2007年06月07日

ひぐちアサ、2001、「ヤサシイワタシ」

 雨宮さんの影響でこれを読んでみた。


ヤサシイワタシ 1 (1)
ヤサシイワタシ 1 (1)
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ひぐち アサ
講談社 (2001/06)
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サブカル女(今なら『文化系女子』と言ったほうが通りがいいのかもしれませんが、それよりはもう少し俗っぽく、きちんと勉強や研究はしていなくて、うすっぺらで、野蛮な感じの若い女。のことです)の自意識過剰さや、根拠のない自身やプライドとその行方について、これでもかというほどぎりぎりの部分まで突っ込んで描かれていて、本気でこれは「ワタシ」の話だな、という感じがしました。



 という紹介にもあるように前半部はそんな感じ。ある種の人たちにとっては痛くて恥ずかしいマンガなのだろう。

 その辺の感覚について。ぼくは良く分からないので前半部はそれほど引き込まれるものはなかった。むしろ、「ウザイな」、と。

 いわゆる「めんど臭い女」ってやつだ。


 雨宮さんの紹介にもあるように、このタイプの人は自分は努力しないし努力しても空回り的なものが多いのに、それ以上のことを周りに求めたり、周りに対しては辛らつな意見や態度を示したりする。


 つまり、周りや社会に対する要求が大きいのだ。


 ある程度の距離をとっている分には、「エキセントリックな人だなぁ」、ということでよいのだけれど、仲良くなってそれなりに深い話をしだすとちょっとめんどくさい。

 「なんで?」とか「どーしてー?」とかは多いのに自分で調べようとしない。他人に意見を述べさせそれを否定するが、自分はたいしたことは言わない。(重複するが)人へは厳しいのに自分には甘い。心の中で「私はカワイイのでなんとかなる」、とか思っている。あるいは、「カワイイ」、の部分については表面上では謙虚な態度を示すがやはり社会をなめていて「わたしは将来○○で××な暮らしをするんだぁ」とか努力もしないのに言ってたりする。でも、他人はそんなに幸せになるとは思っていない。(あるいは他人の成功観についてはシビア)



 こういうのは傍から見てるとイラつく



 表題になぞらえれば、「(自分に対して)ヤサシイワタシ」なのだ。

 こういう人たちは「誰もワタシを分かってくれない」とは思っていても、他人の心の内を理解しようとはしない。



 で、それに対して、この人の相方を務めることになった芹生(1歳下の♂)はしごく正論な意見でツッコミを入れていく。

 けっしてキツイ口調ではなくやんわりと、「でも、それってどうなの? (他の人にもうちょっとやさしくできるんじゃないの?)」、「そういうことができるアンタが好きだよ」、って。


 芹生のほうにはかなり感情移入した。まぁ、いろいろと...(以下略)


 
 
 で、物語が動くのは後半(2巻)


 
 できるだけネタバレにならないように概説すると、「ヤサシイワタシ」に周りがヤサシクできなくて問題が生じる。それを受けて、芹生の中に大きな穴が開く。


 「オレはもう少しあの人にヤサシクできなかったのかな」

 「オレがあの人に厳しかったのは、がんばる自分に合わせてがんばってくれる人を側に置きたかったからだ」
  

....って。



 
 こういう意識がいまでもあるのでその辺りを指摘されたようで少しドキッとした。「がんばってない人を見るとモチベーションが下がる」ので....だから、がんばれる条件は整ってるのにがんばってない人を見るとイラつくのかもしれない。


muse-A-muse 2nd: 格差を巡るデフレスパイラルから抜け出すには・・・


 でも、がんばれない人もいるし、がんばっても空回りする人もいるのだろう。そして、そういう人たちは表面上は明るくつくろいながら、夜の闇の中で批判の煉獄に身をさらしているのかもしれない....。そして、なによりそういう意識をぼくが持っていたのは「自分のため」だったのだろう..。



 驚きだったのは後半の芹生といとこの澄緒ちゃん(♀、中三)との展開。


わたしが安心させるから

いっしょに帰ろう



 なんてセリフ、中学生に吐けるものなのか、とか思った。


 このセリフには文脈から2つの解釈があるように思うのだけれど、ぼくは母性のようなものを感じた。 ということは、けっきょく芹生が求めていたのは母性だったのだろうか...。あるいはがんばって生きる。とか、「正しく生きる」みたいな支えのようなものか





 そしてフィナーレ


(『「ヤサシイワタシ」を許容するぐらいに「私」や世界がもうちょっとやさしくなればいいのに』)






........なんかいろいろ考えさせられた。







 ひぐちアサというと、「ゆくところ」(@「家族のそれから」)もすごかった。



家族のそれから
家族のそれから
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ひぐち アサ
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 「ゲイ」「障害者」「アル中」「家族離散」というマイノリティ4連コンボという難しい題材を扱いつつ、そういった人々(特にゲイ)のびみょーなリアリティをここまで直裁に描いている作品はほかにないのではないだろうか? (寡聞ながら)



 そして、ひぐち作品に共通する説明的セリフのようなものの排除。できるだけ生活言語に近い形でリアリティを表現している。


 その中で、ネーム的にもいくつかの解釈が分かれる場面が出てきたり..。


 (詳しくは語らないが)


おやこのかえるだよ



 の解釈には「プラスとして捉えるか / マイナスとして捉えるか」の2つがある(ということは「あとがき」で作者も触れてましたな)


 ぼくはプラスとして捉えたけど...(そして、それをマイナスとして捉えた親によって咎められたのだろう)





....ほんとに、びみょーな古傷を衝いてくる作家だ...。





 「おおきく振りかぶって」はそういった文脈から出てきたにしては世間受けしてるみたい。たしかに、見てみるとひぐち的な課題(「信じるということ」 ⇒ 「コミュニティ(関係性)の再構築」)が引き継がれつつもエンタメとして成立している。


 これは編集の力に因るものかと思っていたけれど、リンク先雨宮さんによるとどうも違うみたい。


 とりあえず、「おお振り」を読み返してみよう

 
 


posted by m_um_u at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
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