NYで大人気のカラオケ店 その仕掛けとは: 日テレNEWS24
ニューヨークのタイムズスクエアにある「スポットライト・ライブ」は、今年4月にオープンした。客は、個室で歌うスタイルとは違い、バックダンサーと一緒にステージに上がって、歌声やダンスを披露する。
しかし、仕掛けはこれだけではない。実は、このステージの様子が外の大型スクリーンでタイムズスクエアに向かって映し出されるのだ。これは、ニューヨークでは初めての取り組み。タイムズスクエアは、ニューヨークでも最もにぎわう場所で、スクリーンの大きさは、長さ12メートル以上。さらに、この映像は、店のホームページにも配信され、アイドル気分を味わうことができる。
目の前にいる大勢の客が投票するランキングも人気につながっていて、熱演した多くの人が、自分の姿が映ったDVDを買って帰る。
とのこと。
これのことみたいですね。
Reality Dining To Take on NYC's Times Square with Spotlight Live :: Best of the Buzz :: Zagat
Comcast Brings Times Square Karaoke To The Web/VOD - 4/5/2007 4:17:00 PM - Broadcasting & Cable
SpotLightLive: Home (公式HP)
様子は公式サイトの動画から確認していただけると思うんですが、YouTube探したらあったのでこちらも貼っておきます。
こんな感じで「バックダンサーと生バンドの前で歌える」、と。なので「カラオケ」っていうよりは「オケアリ」っていったほうがいいかもしれない。
ただこのサービスはオプションって感じみたいです。英語記事にもありますが、cuisineなので。食事がメインで「食事料金を払った人は無料でステージで歌えるよ」ってことらしい。
それで、最後にほかのお客がこっそり人気投票するらしいんですね。これが燃える、と。
映像はタイムズスクエアだけじゃなくて引用先のYouTubeとかcomcastにも配信されてるみたいです。
それで思い浮かべたのが先日「サラリーマンNEO」でやっていた東京にあるロックバー。「往年のロック中年達が集まってステージパフォーマンスを楽しむ」ってコンセプトとのこと。
あらかじめ配られた曲メニューに自分ができるパートを書き込んでおいて、順番が回ってきたらステージに上がる、と。単独参加とか面子が足りない人は店側の演奏者が各パートを担当してくれるので安心、って言ってました。
....残念ながら店の名前は失念してしまいましたが (ってか、言ってなかったかもしれない)。
古きよき歌声喫茶っていうか、「こういう時代だからこそ返ってこういうものが求められてるのかなぁ」、みたいなことを思いつつこのエントリを思い出したり
ある編集者の気になるノート : いま編集者に求められているのは、「ダウンロードできないもの」を作ることなのかもしれない。
「デジタルコピーが横行する時代だからこそダウンロードできないもの(コピーできないもの)が重要になる」ということで、これは確かイトイさんもほぼ日で同じことを言っていたように思います。(「liveの重要性」みたいなの)
それでメディアものとしてはやはりアレが思い浮かぶんですね。
ヴァルター ベンヤミン 佐々木 基一 Walter Benjamin
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「複製技術の時代におけるアート作品」 (全文@minfish.jp)
ざっくり言ってしまうと、カメラとかレコードみたいな複製技術が横行し始めた当時、「芸術の一回性が失われていく〜」って悩んだベンヤミン氏がもぞもぞといろんなことを考えた論考です。
んで、この「一回性」というライブ感の中でもたらされる芸術的体験のことを「アウラ」っていうキーワードで表したわけですがね。
ここで、消え去っていく要素を「アウラ」という言葉でひっくるめると、機械的な複製の時代に色あせるのは、アート作品の「アウラ」だと言えるだろう。このプロセスは、アートだけの話よりもっと先の重要なポイントを示している。一般的な言い方をすると、複製技術は伝統的に複製されたものを大きく引き離すということかもしれない。多くの複製を作ることによって、ただひとつしかない存在は複数のコピーにとってかわるだろう。そして、複製を認めることによって、観るものや聴くものに特別な状況に近づけることで、それは複製を再び活発なものにする。これらの2つのプロセスは、人類の危機と同時に革新を一緒にし、伝統の激しい破壊を引き起こすのだ。両方のプロセスは、現代の大衆運動とも密接に関係している。そしてそのもっとも端的な例は映画だ。映画の社会的な重要性は、最も肯定的な形での特異性はそれを破壊やカタルシスをまねくことなく、想像もできないもので、文化の遺産の伝統的な価値を一掃してしまうものだ。その現象は歴史的な映画において、もっとも明らかだ。かつてない新しいポジションへ拡大するものだ。1927年にアベル・ガンスは熱意的にこう語った。
(※太字強調はblog主によるもの)
で、この「一回性」(アウラ)ってのは具体的にどういうことかというと、後段で出てくるように「ただ一回しか味わえないことに対する緊張感から生まれる感性」ということのようです。
そして、もし現代の知覚の変化が「アウラ」の衰えによって理解されるのなら、それには社会的な原因があげられるだろう。
歴史的な対象としてあげられた「アウラ」のコンセプトは、自然における「アウラ」を引き合いに出すことで分かりやすくなる。後者の「アウラ」は非常に近い距離であっても、独自の現象としてとらえることできる。夏の午後にちょっと一息ついている間、あなたは、水平に広がる山や、あなたに影を投げかけている木の枝を眺めているとすると、あなたは、山の「アウラ」や木の枝の「アウラ」を体験しているということが言える。この例えは、簡単に現代の「アウラ」が衰えている社会にも、あてはめることができるだろう。
要するに「感覚鈍っちゃうじゃん?」って話(..かな?)
そんで、文脈切り取っちゃうと、「コピー劣化なコンテンツっておもしろくないよねー」、って話に誤解されがちだけど、後半でベンヤミンが
「"コピー vs. オリジナル”ってのは写真黎明期と絵画の役割論争のときにもあったけどなんかうまくやってきたしー、人間ってなんだかんだいって変わってくものだからねぇ。ポイントは量的なものに流されずに質的なものにシフトすることだと思うけど....」
みたいなことが書いてあるように思います。(※すごくおーざっぱな意訳)
んで、この「量的なものから質的なものへの変化」ってのがポイントだと思うんですね。
技術の黎明期はイノベーションのジレンマって感じで技術偏重(技術中心主義)でメディア体験を引っ張っていく傾向があるように思います。
たとえば最近で言えばPS3の失敗とかね。
ユーザーはそこまでのもの(ハイエンドなもの)は求めていないのに、技術屋のほうが「もっと技術を詰め込んだら売れるんじゃないか?」ってことで技術詰め込みまくりで高額な製品を作り上げていく。
んで、「はいでぃふぃにしょん」やら「でじたる」なんやらで売り出していくんですが、ユーザー側からしてみればアナログでも事足りるわけですよね。
池田信夫 blog デジタル家電の足を引っ張るデジタル放送
ハコフグマン: 画質とライフスタイル
かといって安易に技術アンチに走ってしまうのもびみょーって感じで。ハコフグマンさんところにあるように、「ユーザーのほうに気に入られたメディアが主導権を握って代表的メディアが選ばれていく」、ってのが歴史的な流れだったように思います。
その際のポイントは「安い」「使いやすい」ってこと。
(あと「かっこいい」とか「なんか気に入った」とか「あの人も使ってるから使ってみよう」とか...)
そういうユーザー側の嗜好ってのをなめちゃいけないように思うんだけど........マーケティングってやつは極悪なのかな?
ロリコンファル - 残酷な企業が支配する −バイラルマーケティング−
閑話休題
そんな感じで代表的なメディア(デバイス系)はユーザーの利便性によって選ばれていくことがあるように思います。あるいはコストを負担しても良いと思わせるようなパフォーマンスがあるかどうかということ。
そのパフォーマンスというのは技術偏重的に作り出された、そのデバイス一個によって作り出されるメディア体験とは違うもののように思います。
「ユーザーがそれを使って楽しむシーン」というか「シーン」そのものが商品になると思うんですね。
そういう「あたらしい暮らしの提案」系みたいなのは各マーケの人たちも分かっていて、商品企画の段階、広告段階でその辺りを意識した売出しをしているようには思うんですが、そこで提案されているのはやはりそのメディア(デバイス)だけを中心にした広告って感じなんですね。
(またSonyで悪いですが)たとえばSonyなんかはかなり早い段階から「ゲーム機はずっと居間に置いてあるんだから、家庭のプラットフォームの中心(ホームサーバー)として機能できるはず」ってことで「Play Station」という端末を売り出しの中心にすえたように思うんです。
(※それ以外にも音楽部門の売り上げの衰退、それに比べてゲーム部門の隆盛という流れがあったと思うんだけどちょっと置きます)
んで、プレステだけじゃなくて「その他のデバイス(コクーンやらPCやら)をホームサーバーを使って連結させるよ」企画を練ってきたと思うんだけど......これってけっきょく成功したんですかね?
Sony(vaio)ブランドはなんかみょーに高いように感じるんですが、統一して使ってる人ってどれだけいるんでしょう。
んで、PS3の失敗、と。
この辺なんかはモロに「イノベーションのジレンマ」であり「マーケティングに依存しすぎたのぉ〜?」って感じなんだけど、まぁ、その辺はいいです。
で、話を戻すと
そういうのに対してもっとリアルなユーザー体験(「ユーザーがそれを使って楽しむシーン」)というのはどういうものかというと、なんというか「なにげにそれを使う」って感じだと思うんですよね。
なにげに使いつつ「なんかこれあると便利だな」とか、「これで生活スタイルがちょっと変わったな」、とか。
....ちょっと伝わりにくいかな
要は広告の人が提案してくるような「そのデバイスが生活の中心になって劇的な変化が起こる」って感じではなくて、「なんか楽しくなる」程度のものだと思うんです。
この「程度」ってのもまたびみょーで、最初はその「程度」だったものでも使ってるうちに楽しくなるというか、使ってるシーンが楽しかったから楽しくなっていった、って感じだと思うんですね。
んで、この使ってるシーンで楽しくなるためにはなにがいるかというとコミュニケーションだと思うんです。
「人」というか「近しい人々」というか..。
そういう人々がいなくても楽しめるものもあると思うんだけど、やはり人と一緒のほうが楽しいんですよね。
メディア(デバイス)とかコンテンツというのはそれ単体での消費が注目され、そのメディアを使って体験されているのはそのメディアやコンテンツ固有の機能のように錯覚されがちだけど、実はユーザーが体験したがっている(消費の対象としている)ものはそれを使ってもたらされるコミュニケーションのほうではないかと思うわけです。
簡単に言うと「コンテンツよりコミュニケーション」って感じで。
それがベンヤミンの言葉で言う「量より質」の「質」の部分に当たると思います。
ってか、「コミュニケーション」というのもメディア体験(あるいは体験から拡がるもの)のひとつなのであって、「アウラ」としてはもっといろいろなものがあるのかもしれないけど、なんかいまはうまく言葉にできません....。
でも、本エントリの文脈に絡めれば、冒頭で出てきたライブ的なものはアウラの「一回性」とかかわり、中段で出てきたYAZAWA的な「コピーできないもの」というのもそれに当たるように思います。
なにせ繋がりってのは一回性を持つだから。(一期一会)
その人とのコミュニケーション、会話というのは何遍もあるかもしれないけど、そのときの会話というのはそのとき一回きりなんですよね。
けっきょく人間が一番面白いというか....。
そして、冒頭のライブバーとの文脈を絡めて考えると、そこで重要なのはコミュニケーション....っていうか、「Socialな繋がり」ってことではないでしょうか?
「Socialな繋がり」ってのはなんか胡散臭い感じがするんですが、こういう繋がりを容易にしていく仕組みのひとつということではないかと思います。
福耳さん的には「そんなの昔からあるじゃん?」って感じなんだけど、それはまったくその通りで、おそらくweb culture (technology)がようやくある程度の落ち着きをもったところで「量から質へ」パラダイムが変化していっているのかなぁ、って感じです。ようやく地に足がついてきた、というか..。
(※パラダイムなんておおげさな言葉使うとちょっとアレなんですが...まぁ、ニュアンスを汲み取ってください)
そういう意味では、「これからはSocial MediaでWeb2.0祭りだ (ワーイ)」、って感じで浮かれるのではなく、地味にリアルな生活との接合を考えていく必要があるように思います。
「新しいメディアで新しい体験」ということではなく「新しいメディアで古い体験をエンパワーする」って感じです。
先日出てきた喫茶店の会員制とかもその辺につながるといいなぁ、と思ったり
muse-A-muse 2nd: ある喫茶店の経営からSocial Shoppingについてダラダラと考えてみた
そういや昔は歌声喫茶なんてのもありましたね。(あれはどうなったのかな..)
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※SNSによってカラオケ店をつなぐという試み。
うたスキではユーザーが個人ページを開設し、自分の好きな楽曲を登録できる。また、過去に歌った楽曲の履歴が保存され、好みのエコーなどマイクの設定をしておくこともできる。カラオケ店にある操作端末「キョクNAVI」のほかPCや携帯電話からもアクセス可能なため、あらかじめ歌いたい楽曲を登録しておいてカラオケ店ですぐに歌うことが可能だ。
つづき ..
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..というか、要約的結論(考察)みたいなの