2016年01月13日

はてブの終わりとBlogosphereの来し方行く末、みたいなの






地上には雨がふっている


都市 あらゆる都市の窓がしまり
愛も偏見もかたくなに口をとざしてしまう


沈黙が暗号にかわり
暗号がシンボルにかわり
シンボルがおびただしい車輪にかわる

戸口という戸口から
巨大な暗緑色の車輪がとめどもなくあらわれる

鉱物質の叫びは
雨のなかへ
雨は路上へ

路上には群衆が
群衆のなかの群衆が

いっせいに黒い蝙蝠傘をひらくだろう
いっせいに黒い蝙蝠傘をひらくだろう




はげしく回転する車輪の軸

その熱性の中心

おお その性的遠心力によって
ふるえるものはすべては秋のなかに

秋の光りのなかに

魂の色のなかに

われら盲いたるものすべては

落下する




















朝にCasa BRUTUSのライフスタイルショップ特集(理想の暮らしが買える店)を眺めていて「北欧暮らしの道具店」て載ってたので「そういや最近はてブでフォローしてる北欧系の公式アカウントが良いよな」とおもって見返してみたらやっぱりそうだった。

http://b.hatena.ne.jp/hokuoh_kurashi/



自分的に最近のはてブの「お気に入り」チェックは公式アカウントが使える感じ。感覚的にははてブ経由の半分の情報量は公式アカウントに頼ってる感がある。ちなみに自分的におすすめというか見てるアカウントはこの辺

http://b.hatena.ne.jp/CINRANET/

http://b.hatena.ne.jp/konomangagasugoi/

http://b.hatena.ne.jp/HONZ/

http://b.hatena.ne.jp/fashion-press/

http://b.hatena.ne.jp/vicejapan/


RSSリーダーを使わなくなって久しい → はてブの「お気に入り」とついったー、SmartNewsなどのニュースアグリゲーションサービスなんかでだいたいの情報は済ませてるのでこういうのは助かる。


「はてなはもう終わりだろうなあ」みたいなエントリを昨日したけど、はてブはこういう形だと使える感じ。自分的に。


ライフスタイルショップというのはイケスカナイおされうんたらみたいなので自分としてもちょっと小馬鹿にしてたところはあるし、はてブとか速水健朗さんとかにケチョンケチョンにけなされがちではあるのだろうなあとか思うんだけど。ブルーボトルとかミニマルとか。

【第61回】ネタ化される「上質な暮らし」と盲信する「サードウェーブ系男子」|すべてのニュースは賞味期限切れである|おぐらりゅうじ/速水健朗|cakes(ケイクス)
https://cakes.mu/posts/9079

奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール -
奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール -
カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生 -
カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生 -



そういうのとは別に、実際につかってみて気持ち良いし快適なので「これはこれ」として使ってみようかなあって気になってる。ああいうものはいわゆるファッション的なものにも共通するのだろうし。


ライフスタイル的なもの、あるいは、サブカル的なものを好む傾向の是非についてはまた別でもっとうんたらしたいなあと思いつつはてなの話に戻ろう。


はてな、というか、ユーザーとして使用するはてなのサービスとして。はてなダイアリーやはてなブックマークというのは結構前から「もう終わりだ」みたいなのは自分の関心のある人周りだとちらほらいっていて、自分的にも似た感じだった。

端的には「twitterはじまったんだからもうtwitterでいいじゃん?」てこと。

だいたいのはてなダイアリーはそんなに深い論考を出してるわけでもなくついったーの140文字でまとまるようなエントリばっかだし、ついったーのほうがレスポンスも速い。特にギロンと名うったケンケンガクガクやクネクネがしたいだけのひとたちはレスポンスが速いほうがよいだろうし。そうすると「ブログである必要があるのか?」みたいなのがチラホラ見え出し、そのせいかどうかわかんないけどついったー時代になってブログを書かなくなった人たちがチラホラ。

それは「ついったー的な短文に最適化したアウトプットしてるとそっちのほうが楽になったり慣れたりしてブログの書き方を忘れた」みたいなのもあっただろうけど。そもそもそういう人たちはブログを書くこと、ブログでなにを表現するか?ブログとはなにか?ということに対する考え方が足りなかったようにも思えた。


自分はblog黎明期からblogというものを見てきたし、その参与観察的な形でblogをはじめたので、古いblogの定義に属するものなんだけど。

すなわち、「blogとはweblogの略。アメリカのウェブデザイナー界隈でWebをクロールする際に気になった情報、logを書き留めているうちにそれ自体がjournalとしての性格を持ち回覧されるようになった」、みたいなの。そういう時代のblogというのはジャーナリズムのオルタナであることが志向されていた。ダン・ギルモアとか伊藤穰一界隈。トリビア的にはblogのjournalを「エントリ」というのはこういった背景からのように思う。すなわち、「ジャーナリスティックなドキュメントとしての記事というのとは違うので、とりあえずMovable Typeなどのblogツールを使って書いたものをアウトプットするときのエントリボタンをそのまま動詞 → 一般名詞型な略称にしとこう」、みたいなの。

それに対して、「日本のそれはウェブ日記文化の継承でありジャーナリスティックなものには成り難いのではないか?そもそも日本は日記文化というものがあり…」みたいなのもあった。あとテキストサイト的な様式美がうんたらかんたら。くわえてニュースサイトがどうとかこうとか。



まあそういうのの是非は「あれから僕たちは」な現在、自分で確認できるものだと思うのだけど。


少なくとも自分が「内容がない」というときの見方はそういうのに属する。




そういう見方をもったbloggerやBlogosphereの気概、前提のようなものも遠くなって久しい感じ。


それは徳力さんあたりが進めていった日本のブロゴスフィアの盛り上げ、アルファブログ・ブロガーの選定や方向付けが外れたというのもあるのだろうけど、全体のメディア環境の変化も関係してるのかもしれない。まあ関心チャネルやアウトプットツールが増えた。



そして、「今年の終わりからはじまっていよいよ日本のネット環境にも動画元年が」、とか。
このへんでまたなんか変わるのかなあとかチラッと思うも、そんなに変わらないかもしれない。

でも、まあ地味に雰囲気が変わってきてる、みたいなのはある。

2016年のネットメデイア展望うんたら / 初詣で・初遠足|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nbe15070a7542





このエントリの主題としては「はてブのお気に入り登録できる企業公式アカウントけっこう使えるよ」ぐらいだったのだけどそういったことを思ったのはこの辺をちら見したから。



はてなブックマークというサービスについて思うこと - しっきーのブログ
http://blog.skky.jp/entry/2016/01/12/223756

わりと最近はてなとかはじめた人みたいなので上記のような経緯はもとよりはてなコミュニティ黎明期とかの様子も知らないみたい。はてなというのがその名の通りもともと公開質問してそれを不特定多数が答えていくサービスを軸としていたことも。

自分とかはsivadさんとかが四天王の一人とかリリカさんとか北田暁大さんとかが居た頃を思い出すのだけど。あるいは波状言論がどうとか。


なんどかエントリされたことだろうけどそういう時代のはてなのあのへんはまだアカデミックなものとjournalなものの中間的な性格があったように思う。

いまもそういったものをはてなでされてるダイアリーに偶に見えることもあるのだけど。それはコミュニティというわけでもなくひとりずつの日記て感じなので。



自分的にはてなのコミュニティが面白かった時代はあのあたりで、それ以降はどんどん細くなっていったなあ、て感じ。


特にホッテントリという装置がそのへんに影響したのだろう。まあ簡単には言論空間のワイドショー化だったわけだけど。それであのへんでクネクネ的なものが流行り、それが前景化されるようになった。

いまはそのクネクネや祭り的なものもあまりないようで、それでさえもごちそう感はあるのだろうけど。


たぶんサードブロガーとか言われてた人たちはそういう背景を知らない、あるいは知識としては知っていても、自分たちがしていることが単なる馴れ合いのクネクネであること、そしてそれが「内容がない」ということにはきづけなかったのだろう。


その時点ではてなは終わり、というか、終わった後の形骸になにかが咲いていた。深海の鯨の骨の周りに独特の生態系ができるように。


現在ははてぶ互助会とかぶくまを金で買ってうんたらとかスパムみたいなのがさらに悪どく、前景化しているようだけど。まあそれも死体とか腐肉あさりというか、終わってしまったものの上に魍魎が、てかんじ。特にそこで驚きもない。一般的には共有地の悲劇的な現象なのだろうけど。そもそも共有地としての機能はだいぶ前に終わってたように思えるし。


まあそうはいってもクネクネしたい人、ああいった同人的な慣れ合いを是しとする人達もいるのだろうし、ああいった同人的なものだからこそ表出される表現や景色、心情みたいなのがあったりもする。

そこにコミットした人たちが現在のあのあたり、「村」といっていいかどうかわからないあのあたりにとどまっているのだろう。



僕はブロガーになれない - orangestarの雑記
http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2016/01/08/070954

「俺は2010年代のブロガーになれない」 - シロクマの屑籠
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20160108/1452245937


彼らはそういったアマチュアリズムに留まりたいといっているのだろう。「プロになると、金をもらったりして書くようになると書けないものがある」的に。


まあでもわれわれが志向したオルタナジャーナリズムとしてのblog、公共圏としてのBlogosphereはそういったふつーの生活的な心情や実感、リアリティを表すことを志向したはずだけど。既存の権威化したジャーナリズムではあらわせないものを表すオルタナとしてのblog。




弁当さんとかはその辺の意識を共有する感じで、最近の彼の一連はそのへんのびみょーさを感じさせた。


「ブロガーとして」と彼がいう時のそれは明確にオルタナな言論空間としてのそれを志向しているわけだし。そして、それがあるから政治・社会・経済的に公共的な話題に触れようとするのだろう。(ノ・∀・)ノ=●ウンコー!!とかされつつ。そして、それで地味にダメージとか食らいつつ。






この辺りについて、自分はどうか?、といえばもはやこのblogは自分のお勉強の成果の確認の場というか、書いて明確化して確認して一旦セーブして次に繋げる、場になってるのでジャーナリズムて感じでもないのだけど。


まあでもお勉強の成果が貯まって、それが政治経済的な事件にも反映されるようになれば自然と出していくのかもしれない。でももともとの性格とか方向性的にそういうものが合わないのかもで出さないのかもだけど。



そいやぶくまについて「くさすためだけにぶくまするならふつーに好きなもの見て褒めとけばいいじゃん」みたいなのみたのだけど、そういうのは自分的にだいぶ前からやってるので(ヽ´ω`)…て感じでもあった。

褒めるつーか対象となるサイトの情報を文字制限に合わせて精確に要約するに留める、ぐらい。あるいは簡単なメモ。

ソーシャルブックマークというのはもともとそういうものであるはずだけどぶっくまーくなんだから。でもまあ「結果的にミニブログとしての性格も持つようになった」というのもわからんでもない。

ただ、それはtwitterとか以前のことで、ついったーなんかでそういうことできるようになったらあまりあのへんでクネクネする意味なくなったと思うのだけど。それをまだやってる人たちは、機能的にはてブなどのソーシャルブックマークがそれに適してるから、というよりは、あのコミュニティの特定の人たちに向けて、て感じなのだろう。










posted by m_um_u at 17:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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