2007年07月10日

ネットは偶有性を設計できるか?

 ちょっと前にessaさんからお返事いただいてて、時機的にようやく落ち着いて考えられるようになったので自分なりの理解も兼ねてエントリをあげておきます。


アンカテ(Uncategorizable Blog) - 一般大衆と理想の落差を感じたらそれをネタにすればいい


 最初に結論から言うと、「これは偶有性(セレンディピティ)の話に似てるな」、と思いました。

muse-A-muse 2nd: 例のよもぎ餅について

(ちなみに上記エントリでは当該著作をけちょんけちょんにけなしてる感じがするので、その辺が気になる方はいちおこの辺も見てバランスとっておいてください)


 「予測可能性の中で出会える多様性(奇跡)」って感じのヤツですね(関連)。essaさんのエントリ的には、「ネットに関連する大体の事柄はフィードリーダーでチェックできる状態にしているけど、時折そういうものから漏れるものがある。そういうとき、むしろ面白味を感じる」、みたいな主旨のところに対応するように思います。

 で、「そういった偶有性の元に出会ったネタというのは出会った段階ではネタでしかなくて、その面白味を他の人にも伝えるためにはなんらかの工夫がいる」、と。この辺の話はオレンジ色の日記帳でも書いたことがあります。「遇有性って要するにおもろいこと発見能力みたいなものでしょ?」ってやつ。鶴瓶さんとかが得意とするやつですね。(鶴瓶アンテナ)

 んで、「芸人がネタを芸に昇華させるのと同じように、bloggerもいろいろ試行錯誤するよ」、と。それ以前に、「芸人マインドと同じく、ネタ見つけたときにはウキウキするよ」、ってことですね。

 この辺はよく分かります。(ぼくのとこでも最近だとUMA発見とかあったし)


 そんな感じで個人的には「奇妙なことを面白く感じる」ってやり方はわかるんですが、それが社会的にどうなっていくか(個人的にはネタとしておもしろい問題も社会的には問題なはず。それらは放置されたままになるのか?)ってところが気になってお返事をしばらく寝かせていました。

 essaさん的には、「自分以外にも、あるいは自分を越えるようなおもしろbloggerが登場して問題(ネタ)を芸化していけば、だんだんと関心も高まっていくのではないか」、ってことでそれだとちょっと楽観すぎるのではないかと思っていたのですが、その辺についてはご本人も但し書きされてましたね。

 そういった楽観視に対して、特定領域の関心の空白が生じている事態に対してはessaさんご自身も危機感(あるいは問題意識)を持たれているようですが、そういった事態に対応するためにアーキテクチャが偏向してしまう恐れもある、と。

 ってか、「事態の本質をよく見極めないままに未完全なアーキテクチャ先行で行くのはどうだろう?」、って感じでしょうか。この辺は同意します。

 で、理想としてはそういった事態の見極めが終わってからそれにあったシステム(アーキテクチャ)を設計していけばいいんだけど、それが完成するのを待つというのもびみょーな話で....。「それ以前になんらかのシステム的な落としどころはないか」、ということで偏向を正すためのより中立なシステムとして以下のようなものを想定されている、と


リンク関係や使用する用語の解析から、世の中で公表されている全てのブログ全体について、なんらかの偏りとか傾向を判別することは、半自動くらいでできるようになると予想しています。

そうなれば、もっと説得力のあるデータによって、上記の記事を書き直すことができるでしょう。

「やれば儲かるものだから、きっと誰かがやる」というのは、こういう社会の偏りを浮かびあがらせるようなシステムです。こういうシステムを作れば、多くのブロガーがこれを利用して解析することで、我々が住む社会の潜在的な問題点がどんどんネタにされていくでしょう。



 この辺がオープンソースっていうか共有知的に利用されていくということでしょうか。(ちょっと違うかもしれないけど)なんとなくこれが思い浮かびました。


これはひどい

はてなブックマークの中から「これはひどい」エントリーを取り上げて、Digg風に表示したサイトです。



 これも「偏向」をネタにしたサイトのひとつですよね。痛いニュースなんかもそんな感じか..。(って、あれはちょっと恣意性感じるけど)

 あるいはもうちょっと真面目(?)なものとしてはnewstrustなんかがあるか

muse-A-muse 2nd: blogとニュースサイトの有用情報に関して



 「これが理想」ってわけじゃないだろうけどこんな感じでメタ的に、もっと恣意性を減らした感じで偏向を制御・共有できるシステムができていくのかなぁ、とか思います。


 同時にスーパーノードというかスーパーハブ的な影響の活用ってのももうちょっと考えられていいかもしれませんね。渡辺千賀さんのところにも出てたけど


On Off and Beyond: 人間はアイドルを求めてしまうものらしい


 やはり、美人投票的な引っ張りの影響力(それによる偏向)ってのはあるみたいですしね。それを暗黙にしておくよりは明示化してシステムとして活用したほうがいいでしょうね。(できるのであれば)


 ただ、その設計というのは(おそらく)essaさんの想定されているように変更可能性を担保したもののほうがいいでしょうね。っつっても、ぼくはそれ系のアーキテクチャに関わるわけでもないのでblogなどを通じてもじゃもじゃと考えているよりほかはないのですが....。

 それが「bloggerの本分」というか、そういう中にも「bloggerの一分」のようなものがあるのかもしれませんね。芸人が芸にかける気持ちのように。



 まぁ、ぼちぼちと考えていってみます。



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関連:
muse-A-muse 2nd: 当て逃げ事件を巡る言論活動からraw journalismのあり方について再考してみた

※共有知(ネタ元)的な情報センターの可能性について。ネタの提供だけではなく関心を繋いだり、その他もろもろの情報コンシェルジェ的な役割をしてくれるのが理想だけど.....どうなるんでしょうねぇ..。



muse-A-muse 2nd: まれびと来たりて笛を吹く (多様性の可能性と限界)

※「システムにおける多様性の必要性」関連で。「運動」というかそれよりゆるいものでもいいんだけど、ボトルネックを解消するための鍵(きっかけ)というのはどこにあるんでしょうね?(やっぱ人? )



muse-A-muse 2nd: 「ネット時代だから地方から世界へ」は可能か? (広島の地域活性化について2)

※↑の「ボトルネック解消のためには?」関連で。ってか、こっちのエントリのほうが先。「門をあけるためにはなにが必要か?」ということで↑のエントリに続く。
 
 




posted by m_um_u at 23:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
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