居酒屋としてのついったー(仮)
↑もついったーでへにょへにょーとつぶやいたことのログです。内容としては、「ブログは文芸的公共圏(public sphere)の復活としてとらえられ、その期待からblogosphereなんて名称がコミュニティに対してつけられたりもしたけど、ついったーの場合はカフェの文芸・社会批評談義ってよりは居酒屋的だよね」、って話っす。
どういうことかというと、ブログ的なコミュニケーションのやり取りというのはコメント欄やTB、あるいはSBMを通じて当該エントリ的を絞った賛否が飛んでくるけど、ついったーの場合はそういうのとは違って他人様の会話がpostに影響を与えるね、ってことです。
イメージとしてはカフェ的blogosphreなやりとりが一つのテーブルを囲んでギロンしている感じなのに対して、居酒屋の話は隣のテーブルの話が聞えてきたので(その会話には直接参加しないんだけど)それ系テーマで好きなことくっちゃべる、って感じ。
twitterの場合は登録したfriendのpostが自分のタイムラインに勝手に表示されてくるので、なんか書いてるうちになんとなく影響受けるんですね。たとえそのpostを無視するにしてもその「無視する」という選択自体が一つの意思表明になるし、あるいは「他人様のpostを見て次に自分がpostしようと思っていた内容を控えるということ」もあったり。
あと、喧騒が多いのも居酒屋っぽいですね。ごちゃごちゃといろんなテーブルからいろんな会話が聞えてくる。あと、ブログよりも気楽なのかすげーてきとーなpostが飛び交ってたりね(それこそ「酔っ払いか?」って感じの)。そういうのも居酒屋って雰囲気ですね。
その関連のことはこちらにも書いてありました。
finalventの日記 - つまり速度の問題か
ちょっと考えると、普通の会話って言うのは、速度がマシンより上がるかのように見えるけど、リアル会話っていうのは、基本的に、A氏くっちゃべる、B氏聞く、でないと成立しないわけで、A氏くっちゃべるがB氏もくっちゃべるというのは、ありというか大蟻食いだけど(オヤジかまし)、聞くがない部分でスレショルドで流れているわけで、余計なビタミンB取っても、シッコに出るだけ的になる。
で、コミュ速度っていうのは、いわゆるリアル速度じゃなくて、クロスレファレンス的なものかも。
つうところで、書籍というか、エクリチュールっていうのもデリダ的なパズルはさておき、実際には、時間と記憶を交差したクロスリファレンスにはなっている。
一個前のエントリでも出てきた「速度によって蓋然性を越える」ってやつですね。この辺は「ニューロマンサー」(W.ギブスン)でも言ってた課題ですな。
あと、そういう一見ポルノグラフィックとも思えるような簡易なpostの応酬ってのは「動物か!」とか言われるのかもしれないけどそれもちょっと違うだろう、と。
その辺のところについては小野(lalha)さんが参加されたパネルディスカッションでも問題になったみたいなんだけど、予想通り件の人は「動物か!」ってツッコミだけで特に変わりなかったみたいです。
Twitter / lalha:パネルディスカッション「仮想世界はIT時代閉塞の現状を打破できるか?」(つか、ついったー交信ディスカッション参加)
つか、上記ログ的にはマラ(bulkneets)さんが小野さんに吹っかけていった話題のほうがよっぽどおもしろかったわけだけど、その辺のところは特に討議されなかったようですね。
「数が増やせるから、今まで表に出れなかった人とコミュニケーション取れるようになる」
ってことですよね。これはブログの意義でもあるし、twitterの場合はもうちょっと薄い感じかな。一個前で言ったような感じで一つ一つのpostはblogよりも薄くなりがちなんだけど、その薄さっていうか無意識さの中に真実が見える、って側面もあるように思います。あるいはそこから垣間見える生活の呼吸のリアリティのようなものにこそ真実があるというか、あるテーマに対して「言明しない」ってこと自体が一つのメッセージになってたりするんですよね。
「語られざる部分」が見えてくることこそ(あるいは見えてくるものを通じて語られざるものを想起できることこそ)ついったー的な新しいメディアチャネルの意義と言えるように思います。
とりあえずいまのとこはね。
あと、自分的効用としてはやっぱデバッグって感じかなぁ・・。下書きとかToDoって感じで使ってる人もけっこういるように思います。
とりあえずこの手の新しいメディアへの対応としては、そこに乗っかってるコンテンツをしてそのメディアの特徴を計る(ケチつける)ってよりも、てきとーに自分で使ってみて可能性を拡げていくってほうが建設的でしょうね。
「習うより慣れろ」っていうか「とりあえず乗ってけ」って感じかな。
まぁ、そんな感じで、ついったーのほうもぼちぼち続けていこうかと思ってます。
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追記:
あ、書き忘れたけどtwitterにしてもtumblrにしても基本add返し文化っぽいです。つまり自分を登録してくれた人にはadd返しをするってこと。これによって普段なら絡むことのない人の世界観が覗けたりするわけです。それはアメリカでも共通するみたい。
サースティーンの「Republic 2.0」かなんかにマイニュース的な関心狭窄への不安が語られていたと思うんですが、こういう文化を受けてむしろ関心領域が広がっているように思うんですね。少なくとも新聞やTVのような一部の「業界人」の作る「ジョーシキ」に犯された人々の視野よりはよっぽど広いものを持っているように思います。
「動物か!」認定はその辺確かめた後でも遅くないのではないでしょうか?
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