2016年01月22日

『放浪の画家ピロスマニ』を見てきたよ






小さな家とキャンバス 
他にはなにもない

貧しい絵描きが 女優に恋をした
大好きなあの人に バラの花をあげたい


ある日街中の バラを買いました


百万本のバラの花を 
あなたに あなたに あなたにあげる
窓から 窓から 見える広場を
真っ赤なバラで うめつくして・・・・・
















夕暮れが隅々に立ち寄りながら訪れる頃
想い出の幻が私の目の前を通り過ぎて行く


青い鷲、白い水牛、金色の魚よ



それなくて何の地上の命
それなくて何の地上の命



















ついったであまやどりが「これ日本にいたら見に行くのになあ。。いつか見れるのだろうか」といっていたので代わりに見に行ってきた。



『放浪の画家ピロスマニ』 - 上映 | UPLINK
http://www.uplink.co.jp/movie/2015/42112




代わりにっていうか、なんとなく興味を持ったので。あと久々に都心に行きたり映画見たりしたかったし。水曜日はuplink映画1100円の日だし。



結果的に、というか半ば予想してたけど映画はそんなにおもしろいものではなかった。

この映画の価値の主な部分はニコ・ピロスマニというマイナーな作家の作品と生涯をドキュメンタリーしたもので、作品のドラマトゥルギー的な部分はなかった。あるいは意図してそういうのは省かれたのだろうか。

構成としては「作家の生涯を語る」+「それぞれの時期の代表的な絵を見せる」といった感じ。

それが当時のグルジアののっぺりとした、あるいはまだ十分に都市化の進んでいない環境の空気感にあって素朴に現前される。

のっぺりと、遠近法的な透視図とは別の時間軸やリアリティを感じさせるそういった作風。



ストーリーとしては作家の伝記的なものでネタバレということもないのでuplinkの解説をそのまま借りよう。


映画『放浪の画家ピロスマニ』は、グルジア(ジョージア)の独学の天才画家ニコ・ピロスマニ(1862-1918)の半生を描いた作品である。近年、ピロスマニは貧しい絵描きと女優の哀しい恋を歌った「百万本のバラ」のモデルとしても知られている。名匠ギオルギ・シェンゲラヤ監督は、名も知れず清冽に生きたピロスマニの魂を、憧れにも似た情熱で描くとともに、グルジアの風土や民族の心を見事に映像化した。


ピロスマニの本名はニコロズ・ピロスマナシュヴィリ。19世紀末から20世紀初頭にかけて、カフカス(コーカサス)山脈の南にある国グルジアで、パンや酒とひきかえに店に飾る絵や看板を描き続け、貧しく孤独のうちに亡くなった。放浪の画家、孤高の画家と呼ばれ、絵は人物、動物、暮らし、風景などをテーマに、グルジアの風土に育まれた世界を素朴な筆致で描いたもので、その数は1000点から2000点といわれている。   
死後に高く評価され、現在はグルジア人の魂を象徴する存在として人々に愛され、収集された200点余りが国立美術館等で大切に保存、展示されている。世界中で展覧会が開かれているが、日本でも1986年に大々的な展覧会が催され、2008年の「青春のロシア・アヴァンギャルド」展でも展示されて話題になった。



あるいはウィキペディアの説明

ニコ・ピロスマニ(Niko Pirosmani, 本名ニコ・ピロスマナシヴィリ Niko Pirosmanashvili, グルジア語 ნიკო ფიროსმანაშვილი、1862年 - 1918年4月9日)は19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したグルジアの画家。彼はグルジア東部のMirzaani(ミルザーニ)の村で生まれた。後にトビリシに出て、グルジア鉄道で働いたり自分の商店を持ったりしたが、体が弱いうえに人付き合いがうまく行かなかったため長続きしなかった。その後、独学で習得した絵を描くことに専念するようになった。

彼はプリミティヴィズム(原始主義)あるいは素朴派(ナイーブ・アート)の画家に分類されており、彼の絵の多くは荒野にたたずむ動物たちや食卓を囲むグルジアの人々を描いたものである。彼はグルジアを流浪しながら絵を描いてその日暮らしを続けた。一旦はロシア美術界から注目され名が知られるようになったが、そのプリミティヴな画風ゆえに新聞などから幼稚な絵だという非難を浴びてしまった。

失意の彼は1918年、貧困のうちに死去したが、死後グルジアでは国民的画家として愛されるようになったほか、ロシアをはじめとした各国でも有名である。ソ連では1971年と1986年にその生涯が映画化されている。





「放浪の画家」「生涯どこにも属さず孤高を貫き、ただ絵を描いた」というところが人を惹きつける魅力なのだろうし、自分もそのへんに興味を持って映画を見に行ったのだけど、この映画的にはそのへんちょっとびみょーに描かれているように思えた。

「放浪の画家」というと絵の技術だけをもって土地から土地を渡り歩く旅ガラス、吟遊詩人的なものを想わせるのだけど、ピロスマニはグルジアの町にずっととどまっていた。町のなかの居酒屋コミュニティに。そういう意味では放浪というイメージとはちょっと違っていた。どちらかというと下北とかそういうとこで定職につかずずっとサブカルしてる人みたいな感じ。まあ両者に明確な違いがあるのか?といえばそうなんだけど。


あと「孤高の」というか単に偏屈で非コミュ・コミュ障・マイノリティなとこがあったのかなあ。。て印象。最初に義理の姉かなんかに懸想して実家から出ざるを得なくなったみたいなとこにしてもそうだし、友人とはじめた食料品店を辞めた経緯にしても「義兄に結婚詐欺的なもので裏切られ世の中信用できなくなって自棄(やけ)になって、なんだかどうでもよくなったので店のもの全部もってけや(がはは」て感じだったし。んでもこの場面でロシア貴族の使いかなんかには法外な値段ふっかけるところなんかは当時の時代背景を想わせた。



この映画を通じて得られる物語としてはそんな感じで、要約すれば「世の中になじめない、アスペ気味非コミュな男が、画才はもっていたのでそれを二束三文で切り売りして居酒屋渡り歩きで食いつないでいたが、最後に世の中に認められようとしたところで『こいつの絵はちゃんと訓練されてないm9(^Д^)しろーとのものだ』とこき下ろされ一気に評価が下降。居酒屋界隈からも見捨てられ失意の内に生涯を終えた」というもの。


ゲージツフーテン物語としては全体的に鬱ぽい内容なのだけど、そういったナイーブさは切断されてただ淡々と、素朴にその辺が描かれていた。ちょうどピロスマニの画風のように。あるいは当時のグルジアの風土のように。



ナイーブに、あるいはドラマティック・ロマンティックに描くのならば「貧しい画家ががんばって100万本のバラの花を踊り子に送った」のところをフィーチャーするものだろうけど、この映画的にはまったくそういった場面がなかった。まあ史実と異なって、ピロスマニの生涯からインスピした詩人が作ったドラマだから、というのもあるからだろうけど。いちおモデルとなった踊り子が出てくる場面もあったけどちょっと(´・ω`・)あ、踊ってるな、てぐらいで、特にロマンスもなかった。いちお「ピロスマニが好きだったので彼女を絵に残したらしい」みたいなのはあったけど。

ドラマトゥルギー的には、あるいは清貧の部分をもうちょっと押し出してもよかったのかもしれない。んでもこの作品ではそういった部分が排されていた。意図的にかどうかよくわからないけど。


「フィクションを排したのは孤高の画家の生涯に経緯を評したから」というのはあったのかもしれない。彼を題材にした日本語本だとそういうのはフィーチャーされてるみたいだけど。



放浪の聖画家ピロスマニ(集英社新書ヴィジュアル版) -
放浪の聖画家ピロスマニ(集英社新書ヴィジュアル版) -


大きな木の家―わたしのニコ・ピロスマニ -
大きな木の家―わたしのニコ・ピロスマニ -

放浪の画家 ニコ・ピロスマニ -
放浪の画家 ニコ・ピロスマニ -



放浪の画家 ニコ・ピロスマニ - 本と奇妙な煙
http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20150828


彼の絵についても映画よりもむしろこっちのほうが分かりやすいのかもしれない。


なので絵についての判断とか印象みたいなのは保留。




そういえばこの映画のビデオやDVDは販売されてるみたい。

ピロスマニ【字幕版】 [VHS] -
ピロスマニ【字幕版】 [VHS] -

ピロスマニ [DVD] -
ピロスマニ [DVD] -



TSUTAYAでもレンタルしてるけど、渋谷店でVHSがかろうじてって感じだからナンダッタラ神保町のjanisとか覗いたら案外あるかもしれない。ちなみにアマゾンではプレミアついてて高い。




あとは映画を見つつなんとなく疑問に思って調べたこととか。



このエントリの冒頭でもちょこっと言ったけど、映画を見てるとちょっと違和感を感じるほどのっぺりと、なにもないところに小屋があるような環境があったりして「(´・ω`・)当時のグルジアってそんなかんじだったの?」て想わせたり。絵面・構図的にはちょっとタルコフスキーの「サクリファイス」とか想わせるのだけど、特にそういう意図もなく自然にそういうこととになってたのかも。当時の田舎のグルジアだとほんとになにもなかったから。



当時のグルジアってどういうことだったの?なんか、東ヨーロッパの朴訥質実剛健みたいなのを想わせるし、イスラーム文化圏のそれとロシアの影もあって。。てことでちょっと調べて見るに、「19世紀後半から20世紀初頭」ということで「乙嫁語り」とほぼおなじ時代だったということだろう。



乙嫁語り 1巻<乙嫁語り> (ビームコミックス(ハルタ)) -
乙嫁語り 1巻<乙嫁語り> (ビームコミックス(ハルタ)) -


乙嫁語り コミック 1-8巻セット (ビームコミックス) -
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[まとめ買い] 乙嫁語り -
[まとめ買い] 乙嫁語り -


なのでこの辺の説明とか分かりやすい


徒然なるままに|「乙嫁語り」の世界
http://www.geocities.jp/msakurakoji/900Note/114.htm


すなわち18世紀後半のフランス革命 → ナポレオンによる帝政+国民国家大躍進によって他の国も一気に国民国家へと傾いていった時代。

ヨーロッパ辺境の田舎貴族+皮剥ぎ商人の末裔だったロシアもそういった時代の流れから王政から帝政へ、そして国民国家へ転じていく。




中東から中央アジアはそういったヨーロッパ列強の植民地とされていく脅威を感じつつ、自分たちの主権というか縄張りを守ろうとしていた。あるいはあたらしい時代に順応していく者たちも。


「乙嫁語り」はカスピ海をはさんで東側、中央アジアの草原の民の物語として描かれ、イギリスが主に領有権を確保している感じだったけど北からのロシアの脅威もびみょーに描かれていた。


グルジアはもっとロシア寄りで、より東方問題的な政治的複雑が絡んでいく地域だった。そしてスターリンの生地でもある。


グルジア問題 - Wikipedia
http://bit.ly/1QpbZ5L


ロシア革命 - Wikipedia
http://bit.ly/1Qpc09L



これらの面倒事が吹き出すのはピロスマニの死後ということであったけど、ちょうど時代の転換点まで生きて、そして死んで行ったのだなという感じ。そういった意味ではピロスマニの画風、あるいはそのテーマなどに当時のグルジアの時代環境や空気感のようなものがびみょーに反映されていたのだろう。ロシアからの脅威と、それに対する故郷の誇りのようなものと。近代化によって変わりゆく風景と変わらないものと。


勝手な思い込みからするとグルジア人が後にピロスマニを故郷の誇りとしたのはそういった背景もあったのかもしれない。

素朴派と分類される朴訥で力強い実線に。透視図法を用いない平面的な空間に。野獣派 → 象徴主義的なヨーロッパ近代に対するオルタナを託して。


アフリカンアートを想わせる力強く独特な色彩とリアリティ



Google画像検索「ピロスマニ」





それが今作で感じた「ピロスマニ」だった







posted by m_um_u at 21:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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