2015年10月17日

高浜寛、2015、「蝶のみちゆき」(ほかいくつかの作品)



はてなの一部界隈でおすすめマンガを紹介するのが少しはやってるようなのをTwitterで(´・ω`・)しつつ、そういえば自分も高浜寛についてもうすこし感の入ったものを書いてみたいと思ったことを思い出した。noteにはいちお書いたのだけどもう少し感の入ったもの。

とはいえ、高浜寛の作品の魅力はなかなかに言語化しにくいもののように思う。

簡単には「大人向けマンガ」ということになるだろうし「現実臭い」「アダルティ」などの感想が散見され、それ自体は合ってる。

「大人向け」というとセックス描写とか難解さとかが思い浮かぶかもだけど、セックス描写を過激さという観点から見た時にはそういうものを目的にしてる作品には劣る。むしろあっさりとしているのだけど、そのあっさりさというのは現実のセックス、特に女性の視点から見た時のそれに近いのかなあとか思わせる。ヤサ男のすね毛とかうなだれたペニスとか。

マンガの表現というのはどうしてもマンガの型に沿って描かれる。そういうもののなかで演出、デフォルメされることで想像力を刺激されるのだけど。それはマンガ的なもの、あるいはそれによって喚起された想像のものであって現実とは異なる。

高浜寛のマンガ、特にセックスシーンを中心とした性愛の情感はそういったものと一線を画する。


そういう意味で言うと単館映画のようだし、バンドデシネということなのだろう。なので谷口ジローが強烈に推す。


深町秋生のコミックストリート :日本的な情緒とたおやかな感性、徹底した再現力。さらなる高みへと到達した愛の物語「蝶のみちゆき」
http://www.sakuranbo.co.jp/livres/cs/2015/03/post-115.html



「今、最も読まれるべき漫画がここにある。知っているようで知らない時代、美しき遊女のお話。なんとも気負いのない絵と語りのうまさが際立つ/心が揺れる――。高浜寛の物語表現は描く度に高まってゆく。」(谷口ジロー)


「本作『蝶のみちゆき』の少なからぬ魅力はヒロイン・几帳が湛える穏やかな悲しみにあり、読む者を幕末・明治の遊女の世界へと導く官能と情緒にある。私たちは初期作品からずっと高浜寛の繊細な仕事に注目してきたが、彼女はこの作品により世界的コミック作家の最高峰へ至る新境地を切り拓いたようだ。」(ブノワ・ペータース フランソワ・スクイテン)



加えていうとこの話は吉原の話ではなく長崎の遊女の話で、あまり知られてない題材をしっかりとした取材に基づいて描かれている。特に書かれてないけど高浜寛のほかの作品にも共通することなのだろう。

とはいえ、やはり一般的な日本の漫画読みの視線からすると地味な画風だしストーリーとしても地味なものになってるように思う。なので煽りに期待して読むとそんなに…てこともあるかも。


自分は最初からそのつもりで読んだのでそんなにがっかりということもなく、むしろ日本のよくあるマンガの型から外れたとこにある魅力のようなものに魅了されていったけど。スルメのように(あるいは煮物)。


「蝶のみちゆき」が最新作にして最高傑作という評価なのでそこに至るまでの作品を読むことから始めた。




蝶のみちゆき (SPコミックス) -
蝶のみちゆき (SPコミックス) -

蝶のみちゆき -
蝶のみちゆき -

四谷区花園町 -
四谷区花園町 -

四谷区花園町 バンブーコミックス -
四谷区花園町 バンブーコミックス -

トゥー・エスプレッソ -
トゥー・エスプレッソ -

イエローバックス -
イエローバックス -

イエローバックス―高浜寛短編集 -
イエローバックス―高浜寛短編集 -

凪渡り ― 及びその他の短篇 (九竜コミックス) -
凪渡り ― 及びその他の短篇 (九竜コミックス) -

泡日 -
泡日 -

まり子パラード (Ohta comics) -
まり子パラード (Ohta comics) -



物語的には男女の恋愛を中心とするのだけれど単に惚れた腫れたで別れて嫉妬でくっついてとかな話でもなく、たとえば年齢を超越しても、あるいは別れても好きであり続けること、愛しているがゆえに別れることを当然としたような、そういった愛情のあり方が描かれている。


初心者的には素直に初期短編集の「イエローバックス」から読むのが良いだろう。

その中でも自分が好きなのは「最後の女たち」という作品。

かつては恋人だった男女が仕事のみの関係になって老齢を迎えつつ、そこで新たなはじまりを模索する。

「この歳になってこんなことでドキドキするなんてね」「ていうか、まだドキドキするなんてことがあったんだね」

そんなセリフが欄外から聞こえてくるようなラストシーン。

キャピキャピした若気の恋愛ではない、一時の昂まりを超えた落ち着いた愛情の行方というモティーフは「トゥー・エスプレッソ」にも通じてくる。

2つのエスプレッソであり「too Espressos」。苦すぎるぐらいがちょうどいい、若い恋の幕引き。



特に短編に顕著な大人のおしゃれな?恋愛の様子はエロを抜いたやまだないと的なものを想わせる。


西荻夫婦 (フィールコミックスGOLD) -
西荻夫婦 (フィールコミックスGOLD) -








「四谷区花園町」以降、「蝶のみちゆき」あたりの高浜寛の絵柄はたんぱくで、ともするとそんなにうまくない印象を受ける。

でも、「イエローバックス」で収められてる初期短編からはバンドデシネ的なものを感じさせられ、本来こういう感じだったのを変えていったのだろう。そういうもの、バンドデシネ的なものがより表れていたのが「まりこバラード」だったけど。


「まり子バラード」はフレデリック・ボワレとの共作で、これも単一のストーリーマンガというよりは実験的な映画のような印象を受ける。なのでそのコードで読めない人にはおもしろくない作品だろう。物語としてもなんだか曖昧でたんぱくなものだし。




高浜寛の作品に共通した印象はストーリーではなく現実感、リアリティということではないかと思った。


ストーリーではないというと語弊があるかもだけど、型によって構築・構成された物語、ではなく、もっと身近な経験に沿ったストーリー、あるいはリアリティ。


全体としてはぼんやりとした物語なのだけどある場面が強烈に印象して、そこから自身のなかでの物語(ナラティブ)として記憶が定着していくような。その感覚を描写しているような印象がある。


自分にとって「蝶のみちゆき」という作品の印象もそういったもので、作品全体というよりもある場面に焦点した印象が作品の全体の記憶となって残った。

それは例えばふたりの最後の逢瀬の接吻だったり、その運命を暗示する蝶のみちゆきの様子だったり。一頁まるごと使った、陽炎のように立ち昇る蝶のみちゆき。



余計なことかもだけど、そういった表現から受ける印象として、この作品はこういった表現よりももっとふさわしいやり方のほうが伝わりやすいのではないか?とか思ったりもする。たとえば映画とか、あるいは浮世絵的なものとか。


もともとはカラーで描かれてたみたいな話もちら見した気もするので、それだとまた印象が違ったのかもしれない。






















蝶の道行|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n2104568ec2dc

posted by m_um_u at 21:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
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