、最近は土手に行く。(2000年・5号)


友達は忙しいし、彼女もいないので一人で行く。(2001年・10号)
長い間、人に会わないと口がうまくまわらなくなる。(2002年・7号)

俺の休みは2か月に半日。もう4年も2日続けて休んでない。そろそろあちこちガタがきてる。
(2004年・23号)


30代もあとわずか。マンガ以外何もないイビツな人生だが、もうとりかえしがつかないので
このままGO!(2006年・2号)






 ぼくらはなんのためにこんなにがんばって....なぜそんなにがんばれたのだろう





みんなが町で暮らしたり

一日あそんでゐるときに

おまへはひとりであの石原の草を刈る

そのさびしさでおまへは音をつくるのだ

多くの侮辱や窮乏の

それらを噛んで歌ふのだ


(宮澤賢治、1925、「告別」


 

 あるいは、あの透明なパイプオルガンの音を聴くためだったのかもしれないけど.....その音はいまも聴こえているのだろうか?



 



 もしも叶うなら、がんばっている人が聴きたいような音を届けてあげられればいいと思うけど、それがぼくらにできるのだろうか...?



 世間を覆う大きな声の間を縫って ぼくらの声を響かせることは可能なのか?


(隊長は「爆音には爆音で!」って言うけど、ぼくらのアンプはそんなに高性能じゃないしな。ライブも常駐できるわけでもない)



 

 あるいは、都知事選みたいなのを活用するのもありなのかなぁ...。でも、やっぱ一過性的な感じがする。地味に内側から変えていかないと。

(生活の中のちょっとした選択でも変えられることはたくさんある)





 そうやって放った銃声は夜の闇を打ち破るのだろうか...? (一瞬で突き破ることはないにしても)





 あぁ、夜明けだ






♪ スガシカオ / 夜明け前


--
関連:
論文作成に役立つリンク集:白田の情報法研究報告


※白田センセの修論・博論の激闘記



muse-A-muse 2nd: intermission:これからの日本社会

※怠惰さをなくし、勤勉が認められるように最適化することは可能なのかなぁ...。(弱者切捨てって感じではなく)



muse-A-muse 2nd: 資源最適化としての格差社会と社会保障に関して

※切込隊長エントリ関連で。あのエントリ自体は、「偏りを直すためには偏りを!」、って感じなんだけど。そこからもスケールフリーして「市場」というか「界」ごとにリーダー立てて最適化しないと将来的にキツイ、って感じが伺える。 梅田さんのサバイバル意識もそんな感じなんだろう。

 各「界」がある程度見えた人には共通して焦燥感のようなものがあるように思う。目の前で魚が釣られていくわけだし、フラット化だしなぁ...。

 
 
muse-A-muse 2nd: まれびと来たりて笛を吹く (多様性の可能性と限界)

※「運動」..というか、世間的関心を集めその関心を持続するにはどうしたらいいか、関連で。やっぱ「中の人次第」って感じなのかなぁ..。(あと、ハブ・インフルエンサーへのアクセス)
 
 
posted by m_um_u at 05:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

2007年06月17日

変換モノの最強モードってなんなんでしょうね?

 昨日のエントリ関連で。「ちょっと言い過ぎたかな..(オレ、反省)」って感じで場の空気を薄めるために池田センセメソッドをプロレス変換したエントリでもあげるべ、と思ってたら隊長に先を越されてしまった。



切込隊長BLOG(ブログ): 池田信夫無双



 bogusgameって感じのエントリなんだけど、そうか....ガンダム無双という手があったか...、。


 システムとしては特に中段の


本件の困惑要素は、従来の池田信夫を概ね理解した上で、キャラクター(池田信夫本人)と発言のレベル(エントリーごとにまちまち)が別々に評価する読み手が不在となっている点。


 「エントリごとに気分が変わる」ってあたりが新しい。あるいはなつかしの「ファジーシステム」って感じで温故知新だ。

 そして、「キ」をためることによって「空気読めない」システムが発動してエンペラータイム(無双モード?)に突入する!


 で、「キ」はこちらの文脈にもつながる...。


 ガンダムシリーズということで「のぶダム」ほか、「のぶキャノン」、「のぶタンク」なんかもキャラ選択できるのだろうけど、「のぶタンク」ってなんかかわいいな。

 「のぶタン」、か....。パイロットとかもふつーに愛称として使ってそう。


 
 
 「ってか、ちょっと萌え..?」とかなんとか思いつつ、そういえば「萌え」と「ゲーム」、「プロレス」変換と変換様式はいろいろあれど、どれが最強(あるいは最凶)なのかな、ってちょっと思った。



 レスオタもけっこう強いし、「萌え」な人たちはあんな感じでなんでも擬人(幼女)化するし....


 ってか、アレだな。「萌え」ってよりも801最凶なのかもな


日刊スレッドガイド : 801板すげぇwwwwwwww


ブログちゃんねる:801板すげぇwwwwwwww



 「萌え」な人たちは宇宙まで擬人化できないもんな。VIPPERやその辺のおっさん達もよゆーで吸収されてるし、おそらく池田センセなんかよゆーで801化される。



 フォーマットとしては同じぐらいのポテンシャルがあるはずなんだけど、やはり対象への踏み込みの問題かなぁ..。


 「萌え」な人たちは「幼女」という脆弱なものに対象を設定することで「管理」(あるいは敵対性のない「癒し」)を前提とした妄想をはぐくんでいるのに対して、「801」な人たちは癒しなセカイじゃないもんな。


 「あらゆるものを801のカオスで染めてやる!」

 
 そんな気概が感じられる。(っつーか、目に付くものを自動的に妄想化してるだけなのだろうけど)



 そして、やはり、なにかを「捨てた」感が強いのかなぁ..。「もう現世には戻れない」、というところで根性が座って踏み込みが強くなるというか..。

 それはヲタでも同じなんだけど、801はさらにケモノ道っぽいしなぁ...。



 ゲーヲタはヲタの一種だけど、ライトユーザー層のおかげで一般認知もあるし。なので、そこまで「捨てた」感なくて良いのだろう。





 そういうわけで801最強ではないだろうか?





 感覚的に、



801 > 萌え > ゲーム > プロレス



 って順列になるのではないかと思う。(どっかに「越えられない壁」とかあるかもしれない)
 



 ってか、フォーマットの問題ではなく、それに属する人の覚悟の差かもしれないけど..。




 そういえばテトリスにはまってるときは世の中がテトリスに見えたり、バーチャにはまってるときには論理的な構成がバーチャ変換できたりしたなぁ..。

 



--
追記:
Economics Lovers Live:炎上俳句

いなごたち 実るいけだに 穂を垂れり   (読み人知らず)


ほだれた稲に は宿るかな  (詠み人知らず)

 
 


posted by m_um_u at 08:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク

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