2007年06月19日

「テイシュクナツマ」から「カワイイワタシ」へ (「女性」意識の構造転換?)

 んじゃ、予告どおり、以前書いてたものを再編集してお届けします。

 このエントリ自体の発端としてはこちらだったのだけれど、



小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 正月に化粧について考える(1)



 論旨としては、


「女性はなぜ化粧をしなければならないか」「女性だけがなぜ化粧をするか」


 から派生して


「<美しさのイデオロギー>によって男性が女性を支配しているから」っていう7〜80年代のフェミギロンに仮着陸。

「貞淑な妻」であるために女性としてのたしなみが、「キレイな妻であるためにキレイな身体が必要なのよ」って感じで化粧を始めたとした身体的抑圧に繋がった、と
(ex.「コルセットでお腹ぎゅうぎゅう」、「纏足で足がひどいことに」)


(※いちお言っとくけど、イデオロギーというのはなんらかの矛盾・葛藤が生じている現状を隠すために為政者・あるいは統制者側がもちいる共同幻想のことを指す。なのでこの用語が使われたときには、「イデオロギーを受け取る側になんらかの葛藤(苦しみ)があるけどそれが隠されている現状がある」、と仮定される。イデオロギーに対するイデオロギー(カウンター・イデオロギー)の場合は、「元となるイデオロギーによって迷惑している現状があった」、ということ)



んでも、


「そんな感じでこういう問いってほとんどデフォルトで答えられるけど、なんでこういうフェミの主張って受け入れられなかったんだろうね?」


と。



 んで、流れから「女性自身が化粧を主体的に受け入れていったんだろう(「化粧したいワタシ」)」


ってのが出てくる。


 このような女性側によるイデオロギーの受け入れ(書き換え)を仮に「キレイ・イデオロギー」とする


 フェミギロンとの関連で考えると、それは男性側によるイデオロギーの押し付けを自分的言い訳で受け入れただけ、ということになる。

 個人的には、テロで誘拐された人がテロリストに親和性を持ってしまうのと似てるのかな、とも思う。



 んでも、たぶんそういうことじゃなくて、もっとライトでポップな感じで女性人はじょしっこライフを楽しんでいる。


 そういうわけで次のエントリではその辺の理由が模索されたり、



 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 正月に化粧について考える(2)



 70年代のフェミのギロンでは、「あなた方は男性によるイデオロギーによってだまされてるだけ。自分たち自身の美しさに目覚めて自己実現しなさい!」、みたいなオルグがされたらしいんだけど、この「自己実現」ってとこが曲者だったみたい。


「“じこじつげん”? なにそれ?」って感じ



 だって、そんなことしなくても彼女たちは充分にじょしっこライフを楽しんでたわけだし、「いまさら化粧やめたり、フェミニンな服着るのやめるのもイヤだしなぁ・・」、と


 んでまぁ、けっきょく、「化粧するもしないもその人の勝手じゃん?(自己選択・自己責任)」、とかになってくわけだけど、それもなんかアレだねぇ・・、と


 もしも抑圧されている現実があるとしたらアレだなぁ、って感じだろうか?


 でも、大部分のじょしっこ達はお化粧ライフを楽しんでるわけだし・・ってか、大部分でないじょしっこ達がそういうので心理的抑圧を受ける、と?


 あとは、キレイ・イデオロギーでキレイ武装していくとお金けっこうかかるよねぇ、って話か?
(「化粧品高けぇよ!服も!!」)



 まぁ、よくわかんないけど




 で、最終的に、「そういう強烈なイデオロギー批判とかよりも日常生活を支障なく送ってんだからいいじゃん?」ってとこに落ち着く、と



 まぁ、そりゃそうだ




 っつーか、小田センセも最後でちょこっと書いてるけど、この部分のびみょーさというか微細さこそがポイントな訳だが


女性たちがラディカル・フェミニズムの批判を拒否しているのはイデオロギーの呼びかける「自己実現のために」という呪文に操られているからだということにはなるのだろうか。女性たちが「キレイ・イデオロギー」による呼びかけに絶えずさらされ、その影響下にあることはたしかだろう。そして、外出するときには化粧をし、化粧品をいろいろ試したりダイエットをしたり補正下着をつけたりするという日常的な行為は「キレイ・イデオロギー」にしたがっているようにみえる。しかし、そのような日常的行為は、その日常性ゆえに、「自己実現のために」という呪文からいやおうなく、ずれていく。たしかにそれは「自分のため」にするのだろうが、日常性ではその「自分」がゆるやかで状況や周囲の他人たちに溶け込んでしまい、「自己実現のために」なんていう「自己」ではなくなっているだろう。そのぐずぐずの状態を肯定してしまうこと、そのようないい加減な態度にこそ、「キレイ・イデオロギー」を崩していく(そこから逃れたり解放されたりするのではなく)可能性があるのではないか。そちらのほうが、日常的な意識の欺瞞性を暴いてそこから自己を解放するといった批判理論の目論見よりも現実的ではないのか。



 四の五の言ったって日常生活で「ぐずぐずっと」お化粧ライフしてるわけだからその部分をもうちょっと積極的に捉えるっていうか、むしろその部分を積極的にhackしていくほうがよっぽど現実的だ、と。


 おそらくこの部分ってフーコー的な微細な権力が絡んでくるように思う


 「権力」っていう言い方をするとビビられてしまうかもしれないが、なんかみょーな指向性のようなもの。そういうのが無意識のプログラム的に組み込まれている。(消費を含んだ生活の場における権力構造として。「性」に対する意識のステレオタイプ化にもそれが絡む)


 その部分をどうhackするかってのがポイントなんだろう。



 あと、>ヘルタースケルター的な欲望の指向性(あるいは再帰、自己充足性)も絡む。



 まぁ、めんどくさい領域なわけだけど、モロにカルスタの領域だな

 フェミ系カルスタ使いの人で誰かやってないのかな?(知らんけど)

 

 ネット見る限りだと大部分がマルクス止まりな感じなんだけど..。
(冒頭の「イデオロギーによる抑圧」「イデオロギーの後ろには男性中心社会が!」的思考形態はマルクスを下地にした批判理論的なもの)


 いや、マルクスも重要なんだと思うけど...。そこ抑えずいきなり生権力とか言っても通用しないと思うし。



 って、これ系ってモロに「プラダを着た悪魔」だな。 (まだ見てないや)





 あと、現代の「女性の化粧」関連は「妻」がどうとかよりも「化粧(身だしなみ)のちゃんとしてない女性はちょっと・・」みたいな女性の労働環境に特有の問題があるように思う。

 批判理論的にはそれも、「男性中心社会による抑圧」なわけだけど・・・お化粧とか女性っぽい服、制服好きな女子もいるしなぁ(いや、それとこれとは別か)



 個人的にはあまりにも化粧っぽい人は苦手です

(鼻がやられそうになるぐらいの香水つけてる人とか)



 っつーか、そんな感じで化粧をする際の意識(必要性)が「テイシュクナツマ」から「カワイイワタシ」のためのものへと変わったように、女性の社会進出(というかある程度の発言権をもったポストへの定着)が常態化するとまたなんか変わるのかもしれない。


 男性と女性の比率が逆転すると男性が化粧させられたりするのかなぁ・・
(局所的にはそういう会社もありそうだけど。ってか、「身だしなみはきちんと!」的な)


 っつーか、もう変わってきてるのか
(「萌え」とか「非モテ」とかそういった男性意識(志向)の変容というのはその影響ということか)


 そういや自然界ってか鳥なんかは♂のほうが着飾りますね


 あれはやっぱ経済関係(力の貯蓄としての金)なんかが関係してくるのだろうか・・


 


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関連:
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※「カワイイワタシ」っていうか、「女子力とか気にしないワタシ」って感じだけど....たれないのかなぁ..。
 
 







posted by m_um_u at 07:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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