けっこう太い本なので読み始めるまでは億劫な感じもしたけど読み始めたらいつも通りの吉田節で読みやすかった。ってか、4章ぐらいから加速して一気に読めた。んで、感想だけど.....やはりいつも通りの吉田文学って感じで、「誰も悪くないのになぁ」、って言葉が頭に浮かんだ。
根っからの悪人なんかいなくて・・ってか、悪人と思われてる人こそ悪人ではなくてって感じだろうか。社会的に「悪」とされていることやそれほど推奨されないような行いでもその行動を選択するには各人の悩みや苦しみがあって・・そういうところを丁寧に追っていかなければ情況ってのは見えてこない。
よくある新聞の三面記事とかワイドショーの紋切り型のレポートのようなものにおいては「個人のエゴ」として切り捨てられてしまうようなもの。そういったものに含まれる個々人の理由を救い上げ、言語を介して他者との妥協点を模索することこそ文学の真骨頂だと思うのだけれど、吉田作品ではそういうものがきちんと表されていて読後に「えぇもん読んだわぁ」的なカタルシスが味わえる。この本もそういう作品だった。
んで、自分なりの感想に入る前にこの作品についての重松清さんの書評が気に入っていたのでそちらからご紹介しておく。
asahi.com:悪人 [著]吉田修一 - 書評 - BOOK
要約すると、「吉田が今回の作品のような語りを採用したのは安易な「同情」のセンチメンタリズムに陥りかねない結構を持つ物語に一線を引くためだったのではないか」、ということ。そして、そういった形で押さえに抑えられた感情を感じさせられる叙述は物語の最後の段階で配されている。
物語の最終盤で、若い登場人物が言う。〈俺(おれ)、それまでは部屋にこもって映画ばっかり見とったけん(略)人の気持ちに匂(にお)いがしたのは、あのときが初めてでした〉
この部分はぼくも気になって付箋を貼っていた。でも、少し違うなと思うのは吉田の作品というのはこの作品だけに限らず「匂い」とか「音」のような五感を刺激する表現が多いように思う。「Water」における水の匂いや太陽の熱さもそうだし、「東京湾景」における男と女の匂いのようなものもそう。というか、東京を舞台にした作品よりも長崎を舞台にしたときのほうがそういったものを感じさせるように思う。(「長崎乱楽坂」とかはまさにそう)
これはやはり「匂い」というのが感情と関係が深いからなのかもしれない。地元を舞台にしたときのほうが感情に結びつくような表現になりやすい...のかなぁ。。(「敢えてそうしている」ということもあるのだろうけど)
あと気になったところとして。「悪人」というテーマから個人的に光市母子殺害事件のことを思いながら読んた。こういった事件を扱う場合必ず容疑者の生い立ちという話になって、そういう話は本作でも出てきていた。 そして最近知ったのだけれど光市事件の件の少年にもそういう過去があったそうだ。
kojitakenの日記 - 光市母子殺人事件に関する週刊ポストの勇気ある記事
で、まぁ、いつも通り「サヨクの過剰人権主義」とかなんとかめんどくさい話になるわけだけど、そういうのとこれはちょっと違うのかなぁと思った。
(ネタバレになるので詳しく触れないけど)本作品の主人公には同情というか感情移入できて光市の加害者の少年には少しも同情する気になれなかったのはなぜなんだろう?
そもそも小説と実際にあった事件を混同している時点で少しおかしいのだけれどそれを自覚しつつ話を進めると、「潔さというか他人を思う気持ちの違いなのかなぁ」、と思った。こちらの主人公の場合は最後に愛する人をかばうために敢えて一番つらい道を選択している。そして被害者の遺族にも敬意を払い刑に服することを覚悟している。対して件の少年の場合はそういうものが感じられず、ただ自己の保身のためだけに供述を変え、いたづらに遺族の心情をかき乱している。この違いかなぁ、と。
件の少年が、「不幸な幼少期があったために人格が歪んでしまって、自分の行動を抑制できなかったんだ」、とするならばなぜ最初からそのような主張をしなかったのだろうか...? 主張が二転三転するのはどういうことなんだろうか? 別に責めるわけではないのだが素朴にその辺が不思議。そしてやはり件の少年が友人に送ったという手紙の文面が気になる。
そういえば今回の作品にもそういう記述があったな..(以下、てきとーに引用)
(397)
「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うものがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ」
(398-399)
「可笑しかね?」と、佳男は訊いた。
本気で訊いてみたかった。増尾が一歩後ずさる。
「そうやって生きていかんね」
ふとそんな言葉がこぼれた。
「……そうやってずっと、人のこと、笑って生きていけばよか」
途方もなく悲しかった。憎さなど吹っ飛んでしまうほど悲しかった。
この言葉は罪を犯したものだけにではなく、社会的には罪とはされていなくても人を哂ったり、哂うことで自分の優位(存在)を確認している人々にも当てはまるのかなぁ、とか思った。けっきょく彼らはそういう風にして生きていくのだろうけどなにが楽しいのだろう。(よくわからんが)
この小説の最後の問いかけは、「犯罪を犯してしまった“悪人”と、犯罪は犯していないけれど人の心を傷つけてもなんとも思わない人とどちらが悪ですかね?」、ってことだったと思うんだけど......まぁ、その辺の判断はみなさんにお任せします。(拝)
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関連:
muse-A-muse 2nd: 吉田修一, 2003, 「東京湾景」
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追記:
あと印象に残った言葉として、「でもさ、どっちも被害者にはなれんたい」、ってのがあった。
捨てられた母親に対して欲しくもない金をせびるのは辛いけど、片方が被害者なだけだと対等になれないから欲しくもない金をせびる、と。その真意について当人には告げずに。
もしも「男の愛」というものがあるとしたらこういうものではないかと思った。(男に限ったことではないのかもしれないが)
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のっけから”けっこう太い本なので”という書き出しに、ちょっと引きそうだったのですが、今日、私にしては”けっこう太い”「秘密」(東野圭吾)を読み終わったところなので、この勢いでもってamazonでポチっと・・・と思ったら、土曜から出張だから間に合わないわ〜。しかも、これ、まだ新しい本なんですね・・・文庫じゃない(涙)。ま、いっか。
出張から帰って来たら、忘れないようにamazonしときます。
でもほんとにこう太いとかさばりますよね。似たような感じで「誰も悪くないのに」関連だと「パレード」がおすすめです。こちらは幻冬社文庫から出てます。
あと、「感じない男」。これは近所のブックオフで見つけたので、ただいま読書中です。
太い本なので読みづらいかもしれませんが、もともと新聞小説のため区切りがあるので毎日ちょこちょこ読んでいくというのもいいかもしれませんね。(連休もあるし)
ところで「感じない男」も購入されたのですね・・。ぢつは手違いで2冊購入してしまって誰かにあげようかと思っていたのですが忘れてました・・。以前話したおぼこい娘にでも送ろうかと思ったんですが、さすがにセクハラっぽいかなぁ、とか。
こんどそういうのがあったら忘れずに書いておこうと思います。(※メールアドレス交換だけで贈り物仲介してくれるサービスがあるのでそれ使えば大丈夫かなぁ、と)
とりあえず「感じない男」もおもしろいので期待できると思いますよ(なかなか男の語られない性癖みたいなのも書いてあるし)
作家って、よく勉強してるなぁ・・・と思いました。
「なんとか”もと”」って名前・・・山本とか倉本とか・・・鹿児島では、この”本”が、”元”になる場合が多いんですよね。山本や倉本人口より、山元や倉元人口の方が、鹿児島ではずっと多いんです。沙里の名前が、「谷本」じゃなくて「谷元」だってのに、「いや、吉田修一、すげぇ」と思いました。
久々に本を読みながら泣きました。被害者のお父っつぁん絡みのところ。峠で幽霊(?)になって出てくる娘と対話するあたりとか、増尾と対峙するあたり・・・m_um_uさんも引用しているあたりですね。
たまたま最近友人とメールのやりとりした中で、こんなことを書きました。
「私さぁ、小説とか映画とかで良くある、嫌いじゃないのに、嫌いになったふりして別れるとか、自分の思い(悪意溢れる思いではなく、愛情の方)を押し殺して、相手に嫌われる・・・もしくは忘れられるように仕組むみたいなこと、できないなぁ」
前に読んだ東野圭吾の「秘密」でも、今回の「悪人」でも、そういう、私にはとてもできないようなことを主人公はやってます。
まぁ、これは小説だから・・・とも言えるでしょうが、自分は人間に対して、そこまでの思いを傾けたことがないから、できないんだろうなぁ・・・などと思いました。
良い本をご紹介くださってありがとうございます。
なお、「感じない男」も読み終わりました。面白かったです。これまたあちこち付箋を付けた箇所がありましたが、なんと言っても、ここまで赤裸々に書ける著者に敬服という感じです。
>この小説の最後の問いかけは、「犯罪を犯してしまった“悪人”と、犯罪は犯していないけれど人の心を傷つけてもなんとも思わない人とどちらが悪ですかね?」、ってことだったと思うんだけど
これ、最近似たようなフレーズを読んだような・・・と思ったら、「Separation−君が還る場所」(市川拓司)の中で、こういうのがありました。
P209:
「でもね。そうでない人たちも必ず存在するの。10人の中に何人という割合で、どの世界、どの時代にも。ただ、その行いが罰せられないというだけで、平気で人を傷つけられるような人間、あるいは、もっと積極的に人を傷つけたいと願う人間が必ずいるのよ」
・・・と、人んちでメモして、これまたスミマセン。
ぼくは最近さぼり気味で読んでる本がなかなか読み終わりません。(そのくせ積読はたまっていく始末)
ぼくも「相手のためを思って自分を殺す」というのはできないように思います。「それが愛」っていう言い方もあるかもしれないけど、それだと相手をバカにしてるような感じもするんですね。自分だけ納得してっていうか・・。ってか、単にぼくがわがままなのでできないってのもありますがw
悪人については「平気」というところがポイントっぽいですね。それはつまりジョーシキとか正しさってのとも関連して、(おそらく)次のエントリで取り上げる「空気の研究」にも絡んでくることだと思います。
乞う!ご期待(・・と言いたい所だけど、またしても遅延するかも)
※ところで、コメント欄はいくら書き込んでいただいても気にしません。っていうか、いろいろ聞けたほうが面白いのでありがたいです
今ごろ再びコメントかいっ!って感じですが、確かm_um_uさんがお薦めって言ってたなーと思って、「パレード」をBOOK OFFで買ったつもりが、「パークライフ」を買ってました(泣)。
取り合えずこの芥川賞受賞作、読みましたが・・・よくわかりませんでした。「うーむ・・・どこが評価されたのだろう?」と、ネットで書評などを見てみましたが、「淡々と流れ行く日常」を切り取った文章の中に、何かを読み取る力が、まだ私にはなさそう・・・。繰り返し味わいなおさないと見えてこないのかもな〜って気がしました。
ってなわけで、そのうち「パレード」の方を買わなきゃ!。
「パークライフ」はたしかにびみょーっていうか、村上春樹っぽいなと思いました。ストーリーではなくて空気感って感じ。繰り返し読むってほどではなくなんつーか色合いを楽しむような感じですかね。(雰囲気系だと思います)
というか、都会の中で薄れていく実存のよりどころとして公園があってそこでのゆるい繋がり(出会い)を楽しむって言う感じなのかな。(ウロ覚え)