2007年07月11日

twitterに宿るアウラ? (体験知と情報知)

 またしてもLivedoorReader不調...。LRっていうかFirefox側の変更かなんかかなぁ。。仕方ないのでLunascape Liteに避難してるのだけれど、なんかうまくいかない。はてぶのブックマークレットの設定ができない....。LunascapeはIEの被せ系ブラウザっていうことで特殊な性格はあるのかもしれないけど、以前はできてたのにな...。新規ぶくま作ってプロパティのURLにはてぶのブックマークレットのそれを設定すればいいはずなのに....うまくいかない。......以前はできたはずなのに(ワケワカメ)
 

 そんなこんなでストレスが溜まってしまった。ってか、最近はFireFoxで生活が最適化されすぎてほかのブラウザを使うととたんに不便感が出てくる。最近ではtwitter関連のアドオン入れてから特にFirefox様様な感じになってる。twitter foxtwitty tunesがやたら強力。前者はtwitterの更新を一時的なポップアップで報せてくれつつ、ctrl+Pで任意のポップアップが可能。ctrl+Lで見てるサイトアドレスをすぐに貼り付けられる。iTunesで聴いてる曲をそのままtwitterにポストできる。ポストの内容はテンプレで決められてていくつか選べるようになってる。聴いてる曲を自動的にtwitすることもできるようだけど、それだとウザイので任意設定にしてる。

 まぁ、そんなこんなでちょっとtwitterがおもしろくなってきてるわけだけど、もうちょっと登録人数増やしてみようかなぁ、と。 というのもどうもこのサービスというのは「体験の共有」というのがメインのサービスのような気がするので。「情報」ではなく「体験」。「情報」の場合はひとつ前のエントリでessaさんが言ってたようなネタ的な面白味が必要になるわけだけど、「体験」の場合はそういった面白みとは別のところに効用があるみたい。

 具体的に言えばtwitterで見られるコミュニケーションでは「似たような情報」とか「情報そのものにはそれほど価値のないつぶやき」が吐き出されてる感じがする。mixiやblogだと「迷惑」ってされるような地味なつぶやき。chat的なつぶやきっていうか、若い子がケータイメールなんかでやるアレに近いように思う。情報の内容そのものには価値はなくて、コミュニケーションすることに価値があるってやつ。(cf.コンテンツからコミュニケーション)

 その乱造感は増田や2chのそれに近い感じもするけど、半匿名ということもあってかもうちょっと大人し目な感じ。ってか、増田とかだとネタ的な組み立てのエントリも見られるけど、twitterなんかだとそれ以前のきわめてゆるい思いつきや情動がそのままアップされてる感じがする。blogだったら通らないようなきわまてゆるくて隙だらけの発言もそのまま横行するっていうか....。

 それは未だこのサービスがアーリーアダプター的なところで愉しまれていてそれほど荒らされていないからかもしれないけど、人が多くなってくると変わってくるか?


 そういうゆるゆるで冗長な情報がメインのように感じるわけだけど、もうちょっと具体的に言うと「晴れた」とか「起きた」とか「ワールドカップ見た」とかそんな感じの一定の範囲内での共通体験の確認(共感)みたいなのがメインなのかなぁ、とか思う。なので、より愉しむためには共通な基盤を持った人をお気に入り(フレンド)に入れておいたほうがいいのかな、と思ったり。具体的には「住んでる地域」とか。時間とロケーションが共通ってことでなんかわくわく感が募るし..。

 blogやmixiなどのSNSでもそういうことは可能だったはずなんだけどtwitterみたいなミニブログのほうがわくわく感が強い気がするのはなぜか? やっぱチャットに似てるから? もしくはケータイメールとか(PCのメールじゃなくてケータイメール)。なんか、距離感が近いメディアチャネルなんだと思う。でも、そこで発信されている情報については基本的に反応しなくていいっていうゆるさがあってその辺がちょっとおもしろい。mixiみたいな同調圧力がないって感じか(cf.読み逃げ禁止)。んで、そういうった中で会話が成立する奇跡感を楽しむ、と。(基本非同期 → 選択的同期ってやつだな)

 2chなんかでスレが成立していく奇跡感のプチ版って感じだろうか。



 んで、まぁ、ぼく的にはちょっと前のエントリでも言ったように主に「妄想処理所」として使ってきたわけだけど、ちょっと「体験の共有」的なところも感じてみようかと思っていま人数増やしてるんだけど....なかなか。やっぱ地元(広島)な人を増やさないとおもしろくないかも。断片的とはいえ、「今日○○へ行ったらうまかった」とか「○○が混んでた」とか「××の店はサービスがうんぬん」、「工事中で・・」、「暑くて川が・・」.......などといったつぶやきを見るとなんかわくわくする。そういう情報というのは「ネタ」化する以前の「タネ」部分のようなものといえるのかも。

 神田さんか誰かが「twitterはみんなによる一次情報の共有体験だ!」って言ってたように思うんだけど、それはジャーナリズムってところまでいかなくてこんな感じの「タネ」っぽいやつなんだと思う。

 ってことはraw journalism的なものとか、essaさんが言ってた「タネ的な共有知」ってやつにも通じるか。でも、このままだとゴチャゴチャして使えないから活用するにはなんらかの仕組みが必要かもしれないけど。それによって「奇跡」感がなくなってしまうかもしれなくて、そういうのは危険だなぁ...。


 そういや「同期 / 非同期」関連でカラオケもそういやそんな感じだわな


痛いニュース(ノ∀`):“1人でカラオケ”を楽しむ人が増えている


 仲間内のざっくばらんなカラオケコミュニケーションでは人が歌ってるのはあまり聞いてなくて自分の曲探しに注心するのがデフォルトなように思うんだけど、たまぁ〜にひとつの歌をきちんと聞いて繋がったり...。(単に、「中だるみで疲れてたから」、ってのもあるのだろうが) そういう共有の感覚はtwitter的なものに似ているように思う。


 ってことはだ。カラオケってのは元からtwitter的なものに親和性があるのかもしれない。カラオケというメディアを通じて期待される効用というのは「コミュニケーションを期待するもの」と「コンサマトリーなもの(≠自足型なもの)」の2つがあって、普段は後者がメインなわけだから「ひとりカラオケ(ヒトカラ)」的な状況が生じる、と。

 「ヒトカラ」ってのはR.パットナムの「孤独なボウリング」を想起させて、なにか関係性の構造転換的な意味合いもあるのかもしれないけど、ぼくはそこまで深刻なものなのではないのではないか、と思う。 むしろ相互承認的な視線を気にせずに「おヒトリサマ」って選択をとれるようになった自主性のほうを評価したいけど。


 んで、そういった人たちがたまに同期を楽しむためのシステムもあっていいのでは、と思う。この辺のSNSってのはむしろそんな感じで展開されたほうが良いのではないだろうか?


あなたの歌のうまさは全国何位?--エクシングのカラオケSNS「うたスキ」:モバイルチャンネル - CNET Japan



 ってか、twitterと同じで「仲間なネットワークで楽しんでもよし(同期がちょっとデフォ)」、「知らない人同士で楽しんでもよし(非同期がデフォ)」って感じだろうか。とりあえず「知らない人同士をくっつける方向」というのも探ってもいいかも。



 ってか、これらの内容って以前に書いたエントリで既出か。


muse-A-muse 2nd: 情報共有時代のコンテンツ (補遺)



 要するに暗黙知的なコミュニケーションって感じなのかもしれない。体験を前提とするコミュニケーションはよりアウラ(≠アナログ)に近くなる、か。(逆説的に)


 
--
追記:
「twitterは暗黙知(ex.体験)を交換するのに適した場なのではないか?」関連で、思い浮かぶのはtwitterの話題のひとつとして「twitterオフ」みたいなのが盛り上がってるな、ってこと。
 
ぼくはやったことないけど、なんだか知らないけどtwitterはオフ流れになりやすいみたい。一部の人かもしれないけど。でも、その一部の人でも従来のメディアチャネルに比べてオフへの流れが早い(閾値低い)と感じている人がいるように思う。・・なんでだろう?

twitterというチャネルがケータイメールとチャットの中間みたいな感じだから? つまり「blogやmixiとかよりも気軽」? 「オフ」っつっても絶対集まらなきゃいけないってわけでもなく、twitter的に非同期を前提として、「なんとなく集合」とか「なんだった現地見てみれば?」的な乗りっぽいし。後者はたとえばどっかで事故やハプニングがあって、そのtwitをみて非同期的に現場に人が集まるって感じだろう。(非同期的オフ?)

とすると、「場の復権」ということがひとついえるのかもしれない。メディアチャネルの拡大に人の認識(あるいは実存)が追いつかずに疎外が生まれるってのが危惧がある(参照)。それに対してtwitter的な新しいメディアチャネルにおけるコミュニケーションが「<場>の体験」というアナログ情報を通じて関係性を補填していくってのは面白い。

っつっても、オフ盛り上がりってのはいまがアーリーアダプター的状況にあるから生まれている一時的な現象なのかもしれないけど。でも、「twitterによる現場中継」 → 「非同期的集まり」ってのは面白そうだけどなぁ。(んで、その場所についてのtwittが溜まっていって後で参照できるとおもしろい。「ニコニコ現実」って感じで、現実がテクスチャー化される)


あとちょっと思うのは、twitter / mixi(sns)あるいはサブブログ / blog、によって書く長さや内容が異なってくるだろうなぁ、ってこと。これは前にもちょっと出てきた「長文 / 短文」問題にも繋がる。

「短文メディアで不用意なこと書いたら誤解を生みやすいかも」ってのがあって中文、あるいは長文メディアを好む人がいる反面、最近では短文デフォルトなblogを書く人も増えていたり..。特に日本でそういう傾向が強いみたい。(この前のネット調査でもblogのエントリ数のトップは日本だったらしい。あまり考えずにポンポンとエントリする、と。)

そう考えるとtwitter的なミニブログというのは現代日本人の性質に合ったものなのかもしれない。mixiなんかもtwitter的な内容な人ってちらほらみかけるし。(「それ、1行で済むじゃん?」って感じの)


んで、そういう「短文 = 誤解が生じやすい」ということを意識している人はあらかじめフレンド数を限定して非公開にしてるのかも。


そういや「短文コメント = 誤解が生じやすい」問題ははて部なんかでもあったな。sbmのネガティブコメントの問題。メモる当人としては自分用メモのつもりなんだけど、相手先に見られてて誤解されたり、不安を与えたり。もしくは最初から悪意でネガティブコメント出す人もいるみたいだけど。


っつか、twitter的なミニブログってsbmの一言コメント文化の延長なのか。sbmがウェブの現実とそれに対する自分の気持ち(感想)を記録するメディアチャネルなのに対して、twitter的なものは現実(とそれに対する感想)をぶくまする。特にケータイと連動させてるとその傾向は顕著なように思う。(※ちなみに、twitteの場合、以下をかませばメールから投稿できます)

tmitter


・・「現実2.0」ってやつなのかねぇ。。




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posted by m_um_u at 23:03 | Comment(2) | TrackBack(1) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
>♪ 伊藤君子 / Follow Me

最後の1行に食いついてスミマセン。
このアルバム、ワタシのジャズボーカル開眼アルバムでした。最初は眠くなるばかりで、「やっぱジャズってつまんないなぁ」と思っていたのですが、そのうち耳になじんできたら、「いや、やっぱしコレいいわ!」になってきて・・・聞けば聞くほどリラックスモードになれます。
元演歌歌手らしいですが、ちょっと信じられないですね。
伊藤君子のNo More Bluesが入っているライブアルバムも最高です。
Posted by 勤労者X at 2007年07月13日 23:55
あ、ぼくも似たような感想をもってこのアルバムを聴いています。なんか、地味に染みてくるというか...全然違うところで全然違う作業をしているときになんとなく頭に浮かんできます。

元演歌歌手というのはすごく意外でした。No More Bluesの入ってるアルバムもチェックしてみようと思います。


Posted by m_um_u at 2007年07月14日 04:47
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Excerpt: ニコニコ動画は100年単位のインパクトを持ったメディア史的事件、といえるのかもしれません。
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Tracked: 2007-08-16 03:24
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