2016年01月30日

「カイエ・ソバージュ4」 / 「イカの哲学」





神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉 (講談社選書メチエ) -
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イカの哲学 (集英社新書 0430) -
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読んだので頭の整理も兼ねて感想とかメモ的なもの。



イカの哲学のほうはカイエ・ソバージュからのスピンアウトぽく、カイエ・ソバージュのほうは中沢のそれまでの代表的な三部作(「チベットのモーツァルト」「森のバロック」「精霊の王」)を中心とした内容を大学講義用に平易に口語で語ったという感じなので中沢読者的には既出であるし、新規の中沢読者としてもうちょっと濃く・詳しくみたいのであれば三部作を読めばよいのかな、と。

全体としてはそういう印象だったのだけど、中沢の読んでないものを平易に見渡せる、というところでは便利でおもしろかった。


そのぐらいで終わっても良いのだけどせっかくなので今回読んだところのブックマーク的なメモ感想。ちょっとわかりにくかったところもあったのでエントリにかこつけて読みなおしてみた。対称性の自発的破れのところだけど。



カイエ・ソバージュ(野生のメモ ≒ 思考)の今回の主題は「神の発明」。てか一神教的な神の発明について。多神教―アニミズム的な神のほうが先だったのだろうけど、そこからなぜ、どういった経緯で排他的な一神教な神が「発明」されていったか、ということ。


結論から言えばカイエ・ソバージュのここまでの思考に則って「国家ができたので」というところと関連するように中沢は思っている。


多神教的、狩猟社会的、あるいは、国家や所有・定住を旨としない太平洋ベルトのモンゴロイド的な人々は「すべてのものに神が宿り、人もその一部」的な世界観にあった。アイヌとかでイメージすると分かりやすい。そこでは財産を所有しない、国を持たない、戦争において相手を徹底的に虐殺しない。戦争や戦いは相手はコミュニケーションの対等な相手であり、戦いはコミュニケーションのための手段となる。そのためアイヌの狩り、あるいはクマに関する儀礼ではただ「狩る」のではなく、戦いなどを通じて相手を敬い、尊重し、最終的に命をもらう。相手はこの世の仮の姿を渡し、あちらに還っていく。


こういう世界観は「海獣の子供」でもおなじみだったりする(「おまえの槍を受け取ろう」とクジラが自ら漁師の銛を食らう)。



海獣の子供 全5巻完結セット (IKKI COMIX) -
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あるいは、狩りにおいては「相手と自分は対等」というところでもうちょっと現実的なものとしてはこちらか


ゴールデンカムイ コミック 1-4巻セット (ヤングジャンプコミックス) -
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アイヌの主に食生活に関わる風習とか。





では、そういった神観 - 世界観からなぜ排他的な一神教が生まれたか?



中沢はそれを物理学における対称性の破れの比喩からそれと同じことが起こったのだと説明する。すなわち球形のような対称性の高い構造体が外部からなんらかの圧力を加えられて崩壊 → 座屈するとき、それまでの対称性の均衡は破れ、外部に全体から偏った点ができる。それが多神と唯一神(あるいは高神)との関係となっていく。


このときどのような圧力が加わったのか?ということについて中沢は多くを語らないのだけど、それまでの語りからだと「人の知性において比喩(直喩や換喩)が生まれていったから」というところと関係してるぽい。すなわち対象を具象的に直接にだけで理解するのではなく、言語を介して一度抽象化して理解した後に、その抽象化に用いた記号のみをもって抽象的思考をふくらませていく、というあれ。この部分で人類が自らの理知をhackしていったため所有や戦争なんかも抽象的な計算として対象化され処理されていったのだろう。それがなぜ可能になったか?具体的にどういった経緯やメルクマールをもって可能になっていったか?ということについてはわからないけど。



今巻の主題としての「神の発明」についてはだいたいこんな感じ。


「イカの哲学」もそれに準ずる話で、「人類はもともと多神教―アニミズム的な世界観で、他者の存在を肌で感じるようにして戦うにしても相手をある程度敬い殺し尽くさないはずだったのになぜ核戦争のような絶滅戦争をするようになったか?」「敵を一網打尽にする戦争はイカに投網を仕掛けて一網打尽とするのにも似ている」「そういった点ではイカのほうがむしろ世界の本源的な感覚に通じているのではないか?」「例えば集合的無意識といわれるような、世界のエロス的なあり方に」、という感じ。


そういうあり方、アイヌとかそういう人々と似たあり方があれば、近代戦争のような「殺し尽くす」戦争にはならないのではないか?というのが本書の主題となるのだけど。たぶんこのへんはちょっとロマン入り過ぎなように思う。核戦争とか第二次大戦的な機械化された戦争以前にも殺し尽くすような戦争はしてたし。モンゴル帝国とかスキタイとか。彼らは農耕定住民でもなかったはずだし。


まあそのへんで中沢的な「平和」に対する考えは疑問視され保留されるわけだけど。



それとは別に本書でもう一つ目を引いたのは「瞑想(メディエーション)をきちんとやれば脳内に光が見えて変な図形とか見え始めるよ」話だった。こういうのはドラッグとか使ってやるものかと思ってたけどメディエーションをきちんとやるとできるらしい。そして、たぶんインドだと結構な人がやってるぽい。。


このへん、自分的にまだまだだなあとかおもった。







posted by m_um_u at 00:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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