2008年01月13日

論理的思考様式と詩的思考様式 (アナログ的思考の可能性、「魂の座」ら辺)

 mixiで書いた内容をもそっとブラッシュアップして自分用の課題リストでもくっつけたエントリを仕上げとこうと思ったんだけどいざやるとなるといろいろめんどくさくなってきたのでついったーでてけとーにつぶやいた次第。

 んで、めんどーで無精なのでそれをそのまま貼り付けちゃうよ♪


 その前にミクシで書いたのもいちおリンクしとかないとフェアじゃないか・・(つか、あまり晒したくもないのでついったーでもリンクしなかったけどまぁいちお)

[mixi] 自動筆記(全体)的思考と論理(分析)的思考、文字的記憶と図像的記憶、意識と無意識 ら辺 (仮)


 んじゃ、以下ついったーの内容。(※書籍部分の説明など一部追加)


ミクシで書いた内容をさらに短く要約すると「論理的思考法あるいは記憶術、情報処理技術というものができることによってそれ以前の全体知のようなものが失われてしまったのではないか?」って問題意識。全体知って言い方だと少し語弊があるか。分析(要素還元/デジタル)的思考に対するアナログな思考

思考様式、記憶、認識の経路、意識のあり方、情報処理の方法、情報の流れ、情報編集術、・・大体以上のような領域が絡むか。きちんとやる場合それぞれの領域について最低5冊は必要かな

おーざっぱに全体を見る場合はシステム論的に情報編成のあり方を見ることができるように思う。コンピュータのアナロジーとシステム論を対照化させることである程度それが可能なように。端的に言えば、コンピュータ的に再現できるようなものでなければシステム論(ネットワーク論)の完成形とは言えない

しかし、論理的思考によって現せない部分があるっていいつつ論理によって系を刻んでいくというのは自己矛盾っぽいものがありそうな。そういう系をつくることによってこぼれていくものがあるだろうことがちょっとした懸案。システムはゆらぎ(全体性)をデザインできるか、ってのにも通じるかも


とりあえず、現時点での課題図書としてはコンピュータアナロジーとして「心はプログラムできるか」

心はプログラムできるか 人工生命で探る人類最後の謎 (サイエンス・アイ新書 31) (サイエンス・アイ新書 31)
有田 隆也
ソフトバンククリエイティブ (2007/08/16)
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おすすめ度の平均: 3.5
5 遠い先に何かが見えてくるようなわくわく感がある
2 サイエンス・アイのカテゴリーでは、工学?



lifeで鈴木謙介さんがおすすめしてたもの。人工生命関連らしい。「再帰性」などの社会学用語なんかを理系(あるいは情報工学)的観点から説明したらどうなるか、とかやってるらしい。



ブルーバックスの「脳科学の最前線」シリーズ
http://q.hatena.ne.jp/1182091564

「脳科学」って言葉がびみょーそうだけど概説として。


てか、こっちか

脳研究の最前線(上巻) (ブル-バックス)
理化学研究所脳科学総合研究センター
講談社 (2007/10/19)
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脳研究の最前線(下巻) (ブル-バックス)
理化学研究所脳科学総合研究センター
講談社 (2007/10/19)
売り上げランキング: 1020



 これもlifeでおすすめってたもの。脳と記憶(あるいは認識、意識)の関係で。




意識(サイクロン)の中心―内的空間の自叙伝 (mind books)
ジョン・C. リリー 菅 靖彦
平河出版社 (1991/01)
売り上げランキング: 235518



人工生命―デジタル生物の創造者たち
スティーブン レビー Steven Levy 服部 桂
朝日新聞社 (1996/03)
売り上げランキング: 44159
おすすめ度の平均: 4.5
4 人工生命に挑む先人たちの足跡
5 おもしろい!!





 渡辺センセのところでおすすめだったので


ディジタルとアナログ (book review)


 「意識の中心」はデジタル的思考(分析知 。それを組み立てるための方法としての論理(ロジック))とアナログ的思考、意識の在り様などを考える際に役に立ちそう。コンピュータのアナロジーについては「人工生命」のほうがよさげ。(以下、リンク先エントりより気になる部分引用)

スティーブン・レヴィには『ハッカー』(工学社)という、パソコン誕生前からコンピュータに夢中になった連中についてのルポがあって、以降もコンピュータに関連する労作を何冊も書いている。その中の1冊、『人工生命』(朝日新聞社)も、この夏あらためて読んでみた。
・コンピュータ開発の初期段階、あるいはそもそもの発想段階からあった目的の一つに、「人の手で命を創り出せないか」という野望があった。命あるものは何より物体として存在する。コンピュータによって産み出されるものはディジタル情報だから、物質化させることはできない。しかし、命あるものはかならず物体として存在しなければいけないのか。そんな疑問は、種の保存を司るのがDNAといった遺伝子情報であることに注目することによって乗り越えられる。コンピュータ内に生命が誕生し、進化するための環境を作れば、やがて単細胞の命が生まれ、それが勝手に進化を遂げていく。レヴィーの『人工生命』は、そんな野心に夢中になった人たちの物語である。


 ここから前述した「心はプログラムできるか」の課題に繋がる。


・人は何より身体として存在する。そして身体を制御する司令室は脳にあって、ここには「私」というじぶん自身を意識する働きもある。ジョン・C.リリーは『意識の中心』(平河出版社)で、その脳をコンピュータとして理解している。そのバイオコンピュータにはプログラムが組みこまれ、プログラムを管理するメタ・プログラムが置かれている。リリーによれば「心はプログラムとメタプログラムの総体、すなわち人間コンピュータのソフトウエアなのである。」
・たとえば、新しい環境に馴染む、新しい仕事や技術を覚え、習熟する。それを一つのプログラムの生成と精密化として考えれば、この発想には合点がいくことが多い。そのプログラムを自覚的に管理するのは「意識」というメタプログラム(プログラムのためのプログラム)で、それらの総体が「心」になる。

(略)

ディジタル化とは実体あるものを01の数字に置きかえて代替することだ。しかし、実体ととして存在する生命が、ディジタル情報によって生成され管理されているのだとすれば、生命の本質にあるのはアナログではなくてディジタルだということになる。そんな発想を理解したら、ノーバート・ウィナーのサイバネティックスが気になり始めた。彼の『人間機械論』(みすず書房)には、サイバネティックスは「有機体(organism)を通信文 (message)とみなす比喩」として発想された研究視点だという説明がある。有機体の根源にあるのはメッセージ。だから実体には形や質量がなくてもいい。


 強調部の「メタ」うんぬん「プログラム」うんぬんな辺りは個人的にはルーマンのシステム論における「形式」や「プログラム」の辺りに対応するように思う。

 あと関連で言語認識とヤコブソンら辺も


言語を共有するということ

 ことりこ(@増田)の関心もちょっと似たような感じで「コンピュータだと完全に世界を構築しないと動かないのに人間だと動くってすごいね(その間の部分になにがあるんだろうね)」ってことみたい。先ほど引用して強要した部分に対応すると思う。


 あるいは分析哲学系だとこの辺

 まず「コミュニケーション(プロトコル)が通じているか?」の確認がある。交話的コミュニケーションってやつ。具体的に言えば「もしもし」みたいな確認

接続的コミュニケーションの陥穽 (内田樹の研究室)

コミュニケーションには接続・伝達・理解の三段階がある。
接続コミュニケーションは「これはコミュニケーションですよ」という合図のことである。
「交話的コミュニケーション」とロマン・ヤコブソンが名付けたものである。
「もしもし」とか「後ろの方、話、聞こえてますか?」というようなものがそれである。
コミュニケーションが成立していることを確認するためのコミュニケーションで、「メタ・コミュニケーション」とか「コミュニケーションのコミュニケーション」とか「解錠するコミュニケーション」とか、いろいろな言われ方をする。


 
簡単な用語集より「言語機能(げんごきのう)」(@ヤコブソン)

言語の基本的な機能のこと。ヤコブソンによれば、伝達の場面を構成する基本的な要因は〈発信者 addresser 〉〈受信者 adressee 〉〈メッセージ message 〉〈コード code 〉〈コンテクスト context 〉〈接触 contact 〉であり、これらに対応した6つの言語機能がある。

1.

心情的emotiveまたは表現的(表出的)expressive機能
〈発信者 addresser 〉に焦点を合わせた機能で、話の内容に関する話し手の態度を直接的に表現しようとするもの。間投詞などで明らか。

2.

動能的(能動的)conative機能
〈受信者 adressee 〉へ向けられた機能で、命令文などに典型的に現れる受信者への働きかけ。

3.

詩的poetic機能
〈メッセージ message 〉そのものに焦点を合わせたもので、表現の拍子や音韻などへの美的感覚を喚起する。詩のなかで韻を踏んだり、類音語(似た音の語)を反復したりするときに明らか。

4.

メタ言語的metalingual機能
〈コード code 〉に焦点を合わせたもので、発話を注解する機能を発揮する。たとえば、「マウスをダブルクリックしてください。」「えっ、『ダブルクリック』って何ですか?」「ダブルクリックとは、ボタンを二度続けて素早く押すことです。」のような会話では、メタ言語的機能が発揮されている。

5.

関説的referentialまたは告示的(叙述的)denotative機能
〈コンテクスト context 〉に焦点を合わせるもので、現実の状況や場面について語るもの。大部分の発話では、この機能が主要な役割を果たす。

6.

交話的phatic機能
〈接触 contact 〉に向けられたもので、儀礼化した挨拶などに典型的に現れる。

ヤコブソンによれば、発話は伝達の場面において複数の機能を同時に果たすのが普通である。たとえば、詩のことばは詩的機能を発揮することが期待されるが、関説的機能がないということはできない。詩のことばであっても、少なくとも何かについて語っている(関説的機能)ということができる。表現そのものの美しさなどへ意識が向けられる(詩的機能)結果、事務的な文書などに比べて関説的機能が相対的に弱くなっているだけである。



 ヤコブソン的なのの分かりやすい説明としては「『猫たち』の分析」ってのがいいってもなどんがいってたな

詩の記号学のために―シャルル・ボードレールの詩篇「猫たち」を巡って
花輪 光
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(これも同じやつなのかな?)

詩の記号学のために
詩の記号学のために
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あと、この辺はネットワーク論(創発関連)と関係あるから自分的にさっさと接続したほうがいいと思う


『創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』 スティーブン・ジョンソン著、山形浩生訳 ソフトバンクパブリッシング 2004 by まろまろ記

創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク
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4 創発現象を概念的に理解するのに適した本
4 「創発」って何?がわかります
4 創発という言葉を知らなければぜひ






あと、同じくもなどんがいってた「記憶の部屋」


「記憶の部屋」「フィクションとディクション」 - モナドの方へ


 一章のタイトルが「記憶術と印刷術の関係」とかそそる・・。


 関連でキットラー、オング辺りを読む


声の文化と文字の文化
桜井 直文 林 正寛 糟谷 啓介 ウォルター・J. オング Walter J. Ong
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5 文字ってすげえな
5 是非大学生に読んで欲しい



松岡正剛の千夜千冊『声の文化と文字の文化』ウォルター・オング



グラモフォン・フィルム・タイプライター〈上〉 (ちくま学芸文庫)
フリードリヒ キットラー Friedrich Kittler 石光 泰夫 石光 輝子
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2 訳書も原書もいまひとつ、いやいまふたつ


グラモフォン・フィルム・タイプライター〈下〉 (ちくま学芸文庫)
フリードリヒ キットラー Friedrich Kittler 石光 泰夫 石光 輝子
筑摩書房 (2006/12)
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おすすめ度の平均: 2.0
2 いまふたつ


松岡正剛の千夜千冊『グラモフォン・フィルム・タイプライター』フリードリヒ・キットラー

むーたん:キットラー概説メモ + 音読・黙読 ら辺

むーたん:システムのリソース変化について (あるいは新しいシステム(+パフォーマティブメディア))が生まれる前段階

(「システムが変わったからといって内容も語彙(リソース)もいきなり変わるわけじゃない」から「システムの変化に先んじて起こる基層的な変化が語彙や伝播(パフォーマティブ)メディアに与える影響」、みたいな内容)




システム論についてはもそっときちんとマトゥラーナ辺りとかも参照すべきかと思うんだけど関連文献とかもたぐると長そう・・。あと、情報工学関係でオートポイエーシスのとらえ方ってどうなってるのかちょっと知りたい(「心はプログラムできるか」で出てるのか?)

あと、オートポイエーシス関連でプリコジンも読んどいたほうがいいのかとか思うんだけどなんかめんどい・・。プリコジンやマトゥルーナから行くよりも情報工学的な概念や認識をマスターしてそれと現在のオレのシステム論認識を接続させてからシステム論全体を見ていったほうが速そう





以下、いただいた反応。見やすいように発言の順番はてけとーに編集してるよ。


shalom_rajendra @m_um_u 理性は必然的に何かを取りこぼすが、取りこぼすことそのものは理性によって認識できる、みたいな話?

m_um_u @shalom_rajendra いや、逆に理性を研げば研ぐほどそれに頼ってとりこぼすものを認識できなくなるのではないか、って話

shalom_rajendra @m_um_u 理性を研ぐことと、それに頼ることって別の話じゃないですか?個人の理性には限界性があるけれど、そいつをサポートするのが衆知だと思ってるので。

m_um_u @shalom_rajendra ちょっと語弊がありましたかね。理性というか論理的思考の型のようなものに頼っていくことの危険性うんぬんです。要素還元主義や分析知に頼ることによって見えなくなるものがあるとかそんなの

m_um_u @shalom_rajendra てか、書き方の様式を意識して良い文章、型に沿った文章を書こうとするとほんとに書きたいところからずれて様式によって思考がドライブされていくんじゃないか、という問題です。美しい文章きれいな作文ではあるかもしれないけど自分の思考なのか、っていう

shalom_rajendra @m_um_u それは解決法あるんですかね?結局いつまでも漸近線でしかなくって、行き着くところは必ずズレている。しかし僕らは、おそらく論理によってしか思索できないのだろうし。

m_um_u あと、ついでついでにいうと「論理(あるいは物語)的な表出様式とそれ以外の様式」関連でいうと後者の例としては詩とか考えられる。前者が線的で定式化されているのに対して、後者はもそっとランダムネスをもっているというか・・。ミクシに書いとけばよかったな。。

m_um_u @shalom_rajendra postしたところなんですけど詩なんかは論理とは違う表出様式なのではと思います。断片的に論理性を含み定式をもっているのかもしれないけど、論文とかのような論理とは違う。もう少し言えば詩のような自由なアウトプットは会話的な思考様式だったように思います

m_um_u いちおいっておくと論理とそれ以外の思考様式が排他的な関係にあるのではなくて後者の見直しによってもそっと創造性を喚起できるようになるのではないか、ということ。現在は論理的様式に偏重しているように思う。それは反省を促す知の様式としては有効だと思うけど後者をもそっと見直してもいいような


shalom_rajendra ああ、詩は理性ではなく感性がドライブして発露した表現だな。脳髄よりも身体感覚、というか皮膚感覚を大事にしてる。

shalom_rajendra とはいえ、現代詩は現代芸術の流れと同様にバックボーンとして相当の思索を経てアウトプットされているし、特定の相手を想定しないコミュニケーションではあるような。



acquo 様式によって思考がドライブされていくっていうのはけっこう感じる。それはついったの文字数みたいな小さなこともそうだけど、書く場所の大きさ、使っていい(あるいは使うべき)言葉使い、とかでも規定されて、思考の組み立て方も変わってくるのを感じる。

acquo 相手がいればまた言いたいこと、考えたいことからずれていくし、それはいいこともあるけど、問題から離れていってぐだぐだに巻き込まれるっていうこともあるかなあ。もしかしたらこれは訓練かもしれないけど。

acquo 文章だとやっぱり長さって大きい感じ。800字と4000字、どちらもその字数での訓練が必要だった。自分の場合は、だけど。あと顧客向けプレゼンと自社内プレゼンでも使える言葉が違ってくる。まあ、これは目的が違うっていうのも関係していると思うけど

acquo 論理的に話すべき場合っていうのはあとから確認されるもののときに必要になる感じ。整合性を考えるとかけないこととか言えないことが出てくる。相手の感情を引っぱりながらの対話とかだと、自分の中での言葉の組み立て方も脱線が許される感じ。その分、整合性は怪しかったりするはず。

acquo 思考することと、記憶を組み立てることは、つねにフィードバックの関係にあるような気もする。論理的、という判断が、前に_8さんが言ってたけど、直感に裏付けられているっていうこととも関係してる感じ。





 大体そんな感じ。最後に詩の話が出てきて思い出したんだけどLさんには詩学っていうか、文学的視点から「形式による束縛とそこからの自由」みたいなのについて聞いてみたかったのです。形式は形式的になっていることによって「(反省 → 修正可能な)きちんとしたものを作れる」って可能性があるかもしれないんだけどそれによって自由な創造性が制限されるのではないか?っていう・・。

 そんで創造性としては詩的な形式に可能性があるように思うんだけど、ちょっと勝手な憧れ入ってるかなぁとか思ってるのです(この辺ぼんやりとした説明で申し訳ないが)。あと「文書として使えない」ってのは前提としてありますね。


 あと付け加えるなら意識や心の話が出てきたのは、<「理解」の過程において言語的、論理的に完全に意識(統御)できているところは少なくて、むしろ無意識的な部分(非論理的な部分)にこそ理解あるいは情報処理の中枢はあるのではないか?>、って思ったからです。あるいは「心(魂?)の座」のようなものが意識と無意識を総和、駆動させているのかなぁ、と。


 まぁそんなこんなで、いつもどおり結論ありませんが「自分用の課題リスト」って感じでした。


posted by m_um_u at 21:50 | Comment(0) | TrackBack(1) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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