2008年01月27日

「意味から強度」? (形式と内容について(序))

1つ前のエントリ(内容から形式へ)関連で。最近見たものでちょっと思ったことがあったのでメモ程度に。まずはこれ


退廃芸術を世界から追放するのだ - Discommunicative

恋空が本当に面白い、冗談ではなく - Discommunicative


「ガキがてけとーなこといってるだけなので捨て置け」的な内容ではあるし別に怒っても意識してもないのでどーでもいいっちゃどーでもいいのだがこういう界隈の人々のリアリティというのについてちょっと興味がある。おそらく「意味から強度へ」であり「内容から強度(面白さでありインパクト)」ってことでその元になってるのは「個人の嗜好・価値観は自由じゃないですか!(解釈は自由じゃないですか)」 → 「全てがフラットなんですよ」的な考えだと思うんだけどまぁゆとりって感じかなぁ、とか。

 eigokunにしてもそうだけどこういう界隈の人々のおそろしくゆるい認識(+自分のゆるい考えが個性的だと思ってる甘さ)は見ていて眩暈がするけどそういった眩暈そのものが売りだと思っているのかもしれない。もの珍しさ的に見ている人も多いのかな。よく分からない。

 あるいは、分かりやすい言葉、自分達にも分かるような断片的な言葉で一足飛びに真理のようなものを語ってくれるところに共感するのかも。まぁ、サブカルって感じだけど。

 大部分はネタ的にやっているということなのだろうけどそこにも面白さを感じない。極めてお子様的な瞬間芸(芸というかギャグ?)みたいな印象しかない。それはそれでおもろいけど・・まぁ、その辺はいいか。


 おそらく「恋空」にしても村上隆的アート(?)にしても、それを擁護する際に言いたいのは「それぞれのリアリティがある(ゲージツに貴賎はない)」的なことなのだろう。それ自体は合ってると思う。極めて断片的だと思うけど。この辺みても「恋空」が一部の人たちにとってはリアルなものだってのは納得だしね。


女子高生のリアリティ


 てか、そういった「それぞれのリアルなんだよ」的な話も分かっていたんだけど。ハマサキアユミやコーダクミが好きな人の中にもその歌詞のリアリティに共感してる人がいるわけだしね。それ自体はそういうものだろうなぁというぐらいの感想しかない。スイーツ(笑)な人たちも実在するみたいだし。

 村上隆的なジャンクを好みそれに高い金を払う成金たちもそういったリアリティの元に生きていて、自分達のリアリティを社会的に価値付けたいから高い金払うのだろう。彼らにとっては払える金額なわけだし。「自分達の好きなもの(素晴らしいもの)」なわけだからその額払っても良いと思えるわけだし。


 ただ、そういったものをもって「文学」だの「おゲージツ」だの言われるのは違和感。何も「高尚なアートさまが穢れるじゃないか!」とか言うつもりもないんだけど真面目に芸(arts)を積んだ人々の技芸の結晶として成り立っているArt(作品)というものが存在する。いろいろな知識や技、物語の集積としてのArt。そういうものといままであげてきたようなものは明確に違うのではないか?だって情報量が違うもの。それにかけたコストも違うし。そういう技を見るリテラシーがないのに、「全ての創作はフラットだ」、とかいうのは失礼なように思うが、まぁ別に表現者さまの代表になろうとかそういうつもりもないのでこの辺で。


 思うのは再び「意味から強度」って辺り。

 「内容ではなく面白さ(インパクト)」は60sの形式主義への反省から始まった「反省としての無反省」だったということなんだけど形式主義への反省として始まったはずなのに結果的に形式主義を招いてしまった皮肉。で、ゆとりが「面白ければいいんですよ(強度があればいいんですよ)」とかいい出す始末。そういう流れを見ると「反省としての無反省」ってのは北田さん独特の歴史解釈に過ぎないのかな、って。みなさん消費的記号の流れに身をゆだねていただけなのではないか?より良い商品を求める過程でコンテンツはどんどんスモールパッケージ(分節化)していき結果として「物語」的な重いもの(時間を食うもの)がはずされていっただけなのではないか、という気もしてくる。

 「より多くの文脈を必要とするようなおゲージツは重すぎて時代に合わない」、ということなのかも。そゆのはおゲージツの分野だけではなくオタクコンテンツにも見られるみたいだしね。お金はあってもリテラシーや時間が足りない。

 対抗先のないサブカル(≠カウンターカルチャー)は規範なきスノビズムとなって記号の海を遊覧する。あるとき大海の中の木っ葉であることへ不安を覚えて安易な物語にすがろうとする、か。とですけなんかはそういうのに縋りそうもないけど味音痴で刺激たっぷりなものが好きっぽい。激辛カレー好きのOL舌( >岡崎京子好きだしな




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追記:
 「歴史的に新しい技芸が認められるときはそれまでの文脈なんかないわけだから一目で人を惹きつけるに足るインパクト(強度あるいはアウラ)が必要」って話も分かるんだけど文脈が構築されたものと強度系で測るしかないものをまぜこぜにして語るのはどうかと思うよ



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関連:
松岡正剛の千夜千冊 『反解釈』スーザン・ソンタグ

※「形式と内容」関連で。まだ読んでないしソンタグってびみょーなところもあるみたいだけど [あとで読む]

スーザン・ソンタグ著者 「反解釈」

憂愁書架: スーザン・ソンタグ『反解釈』


Twitter / m_um_u: この辺四度いたほうがよほどためになると思うけど・・観測...

※Artとお金、あるいはArtをArtたらしめるシステムについて。未読



タグ:art 文学
posted by m_um_u at 11:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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