今回は和洋服っぽいものが欲しくて和柄のTシャツ(もしくはタンクトップ)を求めて各店をさまよったのですが見つからず、「あぁ、おっさんは世間から必要とされていないのかな。もう、”You、若者の嗜好にあわせちゃいなよ!”的軍門にくだるしかないのかな」、といった気の迷いも一瞬生じたのですが、どうやってもああいったなんかよく分からないプリント柄の入った服を着る気にはなれない...。かといって、いつも通り無地な服を買ってきても仕方ないのでけっきょく何も買わずに帰ってきました。....やはり目的物はネットで購入するしかないのか? できれば実店舗でぶらぶら閲覧しながら買いたかったのに。
ってか、あることはあったんですが、プリント柄やデザインも想定したものとは違っている上に予想外に高いんですよね。なんであれが7せんえんとかするの?アロハシャツとか2まん4せんえんとか言ってるし...。っつーか、服高ぇよ。なんでこんなに高いの?
.........ここはアレですかね? ......せぇーの
おしえて! 福耳せんせぇ〜〜〜〜〜っ!!!!
っつっても、福耳せんせぇは現在、「オレの歌を聴け、ボエーッ」と鳴く珍しい生き物(もしくはこれ)にたかられてるようですのでお返事はしばらくしてからでもいいです。それにしてもなぜ今時分こんな生き物が湧いてくるのかな? 梅雨だから?
もしかしたら三本足で幸運を運んできてくれるかもしれないけど。
さておき「服なんで高いの?(高すぎじゃないの?)」って話に戻りましょう。
個人的な金銭感覚からすると衣料品ってやたら高いように感じるんですね。スーツとかなら分からんでもないけど、なにぜTシャツ一着が5000〜1万円もするのか? その他カジュアル系も一着あたり1万近くしますよね? この感覚がよくわかんないのです。
世の人は「それはふつー」って感じで受け入れているの? だって平均初任給(手取り)が16万円ぐらいと想定してその16分の1とかですよ? 可処分所得で考えるともっと切実なことになるかもしれない...。であるのに、なぜに衣料品はこんなに高いのか?
もうのっけから暴論言っちゃうと、中間搾取というか間に人が入りすぎのように思います。こんな感じで
図録▽製造業企業における利益の源泉
「繊維製品」≠「衣料品」とした場合、製造が「22.2%」なのに対して販売は「66.7%」もある..。これっておかしくないっすかね? ぼくは地味にマルクス的影響があるので、「実際に作った人」とか「実際に働いた人」とかに利益が還元されないのってどうなの?、って思ったりします。 その辺のギロンはちょっとサヨク的左掛かり傾向があることは分かっているつもりなのですが、やっぱこの辺の疑念が薄れないんですね。
<現代社会において「広告」「流通」「販売」といった中間的なものがなくては商品経済は成り立たない>ってのはなんとなく分かってるつもりなんですがね。どうしても、「中間ボリ杉なんじゃねぇの?」、って思ってしまうわけです。んで、「中間ボリ杉で商品価格上がってんじゃねぇの?」、と。
「サービス業の収益成長に対して製造業はそれほど成長していない」ということについては(市場が違うだろうけど)この辺からも伺えるように思います。
図録▽傘と床屋の価格推移
まぁ、そんな感じで一消費者的視点から「ボリ杉?」とか思ってしまうわけですが、その辺のところどうなんですかね?
いちおこちらでいただいたコメントを踏まえると、「生産ほかの技術(あるいは仕組み)が発達すれば価格は低下するはず」、ってことだと思うんですが、どうなんでしょう?
(相手が福耳さんということを意識しつつもちょっと迂闊に例出してみるけど)たとえば某○クロさんとか某○APさんとかは安く商品を提供できてますよね? んで、その理由ってのは、「中国みたいな人件費の安いところに発注して、コスト浮かせたから」、ってのがいえると思うんだけど、だったらなぜに業界全体がその方向で改善していかないのか?
「商売の狙いが違う」ということでしょうか? ○クロさんとかが「低コスト低出力低リターンな割りに高いヒット率を誇る回転系商財」で成長したのに対して、ほかの服飾企業は「ヒット率低いけど高コスト高出力高リターンな大砲系商財」を狙っている、と?
(※っつっても、○クロさんも中国の人件費高騰を受けてか戦略変えてきてるみたいだけど、ちょっと置きます)
で、あるとしても、もうちょっと回転率高い系というか「お値段お勉強しまっせ」的な企業が増えてもいいように思うんですよね。もちろん質は保ちつつ。
なぜこういう企業がそれほど現れないか(あるいはぼくの目に触れる範囲に現れていないか)。邪推するに、「コストやすくして価格据置カルテルのほうが儲かるじゃん ♪」というのがあるのか、と。あうりはまだマシな理由としては、「めんどくさくていままでのシステム変えるのイヤ」的なものがあるのか、と。あるいは、中国の人件費高騰みたいにコストが高くなるのを見込んで値下げしないでいるのか? そんなことを思います。
あと、ものすごーく陰謀論しちゃうと、某○通系広告会社のお仕事がなくなるからムダをムダと気づかせないように根回ししてる、とかね ♪ (← 批判理論1st的な文化産業論批判な視点)
以上がメインな質問というか「修正加えてください」な内容です。
あと、それに加えて疑問というか不満というか...。冒頭でも少し述べましたが、なぜに地方というのはこれほどまでにアイテム(消費財の種類)が少ないのでしょうね?
「そりゃ実店舗展開するコストまでかけて勝負するほどのものじゃないからだよ(人口の多い東京で消費してもらえば十分なわけだし)」ってことなのだろうけど、だったら実店舗コストのかからないネット販売がそれほど展開されていないように見えるのはなぜか?
この辺もよくわかんないです。
関連のエントリは以前見かけましたが
pruto.jp - アパレル業界がwebに手を出さない理由
けっきょく、「汎用webツールがないからめんどくさい」、って話だったのかな?
あ、違うか。以下、「考えられる理由」として挙げられていたものをそのままグワっと引用させていただく
単純にwebにかけられるお金がない
パートナーがアパレル業界の人なのでよく話しを聞くんですが、かなり厳しい状況らしいです。ある程度大手の所ならば別ですが、東京コレクションに出てるところは小規模でやっているところが多いのでなおさら。
本当はwebにお金かけたいんだけど…と思いながら結局そこまでお金が回らないのでしょうか。
ブランドコンセプトであえてwebに力を注いでいない
アパレルっていうのは歴史も古く、結構頑固なところも多いんじゃないかなというのがある。だからあえてwebとかに手を出さず、店に来てもらって現物を見てって思ってるのでしょうか。
確かに実際にみてもらうことは大事だけれど、同じく実際に乗ってみないとわからない車の業界はwebでかなり成果をあげているのでwebを有効利用すれば売り上げに繋がるとおもうんですが。
大衆的なイメージをもたれたくない
上のブランドコンセプトに入るかもしれないですが、ユニクロやGAPなどと違いブランド独自に路線もあったりで、大衆的なイメージを持たれたくないのではないかなと思う。「是非うちの洋服を着てください」なんじゃなくて「着れるもんなら着てみなさいよ」くらいなイメージ。言いすぎかな。
それでもしかし、着れる人のためのwebを展開してほしいものです。地方に住んでる方やコレクションを実際に見られない人にたいしてwebを使って何かすることはちょっと考えればすぐにできるとおもうんだけどな。
そういうの尻目に一部のメーカーは「ケータイ → ギャル層の購買期待」で勝負かけてるみたいなんですよね。
kakihara.org - blog : 高速消費経済から「文化」は生まれるか - 東京カワイイ★ウォーズ
ITmedia News:「もはや対等」 ファッションで競い合う日本と中国
この辺は「持つもの」と「持たざるもの」というか、やっぱほかのメーカーの怠慢ってやつなのかなぁ..?
んで、以前出てきたsocial shoppingな話ってこの辺の問題解決につながる一路のように思うんですよ
湯川鶴章のIT潮流 powered by ココログ: ソーシャルショッピング
ソーシャルショッピングはファッション商品向き-両国さくらのネットで☆ファッション☆
muse-A-muse 2nd: ある喫茶店の経営からSocial Shoppingについてダラダラと考えてみた
まぁ、まだ試行以前な試考な段階だと思うけど。でも、この辺の問題って地方在住者にとってはけっこう切実なんですよね。
これからTB送るエントリ
福耳コラム - 欲望充足のエンジニアリング
の話に従えば、われわれ地方な人々は欲望を喚起される機会(刺激)を失われているわけです。(じっさいぼくがあまり消費欲がないのはそのせいかもしれないし)
「広告」って手もあるかもしれないけど、やっぱ手にとって確かめてみたいですよね。
まぁ、そんな感じで、ぐだぐだ〜っとTBです
(※とかいいつつ既出な話な気もするので、その場合は関連エントリを教えていただければ幸甚)
衣料品の価格の話。むーん、ここから説明するのか(笑)、というところですが、これは経営学よりも経済学の入り口のところだと思いますが。
まず、流通販売も立派な労働です。製造は技術革新によって省力化できましたが、サーヴィスはそう簡単にはいきません。従って、この川下部分の労働が高く評価され、利益も上がるというのは、「人間の労働の価値、そのかけがえなさが認められている」ということですから、むしろいいことなのでは?
スキルの希少性も考えてください。「傘を自動的に作る機械のボタンを押す」作業と、「お客さんひとりひとりの頭のかたち顔立ち好みを踏まえて微妙な調整をしながら理髪する」作業と、どちらが市場で有利でしょうか。
「お客様にはこちらがお似合いなのでは」とか、お洒落な街に店舗を構えて綺麗にメインテナンスをしてお客さんと社交をして教育をして試着もしてもらって、ということは非常に高くついて仕方がない労働だと思います。それを認めてお金を出す消費者がいる以上、その消費者の需要量の分だけ、その商売は成り立ちます。どんな商品も、原価とは関係なく、買う人がいればそれだけ高い値段でも成り立ちますし、それは正当な市場価格です。
取り敢えずひとつのコメントではこのくらいが息切れしないで書ける量でしょうか。
後学のためにちょっとお伺いしたいのですが、m_um_uさんはご自身では「メディア論」分野の方、とおっしゃってますが、例えば経済・経営・産業系の知識というのは、これまで意識的になにかで勉強されたり、講義を受けたり、ということはどんな感じでしょう。これからあちこちで社会人の方としゃべるときに、学生相手の感覚とどのくらいメリハリをつけたらいいのか、講義をしていてかえってよくわからなくなってきました。
でも、それだと衣料品はこれ以上安くならないんですかね? ってか、衣料品全般ってことではなくて、各企業ごとの工夫次第、ってことなのかなぁ..。
とろろでぼくの経営・経済学知識ですが、講義などは受けたことはありません。必要と思われる知識を本で学習して、その後、専門領域の人とギロンして修正していく、って感じです。(なので「付け焼刃感」が漂うかもしれませんね 笑)
サーヴィサーの人件費のみならず、大きいのは不動産コストとか、都心の店舗ではあるでしょうね。おそらく、「大都市のゴージャスなロケーションで買い物する快い体験」の価格も含まれていますよ。
そんなもんいらん、服だけでいい、という人に対して服だけ売るビジネスモデルがあってもいいように思いますが、やっぱり実物を見ないと買う勇気が出ない面もありますしね。
作って売る側にしてみれば、「せっかく目新しい服を作ったのだから、それがなおかつ高く評価され高く売れる“場”とセットにしたほうが無駄がない」と思うのも合理的です。服単品で全く変わらなくても、ネットでわんさかありふれた感じで売ってしまうと、人件費や不動産コストが節約できる以上に「箔」がつかないぶん損することもあるでしょう。
高品質な衣料品がより安くなるとすれば、実物を見なくても安心して品質に期待できるような高い信用を勝ち得たネット店舗が、田舎に倉庫を置いて流通センターでコスト削減して、店員の手を煩わせずにパッケージで宅配するようなビジネスモデルでしょうか。女性用下着の通販とかはもうありますよね。カタログを美麗に印刷してもそのほうがまだ安いんでしょう。
でも、やっぱり実物を手にとって確かめないと買う気になれないというのも否定できない。テクスチャの質感というのはそのくらい微妙なものですし、染色だって印刷や液晶画面では再現精度が低い。Tシャツならともかく。そうすると、アンテナショップを実験的に展開するか。それならそこでもう買っちゃった方がいいですよね。
「ファッションセンターしむむら」とか、あの辺の商品にはどういう感想をお持ちか、むしろ伺いたいですね。
経営・経済系の知識ですが、なんていうんでしょうか、「規制などの理由以外でそれを誰かがその値段で買っている以上、それが不当に高い価格だとは市場ではいえない」というのは、これはもう議論の出発点でしょうね。もし現状で誰かがえらい儲けているようなら、参入規制がない以上みんな衣料品店を開業してそのおいしい市場に入りたがり、競争が限界まで激しくなるはずです。ていうか、その論理を敷衍すると「いまはいまなりに限界」のはずなんですね。これは経済学的にまず言えましょう。
しかしさらに経営学的になんとかできないか、とすれば、「無駄に中間マージンが大きいんじゃないか?」と見て取って、例えば工場に発注して自社で全部買い取って直営店舗に並べて売るユニクロみたいなモデルが有利になる。産業構造論も入ってきますかな。
しかしそれでは、デザインで冒険ができないですね。市場の消費者の好みが精度高く見切れて予測できるならいいんですが、あまりに通好みのものを作ってしまうと売れ残ってお金が回らなくなります。だからCMでタレントに着せたりする。そうすると、ユニクロはユニクロっぽい服の自己模倣的デザインをするのが合理的になりますね。
で、そういう「いかにも定番」みたいな無地のシャツとかは、もう滅茶苦茶安いですよね。安心して量産できるから。でもそうではなく、「和柄っぽいアロハ」とかは、m_um_uさんのような好みの人が確実にいることを見越してならともかくそれが事前にわからない段階で、そんな好みの人がいないなら売れ残ること覚悟でわざわざ作り、しかも小ロットで規模の経済も働かないような商品でしょうから、ある程度高くはなりますよ。(二万いくら、というのは生地にも拠ると思いますが)
おそらくそれを解決するのは、これから広まりそうですが、「消費者が自分好みのデザインをシーズンよりかなり以前にネット上で予約購買する、料金先払い」みたいなことかも知れません。でもそれは、「欲しい時にすぐ買える喜び」はないですよね。高い衣服には、「すぐ買えるスピードの速さ」の快感の価格も含まれているんじゃないでしょうか。
「やはり実物を見ないと」というところはそうでしょうね。この手のギロンではAmazonを思い浮かべました。(クリックアンドモルタルの話)
Amazonの場合はあのデータベースとそれまでの取引履歴が「信用」になってるのでしょうね。ネットによって個人商店などの販売機会を拡げられるかというときにいつもそれがネックになってきているように思います。なので、その辺については「信用の分配」というか「お墨付き」みたいなのができないかな、と思ったり..。(※フランチャイズみたいにケイゾクして使用料とられちゃうとキツイので、顧客だけ分けてもらう感じで)
これも分けてもらう先の店舗なりなんらかの複合体なりに、分配元と同等かそれ以上のサーヴィスが期待できる場合なら成り立つんでしょうけど。
実店舗を持たずにアンテナショップということだとヴァーチャルリアリティ技術の発達なんかを妄想します。VR世界で実際に手にとって質感を楽しめるようにならないかなぁ、とか。・・まぁ、妄想に逃げてる時点で負けなんですが(笑)
「中間マージン減らすとデザイン的に冒険ができなくなる」、「それとは別にニッチ系商品を求めている層も確実にいるけど、ニッチ系商品作ると規模の経済性活かせないので高くなる」というのは納得しつつもなんとかならないかなぁという気持ちがあります。けっきょく技術的なところがボトルネックっぽいので「ロット少なくして作りわけしても採算がとれる」ような生産システムができればなんとかなるのかなぁ、とか思うわけですがそういうのはやっぱ「夢のシステム」って感じ名ですかねぇ...。(服飾系ではどっかの企業が似たようなシステム作ってるのを見たことがある気がするのですが.....ちょっと名前失念しました)
んで、最後の「予約制」というところ。....なるほど、そういや今日行ったアロハなところのにぃちゃんも似たようなこといってました。「いまはないけど8月後半ぐらいには秋物になるのでそのころには和柄も入るかもしれません」と言ってきたので、「んじゃ、そのころまた来ます」と言って別れたのですが、あれも広い意味での予約制みたいなものだったのかなぁ..。そういやこの「予約制」っていうの、以前に伺った喫茶店などの「会員制」というのと似てますね。ベース収入アップ + 収入の確実化って感じか..。
確かにスピードはないけど、地方民にとっては存在そのものがなかったに等しかったものが存在することになるかもしれないのでそういう方面に期待したいです。(ってか、一部はもうやってるのかな?)
あと、「ファッションセンターしまむら」は行ったことないです。うわさには聞いたことがある(というかナイトスクープで見た)のですが、ある方面にイカした傾向を持っているように思いました。
それは、おそらくイッセイミヤケ社の「A−POC」レーベルでしょう(この春夏シーズンまででイッセイミヤケ・レーベルに統合されました)。ただ、やっぱりそのシステムを使いこなす知恵を開発するコストが回収されなければなりませんから、安くはないですよ。この先どうなるかですが。
織布縫製はアマチュアには大変ですが、アロハの染色などはご自身でやられてみてはどうですか?面白いですよ。僕はそういうスタイルなら、「資本主義のその先」の可能性があると思います。ただ近代を非難しているだけではなんにも始まりませんが。
「まぁ、そりゃ高いわなぁ」って感じですが、ワタシ、今回そういったご予算のつもりではなく、単に「豊天商店っぽい和柄で手ごろな値段のTシャツかタンクトップが欲しいなぁ」って程度だったので魅力を感じなかったわけです。
それとは別に「自分で作ったら」というのはそういうわれるとそうですね。そして人よりもことさらに不器用なぼくとしてはここで商品の価値が身にしみて分かることと思います。
そしてそこに至って、「やはり分業だよね。人それぞれ得手不得手があるんだよ!」とのたまう自分の姿が目に浮かぶようです。
っつか、もういっそのこと着物でも着ようかと思っているのですが、そうなるともっとお値段はるんだろうなぁ......。
「製造」が「22.2%」なのに対して「販売」は「66.7%」もある..。
ですね。
あ、ほんとだ。修正しときます。