2007年09月16日

Re:複製技術時代の芸術(reblog)

 medtoolzさんがついったーしてた内容(帯域制限と脳力拡張の話)がおもしろかったので勝手にたんぶらーでアーカイブさせてもらったんだけどblogだと大分削ってしまわれたのだな。


レジデント初期研修用資料: 帯域制限のこと


 ついったーのつぶやき見ても編集段階で大分いろんなことを削ぎ落としてるみたいなので大変だなぁっていうか真面目だなぁって感じなんだけど、ぼくは不真面目なので思ったことをそのままごちゃっとブログらせてもらう。

 その前に元エントリのキモはこの辺かな

おそらくは、落書きが行っているのは情報量の削減で、芸術家が行ったのは、情報量の「圧縮」。それは可逆的に展開可能なものだから、鑑賞する人の視覚を通じて脳に達した圧縮ファイルは、そこで展開され、鑑賞者の脳を「ハック」して、そこに感動を呼ぶ。同じ構図のデジカメ写真は、情報量としては圧倒的に多いのだけれど、今度は鑑賞者自身の感覚で帯域制限がかけられてしまうから、脳に達する情報量は少ないのかも。


人間を作るいろんなモジュールのどこかには、たぶん「帯域が狭いことで利益がある」何かがあって、それがこうも執拗に、身体に帯域制限を迫っているんだと思うのだけれど、それが今一つ、何なのかわかならい。


 そんな感じで、「帯域制限のリミッターがあるからこそオーバーヒート起こさなくなってるんじゃないか?」、ってのと同時に、「そのリミッターを解除してオーバーヒート起こさずに人間の脳力の限界を引き上げるにはどうしたらいいか?」、って話(かな?) そうだとしたらそれはぼくの個人的課題の一つでもあるので興味が惹かれるところ。なので、先にたんぶらーのほうでエントリまとめた。


むーたん:Re:複製技術時代の芸術(reblog)


 要約すれば、「tumblrのreblogって”コピーのコピー“って感じで“白痴?”って思われたりする面もあるけど可能性あるんじゃねぇの? たとえば、情報処理(編集)におけるコストを減少させることによって、別のところに資源を集中させ創発が起こりやすくしてるとか」、みたいなエントリ。

 んで、「そんな感じで創発を起こりやすくする方法の一つとしてハイパーリンク的な思考様式があるのではないか?」、と。人類の思考のけっこうな部分は連想なのだろうしね。言葉とかそんなのも連想だし、情報のアーカイブの様式もディレクトリとリンクって感じになってるんだと思う(ほかにもあるかもしれないけど)。

 で、「ハイパーリンクな思考を可能にするにはアーカイブする情報の量を単純で一つのまとまり(パケット)にする必要があって、ハイパーリンク的な思考様式をしているうちにそのような処理が行われているのではないか?」、ってのが言いたかったこと。なのでtumblr的な「メモれ〜コピれ〜」的な文化ってのもあながちバカにできないんじゃないかと思うわけさ。

 実際、人類の文明レベルってのは複製技術によって飛躍的に高まったわけだし。その際、「複製で拡がった可能性は流通系だけなんじゃねぇの?」ってのは基本だしぼくもそう思うけど、それ以外に複製的思考様式のようなものもできていったんじゃないかと思う。「複製的思考様式」ってのもなんか変だな。要はさっきから言ってるような情報パケットを極小にしてinputの際の編集コストを減らしていくことによってoutput(あるいはそれ以前の内部リンクのスピード)を高めて行ったんじゃないか、と。

 で、翻ってmedtoolzさんとこの話に戻ると、帯域の幅の違いってのはアーティストとふつーの人の違いかなぁ、と。いわゆるアーティストだけじゃなく(ほんものの)霊能者な人なんかもそれ系のアンテナ広いんだろうな。でも、そういう人たちは勝手に感知して困るらしいけど。見たくもないものとか聞きたくもないものとか聞えちゃうらしいし。(知り合いの人もそうだったみたいだけど、小さい頃からの付き合いなのでやり過ごし方を身に着けていたらしい)

 んで、それ系のひとってのはそういう(一定の帯域の)情報キャッチアンテナがふつーの人よりも発達してるのでinput段階では問題ないんだけど、入ってきた情報を編集する段階でいろいろ困るんだよな。「編集」っつーか、この場合は「自分なりに解釈」ってことだけど。で、そこでつぶされないために自分なりのスピリチュアルなものとの付き合い方みたいなのつくってくんだろうけど、一部の人がそれを取り違えちゃって宗教にされていくんだよな。(中には自分から率先して宗教にしたがる人もいるのだろうけど)

 同様にいわゆるゲージツ家って言われる人もoutputしていかないと入ってくる情報につぶされちゃうのでoutputするんだろう。んで、最終的に自分にあったoutput方式を選ぶ、と。

 この辺の話は前に書いたな。


muse-A-muse 2nd: 「クリエイティブ」とはなにか?(「センス」、「想像力」、「創造力」について)


 なのでポイントは「入ってきた情報の編集方式」ってとこにあるのだろう。PC的なアナロジーでいえばフィードリーダーとかぶくまその他の情報管理ツールやtumblrみたいな情報編集ツールをうまいこと使いこなすことが必要なのだろう。あと、メモリとHDDの量も必要だな。

 HDDのほうは長期記憶って感じなので後天的には鍛えられない(か?)。でも、短期記憶のほうはなんとかなるのかなぁ? まぁ、よくわかんないけど、とりあえず情報編集様式ってのを意識して身に着けていく必要があるんだろうなぁ。特にこんな情報過多な世の中ではね。

 
 その他の論点として、「帯域の狭い人が帯域を広くするにはどうしたらいいか?」、ってのがあるだろうけど・・この辺はもって生まれた能力に依存するのだろうしなぁ。。「酒をたくさん飲むことによって酒に強くなる」みたいな感じで少しは鍛えられるかもしれないけど、先天的に決まってるところが大きいだろうなぁ(酒の場合はアルコール分解酵素関連で「鍛えられても1.5倍ぐらい」でしたっけ?)



 あと、本エントリのタイトルへの個人的返信として。ベンヤミンは複製技術は痴呆の極みたいに言って「アウラ(体験の一回性)がなくなるじゃん!」嫌った(?)みたいなんだけど、複製技術の時代、複製をデフォルトとしコピーによるコピーで情報量を急激に増大させている環境においては独自の思考様式や思考の文法があるのではないか? なにせ「複製」なんてことにこだわったら厳密な意味で複製されないものなんてこの世にあるのかって話だしね。人類が言葉を使うようになったときから現実は細切れに編集(degitize)され、伝聞段階で複製されてるんだろう。


 そんなこんなでメディア者としては電脳時代の文法やら思考様式に期待するわけさ。それ自体が「羊の夢」って言われるのかもしれないけどね。



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関連:
muse-A-muse 2nd: pre-contents / hyper-contents (コンテンツを越えたメディア体験について)

※こっちは逆に、「twitterによってリアルなコミュニケーションの一回性が再生されていくのではないか?」、ってエントリ。上記エントリと合わせれば、「新しい時代には新しいものだけではなくて温故知新もあるのかも?」、って感じかな

 


タグ:tumblr 創発
posted by m_um_u at 15:55 | Comment(2) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
自分を読者にしているtwitter に比べると、blog というのは中途半端に読者を設定しながら書くぶん、どうしても削らざるを得ないんですよね。
面白そうだなと思ってメモの集積を作っても、それを3000字ぐらいにまとめようとした段階で、どうしても流れに合わない話題を削ったり、別の何かを追加したり。
この辺で「もったいない」精神出しちゃうと、もう自分で読んでてもつまらない文章になってしまったり。
Posted by medtoolz at 2007年09月16日 16:37
「編集は削る技術」とか言いますもんね。ぼくの場合はblogにそこまでプロフェッショナルなものは求めていないし、「長文で見れない(見る気が起きない)」というならそこまでの人かなぁって思ってます。

ぼくがblogに求めているもの(効用として考えているもの)は「書くことによって自分の考えを再確認すること」+「固定した自分の考えを崩すこと」なので、その辺の効用が得られればいいかなぁ、と。

後者の意味では読んでくれてる人によるフィードバックが重要になるように思いますが、「長文だから読まない」ぐらいの人だと最初からそれほどのフィードバックは期待できないように思います。その分野に造詣がある人、あるいは少しでも考えたことがある人なら文章が長くても読み飛ばせますしね。

twitterの場合は140字しかないのでそれなりに核心部分だけいうようにしてますけど、どうしても連続ポストで長文化してしまいますね。(お互いにw)

Posted by m_um_u at 2007年09月17日 07:06
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