2007年06月09日

アメリカは格差社会じゃないの? (日米研究・教育・医療問題)

Baataismさんのとこ経由で海部さんのエントリを見た。


Baatarismの溜息通信 - 専門性の敗北?


Tech Mom from Silicon Valley - 豊かな時代の教育とは:「こいつらにはやっぱかなわねー」と思うこと


essaさんのこのエントリからの流れか


アンカテ(Uncategorizable Blog) - 談合社会の崩壊の中で「お母さん」たちが担っているもの



 essaさんのエントリの主旨としては、「不登校児のお母さんが責任を背負わされすぎている構造がある」、というもの。「いちお行政などからのケアはあるが、なんらかの決断の場面ではお母さんはたった一人で物事を判断しなくてはならない」、と。

 その結果、擦り切れていく現状というのがあるのだろうなぁ、とか思う。


 海部さんのほうはご自身の体験から、「アメリカは障害児へのケアが行き届いている」、という話。具体的に言えば、「学習障害があるお子さんに対して専門家がきちんとしたセラピーをしてくれて安心した」、とのこと。

一方、もし私たちが日本にいたら、と思うとぞっとする。日本の学校も、私の子供の頃からはずいぶん変わっていると思うが、それでも夏の体験学習や補習校の感じを見ていると、とてもここまで、体系的にテストして分析することも、それに基づいて専門家が指導してくれることも、きっとないだろうと思う。


..という文が印象的。


 んで、Baatarismさんはそこのコメント欄の言葉を受けてエントリを立てたみたい。



専門性の勝利『のんびりしていて、大雑把そうで要所要所では素人の思いつきではなく、専門的知見を活用するのがアメリカの強みですね。日本の教育現場では、「自尊心?なにバカなこと言ってんの?ダメならダメって引導下してやるのも教師の役割でしょ」みたいな、教育心理学の研究成果全否定(というか知らない)教師が普通にいますからね。素人国家の弊害は大きいと思います。

学校教育の中で心理学的知見に基づいたコミュニケーション・スキルを教えれば最近問題になっている「社内のコミュニケーション不足」もかなり改善されると思うのですが。

心理学をやった者からすると、個人の経験に依存しすぎていて、心理学的に「人間関係を悪化させるとしか思えない」コミュニケーション方法を取っている人が日本人には非常に多いのです。「知らない」ことの恐ろしさを感じます。』



Baataismさん、これを受けて曰く

確かにこのコメントの方が言うとおり、要所要所では専門的知見が活用されるのがアメリカの強みなのでしょう。そして専門的知見を無視した結果、日本では数多くの問題が発生していると思います。このことは教育やコミュニケーションだけではなく、政治や経済の分野でも言えると思います。




 海部さんとBaatarismさんのお二人のおっしゃることは分かるのだけれど、なんか違和を感じた。


 アメリカというと下・中流層と上流層の間の差がかなり開いている格差社会、という印象があって、中流層へのケアも少なくなってきているのかなぁ、と思っていたので。

 具体的に言うとこの辺(クロ現「ワーキングプア アメリカの現状」)

muse-A-muse 2nd: 格差を巡るデフレスパイラルから抜け出すには・・・


 ここでは、それまでだったら報われていたはずのマジメな中流層労働者が報われない現状がある、ということをルポしていた。

 具体的には、特に才能はないけれど自動車整備工場などに長いこと勤めることによってそれなりの暮らしを得ていた人々、のこと。(収入5〜600万ぐらいの)


 こういった人々に加えて、大学を出ても報われない状況がある、ということなのではないか..?


壊れる前に…: 格差社会アメリカ

つまり、(1) レーガン以降の新自由主義的な経済政策のもとでは、格差が著しく拡大し、(2) それ以前は経済格差の是正には社会全体の教育レベルを上げるという方策がある程度有効であったが、新自由主義のもとでは、大学を卒業したという学歴だけでは経済全体の成長による利益を十分に享受できない、ということだと思います。



 この問題は確か、渡辺千賀さんのところでも話題になっていたな


On Off and Beyond: ミドルクラスの地盤沈下

 
 中途半端なスキルとか学歴なのが一番やばく高卒にも負ける、と。(日本の未来?)

 アメリカ型格差社会ってのは

アメリカでは、「貧富の格差拡大」じゃなくって、真ん中層が1人負け、という話。超リッチな層がさらにリッチになるなか、今までずるずると下がってきた社会の底辺の方の人たちの収入は底をうち、一方それと比較すると、真ん中あたりの収入が伸びていない、と。


 ってことらしい。

実際、シリコンバレーの生活実感としては「4大卒の落ち込み」は結構そうかな、という感じ。



 んで、「上狙う場合は大学院レベルまで狙わないとね」、ってことになるんだけど、ここでBaatarismさんの話に戻る。


 日本では専門性とか大学院レベル以上の高等教育に対する評価が低いので、「大学院とか言ってもなぁ」、って現状がある。

 よく知らない人用にひちお言っておくと、現在大学院に入る人というのは「修士を終わったら就職」組ってのがけっこう多い(っつーか基本ではないか?)

 だって、博士までいったら却って危ないんだもん。

 ポスドク(博士単位取得後)の配慮なんかしてくれないし、歳いっちゃってるから企業から敬遠されるし、「大学の知識なんか企業じゃ役にたたねぇ」とか思われてるんだもん。


 なので、アメリカみたいに「上目指すならもっと学歴積まなきゃ」、って単純にいえない環境があるように思う。

 で、大学院とか大学人気が下がっていってるわけだけど


 その辺については以前に福耳さんともお話して、「やっぱ大学とか大学院終わったあとに企業に入れる、って回路(インセンティブ)作っとかないとやる気でないよねぇ」、って感じで落ち着いた。

 でも、それ以前に、企業側に大学の教育とか研究を知ってもらう必要があって、その辺で学術ファシリテーター(ジャーナリスト)が必要だねぇ、みたいな話も出てきたんだけどこの辺はどうなってるんだか分からない。


 ぼくはいっそのこと研究特化型と教育型に大学の役割を分割して、研究系教員は研究に特化して研究の意義を世の中に認めさせたほうがいいと思っているけど。

muse-A-muse 2nd: 大学教育について(上下分離の必要性など)


 具体的な数字出してないせいか「お粗末」とか言われたな(とど松w)



 っつか、分離案にしても試案であって、教育を通して自らの研究を見直す、ってこともあるように思うのだけれど、そういうのが不得手な人もいるんだよねぇ..。(大学教員って教員免許制ってわけでもないしねぇ)

 


 まぁ、そんなこんなで、「日本の大学 - 企業関係において、専門性を認めさせるためには大学側も努力しないとね」、とか思うわけだけど「企業と大学」関連だと実学な問題も出てきてめんどくさかったり...。


 「世の中に役に立ちそうな研究への奨励資金」みたいなのがあるけど、アレによって応用研究系のものばっか際立って基礎研究には資金下りてこなかったり、文系研究室にはほぼ皆無だったりする。

 研究においてなにが役に立つかなんてのはかなり長いスパンでみないとわかんないことが多いのに。とりあえずかっこよさげな名前をつけた研究がまかり通っていったり。もしくは有名大学に科研費が集中したり。


...まぁ、そんなこんなな大学渡世ですわなぁ



 んで、「子どもへのケア」関連で言うと、例の「ゆとり」教育の影響でゆるーいお子さん達が入学されている現状で....「なぜ大学で高校のお勉強を教えないといけないんだ...?」、って感じになってる。

 構造的にはこの辺だけど


muse-A-muse 2nd: 戯画化する教育環境と教育に関する意思決定の分権化について


(本来「ゆとり教育」で目指されていたプログラムを実施するには教育プログラムの変更に伴った人員整備が必要だったんだけど、その部分がおざなりだったのですごく中途半端になって却って弊害がでた、って話)


 こんなのがあるので、「大学っぽい高等教育」なんてのを身につけさせる時間がますます削られていっているわけだけど、そういうことお構いなしに世間は大学出の学生を評価する。

 で、「やっぱ大学は役にたたねぇな」、と。



 そんなこと言われても「..なんだかなぁ」って感じなのだけれど..世間からすれば「教育機関の責任」ってことになるのだろう。



...なんつーか、責任の押し付け合いっていうか...どっかで誰かが引き取らなきゃいけないことが宙に浮いてる感じがする。


 essaさんと海部さんのエントリは「教育機関のケアが必要(もしくは整っていて安心した)」って話だけど、以上のような構造を見るとちょっとムリな感じはする。

 (リンク先参照してもらえば分かるんだけど)要約して言うと、そういう風に教育に関わるシステムの変更をするには各自治体の教育機関に裁量権を持たす必要があるんだけど、現行システムではそれを認めていないのでムリなのだそうだ。


 なので、狙いをつける(なにかを要求する)としたらその辺なのではないか..?



 

 あと、アメリカというと医療格差って感じがする


マイケル・ムーア監督次回作「Sicko」を米政府は必死で押収したいらしい - GIGAZINE

On Off and Beyond: トンデモない米国医療システムからイノベーションが生まれるのか


 この前段階のギロンとしては、「アメリカの医療は全部あり型パッケージでやっているので高い。高いと貧乏人は受けられない(あるいはガマンして酷いことになる)。なので、利用者が必要なものを選べるカスタマイズ型サービスに転換する必要がある」、ってのがあった。(山形浩生、P.クルーグマン、「クルーグマン教授の経済入門」)


 んで、そういうのを受けてカスタマイズ化されていったはず。


 渡辺さんのところのエントリはそういう流れを受けて、

ウォルマート、ターゲットといった大手小売チェーンや、ウォルグリーンなどのドラッグストアチェーンが、次々に店内に簡易クリニックを設置するトライアルを始めているのである。


 ってやつ。


 これで従来のほぼ半額で予防診断を受けられる。(難しい病気は大きな病院に行くように指示される)


 この辺、日本はどうなっているのか?


痴呆(地方)でいいもん - その通り!!


医療保険のような情報の非対称性のきつい商品は市場にまかせると、金持ちしか、十分な医療をうけられなくなるという話をして、その問題を日本は国民皆保険制度で市場のカバーしている



..と。



 とりあえずそれなりに安心っていうか、その部分切られないように注意しとかないとね、って感じなんだけどそれとは別に現在の日本の医療(看護)現場では過剰労働の問題があったり


asahi.com:「看護師やめたい」44% 国立大病院職員組合が調査 - 暮らし



 「日本の医療現場にはフィリピン人も来たがらない」ってやつだ。(※フィリピン人看護士は世界の医療市場でとても重宝されている)

 Espresso@松本の斉藤さんなんかは、「オーストラリアのほうが賃金高いからオーストラリア行っちゃえばいいんだよ」、って言ってたな。


 んで、まぁ、リンク先の大阪センセ的には、「賃金上げて、人員増やして労働負担を分散すれば?」、って感じみたい。財源としては「お医者さんの診療報酬を高くしたら?」、と。



...高くなるのか...(イヤだなぁ)


 小市民的にはそう思うわけだけど、仕方ないといえば仕方ないのかなぁ..。


 っつーか、フィリピン人を雇うとかで何とかならないのだろうか..(←「そのためにはお金が必要」という同道巡り)



....山形さん的にきちくモードに入って、「どっかの低開発国からクーリー連れて来い!」、って言いたくなるけどその辺はグゥとこらえます。




 

 そういやこの問題は天漢さんとこでも扱ってたなぁ


天漢日乗: Nスペ 介護の人材が逃げていく@3/11 21:00-21:50 NHK総合


 介護の現場以前に専門学校系が青少年の夢を食いつぶしている現状がある、と。


 もともと介護士資格が「やらずぶったくり」で「人の役に立ちたい」という青少年、とくに女性の純粋な動機を踏みにじり、高い学費で資格を取らせる介護教育ビジネスを肥え太らせ、資格を取った後は介護労働市場が安く買い叩く構造的な「若者潰し」政策で運営されている



 で、介護現場においては低賃金・過剰労働なわけで、その辺では医療への志(モチベーション)を天秤にかけさせているのだろう。



 医療の現場の問題について、日本のマスコミがきちんと取材できないのはこういう背景があるっぽい。



天漢日乗: medicine



 詳しくは見てないけど、
 
 「医療機関の構造的問題に対して、日本のマスコミは医療不信を煽るだけで根本的な解決を考えようとしない。そのため医療現場から嫌われ、いわゆる『マスコミたらいまわし』という事態(いやがらせ)が生じている」

 ということらしい。

 文字通り、マスコミ関係者は医療現場をたらい回しされるのだ 。



 んで、こういった「医療 vs. マスコミ」な影響で正しい情報が生活者に伝わってきていない現状がある、と。




 教育や研究の現場についても同じことが言えそう。



 本来、ジャーナリズムは「界」をつなぐものなのになぁ...。





 ちょっと思うのは、そういう報道というのは速報とかスクープ狙いの体質から生まれるのかなぁ、ってこと。


 タテマエ的にどんなにキレイゴト言ってても、彼らの一義的な関心はトクダネをめぐる抜きつ抜かれつなわけだし、そのことを入社したときから叩き込まれているので、各新聞社・TV局の記者は sex machine ならぬ writing machine って感じでシャカリキに働いているのだろう。


 まぁ、実際速報とかトクダネだけ狙ってたら忙しさにはキリがないわなぁ...。



 そういった現状に対して、じっくりと対象に取り組む調査報道の復権が叫ばれてるわけだけど......伝わってないだろうなぁ。。



 けっきょく「購読者が欲しいのはスクープ」ってことなんだろう。




 でも、ほんとにスクープが欲しいのかなぁ...。(しかもどこもかしこも似たような横一列のスクープが..)






--
関連:
暗いニュースリンク: 米国の教育問題 バックナンバー


暗いニュースリンク: 医療問題 バックナンバー


暗いニュースリンク: 貧困・飢餓大国アメリカ バックナンバー



※アメリカの教育・医療・その他もろもろの問題について。「暗いニュースリンク」ということで少し偏向あるかもしれないけどいちお。

 
 


--
追記:
あと、Baatarismさんのところで「アメリカでは要所要所で研究と社会が繋がっている」って感じの言及がされていたんだけど、なんかちょっと違和感。

いや、ほとんどおっしゃる通りだと思うんですが、エントリでも述べてきたように日本の場合は研究が社会に繋がらない構造的問題ってのがあるように思うんですね。社会的評価がアレなので研究費も下りないし。研究費下りないので研究へのインセンティブが薄れて学生逃げていきますしね。

それに対して、アメリカの研究ってのはきちんと社会的に認められてて、高等教育はそれなりの評価を受けるんですよね。なので専門的知識を学ぼうとするし、それがまた社会に還元されていく。

ジャーナリズムの例にしてもそうだけど、日本のジャーナリズム系の学科って専門的なスキルの研修はなくて、ただ「メディア倫理」とか「マスコミの歴史」とかやってるんですね。もちろん外部から「上がった」人を招くこともあるわけだけど、元々、日本式JOT(「現場で覚えろ!」)で鍛えられてきた人々なのできちんとしたジャーナリズム教育は受けたことがない。なのでそこでもスキルってよりは根性論みたいになっちゃうようですね。


それに対して、アメリカの場合、コロンビアとかPoynterとかではきちんとしたスキルトレーニングを施す。


この違いは何なんだろうなぁ、と。



やっぱ、あっちの学術がプラグマティズムを基本としているからなのかなぁ..。(実践的知識って感じで認められるのかなぁ)



「んじゃ、プラグマティズムにしちゃえばいいじゃん」、って感じになりそうだけど、それはそれでちょっとイヤなんだよなぁ..。



つか、学部レベルだとアメリカ的なアホみたいに本を読ませる教育ってちょっとあこがれます。日本の大学って「学生の自由」とか言って放任主義気取りながら実質は責任逃れしてるように見えますからね。(演習にしても)

 
学部レベルとかだと教科書的な詰め込みも必要なのではないか、と。 



でも、それに偏重しすぎて独創性なんかが削られるかもしれないのにはちょっと危機感あるんすよね。




......まぁ、よくわかんないな、と



渡辺さんのエントリに絡めて言えば、「フーゾクの店長にでもなれ!」、ってとこだろうか


On Off and Beyond: シリコンバレーのスーパーエンジニアとソープ店長の給料は一緒


(これはこれで大変そうだけど)





posted by m_um_u at 19:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会このエントリーを含むはてなブックマーク
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