2007年07月30日

その気持ちを救うのは....

 今日はなんか涼しくて頭が働くのでいまのうちに。

 先週の金曜ぐらいに福岡に持ち帰られた平和の火についての番組を見た。ぼくは知らなかったけど、平和の火を持ち帰ったのは福岡県星野村の山本達雄さんという人らしい。山本さん宅に保管されていた火からいろんな土地に分家して行った、と。


星野村の「平和の火」全国に広がるが…〜原爆への悲憤の思いどう伝えるのか〜

一九四五年八月六日、召集で広島県内の駐屯地にいた山本さんは広島原爆を目撃。書店を営んでいた叔父の消息を求めて、広島市街地に入り、駆け回る。
 黒焦げの死体、うめき、助けを求める声。目の前に「いまだに心の整理がつかない」と語る惨状があった。
 九月、帰郷に際して山本さんは、一片の形見を求めて叔父宅跡に立つ。避難壕のあった辺りを掘るとぬくもりがあった。壕には本や豆炭が置かれていた。火種を見つけ、息を何度も吹きかけると火が起きた。その火を携帯していたカイロに移して、列車に乗った。「この火で殺されたと、ばあちゃんを納得させる」
 原爆の残り火は、六八年に村に引き継がれ、現在は村内の高台にあるモニュメントの「平和の塔」で静かに燃え続けている。 「恨みの火」は、被爆者の供養の火へ、さらには平和を祈る火へと、山本さんの心のなかで昇華した。

 

 1ヶ月近く市街地をさまよったけど叔父さんの遺体も遺品もなにも見つからず、ようやく辿り着いた叔父さんの家で見つけた火をカイロに入れて故郷へ持ち帰った、ということらしい。

 リンク先記事の引用部分では「恨みの火は平和を祈る火へと昇華した」と結ばれているけれど、番組を見た感じではそんなに簡単なことでもなかったみたいだった。

 白黒の映像の中で、囲炉裏の火をじっと見つめる山本さんの目、やせこけた頬にはなにか鬼気迫るものが感じられた。そして、実際その後のインタビューの中で山本さんが感じていたのはとても深い恨みの気持ちだったことが明らかにされていった。

「この火を残していたのはいつかアメリカに復讐してやろうと....その思いを忘れないために火を灯し続けていたのです」

 そのようなことを語っておられた。

 それを聞いた息子さんは少なからずショックを受けていたようだった。

「いまや“平和の火”として長崎や広島の平和活動の象徴的存在となった火にそんなに深い思いが込められていたとは....」

 そういう気持ちがあったみたい。

 亡くなる少し前には子ども達に向かって戦争体験を語りつつ「二度と戦争をしないと誓ってください」というようなことを言っていたお父さんの姿が念頭にあっただけに、ショックもひとしおだったんだと思う。


 でも、そんな恨みの気持ちをもっていた人が平和運動的なものに火を使われるのを承諾し、「戦争を二度としない」ということを第一義的に考え、子ども達にお願いをするまでになっていったということ。

 このことについてなんかぼんやりと考えたり....


 山本さんははっきりとは語っておられなかったけど私憤的な気持ちが義憤(あるいは公の怒り)的なものにすり替えられて行く過程に違和感を持っていたみたい。

「たしかに平和...戦争をおこさないということは尊いことだけど、オレが火を持ち帰ったのはそういうことのためじゃない。それはオレの気持ちじゃない」

 そういう気持ちが言葉の端々から伺えた。


 以下は勝手な推測で、ご本人や遺族の方の気持ちを害することがあるかもしれないけれどそれを覚悟で話を進めさせてもらう。(※該当箇所になにか問題があった場合は修正、もしくは削除いたします)


 山本さんが火を点し続けてきたこと、それによって復讐の気持ちを保ち続けてきたことのは山本さんが山本さんご自身を許せなかったからではないか?

 あのとき叔父を救えなかった。あるいは叔父の遺体や遺品を持ち帰ることができなかった自分の事を責めておられたからではないのか? その気持ちをアメリカへの恨みの気持ちに転嫁させていたのではないか?

 ヒロシマやナガサキを生き残った人には少なからず「生き残ってしまった」という罪悪感があるという。その気持ちが山本さんを苦しめ続け、それを忘れるために「“生き残ってしまった”自分にできることはアメリカに復讐することだ」と思っておられたのではないだろうか?



 そう思うと「恨みの火は平和の火に昇華した」というのはちょっと違うように思う。

 これだと「平和を願う気持ちのほうが恨みよりも尊い」(復讐の気持ちはなにも生まない)みたいなことを言っているだけのように思うけど、そんなに簡単というか......悟りの境地みたいなものに達っせられるものではないよ。

 やはり悔しいし憎い、悲しいし怖いよ。あのときのことを思うだけで怖いし、自分が許せないんだろう。

 そういう過程は悟りのような気持ち、「全てを赦せ」みたいな気持ちからは程遠いのかもしれないけど、でも、そういった過程を経たからこそ伝わるものもあるんじゃないのか?

 事実、山本さんは最終的に子ども達に平和な世の中のことをお願いし、(言外にだが)アメリカのことも赦すというような気持ちで旅立たれていった。


 けっきょく結論としては同じだけど。でも、やはり違うだろう。

 なにより山本さんご自身の気持ちが救われたかどうか、ということがある。


 誰か訳知り顔の人に「復讐の気持ちなんぞ意味がないのでやめなさい」なんて言われても、そして言葉としてはそれが分かっていたとしてもすぐに納得できるようなものではないだろう。

 けっきょく山本さんを赦せるのは山本さんご自身だったし、あるいは同じ経験をしてきた人々の言葉、もしくは時間の重みのようなものだったのかもしれない。


 そういった過程を経て生まれた思いや言葉というのは強い力を持つ。一人の人間の気持ちが公の「正しい」気持ちにすり替えられ生まれていった狂騒よりも、「恨み」という個人的で、世間的に見れば間違っているかもしれないけど、個人としては十分な理由がある気持ちのほうがよっぽど真実のように思う。

(そして、そういう人がお願いするからこそ「戦争をしないでください」という言葉には価値がある)


 

 そういえば別件で同じように若い世代にお願いをしていた人の姿を見た。


クローズアップ現代 7月26日(木)放送 80歳の日本一周 〜ある老人の残したメッセージ〜


 「それまではざっくばらんに自転車仲間同士として話をしていた原野さんが戦争の話の終わりごろになって急に居住まいを正してお願いしてきたのが驚きだった」

 そう言った若者(?)の姿が印象的だった。



 そして原野さんも、山本さんももういない。

 彼らの気持ちは彼らにしか救えない(あるいは同じような体験をした人の言葉によってしか救われない)のかもしれない。そして、彼らはもうこの世にはいない。でも、彼らの気持ちを汲むことによって、少しでもなにかが救われていくのかもしれない。

 それは彼らの霊とかそういうことだけではなくて、その気持ちに同調したわれわれの気持ちを救うことになるのだろう。







 蝉の声がする...今年も夕凪の季節が来た




--
関連:
【平和の火】

※山本達雄さんの火への思いについて。




『夕凪の街 桜の国』麻生久美子 インタビュー | CINEMA COMIN'SOON シネマブログ



muse-A-muse 2nd: 久間とりっくす! (歴史認識におけるバックラッシュ?)

※<感情と実務的なオペレーションは並列する(レイヤーが違う)>ということについて。「感情的になるな」ではなく、感情は感情レイヤーにおいて燃やし続けるべきなんだと思う。



muse-A-muse 2nd: <ヒロシマ>ということ


muse-A-muse 2nd: 被爆のマリア

 


タグ:ヒロシマ
posted by m_um_u at 18:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。