2007年10月14日

「正しさ」と「敢えて指摘しないこと」

 ishさんから言及いただいた内容が非常に示唆に富むものだったのでこの感覚を忘れないうちに軽くメモって感じでエントリあげとこうかと思う。元エント
リはこちら


ish☆サイボーグだから電気羊を数えます:任侠プロトコル


 ぼくんとこの一個前のエントリを取り上げて解説をいただいた。まだよくわかってないかもしれないんだけど簡単にまとめると、<仁と義の間にあるプロトコルを従順するだけでは盲目的信仰になる。オトナはあえて指摘しない>、って感じだろうか?

 通常、仁(人情)と義(けじめ、筋道)はプロトコルによって結ばれ一貫性をもったものとなっているがその一貫性を信じているだけだと狂信者のような妄信性(盲目的信仰)がでてきてヤヴァげ、と。んで、そういった筋道におさまらない余剰というかノリシロというか、オトナな事情(政治的事情)のようなものを勘案するのも重要だよ、と。

 そうだとするとこの辺は別件で考えていたテーマと重なって非常に面白かった。「正しさの妄信とそれによる暴力」ってやつ。この辺の話はtwitterでmedtoolzさんがよくぼやいてることだし、エントリにも上げてはった。


レジデント初期研修用資料: アイコンとしての道徳のこと

レジデント初期研修用資料: 良心なんて最初から無かった


 おーざっぱに言うと、「良心とか道徳を隠れ蓑にみんなけっこうエグイことやってるよね?」、って話。んでmedtoolzさんとしては、「そんな道徳だったら個別でhackしちゃえばいいのに((たぶん)情報公開時代でリテラシーアップしてるんだから)」、ってことなんだけどそれもまたびみょーかな、とも思う。個別hackが可能な人は限られるだろうし、旧来の道徳的なものにも良い点があったかもしれないから。その「良い部分」を受け継いでいかないともったいないなぁ、ってのはある。その辺の話はちょっと前のエントリで書いた。


muse-A-muse 2nd: 日本的「正しさ」と善的行動の選択基準


 個人的には医療従事者、ユーザーの道徳hackというよりも医療従事者のストレスの問題であって、それを減らすためには医療システムの見直しが必要って問題ではないかと思うんだけどその辺は横道っぽいし、まだよくわかってないので置く。いちお関連メモとしてはこの辺:(参照参照2



 んで、ぼくとしては今回のishさんのエントリを参照しつつ、この「敢えて指摘しない」ってところが諸々重要げだなぁ、と思った。(なんとなくだが)社会生活を送る上でDQNなことに遭遇することなんかは多々あって、それにいちいち突っかかってては身が持たないっていうか場が持たない。かといって、「その場の空気に同調する」ってのもちょっと違うように思う。同調ではないけど流れを断ち切らず、空気をコントロールしていく(あるいは一緒に作り上げていく)ようなそんな感じ。そして、その中から細かな気づきを拾い上げていく.....そういうことができるのではないか(すべきなんだろうなぁ)、って。

 個人的な課題としてはそんな感じだけど相手が暴力的な正しさを個人に向けてきている場合はまた話が別か(ex.medtoolzさんとこの絡むことで 「雄」を誇示する人みたいなの)

 そゆのもいなせるような技術を身につけるべきなのかもしれないけど、それは徳っていうか粋とかかなぁ。。(あと、お水系のおねーちゃんとかのtipsだろうな)



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関連(?):
muse-A-muse 2nd: 九鬼周造、1930、「いき」の構造

muse-A-muse 2nd: 羊でも狼でもなく「ふつーに生きる」ということ (reprise)



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追記:
エントリ中でもすこし触れたけどシステム的な問題と個人の生き方の規範みたいなのはまた違うかな、と思う。個人的にはmedtoolzさんの課題は医療システムの見直し系の話のように思うので。医療システムの最近の変化についてはウロ覚えだけど、制度改革で病床減らす系、社会保障カット系な流れになって医療従事者、受給者ともに負担が増していたはず。それでストレスがたまってるところにネットなんかで情報仕入れた<賢いユーザー>の問題もあるかな、と。(「賢い」ユーザーはクレームが長くなる問題 → 結果、医療従事者の負担が増える cf.情報の非対称性の解消による中央集権体制(closed architecture)の崩壊問題)

つか、medtoolzさんとこで出てきた例ってDQNって感じなのでネットなんかで情報武装した「賢い」ユーザーってのとはまた違うんだろうけど、でも道徳の問題だけだと下手すると旧安倍政権の「うつくしいくに」型道徳教育になりかねないかなぁ、と。(道徳なんてどっちに転ぶのが正しいってないわけだし)


そんなことを思ったわけです


あと、末筆ですが前回エントリで「義」について特に触れなかったのはそれほど意図はありません。「義」=「けじめ(筋道)」として了解していて自分的にはその辺を一番重視するように思ったので取り上げませんでした。(つか、たまに敢えて破りますがねw)




posted by m_um_u at 17:49 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
どもです。言及していそうで全然関係ないこと書いたかもです。
一つ誤解されてるのは、わたし個人の立場は「狂信」です。「それは言わない約束で」くらいで生きるのがオトナなのですが(言うのはコドモ)、どっちも面白くないので「言うもなにも、これが本当!」と心中したいのです。王様は実は裸だと思っているヤツを狩りだして粛清する勢いでw。
極道って多分、本当はそういうものです。正しすぎるものは正しくないです。わたしは正しすぎる生き方をしたいのですがw。
大多数がオトナで、もうちょっと少ないコドモがいて、一握りのキチガイがいる、そういう全体が一つの家族だと思っています。このバランスが崩れるのはよろしくない。
わたしはキチガイに生まれてきたので、ちゃんとキチガイの仕事がしたいだけです。

Posted by at 2007年10月14日 20:14
コメントいただきありがとうございます。そうですね、ちょっと誤読してました。

ゆうさんはなんとなく「侠」って感じがします。潔いというか、とても魅力的ですね。ぼくは臆病なのでなかなかそういうのはできそうにありませんがw

あと「全体が一つの家族」という言葉も素敵ですね。胸に刻んでおこうと思います
Posted by m_um_u at 2007年10月14日 21:05
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