2007年09月24日

たんぶらー自動ログによる無意識領域のhackの可能性

 またしても大分間があいたけど書くことたまってるのでこの辺でoutputしときます。まずはtumblr(たんぶらー)の話から。本エントリについてのついったーのログは以下です。


文化と思考(たんぶらー自動ログによる無意識領域のhackの可能性) (仮)


 要約すれば、「たんぶらーってreblog-reblogのコピー文化ってことで頭使わないアホの子用ツールみたいに思われてる面もあるように思うけど、むしろ頭働かせてないってとこに可能性があるんじゃね?」、って話です。

 通常、われわれがなんらかの思考をし、それをほかの人にもわかるようにoutputする段階でなんらかの「型」のようなものにとらわれてしまう危険性があります。

 当人的にはオリジナリティにあふれたギロンをしているつもりでも先人のギロンを組み合わせただけのコピー言説だったり、TVのワイドショーで評論家かなんかが言って体験の焼き直しだったり。あるいは、専門的な分野の話をする場合はどうしても当該分野のギロンの文脈を追わなければならず、いつの間にかそれらのギロンの「型」のようなものに誘導されて自分がほんとに表現したかったことが表現しきれなかったり・・。そういうことはけっこうあるように思います。

 つまり、たんぶらーのみならず我々の表現というのはすべからくコピー(あるいはコピーの総和)である可能性があるんですね。ってか、言語や文化の習得そのものがコピーを前提としているのだから当たり前って言ったら当たり前なのだろうけど。

 問題はそんな感じで「何らかの偏向(バイアス)を受けて自分がほんとに語りたかったこと(表現したかったこと)を見失ってしまうこと」です。

 それに対してたんぶらーの場合はというと・・・上述したようにたんぶらーこそ「コピーの場」って感じなんですが、ちょっとおもしろいのは皆さんがたんぶらーに対してもっている意識ですね。(まぁ、たんぶらー初めて日が浅いのでなんともいえないとこもあるけど)ちょっと見た感じ、たんぶらーってのは「コピー上等」であり「コピられ上等」なんすよね。そんで、皆さんたんぶらーを「自分の表現の場」ってよりは「コピー保管庫(共有倉庫)」みたいな感じで使ってるようなんすね。なかには「たんぶらーもわたしの自己表現的に重要な場の一つよ!」って言う人もいるかもしれないけど、すくなくとも一つずつのエントリの重みはブログほどのものはないということでは皆さん同意されるところではないでしょうか?「reblog-reblog」って感じでバトンリレーしてるモノは自分のエントリって感じでもないでしょうしねぇ。

 それに対してブログのエントリってのはある程度はオリジナル意識があるはず。でも、上述したようにオリジナルなつもりでもオリジナルじゃなかったり・・。


 まぁ、そんな感じでどっちがオリジナルでオリジナルじゃないかなんてのはびみょーな問題なんですよね。てか、むしろオリジナルを放棄しているたんぶらーのほうが自分のほんとに表現したいもの、あるいは自分の深奥に眠っている言葉にならないような意識、欲望のようなものを再確認できる機会があったり・・。(ブログでも「書いてるうちに気づいた」ってのはあるのかもしれないけど、ちょっと置きます)


 ここでちょっと飛びますが、おそらくたんぶらーで展開されているものというのはdebugみたいなものなんすね。なので、たんぶらーの各サイトで表現されているもの自体はジャンクというか、とりあえずフローを前提とした表現となっている。(表現っていうのともちょっと違うかな) たんぶらーに検索窓がついてないってのも象徴的ですね。いちおgoogleのサイト内検索とか、google mailにフィード飛ばしてそこから検索すれば検索可能ってことにはなるんだろうけど、基本はフローっすよね。なにせ情報量が多すぎるので忘れるの前提になってる。その中でなんとなく引っかかったものだけ後で検索するか、もしくはたんぶらーという活動全体を通じて自分の嗜好-思考-志向の傾向に気づくということのほうが重要になってたり。

 仮にブログ的なもの(あるいは文章的なもの)を明示的思考(形式知)とするならば、たんぶらー上で展開されているのは非明示的思考(暗黙知)ともいえる。そんで、先ほどから言っているようにその上で展開されているもの個別にはそれほそ意味が無いんですね。総体としてなら、総体として見えてくるものから探られる背後のようなものになら意味がある。

 ブログとたんぶらーの関係はいわば「地」と「図」のようなものなのかなぁ、とか思うわけです。


 つっても、ブログも元々はそういう使い方(webで気になったもののlog的な使い方)がメインで、なんかの考察とかそういう論理的展開のものばっかでもないんですけどね。とりあえず、たんぶらーよりはブログのほうが考察系は多いだろうってことで便宜的にこういうわけ方をさせてもらいました。



 んで、ポイントは「できるだけ無意識・自動的にログとっていって無意識的なもにのにかかっている偏向を確認 → hackする」ってとこなんだけど、これがなかなか難しいですよね。

 なにせ「ログとる」って過程自体がなんらかの意識をはらんでいるわけだし、その時点で考えてるってことは無意識ではないわけです。そして(ぼくなんかもそうだけど)たんぶらーとは言え、人の目は気になるので全ての嗜好や思考を反映させているわけではない。

 そうすると「無意識デバッグの意味が無いじゃん?」ってことになるかもしれないけど、いままでこういうツールがなかったわけだし、そういう体験もなかったわけだから「意味がない」ってことはないでしょうね。

 とりあえず「コピーばっかで意味ないじゃん」ってほどには意味なくはないと思うんですよ。


(♪ 意味なくないないじゃん コピれ〜メモれ〜、ってね)


 twitterにも似たようなことが言えるように思います。あれもライフログってことで「それなんて白痴?(監視社会でつか?)」って話もある・・つかぼくがその危惧もってたわけだけど、使い慣れて思考メモ的なものも流しだすと違った可能性も現れてくるんですね。それこそ上記してきたような可能性がね。

 問題はついったーにせよ、たんぶらーにせよもっと早いレスポンスっつーかインターフェースがあればいいのになぁってことです。思考ってのはリンケージのスピードによって決まってくるところが多分にあるので、そういった勢いが失われないうちに、アモルフな形の思考をそのまま出せるようなツール、メディアチャネル、表現形式(文法)なんかがあるといいんすよね。そういうのは別に文法とか絵画とか定まったものでなくてもいい。できるだけごちゃっと速いスピードで頭の中のもやもやを表出でき、表出した先で遅延(ストレス)を感じないでぐりぐりとブレストできてくものがいい。

 そういうのが創発につながるんだと思います。



 たんぶらーもその一助になるのかな? とりあえず、もうしばらく様子見です




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関連
なつみかん@はてな - Tumblr はじめてガイド

※いまさらながら、たんぶらーについてはこの辺を参照ください




タグ:tumblr 創発
posted by m_um_u at 23:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
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