2007年06月04日

ネコと生きる

金蓮さんとBigBangさんの影響で東良さんの「猫の神様」に興味を持って読もうかなって気になってます。


藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - 私の好きなあの人は、いい男です。


BigBang: 「猫の神様」----失われていく命と性と「美しい文章」



 で、とりあえず氏のblogをフィード登録してざっと見てこんなエントリが目にとまりました。


『猫の神様』内容紹介|猫の神様


 「内容紹介」ということでそのまま本の内容紹介。十年と八ヶ月一緒に暮らした愛猫ぎじゅ太にささげる本。


猫返し神社へお参りに行ってきました|猫の神様


 飼い猫が迷子になったときにお参りに行くと帰ってくるかもしれない神社について。立川市にあるらしい。



仲の良い二人|猫の神様


 ぎじゅ太とみャ太が仲良く重なって寝てる様子。猫好きからすると意外というかちょっと珍しく感じます。けっこう仲良しになれないネコって多いもので。そういえばウニさんのところのネコもそんな感じだった


 ウニさんのところには恩姫(ウニ)ちゃんという先住ネコがいたのだけれど、そこにもろもろの事情で外ネコを預かることになったんだそうです。でも、ウニちゃんが動揺するのでご友人に託されてたそうなのだけれど、治療の甲斐なく息を引き取ったとのこと。


壊れる前に…: 猫を悼む


 フィードリーダーでチェックして気づいたときにはエントリからしばらく経っていたのでお声をかけられなかったけど....いまさらながらではありますがピッポちゃんの死を悼みます。




 ネコに限らず動物と一緒に暮らしている人はみんなそうだと思うけど、家族の一員なので。



 そして再び東良さんの「猫の神様」を思うとともに、保坂和志の「生きる歓び」のことを思いだしたり。



猫の神様
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東良 美季
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生きる歓び
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保坂 和志
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 「猫の神様」についてはBigBangさんのエントリから引かせてもらいます。


この本を猫好きの孤独な男による単なる述懐や感傷と読むのは、おそらく正しくない。ここに描かれているのは、失われていく命に対峙する私たちの普遍的な心のようなものであり、その喪失を人はどうすることもできないという、やりどころのない不可解な悲しみである。


猫の命が失われていく傍らで、筆者はアダルトビデオを幾本も見て、その評論を書く。失われていく猫の命を見つめながら、片方で男と女の営みを見ながら原稿を書く。その違和感について苦痛をともなって告白している。

「ごめんな。俺が悪かったな」と言い、みャ太をベッドに寝かせ、飼い主はアダルトビデオを観てそのレビュー原稿を書く。正直、こんな時に男と女が絡まりあう画面を見るのはしんどい。でも、それが僕の仕事なのだ。AVを観て原稿を書き、また原稿を書く。こんな時でもしっかりと腹は減る。俺は本当に、バカのように健康だ。この食欲の十分の一でもみャ太にわけてやりたい。

生きていくことと死んでいくこと。その間に挟まった軋みのようなものを感じる。
共通するのは、単に「命」というものであって、それが「誰のものであるか」ということは別の話であるのだろう。人であるとか。猫であるとか。




 「たかがネコ」とか「ネコのことよりも大事なことがある」と思う人もいるかもしれませんが、「生きる歓び」にこんな一節があります。


(15-16)
アフリカでもアジアでも中南米でも飢えて死ぬのを待っている子どもたちがたくさんいる。だから、私がいまここで立ち去ってしまっても、世界全体で起こっている生き死にには何も関係がない、と言って、さっさと立ち去ることもできるし、そんな子猫ごときにかかずらわっているヒマがあったら、世界の難民救済の募金にでも行った方がいい ―― というのは一見正しい理屈のように見えるかもしれないけれど、じつは全然正しくない。
 それは世智にだけ長けて、わかったようなことを若いタレントに向かって頭ごなしにしゃべる、50すぎの関西芸人の理屈にとてもよく似た理屈で全然正しくない。そういうバカな理屈を出す人にかぎって世界の難民や植えた子たちへの募金をするわけではないということではなくて、人間というのは、自分が立ち合って、現実に目で見たことを基盤にして思考するように出来ているからだ。人間の思考はもともと「世界」というような抽象ではなくて目の前にある事態に対処するように発達したからで、純粋な思考の力なんてたかが知れていてすぐに限界につきあたる。人間の思考力を推し進めるのは、自分が立ち合っている現実の全体から受け止めた感情の力なのだ。そこに自分が見ていない世界を持ってくるのは、突然の神の視点の導入のような根拠のないもので、それは知識でも知性でもなんでもない、ご都合主義のフィクションでしかない。



 ぼくはネコを斬ってまで世界を救おうと思いたくありません。(甘いのだろうけど)


 「世界を救う」とかそういうところとは違うのかもしれないけど、でも、目の前の小さなこと(「世界」からすると小さなこと)を放ってまでなにかを救ったり、得ようとは思いません。

 一つ前のエントリでも言ったけど、ぼくにとっての「善」はしょせん自己満足の領域を出ないものでしょう。ぼくにとっては「それをしなければ気持ちが悪いのでする」程度のものです。それは社会のためにがんばっている人々からするとはなはだ志の低いことのように思われるかもしれないし思われても良いのだけれど、

 でも、ぼくにはあいまいな「正しさ」を大上段に掲げてなにかを抑圧するというようなことはできません。



 
 「生きる歓び」の主役である花ちゃんは保坂さんが散歩中に偶然見つけた外猫の赤ちゃんで、放っておいたらカラスの餌になるしかなかったのでやむなく連れ帰って育て始めたコでした。でも、病院に連れて行ったら結膜炎が化膿して左目は既に機能しなくなっていて、右もいちおう視力がある程度にまで弱っていた。


 「欧米だったらこんな時期に全盲ってわかったら始末しちゃんだけどね。でも右はいちおう眼球はある」


 という獣医師の言葉をききつつ、「まぁ、何とかなるというかそれも仕方ないというか」、ということで保坂さんは子猫を引き取ることにしたわけですが、長患いの鼻風邪のせいで嗅覚も弱いみたいだった。

 「生きていくために必要なものが育っていないように見えた」

 そんな状態だったみたいです。


 その中で保坂さんは、「だいたい生きるというのはそんなにいいことなのだろうか」、と思う。「生きる歓びってなんなんだろう」、と。


 生き物の場合は「まず食べ物」ということだろうけど、目の前で眠っている弱弱しい小さな子猫はミルクも飲みたがらないし刺身も食べたがらない。

 
 そんな中、ようやく食べ物をとれるようになって、それに伴い体力を回復させていく子猫の様子を見て、保坂さんはこんなことを思います。

(45)
 「生きている歓び」とか「生きている苦しみ」という言い方があるけれど、「生きることが歓び」なのだ。世界にあるものを「善悪」という尺度で計ることは「人間的」な発想だという考え方があって、軽々しく何でも「善悪」で分けてしまうことは相当うさん臭くて、この世界にあるものやこの世界で起こることを、「世界」の側を主体におくかぎり簡単にいいとも悪いともうれしいとも苦しいとも言えないと思うけれど、そうではなくて、「生命」を主体に置いて考えるなら計ることは可能で、「生命」にとっては「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。ミルクを飲んで赤身を食べて、ダンボールの中を動き回りはじめた子猫を見て、それを実感した。





 「生きることは歓び」というと過去に苦しい目にあった人や、現在も修羅を生きる人にとっては「なにを分かったようなことを」と思われるかもしれないけど、やはりそうなのではないか...と思います。


 ぼくは以前けっこう瀬戸際まで追い込まれたときに「まだ痛みや悲しいという感覚をもてるんだ」と思ったことがあって、そういうのは「無明の闇に比べれば命の灯火を感じられるだけマシ」という思いからきていたものだと思うのですが、そういうことともちょっと違って、なんというか........いまは「生かされている」という感覚を持つことがあります。


 「よくわかんないけど運良く生かされた」


 そんな感覚です。



 それは「ありがたい」というのとも少し違って、もしかしたら何かの策略でその奴隷のような状態になっているのかもしれないけれど、その感覚を思い出すことによって(あるいはその契約を思い出すことによって)、少しだけ生きる意味のようなものを感じられるのです。


 でも、それ以前のものとして「生命」それ自体の灯火のようなものを再び感じられること、その繰り返しの中で生きる歓びのようなものを実感しているのかな、とも思います。





 保坂さんの本はこの後、草間弥生の話がでてきて「ゲージツ家にとって生きることとは」って感じのテーマが展開されています(少しだけど)。

 興味をもたれた方は読んでみてください。



--
追記:
タキシードを着た宝物|猫の神様


※東良さんのところに関連エントリが出ていたので追記です。ぎじゅ太も障害を持ったネコだったようです。

 
 





タグ:ネコ 生きる
posted by m_um_u at 19:57 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
こんにちは。声をかけてくださり、ありがとうございます。「生きる歓び」からの引用、強く心に響きました。
Posted by うに at 2007年06月04日 22:45
こちらこそ、そういっていただけると嬉しいです。そういえば愛猫家9条の会のバナーもかわいいですね。
Posted by m_um_u at 2007年06月05日 04:36
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