2007年07月13日

久間とりっくす! (歴史認識におけるバックラッシュ?)

 歴史っていうかヒロシマ関連のことでuuminさんのまとめが分かりやすかったので、以下主に「自分用お勉強」って感じでまとめときます。ついでに歴史をめぐる最近のあれこれについても。

 まずはここから


uumin3の日記:歴史修正主義という言葉


 これは以前に痛いニュースで流れた資料館の展示内容変更関連の話題についてのエントリです。これ自体は以前にうちのサイトでもとりあげたのですが、


muse-A-muse 2nd: 平和資料館で「原爆投下=植民地解放」展 ?


 uuminさんが気になったのは「歴史修正主義という言葉の使われ方」とのこと。


 つまりこのHistorical Revisionismという語は、「原爆投下が正しかった」というアメリカの「(政治的に)正しい見方」から外れて原爆投下についての不正義を語ろうとする人に、歴史修正主義者め!(=正しい歴史を勝手に改竄する奴)みたいなラベリングをするのに使われていたということです。



 要約すれば、「歴史学において”絶対的に正しい歴史”などというものは存在せず、史料を元に適時改変、あるいは新解釈をめぐっての議論が起こるのは当然であるはずなのに、歴史修正主義という言葉を使う人々は"正しい歴史”があることを前提としつつそれに対する別角度からの意見を"修正”と呼ぶ。これはおかしい(傲慢)のではないか?」、ということですね。この辺、全面的に同意します。

 ちょっと思うのはこの言葉ってアメリカ的な考え方なんですかね?以前にアメリカ留学の経験がある方のblogを見ていたときにもこの言葉がふつーに使われていてなんか違和感をもったもので。まぁ、この辺は突き詰めていくとめんどそうだし、エントリの本意ではないので個人的にはどーでもいいです。


 で、次。uuminさんは歴史修正主義(revisionism)という言葉自体がアメリカの歴史学者の中でもびみょーな扱いを受けていることについて論じておられます。


uumin3の日記:歴史修正主義と Hiroshima


 こちらでは「原爆投下が多くの人の命を救った」とか「日本は降伏の準備があったのにそれを知りつつアメリカが爆弾を落とした」とかいった議論には深く立ち入らずに、<両方の言い分が荒唐無稽なのものではない>ということに主に焦点を当てて論じられています。(たぶん)

 それでも、一部の人々からは「ヒロシマに原爆を落とすべきだった」はデフォルトなんですよね......(ためいき)


 で、最近の一連の話に繋がっていくわけですが


雪斎の随想録: 「核」に関する備忘録


「原爆投下はソ連参戦阻止を目的としていた」という説がある。「日本に苛烈な無条件降伏を強いることで、日本の降伏決定を遅らせ、そのことによって、対日原爆投下を可能にして、以てソ連参戦をを制止しようとした」という説である。これは米国における「修正主義学派」の学説である。当時のバーンズ国務長官の言動に依拠している。
  / 多分、久間大臣は、この「修正主義」学説に影響されたかもしれない。だから、久間発言は、「暴論」ではないのである。ただし、政治家は、「こういう説がある」という言い方を通してもらう必要があるのであろう。
 もっとも、永井教授は、「修正主義」」学説には批判的である。。


 あれ?修正主義派ってのは「ヒロシマに原爆を落とす必要はなかった」という人に対する揶揄なんじゃないの??

(この辺uuminさんも「?」って感じになってますね(参照))

 「修正修正学説」みたいな感じなのかなぁ。。。まぁ、よくわかんないですが(今度覚えてたらその筋の人に聞いてみよう)


 んで、こっから一連の久間とりっくすって感じですね。


原爆投下の正当性、米核不拡散担当特使が強調 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


 それを受けてこんな自虐史観みたいなのも


アメリカの謝罪を拒み、献花を踏み躙った原爆被害者 : 週刊オブイェクト



 いや、自虐っていうか、こういったことがあったのは事実なんでしょうがね。でも、これをして


アメリカは、少なくとも当分の間は謝罪する事は無いでしょう。現状ではそのようなことが言い出せるような状況ではない、と認識しています。

何故なら、被爆者達がアメリカの謝罪を拒み、献花を踏み躙った過去があるからです。



 っていうのはどうかなぁと思います。理由として↓


(1) この謝罪はアメリカ全体の国意を代表するものでもないし、それに対する非礼というわけでもない

(2) このニュース自体アメリカに伝わっているとは思えない。一部の軍関係者に伝わっているかもしれないが、そもそもハーヴァード辺りのWASP思想で鍛え上げられたアジア蔑視観な人々がこの程度のことでショックを受けるとは思えない。外交オペレーションとその部分は別だと思う。

(3) このエントリを書いた人とこのエントリを賞賛する人々には「これだからサヨクのヒステリーは!」と揶揄するような空気があるように思えるが、そういう人々は現在も後遺症に苦しんでいる人々の感情というものを本当にリアルに想像したことがあるのだろうか? たとえが悪いかもしれないが、癌で入院して苦しんでいる人のところにその原因となったと思われる人が「謝罪」と称して訪れつつも事実関係についてはうやむやにしようとしている、といったことと同じだと思うのだけれど....。癌で苦しんでいる人の感情(あるいは先に亡くなった友人達を思う人の気持ち)をして「ヒステリー」の一言で片付けられるのか?


(4) もちろん「感情」のレベルと「外交」のレベルは別だが、それを言うならそもそも外交的にはそれほど意味がないと思われる瑣末な事例を挙げつつ、「ほら見たことか、被爆者は阿呆だなぁ」と揶揄する人々の態度こそが「感情的でつかえねー(ナンセンス)」といえるのではないか?



 だいたい以上ですね。

 そういうわけでこれ関連で「感情的」なところにとらわれない外交上のオペレーションというのはどうなっているかというと。(以下、すげーおーざっぱにまとめ)


カワセミの世界情勢ブログ: 歴史認識問題の難しさ

カワセミの世界情勢ブログ: 歴史認識問題の難しさ(補足)

カワセミの世界情勢ブログ: 歴史認識問題への補足

切込隊長BLOG(ブログ): 民主党なあ…



 まず、昨今の六カ国協議を表舞台としたアメリカの中国外交がある、と。慰安婦問題ってのはそれとは別のレイヤで「アメリカの人権外交にウラなし」(つまり、本気で「人権」について考えてる)って感じで進行してるみたいなんだけど、「賠償責任の多寡を巡って当事者間のすり合わせがうまくいかない」、と。

 平たく言えば「中国・韓国側がふっかけすぎ」ってことなんだけど、それをもって「双方の主張する惨劇がなかった」といえるものでもない。ただ、こちらのエントリにも表れているように、

G★RDIAS - 朴裕河(パク・ユハ)『和解のために』


 日本としては既に賠償をした歴史はあるし、それを韓国がインフラ整備のために使い込んじゃったってのも事実みたい。なので納得できない部分はあるんだけど、韓国の民間レベルでは日本に対する理解や関心は高まってるみたいで「敵国日本」的な意識は薄れてきている模様。

 中国に関してはいまちょっと良い例が出せないけど、ODAの関係なんかが頭に浮かぶ。例の「ODAで中国に橋立てたのに、中国国民からは"日本のおかげ”感がないんだよね」問題。(以下、勝手な妄想かもしれないけど)ODAの意義としては「国際経済的に踏み台にした発展途上国に対する賠償」みたいな考え方があるように思う。従属理論的な考えでびみょーなところはあるけれども。それに加えて「慰安」的な意味合いも含まれていたのではないか? ODAをもらった中国側としてはそんな感じで「当然」のものとして受け取り、うやむやにしてきたのかなぁ、と。それに対してけっこうなお金を払ってきた日本側としては「慰安」も含めた気持ちがあったのかもしれなくて、その部分での齟齬が生じているのかなぁ、とか少し思う。


 んで、最近の米中外交というかびみょーなやりとりとしては「レイプオブ南京」をアメリカ資本で作ったってのがあるわけだけど.....これもまたびみょーな感じで、内容としては上記したように「数字が過剰」ってのがあるみたい。なので反対派からはアレルギー反応が出てるし、元々の肯定派も「・・びみょー?」って反応を示しているのではなかったかな?(※ソース示せないけど)

 
 こんな感じでアメリカが中国に肩入れしているのは東アジア外交における優先順位を日本から中国にシフトしたからだと思うんだけど、上記のようなジャブレベルのやりとりと実質的な外交政策とがどう結びつくのか個人的にはよく分からない。「ジャブレベル」って言ってもカルスタ(あるは文化政治学)的には「文化の表象を巡る重要な争い」って感じなのかもしれないけどよくわからん。



 んで、そういう流れの中でのアメリカによる慰安婦問題のバックラッシュって感じ。つまり、「...それ既出じゃん?」みたいな話をアメリカ的ゴリ押しで蒸し返してる感じなんだけど......なんすかね、これは? ロビーイングとか六カ国協議だかなんだかの時機とかと重なったんですかね? (あるいは経済関係の)

 カワセミさん的には「アメリカに他意はなく純粋な人権意識だ」ってことなんだけど、なぜこの時機なのかがよくわかんないんですよね。(いやエントリに含ませてあったかもしれないけど....斜め読みしちゃったかな)


 んで、「ヒロシマ」をめぐる言説のゆり戻し(バックラッシュ)ってのもこの文脈にかかわるのかなぁ、と。なんか「保守還元(あるいは回帰)」って感じですよね。


 そんでやっぱ「なぜいまなのか?」ってのが気になるけど、全体的な流れで言うと、「議会の雰囲気としてバックラッシュ的なのが流行ってるから」ってことになるんですかね? いや、あの辺まったく疎くてチェックしてないので純粋な疑問なんですがね。


 とりあえず、もしそうだとするならそんなのに伝染することもないなぁ、と。(「初物買いなど江戸の町人のすることだ!」って感じですかね)




 それとも外交レベルでの緻密な計算とかあるのだろうか?(それこそ久間とりっくす?)




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関連:
萬晩報:原爆100万人米兵救済神話の起源

※「アメリカの作り上げた歴史はよくわかんないなぁ」関連で。<ヒロシマによって100万人の命が救われた>説があるけれども、負傷者も含めて多く見積もっても6万人、戦死者だけなら2万人ぐらいの推定なのになぜに25万とか100万という数字が出てきたか、についての検証記事。これも「絶対」というわけではなく考え方のひとつではあるけれども、少なくともこれを見た限りでは<ヒロシマ>肯定言説には納得できないものがあります。

 
 
J-CAST テレビウォッチ : 「ヒロシマ/ナガサキ」死んだ人はいい。生きてこんな苦しみを…

※アメリカのメジャーな映画チャネル(CATVだっけ?)のひとつHBOで製作されたドキュメンタリーについて。現地でどれぐらいの視聴率や反響があったのか気になるけど。とりあえず日本では2007年7月28日より公開、とのこと。

 
 
田口ランディ公式ブログ : 辞任してしまいました

※「しょうがない」として思考停止することについて。「もったいない」ともどもこの辺も国際公用語になるんですかね?
 
 

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追記:
なんか気になるのでいちお言っておくと、「瑣末な」といったのは「外交」というレイヤーで考えた場合のことであって、「被爆者の感情」あるいは人間の感情というレイヤーで考えた場合、瑣末なことではないと思っています。(だからこそエントリ立てた)

2つのレイヤーは直接に関わるものではないけれども、それぞれの価値はつぶしあうものではなく並列して存在し得るものだと思います。そしてそれぞれの価値は同様に尊重されるべきもののはず。なので「感情的なやつには外交的、あるいは国際政治的なレイヤーのことは考えられない」というのは間違いだと思うんですね。2つは違うレイヤーだけど感情的というか情熱をもった人が国際政治や外交に関われない、というのもどうかなと思って。(それじゃ「主体」というものを設定する意味がないですよね?)
 
まぁ、そんな感じです。

  



posted by m_um_u at 15:38 | Comment(2) | TrackBack(0) | 政治このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
TB有難うございます。

「なぜこの時期なのか」という問いはしばしば発されやすいですが、先送りに慣れている日本政治の悪影響があるかもしれませんね。久間氏の様々な発言に対して米国人が「なぜこの時期なのか」と問いを発する事が果たして本質を突くことになるかどうか。完全に無視は出来ないものの、時期よりは人かな、と。それで後から全体構図の中で時期的なものも見えてくるかもしれません。

感情と外交のレイヤが違うのは全くおっしゃる通りで、その部分を両立させるべく様々な行動を起こすのが議会の役割と思うのですけれどもね。それが弱いから行政側も外交的の行動を起こすと行き過ぎでバランスが取れないように見えてしまう。色々考えると、やっぱり日本の政治の問題は質より量かなと・・・・とりあえず、国会議員が使えるスタッフをもっと増やせないものかと思いますね。

中国は面倒で、贖罪を求める国民意識が時間差で出てきているんですよね。20世紀前半も妙に時間差がありましたが今回はそれ以上。で、共産党政府は(大局的に見れば)それを日本に対して要求するというよりは大方において抑制する立場。民主化はともかく政治の大衆化は進むでしょうし、その際に対日のナショナリズムはもっと吹き出るでしょう。日本に必要なのは摩擦や対立に慣れてそれを管理する能力ですかね。50年じゃ足りないだろうし。
Posted by カワセミ at 2007年07月16日 02:11
コメントいただきありがとうございます。勉強になります。
 
>なぜこの時期なのか?

ちょっと陰謀論めいたことで考える癖があるので反省しております。。やはり「システムが整っていない」ということなのでしょうね。というよりは、「システムのための人員が足りない」、と。

レベルが違うかもしれませんが日本国内の地方行政などでも同じことが言えるかなぁ、と思いました。(教育行政なども)...IT化はこの部分の負担を軽くするものだと良いのですが、なかなか.....


>中国の国民意識

「毛沢東の子ども達」という言葉が頭に浮かびました。実際、そういうタイプの人たちに接したことがあるのですが、すごく頑なに自分たちの歴史(教科書)の内容を主張していました。(特に関係のない話題でもわざわざその話題をふってこちらを攻撃してきていた)

それ自体はどうでもよいのですが、そういった人たちを束ねないとならないとなると大変だなぁ、と思います。「束ねる」というか、やはり噴出してしまうものがあるのでしょうね。そうなったときに国家レベルでもそうですが、民間レベルでのお付き合いというのも大変そうで、少し気が重くなります....。(案外、大阪の人なんかがこういうのは慣れているかもしれませんね)

「50年」というスパンはさすが政治学の人だなぁ、と思いました。
Posted by m_um_u at 2007年07月16日 06:09
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