2007年12月07日

公共性と世間のプロトコル相違の問題(およびアーキテクチャ設計について)

 この辺を見つつ、「そういえば公共性と世間のプロトコル相違の問題(およびアーキテクチャ設計について)のエントリまとめてなかったなぁ」、と気づいたり。


「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。(炎上と、<他者>のメンツを立てること) - 草日記


2007-12-05:フラット化は局所ルールを破壊する - 赤の女王とお茶を



 自分的にはこの辺でちょっと書いたことです。


muse-A-muse 2nd: 「世間」と<世間>と「公共性」の間   (ネットはネガ・エントロピーを超える.....のか?)


 要約すれば「プロトコルの違い」ってことですね。あるいは問題のレイヤの違いに気づかずに押しつけが発生しているので無駄な衝突が起こるとか・・。

 「プロトコルの違い」は詳しく言えば知識や語彙、関心などの知的リソース、あるいはコミュニケーション様式なんかも関わってくるかと思います。ここで想定しているコミュニケーション様式とはたとえばギロンモードのひととネタモードの人、あるいはゆるい話をしたい系の人とは話がかみ合わないとかそういうことです。もしくは、結論(対話の落とし処)が蓋然的に共有されていないとダラダラとしたおしゃべりになってしまって不快感を与えてしまうこともあるようですね。(「優越感ゲームですか?」って感じで)

 この辺の感覚...「この人話が合うなぁ」って感覚はリアルだったら分かってるはずなんですけどね。相手が嫌そうにしてるのも空気で分かるし。ネットだとどうしても情報量が制限されるので見えにくく衝突が起きてしまうのかな。(あと、タイムラグとかレスポンススピードの速さの問題もあるだろうけど)



 んで、


 今回の話に絡めると公共性を軸としたプロトコルと世間を軸にしたプロトコルは違うだろうなぁってことです。この辺については先行してついったーでつぶやいたんですが..


むーたん:ネットにおけるプロトコルの衝突 (「公共性」と「世間」の間)


 「社会的な正しさ」(ルール)的な公共性の規範と世間知的なルールってのは違うものですね。たとえば、交通ルール的には60km/hで走るのは悪いことなんだけどそれやってるからってとがめる人はいませんよね(警察も基本的にはスルーだったり)。ホンネとタテマエっていうか暗黙知と形式知っていうか、そんな感じです。

 だからといってなにやってもいいってわけでもなくて、世間知的なものの中で暗黙のルールが作られ共有されてるわけです。慣習法的にね。つか、もともとルールなんてものよりもこちらのほうが重要で法ってやつはそれを元にした暫定的な基準(ビーコンのようなもの)に過ぎないわけですよね。

 なので、本来なら世間のほうがルール的なものよりも敬われるべきなんだけど昨今の「正しさ」ラッシュを見ているとその辺が逆転しているように思います。

 というか、ここで用いられている「正しさ」というのは単なる道具的な旗印に過ぎないのでしょうね。最初になにかもやもやとした感情があって、それを発散させたいがためにその辺にある教科書的(教条的)な「正しさ」を借りてくる。

 そんな感じだと思います。


 ほんとに重要なのは誰かを糾弾することではなく社会がうまく回っていくためのすり合わせをすること(落とし処をみんなで考えていくこと)なのにね。そしてそういうすり合わせ(妥協)こそがほんとの意味での公共性だったり。

 その意味では現在見えているこの状況も「公共性の構造転換」といえるのかもしれませんね(生活の中での妥協の産物としての「公共性」から教条的な規範としての<公共性>への依存への転換)



 で、


 この辺の炎上関連って界隈では「サイバーカスケード」って呼ばれててネット社会を考える上での課題とされているところなんですが、その辺について触れていないようなのでアーカイブやらご紹介とかの意味も兼ねて貼っておきます。


 草さんとこのエントリへのぶくまのkanoseさんのぶこめ見てこの辺思い出したり


倫理研第2回:議事録 - ised議事録 - ised@glocom

8. 倫理研第2回: 共同討議 第2部(1) - ised議事録 - ised@glocom

9. 倫理研第2回: 共同討議 第2部(2) - ised議事録 - ised@glocom


 この回では「情報社会の『法と正義』」、「環境管理型権力の理念」などがテーマになってました。(流し読みしつつすげーてけとーに)要約すれば「サイバーカスケードを情報アーキテクチャ的に設計(抑制-コントロール)できるか?」ってことですね。んで、「環境管理型権力」ってのは「設計的思想(管理型思想)が強くなると監視 - 管理の暴力性が強くなる危険性があるのではないか?」、ってことだったと思います。つまりオーウェルの「1984」型監視社会ってやつですね。


 で、


 その辺の課題(<ネット社会はカスケードをアーキテクチャ的に設計できるか?>)の取り組みの一つとしてこの辺がある。


荻上チキ「ウェブ炎上」 | bewaad institute@kasumigaseki

 チキさんがちょっと前に出したサイバーカスケードについての本(「ウェブ炎上」)についてのbewaadさんの感想。ぼくはこの本未読なのでbewaadさんの書評も含めた周辺情報に頼るしかないんだけど、「ちょっと左寄りなんじゃ?」ってのはびみょーかなと思った。というか、「世間的に見れば左寄りって見られてるだろうから、たとえばイラク人質事件の取扱いを一番大きくとりあげたこの構成だとびみょーなんじゃない?」、ってことか。まぁ、でも新書だしなぁ。。

 びみょーだと思った理由については以下


むーたん:life「暴走するインターネット2.0」の感想メモ

 ちょっと前に文化系トークラジオ Lifeで「暴走するインターネット2.0」と題してここら辺について鈴木謙介さんたちとお話していた。学会発表とかな固い感じではなくわりとざっくばらんに、具体例なんかも交えながら。んで、自分的にメモつつwikiのまとめを期待してたんだけど・・今回は上がってないな(残念


「暴走するインターネット2.0」ラジオ実況板まとめ - 荻上式BLOG


Theme - 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki - livedoor Wiki(ウィキ)


 仕方がないので断片メモ程度に。

 ネットで起こった事件に対して文脈を無視してとりあえず野次馬的に接続し自分の読みたりたいように文脈を読みとりいいたいことだけいって去っていくっていう「接続の快楽」みたいなものがネットにつなぐ人々の心性としてある。それは自分にも少なからずあるところで直近のエントリなんかでそれを感じました。

 んで、そういった心性が負の感情と接続し雪だるま式に積もってネガカスケードが生じるのだろうけどそういった心性は日本独自のもの(cf.ムラ社会)かといえばそういったことでもないみたい。

 たとえばネット上の負の感情の代表例としてしばしば2ちゃんねるがあげられるけどそれが日本にしかないかといえばそうでもなく韓国(あと中国?うろ覚え)でもその手の匿名掲示板はある、と。

 で、「2ちゃんねる的なものがあっても負の感情がおきないところもあるよね」って話からそういった感情がおきる要因ってのはネットのメディア的特性だけではなく社会要因(時代背景)にも関係しているのではないか、って話に繋がっていく。具体的に言えば不況の影響でお仕事が亡くなった人が増えてその不満と時間がサイバーカスケードを支えて行ったのではないか、と。

 
 ポイントとしては、「『ウェブ炎上』ではフレームつけずに現在のネット状況をできるだけ中立的に切りとることを目標として書きました」、ってとこ。でも、こんな感じの構成になってしまったのは編集側の意向も絡んでたのかなぁとか邪推する。(タイトルからしてキャッチーだし)

 「カウンターとして集合知の良い事例あげとけばよかったじゃん」ってのもあるけどそのほかに地味にネットで暮らしている人々の様子をルポルタージュした感じの本って出ないのかなぁと思う。「すごく良いこと」とか「すごく悪いこと」なんてのはキャッチーで題材にしやすいけど物語だからなぁ。。ある程度ネット経験のある人ならわかるだろうけど、生活の一部としてのネットはそんなに事件にあふれたものでもなかったり。そういうの求める人もいるだろうけど全員がそうというわけでもない。

 なんつーか、観光地に名物を求める人とそこで暮らしている人は違うっていうか、そこのほんとの良さ(リアリティ)は観光的な視点からだけでは伝わってこないっていうか・・そんな感じ。

 良質のジャーナリズムの例としてもあるけど、ほんとにその社会(事象)の内実について触れたかったら地味な事柄を記述することを通じてリアリティを浮き上がらせたほうがいいんだよなぁ。。(って「言うは易し」だけど

 でも、そういう記述が受け入れられるようになったときこそほんとの意味でネットが生活の一部になったっていうことなんじゃないか、と思います。



 あと、関連でこの辺とか


 「バックラッシュ」についてマスコミ学会で喋ったこと。 - 荻上式BLOG


 これはチキさんが以前に学会で発表した内容のまとめ。今回のエントリに絡めれば主に後半の「サイバースペースにおけるバックラッシュ」以降参照されたし。



 だいたいこんな感じかな。とりあえずメモということで。



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追記:
kanoseさんが気にされてたisedでの白田さんの発言内容はこの辺が当たるようです。


法の完全実行 - ised@glocom

自分なりに要約すると、「コンピュータやネットワークの影響で法律が実行されるまでのゆとりがなくなりつつあるということに危機意識を感じる」、という話だったようです。「なぜそうなったら危険なのか?」というところまでは話されてなかったようですね。というか、「ネットのようなアーキテクチャの発達によって拙速な意識が育つ危険性」という話か・・「ネットによって情報共有になれた人々がクレーマーになりがち」って話にも通じるかも











posted by m_um_u at 01:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
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