2007年05月25日

格差を巡るデフレスパイラルから抜け出すには・・・

 クローズアップ現代「ワーキングプア  アメリカからの警告」を見終わってなんか感想書こうかと思ってたところでこのエントリを見て、なんかいろいろ繋がったので表出してみる。


Arisanのノート - 『若者の生活と労働世界』から、湯浅・仁平論考に関して


 その前にクローズアップ現代の放送内容を簡単にまとめておく。この回はアメリカの格差社会論で有名なジャーナリストらしいデイビッド シプラーさんを招いていろいろ聞いていた。で、「格差社会とはどういうものか?」という話で、ワーキングプアの実情が描写されていた。

 具体的には、「平均所得の1/3も稼げない人のことをワーキングプアという」、と。そして、「働いても豊かになれない人のことである」、と。

 後者の例としてはたとえば税金の問題がある。所得が少ないので働いても税金や家賃、その他の生活する上で最低限必要なお金が払えないあるいはそれらを支払ったらお金がなくなってしまう現状がある。そして貯金ができないのでステップアップできない。

 「こういった事態が生じたのはなぜか?(アメリカは努力すれば報われる国(=American Dream)ではなかったか?)」という問いに対して、シプラーさんは「間がなくなったからだ」と答えていた。

「昔は能力がない人でも経験を積めば一定のポジションにつけて相応の給料をもらうことができた。製造業なんかはその最たる例だ。しかし、現在は労働生産性の中心が製造業からサービス業、そしてその上の一定のスキルを必要とする仕事(ex.医者、教員)にシフトしてきているので製造業ではお金を得ることができなくなってきている」

 大雑把にいうとこういうことらしい。

 

 そういえば「サービス業へのシフト」という話はこちらでもやっておられたな。


[R30]: 拝啓FT様 サービス業の生産性について


 こちらの場合はサービス業の中でもさらに効率性というか生産性のようなものが高いものにリソースを集中すべき、ってギロンだけど。うちのサイトではこの辺りが該当するか


muse-A-muse 2nd: 資源最適化としての格差社会と社会保障に関して



 んで、話を戻すと、そんな感じである程度スキルが必要になってきてて、それを得るためにはある程度のお金とか能力(脳力)が必要なんだけどワーキングプアの人たちはその両方とも危機的情況にあるということみたい。お金のほうはそのままなんだけど、文化資本っていうことでブルデューのギロンに通じるか。脳力のほうは、「2〜3歳までに十分な栄養を与えられていないとその後の脳力に影響する」、ということがあるみたい。なので「教育」によって貧困からの脱出を試みようとしても前提条件が失われている事態に陥る。(たとえば奨学金みたいな制度があっても活用することができない)

 で、番組では特に語られていなかったけど、この脳力の部分にモチベーション的なものも関わるのではないか、と思った。

 具体的に言えば、「目の前に機会が転がってるのにやろうとしない」、問題。


 要するにこういうことだが

muse-A-muse 2nd: フランク・ゴーブル(著)、小口忠彦(監訳)、1972、「マズローの心理学」


 もしくは、

偽装部 - コアラ・ミーツ・パンダ - 以前から古谷実に対して考えていたことを書いてみるテスツ


「人生最大にして最強の敵は“めんどくさい”だ」


 ってやつ。


 古谷が「ヒミズ」で象徴的に描いていた怪物のようなものが心理的な呪いとなって成功への道を塞ぐ。


 それで冒頭のArisanさんのエントリに戻るわけだけど


Arisanのノート - 『若者の生活と労働世界』から、湯浅・仁平論考に関して


 ここでは、「ホームレスの人なんかが働く気をなくしていくのは成功体験の溜めがないため、剥き出しの現実に堪えられないのではないか」、という問題提起がされている。

 ホームレス、フリーターなどの弱者労働者に対して、よく「ぐーたらして働く気がなくてそういう状態になったのだから本人が悪い」などの自己責任論が展開されるけど、その前提条件として働く意欲(モチベーション)の部分で格差があるのではないか、と。(「意欲の貧困」の問題)

 通常そういった意欲はなんらかの成功体験というか、「失敗しても大丈夫」といったバックアップがあって発達していくものだが、そういったものがない環境の中で育ってきたのではないか、と。(以下、Arisanさんのところの引用(本田由紀、「若者の労働と生活世界」)からの孫引き)


そしてその「意欲の貧困」は、心理主義的なまなざしではとらえられない構造的な諸条件によって産出されていた。通常、働くということは、実は「根拠のない自信」という意欲・意志の外部によって支えられており、その「根拠のない自信」は、失敗が存在の危機へとつながらないさまざまな“溜め”――つまり親密な社会関係や社会保障(家族・企業福祉・公的福祉)に支えられている。それを担保していた家族、企業、公的社会保障が脆弱化していくなかで、“溜め”が剥奪される状態が生じうる。ここが、「意欲の貧困」が生起する場所である。(p355)



 つまり関係性のバックアップがない、ということになる。


 そして、こういった「溜め」がないために剥き出しの現実(たとえば未経験で関係性の乏しい職場)に堪えられないのではないか、と。


 
 しかしこれは逆に言えば可能性のある話かもしれない。というのも意欲を「先天的な個人の能力」として設定した場合、それはケア不可能な領域ともいえるのだけれど、このような形で後天的に意欲が定まるものならば、外部環境的になんらかの対策をこうじることができるかもしれないので。(安易かもしれないけど)



 しかし、この深淵というのはもっと奥深いものである可能性もある


田原さんのような事例は、誰にも潜在していて「溜め」がなくなればいつ露呈してもおかしくないその深淵が、何かの理由で露呈しやすい条件で生きることを余儀なくされてきた人たちの問題であるともいえる。そして、そういう人たちは、精神的な意味でも、経済的・社会的な意味でも、今日たしかに決して「少数ではない」。



 おそらくここで言われているように「誰にでもある」がゆえに「誰もが隠している」(無意識に見ないようにしている)ものなのかもしれない。


 鬱系の話と似てるけど、「その深淵に真正面からぶつかると絶対に勝てないので、黙って過ぎ去るのを待つしかない」、みたいな感じなのかも。そんなこと言って黙って待ってても飯が食えるわけではないので、なんらかのコツが必要なのだろうけど、敢えて深刻に考えずに「めんどくさい」を乗り越えていくコツとしてはこの辺だろうか。


finalventの日記 - 実現化する能力

高校生には、だから、まず夢想させ、それを現実化させるための知識を与える、そしてそれを本当に実現するための意志の動かしかたを見つめつつ、努力の技術を学ばせる。


 あるいはこの辺とか


finalventの日記 - そりゃそうだけど


(なんか「よかった探し」にも似ている((C)ポリアンナ))


 
 あるいは前回のエントリでも触れたように、「変なプライド(奢)を捨ててそこに自分を投げ出してみる」、ということが必要なのかもしれない。


muse-A-muse 2nd: 車を捨ててケモノ道に入ろう!



 「ビッグイシュー」にも書いてあったけど、ホームレスになった人というのは「プライドが捨てきれなくていろんな仕事につけなかった」というのもあるみたいなので。なんか男はそういう傾向が強いらしい(なので女のホームレスは少ないのだとか)。


 でも、そこにエイヤッと身を投げ出していくためには意欲の核のようなものが必要なわけで、それはある程度成長した段階から身に着けることは可能なのだろうか・・?



 ・・なんか難しいい問題だが、考えていくべきことなんだろう。(とりあえず自己実現系でもうちょっと掘ってみよう)



 あと、共感の問題


Arisanのノート - 共感する力は「能力」か?


 Arisanさん的には共感力(感受力、想像力)にまで「力」という言葉をつけてしまうことで能力主義的な視点(cf.ハイパーメリトクラシー)に陥ってしまうのではないか、ということを危惧されているみたいだけど、それとこれとは違うように思う。

 ぼくはやはり想像力というのはそのまま個人の能力に繋がるように思う。それによって他者への共感が生まれるわけだし、能力的には様々な情報を連結させ体系的(俯瞰的)に事象を見る能力というところに繋がるように思う(実際マズローもそんなこと言ってたし)。たとえば「ネットカフェ難民の人がお金の使い方知らないんじゃないか」問題とか。


 でも、「そういった共感力を養わなきゃね」みたいなギロンは危険な気がするけど。(たぶん分かってない人が愛国教育に使うだけなので。「空気読め」的な話にも通じるな)


 こういった他者への共感的な想像力というのは善性とも通じるもので、それはたとえばこういうものだと思うのだけれど


田口ランディ公式ブログ : 罪悪感


以前に広島に落とされた原爆の小説を書いていたとき、「死のなかの生命」という本を読んで、原爆の炎のなか九死に一生を得た人たちに共通する「生き残ったことへの罪悪感」があることを知った。自分も生きるか死ぬかの瀬戸際だというのに、被爆者は自分だけが生き延びてしまったことへの、言い知れぬ罪悪感をもって苦しむのだと言う。

それを読んだ時、なんと人間は優しく残酷で不思議な生き物だろうと思った。原爆を作ったのも、落としたのも人間、それを浴びるのも人間、そして生き残って悔やむのも人間。

人の心は複雑でわからない。私は私の心すらよくわからない。でも、学ばなければならない。私たちは自分だけが救われていくことに罪悪感をもつ存在だということを。そのような心を人間はもっていることを。あるいはだから人間であることを。




 これを「想像力のような認知的な能力と通じるもの」として設定した場合、「アホは善性がないのか」みたいなギロンに通じる感じでちょっと危険ではあるのだけれど・・・まぁ、その辺はぼちぼち。。。





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関連:
下層の暮らしをルポする手法 (book review)

うたかたの日々@はてな - 働けど

※アメリカの格差社会の現状についての体験ルポ(「ニッケル・アンド・ダイムド」)について。



フリーターが語る渡り奉公人事情 日雇い派遣ワールドと一般社会

※単純労働系をしているうちに語彙が減ったり文法を忘れて思考できなくなる問題。これは似たような体験があるのでなんとなく分かる。(それでも勉強を続けているワタリさんにはほんとに敬服する)



福耳コラム - 絶望しないふりはたやすいが

福耳コラム - 素質論に逃げまい

福耳コラム - 学力の問題以前の自己承認の問題

※モチベーションの低い学生でも拾い上げていこうという福耳さんの不屈の戦い記録。このコ達は恵まれてないわけでもないのに機会を活かそうとしていないので傍から見ているイライラしてくるわけだけど、Arisanさんの言うように構造的な問題があるのかもしれない。(意欲の貧困 = 関係性の貧困 = 心の貧困 ?) それにしても、このときにがんばっとかないと将来的にキツイことになるわけだけど、その辺の想像力というか、分かっていても分かっていないのだろう。(あるいはやはり意欲の問題)



5号館のつぶやき : 若者の悲鳴に耳傾けよう

※「強い人から見ると当たり前のことができない人は圧倒的に多いのではないか」。そしてそれを自己責任的に切り捨てるのはどうか、と。



愛・蔵太の少し調べて書く日記 - ネットカフェ難民なんてただの報道の演出です

※「ネットカフェ難民ってびみょーかも」、と?(未だよく読んでません)







posted by m_um_u at 18:01 | Comment(2) | TrackBack(1) | 社会このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
僕は、「ヒミズ」の主人公の少年の気持ちが、とてもよくわかるような気がします。別にわざとなまけているわけでもすねているわけでもない、むしろ一生懸命適応しようとしても、どうしても世間と合わない、その年月の間に、どんどん自分が存在する意義が感じられなくなっていき、虚無と向き合うことになる...。
Posted by 福耳 at 2007年05月28日 00:06
ぼくもあのマンガを見終わったときにはけっこう尾をひきずりました。「・・やっぱりダメなのか」という台詞がとても響いた。

そういう体験をしたことがある人にとっては痛くて、読むタイミングが悪いと危険な作品ですよね。

古谷実のその後の作品は「どうしても世間と合わない」というときの「世間」の部分を埋めようとしているみたいです。でも、なかなか結論には達していないみたい。

そのときの「世間」というのはステレオタイプ的な常識とは違って、自分の周囲の仲間のようなものを想定しているようなんですが、友人とか恋人といっても突き詰めれば自分とは違う他者なのでそこに迎合するというのもちょっと違う感じがする。かといってそういったものを捨てて一匹狼のように生きたいかといえばそういうわけではなく、もっとゆるく自分なりの「ふつー」を生きていきたい。この「ふつー」という部分への落とし前というか、自分なり(あるいは読者に普遍的な)の納得がどこにあるのかというところで試行錯誤しているように見えます。

Posted by m_um_u at 2007年05月28日 05:03
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