2017年06月14日

「モダニティと自己アイデンティティ」読んだのでわからんながらにメモ

朝に「モダニティと自己アイデンティティ」を読み直していたら最初に読み終えたときよりもなんとなくイメージが浮かんできたのでジョギングにいって忘れないうちにメモっとこう(ついったで関連話もあったしそれも絡めて)とおもってつぶやいた連弾をちょっとメモ。とはいってももともとそんなに理解できてたものでもなく、今回もそんなに理解できたとは思ってない / 2割ぐらいいってたらいいかなあぐらいの理解なのでまあ愚痴みたいなものなんだけど、んでもそもそもこの本で書かれてる内容というか書かれ方が具体的ではないのでわかりにくいのも仕方ないかなあとか。まあそれについては巻末の訳者あとがきにも「もともとわかりにくい本なので何回も読んでみるといいです」てあるんだけど。「使われてる用語も独特なので巻末用語解説とあわせて何回も読んでみるといいです」て。なので、本来は手元に置くか、図書館にずっと置いてあるのを何回も読むのが良いのだろうなあと思うのだけど、今回は取り寄せで読んだのでこのぐらいで返却しとこうかなあと。今日返却日だし。

前置きはこのぐらいにしてんじゃついったに連弾したのからとりあえず

















後期近代(ハイモダニティ)化の問題として、おーざっぱには「それまで規範としていたものがズレることによって不安が生じる」というのがある。生活スタイルが変わることに伴いそれまで規範としていたものもズレてそれによって戸惑いが生じる。後期近代化とはなにか?というとオイルショックによって生じた不況に対抗するように金本位制から変動相場制に変わったとき、それを標準としてグローバリゼーションが進み、それにあわせて企業内倫理・ふるまいの規律なんかも世界標準化がすすんだ、ということ。具体的には87年ごろを画期に90年代を通じて会社員に求められる規律(キツキツ)が進み、それにともなった規律訓練も進んで鬱になるひとも増えたね―、みたいなの。「モダニティと自己アイデンティティ」の主要な射程というのはこのへんではないかと思うのだけどはっきりとはかいてないのでよくわからない。もちろんこれだけが射程ではなくこういった画期を軸にした労働→生活 / 親密圏の変化を総体的に扱ってるというのもあるのだろうけど。

ギデンズの本書からの主要用語である「経験の隔離」では、そういったキツキツ生活のなかで規律訓練が進むことで自動化も進み、本来なら実存的な不安もそれによって隠される、というのが表されている。逆に、こういった規律訓練な生活の自動化から外れたとき本来の実存的な不安が顔を覗かせてくる。たとえばサラリーマンが退職後にどうしたらいいかわかんなくて途方に暮れるとかもそういうののように思える。

あるいは現在だと非正規雇用なんかが標準になってて退職以前にそういった実存的な不安(たとえば貧困≒将来が不安≒死)が顔を覗かせているともいえるのでそういった見立ても生ぬるいかなあとは思うのだけど、自分も含めてそういった人たちが日々の不安を隠すためにアイデンティティゲームをしているところもあるのかなあとか思ったりもする。雑誌やテレビ、アニメや小説、日々の娯楽に埋没することでそういった不安から遠ざかる / 別の想像空間に身を置くことで不安をそらす、というような。あるいはライフスタイル誌のようなものでちょっとでも「豊かな生活」を享受して生活に彩りを添える、とか。ライフスタイル誌のようなものがなぜ求められるようになったか?というのもこういった文脈に関係するのだろうけどはっきりとはわからない。おーざっぱには「核家族化がすすみ従来のライフスタイルから抜け出し(脱埋め込み) / 参照点がなくなったために雑誌などがそういったものを提供するようになった」と言えるかなと思う。

そして人々はそういったものを参照することで新たに生じた不安 / ズレ、あるいは実存的な不安から目を背けていくわけだけど、そこで自らを構成するために択っていったアイデンティティにみょーに固執するために苦しくなる情況も生まれるのだと思う。苦しくなるというか、たとえばついったなんかでもよくみかける自らが蓋然的に属すると同定している属性に基づいた対照属性へのエアリプ攻撃とか。リベラル / ネトウヨ、フェミ / ヲタ、女性 / 男性…。そういったものが大文字で糾弾され、糾弾していく中でその攻撃性に自らが飲まれるようにアイデンティティとそこへのコミットメントを先鋭化していく。本来、なんらかの縛りにたいして自由になるために楽になるような属性-生き方を参照し選択していったはずなんだけど、その属性への縛りが強くなるために却って不自由になる情況が生じているのではないか?そういうのが自分的な見立てでであり、こういった読み物を通じて理解を進めていきたいところとなっている。


そういった現状があるとして、「モダニティと自己アイデンティティ」では特に解法は提示してない。ざっくりとそういった情況が生じる構造的要因のようなものを考察している。近代において生じた規律の内面化がさらなる段階に進んでより生活的な場面で生活者自らが規律を作り内面化していこうとしている、みたいなのも(生権力からライフポリティクスへ)。

そのなかで「純粋な関係性」という用語は唯一鍵になるのかなあと印象された。「関係そのものが与える満足や見返りに根本的に依拠する関係」。要は「なんらかの限定や留保のない肯定」でありその関係内でのコンサマトリーな充足を前提とした愛ということになる。



それは曖昧であるがゆえに諸刃ではあるようだけど。




あと、「親密性の変容はこれ読んどけば読む必要ない」とか言われてたけど「親密性の変容」のほうが具体的で分かりやすかった。まああれは本書からの恋愛やセクシャリティの変容をスピンアウトしたものだったように思うけど。要は家族制度とかLGBTとかそういうの。





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posted by m_um_u at 12:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会このエントリーを含むはてなブックマーク
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