ひとつ前のエントリでアレげな感情を吐露してしまって少し反省していたところ、uuminさんと勤労者Xさんに暖かいコメントをいただきホッとしたり、なんかいい気分になったので調子に乗って.....。
おっさんっぽくエロ話でもしとくとするよ ♪ (暑気払いならぬ陰気払いだ)
まぁ、エロ話っつっても勤労者Xさん同様おぼこいワタクシといたしましてはそれほど突っ込んだお話もできないんですけどね。まぁ、おぼこはおぼこなりにというか、♂だからおぼこじゃねぇな。(どてこいってのも違うしな。「どすこい」とか?)
.....ともかく
風呂に入ってるときに積年の疑問のようなものが頭に浮かんだので忘れないうちにちょっと書き留めておこうかと思いまして。疑問っつーか、課題というか...。まぁ、とりあえず
そういえばぼくがエロ話に求めるものというのは寺山修司的なものだったなぁ、と。
誰だか忘れたけど、「寺山修司の書いたAV論(あるいはポルノ論)が読みてぇなぁ」、っていってた人がいてぼくもその言葉に同意したのを思い出したわけです。どういうことかというと、大部分のエロ論というかエロ批評というのは基本的にギミック的なところに拘ってテクストに反映される自意識への考察が少ないなぁ、みたいな感じだったと思います。
もうちょっと詳しく言うと、たとえばAVの作品批評では巨乳がどうとか性交における技巧がどうとかそういう話が大勢を占めるけれど...そういうのはいわば表層的で売り文句的なキーワードの羅列に過ぎないんすね。もうちょっと端的にいってしまうと「抜きどころ」的な場面を抽出しててきとーなキーワードを羅列しているに過ぎない。
AV批評誌はAVを買わせるための雑誌なので仕方がないとしてもなんかしっくりこないんすね。なんか心が通ってないというか、キーワードの羅列って感じで。
そういうのはもうちょっと言うとAV雑誌だけの責任じゃなくて(DVD全盛で「見どころ」への早送りが基本になっている)最近のAVがそういう「抜きどころ」的なものを前面に出して構成されているわけだから仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけど、なんかびみょーなんすよね。
なんか量的って感じがする。(質ではなくて)
あれっすね。ドラゴンボールなんかでスカウターの数値がピピピっと上がっていく感じですね。強さのインフレってヤツ。んで最終的にパワーゲームになっていってストーリーもなにもなくなり作品が破綻していくわけ。 (AVの場合は「強さのインフレ」ならぬ「エロさのインフレ」ってやつなのかな?)
で、最終的になにがエロいのか分からなくなったり、あるいは形だけの「エロさ」を追い求めるために女優さんにムリさせて体壊したりするんですよね。
そういうことへの心配は「エロの壁」でも出ていたように思います。
そういういわば量的なエロさに対して、質的なエロさってのは個人の内面と密接に関わるように思うんですね。端的に言えばなにをエロいと思うかってのはその人のもっている常識の裏返し的なところがある。こういうのはお笑いのそれにも通じるように思います。(なにが笑いのツボかはその人の常識の裏返し)
そういう意味では笑いとエロは通じるものがあるのかなぁ。。ベクトル違うだろうけど。
んで、笑いとエロとの違いとして重要なものとして攻撃性との関わりがあるように思います。男性の場合は特にエロ的なものと攻撃(暴力)的なものが同時にある傾向がある。
心理学に詳しくないのでこれが生得的なものなのか後天的(環境的)なものなのか分からないのですが、とりあえず男性的なポルノ市場のセックス描写においては暴力的な場面との関わりがよく出てくるように思います。
それは、「財としての女(性の機会)を奪うためにもっとも分かりやすい方法が物理的な力だから」、ということなのかもしれないけど...。それとは別にナイーブなぼくとしては心理的に根源的なところで暴力性とエロ的なものとの関係があるのではないか、とか思ったりするわけです。つまりタナトスとエロスの関係みたいなの。具体的に言えば、「エロ的なものが現出しているときには暴力性が前景化しているのではないか」、とか思って自分に対してちょっと嫌な気分になるんですね。
いや、ちょっと違うか。エロ的な変な気持ちになったときの特殊な心理状態(なんか血液がこもったようなモフっとした状態)の異常さに対して不安を感じ、そのために暴力性との関連を推測するようになるのか。
まぁ、とりあえずそういったモフっとした状態になることに対してなんらかの引け目のようなものを感じてしまうわけです。
それはそれまでの環境において「むやみにモフっとなるのは悪いことなんだぞ」みたいな性教育がなされていたことに起因するのかもしれなくて、生得的にエロスとタナトスが結びついているからではないからかもしれないんだけど、とりあえずそんな引け目はある、と。
で、(ここから本題なんですが)
そういったエロに対する引け目、みょーな自意識のようなものも含めて寺山なら論じてくれるんじゃないか、と期待するわけです。
なんというか、自己の欲求を相対化しつつその欲求自体を楽しむというような視点...そういったものを提供してくれそうな気がします。
より具体的に言えば、エロいものを見たくなったときの心理状態とか、それを必要とする環境・バイオリズムがどのようにして整ったかとか、その上で自分はどのような作品を選び、どのようなものに惹かれ、それを見ることによって自分の中でどのような変化が生じたかとか...
そういうことを踏まえつつ作品を見るということをふつーに受け入れるというか、恥ずかしさのあまり過剰にエロさに没入した素振りを見せるでもなく、かといって潔癖症的にエロさを遠ざけるのでもない....そういった立ち位置からエロさを勝たれるのではないかなぁ、と思うわけです。
(.....っつっても、あんなおっさんだからてきとーなこと言うんじゃないかなぁとは思いますがw)
っつーか、「てきとーなこと」関連で言えば寺山に一番論じて欲しいのはエロと美の関係についてですね。
たとえばポルノ体験というのは女性の裸体に対する美的体験というのがまずあって、代理的にそれを汚してもらうことにカタルシスを覚えるという奇妙な構造のもとに成り立っているわけですね。
合理的に考えればそういった心理はまさしく変態としかいえないほどに捻じ曲がったものだと思うのですが、大部分の人間のエロ的衝動というのはここに起因しているように思います。
「大部分の人間」っていうか男性の性衝動の一部にはこういう傾向があるように思う。端的に言えば劣情ってやつですね。
女性からすると「それは違うよ。性行動は愛だよ」ってことになるのかもしれないけど、それもありかもしれないけどこっちもありなんですよね。
なにせ性行動ってのはどう考えても異常な行動なわけですしね。(およそ高度な知能がある生物が行う生殖行動とは思えないほど非合理的っすよね。変な格好だし)
んで、劣情ってやつは「美を汚すことのカタルシス」ってことだと思うんだけど、このときの心理作用ってのはどうなってるんでしょうね? 心理学あたりだとサラっと説明してくれるのかもしれないけど、なんかしっくりこないような....。
.....やっぱタナトスとエロスの関係とかそんな感じになるのかなぁ。でも、それだと最初にした心配に逆戻りになるしなぁ..。
っつーか、「一方的に美を汚す」ってことではなく「お互いが汚しあうことを受容する」というところに愛があるのかもしれないけど...。でも、AV的なものへの視点というのはそれとは違うんですよね
あれはやっぱ劣情なのかなぁ..。
そしてそれは男性にしかないものなのだろうか..?
.....というところで「はてな屈指の女性AVウォッチャー」こと藩金蓮さんのことが思い浮かびますね。(こんなに見てるよ)
んじゃ、せーの......教えて、エロ子さ〜〜〜〜ん!!!
どうなんすかね? 女性でも劣情って感じなの?
(ってか、女性一般っていうか金蓮さんのお話になるかもしれないけどとりあえず)
っつーか、金蓮さんは現在夏まっさかりで頭がパッパラパー状態のようなのでお答えいただけないかもしれませんが、いちおTB飛ばしてみよう..。
なんだったらエッチマンと戦う悪の女ボスの人(美人乳)に答えてもらってもいいです。(エッチマンは♂なのでダメw)
あと、びみょーにY談してみたいので勤労者XさんにもTB飛ばしとこう。
それにしてもエロ話が多くなってるのは.......夏のせいかしらねぇ...。
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関連:
muse-A-muse 2nd: 「ここ10年でAV女優のレベルは上がった」のか? (+ エロコンテンツ周辺情報まとめ)
※エロ談義ということでいちお。今回の話にはあまり関係ないかも
画像:爆乳・巨乳・神乳特集 [まとめ]
※今回の話には関係ないけど前回の巨乳話関連で。しかし、ここまで来るとバーバママみたいだな..。(むしろネタだと思いたい)
2007年08月05日
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うーん、どっちかとうと、劣情というよりは欲情の方がしっくりくるような・・・。
ま、おぼこい(笑)私の言うことですから・・・ぷぷぷ。