2007年06月15日

礼儀とセキュリティ

A wise man gets more use from his enemies than a fool from his friends.
-- Baltasar Gracian








 んじゃ予告どおり。セキュリティと礼儀の話について少し。



 礼儀っていうのは元々お上品なものではなくてセキュリティのためのものだということについて、認識できている人が少ないように思う。


「敵と味方を分けるためのもの」


って感じで、外交上のコミュニケーションにおける手形のようなものとして発展したのが礼儀(プロトコル) 
(※戦国時代も同様  cf.「茶道に通じて兵隊を死なせずにすむなら安いものよ」)


プロトコルというのはコンピュータ用語として有名だけど、元々は外交用語で「共通の外交儀礼」って感じのもの。

なので、この儀礼をマスターしていない人たちは外交上の付き合いからはじかれる (参加させてもらえない)



そうやってノイズをはじきつつ、プロトコルが分かる人同士で外交なコミュニケーションをするわけだけど...

外交なので当然そこにはウソも含まれる。

「礼儀の中に隠されたウソ」って感じの。


「表ではこう言いながらもウラでは..」みたいなの


でも、そういう「ウラ」的なものも重要だけど、やはり外交上のプロトコル交換では表のコミュニケーションによって親密さを演出する部分が大きいように思う。

某国の首相がプレゼント交換したり...(うんぬん)とか


んでも、某国の首相と某国の暴れん坊は敬称なしでファーストネームを呼び合ってて、そういうフランクな関係を結べることこそ友好関係の証だって見られがちだよね?

こんな感じで

Ohno blog(2007-05-27):一日一回ファック

「罵倒を許せる間柄こそ(うんぬん)」ってのがある


 これって「礼儀(プロトコル)交換こそ重要」って話からはぶれるんじゃないの?



 いいえ、ぶれません



 たしかに、一部の人はそんな感じで本気で忌憚のないコミュニケーションをしているのだろうけど、そうではない人々もけっこういる。そこでは一見フランクな関係が見せられているけど、それ自体が演出であり、すでにタテマエ的なコミュニケーションの範疇に入っている。


 「アメリカ人はやたらホームパーティに誘いたがる。転勤先でホームパーティに招かれるようになってこそ友好関係が結べた証拠だ」とかなんとかよく言われるけど、あれ自体既にタテマエコミュニケーションの一種らしいし。((C)life)



 そんな感じで、現在においては「一部のフランクな関係」というのもプロトコルの一種なのだ。


 それは外交上のコミュニケーションだけではなく、日常の、たとえば中高生のケータイコミュニケーションなんかにも見られる。


 もともと「ケータイの番号を教えあう」というのは打ち解けた証で、それに伴う「メールなどを通しての頻繁な交流」というのも親密さの表れと思われていたんだけど、現在ではそういった頻繁な交流自体が「仲良さ」を演出するためのプロトコルとして機能している。

 「仲良さの示威的表現」って感じ


 メールや会話の内容のみならず、「返事が返ってこない」とか「レスが遅い」などの微細なところから相手との距離感を測る。


 それ自体がひとつのメッセージ(プロトコル)となるため、「できるだけ早く返信しなきゃ」、って感じのコミュニケーションへの拘束が生まれる。


 これはいわゆる「mixi疲れ」という現象にも見られるもの。

 例の「読み逃げ」だのなんだのなんだのもこういう文脈から出てきたものと思われる。



んで、


 そういった場がうざくなったコたちがプロフとかAbout Me、twitterみたいなコミュニケーションを強制されないチャネルに逃げていく。






 さておき、そんな感じで「コミュニケーションにおける明示的行動 / 非明示的行動には敵・味方を分かつ要素がある」わけだけど、この辺の話についてほかの文脈からもう少し。


 たとえば武道において「礼を重んじる」とかいうのももともとはこんな感じで、闘争の領域においては「礼」自体が敵・味方を判別するツール(レーダー)として機能してきたことに由来するように思う。


 「武」とは相手を叩きのめすための技術ではなく、「矛を止めると書いて"武”」という言葉にも代表されるように防衛のための技術なので、「できるだけ争わないほうがいい」ってのはどの武道にもデフォルトな思想のように思う (※一部例外)。

 なので、武道において「争わないですむ相手を判別する技術」、あるいは「相手と争わないようにするための技術」としての礼儀が重視されるのは当然のことのように思う




 ほかに例の「江戸しぐさ」の話とかあるな


 江戸しぐさについてはまだ読んでないけど、この前著者の方が出演されていたpodcastを聞いて概要はわかった。

 いままでの話と関係する部分について言えば、「さまざまな礼儀の意味というの相手を思いやること (敵と思わせないこと)が一義的なものとされる」、ということ。


 つまり、「セキュリティのための合理的なtips(所作・作法)こそが礼儀」、ということ。



 若者なんかはその辺のことを意識したことがなくて、単にかっこつけのための技術だと思っていた人が多いみたいで驚くのだそうだ。





 先の文脈に絡めれば、そういう驚きというのはやはり平和ボケなのかなぁ、とか思う。


 敬語や礼儀の意味というものが分かっていないし、人との距離感がつかめない(他人の間合いに不用意に入る - こちらの進行方向にまっすぐぶつかってくる)などというのは、明らかに「ゆるい」のだろう。


 やばいところだったらそれだけでアウトだ



..まぁ、こちらがなめられてるというのもあるのだろうけど。
(っつーかそういう人たちって前とか、後ろ見ずに行動するよな)







 あと、距離感に関して言えば「デバイスの進化に身体の時間・距離感覚が追いついていかない」系の話にも関連するように思う。



 っていっても、「テレビとかケータイがアホを量産する」、ってそんな単純な話ではないと思うけど



 アホの下地ができてたところにそれを加速させるツールが入ってきた、ってだけなのだろう。

 あるいは、「アホアホな時代潮流がそういったメディアの登場を望み、それにあわせるように最適なデバイスが開発され、流通していく」、ということ






.....そういうものだ (by. K.ヴォガネット)





とりあえず、

「礼儀は大切にね !」(親しき仲にも礼儀ありだよ)、

って話でした




--
追記:
あと、勘違いしないでほしいのは、

「やっぱり礼儀作法をわきまえない阿呆とはつきあえないわよね(オホホホホホ)」、

な感じの敗訴でえすたぶりっしゅな排除主義というわけではなくて、

「礼儀の前段階として人の気持ちを慮(おもんばか)る思いやりの心というものがあり、そういうのがないひとはちょっとね..」、

ってことです。

(心のない様式美は美ではなく空っぽなハコって感じ)


そして、それはセキュリティ(あるいはビジネス)という合理性にも通じる
 

「空気嫁」だのいうのは本来そういう問題だと思います。

 
 
 


posted by m_um_u at 09:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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