muse-A-muse 2nd: 「ギゼン」や「正義」的なものへの警戒によって互助の気持ちを疑うのってどうなんでしょうね?
過剰な「正しさ」(暴力的正義)とゆるい互助や連帯の違いについてぼけーっと考えてる。後者は親近者への愛を中心とし「正義」によって他者の領域を侵犯したりしないことかなぁ、とか。でも、そういうのが発展して似非慈善団体みたいになってく例もあったりしてびみょー。その辺ぶくまでお米ちゃんとかも心配しとったね
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okome_chan ここらへんスゲーむつかしいな。複雑で限定的な概念が、共有されていくうちに拡大解釈&単純化&誤解されて別のものになってしまう、ってよくある。
運動とかなんらかの団体に参加したり運営したり場合、ちょっとした違いに目をつぶんなきゃって思ってるうちにそれが積み重なって流されていったり…法には触れてなくても道義的にどうなんだろ?みたいなこともあったりする。あと、法のギリギリのところ狙ってボランティアで集まった労力やお金を巻き上げるの狙う人たちもいるし…(←オレも前にワンコボラ行ったときひっかかった(グレーゾーンだからまだ係争中かなんかだったけど
kokorosha 実際に行動しているかどうかの問題かなと思う
この辺はホワイトバンドなんか想起しつつ「そうだよなぁ」と思う反面やっぱ上記した理由でけっこうムズかったり。「実際に行動している」という場合でもその中身の見極めが難しい。
「なにをもって善的なものとするか」「それはほんとに正しいことなのか」って見極めは難しい。「正義なんて時代や環境によって変わるものだし」って一般論もあるしそれは分かってるつもりだったけど実際に関わってみると流されるところが多かったり。「これはヤヴァイ活動だから手を引いたほうがいい」って理性では分かっててもそこで手を引いちゃうと被害にあってる人とか動物とかにコミットできなくなっちゃうし
正義とか悪とかなくてあるのは近親者への愛(いたわりと友愛)ってことなのかなぁ。「自由・平等・友愛(フラタニティ)」の「友愛」ってことで「正しさとかはなくて自分の近くにいる人々を最小限守ることができ得る精一杯のこと」ってことなのかな。
そしてそういった愛は社会的には「罪(悪)」とされることや人生の空虚さも洗い流してくれる、と。 その場合、自分と関わりのない人たちに関心を持つことは「悪」といえるのだろうか…
それは自分が閉じこもっていくこと(世界への関心を失うこと)の言い訳になってないか?
そういう小難しいとこまで考えなくても「あ、あの人自分の正しさに酔って目がぐるぐるしてる」って人はなんとなく分かるようにも思うけど。イメージとしてはねこぢるの描くぐるぐる目みたいなの。
まぁ、もうちょっとぢもーっと考えていこう
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