2016年08月03日

庵野秀明・樋口真嗣、2016、「シンゴジラ」



昨日「シンゴジラ」を見てきた。シネマ会員カードでちょっと安い日だったしついったのTLでみょーに評判で、RTとか連弾でされてきてうざいなあという感じだったので、「見ずにうざいっていってるのもなんだし」「まあこれも縁起物」ということで。

シン・ゴジラ - Wikipedia

このウィキペディア、ついったに流れてきたtwからすると「ネタバレを過分に含む」ということでページ上部にも「このページは荒らしや編集合戦などのため、方針に基づき編集保護されています。現在の記述内容が正しいとは限りません」「現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています」な但し書きな異様感があるのだけど、そんなにネタバレかあ?これって感じがするし、だいたいあの映画ってそんなにネタがバレて興ざめするようなものだったのかな?とかおもったり。

ここでのネタというのがどの部分を指すのかわからないのだけど、ストーリーということだと自分的にはそんなに新鮮でも斬新でもなかった。好きな型のストーリーではあるのでおもしろかったけど。知ってる型なのでお約束的な物語の流れを楽しんだ、ぐらい。

まあ言ってしまえば、「日本という国の病理は組織病であり、そっちのほうが怪獣とかよりも問題だ」「その病は緊急時に危機感が持たれることに寄って初めて解かれ、皆が利害関係を廃して協力するようになる。共通の敵に対して」、というもの。後者は「インディペンデンス・デイ」なんかでもおなじみの。

前者は先日来noteの日記でも言ってるもの。「政策-選挙っていったってけっきょく官僚は変わらないのだし、そういった組織の部分の空気や意思決定機構を換えないかぎりどうともならないだろう」。ここから「じゃあ一度全部壊してそこから立て直したほうがいい」とすると「オールドテロリスト」と同期する。その意味で、ストーリーラインやそこで描かれる政治経済的なディテールというのは村上龍の一連の関心に属してるものに思えた。「五分後の世界」とか「ヒュウガ・ウイルス」とか。あるいは、そういった村上の政治経済ものの端緒としての「愛と幻想のファシズム」。

愛と幻想のファシズム(上) -
愛と幻想のファシズム(上) -
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫) -
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫) -
五分後の世界 (幻冬舎文庫) -
五分後の世界 (幻冬舎文庫) -
ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界 2 (幻冬舎文庫) -
ヒュウガ・ウイルス―五分後の世界 2 (幻冬舎文庫) -
希望の国のエクソダス (文春文庫) -
希望の国のエクソダス (文春文庫) -
オールド・テロリスト -
オールド・テロリスト -

「新世紀エヴァンゲリオン」が「愛と幻想のファシズム」のパクリというわけではなく、同作品が庵野の血肉となってるとこからの派生であり結果なのと同様に「シンゴジラ」と「オールドテロリスト」の位相が同期したのだろう。「シンゴジラ」制作進行中に「オールドテロリスト」を参照していたわけではないだろうけど結果的に問題意識や視点として同期した。

ただ「日本という国(腐った組織)を根本から壊してつくりなおす(スクラップアンドビルド)」としたとき、その手段としてテロを選ぶか怪獣を選ぶかで違っていた。というか、ゴジラというギミック、SF的舞台が選ばれたのはたまたまで、ゴジラという要素がなければこの映画のストーリーラインとしては「腐った国を立て直す」→「だったらテロもしくは革命だ」といったものだったのだろう。そこから逆説的にこの映画におけるゴジラは革命やテロ的なものの象徴として機能しているともいえる。
なのでこの映画はゴジラが主体の怪獣映画、ではなく、日本の組織や空気、その改革をメインとした群像劇といえる。その意味で「踊る大捜査線」の雰囲気にきわめて近い。単にゴジラの舞台の大部分がウォーターフロントで、「室井さんの怒り顔がゴジラに見える。。」というのもあるのかもだけど。

また、全体的に3.11 → 原発事故における政府対応がイメージされた。特にゴジラ≒核の恐怖から疎開する住民の姿が。直接に3.11や原発のことを描こうという意図があった作品ではなかったのだろうけど、日本という国で直近でもっとも政治的に分かりやすかった事案がそれだったのでモデルとなったところはあったのかもしれない。核つながりでもあるし。

物語的にはそういった政治的、あるいは密室の組織的なとこでの群像劇なのでこの映画のストーリーをもって賞賛してる人の大部分はそういった部分に惹かれたのだと思う。なので、なにか感想なりを述べるときにも素直にその部分について賞賛しとけば良いと思うのだけどこの映画の裏の部分、ヲタ的なギミックの部分への賞賛と混ざってなんかよくわからない合理化がされたりしてる(「庵野はアニメーター的な職人気質でミリ単位のカメラワークを要求した」とかそういう)。

そうはいいつつも自分も物語的な部分で上がるとこはあったし、最後の怒涛の意思決定と協力な部分で「よっしゃ╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ 」と心のなかで叫んでたりもしたのだけど、あそこでの感動やカタルシスの大部分は長谷川博己の演技の説得力に依るのではないかと思える。特に最後の方の演説の部分。なのでこの機会に「鈴木先生」見てみようかなあと。ちょうどアマゾンプライム動画で無料で出ててウォッチリスト入れてるし。

映画 鈴木先生 -
映画 鈴木先生 -
「この映画は群像劇であり怪獣劇ではない」とはいったもののこの映画のB面的な部分はきちんとそこがメインとなっている。特撮系のヲタ知識に乏しいのでこの辺の知識はわからないのだけど、ゴジラを初めとした一連の怪獣SF、あるいはウルトラマン的な特撮のお約束を踏襲してるような雰囲気はカメラワークやカメラに映し出される色味からも感じられた。怪獣な場面になるとみょーに昭和的?とおもえるような撮り方がされてるとこがちょこちょこあったので。たぶんああいうのはお約束なのだろう。
あとは戦車や飛行機などメカニカルなとこや、鉄ヲタや地下建物ヲタもうならせるようななんかがごっそり入ってた予感。なにせ「あの」庵野の作品なので。むしろこの部分を撮りたかったがゆえにゴジラ案件を受けたのかもしれない。その意味では群像劇的なストーリーはこれを載っけるための理由や型に過ぎない、ともいえる。


監督不行届 (Feelコミックス) -
監督不行届 (Feelコミックス) -

そういう意味ではこの映画は怪獣映画としても機能していたのだろうし、むしろこれをディスクで買って手元に置く人というのはそういうところで価値を見出して何度も楽しんでいくのだろう。スルメのように。


印象としてはシンエヴァ制作で救急としたなかで「巨神兵東京に現わる」を受けて東宝から持ちかけられた話をゴジラアナザーストーリー的に表したぐらいのものだったのだろう。巨神兵にゴジラをテンプレした感じの。なので「巨神兵」≒「使徒のプロトタイプ」のアナザー的なものがゴジラとして描かれて終劇する。

ストーリーとしてもそんな感じで、巨神兵的なもの、あるいは自衛隊などのヲタギミックを大量に投入するテンプレとして適したものがストーリーが選ばれた程度だったように印象するのだけど、まあこんな感じであまり練らないほうが却って大衆受けしやすいというのはあるのかもしれない(サザンオールスターズのいとしのエリーとかTSUNAMIみたいに



あと石原さとみがエロ、というか知的セクシー格好いい感じでよかったです(ヽ´ω`)ああいうのもできるんだねえ。。(そして庵野作品はああいうのがちょこちょこ出るのだけどなんかあるのかねえ。。リツ子さんとかミサトとか知的にデキるけど性にも奔放みたいなの)











「エヴァ破」をめぐる「父性」「母性」「愛」のあり方と行方みたいな話: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/223289573.html

「進撃の巨人」を7から17まで一気読みしてみてうんたらかんたら: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/430031910.html


ネコ、じょじょに回復 /  サガミハラ|m_um_u|note https://note.mu/m_um_u/n/n0e9b6854a42a

暑中一休 / いのちの値段|m_um_u|note https://note.mu/m_um_u/n/n450c07d20e22




村上龍最良の後継者であり震災後文学の最高傑作としての『シン・ゴジラ』(飯田一史) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/iidaichishi/20160803-00060706/









posted by m_um_u at 17:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
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