2007年05月26日

文化と教育とお金の話 (lifeから抜書き)

 「文化系トークラジオ Life」のpodcastを聞いていたら一個前のエントリで出てきた話題とリンクするところが多かったように思うのでちょっと表出してみる。ちなみに一個前のエントリはこちら


muse-A-muse 2nd: 格差を巡るデフレスパイラルから抜け出すには・・・


 ここでは、「格差社会批判をする人がよく持ち出す論理として<怠けてるヤツがびんぼーになってくだけなのでそれは自己責任だよ>ってやつがあるように思うけどそれってどうなの? たとえば努力以前の意欲の貧困とか、意欲を作り上げる生育環境の面での格差ってのがあるんじゃないの?」、ってことを論じた。でも、最終的にはやはり個人の努力がないとそういった環境からは抜け出せないわけで、その部分を開発していく(ちょっとでもやる気を出すため)にはどうしたらいいんだろうね、みたいなことについて愚考してみた。(・・けっきょくきちんとした結論出なかったけど。。)

 あと、努力のほかに「運」っていう要素もあるだろうけど、運がきたときにつかめるために努力して能力を磨いておく必要がある、というのは共通理解だと思う。


 んで、lifeだけど今回のテーマは「文化とお金」ということで格差社会とかには直接かかわらない感じなんだけど、後半でぐわっと掛かって来たり。結論から言うと、「才能や能力はそれほど問題ではなくて、重要なのはやる気になったときにサポートしてくれる環境が整ってるかどうかってこと」、って辺りがビシビシとリンクしてきた。具体的には奨学金(あるいはそれを可能にする財団)などなわけだが。

 まぁ、とりあえずぼちぼち見ていこう。


「文化とお金」 - 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki - livedoor Wiki(ウィキ)


 番組前半はいつもどおりゆるくはじまって、メインテーマではない感じの雑談で和やかにって感じで過ぎていった。でも、「金がないとき文化的なものを摂取するためにどんな工夫してた?」、なんて話題は面白かったけど。結論としてはやはり中古とかレンタル、図書館なんかが多かった。いまだったらブックオフみたいな新中古なところか。(佐々木さんの「ブックオフ大好き!全店行きたい!!」発言に笑ってしまった。自由が丘店がすごいらしいですよ)

 あとは目利き(セレクトショップ)とブックオフなどに代表されるようなランダム配置の問題なんかがあったけどこの辺はよくあるので割愛。


 んで、流れで文化資本の話とか


「文化とお金」Part2 - 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki - livedoor Wiki(ウィキ)


解説すると、文化資本というのは、ブルデューという社会学者がいて、もともと家に本があるとか、音楽を聴いてたとかいうことが、努力して勉強していい大学に入る、なんてのとは埋めがたい差として現れてくるという話。



 これを受けて「親から子への文化の相伝」的な話がしばらくの間つづいて、関連で「家の環境が勉強にまで影響してくる」って話も出てきつつ、「そういうのってあるよねー」、と。

最近、教育の分野で、この種の「直接仕事とかに役立つこと」とは別に、家の環境が勉強にまで影響してくるって話がありましたけど、もう少し説明してもらえますか?

斉藤:階層別に統計を取ってみると、勉強時間、生活習慣、勉強への意欲っていうのが、如実にデータとしてあらわれている。ゆとり教育とか言われてて、あれは単に知識を詰め込むことへのアンチテーゼというか、どうやって考えればいいか、どうやって勉強すればいいかってことをこれから延ばしていこうという話。でもそっちはモロに階層とリンクしちゃう。文科省がやろうとしているのは、格差、学習資本みたいなものを、どんどん広げていく方向に向かうんじゃないかという。



 で、そんな感じでゆるく話してたんだけど、後半急展開。


「日本に文化資本の引継ぎ的問題はない」((C)柳瀬)


 とちゃぶ台返し。



 いや、その前段階としてこんな話があったか


佐々木:文化資本の話で、それを日本に当てはめるときにいまいち分からないのは、ブルデューがフランスのことについて言うのは、貴族とかがまだ社会構造の中に生きているっていうのと関係ある。いま、中俣君と僕が、親が文化系でって話しましたけど、こんなものは文化資本でも何でもないから。たまたま資本家の子どもに生まれたら資本家、職人だったら、っていうのがたまたま文化的なものであったに過ぎない。教育云々っていうのは、大学に入って学ぶ中身について言うより、その結果として、ある会社に入れて、豊かな人生が持続できるみたいなことがあるとして、そういう目的思考でやってる気がする。文化とかあまり関係ないんじゃないか。俺が得たような文化資本なんて、人生の成功とかには何の役にも立ってないわけですよ。



 「おフランスの文化格差を舐めるなよ。おフランスの文化格差と日本のそれじゃぜんぜん違うんだよ」、と。まぁ、こういうことだけど


フランスでは誰が日本の漫画を消費しているか? - ボンズ〜ル・ブログ|Le Spleen de Tokyo

日本語を学びつつランボーを研究しているフランス人の友人に、日本ではマンガもある種の教養となっていて、文学作品と同等のステータスがあるという印象を伝えたところ、大変驚かれました。この人はマンガを全く読んだことがないとのことでした。「サブカルチャー」はフランスでは本当に「サブ」カルチャーであって、「サブカルチャー」の受容は逆説的に「メインカルチャー」の強固さを証し立てているのかなと感じました。日本では「サブカルチャー」に対する「メインカルチャー」はもはやないように思えます。しかしフランスでは両者は決して交わらない。交わらない故にある視点から見ればそれは相互依存的なものであるように思えるのです。


 なんとなくアレとか思い出す。「フランスの一流バレーカンパニーの審査では祖父母の代まで肥満があるかどうか調べる」問題(@曽田正人、「昴」)。あとピアノとか絵画とかそんなの。

 んで、そういったハイソなカルチャーに対して、サブカルチャーはカウンターカルチャーとして存在する、と。カウンターはずっとカウンターであって両者が交わることはない、ってやつ。

 個人的にはそういう状況のなかでたとえばR.バルトなんかがレッスルする世界に関心をもって研究を進めたのとかは面白いな、と思う。彼が存命なら日本のマンガカルチャーとかプロレス状況を面白く感じ擁護していたかもしれない。(オタク的なものとかも)


アルクトゥルスの25度下: バルトは多分全日のファンになっただろう(表徴の<帝国>・1)



・・話がそれたので戻すと、そういった日本的な「文化」的なものと教育的なものとではまた問題が違うだろう、と。教育には目的思考(合目的性)みたいなものがあるし、そういう意味では「文化」とは違う、と。


 まぁたしかに、システムのルールとして分かりやすい政治・経済的合理性に対して文化的なものというのはその余剰的なもの(多様性)だからなぁ。なので文化単体で見ても文化なんてものは分からない。


 
 んで、こんな感じで「文化資本って言ったって日本とフランスでは違うし、教育といわゆるサブカル的なものは違うしね」って話が出てきたんだけどここで鈴木謙介氏によるちょっと補足(+ 論点整理)


鈴木:今の話、ふたつ補足しておかないといけなくて、ひとつは、ブルデュー的な文化資本って、日本に当てはまらないってのは確かにそう。せいぜい言うなら、能・歌舞伎・狂言とか子どもの頃から見てました的な話ですよ。なので、某一流私大とかに入ったら、みんなそういうのがあって凹む、とかいうもの。ただ何でこの話を出したかというと、ポップカルチャーなんて、文化資本って言えるほどの歴史がないじゃん、って言ってられたのもちょっと前までの話で、今はポップカルチャーが大きな市場になっていることも含め、やっぱり継承性みたいなものが大きく作用するものになってるんじゃないかっていうのがひとつ。それから、もうひとつ「遺伝」って話ですけど、それで言うと、なんで継承の話を出したかというと、これが「あのやろう、いい家に生まれやがって悔しいなあ」とかじゃなくて、「僕はこういう家に生まれたから、もともと家にレコードがたくさんあるような家じゃなかった僕だから、文化系みたいなセンスなくても仕方ないんだ」、みたいな理解をするためのリソースにされてる感じがするんですよ。で、この二つの話がくっついてくるのが、ミュージシャンや作家の「二世問題」って奴で。つまり、宇多田ヒカルが出てきたときに最初言われたのは、帰国子女だから仕方ない、親もミュージシャンなんでしょ、みたいな。そういうあきらめるためにものの見方を使う感じにもやもやしてる感じがあって。そんなことないじゃん、ってことを言うためにこの話を出してるわけですけど。



 「ポップカルチャーっていっても継承性の問題はあるかも。でも、それがあきらめの理由として利用されてるとなるとまずいね」、と。


 あと、教育との関連として「合理性と多様性の二者択一ってどうだろう」って感じの話に繋がっていく。(っつーか、持ってないものを手に入れようとするときに、実利的な目的志向から行くか、「わたしこれが好きだからこれで食ってく」的な志向から行くか、びみょーだよね、って感じの話)

 んで、そこから「文化系と実業」という話に展開してセゾングループ(堤清二) ⇒ 「文化とパトロン」的な話へ接続されていく。


 で、その前段階として柳瀬さんの「文化的継承はない」発言


柳瀬:さっきの話をまとめるんですけど、ひとつは斉藤さんが言ってた、教育と文化の問題は切り離した方がいい。作家や学者の子ども、親を見てますけど、親と子の教養体系は全然リンクしてない。それは個別の問題だと考えた方がいい。


 そんな感じで問題を分けつつその上で必要なのは

その上で、ただし、必要なのは、まったくそういう素養がなかったけど、たまたま街で聞いたギターのリフ一本で、ギタリストを目指す奴とか、たまたまチラシに載ってた活字一行で本を書きたくなる奴というのがいる。これが文化に対する人間のムーブメント。そういうのに対する環境設定をやってあげるっていうのが、文化資本であり、公共政策の役割。



 つまり、鈴木さんがさっきも上げていたように、「環境を理由にしてやる気をなくすな」、ってこと。むしろ必要なのはそんな感じで後ろを振り返ることではなく、ちょっとしたやる気が生じたときにサポートできる体制が整ってるかどうか、だと。

 お金は全てではないけど、手段としてのお金は大事だ。


 んで、この辺が本題だったらしく、皆さん考えてきたネタを投下していく。っつーか奨学金とかの話。


お金があるということと文化的であることが、ある程度合致するのが西洋の国。長い時代を経て、文化格差と経済格差が合致してしまう。そうじゃない人も出てこれるマーケットを作ったのがアメリカ。これに関して言うと、明治維新、終戦を経て、何度か社会が分断している日本の場合、文化資本のある家というのと、経済的な資本のある家が、必ずしもイコールしないという風になったと思ってる。たとえば作家になりたかったり、勉強したかったりっていう人にチャンスを与えるシステムは、アメリカなんかはきわめて優れたシステムを持ってる。
それで企業の話。向こうの企業ってのは、王様のいた時代からパトロンってのがあって、ミュージシャン、ベートーベン、モーツアルト、アーティストで言えばミケランジェロやダ=ヴィンチってのも、貴族のパトロネージュから出てくる。その延長にあるのが、いわゆるファウンデーションを行う財団ですね。能力のある人間で言うと、世界中から勉強したい、お金がないっていうと、ファウンデーションしてくれる。

鈴木:奨学金も出ますしね。



 んで、例のゲイツ、バフェットの財団の話とかに繋がってくわけだけど、日本はやっぱセゾンだね、と。


(流れで民間からの文化振興問題として日本のメディア、コンテンツ業界って過保護でぬるいね(世界的に通用しないね。非英語圏だし)。ってのが出てきててまったく同感だったんだけど、これは別件で上げようかな)


 で、セゾンの「ど真ん中にいた」佐々木さんがその辺のところを聞かれていろいろ答えてた。

 要約すれば、「欧米圏にはパトロン、メセナって意識が自然にあってそれが文化振興の核になってきたけど、日本にはそれはないよね。でも、西武はそこに絡んできた。それはなにも文化振興とかそういうことではなく、 

たまたまそういうインフラができたから、そのときそれがなかったら、もっと食うに困ったであろう人たちがそこに吸収されただけ。だからみんなセゾンって印が付いているように見える。それに過ぎないんじゃないかな


と。


 なので、経済合理性的なところから離れた特殊圏というわけではないんだ、と。(関連で村上隆の話なんか出てきたり)

 あと、日本におけるテクノとかハウスの分野もそんな感じで、「儲かってるからとりあえずこの部分も抱えときましょ」って感じでソニーがやったってのは意外だった。


 セゾンっていったら「80年代地下文化論」読まなきゃなぁ。。


エロ本編集者の憂鬱と希望:宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』(白夜書房)を読む。


うたかたの日々:かっこいいって



うたかたの日々 - 「東京大学「80年代地下文化論」講義」宮沢章夫の読書メモ兼インスパイアされた事柄 その2。




 っつーか、セゾン関連だとBigBangさんの「セゾンの中の人」的なエントリが面白そうなんだけど、ちょっと今回のエントリが思った以上に長くなってしまってもう眠いのでとりあえずリンクだけしてご紹介にとどめます。


BigBang: 邯鄲の夢(1)-- 闇に逃げた猫

BigBang: 邯鄲の夢(2)-- 蟻の棲むところ

BigBang: 邯鄲の夢(3)-- 腐敗

BigBang: 邯鄲の夢(4)-----消えた痕跡





 で、眠いのでまとめもなく今日は終わり。




・・・・またこんど (再見!)




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関連:
muse-A-muse 2nd: 芸術的なものへの参加資格について (関係性の再構築 承前)


muse-A-muse 2nd: 「クリエイティブ」とはなにか?(「センス」、「想像力」、「創造力」について)





posted by m_um_u at 23:37 | Comment(2) | TrackBack(1) | 社会このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
アパレル大手のワールドの人に聞きましたが、神戸に本社があることのメリットは、神戸育ちの女の子は服にお金をかけられるし街角のショーウィンドーもレベルが高いので、教育投資が三分の一でもいきなりそこそこの店頭陳列ができるので助かる、みたいなことを言われました。地域社会が持っている文化資本、というのに注目したいと思っていますが、神戸人の僕の場合はそうやってお国自慢を正当化したいだけかもしれません。
Posted by 福耳 at 2007年05月28日 00:10
神戸はおしゃれできれいな都市みたいですね。GIGAZINEのきれいな都市ランクにも載ってました(なぜか勝山のほうが上だったけど。。)

世界の最もきれいな都市トップ25 - GIGAZINE
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070518_world_cleanest_and_dirtiest_cities/


地域社会がもっている文化資本ということで、広島はファッションは得意じゃない(・・のかな?ぼくはファッション疎いのでよく分かりませんが)のですが、みょーに流行な敏感なところがあるらしく、お菓子なんかの商品テストに使われるみたいです。「新作のお菓子はまず広島で試そう」みたいなの。っていうか、商品に対して厳しい評価をする傾向があるみたいなので、その辺りを参考にするとか。(でもこれは文化資本とは違うっぽいですね)

Posted by m_um_u at 2007年05月28日 05:29
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Tracked: 2007-06-20 16:05
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