2007年06月28日

ウェブ社会の民主主義:スケールフリーなネット社会に対応する設計とは?

 なんかぶくまに民主主義関連のエントリがたまったので記念書きコ..ならぬ、ちょっとまとめとこうかな、と。


はてなブックマーク - morutan@はて部 / 民主主義


 まずはこのエントリを見ながら


アンカテ(Uncategorizable Blog) - 洗脳ノウハウのオープンソース化


 macskaさんとこで出てきた凶悪なマーケティングの例に対抗するには、「洗脳ノウハウをネットで公開して共有すればなんとかなる」ってことなんだけど、やっぱちょっとびみょー感がある。


 ぼくも基本的な理想としてはessaさんと立場を同じくするんだけど、この違和感はなんなんだろう...。

 同じエントリに対して、ぼくの場合は


muse-A-muse 2nd: カスケード的支援と持続的運動 (情報普及における質的投入の可能性 (仮))


 って反応してて。専門家がビジネスの領域にとどまりながら、マーケティングの質を変えて行くことに期待をもったんだけど、essaさんの場合は「共有知でみんなで解体しちゃえばいいじゃん」って言っておられるわけで...。


 でも、そういうのに対して前々から言われてるけど、その場合の専門家のインセンティブってなんなんだろう?


 essaさんは「「やれば儲かるものだからきっと誰かがやる」って言っておられるけど、具体的にその線が見えないのでびみょーな感じがする。(まぁ、「楽観的」って断りを入れておられるけど)



 なので基本的にJoiさんのemergent democracy(創発民主制)とそれほど変わりがないように思う。


 あれが発表されたとき、荒削りだけど熱い内容に心躍らされたものだったけど、同時に「現実的なガバナンスとしてはびみょーかも」って感じはあった。「現実的にどのようにそれを実現していくか」という点もあるんだけど、けっきょくのところ「ネットによる直接民主制」というのとそれほど変わりがないわけで、だとすると直接民主主義の可能性と限界を考えないといけないな、と。


 で、4年たったいまでも、それ系の課題ってのは相変わらず宿題だったりする。



 あのころに比べてblogをはじめとした知識共有系のツールは普及したし、人口が多くなるにつれて専門知的なものをもった人も増えてきたように思うんだけど、日本の場合はたとえばラザーゲイト事件のようなメルクマールは起こってない。


 そんな派手なものを期待しなくても、地道なギロンや専門的な知識が共有される場が作られているならそれでいいんだけど、全体的なシステムとしてそういうものも見えてこない..。


muse-A-muse 2nd: blogの可能性とblogセンターの必要性について (reprise)



 そして、こういうのはあまり好きではないのだが、やはり全面的に民主主義を信じるのは無理があるだろう。情報そのものの価値から情報を精査できる人は少ないように思う。



muse-A-muse 2nd: 情報普及における2つの問題:情報の価値とはなにか?



 そして、それをあらわすようにネットの世界(blogの世界)ってのはスモールワールドならぬスケールフリーとして分化してる。


muse-A-muse 2nd: blogジレンマとゆるい繋がりの可能性



 つまり、「それぞれがそれぞれの関心領域に固まっている」、って感じで、そこから出ようとはしない。外部からの情報(多様性)も受けようとしない。大きな変化ではなく、マイナーチェンジ的な小粒な情報交換を求める。

 そういう傾向があるように思う。



 それそのものに対して批判してるわけではなくて、みんな忙しくて勉強する暇なんかないわけだから、そういった態度にもなんらかの合理性があるのだと思う。災害情報みたいな分かりやすく必要な情報の場合は、多少慣れてない内容でも精査しようとするだろうし。




 それが直接民主におけるノードの実態なわけで、そう考えるとネットにおける知識交換の世界ってのは自然発生的なヒエラルキーができてるのだろう。(essaさんの説明だとスーパーフラット的な平等性を前提にしているように思うけど)






 で、



 だとするとアーキテクチャを考える場合でもそれに合うようなものを考えたほうが良いのではないか?


 関連で、梶さんのとこ経由で鈴木さんが想定するウェブ民主主義を見た。


梶ピエールの備忘録。:鈴木謙介氏のウェブ民主主義論


 ここではネットアーキテクチャの設計の方向として2つが示されていた。すなわち


(1)ネットイナゴなどのネガティブフィードバックを前提とし、「中傷」などをシステム的に遮断する設計


(2)「みんなの意見は案外正しい」をデフォルトと考え、グーグルみたいな感じで「みんなの関心が高いもの」が上位に来るような設計



 「自由」に対する態度として、前者は「消極的自由」、後者は「積極的自由」として位置づけられる。


 もうちょっと言うと間接民主主義と直接民主主義の違いみたいなものかもしれない。


 でも、代議制民主主義自体の有効性にも懐疑が投げかけられているけど...


池田信夫 blog レッシグの「これからの10年」





 話を戻すと、ぼくが想定しているのは(1)(2)の中間的なものになるように思う。


 池田センセに代表される消極的モデルの場合は、CGMというかネットのフィードバック全体とかはてな全体を「イナゴ」として扱う風潮があるけれど、それも極端なように感じるので。

 確かに玉石混交的な側面はあるのだけれど、池田センセが攻撃(?)を受けたのはネット全体とかはては全体ではなくその一部からだし....なによりアレは池田センセが不注意だったからだろう。

 その意味では「悪貨は良貨を駆逐する」のではなく「悪貨が悪貨を招き寄せた」のだろう。ってか、その中にも「玉」的なフィードバックもあったわけだけど、池田センセの場合はそれも「イナゴ」認定してたしなぁ..。


 なので、そういった「消極的自由」モデル一辺倒で行くのには懐疑的。たしかに「有名税」みたいな感じのイナゴ的な側面もあるとは思うけど、それによってアーキテクチャ変えていって多様性が損なわれていくのは惜しいと思う。


 かと言って、「みんなの意見マンセー!」って感じで進めていくのも違うだろうなぁ、と。
 

 こちらでも出てたけど、暴論的にいうと日本人ってけっこうな割合でDQNなのではないか?

 それは「大衆やぁねぇ」的な上から目線というわけではなく、そういうものなのだから仕方ないかなって感じがする。

 なのでシステムを考える場合はその辺りの人々にも伝わるようなもの、利便性があるものを考えたほうが良いのでは、と思う。


 ってか、そもそもDQNな人たちの場合はギロンとかそういうのは行わないのか? イナゴ的に怒りはしても慎重で地道なギロンというのはできないのかもしれない。

 だとすると、最初からギロンの共有的なシステムからははじいて考えたほうが良いのだろうか?



 ってか、そういった人々にとっても必要な知識が分かりやすく伝わるようなシステムが理想なんだけど.....。



 あと、知識共有うんぬん以外にDQNがどうとか言ってると「不平等だ!」とか言われるかもしれないけど、実際に脳力差があるのだから仕方ないことなのではないか?

 それは「DQNは黙ってろ!」的な切捨てではなく、実際そういった人々というのは地味なギロンに参加するゆとりはないわけだし、脳力が発露される可能性も低い。


 脳力というところではなくて、「いま目の前で万引き見ました!」、的な状況報告とその共有なら可能だろうけど、その部分とギロンの共有的なものは分けたほうがいいかも。



 あと、過剰な「平等主義」のびみょーさについてはこの辺を参照いただけるとありがたい。


ラディカル・デモクラシーと「ただの民主主義」


秋月瑛二の「団塊」つぶやき日記−FC2版 | 原武史・滝山コミューン1974(講談社、2007)を読んで。





 ってか、エリート主義的言説になってきていて気持ちが悪いがそういうことではないんだけどなぁ....。



 言いたいのは、「スケールに応じたシステム作りを考えたほうが良いのでは」、ってことなんだけど.....具体的には..どんなのでしょうねぇ..(ワタシそっち方面のアーキテクトではないもので、拝)




--
関連:
Social Media: Social media goes mainstream

※mass-mediaとsocial mediaを繋いだ系としての「social media eco-system」の試案。日本語解説はこちら。今回のエントリはsocial mediaの部分での分化って感じかなぁ。



muse-A-muse 2nd: life「運動」から(2):持続的運動に必要なものと「自由」のための設計図 (国家・市場・情報)(仮)

※<自由を守るためには力が必要>って話。国家は物理的力を背景にして自由をhackするのに対して、在野の個々人は「市場」の力によって「自由」を守るべきでは?、と。そして社会的共通資本(cf.公共性)の重要性など。

 

yomoyomoの読書記録 - ドン・タプスコット、アンソニー・D・ウィリアムズ『ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ』(日経BP社)

※ネットの集合知とビジネスの関係、フィードバックの質を保つ方法を考える際に参考になるかも。
 


posted by m_um_u at 12:09 | Comment(0) | TrackBack(1) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック

一般大衆と理想の落差を感じたらそれをネタにすればいい
Excerpt: muse-A-muse 2nd: ウェブ社会の民主主義:スケールフリーなネット社会に対応する設計とは? muse-A-muse 2nd さんは、こういうふうにウェブの社会的な側面について、幅広いソー..
Weblog: アンカテ(Uncategorizable Blog)
Tracked: 2007-07-04 16:54
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。