2007年06月14日

情報共有時代のコンテンツ (補遺)

 一個前のエントリがダラダラっと長くなってしまった割には踏み込みが甘かったように感じたので補足的に。

 まず、「情報共有」ということに関する基本事項の確認をしていなかったのでその辺りから。

 youtubeなどに代表される共有サービスというのは複製や海賊の温床として嫌われるわけですが、高度情報化時代の「共有」には別の側面もあるわけですね。
 
 そう、例の「共有知」とかいうやつです。「みんなの知恵を出し合って云々 (cf.CGM)」とかいうのはこういう共有ものの良い面として考えられています。代表例としてオープンソースなんかがありますね。そして、それを受ける形でオープンソース方の知識共有(共有知的なコンテンツ開発)=CGMが発展してきているのが現状です。

 で、

 その前段階として、そもそも「共有」というのはどういうところから生まれてくる現象なのかというと、デジタル化が絡んできますね。

 デジタル化によって情報を一元的に管理 → 複製コストゼロで再生産可能な状態にすることによっていくらでも複製が可能になります。いまサラっと言っちゃいましたが、この「複製コストゼロ」ってところがポイントです。情報財は再生産の際のコストが(原理的には)ゼロになります。
そして、これを受けて環境さえ整っていれば(ほぼ)ゼロコストでの情報財のやりとりが可能になる。そこから「共有」という流れが出てくるわけです。

 なので「デジタル化 → 情報財化」というのは原理的に共有の可能性を含んでいるものと思われます。そこを否定するのは情報財の特性を殺すにも等しい。

 そして、こんな感じでイノベーションも阻害する

池田信夫 blog 著作権がイノベーションを阻害する




 これに対して、一部の既得権益系の企業は「共有的なものは海賊行為につながる」として否定し、proprietaryな財を提供することによって「情報財はお金を払わないとダメなんだよ」というふうにユーザーを教化しようとしていますが、proprietaryが成り立つのはその情報がなんらかの付加価値を帯びているからですね。

 ふつーの、その辺に転がっていていつでも摂取できるような情報に対してはお金は支払われないので、なんらかの付加価値をつけることによってお金を払ってもいいと思われるような財に仕立て上げる。


 で、ゴテゴテとムダな付加価値がつけられていくわけです。


 ハイエンドなハードにしてもそうだし、広告によって彩られた消費財にしてもそう。ほとんどはムダによって形成されています。

 ほんとに必要な機能にそれに見合うだけの対価を払うのならもっと安い価格での取引が可能でしょう。


 福耳さんなんかはそれをして「文化」であり「幻想」であると考えてその積極的可能性を探ろうとしておられるようだけど.....地味で無骨に考えるならばほとんどの品に付け加えられている情報はムダですね。

 価格を吊り上げるための(あるいは「お金を払って当然」と思わせるための)ムダということです。 (※まぁ、ムダこそ文化なのだろうけど)



 で、


 情報財の場合は特にその当たりのことがはっきりと分かりやすいように思います。情報に対して情報で付加価値をつけるわけだから比較対照しやすくなる(...のかな?)。

 あと、情報財の場合は「複製コストゼロ」ということがあるので、「それyoutube(Napster, Winny)だったらタダだったよ」的な比較がしやすいのでしょうね。これを受けてお金をとるコンテンツはコモデティ化していくように思います。



...ちょっと雲行きが怪しくなってきたので急いで但し書きすると、なにも「すべての情報は無料で交換されるべき」みたいなことを言いたいわけではないです。

 お金を払うべきコンテンツにはそれに見合うだけの理由がある、ということです。もしくは、「見合うだけの理由(付加価値)があると思われるもの以外にはお金を払う必要がないのではないか」、ということ。

 この「見合うだけの付加価値」の部分に一個前のエントリの「アウラ」な話が絡んできます。


 それはコンテンツそのものの内容以外の部分(ex.live感)だったり、コンテンツに対するアフタフォローだったり、social(リアル/ネットご近所づきあい)な結びつきを強めることだったりします。

 もしくはコンテンツの対象が形式化できるような情報であるのに対して、アウラの対象は暗黙知的な部分といってもいいかもしれない。デジタルに対するアナログの部分ですね。(cf.言語に対する身体)



 こういった「情報財でお金を取るための理由付け(情報財の付加価値)」についてはエスター・ダイソンがいくつかの区分けを出していたように思うのですが、今回は割愛します。(長くなるし)


 代わりに情報共有時代のコンテンツ戦略について、以前にまとめたものをご紹介しておきます。


muse-A-muse 2nd: 海外コンテンツホルダーのビジネスモデル (IBMの4象限モデルから)


 IBMの4象限モデルでは「共有」と「proprietary (≠独占)」、「アマチュア」と「プロ」の要素によって情報共有時代のコンテンツ産業のとるべき戦略がいくつかに区分されて提示してあります。


 で、

 これを地にして具体的なメディア(コンテンツ)企業を分布させたのが以下のエントリです。


muse-A-muse 2nd: YouTubeの跡地争いにNews Corpも参入!


 見ていただいたら分かるように「共有」も「独占」もそれぞれが戦略として独立して分布してるわけですね。


 なのでどっちが悪いってものでもない。「大きくなったもの勝ち」なわけです。あと、規制してばっかだとinvisible networkが出来上がって海賊版が横行することになるので却って不経済なんですよね。なので、その辺も含めて「市場」として明示化したほうがいい。


 このエントリ自体は3月時点ということでちょっと古いですが、現時点でも大枠においては変わってません。少なくとも目に見える範囲では。
 

 というのも、広告ネットワークみたいな骨組みの再編のほうが地味に重要っぽいのですが、その辺はあまり表には浮かんでこないので。

 あとはコンテンツやsocial mediaのマネタイズの導線なんだけど、これも同様ですね。(いまのところ広告が最右翼って感じなので)

 手数料系でやればけっこう行くと思うんだけど、その辺の動きが見えないんすね。



 まぁ、Amazonって感じなんだろけど (あるいはGoogleの例のクレジットサービスみたいなのが地味に効いてくるのだろうか..)







 そんなこんなで、補遺として一番言いたかったのは「アウラ的な付加価値も付加価値サービスのひとつだよ」ってことでした。 (おしまひ)

  
 
 


posted by m_um_u at 15:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
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