2015年11月21日

「進撃の巨人」を7から17まで一気読みしてみてうんたらかんたら



大した話題でもなくエントリするほどのものでもないかなあとはおもうんだけど、他人様のこういう系の感想が見てみたいなあと思ってる自分がいたので「まあそれだったら」ぐらいで自分のものをを置いとく。なので、こういう見立てをするならもっとうまく言語化できるひとがいるだろうし、そっちのほうを期待する程度。リベラル / ウヨサヨ的なとこは今回はわりとどうでもいい(むしろ、パリのテロをネタにうんたらするのは現段階では控えたい)。

なので、以下はウヨサヨがどうとかな政治的なうんたらがメインというよりも「最近読んだマンガからなんとなくおもった」ぐらいのこと。

























進撃の巨人 コミック 1-17巻セット (講談社コミックス) -
進撃の巨人 コミック 1-17巻セット (講談社コミックス) -


「進撃の巨人」を最初に見た時の印象は「周りを壁で囲まれた街でのサバイバルタクティクスもの。ギミックとしての立体機動装置とかは中世 → スチームパンク的な技術文明的にあったかもしれない未来(パラレルSF)を思わせる」ぐらいで、「囲まれた街」「タクティクス」「サバイブ」「巨人におっかけられ食われる」「駆逐してやる…駆逐してやるぞ!」な印象だった。特に後者の「巨人に追っかけられている」「駆逐してやる」というところがこの作家の無意識下になぜかある声のようなものをモティーフとして具現化したものなのかなあ、とか。そこに箱庭的な城塞都市空間が絡んで。なので、汚い大人のパターナリズムによる圧迫に神経症的な不安を感じた若者たちによるオヤジ狩りみたいな反動を表したものなのかなあ、とか。精神的にはおやじ狩りとしてカタルシスしつつ、現実世界としては「そうしたオヤジたちにはならない」「居酒屋コミュニケーションとかしない」ぐらいの。

全体の設定とかキャラとしてはラノベとかふつーのスチームパンクファンタジー程度のものなのだけど、巨人の造形のとこだけが独特の嫌な感じで、その嫌な感じが癖になるところなのかなあって感じだった。ヒエロニムスボッスとか石田徹也みたいな嫌な造形の巨人たちが弱っちい人間たちをぷぢゅっと食べるとこに感じる自虐のようなもの。


石田徹也遺作集 -
石田徹也遺作集 -


「なぜかわからない、誰かに設定された擬似環境ー箱庭世界におけるバトルファンタジー」ということだと「CLAYMORE」を想わせたし、バトル要素を抜いた箱庭世界ということだと「マリィの奏でる音楽」を想わせ特に新しいものには感じなかった。

CLAYMORE 全27巻完結セット (ジャンプコミックス) -
CLAYMORE 全27巻完結セット (ジャンプコミックス) -

Marieの奏でる音楽 (上) (バーズコミックスデラックス) -
Marieの奏でる音楽 (上) (バーズコミックスデラックス) -

Marieの奏でる音楽 下    バーズコミックスデラックス -
Marieの奏でる音楽 下  バーズコミックスデラックス -

「進撃の巨人」のモデルになった都市?の周辺話    中世ヨーロッパにおける巨人、city、village: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379508545.html




そういう印象だったのだけど、しばらくブランクを開けて読んでみたら登場人物の心理、葛藤描写のところがさらに深まってるように思えた。以前は、<自閉からの反動的な攻撃性を妄想したものという雰囲気で、そこに自虐が感じられその自虐が巨人の造形に投影されてるのかな>、って印象だったのだけど。しばらくぶりにみると、登場人物たちがそれぞれに戦う理由やそれぞれの場面での勇気を振り絞って立ち上がる場面を通じて、そのあたりの自虐、陰鬱な雰囲気が少しずつ変わっていってるように印象した。特に15,6巻ぐらいの盛り上がりのところの、主要登場人物以外の、都市の住民たちも勇気を振り絞って革命に参加していく場面。この辺りは単なる自分と(その投影としての)仲間たちのヒロイック・ファンタジーへのナルシシズム的心酔ではなく、「社会全体と協力していく」「絶対不利な情況でもなんとかしていく」という意志のようなものが感じられた。そこではオヤジたちは「汚いもの」としてもはや巨人たちへ投影されるだけのものではなくなっていた。そして、そういった勇気のあり方、「絶対閉塞な環境でサバイブ的に勇気を振り絞って活路を見出していく」「それでもまず一歩を踏み出す」という辺りに真鍋昌平を感じた。

新装版 スマグラー (アフタヌーンKC) -
新装版 スマグラー (アフタヌーンKC) -

SMUGGLER (アフタヌーンコミックス) -
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闇金ウシジマくん コミック 1-34巻セット (ビッグコミックス) -
闇金ウシジマくん コミック 1-34巻セット (ビッグコミックス) -

真鍋昌平はウシジマくんの描写から社会の嫌な部分を垣間見せる露悪的なものとして印象されがちだけど、作品のテーマは「そんなところでウジウジしてねえでなんでもいいから最初の一歩を踏み出せよ」ということでそれは初期作「スマグラー」に凝縮されている。逆にいうとどのような環境でもうじうじと凝り固まって小さな集団の論理で酔って依存してる人たちは不幸になっていく / なっているという視点から露悪的な場面が生まれている。そういう意味ではその辺りの描写とメッセージは「東京タラレバ娘」「かくかくしかじか」に通じる。

かくかくしかじか 1 -
かくかくしかじか 1 -
かくかくしかじか 1 (マーガレットコミックスDIGITAL) -
かくかくしかじか 1 (マーガレットコミックスDIGITAL) -

東京タラレバ娘(1) (Kissコミックス) -
東京タラレバ娘(1) (Kissコミックス) -
東京タラレバ娘(1) (KC KISS) -
東京タラレバ娘(1) (KC KISS) -


進撃の巨人世界を日本社会のメタファーであるとすると、周囲を壁で囲まれた世界というのは安全保障と核の傘によって守られつつも囲い込まれている日本という国と社会を思わせる。そこで、戦争反対!軍事力保有反対!みたいなこといいつつ軍事・安全保障はアメリカに任せている矛盾がまずあり、ふつーの神経(あるいはある程度誠実)ならここで自身のポリシー(軍隊もつこと反対)に反する / でも現実的にはもたないといけない、のでダブルバインドする。なので、そのダブルバインドの苦しさから逃げるために「アメリカのポチだからシカタナイ(シカタナク従っているのだ)」みたいな自虐的な論理、論理の挿げ替えによる心の防衛が発生するのだろう。

このようなリアリティに基づく日本社会を生きる人々の中では、ポチ的な従属をすることで得た経済的繁栄をエコノミックアニマルとして自虐しつつも、バブル崩壊によってそうやって得られた経済的繁栄さえも失ってしまいはげしく自信喪失が発生した。そういった特殊環境に涵養された高度成長期の「男は働いておけばいい」「働いてればほめ(終身雇用)てくれる」というモデルが失われて人生のモデル・指針が失われてしまったこと。このあたりの自虐とナルシシズム(ポチとかクズとか自虐してアンシンしてる)のこじらせに竹内洋 ← 丸山真男がいうところの悔恨共同体あるいは罪悪共同体的な自虐史観が癒着していたのだろう。


竹内洋、2011、「革新幻想の戦後史」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/383640969.html


ポチとかクズとか自虐して現実に向き合って現実的対処を考えないうちはアンシンだし楽だし、そのうえ「国はポチだから」ということで他者に責任を転嫁できる。そのうえで自分たちは日本軍の罪を悔恨し罪に思ってるということをアピールしていけば良い人間であるべき自分たちの心の平衡を保てる。もちろんそういう形で逃げ場としてこういう良心にすがる人ばかりでもなく、きちんとした反省と謝罪は必要だろうけど。


それは個人のパーソナリティとしては自閉的であるがゆえにみょーに責任感が強い / 他人への配慮が強すぎる / その超自我が反動としての攻撃性も含んでいる / こういった超自我の縛りによって環境がブラックなものになっても環境のせいにできず、自分で全部背負って鬱になるタイプの人を思わせる。


ちなみに「日本が軍事力を持って外国へそれを派遣するようになると軍国国家の悪夢が再来する」「それは日本はきちんと謝罪してないとこにも表れている」みたいなこというひとはこのへん読んどくといいんじゃないかなあと思う。


Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2015年 10/13 号 [「模範国家」ドイツの現実] -
Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2015年 10/13 号 [「模範国家」ドイツの現実] -




「進撃の巨人」の近刊であらわれてきた「象徴的な王」「王の挿げ替え」的なモティーフは象徴天皇を想わせた。「一部の巨人が使うことのできる特殊ギミック『ほかの巨人を従わせることができる』」も。昔の、象徴ではない天皇、森の王としての天皇の神秘性なんかを想わせて。


精霊の王 -
精霊の王 -


そうするとこのへんの欺瞞に対して山本「現人神・・」も絡んでくるのかなあと深読みしたりする。

現人神の創作者たち (山本七平ライブラリー) -
現人神の創作者たち (山本七平ライブラリー) -




箱庭的な閉塞環境でなに不自由なく揃ってるけど外には巨人という脅威が広がっていて、「ソモソモなぜその脅威があるか?」「なぜわれわれは壁の中にすまないといけないのか?」「壁の外はどうなってるのか?」ということに対する好奇心や思考がゆるやかに禁じられている世界。外の世界に調査兵団も出せるので許されてはいるけれど、一定のところまで思考が達すると検閲が入ったり、自ら記憶をたどることを封じてしまう。

この辺はモロに自衛隊と軍隊のあり方、あるいは「軍をもつもの(暴力装置として囲い込むもの)がソモソモ国である」という定義を想わせる。日本では「軍をもつこと」についての思考それ自体が半ば禁忌となっていて、一定までは思考実験として遊ばせてくれるけれど、ある一線を越えると「もう無理」的なシャットアウトが生じる。少なくとも一部の人々の間では。そこにはそのレイヤーにおける合理的な思考、コードの遵守がなくだいたいが感情論になる。「彼らが攻め込んできたらどうするんですか?」「酒飲んで話しあえば済みますよー」みたいな。


「一定のところまで思考が達すると検閲が入ったり、自ら記憶をたどることを封じてしまう」

こういったモティーフは最初の頃にはなかった、あるいは、物語の都合上からか主人公周りだけに配置されていて、作品全体の、登場人物全員に共通するテーマという感じでもなかった。「なんだかしらないけど無意識的に配置されてるモティーフ」みたいな感じの。

んでも近刊だとこのモティーフが主人公以外にも配されていて、この作品がそういったことをテーマする作品なのかなあという想像を誘導させた。心理学的な対象としての「なんだか知らないけどそのことについて考えようとすると思考が止まってしまうような」「記憶が改鼠されているような」、そういったもの。防衛機制的な心理過程。

そうするとこの物語というのは「なんだかわからない壁とソトノセカイ」辺りがユングとかのそれ、「敵は外(巨人)ではなく内にいる」「欺瞞的な王政の打倒」あたりがエディプスコンプレックスと関係するのかなとかも思わせる。ただ、そこに母たるものへのリビドーも父たるものの設定も曖昧なのでエディプスコンプレックスなのかなこれ?てかんじではあるけど。その意味で、この物語は従来の日本アニメ・マンガにおけるこの手の話、エディプス・コンプレックスとそこからの離脱というビルドゥングスロマンの型から外れていく。


近代的理性の立ち上がりと国家幻想、そこから疎外されていったものたち、のはなし: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381011164.html


この物語が「なんかへんだなこれ」てかんじだったのはこのへんだったのかなとおもうのだけど。


エディプス・コンプレックスという解釈に収まらないコンプレックス・抑圧の潜在というところで発達段階での母たるもの - 全能なるものからの自立・分離が連想され、「進撃の巨人」の登場人物たちはその経路をたどる。そのへんは自分的にはユング派、クライン派のお勉強を通じて照らし合わせていくとおもしろいのかなあとか思わせる。










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嫉妬、羨望、感謝感激雨あられ|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n463bd8044424



「エヴァ破」をめぐる「父性」「母性」「愛」のあり方と行方みたいな話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/223289573.html


愛はさだめ、さだめは死?: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414133706.html




「進撃の巨人」の作者・諫山創さん単独インタビュー 拒絶され諦めそうに - BBCニュース
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-34559269









posted by m_um_u at 19:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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