2007年05月17日

生存をめぐる権利の衰退と労働市場の擬制の剥落

 先日のフラワーフェスティバルが例年になくアレな感じだったので、「イベントによる地域振興問題」繋がりで映画の「フラガール」みたくなってレンタルしてきたんだけど、その前にNHKの特集で夕張のことをやっていたので見てみました。



NHKスペシャル|夕張 破綻(たん)が住民を直撃する


 炭鉱の町として名をはせた夕張が国のエネルギー政策の転換によってジリ貧状態に追い込まれ、「炭鉱から観光へ」ということで炭鉱観光や遊園地など様々な観光誘致に取り組み「観光モデル地域」として国からも表彰されるほどだったというのは初耳でした。

 こっぱずかしいですが、夕張というと「夕張メロン」ぐらいの印象しかなかったもので・・。


 そして「観光モデル地域」として表彰されていた夕張が財政破綻ということでまたしても国から見離された。この辺にはなんかやりきれなさのようなものを感じました。

 「そんなの自己責任だし、借金は借金なんだから自力で返していかないといけないんだよ」

 ということなんだけど、北海道の奥地という痩せた土地で生き残っていくためには炭鉱に頼るしかなかったし、炭鉱をあきらめた後は観光に活路を見いだそうとした。そして観光に頼るためにはそれなりの設備投資が必要だったわけで・・借金というのはそのために膨らんでいったみたいなんですね。

 「なにもしなければここまで借金は膨らまなかっただろうが、なにもしなかったらこのまま食えなくなっていただけだっただろう」

 という元市長の言葉が印象的でした。


 で、膨らんだ借金を返済するために公共サービスのプラン変更をしないといけないわけだけど、その中で出てきた言葉の中で「国内でもっとも税金が高いわりに公共サービスは最低の地域」というのがあって。それに従って住民に負担が強いられるわけだけど、この影響をモロに受けるのが高齢者なんですね。

 具体的には医療福祉関係や交通(高齢者用の安価なバス)。この辺りが削られていっていました。バスは100円値上げという形でかろうじて残ったけど、地域の病院は税金によるバックアップを受けられなくなって病床を減らして「診療所」みたいな業態をとらざるを得なくなっていた。


 夕張という町を終の棲家と思っていた高齢者たち。外地に身寄りのある人、自分で動ける余力のある人たちはまだいいけど、ここを終の棲家にしようとしていた人たちにとって公共サービスに頼れなくなるというのはほんとに死活問題だと思います。


 印象として、真綿で首を絞めるようにじわじわといぶっていくつもりなんだなぁ、って頭に浮かびました。



 もちろんテクノクラートの人たちも仕事だから仕方がないんだけど、地域住民としては自分達の直接の責任ではないところで責任を取らされているわけだからやりきれない。


 なにか生存権に対する格差のような、そんな印象があります。



 関連で先日Nスペでやっていた中国特集のことが頭に浮かんだり。


NHKスペシャル|激流中国 青島 老人ホーム物語


 こちらでは中国に従来あった血縁を重んじる美徳が変わってきている状況を描いていました。所得が増え、共働きが当たり前になってくることによって従来のように年寄りを家に置いておくということに価値を見出さない家族が増えてきている、と。

 この辺の変化はかつての日本にもあったことなのかもしれないけど、特に血縁を重んじる中国での変化ということでなんか特別な思いを感じたり。

 彼の国は内乱が続いて「国家には頼れない」ということで血縁を重視してきたはずなのに、それを捨て去った後、関係性のよりどころはどこに向かうのだろうか、と。

 まぁ、「お金」ってことなんだろうけど・・どうなんだろ・・。

(そして彼らからしてみれば、「捨て去ったわけではなく一時的に預けているだけだ」、ということなのだろうけど)



 その反面、所得が増加した新世代の人たちは一人っ子政策に違反してまで子供を増やしているみたいなんですね


中国の「一人っ子政策」違反続出、罰金痛くない富裕層ら : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


 タイトル通り、「罰金が痛くない」ので。


 これらの層と老人ホームに親を預ける層とはまた違って、こういった富裕層というのは「老人も子供も増えてもかまわないほど豊か」ということなのかもしれないけど、なんかびみょーな感じがします。


 命は金なのかなぁ、と


 
 まぁ、それ自体感傷に過ぎず、「金」による関係性(交換関係)が中心になっている現代社会では「命は金」という側面は確かにあるのでしょう。

 イコールではないけど必要条件ぐらいな感じで。

(その意味では「命は地球よりも重い」なんてのは偽善に過ぎませんね。 cf.ダルフール)

「中国はダルフール虐殺を支援」 米下院108人、五輪ボイコット警告|中国・台湾|国際|Sankei WEB



 実際、「低賃金 + 過酷労働」の日本の介護の現場からは人材が逃げ出しているみたいだし


天漢日乗: Nスペ 介護の人材が逃げていく@3/11 21:00-21:50 NHK総合



 「自己責任」的に様々なノルマを背負わされることによって労働市場そのものが溶けていっている現状がある。


小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」:中野麻美『労働ダンピング』を読む


 エントリ後段のポランニを引いた解説にもあるように、それは「労働、土地、貨幣が本来商品」として一元化できないようなもの(市場ルールのみでは運用できないようなもの)だったのにそれらを市場ルールを通じて運用してきた擬制(フィクション)が崩れたことによる犠牲ということなのかもしれない。


 でも、その犠牲とされるのは直接決定を下したわけではない無辜の民ってやつなんですよね。



 そしてリンク先コメント欄から少子化と所得(あるいは福祉)の関連に戻っていくわけですが、子供だけの問題ではなく老人も含めた問題としてこんな意識があるみたいです。


"姥捨てポスト" - Google 検索("姥捨てポスト" の検索結果 29 件)


そろそろ姥捨てポストをつくるべきだと思うんだ


赤ちゃんポストは入らないから姥捨てポスト早く作れ





 フーコーの用語で生権力ってあって、あれはもうちょっと内部的な規律にかかわる感じだったと思うのでこの文脈とは違うのだろうけど、なんか頭に浮かびました。


 「内部規律」みたいなびみょーな部分以前にこの辺が際になってきてる現状があるのでしょうね。



 それにしても「フィクションとしてのナショナリズム」の次は「フィクションとしての労働市場」か・・。そしてその際の交換財やメディウムとしての労働・貨幣・土地・・。

 この辺って中国ではものすごい勢いで蕩尽されていってますね




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関連:
ぶらざーてぃのblog:車社会の転換期なのか〜ガソリン高騰と新車販売不振〜 - livedoor Blog(ブログ)

※所得格差によって高齢者だけでなく若年層も車をもてなくなっている(もたなくなっている)現状について。そしてガソリン高騰という形でエネルギー問題に還ってくる。(炭鉱町の怨念?)



muse-A-muse 2nd: 雇用流動におけるアイデンティティー不安と協調の可能性に関して





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追記:
そういやオチ書いてなかったのでいちお。


こんな感じで市場の暴力性(経済的権力)がむき出しで露出されないように国家による統制が必要なわけです。両者が両者を見張る役割を担っている。その辺が「グリゴリの捕縛」で描かれていたわけ。


そして、白田さん的には、「それらの暴力性に対抗するために市民レベルで各個に力を持つべきだ」、ってことになってその力というのは情報力なわけだけど、その部分も「金」と「物理的暴力」を担保とした権力によって統制されていっている、と。

(マスコミはマスコミでそういうこと分かってないので、「われわれぷろふぇっしょなるをさしおいてぐだぐだぬかしてんじゃねー」、みたいな態度とってるし・・)(参照


・・さて、どうしましょうかねぇ。

 












posted by m_um_u at 12:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会このエントリーを含むはてなブックマーク
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