王の死も
乞食の死も
まったく変りがない
と
どこかの詩人が歌ったが
そんなことがあるものか
問題は
死と死の間のつかのまの
生の在り方じゃないか
その生の大きさで
死の大きさも変ってくる
この地上で
人間だけが奴隷になるとは
どう考えたって不公平だ
支配者も被支配者もひとしなみ奴隷じゃないか
それで
王様がだんだんいなくなった
世界で生きのこってる王様の数をかぞえてごらん
野球に興味がなくなって久しい。特に球場に通ったこともなく、もっぱらテレビで見る程度だったけど。最後に熱心に見た記憶は高校の頃の休み時間か何かにみた日本シリーズの興奮だっただろうか。いま振り返るとなぜ自分がそういうものに興奮していたのかわからないのだけど。現在は1年に一回野球中継を見るかどうかぐらい。それも最後まで見るということもない。
そのぐらいの関心なので今回の件もそれほど関心もなく、ワイドショー程度の関心なのだけど
清原和博さんと「男らしさ」という呪縛 - いつか電池がきれるまで
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2016/02/03/124342
清原和博の引退 - 関内関外日記
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20081002
ついったでつぶやいたのをそのまま貼るとこの件に関する自分的な関心としては、清原が「使えな」くなっていった原因として故障があるとして、その原因となった対戦はどこだったか?とか、そこからのリハビリとかもっかいおっかけつつ、最近だとコーチとか監督とかの道もあったはずだけどなぜそっちの道がうまいこといかなかった?あるいは、当人がその選択をしなかったか?な背景とか経緯とかが知りたいぐらいかなあ。あとは野球とヤクザ関連?かなんかのドラッグとかつながりとか。まあそもそもあまり興味が無いわりにTLほかで公共的な話題になってるので、ふつーに事実関係をまともにつたえるものを見て、「はあ、そうですか」で済ませたいぐらい。それでも事情をあまり知らない人が一言居士的にてけとーなこと言ってるのを見るとカチンと来たようなのでそれなりに感情移入してるんのかな?自分、とはおもった。
事情を知らない人にあまり言ってもあれだろうけど、人気商売というプロ意識が欠如してる、ということではなくて、もともと清原はゲーノー人とかやる気もなくバット一本で食ってくつもりだったけどそれも故障で壊れたし、なによりメンタルがもともと強くなかった。素質に頼ってるだけで鍛錬、修練を怠り、なんらかの方法を確立してパフォーマンスを確立させるというところを怠った。彼が現役で、とくに西武時代の黄金期はその突出した能力で自信が支えられていたのだろうけど、その季節を過ぎた時、それまでの派手な生活と生き方をさせるものがなかった、のに対してそれまで築いてきた虚栄は続けていかざるをえない弱さがあった。そこにゲーノー界や麻布・六本木界隈のあのへんが入っていった。そういった印象。
そこでちょっと同情的になってる面もあったのだけど上記リンク先のエントリとかをみて「やっぱじっさい身近にいると鬱陶しいだろうなあ」と思いつつ。
そういう事情があるにせよ、TLほかでネタにしてたのしんでヤイヤイゆってる賑やかしとかはどうでもよいゴミみたいなもので、同時代に野球とか清原とかを楽しんで期待してた人たちの思い出とか思い入れのほうがみたいとおもった。家族に連れて行かれた球場の思い出とか。
ぼくらは清原のことを特別に好きではなかったけれど、そのときの楽しかった思い出にケチをツケられた気がしてカチンとくるのだろう。
清原が「使えな」くなった理由として。当該ウィキペディアを見ていたら故障自体は巨人軍に入団してからしばらくのことだったということでなんか意外だった。
西武で故障してつかえなくなって持て余されていたのを巨人が拾った、ぐらいの印象だったので。そこから故障を支えるために肉体改造してある程度の実績を残していった、と。しかし最後までこの故障がたたっていたのだろう。
清原に対して、才能・素質だけでたいした努力もしなかったので開花しなかった、というのは野村克也のこの言の影響もあるのかな?自分、とか。
「きちんとした指導者が居なかったから清原の才能がだめになった」「森が悪い」とのことだけど、ウィキペディアを見ていたらそのへんもびみょーだった。
森は清原の能力と人柄を非常に高く評価しており、西武監督退任時に、「清原は年々、野球への考えがどんどん進歩してきている」と述べている。清原を一年目から一軍レギュラーで使うことにはコーチ陣や野球評論家でもかなり異論があり、当時評論家だった野村克也は「清原は一年目は一軍では使えない」というほどだった。しかし森はそれらの異論をはねつけてあえて清原を使いつづけ成功した。当時西武の一軍打撃コーチだった土井正博は「今だから何でも言えるけれど、清原を二軍スタートさせようと言い張ったのは森さん自身。ところがオーナーのバックアップがあると知ったら、ガラリと態度を変えて、自分が我慢して使ったと言う。毀誉褒貶の激しい人だった」と述べている
まあでも、犯人探しは別としてきちんとした方法の模索、確立ができなかったのだろう。最後まで。メンタルが弱い、自律できないのなら優れた指導者がいればよかったのだろうけど、才能が突出し過ぎるとその辺も難しいというのはあるのだろう。
アスリートとして見た場合、彼の特徴や才能というのはどのへんだったのだろうとyoutubeの動画をしばらく探るに
打たせるための練習球とはいえすごく軽く、当然のようにホームランに持っていってる様子にベンチのスター選手たちも唖然としている。この様子を見ると彼のバッティングは筋肉というよりはバネだったのかなあ、とか。まあ練習のゆるゆる球への対応なので特にそういうバッティングになっていたというのもあるのだろうけど。松井秀喜のそれがマイク・タイソンのピーカブーを想わせるのに対して、この頃の清原のソレはもっとバネっぽかった。
打撃の特徴の説明を見ていると「内角のボールを苦手としていた」とのことで「( ^ω^)相手ピッチャーが変化球を使うだけで怒っていたみたいな話がまとめにも載ってるけど・・・それじゃストレート勝負とか要請してもびみょーじゃん。。」な気分に。まあその後に練習でこの苦手は克服したとはあったけど。ストレート勝負の場合、内角高め(インハイ)が力の勝負のポイントのはずで、ピッチャーにとってはボールの下を振らせることが力でねじ伏せたことの証になるとかマンガ知識。対して、外角低め(アウトロー)はそこから最も遠いポイントなため内角高めを活かすための対角線となる。この2つを有効利用することをしてクロスファイアとかなんとか。ボール球でもいいのでインハイでのけぞらせておいてアウトローで穫る。
その辺の技術論とか見どころみたいなのを含めた江夏の21球的な清原の伝説の打席解説みたいなのも見たい。自分じゃ書けないけど。

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この件に関して見たいものつながりでいうと松本大洋「花男」的な妄想もある。

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巨人軍を夢見て三十路を超えた男の時代遅れの野球ロマン話。「たかが球コロ遊びに大の男が人生かけるなんてよ」「だからこそ、だからこそなんだよ花男」みたいなセリフがあったんだかなかったんだか。フォームもスタイルもデタラメで、セオリーから外れまくりの主人公がここぞというときには決める「記録ではなく記憶に残る」物語。エースであること、あるいは勝つことや成績が宿命付けられたなかで、大衆の欲望と羨望、期待の重圧にただ「花がいい」といって散っていく男の話。

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すでに神も王も死んだ時代。それでも大衆の未開社会的心性は英雄や王を望み、英雄や偽王、道化は死なねばならない。
王殺し、偽王(モック・キング)の戴冠と死 | Kousyoublog
http://kousyou.cc/archives/3862
彼らのために、ワイドショーやついったーで盛大に血祭りに上げられるのが現代の象徴的な王殺しの祭典なのだろう。あるいは魔女狩りであり人身供犠。
それでも
そこに最後に花が咲く
王の死んだ地に花が咲いて、新たな生命、豊穣が約束される。
そんなことを想ったとき、「ピンポン」におけるスマイルの着地点は才能なきもの、あるいは敗れた者たちの終着として当然だったのだなあと想った。

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あるいはそれこそが「敗れざる者たち」の物語として。そしてスマイルはどちらかというと桑田で清原は孔文革っぽい。ライバル関係としてはペコだろうけど。素質とかスタイルとか性格とかで。
男気そのものはよくわかない幻想でありつつも、その元としての仁侠や筋道がきちんと通っていれば誰にも迷惑をかけない、あるいは周りの人に叶うものだったのだろうけど。そこにつきまとう虚栄と幻想を最後まで振りきれなかった男の弱さのようなものに、あるいはありえたかもしれない大リーガーや子供野球のコーチとしての終着に。捧げられるのは涙か花か、あるいは酒なのか。

