2007年07月26日

朝日新聞の今後の方針とblogと新聞の現状について

 昨日の朝日新聞一面にちょっと前に主筆に就任された船橋洋一さんのコラム(?)が載っていて目を惹かれました。「朝日新聞宣言」って感じで、今後の朝日新聞の方向性について述べられていたみたいです。んで、まぁいろいろと思うところあったのでアーカイブの意味も兼ねてとりあえずメモ。

 全体的な内容としては旧来の日本の新聞って感じで「保守おつかれ様です」としか言いようがないです。つまり「ジャーナリズムの役割とはぁ、権力を見張るウォッチドッグでありぃ、社会を導くために木鐸を鳴らすものなのでアルことよ」、って感じですね。

 んで、コレへの反論というのはすぐに思い浮かびます。反論というか、上記で述べられていることは旧来型の教科書的なジャーナリズム観(タテマエ)としては正しいのですが、ウォッッチドッグ機能だけを強調しているところがアレだな、と。批評というのは物事をけなすだけではなく正しい活動(もしくは作品)に対しては正当な評価をしなければ成立しないんですね。その意味で、ウォッチドッグだけではジャーナリズムとしては成立しないと思います。(※「ジャーナリズムは批評活動の延長である」については以下を参照ください)


muse-A-muse 2nd: ジャーナリズムとはなにか?(2):批評としてのジャーナリズム


 ネットと新聞の関係については「ネットが検索的知であるのに対して、新聞は“社会の木鐸”的な誘導的知として言論を発信していく」って姿勢をとるみたいです。ここで想定されているネットというのは「検索」ってことでGoogleが頭にあるみたいなんですが、これはEPICでも見られたのでしょうか?(もしくはそれを紹介するセミナーに参加したとか)


EPIC2015


 でも、たぶんこのメッセージを正確に理解されてないようなのですが、これの言っていることは<検索エンジンが「検索」という機能を担ったまま新聞を取り込む>ということではなく<これからの時代は検索も新聞、TVのような従来のコンテンツ産業も垣根はなくなるよ>ってことだったんですがね。

 まぁ、いいです。宅配制度、再販制度、価格談合(特殊指定)、押し紙などといったモロモロの仕組みに守られて日本の大新聞様は安泰だぁ、ってことなんでしょうしね。河内氏の論考も他山の石というか、「おめぇら貧乏人はその辺でめそめそ考えてやがれ(ゲハハハ)」って感じなんでしょうしね。

「さすがアカヒだ。オレたちにできないことを平然とやってのける。そこにシビレル、アコガレルゥゥゥ」って感じですかね。あるいは大学教授と中堅社員(あるいはならず者)の違いというか....。


天漢日乗: 新聞社志望学生の抱く新聞社のイメージジョーク集



 あと、朝日って言ったら例の戦時期の失態とか、現時点での中国との関係とか気になりましたがその辺についてもほのめかして書いてあったのでじゃあ、以下気になったところ抜粋で。(朝日新聞, 2007年7月25日、一面 より)

 
 朝日新聞のジャーナリズム精神とは何か。
 私はそれを「権力監視」にあくまで食らいつく記者根性であると思っている。権力を握るのが誰だろうが、どの政党だろうが、暴力装置を持つ権力が、国民の権利を守るのか、侵すのか、国家が人々の心の奥や財布の中にまで手を突っ込んでくることはないか。政府の外交、防衛政策が、日本と世界の平和と安全を高めているか、損なってはいないか。しっかりと見張り、正確に報道していく。戦前、アジア太平洋戦争に対しては誤った報道をし、読者を裏切った。朝日新聞は、戦後、その反省から出発した。「権力監視」と正確な報道というジャーナリズムの原点にいま一度、立ち返る。おっして、それを踏まえて、時代の要請により鋭敏に応えるべく、紙面と報道の質を不断に向上させる。それによって「紙面、報道の声価を高める」責任を果たしたい。



(中略)

 
 世界と日本を同時代的に共感を持って関連づけることのできる新聞。
 今後、アジアは興隆し、世界は多極化していくだろう。紙面にこうした視角をもっと織り込んでいくことが大切だ。日本が世界の中でよりよく生きていくためには、他者の多様な視点に敏感でありたいし、日本の多様な視点を世界にもっと伝えていきたい。



 ちょっとたまらず突っ込みです。「世界の多極化」と、その中での「アジアの興隆」というのは分かるんですよ。フラット化ってやつですね。でも、なんか中国だけ意識してる? フラット化ってことだとBRIICSってことでブラジルとかインド、ロシアなんかについてもほのめかしてもいいものだと思うんだけど。。。

 それはいいとして、「日本の視点を世界に伝えていきたい」もなにも朝日自体がインド、中国進出なんかも乗り遅れてるじゃないですか? じゃあ、もう世界発信も何もないじゃん。(「ネットで英語サイト作ってるよ」、っつってもそんなのそれほど意味あるのか、って感じがしますね。わざわざ見に来るか?)


 閑話休題。続きです


 朝日新聞は、130年近い長い歴史と800万部以上の厚みのある読者層に支えられている。一部の層やどこかの利害の代表ではない。それだけに、国民の共通項を分断しかねない格差拡大、弱者切り捨て、少数派無視には赤信号を点す必要を感じている。



 ネットの挑戦に対しては、新聞ジャーナリズムを再興することを中核に、柔軟に対応していく。
 読者の「知りたいこと」を伝えるのは新聞の仕事だが、読者のそれほど「知りたくないこと」も時に書かなければならない。それがジャーナリズムであると私は思っている。新聞は検索ではない。ちょっと隣にも道草していただきたい。



 んで、この後「ネットの慣例同様、朝日新聞の読者のパートナーになりたい」みたいな文言が続いていくのですが......いや、なんか、びみょー.....。

 まず、冒頭でも言ったように舟橋さんの想定している「ネット」っていうのは「検索」って感じなんですね。んで、「ネット」と「新聞」って言ったらblog(ほかその手の簡易publish toolあるいはコミュニティ)とジャーナリズムの関係がモロにかぶって来るところなはずなのにその辺りについての言及はない....。たぶん知らないんだと思いますが、まぁ、不勉強だなぁ、と。


 この辺についてはちょうど渡辺千賀さんのところにエントリ出てたので引かせてもらいます。


On Off and Beyond: インターネット時代に新聞はどう生き残るのか


 「San Jose Mercuryみたいな一部の新聞の情報がblogにかなわなくなってきてる」って話ですね。これについては別ルートでも話題になってました。


Tech blogs go from hobbies to businesses - USATODAY.com

Blogs may be transforming the newspaper business model - Editors Weblog



 ポイントは千賀さんみたいな現場な人も実感としてそういうのを感じているってとこだなぁ、と。 もちろん新聞一般の話とは言いがたく、tech系という情報更新スピードの速い分野の話、ってのもあるんですが、「専門知の発信・共有において現場からの発信のほうが新聞その他のメディアよりも重視され始めた」というのは覚えておいて良いことなのではないかと思います。

 これをもってすぐに「blog > 新聞・TV」となるわけではなく住み分けの問題だとは思うけど。でも、船橋さんみたいな認識だとちょっと不安ですね。


 あと付け加えると、千賀さんとこのエントリの上段にあったように新聞の目指す方向性として二極化があるように思います。すなわち「(blogなんかよりも)深い考察系」と「超ローカルで地域密着系」。この2つの方向を同時に体現しようとしているのがWashington Post(WP)です。


In Push for Local Readers, Post Unleashes LoudounExtra.com - washingtonpost.com


 あと、ローカル化ということに関してEditors blogによればChicago Tribuneもローカル化を目指してるみたいですね。


 まぁ、そんな感じで。「質的に深める気がないならコミュニティマーケティングみたいな感じで固定客確保したほうがいいのでは?」ってのは前から言ってることなんですが、まぁ、誰も見ちゃいないだろうしなぁ。。

 新聞におけるコミュニティマーケティングの方向性としてはCivic Journalismみたいな感じで、「講座などを通じてローカルな関心をパブリックなものに繋げる → まとまった情報を紙面に繁栄する」、ってフローが考えられるけど、これはいろいろコストかかってめんどいみたいですね。(記者にとっては特に何度も同じことを説明しないといけないのがつらいらしい)



 まぁ、その辺も含めてぼちぼち.....(朝日とかは考える必要ないか)



--
関連:
muse-A-muse 2nd: 当世新聞業界事情 (国内・海外概略)


muse-A-muse 2nd: 新聞業界来し方行く末


muse-A-muse 2nd: 「新聞は、全世界で見ると成長している」..というよりも「インド・中国では」ということではないでしょうか?


muse-A-muse 2nd: 人事を尽くして天命を待つ、とか? (NewsCorp躍進の理由みたいなの)


※国内・国外の新聞業界の現状について。あるいは現状打破の方策など。



muse-A-muse 2nd: 「日本の記者はいろんなことを知っている」ということに対する反論

※現行ジャーナリズムは「ウォッチドッグ」というタテマエ的なところ意外でプロフェッショナルジャーナリズムしか知りえないであろうインサイダー情報の有利性を説くけど、そのインサイダー情報ってなんぼのもんじゃい、って感じのエントリ。




--
追記:
ところでSan Joseって言ったらDan Gilmoreのとこですね。...大丈夫なのかなぁ。


メディア・パブ: Dan Gillmore, San Jose Mercury Newsを辞め,市民ジャーリズム・プロジェクトに


あ、もう辞めてる(先見の明?)
 
 






タグ:新聞 blog
posted by m_um_u at 09:38 | Comment(2) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
新聞に慣れ親しんで半世紀、50歳代半ばのおじさんが、新聞の購読を中止して半年、ほとんど不自由することなく生活ができています。
 
新聞もインターネットからのニュース情報の収集も、私のような年代の人間にすれば、どちらも活字媒体なのですから、不自由しないのが当たり前なんだろうと思います。
 
私が、新聞に期待するものといったら、ものすごい量の情報の中から、有益な情報を選別して、それを提供してくれるということですが、別に紙の新聞でなくても、インターネットを利用した新聞でも、その機能を果たすことができるのでは、と思っています。
Posted by エカワ at 2007年08月03日 18:24
そうですね。「新聞をやめたらどうなることかと思っていたがやめてみたらどうということはなかった」というような声はちょこちょこ聞きます。

やはりテレビ欄が新聞のキラーコンテンツという話はほんとだったのかなぁ、と。朝日新聞の場合は日曜版で一週間の番組予定が見られるようになったのでその部分への意識もないようですが...自信の表れなのかなぁ

そしておっしゃるように情報の取捨選択的な役割が情報のプロには期待されるのですが、彼らの意識がエスタブリッシュメントというか、ちょっと偏った感じになっているようなのでなかなか難しいみたいですね。(若手と幹部では感覚が違うみたいですが)


ところで、もしやと思ってリンクをたどってみたらあのエカワさんでしたか。(ちょっと前にエントリさせていただきました)
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/44627916.html

今後ともよろしくおねがいします
Posted by m_um_u at 2007年08月03日 19:07
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