2008年02月13日

村上春樹、2007、「走ることについて語るときに僕の語ること」

2006年の6月ぐらいからジョギングをはじめてぼけーっと続けてるんだけど最近になってちょっと楽しくなってきてる。たぶんついったーでhebomeganeなんかのアドバイス聞いたりして刺激受けたからだと思うけど、そのほかに距離が伸びたからかなぁ、とか。

始めた頃は3kmぐらい走ったらもう足がガタガタで呼吸も乱れまくりだったのにいまは8kmぐらい走ってても歩いてるときと呼吸が同じ。12km走り終わってもスタミナ面ではまだ走れる感じがする。なのでこれからしばらくは足の筋力を鍛えたほうがいいのかなとか。5km走るのが苦しかったときもスタミナ切れではなく脚がしんどくなってる問題が気になって走り終わった直後に足の筋トレするようになったら走れるようになったし。(ちなみにスクワットとか鉄アレイもっての背伸び運動やらを地味にやってた)

あと、最近だとこの本の影響もあるかな


走ることについて語るときに僕の語ること
村上 春樹
文藝春秋 (2007/10/12)
売り上げランキング: 206
おすすめ度の平均: 4.5
5 古い作家像を叩き壊し、21世紀の作家像を提示
5 村上春樹が好きな方もそうでない方も読む価値ありかと思います
5 山羊座のA型的性格



まだ全部読み終わってないので全体的な感想はいえないけど、なとなく気になったり共感した箇所をてけとーに引用


 僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。そのような空白の中にも、その時々の考えが自然に潜り込んでくる。当然のことだ。人間の心の中には真の空白など存在し得ないのだから。人間の精神は真空を抱え込めるほど強くないし、また一貫してもいない。とはいえ、走っている僕の精神の中に入り込んでkるそのような考え(想念)は、あくまで空白の従属物に過ぎない。それは内容ではなく、空白性を軸にして成り立っている考えなのだ。
 走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実態ではないものだ。僕らはそのような茫漠とした容物(いれもの)の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、飲み込んでいくしかない。


 誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばんそこの部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。



走ってるときはいろんなこと考えたりしてるようで思考が分散して一つの思考にまとまらなかったり。でも考えてないかというと考えてる。でも集中して一つのものを紡ぎ出しているって感じでもない。そんなことを気にしながら走ってるうちにただ走ることに意識が集中していく。頭の中を巡っていた嫌なことも全部、走るという行為に踏みしだかれていく。そういうのはなんだか禅(千日回峰)みたいだなぁ、とか。

その意味では村上がサロマ湖の100kmマラソンに挑戦ときの話が印象的だった。


変な話だけど最後のころには肉体的な苦痛だけではなく、自分が誰であるとか、今何をしているだとか、そんなことさえ念頭からおおむね消えてしまっていた。それはとてもおかしな気持ちであるはずなのだが、僕はそのおかしさをおかしさとして感じることさえできなくなっていた。そこでは、走るという行為がほとんど形而上的な領域にまで達していた。行為がまずそこにあり、それに付随するように僕の存在がある。我走る、故に我あり。


ウルトラ・マラソンの体験が僕にもたらした様々なものごとの中で、もっとも重要な意味を持ったのは、肉体的なものではなく、精神的なものだった。もたらされたのはある種の精神的虚脱感だった。ふと気がつくと、「ランナーズ・ブルー」とでもいうべきものが(感触から言えばそれはブルーではなく、白濁色に近いのだが)薄いフィルムのように僕を包んでいた。ウルトラ・マラソンを走り終えたあと、僕は走るという行為自体に対して、以前のような自然な熱意を持つことができなくなってしまったようだった。もちろん現実的に肉体的な疲れがなかなかとれなかったということもあるけれど、それだけではない。「走りたい」という意欲が、自分の中に以前ほどは明確に見出せなくなったのだ。何故かはわからない。しかしそれは打ち消しがたい事実だった。僕の中で何かが起こったのだ。日々のジョギングの回数も距離もめっきりと減っていった。
 そのあとも前と同じように毎年一度はフル・マラソンを走り続けた。言うまでもないことだが、生半可な気持ちでフル・マラソンを完走することはできない。だからそれなりに真剣に練習をし、それなりに真剣にレースを完走した。しかしそれはあくまで「それなりに」の領域にとどまっていた。僕の身体の芯に、何かしら見慣れないものが腰を据えたようだった。ただ単に走る意欲が減じたというだけではない。何かが失われたのと同時に、新たな何かがランナーとしての僕の中に生じたのだ。そしておそらくは、そのような出し入れのプロセスが僕に、この見慣れぬ「ランナーズ・ブルー」をもたらすことになったのだ。
 僕の中に生じたもの?ぴったりとした言葉が見つけられないのだが、それはあるいは「諦観」に近いものだったのかもしれない。


 タイムは問題ではない。今となっては、どれだけ努力したところで、おそらく昔と同じような走り方はできないだろう。その事実を進んで受け入れようと思う。あまり愉快なこととは言いがたいが、それが年を取るということなのだ。僕に役目があるのと同じくらい。時間にも役目がある。そして時間は僕なんかよりはずっと忠実に、ずっと的確に、その職務をこなしている。なにしろ時間は、時間というものが発生したときから(いったいいつなのだろう?)、いっときも休むことなく前に進み続けてきたのだから。そして若死をまぬがれた人間には、その特典として確実に老いていくというありがたい権利が与えられる。肉体の減衰という栄誉が待っている。その事実を受容し、それに慣れなくてはならない。
 大事なのは時間と競争することではない。どれくらいの充足感を持って42キロを走り終えれるか、どれくらい自分自身を楽しむことができるか、おそらくそれが、これから先より大きな意味をもってくることになるだろう。数字に表れないものを僕は愉しみ、評価していくことになるだろう。そしてこれまでとは少し違った成り立ちの誇りを模索していくことになるだろう。



この辺を読んでいて少し前にジョグノート阿修羅のひとが書いておられたことが頭に浮かんだ。


改めて、今後の夢は・・・・・・。 その夢は、五大陸横断フットレースかな??(笑) 最近、マラソンには全く興味がなくなりました。 スピードを競うだけのレースは、卒業しました。 その卒業記念として、Honolulu Marthon2007では、"2時間48分(ネット)"を達成!! でも、もう暫くは、もう結構です。(笑) 過去13回参加したHonolulu Marathonも、同じく卒業!! 次の大きな目標は、スパルタスロン2008を完走すること!! その前に、萩往還250キロ、日本縦断フットレース、川の道フットレース、トランスエドを走ってみたい。 さらに、トランスヨーロッパフットレースくらいの5000キロの走り旅に出てみたいね。



ウロ覚えだけど阿修羅のひとも50歳ぐらいじゃなかったっけ?(あるいはもっと高齢の方だったか) 

いずれにしても日常のトレーニングで100kmとかってあり得ないって感じだったけど村上とAloha!Moanaさんのこの辺の記述を見ていてちょっと考えが変わった。

そういえばジョギングを始めたころは「ダイエット目的で走り始めたんだから5km以上は走る必要ない」とか思ってたんだけどだんだんと走ること自体が楽しくなってきてる。楽しいっていうか、あのなにも考えない状態になって削られていく独特の感じ、身体が自動化する感じを味わいたいというかそんな感じになってきてる。そして「どこまで走れるんだろう?」って距離を伸ばしていっている。

「スピードじゃない」って感覚はジョギング始めた初期のころにつかんでそれで段々とジョギング的な走りになっていったんだけどいまは再びスピードを意識してるか。hebomeganeにいわれた、「20kmを1時間半で走れるようになると楽しくなるよ」ってのが頭に残ってる。なんとなくだけどいまのペースだったら行けそう。(12km程度しか走ってないけど)

そういう感覚も距離が伸びていくにつれてなくなっていくのだろうか。要らない自意識みたいなのが削れて丸くなっていくのかな?(転がる石のように < 転がる意志のように)



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関連:
極東ブログ: [書評]走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)


「走ることについて語るときに僕の語ること」/村上春樹 - 空中キャンプ


Kousyoublog | 「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹著




posted by m_um_u at 23:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
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