自分より弱い立場の人に対して過剰に思い入れをしてしまって対等に扱えなくなってしまう問題について。接触してもうまくコミュニケートできなかったり、あるいはそれとなく接触そのものをしなかったりとか。
差別に対する逆差別って感じで必要以上の持ち上げ(過剰性)が発生しているのだろう。それで自分と対等の人として扱えなくなるというか、コミュニケーションがなんかギクシャクしたりとか・・。そういうのは頭では分かっていてもなかなかうまく振舞えなかったりする。
(非対称性を利用して差別するってのは論外として)「対等」ってことで殴ったりdisり愛みたいなことをすればいいのかなとか思うわけだけどそれにも限度というか、なにか線引きのようなものがあるような気がする。なんというか....まぁ、びみょーなんだけど.....なんとなく頭に浮かぶのがこの辺とか
当人たち同士の了解があるので良いのだろうけど、なにか特殊な感じがする(これがファイトクラブってヤツなのだろうか)。それがネットによってドライブされた人格なのか、もともとセケンにはそういう感覚で生きている人たちがいるってことなのか分からないけど。なにか好事家的な雰囲気があって下品だなぁ、と。(まぁ、当人たちはそういうの自覚的に楽しんでるのだろうけど)
ついったーで自分がつぶやいた言葉、「本当に対等な個人(大人)として扱うなら失敗の選択も本人の自由」、ということを反芻しつつ傍観するしかないのかなぁとか思う。って、成功するかもしれないけどよくわかんない。あと気持ちがザワザワするのであまり見ないかもしれないけど。こういう話は比較の問題ではないと思うけど、でも、不幸な人は彼女だけではないし、それを意識しすぎるのってなんか変な感じがする。(「関わってしまった」というのもあるのかもしれないけど)
つか、「対等な個人」としてみた場合、正直ぼくは彼女に特に興味ないしなぁ。。(友達になりたいとも思わない)
だから関心としては「可哀想がりたいんでしょ?」的なものが考えられるんだけど、そゆのとはまた違ってたまたま痛んでる様子な人がいたので気にかけただけだったんだけど、最近の彼女の様子を見ていると特に心配するほどでもないかなぁとか思ってしまう。(詳しく書くと批判的になるのでいわないけど)
んで本題に戻ると、こういうときの距離感ってどういうのが適切なのかなぁ、と。「ふつーに個性の一部として受け入れればいい」とか「個人同士の人間的付き合いがまずあって、その中の条件の一つとしてそれがあるだけなんだよ」ってことなんだろうけど.......なんかびみょーだ
たぶん、ほかの部分の魅力がそういうマイナス評価になり勝ちな部分を補ってあり余るほどだったら問題ないのだろう。
そういやこの問題ってマイノリティ系だけでもなく「美人かどうか」とかにも適用されるな。「相手の顔で判断するのってどうなの?」的なものって「ブ顔ブ性格でも優遇すべき!(いや、むしろそうであるからこそ優遇すべき!)」的逆差別な感じだもんな。
その辺の事情も分かるけどやっぱオレきれいなもの好きだし、それは仕方ないかなとか思う。まぁ、「きれい」の基準は差があるのだろうけど「面食い」とかいわれたことあるな(ちょっとdis気味に)
つか、この辺もフェティシズムの一種のような気がするけど。顔だけよくて性格とか態度がアレな人ってのは流石に冷めてくるし。
なんかグダグダと書いてきたけどよくわからんな。(課題)
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追記:
五常的には「仁」に当たるような気がするのでこれでも貼っておこう。(古い徳目なので修正加えて見る必要はあるだろうけど)
仁とは次のようなことである。殿様に対して私心なしに年貢や夫役などの義務を果たし、奉行衆へ従順につかえ、武士であれば、どのような人であってもこれをうやまい、自分より年下の者を軽くあつかうことなく、貧しい老女や婦人を憐れんで情けをかけ、村中に災難が起これば何をおいても救いの手をさしのべ、両親に日夜孝行をし、兄をうやまい、弟をわが子のように愛し、妻子とは仲良くして両親、兄弟によくつかえるように教え、子には幼いころから素直であるようにいいきかせ、身分に応じて手習いやそろばんの稽古をさせ、耕作にはげませることである。さらにまた、村の若い者が家業を放りだして遊んで世を渡るのは、高札の趣旨にすむく悪事だから、これを見逃すのは心得ちがいで、仁愛の薄い者というべきである。したがって、よくいいきかせて善人に引きもどさなければならない。一族に対して仲よく何事もわが身のようにし、親切にあつかい、奉公人であっても身内の者のようにかわいがり、衣食ともに気を配って、寒さ暑さの苦労がないように情けをほどこす。見ず知らずの他国の人でも、自分の村のあたりに来て病気にかかるか、路上で嘆き悲しんでいる姿を見かけたら助ける。このように、利己的なふるまいやいじわるなことをせずに、他人に思いやりや愛情をかける人を仁ある者という。仁なき者というのは、殿様に対する役務をしっかり務めず、御奉行所のお役人たちになにかとさからい、眼力のにぶい幕府のお役人が村に来ればあなどり、庄屋や五人組との中もしっくりゆかず、親兄弟に孝行をつくさず、一族とは不和で、妻子ともむつまじくせず、荒子や家の子たち(「「荒子」「家の子」ともに、江戸時代の農村下人の具体的形態、前者は主人と同居している労働力で血縁関係のない者。後者は血縁関係はあるが分家しないで主人と同居している労働力)の待遇をいいかげんにして、ひどくこき使う百姓をいう。そういう者は必ず家督を失い、先祖代々の住みなれたところを去らねばならなくなり、乞食、否、非人となって、飢えて死ぬことは間違いない。
(阿部謹也、2001、「学問と『世間』」より「百姓伝記」の孫引き)