5号館のつぶやき : クローズアップ現代「にっぽんの“頭脳”はいかせるか〜苦悩する博士たち〜」
やはりstochinaiさんも放送内容に対して違和感を覚えたらしくて、その辺のところについていろいろやんわりと諭されている。stochinaiさんの場合は若者の研究離れを気にされているのでその辺の配慮を中心に、「あの番組内容ではまた若者離れが進むだろうな」という心配がメインみたい。
まぁ、こういうことだけど
クローズアップ現代でも、ポスドク残酷物語を放送していました。内容は、例によって例のごとしで、博士号を取得しても大学の研究者になれずに不安定なポスドクを続けているとか、子供が生まれたのでポスドク生活をやめて企業の営業職に就職したとか、いう話です
「これ見て若者引くだろうな」、と。ほかに論点として気になったところとしてはこの辺
私は、国も民間も含めて博士がどのくらい必要なのか、ポスドクを経験した研究者がどれくらい必要なのか、そうしたことをはっきりと把握した上で、大学院および博士研究員をどうしていくべきなのかという議論が必要だと思っていますが、そういう議論は中央教育審議会や「教育再生会議(笑)」で行われているでしょうか。
「とりあえず博士乱造しといて受け皿用意しないのってどうなの?」、と。ってか、「<とりあえず作る>のではなく<必要だから作る>の視点がないんじゃないの?」ってことか。
同意です。
この辺は大学入学のインセンティブ関連で以前に福耳さんとのお話でも出てきたけど、
福耳コラム - 高等教育の構造的問題を解決するには
やっぱ就職先が決まってないと大学(もしくは院)の魅力が薄まり入学者数が減っていくって問題はあるでしょうね。
あと、ほかの論点として、「大学院の専門知の事情」についてstochinaiさんのエントリコメント欄で議論が展開されていますが、こちらはちょっとパスします。(※この議論も重要そうだけど長くなりそうなので)
それでまぁ、以下は個人的に思うこと
まず番組の感想から言うと、印象としては3〜40点ぐらいの出来でしょうね。五号館さんのコメント欄でも少し書きましたが企業の論理が中心になって「大学院生は頭でっかちで使えない」「大学院に行くようなやつは頭でっかちになる素養がある」みたいな通念を涵養しているかのような印象を受けました。
というか、そういう社会的通念を元に番組が構成されたのでしょうが、番組の本来の目的はおそらく「学術の現場(研究)とビジネスを繋ぎ、活かされていないリソースを活かすということ」、だったはずですよね?
ぼくが見た限りではその目的は達せられていなかったように思います。
stochinaiさんもおっしゃっていたように徒に博士(あるいは以降)の研究環境の悪さ、閉塞性などを見せるだけで「その情況をどうすれば改善できるか」、「どうすればビジネスに活かせるか」という視点がすくないように思いました。
ってか、すこしだけあったか。ジェネラリスト系のポスドク、スペシャリスト系のポスドクの資質をうまく活かした企業の例があがってましたね。でも、これひとつだけで番組の大部分の論調としては、「大学側が専門知に固まりすぎてつかえねーのが悪い」、みたいな言い方でがっくりきました。(ため息)
......えーとですね。専門的な研究やってるんだから専門知になるのは当たり前ですよね? で、「研究者系はコミュニケーション能力がなくて使えねぇんだよ」みたいなこと言いたかったみたいですが、番組中のいくつかの例でも見られたように、ジェネラリストとしてコミュニケーション能力を発揮するタイプもいたし、自分とはまったく畑違いの分野の仕事に就いてる人もいたわけですね。なので、「やってやれないことはない」、ってことなんだけど....。
そういう文脈で、「大学院にもコミュニケーショントレーニングを」みたいなのもなんだかびみょーな感じがするんですよね。
要は「それってなんぼのものなの?」ってことです。
ビジネスな人たちは大学や学校に対するご自分たちの優位性を保ちたいのでしょうからことさらに「コミュニケーション能力がぁぁぁ」とか「人間力がぁぁぁ」みたいな意味の分からない単語を並べてこられるわけですが、それってほんとに「力」って呼べるものなんですかね?
ぼくからすると、「くだらない会議を寝過ごすための能力ですか?(いわゆるスルー力、鈍感力というやつ?)」、ってほどでしかないんですがそれほどにビジネスマンな方々の能力は優れているとおっしゃる?
......まぁ、そう思いたければそう思えばいいでしょうけど、いちお言っておくとそれって単なるルサンチマンっていうか、「能力がないので人の能力を測れないんだな」って程度のことでしかないですから。
卑近な例を出すと大学時代にスーパーのレジ打ちのバイトをしたことがあるんですが、まだ慣れてないころに少しミスをすると「大学に行ってるのにそんなこともできないの?」などと言われたのを思い出しました。
.....いや、大学はレジ打ちのための専門学校ではないからね。
それと同じことをあの番組全体から感じました。(暴論ですが、一部企業関係者から大学機関への蔑視を感じるのでそれとバランスをとるための対抗言説ととっていただけるとありがたいです)
で、本来ならそういった事情(専門性を身に着けるためにどのような環境が必要か、もしくはどのような環境が強いられているのか?その問題点はなにか?)について、ゲストで呼ばれた方が解説すべきだったんですが、その辺ぜんぜんスルーって感じだったんですよね。(これがスルー力ってやつなのかぁぁぁ!?)
えっと....東大の先技の方でしたね......... あぁ、この人だ
研究者リスト スタッフ | 東京大学 先端科学技術研究センター:澤昭裕教授
えーっと、通産省上がりの方でしたか.......んで、省のお金でちょっとだけ留学、と。じゃあ、ビジネスも大学も通じてないじゃん(なんか納得)
なんでこんな人ゲストで呼んだんですかね?
なんかもう......ほかにも著作とかなんやらプロファイルする気だったのにやる気が失せました。
(・・・・ダメダメじゃん)
この人、理系の研究室でよくある丁稚制についても理解してないし、院生の不安や学術の喜びなんかも全然分かってないのでしょうね。そして、ビジネス側の人たちがどのような人材を欲しているかということについてもインタビュー程度の表層的なところでなら知っているかもしれないけど、実際、どのような人材が使えるかなどについても全然分かってなさげ。
.......はぁぁ......
まぁ、いいや話を続けます。
よく「企業が求める人材」としてジェネラリスト(あるいは「多能工」)が上げられるわけですが、それ関連のこちらのエントリでも少し考えたように、ジェネラリストやスペシャリストを発掘するためにジェネラリスト(もしくはジャーナリスト、あるいはそれ系の情報ポータル)が必要になるわけですよね。
muse-A-muse 2nd: レッスルするアカデミズム? (学問とジャーナリズムの間)
そういうものがまったく見えない....。
ぼくが見えてないだけで、NII辺りでなんかやってるんですかね?
ってか、見えてないからこそ五号館さんのところやARGの岡本さんのところに企業の目が集まってるんだと思うんですがね。
そんな感じで企業側から大学研究を気にする目というのはあるように思います。それが多いか少ないかは別にしますがアテンションはある。でも、それを活かせてないんですよね。
企業の側からするとそれは「大学関係者が金に興味がなさ過ぎるからだ」ってことになるかもしれないんだけど、そう単純なことでもないように思います。
「金」に興味がある人もいるし、「金」というか自分の研究が広く世に知れ渡り世の中の役に立つことに対して関心がある人は多いように思います。そして、それだけの力を持った研究(金になる研究)というのはけっこうあるはずです。(じっさいぼくも一件知ってますし)
でも、それが企業側に届かない。それはなぜかといえば、研究者というのは主に研究をする人々であり広報をする人たちではないですからね。オファーがくれば考えてもいいかもしれないけど、研究を発掘したり世に知らしめるのは研究者ではなくその周辺関係者、もしくは学術ジャーナリズム的なものであるべきはずなんです。
でも、機能してない。
「周辺関係者」とは具体的に大学の事務方、広報や窓口などを勤めるところですね。ここがインタラクションコストを引き受けるべきなのに、全然そういうことはしようとしない...。してるところもあるのかもしれないけど、ぼくが見知ってる範囲では「大学の学費運営で手一杯だからぁー><」とかなんとか
「んじゃ、いいよ。オレが直接交渉に当たるよ」って研究者の方もおられるように思うんですが、そうすると煩雑な手続きが待ってるんですね...。(「一部税金で運営されている大学が営利目的で動いていいのかぁ〜?」とかなんとか)
ボトルネックっていったらその辺なんじゃないでしょうか?
人間の能力....っていうか、ジェネラリストだなんだとかいうのはそれこそ少し時が経てば解決される問題なはずですし、想定される当該プロジェクトに対して当人の資質が見込まれるのなら、「企業教育」にかけた時間(コスト)はすぐに回収できるはずなんですよね。
やはり、「採用担当者に見る目がない」、の一言につきるのではないでしょうか? ジェネラリストだなんだいうのはそれを隠すための言い訳にしか聞こえません。
(※誤解しないで欲しい..ってか、勘違いされてもどっちでもいいんですが、ワタシ、企業とかなんの魅力も感じていないので。ルサンチマンでこんなこと言っているのではありません。単に知的リソースがダブついているのはもったいないな、と思ってるだけです)
で
そういったリソースを活用するために、そういったいわばセミプロの人々がジャーナリズム的に専門知とビジネスを繋ぐ橋渡しになればいいと思うんですが、その際のビジネス的なインセンティブもあるとなお良いように思います。
んで、こちらの後段で出てきた情報センターの話に繋がる
muse-A-muse 2nd: 当て逃げ事件を巡る言論活動からraw journalismのあり方について再考してみた
問題は、「そういったセミプロ的な人が専門知を解説するノードとして機能するとして、その金銭的インセンティブを保証するために企業側が金を出すか」、ってことなんですが......。この辺正直分かりません。
essaさん辺りなら「出すよ!」と楽観されるかもしれませんが、ぼくはそこまで楽観論者ではないので。
でも、やってみる価値はありそうですね
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関連:
muse-A-muse 2nd: 大学教育について(上下分離の必要性など)
※大学運営関連で、<「教育」的機能と「専門研究」的な機能を分ければよいのでは?>、という試案。本エントリに絡めれば、「教育」的な機能のところが大学広報というかジェネラリスト的な機能を担っても良いかもしれない。(と、後先考えずいってみるw)
muse-A-muse 2nd: インセンティブと教育の質について
※「日本の研究って通用するよなぁ?」関連。この後段でも「余っている知的リソースの有効活用はないかいなぁ」とぼけーっと考えたり..。
muse-A-muse 2nd: 教養について ver.2.0
※「学ぶこと」と「お金を稼ぐこと」ってそんなに離れたものなのか_、について。ムダに長く考えてみたエントリ。後で見直してみよう。
インタラクティヴ読書ノート・別館:真剣中年しゃべり場
※今回のクロ現では理系の研究職の話が中心だったけど、「文系はどうか?」って話。「企業の求める人材とは?」「(有名)大学の知は通用するのか?」「通用する知を育てるにはどうしたらよいか?」など論点多数。
ハコフグマンさんのところにも感想あったのでついでに(失礼)TBです
ハコフグマン: クローズアップ現代「にっぽんの“頭脳”はいかせるか〜苦悩する博士〜」
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追記:
丁稚制(徒弟制度) についてお話してなかったのでいちお。理系や、一部の
ついでにいうと、そんな感じの古風なところはボスの仕事の手伝いは必須だったりしますね(もちろん無給)。んで、自分のやってた研究も名前差し替えられてせしめられたりすることもあるし...。
全部が全部そういうわけじゃないけど、そういった因習があるところもあるし、基本的に特に理系は研究課題の選択の自由度が低いのではないでしょうか?
なので、「自由な課題設定能力が必要」とかなんとか言われてもなぁ、って感じはします。
変えるべきなのは学生(もしくはポスドク)ではなく、そういった制度のほうだと思いますが?


前者を取るなら卒業して営業職やりながら・・・と言うのもありに考えていくしかない。
結局大学(研究)と企業の関係と言うのは企業と言うのはリアルな価値としての金を稼ぎ、大学と言うのはバーチャルあるいはレアな価値を追求していると言う違いでその穴埋めをするには大学側がリアルにお金に出来る仕組へきちんとアプローチしていくしかないと思います。
一応理系の大学を出ている身としては、理系の研究室全てが丁稚制でないし、かつ大学の周辺関係者が全て企業との繋ぎに消極的なわけではないと言うのは言えます。むしろ企業とのつながりに積極的な研究室ほど良い人材を確保していたような気すらします。
玄田教授の話のURLがどうやらダメだったみたいです。
んで、そういった「価値」というのは研究を食いつぶすかといえばまた微妙な話で...。
おっしゃるように、ある程度バランスをとったほうがいいようなところもあるように思うんです。タコツボ化が進みすぎて、基本的な社会生活に必要な社会常識からも外れてしまった人とかもいるし(ってか、いまもいるのか?)。学術が閉じてしまうことで、「大学」的な界が生まれ、その中で独自なルールが生まれていって「研究のための研究」みたいなのが乱造されていく恐れもある..。そういった事態に対して、企業的な価値を多様性として受け入れることは意味のあることだと思います。
ですが、「企業的な研究」とか「役に立つ研究」みたいなのが優先され、短期的視点に立った研究や流行ものみたいなタイトルの研究がもてはやされたり、「企業的視点に立った研究への支援を!」とか言いつつ優良企業(?)との繋がりの強い一部の大学へ科研費が集中するだけで、ほんとに有用な研究は見過ごされていく実態があったり...。
そうは言ってもけっきょくなにが有用かはある時点である尺度をもとにして測らざるを得ないのですが、どうもこの尺度というのが研究の現状や、ひいては有用な研究を求める企業の要望に応えるものではないように思うのですね。
今回の番組のゲストの人選なんかにはそれが象徴的に表れているように思います。
ってことはあれかな?やっぱ企業と大学が直接的にコミュニケーションできるようになればいいのかな..?(企業によるファンドとかそれを巡る査定とか)
う〜ん、気持ちは分かるのだけれど結局有用な研究と言うのはまず社会が決めるのでなく研究者個人が決めていく(でなければ予算の出ない研究=価値の無い研究になると思わない?)以上、まずは制度や社会の責任にするんで無く自分でリスクを背負ってもがいてみる必要のある時代ではないかなと思うのですが如何でしょうか?
理由としては2つあって1つは結局の所大学のスポンサーである学生は少子化で国などの行政は財政面で何かを改善していく為のリソースが不足していて結局分かりやすい傾斜配分させていかなければならない事、もう1つは公正な評価といっても仕組に依存する以上どんな形であれ仕組を作る物の都合に振り回される類の物ではないかなと思います。
昔高木仁三郎さんと言う反原発運動の中心的存在だった方が言っていた「自前の学問」みたいな気持ちと行動が無ければ解決は無かろうかなと思います。
http://members.jcom.home.ne.jp/brother/bk3.htm
↑卒論を書いていた頃に書いた書評(?)、我ながら青いなと思いつつも余り変わっていないのを嘆くやら喜ぶやら
科研費の話はそれとは別に「ビジネスに役立つものでばなければ研究費(ボーナス)は出さない」という話であって、長期的視点に立てば研究者個人のリスクにもつながってくるのか知れませんが、むしろ大学経営とか企業経営というレベルの話だと思います。
これって所謂リスクって言うのかなと思う。何も選択しないと言うのが一番リスクがあると言うのなら選択するリスクはリスクとは言わない様な気がする。
就職する事をリスクをとるといっているような物といわれているような違和感を感じる;。
>科研費の話はそれとは別に「ビジネスに役立つものでばなければ研究費(ボーナス)は出さない」という話であって、
そういう話だったの?大学側にしてみたら結構深刻な話と言う認識を持っているような感じに思っていたのですが・・・。
深刻な話ですよ。でも、個人のほうがもっと深刻だと思います。
ってか、全体的にどういった立場から発言されているのかよく分からないので応えようがありません。
この問題に対するぼくの立ち位置はエントリにも含ませておいたつもりですがもう一度明らかにしておきます。
まず第一に、「(蓋然的にとはいえ)努力の成果が報われるという約束の元にギリギリのコストをかけて研究をしていた(もしくはしている)ドクターコースの人材が活かされないというのは残酷なのではないか?」というのが一点、「ドクターコースの専門知は日本の企業が活かしていないだけであって専門知そのものは価値があるのではないか?(知的リソースがだぶついていることにイラだちを感じる)」ということが二点目(※ここで「企業にとって価値のある人材」という発言と矛盾する印象をもたれるかもしれませんが、上記で主に想定していたのは企業側が求めるコミュニケーション能力ってやつです。この能力のあいまいさについてはエントリ本文で疑義を呈しています)、三点目に「大学経営と学術の将来」というものへの関心が来ます。ただ、これは博士個人にとっては長期的な影響であって、「いまそこにあるポスドク問題」にとってはそれほど関係がないかな、と。
以上がだいたいの立ち位置です。
それで、もしこの問題に継続的な関心があるのでしたらリンク先五号館さんのところを中心に活発な議論が展開されているのでそちらを覗いてみてください