2017年07月09日

「こうしてわたしたちは負ける」?


さいきんTLを賑わせていた性表現についてのPC系の話題。2つ同時になっていて両方とも「自粛しろ!」と当該表現元にうんたらかんたら。自分的には最初そんなに乗り気でもなく両方共そんなに取り立てるほどの話かなあという感じで見ていた。んでもなかなか鎮火しないのでまあこういうのはこの問題自体がほんとに問題というか、こういうのは皆さんのなにか語りたい欲を刺激しやすい話題なのだろうなあ、とか。いわゆる学校・教育問題だとみょーに皆さん口を出していく、みたいな。「それはしろーとでも強い立場で物が言える / 関心をもてる問題だから」みたいなことを誰かが言ってたけど、そいえばこれも子供の教育的な問題に属するのか。「自分のため」というより「子供のため」となると燃料が着火しやすいのかなあ。。あと自分ドリヴンでもないので落とし所が見つかりにくく際限ないというか…。漠然とした不安を感じてヒステリックにギャーギャー言ってくだけなのでいつまでたってもギロンが終わらない。落とし所を見出そうとしない。

その辺の心理、クレーマー的なものや「何かを損させられてるんだ」的な被害者と弱者意識?からのドリヴンみたいなのはまた別件で見ていこうかと思うのだけど(彼らはなぜあんなのに着火していくのだろう?)、「落とし所がない」という言葉が出たのでついでにいうとこの話自体の落とし所は両方とも「ゾーニング」と「レイティング」ということだと思う。コミケや薄い本系のギロンの蓄積から借りると「性的表現で不快になる人がいるとしてもそれは個人(間)の趣味的なものでたのしむぶんにはよいはずで、その部分で留め不快に思う人には見せないようにする」みたいなの。「不快に思う人」あるいは子供のように合理的判断能力がまだ備わってない(と思われる)人のことを配慮して該当表現を愉しむ場所を囲い込み、そういった人たちの目に届かないようにする。コンビニのエロ本とか、あるいは電車のエロ中吊り広告とか。あるいはお笑い番組的なノリにもそういうものは見られる。直接には言及しなくても同業界のそのへんの倫理意識の低さは垣間見える。まあ倫理が低いっていうか世間並みなのだろうけど。それらはゾーニングとしては未だ甘くて、特に中吊り広告なんかは確信犯的ダダ漏れと言ってもよいのだろうからそういうのが「当然」としてまかり通ってるような社会においては今回話題になったCMなんかも「ちょっとした冗談じゃん?」ぐらいで済むようなものなのだろうけど。

そういったことを考えると今回の件程度のことよりもより構造的な、社会全体の意識変換が必要に思われるのだけどそういうことをいうと「まず見えたものを一個一個叩いていくこと、その場でプロテストしていくことこそがたいせつなんですよ!」とかいうひともいてまあそうかあとかも思ったりする。んでもその語り方が特に落とし所もなくヒステリックに怒ってるだけのように見えたら周りは引いていくだけのように思うのだけど。彼らが仮想敵とする人はもとより、特に関心のない第三者的な人もますます聞く耳をもたなくなるというか…。

ではここでいう「落とし所」とはなにか?というと、利益相反する二者が存在し紛争となったとき、相互の利益を尊重しつつ妥協できるような地点(を模索する)ということになるように思う。そういう紛争・衝突の場合、得てして双方が最初に求めた要求が完全に通ることはない、ので相互の妥協点を探る。双方が合理的に納得できる線を探って。

今回の件の場合、きちんとやるとしたらジャンプとか当該CM担当者との交渉ということになるのだろうけど、まあだいたいもう済んだことみたいな感じにはなってる。当たり前だけど。ジャンプとしては「今後の意見として参考に致します(ペコリ」程度だし、サントリーのCM担当としてはさっさと当該CMを取り下げたみたい。まあ後者は最初から炎上でバズるのが目的だったようだから目的は十分に達せられたのだろう。そもそも両方ともいち消費者としては「買わなければ良い」で個人的なゾーニングはほぼ達せられるはずだし。

「だったら買わなければ良い / 見なければ良いとかいったって目に飛び込んでくるんですよ?!公共的なものなんだから!」つってもジャンプのようないち週刊マンガ雑誌がどれほど「公共的」なのか。。あるいは当該ウェブCM。まあ後者はTLとかでボーッとしてて流れてきたら不快というのはあるだろうけど電車のエロ中吊り広告と同じく。んでもたとえばTwitter公式アプリなんかだと「この広告には興味がない」で見ないようにできるしなあ。。そもそもふつーに過ごしていてそういうものに遭遇したとしてもそんなに意識するようなものなのかなあとかは思ったりする。特に後者のCMについては。端緒となった「エロ表現だ!」という騒ぎ立てで既存の見立て(PC的にまずいとされるようなポイント)で焦点化されていった意識からすると「エロくてけしからん!」ということにはなるかもしれないけどふつーにみる分にはどうということのないCMのような。。「あれはあきらかにオーラルセックスをメタファーしてる!」つってもまあそういうのもあるんかもねぐらいでそのときそういうことを思った自分の心根を恥じたりするんだけど自分の場合は(「いやらしい!」というひとのほうがいやらしい)。前者のジャンプのエロ表現みたいなのの場合は奇形ともいえるおっぱいのほうが気になってその奇形さへの違和感からドリヴンしたのかなあ。。みたいなのはある。発端となった人もそういった自分の違和感と不安を既存の別のタテマエですり替え合理化したようなところがあるのではないか?直接聞いたわけではないから知らんし、そのように問えばすり替えと合理化が完成した人は「違いますよ!」というだけなのだろうけど。そして自分的にもあのマンガ表現の最初の違和感は持っていたわけだけど。「おっぱいがみょーに大きい」「画面に肌色が多い ≒ 安いエロ漫画みたいな表現だ天下の週刊ジャンプ様にしては」。

そういえば別件で燃えてる?北原みのりさんの件にも似たようなところがあるように思われる。最初の個人的な違和感、と、公共的な関心・ポリティカル・コレクトネスな倫理のすり替え、みたいなの。表現・言論の自由ガーという人たちではおうおうにしてそういうことが生じてるように思う。あるいは民主主義ガーとかいう人たち。自分たちに都合の良い時だけ「言論の自由ガー危機デー」とかいうけど対立する人の言論の自由は考慮せず、ときとして言論の機会をつぶしたりもする。それが彼らの「民主主義」なのか?とか思ったりもする。


まあそのへんは皮肉的な視点だからここまでにしておくとして、こういった問題ではやはり個人、あるいは少数の不快をどのようにほかの人々に訴えていくか?というのを考えさせられる。「バッドフェミニスト」でロクサーヌ・ゲイがいうように、問題を軽く扱いすぎて特に関心のない人たちから軽んじられたりしないように、かといって重く訴えすぎて聞く耳を持たないようにされるのも好ましくない。その中間を目指して。



「こうして私たちは負け」ないように



























































































バッド・フェミニスト -
バッド・フェミニスト -





posted by m_um_u at 23:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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