2015年11月12日

「マレフィセント」と「八日目の蝉」




ついったーで人に勧められて見たらおもったより良かった。



マレフィセント (吹替版) -
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ストーリーや映画の構成、演出自体は最近よくある「あの童話のこの本当の物語」「ここが詳しく語られてなかったので詳細に見てみたらこんな愛の物語が」という昔の人の心性を現代人のロマンティシズムや規範で再解釈しようというものに思える、し、この映画が絶賛されたのはむしろ衣装や SFX などであったかとはおもうのだけど。

そうは思いつつもストーリーな部分でちょっと気になることがあり自分的に掘ってみたく思ったのでエントリに起こしてみる。


以下いつもどおり、あるいはいつもにも増してネタバレだろうし、たぶんこの映画は特にネタバレを嫌う層が見るものだろうからなんだったらここまででこのページは閉じてしまってくださいm(_ _)m






いちお基本ストーリーのおさらい


マレフィセント (映画) - Wikipedia http://bit.ly/1llrL5h


いわゆる「眠りの森の美女」のお話でこの映画ではお姫様に眠りの呪いをかけた魔女はなぜそんな呪いをかけたのか?というところにフィーチャーして物語が空想されていっている。そこから「本当の物語」「愛の物語」が紡がれるわけだけど。

おそらく民俗学的な「ほんとう」のお話だともっと残酷というか、シンプルな理由、因果関係が設定されてたのではないかと想ったりもする。ひところ流行ったような「本当は怖いグリム童話」的な。現代人が子どものそれにたいしてたまにドキッとするような無邪気?な残酷さ。フランス革命時でも見られたような理知のない大衆の残酷で即物的な心性。


ロバート・ダーントン、1984(1990)、「猫の大虐殺」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/382911771.html


彼らは猫を殺しておもしろがる。


そういった心性は現代だとサイコパスとか、すこし異常が疑われる少年心理に共通するものに思われるけれど、むしろ近代的な理知・教育がなければそれがふつーだったしふつーなところもあったのだろう。野卑で残酷で即物的で動物的な。


眠り姫の物語ももともとはそういったものだったのかもしれない。

民俗学でたどれば、現在のようなディズニー的な定本「眠りの森の美女」といった感じでもなく、複数の文化圏の眠り姫民話の共通する物語素が見いだされるかも。そして、そこではおそらく「魔女がなぜそんな呪いをかけたのか?」ということはそんなに重要ではない。重要なの、あるいは共通するのは「眠り姫は王子のくちづけで目を覚ます」というところなのではないかと思う。でも、そこも案外、近代的な物語の因果律的に後付構成されていったもので、もっと地味で、物語を愉しむ上ではそんなに重要ではないと思われるようなことが共通する物語素だったりする、のかも。赤ずきんの物語が実は胞衣(えな)をめぐる物語だったように。



そういった予防線を張りつつ、自分的にこの映画で関心したところ、すこし考えてみたく思ったところは「血のつながっていない母親の愛こそが真の愛」というテーマが「女であること、女になることの悩み」を抱えている女性たちの物語の中でなぜ突然配されてくるのか?ということだった。


たとえば角田光代にも共通するテーマ、「そんなに不自由ない生活を送っていつつも夫との関係、あるいは日々の暮らしのなかでなんとも言えない満ち足りなさ、実存の希薄を感じた女性たち」。この不安を抱えた女性たちは女性性の受け容れでこじれが生じてるように想うのだけど、ではなぜ女性性の受け容れでこじれが生じている女性たちの物語が「八日目の蝉」に帰着するのか?


園子温、2011、「恋の罪」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/429245999.html

角田光代 - Wikipedia http://bit.ly/1llvpvM


あるいは女性性の受け容れに生きにくさを感じる彼女たちの物語。


「マレフィセントで気になったのは…」というか「角田光代が空中庭園的なものからなぜ八日目の蝉へと進んだのか?」というところが気になっていて、それが「マレフィセント」←「アナと雪の女王」にも共通したのかもしれない。



「アナと雪の女王」も女性性の受け容れをめぐった物語であり、そこではステレオタイプな、あるいはパターナリスティックな男性性が、あるいはそれを受けたステレオタイプな女性像・規範が彼女たちを苦しめる。そこからの解放へと向かう物語(「ステレオタイプな女性像を辿らなくてもわたしたちはこんなに自由に羽ばたける」)がカタルシスとなっていくわけだけど。その際、彼女たちの困難に寄り添うのは理解のある男性であるというよりはむしろ女性となる。その辺りでこういった物語が同性愛的なものとして解釈されることもあるのだけど。たとえば「思い出のマーニー」とかも。


「思い出のマーニー」|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nf6b051d07826


彼女たちに寄り添うのが女性であるのは彼女たちが自らの女性性、あるいは、パターナリスティックな規範としての女性性と男性性に対して恐れを持っているからだろう。なのでこういった物語ではそういったところからは自由な、性愛とまでもいかないような友情を介した愛情、同性同士の連帯が主人公を支える存在として配されていく。

「マレフィセント」の場合は魔女(マレフィセント)と眠り姫の関係がそれに当たる。


彼女たちの関係はフラットな友情ではなくむしろ「呪いをかけた/かけられた」という敵同士ともいえるものだけれどそれは中盤から後半の話で、それまではフラットな友情、あるいは母の居ない眠り姫を見守る擬似母とその娘的な関係として物語は展開していく。母親的な、あるいは畏友的な存在。

物語の後半に「私に呪いをかけたもの」としてその関係は崩れる。信じていた相手に裏切られたという気持ちがあったのでなおさらに。

しかし、この亀裂は「わたしを陰からずっと見守ってきてくれたのね!」ということで納得され修復されていく。これで「呪いをかけた」ということが帳消しにされるのはオーロラの性格の良さというか、物語の都合もあるのかなとかは思うのだけど。


マレフィセントがオーロラに呪いをかけたのはオーロラ以前の物語、オーロラの父親とマレフィセントの過去に因果するものとこの作品では解釈され物語られていく。


自由を謳歌する翼をもった妖精王的な存在であったマレフィセントとその男は恋に落ちた。しかしマレフィセントは人間の王から疎んじられ討伐令が出されていた。男はマレフィセントの翼を奪い王に捧げることで次代の王の権利を得た。この裏切りをマレフィセントは許さず黒い魔女となっていった。その恨みが王となった男の娘、オーロラに呪いとなってかけられていった。




マレフィセントの翼は自由な女性の生き方を象徴するものであり人間の王の規範、それを担保する武装や暴力は従来のパターナリスティックな男性規範を象徴するものだった。


物語の終盤、王となった男がマレフィセントに襲いかかる場面はまさにそれを象徴するものだったろう。ガチガチの鎧に身を固めて残虐かつ無慈悲にマレフィセントに襲いかかる男。かつての恋人という情けもなしに。


しかし、ここでオーロラの助けによって翼を取り戻したマレフィセントは空に舞い上がり男を圧倒していく。


そして森へと還っていく。オーロラを伴って。




この作品のテーマはおそらく「眠り姫は真実の愛のくちづけで眠りを醒ます、というときの真実の愛とはなにか?」ということでその周りにゆるく女性の自立のモティーフが張られている。


「真実の愛なんてありっこないのだから」

この言葉が繰り返されるたびにこの映画のテーマがそれであること、そして、それがアガペー的なものなのだろうなということが見るものに予感される。


「関係的には呪いをかけた敵である/あったのに愛情をかけて見守っていった / 自らを犠牲にして愛を注いでいった」

「そこに真実の愛があった」とこの映画では結論する。見返りを求めない愛 = 真実の愛。


真実の愛によって姫は眠りから覚めた。



それ自体には特に異論はないし、おそらくこれがエレクトラコンプレックス的なもの - 女性性の不安を抱える女性たちの物語に「八日目の蝉」的なものが配置される理由なのだろうとは思うのだけど。

つまり、「旧来の窮屈な関係性がパターナリスティックな愛情を強制した結果、彼女たちの関係が窮屈なものになっていった、母娘←母性/父性の窮屈な型の踏襲が彼女たちを窮屈にし、その緩やかな暴力が旧来の男性性や女性性に対して恐れを抱く背景と成っていった」、とするとき、彼女たちにとって血縁などの旧来の関係性とそのセットとしてのパターナリスティックな規範も恐れの対象となっていく。それに対して、血縁ではない関係、血縁ではないのに愛情をそそぐ(見返りを求めない愛情を注ぐ)ということは希望となる。


ここでこの映画で提示される「真実の愛」についてすこし引っかかった。あるいは「真実の愛」を設定する際の配慮というか。





男がかつてマレフィセントから翼を盗んだのは、単に男が自らの利益のため、王になりたいという権力欲のためにマレフィセントを裏切った、ということだったのだろうか?そして、それがゆえに男のそれまでの愛は偽りのものだったといえるのだろうか?


討伐令が出ていたのだからそのときあやろうと思えばマレフィセントを殺すことも出来たはずだけど男はそれをしなかった。翼を盗むにとどめて。

それは、その時点では男に未だマレフィセントへの恋慕があったためにその躊躇から、といえるかもしれない。その躊躇や呵責は男が王となること、時が経つことで忘れられていった(男もかつての王のようにパターナリスティックな男性性に埋もれていった)、と。男がマレフィセントに襲いかかる場面はそう想わせた。


しかし、王となった男はなぜマレフィセントの翼を飾ったままにしていたのか?


「それはかつての王に献上したものであったため、その名残として飾られていただけだ。狩りの成果の剥製のように」


そうも言えるかもしれない。あるいは物語の都合上、後にマレフィセントがその翼を取り戻す場面がカタルシス的に必要だったから、とも。


でも、敢えてそれを男の無意識に依るものだったのではないか?と妄想してみる。


「命までは奪わないとはいっても翼を奪うことは彼女の社会的な価値、それに基づいた自己規定や誇りを奪うものだった。そのことに対して、男はあまりにも鈍感で無配慮だったのではないか?」


男は、本当はマレフィセントに翼を取り戻して欲しかったのかもしれない。あるいは、そこまでいかなくても、かつての恋人の最も大事なものを処分するには忍びなかったのかも。世間の都合上、彼女から翼を奪ってしまったけれど、男も翼をもって自由に飛び回る彼女を愛していたのかも。彼女のうつくしさもさることながら翼をもって自由に飛び回る様を。その思い出の縁としてそれを捨てられなかった。彼女との復縁を望むというわけでもないだろうけれど。そういった気持を隠す反動が男がマレフィセントに対して極端な残酷に出た背景としてあったのかもしれない。




「一般的な物語-解釈的には悪役と想われているものにもヤサシイココロが」「そこに真実の愛が」として「眠り姫」の悪役を救う時、「マレフィセント」の悪役にも同様のヤサシイ視線があればよかったのでないかと、少し思った。



























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クリス・パック/ジェニファー・リー、2013、「アナと雪の女王」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/407796083.html




ラース・フォン・トリアー、2013、「ニンフォマニアック」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/425284729.html

「ニンフォマニアック」の最後に出てくる擬似母娘の関係と「かつての男」をめぐるそれは「マレフィセント」にも共通するけれど、義理の娘が男(セックス)を選んで義理の母に小便をかける様は女版のエディプス・コンプレックスなのかなとも。「それがエレクトラ・コンプレックスというものだ」ともいえるけど、もっとエディプスコンプレックスを女性が演じて戯画化したような。あるいは、そこでの義理の母は(この娘にとっての)神だったのかもしれない。規範的で、パターナリスティックな「神」の面に小便を



園子温、2011、「恋の罪」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/429245999.html





映画系女子がゆく! | 青弓社
http://www.seikyusha.co.jp/wp/category/rennsai/eigakeijyoshi

サブカル、メンヘラ女子の「女性としての生きがたさ」「女性性の受け容れ」なテーマの映画の解説として



映画系女子がゆく! -
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不思議な少年(7) (モーニング KC) -
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ソフトバンクのCMもこういったノリ程度のものだったのではないか?と思うのだけど「有名な『あの物語』の主人公たちが集うbarでかわされる本当はこわいうんたら話」。「いわゆる死体マニアだった王子」や「足フェチ王子」について語られるなかで「何億ものひとに嫌われるなんて酷すぎる…」と『平凡』な男は涙する。

posted by m_um_u at 23:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
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