2007年10月21日

「えらさ」と「センス」と「面的思考(認識)」について

 ishさんとこにおもしろそうな話があったので文脈たいして読めてないかもしれないけど以下てきとーに反応です。元エントリはこちら


ish☆サイボーグだから電気羊を数えます:「わかる」ことと作者の転生


 元々エントリはこちら


2007-10-18 - しあわせのかたち:「頭のいい人が書く文章」問題について考えている


 最初のエントリについてすげーおーざっぱに解釈すると、「作品の後ろに『なんかすげぇなコイツ』的雰囲気があるかどうか(その雰囲気に惚れる)」、って話だと思うんだけど、ちょっと思うのはなんか雰囲気ありそげ(頭よさげ)に演出する人とほんとに偉い人の違いって見分けるのめんどくさいだろうな、ということ。

 っていってもそんな感じで演出された偉さ(中身は空っぽ)的なものってしばらく接していればメッキがはげるものだしなぁ。ってか、けっこう一瞬で見分けられるものかもしれない。というか、一瞬で見分けられないときっつい世界にぼくらは生きてきたわけで、そういう話はishさんとこの話にも通じるかなぁ、と。

 話は戻るけど「言ってることは正確には理解できてないけどなんか惹かれる」とか「何を言わんとしているのかは分かる気がする」って経験はぼくもしてきた。そういやちょっと前に鈴木謙介さんも似たような話してた(@文化系トークラジオlife)。

 鈴木さんの場合はお師匠が宮台さんなわけだけど、大学1年のころに宮台さんに惚れていろんな本読んだり大学3年ぐらいから講義を聞きに行ってたんだけどその頃は宮台さんが言ってることは正確には分かってなかったんだそうな。「でも、この人が何を言おうとしているのか。何に怒っているのかは分かった」、と。そういう言葉以前というかなんか勘みたいな部分って大きいのだろうな、と思う。勘っていうかセンスって言ったほうがいいか。その分野に対するセンス。筋であり根っこのようなもの。各枝に知識の実はぶら下がってなくてもセンスの根っこなり枝の予定地なりがあると吸収力はぜんぜん違う。
 
 ぼくはそういうのを勝手にスキーマとスキーマの根っこって呼んでる。

 スキーマってのは知っての通りこんなのだけど

スキーマ とは

心理学用語で、ある対象や出来事に関して、まとまって記憶されている情報や知識ということを意味する。広告の1つの目的は、商品(ブランド)に関するまとまりを持った知識を伝達することで、その記憶内容がブランドスキーマである。同じように消費者自身についての理想の自分像(自己スキーマ)や、ニーズと購買行動との関係についての知識(問題解決スキーマ)なども、広告で伝達すべき目標となりうる。


 記憶や認識を形作ってる小袋の群れみたいなのをイメージしてもらえばいいか。あるいは中身が空っぽの葡萄というか…。そゆののコラージュで認識の総体が出来上がってる。

 んで、ぶどうの各房に知識がつまって完成していくわけだけど、知識が詰まる以前でもディレクトリ自体は拡がってて受け入れ可能状態が出来上がってたり。あと、ある程度スキーマが出来上がってる人は大きなスキーマ持ってる人に出会ったときに二言三言で相手の力量を判断できるようになったりね。人に対してもそうだし、文献なんかに対してもそんなのがあるように思う。試行錯誤で経験値が貯まって勘(複雑系の思考)が磨かれていくのだろうけど、そんな感じで勘が磨かれていって本の善し悪しなんかも目次見て判断できるようになったり。

 つまり、「あたまえらい」ってのは判断する人もある程度の力量持ってないと評価されないものなんだろうなぁ、と。人は自分の見たいものを見るので、自分が思う「あたまがえらい」像に当てはめてスポイルしちゃうんだろう。



 あと気になる点として線的レベルアップと面的レベルアップの違いみたいなのについて書かれてたな。(※線と面って例えもびみょーだけどとりあえず。「線」のほうがコツコツと一個ずつつなげていく感じ。「面」はある時期がきたらグワッっと拡がる感じ)


 まずsho_taさんの方から引くと

●「事象の見え方、捉え方」が変わる、つまり「度量衡が変わる」というのであれば、「変わる(バージョンアップする)前の価値判断」と「変わったあとの価値判断」はまったく別なものである。


 通常は知識の集積によって認識が拡がっていく(線的レベルアップ)ように考えられているように思うしそういう側面もあるように思うけど、体験的には認識が拓けていくというのは実はまったく違った側面がるのではないか思う。

 いままで繋がっていなかった事柄が勝手に繋がる。いろんな事柄が自動リンクしてひとつの筋道ができる。で、「たぶん分かるはず」って感覚が先に来て後からそれぞれのテクストに当たると分かるようになってる。「分かる」っていうか、それまでまったく歯が立たなかったテクストも自分なりの解釈ができるようになっている。そういうのはよくわからない自信とも言えるのだけれど、実際そんな感じで認識のレベルがアップしていっているように思う。

 これが面的レベルアップ。ぼくの場合はみょーな興奮状態が起こってから急激にレベルアップすることが多い。そゆのは勝手に認識のoverdriveって呼んでるけど。

 次に線的レベルアップについて。これはishさんとこの別のエントリに載ってた感じかな。

ish☆サイボーグだから電気羊を数えます:岩明均『ヘウレーカ』 科学のディスクールと<真理>の鏡

 線的レベルアップってより線的レベルアップの結果現れる違和感みたいなのについて書かれていたか。

「世界のありよう」を理解しようと(「世界を映す鏡」を作り出そうと)すればするほど、その世界を見ている<わたし>だけが取りこぼされていきます。科学のディスクールは、<わたし>も人間の一個体で、人間は自然=世界の一部である、としますが、そう語っている<わたし >だけは、必ず語りの網の目から零れ落ちていきます。これが対象aの下に生産物=排泄物として置かれている主体S/です。


 線的に論理的思考を積み重ねていって認識を拡張させて行くと却ってその論理(ディスクール)の暴走によって認識をhackされちゃうって問題。文章なんか書いてて思考の型にはまっちゃってありきたりなものしか書けないのとか、ありきたりの道徳知識に囚われてどっかの誰かが行ってたような結論しか導き出せないのとかもこの問題に属するように思う。

 っていっても、科学的知識の場合はそんな感じの「ありきたり」を分解して自分なりに組み立て直したものなんだろうけど、そゆのでも論理ってのはoverdriveしちゃうものだから。あまり頼りすぎるのも危険かなぁ、と。(つか、論理に頼らないと見えないとこも多々あるんだけど)


 って、この過程って「線的(論理的)思考の足りない部分を面的思考が保管する」って考えるよりも「SECIモデル」的な感じで線的思考にも段階的消化吸収の過程があると考えたほうが理解しやすいのかもしれない。

 すなわち、input → 自分なりの形にする(対象化する) → 形にしたものを反省しつつ外部知識(多様性)と連結 → 連結したものを再び取り込み内部のサブシステムの中でしばらく寝かせる → しばらく寝かせたものを次のサブシステムと繋げる、って感じ。ishさんとこのテクスト的には後段のこの辺りが該当するように思う。

ここでは、「主としての言葉」S1が知S2に命じて業績を生産します。命じる「主」は「人類」であるとか「科学の一層の発展」であるとか、あるいは「家族」「名声」かもしれません。ここでは「科学のディスクール」の残余であったS/が、生産物たる対象aによって補完され、全体性を回復します。このS/とaの関係が、「S/◇a」幻想と呼ばれるものです。



・・ぜんぜん的外れかもしれないけど.....(-_-;




 なんかこんがらがってきたので今回のお話はこの辺で。いちおまとめると前半部は「なんかすげぇな」感を感じるには偉い人の偉さ(やプレゼンテーション)のみならずそれを偉いと感じるセンスも必要って話、後半は「そういったセンスの系はどのようにして作られていくか」って話で「"線的に積み上げられていく”ってのと"面的に一気に拡張する”っていう2つの方向性があるんじゃないか」、って話でした。(んで、おそらく「センス」ってのは面的なものに属するのだと思う)




--
追記:
あと、「世界を記述しようとすると記述しようとするわたしだけが世界から取り残されていく」(世界との間に違和感が発生する)、って話関連で。

これは観測問題のようなものかと思うんだけどいわゆる「言葉以前」問題ってやつなのかなぁ、と思います。(まぁ、わたしあの辺ちゃんと理解してないんですけどね...(^^;))

それとは別に一般的な感覚として「知れば知るほど分からなくなる」って話ともリンクするかなぁ、と。

ishさんの説明だと「時間」の概念が出てきていてぼくとしてはちょっと理解しづらかったけど、「知れば知るほどなんらかの違和が発生し、それを埋めるためにより知ろうとする」、って感覚だったらわかる。でも認識のoverdriveのときにはそれがなかったんですよね。まぁ、アレも興奮状態による過信と言ってもいいのかもしれないけど。

そんなことをなんとなく思いました

 


posted by m_um_u at 21:58 | Comment(0) | TrackBack(2) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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