2007年12月09日

ABAをめぐる批評を読んでの雑感

 この辺のエントリを見て違和感+もろもろ連想したのでいちお


「アルファブロガー・アワード2007」という内輪のイベント - Student magazine


 ABAの集まりについて。要約すれば、「内輪って感じでしたよ」、ってことなんだけどそんなの当たり前だべな。ぶくまでも何人か言ってたけど


はてなブックマーク - 「アルファブロガー・アワード2007」という内輪のイベント - Student magazine


 つか、そんなのはその会に参加する前からわかってたことなんすよ。ぼくもその辺書いたし


muse-A-muse 2nd: 今年のあるふぁるふぁ大作戦についての雑感


 ポイントは「そういう内輪感以外にどのような内容があったか?」ってことなんだけど、paulさんは最初から「内輪話」って感じで聞き流していたようでその辺がぜんぜん伝わってこない。内容がないので誹謗中傷レベルにしかなってませんね。

 少し違うけどブログ限界論のイベントで語られていた内容を見るにpaulさんが言っている批判(?)は見当違いのように思いました。以下、parsleyさんとこにまとめられていたログ


『ブログ限界論』ログ(上) -Parsleyの「添え物は添え物らしく」

『ブログ限界論』ログ(下)-Parsleyの「添え物は添え物らしく」


 ぼくも最初は、「ABA系イベント(あるいは運営者の主旨)ってお金儲け系ですか?つか、書き手のインセンティブを高めるために広告を利用しようとしているのはわかるけどそれが逆にブログの可能性を狭めていっているのではないですか?」、って感じだったのですが上記のログを見て少し考えが変わりました。

 その辺についてはついったーで吐いたものをたんぶらって置いたのですが


むーたん:イベント「ブログ限界論」のログを見た感想


 以下、セルフ引用

ブログ限界論のログをざっとだけどとりあえず全部読んだ印象メモ。ブログ人口の増加→ライトユーザー層の増加によって質の高いブログが見えなくなってきている懸念。その状況を変えるためにしぶしぶブログアワードを続けている、と(今年はやめようと思ってた)

質の高いブログを見つけ出すにはその方面の知識を持った人が発信を続けてくれる必要がある。そのモチベーション喚起のためにはお金が有効が有効なのではないか?スパムブログも増えてることだし、そんなに汚されるぐらいならわれわれが広告-blog周りを管理していきたい

こんな感じか?専門知を通訳する人たちを養成することは必要だと思ってるので同意なんだけどblogと広告とお金の関連はびみょーな気がする(ほんとにそれによってモチベーションが喚起されるのか?)あと、それ以外の理由でアワードが必要な理由(あるいはブログが限界とされる理由)がわからん

徳力さんたちの設定した「社会的影響力をもったブログ」ってのからすると「限界」(あるいは未発達)ってことなんだろうけど。それがブログの意義かというとびみょーだわなぁ。。オレはヒトサマと知識交換(共有)できればそれでいいよ

それ以外に、たとえば「いまのままブログが舐められてて、その流れを受けて各企業が撤退しちゃったら無料ブログ消えちゃってブログ文化も潰えるよ?」ってならちょっとは分かるけど、そういう話も出てなかったしなぁ。。まぁ、よくわからん(徳力さんが真剣に考えてるのは分かったけど)

つか、この界隈の人たちはついったーほか新しいメディアとの連携は考えないのだろうか?ケータイがなんちゃらゆってはったが・・あの変は毛づくろい的な消費だからあまり意味ないよなぁ。。(徳力さんも似たようなこといってたけど



てか、改めて読み返すに、徳力さん的にも「ブログの目的は知識共有」って感じなんだけどその形を続けていくためにはなんらかのバックアップが必要で「知的ハブ」・「(そのモチベーションを支えるための)広告」・「(広告が受けられるだけのインパクトを示すための)メルクマール的な事件(ex.ライブドアなど)」などが候補として考えられる、ということか。



 最後の部分はメモ的なので改めて言うと、「徳力さんもぼくと同様<blogというツール(あるいはメディア)の目的は知識共有>と思っておられるようだがblogというメディアが続いていくためにはいくつかの仕掛けが必要なのではないか?、と考えているみたい。たとえば「くだらないblogばかり」という風評が立つと無料blog存続のインセンティブが失われていく危険性があるがそういった事態を避けるために優れたblogやblogを通じた活動(ex.メルクマール的事件)を世間に知らしめる必要がある。そのためにはblogの目利き的人たち(知的ハブ)の営為が必要となるわけだが、こういった人たちがやる気をなくさないためにもなんらかの形でのバックアップが必要なのではないか?その一つとしてお金が考えられる。広告はその候補の一つ」、ということなんじゃないかと思います。

 ただ、「メルクマール的事件(社会への影響力)を知らしめることがblogの価値を高めるかも」、というところについては異論がありますが。


 ぼくは「政治・経済的なところに直に影響力を与える(直に役に立つ)」ということだけが影響力とは思っていないので。地味な知識の蓄積・共有を通じて決断の基準が少しずつ変化することこそが肝要なのではないかと思うのです。そういう地味な蓄積というのはたかが半年1年のスパンでは見えてこないのではないでしょうか?(少しそれますが教養についても同様のことと思います)

 でも、この辺はいろいろな考えやアプローチがあると思うので批判とか否定とかはしません。たとえば、「そういった営みを続けるためには仕掛けが必要なんだよ」 → 「仕掛けによってblogの良いところが削れていっているように思うんだよ」 → 「blogのよいところを続けるために仕掛けが・・」的な循環論になるのでしょうしね


 ただ、やはり賞やアルファブロガー(笑)的な部分が前景化してるきらいはあるかなぁ、と。この辺は小林さんと同意です。


「アルファブロガー」への視線 :Heartlogic

 あと、この辺も同意

ブログのインセンティブというのは金だけではないし、エンパワーメントのしかたも経済的なものだけではないわけで、ブログで新しい思考法を手に入れたとか、人脈の作り方が変わってきたとかいうようなことなんかを、アルファブロガーやその周辺の人たちが一般に向けて語っていったり、手を動かせる部分があればやっていくことが大事なんだろうなと思っている。





 とりあえず言えるのは、「paulさんはもう少し中の人のことも考えて発言したほうがいいかなぁ」、ってことでしょうかね。(ぶくま見たら反省されてたようだけど)

 ついでに言えば以前のmixiの読み逃げエントリのときも感じたんですがpaulさんは事象の捉え方が薄いように思います。「読み逃げ」文化は確かにアレげなベタネタではあるけどベタをネタとして楽しんでる人たちもいたんですよね。今回のことにしても中の人や周辺の人たちの思い(あるいはblog文化全体)のことを考えれば「内輪話」程度の雑感(あるいは決め打ち)的エントリってのはどうなのかな?、と。

 基本的にやらせ厨と同じですね。フィクションを「やらせ」って言って糾弾して終わりの人たちと同じように感じました。

 「student blog」かつ「ウザい男」ということで「ごめんなさい」ってことなのかもしれませんが、いつまでもそれが免罪符になるものでもないと思いますよ。



(「中の人への配慮」関連でつづきです→ muse-A-muse 2nd: 見えるもの / 見えないもの (内容ではなく人物をインストールすること)



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関連:
アルファブロガーという言葉とWikipedia : tokuriki.com

※運営者側の心情として


2007年|アルファブロガーリスト|Alpha Bloggers



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追記:

そういえばまなめさんもブログ限界論関連エントリ書いてはったなということでお報せTB的に


304 Not Modified: それをゴミにしか見えない人、宝の山に見える人


ついでに、この辺から


304 Not Modified: まなめはわるいひと

だからさ、
 ぼくだけのアルファブロガーになってよ。



これを連想しました

Twitter / m_um_u: アルファブロガーに対抗してラルハブロガーとかどうか?小...






タグ:blog
posted by m_um_u at 11:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
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